Kyoko Yoshida | Life in Brazil | BLOG |
2022年9月1日(木) | ||||
「桑の実が色づいて、もう収穫できるよ」と、エドソンが教えてくれたので、この月曜日の午後、桑の実を少し収穫した。うちで一番大きなボールを持って行って3分の2くらい収穫した時点で、一旦打ち止め。たくさん採ってもすぐには消費できないので、目一杯採ることはしなかった。そして、日曜日は午後の気温が29度と暑かったのに、月曜日は15度と寒く、冷たい風が吹いていたので、ウィンドブレーカーを着込んで行ったのだけれど、長い間外で収穫作業をするのが辛かったこともあったから。今回もこれでジャムを作る代わりに、去年のようにジュースを作ってオレンジジュースと混ぜて飲むことにした。うちのオレンジを絞ってパッションフルーツと混ぜて作って飲んでいたものに、桑の実で作ったジュースを混ぜて完成。ジュースは毎日飲むので、少しずつ作って行けばすぐに消費できると思う。そして、久しぶりのオレンジュースに混ぜた桑の実のジュースのちょっとワイルドな味を楽しんだ。次の写真は、収穫してきた桑の実を水洗いして冷蔵庫で保存するためにプラスチックの容器に入れたもの。
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2022年9月2日(金) | ||||
8/31(水)17:21配信FNNプライムオンラインに、 フジテレビ上席解説委員の平井文夫氏の「安倍晋三さんのどこが国葬に値しない政治家なのか誰か教えてくれ」という記事があったので、ここにコピーしてみる。
安倍さんの国葬に反対の人が増えている
最近、「世論調査をやるたびに安倍さんの国葬反対が増えている」と話す人が多いのだが、確かにFNNの世論調査でも質問が少し違うので単純比較はできないものの、先月は賛成が50%で反対が47%を上回っていたが、今月は反対51%、賛成41%と逆転した。安倍さんは国葬に値しない人なのだろうか。岸田首相は8/31の会見で、国葬に閣議決定した理由について以下の4点を改めて示した。 世界はなぜ安倍氏に弔意を示すのか いずれも自分の夢や主義より前に、世界を相手に日本がどういう国になるべきなのかを考えるリアリスト的な行動だった。集団的自衛権も消費増税も支持率を下げ政治的ダメージを負ったが、それをやり遂げる力があった。強いリーダーだったのだ。2018年に、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)が発効したが、米国のトランプ前大統領は国内の反対に屈して離脱し、バイデン現大統領も反発が怖くて戻れないでいる。彼らと安倍氏の力の差は明らかだ。海外の政治家たちはそれを知っているから各国の議会で追悼演説をし、弔問を希望している。だから岸田氏は国葬にしたのだ。ちなみに日本の国会の追悼演説は延期になったままいつ行なわれるのかもわからない。議員の皆さんは恥ずかしくないのか。世論調査で国葬への反対が増えている理由は安倍氏の旧統一教会への関与らしいのだが、これを追及する立憲の幹部も関与していた。霊感商法や高額のお布施は問題だが、多額の寄付を要求する宗教団体は他にもたくさんある。政治と宗教の問題を国会でじっくり話し合うのはいいと思うが、今回の国葬と結びつけるのはおかしいのではないか。また、「モリカケサクラ」の問題が未解明だとして、「安倍氏の評価はまだ定まっていないから国葬はダメだ」と言う人もいるが、安倍氏の業績とモリカケサクラを同列に扱うのはさすがに無理があると思う。 もう静かに送りませんか 「国葬の客観的な基準を作るべきではないか」との質問に首相は「その時の政府が責任を持って判断する」と答えた。それでいいんじゃないか。首相にはそれくらいの権限はある。また、警備費、接遇費を事前に示せと言う人がいるが、高すぎると思ったらカットしろということか。警備と接遇に恥ずかしくない必要な費用をかけるのは当たり前だ。首相は国会の閉会中審査に自ら出席して国葬についての説明を行うという。これ以上の話がでるとは思えないが、これで野党も納得して国葬に出て来るのではないか。首相が国会で説明すると言う前に国葬欠席を発表した共産党は勇み足だったかもしれない。維新の松井前代表は「(国葬が)おかしいという意見は自由に発信されたらいいけど、決まって、弔意を持って見送りたいという人たちが参加するんだから、それを邪魔する必要はない」と述べている。立憲も共産も国葬に来てもいいし来なくてもいい。でも邪魔するのはやめてくれ。一部メディアも含めみなさん、どうかもう少し静かに安倍さんを送りませんか。 ちょうどこの記事をネットで目にする前に見た高橋洋一氏のYoutubeチャンネルで「日テレ24時間テレビと統一教会と国葬反対派」という話しをしていたのだけれど、安倍さんの国葬反対と、統一教会けしからんというのは、年代別分布がそっくりだ言っていた。「年齢が高いほど統一教会けしからん、国葬反対というのが数字で出ている」「テレビで統一教会けしからんと煽る。煽るとテレビを見ている人ほどそこを信じる。だから高齢者ほどそこを信じる。統一教会はけしからんを信じるとどうなるかというと、安倍さんは統一教会と何らかの関係があるという連想につながる。それだったら安倍さんの国葬はけしからんという事になるんじゃないか」という仮説をたてると「統一教会けしからんと言う年代別の分布と国葬反対という年代別分布がそっくりだということが説明できる」と言っていた。この高橋洋一氏のYoutubeチャンネルのサイトはこちらへ。毎年8月に行われる広島の原爆慰霊祭に、街宣車を繰り出して、ワーワー、ガーガーうるさく騒ぐ左の人たちがいるけれど、静かに慰霊祭を執り行いたいと参列する人たちの邪魔をしないでほしいと思う。そして安倍さんの国葬に関しても、静かに見送りたいという人たちの気持ちを尊重してせめて邪魔をしないでほしいなと思う。 | ||||
