Kyoko Yoshida | Life in Brazil | BLOG |
2025年2月1日(土) | ||||
今月、うちのワンコのひろは10歳の誕生日を迎える。もう1匹のワンコのめいは、うちに迷い込んできてここで暮らすようになったので、正確な年齢はわからないけれど、診てもらった獣医さんによると1歳くらいということで、当時のひろと同じ年齢だったので、めいも今年10歳なのだと思う。ここで最初に私たちと一緒に暮らし始めたモビとフィオナは10歳になる前に亡くなり、はるもあと3~4ヶ月ほどで10歳になるという頃に亡くなったので、ひろとめいは私たちと一緒に暮らしてきたワンコたちの中で初めて10歳に到達したワンコになる。今のところ2匹とも病気は抱えていないので、この調子で元気に長生きしてほしいと思っている。次の写真は、先日の夕飯の後、居間のベッドで待機しているひろ。私が夕食後にいつも摂取するサプリメントのニュートレンを混ぜたアボカドスムージーを飲み終わる頃、私のところにやって来て、私のスプーンを舐め、スプーンを舐めた後、ひろのストレス解消のために、居間のベッドに戻ったひろの体をあちこちさすって、ふたりでラブラブで戯れ合うのを日課にしている。2枚目は、先日朝食後に、椅子の上に座ってまったりしているめい。
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2025年2月2日(日) | ||||
今日はちょっと悲しいお知らせ。体に障害があったため、母親から育児放棄され、成長するに従いどんどん動けなくなり、みんなと一緒に暮らせなかったガーニゼのぴーちゃんが31日の金曜日の朝、虹の橋を渡ってしまっていた。前の日まで何とか少し動いていたものの、状況はどんどん悪くなっている感じだったので、近々こうなることは予測できていたのだけれど、ああ、やっぱりと思った。馬が事故で脚を骨折したりした場合、苦しみから開放してあげるために命を断つということをしたりするのは知っているけれど、動けなくなったぴーちゃんの命を断つことは私にはできなかった。苦しい時間を長引かせただけだったのかな?と自問自答している。ごめんねぴーちゃん。頑張ってくれてありがとう。今度は元気に生まれてきてね。 | ||||
2025年2月3日(月) | ||||
先週、そろそろ節分だけれど、2日だったかな?3日だったかな?と思ったので、ネットで調べてみると、今年は2日で、3日は立春ということだった。広島の友人も3日だと思っていて調べたら立春の前日が節分で、立春は年によって変わるということを初めて知ったと言っていた。大豆を炒って年の数だけ食べるのは、私たちの年齢になるとちょっと多すぎるので、ほんの少しだけ食べた。次の写真は、その友人が車を車検に出して、終わるのを待っている際、テーブルにあった花を撮ったものだそう。この花はなでしこの花だそう。なでしこって確か秋の七草のひとつだったような・・・。冬でも咲くんだね。うちは車の点検は1年に一度だけれど、友人は半年ごとに車検に出していると聞いて、ちょっと驚いた。でも、ここは車がないとどこにも行けない環境ではあるものの、エドソンは在宅勤務なので、毎日車を使うわけではないので、1年に一度の点検で十分なのだろうと思う。
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2025年2月4日(火) | ||||
入り口ゲートから中に入ってくると、すぐ前方にパイネイラの木が見える。日曜日にこのパイネイラの上の方に花が咲き始めていることに気づいたので、写真を撮った。1枚目の写真は、入り口ゲートを背にして撮ったパイネイラの木。この木の前の緑は、ノイヴィーニャとグアンドゥ豆の木。2枚目は、木の上の方の花を少しアップで撮ったもの。日曜日のお昼過ぎに撮ったのだけれど、曇っていて、少し雨もパラついていたので、うすぼんやりした写真になってしまった。
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2025年2月5日(水) | ||||
