Kyoko Yoshida Life in Brazil BLOG 

2024年8月1日(木)

今年は桜が咲かない異変が起こっている。毎年6月下旬には気の早い花が一足先に少し咲き、7月に入ってから本格的に開花し始め、中旬頃には満開になり、花の勢いがなくなっても8月の上旬頃まで我が家の敷地内はピンク色に染まるというのに、今年は7月に入っても花が咲かない。6月下旬にほんの少し開花した木もあったけれど、後が続かず、7月下旬になってもつぼみが固く、花が咲きそうにないので一体どうしちゃったの?と思っている。次の写真は、7月29日(月)に撮った庭の桜の上部。ようやく少し花が開き始めたけれど、満開には程遠い。いつになったら満開になるのだろう?毎年冬の時期に咲く満開の桜を楽しんできたのに、時期になっても開花しないなんて初めてのこと。カストロ在住の蓼沼さんご夫妻からいただいた陽光桜は、ヒマラヤ桜や沖縄桜よりも遅く、毎年9月になってから咲くので、当然のことながらまだ咲いていない。

2024年8月2日(金)

今年は咲くはずの時期に咲かない桜だけれど、以前、食卓に飾っていて、数年後に花の数も減ってきて弱ってきたサツキを、離れの近くに地植えして、様子を見ていた。あまり元気はないものの、何とか細々と生き延びてくれて、たまにひとつふたつ花を咲かせていた。それが今年はたくさんつぼみをつけてくれたので、お散歩の度にここを通って期待しながら見守っていた。すると、7月下旬に開花し始めたので、次の写真を撮ってみた。食卓の上に置いていた頃の花の大きさと比べると、何だかとても小さいのだけれど、数は格段に多い。うれしい。うれしい。

2024年8月3日(土)

7月28日(日)に行われたベネズエラの大統領選挙は、現大統領のマドゥーロと対抗馬のゴンサレスの双方が勝利を宣言し、各地で抗議活動が行われていて、死者や逮捕者が出ていると報道にあった。いくつかの投票場で、結果発表が行われ、ゴンサレスがマドゥーロの10倍の得票で勝利したという画像が出回ったりもしているようだ。ロシア、中国、キューバ、イランと言った国がマドゥーロ勝利を認めたようだけれど、共産主義者で、マドゥーロと仲良しのブラジルのルーラ大統領は、沈黙を続る中、彼が所属する労働者党(PT)がマドゥーロの当選を認めるような声明を出したというニュースもあった。でも実際のところ、ブラジル連邦政府内では意見が分かれていて、ルーラにベネズエラに対する態度を改めるように求める声が強くなっているというニュースもあった。アルゼンチンのミレー大統領はマドゥーロを非難していて、中南米のほとんどの国はマドゥーロ勝利を認めていない。ルーラはこれからどうする気なんだろう?

2024年8月4日(日)

8月に入りようやく桜が少しずつ咲き始めた。次の写真は、土曜日の午後撮ったもの。1枚目は、防風林の列の一番上の桜。この木の向かって左側の枝が一番たくさん開花している。でも右側はまだ開花していない。同じ木なのに、開花している枝とそうでない枝があるなんて不思議。2枚目は、同じく防風林の列にある桜だけれど、1枚目の写真の桜よりも少し下がった位置にあって、防風林の外側の桜の開花の具合を一緒に撮ったもの。3枚目は、防風林の一番下に位置している桜。この3箇所の桜が、今のところ一番花をつけている感じ。

2024年8月5日(月)

日曜日の朝、いつものようにひろとのお散歩を終えてから、畑に行って鳥たちにエサをあげていると、ピーピーとひなの鳴き声が聞こえるので、ガーニゼが巣を作って卵を抱いていた場所を見ると、4羽のひなが生まれていた。この日は朝食後に隣町のデパートとスーパーに買い物に行ったので、すぐには写真を撮ることができなかったのだけれど、午後からひなたちの様子を見に畑に行ってみると、畑の中をガーニゼの母親と一緒に3羽のひなが動き回っていた。巣を見ると何故か1羽だけ巣から出ることなく鳴いていた。大丈夫かなこの子?とは思うものの、私たちにはどうすることもできない。次の写真は、巣の中から出てこれないのかピーピーないているひな。2枚目は畑の中を母鳥の後を必死でついてまわっている3羽のひな。母鳥の側にいる黄色いひな2羽は元気そうだけれど、後ろにいる背中に茶色い筋の入ったひなは、黄色いひなほど反応が良くなく、遅れてついて行っている。巣にはまだ5つくらいかえっていない卵があるけれど、ひなが生まれてしまっているので、もうこれらの卵を温めることはしないのだろうと思う。まあとにかく、この生まれた4羽のひなが元気に成長してくれることを祈るばかり。

2024年8月6日(火)

