Kyoko Yoshida Life in Brazil BLOG 

2024年4月1日(月)

29日の金曜日はグッド・フライデーの祝日で、31日がイースターということは知っていたけれど、木曜日にレッスンに来たヴァレンチーナは、彼女の学校は金曜日だけでなく、木曜日もお休みだったと言っていたので、ああ、そうなんだと思った。そして、土曜日の午後マテウスがやって来たのでびっくり。エドソンには来ることを連絡していたようなのだけれど、私はエドソンから聞いていなかったので、たった3~4日の休暇で戻って来たのかと驚いたら、彼の大学はイースター前の1週間はセマナ・サンタ(聖なる週)ということで、1週間丸々休みのなで帰ってきたのだと言っていた。最初は下のエドソンの事務所で話していたけれど、この日はエドソンが晩ご飯を作る担当だったので、少しして二人で上に上がってきて、時々エドソンはお肉を圧力鍋からオーブンに移したりと夕飯作りをしながら、三人で居間でおしゃべりをした。休暇で帰省した際はうちにも顔を出すと言ってはいたけれど、いやあ~、こんなに早くまたマテウスの顔を見れるとは思っていなかったので、うれしかった。大学の授業はアサイメントが多いし、レベルが高くていろいろ大変だけれど、何とかやっていると言っていた。どうやって帰って来たのかと聞くと、長距離バスでひとりで戻ってきたそうで、日曜日の夜、またひとりでロレナに長距離バスで戻ると言っていた。

2024年4月2日(火)

先日エドソンがメルカド・リブレで買ったピーナツはローストされていなかったのか、そのままだとあまりおいしくないからと言って、うちにあるエアーフライヤーでローストしたら、おいしくなったと言っていた。そして、最初にローストしたものがなくなったのでと、新たにローストしたので、写真を撮ってみた。このエアーフライヤーはフレンチフライを作ったり、コロッケを作る際に、時々使うくらいで、それほど頻繁に使うものではないけれど、あるとやはり便利だなと思う。

2024年4月3日(水)

食堂の西側の窓から見える2本のユーカリの木の、左側の木に先月だったか黄色っぽい花が咲いていたのだけれど、その花が終わり、今度は右側の木に今、たくさん花が咲いているのに気づいたので、写真を撮ってみた。朝一番のひろとのお散歩で、この木々の前を通ると、上の方でたくさんの蜂が花に群がっている音がする。入り口ゲートに向かう道沿いの西側に立ち並ぶ10数本のユーカリの木々はクローンなので、種を飛ばさないけれど、この写真の2本のユーカリはクローンではなく、普通の木なので、たくさん種を飛ばして、あちこちから芽が出てくる。それで、時々それらの芽を取り除いている。

2024年4月4日(木)

先日、ジャーナリストの篠原常一郎氏が敬宮さまの小中高時代に書かれた作文をいくつか紹介しながら、敬宮さまのことをあれこれ語っていたので、以下にリンクをはってみることにした。ここで篠原さんが紹介していた敬宮さまの作文は、私も以前ネット上で一部読んだことがあるものもあったけれど、全文を読んでくれ、敬宮さまの文才はお小さい頃からすごかったなと再認識した。そして、ご両親の彼女との関わり方がとても深く、愛情に満ちていて、だからあんな風にご立派に成人されたのだなという思いを強くした。この動画を見る前にテレ東の動画だったかで、敬宮さまの卒論指導をされた中野教授のインタビュー映像も見たのだけれど、敬宮さまのほがらかさや才能や性格は、文武両道のご両親同様に、まさに日本の宝だと思った。この「【定例特別ライブ】敬宮様伝説 知能・語学・学業・音楽・センス・ユーモア・身体機能」というサイトは、こちらへ

2024年4月5日(金)

4月3日付けのブラジル日報に、世界の日系人500万人という記事が掲載されていた。記事の中には、「1868年にハワイに渡った最初の移民「元年者」以降の156年間に、日本国籍の有無を問わず、日本人の血統をひき、永住目的で海外に居住している日本人を含めた日系人」という記述があるけれど、いまいち基準が明確ではないのでこれらの数字がどれほど確実なのかはっきりしない。例えば、この記事では、ブラジルの日系人口は約270万人とあるけれど、一節では最近は400万人程度に増えているとも言われている。ブラジルを例にとると、ブラジル人との混血も多いので、たとえ日系の血をひいていても、自分を日系人とは考えない人もいるだろうから、こういう統計を取るのは結構難しいだろうなと思う。この「外務省=ブラジルは最多で270万人=世界の日系人500万人」という記事のサイトは、こちらへ。ちなみに、この記事は会員登録をしていないと、全文を読むことはできないのだけれど、最初に掲載されている各国の日系人数の表は見ることができるので、リンクをはってみる。

2024年4月6日(土)

