Kyoko Yoshida Life in Brazil BLOG 

2022年3月1日(月)

先日、パラナがまたたくさん持ってきてくれたタマリロ(日本のトマト)を大量消費するために、パイを作ってみてとエドソンが言うので、作ってみたのだけれど、アップルパイと違って、タマリロとマーマレードとシナモンの味の相性はどうかなあと思いながら作った。アップルパイのようにベストマッチという感じではなかったけれど、おいしくないわけではなかったので、まあいいかというのが感想。でも、種の回りのジュースを採ると言ってエドソンが種を絞ってくれたので、ちょっと水分多すぎの感じになった。パラナの話だと、彼が平日働いているドナ・ベティのファゼンダの同僚の人たちは、このタマリロがあまり好きではなく、食べないのだそう。そして、彼の家族も食べないので、彼だけが食べていると言っていた。それでうちに何度もたくさん持ってきてくれるのかな?トマトとか柿にちょっと似た感じの果物で、これはこれでおいしいと思うのだけれど、どうしてそんなに人気がないんだろう?

2022年3月2日(水)

先週私の誕生日に、ホドサーブ・ストップのレストランに昼食に行き、いい気分転換になったので、また出かけようと話していたら、パーディーニョの景色のいい場所に去年新しくできたレストランに行ってみようかという話になり、この日曜日の昼食に行ってきた。結論から言うとちょっと残念なレストランだった。写真付きのメニューにあったお料理はみな脂っこそうで、胃にもたれそうなので、あまり食欲をそそらない感じだった。それで、パンとクピン(こぶのある牛のこぶの部分のお肉)というおつまみのような一皿とルッコラのサラダと絞りたてのオレンジジュースを頼んだ。

お店はガラス張りで広々とはしていたけれど、高い天井にある換気扇のようなものがうるさくて、キッチンの中の音も外にうるさく漏れ聞こえる構造のようで、キッチンに専用の換気扇がないのか、脂っこいお料理の匂いがレストラン中に漂っていた。しかもこの日は外の気温が31度と高く、冷房があるわけではないので、風のある外よりもレストランの中の方が暑くて、騒音と暑さでちょっとやれやれという感じだった。それで長居は無用と食事が済んだら早々に退散した。到着して最初に二階に上がってみたのだけれど、一階よりも暑くて、換気扇が近すぎてうるさいので、結局一階に下りて食事をした。次の写真は、その時二階から撮ったもの。2枚目の写真は、会計をするために順番を待っていた場所から出入り口を向いて撮ったもの。

2022年3月3日(木)

先日、午前中の家事のバタバタが一段落して、コンピュータの前に座ってメールやニュースの確認を始めると、いつもは居間のベッドでおとなしくしているはるがコンピュータデスクの下に来て私の右側に座り込んだ。珍しいなと思いつつ、好きにさせていたら、しばらくすると私の足元に来て何かを訴えるので、「どうしたの?」と聞いて、私の膝の上に抱き上げでみた。するとやはり膝の上にあがりたかったのか、気持ちよさそうにうたた寝を始めたので撮ったのが次の写真。赤ちゃんの頃はよくこうして私の膝の上で寝て、あまりの気持ち良さに夢見心地でオシッコをおもらししたりしていたけれど、大人になってからは、膝の上に乗せてほしいとはあまり言ってこなくなった。と言うか、はるを膝の上にあげると、側にいなくてもひろは敏感に気づいてやってきて、「僕も」と言うので、2匹を膝の上に乗せることになり、私は重いし、はるたちも窮屈で落ち着いてうたた寝なんてしていられないので、あまり要求してこなくなったのかなと思う。でも、この時、ひろは食堂のケージの中でお昼寝をしていてはるの行動に気づかなかったので、はるは久しぶりに私の膝を独り占めにすることができた。

2022年3月4日(金)