日曜日に生まれたガーニゼのひなの内、巣から出てこないひなをエドソンがチェックすると、肛門が詰まって排泄ができないという問題が発生しているみたいと言って、エドソンがひなを家の中に連れて入り、台所の流しで肛門に水をかけたり、ひなに水を飲ませたりした。足も一部赤くなっている部分があったので、そこに薬を塗ってから巣に戻した。でも、やはりこの子は生き残れないかもとエドソンは言っていた。その日の夕方、母親とひなたちが巣に戻っていることを確認してから、エドソンを手伝って彼らの巣とガーニゼの小屋を遠巻きにぐるりと簡易にネットを張り、大きな動物に襲われないようにした。でも、翌朝、エサをあげに畑に行くと、母親とひな3羽はネットの下をくぐり抜けることが出来たみたいで、巣から出て畑の中にいた。そして、生き残れないかもしれないとエドソンが言っていた巣の中のひなは息絶えているように見えた。それで午後からネットを一部はずして、巣の中のひなとかえらなかった卵を畑の中に穴を掘って埋めてあげようと思い畑に行った。巣の中の卵を4つ取り出しながらひなが見えないのでどうしたのだろう?とさらに巣の中を手探りで探すと奥にうずくまっているひなが動いたような感じがしたので、ひなを抱き上げるとピーと泣いて口をパクパクしてまだ生きていた。でも、もう長くはもたないだろうということが感じられる弱々しさだった。せっかく生まれてきたのに、私たちには何もしてあげることが出来ず、ただ息絶えるのを待っているだけなんて、辛いなあと思った。母親と一緒に行動している3羽のひなたちがどうか元気に育ちますように。

2024年8月7日(水)

毎日の昼食後のひろたちとのお散歩の際、最近ワイルドベリー(野いちご)が少しずつ実をつけ始めているなと思いながらワイルドベリーのブッシュを眺めていた。そしてある程度収穫できそうな数の実をつけていたので、この月曜日に収穫してみた。次の写真は、採ってきて水で洗い、ザルにとったベリー。さて、これをどうやって食べようかな?

月曜日の夕方、エドソンが畑にガー二ゼ親子の様子を見に行くと、ガー二ゼ小屋の横のスペースの巣ではなく、小屋の中の卵を生みつけたり、ひなをかえすために置いてある箱の中に入っていたので、小屋の中にお水とエサを入れて、扉を閉めたと言っていた。ひながある程度大きくなるまで小屋の中にいてくれれば、何とか無事に育つかもしれないと、少し安心した。おそらくガー二ゼ小屋の横の巣の中で弱っていたひなが息絶えてしまったので、その巣に戻らなかったのかなあなんて想像した。それで次の日にその命が尽きたひなを畑に埋めてあげた。

2024年8月8日(木)

ブラジルの女子柔道の選手が金メダルを取り、続いて女子体操の選手が種目別床運動で金メダルを取ったと言って、エドソンがそのブラジル人体操選手の写真をメールに添付して送ってきてくれた。この写真の左右に写っている人たちは2位と3位の米国人選手なんだそう。エドソンはサッカーのワールドカップにしろ、オリンピックにしろ、ぜひ競技を見ようという人ではないのだけれど、こんな風に自国の選手にいい結果が出るとうれしいみたい。この他にもサーフィン女子で銀メダル、男子の部で銅メダルを獲得したというニュースもあった。

現在開催中のパリオリンピックは開会式からとんでもなくひっくり返っていたけれど、いざ競技が始まると、選手村と競技会場との間で運行されているバスが時間通りに来ないだけでなく、まったく来なかったり、別の場所に行ってしまったり、冷房もないと苦情が出ていると思ったら、選手たちの宿泊施設にも冷房がないそうで(但し、フランス人選手の部屋だけは冷房があるらしい)、食堂の食事もお肉類の量がまったく足らず、ビーガン食ばかりで、選手が1日に必要とするカロリーを得ることができないとか、トライアスロンを汚染したセーヌ川で強行して、体調不良の選手が出て、入院した選手もいるとかさんざんな状態。選手たちが力を十分に発揮できるような環境を整え、選手たちの安全や命を守ることよりも自分たちのイデオロギーを押し付けることの方が大事という傲慢な感じが、如何にもフランス人らしいのかなと思った。

2024年8月9日(金)

先日、私が毎日見ている「飯山あかりちゃんねる」で、長崎市が9日の平和祈念式典にイスラエルの駐日大使を招待しなかったことでG7諸国の駐日大使が次々に式典欠席を表明し、波紋が広がった件に関して話をしていた。イスラエルの駐日大使は広島の式典には招待されて、ちゃんと出席したらしい。この「【NHKのせい?米英仏豪伊も!】駐日大使が長崎平和祈念式典一斉に欠席?!」という動画のサイトは、こちらへ