1週間あまり前にあらたに生まれた3羽のひなを、生まれた日に鳥小屋に移動させて1週間が経過した今週の水曜日に、鳥小屋の扉を開いて自由にさせ、夕方、彼らが鳥小屋に戻った段階で、また扉を閉めるようになった。と言うのも、この3羽のひなのお母さんは、この子たちよりも数週間早く生まれたひなを育てているお母さんが嫌いらしく、鳥小屋の中にエサを入れて、このお母さんがとまり木から下りてエサをついばみに来ると、追いかけて追っ払おうとするので、このお母さんと2羽のひなたちはいつもとまり木の上にいて、下りてこれないので、エサをちゃんと食べることができていないかもしれないと心配になったから。朝、扉を開けると、新しいお母さんと3羽のひなはすぐに小屋から外に出て行き、とまり木の親子もしばらくして安全を確認して下りてきて、その後は外に出てエサをついばむことができたので、一安心。次の写真は、畑に出た3羽のひなと、そのお母さん。

2024年4月7日(日)

畑の前と言うか後ろと言うか、鶏小屋の横のキダチアロエに、今年も花が咲き始めたので、次の写真を撮ってみた。この写真では、花のつぼみが3つ見える。一番手前のものが開き始めている。このキダチアロエをここに植えた際は、まだとても小さな芽だったのだけれど、今ではずいぶん大きく育っている。

次の写真は、紫色のカリフラワー。水曜日にいつものようにパーディーニョのスーパーに買い物に行ったエドソンが持って帰ってきたもの。「紫色のカリフラワー?」と私が聞くと、「これちょっと古くなってきているから、あげますって言われたから、ただで貰ってきた」という返事だった。見ると、ところどころが黒くなっているけれど、まだ十分食べられる。このスーパーは、いつもエドソンがいろいろ野菜を買うからなのか、以前も「このブロッコリーは古くなっているから、あげます」と言われ、ちょっとしなっとしているけれど、十分食べられる花ブロッコリーを貰ってきたこともある。かと思うと、以前、私が一緒に買い物に行った際、プラスチックケースに入ったぶどうをひとつ買い物カートに入れていたら、スタッフの女性が、「今日仕入れた新しいこっちのものをどうぞ」と言って、まだ店頭に並べられていない仕入れてきたばかりの箱の中のぶどうと交換してくれたこともある。町の中心にあるパーディーニョで一番大きなスーパー・パーディネンセは、ちょっと古くなった野菜を安く仕入れて、普通の値段で販売したりするけれど、このヴァレンチーナのおじいさんがやっている小さなスーパーは良心的だなと思う。そして、この紫色のカリフラワーをどうしようかと思ってエドソンに聞いてみたら、天ぷらにしてみて欲しいというので、さつまいもやエビもあることだし、それらも揚げて、天ぷらにしてみることにした。

2024年4月8日(月)

次の写真は、エドソンがメルカド・リブレで購入したオリーブ油。これはブラジル産のもので、何でも最近フランスであったオリーブ油の品評会というかコンテストで一位になったものなのだそう。500mlのボトルで100レアル以上の値段だったのだけれど、どんな感じのオリーブ油なのか、味がどう違うのか試してみたくなり買ったらしい。パーディーニョのスーパーで販売されているオリーブ油が50レアル以上するようになったと言ってエドソンは嘆いていたのにどういうこと?いつも買うオリーブ油は特別良くも悪くもない一般的なものなので、良いものを試してみたかったのかな?

土曜日の午前中、用事があってエドソンがボトゥカトゥに出かけるから、帰りにスーパー・コンフィアンサに寄って何か買ってこようか?というので、魚とか買ってきてほしいものを少しリストアップして、買ってきてもらった。そうしたら、それ以外に小さな鉢植えの植物をふたつ買ってきてくれた。ミニチュアのようなアンスリウムとやはりミニチュアのようなサボテン。写真の左側のサボテンの方はあまりに小さくてよく見えないので、2枚目の写真で、そのサボテンだけを撮ってみた。小さな赤い花が咲いているのが可愛いから買ったのだそう。うちのランドマークの木の側の大きなサボテンに似ているけれど、花はまったく異なる。

2024年4月9日(火)

