Kyoko Yoshida | Life in Brazil | BLOG |
2022年5月1日(日) | ||||
去年の12月からホエイ・プロテインをエドソンとふたりで摂取していたのだけれど、先月上旬健康診断に行った老人科の先生が、むやみにホエイ・プロテインを摂取すると負の影響が出ることもあるから、しばらく止めましょう。その代わりに栄養士から適切なサプリメントを紹介してもらいましょうと言うことで、摂取を止めていた。そして、栄養士の人からネスレのシニア用のnutrenというサプリメントを摂取してと言ってきたので、先日エドソンが買ってきてくれ、自分用にはホエイ・プロテインも買ってきていた。エドソンはホエイ・プロテインを摂取し始めてからプルプルしていた二の腕のプルプル感がなくなり、筋肉がしまってきたような気がすると言って、続けることにしたようだ。栄養士の人が勧めてくれたサプリメントの内容を見てみると、プロテインや鉄分、ビタミンD、マグネシウムなど必要と思われる様々な成分が含まれていた。
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2022年5月2日(月) | ||||
23日(土)は知り合いの畑の手伝いでピーナツの収穫をしないといけないから休みますと言って来なかった手伝いのパラナが、次の土曜日にその収穫したピーナツを少しもってきてくれた。去年同じようにパラナからピーナツをもらった際は、すぐに殻から出して乾燥させなかったので、湿気てしまい少しカビが生えてダメにしてしまったものが出たので、今回はすぐに殻から出して、ザルに入れて、翌日エアーフライアーでローストした。ピーナツの量が多く、殻から出す作業で指が痛くなるくらいだった。でも、いつもいつも私たちのことを気遣って、いろいろ持ってきてくれるパラナには感謝。パラナは土曜日にうちに来て作業することを楽しみにしているんだと思うと、エドソンは言っている。それで、今年はたくさん採れるアボカドをいくつか持って帰ってもらった。
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2022年5月3日(火) | ||||
庭の桜の横にある白のポインセチアが、病気になったのか、次々に葉を落としてしまったので、木自体が枯れてしまうのかな?今年は花は期待できそうにないなと、思っていた。すると、枝は葉を落としてしまったけれど、枝先に花芽を付け始めたので、見ていると、4月の下旬になり花を咲かせたので写真を撮ってみた。本当なら青々とした葉がなくてはいけないのだけれど、小さめの白い葉を出し、中心の花も咲いている。葉が茂っておらず、枝先の花だけの不思議な光景だ。
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2022年5月4日(水) | ||||
エドソンは下のオフィスに衛星通信の地上局を作っているのだけれど、前々から雷の被害でたまに機器が壊れることがあり、その雷の被害を防ぐための対策措置をしようと考えていたものの、それを手伝ってくれるペドレイロが来てくれず、延び延びになっていた。そして、うちを建ててくれたペドレイロのエディが今年になってモラエス家具店横の建物の増築工事をしているので、通りがかりに何度か立ち話をしたようで、土曜日に手伝ってくれることになっていたらしい。そして、約束通り先週の土曜日に2人の手伝いの人たちを連れて来て、作業をしてくれた。1枚目の写真は、家の東側の物置スペースでの作業になるため、そのスペースのものをガレージの壁沿いに移動させたところを撮ったもの。ガレージ手前の木はここに植えてだいぶ大きくなったノイヴィーニャ。そして、2枚目の写真は、その物置スペースのコンクリートで被われた地面に開けられた6箇所の穴。置いてあるスチール板を取って見ると、何メートルくらい掘ったのだろう?結構深い穴が掘られていた。洗濯機にコンセントコードの他にアースコードがついているけれど、それと同じようにここに何かを埋めてアースの役割をさせるらしい。エドソンは今年に入り、サン・ジョゼ・ドス・カンポスにあるITA(Instituto Tecnológia de Aeronáutica=航空宇宙技術研究所)の衛星通信プロジェクトの仕事を始めたので、地上局の安全確保は必須の課題だったため、その準備が始まり良かった。良かった。
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2022年5月5日(木) | ||||
先週の水曜日にも届いていなかった楽書倶楽部第62号4月号が、この火曜日にエドソンが仕事の関係で届いた郵便を取りに行くと、ようやく届いていた。4月8日の発送だから約4週間弱かかったことになる。前園さんに届きましたとメールをすると、金曜日に再送しましたが、発送から1ヶ月経っても届かない場合はいつも再送していますから気にしないでとの返信があった。サンパウロからここまで車で3時間弱。何をどうすれば4週間近くもの時間がかかるのだろうかと、不思議でならない。以下は、この号に掲載された私の文章。
ブラジルでコロナ禍が広がり始めた二〇二〇年の三月中旬に、自主的に引きこもり生活を始めて何事もなく二年近くを過ごすことができた。そして何とか元気に穏やかに二度目の新年を迎えた二〇二二年だった。しかし年が明けて数日すると状況が一転してしまった。夫にコロナオミクロン感染の症状が出てしまったのだ。クリスマス前に夫が新しく買ったスマホの不具合を直すために、大晦日に隣町の携帯電話のお店まで出かけて行った際、どうやらそこでオミクロンウイルスをもらってしまったようだった。お店で複数の人たちが不具合を直すために彼のスマホと格闘したため、帰宅後そのスマホを消毒しようと思っていたものの、お店で一時間以上も待たされたことで、日本時間での年越しに遅れてしまうと焦って帰宅したため、うっかり忘れてしまったのが原因だった。 六日の午後、オンラインミーティングで話していると、咳が出るようになったと夫が言うので、熱を測ると三七度ちょっとあり、夕食の一時間後くらいにまた測ると三八度になっていた。