Kyoko Yoshida Life in Brazil BLOG 

2024年7月1日(月)

何年前から作り始めたのか記憶にないけれど、手作りパンを作り始めてから何年も飽きずにずっとそればかりを朝食で食べていた。でも、ここ1~2年くらいさすがに頻繁に手作りするのもちょっとしんどくなって、食パンだったり、コーンブレッドやパオンジーニョだったりを買った際はそれらを食べ、その合間にバナナを大量消費しなければならない時に作って冷凍しておいたバナナブレッドを食べるようになり、手作りパンはエドソンから久しぶりに作ってと言われれば作ると言う感じになっていた。そして先日、またエドソンが手作りパンが食べたいと言うので、ずいぶん久しぶりにパンを焼いた。しばらく作っておらず、久しぶりだったのだけれど、いい感じに膨らんでくれたので記念に写真を撮ってみた。

2024年7月2日(火)

次の写真は、この土曜日にエドソンが作ってくれた夕食。私がエジミウソンとのレッスンをしている間に、ポークリブとマンジォカ芋を煮て作ってくれたもの。写真の手前の茶色いものは、カリオカ豆をベーコンとオリーブで煮た煮豆。これらはどちらも圧力鍋を使って調理するのだけれど、うちには圧力鍋はひとつしかないので両方を一度に作れない。それで煮豆は金曜日に作って、すでに一部は金曜日の夕食でチキンのソテーと一緒に食べたその残り。これらの料理には特に名前などないのだけれど、まさにブラジル料理と言えるものなので、写真を撮ってみた。

2024年7月3日(水)

次の写真は、この土曜日に手伝いのパラナが収穫してきてくれたうちのオレンジ。色が黄色くなく、まだ緑色なので、収穫は早すぎたんじゃない?とエドソンに聞くと、このぐらいで収穫して置いているうちに黄色くなるくらいの方がおいしいんだとパラナが言っていたということだった。と言うことは、バナナも黄色くなる前に、まだ緑色の時に買ったり収穫したりして、黄色くなってから食べるので、バナナと同じような感じなんだね。知らなかった。

2024年7月4日(木)

次の写真は、寝室のベッドの中のひろを撮ったもの。毛布の中にいるので見えないけれど、冬の間は、朝一番のお散歩から戻ると、寝室のベッドに戻って、私たちが朝食を食べ始めると食堂にやって来る。そして、私たちの朝食が終わって、ひろに朝ご飯をあげると、また寝室のベッドの中に潜り込んで、お昼近くまでずっとこんな感じで過ごすことが多い。暖かい時期は家事をする私の後をついて回ったり、居間のベッドや食堂のケージの中にいることが多いのだけれど、寒い時期はこうやって丸まっていたいらしい。2枚目の写真は、1枚目の写真を撮って、しばらく寝室と台所を行ったり来たり家事をした後、ベッドメーキングをしようと寝室に行くと、少し顔を出していたので撮ったもの。カメラを向けると大きなあくびをしたので、そこをパチリ。

2024年7月5日(金)

次の写真は、エドソンがパーディーニョのスーパーで買ってきたオクラ。エドソンがいつも行くスーパーは小さなスーパーなので、お店の人は常連客のことをちゃんと憶えていて、エドソンのこともよく知っている。だからまだ店頭に出していなくても、「今日はオクラがありますよ。いりますか?」とか声をかけてくれるのだそう。そう言われたら、「じゃあください」と言うのが常で、普通だったらパックに詰めて販売するところ、まだその準備ができていないので、この写真のように適当に袋に入れてくれたものを買ってくる。このスーパーは毎週水曜日の朝、サンパウロではなく、カンピーナスの卸売市場に仕入れに行くので、エドソンは水曜日の午後、買い物に行くのだけれど、このオクラのようにお昼を過ぎてもパックに詰める作業をして店頭に出す準備ができていないこともよくあるみたい。そして、この日は白菜も仕入れてきていると言われ、白菜も買ってきてくれた。ブラジルに来てから、お店にあるオクラはとても大きくて硬いので、食べられたものじゃないしろものだったので、ブラジルの人はオクラの収穫時期がわかっていないのかなと思っていたけれど、最近、このスーパーで販売されているオクラは日本でも見かけるような小さいサイズで柔らかいものなので、よく買うようになった。

2024年7月6日(土)