7日の日曜日の夕方、畑にガーニゼのひなたちの様子を見に行ったエドソンが、ついでにダンちゃんたちの様子も見てみると、ひながたくさん生まれていたと教えてくれた。それでエドソンと一緒にカメラを持って見に行くと、本当だ生まれている。それで次の写真を撮ってみた。ひなたちはとても小さいので草に隠れて見えにくいけれど複数羽生まれていることがわかる。でも数はよくわからない。グループから離れたところで弱々しくヨタヨタしているひながいたり、お母さんが卵を抱いていた巣を見てみると、何とか生まれて動いてはいるけれど、まだ完全に卵の殻から出てこれていないひなとか、割れていない卵もあった。大人のダンちゃんはみな、この子たちや母親の側にいてひなたちを一緒に守っているようだった。翌日の月曜日の朝、鳥たちにエサをあげに行ったついでに、ダンちゃんのひなたちを確認しようと、覗いてみると、ダンちゃんのお母さんが卵を抱えていた同じ場所に座っていて、ひなの一部はお母さんのお腹の下にいて、一部はお母さんのお腹の下ではなく側にくっついていた。私が畑から覗いたので不安になったのか、お母さんが立ち上がって、私に文句を言い始めた。でも構わずひなの数をざっと数えたら15~6羽いた。そして、粉末の鳥のエサをお母さんの近くにこぼしてあげると、お母さんはそのエサを食べ始め、ひなの中でも元気そうな子たちが食べ始めてくれたので少し安心した。この子たちがみんな生き延びれるかどうかわからないけれど、どうかみんながんばって生き残って元気に育ちますように。

2024年4月10日(水)

次の写真は、お惣菜に作ったきゅうりとしょうがのぽりぽり漬け。お醤油とお酢と砂糖としょうがの千切りをお鍋で煮立てて、輪切りにしたきゅうりにかけて、漬けただけのもの。先日、初めて作ってみたら、結構おいしくて、エドソンもとても気に入ってくれたので、また作ってみた。生のしょうがは一度にたくさんの量を使わないし、冷蔵庫でも長くは置いておけないので、お料理の際は、いつもチューブに入ったしょうがを使うのだけれど、この時は何をしようと思って買ったのか忘れてしまったけれど、たまたまだいぶ前に小さめのしょうがを買っていて、古くなり始めていたので、ちょうどそれが役に立った。

2024年4月11日(木)

広島の友人が、今年は3月は気温が低かったので、桜は例年よりも少し遅く、先週末に満開になったと言って、写真をいろいろ送ってきてくれた。次の写真は、広島城の桜。桜の向こうにお城が見える。2枚目の写真も広島城。この写真には1958年に広島城を鉄筋コンクリートで建てた時に取り替えた礎石の一部が写っている。広島城は今後10年かけてもとのように木材で建て替える計画らしいということだった。

次の写真は、友人が暮らすマンションの前の桃の花と、川向こうに見える縮景園の桜を撮ったもの。2枚目は、桃の花の隣の立派な桜。

2024年4月12日(金)

昨日掲載した桜の写真が届いた同じ日に、あまり時間を置かずに、広島の別の友人からも桜の写真が届いた。週末が絶好のお花見日和だったのか、ふたりとも桜を見に出かけて、写真を撮って送って来てくれたんだなと思った。毎年こういう桜の便りが届くと、とてもうれしい。この友人が撮った桜は、京橋川河岸緑地の桜ということだった。広島の町は数本の川が流れていて、その河岸の緑地帯がきれいに整備されているので美しいのだけれど、ここもそのひとつ。3枚目の写真は、たんぽぽかな?

2024年4月13日(土)

だいぶ前に、食堂の窓の下、外階段に囲まれた箱庭の家と階段の角に鶏やガーニゼの卵が生みつけられていることは、以前このブログに書いたと思うけれど、なかなか誰もここに座って卵を抱いてくれないなあと思いながら、気にかけていた。そうしたら、以前ガーニゼの卵を抱いてひなをかえした鶏のお母さんがここに座って卵を抱き始めたので、ひなは生まれるかなあ?いつ頃生まれるかなあ?と思いながら見守っていた。そしてダンちゃんのひながかえった同じ頃、この箱庭の茂みの中からピーピーというひなの鳴き声が聞こえるようになったので、たぶんひなが生まれているのだろうけれど、まだ姿が見えず動きがないねとエドソンと話していた。ダンちゃんのひなたちが生まれたのを確認した3日後の水曜日の朝、畑にエサをあげに行くと、ダンちゃんたちがひなと一緒に畑にいたのでびっくり。みんなでひなを誘導して、畑の中に飛び降りることができたんだ。すごい。すごい。と思った。ひなは15羽くらいいるようだけれど、動き回るので数をちゃんと数えるのが難しく、まだはっきりと何羽いるのか確認できていない。そして、木曜日のお昼前、エドソンが下の事務所から上がってきて、鶏のお母さんと2羽の小さなひなが階段のところに出て来ていると言うので、見に行くと、ダリアの花と枝が階段に覆い被さるようになっているところで、お母さんがひなをお腹の下に抱いていて、私たちが側で観察を始めると立ち上がって階段を降り始めた。畑に移動させようかどうしようかと迷ったのだけれど、とりあえずエサをあげようということになり、階段のところにいた彼女たちの一段下に粉末のエサと小さな容器に入れた水を置いてあげた。次の写真は、そのエサを食べているお母さんと2羽のひな。今年は何だかうれしいベビーラッシュが続いている。どうか頑張って生き延びてね。

2024年4月14日(日)

