Kyoko Yoshida Life in Brazil BLOG 

2023年2月1日(水)

日曜日のお昼はカザラオンに食べに行こうとエドソンが言うので、久しぶりのカザラオンで久しぶりの外食をした。外で食事をするのは4~5ヶ月ぶりかな?最後にカザラオンに行ったのは2019年の1月だったから4年ぶりということになる。コロナ禍の2年近く店を閉めていて、1年前に再開したばかりと言っていた。日本と違ってコロナ禍だからと言って、ブラジルでは飲食業界への経済支援などはなかったらしいので、大変だったのだろうなと思う。お店のスタッフの人たちは変わっていたけれど、オーナーのヌネスさんはエドソンの名前をちゃんと覚えていて、以前と同様にとても良くしてくれ、やはりうちのご近所ではここが一番いいなと思った。この日は私たちよりも先に3グループのお客さんがすでに食事を始めていて賑わっていた。私たちはお店の中央の奥のテーブルに座ったのだけれど、そこから店内の左右を撮ったのが次の写真。そして、お料理の写真を撮ろうと思っていたのに、おしゃべりに花を咲かせていたら忘れてしまった。

2023年2月2日(木)

カザラオンでは給仕をするおじさんがとてもよくしゃべる人だったので、合間合間に頻繁に話しかけてきたこともあって、おしゃべりをしながらゆっくりと食事をした。そして、食事も終え、もうそろそろ帰ろうかという頃になって、ザーザーと激しい雨が降ってきたため、雨が軽くなるのを待ちながら支払いを済ませたり、給仕のおじさんやオーナーのヌネスさんとおしゃべりをして過ごした。次の1枚目の写真は、レストランの出入り口から外の様子を撮ったもの。土砂降りの雨がなかなか止まず、だいぶ時間が経ってようやく小降りになった隙に外の車に走って、撮ったのが2枚目の写真で、カザラオンと同じ建物の左側に新しくできていたお店を撮ったもの。以前ここにはカザラオンというレストランだけが営業していたのだけれど、今回行ったら、この新しい別のお店ができていたので、到着時に覗いてメニューを見せてもらった。そうしたら、ここはレストランではなく、ランショネッチと言うか喫茶店と言うか、スナックや飲み物やアイスクリームを出す小さなお店だった。今回カザラオンでは食事も結構ゆったりと時間をかけて食べたうえに、土砂降りの雨で足止めをくらったりしたので、12時少し前に家を出たのだけれど、家に戻ると3時近くになっていた。シュハスコ小屋のお留守番スペースに入れたひろは、ちゃんと屋根の下で雨を避けているか心配だったのだけれど、おりこうさんにシュハスコ小屋の中で待ってくれていた。

2023年2月3日(金)

2月は日本では3日に節分があり、「鬼は外、福は内」と豆をまいて邪気を払い、新しい一年の幸せを祈る。一方で、日程はその年によって変わるけれど、ブラジルではだいたい2月の下旬にカーニバルが行われる。コロナ禍でしばらく取り止めになっていたけれど、どうやら今年は実施されるらしい。少しずつ平常が戻ってきているようだ。日本にいると、節分が近づくと豆菓子や恵方巻などをお店で目にするようになるけれど、そんなことのないここでは、ともすると節分をうっかり忘れてしまうこともある。大豆を炒って年の数だけ食べるのは、若い頃は良かったけれど、この年になるとちょっと数が多すぎて無理だと思うので、ほんの少し食べようかなと思っている。日系食料品店に行けば、巻き寿司があるかもしれないけれど、必ずあるとは限らないし、まあ、ネットで見つけた写真を見ながら節分の気分に浸ることにした。

2023年2月4日(土)

1月下旬くらいからアマゾンで暮らす先住民のヤノマミ族の人たちが病気や栄養失調でたくさん亡くなっているというニュースが出てきていた。2月2日付けのブラジル日報に「栄養失調で3千人弱の乳児入院=世界有数の食糧生産国でさえ」という記事があったので、以下にリンクをはってみる。アマゾンの先住民の人たちのことは多くのNGOがウォッチしているはずなのに、何年も気づかなかったなんてことはあるはずがない。何か恣意的な思惑でも働いていたのだろうかと勘ぐりたくなる。例えば、1月のブラジリアでの連邦議事堂などの襲撃事件は、インテリジェンスが把握していて、政府にちゃんと情報を伝えていたのに、ルーラ政府は何もしなかった。これを利用して強権を敷きたいという思惑があったのではないかと言われているけれど、先住民の人たちに救済の手がずっと伸ばされなかったのもとても不自然で、何かあるような気がしてならない。この記事のサイトは、こちらへ

2023年2月5日(日)

