Kyoko Yoshida Life in Brazil BLOG 

2024年3月1日(金)

次の写真は、先日の朝、朝食後に寝室のベッドメーキングに行った際、ガーニゼの声がするので見てみると、シュハスコ小屋の前のレンガの壁の上にガーニゼのオスが2羽いたので、写真に撮ってみた。左側は去年の前半生まれたオスで、右側は去年の後半生まれたオス。同じ母親から生まれた子たち。体の色合いがそっくり。左側のオスが生まれてから、親分オスは父親なのに、もう1羽オスがいることが気にくわないのか、この子を排除しようといじめていたので、この子はいつもグループと距離を保って母親と一緒に行動していた。そして、去年の後半同じ母親から生まれた子もオスだったのだけれど、この兄は弟を排除しようといじめたりはせず、母親とこの兄弟の3羽が、ひとつのグループを形成している。人間関係もややこしいことが多いけれど、鳥の世界の関係性もいろいろあるみたいだ。

2024年3月2日(土)

先日の朝、朝食が終わり、台所の流しでお皿を洗っていると、目の前の窓に朝日が当たって、レースのカーテンに何か黒い影が写っていたので、何だろう?と思い、カーテンを持ち上げてみると、羽を広げた状態で、セミが窓の外の蜘蛛の糸に引っかかっていた。家の南側の窓は取り除いても取り除いてもすぐに蜘蛛が糸を張るのだけれど、こんな大きなセミがその蜘蛛の糸に引っかかっているのを見たのは初めてだった。よく野鳥が窓ガラスにドスンとぶつかることがあるけれど、虫も窓や蜘蛛の糸に気づかないのがいて、こうやって引っかかってしまうのだろうなと思った。午後から写真を撮ってみたのだけれど、背景の緑のセドリーニョに焦点がロックオンして、セミはぼやけてしまいきれいに撮ることができなかった。

翌朝、台所に行くと蜘蛛の糸に引っかかっていたセミが、窓枠のところに落ちていたので、次の写真を撮ってみた。蜘蛛の糸にひっかかっている時点でもう生きていなかったので、ここに落ちたのは風のせいかな?

2024年3月3日(日)

日本の新学期は4月に始まり、アメリカでは9月に新学期が始まるけれど、ブラジルは日本ともアメリカとも異なり、12月と1月が夏休みで、2月から新学期が始まる。でも、毎年時期が変わるけれど、1月末から2月にあるカーニバルの期間が終わらないと、どうもブラジルの人たちは腰を落ち着けて新学期を迎えることができないのではないかなと思う。ところで、手伝いのパラナからエドソンが聞いた話のまた聞きなのだけれど、今年のパーディーニョのカーニバルは裁判所の命令で中止になったのだとか。何でも、カーニバルの数日前に練習をしている人たちにうるさいと文句を言って、リーダーの人をナイフで刺そうとした男の人が警察に捕まり、その人は罰金を払っただけで済んだのだけれど、ボトゥカトゥの裁判所はパーディーニョのカーニバルの中止を命じたのだとか。カーニバルの練習がうるさいのはパレードのための太鼓やその他の楽器で演奏する賑やかな音楽の練習をしていたのかな?そんなのうるさいに決まっているのに、文句を言う人がいることにまず驚いた。そして、カーニバルの人出を当てにして、飲み物やら食料品などを仕入れたパーディーニョのお店はカーニバルの中止でずいぶんな損害を被ったのだろうなと思った。さらに、たったひとりのバカな人のせいで町全体が罰を受けるというのも何だか納得行かない話だなと思った。

2024年3月4日(月)

次の写真は、先日エドソンが買ってきたオレンジ。何の変哲もない感じのオレンジだけれど、何と、エジプト産のオレンジなのだそう。エジプトでオレンジを作っているなんて知らなかったと、エドソンは驚いていた。私の感想としては、ブラジルはオレンジをたくさん栽培していて、ヨーロッパなどに輸出しているのに、何故、エジプトから輸入しているのだろうかと思った。ちなみにこのオレンジはジュース用ではなく、生食用。エジプトと言えば砂漠という乾燥した気候のイメージがあるので、オリーブやぶどうならわかるけれど、オレンジかと少し驚いた。

次の写真もやはり同じ日にエドソンが買ってきてくれた富有柿。4つ買ってきてくれたのだけれど、2つは写真を撮る前に食べてしまったので、写真に撮れたのは2つだけ。以前も書いたことがあるけれど、ブラジルでは柿のことをカキと呼び、富有柿のことはフユウという名前で販売されている。柿は日系人の人たちが栽培し始めたので、日本語で呼ばれているのだろうと思う。パーディーニョのスーパーに富有柿があるのはうれしい。そして、りんごもいろいろな種類があるけれど、フジという日本のりんごもパーディーニョのスーパーで販売されていて、エドソンはフジりんごが一番おいしいからと、フジりんごがあると他のりんごには目もくれず、フジりんごを買ってくる

