Kyoko Yoshida Life in Brazil BLOG 

2024年2月1日(木)

節分に年の数だけ豆を食べるのはなぜかネットで検索してみた。すると、『節分(2月3日)には、「鬼は外、福は内」と豆(いった大豆)をまいて、邪気を祓った後に、年齢の数だけ豆を食べて、1年間の幸せを祈ると言われています。 これは、米と同じエネルギー源で霊力を持つとされる豆をまくことで、病や災いを祓い、更にその豆を食べることで力をいただけると考えられたからです』とあった。子供の頃は年の数だけ大豆を炒ったものを食べても数がしれていたけれど、この年になるとちょっと何十粒もは多すぎて食べられない。日本のお店で売っている豆菓子のようなものであれば食べられるかもと思うのだけれど、どうかなあ~。でも、ここではそんなものは手に入らない。次の写真の人気豆菓子の中のグリーン豆は、日系食料品店のウエノで見かけたことがあるような・・・。これなら食べられるかな?でもこれは大豆ではないから意味がないかも。

2024年2月2日(金)

今週月曜日の午後、香山文庫のメールアドレスに、日系3世の男性から香山文庫の本に関する問い合わせのメールが届いた。『滝井康民訳の「苦しい日々」グラシリアノ・ラーモス作 「時と風 ~アンナ・テーラ編」エリコ・ヴェリシモ作はまだそちらにありますか?』という内容だった。リストをチェックして早稲田大学図書館には送っていない本だったので、下のエドソンの事務所の書棚に行って確認するとあった。『ありますよ。送りましょうか?』と返信すると、送ってほしいとのこと。さらに『滝井康民の「きずな」と、滝井康民訳の「囚われ人」エリコ・ヴェリシモ作もありますか?』と追加で尋ねてきたので、「きずな」は早大に寄贈したのでないけれど、「囚われ人」はありますよと返信。何でもこの滝井康民氏は彼のお祖父さんで、お祖父さんの書いた本を探していて、香山文庫に辿り着いて問い合わせをしてきてくれたようだった。香山文庫の本のうち310冊を昨年早稲田大学図書館に寄贈したことを伝えると、何と私のブログを読んでいるらしく、知っているという返事だった。ああ、それで「まだ」ありますか?と聞いてきたわけねとその時ようやく理解した。そしてポルトガル語ではなく英語でメールを送ってきてくれたのも、私のポルトガル語がいまだにおぼつかないことや、英語を教えているということを知ったうえでのことなんだなと思った。これらの本はポルトガル語の本を日本語に翻訳したもので、日系人の自分史というものではなく、しかもコピーのようなので早大には送らなかったのかもしれない。それでその2冊を水曜日にエドソンが町に食料品の買出しに行く際に郵便局にも寄ってもらい、サンパウロに向けて発送しようと思ったのだけれど、午後からすごい暴風雨、しかもまたひょうを伴う雨で身動きがとれず、買い物も郵便局も木曜日の午前中にずれ込んだ。次の写真は、その2冊を発送する前に撮ったもの。これらの本がご家族の元に戻ることができて良かったと思った。

2024年2月3日(土)

昨日書いた、日系3世の男性から問い合わせのあった本を郵送する準備をしていて、そう言えば、数年前にコロニア平野という日系団体の方から「読本ブラジル移民の父 平野運平」がそちらの香山文庫のリストにあるけれど、それを販売してもらえないかというメールでの問い合わせがあったことを思い出した。メールをチェックしてみると2019年6月のことだった。その頃はまだ、香山文庫をどのように活用すべきかと考えを巡らせていた頃なので、ここの本は売り物ではありませんので申し訳ありませんがご要望にお応えできませんと返信をして、この本を出版した日本の「平野運平を顕彰する会」に問い合わせてみられては?と、その会の住所を教えてあげたことがあった。この本は香山さんから引き継いだ本ではなく、どのように入手したのか記憶にないけれど、私が入手した本だったから、早大には寄贈していなかった。それで日本から本を入手できておらず、まだ入手希望なら送ってあげますよというメールを英語で書いて、エドソンにポルトガル語に翻訳してもらった。そして以前もらったメールに返信する形でそのメールを送ったのだけれど、このアドレスは存在していないというメッセージと共にメールが戻ってきてしまった。こういう団体というのは活動が途絶えると連絡不能ということになるんだなと思った。ここにある本が家族の元に戻ったり、関係コロニアに戻ることができたら、それが一番良いと思ったのだけれど、コロニア平野の活動がどうなったのか、連絡が取れなくなってしまってはどうしようもない。

2024年2月4日(日)