この同じ問題で、元産経新聞記者の三枝玄太郎さんも彼のYoutubeチャンネルで取り上げて話していたので、そのサイトにもリンクをはってみる。あかりちゃんねるよりもこちらのチャンネルの方が21分と半分くらいの短さなので、時間のない方はこちらを見てください。あかりちゃんねるの方では言及がなかったけれど、長崎はイスラエルは招待しない一方で、駐日のパレスチナの総領事とイランの駐日大使は招待しているという事実に触れていたり、広島の被爆者団体の原水禁、原水共などといったことにも言及していて、あかりちゃんの番組とはまた違った切り口で話をしているので、時間があれば両方聞いてみてはと思う。この動画のサイトは、こちらへ

2024年8月10日(土)

いつだったか広島の友人が、トイレで新しいピンクのタオルを使うと運気が上がると言っていた。うちではピンクのタオルは1枚だけサーモンピンクのタオルがあり、それをトイレというか洗面所で使っていたので、完璧ではないけれど、まあいいかな?と思いながら、今度新しくする際はぜひピンクのタオルを買おうと思っていた。そして、台所で洗ったお皿を拭くふきんも古くなってきているし、靴下にも穴が開いたりしているので、この前の日曜日に隣町のデパートに行って、新しいタオル、ふきん、靴下などを買った。次の写真は、洗面所で使い始めたその新しいピンクのタオル。ついでに台所で使う緑色のタオルも買ったのだけれど、帰宅してよくよく見ると、それはタオルではなく、薄い足拭きマットだった。何という失敗。トホホ・・・。

2024年8月11日(日)

8月7日付けのブラジル日報の記事に、「南極の猛暑が原因で寒冷前線発達」という記事があり、「今週に入り、暑くなり始めたばかりのサンパウロ市。だが、それもつかの間、早くも次の寒冷前線が接近して、9日には最高気温が20度を下回る寒さになるという。今回の寒冷前線発生は、南極が平年より最大で30度ほど暑いという異例の高温に見舞われ、氷が溶け始めたことで冷気が発生しているためだという」とあった。南極の気温が平年より最大30度も高いという内容にびっくり。普通南極の冬の気温はマイナス50~60度だそうだから、30度高いということはマイナス30度くらいということなのかな?そして、寒冷前線がやって来るのは南極が暑いからということにもびっくり。予報ではここは金曜日に雨が降り、土曜日から気温が下がり、最高気温が17度。翌日曜日の朝の最低気温は4度で、午後の最高気温は20度。その後も水曜日まで最低気温が、4度から7度と低い状態が続き、午後の最高気温も20度に届くかどうかといった内容だった。そして、予報通り気温が下がり、昨日から寒い毎日になった。

Yahooニュースに8月9日付けで、この南極の猛暑に関するCNNJapanの記事があり、そのメカニズムを説明していたので、その記事へリンクをはってみる。この記事のサイトは、こちらへ

2024年8月12日(月)

昨日、寒冷前線の影響で金曜日からお天気が変わり始め寒くなったと書いたけれど、9日の金曜日の午後、この寒冷前線の影響で航空機の墜落事故が発生した。有名なイグアスの滝のある町から数時間と近いカスカベルという町から、サンパウロの東にあるグアルーリョス国際空港に向かっていた航空機が、ここから北東に2時間ほどのカンピーナスという町のコンドミニオ内(塀で囲まれた住宅街)に墜落し、乗員、乗客61名全員が亡くなったということだった。幸いコンドミニオの中の家を直撃したわけではないらしく、住民に被害が出たというニュースはない。寒冷前線と暖かい空気がせめぎ合いをしているところに遭遇してコントロールを失い墜落したらしい。ブラジルでは日本のような地震災害はないけれど、南極からの冷たい空気とアマゾンからの暖かい空気がぶつかって、航空機がトラブルになる気流が発生するのか、エンジンに氷が入り込むからなのか、こんなことが時々あるらしい。何年前だったか、リオ発パリ行きのエールフランスの航空機が大西洋上で墜落した事故があったけれど、その事故の原因も今回の事故と同じ気象状況によるものだったそうだから、ブラジルはブラジルで日本とはまた違った自然災害があるということなんだと思う。

2024年8月13日(火)

いつのことかよく知らないけれど、エドソンがある建設会社のサイトで、ボトゥカトゥに新しくマンションを建設する際、連絡を希望するという登録をしていたらしく、先週、その会社から新しい物件のショールームを見にこないかという連絡がきたのだそう。それで、土曜日に見に行こうということになり、午前中に行ってきた。ボトゥカトゥで建設されるマンションは、だいだい一軒ポツンと建つことが多いのだけれど、この物件は最近開発が進んでいるボトゥカトゥの東側のエリアで、塀で囲まれた広い敷地内に三棟のマンションが建つ計画らしく、いわゆるコンドミニオだということがわかった。ブラジルで言うコンドミニオというのは、塀で囲まれた住宅街のことで、入り口ゲートに1日24時間セキュリティーの人がいて、出入りする人をチェックするシステムになっている。アメリカでgated communityと言われる住宅街と同じもの。治安の良い日本では聞いたことがないけれど、私はこれまでフィリピン、アメリカ、ブラジルで、こういう住宅街に行ったことがある。フィリピンなんて入り口ゲートで銃を持った人が警備していたのを憶えている。