これは検査をした方がいいだろうと、翌日七日午前中の検査を予約して検査に行った結果、陽性が確認された。これまで感染しないようにとずいぶん気を使い注意していた夫は、ちょっとした失敗で感染してしまったことに落ち込んでいた。私も七日の午後くらいから軽い喉の炎症が出始めたため、検査をするまでもなくウイルスを夫からもらって感染したのは明らかだった。 感染したとわかったからには、あとは暖かくしてなるべく横になって身体を休め、水分補給を心がけて、胃に負担のかからない消化のいいものを食べて、数日おとなしくして過ごすしかないと覚悟を決めた。この夏は毎日のように雨が降り、日差しのほとんどない日が続く冷夏だったため、夜は毛布を一枚増やして寒くないようにして、昼間も冬のように重ね着をして、とにかく身体を冷やさないようにと心がけた。夫は陽性がわかったその夜、喉が痛くて咳が出て眠れなかったようだった。私はその翌日の夜、身体の節々が痛くて、頭痛もあって眠れなかった。ただ、ふたりともそのような思いをしたのは一晩だけで、その後は夫は少し緩和した喉の痛みと咳という状態で、私は喉の奥や鼻の奥に若干の炎症がある程度で回復に向かった。 夫の陽性が確認されて一週間後の十四日に再度検査に行った際は、まだふたりとも陽性だった。その三日後の十七日に、夫が喉などの炎症を抑える薬をネットで調べて薬局に買いに行った際、たまたまその時間に検査の予約をしていた人が、急にキャンセルしたため、代わりにその場にいた夫が検査をしてもらうことができ、陰性が確認された。そして、私は検査の予約がなかなか取れず、20日にようやく陰性が確認された。新型コロナウイルスが広がり始めた頃、治療薬はないと言われていたけれど、オミクロンに関しては、私たちは普通の風邪に対するのと同様の対症療法で、ビタミンC、風邪薬、鎮痛剤、消炎作用のある薬などを飲んで対応した。結果として、それらが不快な症状を緩和してくれ十分役に立ってくれたように思う。 我が家では、以前から風邪を外から持って来るのは仕事や様々な用事で外に出て行き人と会う機会の多い夫で、彼に風邪の症状が出始めると、私はすぐに暖かくして身体を休ませるようにするので、風邪をもらっても夫よりも軽い症状に抑えることができていたのだけれど、今回も同様に私の方が症状は軽く、喉の奥と鼻の奥に若干の炎症を感じただけで、身体の節々が痛かったのは一晩だけだった。咳や鼻が出るわけでもなく、熱もなく、軽い症状でやり過ごすことができた。 私たちは昨年の九月中旬に二回目のワクチン接種を終えたため、その後一ヶ月余りした頃から、引きこもり以来ずっと先延ばしにしていたうちの犬たちの健康診断やワクチン接種などのためにペットクリニックに連れて行ったり、夫は隣り町の高校での衛星通信プロジェクトのボランティアを再開したり、私も一年九ヶ月ぶりに夫と一緒に隣町のデパートに買い物に行ったりと、引きこもり前の生活に徐々に戻す方向で動き始めていた。その矢先の感染だったので、とてもがっかりし、以前のような注意と緊張感が減少していて、少し気が緩んでいたかなとおおいに反省をした。ただ、オミクロンに感染してしまったことは残念なことだったけれど、二週間足らずでオミクロンから解放されたのは不幸中の幸いだった。当初の予定では1月下旬に三回目のワクチン接種が可能だったのだけれど、オミクロンに感染してしまったので、回復して一ヶ月の間隔を置かないと行けないということで、三回目の接種は二月下旬になるのだろうと思う。ワクチンを接種していても感染する時は感染するのかもしれないけれど、とりあえず重症化することは避けられそうなので、以前は、三回目かあ~、ちょっと面倒だなと思っていたけれど、今ではちゃんと三回目も接種しようと考えている。 | ||||
2022年5月6日(金) | ||||
次の写真は、家の南側の三角地帯の西側の入り口にある桜の木の側で咲く黄色い花。去年初めてここにこの花が咲いているのに気づいたのだけれど、今年もこの花が咲く時期になり、黄色い花を咲かせている。去年も書いたけれど、この花はここに自然に生えてきたもので、何の花なのかはわからない。うちの敷地内のここだけにこの花は咲いている。桜の葉が生い茂っていると見えにくいのだけれど、もうだいぶ葉を落として、7月の開花に向けての準備をしているので、この花が葉に隠れたりせず、よく見える。
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2022年5月7日(土) | ||||
先日の朝、朝食を食べているとキーキーというここではとてもよく耳にする鳥の鳴き声が近くで賑やかに聞こえていた。「あの鳥はマリンボンドの天敵だよ。マリンボンドを食べてくれればいいのに」と、エドソンがつぶやいた。朝食後、流し台の前の窓から見ると、ガレージのドアの上の軒下にできているマリンボンドの巣の回りやガレージの屋根の上に複数羽の鳥がいた。片付けが終わっても相変わらずキーキーと賑やかなので、カメラを持ってガレージ前の寝室の窓から写真を撮ってみた。7羽の鳥がいて、巣を直接攻撃している感じではないのだけれど、よく見ると巣が少し壊れているように見えるので、少しずつ根気よく攻撃しているのかなと思った。よし、よし、その調子でその巣をやっつけてください。この鳥はマリンボンドの巣の中の幼虫を食べ、成虫を食べるわけではないのだけれど、巣を壊され幼虫がみな食べられてしまうと、その巣にいる意味がなくなるので、しばらくするとその壊れた巣を捨ててみなどこかに行ってしまう。この写真の巣は、午後3時頃にはほとんど壊され、中の幼虫はみな食べられてしまったようだった。ガレージの軒下にはもうひとつ巣ができているんだけれど、そっちの方は場所的に攻撃しにくいところにあるのか攻撃している様子はまったくない。でも、そっちもやっつけてくれないかなあ~。
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2022年5月8日(日) | ||||
次の写真は、金曜日にエドソンが収穫してきてくれたかぼちゃ。小さなかぼちゃだったので、同じくうちで収穫したアボカドと並べて大きさを比べてみた。このアボカドは日本で見かけるものよりも大きいのだけれど、それでもこのアボカドとあまり変わらない大きさなのでかぼちゃの小ささがわかるかと思う。これまでうちで収穫できるかぼちゃは西洋かぼちゃだったのだけれど、いつの間に日本のかぼちゃの種を蒔いたのだろう?ひとつだけだけれど、日本のかぼちゃが収穫できたのは初めてのことなので、とてもうれしい。