水曜日の朝、はるとひろの朝一番のオシッコとウンチのためのお散歩に出て、戻る途中、ひろが突然座り込んで右後ろ足の裏を必死で舐め始めてやめない事態になった。何かに足を刺されたようだった。何とか家に連れ帰った後で、いつものようにとりあえず庭に集まっていたダンちゃんたちにとうもろこしを与えて戻り、台所で私たちの朝食の仕度を始めると、ひろが食卓の下で4~5回ゲボゲボと嘔吐した。そして、頭が痒くなったのか頭を振ったり、足で掻いたりという動作を続けるので、じんましんのようなアレルギーでも出たのかなと思いながら、ひろの嘔吐を拭いて処理したり、引き続き朝食の仕度をしていた。するとシャワーを終えて食堂に来たエドソンがひろの顔を見て頭部から顔全体が腫れ上がっていることに気づき、これは大変と、朝食などそっちのけで、すぐにひろをヴィラ・シーコ(車で片道30分)に連れて行ってくれた。9時半頃には戻ってきたので、ほっとしたのだけれど、ヴィラ・シーコに向かう途中でひろが車の助手席でおとなしくし座っていたのが、横になったかと思うと、急に発作のように体をブルブル震わせて失神したようになったので、車を止めて、ひろの体を揺すりながら、しばらく声をかけていたら、発作のような状態が収まり意識が戻ったのだそう。一時はどうなるかと思って怖かったとエドソンは言っていた。ヴィラ・シーコで診てもらうと、蜘蛛などではなく、おそらくマリンボンド(蜂)か何かに刺されたのだろうということで、注射をしてもらったということだった。獣医さんいわく、ひろはアレルギー体質だから、今後もこういうことが起こるかもしれないけれど、あいにくそれを予防する薬はなく、発作が起こったら、今回のようにクリニックに連れて行って、強い薬を注射してもらうしかないらしい。ひろは数年前にも同じようにお散歩の際、何かに刺されて顔が膨れ上がったので、すぐにヴィラ・シーコに連れて行って治療してもらったことがある。でも、今回は嘔吐をしたり失神したりと、その時よりも症状がひどかった。繰り返すと症状は悪化するのだろうか?アナフィラーショックということ?はるは肝臓が良くないという持病を持ってはいるものの、これまで何かに刺されてアレルギー反応を起こしたことはない。一方のひろは特に持病などはないけれど、時々こうして何かに刺されたりする事件が発生し、クリニックのお世話になることがある。次の写真は、ひろが家に戻ってしばらくして落ち着いてから撮った、ひろの写真。カメラを構えるエドソンの方をじっと見てくれず、頭を左右に動かすものだから、なかなかいい写真が撮れなかったのだけれど、何となく口の左右が腫れているのがわかるだろうか?ヴィラ・シーコに行く前は、頭頂部を含め、頭全体というか顔全体が腫れていたのだけれど、それらの腫れはひいて、口の回りだけになっている。ひょっとしたら、足を刺されただけでなく、その足を舐めている際、顔も刺されたのだろう。口の右側が左側よりも腫れている。獣医さんから朝食抜きと言われていたので、昼食から食事を与えた。いつものドッグフードではなく、はるのための手作りの食事をひろにも与えた。そして、午後4時頃おやつをあげた際は、右側はまだ腫れていたけれど、左側の腫れはだいぶ治まっていた。そして、翌日の木曜日の朝は、ほぼ腫れがひいていて、やれやれとほっとした。

2022年3月5日(土)

先々週の金曜日に、サンパウロのカザ・ブエノという日系食料品店のオンラインサイトで、少し食料品を買った。商品は先週の初めに届く予定だったので、水曜日にエドソンが食料品の買出しに行ったついでに郵便局に寄って持って帰ってくれる予定になっていた。でも、うちの私書箱に入らない大きさの小包が届いていることを知らせる引き換えの番号札が入っておらず、いつもの顔馴染みの局員さんも娘さんのコロナ感染で濃厚接触者になり、陽性反応が出て自宅隔離になったとかで勤務していなかったので、エドソンは小包のことを忘れて帰ってきてしまった。私もエドソンが小包を持って帰らなかったことを何とも思わず、数日後に、あれ?カザ・ブエノから小包届いていたはずよねと思い出し、エドソンに確認すると、ああ、すっかり忘れていたということだった。それで今週の月曜日に取りに行こうと思ったら、カーニバルの休暇で郵便局が開くのは水曜日だということがわかった。カーニバルはどこもコロナで中止になっていたのだけれど、お休みだけはしっかり取るのがブラジルの公共機関。でも、水曜日は朝一番でひろをヴィラ・シーコに救急で連れて行かなければならなかったり、午後からエドソンの顧客のシステムトラブルに対応するのに忙しく、木曜日の午前中にようやく郵便局に行くことができた。それで持ち帰った小包の中身を出して撮ったのが次の写真。かつおぶし、ご飯に混ぜるだけの若菜とごま、しば漬け、味の素の中華あじ、そして、みそ。みそだけは隣町のウエノに行けば手に入るけれど、その他は手に入らないものばかり。ウエノになかなか買い物に行けないこともあり、オンラインでこうして買い物ができるサンパウロのカザ・ブエノの存在には、感謝。感謝。

2022年3月6日(日)

木曜日の朝にはほぼ顔の腫れがひいて、食欲もあり、元気に散歩にも出て、完全復活したかに見えたひろだったのだけれど、木曜日の夜、日付が変わって午前1時半にオシッコというので外に連れ出してオシッコをさせて戻ると、その後2時半、3時半、4時半と1時間おきに起きてはゲボゲボと嘔吐し続けたので、まったく眠れなかった。そして朝7時半に、私が起きてゴソゴソとお散歩に出る準備を始めたら、またゲボゲボ。エドソンがひろに薬を与えてから、お散歩に出た。オシッコやウンチは正常な感じだった。戻ってからひろにドッグフードではなく、はるのための食事を少し与えたのだけれど、1時間後くらいにまたゲボゲボ。エドソンが獣医さんと連絡を取って、水に塩と砂糖を少し混ぜたものを飲ませるように言われ、飲ませたのだけれど、それもまたゲボゲボ。また獣医さんと相談して、言われた薬がたまたまうちにあったので、その粉薬を水に溶かして飲ませたくらいから、やっと落ち着いてきて、嘔吐しなくなった。お腹がとても空いているようだったけれど、食事を与えるとまた嘔吐するといけないので、はるの食事を大さじ1杯だけ2時間おきくらいに食べさせた。夕食はカリオカ豆の水煮とはるの食事を少し与えた。午前中、塩と砂糖を混ぜたお水を飲ませた後に嘔吐してからは、一度も嘔吐していないので、少しずつ回復しているような感じだった。その晩は私も疲れていたので早めに寝たのだけれど、11時半にオシッコに行き、1時半にまたオシッコとウンチに行ったのに、お腹が空いているからなのか、3時、4時半、6時に起きて小さな声で泣くので、その都度、「ひろ、ナナネネ(赤ちゃんねんねというような意味)」と言って、何とかベッドに戻って寝てもらった。そんなわけで、2日続けて眠れず、私もエドソンも土曜日はゾンビ状態だった。

