Kyoko Yoshida Life in Brazil BLOG 

2024年1月1日(月)

令和六年 辰年

あけましておめでとうございます。涼しく静かな新年を迎えました。ブラジルと日本の時差はちょうど12時間なので、例年通り、31日の大晦日の正午に日本時間での年越しを日本酒で乾杯してお祝いし、お昼に年越しそばを食べた。11月に訪ねてきてくれた友人夫婦がおみやげに白鶴の純米酒を持ってきてくれたので、いつもはブラジルの東山農場が作っているお酒で乾杯するのだけれど、今年はこの高級酒で乾杯をした。そして、大晦日の午前0時にブラジル時間の年越しをスパークリングワインで乾杯してお祝いするつもりだったのだけれど、この夏はガーニゼたちが早朝からとても賑やかなこともあって毎朝すごく早くに目が覚めるので、エドソンも私も0時まで起きている自信がなく、夕飯の時にスパークリングワインで乾杯してブラジル時間の新年ということにしてしまった。ほぼ毎年同じことをしているのだけれど、同じことが同じようにできる穏やかな環境にあることにこころから感謝。ここで暮らし始めた頃は、大晦日は朝から家事をしながらNHKで紅白歌合戦を見て(聞いて?)、行く年来る年を見ていたのだけれど、衛星放送をキャンセルしてからテレビを見なくなったので、紅白を見なくなって久しい。次の写真は大晦日のお昼に食べた年越しそば。具はちくわとわかめとねぎ。

2024年1月2日(火)

クリスマス前に早目にアメリカなどの友人宛てにseason’s greetingsメールを送ったので、年末に向かってぼつぼつ返信があり、ご無沙汰していた人たちの近況を知ることができた。アチバイアのブウィから、数年前に亡くなったデマーコとシオック夫婦の長男ペドロの結婚式が12月の中旬にあったと言って、写真を送ってきてくれた。デマーコの子どもたちは皆戸外での式が好きなようで、確か次男の時も長女の時も戸外での結婚式だったと思うけれど、長男も戸外で式をあげたようだ。お天気の予測がなかなか難しい中、いいお天気だったようで良かったね。これで3人の子どもたちが皆結婚してそれぞれ自分の家庭を持ち、天国にいるデマーコとシオックはきっと喜んでいることだろう。お正月というおめでたい時なので、こういうおめでたい写真がちょうどいいかな?

2024年1月3日(水)

次の写真は、ブウィとお兄さんと妹さんの近影。ここにブウィのもうひとりの妹であるシオックがいないのは残念だけれど、3人は元気そうで何よりだ。10年くらい前、日本に一時帰国した際、往路はイギリスに立ち寄りアマチュア無線のイベントに参加し、復路にカナダに立ち寄り、カナダで暮らすこのブウィのお兄さんのところでお世話になった。彼はもう定年退職しただろうに、まだブラジルには戻ってこないのかな?

次の写真は、12月26日の夜、エドソンが撮ったお月様。2023年最後の満月。

2024年1月4日(木)

先月23日の午後、激しい暴風雨に見舞われた。暴風雨はだいたい北西から吹きつけるのだけれど、この時はとても珍しいことに南東から吹きつけ、ひょうも混ざって、激しく家の南側の窓に吹きつけた。北西から吹きつける雨で食堂の西側の窓から雨水が侵入して来ることは度々あるのだけれど、これまで南東からの暴風雨というのはなかったので、我が家の南側の来客用寝室や台所や食堂の窓から雨水が侵入する問題は発生したことがなかった。今回は初めてのことだったので南側の窓から雨水が侵入していることに気づかず、気づいた時は窓の下の床が水浸しになっていて焦った。あわててたくさんのお掃除用のぞうきんやタオルで水を拭き取る作業をした。そして、ひょっとして下のエドソンのオフィスやワークショップも窓は皆南側だから同じ被害が出ているのではないかと思い、彼にメッセージを送った。その後雨が峠を越した頃、上に上がってきたエドソンは、私からのメッセージで確認してみると、やはり水浸しになっていて、それを拭き取る作業が大変だったと言っていた。ただ、かなり激しい暴風雨だったのだけれど、驚くことに停電はしなかった。お隣は停電したようで、すぐに発電機を動かしていた。窓からの水漏れだけで良かったと思った。そして、クリスマスが過ぎた26日に、家の西側の桜の木の1本の枝が折れていることに気づいた。あの時の暴風雨のせいで枝が折れたようだった。あれだけのひどい暴風雨だったので、やはり何もないということはなかったんだなと思った。次の写真は、その枝が折れた部分を撮ったもの、2枚目は、この枝が折れた桜から少し離れて、木の全体像と位置関係を撮ってみた。ここでは毎年のようにちょうどクリスマスの頃に暴風雨に襲われるので、この時期はなかなか安心できない。