2022年9月3日(土) | ||||
家の南側で毎年花を咲かせるグレヴィーリャの木が、今年も花を咲かせたので写真を撮った。これまで何度も書いているけれど、うちには防風林の並木やこの家の南側の三角地帯に数十本のグレヴィーリャを植えているのだけれど、花を咲かせるのは何故かこの1本だけ。とても不思議。そして花の形も日本では見たこともない不思議が形をしているなと、花を見るたびに思う。
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2022年9月4日(日) | ||||
2022年9月3日付けのブラジル日報で、「《アルゼンチン》ブラジル人がクリスチーナ副大統領を暗殺未遂=眼前に銃口、引き金引くも不発」と題して、アルゼンチン元大統領で、現副大統領暗殺未遂事件があったことを伝えていた。Yahooニュースでは出ていなかったので、ここにリンクをはってみる。この記事のサイトはこちらへ。 また、現在、沖縄の県知事選真っ只中のようだけれど、現在の県知事の玉城デニー氏は、台湾有事にどのように備えるつもりかという質問に、世界のうちなんちゅがそれぞれの国で友好関係を築く一方で、日本政府は話し合いで問題を解決すべしと言ったり、防衛省が台湾有事の際、沖縄県民をいかに迅速に避難させるかという避難計画を立てるとことを発表すると、それは戦争準備だと言って反対したり、中国共産党の手先のような危険人物とフランス軍の研究所の論文で名指しされたりしているけれど、沖縄県の闇は深いんだな、沖縄大丈夫か?と思う記事を見かけた。福岡県行橋市の市議会議員の小坪しんや氏がネットに投稿した記事のサイトはこちらへ。 | ||||
2022年9月5日(月) | ||||
金曜日の午後、食料品の買出しに行ってくれたエドソンがスイカを買ってきた。日本のスイカは丸いけれど、ブラジルのスイカは楕円形で大きさもかなり大きい。日本でもスイカを丸ごと買うのは無理なので、小さく切ったものをたまに買うくらいであまり買って食べていなかったのだけれど、そろそろスイカのシーズンだし、丸ごとでなく切り分けたものも販売されているということで、買ってきたのは6分の1くらいの大きさのものだった。重さは3.3キロで、値段は13.25レアル(ここの生活実感としては1325円と言った感じ)とあった。これを半分に切って、それを食べやすい大きさに切り分けてタッパーに入れて、食べたい時にすぐ食べられるようにし、残りの半分は下の冷蔵庫に保存した。久しぶりのスイカでとてもおいしくいただいた。切り分けてタッパーに入れておくととても食べやすいので、あっと言う間になくなりそう、と言うか、実際早いスピードでなくなりつつある。
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2022年9月6日(火) | ||||
今年の桜は7月で終わってしまい、8月に花が咲くことはなかったけれど、何と今、離れに向かう道沿いにある3本の桜のうちの真ん中の1本に花が咲いているのに気づいたので以下の写真を撮った。2枚目の写真は、家の西側のランドマークの木の側のひょろひょろとした桜の木に咲く花を撮ったもの。現在この2本に季節はずれの花が咲いている。
次の写真は、家の前の庭の桜の木を撮ったもの。こちらは花が終わって実がつき始め、その実がだんだん赤くなってきている。花を咲かせた桜の木はみな、今こうして実をつけている。今年は花が終わり実をつけた桜の木と、今現在花を咲かせている桜の木が共存している不思議なことになっている。
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2022年9月7日(水) | ||||
いつもメールにいろいろな写真を添付して送ってきてくれる広島の友人が、今度はヘクソカズラとワルナスビという花の写真を送ってきてくれた。「両方とも雑草というか野生の草花ですがなんとも可哀想な名前で笑っちゃいます」とメールにあった。誰が付けたのか、本当に冗談のようなおかしな名前。このヘクソカズラは彼女が暮らすマンション入り口の歩道と斜面を仕切るフェンス付近に沢山咲いているのだそう。この花は彼女のお父さんが昔「子どもの頃、遊びに行くとそこら中に咲いていて綺麗だけれどこれが臭いんだ」と面白おかしく話していたのだそう。そんな名前、彼女も最初は冗談だと思っていて、「冗談よね」と聞くと、本当だったという思い出があるのだそう。とても身近にある草花らしいのだけれど、私はまったく聞いたことのない知らない花の名前で、写真を見ても、見たことあるかなあ~?と考え込んでしまうような草花だった。
そして、もうひとつ添付されていたワルナスビの写真を見て、これってうちにも生えているなと、ピンときた。この草花も友人の暮らす団地の公園内の側溝に咲いていて朝友さんから名前を教えてもらったのだそう。その朝友さんいわく、「なすび色をした小さな丸い実がついてそれを食べるとお腹をこわすから、食べないようにとこんな名前をつけたのかもね」ということだった。2枚目の写真はうちの丘で芽を出して花を咲かせているもの。花や葉の形が同じで、トゲがあるところも同じ。やはり同じものだと確信。ここではこの草はあちこちから自然に芽を出して白い可愛い花を咲かせるのだけれど、茎にトゲがあるので、触らないようにしている。花が咲いていると、「おっ、花が咲いている」と思って見るのだけれど、その後、なすび色の小さな丸い実をつけるということは知らなかった。広島で生えている草と同じ草がここにも生えているんだと、何だかちょっとうれしかった。そして、何より名前を知れたことがうれしかった。