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2022年5月9日(月) | ||||
土曜日に来てくれた手伝いのパラナがカスクードという河魚をお土産に持ってきてくれたので、写真を撮ってみた。彼は釣りが好きらしい。お皿の手前の頭と尻尾の間の胴体の部分の皮が剥がされたものがカスクードで、上の方に見える少し小さい魚はマンジューバというこれも河魚。カスクードは鎧のような硬い皮に被われているけれど、柔らかい背骨以外に骨がないのだそう。エドソンもおいしいらしいという話は聞いたことはあっても、食べたことはないと言っていた。パラナが胴体の皮を剥いで、内臓を取ってきれいに下処理した状態で持ってきてくれたので、これを丸ごと油で揚げて食べるのだという。それで土曜日の夕飯はこのカスクードの唐揚げを夕飯に食べた。マンジューバの唐揚げはこれまでに何度もおいしく食べているけれど、カスクードの唐揚げもおいしかった。頭も尻尾も丸ごと食べられるとエドソンは言って食べていたけれど、頭が大きく、ちょっと怖い顔をしているので、私はひとつちょっとかじってみただけで、食べるのは遠慮した。
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2022年5月10日(火) | ||||
土曜日に手伝いのパラナが、ドナ・ベティの竹のファゼンダのマネージャーのジョアオンが鶏を一羽あげると言っているよというので、お昼前にエドソンはパラナと一緒に鶏をもらいに行った。パラナは平日はこのファゼンダで毎日仕事をしていて、うちに来てくれるのは土曜日とその他の休日だけ。うちの鶏やダンコーラたちはこのジョアオンから買ったものなのだけれど、最近、彼のところで放し飼いにしているダンゴーラたちが群れでやってきた野犬に襲われて数が激減したので、鶏をタダでくれるのは、うちのダンゴーラのオスを代わりに分けてほしいということらしかった。オスをグループに入れてせっせと子作りさせて、数を増やしたいという思惑らしい。それでもらってきた鶏をパラナが庭で火をおこして羽を取ったり、内臓をきれいにしたりという処理をしてくれたので、それを夕方エドソンが部位部位に切り分けて、容器に入れて冷蔵庫に保存した。そして、日曜日にその一部を使ってチキンスープを作ってくれた。最近また気温が少し下がってきたので、チキンスープ日和でちょうどいい感じで温まることができた。エドソンの作るチキンスープはいつも具沢山で、今回は玉ねぎ、ニンニク、トマト、キャベツ、ブロッコリー、オリーブ、とうもろこし、マンジォカ、ウルクンなどが入っていた。次の写真は、その日曜日の夕方、台所で火にかけた圧力なべの様子を見ているエドソンの側にくっついているひろ。エドソンが台所に来てゴソゴソし始めると、ひろは必ずエドソンにぴったりくっついて、側から離れない。エドソンが台所にいると何かおこぼれでももらえると思っているのか、私に対してはこういう行動はとらないのに不思議だ。この間、はるは居間のベッドの中で丸まっていて、台所で起こっていることには興味なしという感じだった。
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2022年5月11日(水) | ||||
日曜日の午後、エドソンがめいに結構大きな骨のおしゃぶりをあげると、じょうずに両前足を使って骨を支えて食べ始めた。これは本物の骨ではなく、ストレス解消と歯のクリーニングのために与えるようなニセモノの骨。次の2枚の写真はエドソンが撮ったもの。1枚目は、夢中で骨をかじっているめい。エドソンがめいの名前を呼ぶと、「何?今忙しいんですけど」と言う感じの表情でこちらを向いためいがとても可愛い。
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2022年5月12日(木) | ||||
日本では空き瓶、プラスチックボトル、缶、ダンボール箱などは、分別してゴミとして出すけれど、ここではゴミの分別収集なんてしないので、以前は、リサイクルをやっていたボトゥカトゥのスーパーに持って行っていた。でも、そこがリサイクルを止めてしまったため、家では分別はしているものの、ゴミと一緒に出すしかなくなっていた。それが去年の9月頃だったか、手伝いに来てくれていたレアンドロがパーディーニョの町にリサイクルをしてくれる業者さんがいることを紹介してくれ、貯まっていた空き瓶やダンボール箱などたくさん引き取ってもらったことがあった。そしてあれから半年以上、またたくさん貯まってしまったので、土曜日にパラナたちにガレージの片付けをしてもらった際、リサイクルできるものはすべてガレージの外に出してもらって、エドソンがリサイクルの業者さんに連絡をした。土曜日は忙しいので月曜日に来てくれるということだったのだけれど、車が故障したとかで来てくれたのは火曜日のお昼。でもまあ、わざわざここまで引き取りにきてくれるのだからありがたい。次の写真は、その人が来て、大量にあったものをうまい具合にトラックに搭載し終わったところを台所の流しのところからパチリ。ちなみに日本のちり紙交換のようなことをするわけではなく、ただただ引き取ってくれるだけ。でも、ゴミと一緒に捨てることなく、リサイクルの業者さんに引き取ってもらえると何だかほっとする。
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2022年5月13日(金) | ||||
エドソンが衛星通信用に作った地上局を雷の被害から守るために、エドソンのオフィスの東側に何かを作る仕事を、4月30日(土)にエディたちに始めてもらったことはすでに書いた。次の週に建築資材のお店でその後の作業に必要なものを購入しようとエドソンは考えていたようだけれど、その週は仕事が忙しく町に出て行く時間がなく、7日(土)は作業を進めてもらうことができなかった。そして、今週10日(火)にようやく行くことができ、11日(水)に資材が配達された。これで14日(土)からエディたちが作業を進めることができるようになった。エディたちは今モラエス家具店隣りの建物の増築作業をしているので、平日は忙しく、うちには土曜日に来てくれることになっている。次の写真は、頼んでおいた砂利や砂、セメントなどの配達に来てくれたトラック。