2024年1月5日(金)

次の写真は、やはり年末に撮った庭の桜の木の下にあるランの花壇で咲いているランの花。中心が黄色で、外側が茶色というちょっと地味な色合いだけれど、きれい。この花壇にはいくつもランが植えてあるのだけれど、今咲いているのはこの花だけ。花によって咲く時期が違っている。

日本では元旦に能登で震度7という大きな地震があり、津波に襲われた所もあったようだ。そして翌日の夕方、能登への救援物資を運ぶ任務についた海保の飛行機が、羽田空港で着陸してきたJAL機とぶつかり、JAL機が大炎上。400人近い乗客は奇跡的に犠牲者を出さずに何とか避難できたようだけれど、海保の乗組員5名が亡くなるという痛ましい事故があった。新年早々何という幕開けかと思った。このニュースは世界中を駆け回り、ブラジルでも大きく取り上げられたようで、エドソンもすぐ反応していた。

2024年1月6日(土)

次の写真は、友人がお年賀メールに添えて送ってきてくれたお正月用に生けたお花のようだ。松と南天(それとも千両かな?)がいけられていてお正月らしい。この赤い実をつけている植物が南天なのか、千両なのか万両なのか、私にはわからないけれど、いずれにしてもお正月にふさわしい縁起の良い植物には変わりない。縁起物の写真を送ってきてくれてありがとう。

先日、うちの窓は激しい雨が吹きつけると、雨水が侵入すると書いたけれど、おそらくみんな何それ?あり得ないと思っただろうと思う。日本だったらアルミサッシの窓から雨水が侵入するなんてことはあり得ないことだけれど、うちの窓は一見アルミサッシの窓のように見えるけれど、そういう高品質なものではない。うちではブラジルで一般的な古いタイプの窓ではなく、私たちがここに来て家を建てている時に手に入る一番新しいタイプの簡単にはガラスが割れない丈夫な窓にしたのだけれど、アルミサッシの窓ではない。まずアルミサッシの窓というものがあるのかないのかも知らない。はっきりしていることは、そういうものはここでは手に入らない。そして、取り付け作業をする会社の人たちは、この窓を作っている会社とはまた別なので、作業の熟練度が低く、完璧にきれいに取り付けることができないという問題もあって、隙間ができてしまい、そこから雨が侵入してしまうのだ。何だかトホホな話しだけれど、それがブラジルの田舎町の限界と現実。仕方がない。でも窓に監獄のような格子戸を付けることなく、大きな窓で室内が明るい家を建てることができたのは、治安の良い田舎町だからなので、一長一短ということで受け入れるしかない。

2024年1月7日(日)

家の前の庭の、ちょっと西側に桜の木を4本植えていて、その横で大きくなってしまったフランボヤンの木を切った後、足元に残ったY字型の幹の部分に野性のランなどを手伝いのパラナが移植してくれた。その後、時々花が咲くので、その都度「おっ、花が咲いている」と驚かされるのだけれど、先日も、昼食後のワンコたちとのお散歩に出た際、このY字型の幹の辺りでピンク色のものが目に飛び込んできた。よく見るとピンク色の花のつぼみが5つもある。この緑色の細い葉はサボテンの一種なんだろうか?花はサボテンに咲く花のような感じ。この花は今回始めて咲いたように思う。ひょっとしてY字型の向こう側にも咲いているのかなと見てみると、やはり咲いていて、何だかとてもうれしくなった。派手な花ではないので、ともすると見落としてしまいそうだけれど、気づけて良かった。

2024年1月8日(月)

家の外階段に囲まれた箱庭のダリアの花がひとつ咲いた。去年はずいぶん長い間、次から次へと花が咲き、私たちの目を楽しませてくれた後、枯れてほぼ消えてしまっていたのだけれど、また芽を伸ばし、背が高くなってきたところで花が咲き始めた。

次の写真は、この土曜日にエドソンが作ってくれたローストビーフの夕飯。食べ始めたところで、お皿の中がカラフルでいつになく豪華だなとふと思い、写真を撮った。この日、パラナにとうもろこしを収穫してもらったので、早速小さめのものを少しお肉と一緒にローストして、茹でておいた花ブロッコリーと元旦に煮て食べた豆の残りを添え、サラダも添えたのでカラフルになった。