ブラジルのコンドミニオは一般的には広いエリア内で販売している土地を一区画購入して家を建てて暮らし、敷地内の警備や整備のために結構高い管理費を月々支払うのだけれど、今回私たちが見に行った物件は土地を買うのではなく、マンションの部屋を買うというものだった。私たちが今住んでいる家を建てた際、近隣の町で手に入る資材には限界があったので、いろいろ妥協をして作ったのだけれど、さすがに大きなデベロッパーが作るマンションだけあって、最新の技術が使われているなという印象だった。ボトゥカトゥは州立大学の医学部、獣医学部、農学部のある学園都市なので、ブラジルの中での人口比で見る治安の程度は比較的良い方なのだけれど、それでもコンドミニオは本当にたくさんある。次の写真は、そのコンドミニオの完成予想図。3棟のマンションの左側の建物はイベントルームで、この予想図では見えないけれど、左側のマンションの向こう側に大きな温水プールがあり、その右側の建物にはジムやプレイルームなどができるらしい。

2024年8月14日(水)

次の写真は、昨日の朝、食堂の西側の窓から撮った家の西側の桜と、家のベランダ前から撮った庭に4本ある桜の木の内の東側の一番花の数が多い1本。まだまだ満開には程遠い。庭の桜の木は、今月始めに咲いた花が散って、若葉が出てきていて、花と葉が混在している。こんな風にちょっとずつ、ちょっとずつ咲いて、満開にはならずに終わってしまうのかなと心配している。

2024年8月15日(木)

火曜日の夜、下の事務所から上がってきたエドソンが、「森田さんが亡くなった」という記事がポルトガル語のニュースに出ていたと教えてくれた。森田さんは広島出身の被爆者で、ブラジル被爆者平和協会を設立して在外被爆者への健康管理手当の支給を求める活動や、様々なところで被爆体験を語る活動をしておられた。今年3月には100歳になられ、彼の名前を冠した高校で誕生日のお祝いをされたという記事をブラジル日報で見て、「ああ~、100歳かあ。お元気で良かった」と思ったのだけれど、とうとう老衰で逝ってしまわれた。14日付けのブラジル日報に掲載された訃報記事の前半部分を以下にコピーしてみる。

「ブラジル被爆者平和協会の創立者で元会長の森田隆さんが12日午前5時55分、サンパウロ市内のサンタクルス病院で老衰のため亡くなった。100歳の誕生日を3月2日に祝ったばかりだった。13日午前10時から、聖市内のプレナ葬儀場で告別式が行われ、遺体は午後3時から葬儀が行われたコンゴニアス墓地に埋葬された。

1924(大正13)年3月2日、広島県佐伯郡砂谷村生まれ。1945(昭和20)年8月1日に陸軍憲兵中国憲兵隊司令部に配属され、広島に赴任して8月6日午前8時、21歳で被爆した。1956年にブラジル移住。1984年にブラジル被爆者平和協会を設立し、自身の被爆体験を基にブラジル各地や南米各国で講演を行い、核廃絶への思いを訴え続けてきた。

広島県医師会が当地で被爆者の健康相談できるよう働きかけ、在外被爆者への健康管理手当の支給を求める活動を率い、当地の若者らにポ語で被爆体験を証言する活動をした。自身の被爆体験を『ブラジル・南米被爆者の歩み あの日がすぎて、巡りくる日々とともに』(2001年、編・著:森田隆・森田綾子)として出版。

「核兵器禁止条約」の実現を求める署名活動など長きに渡る平和活動への取り組みが評価され、2015年6月に聖市議会より名誉市民章を受章した。それら功績を広めるため、2019年2月には聖州名誉功労賞が州議会で授与され、同年にサントアマロ聖州立工業学校(ETEC)に「タカシ・モリタ校」との呼び名が付けられた。同被爆者平和協会は20年末に解散し、現在の任意団体「在ブラジル原爆被爆者の会」に変わった」

この訃報記事の後半には森田さんの自伝の内容も少し掲載されている。前半、後半の完全な記事内容は、次のサイトでご覧ください

2024年8月16日(金)

次の写真は、庭のハイビスカス。このオレンジ色のハイビスカスは濃いピンクのハイビスカスの木の後ろにあるので、花が見えにくいのだけれど、今結構花をつけているので撮ったみた。ハイビスカスとしては、ちょっと変わった色だと思う。でも、この色もなかなかきれい。

2024年8月17日(土)