首に羽のないガーニゼの母親が生み育てた、やはり首に羽のないメスが、玄関前の外階段と食堂下の壁の角で、卵を抱えていたのだけれど、日曜日の朝食前にエドソンが食堂の窓を開けて、下を確認したところ、ひなが1羽生まれているというので、見てみると、親鳥にくっついて1羽のひながごそごそしていた。親鳥は座っているのでお腹の下に他にもひながいるかもしれないねとエドソンと話した。その後、エドソンが確認すると、2羽のひなが生まれていることがわかった。それで午後ふたりで、その親鳥とひなを畑のガーニゼ小屋に移す作業をした。まず、エドソンが粉のエサを彼らの側に置いて、親鳥が油断したところを捕獲して、ガーニゼ小屋に移し、その後ふたりで草むらに隠れて静かにしているひなを探して捕獲し、母親が待つガーニゼ小屋に無事移すことができた。以前同じ場所で生まれたひなたちが2日後くらいに野ねずみに襲われて姿を消したことがあったので、生まれたその日にすぐに保護することができて良かった。ぴーちゃんは虹の橋を渡ってしまったけれど、ぴーちゃんの生まれ変わりのように生まれてきてくれたひなを安全に保護することができて一安心。亡くなる命もあれば、あらたに生まれてくる命もある。これが生き物と暮らしていて直面する現実。次の写真は、ガーニゼ小屋の中の巣箱の中で座っている親鳥と、ちょっとだけ頭を出しているひなの1羽。もう1羽のひなは親鳥のお腹の下にいて見えない。
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2025年2月6日(木) | ||||
次の写真は、丘の上の貯水タンク(画面左端の青いもの)の横のクアレズマの木。この木にも今、たくさん花が咲いている。この木は以前はこんもりと丸い良い形をしていたのだけれど、1年ちょっと前の暴風雨の際、大きな枝が何本も折れてしまい、こんな風にちょっと歯が抜けたような形になってしまっている。
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2025年2月7日(金) | ||||
2月6日付けのブラジル日報に「行方不明のブラジル人が成田で拘束判明=麻薬運び屋に利用されたか」という記事があり、若いブラジル人の男性が日本への旅行途中に、乗り継ぎのカタールでの連絡を最後に、連絡が取れなくなり行方不明になったため、ブラジルの家族が捜索願を出したところ、成田空港で麻薬密輸の疑いで拘束、拘留されていることがわかったという内容だった。 この記事を読んで10年くらい前にパーディーニョの若い男性に起こった事件を思い出した。海外でモデルの仕事ができるという触れ込みのモデルエージェンシーと契約して、東南アジアに行き、初回は数週間後無事に戻ってきたのだけれど、2回目に行った際、インドネシアかどこかで亡くなったという連絡が家族に入り、うちに相談の連絡が入ったことがあった。私たちはこの男性とは知り合いではなかったのだけれど、私たちの共通の知人から、この人が契約をする前に、その契約書を見てほしいという依頼があり、エドソンがその契約書を見てみたのだけれど、ブラジルのしかも隣町のボトゥカトゥににエージェンシーの代理店があるのに、契約書は何故かポルトガル語ではなく、英語で書かれていて、その内容も、現地に到着したら、現地のエージェントにパスポートを預けなくてはいけないとか、何だかとても怪しいものだったので、こんなものにサインしてはいけないと伝えたのだけれど、とにかく海外に行ってお金を儲けたいという気持ちが先走っていたのか、その人は行ってしまった。何でもモデル並にとてもハンサムな男性だったらしいのだけれど、私たちはこれはモデルの仕事などではなく、東南アジアに来るゲイの欧米人相手の売春なのではないかと疑った。1回目行って戻り、2回目また行ったなどという詳しいことは亡くなった後聞いたことで、当時の私たちは知らなかったのだけれど、東南アジアで亡くなったので、同じアジアの日本出身の私に助けてほしいという連絡だった。でもまず、その連絡があった際、私たちは日本に行っていて、ブラジルに戻ってからメールが来ていたことに気づいたのだし、日本で亡くなったわけではなく、インドネシアかどこかで亡くなったと言うなら、私には何もできないという状況だった。その後、その男性の母親がエドソンの知り合いの人の奥さんで、その亡くなった若い人はその女性の連れ子だったということを聞いた。ずいぶん長い間、その母親は息子を亡くしたことを嘆いていたそうなのだけれど、そうなる前にどうして止められなかったかなあ?と思ったものだった。世間知らずと言うのか、怖いもの知らずと言うのか、ブラジルには海外でお金儲けという言葉にとても弱い人たちがいるという現実があるようだ。 | ||||
2025年2月8日(土) | ||||
次の写真は、うちで採れたマンジォカの一部を処理するために台所の流しに置いて撮ったもの。先月の中頃手伝いのパラナが収穫して持ってきてくれたものを台所のバケツに入れて保存していたのだけれど、あまり長く置いておいても傷んでしまうので、先週、大きめのものを数本処理して、一部を唐揚げなどにしていただいた。金曜日にエドソンが久しぶりに具沢山のチキンスープを作ると言うので、そのチキンスープに入れるマンジォカが必要なので、木曜日にあらたに皮を剥いて圧力鍋で茹でる作業をした。そして、茹でたものの一部をチキンスープに使ってもらった。
