Kyoko Yoshida Life in Brazil BLOG 

2022年2月1日(火)

次の写真は、昨日掲載した2枚目の写真のさらに右側のエリアのマンジォカ芋を撮ったもの。画面奥と手前のマンジォカ芋の大きさが違うのは、植えた時期が異なるから。この写真の奥の木々のさらに向こう側は、うちの西隣りのコーヒー農園。奥の背の高い木々に沿って右に行くと、うちの入り口ゲートがあるという位置関係。

次の写真は、防風林の北側の丘の斜面の下のセドリーニョの並木に沿って芽が出てきているとうもろこしの列を撮ったもの。画面奥に見えるのは、防風林の手前というか、北側に植えた10数本の桜。これらを植えて何年も経つので、だいぶ大きくなって、その向こうの防風林の並木が見えなくなっている。

2022年2月2日(水)

昨年末にニッケイ新聞が廃刊になり、新年4日からブラジル日報として生まれ変わった。友人の毛利さんの特別寄稿がそのブラジル日報に変わってから初めて、2022年1月28日付けで掲載されたので、以下にリンクをはってみる。「特別寄稿=探検家 フランシス・バートン卿=英国人領事のブラジル高地大冒険=聖市ビラ・カロン在住 毛利律子」この記事のサイトはこちらへ

さらに2022年2月1日付けのブラジル日報では、編集長の深沢さんもオミクロン感染したらしく、「《記者コラム》ついにやられた!オミクロン=高熱、倦怠感、喉の痛みと咳」という記事があったので、それにもリンクをはってみることにした。この記者コラムのサイトはこちらへ。私たちがオミクロンから解放された後、エドソンの妹のエリカと彼女の家族、エドソンの親しい友人のデミウソンと彼の家族も感染したようで、その広がりに驚いている。でも、隣町のボトゥカトゥでは新規感染者が減少し始めたようなので、そろそろピークアウトしてくれるといいのだけれどと願っている。

2022年2月3日(木)

はるは昼間オシッコに行きたい時は、玄関マットの上に行って座って「ワン」と一声出して、私に知らせる。それに私が反応しないと、再度「ワン」と言う。私が「何?はるちゃん。ピーピー(オシッコ)ですか?」と言うと、はるは反応しないのに、ひろが居間のベッドから出てきてコンピュータデスクの前に座っている私の所に「行こう、行こう」という感じでやって来る。そうするとはるもようやく「行こう、行こう」と言うように私の所にやって来る。それからおもむろに玄関に行って、みんなでオシッコのために外に出る準備をする。ひろはまず必ず台所にお水を飲みに行くので、その間にはるのリードをつけて、水を飲み終わったひろが私の所にやって来ると、彼にリードをつけて、いざ出発。そんな彼らの行動の一コマを撮ったのが次の写真。たまたまエドソンが側にいたので、私がひろの足を持って彼が動かないうちに素早く撮ってもらった。

2022年2月4日(金)

この夏は本当に雨が多く、日差しが少ない冷夏の日々。1月の中旬、雨の頻度が減り、1日晴れて気温が上がり暑い日も数日あったけれど、1月最後の週末からこの1週間、また毎日、雨、雨、雨の日々が続いている。本来なら今の時期は暑くて、夜は扇風機をかけて寝ているところだけれど、寒いので毛布をかけて寝ている。1日24時間ずっと降り続くわけではないけれど、止んだかなと思って外に出ると、霧雨のような雨が降っていたりして、ワンコたちとのお散歩がずっとできないため、ワンコたちも私たちも運動不足になって困っている。こう日差しのない日々が何日も続くと気分的にも下降ぎみで、早くお天気が回復してくれないものかと思う。この先2週間の天気予報をチェックすると、毎日変わらず雨の予報で、気温も最高気温が25度に届くか届かない日々のようなので、ああ、まだこの状態は続くんだなと、少々うんざりしている。これはブラジル北東部に豪雨と水害の被害をもたらしたのと同じ雨が南下してきたものなのだろうか?それならいっそのこともっと南下して、干ばつに苦しむ南部の州で雨を降らせてくれたらいいのにという勝手な思いが募る。次の写真は、先日の午後しばらく止んでいた雨が、またザーザー降りだしたので、その雨を食堂の西側の窓から撮ったもの。お天気がおかしいからなのか、秋に咲く庭のマナカの木に3つほどピンクの花が咲いているのが見える。