次の写真は、エドソンが「ブラジルのふりかけ」と呼んでるもの。隣町の大きなスーパー・コンフィアンサで見つけて以来、時々買っている。写真の左側が買ってきたもので、これを開封した後、湿気させないために、右側のガラスビンに入れて使っている。エドソンはこれをふりかけのようにご飯にかけて時々食べている。容器に貼られたシールを見てみると、乾燥させたセロリ、ニンニク、玉ねぎ、タイム、オレガノ、とうがらし、いんげん、コショウ、マスタードなどが入っていると記載されている。私はこれをご飯にかけて食べることはないけれど、これをパン粉と粉チーズと一緒に混ぜて、チキンカツの衣にしたらおいしいかもと思い、やってみると、ピンポン!なかなかおいしいチキンカツができあがった。

2024年7月7日(日)

私は朝起きると、一番に寝室、居間、食堂のカーテンを開けて回るのだけれど、居間のカーテンを開けると次の写真のような光景がほぼ毎日のように見える。エサはまだですか~?という感じで、私が出てくるのを待っているのだと思う。この後、着替えて、ひろと一緒に朝一番のお散歩に出て、戻ってからようやく畑で鳥たちにエサをあげるという順番になっている。それでひろとお散歩から戻ると、いよいよエサの時間だと理解し、みんなぞろぞろと畑に移動する。次の写真は、カーテンを開けた後、居間の窓から左、右、中央の順番に撮った写真。2枚目の写真では、めいが右側にいるガーニゼ(写っていないけれど)を見ている。

2024年7月8日(月)

以前、パラナがまいた種から芽が出て育ち、小さなスイカがなっていると言ってその写真を掲載したことがある。そのスイカをいつ収穫したらいいんだろう?とエドソンに言うと、パラナに任せようということになった。それからしばらくした先日、パラナが収穫してきてくれたので、数日食堂の棚の果物を入れるカゴに入れて置いておいた。するとお尻の部分が傷んできて汁が出てきてしまった。こうなると、それ以上置いておけないので、半分に切ってみたのだけれど、まだ熟しておらず、あまりきれいに赤くなっていなかった。食べられる状態ではなかったので、代わりに畑の鳥たちに食べてもらった。もうひとつのスイカはまだ傷んでいないので、そのまま置いているのだけれど、これもやはりちゃんと熟していないかもねと、エドソンに言うと、熟していなければ鳥にあげればいいよと言っていた。

2024年7月9日(火)

1~2週間前に手伝いのパラナが、昨日掲載したスイカの近くで育っていたマシシという野菜を収穫してきてくれたので、容器(写真左側)に入れて冷蔵庫で保存していたのだけれど、この土曜日にまた新たにマシシを収穫してきてくれた(写真右側)ので、まだ前に収穫したものを食べていないから食べなくてはと、お尻に火がついた。それでトゲトゲの皮をむいて、スライスしてフライパンで炒めて(2枚目の写真)夕飯のお肉の付け合わせにした。マシシの調理の仕方はこれ以外知らないので、残りもまた炒めて食べるしかないなと思っている。マシシは特別強い味はなく、炒めてお肉の付け合わせにするのに何の問題もない。畑が鳥たちの遊び場というか生活の場になって以来、畑ではもう何も作っていないのだけれど、こうやってパラナが入り口ゲートの近くであれやこれや育てているので、実がなったらその恩恵に預かっている。

2024年7月10日(水)

次の写真は、広島の友人が毎朝参加しているラジオ体操が行われる公園で撮ったきのこいろいろ。1枚目は姫日傘一夜ダケ。2枚目はササクレヒトヨダケ。3枚目はヒメホコリタケだそう。1枚目の姫日傘一夜ダケは以前も写真を送ってきてくれたことがあり、うちのランドマークの木の下に生えてくるものと同じだと思ったことがある。他のふたつはここでは見かけないなあ。

2024年7月11日(木)