次の写真は、エドソンにいたずらをされたひろ。スーパーで買ったアテモヤという果物には、衝撃から保護するために柔らかくて白い伸び縮みするネット状のカバーが、一つ一つにていねいに被せられていたのだけれど、その白い物をひろの首に通して、「ああ、なかなかいいじゃない。写真を撮って」と言うエドソン。伸び縮みする柔らかい素材なので、首に通してもひろに違和感はないとは思うものの、迷惑だよね。そんな顔してる。ごめん。ごめん。

2024年4月15日(月)

次の写真は、広島の友人が送ってきてくれた新聞記事。ブラジル被爆者平和協会から広大に寄贈された資料が、広大医学部で5月半ばまで展示されているというものだった。と言うことは、常設展示ではないということみたい。皆さん高齢になられたので協会の活動を止められて久しいのだけれど、森田さんや渡辺さんが広大と交渉して保管してもらうことになったのは良かったのではないかと思った。

12日付けのこのブログに掲載した広島の友人が送ってきてくれた花の写真の中で、3枚目のたんぽぽのような花の写真を見て、別の友人がその花の回りの草花の名前を教えてくれた。たんぽぽの左下の青い花は「オオイヌノフグリ」で、右下の紫色の花は「仏の座」というのだそう。これらの名前を教えてくれた友人が暮らす団地でも、今、公園や道端にこの「仏の座」がたくさん咲いているのだそう。まさに春という季節を感じることのできる草花のようだ。これらの草花の名前は何となく聞いたことがあるような気もするけれど、この友人は本当に木や草花の名前を良く知っている。

2024年4月16日(火)

次の写真は、日本から持ってきたキンチョウの蚊取り線香(左)と、エドソンが先日メルカドリブレで買ったブラジル製の蚊取り線香。この夏は熱波が何度も来て例年よりも暑い日が多かったので、夜は窓を開けたまま扇風機をかけて寝ることが多かった。それで、このキンチョウの蚊取り線香を何度か夜の間使った。ここでは簡単に手に入るものではないので、めったに使わないのだけれど、何年も大事に使っていたものの、さすがに残り少なくなってきた。先日そんな話をしたら、エドソンがメルカドリブレで調べると、蚊取り線香を販売していたので、買ってみたらしい。これからはだんだん気温が下がって寒くなるのだから蚊取り線香の出番はないけれど、まあ、次の夏に備えて十分な蚊取り線香があるのは心強いかも。そう思っていたら、エドソンは下のワークショップの後ろの物置スペースがカビ臭くなったから扉を開け放して、蚊取り線香を炊いたらカビ臭い匂いがしなくなったと言っていた。下で一箱取っていて、早速使ったんだね。

2024年4月17日(水)

うちの入り口ゲートは普段はいつも鍵をかけているのだけれど、私の英語の生徒さんが来る時は数時間前に鍵を開けて、扉の開け閉めは生徒さんたちにしてもらっている。でも、エドソンがメルカド・リブレに何かを注文して配達がある日は入り口ゲートの鍵を開けるだけでなく、扉も左右に大きく開けて、風で閉まらないようにフックのようなもので止めている。鍵が開いていても扉が閉まっていると、メルカド・リブレのドライバーは中に入れないと思って以前配達をしてくれないことがあったから。でも扉を全開にしていると、関係のない人たちが入って来ることがある。先日、たまたま午後エドソンが外出して私ひとりで留守番をしていた時、メルカド・リブレの配達の予定日だったので、ゲートの扉を全開にしていたら、普通の乗用車ではなく、メルカド・リブレの配達でよく見かけるような車が来たので、配達かと思って家の外に出ると、セールスの人たちだった。お隣のコーヒー農園がうちの所有と思ったようで、ヤンマーの耕運機などのセールスをしようと思ったらしいのだけれど、コーヒー農園はうちの所有ではないし、うちでは何も生産していませんよと伝え、私はポルトガル語はよくわからないと伝えたので、この人にいろいろ言ってもしょうがないと理解してくれたようで、次の写真の宣伝用のちらしに名刺を止めたものをくれて帰っていった。

先月だったかにも、同じようにメルカド・リブレのために午後から入り口ゲートの扉を全開にしていた際、ベランダのめいがワンワン吠えるので、居間の窓から外を見たら、30代くらいの女性ふたりがランドマークの木の近くに立っていた。それで外に出て行くと、「ここは竹のファゼンダですか?」と聞いてきた。「違いますよ。ドナ・ベティーの竹のファゼンダはあっちで、ここから遠いですよ」と言って、その方向を指さして、「徒歩だと、ここから30~40分はかかりますよ」と伝えたということがあった。ゲートが閉まっていたらおそらく入っては来なかったのだろうと思うけれど、ゲートが全開だと時々こういうことがある。

2024年4月18日(木)