2022年2月5日(土)

ペトロポリス在住の安見さんご夫妻がブラジルを出発して日本に帰国する日が決まったと連絡をくださった。いろいろ話したいこともあるからZoomしませんかと言ってこられたのだけれど、私はZoomはできないので、私が使っている別の顔を見ながらオンラインミーティングのできるサイトをお知らせして、日時を決めて1時間半近くお話をした。ブラジルに来たばかりの頃、ペトロポリスにお邪魔して以来なので、12年超ぶりくらいに顔を見ながら直接お話をしたことになる。おふたりともお元気そうで良かった。娘さんもお孫さんもブラジルにおられるのに、50年近く暮らしたブラジル生活にピリオドを打って、日本に帰国される理由をうかがってみた。コロナ禍になるまでは常に活動的に忙しくBUNKA-SAIなどいろいろな日本関連のイベントをペトロポリスの人たちと企画、運営されてきたけれど、コロナ禍になって以来、外に出られないので、テレビやYoutubeで日本語の番組ばかり見て、Zoomで日本語で話すという生活が続き、だんだんポルトガル語でのコミュニケーションが億劫になってきたとのこと。心の機微に触れるようなことは、やはり外国語のポルトガル語ではうまく話せないのがなかなか大変と感じるようになられたみたいだった。そして、おふたりとも80代の彼らが今後介護などが必要になった際、日本にはいろいろ利用できる介護支援があるけれど、ブラジルではそのようなものはなく、娘さんひとりにどっぷり頼ることになり、それでは彼女がかわいそうだし、ご夫妻も辛いからということだった。その気持ちは何だかとても良くわかるように思った。東京で暮らすご夫妻のご兄弟の助けを借りて、帰国後に暮らすアパートももう手配して、準備万端のようだった。日本に帰国されてもメールやオンラインミーティングなどで連絡取り合いましょうねと確認しあった。

2022年2月6日(日)

昨日のYahooニュースに、「新型コロナ全国の感染者10万人上回る 過去2番目の多さ 死者は2日続けて100人超」というニュースがあったけれど、同じ日のこちらのブラジル日報では、「1日の感染者30万人、死者も8月以来8千人超え」とあった。日本の感染者数が累計なのに比べて、ブラジルの数値は1日の感染者数。ブラジルの人口は2億1260万人で、日本の人口が1億2580万人ということを考えると、ブラジルの感染者の数の多さが際立つ、と言うか、日本の感染者の少なさが際立つと言った方がいいのだろうか?ブラジル日報の記事では、「現場の専門家は入院者や死者の大半は未接種者か接種未完了者とし、接種や接種完了をと呼びかけている」とあった。

2022年2月7日(月)

外の手伝い仕事をしてくれるパラナが彼の息子を一緒に連れて、毎週土曜日に欠かさずやってきてくれるようになって久しい。でも先々週の土曜日に雨の中やってきた時は驚いた。2時間少々で雨が本格的に降り出し仕事にならなくなり、予報でも1日雨が降る予報だったので、エドソンは彼らに2時間分の労賃は翌週の日当と一緒に払うからと言って、帰ってもらった。そして、先週の土曜日に手伝いにきてくれたパラナが、また「日本のトマト」と呼ばれる果物を持ってきてくれた。以前、数個持ってきてくれた際、食べてみて、エドソンがおいしかったと伝えたからか、今回は袋に一杯持ってきてくれた。パラナはうちに手伝いにきてくれる際、いつ頃からか、このような果物などの手土産を持ってきてくれることが多くなった。昨年の10月にタケノコを2回くらいお裾分けして以来、そのような行動を取るようになったように思う。おそらくエドソンのことが好きと言うか、良い雇い主だと思っているのかなあと、エドソンと話している。雇い主だからと言って、エドソンは威張りちらしたりはしないし、彼らに無理なことを命令したりしないし、彼らと対等な感じで付き合っているし、外での仕事に精通している彼らの意見を聞くことも良くあるし、まあ、パワハラ的で横暴な雇い主が少なくないこのブラジル社会で、働き易いと思ってくれているのならありがたいなと思う。写真の「日本のトマト」の横の果物は、エドソンがスーパーで買ってきた富有柿。