2024年1月9日(火)

次の写真は、一昨日7日の夕飯の食卓を撮ったもの。毎年七草粥の日に、この大根トリがゆを作って食べるのだけれど、昨年末に隣町の日系食料品店で大根を買っておいたので、今年もこれを作ることができた。右側が土鍋で鶏ガラスープとお米と大根を混ぜて作りネギを散らした大根がゆ、その左はおかゆとは別に作った鶏肉を蒸したもの。これを梅干しと一緒におかゆの上に乗せていただくので、大根トリがゆということになる。その左上は茹でて容器に入れたベビーコーン。こうして食卓に出しておくと、そのままポリポリ食べることができる。そして、その右側はもやしときゅうりとカニカマのサラダと言うか和え物。写真を撮る際、トングをどければ良かったのだけれど、思い至らなかった。

次の写真は、エドソンの元同僚の人が送ってきてくれた富士山。お正月休みで横浜の実家に帰った際、富士山が見えるかなと、実家近くの丘に登って撮ったものだそう。雲がかかってぼんやりしているけれど、富士山だということはわかる。

2024年1月10日(水)

12月末のブログで家の外ベランダ横の花壇だけでなく、そこから少し離れたマーガレットが群生しているところにも朝顔が芽を出して花を咲かせていると書いたけれど、そこの朝顔はマーガレットに絡みつくだけで、上に伸びては行けない状態だった。そうしたら土曜日に来てくれたパラナがそれを見て朝顔の数本を後ろのマナカの木に絡みつかせてくれたので、他にも2~3本マーガレットに絡みついている朝顔のつるを、マナカの木に絡み付けたつるにさらに絡みつかせてみた。1枚目の写真は正面から撮ったもので、2枚目は横から撮ったもの。

2024年1月11日(木)

次の写真は、今、庭でたくさん花を咲かせているクアレズマの木。

次の写真は、丘の上の貯水タンクの横のクアレズマの木。この木は11月の暴風雨の際の突風で左右の枝が数本折れてしまったのだけれど、木自体が弱ることはなく、たくさん花を咲かせている。2枚目は、この木の上の方をアップで撮ってみたもの。庭のクアレズマの花は濃いピンク色で、このクアレズマの花は少し薄めのピンク色。

2024年1月12日(金)

2024年1月10日付けのブラジル日報に、「国勢調査=パルドが白人を超える=人口構成に新たな変化」という記事があった。記事全部は読めないので、読めるところだけを以下にコピーしてみる。パルド(褐色)が人口の45.3%で白人の43.5%を上回ったとあるのだけれど、ブラジルの日系人の推定人口は約140万とか200万以上と言われているのに、黄色人種が85万人というのは、おかしくない?と思った。自分を日系人だと認識していても父親か母親のどちらかが日系でない人というのは少なくないので、そういう人たちは黄色人種というより混血ということになるから、黄色人種に含まれていないのかな?つまり、パルドって褐色というよりも混血ということなのかな?でも、これって自己申告だから、どこまで信用できるんだろうか?と思った。

「2022~23年にかけて行われた国勢調査の結果、パルド(褐色)が白人を超え、人口比率が最多となったことが判明したが、パルドの概念そのものも変化しているという。パルドの数が白人の数を超えたことは12月22日に地理統計院(IBGE)が発表し、G1サイトなど(1)(2)(3)(4)が報じた。それによると、22年の国勢調査では約9210万人(人口の45・3%)がパルドと自己申請した。以下、白人約8820万人(43・5%)、黒人約2060万人(10・2%)、先住民約170万人(0・8%)、黄色人種約85万人(0・4%)と続く」

2024年1月13日(土)

先週、用事があってエドソンは隣町のボトゥカトゥへ出かけて行ったのだけれど、帰りに野菜の苗や農業資材などを販売しているお店カコに行き、非常用の発電機を注文してきたと言っていた。メルカド・リブレで買おうかなどと言っていたけれど、カコで買うことにしたんだね。そして、次の写真の右側の黄色い花の鉢植えをお土産に買ってきてくれた。左側のピンクの花は、11月に友人夫婦が来る前に、離れには何も緑がないので、離れの食卓に置こうと思って買った鉢植え。友人夫婦が帰って行った後、我が家の食卓に場所を移して楽しませてもらっている。買った際咲いていた花は、ほぼ枯れてしまったけれど、裸にならずに新しい花芽が出てきて咲いている。これよりもずっと以前に買った同じものは2枚目の写真のように食堂の窓辺に置いているのだけれど、こちらは買って以来ずっと次々に花が咲いて、花の数は減ってきているけれど花を絶やしたことがない。花の色や感じが違うけれど、葉は皆同じなので、この3つの鉢植えの植物は同じ種類の花なのだろうと思う。

