Kyoko Yoshida Life in Brazil BLOG 

2024年6月1日(土)

私が英語のプライベートレッスンで使っているテキストは、アメリカで出版されたものを、日本で買って持ってきたもの。ブラジルでは入手できないので、生徒さんにはそれをコピーしたりプリントしたりして渡している。それで私のコンピュータテーブルの上のコピー機やプリンターが大活躍なのだけれど、コピー機のインクカートリッジは値段が高くて、すぐなくなる半面、プリンターのレーザートナーカートリッジはずいぶん長く何年ももってくれると言う違いがある。でも、さすがに最近印刷が薄くなってきていて、トナーが終わりそうな感じになってきたので、エドソンに頼んで、メルカドリブレで注文して買ってもらった。次の写真は、昨日届いたレーザートナーカートリッジと印刷用の用紙。トナーがなくなり印刷できなくなる前に入手できたので、しばらく不安なく印刷を続けることができることになり、ほっとひと安心。

2024年6月2日(日)

私は毎日Youtubeでいくつか番組を見ているのだけれど、最近、元産経新聞記者の三枝玄太郎という人の、「三枝玄太郎チャンネル」というのを見るようになった。衆院補選東京第15区の様子を見ていて、彼の番組がお薦めで上がってきたのがきっかけだったのだけれど、保守的な論調で的を射たことを言っていることに好感を覚え、以来よく見るようになった。先日、「日中韓FTAを社説で絶賛する朝日新聞 冗談じゃない。高笑いするのは中国だけ。日本の野山は太陽光パネルで覆われます!」ということを話していたので、リンクをはってみることにした。このYoutubeのサイトは、こちらへ

2024年6月3日(月)

昨日の午前中、久しぶりに隣町ボトゥカトゥの大きなスーパー・コンフィアンサに買い物に行った。前回行ってからだいぶ経つので、パーディーニョでは手に入らない魚類やしいたけ類、豆腐などを買って帰った。そして、洗濯洗剤や柔軟剤などの消耗品も大量仕入れができる大きなスーパーの方が安いので、それらもパーディーニョのスーパーで買うよりも、コンフィアンサで買った方がお得なので、2つずつ買った。次の写真は、買ってきたもののごく一部。日本米も欲しかったのだけれど、これまであったTAIYOMAIがなく、ええ~、日本米が全然ないと思ってエドソンとしつこく探していたら、エドソンがこのSakuraという1キロの袋を見つけてくれたのでひとつ買ってみた。そして、セロリは大きな束では売っておらず、切ったものがパックになったものがあったので、買ってみた。右端に少し見えているのは富有柿。

2024年6月4日(火)

次の写真は、ベランダの椅子のアームの上に座っているめい。夕方エドソンが下から上がってきたらめいがここに座っていたので撮ったようだ。外がだんだん暗くなる黄昏時にここに座って、めいは何を考えているんだろう?ここに座っている頻度は多くないけれど、たまにこんな風に座っている。黄昏に何を思うかワンコのめい。

2024年6月5日(水)

先週1週間続いた寒さは、この日曜日に少し和らぎ、以後、最低気温は一桁を脱し、10度前半で推移し、最高気温も20度以上で推移するようになり、ほっとしている。こうなると蒔ストーブに火を入れなくても問題なく過ごせるので助かっている。次の写真は、先日のお昼に作ったラーメン。エドソンは週末に夕食を作ってくれることが多いのだけれど、先週末も土曜日に私がエジミウソンの英語のレッスンをしている時にせっせと台所で作業をして、夕食を作ってくれた。日本ではお目にかからない牛肉の部位(例えば、胸肉など)を、まず塩コショウをしてにんにくを加えて圧力鍋で調理した後、お肉をガラスの容器に移し替えて、ジャガイモやトマトなどを加えてオーブンでローストしたものを作ってくれることがよくあり、この土曜日もその牛肉のローストだった。圧力鍋で牛肉を調理した後、残った煮汁でラーメンを作ってと言うので、作ったもの。煮汁の量が2人分には少し足らなかったので、水を足して、ひがしまるの粉末中華だしを少し加えてスープを作り、麺は日本食料品店のウエノで買ってあったラーメン(2枚目写真)を茹でて作ってみた。インスタントのラーメンを作る際は細かく切った豚肉とルッコラを入れるのだけれど、食べ始めてから、ルッコラは入れたけれど、お肉を入れていなかったことに気づく始末。でも、まあ、まあの味だった。ここでは普通、インスタントのラーメンを食べるので、こんな風に作ることはないのだけれど、たまには牛肉を調理した後に残ったスープで作るラーメンも悪くないなと思った。