水曜日の午後、エドソンが買い物に出かける際、西や北の空が真っ黒い雲で被われていた。そして少しすると激しい雨が降り出した。その時エドソンはすでにパーディーニョの町のガソリンスタンドで発電機用の灯油を買おうと立ち寄った所だったらしく、ひょうも降ってきたりしたため、身動きがとれず、結構長い間そこで足止めをくらったと言っていた。そして、ひょうが止み、激しい雨の勢いが衰えた所で郵便局に行ったのだけれど、閉まっていて郵便を出すことができなかった。そうこうしているうちにオンラインミーティングの時間も迫っていたから買い物はせず、木曜日に出直すことにして、帰宅したということだった。我が家でお留守番の私は、雨が降り出した際、お天気レーダーで雲の状態をチェックして、すぐにコンピュータと冷蔵庫のコンセントを抜き、居間のソファーの上で横になっていたら、ひろがやけに静かだなと思ったようで、居間に私の様子を見にきたので、彼もソファーの上にあげて、ふたりでおとなしく嵐が過ぎ去るのを待った。次の写真は、雨が小降りになり、エドソンが戻って来た際、私はソファーを離れたのだけれど、ひろがひとりでまだソファーでおとなしくいい子にしているところを撮ったもの。基本ソファーに上がってはいけないことにしているので、ひろは自分からソファーに上がったりはしないけれど、私たちがソファーに座っていると一緒にソファーに座りたいと言ってくる。

2024年2月5日(月)

家の西側の庭にあるぼんぼりちょうちんの花が咲く木の足元に、手伝いのパラナが何度も土を盛ってくれたのだけれど、その都度、鶏やガーニゼがここで土をかき分けて窪地を作って砂浴したり、お昼寝したりする上に、激しい雨が降ると、その柔らかい表面の土が雨で流されるというのを繰り返していた。そうしたらこの土曜日に、エドソンの指示なのか、パラナが自分で思いついたのかわからないけれど、木の足元にレンガを置いて、その中に土を入れてくれていた。これなら鶏たちが土をひっかいたり、雨で土が流されることはなくなるなと思った。この木の足元に土を盛ってから、この木の調子がとても良く、今でも花を咲かせてくれている。以前ひょろひょろで、花の数も少なかったのは栄養が不足していたからなのかな?

2024年2月6日(火)

3日の節分に大豆を炒って食べようかどうしようかと悩み、炒った大豆は硬いのでエドソンが食べたがらないし、じゃあ、サラダを作ろうと思ったのだけれど、大豆でサラダを作ろうと思ってもすぐにできるわけではなく、前の日から豆を水に漬けてふやかして、次の日に煮るということをしなければならないので、その日に思いついてすぐできるというものではない。それで、3日に水に漬ける準備を始め、4日の朝に煮て、夕飯用に煮た大豆と野菜でサラダを作った。1日遅れではあるけれど、大豆を食べることができた。これで一応、今年一年の病や災いを祓うことができたかな?

2024年2月7日(水)

次の写真は、ランドマークの木の前を撮ったもの。この木の前には廃材や、セドリーニョの下枝をはらった枝などが雑然と積まれていたのだけれど、ここもパラナがきれいに整理してくれたので、すっきりした。画面左手前に積まれている枝は、電信柱の側で電線を押し上げていたセドリーニョと桜の木を切った後、薪ストーブに使えるように小さく切ってもらったもの。薪ストーブには入らないサイズのものもあるけれど、これらもおいおい小さく切ってもらおうと思っている。2枚目の写真は、切った枝をランドマークの木の前に移動させたのできれいになった電信柱の側の様子。左側がセドリーニョの切り株で、右側は桜なのだけれど、桜は新しい芽が出て、枝を伸ばしてきてしまっている。桜って切っても切っても新しい芽が出てくる。とても元気な木だなと思う。

2024年2月8日(木)

離れの北側の入り口ゲートに向かう辺りに、パラナ州カストロ在住の蓼沼さんご夫妻からいただいた陽光桜の木を2本植えている。同じような大きさの苗木をいただいたのだけれど、1本は元気に葉を茂らせて大きく育っていて、もう1本はあまり元気がなく、植えた時点よりも大きくはなってはいるものの、まだまだ小さい。この桜は庭や家の周囲に植えているヒマラヤ桜や沖縄桜よりも花の咲く時期が遅く、9月にならないと咲かない。それなのにヒマラヤ桜や沖縄桜はまだ緑の葉を青々と茂らせている今の時期、この陽光桜の葉が紅葉し始めたので写真に撮ってみた。

2024年2月9日(金)