この水曜日にエドソンが買い出しのついでに郵便局に届いていた楽書倶楽部第74号を持って帰ってきてくれた。ここでの生活は、日々何の変化もなく、書く題材を見つけるのに苦労する。今度は何を書こうかと思い悩むようになった。つまりネタ切れ状態になってきているのだけれど、今回は友人とのメールのやり取りでふと思ったことを書いてみた。複数の友人とのメールのやり取りがあり、助けられていることに感謝。

後悔先に立たず

ブラジルに移り住んで、まだ十五年ほどにしかならないけれど、故郷の広島を離れてからの年月を数えると、もう三十年以上になる。でも、ありがたいことに私には今でもメールでやり取りをしている友人が数人いる。その内のひとりが、五月上旬に短大時代の仲間と四~五年ぶりに集まってお昼を食べたと連絡をくれ、参加できなかった私に集まった友人たちの近況を知らせてくれた。それぞれ寄る年波に、あちこち経年劣化があったり、家族に病気療養中の人がいたりと、皆何らかの事情を抱えてはいるものの、何とか元気に集まることができ、「みなよくぞここまでたどり着いたよね・・・生きて会えてよかった」と書いていた。そして、「古希もみんなで迎えれば怖くない」という言葉に、本当にその通りだと思った。

その会食の際、二人の子供が今も独身で実家暮らしという友人に、「食事の支度は誰がするの?」と聞いてみると、その友人がすると言うので「娘さんもすればいいのにと思ってしまいましたが、考えてみたら三十代で実家を出るまで私も食べる人でした。後悔ばかりです。親不孝者め!」とあり、笑ってしまった。そうそう。私なんて貴女よりさらに長い間、三十代後半で実家を出てアメリカで一人暮らしを始めるまでは食べる人でした。母が夕飯の準備をしている時に、お味噌汁や副菜作りを時々手伝うことはあっても、私が両親のために食事を作ることは滅多になかった。実家を離れて自分で毎日食事を作るようになってから、毎日毎日、今日は何を作ろうかと考えて作ることがどんなに大変なことかを痛感するようになった。そして、母が手を替え品を替えておいしいお料理を作ってくれていたことに対する感謝の念が今更ながら沸いてくる。

この友人とメールで話していると、食いしん坊な私たちはよく食べ物の話になる。その度においしい食べ物が溢れ、食の豊かな日本の状況をつくづくうらやましく思い、それらがほぼ全くと言っていいほどなく、自分で作ろうにもその具材を入手することすら難しい、あるいは、無理なここでの生活と引き比べて、ああ~とため息が出る。そして昔、仕事帰りに父が時々買って来てくれることがあった二重焼きが食べたいとか、母と何回か行ったことのある「ちから」のきつねうどんといなり寿司が食べたいとか、春と秋に母が作ってくれたおはぎが食べたいとか、ついつい叶わぬ妄想を膨らませてしまうのだ。

実家暮らしで食べる人をしていたことで、最も残念に思うことは、台所で母のやることをある程度見てはいたものの、母からちゃんとお料理を教えてもらっていなかったこと。成人してもまだ実家暮らしをしていた頃、母が友人たちと旅行に行ったり、入院した際、父に食事を作ってあげなければならなかったため、短期間ではあったけれど、何度か私が夕飯を作ったことがあった。その際、私がきゅうりとわかめとちりめんじゃこで作った酢の物を食べて、「お母さんが作るのと同じ味だ」と父が喜んでくれたことがあった。母を手伝いながら見よう見まねで作ることができるようになったものもあったけれど、できないものの方が多い。実家で暮らしている間にもっともっと母の作っていたお料理を教えてもらっておくべきだったと今頃になって後悔するのだった。

母が作っていたお料理の中で、ちらし寿司は手間がかかるので、寿司飯をうちわで扇いで冷ます手伝いをしながら、側で母のすることを見てはいたものの、ひとつひとつの具材を丁寧に調理する細かい部分をちゃんと教えてもらったことがなかったため、あのおいしかったちらし寿司を私は再現することができない。もう二度と食べることができない母のちらし寿司。そんな食べ物の話から、もっともっと母と一緒にいろいろなことをして、もっともっと親孝行しておけば良かったねと、友人とふたりで反省することを繰り返している。

楽書倶楽部のいつの号だったか記憶にないのだけれど、いくつか並ぶ俳句の中に「古希を過ぎ鏡の中に母を見る」というのがあった。これを見た時、ああこれはまさに私のことだと思った。昔は「お父さん似だ」とよく言われ、自分でもどこから見ても父親似だと思っていたけれど、最近は鏡の中の自分の顔が、年をとっておばあさんになった母の顔に似てきたなと思っていたからだ。私が毎日書いているブログに掲載した近影を見た従兄にも「お母さんに似てきたね」と言われたこともあった。年をとって、母に似てきたことはむしろうれしいことだけれど、母の作っていたお料理で、私には再現できないものが少なくないことは悔やまれてならない。後悔先に立たずとはまさにこのことだろう。