防風林の並木の一番外側のセドリーニョの足元に、大きなきのこが生えていたので、次の写真を撮った。防風林の並木やうちの庭には所々にきのこが生えてくるけれど、これは結構大きくてびっくり。

2023年2月6日(月)

私は朝起きると、まず寝室の窓を全開にして、寝室の前に集まっているダンちゃんたちの様子を眺めてほっこりするのが日課になっている。朝食の仕度を始める前に、ひろとの朝一番のお散歩に出た後、ダンちゃんや鶏たちにエサをあげるのだけれど、そのエサを食べ終わるとダンちゃんたちはどこかに出かけて行って、姿が見えなくなる。そんなある日の午前中、畑の方からダンゴーラの賑やかな声が聞こえるので、お出かけから戻ってきたのかなと思い、寝室の窓から声のする方を見てみると、2羽のダンゴーラが畑のコンクリートの柱の上で鳴いていた。それでカメラを取りに行って、写真に撮ってみた。たまにシュハスコ小屋の屋根の上で1羽が鳴いていたりすることもあるけれど、この2羽は何故柱の上に乗っていたのだろう?ダンちゃんたちはほぼ1日、あちこちを歩き回っていて、午後3時とか4時になると戻ってくる感じなのだけれど、時々、こんな風に一旦出かけても1羽とか2羽は戻ってきて、庭や家の回りでそぞろ歩いている子たちもいる。でも、こんな風に柱の上で鳴いていたのは初めてだった。

2023年2月7日(火)

今、家の東側の庭では、ネムノキの赤い花と、アモー・アガハジーニョというピンクの花と、ガーデン・グレヴィーリャのピンクの花が咲いている。アモー・アガハジーニョはつる性の植物なので、以前は支えとなる低い柱を作っていたのだけれど、それが古くなって壊れて、伝って行けなくなって枯れてしまったようになっていた。でも、どっこい生き延びて、元気につるを伸ばしてガーデン・グレヴィーリャに絡みついて花を咲かせているので、写真に撮ってみた。2枚目の写真は、ガーデン・グレヴィーリャに絡みついている状態が見えるように撮ったもの。3枚目の写真は、ガーデン・グレヴィーリャの花をアップで撮ったもの。

2023年2月8日(水)

日曜日に隣町のボトゥカトゥの入り口にある大きなスーパー・コンフィアンサに買い物に行った。そして、最近、ドッグフードやひろのケージに入れるクッションなどを買うようになったスーパーの駐車場の出入り口近くにできたペットショップで、ノミ予防の薬と、お腹の虫下し用の薬と、おしゃぶり用の骨を買った。これまでボトゥカトゥのペットショップのポリヴェットやパーディーニョのお店を利用していたのだけれど、パーディーニョのお店ではノミ予防薬でフロントラインというブランドは扱っていないようなので、他のものだと品質に疑問があるとエドソンが言うので、コンフィアンサに行ったついでに、この新しいお店に寄って買うことにした。去年、はるが亡くなってから、ひろとめいには骨付きの牛肉を調理した際、その骨をおしゃぶり用にあげていたのだけれど、2匹の歯の状態、特に、ちょっと汚れ始めていたひろの歯がきれいになったので、以後、時々骨をあげている。それで、このペットショップに行ったついでに彼らのために骨も購入した。帰宅してこれらの商品をカウンターテーブルの上に置いておいたら、どうやら骨の匂いがするらしく、ひろがカウンターテーブルの上の方に向かって伸びをするように鼻を向けていた。さすがにすごい嗅覚だ。

2023年2月9日(木)

週末の朝食でパンケーキやフレンチトーストを時々食べるので、うちではメイプルシロップが欠かせない。でもメイプルシロップはこの辺のスーパーでは手に入らず、ネットでしか手に入らない。前回メルカド・リブレで注文して買ったものが残り少なくなってきたので、エドソンがまたネットで2本注文してくれた。メルカド・リブレは家まで配達してくれるので便利なのだけれど、毎回配達をしてくれるドライバーが変わるため、頻繁に利用していて、顧客ファイルにうちへの道順やら、連絡は携帯は通じないからWhatsAppでするようにというような細かな情報があるにもかかわらず、場所がわからないとか、何度も携帯に電話したのに通じなかったとか、ゲートは閉まってはいるけれど、鍵は開けてあるので、ゲートを開けて入ってこれるようになっていても、ゲートが閉まっていたとか言って、届けてくれないドライバーもあって、最近すったもんだすることが増えたように思う。今回メイプルシロップを届けてくれたドライバーも、場所がわからないと連絡してきたので、今どこにいるのかとエドソンが聞いても、よくわからない。カロリナ・ソイルの場所はわかるかと聞いても、わからない。パーディーニョの工場地帯はわかるかと聞いても、わからない。じゃあ、これが座標コーディネッツだから、これで探して来てと、エドソンは最終連絡したと言っていた。するとそのドライバーは初めてだったのだけれど、ちゃんとゲートから入って届けてくれた。最初から顧客ファイルを見れば得られる情報なのになあ・・・。先日見た動画で、UAEのドバイには番地などがないので、家を探すのが大変という話を聞いた。そう言えば、ブラジリアもこの地区はホテルが林立する地区、この地区は行政府地区、この地区は商業地区、この地区は住宅地区と分かれていて、番地がないと聞いたように記憶している。だから、ホテルも名前を言って連れて行ってもらうのだけど、小さい知名度の低いホテルだと探すのに時間がかかったりするらしい。まあここも住所はあってないようなものだから、同じようなものだけれど・・・。