去年の前半に1羽、後半に4羽のガーニゼ(チャボ)のひなが生まれた。前半に生まれたガーニゼはオスだったので、成長すると前からいるオスと競争のように朝早くからコケコッオーと鳴くようになり賑やかこのうえない。そして、後半に生まれたガーニゼの1羽もどうやらオスだったようで、この子も最近、まだヘタなりに朝鳴き声が聞こえるようになった。このオスたちは同じガーニゼのお母さんから生まれた子たちで、羽の色合いがだんだんそっくりになってきている。このお母さんと2羽のオスは他のガーニゼたちとは少し距離を置いていて、いつも3羽で一緒に行動している。次の写真の真ん中がお母さんで、向こう側が去年前半に生まれ立派な大人になったオスで、手前が去年後半に生まれたまだ成長中のオス。別の母親から生まれた残る3羽のひなの性別はまだわからない。

2024年2月10日(土)

ブラジルでは今日から13日(火)までが一応カーニバルということになっている。一応と言うのは、リオなどでは通りでの一般住民たちのパレードのようなものはすでに一週間前から始まったいるらしいから。でも、カレンダー的にはこの週末がカーニバルで、リオやサンパウロのカーニバル専用のパレード会場でのパレードコンテストが行われる。そして、学校などは13日まで休みで、会社などは12日だけ休みだったり、12日と13日両方休みだったりとマチマチのよう。このカーニバルを前に、リオの日本総領事館から以下の「リオのカーニバルに関する注意喚起」と題するメールが届いたので、以下にコピーしてみる。

多くの人出が予想されるカーニバル期間中(2月9日(金)~2月17日(土))は、強盗、窃盗等の犯罪に巻き込まれることのないように十分注意して下さい。なお、12日(月)、13日(火)、14日(水)は当館の休館日となります。

1 カーニバル会場の周辺には、複数の麻薬密売組織が活動するファベーラ(スラム街)が点在しています。不案内な場所には決して立ち入らないように注意してください。また、会場内においても、毎年、スリや置き引き等の盗難が多発しています。所持品から決して目を離さないようにしてください。

2 ブロッコ(街中でのカーニバル)の参加者や周囲の観衆に対するスリやひったくりが多発しています。ブロッコに参加する場合や付近で観覧する場合には、所持品に十分に注意してください。

3 一緒に踊るような素振りをしながら、体を密着してくるような人物には特に注意が必要です。共犯者がポケットからスマートフォンや財布を抜き取る手口の窃盗が多く発生しています。

4 カーニバルの開催に関し、警察当局は警備体制の強化を発表していますが、観光客の増加によって強盗・窃盗等の増加が予想されます。また犯罪のほか、酔っ払い、喧嘩等のリスクも増加しますので、巻き込まれないように周囲には十分に注意を払って行動してください。

5 例年、カーニバル時期になると、コパカバーナ地区やイパネマ地区等において、アハスタオンと呼ばれる集団強盗事件が発生します。この犯罪は、複数の若者が付近の通行人や観光客から金品等を強奪する犯罪です。外出時の携行品は必要最小限とするよう心がけてください。

6 強盗の被害に遭った場合、決して抵抗しないでください。当地犯罪者の凶器(拳銃、ナイフ等)所持率は非常に高く、少年であっても凶器を所持していることが多々あります。抵抗や逃走を試みたがために、発砲されたり、刺されたりする被害が発生しています。そうした行為の誘発を避けるため、相手の要求に従ってください。

7 犯罪の発生に備え、リオ州文民警察は、会場周辺(Setor11付近)に臨時警察署を設置し、被害の届け出に対応しています。外国人被害に対応するレブロン地区のDEAT(観光警察署)も体制を強化しており、英語での届出も可能です。 DEAT(観光警察署)
住所:Av. Afranio de Melo Franco, 159, Leblon
電話:(21)2334-6802/2334-6807/2332-2893/2332-2887

【問い合わせ先】
在リオデジャネイロ日本国総領事館

2024年2月11日(日)

次の写真は、金曜日の夕飯の食卓。メニューは、さつまいもの唐揚げ、お豆腐と人参とツナのがんも、茹でブロッコリー、ラディッシュの酢の物。金曜日はマテウスのレッスンの日なのだけれど、この金曜日はお休みだったので、揚げ物をする時間的なゆとりがあり、こういうメニューにした。彼は木曜日くらいから両親と一緒に大学のあるロレナに行って、町や大学の様子を確認したり、これからの生活に必要なものを買ったりすると言っていた。学校の登録もオンラインで済ませたと言っていたし、準備ができたら、後はロレナに引っ越すだけ。楽しみだね。マテウスとのレッスンができるのも、後1回。学校の休暇で実家に戻ったら、必ずうちにも顔を出すと言ってくれているけれど、7月の冬休みまではだいぶある。何だか寂しくなるな。

2024年2月12日(月)