2024年8月18日(日)

岸田首相が自民党の総裁選に出馬しないと発表してから、Youtubeでは総裁選の話で賑わっている感じ。元産経新聞記者の「三枝玄太郎チャンネル」でなかなかするどい解説をしていたので、その動画にリンクをはってみる。「自民支持層で高市早苗経済安保担当相が支持トップ 小泉進次郎氏が総裁になったら刷新どころか 爺様政治家の操り人形になります」というこのサイトは、こちらへ。進次郎氏押しのおじいさんたちはみな再エネ利権というところに、みんなちゃんと気づいてくれるといいのだけれどなあ・・・。

2024年8月19日(月)

土曜日に手伝いのパラナがガーニゼが卵を生みつけている場所を見つけたと、エドソンに知らせたそうで、夕方エドソンと一緒に行ってみると、ユーカリの木の並木の一段下のセドリーニョの並木の足元ではらった木の枝が積み上がっている場所にうまい具合に巣のような空間を作り卵を生みつけていた。でもこれはガーニゼの卵ではなく、鶏の卵だった。卵が白いのでおそらく白い鶏がこの場所を気に入って何日か続けてここに卵を生んだのだろうと思われる。いつもなら鶏小屋の中の卵を生みつけるための箱の中に卵を生むのだけれど、今、首に羽の生えていないガーニゼのメスがそこで卵を抱いて座り込んでいるので、遠慮してこんな場所を見つけたのだろうと思う。今後もここで安心して卵を生めるように6つある卵のうちの5つだけ取って、1つは残しておいた。全部取り上げると、その後同じ場所に生んでくれなくなるのだけれど、ひとつ残しておくと、また同じ場所で生んでくれるという習性が鶏やガーニゼにはあるみたい。

2024年8月20日(火)

次の写真は、家の西側の庭の端の土が削られた状態を撮ったもの。ここを削ってどうするのかな?と思っていたら、この土を入り口ゲートに向かう道の補修に使っていたので、その写真(2枚目)も撮ってみた。パラナはエドソンがあれをしてとか、これをしてとか言わなくても、自分からすることを考えて作業をすることがよくあるのだけれど、これも彼の率先から行われた作業。入り口ゲートに向かう道は車の出入りや雨でちょっとわだちがへこんででこぼこになったりするので、補修しようと考えたらしい。彼のイニシアチブには感謝。

2024年8月21日(水)

先週の半ばまでの6日間は冷え込む毎日だったのだけれど、木曜日から気温が上昇し始め、最低気温が一桁から10度台半ばになり、最高気温が30度を越え、31度とか32度の日々になった。屋外に出ると直射日光がかなり暑く感じる。この急激な気温の変化で、つい先日まで薄手の掛け布団の上に1枚毛布を追加して寝ていたのが、日曜日からは追加の毛布はもちろんのこと、薄手の掛け布団もとっぱらって寝ている。まだ気温が上がり始めて日が浅いので、家の中の気温はそれほど屋外の気温の影響を受けておらず、扇風機を回すほどではないので助かっている。でも、今からこんな気温だと、この夏はまた体温を越えるような猛暑なのかなと心配になる。予報ではこの土曜日に雨が降って気温が下がり、来週の水曜日まで最低気温が10度を下回り、最高気温も20度前後になるらしい。

2024年8月22日(木)

今月初め頃だったか、イーロン・マスクがカリフォルニア州がLGBT関連の法律を通したことに怒って、カリフォルニア州に本社を置いているスペースXと旧ツイッターのXをテキサス州に移転させると発表したそうだけれど、ブラジルではちょっと違った理由で、旧ツイッターのXの支店が閉鎖になり、ブラジルでの営業を止めるという発表があったとエドソンが言っていた。支店が閉鎖されてもXは使えるそうなのだけれど、ブラジル国内でのXのビジネスはできなくなるらしい。2年前のブラジル大統領選挙の際、X上でさまざまなフェイク情報が拡散されたのはXの責任みたいなことをブラジル連邦最高裁判所のひとりの過激な判事が言っていて、どうやら判事の命令に従えないということで撤退を決めたらしい。

8月20日付けのブラジル日報にも、「X社がブラジル事務所閉鎖発表=最高裁命令の履行が困難に」という記事があった。以下はその記事の無料で読める最初の段落のコピー。「SNS大手のX社は17日、同社のブラジル事務所の閉鎖を発表した。これは、最高裁(STF)アレシャンドレ・デ・モラエス判事の決定に従わなかったことで生じた同判事からの法的な圧力や命令が従業員に対する脅威となる可能性があったためだ。同社のサービスはブラジル内でも引き続き利用可能だと、17日付アジェンシア・ブラジルなどが報じた」

2024年8月23日(金)