先週、階下の冷蔵庫に何かを取りに行った際、床に置いた箱の中に大量のバナナが入っていたので、このバナナどうしたの?とエドソンに聞くと、我が家で収穫したバナナだと言っていた。ほとんどがまだ緑色だったけれど、黄色くなっているものもあった。それからしばらくして、エドソンが一部黄色くなったバナナを上に持ってきてくれた。次の写真は、食堂の棚の上の果物カゴに入れたそれらのバナナ。写真の後ろ側のバナナはスーパーで買ってきたもので、まだ食べきれていない。右側は食べれるかどうかわからない我が家で採れたスイカ。左側に少し見える緑色のものは、スーパーで買ったアテモヤ。そして中央に我が家で収穫した小さめだけれど大量のバナナ。量が多いので、毎朝エドソンとふたりでひとつずつ食べても消費が追いつかないね、どうしようと言ったら、これでバナナスムージーを作ってみたら?と言うので、ちょうどアボカドスムージーがなくなって、お隣からもらってきたアボカドがまだ固くてスムージーを作れない状況なので、代わりにバナナスムージーを作ってみることにした。2枚目の写真は、アボカドスムージーと同じようにココナツミルクパウダーなどを混ぜて作ってみたバナナスムージー。なかなかおいしかった。昼食の時に、エドソンにも味見をしてもらうと、「おいしい!」と言って喜んでくれた。バナナを10本使ったのだけれど、次回はもう少しバナナを増やして、濃くしてもいいかなと思った。

2024年7月12日(金)

ブラジル日報の7月9日付けの記者コラムに、おもしろい記事があったので、以下にその記事のサイトにリンクをはってみる。《記者コラム》渋沢栄一の隠し子ブラジル移住説?=あちこちに残る「痕跡」や「足跡」という記事のサイトは、こちらへ

2024年7月13日(土)

チャネルくららの「渡瀬祐哉の切り捨て御免」という番組で、「都知事選2位石丸伸二氏 新党構想終了か?」というタイトルで、都知事選の総括をしていた。なかなか辛辣で的を射ていておもしろかったので、以下にリンクをはってみる。このサイトは、こちらへ

石丸さんという人は、選挙前から訴訟を2つもかかえていて、市長としての実績を何もあげていないのに、任期終了前に仕事を投げ出して都知事選に出るという時点で、何なんだろうこの人?と思っていたけれど、知れば知るほど危ない人だなと思った。ちなみに、安芸高田市長時代に中国新聞の記者とバトルになるきっかけとなった記者会見のビデオをたまたま見たのだけれど、何のことはない、彼の聞き間違いというか、思い違いで中国新聞の記者を罵倒し始めたということがわかり、この人は自分が絶対正しくて、非は常に他人にあると思っているような人なんだなと思った。自分の非を認めたら死ぬ病気にでもかかっているのかもしれない。

2024年7月14日(日)

先月中旬から下旬にかけて、気の早い桜の花が少し咲き始めたので写真を掲載したけれど、その後ずっと変化がなく、もう7月も半ばだと言うのに、桜が開花しない。例年なら7月の上旬くらいから本格的に花が咲き始めるのに、今年は一体どうしたのだろう?5月の下旬に最低気温が5度以下になる寒い日々が1週間くらい続き、連日薪ストーブに火を入れたけれど、その後は比較的穏やかで例年より暖かいので、開花の時期がわからなくなっているのだろうか?次の写真は、家の西側の庭の一番手前の桜の木を撮ったもの。中央に花が小さく見えるけれど、それ以外はまったく開花していない。この木だけでなく、家の前の庭も、道沿いの桜並木も、離れの前の桜も、入り口ゲート横の桜も、つぼみが膨らんですらいない。先週は前半冷え込み、後半も薪ストーブを使うまでではなかったけれど、少し寒い日々だったので、つぼみが目を覚ましてくれるといいのだけれど・・・。

2024年7月15日(月)

13日土曜日の夜8時頃(日本時間は日曜日の午前8時頃)、Youtubeを見ていて「カナダ人ニュース」のやまたつさんの「速報 トランプ大統領銃撃」というのがどんと上がって来たので、びっくりしてすぐに見てみた。その時点では詳細はわからないけれど、命には別状はないということでとりあえずほっとした。以前からトランプさんの身が危険なのは懸念されてはいたけれど、バイデンが民主党内からも大統領選から退くようにという要望が出てきているような状態で、民主党のメガドナーの人たちが大統領選への資金援助を停止したりして、おそらく民主党がどんなにあがいて不正をしてもトランプさんが勝利するだろうという状況になってきていたので、とうとう来たかという感じだった。この件に関して、何人かのYoutubeを見てみたけれど、飯山陽ちゃんねるで【トランプ暗殺未遂!】安倍氏の事件との奇妙な共通点?!と題して話しているのが一番情報量が多く、問題の本質を明確に指摘していたので、以下にそのサイトへのリンクをはってみる。民主党やメディアがトランプは民主主義の敵だとか、もう何年もネガティブキャンペーンを行ってきたことが原因だから、メディアや民主党に責任があるということを話していたけれど、その通りだなと思った。安倍さんが暗殺された後、あっち系の人たちが行っていた東京での何かの集会で、参加者が容疑者に対して「でかした!」とか言っていたのを苦々しく思い出した。このサイトは、こちらへ