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2022年9月8日(木) | ||||
同じくこの友人によると、誕生花というものがあるらしく、私の誕生花を調べたらムクゲだったと言って、彼女の隣りのマンションの裏側にある小さな花壇で咲いているムクゲの写真も送ってきてくれた。ムクゲという名前は聞いたことはあるけれど、このハイビスカスのような芙蓉の花のようなのがムクゲなのかと思った。ネットで調べてみると、学名がHibiscus syriacusとあり、やはりハイビスカスの一種なんだ。芙蓉も学名がHibiscus mutabilisで、やはりハイビスカスの一種。違いを調べてみたら、「雌しべが5つに分かれてカーブするように上に曲がっているのがフヨウ、まっすぐに伸びているのがムクゲ」で、「ムクゲの葉の大きさは小さめで、形は鋸歯で切れ込みが入っていて」、「フヨウは大きな葉で手のひらのような形をしている」。さらに、「葉の色はムクゲは深緑、フヨウは明るい緑色」なのだそう。私の母は芙蓉の花が好きだったようで、私の名前を芙蓉からとって、蓉子としたかったらしいのだけれど、当時日常使用する漢字の範囲を定めた当用漢字の中で、蓉という字が認められていなかったため、蓉子にすることはできず、今の私の名前に変えたということだったのだけれど、私ってハイビスカスとご縁があったのねと思った。
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2022年9月9日(金) | ||||
先週の木曜日にネット上で、サンパウロのカザ・ブエノというお店で注文した食料品が、月曜日に届いたので、エドソンが午後郵便局まで取りに行ってくれた。彼が戻ってから、箱の中身を全部出して並べて写真を撮ってみた。これらはボトゥカトゥのウエノに行けば、ウスターソース、りんご酢、クリームシチュー以外はたぶん手に入るだろうと思うけれど、なかなかウエノまで買い物に出て行けないので、ネットで注文することにしたもの。これはコロナ禍以前はなかったサービスだけれど、幸か不幸かコロナ禍でもお店が生き残るためにこういうサービスを始めてくれて、この不便な片田舎にいても利用できるのだから、とてもありがたい。
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2022年9月10日(土) | ||||
この水曜日はブラジルの独立記念日で休日だった。休日と言ってもエドソンの仕事が休みなので、彼に精神的な余裕があるくらいで、ここでの私の生活には特に何の違いもない。だからいつも通りの時間に起きて、朝食の仕度を始める前に、いつも通りにひろとの朝一番のお散歩をして、ダンちゃんたちにとうもろこしと粉の飼料をあげた後、チャボちゃんや鶏たちにもとうもろこしをあげに行ったら、何とチャボちゃんが生んだ卵が箱の中にひとつあった。次の写真の右側がそのチャボが生んだ卵。大きさを比較するために左側にうちの鶏が生んだ卵を並べて置いてみた。大きさ的にはダンゴーラの卵と同じくらいの大きさだろうか?エドソンに見せると「大きい!」というので、「えっ?小さいでしょう」と言うと、「だって、あの小さな体から考えると、これって大きくない?」というので、「ああ、そうね。うずらくらいの体の大きさを考えると、うずらの卵よりもずっと大きいな」と、思った。チャボちゃんたちがうちに来て初めて生んでくれた記念すべき卵になった。そして、金曜日の朝もひとつ卵が生みつけられていた。ありがとうちゃぼちゃん。
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2022年9月11日(日) | ||||
次の写真は、木曜日の夕飯時に、エドソンが作ってくれた一品。畑のバジルが元気に大きく育ってたくさん葉をつけているので、これを採って食べないともったいないと言って、水曜日に買い物に行った際、ミニトマトと小さくて丸いモッツァレラチーズを買ってきてくれ、水曜日に作ろうと思っていて忘れたからと、木曜日に作ってくれたもの。おつまみのような、副菜のような感じでいただいた。
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2022年9月12日(月) | ||||
金曜日の夕食後、一旦階下の事務所に下りて行ったエドソンが戻ってきて、きれいな月が出ているからと、私のカメラを持って外に出て撮ってきたのが次の写真。満月だ。複数枚写真を撮っていたけれど、この1枚をここに掲載することにした。気温は上がったり下がったり、暑くなったり寒くなったりを繰り返しているけれど、春の花は咲いており、春になると鳴き出すチコチコやサビアーなど小鳥たちの鳴き声も聞こえるようになっているので、季節はもう春なのだと思う。一方、世の中を見回すと、今年は安倍元首相が暗殺されたり、統一教会の天敵だった安倍さんを統一教会とズブズブだったなどとメディアは嘘ばかり報道し続け、それと同時にゴルバチョフ氏と、エリザベス女王の訃報が続き、昨日は沖縄県知事選で玉城デニー氏が選出されたという悲報まであり、何とも気が滅入る。
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2022年9月13日(火) | ||||