日曜日の午前中、隣町のボトゥカトゥのスーパー・コンフィアンサに買い物に行った。入り口ゲートを出て車が動き出したら道路の北側の草ボウボウだったエリアが耕されていたのでびっくり。ここは私たちが来た頃は牛の放牧地として使われていたのだけれど、数年前に牛が放牧されなくなって以来、草ボウボウになっていた広い広い場所。とうもろこしか大豆か何か知らないけれど、何かを育てるために耕したのかな?でも、道路の際は草ボウボウ。1枚目の写真の画面左奥に見える家々は、パーディーニョの町の西の端。

2024年2月13日(火)

日曜日に買い物に出かける際は気づかなかったのだけれど、買い物から戻り、うちの入り口ゲートを入って見えたパイネイラの木の上の方に花が咲いていたので、買い物荷物の整理が終わった後、カメラを持って出て、次の写真を撮った。1枚目の写真は、パイネイラの木の全体像。2枚目の写真は、木の上の方で咲いている花を撮ったもの。

2024年2月14日(水)

次の写真は、スーパー・コンフィアンサで買ってきた昼食用のサンドウィッチ。私たちはめったに外食をしないのだけれど、週末にスーパー・コンフィアンサに行くと、いつもお昼用に何か簡単に食べられるものを買って帰ることにしている。今回は柔らかいフランスパンにチーズやサラミなどをはさんだサンドウィッチにした。

次の写真は、スーパー・コンフィアンサで買ってきた冷凍ピザ。エドソンが日曜日の夕飯に食べようと言って選んだもの。これにトマトとオリーブを追加して焼いて出来上がったピザが2枚目の写真。さらにこれにルッコラを加えておいしくいただいた。

2024年2月15日(木)

スーパー・コンフィアンサではパーディーニョのスーパーでは販売されていない魚を買うことが一番の目的だけれど、その他にもしいたけ、しめじ、シャンピニオン・マッシュルームなどもパーディーニョのスーパーでは手に入らないので、これらも必ず買うことにしている。次の写真は、右からしいたけ、黒しめじ、シャンピニオン・マッシュルーム。以前、ソロカバという町で、大々的にしいたけ栽培の菌床を作って、しいたけ農家に卸している日系の人のところで、シャンピニオン・マッシュルームは中国人の人が作っている場合が多く、とても非衛生的な環境で作っていると聞いて以来、買わないようにしていたのだけれど、去年のいつだったか、コンフィアンサでとてもきれいなシャンピニオン・マッシュルームがあったので、買って食べてみると、とてもおいしかったので、以来、時々買うようになった。

以前、コンフィアンサで日本米のもみじを見かけたことがあったので、日本米も買おうと思ったら、もみじはなく、ブラジル産のたいようまい(太陽米)というのがあったので、これまで食べたことのないブランドだけれど、ウエノで見かけたことがあったので、買ってみた。そして、次の写真のお米の右側の容器に入ったものは、手前からアーモンド、カシューナッツ、ピーナツ。これらは私のおやつ。こういうナッツ類もパーディーニョのスーパーでは手に入らない。それから、最近オリーブオイルの値段が50レアル超とひどく高くなったと言って、エドソンが悲鳴を上げていたけれど、コンフィアンサで見てみると30数レアルとずっと安かったので、オリーブオイルも2本買った。

2024年2月16日(金)

エドソンの元同僚の人がお正月の休暇で実家に帰省中、ご近所の丘に上がって撮った富士山の写真を送ってきてくれたので、ちょっとボヤけたその写真をブログに掲載した。そうしたら先日、前回の写真はボヤけていたからと、別の日に撮ったきれいな富士山の写真をまた送ってきてくれた。広島の友人が富士山の写真に添えて送ってきてくれた「山笑う歩き続けるだけのこと」という一句が、富士山の写真を見る度に頭に浮かぶようになった。一富士、二鷹、三なすびと言うけれど、今年は1月2月と富士山の写真が続いたので、夢に出てきたわけではないけれど、良い年になるかな?

2024年2月17日(土)

「飯山陽のいかりちゃんねる」で解説していたUNRWAに関するもの2つにリンクをはってみる。ちなみに、いかりちゃんはYoutubeの検閲にひっかからないように、ハマスのことはカマス、イスラムのことはスライム、テロはトロなどと言葉を置き換えていることを念頭に聞いてみてください。まずは「【衝撃事実!】UNRWA本Aの下にハマ○司令部!」という話のサイトは、こちらへ

「【1億円!子供を盾に!】ハマ○指導者が卑怯すぎる!」というサイトは、こちらへ

2024年2月18日(日)