2022年3月7日(月)

うちのガレージの後ろ辺りに植えたパウ・フェフォ(鉄の木)という木に、今、花が咲いているので撮ったのが次の写真。グレヴィーリャという木に咲く黄色い花は大きいので、花が咲いているとすぐにわかるけれど、このパウ・フェフォの花は小さな黄色い花なので、遠くからだとあまりよくわからない。何だか黄色い花が咲いているように見えるので、近くに行って見上げると咲いていることが確認できるという感じ。入り口ゲートの近くでは今、パイネイラのピンクの花が咲いている。季節はこれから秋という時期なのだけれど、ここ3週間あまり真夏のような暑さが続いている。秋になるまでの最後のあがきで、徐々に涼しくなってくれるといいのだけれど・・・。

2022年3月8日(火)

先週の土曜日、手伝いに来てくれたパラナと彼の息子が、我が家の建設や離れの建設に使って残っていたレンガを砕いて、入り口ゲートから入ってきた辺りの地面に敷き詰めてくれた。ゲートの向こう側の道路の方がゲートを入った辺りよりも高く、雨水が道路から流れてきて道の土を削るので、エドソンが頼んでこのようにしてもらったのだろうと思う。そして、道の左右は雨水が流れやすいように溝を作ってもらっている。

次の2枚の写真は、丘の上の貯水タンクの側の竹林。この竹林が広がって、あちこちから芽が出てくるようになったため、取り除いてもらおうと思ったらしく、パラナたちに頼んで、少しずつ取り除く作業が進んでいる。1枚目の写真では、右側のセドリーニョの木の下の方の枝が払われて、その枝がセドリーニョの足元にあるのが見える。2枚目の写真は、角度を変えて同じ竹林を撮ったもの。

2022年3月9日(水)

この日曜日の午後、エドソンの友人で、私の英語の生徒さんでもあったジョゼ・ハファエウがエドソンに相談したいことがあるからと言って、久しぶりに訪ねてきた。今はボトゥカトゥのマンションで一人暮らしをしながら、サンパウロ州立大学の大学院に行っていて、週末はパーディーニョの両親のところに戻ってくるらしい。その際、彼の両親の家で収穫したスーパーの袋一杯のアセロラを手土産に持ってきてくれた。1枚目の写真は、その持ってきてくれた袋のアセロラを撮ったもの。2枚目は、水洗いするために熟れすぎて崩れたようなアセロラを取り除いて、我が家で一番大きなボールに入れたところ。この3分の1くらいの量をまずミキサーにかけてジュースを作り、残りの3分の2は容器に入れて冷蔵した。これをもらって、今アセロラが採れる時期なんだねと思った。というのも我が家のアセロラは葉切りアリに襲われたせいか、実をつけていないので、実が採れる時期だとは夢にも思っていなかったから。それでもこうやってアセロラのジュースが飲めるなんて、感謝。感謝。

2022年3月10日(木)

火曜日の午後、パーディーニョの病院に行き、3回目のワクチン接種を終えた。1回目、2回目ともに私たちはファイザーのワクチンを接種したのだけれど、3回目は1回目、2回目とは異なる種類を接種しなくてはいけないというルールになっているらしく、アストラゼネカのワクチン接種となった。自分で選べるわけではなく、病院に言われるがまま。そして、接種後、看護師さんにお礼を言って、部屋を出ようとしていたら、「次は4ヶ月後ですから」と言われた。ブラジルではサンパウロ州だけが4回目の接種をすることが決まっているのは知っていたけれど、もうそれが進められているんだとエドソンは驚いていた。そして、私はそれを聞いて、「4回目?ひぇ~!」と思った。ワクチンを接種していてもいなくても、コロナに感染する時は感染することはわかっているけれど、感染した際の重症化を防ぐというその一点で、ワクチン接種をしているようなものだから、受けるしかないかな。1回目にアストラゼネカを接種した人たちからその副反応のひどさを聞いていたけれど、今回3回目の接種で受けた私たちは特筆する副反応は何もなく幸いだった。

いつだったかYoutube上で見た動画の中で、小さめに乱切りしたきゅうりにゆかりとかつおぶしを混ぜただけのお惣菜を作っていて、材料がみなうちにあるし、簡単だなと思って作ってみたら、エドソンにも結構好評で、以来、時々作るようになった。なにしろずぼら主婦には混ぜるだけで簡単で、味もあっさりといい感じというのが何よりも魅力的。エドソンもおいしいと言って食べてくれるので、気に入ってくれているのはわかっていたけれど、先日、きゅうりの漬物のようなものの中で、これが一番好きと言っていた。とてもあっさり味なのに、へえ~、そうなんだと思った。そして、うれしかった。

2022年3月11日(金)