2024年3月5日(火)

うちの敷地内の森に向かう途中にある果樹園で2本のアボカドの木が育っている。うちのアボカドは、その年により豊作だったり不作だったりと、毎年様子が異なる。昨年はまったくの不作で、ひとつも実を採ることができなかった。でも、「今年はたくさん実がなっていて豊作だよ」と、年が明けてしばらくしてエドソンが言っていた。そうしたら、先週の金曜日の午後4時を回ったくらいからすごい風が吹いて暴風雨になり、停電するという悪天候になった。翌日の土曜日は1日穏やかな良いお天気で、森の貯水タンクの水を丘の上の貯水タンクに上げるために森に行って戻ったエドソンが、「金曜日の風がすごかったから、アボカドの実がたくさん地面に落ちてしまっていたよ。地面に落ちたアボカドは早速小鳥たちが食べていた」と言って、がっかりしていた。そろそろ収穫できそうな時期に暴風雨なんて、何と不運なこと。次の写真は、土曜日に来てくれた手伝いのパラナに頼んで、採ってきてもらったアボカドの実6つ。今年初めての収穫。毎日サプリメントと混ぜて飲んでいるアボカドスムージーが日曜日の朝でちょうどなくなったので、早速、手前の熟れて柔らかくなっているアボカドでスムージーを作った。これからしばらくスーパーでアボカドを買わなくてもよくなった。

2024年3月6日(水)

ブラジルではこの夏、デング熱の患者が急速に増えていて、とても嫌な感じ。先日のブラジル日報にも「デング熱=疑似症患者が97万人超す=7連邦自治体が非常事態に」という記事があった。その記事の誰でも読める部分だけを以下にコピーしてみる。

「27日15時38分に更新された保健省公式サイトの数字によると、今年最初の8週間の全国のデング熱の疑似症患者は97万3347人で、死者は195人、死因を確認中の死者は672人、疑似症患者の発生率は479・3人/10万人となっている。

昨年同期の疑似症患者は20万7475人、昨年1年間の疑似症患者は165万8816人だったから、今年は8週間で昨年の半数以上の疑似症患者が発生していることになる。8週間の死者も昨年同期の149人を大幅に上回っている」

2024年3月7日(木)

3月1日付けのブラジル日報に「都市間鉄道=中国CRRC等が落札=サンパウロ市カンピーナス運行」という記事があった。この記事のサイトは、こちらへ

私たちがブラジルに来たばかりの14~5年前、リオとサンパウロを結ぶ高速鉄道建設の話があったけれど、いつの間にか立ち消えになってしまった。あれは連邦政府のプロジェクトだったけれど、今回のサンパウロとカンピーナスを結ぶ鉄道はサンパウロ州政府のプロジェクトなので、大丈夫かな?鉄道ができることはいいことだけれど、中国の企業が作るとなる予算や完成時期が予定通りには行かないのはインドネシアやタイのケースを見れば明らかなのになあ。それにエドソンの話だと、中国CRRCが落札と言っても、他に入札者がいなかったらしいので、それって適切な入札だったの?と、思った。インドネシアとタイのケースに関するネット記事を一部以下にコピーしてみる。

「インドネシアではジャカルタと西ジャワ州のバンドンを結ぶ東南アジア初の高速鉄道事業を中国と日本が競り合い、2015年にインドネシア政府が中国案を採用した。インドネシアと中国の国営企業による合弁会社が開発運営することになり、2016年に着工。建設現場に中国人労働者を送り込むなどして工事を進め、当初の予定から4年遅れの2023年10月に開業にこぎ着けた。全長142キロ、最高時速350キロで、開業から4カ月で累計乗客数は150万人を超えた。建設コストは当初予定を3割上回る73億ドルに上り、計画になかったインドネシア政府による財政支出、中国側の追加融資などを余儀なくされた」

「タイではタイ政府と中国政府による共同事業として、バンコクとタイ東北部の中心都市ナコンラチャシマを結ぶ路線(総延長251キロ)の建設が決まり、2017年に着工した。中国の技術で建設、運営し、約1800億バーツ(約7500億円)の建設費は全額タイ側が負担する。当初は2021年開業の予定だったが、建設が大きく遅れ、タイ政府は2022年に、開業見通しを2027年に変更した」ものの、2027年の開業も実現は不透明だそうだから、ブラジルも同じような問題が起こるのではないかと心配。