2024年1月14日(日)

昨年は、いろいろ大変なことが度重なり生活に大きな変化のあった友人のひとりが、新年のメールで「そんな中、一番学んだことは、”ただ元気で生きていれば良い”という非常にシンプルなことでした!」と書いていて、そうだねえと思った。するとこの友人とはまったく関わりのない年代も異なる別の友人も、昨年はいろいろ変化があった年だったようで、「色々なことが一つ一つできなくなっていくことと折り合っていくことが老いるということなのかなと実感しています。ブログの富士山の写真を見て、上京の折に見た富士山の写真をお届けしたくなりました。あまりに美しく、生活の大きな変化にもただ歩き続けようと思ったことでした」というメールをくれ、富士山の写真に「山笑う歩き続けるだけのこと」という一句が添えてあり、偶然にも同じような気持ちを異なる友人が書いていることに驚くと共に、それが真理なのかもと思った。そして、富士山を見ると元気になるのは、桜を見て心安らぐのと同様に日本人の持って生まれたDNAなのだろうか?と思った。感謝です。

2024年1月15日(月)

今年の元旦にあった能登半島地震の被害に対して、政府は予備費から47億円の拠出を決定という発表があった。その少し前に、ウクライナに行った外務大臣が日本政府として50数億円のさらなる支援を行うと発表したというニュースがあったばかりだったので、ふ~ん、震災に対する支援の方が少ないんだと単純に思った。そうしたら、先週、Youtube上の高橋洋一チャンネルで、高橋さんがこの予備費から47億円を拠出するというのが少なすぎるという野党からの批判があるけれど、予備費は自然災害などの緊急事態に備えるものなので、またいつどんな災害に見舞われるかわからないのだから、これを全部使うことはできない。政府の対応というのは、これだけで終わるわけではなく、これから補正予算をつけるというのが通常のやり方だと説明していた。

そして、近年あった震度7以上の地震をリストアップして、それぞれのケースを説明してくれていた。そして、関東大震災は100年前の大正12年のことで、以後70年以上大きな地震はなかったのだけれど、近年あった5回もの大きな地震のすべてが平成の時代(平成は1989年1月8日から2019年4月30日まで)にあったという事実にとても驚いた。以下がそのリスト。

1923年9月1日 関東大震災 (首相空席)
1995年1月17日 阪神淡路大震災 (村山富市首相)
→2月に1兆223億円の補正予算
2004年10月23日 新潟県中越地震 (小泉純一郎首相)
→12月に1兆3618億円の災害対策費などの補正予算
2011年3月11日 東日本大震災 (管直人首相)
→4月に4兆153億円の補正予算の他、11年度中に4回くらい補正をやり、全体で20兆円位
2016年4月14、16日 熊本地震 (安倍晋三首相)
→5月の一次補正で7780億円
2018年9月6日 北海道胆振東部地震 (安倍晋三首相)
→10月に9356億円(地震への対応は1188億円)

今回の能登半島地震では47億円の予備費に加え、国会が始まる1月22日の冒頭で、5000億円~1兆円の補正予算を出した方がいい。2月の頭に出ないとおかしいと高橋洋一さんは言っていた。さて、岸田首相はこれをすることができるだろうか?

2024年1月16日(火)

この土曜日の午前中、ネット上のYahooニュースで台湾総統選の結果、与党民進党の頼清徳氏が当選したというニュースを見て、ああ、良かったと思った。朝食の時、いつ頃結果が出るのかなあ?と思っていたので、比較的早くに結果がわかってほっとした。これで中国は台湾への締め付けを強めるかもしれないけれど、中国共産党寄りの国民党の候補者が当選したら、台湾は中国に飲み込まれてしまい、日本や他の国々は台湾を助けることができなくなるのだから、これからの中国の出方に懸念はあるものの、本当に良かった。メディアは頼清徳氏のことを独立派と言っているけれど、高橋洋一さんは頼清徳氏は現状維持すると言っているので、独立を主張してはいない。中国の方が現状変更をして統一したいと思っているのだから、これから挑発行動を繰り返してくるだろうということだった。

この台湾総統選を前に、デイリーWiLLのYoutubeチャンネルで、【独占!貴重映像】中国を激怒させた安倍晋三「台湾有事は日本有事」の衝撃【デイリーWiLL】という映像を流していたので、ここにリンクをはってみる。このサイトは、こちらへ