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2022年5月14日(土) | ||||
今月の最大の懸案だったサンパウロの日本総領事館で旅券の申請をして即日発給してもらうために、この木曜日の昼食後、はるとひろをペットホテル兼ペットクリニックのヴィラシーコに預けてサンパウロに向かった。今回はバスではなくエドソンが運転して車で行くことにした。市内に深入りすると大変なので、サンパウロの西の端で高速を下りて、比較的すぐのところにあるホテルに予約して泊まった。でも、エドソンのスマホにカーナビ機能がついていなかったら、ホテルが見つからず完全に迷っていただろうと思う道のりだった。それほどにサンパウロ市内の道は複雑で車が多いので、これまでは車で行くことなどまったく考えたことがなかったのだけれど、街中に入って行かず、総領事館とホテルの間の往復はタクシーにすればストレスが少なく、時間の無駄がないし、車だと時間の融通がきくので車で行くことにしたのは正解だった。ホテルには予定通り午後5時には到着し、翌日も朝の渋滞を考慮して早めにホテルを出た。でも、バスと同じ優先レーンを走ることのできるタクシーだと、渋滞する他のレーンの車を横目にスイスイ走って、やはり予定通り30分ほどで総領事館に到着した。ちょっと早く着きすぎたけれど、以前はなかった1階にできていた小さな喫茶店でエスプレッソを飲みながらゆっくり時間を潰した。そして、前もってメールで用意した必要書類を確認してもらっておいたので、問題なく、とてもスムーズに手早く発給してもらうことができた。9時の予約だったのだけれど、早く到着して受付を済ませていたので、9時前にはすでに入れてもらって手続きを受け付けてもらえたので、すべてを終えて建物の外に出て時間を確認したら、9時半にもなっていなかった。旅券申請のための準備を始めた今年の2月からクリアしなければならないハードルがいくつかあることがストレスで、ずっと頭痛の種だったので、超ハイスピードですべてがスムーズに完了した時は、とにかくほっとした。 次の写真は、木曜日の夜、ホテル近くのシュハスコレストランに行った際撮ったもの。私たちが泊まったホテルは比較的低料金の(一人一泊400レアルなんてホテルではなく、朝食込みでふたりで280レアルくらいの)ビジネスホテルのような部屋もシャワールームもコンパクトな狭いホテルだった。それで朝食ビュッフェを食べるレストランはあっても、夕食を出すレストランなどはなかったので、すぐ近くにあったこのシュハスコレストランに夕食を食べに行った。おいしいシュハスコとカシャッサというとうもろこしのお酒で作ったカイピリーニャを何年かぶりで堪能した。午後6時を少し回ったくらいに行ったので、まだほとんどお客さんがいなかった。写真の中央奥に見えるのは大きなサラダバー。ここでセルフサービスでほしいサラダや野菜の料理やじゃがいもやお米のお料理などをお皿に取って、テーブルで食べ始めると、大きな串刺しにしたいろいろな種類のお肉を給仕の人が次々に持ってきてくれ、欲しいものを好きなだけ切ってもらって食べるというシステムになっている。大食漢ではない私たちにはあまり向かないタイプのレストランだけれど、たまには熱々のおいしいお肉を堪能するのも悪くないと思えるほどおいしいお肉をいただいた。
次の写真は、デザートで注文したプチ・ガトー。ふたりで一人分を分けて食べたいからお皿を2つくださいとお願いしたのだけれど、お皿を2つ持ってきてくれる代わりに、サービスしてくれたみたいで、一人分プラスもうひとつ余分にアイスクリームが添えられたものが来たのでびっくり。真ん中のケーキをスプーンでくずすと、中からトロリと熱々のチョコレートが流れ出すお菓子で、アイスクリームと一緒に食べると、とてもおいしい。このデザートはブラジルに来て初めて食べたのだけれど、おいしいのでレストランで食事をしてデザートを注文することがあると、よくこれを頼むようになった。
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2022年5月15日(日) | ||||
ブラジル全体のことはよくわからないけれど、サンパウロ州はコロナ規制がほとんどすべて撤廃されて、マスク着用義務もなくなっているのだけれど、サンパウロに行くと、ホテルやレストランの人たちや、タクシーの運転手さんたちと言った接客業の人たちだけでなく、通りを歩く人たちも、ほとんどの人たちがまだちゃんとマスクをしていた。最近ではパーディーニョでもボトゥカトゥでもマスクをした人たちをあまり見かけなくなっていたのでちょっと驚いた。私たちは総領事館に行った金曜日はホテルに戻るまでマスクをしたのだけれど、総領事館の入っているビルの守衛さんたちも、入館手続きをする人も、喫茶店の人たちも、総領事館の人たちもみなマスクをしていたので、マスクを忘れずに持参したことは正解だったと思った。パーディーニョのコロナ感染者数は、私たちがオミクロン感染から回復してしばらくして(3月頃からかな?)から減少し始め、何週間も感染者ゼロの状態が続いていたのに、5月に入り感染者数が増え始め、先週サンパウロに出かけて行く頃には50人になっているとエドソンが言っていた。ニュースにはなっていないものの、統計の数字を見ると、全国的に感染者数が増えている傾向がみられるらしい。 | ||||
2022年5月16日(月) | ||||
4月の下旬頃から、白い花を咲かせるノイヴィーニャが咲き始めた。若いノイヴィーニャほど開花が早い感じできれいに咲いており、古いノイヴィーニャは開花が遅い感じで、まだこれから花を咲かせるというような木もある。次の1枚目の写真は、家の北側、私たちの寝室の前のイヴィーニャ。ここでオクラの種を蒔いて育てている時に、自然に生えてきたもの。2枚目の写真は、家の南側、エドソンのオフィスの前のノイヴィーニャ。これは私が小さな苗を移植して育てたもの。