昨日に引き続きいかりちゃんのUNRWA関連解説動画をもうひとつ。「【グローバル公金チュウチュウ!】UNRWA日本人幹部に騙されるな!」というサイトは、こちらへ

2024年2月19日(月)

今年の私の誕生日は今週の平日なので、昨日の日曜日に一足早く誕生日を祝って昼食を食べに行くことにした。マテウスも今週ロレナに引っ越して、来週からいよいよ大学生活が始まるので彼の歓送会も兼ねて、彼も誘って3人で出かけて行った。昨年11月にアメリカから友人夫婦が来た際に初めて行った場所で、パーディーニョにあるレストランよりもメニューが豊富で気に入ったので、今回もそのガーデンレストランに行くことにした。でも、到着してみると建物の解体工事が行われていて閉まっていた。それで仕方なくそのお隣のレストランに行ったのだけれど、そこのスタッフの人にお隣がどうなったのか聞いたところ、ボトゥカトゥの町中に引っ越したのだと言っていた。結構気に入っていたのでちょっと残念に思った。でも、お隣のレストランもなかなかいい感じのお店で、お料理も悪くなかったので助かった。レストランの建物の外の屋根のあるベランダのような場所のテーブルに陣取って、お料理を注文して、飲み物を飲みながら待っていると、何だかカーニバルのような賑やかな笛や太鼓の音がして、複数の人たちがやって来たので写真を撮ってみた。私たちのいるベランダの向こうから入って来て、お店の中を練り歩いて、出て行ったようだった。地元のストリートカーニバルだったのかな?カーニバルは一応カレンダーの上では10日から13日までなのだけれど、この日曜日まで長いカーニバル休暇を取る人たちも結構いるようなので、多くの人たちには18日の日曜日が終わって、ようやくカーニバルが終わるという感じらしい。

前菜のブルスケッタを食べ終わり、サラダが来て、それを食べ始めていたらお肉が来たので、お肉を持って来てくれたウェーターさんに撮ってもらったのが次の写真。サラダは洗面器のような容器にたっぷりだったけれど、前菜のブルスケッタの量がとても少なかったので、お肉を食べ始めてからフレンチフライを追加で頼んだ。私はお腹一杯になったけれど、マテウスは足りなかったんじゃないかな?とエドソンは心配していた。

2024年2月20日(火)

日曜日のお昼を外食してしっかり食べたので、夕飯はどうしようかと悩んだ。ちょうど先日スーパー・コンフィアンサで買ってきたアスパラとマッシュルームがあり、エドソンも賛成したので、アスパラのリゾットを作った。食べる前に写真を撮ろうと思っていたのに、いざ食べる段階になったらすっかり忘れて、食事が終わってから片付けをしていて、写真を撮り忘れたことを思い出した。それで、そのアスパラのリゾットが載っているお料理の本の写真を撮った。アメリカなどのお料理の本は写真が掲載されていないので、これでどんな感じのお料理ができるのか想像できないことが多いけれど、日本のお料理の本は必ず写真があるので、本のページをめくりながら、おいしそうなお料理の写真を見て、これはどうやって作るのだろう?と思いながら作り方を見ることができるので、とてもいいなと思う。

2024年2月21日(水)

最近、エドソンは毎日のようにルーラがまたバカなことをしたとか、言ったとかで腹を立てている。ルーラというのは現在のブラジルの大統領。先週後半からエジプトとエチオピアを訪問して月曜日くらいに帰国したらしく、その間いろいろなニュースが頻繁に流れていて、エジプトでは奥さんと一緒にうれしそうにピラミッドで記念写真を撮ったりして、エジプトに観光に行っているのかと批判されたり、エチオピアではイスラエルは戦時中ナチスがユダヤ人に行った虐殺と同じことをガザで行っていると言ってみたり、もうめちゃくちゃ。その発言の後で、イスラエルのネタニヤフ首相が怒りの声明を出したり、世界の多くのユダヤ系の団体が批判したりしているという。そして、ネタニヤフ首相はルーラをペルソナ・ノングラータ(このましからざる人物)と正式に指定したというニュースまであった。ロシアのウクライナ侵攻に関してはロシア寄りの発言ばかりして、中国が大好きで、アルゼンチンの大統領選挙ではミレー大統領の対立候補に多額の資金を提供したり、これまでもパレスチナやハマスを支持する発言を繰り返しているとんでもない大統領。そもそもルーラは共産主義者で、昔、ブラジルが軍政だった頃、反体制派でいろいろテロを行っていたテロリスト。そして、大統領時代にいろいろ不正なことをして、逮捕、起訴され、監獄に収監までされたのに、うまいこと最高裁判事を丸め込んで、シャバに戻ってきて、大統領に再選した人物。こんな人が大統領なのだから、ブラジルも浮かばれない。でも、彼を選んだのはブラジル人自身なのだから、自業自得な面もあるのだけれど・・・。