2024年6月6日(木)

玄関先の西側の庭のマナカがたくさん花を咲かせて、今とても華やか。マナカは基本、秋の花なので、5月、6月、7月の秋の時期に咲くのだけれど、この木は野性のマナカではなく、ガーデンマナカと呼ばれる木なので、木自体そんなに大きくなることがなく、花を咲かせる時期も野性のものよりも長め。ここ1~2年は、さらに長いを通り越して、ほぼ一年中花を咲かせてくれるようになり、私たちの目を楽しませてくれている。つぼみもたくさんあるので、今年も長く花を咲かせてくれるかもしれない。このマナカの木の後ろの桜の木々は、もうほとんど葉を落としている。後一ヶ月もすれば、花が咲き始めるかな?

2024年6月7日(金)

家の前の庭に複数本植えたハイビスカスの木は、大きく育ったものの、少しずつ枯れてしまう木が出てきて、その都度枯れた木を切って取り除いていたので、だんだん数が少なくなってきている。以前はここに大きくなったハイビスカスが密集していたのに、何だかスカスカになってきた。前の週の土曜日に、エドソンは手伝いのパラナに頼んで、また枯れてしまった一番右側の木を切ってもらったので、写真を撮ってみた。数えてみると、まだ残っているのは4本だけになってしまっていた。

2024年6月8日(土)

入り口ゲートに向かう道沿いの、ゲート寄りのエリアでよくとうもろこしを育てているのだけれど、3週間くらい前に立ち枯れしたとうもろこしを収穫して、畑の鳥たちにあげたばかり。そのともろこしの側にパラナが以前スイカの種を蒔いたらしく、最近実がなっているのを見つけたので写真を撮ってみた。手をグーにして左右両手を合わせたくらいの大きさで、スイカと言うにはとても小さいのだけれど、確かにスイカだとわかる感じ。小さな実がついているものもある。今から実をつけて大きくなれるのだろうか?何だか季節外れで、少し大きくなっている実もちゃんと食べられる状態になるのかどうか?半信半疑。

2024年6月9日(日)

食堂の下の箱庭で卵を抱えていたガーニゼは5月の下旬にひなをかえしたようで、2羽くらいのひなの鳴き声が聞こえていた。でも2~3日するとひなの鳴き声が聞こえなくなってしまい、どうしてだろう?と、不思議に思っていた。ひなが死んでしまっていなくなってしまったのだろうけれど、それがなぜなのか、その原因が思いつかなかった。このガーニゼのめすはひながいなくなった後もずっと座りつづけていた。でも、彼女が座っている卵は彼女が生んだものではなく、他のガーニゼがだいぶ前に生んで、生みっぱなしにしていたところに、彼女が自分の卵を生んで抱き始めたという順番なので、古い卵からひながかえることはない。だから卵を取り除いて、彼女に卵をかえすのを諦めさせようなどとエドソンと話していた。そうして、昨日、手伝いのパラナに設置した金網を少し取り外してもらい、彼が箱庭の中に入って見てみると、ノネズミがいるようだと言う。それを聞いた時、生まれたひなたちはノネズミの犠牲になったんだということがわかった。と、言うことは、ダンちゃんのひなたちが畑で襲われて姿を消した後、生まれたガーニゼのひな数羽が、やはり次々に畑で姿を消していたのは、ノネズミの仕業だったのかもしれないと、納得がいった。というのも、シュハスコ小屋の中で最近複数のノネズミが住み着いているのがわかっていたから。それでネズミ駆除の薬をまいたのだけれど、まだ完全駆除には至っていない。犬や肉食の鳥に加え、ノネズミと、ひなたちの敵がなんと多いことかと、実感させられた。去年はまったくこんな問題はなかったのに・・・。今年も早くに生まれた2羽はちゃんと成長できたので、4羽から飼い始めたガーニゼの数は今3倍に増えているものの、せっかく生まれたひなたちの受難が重なり、何だかトホホな気分。