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2022年5月17日(火) | ||||
はるは生まれつき肝臓に問題を抱えていて、赤ちゃんの頃はしばらく治療をしながらドッグフードではなく私が手作りした食事を食べさせていた。だいぶ大きくなってからドッグフードに切り替えることができ、以後、時々調子の悪い時に薬を飲ませる程度で何とかうまく付き合ってきていた。そして2年半前にお腹にできた腫瘍を摘出する手術をすることになり、ヴィラシーコの先生に勧められて、赤ちゃんの頃とは少し異なる手作りの食事を食べさせて、術後の抗がん剤治療も乗り越え、時々体調を崩すことがあっても何とか元気にがんばってきた。でも、最近は体調がいまいちなことが徐々に増えていた。それでも食欲があって、ちゃんと食べている間は大丈夫だと思っていた。それが4月末から5月に入った頃からちょっと様子がおかしくなり、食事の量が減って行った。食べにくそうなので、フードプロセッサーで少し細かくしてみると、また普通に食べ始め、ほっとしたのもつかの間、また食欲をなくしたので、鳥胸肉を茹でて小さめに切って茹でたブロッコリーと一緒に特別食に混ぜてみたり、鶏肉だけを与えてみたり、とにかく何か食べれるものはないかとあの手この手を使って少しでも食事ができるように努めた。でも、とうとう特別食に食指が動かなくなり、何故かドッグフードなら食べるようになった。食事が思うように食べられなくなった頃から毎日夜中か朝食前に嘔吐するようになり、朝食が食べられず、お昼と晩ご飯だけを少し食べる日が2~3日続き、私たちのサンパウロ行きに伴いヴィラシーコに1泊することになった。ヴィラシーコでは、はるの状態を詳しく説明して、私たちがサンパウロに行っている間に血液検査や超音波検査など必要な検査をしてもらった。サンパウロから戻った金曜日の午後、彼らを迎えに行って、すでにエドソンがスマホで受け取っていた検査の結果をさらに詳しく先生から直接聞いた。結論から言うと、肝臓と脾臓に腫瘍ができていることがわかった。手術をしたお腹の腫瘍から癌細胞が転移してできたもののようだった。今後、これらの腫瘍の摘出手術をするか、手術をせずに、はるのQOLをなるべく下げることなく、はるが頑張れるところまで治療をして見守るかの選択が迫られている。次の写真は、土曜日の午後、昼食後のお散歩から戻り、居間のベッドでまったりしているひろ(左)とはる(右)。金曜日の夜から吐き気を止める投薬を始めたので嘔吐はしなくなった。そして、土曜日から食事を流動食にして少しずつ頻繁に飲ませているので、少し元気を取り戻しつつあるけれど、まともに食事ができないので、あっと言う間にガリガリの骨皮筋子さんになってしまっている。
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2022年5月18日(水) | ||||
はるの治療のことで、月曜日の午前10時の予約をして、栄養学と緩和ケアが専門の先生と話をするために、またヴィラシーコに行ってきた。この先生とはるの状態についていろいろ話をして、とにかく食事ができない状態を何とかするために針治療を受け、複数の薬の処方箋をもらって帰った。気のせいか、はるは治療の後はちょっと体が楽になったような様子だった。帰宅すると午後1時近くになっていたので、すぐにワンコたちみんなにお昼ご飯を与えた。はるはその日の朝は、前の日に作って流動食にしたものを30mlくらい食べただけだったので、お腹は空いているはずなのだけれど、やはり普通の食事には興味を示さないので、ヴィラシーコで買って帰った缶詰を食べさせてみた。すると、ペロペロと食べてくれ、缶の半分以上食べることができたので、とてもうれしかった。この缶詰は、術後の体力回復などのために与えるもので、とても栄養価が高いらしい。次の写真は、その缶詰。この食事の適量は、1日に1缶なのだけれど、夕飯にも少し食べて、この日は全体の4分の3くらい食べることができたので、まずは良かった。
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2022年5月19日(木) | ||||
17日(火)にブラジル南部を南極おろしが襲ったらしく、ここも昨日(18日)の朝の気温が3度という、今年一番の冷え込みになった。朝は冷たい風も吹いていたので体感温度は氷点下だったとエドソンは言っていた。去年は7月に南極おろしに見舞われたけれど、5月に南極おろしだなんて早すぎるでしょうと思った。でも、予報で冷え込むことがわかっていたので、火曜日に掛け布団をこれまで使っていた薄手のものから厚手の羽毛布団に替えておいたので、ベッドの中は温々だった。ただ、布団の中と外の温度の落差が激しく、朝ベッドから出るのが苦痛だった。はるとひろにもこれまで使っていた毛布だけでなく、真冬用のキューブベッドを出した。ずっと曇りがちだったため、気温が13度までしか上がらず、寒い1日になった。これから4~5日は最低気温が5度よりも上がることはなく、最高気温も20度に届かないという日が続き、その後寒さはほんの少し緩むような予報になっている。去年蒔ストーブのボヤ騒ぎをおこした後、煙突を取り外して磨き、塗料を塗るということをまだしていないので、私は蒔ストーブに火を入れることに躊躇したのだけれど、エドソンは使っても大丈夫だと言って、昼食後の散歩から戻ると火を入れてストーブの様子を確認してくれた。次の写真はその火を入れた蒔ストーブ。やはりストーブに火が入っていると少しほっこりする。写真を撮ろうとカメラを構えたら、私の側でウロウロしていたひろがストーブと私の間を横切ったので、写真に写り込んでいる。はるは朝一番のお散歩や昼食後のお散歩やオシッコに行く際は自主的にベッドから出て来てちゃんとお散歩などをするけれど、基本体調が悪いので、それ以外は寝室か居間のベッドの中で毛布に包まっていることがほとんど。この時もウロウロしていたのはひろだけで、はるは居間のベッドの中で毛布に包まっていた。体調が悪い中何とかはるの気分だけでも和らげたくて、午前中は家事でバタバタしてなかなか時間がとれないけれど、午後からコンピュータの前に座っている時間は、毛布に包まったはるを私の膝の上に抱いて過ごしている。