2024年2月22日(木)

ガーニゼ(チャボ)は体が小さいので、彼らが生む卵も小さく、鶏の卵の半分くらいの大きさ、と言うか、小ささ。先日の朝、いつものように畑に集合している鶏、ガーニゼ、ダンゴーラたちにエサを与えた後、鶏小屋の中の卵を生みつけるための箱の中を確認してみると、ガーニゼの卵がひとつあったので、それを持ち上げると、その後ろにとっても小さな卵がもうひとつあった。まるでチコチコか何かの小鳥の卵のように小さかったのでびっくり。でも、小鳥は自分で作った巣に卵を生みつけ、わざわざ鶏小屋の中まで入ってきて生みつけたりはしないので、これってまだ完全に大人になっていないガーニゼのひなが生んだのだろうか?と思った。食べれるのかどうかよくわからないけれど、一応、家に持って戻った。

2024年2月23日(金)

玄関扉の前に置いて長年使ってきた泥除けマットがだいぶ傷んで割れてきて、ずいぶん哀れな感じになってきたので、新しいものが欲しいなと思いつつ、どこに行けばこういうものが買えるのか、探し回る時間がないので、欲しい欲しいと思いながら、長い間我慢していた。すると先日エドソンが、これ新しいものに変えようと言ってくれ、ネット上のメルカド・リブレで探してみると言い、早速注文してくれたものが届いた。そうだった。その手があったんだ。メルカド・リブレで探せば本当にいろいろな物が簡単に手に入るからとても助かる。しかも普通の宅配業者はここには届けてくれないけれど、メルカド・リブレだけは独自の配送システムを持っていて、GPSも利用しているので、自宅まで届けてくれるので、それもとても助かる。新しいマットの大きさは以前のものとほぼ同じ、古いマットはプラスチック製だったけれど、新しいものはポリエステル製なのだそう。ここは都会と違って、家から一歩外に出れば、土の上を歩くわけだし、雨が降ると、私たちの靴も、ひろの足も泥だらけになるので、入り口にこういうマットは欠かせない。次の1枚目の写真は、古いマット。2枚目の写真が、新しく買ったマット。

2024年2月24日(土)

次の写真は、今週手にした楽書倶楽部第71号。先週はカーニバルの余波で郵便局が閉まっていたので、今週ようやく手にすることができた。でも、今度はシステム障害とかで、発送しようとした日本への航空郵便は発送することができなかった。やれやれ・・・。そして、以下はこの号に掲載された私の文章。

停電とホタル

昨年の十一月初旬、ブラジル南部を襲った温帯低気圧の強風と豪雨で、サンパウロ市や周辺の都市でも大きな被害が出たようだ。木が倒れたり、電線が切れたりして、広域で停電が発生し、数日経過しても停電が続いている地域もあるというニュースがあった。その同じ温帯低気圧はサンパウロ州の中央辺りに位置する私が暮らす町でも激しい雨を降らせ、うちも停電になった。この時は我が家だけでなく、パーディーニョの町全体が停電したため、電力会社の対応が早く、幸いにも二~三時間後には電気が復旧し事なきを得た。

ここは豪雨や雷雨で本当によく停電になる。停電で夜電気がつかなかったり、長時間コンピュータが使えなくなるのは不便ではあるものの、なければないで何とかなるものだ。ただ、停電が数時間ではなく一日、二日と長引くと冷蔵庫の中の食料品が心配なので、過去に数日続いた停電の際は発電機を借りてきて冷蔵庫だけ動かしたりしたこともある。この十一月初旬にあった停電の一ヶ月前、十月の初旬にもやはり午後から雨が降った際、それほど激しい暴風雨ではなかたのに停電してしまった。後からわかった停電の原因は、敷地内で大きく育った木の枝が電線を押し上げて、電線を破損していたからだった。その時はうちだけの問題だったので、電力会社に電話で復旧要請をしてもすぐには対応してもらえず、数時間待っても誰も来てくれなかったため、復旧は翌日に持ち越しだと諦め、真っ暗にならないうちに夕飯を済ませた。片付けをした後は暗くてもう何もできないため、居間のソファーに座って、どんどん暗くなる外の景色をボーッと眺めていたら、居間の西側の窓から見える竹林や、北側の窓から見える防風林の並木のあちこちでチカチカ光るものが見えた。ここは夏の時期ホタルが飛び交うことがあるけれど、まだ夏ではない十月になったばかりの時期に、何だろう?と思ったら、夫が「ホタルだよ。昨日の夜も少し飛び交っていたよ。でも、今日はすごい数だなあ」と言う。まだ夏ではない時期に、無数のホタルが、目の前の一八〇度以上の視界で見えるなんて初めてのことだった。