2024年3月8日(金)

広島の友人が毎朝参加している朝のラジオ体操をする公園の東下方に梅の木ひろばがあって、そこには10数本の梅の木が植えられているので、花が咲く頃は、花の香りがするのだけれど、今年はその公園に下りなくても香りが立ち上ってきていたと言っていた。2月の中旬頃に満開になっていたのだけれど、その内の1本の老木っぽいのは、あまり花をつけていなかったので枯れたのかと思っていたら、一足遅れて2月の下旬に満開になったのだそう。同じように植えた木でも、その木それぞれの性格のようなものがあって、一律ではないのだろうな。この老木の梅の枝ぶりが梅の木っぽくて良い感じと言って、写真を送ってきてくれた。

2024年3月9日(土)

2月の下旬くらいから黒っぽい羽色というか水玉模様のガーニゼのお母さんを見かけなくなったので、どうしたんだろう?何かあったのかな?と思っていた。エドソンはどこか近場で卵を抱いているのかもしれないと言っていた。ある日の朝一番でみんなにエサを与えに行くと、そのガーニゼのお母さんがいつものようにシュハスコ小屋でエサを取り出している私のところにやってきたので、ああ、何だどこ行ってたの?いるんじゃないと思った。でも翌日はまた姿がなく、やはり卵を抱いているのかな?と思っていた。そして数日して、この火曜日の朝一番では姿がなかったのだけれど、午前中、畑に野菜くずを埋めに行った際、シュハスコ小屋の側の草むらでガーニゼの声がするので、畑に穴を掘って野菜くずを埋める作業が終わってから声のする辺りを見てみると、何と、何と、そのお母さんの足元に3羽のひながいて、びっくり。まあ、いつの間に!?それで、カメラを取りに戻って、次の写真を撮ってみた。このお母さんは、去年の前半に1羽、後半に1羽のひなをかえして育てていたのだけれど、またひなをかえしたんだ。一度にたくさんの卵を生んでかえしたりはしないけれど、これでこのお母さんがひなをかえしたのは3度目。3羽のひながみな元気に育つといいのだけれど・・・。

2024年3月10日(日)

次の写真は、先日エドソンが居間の窓から撮った写真。外ベランダのレンガの柱の上に鶏のお母さんとそのお母さんが育てているガーニゼのひながいたので撮ったようだ。他のガーニゼや鶏はこの画面の右側の芝生の上にいた。

次の写真は、ガーニゼのひなを育てている鶏のお母さんが、食堂の窓の下に生みつけた卵を撮ったもの。鶏はメスばかりなのでこの卵は受精卵ではないんじゃないかと思ったり、ひょっとしてガーニゼのオスと交尾して生んだのかなと思ったり。ここに座っているときもあるけれど、ほとんどいつも通りに家の回りをそぞろ歩いているので、一体いつになったら卵を温め始めるのだろうかと思ったりしている。これらの卵が受精卵ではない可能性もあるので、ガーニゼの卵を置いてみようと言うエドソンの提案で、ガーニゼが生んだ卵ひとつを鶏の卵ひとつと入れ替えてみた。

2024年3月11日(月)

次の写真は、台所の流し台の前の窓から撮った家の前のグアンドゥ豆の木。ここにグアンドゥ豆の種なんて蒔いていないのだけれど、パラナが他の場所で種を蒔く際、運んでいた種がここに落ちて、自然に芽を出し育ってきたものと思われる。どうやらエドソンはこれを取り除いたりせず、ここで育てばいいと思って、パラナにこんな風にレンガで囲ってもらったようだった。

2024年3月12日(火)

先週の中頃、サンパウロ州の西隣のマトグロッソ州にある会社の人たちがふたり、サンパウロ州のロレナに向かう途中に立ち寄ってもいいかと連絡をしてきたらしく、夕飯の後訪ねてきた。エドソンは下の事務所で2時間くらい話をしたようだった。この人たちはトラックに発信器をつけて、トラックが盗まれた際、その発信器が発する信号を受信して、そのトラックの居場所を突き止めて、トラックを回収できるようにするシステムを作って仕事をしているらしく、数年前にエドソンは彼らの仕事を手伝ったのか、技術的な相談に乗ったのか、まあとにかく仕事上の関わりのある人たちで、今回いろいろ仕事の話をしたのだそう。えっ?トラックが盗まれるの?と驚くかもしれないけれど、日本と違ってここはブラジル。物資輸送中のトラックが結構盗まれるらしい。もちろん狙いは輸送中の物資の横取りなのだろうけれど、トラックまで持って行かれたら困るので、こういう対抗策のビジネスが成立するらしい。次の写真は、その人たちがお土産に持ってきてくれた、地ビールだそう。会社のプロモーションでこういうセットを作り、顧客や商売の関係者に配っているものということだった。