2023年2月10日(金)

入り口ゲートに近いエリアのフランボヤンジーニョが咲き始めたので、写真を撮ってみた。道沿いに何本もフランボヤンジーニョを植えているのだけれど、だんだん古くなってきたからなのか、花をあまり咲かせなくなってきている。でも、入り口ゲートに近いエリアの2本は植えてまだそんなに年数が経っていない比較的若い木なので、まだ毎年元気に花を咲かせてくれる。この写真を撮った時は雨の止み間だったせいか、蝶々は飛んでいなかったけれど、お天気がいいと、このフランボヤンジーニョが花盛りだと花の周りを大小の蝶々がよく飛んでいる。

2023年2月11日(土)

次の写真は、私たちの寝室の前に集まっているダンゴーラたちを玄関先のベランダ前から撮ったもの。写真奥のレンガの壁はシュハスコ小屋の壁。この写真は、雨の止み間の午後2時頃撮ったのだけれど、朝からずっと雨降りだったからなのか、こんなに早い時間にみんなが揃ってうちに戻ってきているのは珍しい。この子たちは毎朝、私が起きて寝室の窓を開けると、こんな風に寝室の前辺りにいることが多い。何かをついばみながら声を出していることもあるし、静かにしていることもある。たまには、あれ誰もいないの?と思ったら、玄関前の外ベランダに集合していることもある。ベランダで暮らすワンコのめいは、そのダンちゃんたちの様子を座ってだまってみていることもあるし、ダンちゃんたちに向かってワンワン吠えていることもある。その違いは何なんだかよくわからない。でも、サラクーラ(クイナの一種)のサラちゃんたちが庭にいると、めいは必ずワンワン吠える。最近ダンちゃんの影響で、サラちゃんたちも毎日庭や家の周りをウロウロしていることが多く、朝はダンちゃんたちのエサを狙って、1~2羽がいつも側に来ている。一番多い時で、4~5羽来ていることもある。ダンちゃんたちに遠慮しているのか、グイグイ側に来て一緒にエサを食べることはしないけれど、ダンちゃんたちがほぼ食べ終えると、近づいて食べ始めたりする。そんなサラちゃんたちが側にいても、ダンちゃんたちはまったく気にしない様子。サラちゃんたちの他にも、チコチコやジュリチなどの小鳥も、ダンちゃんたちの食べ残したエサを食べにきたりするので、寝室前の庭は鳥たちのエサ場になっている。

2023年2月12日(日)

入り口ゲートに向かう道沿いにワイルドベリー(野いちご)の木が生えていて、季節になると赤い実をつける。最近、ワンコたちとのお散歩の際、1つ2つ赤い実がなっているとひろがおいしそうに食べるのだけれど、一度にたくさん実をつけるまでには至っていなかったので、ひろだけがこの実をエンジョイしていた。そうしたら先日、よく見ると結構たくさん実がなっていたので、お散歩の後で、うちで一番小さなボールを持って行って、実を採ってみた。そして30数個の実を収穫することができた。翌日の朝食で、バナナといちごと生クリームを添えて、ちょっとメイプルシロップをたらしておいしくいただいた。この組み合わせはなかなか「うまいでがんす」。

2023年2月13日(月)

先月庭のクアレズマの花が咲き始めたので写真を撮って掲載した際には、まだあまりたくさん花が咲いていなかったけれど、今、外に出てこの木を見ると、ピンクの花が鮮やかに目に飛び込んでくるので、また写真を撮ってみた。2本あるクアレズマの木のうち右側だけが毎年たくさん花を咲かせて、左側の木は、ほとんど花が咲かない。この違いは何なんだろう?