2024年6月10日(月)

この土曜日、手伝いのパラナに箱庭のソテツの足元の葉を切ってもらったり、草を取り除いて、すっきりしてもらった。ノネズミがいるようなので、ノネズミの穴を探したけれど、見つからなかったと言っていた。ソテツの足元で隠れて生活していたのかな?私がガーニゼのめすのために毎日あげていたエサはノネズミが食べていたのかと思うと、がっかりした。

そして、ガーニゼの若いめすが抱いていた古い卵を取り除いてもらったので、ここに座って卵を抱いていたガーニゼの若いめすは、パラナに驚いて箱庭から出て行ったようだった。でも日曜日の朝、いつものようにひろとのお散歩の後、畑のみんなにエサをあげに行き、家に戻る際、ガーニゼのこの若いめすが畑のみんなに合流せず、庭をうろうろしている姿があった。朝食が終わり、片付けを始めると、箱庭でこのめすの鳴き声がするので、食堂の西側の窓から下の箱庭を見てみると、このめすが戻ってきてうろうろしていた。それで撮ったのが次の写真。この子は鶏が卵をかえして育てた子なのだけれど、もうその鶏との親子の関係性は消えてなくなったのかなあ?首の部分に羽のないめすが生んで育てた子たちはみんな大人になってもこの母親ガーニゼの側にいることが多く、ひとつのグループを構成しているのだけれど、鶏とガーニゼではそういうわけには行かないのかなあ?そのうちみんなに合流できるといいのだけれど・・・。2枚目の写真は、箱庭から出て、外階段に移動して歩いているのを撮ったもの。

2024年6月11日(火)

次の写真は、この土曜日にパラナがランドマークの木の前に積み上がっていた木の幹を、蒔ストーブで使えるように小さく割ってくれたもの。一応太い幹が短く切られてここに置かれていたのだけれど、蒔ストーブに使うには大きすぎたので小さくしてもらった。5月の下旬はとても寒い日が1週間ほど続いたので、結構薪を使ったのだけれど、それでもまだまだたくさんあって助かる。長期予報ではしばらくは薪ストーブの必要のない穏やかな日々が続くようなので、これらの新しく用意してもらった薪を使うことはないかもしれないけれど、十分ゆとりがあると思うと安心だ。

2024年6月12日(水)

次の写真は、エドソンのオフィス(左側)とガレージ(右側)の間に植えて、大きくなったノイヴィーニャ。左側のレンガの前にもノイヴィーニャが生えているけれど、これはコンクリートのひび割れに種が落ちたのか、自然に生えてきたもの。敷地内で咲くノイヴィーニャもまだまだ満開状態が続いている。

2024年6月13日(木)

昨日の6月12日は、ブラジルでは「恋人の日」と言って、恋人同士とか夫婦の間でプレゼントをし合う日になっている。ちなみに、ブラジルではバレンタインデーは認知されておらず、何もしない。それで、なぜブラジルではそういうことになったのかという記事を見つけたので、2024年2月20日付けとちょっと古いものだけれど、以下にリンクをはってみる。この記事は、《記者コラム》ブラジルにバレンタインデーがない理由=ドリア元知事の父が作った「恋人の日」というもので、この記事のサイトは、こちらへ

2024年6月14日(金)

