Kyoko Yoshida | Life in Brazil | BLOG |
2024年10月1日(火) | ||||
コンピュータのグーグルアプリのトラブルで、ブログの10月号のページがアップできなかった ので、その問題が解決するまでしばらく10月分のブログを9月のページに続けて掲載していたのだけれど、問題が何とか解決して、ようやく10月のページをアップすることができる状態になった。 次の写真は、防風林の並木の外側を手前から撮ったもの。このエリアには20本くらい植えた桜の苗木が大きくなって、この上を通る電線に届きそうな感じになってきたので、エドソンがパラナに頼んで電線の下の桜の木を5~6本切ってもらったので、こんな風景になってしまった。せっかく育って花を咲かせるようになっていたのに残念。でも、電線に当たって停電になっても困るので仕方がない。苗木を植える際は、上にある電線のことなどまったく考えずに適当に植えたので、こんなことになってしまった。トホホ・・・。ここには桜ほど大きくはならないノイヴィーニャでも植えようかなと考えている。
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2024年10月2日(水) | ||||
高床式の鶏小屋の下の部分に、ガーニゼが時々卵を生みつけるので、三方の足元を閉じてもらって笹の葉などの枯葉を入れて、ここで卵を生みつけたり、卵をかえしたりしやすい環境を作って数ヶ月。首に羽の生えていない古株のガーニゼのメスから生まれたやはり首に羽の生えていない若いメスが、ここで卵を抱き始めたので見守っていたら、この日曜日の朝、ひなが生まれていた。私が見たときは座っている母親の横にひなが1羽だけ見えたので、まだ卵をかえそうとしているのかなと思ったのだけれど、朝食後にエドソンが見に行くとひなが3羽生まれていたということだった。それで、閉じていない前方に網などを置いて、彼らが出てこれないように、そして、他の動物が中に入れないようにして、エサと水を置いてあげた。次の写真は月曜日に撮ったもの。エドソンがひなは全員首に羽がなくて、可愛いよと言っていたけれど、本当だ。首に羽がないみたい。元気に動き回っているのを確認できて安心した。
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2024年10月3日(木) | ||||
次の写真は、庭の桜の木の下に、パラナが新たに置いてくれたランを移植した枯木(右側)。左側のものにはたくさんシダも移植してくれていたけれど、シダはランのように強くないようで、みな枯れてしまった。でも、ランは元気にしている。
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2024年10月4日(金) | ||||
先日夕飯後に、オシッコのためにひろを外に連れ出すと、ベランダのめいが玄関横の壁の上の方を見ながら吠えていたので、何がいるんだろう?と思いながらその方向を見てみると、壁の上、天井の近くにヤモリがいたので用事が済んだ後で写真を撮ってみた。眼がクリクリしていて可愛い。ベランダの壁やら柱やらにヤモリがいるのを時々見かけるのだけれど、だいたいめいが吠えているから気づく。今回もめいが吠えていなければ気づかなかったと思う。それにしてもめいは眼がいいな。
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2024年10月5日(土) | ||||
家の南側の三角地帯のグアプルブの木に黄色い花が咲いているのに気づいた際、その側のグレヴィーリャの木にも花が咲いていることには気づかなかった。でも、台所の流しで外を見ながらお皿などを洗っていて、あれ?グレヴィーリャの花も咲いている?と思い、よくよく注意して見てみると咲いていた。それで次の写真を台所の窓から撮ってみた。グレヴィーリャの花も黄色だけれど、グアプルブの花のきれいな黄色とは違い、黄土色のような色で、花の形も全然違う。
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2024年10月6日(日) | ||||
ブラジルでは4年に一度大統領や連邦議会議員、州知事、州議会議員などの選挙があり、その間にやはり4年ごとに地方自治体の市長と市議会議員選挙がある。そして、今日はその市長と市議会議員選挙の投票日。日本だと候補者とその人たちの政策などが掲載されたちらしのようなものが各家庭に配布されるのではないかと思うけれど、こちらではそのようなことはなく、パーディーニョの市長と市議会議員の名前や政策などはインターネット上で見られるようになっているらしい。でもコンピュータなど持っていない人たちはどうするのだろう?と、ふと思う。それに日本と違ってここには文盲の人たちも結構普通にいるわけだから、みんなどうやって情報を得るのだろう?やはり口コミかな?そんなことをエドソンと話していたら、町の中心部では候補者自身が印刷したちらしが配布されているかもしれないということだった。