マンジォカはとても固いお芋なので、何をするにもまず圧力鍋で煮る一手間が必要になる。だいたい煮たマンジォカの一部を唐揚げにして、残りをガラスの保存容器に入れて、少しずつ調理して食べ、ひろたちにも少しお裾分けしたりして消費している。次の写真は、唐揚げではなく、エアーフライアーで作ったマンジォカ。唐揚げにするのが一番おいしいのだけれど、そうするとかなりの油を食べることになるので、マンジォカを小さくサイコロ状にして塩、こしょう、タイムをふりかけて、オリーブ油を少しふりかけて、エアーフライアーでローストしてみたところ、なかなかおいしくできた。次の写真は、そのローストして食べたマンジォカの残り。
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2025年2月9日(日) | ||||
家の西側のランドマークの木の側のフランボヤンジーニョに花が咲き始めたので写真を撮った。1枚目は、家のベランダから撮った木の全体像。2枚目と3枚目は、花をアップで撮ったもの。木の全体像を見ると1本の木のように見えるけれど、実は右側にもう1本少し小さな木があり、大きい木の方はピンク色の花が咲き、小さい方の木にはオレンジ色の花が咲いている。
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2025年2月10日(月) | ||||
次の写真は、この週末エドソンが夕飯に作ってくれたチキンスープ。鶏肉、ハツ、マンジォカ、トマト、ブロッコリを調理したものを、別に茹でた何という名前か知らないけれど、小さなパスタの上にかけていただいた。スープが少し赤いのは、粉状にしたウルクンを入れているから。ここのところ雨が多く、気温も30度に届かない日が続いていたので、週末に作ろうと、水曜日に買出しに行った際、鶏肉やパスタをエドソンは買ってきて作ったのだけれど、予想に反して金曜日から気温が上がり、最高気温が連日30度とか31度の日々になり、寒い日の定番のチキンスープなのだけれど、夕方になってもあまり気温が下がらないので、暑いねと言いながら、熱々のチキンスープをいただいた。暑い時に熱いものを食べるのは良いって言うし、おいしいのだからまあいいか。
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2025年2月11日(火) | ||||
次の写真は、土曜日に手伝いのパラナ達が収穫してくれたカリオカ豆。何キロあるかわからないけれど、結構な量なので当分の間カリオカ豆を買う必要がない。と言うか、以前収穫したカリオカ豆がまだ少し残っているので、よほど頻繁に食べない限り、消費するには何年もかかりそう。パラナ達は車寄せの入り口辺りで大きなビニールシートを広げて、豆を取り出す作業をしていたので、英語の生徒さんたちが来た時にちょっと邪魔になるかなと思ったけれど、午後早い時間のアリスのレッスンが始まる頃には、もう作業が終わっていたので、ああ問題なかったねと思った。そして、アリスとエジミウソンの2つのレッスンが終わり夕飯の準備をしていたら、エドソンがこの大きなビニール袋の豆を台所に持ってきてくれ、アリスを迎えに来た車が帰る際に、この豆の入ったビニール袋と使っていた道具を轢いてしまったようで、ビニール袋に少し穴が空き、大きな木枠の底に網を張った道具が壊されてしまったと言って怒っていた。アリスがレッスンを終えて帰る頃には、豆の入った袋や使っていた道具は、車寄せの隅っこに置かれていたのに、車をバックさせ、右折して出て行く際に進行方向に何があるかをちゃんと見ていなかったのかなあ?しかも大きな道具を轢いて壊したら、木枠が壊れる音がしただろうし、何かを轢いてしまった感じは必ずあっただろうに、そのまま何も言わずに行ってしまうなんて、乱暴運転にもほどがあると思った。
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2025年2月12日(水) | ||||
先月、うちで収穫した小さなかぼちゃの写真を掲載し、これでパンプキンスープなどを作ったと書いたけれど、その時のかぼちゃがまだ2つ使いきれずに残っているのに、先日エドソンがまたたくさんのかぼちゃを収穫して来て、洗って、流し台に置いてくれたので写真を撮った。これでまたせっせとパンプキンスープなどを作らなくては!