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2022年5月20日(金) | ||||
南極おろしでとにかく冷え込んで寒いので、痩せてしまったはるにはこの寒さがこたえるだろうと思い、ずいぶん昔に買って数回しか使ったことのない服を着せてみた。はるには大きすぎて、ひろには小さすぎるというサイズの服なのだけれど、大は小を兼ねて脱げたりはしないので、まあいいかと思いこれを着せて寒さをしのいでいる。はるは私が膝の上で抱いていなければベッドの中で横になっているのだけれど、時々起き出して部屋をウロウロしたりする。おそらく横になっていても気分が良くなく身の置き所がなくてそんな行動をとるのではないかと思う。次の写真は、居間のベッドで横になっていたはるが起き出して、玄関マットの上に行ったり、居間に戻ったりとウロウロしていたので、どうしたの?と、声をかけて後をついて行くと、私のコンピュータテーブルの下で座りこんだので撮ったもの。家事を中断して抱っこして膝の上にあげてあげると落ち着くのだけれど、しんどいんだろうなあと思う。はるの表情も元気の良かった頃と比べて、どことなく悲しそう。
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2022年5月21日(土) | ||||
5月に入り、パーディーニョのコロナ感染者数が増えていると先日書いたけれど、それ以前の感染者数がゼロで落ち着いた頃からジョゼ・ハファエウが、週末になるとエドソンのところに遊びに来るようになった。彼はボトゥカトゥにあるサンパウロ州立大学の大学院に行っていて、1年余り前からボトゥカトゥのマンションで一人暮らしを始めたのだけれど、週末はパーディーニョの実家に戻ってきて、以前のようにうちにも顔を出すようになった。彼のお陰で広島の兄が発送してくれたDHLを無事に受け取ることができたので、そのお礼の意味もあって、昨日の夕飯に彼を招き、一緒に食事をした。実家で両親と暮らしていた頃は、彼は家事をまったくしていなかったようだけれど、今はひとりなので自分でしなければならない新しい経験をしているそうで、お料理も結構楽しんで作っていると言っていた。ただひとり暮らしはちょっと寂しいとも言っていた。早くガールフレンドが見つかるといいね。そして、ほんの数日前にオスの保護猫を飼い始めたのだそう。犬と違って猫は散歩をさせなくてもいいし、あまり手がかからないけれど、大丈夫かなあ~?この日のメニューは、フィレミニョンのローストビーフと、玉ねぎ、トマト、ピーマン、オリーブ、ねぎなど様々な野菜を細かく切って、オリーブオイルと酢で和えたビナグレッチと、じゃがいもとパセリのサラダと、ほうれん草のおひたし、そしてご飯。コロナ禍になって以来ずっと誰も食事に招いたりしていなかったので、本当に久しぶりのお客さんを招いての夕食になった。来客の好きなはるは元気がないのに、ジョゼ・ハファエウがやって来たら、ベッドから出てきてうれしそうに尻尾を振りながら遊んでもらいたいアピールをしていた。ひろは彼に驚いて大きく吠えてからケージの中に避難したので、彼らのベッドをケージの前に置いて、はるはそのベッドの中にいてもらった。
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2022年5月22日(日) | ||||
はるは外に出たい気持ちはあるのだけれど、ひろと同じ調子では歩けないし、歩きたくないようなので、お散歩はひろとは別行動で、リードもつけずに自由に歩かせるようになった。平日仕事で忙しいエドソンも協力してくれ、1日に何回かはるを外に連れ出して、側で見守りながら自由にウロウロ歩かせてくれている。土曜日の午前中、私は掃除で忙しかったので、ひろはいつものようにケージに入ってもらったのだけれど、体調の悪いはるをひろと一緒に狭いケージに入れるのは可哀想と思い、下のエドソンの事務所にベッドを持って下りて、エドソンにはるのお守りをしてもらった。次の写真は、掃除が終わった頃、はるを迎えに行こうとしたら、エドソンがはるを外に連れ出して自由にさせてくれていたので、だいぶ経ってから家の前の庭に戻ってきたところを撮ったもの。体調が悪くてもお散歩をすると気分がいいのか、「お散歩行こうか」と声をかけると必ず玄関までやってくる。そして、彼女のペースにまかせていると、結構歩いてくれる。一番の問題は食事ができないこと。ヴィラ・シーコで買ってきた缶詰はぬるま湯と混ぜて、流動食にして食べさせていたのだけれど、いつも同じものでは飽きるだろうと思い、私が挽き肉と人参とかぼちゃを煮て作った食事をフードプロセサーとミキサーで細かく砕いたものを交互に食べさせたりしている。でも、私が作ったものはトロトロにはならないため、注射器で吸い取れず、スプーンで口の中に入れて食べさせるのだけれど、うまく飲み込めないことがあり、悪戦苦闘している。
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2022年5月23日(月) | ||||
鶏小屋とシュハスコ小屋の間にあるキダチアロエが、今年もたくさん花を咲かせているので写真を撮ってみた。これは今はもうおられないイビウーナの中村さんのお宅から小さな芽をいただいて帰り、ここに植えたものなのだけれど、ずいぶん大きくなっている。年月は着実に過ぎ去っていることを感じる。
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2022年5月24日(火) | ||||