次の写真は、入り口ゲートに近い丘の下の辺りに種を蒔いて、芽が出て育っていたグアンドゥ豆の木の葉が落とされていたので撮ったもの。この感じは葉切りアリのしわざかな?たくさん種を蒔いて、育ってきているのだけれど、時々、1本、2本と、こういう被害に遭ってしまう。

次の写真は、上のグアンドゥ豆の木を撮った場所からほど近い地面を這う植物を撮ったもの。この植物もいわゆる雑草なのだけれど、初めて見る植物で花が咲いているので、撮ってみた。

2022年3月12日(土)

先日花が咲いている写真を掲載したパイネイラの木の足元に3つも大きな穴が開いていて、何だろう?誰が開けた穴だろうか?と思っていた。それで、お散歩でパイネイラの下を通った際、「そうそうここに穴が3つも開いているんだけど、何故だろうか?」と、エドソンに聞くと、ダンちゃんたちが掘った穴だと言う。ダンちゃんたちはあちこちの大きな木の足元に穴を掘って、その穴の中で横になっていることがよくあるよと言っていた。2月の中旬から夏が戻ってきて、ここ1ヶ月近く毎日暑いので、地面に穴を掘って横になると、地表よりも冷たくて気持ちがいいんだろうということだった。ダンちゃんたちがエサを求めて、地面を足で蹴って穴を開けたりするのは見たことがあるし、砂風呂を浴びているらしく、地面の上でゴロゴロひっくり返っているところも見たことがあるけれど、穴の中でお昼寝している姿はまだ見たことないなあと思った。その3つの穴のうちの2つの写真を撮ってみた。1つはパイネイラの根っこが見え、地面にはたくさんパイネイラの花びらが落ちている。

2022年3月13日(日)

何年前だったか、A4版の紙を二つ折りにしたサイズ(クリスマスカードのサイズ)のものが入る小さめの封筒で、日本にエアメールを書留で送ろうとした際、海外に出す郵便は小額の切手しか使えない規則なので、この封筒だとたくさんの切手が貼れないから大きな封筒に入れ替えてと言われたことがあった。以来、めったに海外に郵便を送ることはないけれど、送る必要がある時は、大きい封筒を使うようにしていた。それで先日、兄に書留でエアメールを送ろうとして、A4版の封筒を半分に折って、糊付けしたものをエドソンに出してもらおうとしたら、このような封筒は受け付けられない。さらに、切手を担当しているいつもの顔なじみの局員さんが休暇中なので、切手を出すことができない。来週切手を用意しておくからまた出直してと言われたと言ってエドソンが帰宅した。エアメールを送るというとてもシンプルなことが、ここまで難しいことになるブラジルって何なの?と、腹立たしく、「ああ~、もう嫌!こんな不便な生活!」と、すべてを投げ出したい衝動にかられて落ち込んだ。エドソンはここが田舎町だからだと言うけれど、隣町のボトゥカトゥの郵便局でも、何年も前にとても小さな小包を日本に送ろうとして、郵便局の人たちがどうしていいかわからないようで、どうやって送るかは送る人間が調べろ、それは郵便局の仕事でしょうなどと言い合って、すったもんだしたことがあったから、パーディーニョだけの特有な事象ではなく、ブラジルの郵便局の抱える問題のように私には思える。

そんなことがあった翌日、ウクライナからポーランドに避難したブラジル人を迎えに行っていたブラジルの軍用機が、ブラジル人43人、ブラジルに親戚や身内のいるウクライナ人19人、アルゼンチン人5人、コロンビア人1人という、合計68人(内14人は子供)と、犬8匹と猫2匹をブラジルに連れ戻ったというニュースがあり、今度は逆に、「ああ~、日本は逆立ちしてもこんなことできないよね~」と思った。

ブラジルの大統領はプーチン支持で、決してプーチンの批判はせず、西側のロシア制裁にも参加しないことを表明している。大統領がそんな人間でも、ブラジルの軍と外務省はちゃんとやるべきことをやるのだから、すごいことだと思った。日本はアフガニスタンの在留邦人を置き去りにして在アフガニスタンの日本大使館が真っ先に逃げるような国だから、ウクライナやロシアにいる邦人保護などできるわけがないし、やる気もない現実があるだけに、ブラジルは日本よりもよっぽどまともな国だと思ったのだった。でも、単純なエアメールが簡単に送れないような馬鹿げた問題を抱えている国が、日本には決してできないこんな行動がとれることに、何なんだこのギャップは?とも思ってしまった。

2022年3月14日(月)

この土曜日に手伝いに来てくれたパラナと彼の息子が、引き続き丘の上の竹林を取り除く作業をしてくれ、すべての竹が根こそぎ取り除かれたので写真を撮ってみた。この竹林がなくなり、セドリーニョやリグストルンの木の下の方の枝がはらわれているため、庭の向こう側にある家が少し見える状態になった。2枚目の写真は、場所を変えて丘の上の貯水タンクが見える位置から撮ったもの。

2022年3月15日(火)

次の写真は、森の近くで見つけたサボテンのような野性植物。花芽が1本ピューンと伸びている。これから花が咲くのかな?ここでの不便な生活に時々疲れてしまうけれど、その疲れを癒してくれるのは、やはりこういったここの自然なんだよねと思う。

2022年3月16日(水)