広島はお盆を過ぎても暑いらしけれど、セミの声は心なしか元気がなく、遠くでツクツクボーシの鳴き声が聞こえてきたと友人からのメールにあった。こちらは冬の間ご無沙汰していたサビアーやチコチコの鳴き声が聞こえるようになった。そしてこの友人は、朝のラジオ体操の際、公園でセミの抜け殻とセミが地中から出てきた穴を見つけたと言ってそれらの写真を送ってきてくれた。ここでもたまに木の幹にセミの抜け殻がへばりついているのを見かけることがあるけれど、この写真のセミの抜け殻は葉っぱに並んでついているのでびっくり。そして、その木の下の穴を見て、それがセミが地中から出てきた穴だとわかるなんてすごい。

次の写真は、同じ友人が送ってきてくれた朝友さんのワンコのはるちゃんの写真。犬種は何だろう?コーギーかな?ラジオ体操が終わると、数人の友人達と木陰のベンチに腰を下ろして2~3曲一緒に歌を歌うのが日課なのだそう。その彼女たちの歌をベンチに座っておとなしく聞いてくれ、歌い終わると、飼い主さんがビスケットをあげたり、他の人がキャベツの芯をあげたりするのだけれど、実はこのはるちゃんは少し太りすぎなのでダイエット中なのだとか。うちのモビはガン治療中、薬の影響で肥満になってしまったけれど、同じくガンの手術と治療をしたうちのはるちゃんは、うまく食事のコントロールができて肥満にならず、むしろ亡くなる前は食べたくても思うように食事ができず、ガリガリに痩せてしまったなあと思い出した。

2024年8月24日(土)

水曜日は午前中にある事件が発生し、エドソンはその対応でいろいろ大変だったのだけれど、何とか問題を解決して2時半を少し回って帰宅したので、午後3時に予約していたエディナの美容室に1年半ぶりに行って髪を切ってもらうことができた。予約の時間に数分遅れたのだけれど、エディナは他のお客さんの髪を洗っているところで、声をかけると「まあ、お久しぶり」と笑顔で迎えてくれ、そのお客さんの洗髪が終わるまで少し待った。何年も前からもう毛染めなどせず、ただおかっぱに切ってもらうだけなので、30分ほどで終わり、帰宅することができた。髪が短くなって頭がすっきり軽くなった。

次の写真は、木曜日の朝撮った家の西側の桜と、家の北側の庭の一番手前の桜。例年なら8月下旬の今頃は桜はもう終わって緑の葉が茂り始めている頃だけれど、今年は遅れに遅れて、少しずつ少しずつ花開くのが続いている。ようやく花の数が増えてきたけれど、まだまだまばらで満開には程遠い。と言うか、この調子だと今年は満開にはならないのかな?

2024年8月25日(日)

食堂の窓辺の棚に置いたスパティフィラムが1本花芽を伸ばし始めた。そして、水をやる際によく見たら葉の間にもう1本花芽が出始めていたので写真を撮ってみた。伸びている花芽は画面左上に見え、芽が出始めた花芽は画面中央、まだ葉の間に埋もれている。ここに置いたスパティフィラムは葉が青々と茂ってとても元気で、去年くらいから花を咲かせるようになったように思う。

2024年8月26日(月)

以前から何度も書いているけれど、土曜日の午後は私の英語のレッスンが2つ続くので、ほぼ毎週エドソンが夕飯を作ってくれとても助かっている。この土曜日の夕飯も牛肉をトマトと一緒にローストしたものを作ってくれ、お皿に盛り付けてみると彩りが良いので写真を撮ってみた。牛肉のローストの他にジャガイモをネギとにんにくとオリーブ油と酢で和えたサラダも作ってくれた。ベーコンと一緒に煮た白い豆は、二週間くらい前にエドソンが食べたいからと言って買ってきていた白い豆を何日か前に煮て作ってくれたものを、少しずつ食事に添えて食べている。ブロッコリはいつもの花ブロッコリではなく、普通のブロッコリだけれど、花ブロッコリ同様、少しまとめて茹でて保存し、毎食のように添えて食べている。

2024年8月27日(火)

先日、昼食後のワンコたちとのお散歩からの帰り道、離れから家に向かう小路を通る際、その道沿いの桜の花の様子を見ていたら、桜の木の側のサンタバーバラの木に花が咲いているのに気づいたので写真を撮った。木の上の方で花が咲いているので、見上げて良く見ないと気づかない感じなのだけれど、ああたくさん咲いているなと思った。今年の桜の開花はいつになく遅いうえに、まばらだけれど、サンタバーバラの開花は気候に影響されなかったみたい。

2024年8月28日(水)