久しぶりに畑の中で暮らすダンちゃんたちの写真を撮ってみた。大人のダンちゃんたちは最近、畑から出てシュハスコ小屋の後ろや家の前に来ていることが増えたけれど、ひなたちはまだ畑から出てきていないと思っていた。でも、エドソンは先日ひなたちも一緒に出てきていたよと言っていた。ひなたちは生まれて6週間経つのでだいぶ大きくなってきてはいるものの、まだまだ小さいので、短時間だけ畑から出る練習を始めたのかな?昨日の朝、エサをやりに畑に行ったら、エドソンの言った通りひなたちも大人と一緒に畑の東側に出ていた。でも、まだ畑のレンガの壁に飛び上がれない2羽のひなは畑に取り残されてピーピー泣いていた。でも、母親は彼らを放ったらかしにせず、時々畑の中に戻って来てひなの様子をみていた。10羽生まれたひなたちは、いろいろあって、現在6羽が生き残って成長している。大人は7羽。いろいろな生き物に襲われやすい外にいるより畑の中にいる方が安全ではあるものの、それでも自然界は厳しい。
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2022年5月25日(水) | ||||
5月23日(月)午後3時を少しまわった頃、はるが息を引き取った。土曜日までは何とかゆっくりお散歩ができていたのだけれど、日曜日は少ししか歩かず、どんどん弱ってきているのが分かる状態だった。その晩は寝室のベッドに行ってから何度も起きて台所でお水を飲んだり外に出たそうに玄関の前に行くので外に出すと、少し歩いてからドタッと枯れ草の上に伏せて動かなくなるので、抱いて寝室に連れ戻すというのを何度か繰り返した。それで午前3時頃から毛布に包んだ状態で私のベッドにあげて朝まで一緒に添い寝をした。どうやっても体がしんどく楽な体勢がないようで頻繁に体勢を変えてみたり、痛み止めを与えているのだけれど、時々痛みが走るのか、ブルッと体を震わせたりして、まったく眠れないようだった。月曜日の朝は私が抱いて玄関に連れて行き、朝一番のオシッコをさせたものの、やはりオシッコの後で、少し歩いてからドテッと草の上で伏せてしまう状態だった。呼吸も荒いことが多いので、これ以上はるに辛い思いをさせないようにする方法がないのであれば、ドトーラ・ジャナイーナと話し合って安楽死も考える必要があるかもしれないとエドソンと話した。そして、朝食後にエドソンがはるの状態を連絡して、火曜日の受診予定を月曜日の午後4時に変えてもらい、エドソンの仕事のオンラインミーティングが3時半に終わり次第ヴィラ・シーコにはるを連れて行くことにした。それで午後、はるをいつものように私の膝の上でずっと抱いていたのだけれど、3時頃はるを居間のベッドに下ろし、ひろをシュハスコ小屋のお留守番スペースに移動させて、車がすぐ出せるようにガレージのドアを開けて戻ると、はるがぐったりして息をしていなかった。ひろを移動させる際は荒い息をしていたのに、ちょっとバタバタ準備をしている数分の間に、ひろも私も誰も側にいない間に、ひとりで逝ってしまうなんて・・・と、はるを抱いて号泣した。オンラインミーティングが予定より少し早めに終わったエドソンが上にあがってきたので、はるが息を引き取ったことを伝え、またふたりで号泣した。その後、モビのお墓の隣にはるを埋葬するために二人で1時間くらいかかって穴を掘り、はるを埋葬した。月曜日の昼食後、はるは外に出てオシッコをした後、少し歩いて庭の糸杉のところでドテッと倒れこむように伏せてしまった。それで日差しがあって暖かで気持ちがいい午後だったのでしばらく好きにさせようと、寝室からベッドを持ってきてエドソンと交代で1時間くらい様子を見ている際、次の写真を撮った。これがはるが生きている最後の写真になった。生後二ヶ月でうちにやって来て、約9年と半年近く、私たちのことを心から愛してくれて、癒してくれて、私たちは本当に幸せだったよ。ありがとう。はるちゃん。もうこれで辛い苦しい思いをしなくても良くなったね。虹の橋のたもとで待ってくれているモビを見つけて、モビと一緒に楽しく暮らしてね。
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2022年5月26日(木) | ||||
モビを亡くした時もかなり落ち込んで辛い日々だったけれど、今回はそれを何倍も上回る精神的な打撃を受けたように感じる。私たちのここでの暮らしのほとんどを共にしてきたはるの存在が如何に大きなものだったか、はるがどんなに大切な存在だったかをエドソンも私も強く強く再確認する日々を送っている。こころにぽっかり穴が開いたような、何とも言えない説明のできない感覚があり、体も何だかフワフワした感じで、地に足がついていないようなとても変な感じ。何となくボーッとしたり、家事をしていて、ふとはるのことを思うと、涙があふれてきてしまったりする。エドソンも私もかなり落ち込んでいる。でも、これは私たちだけでなく、生後6ヶ月からずっとはるとラブラブで暮らしてきたひろにとっても同じことで、と言うか、もっと大変なことで、どうしてはるが突然いなくなったのかわからないまま、ひろが精神的に落ち込まないかとちょっと心配している。それで、ひろとのお散歩の回数を増やしたり、ひろの好きなおもちゃで一緒に遊んでみたり、はるのお墓に一緒に行って説明したり、なるべくひろを構ってあげる時間を増やしている。火曜日の朝、エドソンが朝一番のお散歩にひろを連れ出してくれ、食事が終わってから再度連れ出してくれたのだけれど、食後のお散歩では防風林の並木まで戻ってくると、すごい勢いでグイグイ家に向かい、階段を下りてエドソンの事務所のドアのところやガレージのドアのところで必死に匂いを嗅いで、はるを探し回っているようだったと、戻ってきたエドソンは泣きながら言っていた。はるを埋葬してからひろをシュハスコ小屋のお留守番スペースから家に連れ戻した際も、部屋の中を回って「はるはどこ?」と言っているようだった。はるを埋葬する際、ひろもちゃんとその場に連れて行ってはるの匂いを嗅がせて説明をしてあげるべきだったかなと、反省している。しばらくはひろにとっても寂しく辛い日々が続くのかもしれない。
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2022年5月27日(金) | ||||