次の写真は、入り口ゲート近くのパイネイラの木を撮ったもの。見えにくいかもしれないけれど、上の方にピンクの花が咲き始めている。お散歩でこの木の近くを通ると、最近木の下にピンクの花びらがいくつも落ちているので、あれっ?花が咲いているのかな?と上を見てもよく見えない。少し離れて見ると、こんな風に上の方に少し咲いていた。葉がうっそうと茂っているので、まだ花が目立たないけれど、良く見るとたくさんつぼみがついているので、これからたくさんの花が咲き、花が咲いているのが見つけやすくなるのだろうと思う。

2023年2月14日(火)

この夏は本当に毎日よく雨が降る。ここだけでなく、ブラジル各地で雨による土砂崩れとかいろいろ被害が出ているらしい。リオとサンパウロを結ぶドゥットラ街道もエドソンの実家のあるパラカンビを過ぎて山に入って行く辺りのアララス山地で土砂崩れがあり、しばらく通行止めになったとニュースにあった。そしてここのお天気なのだけれど、日曜日の午前中は曇りがちながらときどき薄日が差すお天気だったものの、午後2時を過ぎるとザーザーと激しい雨が降り出し、まあ飽きもせず良く降るなあと思いながら、雷に注意しながら、何度もコンピュータの電源を落としたり、入れたりを繰り返した。夕方夕食の準備のために上がってきたエドソンが、今日の午後の雨でパーディーニョの中心部が水に浸かったから、その写真をメールで送ったよと言うので見てみると、あらまあ本当に水に浸かっている。パーディーニョの町は東西に細長く伸びる町なのだけれど、東と西が高く、中心部が低くなっている。その一番低い部分に小さな川が流れていて、私たちがここに来たばかりのころ大雨でその川が氾濫して、側の小学校などが水に浸かったことがある。それと同じようなことがまた起きたようだった。1時間に70ミリの雨が降ったらしいとエドソンは言っていた。雨が降らず干ばつになるのも困るけれど、洪水になるのも困ったものだ。

2023年2月15日(水)

次の写真は、丘の上のクアレズマを入り口ゲートの近くから上を見上げて撮ったもの。この木も今たくさん花を咲かせている。足元に見える青いものは、貯水タンク。この手前の部分がうちの敷地内で一番高く、ここから向こうに向かって丘が傾斜して下っているので、まるで土に埋まっているように見えるけれど、2枚目の写真で、その傾斜の感じがわかってもらえるだろうか。2枚目の写真は、同じ木を防風林の並木を上がって、1枚目とは違う場所と方向から撮ったもの。クアレズマの木の後ろに見える貯水タンクはお隣の貯水タンク。このクアレズマと貯水タンクの間にお隣との境界線の柵があるという位置関係。この柵の向こう側、うちのクアレズマの後ろ側に2本のクアレズマの木があるのだけれど、これらは足元のブラキアーリアという草を取り除いていないので、木の成長が止まっていて、うちのクアレズマは元気に大きくなっているので、それらの木の2倍以上の大きさになって元気にしている。

2023年2月16日(木)

去年の12月に高校を卒業した私の英語の生徒さんのマテウス君は、カンピーナスにあるUNICAMPのコンピュータサイエンスと、バウルにあるUNESPの物理学と、彼が卒業したボトゥカトゥのエンブラエー高校の近くにあるFATECのコンピュータシステムを受験した結果、UNESPとFATECには受かったけれど、UNICAMPはダメだったそう。UNICAMPのコンピュータサイエンスはブラジル国内の錚々たるトップクラスの学生が受験する競争の激しい学部だから、たとえそこに合格しなくても、がっかりすることはないとエドソンは言っていた。UNESPとFATECのどちらに行くかと考えたら普通はUNESPだと思うのだけれど、ぎりぎりまでなかなか決まらない様子だったので、エドソンは経済的な事情があるのかな?と言っていた。彼が受験した大学はみな州立大学なので授業料は無料なのだけれど、アメリカと違って学生寮がないか、またはあっても数がとても少ないので、実家を離れてアパートを借りて暮らすとなると、大きな町ではお金がかかる。経済的ゆとりのない普通の家庭には結構ハードルが高いらしい。先週の半ばから学校は始まっているはずなので、どうなったのかなあ~?と思っていた。そして、先週の土曜日、マテウスがレッスンに来たのでいろいろ聞いたところ、同じエンブラエー高校からUNESPに合格した複数の友人達とアパートをシェアする話になりかけていたのだけれど、みな理由までは聞かなかったけれどUNESP行きを諦めたらしく、一人ではアパートの家賃を払えないので、実家から通えるFATECに行くことにしたということだった。やはり経済的な事情だったんだ。