土曜日の午後、やはりメルカド・リブレの配達があるからと、入り口ゲートを全開にしていたら、何だか見慣れない大きなトラックがやって来た。いつだったかエドソンの仕事関係の人たちがうちに立ち寄った際、彼らが育てている苗木をあげると約束してくれたらしいのだけれど、その配達だったのだそう。この人たちの会社は、トラックに位置情報を確認できる装置を取り付けて、トラックが盗まれた際、取り返すことができるようなシステムを作っていると聞いたと思うのだけれど、苗木を育てて販売することもしているのだそう。そんな商品をタダでもらってもいいの?と思ったけれど、いいらしい。それらいただいた苗木を撮ったのが次の写真。左側に赤い実がなっている木があるけれど、これはジャボチカバという木で、ぶどうのような実が幹や枝に直接なる不思議な植物。2枚目の写真は、そのジャボチカバをアップで撮ったもの。この木は実がなるまでに5~6年かかるはずなのだけれど、あまり大きくない苗木に実がなっていてちょっと驚いた。

2024年4月19日(金)

4月16日にリオデジャネイロの日本総領事館から「令和6年4月衆議院議員補欠選挙の実施について(東京都第15区、島根県第1区、長崎県第3区)」というメールが届いた。告示日が4月16日で、日本での投票日が4月28日なのに、在外公館での投票日は4月17日の午前9時30分から午後5時までとあった。これはリオ州在留の邦人向けの情報で、サンパウロ州在住の邦人向けの情報とは異なるのかもしれないけれど、告示日の翌日が投票日というのはちょっとどうなのと思った。でも、私は在外選挙人登録をしていないので、これらの補欠選挙が私の選挙区だったとしても投票はできないのだけれど・・・。まあそれはさておき、 東京都第15区の日本保守党公認候補の飯山陽さんが富岡八幡宮で当選祈願のご祈祷を受けた後、富岡八幡宮前で第一声をあげ、選挙戦が始まった。彼女が3月上旬に連日のように街頭演説を始めて以来、テレビや新聞と言ったメディアは日本保守党と言わず、諸派と片付けたり、飯山陽さんのことを無視して極力報道しないようにしているけれど、複数のYoutuberの人たちがその辻立ちのライブ映像を流しているし、政治とはまったく関係なさそうで興味もなさそうだと思われる一般の若い女性がわざわざこんな賛同応援の意見表明をYoutubeで配信しているの?と驚くほど様々な人たちがYoutube上で飯山陽さんを応援していることがわかる。この第一声に関しては「誠実革命(日本保守党演説ライブ配信)※非公式」というサイトにリンクをはってみる。このサイトは、こちらへ。日本の政治にあかりを灯せ!あかりちゃんガンバレ!!!

2024年4月20日(土)

2024年4月15日発行の楽書倶楽部第72号が届いた。以下は、この号に掲載された私の文章。またちょっと愚痴めいたことを書いてしまった。

悩ましい郵便事情

私は田舎町の周りに民家のあまりない農村地帯にあるシャカラ(小農場)で暮らしているので、自宅への郵便の配達はなく、町の郵便局で私書箱を借りて郵便物を受け取っている。セントロと呼ばれる町の中心部で暮らしていれば自宅まで郵便を配達してもらえるけれど、ブラジルは国土の広さが日本の約二十二・五倍と広い国なので、小さな田舎町とは言え、町の面積はずいぶん広く、その広い地域を小さな郵便局の数人の職員ではカバーできないのだろうと思う。

まあそれはいいのだけれど、郵便が届くのに時間がかかり過ぎることは不思議でならない。道路の渋滞具合にもよるけれど、サンパウロ市から車で3時間程で来れるこの町でも、サンパウロ市からの郵便は早くて一週間から十日、普通に二週間、下手をするともっとかかって届くことがある。これまで発送から受領までに最も時間がかかったのは、サンパウロ市からの普通郵便が四週間、日本からの航空便が二ヶ月ということがあった。十年以上前のことだけれど、サンパウロ州西部在住の方から普通郵便で送っていただいたCDが届かなかったこともある。

今年の一月末、サンパウロ市で健康食品を扱っているお店に、いつものように商品をSEDEXで送ってほしいとメールでお願いしたところ、昨年末からSEDEX便の遅配でお客様からの苦情が激しく耐えられない状態になり、郵便局に問い合わせても詳細がわからず、二月に入れば少し良くなるかもしれないというようなあいまいな返事なので、郵送は諦めて宅配便で送るようになった。そのため料金が少し変わると連絡をもらった。SEDEXというのは日本で言えば書留速達のようなもので、料金は高いけれど、全国津々浦々2日で届けますといううたい文句で、追跡番号が付いているため、郵便物が行方不明になり届かないということはまずないもの。それが遅配で、郵便局もどうしてかわからないなんておかしな話だと思った。でも、宅配便は私書箱には届けてくれないし、ここは住所なんてあってないようなもので、我が家には番地に該当する番号などなく、うちの敷地の前を東西に走る通りの名前を示す道路標識すらない。そもそもこの道路には正式に町で登録された名前もないらしい。そんなわけで住所を頼りに配達することなど不可能で、宅配便はここでは利用できない。それでその旨伝えて、時間がかかってもいいからSEDEXで送ってほしいとお願いした。