日曜日にエドソンがまた朝食を作ってくれた。今回はブラジル風と言うか、エドソン風の朝食で、卵とソーセージとカサバ(マンジォカ芋を粉にしたもの)を混ぜて作った一品。これに前の日の夕飯で作って残っていたポテトサラダを添えていただいた。ありがとう。感謝です。
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2022年9月14日(水) | ||||
昨日はエドソンの誕生日だったのだけれど、私は井上さんご夫妻の助けを借りて、サンパウロに書籍を届けるために朝から出かけて夕方戻ったので、彼のための特別な誕生祝いはできず、夕飯は月曜日に作っておいたポトフで済ませた。でも、誕生日の前の日の月曜日に、私たちのアメリカ人の友人のジョンからエドソンにバースデーメールが届いていた。いつまでも忘れないでいてくれてありがとう。彼は仕事で常にあちこち飛び回っていて、このメールをくれたのはタイからで、その後マレーシアに行くとあった。相変わらず元気そうで良かった。確かこの出張の前にはロンドンとパリへ家族で旅行すると言っていたけれど、本当に元気だなあ。そして、昔々、ジョンとエドソンがサテライフの衛星通信用の地上局を設置するために、6ヶ国だったか何ヶ国だったか忘れたけれど、1ヶ月くらいかけてアフリカ諸国を飛び回ったことがあったのだけれど、その際、ウガンダで撮ったという古い写真を添付してくれていた。これは1991年12月のことなので、今から31年も前のことになる。この時エドソンはまだブラジルで働いていて、1ヶ月の休暇を取って、アフリカに行ってジョンと合流して、この仕事をしたのだけれど、まあ良くやったものだと思う。若いからできたんだろうね。この翌年の7月、エドソンはブラジルから、私は日本からサテライフで仕事をするために(そしてエドソンは大学に行く目的もあって)それぞれ渡米して、出会うことになったのだけれど、人生、どこで何があるかわからないものだなと思う。このはるか遠い昔に夫になるエドソンや親友のジョンに出会えた人生の巡り合わせに感謝。
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2022年9月15日(木) | ||||
火曜日は1日留守にしたので、エドソンのお誕生日のお祝いができなかった。それで昨日の水曜日に、1日遅れのお祝いと言うことで、豚肉と井上さんからいただいたじゃがいもをローストしたものと、オクラのサラダと、なんちゃってティラミスケーキを夕食に作った。バジルとモッツァレラチーズとミニトマトのひと皿は、エドソンが作ったもの。畑のバジルを消費しようと2日置きくらいに作っていて、これが食卓に上がるのは3回目になった。火曜日はワンコのひろにはシュハスコ小屋のお留守番スペースでお留守番をしてもらおうと、朝の出発前にシュハスコ小屋に入れたのだけれど、私が出発するくらいから雨は降り出すし、午前中エドソンが何度か様子を見に行くと、ひろが泣いて寂しがっているので、可哀相だからとひろを事務所に連れて行ったそうなのだけれど、ひろをシュハスコ小屋から連れ出すと、一目散に家に戻ろうとしたり、下の事務所のドアのところで匂いを嗅いだりと、必死に私を探していたらしい。しばらく膝に抱っこしたり、自由に事務所内の匂いを嗅がせたりして、落ち着かせてから上から持って下りたひろのベッドを脚元に置いて、その中でおとなしくしていてもらったのだそう。エドソンが外出して家を留守にすることは時々あるけれど、私がひとりで外出することはまずないことなので、不安だったのだろうと思う。そして、お昼の食事の後はいつも通りにお散歩をして、午後遅く、私をセザリオ・ランジまで迎えに来る前にも再度少しお散歩をしてウンチをさせたりしたらしい。私が帰宅して、シュハスコ小屋からひろを家に戻すと、安心したのか疲れたのか居間のベッドに潜り込んであっと言う間に寝てしまった。5月に亡くなったはるは人懐こい子で、赤ちゃんの頃からペットホテルのヴィラシーコに何度もお世話になっていたので、ヴィラシーコに預けることに問題はなかったけれど、ひろははると一緒なら何とかヴィラシーコで過ごせたけれど、はるが亡くなった今、ひとりではとにかく外に出たり、知らない人と接することが怖いひろだけをヴィラシーコには預けられないだろうから、困ったものだなと思う。でも、私たちが側にいればいい子にしていられるのだから、それはありがたいことだと思う。そんなわけでエドソンはお誕生日をどっぷりひろとふたりで過ごす1日になったようだった。次の写真は、お誕生日祝いの食卓。エドソンは照れ隠しにわざと変顔をしている。2枚目の写真は、食後のデザートのなんちゃってティラミス。
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2022年9月16日(金) | ||||
冷蔵庫の中にまだ使っていないなすが1本あり、皮が少し茶色に変色し始めたので、ダメになる前に使わなければと思い、なすとズキーニと黄色いパプリカとオクラをフライパンで焼いて、野菜の揚げびたしと言うか、揚げてはおらず焼いているので、焼きびたしと言った方がいいのかな?を作ってみた。Youtubeで作り方を教えてくれる人たちのようにきれいな出来上がりにはならなかったけれど、まずまずおいしければ、まあいいか。
安倍さんの国葬の件で、いまだに法的根拠がないなどと言っている人たちは、法律を知らない人たち。法律を作る国会議員が知らないというのは何だかなあ~と思う。恥ずかしくないの?高橋洋一さんが明確に説明をしているサイトはこちらへ。 | ||||