次の写真は、食堂の南側のガラス窓に、ぼんやりとだけれど、写ったマナカの花。写真だとぼんやりした感じだけれど、肉眼だともう少しはっきり見える。マナカの木は玄関を出た先の西側の庭にあるのだけれど、花がたくさん咲いていると、こんな風に食堂の南側のガラス窓に反射して写る。何年か前にこれに気づいた時、窓の向こうのセドリーニョの中にピンク色の花が見えてハッとした。食堂の中からは西側の窓のところに行かなければマナカの花は見えないのだけれど、マナカの花が咲いている時期は食堂の中にいてもこうやってマナカの花が見える。

2024年6月15日(土)

先日の夕方、エドソンが今の時期のこの時間帯が好きと言う。家の北側の防風林の間から穏やかに差し込む夕日が、家の奥まで差し込んで、とてもきれいだからだそう。それで居間の北側の窓から外の様子を撮ったのだけれど、家の前に垂らしている陽除けの黒いネットが邪魔をして、きれいに撮れなかった。トホホ・・・。でも、太陽が沈む場所が、南から北へとずいぶん移動しているのがわかる。夏の時期はもっと南のランドマークの木よりもさらに南に太陽は沈むので、こういう風に居間の北側の窓から夕日を見ることはできない。太陽の沈む位置からも季節を感じることができる。

2024年6月16日(日)

次の写真は、ただ茹でただけの紫色のお芋。パラナがたくさん持ってきてくれたこの紫色をしたお芋の量が多くて、なかなか消費できないなあと思っていて、どのように消費したものかと考えていた。そして思いついたのが、ただ茹でただけのものを容器に入れて、毎日の夕飯の付け合わせにすること。茹でておけば1つとか2つだけちょっとだけ食べたい時にも、すぐ食べることができる。お水で茹でただけでも甘い味があるので、何もかける必要がない。こうしておけばひろとめいの食事にもちょっと付け足してあげられるし、我ながらいい考えを思いついた。この紫の色を見ていると、ポリフェノールたっぷりだななんて、思ってしまう。

2024年6月17日(月)

次の写真は、家の西側の道沿いのユーカリの並木の上の方を撮ったもの。風が吹くと、このユーカリの並木を通り過ぎる風の音が、ガーとかゴーとか聞こえ、となりのトトロに出てくるネコバスが通り過ぎるような感じ。この日の空は雲ひとつない青空で、とてもお天気が良く、結構強い風が北から南に向けて吹いていて、ユーカリの木の枝が南(左)になびいているので撮ったもの。2枚目の写真は、同じ場所からカメラのフォーカスを引いて、外ベランダからの眺めを撮ったもの。写真ではわかりにくいかもしれないけれど、ユーカリの木の前の竹やランドマークの木は風の影響を受けておらず、背の高いユーカリの木は風になびいている。

2024年6月18日(火)

次の写真は、ジョゼ・ハファエウからもらった亀の置物。長さ10センチくらいの小さなものだけれど、これは焼き物なのかな?土曜日にガールフレンドを連れてエドソンのところに遊びに来たジョゼ・ハファエウが、最近ガールフレンドと一緒に行ったナタールへの旅行で、お土産として買ってきたものなのだそう。

ナタールはブラジルの北東部にある町で、きれいなビーチがたくさんあるのだとか。それでヨーロッパからの観光客が多いのだそう。ヨーロッパからの直行便があるので、バカンスに来るのにちょうどいいらしい。それで海の側なのでシーフードがおいしいらしく、しかも値段が安いのだそう。ただ、ジョゼ・ハファエウは魚は食べても、エビやタコなどは食べないらしく(たぶん食べず嫌い)、彼はシーフードは食べなかったそう。せっかく海の側でおいしいシーフードが食べられる観光地に行って、まったくシーフードを食べなかったというのももったいない。ナタールがどんなところかを説明しているWikipediaのサイトにリンクをはってみる。このサイトは、こちらへ

2024年6月19日(水)