その後、商品を発送しましたと連絡があった三日後、私が知らせている住所のCEP(郵便番号)が間違っていると郵便局から連絡が来たので、正しい番号を知らせてほしいとメールが届いた。そう言えば年明けに総領事館から届いた在留証明の返信用封筒に私が書いた番号の最後の三桁が書き直されていたことを思い出し、その番号をお知らせした。このことを夫に尋ねてみると、最近CEP(郵便番号)が変わったのだと言う。番号を変えたのは郵便局なのだから、郵便局のデータベースなりを確認すれば簡単に正しい番号を見つけることができるだろうに、わざわざ発送者に問い合わせるというやり方に、どうして?と思った。そして、利用者の知らないうちに番号を変えておいて、それを利用者に周知する努力は皆無。こちらが問い合わせるまで町の郵便局からの説明は何もなく、番号が変わった旨を説明するちらしを作って、各私書箱に入れたり、郵便局に来て利用する人たちにちらしを渡したりして周知させる努力すらしていない。用意周到とは真逆なところはブラジルらしいと言えば、ブラジルらしい。

昨年末にアメリカや日本から発送されたクリスマスカードなどの郵便物は、以前のCEP(郵便番号)で一月に届いているけれど、これからは届かなくなるのだろうか?と不安になった。これらの制度の改変は郵便局の作業効率を上げて、より良い郵便事業を行うために実施されていると思いたいけれど、郵便事情が改善している様子はなく、何だか利用者にとってはどんどん不便になっているように思えてならない。数年前から海外から小包を受け取るための手続きが複雑になり、詳細がよくわからないので、以来、日本から小包を送ってもらうこともなくなり、どんどん郵便を利用することは減ってきている。それでもどうしても郵便を利用しなければここでの生活が成り立たないこともある現実がなんとも悩ましい。

2024年4月21日(日)

広島の友人が先日、宮島の大聖院での火渡り神事に行ったとメールをくれた。でも、午前11時からあると思って張り切って大聖院に11時前に到着して待っていたのだけれど、11時からあったのは大般若転読法要というもので、火渡り神事は午後1時からということがわかり、午後は用事があったので見ることはできなかったと書いていた。次の写真は、その火渡り神事のパンフレット。

11時からあったのは大般若転読法要というもので、下の方からきっかり11時に僧侶の方々が列を作って上がってこられて摩尼殿に行き、そこで転読法要が行われたのだそう。そこに参加していたのは、多くは見学者だったようでだったけれど、中には信徒さんもおられたということだった。次の写真の1枚目は僧侶の方々の列。2枚目は摩尼殿での転読法要の様子。

次の写真は、火渡り神事の準備が整った外の様子。よくこのようなイベントの情報を知っているなと思って聞いてみると、宮島観光協会のウェブサイトから情報を得ているのだとか。なるほど、宮島を案内する機会も多いから、様々なイベントのこともチェックして把握しているんだね。私は宮島を歩くのが好きで、広島で暮らしていた頃は、ふらっと宮島に行き弥山に上がって景色を眺めたり、山歩きをしたものだったなあと思い出した。

2024年4月22日(月)

今月7日にダンゴーラのひなが十数羽生まれたのを確認して2日後くらいには、ダンちゃんたちはひなを自分たちで畑に移動させて畑の中で元気に過ごしていた。それでその数日後に撮ったのが次の写真。でも、18日の夜0時過ぎにとんでもないことが起こった。ダンちゃんたちのものすごい悲鳴のような泣き声が続くので目が覚めた。犬か何かが畑に来てひなたちが襲われているのかもしれないと思い、家の北側と東側の街灯をつけて、エドソンが懐中電灯を持って畑に見に行き確認すると、ひなは1羽しかいなかった。その晩は気温が低かったこともあり、ひなをガーニゼの小屋の中の箱でひなをお腹の下にしている母鳥の側においてひなの安全確保をしたのだそう。その後、ほとんどのひなが犠牲になったことにがっかりしたのに加え、その後も何度もダンちゃんたちの泣き声が聞こえるのでなかなか眠れず、エドソンも私も朝は何だか疲れた状態で起きた。朝起きてすぐのひろとのお散歩に出ると、ひろがいつになく興奮してジグザクに早足で歩きながら匂いを嗅ぎ回ったので、そのことをエドソンに話すと、「じゃあ、畑に来たのは野性の動物ではなく犬だな」と言っていた。翌朝畑にエサをあげに行くと、やはり生き残ったひなは1羽だけで、大人のダンちゃんたちと一緒にいた。そして数時間後に畑に置いた水を新しく入れ替えてあげようと思い畑に行くと、ダンちゃんたちは畑の外に出てきていたので、あれっ?と思った。私の姿を見て畑に戻ってきたダンちゃんたちを確認してみると、やはりひながいない。それで畑をざっと見渡してから、ガーニゼの小屋の中を見てみると、箱の中でそのひなが死んでいた。朝は元気にエサを食べていたのにどうして?ミステリーだと思った。これで今月上旬生まれたひなたちは全員命を落としてしまったことになる。ああ可哀想に、せっかく生まれてきた命だったのに、2週間足らずの短い命だったなと落ち込んだ。