2022年9月17日(土) | ||||
この火曜日にサンパウロへ書籍を運んだことは書いたけれど、井上さんの所からここまで1時間くらいはかかるので、あまり早い出発だとご迷惑かと思い、あちらを9時に出ていただいて、こちらを10時に出発するという予定でお願いしたのだけれど、もっと早くても構いませんよとおっしゃるので、あちらを7時に出ていただいて、こちらを8時の出発に変更した。井上さんたちがサンパウロに行く際は道路の渋滞を避けるために、いつもかなり早く出られるらしく、早朝だと道路もあまり混まないことをよく知っての提案だったようだ。それで7時半頃には来てくださったので、小型トラックに箱を積み込んで、8時前には出発することができた。でも、8時前でも車の数は結構多く、途中1時間ほど行ったソロカバ辺りからいつになく混み始め、すぐに動きのにぶい渋滞になり、サンパウロ市内に入ってからもずっと渋滞で、結局到着するのに4時間以上かかってしまった。8時出発で11時過ぎには到着できるかなと思っていたのだけれど、8時前に出て、正午過ぎの到着になってしまった。到着まで3時間という私の見通しがとても甘かったことを痛感。でも、何とか無事にお届けできたことでほっとして、カメラを持って行ったのに、写真を撮ることをすっかり忘れて帰ってきてしまった。帰路は往路ほどには渋滞していなかったけれど、やはり結構混んでいて、やはり4時間近くかかった。井上さんたちがサンパウロに行かれる際、いつもお願いするサンパウロの道をよく知っている運転手さんに頼んで連れて行ってもらったので、時間はかかってもスムーズに行ったけれど、あの複雑なサンパウロ市内を自分たちで運転して探しながら行くのは絶対無理と思った。一緒に行ってくださった人栄さんも長時間の往復で、さぞお疲れになったことだろうと思う。サンパウロを往復する間、人栄さんとずっとおしゃべりをすることができ、ブラジルに来てこんなに日本語で話し続けたことはなく、とてもうれしかった。そして、何よりも書籍を届けるという大仕事を完了することができ、ずっしりとのし掛かっていた肩の荷を下ろすことができて、とてもほっとした。「これも何かのご縁でしょう」と言って、助けてくださった井上さんご夫妻には感謝してもしきれない。 | ||||
2022年9月18日(日) | ||||
家の玄関前の外階段沿いのサツキは、4種類あるうちの一番下のピンク色のものが一番最初に元気に咲き出し、少し時間をおいて、白い花と薄ピンクの花と一番上のちょっと種類の異なるピンクが濃い赤っぽい花が咲くのだけれど、今年はこれまでになく一番上の赤っぽいサツキの花が多く、他のサツキが盛りを過ぎた現在、今を盛りと咲いている。居間の西側の窓からこのたくさんの赤い花が見えるのでなかなかいい感じ。次の写真は、居間の窓から見える花を撮ったもの。
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2022年9月19日(月) | ||||
次の写真は、食卓の上のラン。真ん中の背の高いランは、最近エドソンが買ってきてくれた際に一度写真を掲載したけれど、その際上の方半分の花はまだつぼみだったのが、今では左右の一番上につぼみがひとつずつあるだけで、みな花開いている。そして、右側のランも3つ花開いて、食卓の上が華やかになった。左側のランはつぼみが少しずつ大きくなってきている状態で、開花までにはまだしばらくかかりそう。
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2022年9月20日(火) | ||||
家と庭のハイビスカスガーデンの間の芝生の中に草が生えてきて、何やら白い可愛い花を咲かせているので写真を撮ってみた。芝生の間からは時々こんな風に草が生えてきたりするけれど、こんな花が咲いているのを見たのは初めてのような気がする。
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2022年9月21日(水) | ||||
次の写真は、庭の桜の木の前、糸杉の横にあったフランボヤンを何年か前に切り倒して残った幹のところに差したランを撮ったもの。日曜日の朝気づいたので、土曜日に手伝いのパラナがここに差したのかなと思い、エドソンに聞くと、「そうそう。どこで見つけたのか知らないけれど、土曜日にパラナがここにこのランを差してくれたんだよ」と言っていた。パラナはただエドソンに言われたことだけをするのでなく、入り口ゲートと家を結ぶ道が、車のタイヤで低い部分ができて水がたまるようになっていることに気づくと、土を入れてくれたり、作業の合間にうちの森の辺りで見つけた野性のランを採ってきては、桜の木の二股になってところに差したり、こんなふうに木の幹に差してくれたりして、ここでの私たちの生活をより居心地の良いものにしようとしてくれる。本当にとてもよく気がつく人だと思う。これまでの手伝いの人たちの中でもピカイチの人だと思う。
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2022年9月22日(木) | ||||
7月に栃の実のなっている木の写真を送ってくれた広島の友人が、「ぼちぼちその実が熟したのか落ち始めています」と言って、その栃の実と強風で折れたイチョウの枝とチューリップツリーの種を一緒に撮った写真を送ってきてくれた。何だか栃の実がチョコボールのようでおいしそうと思った。このまま食べられるわけではないけれど、見た目はそんな印象だなと思った。そして、チューリップツリー?聞いたことないなと思ってググってみたけれど、やはりこれも知らない植物だった。本当にいろいろなきれいな植物があるもんだなと思う。