先日、ひろとめいとの昼食後のお散歩に出て、離れの前を通って家に向かって戻ろうと、木々を見ながら歩いていた時、防風林の並びの一番下辺りの桜の木の側で枝を張った竹が、桜に覆い被さるように葉を茂らせているのを何気なく見ていたら、何やらピンク色のものが見えるので、良く見ると、桜の花が2つ3つ咲いていた。あら、まだ6月半ばなのに、気が早いつぼみが開いちゃったんだねと、エドソンとふたりでびっくり。それでこの桜の木をしげしげと見ていたら、同じ木の右端の枝先にも少し花が開いていたので、それらの写真を撮ってみた。

2024年6月20日(木)

昨日掲載した写真は、お散歩から戻って、一旦めいとひろをベランダや家の中に入れてから、カメラを持って出て行って撮ったのだけれど、写真を撮り終えてベランダまで戻ると、めいの背中が枯れた芝生だらけになっていたので、笑ってしまった。私が写真を撮りに行っている間に芝生の上でゴロゴロと寝転がったのかな?めいは1日中芝生とベランダを行ったり来たりするので、体についた枯れ芝が毎日のようにベランダにたくさん落ちている。それで毎日朝ご飯をめいにあげた後は、ベランダを箒で掃いて掃除をするのが日課になっている。

2024年6月21日(金)

次の写真は、先日の夕飯の私のお皿を撮ったもの。この日は里芋とベーコンの洋風炊き込みご飯と、お豆腐と挽き肉と人参とひじきで作った揚げがんも。食べ始めて、そう言えばがんもの写真を撮ったことなかったなと思い、写真を撮ってみた。具材はいろいろ使っているけれど、何だか茶色の食事になったので、茹でた花ブロッコリをひとつ添えてみた。これで先日スーパー・コンフィアンサで買ったお豆腐をすべて使ってしまった。また買いに行かなくては。

2024年6月22日(土)

アメリカでは民主党の極左の人たちが、中絶は女性の権利だと言って、妊娠後期の中絶も認めさせようと躍起だけれど、ブラジルでは何だかそれとは反対の動きがあるようだ。どちらもあまりに極端で、私には到底理解できない。まず、6月15日付けブラジル日報では、『下院=中絶厳罰法案を緊急扱い=強姦犯より堕胎者に厳罰=議論さけるやり方に抗議沸騰』という記事があった。購読契約をしていなくても読める範囲でその記事をコピーしてみる。

『12日、妊娠22週を超える中絶に対して殺人罪を適用する法案を緊急審議扱いとすることを下院が承認した。強姦被害を受けた10代の少女の場合に生じ得る問題点などが事前に指摘されていたにも関わらず、同法案は緊急案件にされたため、特別委員会などで専門的かつ十分な議論を経ずに本会議で審議・採決することが可能となった。そのため翌13日に女性や人権活動家らが各地で強い抗議運動を行った。同日付G1サイトなどが報じている。

12日に緊急審議扱いとすることが承認された法案1904/24号は、これまでの中絶の基準そのものを変えるものではない。ブラジルでは「強姦による妊娠」「妊婦に生命の危険がある」「胎児が無脳症」の場合は中絶を認めることが最高裁の判決によって定められているが、中絶する時の妊娠期間には制限がない。』

さらにこの問題に関して、6月19日付けブラジル日報に『中絶問題=ルーラ「狂気の沙汰」=中絶重罰法案に強い反発=一方で熱心な推進派も』という追加の記事があったので、その記事も読める範囲だけコピーしてみる。ルーラ大統領は、ロシアvsウクライナ戦争に関して、ロシア寄りのことばかり言って、ろくなことを言わないけれど、この問題に関して、「強姦された被害者が強姦した人物より刑が重いなど、狂気の沙汰だ。どう控えめに見ても狂っている」と言っているのは、正しいと思う。

『【既報関連】12日に下院で緊急議題として承認された、強姦による妊娠の場合も含め、妊娠22週を超えた中絶の重罰化を定めた法案「1904/24号」は波紋を広げ、ルーラ大統領からも「狂気の沙汰」と批判されるに至るなど、強い反発を招いている。その一方で熱心に推進しようとする動きも見られている。