2024年3月13日(水)

9日の土曜日と10日の日曜日は、ボトゥカトゥでアマチュア無線のイベントがあった。エドソンはそのイベントの講演者のひとりとして依頼を受けていたので、イベントの前は、仕事の合間にプレゼンテーションの準備に忙しかったようだけれど、無事に講演を終え、他の講演者もみなハイレベルなとても良い講演をしたので、参加者は大満足の良いイベントになったようだった。このイベントの講演者のひとりとして、リオからジョアオン・サアードもはるばるやって来て、8日の金曜日の夕方、ボトゥカトゥ入りする前にうちにちょっと立ち寄ってくれた。うちに来るのはこれで2度目。数年ぶりの再会だったけれど、とても元気そうで良かった。土曜日の夜は、イベントの後でエドソンと一緒にここに来てくれ、一緒に夕食を食べた。彼は金曜日の夜ボトゥカトゥであったイベントの懇親会で、地ビールのお店で揚げ物などの脂っこいものを食べたから体調が良くないと言うことで、彼が食べることができそうと言う、パオンジーニョとターキーハムとチーズを、途中スーパーに寄って買ってきてくれたので、それらにトマトやクリームチーズなども出して、サンドウィッチにして食べた。

2024年3月14日(木)

週末のイベントには、ブラジリアからエドソンと親しいオーランドもやって来るので、うちに泊めてもいい?と、エドソンが聞くので、ふたりでブラジリアに行った時とか、エドソンがブラジルアマチュア無線協会の仕事でひとりでブラジリアに行った時などに、何度も彼のお宅に泊めてもらっているのだから、もちろんいいよと返事をした。それでうちに3泊4日で泊まるのかと思ったら、金曜日と土曜日はボトゥカトゥのホテルに泊まるので、イベントが終わった日曜日の夜だけうちに泊まることになった。そして、その夜の夕食もパーディーニョの町に行って食べようということになり、私は離れの掃除をして準備をしただけで、夕食の仕度はしなくても良かったので、月曜日の朝食で食べようと思ってバナナブレッドを作っただけで、特別なことは何もしなかった。次の写真は、日曜日の夕方やって来たオーランドが奥さんのシルビアから私へのお土産と言ってくれたカピバラのお人形。ひょっとして、手作りなのかな?

日曜日の午後、イベントが終わり、数人の人たちと帰宅したエドソンは、彼らを下の事務所に案内して、彼の無線機などを見せながら話をしているようだった。その後、一緒に来ていた人たちがそれぞれ家路についた後、エドソンはオーランドを離れに案内して、シャワーを浴びてさっぱりして、少しゆっくりしてもらってから、パーディーニョの町に出かけて行った。パーディーニョの町での食事の選択肢はあまりなく、ハンバーガーかピザか、お酒のおつまみのような軽い食事を出すバーのようなところだけなので、ハンバーガーのお店に行った。ちなみに私たちがいつも利用する薬局の上の階にできていたレストランは、お客さんがこなかったようで、もうすでに閉店してしまっているとエドソンから聞いた。次の写真は、そのハンバーガーのお店の看板を撮ったもの。週末のイベントには、バイーア州からブラジルアマチュア無線協会の会長のマーコーニも参加していたので、エドソンは彼も食事に誘い、4人で食事をした。2枚目の写真は、お店の出入り口の側の一番大きなテーブルに陣取って、ビールを飲みながらハンバーガーを食べているところ。左からマーコーニ、オーランド、エドソン。小さなお店だけれど、これまでテイクアウトで何度もこのお店を利用しているのでエドソンはここの人たちを良く知っているし、ハンバーガーもおいしいので、パーディーニョの町で食事というと、どうしてもこのお店のハンバーガーになるような気がする。お店は4つか5つくらいのテーブルをお客さんが囲んでいる程度で、混んではいなかったけれど、デリバリー担当の男性がそれはもう頻繁に出たり入ったりして、繁盛している感じだった。

2024年3月15日(金)

次の写真は、先週末にあったアマチュア無線の講演イベントで撮影されたものをエドソンが私のブログ用にと送ってきてくれたもの。1枚目は、イベントが行われたボトゥカトゥのテクノロジーパーク内の会場。私は行ったことのない場所だけれど、なかなか良い会場だなと思った。2枚目は、エドソンが講演をしているところを撮ったもの。3枚目は、イベントの最後に参加者みんなで集合して撮ったものということだった。アマチュア無線のイベントでいつも思うことだけれど、参加者はほぼだいだい中年以上の高齢白人男性だけで、女性や若い人や黒人の人がいない。今回は19歳の若い人がひとりだけ参加していたそう。そして、この写真に写っている女性は主催者側のスタッフさん。この年齢と人種の偏りはどうしてだろう?といつも思う。