何せ私たちは町外れに住んでいるので、町中がどんな状況なのかはよくわからない。ずっと以前、パラカンビでは市長候補の宣伝カーが音楽を流しながら1日中町をグルグル回っていてうるさかったけれど、ここでもそのような車での宣伝が行われているのかどうか、ここまではその音は聞こえてこないのでわからない。サンパウロの市長選はよくニュースで取り上げられるので、私でも候補者の名前くらい知っていたりするけれど、パーディーニョの場合は、エドソンが市長候補に関していろいろな人からそれぞれの評判を聞いたり、インターネット上の情報を読んで知った内容について話している範囲で知っている。日本では投票は自由なので、投票に行かない人も多く、投票率がとても低かったりするけれど、ブラジルでは投票は義務で、ちゃんとした認められた理由なしに投票に行かないと、社会生活にいろいろな不都合が発生するので、みな投票に行くのだけれど、どっちにしても政治に興味のない人も少なくないし、ブラジルの場合日本よりも買収されて投票するということがごく普通にあるので、自由な投票と、義務化された投票のどちらが良いのかというのはなかなか判断は難しい。 | ||||
2024年10月7日(月) | ||||
この土曜日にエドソンは、パラナたちに手伝ってもらって庭にあったパラボラアンテナを防風林の外側に移動させた。このアンテナは庭に設置されていてもこれまで使っていなかったらしいのだけれど、防風林が大きく育ったことで庭では信号を受信できないため移動させたということだった。エドソンがITAで関わっているITASATプロジェクトの衛星が月の周りを周回するようになったら送られてくるはずの信号を受信するための準備と言うか、練習をしようと思っているのだとか。パラボラアンテナを移動させただけで、まだ中心部に受信機を取り付けたりという作業はこれからぼちぼちやるのだそう。
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2024年10月8日(火) | ||||
先日、広島の友人が、「朝マンションを出て見上げたマンションとマンションの間に見える空に北から南に向けてこの雲が大きく横たわったいて、ウァー!って感動しました。写真はその後に朝ラジ公園で撮りましたが、ビルとビルの間で見えてたこの雲は私に覆いかぶさるように、もっと近くにそして大きく見えてました」と言って、次の写真を送ってきてくれた。この雲を見て、中島みゆきの『銀の龍の背に乗って』のメロディーが頭をよぎったのだそう。写真の左の方から太陽が昇りつつあり、龍の頭は海側で尾が山側に隠れていて、昇りかけの薄雲に隠れた朝日に輝く胴体の鱗がまるで銀の龍だとあった。私は歌の題名を聞いても、そのメロディーがすぐに頭に浮かばない曲が少なくないけれど、この中島みゆきの『銀の龍の背に乗って』のメロディーは、すぐに思い浮かんだ。中島みゆきのファンとうわけでもなく、この曲を好んで聞いていたわけでもないのに、ちゃんと頭の中でメロディーが流れて来たのでびっくり。それだけ彼女の曲はインパクトがあるということなのかも。
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2024年10月9日(水) | ||||
先日の土曜日に、アリスと英語のレッスンをしていておもしろいことが起こった。私のポルトガル語は相変わらずの初級レベルで簡単なことしか話したり聞いたりできないレベルで止まっているのだけれど、それでも私が理解しているポルトガル語の基本の文法知識で、英語とポルトガル語の違いを比較しながら教えることが少なくない。英語のbe動詞はam,is,areだけだけれど、ポルトガル語でbe動詞に当たるのはser動詞(sou,e,somos,sao)とester動詞(estou,esta,estamos,estao)で、主語によって複雑に変化する。そしてser動詞とester動詞をどのように使い分けるかというのはポルトガル語を学ぶ際の基本なのだけれど、何と、その違いをアリスに教えなければいけなかったのだ。I am happy.は、ポルトガル語ではEu estou feliz.で、Eu sou felize.とは言わない。気持ちというのは刻々と変化するものだからser動詞ではなくester 動詞を使うのだと習う。そんな基本中の基本のことをアリスに「どうして?」と聞かれてびっくり。学校の国語の授業でそんな文法習うでしょう?と思ったのだけれど、どうやら習わないらしい。それで私がつたないポルトガル語で説明して納得してもらった。これまでここで何人もの10代の子供たちに英語を教えてきたけれど、英語を教える過程でポルトガル語の文法を教えるなんて初めてのことだった。アリスのために一言付け加えておくと、アリスは頭の良い子で、家でもちゃんと復讐しているようで、教えたことをちゃんと納得、理解して、憶えてくれるので、毎回のレッスンで彼女の進歩を実感できるような子。疑問に思ったことは素直に聞いてくるので、こういうことになったのだと思う。 | ||||