2024年1月17日(水)

次の写真は、この土曜日から英語のレッスンを始めた新しい生徒さんのエロイーザ(Heloisa)。彼女からは先月連絡があり、レッスンを受けたいけれど、仕事をしているから土曜日しか来れないと言うので、マテウスのお母さんからの紹介でもあるしと、いろいろ考え、土曜日の午後レッスンに来ているマテウスとも相談して彼のレッスンを平日に変えてもらい、彼が来ていた時間に彼女に来てもらうことにした。と言うのも、マテウスは1月は学校が夏休みで、最近は自分で車を運転して来るようになったので、曜日を変えても大丈夫だし、2月からは彼はこれまでのFATECから別の大学に移る予定で、そうするとレッスンには来れなくなるから。マテウスは去年バウルにあるサンパウロ州立大学に合格したものの、経済的な理由でそこへの進学を諦めて、自宅から通えるボトゥカトゥのFATECに通っていたのだけれど、昨年11月と12月に再度2つの大学の試験を受けたので、どちらに行くことになっても実家からは通えないため、私とのレッスンは卒業する予定だったので、何とか彼女を受け入れることができた。ちなみにエロイーザは林業機器を製造販売しているジミーの工場で働き始めて1年だそう。

2024年1月18日(木)

次の写真は、ランドマークの木の後ろの大きな葉の植物に花が咲いたので撮ったもの。冬の間は完全に枯れてしまい、姿を消すので、またちゃんと芽を出すだろうか?と、毎年、ちょっぴり不安になるのだけれど、春から夏にかけて期待に違わず、ちゃんと芽を出し、大きな葉を茂らせてくれる。そうすると今度は、ちゃんと花を咲かせてくれるかなあ?と思いながらランドマークの木の前を通る度に、遠くがけから見るというのを毎年繰り返している。花は足元に咲くので葉の陰になり、近くに行かないとよく見えないのだけれど、日曜日に花が咲いていることが確認できたので、月曜日に写真を撮った。1枚目は、咲いている2つの花が見えるように撮ったもの。2枚目は、少し離れて全体をとってみた。

2024年1月19日(金)

次の写真は、居間に置いたベッドの中で両前足を上手に使って骨を持ってかじっているひろ。このおしゃぶり用の骨はクリスマスプレゼントでひろとめいに同じものをあげたものなのだけれど、めいは2日くらいで食べ尽くしてしまったのに、ひろは少しかじるだけで満足なのか、3週間経ってもまだ結構大きいままの形を残している。一昨年亡くなったワンコのはるは掃除機が嫌いだったので、私が掃除をする際はひろと一緒に食堂に置いたケージの中に入っていてもらった。でも、ひろは掃除機のことを特に怖がったりしないのでケージに入ってもらう必要はないのだけれど、一応、ケージで待っててとお願いして、おしゃぶりの骨がある時は骨をあげることにしている。先日もその食べかけの骨をケージの中に入れてあげたのだけれど、どうもケージの中では食べたくなかったのか、骨をくわえてケージから居間のベッドに行ってかじり始めたので撮った写真。

2024年1月20日(土)

今月は午後から雨が降り出す日が増えた。夏らしいお天気。この木曜日の午後も4時頃から雨が降り出した。雨が降る時は雨雲に被われて辺りが暗くなるのが普通だけれど、この時は明るいのに雨音がするので外を見ると、ザーザー降っているのに、日差しもある。それで、居間の西側の窓から外の様子を撮ってみた。家の西側の庭にあるマナカの木がたくさん花を咲かせている。5~6月から咲き始めて半年になるのに、今も花が絶えずに咲き続けている。手前のサツキも少し季節はずれの花が咲いている。

2024年1月21日(日)