先週からオリエンテーションが始まり、今週から授業が始まると言っていた。それで、実家から通学することになったので、土曜日の私との英語のレッスンは続けると言うのだった。FATECは悪い学校ではないけれど、レベルが高いわけではないので、将来的なことを考えると、そこで学べる以上の努力をした方がいいからと、英語のレッスン前に少し早く来れれば、エドソンがプログラミングなどを教えてあげるよなどと、マテウスに伝えていた。マテウスが行ったエンブラエー高校というのは、中型旅客機とか軍用機を作っているエンブラエーという会社が運営している学校で、周辺の町の公立中学に通う優秀な子たちを選抜して無料で教育している学校。この辺の経済的ゆとりのある家庭は子どもを公立学校よりもレベルの高い私立学校に行かせるので、私立学校に行っている子には受験資格がない。公立学校に行っている子どもたちは経済的にゆとりのない家庭の子たちということになる。その中の優秀な子たちに高いレベルの教育を提供しているのだけれど、大学進学で、またぞろ経済的な問題が出てくるのはちょっと残念だなと思った。せめて卒業生のトップ5くらいの子たちに奨学金を出すような制度があればいいのに・・・。

2023年2月17日(金)

前回花開いたアマリリスの花が終わってから、鉢を外に出していたのだけれど、今月初めにつぼみが育ってきているのに気づいて、鉢をまた家の中に入れ、食堂の食卓の上に置いた。花が終わって外に出したのはそんなに前ではなかったのに、また花が咲いたの?とエドソンとふたりでびっくりして、ブログを探してみたら、前回は去年の10月から11月にかけて咲いたことがわかった。ということは、前回の花が終わって、3ヶ月くらいでまた咲いたことになる。花が咲くのは今回で3回目だけれど、花が咲くのは1年に1回だと思っていたので、本当にびっくり。そして、今回は花芽が4つ育っている。これまでは2つ花が咲いておしまいだったのだけれど、今回は4つも花が咲くのかな?と、これまたびっくり。次の3枚の写真は、つぼみの状態から花開くまでを2日おきくらいに撮った食卓の上のアマリリス。

2023年2月18日(土)

水曜日に楽書倶楽部第66号が届いていた。前園さんは昨年末に事務所に行く途中、転んで足を怪我され、骨折はしなかったらしいのだけれど、ギブスをして1ヶ月間の療養を強いられ、最近ようやく杖がなくても普通に歩けるようになったということだった。それなのに、楽書倶楽部の発行はまったく遅延することなくいつも通りに出されるのだからすごいことだと思う。以下はこの号に掲載された私の文章。香山文庫の書籍を早稲田大学図書館に寄贈するに至る経緯を書いた。

何かのご縁

サンパウロ市から西に約一時間ほどのイビウーナで日本人移民史研究をしておられた香山栄一さんと知り合ったことで、香山さんが集められた日本人移民に関連した蔵書を私が引き継いだのは、二〇一一年八月のことだった。その経緯は二〇一三年二月一五日発行の楽書倶楽部第一七号で書いたことがある。

その貴重な「香山文庫」を片田舎で埋もれさせないために、インターネット上に香山文庫のホームページを作り、サンパウロ新聞に記事にしていただいたりしたものの、日本からの問い合わせが数件あっただけで、ほとんど反響はなく、どうしたものかとずっと考え続けていた。この状況を何とかしたいと「日本の大学に日本人移民史研究学科を」という文章を書いて、前園さんを通じて二〇一九年一月三〇日付けのニッケイ新聞ぷらっさ欄に掲載していただいたこともあった。ありがたいことに、その後ニッケイ新聞が廃刊になるまでずっと、ニッケイ新聞のインターネット上の最初のページに私のこの文章へのリンクが表示されている状態が続き、多くの方が読んでくださったようだった。それでもやはり然したる反響はなかった。

私の出身地である広島に本社のある中国新聞にも似たような連載記事を書いて掲載していただいたりもした。そして、友人知人に相談すると、皆異口同音に大学はどこも財政難なので新しく学科を作ることは無理と言うのだった。やはり図書の寄贈を考えた方が良いのかもしれないと思い、生前の香山さんは望まれなかったけれどサンパウロの文協図書館への寄贈を検討してみることにした。ニッケイ新聞の深澤編集長から教えていただき二〇一九年九月にサンパウロ日本移民史料館の山下運営委員長にメールでコンタクトを取ってみた。様々なプロジェクトを抱えとてもお忙しいようで、数回やり取りをしたものの、引き続くコロナ禍ということもあり、話は何も進まないまま時だけが過ぎて行った。

そんな中、二〇二〇年のクリスマスに、早稲田大学海外移住研究会OB会メンバーで、日伯連帯研究所ONG Trabras代表の加藤さんという方から、ニッケイ新聞のネット上で前述の私の文章を興味深く読んだというメールをいただいた。その後加藤さんと何度もメールのやり取りをして、新しく学科を作って欲しいと交渉することは無理でも、早稲田大学図書館に図書の寄贈を申し入れて、受け入れてもらうことはできるかもしれないという話になった。ただこちらもコロナ禍の行動制限で、しばらく話は進まなかった。そして約一年後、コロナ禍が落ち着き始めた二〇二二年になって、早大図書館にアプローチしてくださり、幸いなことに図書寄贈の方向で話が進み始めたのだった。