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2025年2月13日(木) | ||||
次の写真は、エドソンがスーパーで買ってきたマラクジャ(パッションフルーツ)を半分に切ったもの。中の実を取り出したものが2枚目の写真。とても大きくてきれいなマラクジャだったので、甘くておいしいはずと思って買ったらしい。ちょっと酸っぱ味もあったけれど、おいしいマラクジャだった。実の中の種はコリコリとして、そのまま食べることができる。おもしろい食感の果物。
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2025年2月14日(金) | ||||
次の写真は、先日掲載したかぼちゃで作ったパンプキンスープ。毎日30度から33度と暑い日々なのに、パンプキンスープでもないだろうと思うけれど、かぼちゃを消費しようと思うと、どうしてもパンプキンスープを作ろうと思ってしまう。2枚目の写真は、エドソンが作ってくれた夕飯で、ジャガイモ、玉ねぎ、牛ステーキを重ねてオーブンで焼いたもの。牛ステーキに岩塩がふりかけてあったので、ちょっと塩味きつめだった。
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2025年2月15日(土) | ||||
ガーニゼのひながたくさん生まれてから、畑にネットケージを作ってもらい、2羽の母親と一緒にひなたちみんなにネットケージに移動してもらった。この子たち以外にも、ガーニゼのひな1羽を育てている茶色の鶏をひなと一緒に、そして、ガーニゼの大人のめす2羽とおす1羽がネットケージの中で仲良く暮らしている。一方ネットケージには入れず、外で自由にしてもらっているのはガーニゼのおす6羽と、鶏のめす3羽。以前から外で放し飼いにし始めた頃からガーニゼと鶏は仲良くしていて、みんなで一緒にそぞろ歩いていることが多い。先日、昼食後のお散歩から戻り、台所でお皿を洗い始めたら、目の前で鶏3羽が砂浴をしていて、そのまわりにガーニゼのおすが5羽いたので、写真を撮ってみた。まあこんな感じで彼らは仲良し。彼らの他に、ガーニゼの一番年長のおす1羽と若いおすとめすも1羽ずつ外で生活しているのだけれど、何故かこの子たちはこれらのガーニゼのおすたちとはいつも少し距離を置いて行動していることが多い。
上の写真を撮った翌日、やはり昼食後のお散歩から戻り台所の流しの前に立と、前日と同じような砂浴の光景があったので、また写真を撮ってみた。前日はガーニゼのオスが5羽だと思ったのだけれど、この日は6羽いたので、前日は身体が重なっていたか何かで6羽目が見えなかったのかな?と思った。そして、この日は、グループの左側の少し離れた場所に、いつもはこのグループから距離を取っている若いおすとめすもいて、みんなをカメラの画面に捉えようとしていたらおすが右側に歩き出してグループに近づいて行く姿があった。彼らはここにそれほど長くはいないのだけれど、1時間足らずまったりしたら、またどこかに移動して行ってしまった。
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2025年2月16日(日) | ||||
14日はバレンタインデーだったので、何年ぶりかでブラウニーを作った。東京暮らしの頃はエドソンが職場からチョコレートをもらって帰ってきたりしていたけれど、ブラジルに来てからはバレンタインデーのことなどまったく忘れて暮らしている。でも今年はふと14日はバレンタインデーだねと思ったので、何か作ろうかなと思い至り、チョコレートケーキを作ろうかどうしようかと悩んだのだけれど、久しぶりなのでブラウニーを作ってみた。材料の内、クルミはあったのだけれど、レーズンがなかったので、味が100%のブラウニーではなかったのだけれど、まあ仕方がない。ブラジルではバレンタインデーは日本やアメリカのようには人々の意識になく、バレンタインデー向けのコマーシャルなどを見ることもない。と言うのも、ブラジルには「恋人たちの日(Dia dos namorados=ジア・ドス・ナモラードス)」というのが6月にあるので、そちらの方が一般的だから。これは女性の守護神で縁結びの神さまでもある聖アントニウスの命日の前日の6月12日が「恋人たちの日」ということになっていることからきているのだそう。
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2025年2月17日(月) | ||||