2024年10月10日(木) | ||||
ここでは普通のオレンジの他に様々なみかんのようなものもある。日本で見慣れているみかんよりも大きく、ポンカンとか夏みかんのような感じのものが多いのだけれど、最近、日本のみかんのような薄皮のみかんをエドソンは買ってくるようになった。日本のみかん同様薄皮が剥きやすく、甘味は日本のみかんほどではないけれど、食べやすく、まずまずおいしい。それで皮を剥く前のみかんと剥いた後のみかんの写真を撮ってみた。うちで育っているオレンジが収穫できるのは秋から冬にかけてだし、日本だとみかんは冬の果物で、こたつで食べるという感じなのだけれど、春のこの時期にこういうみかんが出回るのかと思った。
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2024年10月11日(金) | ||||
先日、メルカド・リブレからエドソンが注文した商品が届けられた。ふたりで届いた袋や箱を開けると、いろいろ大きさの異なるガラスの保存容器と植木鉢が出てきた。ガラスの保存容器は、今私が使っているプラスチックの保存容器が古くなって、だいぶ傷んできているので、こんなに古くなったプラスチックの容器を使い続けるのは体に良くないからと、ガラスの保存容器を買ってくれたようだった。それで、古くなったプラスチック容器を捨てて、このガラスの容器を洗って入れ替えた。そして、植木鉢は、ベランダ横の小さな花壇に朝顔の種を蒔きたいのだけれど、直接地面に蒔くと鶏やガーニゼが種を食べてしまうだろうから、まず植木鉢に種を蒔いて、芽が出てある程度育ってから鉢ごと花壇に移動させればいいんじゃないかと思ったので、買ってと頼んでおいたのだった。さて、うまく行くかな?届いた商品は、他にもあったのだけれど、私に関係したものだけを写真に撮ってみた。
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2024年10月12日(土) | ||||
羽色の黒っぽいガーニゼの母親から3羽のひなが生まれた後、ある日の午後、親子が自主的にガーニゼ小屋の中に入っていたので、小屋の戸を閉めてひなの安全のためにしばらく小屋の中で生活してもらっていた。その後、ひなたちがだいぶ大きくなったので、昼間は外に出してもいいだろうと言うことになり、1週間くらい前から、朝、畑にエサを与えに行った際、小屋の戸を開けて自由に出歩けるようにした。次の写真は、先日の午前中、家の前の庭で親子4羽がいたので撮ったもの。手前の少し大きいのが母親で、後ろにひなが3羽いる。ひなの2羽は羽色が黒っぽく、1羽は白っぽい。そして写真ではわからないけれど、3羽のひなの大きさは同じではなく、大、中、小と異なっている。白っぽい羽の一番大きいのがオスで、一番小さいのがメスだろうかと話している。この親子は夕方になると小屋に戻ってくれるので、エドソンが小屋の戸を閉めに行ってくれている。この母親が最初にかえしたひなはすぐに何かに襲われて姿を消してしまったけれど、今回は夜の間は小屋の中にいてくれるので、何とか無事に育っている。ちなみに他のガーニゼたちは狭い小屋には戻らず、夜はみな鶏小屋の横のウルクンの木に上がって寝ているようだ。
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2024年10月13日(日) | ||||
私のお惣菜のレパートリーはあまりないのだけれど、きゅうりとわかめとカニカマの酢の物、ラディッシュの酢の物、ほうれん草のお浸しなどが定番で、交代でよく作る。この他、大根が手に入れば大根のわざび漬けや、セロリが手に入ればセロリの甘酢漬けなどもたまに作る。先日、作り置きのお惣菜がなくなったので、またきゅうりの酢の物を作ろうかなと思ったのだけれど、ずいぶん前に買って使い切っていない白菜と大根があったので、久しぶりに野菜の浅漬けを作ってみた。昆布を小さく切り、白菜、きゅうり、大根、人参を入れて、塩とお酢で混ぜて、しばらく置いて浅漬けにするのだけれど、なんちゃって浅漬だけれど私は結構おいしいと思っている。ちなみに、白菜はパーディーニョのスーパーでたまに手に入るけれど、大根はパーディーニョのスーパーにはなく、隣町の大きなスーパーのコンフィアンサに行くと、いつもあるわけではないのだけれど、運が良いと、セロリやお豆腐同様たまに手に入る。
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2024年10月14日(月) | ||||