ヴェージャ誌の報道によると、ルーラ大統領は15日、G7首脳会談で滞在中のイタリアで取材陣から1904号に関する意見を訊かれ、「しっかり追っていないから帰国して確認したい」としながらも、「私はかねてから中絶には反対ではある。だが、これは女性の健康の問題だ」とした後、「強姦された被害者が強姦した人物より刑が重いなど、狂気の沙汰だ。どう控えめに見ても狂っている」と呆れ、「誰かがそのような法案の提案をするとしたら、真面目な話、真剣には捉えられないはずだ」と、法案提出に対して信じられない様子を見せた。』

2024年6月23日(日)

玄関前の外階段沿いのサツキは、もうずいぶん前からちょっとだけ花を咲かせてはいたのだけれど、ここ最近、本格的に花が咲く時期になったのか、花の数がぐんと増えている。次の写真は、外階段の上からここのサツキを撮ったもの。一番手前のサツキは木の種類が違うようで、他の3種類のサツキよりもひょろひょろと背が高い。

ここには4種類のサツキを植えているのだけれど、一番下の濃いピンクの手前の白いサツキは、咲いていた花は終わってしまったようで、今は花が咲いていない。手前から順番に、赤というか濃いピンクのサツキ、薄いピンクのサツキ、そして、木が一番大きく育っている濃いピンクの花を咲かせているサツキの花をアップで撮ってみた。

2024年6月24日(月)

次の写真は、台所の流しの前の窓の下に見えるグアンドゥ豆の木。ここに落ちた種が芽を出し、木がだいぶ大きくなってきて、黄色い花を咲かせ始めたので、写真を撮ってみた。2枚目の写真は、その花の一部をアップで撮ったもの

2024年6月25日(火)

次の写真は、家の南側の三角地帯に下りて行くところに数本ある桜の木のうち、一番古い木ではなく、比較的若い木の上の方に桜の花がたくさん咲いているのに気づいたので撮ったもの。玄関前からでもこのピンクの花が見え、花が咲いているのがわかった。土曜日の時点で、これだけまとまって咲いているのは、まだこの木だけだったのだけれど、日曜日にはこの木の並びの木々や、離れの東側の数本の桜や、食堂の西側の窓の前に見える桜の木などに少し花が咲き始めているのが確認できた。もう少しすると、我が家はピンクの桜の花で溢れるようになる。5月からずっときれいだった白い花を咲かせるノイヴィーニャが終わり、桜にバトンタッチ。

2024年6月26日(水)

今月初めに隣町の大きなスーパー・コンフィアンサに買い物に行ってから3週間になるので、しいたけなどのきのこ類や豆腐などを消費し尽くしてしまったことに加えて、前回日本米がほしかったのに、見たことのないサクラという名前の1キロのお米しかなかったので、それを買ったものの、1キロだと使い始めるとあっと言う間になくなりそうなので、また買う必要に迫られ、さらにひろとめいのドッグフードも残り少なくなってきたので、コンフィアンサ横のペットショップでドッグフードも買おうと思い、この日曜日の朝買い物に出かけて行った。次の写真は、買ってきたものの中で特筆すべきものだけを並べて撮ったもの。右側はコンフィアンサでしつこく探してひとつだけあった東洋米5キロ。日系食料品店のウエノに行けば必ずあるお米だけれど、日曜日は営業していないので、なかなか行く機会がない。その左はアスパラガス。その左は大根。6月になってから穏やかな気温で寒くないのだけれど、この大根が手に入ったので、パーディーニョのスーパーで買った白菜と一緒に水炊きなべを作って食べようと思っている。そして、その上にプラスチックボトルに入ったマラクジャ(パッションフルーツ)の実。これをオレンジジュースと一緒にミキサーで混ぜて、マラクジャ・オレンジジュースを作ろうと思っている。そして、最後にエリンギ。サンパウロの東洋人街の日本食料品店に行けば売っているけれど、ここでは一度も見たことがなかった。それが今回、しいたけやしめじやマッシュルームと並んで、ERYNGUEと書かれたシールが貼られたパックがあったので、うれしくて2パック買ってしまった。このスペルが如何にもポルトガル語らしい表記。