去年はアボカドが不作でまったく採れなかったのだけれど、今年はたくさん実がなっているよと、エドソンが言うので、カメラを持って一緒に見に行ってみた。本当にたくさんなっていて、その内の一枝はたくさん実をつけているアボカドの重みで下に垂れ下がっていたので、次の枝の写真を撮ってみた。2枚目の写真は、1枚目の写真のアボカドの木の隣にある少し種類の違うアボカドの木。1枚目の写真のアボカドの実の表面は比較的なめらかだけれど、2枚目のアボカドの実の表面はデコボコしていて、実の大きさが少し小さい。これらが収穫できるようになると、当分お店でアボカドを買わなくてもよくなる。と言うか、一度に収穫できるようになると、食べきれなくなるかな?まあ、その時は手伝いのパラナたちにお裾分けしよう。

2022年3月17日(木)

ペトロポリスの安見さんから、ペトロポリス日系協会の総会がこの日曜日にあり、新役員への引継ぎとご夫妻の送別会が行われたとメールをいただいた。その際に撮られたのが次の写真。どうやら安見さんのご自宅で行われたようだ。メールの表題に「さようなら」とあったので、ドキッとすると同時に何だか寂しく思った。

今月末にリオを出発して日本に戻られるおふたりだけれど、2月末に航空券を手配した時は、台湾情勢が緊迫しているので、ドバイ経由だど中国上空を飛行するので運休もあるかもしれない。それでパリ経由にしたのに、今度はロシア上空飛行禁止でどうなることかと書いておられた。このメールをいただく数日前に、フランス在住の友人がブログに、このロシア上空を飛べないことについて書いていたのを読んだばかりだった。ロシア上空が飛行禁止となってから、日本に行くためにはいつもの逆のコースで飛んでいるらしく、グリーンランド、アラスカ上空から太平洋に出て、東京に向かうというコースになっているらしい。それで普通なら11~12時間の日本までの飛行が、16時間もかかるらしいとあった。普通でもブラジルから日本への移動は、経由地まで11~12時間で、経由地での乗り継ぎの待ち時間が7~8時間。そこからさらに日本まで11~12時間という大変な長丁場なのに、飛行コースの変更で、いつもよりもさらに長丁場の移動になると、きついだろうなと思う。

2022年3月18日(金)

次の写真は、この火曜日の朝作った3回目のアセロラジュース。1回に100個余りのアセロラを使って作るので、ちょっと濃厚なジュースができる。これをグラスに3分の2くらい注いで、オレンジジュースを少し混ぜて飲むと、とてもいい感じになる。これで前回ジョゼ・ハファエウからもらったアセロラすべてをジュースに変身させることができたのだけれど、この土曜日にまたさらにたくさんのアセロラを持ってきてくれたので、それらは洗って冷凍にした。お陰でまだしばらくアセロラジュースを飲める日々が続く。感謝。感謝。

今週前半、ジャーナリストの篠原常一郎氏がYoutubeチャンネルで話していることを聞いて、とても腹立たしく思った。何でもウラジオストクの日本総領事がその領事館管轄地域内で暮らす60人ほどの在留邦人の人たちとオンラインミーティングを行い、日本に帰国を希望する人はモスクワから中東経由で日本に帰国するルートがあるので、自力で帰ってください。お金のない人は親戚から借りてください。ということだったらしい。何故かそのオンラインミーティングには日本の旅行社(?)の人も参加していて、航空運賃はエコノミークラスが30万、ビジネスクラスが60~80万、ファーストクラスが110万だと説明していたのだそう。それで参加者のひとりが後で自分で調べてみると、このフライトのエコノミークラスのチケットは30万もしなかったのだという。こんな大変な時に、同胞からお金を巻き上げようという魂胆なのか?と思った。日本は欧米諸国同様、ロシアに対する経済制裁に加わっていて、ロシアは日本を非友好国に指定している現状で、日本からの送金はできないし、ロシア国内で円をルーブルに替えたり、ルーブルを円やドルに替えることもできないし、もちろんクレジットカードも使えない状況なのに、日本政府からの支援は何もなく、親戚や友人に支援してもらいなさいということだったらしい。でも日本から送金できないのに、どうやって支援を受ければいいというのだろう?参加者がチャーター便は飛ばせないのか?と尋ねると、保険が下りにくく難しいという説明だったそう。でも、そんなこと政府がバックアップすれば問題なく飛ばせるはずなのに、政府には邦人を助けようという気がないということが明白なんだなと思った。

篠原氏いわく、武漢でコロナバンデミックが発生した際、政府は飛行機を5便チャーターして5往復させ、それにかかった費用は8000万円だったというから、1往復なら1600万円でしかない。しかもウラジオストク=日本間の距離は武漢=日本間の距離よりも短い。ウラジオストク在住の邦人60人が自費で、モスクワまで移動するのに、1人8万円、モスクワから日本へのフライトが1人30万円として、合計で必要なお金は2280万円。チャーター便を飛ばせば、60人以上の人を運ぶことができ、結局ずっと安く邦人を助けることができるのに、何故それをしない?ニューヨークのニート夫婦の警備費用としてNYの警備会社に支払うお金だけで月7000万円が日本国民の税金から出されていて、それとは別に日本から警察職員がふたり出向して同じマンションに住んで24時間態勢で警備をしていて、そのうえ夫婦の生活費や、家政婦の費用などすべて丸抱えで、すごい経費がかかっているというのに。だから去年の12月の補正予算で在外邦人保護の名目で外務省は8億円の予算を取り付けたわけで、このお金は決して、本当に助けを必要としている邦人を保護するために使われるわけではないと言っていた。そして、外務省のホームページの「在外邦人保護、援助」の項目にある、邦人保護の実例の記述が何と1968年のものしかなく、つまりそれ以降半世紀以上もの間、邦人保護などまったくしていない実態が明かになったとも言っていた。さらに、外務省には困窮する在外邦人にお金を貸し付ける制度もあるらしいのだけれど、過去にその制度が使われたことは一度もないのだという。どうして日本という国はここまで在外邦人に冷たいのだろうか?