次の写真は、これから火を入れる圧力鍋の中のオソブコ(OSSOBUCO)という牛肉の部位。オソというのは骨のことなので、ブコの骨ということ?で、ブコって何?と思っていたのだけれど、エドソンによれば、オソブコはひとつの単語で、膝の部分のお肉なのだそう。2切れで約700グラム。18.29レアル。円・レアル換算だと4~500円くらいだけれど、ここの生活感覚の日本円で言うと1800円ほど。エドソンが調理してくれるお肉は、ステーキ肉とかフィレ・ミニョンとかリブとか私が知っている部位もあるけれど、日本では見たこともない、ブラジルでは普通に販売されているこう言う変わった部位をよく調理してくれる。1枚目の写真は、圧力鍋に入れられた調理前のオソブコ。2枚目の写真は、圧力鍋での調理が終わり、骨を取り除いて、ガラスの容器に入れて、リンゴとトマトを加えてローストしたもの。オーブンに入れる前に花ブロッコリーの葉も入れたのはいいけれど、葉は真っ黒にこげてしまっている。出来上がってから加えた方が良かったね。
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2024年10月15日(火) | ||||
土曜日の朝、いつものようにひろとの朝一番のお散歩の後、鳥たちにエサをあげに行くと、鶏小屋とそのすぐ横のアロエの茂みとの間に黄色い羽色の親鳥と3羽のひながいた。この黄色い羽色の子はアロエの茂みの中で座って卵を抱いているとエドソンが言っていたけれど、ひなが生まれたんだと思った。それで、朝食の後、エドソンとふたりでひなを捕まえてガーニゼの小屋の中に入れると、親鳥も自主的に小屋に入ってくれたので、この子たちの安全が確保され、何とか元気に育ってくれるかな?と思った。これまでこの小屋の中で生活していて、だいぶ大きくなったひなたちは昼間は外を自由に歩き回らせ、夕方小屋に戻ってきてもらっていたのだけれど、木曜日か金曜日の夕方エドソンが小屋の戸を閉めに行くと、小屋の中には茶色の鶏が1羽入っていて、ひなたちは鶏小屋の方に入っていたというので、じゃあ、もう大丈夫だねということになって、ちょうどガーニゼ小屋がこの新しいひなたちのために使えるようになっていたのはラッキーだった。そして、日曜日の朝、エサをあげに行くと、ガーニゼの親鳥が座り込んでいるすぐ側で、1羽のひなが死んでいた。そのひなを外に出して、小屋の中にエサの容器を入れて作業を終えてからひなを見ると、少し動いたような気がした。それで左の手のひらに乗せて、右手で胸からお腹の辺りをさすってみると少し目を開け、口をパクパクさせたので、まだ生きているということがわかったので、家の中に連れて入り、体をさすり、水を与えて、タオル生地のハンカチに包んで、遠赤外線のウォーマーの上でひなの体を暖めることにした。どのみち死んでしまうのかもしれないけれど、まだ生きているのだから放っておけず、頻繁にひなの様子を見ながら水を与え、体をさすりながら朝食の仕度をした。朝食を食べ終わった頃には遠赤外線ウォーマーのお陰か、それまでまったく声を出さなかったひなのか弱い声が聞こえるようになった。朝食後にエドソンがウォーマーの上に空き箱を置き、箱の中にタオルを敷いて、ハンカチに包まったひなをそのタオルの上に置いて、長期戦を覚悟した。でも、しばらくすると、ずっとぐったり横たわっていたひなが、立ち上がり少し動き回るようになり、ピーピーと大きな声で鳴くようになった。 次の写真は、立ち上がることができるようになったひな。この日は午前9時過ぎに家を出て、ボトゥカトゥに買い物に行って、11時過ぎに帰宅したのだけれど、ひなの様子を見るとだいぶ元気を取り戻しているようだったので、昼食後にガーニゼ小屋に戻してみようということになり、戻してみた。するとエサを食べ始めたので、よしよしと思いながら見ていると、親鳥が箱の中に移動すると他のひなはついて入ることができるのに、このひなは箱が高すぎて入れないようだった。それでエドソンが大きさの異なる木の板を2枚持ってきて、段々にして箱に入れるようにしたら、自力でうまく箱に入ることができた。朝死んだように横たわっていたのは、前の晩、箱に入れず、親鳥のお腹の下で寝ることができなかったので弱ってしまったということだったのかな?と思った。
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2024年10月16日(水) | ||||
日曜日の午前中、ボトゥカトゥに買い物に行ったのだけれど、その車の中でエドソンが「スペースXのロケット発射はどうなったかなあ?気になるなあ」と言っていて、帰宅して荷物を車から下ろして家に運んだ後、下の事務所で早速ネットにあがっていたその様子をチェックしたようだった。その時ちょうど、買って帰ったものを入れに下の冷蔵庫に行った私を呼び止めて、その映像を見せてくれたのだけれど、打ち上げたロケットが戻ってきて、発射台にピタリと収まる様子に、もうそれはびっくり!えっ~、どうしてこんなことができるの?と思った。NASAだってこんなことできないのに、スペースXはそれをやってのけてしまったんだ!!すごい!!!と思った。そして、HARANO TIMESさんがイーロン・マスクが行った無人タクシーや無人バスの発表のことや、このロケット回収成功の映像を見せながら、イーロン・マスクがトランプさんを応援していることで、カリフォルニア州政府から嫌がらせを受けている件について話していたので、そのYoutube番組『民主党内部「ハリスはもうダメだから、2028年の候補を精査しよう!」イーロン・マスクに対する復讐が始まる。ハリスが負ける4つの理由』にリンクをはってみる。このサイトは、こちらへ。イーロン・マスクに興味がなくても、打ち上げたロケットが発射台に戻ってくる映像(最初の8分くらい)だけでも見てみる価値はあると思う。 | ||||