2024年7月16日(火)

次の写真は、先日エドソンがパーディーニョ市役所からもらってきた我が家の住居表示。これを我が家の入り口ゲートに取り付けないといけないらしい。私たちが暮らしている田舎町の農村地帯にはちゃんとした住所などなく、我が家の前を通っている道も、一応、Estrada da Raiaとなっているけれど、道にそのような標識は出ておらず、市で正式に登録されている名前でもないらしい。だからその住所を頼りにここに来ようとしても無理。GPS情報を使って配達してくれるメルカド・リブレ以外の宅配サービスなどは、ここでは受け取れない。郵便物も配達がないので郵便局で私書箱を毎年料金を支払って借りている。でも、最近サンパウロ州政府がGPSとグーグルを利用して登録された家の位置を検索することができるシステムを開発したそうで、車のナンバープレートよりもだいぶ大きなこの住所プレートには、GPSの長い数字の羅列の位置情報ではなく、独自の数字とアルファベットが組み合わさったものが記載されていて、これをグーグルに入力するとその家の位置がわかるのだそう。だから、これからはこの正式な位置情報があれば宅配サービスを利用することも可能になるらしい。

2024年7月17日(水)

次の写真は、先日の午前中、玄関先の外階段沿いのサツキのところでガーニゼと鶏が数羽じっとして静かにたたずんでいたので玄関から撮ったもの。ダンちゃんたちもそうだけれど、ガーニゼと鶏は、家の西側の庭の桜の木の下や、このサツキの下がとても好きなようで、特にこのサツキの下でじっと座っていたり、こんな風に静かにたたずんでいたりする。こういう鳥たちの姿を見るこ、長閑でいいなと思う。

2024年7月18日(木)

エドソンがコーンケーキミックスを買ってきたので、早速それを使ってコーンケーキを作ってみた。1枚目の写真は、このコーンケーキミックスの粉が入っていた袋。その袋にBolo Cremosoとあるのはクリーミーなケーキという意味で、その下にあるMILHOというのがとうもろこしという意味。つまりクリーミーなコーンケーキということ。オーブンに入れて30分焼くところを、うっかり50分も焼いてしまったため、焼きあがりがちょっと茶色くなってしまい、しっとりはしていたけれど、クリーミーな状態ではなくなっていた。失敗。失敗。

2024年7月19日(金)

ブラジル日報の7月18日付けの記事に、「アマゾナス州=昨年以上の干ばつか=同州政府が懸念表明」という記事があった。去年もアマゾンはかなりの干ばつでアマゾン河の水位がかなり下がったため、道路などないアマゾン流域で移動を船に頼るしかない集落が孤立するということがたくさん起こっているというニュースを見た憶えがあるけれど、今年は去年以上の干ばつになりそうだと言うことは、その影響で、今年の夏もまた熱波が来て異常に暑くなったり、まだ大規模な水害から立ち直っていないブラジル最南部のヒオ・グランジ・ド・スーウ州がまた水害に見舞われるということになるのだろうか?と、不安になる。この記事は購読料を払っていない人は読めない記事なので、誰でも読める最初の一段落だけを以下にコピーしてみる。ちなみに、話は違うのだけれど、普通のニュースではまったく見ないけれど、今中国では大雨と、ダムの決壊を防ぐために、ダムから大量に放出される水により、各地で大洪水になっているというニュースを先日Youtubeで見た。下水道設備などが整っていない中国で、町が水に浸かると、変な病気が蔓延して、また世界を巻き込むようなことにならなければいいのだけれどとも思っている

「アマゾナス州南西部にあり、人口1万7千人強のエンヴィラ市では近年で最大となる可能性がある干ばつの影響が出始めており、既に約1万人が地域社会の孤立や船舶の座礁、資材供給上の問題などで苦しんでいると17日付G1サイトが報じた」