2024年4月23日(火)

先週写真を掲載したジャボチカバの木2本を、エドソンは土曜日に手伝いに来てくれたパラナに頼んで敷地内の北西辺り、バナナの木の近くに植えてもらった。日曜日にエドソンと一緒にその場所に行って写真を撮ってみた。庭の桜の木の側に取りあえず置いていた際撮った写真には赤い実がなっていたけれど、金曜日のお昼過ぎのひろたちとのお散歩に出ると、2本の木の実がすべて消えていたので、エドソンとふたりでびっくり。木曜日の夜、複数やって来てダンちゃんのひなを襲った犬たちが食べたのだろうか?やれやれ・・・。

2024年4月24日(水)

昨日掲載したジャボチカバの木の側のバナナの木に花が咲き、実がなっていたので次の写真を撮った。これら2枚の写真のバナナは同じもののように見えるけれど、隣同士に並んで植えている種類の異なるバナナ。

次の写真は、ジャボチカバやバナナの木を植えている同じエリアにだいぶ前に植えて育っているアボカドの木。このアボカドの木は、私が種から育てたもので、芽が出て、苗木が少し大きくなって来たので地植えしてもらったのだけれど、順調に育っているようでうれしかった。

2024年4月25日(木)

次の写真は、昨日掲載した写真のアボカドの木の近くで、南西を向いて撮った森の写真。この写真の奥に見えるうっそうとしたエリアが元からある森で、その森を拡げるために、その北側に数十本のカエデの木を何年前だったか植えたのだけれど、それらのカエデの木がずいぶん大きくなって、もうすっかり森になっている。

次の写真は、いただいてまだ地植えにしていない桑の木。写真の真ん中にとても大きな実がなっていて、右上辺りに小さな実が4つ5つできつつあるのが見える。うちにある桑の木の実よりもさらに大きな実なのでびっくり。

2024年4月26日(金)

昨日は朝一番でとてもうれしい驚きがあった。ひろとの朝一番のお散歩の後、いつものように鳥たちにエサをあげに行くと、何と何と畑にダンちゃんのひなが10羽いたのだ。ダンちゃんのひなたちが襲われて1週間経つので、どこかに逃げていたひなたちが戻ってきたということはない。えっ!どうして?と思い、大人のダンちゃんの数を数えたら9羽いた。ずいぶん前には9羽いたのだけれど、いつからか8羽に減っていたので、1羽はどこかで命を落としたのだとばかり思っていた。でもひなと戻ってきているということは、どこかで卵を抱いていたことになる。水曜日は朝からダンちゃんたちの姿がなかったので、ひなをすべて亡くしてしまったから、またいつものようにみんなで遠出を始めたのかなと思っていた。でも、どうやらみんなでひなたちを迎えに行っていたのだということがわかった。それで朝食の時、エドソンとこれからどうしようかと話し合い、このひなたちがまた襲われないようにするために、これから毎晩街灯を点けようと話した。野性動物は街灯など気にしないけれど、犬たちは街灯がついていると100%ではないけれど、あまり側には寄って来ないはず。そして、レンガなどを置いて襲われた際の隠れ場所を畑の隅に作ろうということになり、朝食後に早速実行した。

次の写真は、食堂の西側の窓前に4本ある赤い葉の植物のうちの元気な2本。今とてもたくさん花が咲いているので写真を撮ってみた。ここに4本植えているこの植物は南よりの2本は元気なのだけれど、北よりの2本は日当たりが悪いのであまり大きくならない。でも枯れずにがんばってはくれている。

2024年4月27日(土)

次の写真は、お隣のウィリアムからもらったアテモヤ1箱。先週、エドソンはウィリアムに頼まれて、お隣に行ってアマチュア無線関連の何か機器を直してあげたそうで、そのお礼で彼のところで収穫が始まったアテモヤをもらったらしい。先日エドソンがひろにいたずらをして、アテモヤの白いカバーをひろの首につけていたけれど、お隣からもらったアテモヤにはピンクのカバーがしてある。これから8月初め頃までアテモヤの収穫シーズンは続く。