2024年10月17日(木) | ||||
この冬はかなり冷え込む寒い日もあったけれど、全般的に暖かかったせいか、桜の開花がかなり遅れ、例年なら7月上旬に開花するのに、今年は8月下旬にようやく開花するという珍事が起こった。こういう異常気象はここだけのことではなく、日本も同様のようで、先日広島の友人がメールをくれ、「今年も夏は温度が高すぎて、うちのベランダの植物はまいってましたが、ハイビスカスは元気そうで、たまに花を咲かせてました。今もぼちぼち咲いてます。オクラを4~5本植えたのですが、幹や葉っぱだけで、なかなか実をつけなかったのですが、2~3日前からやっと小さな実がついているのを見つけました。朝顔もとても変で、7月~8月には全く花が咲かなくて、つぼみもないし葉っぱだけが茂っててこのままでおわるのかな~と思っていたら、9月半ばごろから花が次々に咲き始めました」と言って、その朝顔の写真を送ってきてくれた。
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2024年10月18日(金) | ||||
日本は米不足というニュースをいつだったか見た記憶があるけれど、広島の友人が、「今は新米が出ているので問題ありませんが、去年はお米が不作だったとかでちょっと前までお米が品薄でスーパーのお米の棚のところどころ空いている状態でした。私がいつも買っていた玄米も入荷待ちで買えませんでした。仕方がないので白米を買って食べてみましたが何だか味も香りも物足りない感じでした。そこで雑穀ともち麦を混ぜて炊いてみたところ、これがもちもちのふわふわでなんと美味しい事か!怪我の巧妙ではありませんが、玄米が無かったお蔭で雑穀米ご飯の美味しさを知る事が出来ました」とメールをくれた。東京で暮らしていた頃、スーパーで雑穀米を見たことはあったけれど、買って食べたことはなかったなあと思った。もち麦というのはおいしく体にも良いと聞いたことがある。ここでは雑穀米ももち麦も手に入らないけれど、うちでは時々白米に玄米やキヌアやチアシードを少し混ぜて食べている。友人が送ってきてくれた写真にはのど飴も一緒に写っているけれど、在宅勤務から出勤勤務に変わり、ちょっとストレスを抱えていたところに、まだ蒸し暑い夜、一晩中扇風機の風に当たり続けて寝冷えをしてしまい、翌朝から咳き込むようになっていたら、職場で同僚がくれた咳止めののど飴がとても良く効いたので、アマゾンで買ったのだそう。ここも気温が上がり下がりが激しいので、私の英語の生徒さんにも風邪をひいている人がいる。
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2024年10月19日(土) | ||||
家の前のハイビスカスガーデンの左横に小さなクチナシの木があるのだけれど、この木はここに植えてから何度も何度も葉切りアリに葉を落とされて、まるで枯れたように、ずっと裸の状態だった。その後ダンゴーラを放し飼いにし始めたら、ダンちゃんたちが虫や草の種などを食べてくれるので、葉切りアリが姿を消して襲わなくなったようで、何年か前から少し葉が戻って来ていたものの、花を咲かせたことはなかった。今も葉が茂っているとは言い難い状態で、花が咲くなどとは夢にも思っていなかった。そうしたら先日、この木の前の低いブロック塀の近くでひろがオシッコをしていた時に、この花が目に入りびっくり。それで写真を撮ってみたのだけれど、花をアップで撮ってみると、花の周りにさらに5つのつぼみがあったので、二度びっくり。家の西側の庭に桜の木を4~5本植えた手前に、3本の大中小の大きさの異なるクチナシの木があるのだけれど、それらはいつも11月に咲くので、まだ全然咲いていない。
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2024年10月20日(日) | ||||
先日ガーニゼ小屋の中で死んだようにぐったりと弱ったひなを家の中に連れて入り、半日介護したら元気を取り戻したので、ガーニゼ小屋に戻したと書いたけれど、今度は、畑の中に作ったネットケージの中の別の親子のひなが、朝、ケージの外でうずくまっていたので、前回のひな同様に家に連れて入って世話をしたら、やはり同じように半日ほどで元気になったので、親元に戻すことができた。けれど、今回は前回のひなと違って、親が育児放棄をしてしまい、ひなの世話をしてくれないということが発生してしまった。この親は3羽のひなをかえして育てていたのだけれど、何故か2羽が次々に死んでしまって、この1羽だけが元気にしていたのに一体どうしたのだろう?親鳥がひなを避けて、雨避けに作ったレンガの家の上に上がってしまい、ひなの側に行かないので、エドソンがレンガを取り除いたりしたのだけれど、やはり親鳥は夜の間ひなを体の下に入れてあげなかったようで、翌朝、またひなが親鳥から離れた場所でぐったりうずくまっていたので、家に連れて入って、台所と居間の間のカウンターテーブルの上に箱を置いて、その箱の中でしばらく育てることにした。次の写真は、箱の穴から撮ったそのひな。写真に写っているこちらから見て左側の目は大丈夫なのだけれど、写っていない右側の目の下は母親に突つかれたのか、少し怪我をしている。最初は腫れていたけれど、徐々にその腫れはひいてきている。昼間は水とエサをあげて、夜はウォーマーをつけて親がいなくても寒くないようにして、何とか元気に日々を過ごしている。