2022年3月19日(土)

次の写真は、エドソンとふたりで採ってきた野性のとうがらし。森を拡張させるために森の北側にカエデの木をたくさん植えて、その縁に沿ってたくさんマンジォカ芋を植えているのだけれど、そのマンジォカ芋の間に1本のとうがらしが自然に芽を出し大きくなっていて、たくさん実をつけている。鳥に食べられることなく赤くなってきているので、採ったもの。ここでは鷹の爪が手に入らないので、時々このとうがらしをお料理に使って、役に立っている。でも小さいので、お料理の中に紛れて、気づかずに口に入れてしまい、とんでもなく辛い思いをすることがたまにある。今回採ったものは、煮沸消毒した小びんに入れて、オリーブオイルと塩を少し入れて、とうがらしのオリーブオイル漬けをエドソンが作った。食事の際、このとうがらしの辛味が出たオリーブオイルをちょっとたらして食べるとおいしいらしい。

2022年3月20日(日)

18日の金曜日のお昼前から午後6時前まで停電すると電力会社から通知が来たので、電気がないと家にいても何もできないため、エドソンと一緒に午後からボトゥカトゥへ買い物に行くことにした。お昼を食べて、はるとひろのお散歩をしてから、彼らにはシュハスコ小屋のお留守番スペースに行ってもらい、いざ出発。日系食料品店のウエノと、ペットショップ兼ペットクリニックのポリヴェットと、スーパー・コンフィアンサの三軒をはしごした。ウエノにはコロナ禍で自粛を始めてからエドソンは2~3度行っているけれど、私は2年余りぶりに初めて行った。お店のレイアウトがコロナ禍に対応して、以前とは少し変わっていた。ここではいろいろ買ったのだけれど、特に、そうめん、そば、ちくわ、らっきょう、肉まん、料理酒、みりん、ふきんなど、ここでしか手に入らないものを調達できて満足。そして、はるとひろのベッドがボロボロになったので、ボリヴェットで新しいベッドを2つと、ひろが噛んで遊べる固い縄のようなおもちゃを買った。前回買って使っていたベッドは大きすぎたので、今回は小さめのものを買った。2匹が横になると一杯一杯な感じもするけれど、これから気温が下がって行くのだから、ふたりでくっついていれば暖かくていいのではないかと思ったりしている。次の写真は、私が買ってきた食料品を冷蔵庫やキャビネットに収める作業をしている間に、エドソンが新しいベッドをひとつ出して、はるとひろに見せたものだから、大喜びでベッドに横になり、早速うたた寝を始めたふたりを撮ったもの。

2022年3月21日(月)

次の写真は、土曜日の夜、エドソンが撮った月。きれいな満月が出ていると言って、カメラを持って外に出たのだけれど、雲がかかっていたので、それが移動するのを待っていたら撮影に時間がかかってしまったと言っていた。こちらは秋なので、中秋の名月と言ったところだろうか?

土曜日の午後雨が降った後、急に気温が下がり始め、日曜日は1日日差しがなく、午後からまた雨が降ったりしたので、気温は20度までしか上がらず、何だか寒くなった。それで夜、毛布をかけようかどうしようかと迷った。結局かけずに寝たのだけれど、寒くはなかったものの、もうちょっとぬくもりがほしいなと思い、やはり翌日からは毛布をかけようと思った。つい先日まで暑くて、夜は扇風機をかけて寝ていたのに、どうやらもう扇風機の出番はないようだ。

2022年3月22日(火)

次の写真は、先日エドソンが収穫してきてくれたカシ(上)と、普通のズキーニよりもずっと大きい、ズキーニのような野菜(下)。今年初めての収穫。いよいよ実りの秋到来。うちでは葉物野菜はコウヴィとアルメイラオン・パウリスタと言った野性に近いものは元気に育つ。そして、それらは緑黄色野菜として栄養価が高いのでありがたい。そして、放っておいてもこういうウリ系と言うかスクワォッシュ系のものはよく育ってくれて、さらにありがたい。

2022年3月23日(水)

広島の友人がお散歩の際、ご近所の道端で小さい春を見つけたと言って、つくしと水仙の花の写真を送ってきてくれた。今でも道端でつくしが生えるところがあるんだなと、いたく感心してしまった。広島は春に向かっていて、こちらは秋に向かっている。世の中ひっくり返っていて、異常気象でおかしなお天気だったりもするけれど、こうして季節がくれば、ちゃんと芽を出してくれる植物もあるんだなあ~。でも、うちでは5月に咲く秋の花であるマナカがすでに時々花を咲かせていたり、先日など、11月に咲くくちなしの花がひとつだけ咲いていたりする不思議なことが起こっている。時期を間違って咲くのはまだいいとして、毎年5月に咲く白いポインセチアが病気になってしまったようで、2~3週間くらい前から次々に葉を落とし始め、茶色く枯れてしまった枝もある。これでは5月に花は咲きそうもない。一体何があったのだろう?