2024年6月27日(木)

次の写真は、広島の友人がメールに添付して送ってくれたもの。彼女が住む団地内のピアノ教室で咲く夏椿だそう。椿と言えば、赤というか濃いピンクの花で、冬に咲く植物だと思っていたけれど、夏に咲く夏椿というのもあるということを初めて知った。しかも色が赤ではなく、薄い黄色というか白いので、二度ビックリ。

2024年6月28日(金)

6月15日発行の楽書倶楽部第73号が届いたので、以下に、その号に掲載された私の文章をコピーしてみる。

我が家の鳥たち

うちでは鶏、ダンゴーラ、ガーニゼ(チャボ)という三種類の家禽を飼っている。田舎町の農村地帯のシャカラで暮らしているので、その田舎暮らしの特権を満喫しようと鶏を飼い始めたのだけれど、数年後にダンゴーラが、さらにまた数年後にはガーニゼが数羽ずつ加わり、今この文章を書いている時点で、鶏四羽、ダンゴーラ八羽(加えて、この文章を書き始めてから十数羽のひなが生まれた)、ガーニゼ十四羽という大所帯になった。

鶏とダンゴーラだけを飼っていた時は、鶏は運動場付きの鶏小屋で飼い、ダンゴーラたちは放し飼いにしていた。そして、ガーニゼも飼うことになり、鶏小屋とは別に畑の中にガーニゼ用の小屋を作り、ガーニゼのオス一羽とメス三羽の計四羽を飼い始めた。その後ガーニゼのひなが数羽生まれて、しばらくした昨年の九月、まだ冬が終わったばかりという季節なのに、熱波の襲来で、真夏のように暑い日が続いたことがあった。それでガーニゼたちが狭い小屋の中では窮屈だろうし、暑くて居心地が悪いかもしれないから、小屋の出入りを自由にしてあげようと夫が言いうので、ついでに鶏たちも運動場から畑への出入り口を開けて自由に出入りできるようにした。以来、みんな自由に家の回りの庭や、小屋のある畑を行ったり来たりしながら暮らし、夜はそれぞれの小屋に戻って寝る日々を送るようになった。

うちにいるダンゴーラは、黒地に白い水玉模様を散りばめたような羽で全身被われているものと、胸からお腹にかけてが白いものとの二種類いるのだけれど、その体の色合いの違い以外にはまったくみな同じように見え、個体ごとの区別がつかない。オスなのかメスなのかも一見しただけではよくわからない。一方、ガーニゼはオスとメスの区別がはっきりとつき、羽の色合いが一羽一羽異なるので、個体の区別もつき易い。ダンゴーラは集団行動が好きなようで、恋の季節にパートナーを決める時期になると、複数の小さなグループに分かれて行動する以外は、常にみんな一緒に集団であちこち歩き回ったり、くつろいでいたりする。その行動範囲は広く、うちの敷地から出て、ずっと離れた場所まで遠征しては戻ってくるということもある。誰がどこに行こうと決めているのか、みな同じ方向に歩き、不思議なほどに集団行動から外れるものはいない。ダンゴーラたちがうちに来た最初の年は、鶏小屋の近くの茂みの中に卵を生みつてけてひなをかえしたけれど、その後はどこか遠くで生みつけて、ひながかえると、みんなでひなたちを守りながらぞろぞろとうちの畑に戻ってくるようになった。毎年のようにその姿を見ると、彼らにとってうちの畑は彼らの家なんだなとうれしく思う。ただ、たくさんひなを連れて戻ってきても、みながみな生き残れるわけではないという厳しい現実もある。