「その栃の実を拾って割ってみてびっくりです。硬い皮を破るとつややかに栗色に輝く大きな実が出てきました。目的は無かったのですがそれらを拾い集めていたところ、数日後、朝友やその知人とその夫までもが栃の実を拾って私に届けてくれました」「今は天日干しをしてアク抜きの準備をしています。栃の実はアクが強いらしくアク抜きがうまくいくかどうか分かりませんがネットで調べて、何か食べれるものを作れたらいいなと思っています」とメールにあった。
そして、朝友さんから食べられるほおずきをもらったので、食べてみたら、「プリッとしていてとても甘く南国の果物のような味」だったそう。食べられるほおずきというのがあるんだね。その写真も送ってきてくれたのだけれど、大きさを比べる為に栃の実とどんぐりが並べてあり、ほおずきが赤くなく、とても小さいのでびっくり。さらに、朝友さんに進められて初めてどんぐりを炒って食べたのだけれど、炒りたての暖かいうちは無味で何とか食べれたけれど、冷えると石のように固くなり噛めなかったと書いていた。栃の実はもちろんのこと、どんぐりも私は食べたことない。 | ||||
2022年9月23日(金) | ||||
次の写真も、友人が送ってきてくれた彼岸花。彼女の暮らす団地の公園のあちらこちらに咲いているらしい。ブラジルでは彼岸花は見たことないなあ~。この赤い花の色が鮮やかできれいだなと思う。
うちにやって来て3ヶ月くらい経過したチャボたち。先週の水曜日に一羽のメスチャボが初めて卵を生んでくれたので、そのことを書いたけれど、その後も1~2日置きくらいに生んでくれていて、先週末いつものように朝、チャボにとうもろこしを与えて、卵を生みつけるために置いている箱の中に生みつけられていた卵を取ろうと身を乗り出したら、手前からは影になって見えない箱の隅にも卵があって、合計4つも生みつけられていたのでびっくり。その前日は「今日は卵なしね」と思ったので、箱の隅にあったものには気づかなかったようだ。そして、生みつけられている卵の大きさが違うので、大人のメスだけでなく、体が少し小さく、まだ完全に大人になっていないと思われるもう一羽のメスも生んでくれたんだということがわかった。それらの卵の大きさを比べてみるために、次の写真を撮ってみた。右から順に、普通の鶏の卵で60g、真ん中は大人のメスチャボの卵で40g、左端は体の少し小さいメスチャボの卵で25g。それでもうずらの卵よりはずっと大きい。今朝も卵がひとつ生みつけられていたので、この10日くらいの間に、二羽で14個の卵を生んでくれたことになる。それで水曜日の夕飯で、鶏肉とピーマンとチャボの玉子を炒めた料理を作って味見をしてみたのだけれど、普通の鶏の卵と変わらないなと思った。大きさは小さいけれど立派な卵だった。
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2022年9月24日(土) | ||||
広島の別の友人が、「7月に中央公民館での朝顔の講演会で面白い話を聞きました。江戸時代には朝顔の突然変異を作ることに大変興味をもっていた一般の人々がいたそうで、競ってつくっていたそうです。メンデルの法則などが発見される前のことで、人々はそのようなことは梅雨知らず熱心に変異朝顔を作っていたとのこと」というメールをくれた。「講演では4つの変異朝顔の種をもらいました。1つは枯れて、残りの3つは成長してます」と言って、輪郭は普通の朝顔で真ん中に丸まった花びらのある朝顔の写真を添付して送ってきてくれた。それでネットで変異朝顔を検索してみたところ、いろいろな写真が出てきたので、そのひとつをここに一緒に掲載してみることにした。この変異朝顔の花の写真を知らずに見たら、これが朝顔だとは思わないだろうなと思った。ブラジルの日系の人たちも朝顔が好きな人が少なくないようで、複数の方から種をいただいたことがある。でも、以前、うちに手伝いに来ていたゼーとマリア夫婦のマリアが、うちの外ベランダ横の花壇で咲いていた朝顔を見て雑草だと言ったのには驚いたことがある。美しいものを単純に美しいと愛でることができないの?私たちとは感性が違うんだなと思ったものだった。
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2022年9月25日(日) | ||||
昨日の午前中、何ヶ月ぶりかでボトゥカトゥの日系食料品店ウエノに買い物に行った。お米がほぼなくなってしまい買わなければいけなかったのと、他にもここでしか手に入らないものを仕入れたくて行ってきた。次の写真の左手前は日本の梨。その後ろは左からかつおぶし、しらたき、らっきょう、福神漬け、紅生姜、ゆかり、塩こんぶ。その後ろ右から、食品の保存容器、その上にちくわとぎょうざ。その左は、しいたけ、カニカマ、しめじ。そして、一番左の上側に焼きそば。これらの中でボトゥカトゥの大きなスーパーコンフィアンサでも手に入るものはしいたけ、カニカマ、しめじくらいかな?この他にも料理酒とみりんも買ったのだけれど、写真には撮らなかった。これらを並べて写真を撮ってから、油揚げとお豆腐を買うのを忘れたことに気づき、ちょっとがっかり。お米はコンフィアンサでも買えるので、エドソンがボトゥカトゥに行ったついでにコンフィアンサに寄って、お魚などと一緒に買ってきてくれることが何回かあって、最近値段を見ていなかったのだけれど、昨日ウエノで見たお米の値段が軒並み値上がりしていて、以前は5キロ30レアル半ばだったものが、ブランドによって40レアル半ばとか50レアル半ばになっていたので、ちょっと驚いた。当然のことながら高いものとかこれまで食べたことのないブランドは避けて、いつものブランドの40レアル前後のものを2袋、つまり10キロ買って帰った。ちなみにこのお米と言うのは日本米のことで、パーディーニョのスーパーでは手に入らない。そして、ブラジル米だったらもっとずっと安い。