これまでつい書き忘れていたのだけれど、先週ダンちゃんのひなたちが襲われて全滅した後、私たちの寝室の前の庭のアメンドインの草むらの中に、黄色っぽい羽のガーニゼのメスが座り込んでいるのを発見。毎日ではないけれど、数日おきに、朝、エサを食べるために畑に来るので、このメスが座っている場所を見てみると、卵が3つ生みつけられていた。このメスは去年の後半2羽のひなを生み育てたのだけれど、今回また卵を抱き始めたので、毎日畑にエサをあげに行く際、状態を確認している。

2024年4月28日(日)

次の写真は、畑でみんなで子育てをしているダンちゃんたちと、先日生まれたばかりのひなたちを撮ったもの。ひなたちは固まっておらず、大人たちの足元や影に隠れていてよく見えないけれど、9羽か10羽いる。2枚目の写真は、何かに襲われた際、ひなたちが逃げ込めるように、エドソンがレンガとスレートの板で畑の西端の左側に作った避難所と、土曜日に手伝いのパラナに頼んで、竹を切ってきてもらい、右側に置いてもらった、もうひとつの避難場所を撮ったもの。そして、畑の東側、ガーニゼの小屋のすぐ横には、ダンちゃんたちがひなを連れて戻ってきた際、ひなたちが畑に降りられるようにと、エドソンが滑り台のように置いたビニールシートがあるのだけれど、ここもひなたちが逃げ込める場所なので、これら3箇所の避難所があれば何とか身を守ることができるかな?と、願っているところ。このビニールシートの滑り台をダンちゃんたちが利用したのかどうかわからないけれど、2度もちゃんとひなたちを自分たちだけで畑に移動させているのだから、利用したのかもしれないと思っている。

2024年4月29日(月)

次の写真は、先週の土曜日からレッスンに来始めたエジミウソン(Edmilson)。彼はコロナ禍以前にうちに来ていた獣医のハファエウと同じ職場で、ラボアシスタントとして働いているのだそう。それで私のことはハファエウから聞き、さらに今年から学校が午後からになったので来れなくなった中学生のフラヴィアの両親からも聞いたということだった。今年の1月から土曜日の午後後半はエロイーザという若い女の子のレッスンをしていたのだけれど、レッスンを始めて3ヶ月でギブアップしてしまったので、以前から問い合わせのあったエジミウソンに連絡をして、レッスンを始めることになった。エロイーザはこれまでうちに来た生徒さんの中で、発音矯正が一番大変で、何をどう説明しても、練習しても、音を真似ることができないようで、基本の簡単な文法や単語もなかなか頭に入らないようなので、四苦八苦しながら何度も繰り返し練習をするようにしたのだけれど、英語を学ぶことが思っていたより大変だと感じたのか、自分から投げ出してしまった。エジミウソンには、彼を受け入れるかどうか決める前に、一度うちに来てもらって話しをした際は、エロイーザと似たレベルかな?と、思ったのだけれど、最初のレッスンを終え、エロイーザよりも基本的な文法の理解があるし、発音矯正も一般的なブラジル人と変わらないので、我慢強く学んでくれるかな?という感触を得た。これで土曜日は午後2時から3時までは小学生のアリスのレッスンをして、3時半から5時までエジミウソンのレッスンをするというスケジュールになった。

2024年4月30日(火)

この日曜日は、衆院補選東京15区の投開票日だったので、朝から、もう結果は出ているかな?と、YahooニュースやYoutubeをチェックしていて、午前9時過ぎくらいだったか、立憲共産党の候補の当確というニュースがあり、がっかりした。どうやら投票率がとても低かったようで、やはり言われていた通り、組織票を持っているこの候補が有利になったようだった。日本保守党の飯山陽さんはとてもよく頑張っていたけれど、政治を諦めているような感じの江東区の住民の多くには届かなかったということなのかな?飯山さんは立派な切り込み隊長だったけれど生還ならず。残念無念。でも当初、得票率は2%程度の泡沫候補と言われメディアから無視され、複数の他陣営から嫌がらせを受けながら、最終的には全体の14.2%に当たる24,264票を獲得して、2位争いとなったこと、都知事が応援する乙武氏よりも高い得票率を得たのは良かったし、何より小池百合子都知事が東京15区から補選に出て、国政に復帰して総理大臣になる夢を砕いたことは、飯山さんの大きな大きな貢献だったと思う。

次の写真は、私たちの寝室の前の庭のアメンドインの草むらの中で卵を抱いて座っている黄色っぽい羽色をしたガーニゼを撮ったもの。去年の後半、外階段下の箱庭で卵を抱いて、ひなをかえしたのと同じメスのガーニゼ。箱庭で卵を抱いていた時は、あまりエサを食べに畑まで行けなかったようだけれど、ここだとさっと畑に行ってエサを食べて、さっと戻ることができるので、箱庭よりも畑に近いこの場所の方が、都合が良いと考えたのかな?



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