2024年3月16日(土)

先日、ベランダのめいが黙って家の壁を見つめているので、何かいるのかなと思い見てみると、変わった形の小さな蛾が壁にへばりついていた。変なものがいるな。何だろう?と、めいも思ったみたい。それで次の写真を撮ってみた。めいは、家の壁とか、レンガの柱とかに向かってワンワン吠えていることが時々あるけれど、だいたい、小さなヤモリとか虫がいるので、それに向かって吠えているのだけれど、この時は蛾に向かって吠えたりせず、黙ってみつめていた。

2024年3月17日(日)

この夏は何度も繰り返し熱波がやって来て、例年になく暑い日が多かったけれど、3月に入り、そろそろ涼しくなるかなと思っていたら、何とまた熱波がやって来た。先週半ばから毎日30度を越える暑さで、金曜日は34度にもなった。この30度を越える気温は木曜日まで続く予報になっている。そして今週の金曜日辺りからようやく気温は25度前後に下がる予報なので、30度越えがずっと続くわけではないのだけれど、昼間33度とか34度にもなると、夜もあまり気温が下がらず、窓を開けていても部屋の気温は30度くらいと高いままで、扇風機をかけて寝ていても、寝苦しいと感じる。

2024年3月18日(月)

今月上旬に生まれた3羽のガーニゼのひなは元気に育っている。ずっと私たちの寝室の前の庭のアメンドインの草むらの中やその周辺にいて、朝の食事の時間には母親と一緒に草むらから出て来るので、よしよしみんな元気だねと、生存確認をしている。まず、畑の鶏や他のガーニゼにエサをあげた後、この親子の側にエサをまいてあげると、元気に食べてくれる。何とも可愛い。金曜日の朝、ひなの1羽がいつもいる庭から落ちて、家の前の庭よりも低い芝生の上にいて、母親がそのひなの側にいるので、残る2羽は彼らのすぐ上の庭の部分でピーピー泣いていた。上の庭に上がるために一段ステップを作っているのだけれど、ひなには二段目が高すぎて庭にもどれないようなので、エドソンが外に出て、レンガをひとつ置いて、何とか上がれるようにしてあげたのだけれど、ひなは怖がってシュハスコ小屋に逃げてしまったので、結局エドソンがひなを優しく捕まえて母親たちのもとに戻してあげた。そんなことがあった午後、彼らは自分たちのちからで畑の中に移動していたのでびっくり。ひなたちはまだ高くは飛び上がれないけれど、飛び降りることはできたようだ。次の写真は、土曜日の午後、畑にいるこの親子を撮ったもの。見えにくいかもしれないけれど、ひなの1羽は母親の懐に入り込もうとしていて、1羽は画面中央の枯れたフンショの根元にいて、もう1羽は画面左上のフンショの枝の上に止まってる。

土曜日に撮った写真が見にくかったので、日曜日の朝、もう一度この親子の写真を撮ってみた。2羽のひなは白っぽい色をしていて、もう1羽は黒っぽい色をしている。

2024年3月19日(火)

2月の上旬くらいから咲き始めたパイネイラは、今もたくさん花を咲かせている。防風林の木の間からも入り口ゲート近くのパイネイラのピンクの花が見える。緑の中にピンクの花がとてもきれい。花が次から次へと咲いて、木の足元にはたくさんの花が落ちて、ピンクに染まっている。

次の写真は、家の西側のランドマークの木の側で咲き始めたフランボヤンジーニョの花。

2024年3月20日(水)

畑の東側のレンガの壁のすぐ外側に、ダンゴーラが卵をたくさん生みつけているのをずいぶん前に発見したのだけれど、しばらくして1羽が卵を温め始め、今も卵を抱いている。いつ頃ひながかえるのかなあ~?ダンゴーラがうちに来てすぐの年は、鶏小屋のすぐ後ろの薮の中で卵を生みつけてひなをかえしたけれど、それ以後、毎年、どこか遠くに卵を生みつけて、ひなが生まれたらひなたちを連れて帰ってくるというのを繰り返していた。それが今年はまた畑の側で卵を温めている。そうそう、畑の側でひなをかえす方が安全だと思うよ。

2024年3月21日(木)