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2024年10月21日(月) | ||||
家の前の庭の東側にフランボヤンの木が植えてあるのだけれど、先週、赤い花がたくさん咲いていることに気づき、写真を撮った。家を出入りする際、家の前やシュハスコ小屋の周辺にいる鳥たちに目をやることはあっても、その先の木々に目をやることはあまりないのだけれど、防風林の並木をひろたちとお散歩していると、目に入り気づくということがよくある。1枚目の写真は、玄関先のベランダ前から撮ったフランボヤンの木の全体像。左右に大きく枝を広げているのがわかるだろうか?2枚目は花をたくさんつけている枝をアップで撮ったもの。
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2024年10月22日(火) | ||||
エドソンはお隣のウィリアムに頼まれて、コンピュータやアマチュア無線関連の技術的な援助を時々するのだけれど、その都度、お隣で栽培しているアテモヤやアボカドなどをお礼にもらって帰ってくる。最近もそのようなことがあったらしく、生食ではなく調理して食べるタイプのバナナの大きな一房をもらって来ていて、緑色だったそれらのバナナが黄色く熟してきたので、バナナのローストを作った。バナナは熟し始めると、結構一斉に黄色くなるので、熟し過ぎても後の処理が大変なので、1~2日おきくらいに3回にわたってバナナをローストした。それで最近は、毎晩夕飯の後、容器に保存しているバナナをお皿に取って、電子レンジでチンした後、ココナツアイスクリームを添えてデザートに食べている。次の写真は、右側がローストした後、容器に入れて冷蔵庫で保存しているバナナ。左側は3回目にローストしたばかりのバナナ。茶色に見えるのは、お砂糖とシナモンをふりかけて焼いているから。エドソンはこのいわゆる焼きバナナが好きで、ココナツアイスクリームを添えると、また格段においしいデザートになるのでとても気に入っている。ちなみに、これを少しひろやめいにお裾分けすると、ふたりもとても喜んで食べる。
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2024年10月23日(水) | ||||
母親から育児放棄されたガーニゼのひなを家の中でしばらく育てることにしたので、名前をつけてあげようとエドソンが言う。このひながメスなのかオスなのかまだわからないからどうするかねえと、考えていて、ピーピーなくのでメスならピー子、オスならピー太というのはどう?どっちにしてもピーちゃんと呼ぶことにしようということになった。そんなことをエドソンと話して決めた翌日のニュースに、おすぎとピーコのピーコさんが亡くなったという記事がありびっくり。 先日、庭のハイビスカスガーデンの横の小さなくちなしの木に何年かぶりでひとつ花が咲いたと書いたけれど、それから1週間足らずで花の数が増えたので、また写真を撮ってみた。そして、家の西側の桜の木々の手前に3本あるくちなしの木のうち、一番大きく葉が茂っている木にも花が2つ3つ咲き始めたので、その写真も撮ってみた。ここのくちなしは11月に咲くと書いたけれど、この木も10月の中旬には花を咲かせ始め、今年はちょっと花が早いなと思った。
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2024年10月24日(木) | ||||
月曜日の朝一番のひろとのお散歩に出ると、ランドマークの木の周りの地面が花びらで白くなっていたので、ランドマークの木に花が咲いていることに気づいた。その日は後で写真を撮ろうと思いつつ忘れてしまい、火曜日の朝も地面が花びらで被われていたので、朝食後にカメラを持って出て、次の写真を撮った。朝一番のお散歩は、この坂道を下りて、左に曲がって、道なりに家に戻る短いコース。昼食後のお散歩は、坂道を下りて右折して、入り口ゲート辺りで回れ右をして戻るコースだったり、日差しが強く暑い日には、坂を下りずに、防風林の並木の木陰を歩いたりしている。1枚目の写真の左側に積まれている木の枝は、薪ストーブに使うために、切った枝をこんな風に積み上げている。2枚目の写真は、咲いている花を撮ったのだけれど、葉の黄緑と花の白の区別がつかない感じ。だから木を見ても花が咲いていることに気づかないということが起こる。