2024年7月20日(土)

昨日7月19日(金)に世界的なシステム障害が発生したらしい。世界中の空港でチェックインができなくなったり、銀行のシステムがダウンしたり、日本でも大阪のユニバーサル・スタジオ・ジャパンが営業を取りやめたり、様々な障害が発生したということだった。うちのコンピュータはLinuxなので、Windowsの障害は基本関係ないのだけれど、エドソンはひとつだけWindowsのPCを持っているので、大丈夫だった?と聞くと、システム障害が発生したのは企業のシステムで、個人のものは関係ないんだよと言っていた。ブラジルは他の国々と比べて被害は少なかったらしいけれど、Bradescoという銀行のシステムがダウンして使えなかったらしいとも言っていた。金融機関は安全のためにWindowsではなくLinuxのシステムを使うのが常識だと思うのだけれど、今でもWindowsを使っているところがあるんだねと、ちょっと驚いた。

何十年も前に、オール電化のマンションとかいう宣伝文句を聞いた際、停電になったら高層マンションの上層階暮らしだったらエレベーターが使えなくて大変と思った記憶がある。それに調理に必要なレンジがガスではなく電気だったら、お料理もできず、本当に何もできなくなる。だからリスクは分散させた方がいいのではないかと思っていた。そのことをアメリカ人の友人に言うと、停電なんてめったに起きないんだから関係ないとか言っていたけれど、地震とか巨大台風とか、日本は災害が多いのだからすべてを電気に頼るのは、やはり良くないよねと今でも思う。ここの暮らしなんて、お天気にあまり関係なくよく停電になるので、電気がなくてもガスレンジのお陰で、料理をして食べることができるのはありがたい。ああ、そうそう、6月末だったか、お天気はいいのに朝起きたら停電していたことがあった。エドソンがカロリナ・ソイルやパーディーニョの町へ様子を見に行くと、カロリナ・ソイルよりもずっと南寄りの、カフェ・クエスタの手前辺りで、午前6時前に車が電信柱に突っ込んで、電信柱を倒してしまうという事故を起こしたため、この辺一帯が停電しているということがわかったのだけれど、その日はエドソンがガレージから発電機を出して、電気をつないでくれたので、冷蔵庫やコンピュータなどは使うことができたので、私たちに大きな被害はなかった。そして、夕方になってから電気が復旧したので、やれやれだった。

2024年7月21日(日)

敷地内の桜はいまだに開花する様子がないのだけれど、食堂の食卓の上に置いた3つのランの鉢のうち2つの鉢のランにつぼみがつき始め、そのうちの一番背の高いランの花が開き始めた。さらに食堂下の箱庭のダリアも花が咲き始めた。

2024年7月22日(月)

先日、Youtubeの「飯山あかりちゃんねる」で産経新聞の記事を引用して、「【ズルイ!】難民申請家族4人で年収417万円?!」という話をしていた。私は東京で暮らしていた頃、2000年代後半くらいに東京YWCAの関係でクルド人の男性と関わったことがあった。その頃、難民申請をしている人たちは、日本で難民申請をしている間は、ビザがないので働けないはずじゃなかったかな?だからアムネスティとか難民を支援するNPOなんかが彼らに住む場所を提供したり、生活費を支援したりしていたけれど、それだけでは暮らして行けないので、ビザがないので違法なんだけれど、居酒屋さんとかでアルバイトをして生活費を稼いでいたように記憶している。それが今では困窮者に外務省から支援金が出たり、難民ビザというものを与えられ、合法的に働ける人もいるなんて、昔は聞いたことなかった。難民ビザというのは2008年頃の悪夢の民主党政権時代に作られた法律ということだから、私がクルド人難民の男性と関わっていた後にできた法律のようなので、ああそう言うことかと思った。でも、困窮者に支援金が出るようになったのは2000年よりも前のようなので、そんな話は当時聞いたことがなかったなあと思った。この「飯山あかりちゃんねる」のサイトは、こちらへ

2024年7月23日(火)