次の写真は、昼食後のお散歩から戻り、居間のベッドでまったりしているひろ。このベッドにいる時は、ベッドを被っているTシャツの中に潜り込んでいることが多いのだけれど、昼食後のお散歩の後は、こんな感じでTシャツの上にいることが多い。はるがいた時は、ほとんどの場合、居間か寝室か、はるの行くところにひろも行って、はるにくっついていたけれど、はるのいない今、ひとりぼっちでちょっと寂しいね。はるがモビのところに旅立って以来、家の中が何だかやけに静かな感じがするねと、エドソンと話している。はるがうるさかったわけではないけれど、はるとひろはふたりで戯れ合っていることが多かったので、その賑やかさが今はないので静かに感じるのかな?それにはるがエドソンに甘えて構って欲しいときに出すウーンウーンという独特の声も今はもう聞こえない。はるがベッドに被せたTシャツの下に潜り込んでいたり、上にドンと座っていたりする時、ひろははるの隣で静かにしている時もあったけれど、Tシャツの下に潜り込みたい時、優しいひろは無理やり潜り込むことができず、ヒーン、ヒーンと小声で泣いて「入りたい」と訴えることがよくあった。それに私が気づけば「はるちゃ~ん、ひろ君入りま~す。入れてあげてねえ~」「静かに優しく入れば、はるは怒らないよ」と声をかけながら、ひろがTシャツの下に潜り込めるようにしたりしていた。それが今は「入れてください」とひろが泣くこともなく、ひとりでポツンとTシャツの上とか中にいる。寂しいね。
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2022年5月28日(土) | ||||
2月の下旬頃からエドソンはたまにスーパーで冷凍のピザを買ってくるようになった。買ってくるのはいつも、カラブレーザというソーセージが乗ったシンプルなピザで、オーブンで焼く際にトマトやオリーブやチーズを付け加えて、焼きあがってから刻んだルッコラを乗せて食べるのだけれど、結構気に入っている。ちょっとサラミソーセージのように見えるけれど、サラミソーセージではない。月に2~3回買ってきてくれるので、週末の金曜日とか土曜日に食べることが多い。今回はいつものモッツァレラチーズではなく、ゴルゴンゾーラチーズを買ってきていたので、それを乗せて焼いて食べた。このサジア(Sadia)というブランドはハムやソーセージやお肉を専門に商品化している大きなブランドで、何気なく買ってもこのブランドのものを買っていることが多い。ブラジルではとてもポピュラーな食料品ブランド。
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2022年5月29日(日) | ||||
昨日の午前中、我が家はとても賑やかだった。毎週土曜日に来てくれる手伝いのパラナと彼の息子の他に、パラナの息子の紹介で畑に新しい鶏小屋を作ってくれる人も来て作業をしてくれ、エドソンの衛星通信機器を落雷から守るための作業を家の東側のスペースでしてくれるエディたちも来てくれたので、電気ノコの音やら、コンクリートミキサーの音やらが同時に唸っていたからだ。そして、それらの音や人の話し声などに反応してひろもワンワン吠えていたので、まあそれは賑やかだった。前回エディが来てくれた次の週に、材料調達が間に合わず来てもらうことができず、その後2~3週間はエディが忙しかったようで、来てもらえず、4週間ぶりの作業になった。でも、昨日の作業でどうやらほぼ完成ということらしかった。良かった。良かった。次の1枚目の写真は、作業が始まったばかりのところを撮ったもの。2枚目の写真は、作業が終わり、コンクリートがきれいに敷き詰められ、エディたちが帰って行った後、撮ったもの。
次の写真は、エディたちがコンクリートミキサーやカートなどを車の荷台に積んで帰り支度をした後、エドソンと立ち話しをしているところを上から撮ったもの。
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2022年5月30日(月) | ||||
パラナの息子の紹介で来てくれた人には、畑の中に新しい鶏小屋を作ってもらうというので、どうしてもうひとつ別に鶏小屋を作るのだろうと思って聞くと、ドナ・ベティのファゼンダのマネージャのジョアオンから普通の鶏よりも一回り小さい違う種類の鶏を分けてもらうことになっているから、その鶏たちのための小屋なのだそう。この鳥は小さくて可愛くて、卵をたくさん生んでくれ、ダンゴーラのヒナを小屋に一緒に入れると甲斐甲斐しく世話をしてくれるのだとか。何だかどんどん我が家で飼う鳥の数が増えて行くなあ~。次の写真は、制作途中でまだ完成していないその鶏小屋。左右の壁はうちにたくさんある竹を使って作られている。全面は金網で、左側の扉と上の屋根はこれから取り付けられるのだと思う。この鶏小屋の後ろはシュハスコ小屋のレンガの壁。
次の写真は、畑で新しい鶏小屋作りが行われている間、庭に避難していたダンちゃんたちを撮ったもの。この時点では、畑から出られないヒナがまだ1羽いたので、お母さんダンちゃんとヒナが畑の隅に避難していて、その他の大人6羽とヒナ5羽は庭にいるのが確認できた。
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2022年5月31日(火) | ||||
毎週土曜日に、外の作業をするためにパラナと彼の息子が来てくれるので、草取り以外にも、木の枝を払ったり、その枝を積み上げて整理したりしてくれ、外回りが段階的にきれいになってきている。次の写真は、先週の土曜日にパラナの息子が、ガレージ裏で積み上がっていた廃材をランドマークの木のところに運んで積み上げてくれているのを撮ったもの。ガレージ裏のパウ・フェフォ(鉄の木)が衛星通信用のアンテナがシグナルを受信するのに邪魔になる位置にあるらしく、その木を切ってもらうことにしたので、足元の廃材を移動させたらしい。今は亡きエドソンのお母さんがかなり前に苗を持ってきてくれたものを、ここに植えて大きくなった木なのに、もったいないなあ。当時はまだうちの土地はあちこちブラキアーリアという草に被われていたので、植えることのできる場所が限られていて、仕方がなかったのかもしれないけれど、ここに植えたのは失敗だったと言っていた。2枚目の写真は、切った枝や廃材が積み上がったランドマークの木の足元を撮ったもの。これらは薪ストーブの燃料として消費する予定。
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