中学生の頃から私との英語レッスンに通ってきているマテウスは、高校に入学してすぐにコロナ禍でステイホーム状態になり、学校の授業をリモートで受けつつも、たっぷり時間があったのでネットで見つけたコンピュータやプログラミングのオンラインの講座をいろいろ受けたりと自分で勉強していたらしい。それがきっかけになりコンピュータに興味を持つようになったからと、一昨年大学ではコンピュータ関連の勉強をすると決めた。それでエドソンは自分がやっている仕事やITAのプロジェクトの話をすると、とても興味を示したので、この夏休みの間仕事を少し手伝ってみる?わずかだけれどお給金を払うよと誘ってみると、マテウスがとてもやる気を見せたので、お正月明けから週に4~5日、エドソンの仕事の合間に、1回2時間くらいかけていろいろ教えたり、課題を与えてやらせたりして、エドソンが手伝っているITAの衛星プロジェクトのひとつを手伝ってもらっている。そして、この金曜日の午前中にそのプロジェクト責任者の教授とのオンラインミーティングでマテウスにプレゼンをさせたのだけれど、とてもよくでき、教授からはこれで論文を書いてITAの衛星イベントで発表してはどうかと言われたのだそう。どんなプレゼンをしたのか、マテウスがデザインした装置がどのようなものなのか、私にはまったくわからないけれど、とにかく彼がとても楽しみながら多くのことを学び(実際、FATECで去年一年で学んだこと以上のことをたったこの数日間でエドソンから学んでいるとマテウスは言う)、彼の能力の少し上を行く課題を与えても懸命に食らいついてきて、頑張っていることがエドソンはとてもうれしく、金曜日の夕方の私との英語のレッスンの後で、プレゼンの成功を祝ってワインで乾杯しようということになり、マテウスと3人で乾杯をした。マテウスは19歳なので飲酒はOK。ビールは好きじゃないけれど、ワインは飲めるということだった。ただ、いくら田舎道の短時間のドライブとはいえ、帰宅時の酔っ払い運転は避けなければいけないので、グラスに1杯だけ。

2024年1月22日(月)

私たちが暮らすこの田舎町では、と言うか、ブラジルではどこもと言っていいと思うのだけれど、日本のようにゴミの分別収集はしない。でも、私は燃えるゴミと、ビン類と、ペットボトル類と、カン類とをそれぞれ分けている。燃えるゴミは定期的にゴミ集積場所に持って行って出しているのだけれど、ビン類とペットボトル類と、カン類と、ダンボール箱などはリサイクルをしている人に来てもらって引き取ってもらっている。これまで2~3度同じ人に頼んできたけれど、去年からその人に何度連絡をしても来てくれないので、どうやらパラナに頼んで、他にリサイクルをしてくれる人を探してもらったらしい。この土曜日の朝9時前に、大きなトラックのエンジン音がしたので台所の窓から見ると、見慣れない小型トラックが来ていて、エドソンがガレージからビン類などを出していたので、私もすぐ下りて行って手伝った。次の写真は、トラックの荷台にそれらをぎっしり積んだところを台所の窓から撮ったもの。この上からダンボール箱を潰したものを被せて、荷崩れしないようにひもでトラックにくくりつけるらしい。2年分くらい溜まっていたものをすべて引き取ってもらうことができたので、ガレージの中がだいぶすっきりした。感謝。感謝。

2024年1月23日(火)

先々週からレッスンに来るようになったエロイーザは、これまで関わった生徒さんの中で一番ポルトガル語訛りが強いので、彼女の発音矯正に悪戦苦闘している。単語の最後が子音で終わる場合、例えば、Davidだとデイヴィッド、Ericだとエリックと、日本人はオとかウの音を最後の子音につけてしまうという発音の癖があるけれど、ブラジル人はそういう場合、デイビジ、エリキと、イの音をつけてしまう。学校の英語の先生がそもそもそういうポルトガル語訛りの発音をするらしいので、そのままその発音が生徒にも染み付いてしまうのだろうと思う。それでも何回かしつこく繰り返し練習をすると、10代の若い人なら何とか正しく発音できるようになるのだけれど、彼女の場合、単語の最後に母音はないのだから、母音のイを入れる発音は間違っているよと説明して、一音、一音、噛み砕いて練習して、できたと思っても、ひとつの単語として発音するとまた元に戻ってしまうというのを繰り返している。でも、レッスンはまだ2回行っただけなので、諦めずにゆっくりやって行こうと自分に言い聞かせている。

2024年1月24日(水)

月曜日の朝食後すぐに、マテウスからサンパウロ大学(USP)ロレナ校に合格したとエドソンに連絡があった。マテウスの学力で落ちるはずはないとは思ってはいたけれど、合格の連絡に「良かった!」とほっとした。サンパウロ大学のメインキャンパスはサンパウロ市内にあるのだけれど、州立大学なので、サンパウロ市だけでなく、あちこちに複数のキャンパスがあり、ロレナ校にはphysics engineering(物理工学科)という最近少数の大学にでき始めた新しい科があるので、そこに行こうと思ったらしい。去年はサンパウロ州立大学バウル校に合格したものの、経済的な理由で進学を諦め、ボトゥカトゥのFATECという大学で一年勉強していたので、日本風にいうと一年浪人した感じなのだけれど、サンパウロ大学(USP)ロレナ校の物理工学科は今回、彼の第一志望だったし、コンピュータサイエンスよりも物理工学の方が大学院に行く際の選択の幅も増えるので、その方がマテウスにとって良い選択だとエドソンは言っていた。そしてロレナの町には親戚がいるからそこに下宿させてもらう予定なので、経済的な問題もクリアされ、いよいよ本格的な大学での勉強が始まる。今年はカーニバルが2月の中旬にあるので、学校はカーニバルが終わってから始まるのだと思う。この学科は卒業するのに4年ではなく5年かかるらしいのだけれど、頑張れマテウス!