停電になると、いつもやれやれまたかと思うのだけれど、この日は、そのホタルの乱舞に目を奪われて、ただただホタルを見て過ごした。そして、停電したお陰で無数のとても美しいホタルの乱舞を見ることができたので良かったねと、前向きな気持ちになり、やれやれと思ったことを忘れることができた。そのことをメル友のKさんにメールすると、昔、ここブラジルでお尻ではなく頭が光るホタルを見たことがあると返信をくださった。夫にそのことを話すと、頭が光るホタルは見たことはないけれど、子供の頃暮らしていた山の中のシチオで、目が光るホタルは見たことがあると言っていた。ブラジルにはたくさん変わった生き物がいるので、頭や目が光るホタルがいても不思議ではないかもしれないなと思った。

ここで見かけるホタルは、日本のゲンジボタルに似て、体長が二センチもない細長い虫で、お尻というか、腹部の下の方が光り、光っていない時は、その部分は白っぽい色をしている。たまに家の中に入ってきて息絶えていたりするので、その姿は結構見慣れている。十二月の初旬、シュハスコ小屋の中の流し台のところにこれまで見たこともない虫がいた。体長は4センチくらいで、甲虫の一種なのか、暑くなるとここで夜間よく窓に激突してくる丸っこいカナブンを大きく長くしたような虫だった。これは何だろうと思いながら、触ってみると目が緑色に光ったので、ひょっとしてこれは夫の言っていた目が光るホタルだろうか?と思い写真を撮った。夫にそのホタルを巨大にしたような虫の写真を見せると、とても変わったホタルだ!と驚きつつ、ネットで調べてくれ、ホタルではなくFire Beetleという名前の虫だということがわかったと教えてくれた。それで、Fire Beetleとコンピュータに入力してさらに調べてみると、Fire Beetle or Cucujo (Pyrophorus noctilucus)は、明るい発光性の斑点を持つ熱帯アメリカ産コメツキムシだということがわかった。

このコメツキムシの緑色に光る部分は目ではなく、虫の肩の辺りにある斑点で、目はちゃんと頭の先についている。私が撮った写真では、頭の先にある目がよく見えないけれど、肩の辺りに黄色っぽい斑点が二つ見える。これが光ると色は緑色に変わる。この虫はホタルではないけれど、親戚のようなものなのかもしれない。あの夜庭を埋め尽くすように見えたのはホタルだけでなく、このコメツキムシもいたのかもしれない。ホタルなんて日本ではめったに見ることはできないけれど、ここでは自宅に居ながらにしてホタルを見ることができるなんて、周りに民家がほとんどない田舎の農村地帯で暮らしているからこそ得られるご褒美のようなものだと思える出来事だった。

2024年2月25日(日)

次の写真は、私の誕生日にエドソンが作ってくれた夕飯。ソーセージのロースト、ジャガイモとトマトのサラダ、茹でた花ブロッコリーとご飯。向こう側に見えるのはこの2日くらい前に私が作ったお惣菜のきゅうりの酢の物の残り。2枚目の写真は、エドソンがスーパー・コンフィアンサで買ってきてくれたケーキ。スーパーのケーキは甘ったるくて重いものが多いのだけれど、これは軽いチョコレートのスポンジケーキにチョコレートをたらしたようなもので、甘すぎず、ちょうど良かった。その名もBolo Floresta Negra (dark forest cake)。前の週の日曜日にすでにレストランでのお誕生祝いのランチを食べているのだけれど、この日は僕が夕飯を作ると言ってくれ、午後5時に仕事を終えて上に上がってきて、せっせと作ってくれ、おいしくいただきました。感謝。感謝。

2024年2月26日(月)

Youtube上には本当にいろいろなサイトがあって驚いてしまう。その中で「カピ子ちゃんねる 絵とうた」というのが最近時々お薦めで上がってくるようになった。それでひとつふたつ見てみると、A宮関連の闇を突いたとても辛辣な絵と替え歌の動画で、よくもまあこんなに的を射た替え歌を作れるものだと感心してしまった。でも、A宮関連のものは正直見たくないので、見ないようにしていた。すると先日、天皇陛下の64歳のお誕生日の日に、「おひさま ~たいせつなあなたに」という題がついて、敬宮愛子さまの赤ちゃんの頃の可愛い絵がサムネにあったので、見てみた。何だかとても心が共鳴する内容で良かったので、ここにリンクをはってみることにした。このサイトは、こちらへ。この歌の歌詞が概要欄に記載されていたので、以下にそれもコピーしてみた。天皇陛下、皇后陛下、敬宮さま、生まれてきてくださりありがとうございます。