富士山は東京への行き帰りに新幹線の中から見るだけだったので、以前から富士山をじっくり見たいと思っていたという広島の友人が、「【広島空港発着】(富ノ湖ホテル泊) 絵ハガキのようなふじのくに10景2日間」というツアーの名前にひかれて、今月中旬富士山観光に行き、いろいろな場所から撮ったきれいな富士山の写真を送ってきてくれた。このツアーは早朝に広島空港に集合して、羽田到着後はバスで山梨方面の富士五湖あたりに行って、翌日静岡の御殿場から富士山見て、鎌倉の大仏によって、羽田に戻り広島に飛ぶというものだったそう。

まず最初に行ったのは、日本人には特に人気ではないけれど、海外の方には大変人気だという昔から絵葉書などでよく見る新倉山浅間公園から撮った富士山。絵葉書にある左側の桜の花はまだ咲いていない。そこにたどり着くのに398段の階段を休み休み上りましたとあった。私は行ったことのない場所。

次の写真は、千円札の裏側にある逆さ富士。千円札の裏側にそのような絵があるとは知らなかったので、見たらありましたー!と書いていた。ここは私たちも行ったことがある。お札と見比べながら、景色を見た憶えがある。

次の写真は、翌日朝6時半ごろ友人が宿泊したホテルの前からとった富士山だそう。「どこに行っても威風堂々とした富士山が目の前にあって大満足の2日間」だったそう。お天気が良くて、富士山の10景を満喫することができて、本当によかったですね。

2024年3月22日(金)

先日ガーニゼのひなは3羽とも元気にしていると書いたばかりだけれど、この火曜日のお昼前にエドソンが様子を見に行くと、ひな1羽の姿がなく、2羽だけになっていた。火曜日の朝一番にエサを与えた時は、ちゃんと3羽揃って元気にエサを食べていたのに、私たちが留守にしていた午前中に何かあったようだ。火曜日の午前中は、ひろをヴィラシーコに連れて行って予防接種をしてもらったので、2時間くらい家にいなかった。その間、一体何があったのか?ひな1羽がいなくなっただけで、他の鳥たちは全員無事なのでミステリー。死骸がどこにもないので、何かに襲われたのかもとエドソンと話している。

2024年3月23日(土)

3月21日付けのブラジル日報に、「《ブラジル》=訃報 作家の醍醐麻沙夫さん」という記事があった。醍醐麻沙夫さんは楽書倶楽部の同人の方なのだけれど、一度参加した親睦会で直接お目にかかったかどうか記憶にない。彼は、毎回アマゾンのことやブラジルのジョークを紹介する記事を書いて楽書倶楽部に寄稿しておられたので名前だけはよく知っている方。それにオンラインのブラジル移民文庫を私もよく知る石田さんたちと一緒に作られたり、移民100周年を記念して出版された4巻からなる「ブラジル日本移民百年史」の一部の執筆担当をされたことなどは私でも知っていた。でも、彼の来歴や彼が日本で出版した著作がいろいろな賞をとっていたということはこの記事で知った。ブラジルに来る前は、日本のビッグジャズバンド「スマイリー小原とスカイライナーズ」でサックスを担当していたということにも驚いた。スマイリー小原とスカイライナーズと言えば、父が会社員の頃、工場で開催された慰労会か何かにこのバンドが来た際、父は受け入れ担当だったのか、スマイリー小原さんと直接関わり、話をする機会があったらしいのだけれど、とても立派な紳士だったと言っていたことを思い出した。当時私はまだ小学校高学年か中学生の前半だったのだけれど、テレビで見るスマイリー小原さんがバンドの前で踊りながらニコニコと楽しそうに指揮をとっていたのを今でも憶えていて、それに加えて父が言ったことまで憶えているなんてと、我ながら驚いた。 この記事のサイトは、こちらへ

2024年3月24日(日)

先日、「とっさんTV」のとっさんが、「国連憲章も条例も守らない、国際的な信頼も失う、経済制裁まみれ、周辺国をNATOに加盟させる、国民を侵略地で何十万人も失う、ルーブルも暴落。結果として僅かな土地を占領するに留まる。こんなプーチンがロシアに与える国益ってなに?」という「無重力弾さん」という人のXへのポストを紹介していた。「ロシアという国をぶっ壊しているのはプーチンというひとりの独裁者だ」と、とっさんは動画を締めくくっていた。

2024年3月25日(月)