先週の土曜日から気温が下がりまた寒くなった。毎朝の最低気温が4~5度だったのだけれど、昨日は2度とこの冬一番の冷え込みになった。もうそろそろ春と言う時期にこの寒さは珍しい。一時暖かくなっていたので取り除いていたひろの毛布を再度出してあげたら、ひろは朝食後とか、昼食後のお散歩の後は寝室のベッドの中で毛布にくるまって過ごすようになった。ひろは戸外がとても寒くてもまったく気にする感じはなく元気にお散歩をするけれど、家の中ではぬくぬくしていたいようだ。もしうちにこたつがあったら、ひろはきっとこたつの中で丸まって過ごすのではないかと思う。でも、外のめいが吠えたり、外で何か音がすると、寝室から出てきて吠えたり、耳をすませたりする。次の写真は、何かの音に反応してストーブの前まで出てきて、じっと耳をすませて注意を払っていたので写真を撮ってみた。そして、何でもないなとわかると、また寝室に戻って行った。夜も夕食後に寝室のベッドに行くのだけれど、8時を過ぎると時々私のところにやってきて、「もうそろそろ寝る時間だよね。オシッコ」と言う顔をして私を見つめてくるのだけれど、寝る準備をするにはまだ少し早いから「もう少しナナネネ(お寝んね)してて」と言うと、回れ右をして寝室に戻ってくれる。

2024年8月29日(木)

今日はブラジルのニュースを2つ。1つ目は、ベネズエラの大統領選挙の結果、証拠を見せることなく勝利宣言をし、最高裁にもマドゥーロの勝利を発表させたマドゥーロ大統領だけれど、中南米の10ヶ国がちゃんとした証拠を提示できなければマドゥーロをベネズエラの大統領とは認めないという声明を連名で出そうとしているのに、マドゥーロの独裁が大好きなブラジル大統領のルーラは、その声明に加わるかどうか決められず、沈黙を続けているのだそう。困ったものだ。

2つ目のニュースは、先週からサンパウロ州西部で非常に大規模な火災が発生していて、空軍も大きな輸送機を出して空から水をまいたりしているらしいのだけれど、なかなか鎮火させることができないらしい。先週末から寒気団が南から来ているため、火災の煙がその南からの風で、サンパウロ州よりも北でブラジル中央に位置する首都のブラジリアにまで到達しているというニュースがあった。ブラジル日報の報道によると、「22日午後から始まったサンパウロ州内陸部での火災は、26日朝のタルシジオ知事の発言によりやっと出火地点ゼロが確認されるほど大規模なもので、州農業供給局が26日午後、同時点までに判明した農業生産者の被害額は10億レアルと発表した」という莫大な経済的損失が出ているようだ。サンパウロ州西部は穀倉地帯なので、主にさとうきび畑やとうもろこし畑が燃えているらしいのだけれど、このサンパウロ州の林野火災の原因は100%人的なもので、誰かが火をつけたからということだった。ブラジルでは乾季の冬に畑などに火をつける人がよくいるらしく、その病名は忘れたけれど、そういうことをする病気の人がいるのだそう。これも困ったものだ。Youtubeでこのニュースを扱っている短い動画があったので、ポルトガル語だけれどリンクをはってみる。この動画サイトは、こちらへ

2024年8月30日(金)

エドソンは彼の会社のWeb Siteを作ろうと思いながら、忙しくてずっとできなかったのだけれど、先日ようやく作ったというので、そのサイトのスクショ(以下)を送ってもらった。徹底的にシンプルにしたかったので、こんな風にしたということだった。会社の簡単だけれど具体的な概要と連絡先だけという本当にシンプルなもの。私のように彼の専門技術分野のことを知らない人にとってはちんぷんかんぷんだけれど、こういう専門技術を必要としている人にとっては容易に理解できるのだろうなと思う。なので、これがあるとないとではだいぶ違うのではないかと思う。

2024年8月31日(土)

次の写真は、鶏小屋の中の卵を産みつけるための箱の中で、卵を抱いているガーニゼ。このガーニゼはうちに来て以来、一番頻繁に卵をかえしてひなを育ててきている大ベテランのお母さん。去年2回ひなをかえし、今年も前半に2羽のひなをかえし、今回また卵を抱いているので、毎年2回卵を抱いて子育てしていることになる。このガーニゼは首に羽が生えていないタイプで、他のメスから煙たがられていたけれど、今ではこの子が生んだ子供たちの数が増え、ひなが大きくなって子育てが終わっても、子供たちが彼女の回りにいつもいるからか、他のメスたちとの関係性も今ではあまり悪くないように思う。

先日、X(旧ツイッター)のオーナーであるイーロン・マスクが、Xのブラジルオフィスを閉鎖すると発表したけれど、サービスは継続されると、このブログで書いた。その件に関してさらに今度はブラジル最高裁のクレージーな判事が、Xのサービスを停止する命令を出したとエドソンが言っていた。そうしたら、そのことに関する日本語の記事がJIJI.COMのニュースで8月31日付けのYahooニュースに出ていたので、その記事『ブラジル最高裁、Xサービス停止命令 アカウント凍結拒否 マスク氏「言論の自由破壊」と批判』へのリンクを以下にはってみる。この記事のサイトは、こちらへ



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