2022年2月8日(火)

入り口ゲートに向かう道沿いに数本あるフランボヤンジーニョの木の中の2本に花が咲き始めたので、撮ったのが次の2枚の写真。1本は黄色い花の咲き始めたフランボヤンジーニョ。もう1本はオレンジ色に黄色の縁取りのある花を咲かせているフランボヤンジーニョ。黄色のフランボヤンジーニョのまわりは草ボウボウの状態。オレンジ色のフランボヤンジーニョには黒いアゲハ蝶が2羽飛び交っている。この写真を撮っていたら、その足元にダンちゃんが2羽いたので、撮ったのが3枚目の写真。ダンちゃんたちは神出鬼没で、何グループかに分かれてそこらじゅうを自由気ままに歩き回っていたり、走り回っていたりする。彼らの姿を見かけるといつも何だかほっこりする。

2022年2月9日(水)

ランドマークの木の側のサボテンに、黄色い花が咲いている写真を以前掲載したけれど、花が咲き終わった後、実が生り始めている。この写真では5つの実が生っているのが見え、画面一番上の実は何かに食べられて、穴が開いている。そして、この写真には写っていないけれど、このサボテンの足元に、穴を開けられ地面に落ちた実も2つあった。この実は鳥が食べるのかなあ?以前一度エドソンはこの実を食べてみたことがあり、この実は甘いらしいのだけれど、サボテンのたぐいの実を食べると何故かエドソンはお腹の調子が悪くなり下痢をするので、私たちはもう採って食べることはない。

2022年2月10日(木)

先日の昼食後のはるとひろとのお散歩の際、エドソンがジャメラオンが実をつけ始めたよと言って、側まで行って見せてくれたので、お散歩から戻ってから、カメラを持って行って写真を撮ってみた。そうそう、長い間雨でお散歩に出ることができないと以前書いたけれど、先週の金曜日くらいから、午前中は雨が降らず午後から降るという日が続いたので、何とかお散歩をすることができる日が何日かあった。この日もそんな1日で、午後から雨になった。さて、次の1枚目の写真は、お隣のコーヒー農園との境の柵の前のジャメラオンという木(左側)を撮ったもの。2枚目の写真は、そのジャメラオンの実をアップで撮ったもの。実はまだ小さく薄ピンク色で、ひとつだけ濃いピンクで大きくなっている実が写っているけれど、この濃いピンクがさらに紫色になると食べられるらしい。「私たちの口に入る前に鳥が食べちゃったりして」と、私が言うと、「鳥はこの実を食べるのかなあ~?」とエドソンは言っていた。

2022年2月11日(金)

次の写真は、ベランダ前の庭のハイビスカス。ベランダから見える側のハイビスカスはみな赤い花が咲く木なのだけれど、中央に白と言うか、薄ピンクの花が2つ見える。以前にも書いたけれど、この木は元々は赤い花が咲く木だったのだけれど、時々こんな風に同じ木にこの薄ピンクの花を一緒に咲かせているようになったもの。この赤い花を咲かせるハイビスカスの後ろの列には、黄色い花を咲かせる木とオレンジ色の花を咲かせる木が数本あるのだけれど、これらの木は赤い花を咲かせる木のような元気がなく、ひょろひょろとして、葉もあまりつけない。でも時々花を咲かせるので不思議だなと思う。

2022年2月12日(土)