先日、お昼のお散歩で家を出ると、西の空にとてもきれいな青空が広がっていた。そして、ランドマークの木に向かって歩いていると背後から雷のような音が聞こえたので振り返ると、東の空には西の空とはまったく異なる黒い雲が広がっていた。次の写真は、お散歩から戻ってから撮った西の空と東の空の写真。ここはお天気が崩れるのはだいたい西からなのだけれど、たまに東からお天気が崩れることがあって、その際はちょっと危険な暴風になるので、この黒い雲は西に広がって来るのだろうか?と不安に思いながらコンピュータ上のお天気レーダーサイトを観察していたら、雲は徐々に東に移動してこちらには来なかったので、ほっとした。
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2025年2月18日(火) | ||||
次の写真は、先日メルカド・リブレから届いたガラス製のジャー。以前、夕飯の残りなどをプラスチック製の容器に保存して、次の日などに電子レンジでチンして温めて食べたりしていたのだけれど、古くなったプラスチック容器を使い続けるのは身体に良くないとエドソンが言って、ガラス製の大中小の保存用容器をいくつか買ってくれたことがあった。そうしたら、今度はろ過器でろ過したお水をプラスチック製のジュースのボトルに入れてテーブルの上に置いて使ったり、果物と野菜でジュースを作って、やはりプラスチック製のジュースのボトルに入れて冷蔵庫で保存したりしていたのを、プラスチック製のジュースのボトルは止めて、ガラス製のボトルにしなさいと、買ってくれたのがこの写真のジャーたち。右側の細長いジャーは冷蔵庫のポケットに入るサイズで1.1リットルのもので、左側のお尻が広がっているジャーは、台所のテーブルの上に置いて使っているろ過器でろ過した水を入れるための1.6リットルサイズのジャー。この写真を撮った後、早速洗って、プラスチックボトルからこのガラスジャーに入れ替えた。どちらのジャーも洗う際に手が底まで届いて洗えるのでなかなかいい感じ。
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2025年2月19日(水) | ||||
ランドマークの木の後ろに毎年大きな葉の植物が生えてきて、白い花を咲かせる。その植物が今年も花を咲かせたので写真を撮った。葉はウコン(ターメリック)の葉に似ているけれど、畑のウコンが花を咲かせたのは見たことがない。メル友の鎌谷さんとメールで話していて、ガジュツと言う植物の名前が出てきたことがあり、そのガジュツをネットで検索してみるとうちで生えてくる植物と同じだった。ただ、ネット上の写真で見る花の色は薄ピンクなので、これは白だから違うかな?と思っていると、ガジュツの花は白ですと鎌谷さん。じゃあ、やっぱりこれはガジュツなんだね。ガジュツはウコンのように、土の中にオイモのようなものができるらしいのだけれど、それを乾燥させて粉末にして、その粉末を飲料などに混ぜて飲むと、お腹にいいのだとか。でも、どうしてこの植物がランドマークの木の後ろに生えてくるのかは謎。
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2025年2月20日(木) | ||||
広島の友人が、立春を過ぎた頃大寒波がやってきて、広島でも雪が降ったと言って、通勤途上で見かけた降雪後の椿と南天の写真を送ってきてくれた。彼女が暮らす団地の朝ラジ公園でも5センチくらいの雪が積もったと言っていた。広島市内で5センチも積もるなんてとても珍しい。一方こちらは2月に入り30度を超える日々が続いており、今週は32度とか33度の日が続いている。外の気温が32度とか33度になると、窓とカーテンを締めて室内に熱気を入れないようにしてもお昼前からどんどん室温が上がり30度を超えてしまう。扇風機に活躍してもらっているけれど、扇風機の風にあたっていても暑いと感じ、少し動くとじっとりと汗が出る。何でもブラジルの南東部、中西部、北東部の一部を熱波が襲っていて、リデジャネイロで44度という高温を記録したため、非常事態宣言が出されたということだった。そして、サンパウロでも35度を記録したそうで、この異常高温は24日まで続く予報が出ている。それに比べれば32~3度なんて何と言うこともないレベルだけれど、ここではこういう暑さはまれで、暑さに慣れていないのでちょっと参る。そんな中、雪の中の椿や南天の写真を見ると、まるで一服の清涼剤のように気分的に涼しくなる感じがするから不思議。