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2024年10月25日(金) | ||||
2024年10月15日発行の楽書倶楽部第75号が届いたので、以下にこの号に掲載された私の文章をコピーしてみる。
今年五月の下旬に、朝の最低気温が五度を下回り急に冷え込む寒い日が数日続いたことがあった。その後は数週間おきに少し気温が下がる日があったものの、基本的にはそれほど寒くはならず、比較的暖かで穏やかな冬を過ごしていた。この例年よりも暖かで冬とは思えない気候のせいなのか、毎年六月末から七月上旬頃に咲き始めるうちの桜が、今年は開花しないという異変が起こった。 私たち夫婦は、田舎町の農村地帯で暮らし始めて十五年余りになる。我が家の建設を始めたばかりの頃、イビウーナ在住だった中村さんご夫妻のお宅でヒマラヤ桜の木の下で芽吹いていた小さな芽をいくつかいただいた。持ち帰ったその芽を鉢に植え替えて何か月も大切に育て、我が家が完成し、家の前の庭を占領していた資材が片付いてから庭に地植えした。木が成長して花を咲かせるようになると、花が終わった後しばらくして赤い実をつけ、その後木の足元や周辺に落ちた実から小さな芽が出てくるようになった。その芽を鉢に植え替えて育て、それらがある程度大きくなるとまた地植えにするということを毎年繰り返して、桜の数を増やしていった。それに加えてご近所のファゼンダのマネージャーさんから彼が育てていた沖縄桜の苗木をたくさんいただいたので、敷地内の道沿いに植えて桜並木を作ったりと、今ではかなりの数に増えている。こうやって増やしてきた桜の現在の正確な数は確認していないけれど、おそらく百本近くになっているのではないかと思う。 例年、六月下旬頃に気の早いつぼみが開き始め、七月になると本格的な開花が始まり、中旬頃には満開になる。桜が満開の時期は、敷地内がピンク色に染まり、あっちを見ても、こっちを見ても桜の花が視野に入り、ウキウキした気分になる。ヒマラヤ桜も沖縄桜もピンクの色がソメイヨシノよりも濃いので、満開の時期はとても華やかで、花びらが風に舞う姿も美しく、私はとても気に入っている。そして、七月下旬に向けて花の勢いはだんだん衰えては来るものの、遅く目覚めるつぼみもあるようで、八月上旬頃もまだ少し花が咲いている状態が続くため、結構長い期間ここでは桜を楽しむことができる。 日本で暮らしていた頃は家や学校に桜の木があるのは普通のことで、ブラジルに来る前に暮らしていた東京の団地内にも桜の木があり、近くの道路は桜並木になっているところもあり本当にきれいだった。日本ではこんな風に身近に桜の木がある暮らしがごく当然のことだったけれど、日本から遠く離れ、気候風土も異なるブラジルに来て、自宅で桜を愛でることができる生活をするなど想像もしていなかった。花が散るのと同時に葉が出てきて、青々とした緑の木陰を作る様子も何とも言えず気持ちが良い。そんなわけで冬から春、夏にかけて移り変わる桜がここでの生活に彩りを添えてくれていることが何ともうれしく、桜っていいなあとつくづく思う。 そんな冬の楽しみのひとつで、ここでの生活になくてはならない冬の風物詩である桜の花が、今年は六月の末にほんの少し開花したものの後が続かず、花芽はいつまでも硬いままで推移した。こんなことは初めてのことだったのでとても驚いた。このまま開花しないのだろうか?と不安に思っていたら、七月の下旬にようやくポツリポツリと花が咲き始め、八月に入り少しずつ花の数が増えて行った。それでも木により、枝により開花する花の数にかなりの差があり、満開になるにはまだずいぶん時間がかかりそうだった。と言うか、このまま少しずつ少しずつ咲いて、結局、木全体がピンクに染まるほどの満開になることはないのではないかと心配している。 うちにはカストロにお住まいの蓼沼さんご夫妻から苗木をいただいた陽光桜も二本ある。地植えにした後も、植えた場所の土の関係なのか、なかなか木が大きくならないけれど、ここ二、三年少し花を咲かせるようになった。ここでは桜が咲くのは七月から八月にかけてと書いたけれど、陽光桜はヒマラヤ桜や沖縄桜の花が終わった後、九月になってから開花する。そのため、この文章を書いている八月中旬を過ぎた時点ではまだ開花していない。これまで通り、九月に開花してくれるのか、それともヒマラヤ桜と沖縄桜の開花時期が一ヶ月以上遅れたように、陽光桜の開花も遅れるのだろうか?と思いながら、木の様子を観察している。 | ||||
2024年10月26日(土) | ||||
玄関先の階段横の箱庭に植えているソテツに花芽が出てきているので写真を撮ってみた。1枚目の写真の花芽は、階段側から見えるもので、2枚目の写真の花芽は、1枚目の花芽の反対側にあるもの。ソテツの花は10年に一度くらいしか咲かないとか言われているようだけれど、うちでは毎年咲くように思う。
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2024年10月27日(日) | ||||