香山文庫の蔵書には、コピーされたものや、コピーを印刷したものが多数あるため、それらは寄贈図書から省き、早大図書館のデータベースで香山文庫の書籍を一冊ずつ確認して、すでに早大が所蔵しているブラジルの日本人移民に関する書籍六〇冊、ブラジル以外の国の日本人移民に関する書籍十六冊、さらに古くなって傷んでいる書籍などを省いた結果、ブラジルの日本人移民に関する書籍二四四冊、ブラジル以外の日本人移民に関する書籍十六冊、ポルトガル語で書かれた日本だけでなく欧米の移民に関する書籍五〇冊、合計三一〇冊を寄贈することにした。

夫に書籍小包を日本に送るための郵便料金を町の郵便局で調べてもらったところ、一キロ一〇〇ヘアイスという料金で、複数の箱を送るととんでもない金額になる上、輸出手続きをしなければならないということがわかり、これはとても私には無理だと判断した。そのため、六月上旬に早大寄贈の話は白紙に戻させてくださいとご連絡した。すると数日後、加藤さんの古くからのご友人(海外移住連盟OB会員)で、横浜に事務所を持ってブラジルから食品を輸入している方に、この話をしたところ、協力を申し出てくださったと連絡があった。この方には大学同期の同業者でサンパウロで会社を経営している方がおられ、その会社まで書籍を運んでもらえれば、輸出手続きをした後、他の輸入品と混載でコンテナに積み込んで日本まで船便で運び、横浜到着後の通関手続きと早大図書館までの輸送を引き受けると言ってくださったということだった。思いもかけない心強い協力者の出現に、何という幸運だろうと心の底からうれしかった。

そこから本格的に書籍を書棚から下ろして埃を払い、箱詰めする作業を始める一方で、書籍をどうやってサンパウロに運んだら良いかを考え始めた。長距離運転が苦手な私たち夫婦はサンパウロまで車で行ったことがなく、市内の道路にまったく不案内なため、自分たちだけでサンパウロに届ける自信がなく、小型トラックを持っている誰かに頼んで一緒に運んでもらうしかないと思った。夫がいろいろ当たってくれたものの、協力者を見つけることができず、九月末出港の船に乗せるためには、遅くとも九月半ばまでにはサンパウロに届けなければならない。胃の痛い日々を過ごした。万策尽きた後、ご迷惑だとは思いつつも、うちから一時間ほどの町におられる井上さんご夫妻に「助けてください」と厚かましくもお願いしてみた。すると「これも何かのご縁でしょう」と、快く引き受けてくださり、運転手さん付きで小型トラックを出してくださり、人栄さんが私と一緒にサンパウロまで行ってくださったのは、まさに地獄で仏だった。

サンパウロまでの往路はかなり混んでいて、三時間足らずで到着できる距離を四時間以上かかって到着した。ただ幸いにもサンパウロの道路を良く知る運転手さんのお陰で、道に迷うことなく、無事に八箱の書籍を届けることができ、ほっと肩の荷を下ろすことができた。そして、十一月二十四日に早大図書館に無事納本され、図書館からもダンボール箱八箱確かに届きましたと連絡が来ましたと、加藤さんからメールをいただき本当にうれしかった。この一年間何度も胃の痛い思いをして、一度は諦めた計画ではあったけれど、何とか無事に寄贈が完了し「ブラジル香山栄一文庫」と命名されて早大で所蔵されることになったことを、香山さんは喜んでくださっているだろうかと思いを馳せた。

この図書寄贈の過程での最後のドタバタは、横浜での通関で箱数が多いので、エロ本だろうと疑われたことだった。加藤さんのご友人の会社の方が何度説明しても信じてもらえず、結局、箱を開けて中を確かめてもらい疑いを晴らしたということがあったそうで、通関に異例の十日もかかったという話が最後のおまけとしてあった。それは今回のいろいろあった図書寄贈の締めくくりらしいかなと思ったのだった。皆様には本当にご迷惑をおかけしました。

そもそも蔵書を寄贈するにしてもどことも何のつながりもない、ただの主婦でしかない私は、父と兄が早大の卒業生で、友人にも早大卒の人がいて、ブラジルには早大卒業生の団体であるブラジル稲門会もあるようなので、その伝手で何とかならないだろうかと漠然と思ったこともあった。そんなこともあったので、早稲田大学海外移住研究会OB会の加藤さんからご連絡をいただいた時は、何という巡り合わせだろうかと驚いたものだった。そして、書籍をサンパウロに運ぶのを助けてくださった井上さんは、お孫さんが二〇二一年に一年間早大に留学されていたこともあって、何かのご縁と言ってくださったわけで、多くの目には見えない何かのご縁がさまざま折り重なって、今回のことが実現したのだと思うと、助けてくださった皆様に対する心からの感謝の気持ちが沸いてくるのだった。