ちなみに、ブラジルの学校は私立は学費を払う必要があるけれど、国公立は学費が無料。そして、大学の場合、私立よりも国立や州立の方がレベルが高い。一方、中学、高校レベルでは、公立よりも私立の方がレベルが高いので、経済的にゆとりのある家庭は、パーディーニョの場合、子どもたちをパーディーニョの公立学校には通わせず、隣町のボトゥカトゥに複数ある私立の学校のどれかに通わせる傾向にある。去年、マテウスがバウルのサンパウロ州立大学に合格したのに進学を諦めたのは経済的な理由と書いたけれど、いくら授業料が無料と言っても、ブラジルはアメリカと違って学生寮のある大学はまずないし、大学があるバウルのような大きめの町のアパートの家賃は結構するので、複数の学生がひとつのアパートを一緒に借りて、家賃をシェアするのが一般的。その上、電気・水道料金や食費も必要となると、財政的にゆとりのある家庭でないとなかなか難しい現実があり、マテウスの家庭も両親ともに仕事をしているけれど、それほどゆとりはないのだろうと思う。

2024年1月25日(木)

エドソンが隣町の農業資材を販売するカコというお店で非常用の発電機を注文したことは以前書いた。その発電機が届いたと先週お店から連絡があったので、土曜日に、ジョゼ・ハファエウの都合がつけば彼のところの小型トラックで一緒に受け取りに行きたいと考えていたエドソンだけれど、ジョゼ・ハファエウの都合が悪く、結局、お店に配達してもらうことにしたようだ。そして、月曜日の午後、配達の車が来たので、台所の窓から撮ったのが次の写真。細かいことを知らない私は、サービスで配達してくれたのかと思っていたら、配達料180レアルを支払ったので、なあ~んだサービスじゃないんだと思った。まあそうだよね。ガソリン代と人件費がかかっているのだから仕方ないね。土曜日に空き瓶やペットボトルなどガレージ内で溜まっていたものをごっそりリサイクルで引き取ってもらっていたので、ガレージの中に発電機を収納する十分なスペースができていたのはラッキーだった。この発電機は防風林の並木の一番下の電気メーターのついた電信柱の横に小さな小屋を作って、そこに設置しようとエドソンは考えている。さて、次は誰にその小屋を作ってもらうかの算段をしないといけない。

2024年1月26日(金)

今週の火曜日は朝から1日雨で、最高気温もせいぜい20度を少し越えるくらいで、何だか寒い1日になった。そして翌水曜日は日差しはあったけれど、朝の最低気温が15度だったので、火曜日以上に寒いと感じた。エドソンはまるで秋が来たみたいだねと言っていた。ひろも同じように感じたのか、朝食後に私が流しで食器を洗い始めると、食堂の西側の隅の朝日が当たる場所に座っていたので、次の写真を撮った。以前はここではると一緒に座っていたけれど、今はひとりで座っている。「はるちゃんがいなくてひとりぼっちで寂しいね」と、ひろに話しかけた。

2024年1月27日(土)

1月25日付けのブラジル日報に、『在住者レポート「アルゼンチンは今」初日系市議が誕生、永田氏=ブエノスアイレス市議会で=相川知子』という記事が掲載されていた。アルゼンチンでは現在、日系政治家として、寺田アリシアチャコ州国会議員、マリオ石井ホセ・セ・パス市長が現職で有名なのだそうだけれど、日系人の市議会議員が誕生したのは初めてのことだそう。この記事を読んでいて、最後の方に、「初日系市議当選が日系社会で特に話題になっていなかったので」、各種方面に聞いた回答のまとめとして、次のようなことが書かれていた。3つ目の回答を読んで、アルゼンチンではそんなことがあるのか?と驚いた。さすがのブラジルでも私は聞いたことがない。空港の税関でお金を要求されるというのは、30年以上も昔にエドソンがサテライフの地上局を設置するためにアフリカの数ヶ国を回った際、どこの国の空港だったか、税関で荷物や手荷物の検査を受けた際、ちょうどクリスマスのシーズンだったので、「クリスマスプレゼントね」と言って、係の人にお財布からお金を抜き取られたことがあったそうだけれど、アルゼンチンでもあるのかと驚いた。