「ひかりがさし風が泳ぎ 生きてゆけるとそう思えたの
出会えた日は国民の記念日 ごめん おおげさ?本当の気持ちよ
あなたは我らの奇跡 あなたは我らの希望
暗い闇も行き止まりも みんななら 軽いね
あなたと ともに笑って あなたと ともに泣いたね
どこかで 私を 感じてて それだけでいいのよ
目覚めてから眠りにつく すべていとおしいそう思えたの
笑うだけで涙が出たわ ごめん 大げさ?本当の気持ちよ
あなたの喜びもらい あなたの痛みももらう
この暮らしがつづくのなら 何もいりはしない
あなたは私の奇跡 あなたは私の希望
必ずどこかで見ているわ それだけでいいのよ
たとえ世界中が あなたの敵だって
私たちは いつでも味方だわ 大丈夫信じて
あなたが忘れていても 私が忘れはしない
この命を 投げ出すのに 迷いなんてないわ
あなたは私の奇跡 あなたは私の希望
お願いどこかで笑ってて それだけでいい
それだけがいいのよ」

2024年2月27日(火)

うちで飼っている鶏はいろいろあって、数が増えたり減ったりして、現在は4羽いるのだけれど、去年後半、小屋の中の卵を生む箱の中で座り始めた鶏にガーニゼの卵を2つ抱かせたら、2つともひながかえったものの、1羽しか生き残れず、以来、その1羽のひなを自分の子供だとしっかり認識しているその鶏は、常にひなと一緒に2羽で行動している。その他の3羽の鶏は、以前はそれほど仲が良い感じでもなかったのに、ダンちゃんやガーニゼ同様、小屋を自由に出入りできるようにしたら、いつもその3羽が一緒に行動するようになり、上下関係がなくなり良い感じの仲間になっている。次の写真は、ある日の午後、家の南側をその3羽がそぞろ歩いていたので、撮ったもの。真ん中の鶏が、以前一番威張っていた部長なのだけれど、今ではもうそんな素振りは一切ない。

2024年2月28日(水)

先日、エドソンの妹のエリカから連絡があったそうで、21日に彼女が暮らしている実家のあるリオ州のパラカンビで大雨による洪水が発生したと言うことだった。パラカンビの雨もひどかったようだけれど、パラカンビより北の山間部ではもっとひどい大雨が降ったらしく、川の上流からその水がどっと流れてきて、パラカンビの町が水に浸かったらしい。次の写真で車が水に浸かっているのが見えるので、町の道路が川になっているのがわかる。

次の写真は、実家の前を流れる川を撮ったもの。水の量はだいぶ減っているけれど、川岸が削られて壊れている。実家は幸い道路よりも少し高いので、玄関の高さぎりぎりまで水が来たものの、室内に水が入ることはなかったらしい。2枚目の写真は、町のどこか場所はわからないけれど、土砂崩れで道路が半分塞がれている。この夏はあちこちで水害が発生したというニュースをとてもよく聞く。

2024年2月29日(木)

毎朝、起きるとまず寝室のカーテンと窓を開け、外の鳥たちの様子を見ることにしている。先日の朝もいつものように起きてからすぐに寝室のカーテンと窓を開けたら、日除けのネットと家の壁の間のコンクリートの上でガーニゼが勢ぞろいしてたたずんでいたので、急ぎカメラを取ってきて撮ったのが次の写真。朝はだいたい寝室の前辺りの芝生の上や、外ベランダ横の芝生の上、シュハスコ小屋の前のレンガの壁の上などにいることが多いガーニゼだけれど、こんな風にここで勢ぞろいしてたたずんでいたのは初めてのことだった。でも、撮った写真を良く見ると、黒っぽい体のメスとそのメスが生んだ黒いオスのひながいない。一番手前のネットの外の芝生の上にいるのは、去年の前半にその黒っぽいメスから生まれたオス。もう立派な大人になっている。そしてネットの内側に3羽かたまっているのは、右側の黄色いのがお母さんで、手前の白に茶色や黒の斑点があるのはそのお母さんから生まれたメス。左側の黒いのも、やはり同じ黄色いお母さんから生まれたひなで、どうやらこの子はオスのよう。その向こうの胸が茶色いのは大人のメス。その向こうがオスで、ガーニゼハーレムの親分。手前のメスと黄色いメスとそのひなたちと一緒に行動していることが多い。さらにその向こうの白っぽいのは、向こうにいる茶色い鶏が育てているメスのひな。この鶏とガーニゼの親子がこうして他のガーニゼと一緒にいるのは、あまり見かけないのだけれど、この時は何だかみんな仲間という感じで静かに一緒にたたずんでいた。



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