最後に、今回の件で私がいろいろ頭を抱える中、当初から寄贈先の可能性をあれこれ一緒に考えてくださったり、文協図書館を見に行ってくださったり、書籍を詰める箱はどこで入手できるかや、日本への輸送方法は郵便の他に何かないかをあちこちに問い合わせて探してくださったり、ずっと私の相談に乗ってくださった楽書倶楽部のお仲間の鎌谷さんにも、この場を借りて心からの感謝を申し上げます。皆様本当にありがとうございました。

2023年2月19日(日)

次の写真は、金曜日の朝撮った食卓のアマリリス。金曜日はそれまで撮りためたアマリリスの花芽が開くまでの3枚の写真を掲載したばかりだけれど、その際掲載した3枚目の写真に写る2つの小さな花芽のうちのひとつが大きくなって、3つ目の花が開き始めていたので撮ってみた。この花の中心の向こう側に4つ目の花のつぼみも見える。やはり4つ花が咲くんだと、うれしくなった。

2023年2月20日(月)

2週間くらい前にエドソンが買ってきた食料品の中にコーンケーキミックスと牛乳があったので、コーンケーキが食べたいんだねと理解した。でも、すぐには作れず、しばらくしてからようやく作ることができた。次の写真は、作った翌日の朝食で少し食べた後のコーンケーキ。コーンケーキはちょっとパサパサした感じがあるのだけれど、これはクリーミータイプのものなので、しっとりとしていておいしい。

2023年2月21日(火)

先週の水曜日に町へ食料品の買出しに行ってくれたエドソンが、不思議な白いお肉のような脂身のようなものを買ってきたので、「これは何?」と聞くと、牛のお腹の筋肉で、これと一緒に買ってきたソーセージと白い豆がなかったので白っぽい豆で金曜日に夕飯を作るのだと言う。これまでうちで作ったことのないブラジル料理ということだった。次の写真は、下茹でして、お湯を捨てた後の牛のお腹の筋肉。見た目はちょっと「これを食べるの?」という印象のものだった。

これを小さく切って、豆、玉ねぎ、にんじん、オリーブ、ソーセージ、ベーコン、トマトで調理すると、おいしい一品が出来上がった。アフリカ奴隷の人たちがご主人さまたちの食事に使われなかった肉の切れ端や脂身などと一緒に黒い豆を煮込んだフェイジャオンというのが、典型的なブラジル料理のひとつにあるけれど、これは白い豆を煮込んでいるので、白いフェイジャオンと呼ばれているのだそう。普通は食べないお腹の筋肉を一緒に煮込んでいるので、ブラジル人でもこんなものは食べない、食べたことないという人は少なくないらしい。基本お金持ちは食べない庶民の食べ物のようだ。でも、アメリカでもブラジルでもアフリカ奴隷の人たちは料理に使われずに残った肉などの材料を一緒に煮込んで、結構おいしい料理を作り、それがその土地の名物料理になったりしているのだからおもしろいものだ。次の写真は、そのエドソンが作ってくれた豆料理。トマトが入っているので、「白いフェイジャオンと言うより、赤いフェイジャオンだね」と思った。パセリとネギを散らしていただいたのだけれど、お腹の筋肉は下茹でしてあるからか柔らかく脂っこくもなく、特別強い味もせず、存在を主張しておらず、おいしい豆料理だった。ブラジルのソウルフードのひとつと言っていいのかな?

2023年2月22日(水)

先週末から今日まで、ブラジルではカーニバルだった。18日(土)はパーディーニョの町の誕生記念日で、歌手の人を招いてフェスタが計画されていたけれど、雨で中止になるかもしれないとマテウスが言っていた。そして、未成年の飲酒が問題になってパーディーニョのカーニバルが中止になって以来7~8年になるけれど、今年はどうやら再開されるらしく、夜寝る前にひろのオシッコのために家の外に出ると、パーディーニョの町の方から太鼓の音や音楽がかすかに聞こえてきていたので、マテウスに聞いてみると、再開される予定にはなっているみたいだけれど、これも雨でどうなるかわからないと言っていた。この土曜日にマテウスが来たら、どうなったのか聞いてみようと思っている。