「そういう人が出たのは知らなかったですね。私の周り皆、政治にあまり興味がないですから」
「アルゼンチンの日本人が政治には無関心なのは、そんなに目立つことはするものじゃないという気持ちが一番強いですね。目立つと何があるかわからないし」
「商売しても、道を歩いても、袖の下を請求されることで苦しんできた。日本からアルゼンチンに帰国したら空港の税関でさっそく要求されるし、交通違反という言いがかりで警察に止められてもそう。働いても働いても税金でもってかれるだけ。人々のためにちゃんと使われるのならいいですよ。でも政治家の手にかかってどこかに行ってしまうから、正直あきらめています」

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2024年1月28日(日)

次の写真は、家の東側の庭で咲くアモー・アガハジーニョという花。これはつる性の植物で、自力では上に伸びて行けないのだけれど、側のガーデン・グレヴィーリャに絡みついて伸びて花を咲かせている。左側奥に見えるのは竹林。そのさらに左側にレンガの壁があって、野菜畑がある。この野菜畑で野菜を育てなくなって何年にもなる。ダンちゃんたちはここに来てすぐくらいから放し飼いにしたので、畑の野菜の芽を食べたり、ニラは食べなかったけれど、クッションのように上で寝転んで踏み潰したりしてしまったので、何も作れない状態になってしまった。今ではダンゴーラだけでなく、ガーニゼも鶏もみな放し飼いにして自由に歩き回っているので、この畑は彼らの寝床、兼、休息場所、兼、運動場のようになってしまっている。まあ、自分たちにとって安全に暮らせる場所だと思ってくれているようなので、良いのだけれど・・・。

2024年1月29日(月)

次の写真は、先日隣町の農業資材などを販売するお店カコから配達され、ガレージの中に収められた発電機。箱に大きな文字でToyamaとあり、箱に書かれている言葉は英語とポルトガル語が混在している。日本製なのかな?ブラジル製なのかな?農業関連の資材にはコマツとかヤンマーとか日本製のものが少なくないようだけれど、はてさてこれはどこ製の発電機だろう?2枚目の写真は、箱から出された発電機。

2024年1月30日(火)

日曜日の午後4時を回った頃、いつも見ているお天気レーダーサイトに西から真っ赤な雨雲が近づいて来ていた。このレーダーサイトは雨や風の強さによって緑、黄色、赤とレーダーに写る雨雲に色分けがしてあるので、赤だと、「こりゃ大変」ということで、コンピュータの電源を落としたり、冷蔵庫のコンセントを抜いたりして備えるようにしている。4時15分の時点でパーディーニョの西側半分が赤い雲に被われたのでまだ雨は降り始めていなかったのだけれど、臨戦態勢を敷いた。すると数分後にすごい風とともに、ザーザーと雨が降り出し、少しするとひょうまで降ってきて食堂の西側の窓に叩きつけるので、写真を撮ってみた。窓枠の上の白い丸いものがそのひょうの一部。そして15分から20分経過した頃に雨足がぐんと弱まったので、居間の西の窓から外を見ると、地面にひょうが積もっている様子が見えたので、その写真も撮ってみた。風とひょうで桜の葉もたくさん地面に落ちている。ここはひょうが時々雨に混ざって降ってくるけれど、以前は1年に1回くらい降るひょうに、「わあ~ひょうが降ってきた!」とびっくりしていたけれど、ここ数年はひょうが降る頻度が増え、1年に何度もひょうが降っているような気がする。

2024年1月31日(水)

離れに向かう小道沿いに植えている小さな木に青紫の花が咲いたので、次の写真を撮った。1枚目は、離れの方を向いて撮ったその3本の小さな木。植えたばかりの頃と比べればだいぶ大きくなってきているけれど、もともとそんなに大きくなる木ではないので、今も小さいまま。2枚目の写真は、一番手前の木に咲いている花を撮ったもの。ピンボケになってしまった。2枚目は、真ん中の木に花と一緒に黄色い実もなっていたので、その両方を撮ったもの。一番奥の木には花は咲いていない。うちの敷地内の木々が咲かせる花は、白、赤、黄色、ピンクという色が主流で、青紫の花というのは珍しい。



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