この土曜日、手伝いのパラナが畑の隅にあるガーニゼの小屋の横で、羽色の濃いメスが座り込んでいるのを発見。どうやら卵を抱いているらしいということだった。夕方エドソンと一緒にカメラを持って見に行ってみると、ガーニゼの小屋のすぐ横に生えている植物の後ろ、黒いネットの上で座り込んでいたので写真を撮ってみた。どこで卵を抱くかをどういう基準で決めるのかよくわからないけれど、ここならパッと見て、存在が見えない場所ではあるなと思った。1枚目の写真は、その座り込んでいるメスをアップで撮ったもの。2枚目は、この子が座り込んでいる場所の周りがどんな感じがわかるように撮ったもの。植物の前のレンガはエドソンがこの子のためにわざと置いたらしい。

2024年7月24日(水)

数日前に広島の友人から届いたメールで、広島もそろそろ梅雨明けのようで、蝉の声がすごく、暑いと言っていた。そして、雨上がりの朝撮ったヘクソカズラの花と、純白で良い香りのくちなしの花と、ムクゲの花の写真を送ってきてくれた。へクソカズラは花は可愛いのに名前が何とも言えない名前で、この名前を聞く度にちょっとクスッとしていまう。くちなしはここでは11月に咲くので、夏の花なんだなと思う。ムクゲはハイビスカスや芙蓉の花の仲間なので、ムクゲだと言うことを知らずに見たら、私ならきっと芙蓉の花と思うだろうな。

2024年7月25日(木)

この土曜日に手伝いに来てくれたパラナともう一人の男性が、森から運んできた古くて太い木の幹を庭の桜の木の側に置いて、ランやシダのような植物を移植してくれた。それが次の写真。右側に見えるフランボヤンの木を切った幹の部分にたくさんランを移植してくれていたのだけれど、一部をこちらの枯木の方に移植し、あらたに森から採ってきたランも移植してくれたようだ。2枚目の写真は、同じ場所を少し角度を変えて撮ったもの。

2024年7月26日(金)

次の写真は、家の前の庭の低いブロック塀の上に並んだ植木鉢をベランダから撮ったもの。畑が鳥たちの生活の場になってしまって以来、もう何も育てられなくなっていたのだけれど、このブロックの上に大きめの植木鉢を置いて細々とニラとネギだけは育てて食べていた。そうしたら、最近エドソンが新たに小さめの四角い植木鉢とカロリナ・ソイルの腐葉土を買ってきて、ここで小さな畑を作ると言い出した。そして、先週の土曜日にパラナと一緒に植木鉢に腐葉土を入れて、買ってきた苗を植え付けてくれた。2枚目の写真は、列の右側を撮ったもので、牛乳のテトラパックを利用して数ヶ月前から私が育てているアボカド。アボカドを食べた後、その種をテトラパックに入れた土の中に植えたもの。7つのテトラパックの内、4つから小さな芽が出てきている。写真では真ん中の2つから芽が伸びているのがわかる。3枚目の写真は、列の左側の新しい植木鉢を撮ったもの。左からバジル、ネギ、バジル、タイムの苗がそれぞれ植えられている。ネギはちょっとぎゅうぎゅうに植えられているので、もう少しスペースをあけないとうまく育たないんじゃないかな?と思ったので、そのことをエドソンに言うと、この写真を撮った後で、ネギの鉢を2つ3つ増やして、植え直してくれた。

2024年7月27日(土)

太平洋戦争勃発後、アメリカでは主に西海岸に住む日本人やアメリカ生まれで米国籍を有していても日系人であれば、マンザナールなど、荒野に造られたあちこちの強制収容所に、戦争が終わるまで収容されるということがあった事実は、それに関する書籍もたくさんあるのでよく知られている。一方、ブラジルでは強制収容はなかったけれど、似たようなことがあったことはあまり知られていないかもしれない。ブラジルへの日本人移民が船で最初に到着するサンパウロ州の大西洋岸にあるサントスという町で暮らしていた日本人や日系人(多くは沖縄出身)が、戦争勃発後、24時間以内に立ち退きを突然命じられ、家財道具も財産も打ち捨てて強制的にサンパウロ行きの汽車に乗せられて、サントスを追い出されるということがあった。そのことに対する政府としての正式な謝罪を日系社会は長年求めてきていたのだけれど、この25日にブラジル連邦政府が正式に謝罪することを決めたというニュースが、7月26日付けブラジル日報の記事にあった。「ブラジル連邦政府が正式に謝罪=大戦に関わる日本移民迫害に=80年前の人権侵害の歴史見直し」という記事のサイトは、こちらへ