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2025年2月21日(金) | ||||
先日、夜中にひろが起きて「オシッコ」と言うので、一緒に外に出ると、玄関扉の外側に大きな虫がへばりついていた。長さ6~7センチの細長い、これまで見たこともない虫だった。アブラムシの仲間だとエドソンは言っていた。この虫は翌朝になってもここにいて、私たちが玄関を出たり入ったりしてもびくとも動かず、結局姿を消したのは夕飯の後だったので、ほぼ丸1日ここにいたことになる。ひろは夜中にオシッコに起きないこともあるけれど、一度起きるのが普通という感じ。オシッコに起きた際は必ずお水を飲むので、暑くてお水が飲みたいという理由もあるのかもしれない。
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2025年2月22日(土) | ||||
次の写真は、先日の夕飯の食卓を撮ったもの。連日暑いので、こういう時の定番のサラダそーめんと、我が家で収穫したかぼちゃを鶏肉と煮て甘辛煮を作った。こういう献立は普通のブラジル人だったら絶対喜ばないだろうけれど、エドソンは暑い時にサラダそーめんを作るととても喜んで食べてくれる。かぼちゃと鶏肉の甘辛煮はあまり甘くするとエドソンは嫌うので、お砂糖は入れず、甘味はみりんの甘味だけを利用している。
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2025年2月23日(日) | ||||
サンパウロの前園さんは昨年末白内障の手術を受けて、何故か麻酔が効かずとても痛い思いをしたので、残るもう片方の手術はやりたくないと言っておられたけれど、医師に説得されたのか、今月の中旬手術をされ、今回は問題なく終えることができ、順調に回復しておられると聞き、良かったなと思った。手術を受ける前に楽書倶楽部の2月号を10日までにはすべて発送したと言っておられたので、この水曜日には届いているかなと思っていたら、予想通り届いていた。以下はこの号に掲載された私の文章。
昨年の11月下旬、季節柄クリスマスが近くなって来たからだろうか、ずっと昔、JR東海がやっていた「クリスマス・エクスプレス」のコマーシャル動画がYoutube上のお勧めで上がってきたので、何となく見てみた。山下達郎さんの「クリスマス・イブ」のメロディーが流れ出すと、何だか胸がキュンとなり「ああ~、なつかしい!」と思った。
私は山下達郎さんという歌手や彼の歌のファンだったわけではなく、良い曲だとは思うけれど、このクリスマス・イブという曲が特別好きだったわけでもない。ただ、この曲が使われていたテレビコマーシャルは何度も見た憶えがあり、この曲もこの曲と一緒に流れる映像も私の頭の中で思いのほかしっかりと記憶されていた。まだ駆け出しで、若くて初々しい女優の深津絵里さんや牧瀬里穂さんの姿を見ながら、35~6年前の若かりし頃の自分の姿を投影して、当時経験した様々なことや想いが次々に頭の中を駆け巡り、何だかとても不思議な気持ちになった。 1990年前後に日本に居てこのコマーシャルを見ていない人には何のことだかわからないかもしれないので、少し説明すると、これは遠距離恋愛中のボーイフレンドがクリスマスに新幹線でガールフレンドのところにやってきて再会するという物語で、女の子側の胸ドキドキとワクワク感に焦点を当てて、山下達郎さんの歌と共に描いたJR東海のテレビコマーシャルだった。1988年の深津絵里さんから始まり1992年までの5年間、毎年主人公となる女優さんとストーリーを変えながら、歌だけは変わらず製作・放送されていた。その当時クリスマスの時期に日本にいれば知らない人はいないはずのコマーシャルだったと思う。そしてこのコマーシャルはその後、「恋人同士でクリスマスを過ごす」という文化が若い人たちの間で広がる一種の社会現象を巻き起こしたとウィキペディアの解説にはあった。 このコマーシャルは88年から92年までシリーズが続いたのだけれど、私の記憶の中には88年の深津絵里さんと89年の牧瀬里穂さんのバージョンしかなく、90年以降のコマーシャルは、何故か記憶になかった。1980年代半ば以降、後半にかけて、私は仕事やそれに関わる人間関係で様々な問題を抱え、心身共に疲弊して辛い時間を過ごしていた。しかしそんな中「捨てる神あれば拾う神あり」で、88年後半から89年前半にかけては一条の光が見え始めた時でもあった。そういう私にとっては忘れられない時期の忘れられない記憶としっかりと結びついたコマーシャルだったのかもしれない。 