先週、リオの総領事館から、リオのカーニバルに関する注意喚起というメールが来て、「カーニバル期間中(2月17日(金)~2月22日(水))は以下を参考に、犯罪等に巻き込まれることのないように十分注意して下さい」「今年は、ブロッコ(街中でのカーニバル集団)が全面的に認められており、期間中は市内各所で行われる予定です。ブロッコに遭遇した場合には、特に人混みに紛れた窃盗事件に注意して下さい」などという注意事項が列挙してあった。こういうメールはリオでのオリンピック前に、リオの総領事館がリオの安全情報を送ってくれるというサイトに登録したので、以来、リオのどこどこでデモが予定されているから近づかないようにとか、どこどこで強盗事件が発生したから気をつけてとかいうメールが今でも時々届く。サンパウロの総領事館には特にこのように登録できる安全情報サイトのようなものはなく、在留届けをしていても、一切何の情報も届かない。例えば、日本が郵便を止めていた時期に、どういうことになっているのかとか、去年の12月に郵便が再開された際、再開されましたとか、メールアドレスを登録しているのだから連絡があってもいいように思うのだけれど、こちらから問い合わせをしない限り、在留法人とのコミュニケーションは一切しない姿勢のようだ。

2023年2月23日(木)

今日は天皇誕生日で、うちのワンコのひろの8歳の誕生日でもある。天皇陛下もひろも元気に長生きしてほしい。

アマリリスの4つ目のつぼみが大きくなり始めた写真と、それが花開いたところを写真に撮ってみた。何だか同じような写真をいくつも掲載しているけれど、これまで花は2つ咲かせるものだと思っていたのが4つも咲くことに驚いて、これは写真で記録しなければと思ったので、何度も同じような写真を掲載することになってしまった。さすがに4つの花は一度には咲かないので、4つ目の花が咲く頃には最初に咲いた2つがしおれてきてしまっているけれど、4つも花を咲かせてくれたことに大感激。

2023年2月24日(金)

次の写真は、防風林の小道を上がりきった辺りから北西の入り口ゲート近くにあるパイネイラの木を撮ったもの。今年はこれまで以上にたくさんの花が咲いている。2枚目の写真は、そのパイネイラの花をアップで撮ったもの。3枚目の写真は、1枚目の写真とは逆方向で、木の側まで行って撮ったもの。

2023年2月25日(土)

エドソンは時々冷凍のピザを買ってきてくれる。でもうちにはピザを焼くための入れ物がなかった。前回デパートのアヴァンにコーヒーメーカーとオーブントースターを買いに行った際、オーブントースターはなかったのだけれど、以前売りきれになっていたピザを焼くための丸いアルミの容器があるかどうか見てみるとあったので、それを買った。これがあると、冷凍のピザを切らずに丸いまま焼くことができる。エドソンが買ってくる冷凍ピザには玉ねぎとソーセージとチーズがすでに乗っているのだけれど、今回はそれにさらにモッツァレラチーズとソーセージを追加して焼いてみた。そして、写真には写っていないけれど、これにいつものようにルッコラを加えていただいた。

2023年2月26日(日)

次の写真は、庭の隅のブランボヤンという木の足元に置いた植物が元気に大きく育って花を咲かせているので撮ったもの。フランボヤンの木は大きくなりすぎたからと、切ってしまったのは残念だったけれど、この幹の足元に植えたこの植物は元気に大きくなってきている。この植物はすずらんではないのだけれど、ちょっとすずらんのように見えなくもない。

2023年2月27日(月)

昨日フランボヤンの足元の植物の写真を掲載したけれど、この切り倒したフランボヤンの幹の部分にいつだったか手伝いのパラナが野性のランを移植してくれて、そのランはここでちゃんと生きながらえている。すると先日、ここにピンク色の花が見えたので、ランが咲いたのかな?と思ってみると、それまでここになかった別のピンクの花をつけた植物が置いてあることに気づいた。エドソンに確かめたら、多分パラナが置いてくれたんだよと言っていた。彼はあちこち敷地内を歩き回っては野性のランなどを見つけて、こんな風に移植してくれ、私たちの目を楽しませてくれている。

2023年2月28日(火)

コロナ禍で中止になっていたカーニバルが今年は行われた。とは言っても私たちのここでの生活にはまったく関係のないものなのだけれど、ブラジルの風物詩なので、ブラジル日報に掲載された2月24日付けのリオのカーニバルに関する記事と、25日付けのサンパウロのカーニバルに関する記事にリンクをはってみることにする。ちなみにパーディーニョのカーニバルは土曜日の夜、少人数のパレードが行われたらしい。マテウスにカーニバルに行ったか聞いてみると、雨が降っていたし寒かったから行かなかったと言っていた。久しぶりのカーニバルだったけれど、サンパウロ市を始めサンパウロ州内のあちこちで豪雨による土砂崩れや道路や建物が水に浸かる被害が出たようだった。

「リオのカーニバル=インペラトリスが22年ぶり優勝=義賊ランピオンをテーマに=名物パレードが完全復活へ」という記事のサイトは、こちらへ

「サンパウロ市カーニバル=豪雨にめげず意気揚々と行進=強力なリズム、高まる連帯感」という記事のサイトは、こちらへ



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