ダンゴーラ

一方、鶏やガーニゼはダンゴーラのように遠くには行かず、家の周辺から離れることがない。ダンゴーラのような全員一致の集団行動というよりは、その時々でくっついたり離れたり好きなように行動している。最初に飼い始めた際、オスは一羽だけだったので、去年生まれたひなたちはみなこのオスの子どもなのだけれど、自分以外にオスが現れたことが気に入らなかったのか、ひなが少し大きくなった頃から、オスのひなを遠ざけるようになった。その一方で、今年生まれたオスのひなに関しては遠ざけることなく、常に行動を共にしているので、何が違うのだろうかと不思議に思う。このガーニゼのオスは鶏とも仲が良く、一緒にそぞろ歩いているところをよく見かける。そして、ガーニゼはメス同士でも仲間うちの好き嫌いがあるようで、ハゲタカのように首の回りに羽がなく皮膚がむき出しになった首をしたメスは、なぜか他のメスたちに嫌われているらしく、このメスは去年生んで育てたオス二羽と、さらに今年生んだ二羽のひなと一緒に行動していて、他のガーニゼたちとは少し距離を置いている。ガーニゼ同士の関係性も人間関係同様複雑なようだ。

鶏ガーニゼ

鶏は四羽ともメスなので、生んだ卵からひなをかえすことはないのだけれど、時々、鶏小屋の中の卵を生みつけるために置いている箱の中で、まるで卵を温めているかのように座り込みを続けることがある。昨年後半、一羽の鶏が箱の中で座り始めた際、同時期にガーニゼの一番若いメスが卵を複数生んで温め始めたので、試しにそのガーニゼの卵をひとつこの鶏に抱かせてみたところ、何とひなをかえしたので驚いた。そして、生まれたひなを我が子と信じているようで、甲斐甲斐しくつきっきりで世話をし、ひなもまたこのメスの鶏をお母さんと思って、片時も側から離れない姿は感動的ですらあった。鳥は生まれて最初に見た動くものが自分の母親だと理解するということを聞いたことがあるけれど、それを実際に目の前で見て、本当なんだと実感する経験は貴重なものだった。

生き物と暮らしていると、自由に旅行に行ったりすることができないという不便さはあるものの、毎日の生活の中で見る彼らの姿にほのぼのとしたり、生まれたひなの成長を見ながら癒される日々は、何ものにも替えがたいものだと感じている。

2024年6月29日(土)

去年のいつ頃だったかYoutube上で「原貫太フリーランス国際協力師」と言う人の番組を見たことがあり、それ以来、時々彼の番組がお薦めで表示されるようになった。それでたまに見ることがある。最近、お薦めで表示されていたもので、フランスがアフリカでやっている通貨の発行に関して説明しているものがあったので、その事実は知っていたけれど、もう少し詳しく知りたいと思い見てみた。う~んなるほど現代の植民地主義と言われてもしかたないなと思った。イタリアのメローニ首相が今月イタリアであったG7で激しくマクロン大統領を非難していたけれど、止められないんだなと思った。私の中でフランスはとても不思議な国という印象がある。フランス社会は社会主義的で、自由、平等、民主主義をうたっているけれど、かなりはっきりとした階級があって、貴族階級でないとどんなに優秀でも企業の社長とかにはなれないと言う現実があり、フランス国内では自由、平等、民主主義を標榜していても、アフリカではそうではない。このダブルスタンダードをフランスはいつまで続けるのだろう?以下にその番組の前半、後半の2つにリンクをはってみる。

99%の人が知らない「フランス最大の闇」
このサイトは、こちらへ

アフリカの発展を妨げる「CFAフラン」の闇【後編】
このサイトは、こちらへ

2024年6月30日(日)

次の写真は、先日の夕食に作った水炊きなべ。昆布、大根、人参、白菜の芯の部分、鶏肉、しいたけを鍋に入れた後、水を加えて火にかけ、火が通ってから白菜の葉の部分とお豆腐とルッコラを入れているので、出来上がった鍋を写すと、表面に見えるのは白菜とお豆腐とルッコラだけで、あまり彩りが良くない。それで、器に取って人参やしいたけや鶏肉が見える写真も撮ってみた。これに手作りのなんちゃってポン酢をかけて食べるのだけれど、久しぶりでおいしかった。でもそう言えば、ねぎを入れるのを忘れていたと、食べ始めてから気がついた。



  Home Copyright (C) 2009 Kyoko Yoshida   Next