2022年3月24日(木)

次の写真は、先週金曜日にウエノに行った際買ってきた梨と柿。梨は1パックに2つ入っていたのだけれど、すぐに写真を撮るのを忘れていて、写真を撮ろうと思った時は、すでに1つを食べた後だったので、残りの1つしか写っていない。こういう立派な二十世紀梨や富有柿は、普通のスーパーではなかなかお目にかかれない貴重品。

2022年3月25日(金)

次の写真は、いつ撮ったのか気づかなかったのだけれど、どうやらエドソンが撮ったものらしい。カメラのメモリーの中に入っていた。今回新しく買ったベッドは小さめなので、ひょっとして古いTシャツをカバーとして使えるかな?と思い試してみた。ベッドにTシャツを着せてみると、長さが少し足らなかったけれど、幅はTシャツを着せられる幅だったので、Tシャツでカバーできないところはバスタオルをかぶせればいいかなと思って使い始めた。そうしたら、はるがTシャツの中に潜り込むようになり、ひろも真似をして潜り込むようになり、しまいにはこの狭い中、ふたりが一緒に潜り込むようになってしまった。とにかくこの子たちは狭いところに潜り込んで寝るのが大好き。そうするとベッドカバーの役割が果たせないじゃないと思ったのだけれど、彼らの身体の汚れでTシャツが徐々に汚れてきているので、これでも一応、カバーの役割を果たしているのかなと思った。ベッドは簡単に洗えないけれど、Tシャツは時々取り替えて洗うことができるので、多少ベッドが長持ちするかなという思惑がある。このベッドは居間に置いているものなので、これを撮ったのは夜ではなく、昼間。こんな状態でオシッコに行こうと声をかけると、Tシャツの裾から出てくるだけでなく、小さな首のところから無理やり出てきたりするので笑ってしまう。

2022年3月26日(土)

次の写真は、大きく育っているズキーニ(のような野菜)。1枚目の写真には、画面手前左側と右側奥にズキーニが見える。2枚目の写真は、別のつるになっているもうひとつのズキーニ。この他にもまだ小さめだけれど大きくなりつつあるものも複数ある。前回エドソンが採ってきてくれたズキーニとカシは、まだ半分しか消費していないので、これらは手伝いのパラナ親子にお裾分けしようと思っている。

2022年3月27日(日)

外で自由に暮らしているダンゴーラのダンちゃんたちに、朝夕とうもろこしを少しあげている。雨が降っていたり、ダンちゃんたちが庭にいなかったり、私が忙しくて1日1回だけになることも結構ある。でも、鶏小屋の中で暮らしている鶏と違って、この子たちはあちこち歩き回って虫や草の種などいろいろなものを食べているので、私があげるとうもろこしで命をつないでいるわけではないので、まあいいかと思っている。とうもろこしをあげる主な理由は、ここが彼らの戻ってくる場所だということを理解してもらうため。ダンちゃんを放し飼いし始めてから、サラクーラのサラちゃんたちが鶏小屋の回りやら、畑の中やら、庭でうろうろしているところをよく見かけていたのだけれど、最近は、ダンちゃんたちにあげるとうもろこしを狙って、何とかおこぼれをもうらおうとダンちゃんたちの側にいつも来るようになった。先日の夕方、ダンちゃんたちがみんな庭に戻ってきていたので、とうもろこしをあげたら、サラちゃんたちが3羽側に来ておこぼれに預かり始めたので、カメラを取りに戻って、写真を撮った。でも、戻ってみるとダンちゃんたちは食べ終わって解散してしまった後で、1羽しか画面に写り込まず、3羽のサラちゃんだけが写真に写り込んだ。でも、この写真を撮った後、画面の右側にもう1羽サラちゃんがいたので、全部で4羽のサラちゃん家族なんだなと思った。サラちゃんたちは警戒心が強いので、ダンちゃんたちと違って、私の姿を見て駆け寄ってくるようなことはなく、むしろ逃げて行くのだけれど、ダンちゃんたちがとうもろこしを食べ始めると、側に寄ってくる。そして、ダンちゃんたちもサラちゃんたちが側に来てとうもろこしを食べ始めても、追い払うようなことはせず、一緒に食べているのは不思議だなと思う。

2022年3月28日(月)