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2022年9月26日(月) | ||||
うちの敷地内ではあちこちでたくさんのマンジォカ芋を育てている。この土曜日、手伝いに来てくれたパラナが、お隣のコーヒー農園との間にある柵から近い場所のマンジォカ芋が掘り返されて盗まれているとエドソンに報告してきた。エドソンはうちでマンジォカ芋が食べたい時は、最近はいつもパラナに頼んで掘り起こしてもらい、うちで食べるだけでなく、パラナにもあげているので、パラナは自分が掘り起こしていない場所が掘り起こされていたので、すぐにわかったらしい。エドソンが見に行くと、柵を乗り越えたと思われる場所にくっきりと足跡があり、マンジォカの近くにもいくつか足跡が残っていたと言っていた。先週はこのコーヒー農園で毎日のように複数の人たちが来て作業をしていたので、その内の誰かがうちの敷地内に侵入して盗んだのだろうということだった。たくさんあるから一株くらい盗っても大丈夫だと思ったのだろうけれど、困ったものだ。それで、午後カメラを持って行ってみると、マンジォカ芋がたくさん育っている中で、一ヶ所だけ掘り返されている場所があったので、私でもすぐにそれとわかった。そして、エドソンが言っていた通り、近くに足跡がいくつもあった。マンジォカ芋は冬の間、葉を落とすので、写真ではひょろひょろとした棒状のものしか見えないけれど、次の写真はそのマンジォカ芋の畑の中で、掘り返されたところを撮ったものと、その場所をアップて撮った写真。一ヶ所掘り起こすと5~6個のお芋がなっているのだけれど、ここのマンジォカは結構古くて、とても大きく育っていたはずなので、おいしくないんだけどなとエドソンは言っていた。
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2022年9月27日(火) | ||||
土曜日にカメラを持って、マンジォカ芋窃盗現場の写真を撮った後、丘に上がって、丘の上の見晴らし台の側で咲き始めたオレンジ色の花の写真も撮りに行った。側でパラナが作業をしていたので、「この花、毎年咲くのよね。きれいよね」と彼に話しかけたら、パラナが何だかいろいろおしゃべりを始めたものだから、「う~ん、いまいちよくわからない」と思いつつ適当に相槌を打ったのだけれど、庭で花をどうしたとか言っているのかなと思った。
写真を撮った後、パラナと一緒に防風林の小路を下りて行くと、「ほら、ここですよ」と言うながら、途中で庭に入って行って見せてくれたのが、次の写真のランが移植された古い木の幹。桜の木の幹の間に置いていたランや、森の近くから採ってきたランをここにこうして移植したんだと言っていることは理解できたので、「わあ~、ステキ!ありがとう」と感謝の気持ちを伝えた。彼の言っていることがすべて理解できるわけではないけれど、何となく話が通じてうれしかった。
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2022年9月28日(水) | ||||
手伝いのパラナの写真をこれまでちゃんと撮ったことがなかったので、「あなたの写真を撮ってもいい?」と確認して、了解を得てから次の写真を撮ってみた。丘の上で撮った1枚目は顔があまりはっきり写っていないので、庭で古木に移植したランを見せてもらった後、再度、今度はアップで撮らせてもらった。パラナは両脚の血管に問題を抱えていて、破裂したりしたら大変なことになるので手術をすることになったそうで、来週からしばらく平日働いているドナ・ベティのファゼンダも、週末のここでの仕事もお休みすることになった。日本の病院は術後も結構な期間入院するのが普通だけれど、欧米では出産後も翌日とか翌々日とかに退院して自宅に帰るように、彼も術後数日で退院して、自宅で2ヶ月あまり療養するらしい。その間定期的に病院に通ってリハビリを受けるのだろうと思う。とにかく手術が無事に行われて、1日も早く元気を回復してほしいとエドソンとふたりで願っている。
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2022年9月29日(木) | ||||
9/27(火)15:00配信AMEBA TIMESの記事に、9月27日に行われた安倍元総理の国葬で、“友人代表”として送った菅前総理の弔辞があり、心に響くその追悼の言葉に感動したので、ここにコピーしてみる。