1985年にIPPNW(核戦争防止国際医師会議)という国際組織がノーベル平和賞を受賞した。その後、共同会長と副会長らによる世界講演ツアーが実施され、86年だったか87年に、6人くらいの各国の医師が来広した際に講演会などで通訳をしたことがあった。この時はその後IPPNWと深く関わることになるとは夢にも思っていなかった。それが89年10月に広島で世界大会が開催されることになり、その年の1月にその準備でIPPNW日本支部の役割を担っている広島県医師会の大会組織委員会と協議するために、アメリカ本部から事務局長らスタッフ3人とオーストラリアからIPPNWの副会長のひとりだった医師1人の計4人が広島にやって来た。その際、彼等の広島滞在中の数日間、同行通訳をしたことで、私を取り巻く状況は大きく変わっていった。 89年という年は、年明け早々の1月7日に昭和天皇が崩御されたため、日本全国が喪に服しているような暗く沈んだ状況だった。それからあまり日を置かずに彼等との出会いがあり、それがきっかけとなり、その後の私の人生が大きく変わって行くことになるとても忘れることのできない年になった。彼等の同行通訳をしたことで、広島大会の組織委員会と円滑なコミュニケーションを取るためにはどうしても私が必要という彼等からの強い要望が広島県医師会を動かした結果、私は広島大会の事務局で仕事をすることになった。これは後にも先にも私の人生で一番と言えるほどのとても貴重な良い経験になった。そして、広島大会が終わった後もそのまま引き続き広島県医師会でIPPNW日本支部の仕事を続けることになった。その間IPPNWから派生してできていたサテライフという組織の仕事を手伝ったこともあり、その後サテライフで働くことになり、92年7月に渡米した。時を同じくしてブラジルから渡米し、サテライフで衛星通信関連の技術者として働きながら苦学生をしていた現在の夫と知り合い、その後結婚し、今に至るのだから、人との出会いというのは本当に不思議なもので、そんな偶然の出会いにより人生が大きく変わり、思ってもいなかった方向へと動いて行くことがあるということを実体験したのだった。 昔のテレビコマーシャルの映像と音楽に触れたことをきっかけに、様々なことが芋づる式に思い出され、絶妙なタイミングで私の人生と交差した記憶に残るコマーシャルと出会っていた事実に驚かされたのだった。 | ||||
2025年2月24日(月) | ||||
今月上旬、「誕生日のプレゼントは何が良い?」とエドソンが聞くので、「プレゼントは特にいらないけれど、久しぶりに外食したいな」という私の希望で、日曜日のお昼をどこかで食べることになった。でも、水曜日に大きな牛肉のフィレミニョンの塊を買ってきたので、「これ今週末に食べるの?」と聞くと、「きみの誕生日だからね」という返事。外食することになっているのに値段の高いフィレミニョンを買ってきて、夕飯を作ってくれると言うエドソン。それで金曜日の夕飯にローストビーフを作ってくれた。フィレミニョンのローストビーフは柔らかくてとてもおいしかった。感謝。感謝。私の誕生日は土曜日だったのだけれど、午後はアリスとエジミウソンの英語のレッスンが立て続けにあって、時間的な制約があるので、何もない日曜日に出かけて行った。パーディーニョの町にサボー・ノルデスチーノ(sabor nordestino=北東部の味)というレストランが新しくオープンしていて、お料理も悪くないらしいと言うことで、そこに行ったのだけれど、いわゆるシュハスコのバイキングレストランで、お料理は悪くはなさそうだったけれど、冷房など入っていないため暑く、入り口のところで作っている焼肉の匂いと煙が食堂の中に充満していて、人でごった返していたので、そこで食べることは断念。それで気を取り直して高速道路のカステロブランコまで降りて、西に少し行ったところにあるカンポネーザというレストランか、そのまた少し西にあるホドサーブ・ソヒーゾに行くことにして、カンポネーザの前を通ると、やはり駐車場が一杯だったので、結局ホドサーブに行った。ここもシュハスコのバイキングなのだけれど、少なくとも冷房は効いているし、お肉を焼く匂いや煙は充満していないし、人でごった返してもいないし、お肉以外の副菜もいろいろあるので、まあ落ち着くところに落ち着いたという感じだった。次の写真は、私のお皿。左端のお料理は何かの魚料理かと思ったのだけれど、鶏肉だった。一応お料理の名前を確認しながら取ったつもりなのだけれど、まあこういうこともある。そして、ご飯はトマトのリゾットというのがあったので、普通のご飯ではなく、リゾットを取ってみた。2枚目の写真は、エドソンのお皿。エドソンもあまりお肉を取っておらず副菜がメインな感じだ。