次の写真は、エドソンがネットショップのメルカド・リブレで買った品々。右上から、カシューナッツを砕いて粉末にしたもの。これを小麦粉に混ぜてパンを焼いたり、パンケーキを作ってほしいということだった。この土曜日の朝食に早速これを小麦粉に混ぜてパンケーキを作ってみた。悪くない。小麦粉だけで作ったものよりも少し軽い感じかなと思った。カシューナッツの粉末の手前は、リニャサというあんパンの上に乗っているケシの実のような種を砕いて粉にしたもの。これもパンを焼く際小麦粉に混ぜるといいのだとか。その左は塩をふっていないピーナツ。ナッツ類はスーパー・コンフィアンサで買うのだけれど、少量でも結構値段が高い。ネットショップで1キロのものを買うと、割安なので買ったということだった。それから、その後ろの大きな容器は3リットルのココナツオイル。エドソンが子供の頃はココナツオイルが安かったので、お料理にはココナツオイルを使っていたのだけれど、そのうち需要が供給を上回るようになり、値段が上がり、サラダ油やオリーブ油の方が安くなり、ココナツオイルは高級品になってしまっていたのだけれど、最近供給が追いついてきて、値段が下がってきているみたいなので、ネットショップで調べたら、この3リットルのものが130レアルちょっとだったので買ったのだそう。最近オリーブ油の値段が上がってきていて、パーディーニョのスーパーでは500mlが50レアル超するようになってきていて驚いていたら、スーパー・コンフィアンサでは30レアルちょっとだったので、前回買い物に行った際2本買った。でもこの3リットルのココナツオイルだと500mlが20レアルちょっとという値段になるので割安だし、ココナツオイルは体にいいからお料理に使ってほしいということでこの大量購入となった。

2024年3月26日(火)

先日デイリーWiLLでコロナパンデミックを総括する興味深い番組をやっていたので、約1時間と長いのだけれど、ここにリンクをはってみる。この【命がけの告発】新型コロナ「人工ウィルス・パンデミック」仕掛け人を実名暴露【宮沢孝幸x掛谷英紀x山根真=デイリーWiLL】のサイトは、こちらへ

2024年3月27日(水)

先週の木曜日まで1週間あまり最高気温が32度前後で最低気温も20度を下回ることのない暑い日が続いていたので、木曜日の夜までは扇風機をつけて寝ていた。すると木曜日の夕方から雨が降り気温が下がり始め、金曜日は朝からお天気が悪く日差しがなく気温が上がらず、午後からの雨でさらに気温が下がったため、夜は毛布を1枚増やして寝てちょうどいいくらいの気温になった。この急激な変化はここではよくあることだけれど、いつもすごい落差だなと思う。続く土、日も日差しがなく、雨模様で、最高気温が21度とか22度と低く、一気に寒くなった。

コロナ禍以来会うことのなかったボトゥカトゥの精神科医のドトー・ベニジートと奥さんでアレルギー専門医のドトーラ・エレインから連絡があり、久しぶりに会いましょうということで、土曜日の夜は、パーディーニョの町に出かけて行った。彼らがパーディーニョで毎週土曜日に要支援の子どもたちのために特別支援学級をやっている場所で、出前で頼んだピザを食べながら、いろいろ話をした。パーディーニョの町の老人ホームの運営・管理をまかされているジョゼ・トゥッシさん(うちの離れの電気の配線と取り付けをしてくれた電気工事関連のお店をやっている人で、以前、一時私との英語のレッスンに来ていたニコールのお父さん)もいて、彼から老人ホームの現状を聞いて、資金調達やイベントなどのプロジェクトを支援するためのブレインストーミングが目的だったのだと、話を聞いていてようやく理解できた。話し合いは当然のことながらすべてポルトガル語だったのだけれど、結構内容を理解することができたので、私としてはちょっとうれしかった。この日は雨が降ったり止んだりで、夜も寒く雨模様だったので、ひろはシュハスコ小屋ではなく、家の中でお留守番してもらった。家の中でのお留守番は初めてだったのだけれど、おもらしをしたり、何かを壊したりすることなく、おとなしく待っていてくれたので、感激。

2024年3月28日(木)

今、フランスのマクロン大統領がブラジルに来ているらしく、ルーラ大統領とアマゾンで合流して会っている写真がいろいろメディアに出ていて、ふたりが手をつないでいる写真がたくさん出ているので、「ふたりは結婚した」というジョークが飛び交っていると、エドソンが教えてくれた。ええ~!どうして手をつないでいるの?どうしてふたりはそんなに仲がいいの?フランスはウクライナを支援していて、ルーラはウクライナへの支援はせず、ロシアびいきなのだから、話が合うはずはないのに・・・。どうやらルーラは南米南部共同市場・メルコスールとEUが合意する手助けをマクロンにしてほしかったようなのだけれど、EUの市場ルールにメルコスールは合わせられていないので、まだ現状では合意を手助けすることはできないとマクロンは発表したのだそう。でも、アマゾンの自然保護のための資金提供をしたということだった。