家の西側にあるランドマークの木の側にあるサボテンに、黄色い花がいくつか咲き始めたので、写真を撮ってみた。2枚目の写真は、1枚目の写真の右側奥の花をアップで撮ったもの。このサボテンも毎年1つ2つ花を咲かせてくれる。
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2024年10月28日(月) | ||||
庭の桜の木の側に、パラナが森から採ってきたランを枯木に移植して作ってくれたものに、ピローンと1本長い枝が伸びてきて、その先に花芽が出てきていたのだけれど、先日、その花が開いていたので写真に撮ってみた。2枚目の写真は、その花をアップで撮ったもの。家の中の食卓の上に置いていた鉢のランのひとつに元気がなくなって来たので、ここに2つあるランが移植された枯木の足元にその鉢を置いたのだけれど、枯れそうになっている古い葉の真ん中に新しい芽が出てきていたので、ここに移して正解だったねとエドソンと話している。
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2024年10月29日(火) | ||||
日曜日にエドソンが森の中の井戸の水を丘の上の貯水タンクにポンプで汲み上げるために森に行くと、その途中で動物の大きな足跡があったと言って、その写真を撮って送ってきてくれた。土曜日に手伝いに来てくれたパラナがうちのマンジォカが数本何かに食べられてしまっていて、食べたのはパカ(Paca)という動物だと思うと言っていたのだそう。パカという動物はそんなに大きな動物ではないので、こんな大きな足跡は残さないだろうと、エドソンがネットで調べてみると、ジャヴァリ(Javali)という野性の豚の足跡に符号するから、この足跡はジャヴァリのもので、マンジォカを食べたのもこのジャヴァリなのではないかと、エドソンは言っていた。3枚目の写真は、エドソンがネットで見つけたそのジャヴァリの写真。うちの敷地内の森の面積は大きくないのだけれど、この森はうちから南に向けてかなり広がっていて、全体的に見ると結構広いので、いろいろな野性動物が暮らしているのだろうなと思う。それら野性動物の姿を目にすることはまずないのだけれど、こうやって足跡を見つけたり、マンジォカが食べられていたりすると、それらの野性動物の存在を実感する。
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2024年10月30日(水) | ||||
2024年10月26日付けのブラジル日報に、「特別寄稿=『ベティさんの庭』との共通点=アマゾンで生きる心構えについて=パラー州モンテ・アレグレ 大槻京子」という記事が掲載されていた。大槻さんはアマゾン河流のモンテ・アレグレというところで暮らしておられ、この9月で在住51年目を迎えたということだった。数年前から楽書倶楽部のメンバーになられ、文章を寄せておられるのでお目にかかったことはないけれど、良く知っている。彼女の書く文章はとても力強く、はっとさせられたり、同感したり、深く考えさせられたりするので、毎回楽しみに読んでいる。このブラジル日報に掲載された文章は、楽書倶楽部第75号(今年の10月号)に掲載されたものと同じものだけれど、楽書倶楽部には掲載されていないモンテ・アレグレの場所を示す地図や、複数の写真がこのサイトには掲載されている。さらに先月だったかサンパウロまで来られて講演をされたYoutubeビデオも掲載されているので、ここにその記事のサイトへのリンクをはってみることにした。このサイトは、こちらへ。大槻さんが講演会で話された内容は、ここの不便さなんて、アマゾンの不便さや過酷さとは比べものにならず、足元にも及ばないと思いながら、そのような環境でよく歯をくいしばり、逃げ出すことなく半世紀もの間頑張ってこられたなと思った。私だったらすぐに逃げ出していたと思う。移民の苦労話は男性の成功者の話が多いけれど、それら男性の側にはかならず一緒に頑張ってきた奥さんの存在があったのだとつくづく思う。そういう意味でも女性の立場での体験を聞けたことは貴重なことだった。 | ||||
2024年10月31日(木) | ||||
家の西側の庭の桜の木々の側に植えた3本のくちなしの花の、真ん中の一番大きな木に花が咲き始めたことはすでに書いたけれど、それから数日経過し、大中小3本の木すべてに花が咲いたので、写真を撮ってみた。一番奥の中くらいの大きさの木は、花が咲かないことがよくあるのだけれど、今年は花を咲かせてくれた。しかも10月下旬の開花とは言え、いつもの11月の開花よりも早い。2枚目の写真は、食堂の窓から撮った同じくちなしの花。花の数がこちらから見ると多いので撮ってみた。この写真を撮った際は気づかなかったのだけれど、写真をダウンロードして見るとくちなしの木の足元に複数のガーニゼが写っていた。
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