次の写真は、私たちのテーブルから見える窓の外の景色を撮ったもの。駐車場はカンポネーザほど一杯ではなく、レストランの中もそれほどごった返してはいなかった。ホドサーブは日本で言ったら高速道路上のサービスエリアを小規模にしたような場所で、以前はサンパウロに行く際、ここのガソリンスタンドに車を預けて、ここから高速バスに乗ってサンパウロに行ったものだった。2枚目の写真は、食後にエドソンに撮ってもらった前期高齢者として半分以上過ぎた私。
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2025年2月25日(火) | ||||
日曜日にホドサーブ・ソヒーゾでお昼を食べて、建物から出たところに犬がひっくり返って、気持ち良さそうにお昼寝をしていたので、撮ったのが次の写真。野良犬なのか飼い犬なのかわからないけれど、建物から人が出てきても、前を人が歩いていてもびくともせずに寝ていた。外の気温は30度を超えていたので、建物のすぐ前で日陰のここが涼しかったのかな?建物から出て、外を車まで歩く際、とても暑く感じたので、パーディーニョのレストランに行かずにここに来たのは正解だったなと思った。ブラジルの田舎町には日本と違って、様々おいしいものを食べさせてくれるレストランがなく、ほとんどがシュハスコのバイキングレストランで、食べたいものを食べたいだけ食べるというのがブラジル流なので、アラカルトの食事を出すレストランは少ないうえに、人気がない。せいぜい隣町のボトゥカトゥに寿司レストランがあるのが珍しい部類に入る。食べ物のことを考え出すと、日本って本当に食が豊かだと思う。まあそんな風に選択肢はとても少ないけれど、毎日の食事作りから解放されてたまには外食をしたいと思い、それができる環境にはあるわけだからありがたいことではある。
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2025年2月26日(水) | ||||
次の写真は、入り口ゲートから見えるパイネイラの木を撮ったもの。パイネイラの花が咲き始めた頃写真を撮ってここに掲載したけれど、今はほぼ満開状態なので、再度写真を撮ってみた。2枚目の写真は、入り口ゲートの外を撮ったもの。道の向こうにマーガレットの花が咲いているのが見えるけれど、これはエドソンがパラナに言って、うちのマーガレットを植えてもらったもので、元気に育っている。雑草が生い茂っているよりも花が咲いている方がきれいだから、こんなふうにしてもらったようだ。その向こうは、画面左側同様に草ぼうぼうで、牛の放牧場だったのだけれど、最近トラクターが入り、土が耕された状態になり、肥料がまかれたようなので、とうもろこしでも育てる予定なのかな?ブラジルでは去年あちこちで洪水被害があったり、高温などによりとうもろこしの生産量が例年よりもだいぶ少ないらしいので、とうもろこしの値段が上がり、その影響で卵の値段も上がっているんだとエドソンが言っていた。
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2025年2月27日(木) | ||||
家の西側の庭の前で咲く朝顔が上にうまく伸びて行けるように竹を立てたので、思惑通りにてっぺんまで伸びてくれとてもきれいに咲いていた。でも花も終わり、伸びていたつるは枯れてしまったけれど、足元に新しい芽がたくさん出てきて地を這うようにして花が咲き始め、一部はまた竹を登り始めたので写真を撮った。2枚目の写真は、足元を這うようにして花を咲かせている部分を撮ったもの。
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2025年2月28日(金) | ||||
昨日掲載した朝顔同様、外ベランダ横の花壇の朝顔もほぼ枯れてしまい、ほんの少し弱々しく芽を伸ばし花を咲かせているつるがかろうじてある感じ。葉が青々として花を咲かせている時は、この竹のアーチがきれいだったけれど、今は枯葉で被われてしまっている。2枚目の写真は、シュハスコ小屋の手前の、庭に上がる段の横で芽を出して地を這うようにつるを伸ばしている朝顔。外ベランダ横の朝顔が終わっても、こんな風にあらたに芽を出し花を咲かせる朝顔もあって、長く朝顔が楽しめるのはとてもうれしい。
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