2024年3月29日(金)

数日前に、ひろたちとの昼食後のお散歩に出た際、入り口ゲート横の背の高いパイネイラの木に少し花が咲いているのが見えた。入り口ゲートを入ってきて、目の前に見えるパイネイラは横に大きく枝を広げて成長して、数年前から花を咲かせるようになり、年々花の数が増えているのだけれど、入り口ゲート横の左右に植えたパイネイラは、東側の木はどんどん背が高くなって、一昨年だったか初めて少し花を咲かせたものの、昨年は花を咲かせなかった。そうしたら、今年は花を咲かせてくれた。入り口ゲートの西側のパイネイラは3本の中で一番小さく、まだ一度も花を咲かせたことがない。木によって成長の度合いが異なり、おもしろいものだなと思う。次の写真は、丘の上から入り口ゲートの方向を見て撮ったもの。左側に花をたくさん咲かせているパイネイラが一部写っていて、右側に入り口ゲート横のパイネイラが写っている。2枚目の写真は、入り口ゲート横のパイネイラをアップで撮ったもの。まだ数は多くないけれど、花を咲かせているのがはっきりとわかる。

2024年3月30日(土)

この水曜日に、これまでひなを生んだことのなかったガーニゼのメスが3羽のひなをかえしていることを確認した。うちに3羽いる大人のメスのガーニゼの中で、この1羽だけはうちに来てから一度もひなをかえしていなかったのだけれど、ここ数週間、姿が見えず、たまに朝みんなにエサをあげる際、見かけることがあるだけなので、エドソンはきっとどこかで卵を抱いているんだろうと言っていた。でも、どこで卵を抱いているのかわからなかった。そうしたら、先週の初め頃、家の西側のゴールデンマーガレットが群生している中で、上手に葉で体を隠して卵を抱いているガーニゼをエドソンが発見。以後、側にエサを置いたりして見守っていたら、水曜日の朝、朝食後にひなたちの姿が見えたので、写真を撮ってみた。このひなたちも2羽が白っぽくて、1羽が茶色っぽい色をしている。

水曜日の午後、この親子が外ベランダの横の花壇に移動していたので、めいに近すぎるから危険だし、雨が降り出すかもしれないから畑に移動させようとエドソンが言うので、私がひなを捕まえて箱に入れ、その箱をエドソンが持ってお母さんガーニゼにひなの声を聞かせながら、私がお母さんの後ろから畑の方向に移動するように見守りながら、無事移動してもらった。その後エドソンが様子を見に行ったら鳥小屋の前でお母さんがひなをお腹の下に入れて座っていたので、鳥小屋に入りたいのだろうと理解し、扉のところに置いてあったレンガをどけて、扉を大きく開いて、みんなを小屋に移動させたのだそう。今月初めに生まれたひなたちとそのお母さんも小屋の中にいたので、扉を閉めて、お母さんガーニゼ2羽とひな5羽でしばらく安全に過ごしてもらうことにしたと言うことだった。

2024年3月31日(日)

私がいつもYoutubeで見ている「飯山陽のいかりちゃんねる」は、飯山さんが日本保守党の東京第15区支部長になって、街宣活動を始めたので、いかりちゃんなのかあかりちゃんなのか混同するからということで、名称を本名の「飯山あかりちゃんねる」と変えた。3月上旬に飯山さんが日本保守党から東京第15区の支部長になり、衆議院議員の補選に出ると聞いて驚いたけれど、彼女の心意気には共感した。彼女は頭がいいだけでなく、論戦に強く、精神的にも強いので、切り込み隊長としていい結果が出せるといいなと思う。新聞やテレビと言った主要メディアは保守党のことも、飯山さんのことも、ニュースにほぼまったく取り上げないけれど、SNS上では、複数の人たちが彼女たちの辻立ちをネット上でライブ配信している。ネットの上ではとても良く知られていても、ネットを見ない人たちにはまったく知られていないのだろうなと思う。自分たちに不都合なこと、報道したくないことは報道しないというメディアの対応ってどうなの?と、思う。さらに先日その選挙区から乙武氏が小池都知事や自民党などの推薦を受けて出馬するというニュースがあった。でも、乙武氏は左翼の人。やはり自民党は安倍さんを失い、行く先を見失い、お金だけを追い求めるエセ保守に成り下がってしまった感が強い。先日、彼女の「飯山あかりちゃんねる」で、再生可能エネルギーの嘘と言うか、不都合な真実を鋭く語っていたので、そのサイトを以下にコピーしてみる。その「【飯山あかり】社会を守る日本保守党、社会を変えるリベラル」というサイトは、こちらへ



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