2022年1月22日付けのブラジル日報に、「《ブラジル》エルザ・ソアレス死去=音楽界最長老の女性闘士=ガリンシャ元夫人、波乱の人生」という記事が載った際、エドソンにこの人のことを聞いてみると、「誰でも知っている有名な歌手だけれど、僕はこの人の歌は嫌い」と言っていた。歌詞がおどろおどろしいのが嫌いらしかった。ブラジルの音楽で、エドソンが良いと思うのは、ショーロ、ショリーニョ、ボサノバくらいで、昔のムジカ・カイピラ(ブラジルのカントリーミュージックのようなもの)は良いけれど、新しいものはダメ、サンバもセルタネージャもMPB(いわゆるブラジルのポピュラー音楽)も好きじゃない。何故なら、聞いている人を気持ちよくさせたり、楽しくさせるようなものではなく、恨み、つらみ、妬み、嫉妬、怒り、悲しみなどのネガティブな歌詞が満載なので、聞いていられないらしい。昔、都はるみさんが「着てはもらえぬセーターを寒さ堪えて編んでます」という歌を歌っていたけれど、それに対して、淡谷のり子さんがその後ろ向きな惨めな歌詞と演歌というものを批判したことがあった。ちょっとそれに似ているかなと思う。ただ、エドソンが嫌いなブラジル音楽の歌詞はこんなものではなく、もっと酷いらしいのだけれど・・・。でも、ブラジルではこういう音楽の方が人気がある。どうもこれはブラジル人の特徴というよりも、ラテン系の人たちの特徴なのではないかというのがエドソンの見解。

そうしたら、2022年2月10日付けのブラジル日報に、「特別寄稿=誰も書かなかった日伯音楽交流史=千年に一人の歌手 エルザ・ソアーレス永眠=坂尾英矩」という記事があったので、それを読んでみた。まあ、好き嫌いはあってもとても影響力のあった大御所女性歌手だったんだなと思った。この記事のサイトはこちらへ

2022年2月13日(日)

次の写真は、金曜日の夕飯に牛レバーと玉ねぎとトマトを炒めてエドソンが作ってくれたお料理。これにカリオカ豆を煮たものとご飯を添えていただいた。例によって、食べ始めてから、そうだ写真を撮らなきゃと思って撮ったので、量が少し減っている。レバーはたんぱく質やビタミンや鉄分が豊富だからと、エドソンが私のために買ってきてくれたもの。そして、写真の左上にあるのは野菜スープ。先月たまたまYoutube上で、ガン闘病のご主人のために5年以上奥さんが作り続けたファイトケミカルたっぷりのスープなので「愛のスープ」と呼ばれているというのを見た翌日に、エドソンのオミクロン陽性がわかったので、すぐに作って、お昼に飲んでもらったのだけれど、私も少し飲んで、その翌日残りの野菜とスープにお肉とカレールーを入れてカレーにして完食した。基本の野菜は玉ねぎ、人参、キャベツ、かぼちゃなのだけれど、ここではかぼちゃが手に入りにくいので、私はかぼちゃの代わりにじゃがいもか里芋を使い、しいたけも入れ、ズキーニを入れることもある。先月は1度しか作らなかったのだけれど、今月はふと思い立って、先週の月曜日から2日置きに作って毎日食べるようになった。このスープは1リットルのお水で野菜をしっかり煮込むだけで、味付けは何もしないのが基本なので、初めて作った時は味付けなしで、野菜の甘さと野菜から出ただしの味がするものをいただいた。でも、今月はチキンスープ味にしたり、カツオだしと少しのお酒とお醤油で味付けしたり、この写真のものはカツオだしを入れて味噌を混ぜてみそ汁にしたりしている。味を変えると飽きずに毎日食べることができるかなと思い、作る度に味付けを変えてみている。ちなみにファイトケミカル(phytochemical)のphyto=ファイトは「植物の」という意味で、野菜や果物に含まれる化学成分のこと。身体にとてもいいらしいので、野菜の摂取量を増やす意味でも、しばらく続けてみようと思っている。

2022年2月14日(月)

食堂の窓際の棚の上や食卓の上に飾っていたランの内、古いものが数鉢弱って息絶え絶えになっていたので、だいぶ前(2年くらい前かな?)に、庭の桜の木の足元に置いて復活を願っていたら、とうとうその内の2鉢に新しい葉が出てきた。それでエドソンがそれらの鉢を桜の木の上に場所を変えて置いていたら、1鉢に花が咲いたので、次の写真を撮ってみた。この花を見て、ああ、これはデマーコとシオックがうちに遊びにきてくれた際、お土産に持ってきてくれたランの花だと思い出した。彼らは数年前に相次いで亡くなってしまったけれど、この花が元気に生き返ってくれ、花を咲かせてくれてとてもうれしかった。このランの右側に薄い緑色の葉と、小さなつぼみを付けた茎が見えるけれど、これはエドソンが森の近くで見つけて、ここに持ってきて置いた野性のラン。小さな花芽がたくさん出ている。どんな花が咲くんだろう?