今月中旬くらいから、以前エドソンがオフィスとして使っていた寝室の前のスペースのコンピュータテーブルの下やソファーの後ろや、台所の食器棚の後ろなどに、ヤモリかねずみの糞のようなものが散見されるようになり、何なんだろう?と思いながら、毎日それらの掃除をしていた。それでふと、エドソンがオフィスとして使っていたスペースの壁の下の方に、無線機につなぐケーブルなどを通す穴が開いていて、以前はスポンジか何かが埋めてあったのが、オフィスを下に移動した際、取り外されていたんだということに思い至った。それで、そこに古いタオルを詰め込んで穴を埋めてみた。すると、翌日そのタオルの一部が破られ、穴から部屋の中に引っ張られたのか、押されたのかして隙間ができていたので、やはりこの穴からねずみが出入りしているのだと確信した。それで、もっとしっかりと穴を埋めて様子を見ると、外からは入ってこれなくなったようだけれど、いまだに量は減ったものの糞が散見されるので、どうやら家の中に入ったねずみが外に出られなくなって、家の中でどこかに姿を隠しているらしいという結論になった。木曜日の午前中3時間以上かけてフラフラになりながら台所と食堂の大掃除と消毒を徹底的にして、床や棚に置いていたものをすべて取り除いた。そして、エドソンが手作りのねずみ取りを作って、台所のドッグフードの袋が置いてある場所の前に置いた。そうしたら、その夜、エドソンが寝ようと下から上がってきた際、コンピュータテーブルの下を徘徊していたねずみをたまたま発見。ねずみがソファーの下に逃げ込んだので、ソファーをひっくり返してみたのだけれどいない。どうもソファーの底の布の部分に小さな穴を開けて、そこからソファーの内部に入って身を潜めているらしいことがわかり、ふたりでソファーを家の外のベランダに移動させた。これで、家の中のねずみはいなくなり、平和が戻った。これが何日も続いていたら悪夢だったけれど、1週間程度で問題が解決して本当にほっとした。ソファーをベランダに出した初日の金曜日はそのソファーを立てかけていたのだけれど、中のねずみがまだ中にいるようだったので。普通の状態にしたら、午後からめいがそのソファーの上でくつろいでいたので、エドソンが撮ったのが次の写真。でも、ただくつろぐだけでなく、この少し後、ソファーの布地をひっかいて破いたり、中のスポンジを噛みちぎったりと破壊活動を始めたので、土曜日の午後やってきたジョゼ・ハファエウに手伝ってもらって、ソファーを枯れ枝などと一緒に燃やすべく、入り口ゲート近くの枯れ枝の山に移動した。まあ、もともとねずみがほんの数日でもこの中で暮らしていたのだから使い続けることはできなかったのだから、廃棄処分も仕方のないことだと思った。

2022年3月29日(火)

昨日の午後、2年と2ヶ月ぶりくらいにエディナの美容室に行って髪を切ってもらった。「久しぶりねえ~!」「2年ぶりですよ」「まあ、2年ぶりなの~!」とエディナと言葉を交わした。コロナ禍で引きこもっている間、一度エドソンに裁縫用の大きなハサミでポニーテールの先っぽを5センチくらい切ってもらったことがあったけれど、その後もポニーテールは伸びる一方で、馬の尻尾状態だったので、以前のようにおかっぱにしてもらい、すっきりして頭が軽くなった。帰宅してエドソンに自分では見えない頭の後ろの状態を撮ってもらったのが次の写真。これで洗髪や髪をドライヤーで乾かすのが楽になる。感謝!ちなみに料金は少し値上がりしていて25レアルだった。

2022年3月30日(水)

手伝いのパラナが2週間くらい前に持ってきてくれたたくさんのバナナをおやつに少しずつ食べていたのだけれど、消費が追いつかずだんだん茶色くなってきたので、冷蔵庫に入れ、バナナブレッドを作らなければと思いつつ、先延ばしにしていた。ひろが蜂に刺されて2日くらい体調を崩して以来、何だか寝不足の日が続き私の体調がいまいちな中、はるの食事とかアセロラジュースとかどうしても作らなければならないものがあるので、それらを優先させると余力が残っておらず、なかなかバナナブレッドを作ることができなかった。この日曜日の夜はひろが珍しく夜中に一度も起きず少しまともに寝ることができたので朝から疲れている感じがなく、午後から美容室に行ってさっぱりしたこともあり気分も良く、何だか体調が回復してきた感じだった。それで火曜日の午後ようやくバナナブレッドを作ることができた。バナナが10本くらいあったので、2つ分の材料で作ったのが次の写真のパウンド型と正方形のケーキ型で作ったバナナブレッド。正方形のものは半分に切って、ラップをして冷凍し、土曜日にパラナ親子にあげ、パウンド型のものは私たちが朝食で食べようと考えている。

2022年3月31日(木)

次の写真は、丘の中腹の松の木の所から入り口ゲートの東側を撮ったもの。とうもろこしがだいぶ大きくなっていて、とうもろこしの手前にノイヴィーニャやグアンドゥ豆の木が見える。画面のずっと奥に見える家々は、東西に伸びるパーディーニョの町の西側エリア。2枚目の写真は、丘を少し下りて行って、セドリーニョの並木に沿って生えているとうもろこしの列と、その手前にポツポツとあるノイヴィーニャの木。画面右側の少し背の高い緑はマンジォカ芋の木。この写真を撮る少し前くらいから曇り始めたため、写真がぼやけている。この写真を撮ってから家に戻ると、ベランダのめいが椅子の後ろの壁際でうずくまっていた。めいは現在晴れていて日差しが出ていても、これから雨になるということがわかるらしく、壁際に避難してうずくまっている時は、しばらくするとほぼ必ずと言っていいほど雨が降ったり雷がなったりする。そしてこの時もやはり、30分後くらいから少し激しい雨が降り始めた。



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