以下は、この記事の最初の段落のみをコピーしたもの。

「人権市民権省の恩赦(アネスチア)委員会(エネア・アルメイダ委員長)は25日午後2時からブラジリアの同省講堂で、戦中戦後の日本移民コミュニティ迫害に対する政府謝罪の審議を行い12対0で可決、同委員長はその場で謝罪した。当日はサンパウロからブラジル沖縄県人会(高良律正会長)が呼びかけたバスツアー参加者約60人に加え、サンパウロ市から20人以上が飛行機で参加。首都からも日系人らが出席し、講堂は約100人の満員となった。沖縄以外の県人を代表して、ブラジル都道府県人会連合会の谷口ジョゼ会長も駆け付けた」

2024年7月28日(日)

先の大戦でのブラジル政府の日本人移民に対する人権侵害に対し、ブラジル政府が正式に謝罪することが決まったという昨日掲載したブラジル日報の記事に続き、7月27日付けでは、それに関してもう1本記事が掲載されていたので、その記事にもリンクをはってみる。

謝罪決定=恩赦委員会でのブラジル政府の声=「差別の悲劇を繰り返さないために」=日系社会の存在意義を再確認という記事のサイトは、こちらへ

2024年7月29日(月)

この土曜日の午前中、久しぶりに隣町の日系食料品店のウエノへ買い物に行った。まず欲しかったのは日本米。5キロの袋を2袋買った。1袋49レアルだった。南部の州の水害で、お米不足になることが見込まれていたので、大量に仕入れたのだけれど、思ったように売れず、消費期限が迫って来てしまったので、値段を下げて販売しているんだとお店のご主人が言っていた。こちらは消費期限過ぎだろうが構わないけれど、お店は政府のルールに従わざるを得ないらしい。こちらとしては値段が下げられているのはうれしい。そして、焼きそば、かつお節、わかめ、紅白まんじゅう、らっきょう、福神漬け、こんにゃく、ちくわ、納豆、みそ、焼きそばソース、料理酒、しょうゆ、そして、抹茶。しょうゆはキッコーマンと見間違えそうなデザインだけれど、キッコーマンではなくワダカンという青森の醤油メーカーのものだった。焼きそばは、ずいぶん前に焼きそばソースをきらしていたので、焼きそばを作る時はウスターソースとケチャップを混ぜてソースを作っていたのだけれど、今回おたふくソースではなかったけれど、広島の焼きそばソースというのがあったので買ってみた。この他写真には写っていないけれど、お豆腐も買った。これでしばらくはかなり豊かな食生活が送れそう。感謝。

2024年7月30日(火)

このところ我が家でたくさん収穫できたバナナとオレンジを消費するために、せっせとオレンジを絞ってジュースにしたり、バナナでバナナスムージーを作ったりと、うれしい悲鳴をあげながら格闘している。そうしたらエドソンが、朝食でいつも食べている野菜サラダの代わりに果物とブロッコリといった野菜を混ぜてジュースを作って飲もうと言い出した。そうすることでバナナとオレンジをうまく消費することができるからそれはいいかもと思い、取り合えずバナナ、りんご、オレンジの絞り汁、茹でたブロッコリの葉、人参を混ぜてジュースを作ってみた。

2024年7月31日(水)

ずっと以前から、小豆は身体にとても良いから毎日でも小豆を食べると良いということは聞いて知っていた。いつだったかずいぶん前に一度小豆をお米と混ぜて炊いて、食べたこともあった。でも、それを続けることはしていなかった。そうしたら先日Youtubeで小豆を毎日食べると良い、小豆は健康食品と話しているドクターがいたので、そうなんだよねと思い、ようやく重い腰をあげた。そして先日小豆を水に浸して、半分は保存用に容器に入れ、半分はお砂糖など加えずただ柔らかく煮ただけのものを作ってみた。これをご飯に混ぜて炊いて豆ご飯にしたり、朝食の時にトーストに乗せて、少量ずつ毎日のように食べ始めた。洋菓子は小麦粉、お砂糖、油が使われているから糖尿病の人は食べてはいけないけれど、和菓子はそれらが使われていないし、小豆が使われているので、糖尿病の人でも食べてもいいのだとか。小豆パワーで健康維持ができたらなと思っている。



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