安倍晋三元総理の国葬が27日午後、東京・日本武道館で執り行われ、菅義偉前総理が友人代表で追悼の辞を読み上げた。歴代最長の安倍内閣で総務大臣、長らく官房長官を務めた菅前総理から語られたのは、無念さや安倍元総理に対する尊敬の念、また感謝を述べる際には涙ぐむ場面もあった。 友人代表弔辞 7月の8日でした。 信じられない一報を耳にし、とにかく一命をとりとめてほしい。あなたにお目にかかりたい、同じ空間で、同じ空気を共にしたい。 その一心で現地に向かい、そして、あなたならではのあたたかなほほえみに、最後の一瞬、接することができました。 あの運命の日から80日が経ってしまいました。 あれからも朝は来て、日は暮れていきます。やかましかったセミはいつの間にか鳴りをひそめ、高い空には秋の雲がたなびくようになりました。 季節は、歩みを進めます。あなたという人がいないのに、時は過ぎる。無情にも過ぎていくことに、私はいまだに許せないものを覚えます。 天はなぜ、よりにもよって、このような悲劇を現実にし、いのちを失ってはならない人から生命を召し上げてしまったのか。 悔しくてなりません。哀しみと怒りを交互に感じながら、今日のこの日を迎えました。 しかし、安倍総理…とお呼びしますが、ご覧になれますか。 ここ、武道館の周りには、花をささげよう、国葬儀に立ちあおうと、たくさんの人が集まってくれています。 20代、30代の人たちが、少なくないようです。明日を担う若者たちが大勢、あなたを慕い、あなたを見送りに来ています。 総理、あなたは今日よりも、明日の方が良くなる日本を創りたい。若い人たちに希望を持たせたいという、強い信念を持ち、毎日、毎日、国民に語りかけておられた。 そして、日本よ、日本人よ、世界の真ん中で咲きほこれ。――これが、あなたの口癖でした。 次の時代を担う人々が、未来を明るく思い描いて、初めて経済も成長するのだと。 いま、あなたを惜しむ若い人たちがこんなにもたくさんいるということは、歩みをともにした者として、これ以上に嬉しいことはありません。報われた思いであります。 平成12年、日本政府は北朝鮮にコメを送ろうとしておりました。 私は、当選まだ2回の議員でしたが、「草の根の国民に届くのならよいが、その保証がない限り、軍部を肥やすようなことはすべきでない」と言って、自民党総務会で大反対の意見をぶちましたところ、これが新聞に載りました。 すると、記事を見たあなたは、「会いたい」と電話をかけてくれました。 「菅さんの言っていることは正しい。北朝鮮が拉致した日本人を取り戻すため、一緒に行動してくれれば嬉しい」と、そういうお話でした。 信念と迫力に満ちたあの時のあなたの言葉は、その後の私自身の政治活動の糧となりました。 そのまっすぐな目、信念を貫こうとする姿勢に打たれ、私は直感いたしました。この人こそはいつか総理になる人、ならねばならない人なのだと、確信をしたのであります。 私が生涯誇りとするのは、この確信において、一度として揺らがなかったことであります。 総理、あなたは一度、持病が悪くなって、総理の座をしりぞきました。そのことを負い目に思って、二度目の自民党総裁選出馬をずいぶんと迷っておられました。 最後には2人で銀座の焼鳥屋に行き、私は一生懸命、あなたを口説きました。それが、使命だと思ったからです。 3時間後には、ようやく首を縦に振ってくれた。私はこのことを菅義偉生涯最大の達成として、いつまでも誇らしく思い出すであろうと思います。 総理が官邸にいるときは、欠かさず一日に一度、気兼ねのない話をしました。今でもふと1人になると、そうした日々の様子がまざまざとよみがえってまいります。 TPP交渉に入るのを、私はできれば時間をかけたほうがいいという立場でした。総理は「タイミングを失してはならない。やるなら早いほうがいい」という意見で、どちらが正しかったかは、もはや歴史が証明済みです。 一歩後退すると勢いを失う。前進してこそ活路が開けると思っていたのでしょう。総理、あなたの判断はいつも正しかった。 安倍総理。日本国は、あなたという歴史上かけがえのないリーダーをいただいたからこそ、特定秘密保護法、一連の平和安全法制、改正組織犯罪処罰法など、難しかった法案をすべて成立させることができました。 どのひとつを欠いても、我が国の安全は確固たるものにはならない。あなたの信念、そして決意に、私たちはとこしえの感謝をささげるものです。 国難を突破し、強い日本を創る。そして、真の平和国家日本を希求し、日本をあらゆる分野で世界に貢献できる国にする。 そんな覚悟と決断の毎日が続く中にあっても、総理、あなたは常に笑顔を絶やさなかった。いつもまわりの人たちに心を配り、優しさを降り注いだ。 総理大臣官邸で共に過ごし、あらゆる苦楽を共にした7年8カ月。私は本当に幸せでした。 私だけではなく、すべてのスタッフたちが、あの厳しい日々の中で、明るく、生き生きと働いていたことを思い起こします。何度でも申し上げます。安倍総理、あなたは、我が日本国にとっての、真のリーダーでした。 衆議院第一議員会館、1212号室のあなたの机には、読みかけの本が1冊ありました。岡義武著『山県有明』です。 ここまで読んだ、という最後のページは、端を折ってありました。そしてそのぺージには、マーカーペンで線を引いたところがありました しるしをつけた箇所にあったのは、いみじくも、山県有朋が、長年の盟友、伊藤博文に先立たれ、故人を偲んで詠んだ歌でありました。 総理、いまこの歌くらい、私自身の思いをよく詠んだ一首はありません。
かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ 深い哀しみと、寂しさを覚えます。総理、本当に、ありがとうございました。 どうか安らかに、お休みください。 令和四年九月二十七日 前内閣総理大臣、友人代表 菅義偉 (ABEMA NEWS) | ||||
2022年9月30日(金) | ||||
今週Youtubeの番組を見ていて、いい言葉に続けて出逢ったので、ここに書き留めておくことにした。次のふたつは加山雄三さんが「心に染みる祖母の言葉」として紹介していたもの。
次の歌は、昭和天皇の昭和21年元旦の御製
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