2022年2月15日(火)

先日、みんなで昼食後のお散歩に出たら、ヒメシマダケの林の足元に何だか赤い花のようなものが見えたので、側に行ってみると、いわゆる雑草にピンクの花が咲いていた。それで以下の写真を撮ってみた。1枚目は、位置関係を示すために右にヒメシマダケの林、左に私たちがお散歩をする道の両方が何となく見えるように撮ってみた。写真の奥には桜とユーカリの木の並木が見える。2枚目は、そのピンクの花を少しアップで撮ったもの。

2022年2月16日(水)

一昨日、エドソンがパーディーニョの銀行に行く用事があったので、ついでに郵便局にも行ってくれ、届いていた2022年2月15日発行の楽書倶楽部第61号を持って帰ってくれた。以下はこの号に掲載された私の文章。

ブラジルでタケノコ三昧

サンパウロ市から西へ二百キロほど離れたこの田舎町で暮らし始めて間もない頃、ご近所にある竹のファゼンダのマネージャーさんから孟宗竹を何株もいただいた。彼はファゼンダの従業員の人たちと一緒に、トラックに積んだ大きな孟宗竹を運んできて、敷地内の複数箇所に植えてくれた。その後何株かは根つかず枯れてしまったものの、多くは根ついてくれ、二~三年経過した頃から冬の乾季が終わり、春になり雨が降り出すと、タケノコが生えてくるようになった。

孟宗竹をいただいても、タケノコが生えてくる可能性については考えていなかったので、初めてタケノコが生えてきたのを目にした時は、何だかとても感動したのを憶えている。これは採って食べなければと思い、タケノコを見つけるとせっせと採って、茹でて、調理して、タケノコ料理を食べるようになった。当初は芽を出すタケノコの数がそれほど多くはなかったため、茹でて食べる作業は大変なことではなく、自宅で採れる旬の新鮮なタケノコ料理に、期間限定とは言え、舌鼓を打てることに感激していた。

そのうち年を経るごとに、十月に芽を出すタケノコの数が格段に増えて行き、採って茹でて消費する作業が夫婦二人だけの生活では全然追いつかなくなってしまった。それで土曜日に草刈りなどの作業に来てくれる手伝いの人たちや、毎日入れ替わりでやってくる私の英語の生徒さんたちに、大きなアイスクリームの容器に茹でたタケノコを入れてたくさんお裾分けしたり、タケノコは食べたことがないという若い友人を食事に招きタケノコご飯を食べてもらったりして何とかタケノコを消費していた。

ブラジルの人たちが全般的にそうなのか、この田舎町の人たちがそうなのかはよくわからないけれど、私たちのまわりにいる人たちは、タケノコは食べたことがないという人たちばかりで、どうやって調理するかも知らないと言う。それで夫がパルミットと似たような味と食感だから、パルミットを調理するようにトマトと一緒に炒めてもおいしいし、圧力鍋でお肉と一緒に煮込むとおいしいなどと伝えると、みなそれぞれにいろいろ工夫して食べてくれ、おいしかったと言ってくれるのが常だった。

しかし、二〇二〇年はコロナ禍で私の英語のレッスンを中止して、生徒さんたちの出入りを止めたため、お裾分けできる人たちは時々来てくれる手伝いの人たちだけになってしまった。それで夫が瓶詰にして保存しようと提案してくれたので、何かに使えるかもしれないと取っておいた大きな空き瓶を利用して茹でたタケノコを瓶詰にしたり、日本の友人から乾燥させるという方法もあると聞いて乾燥させたりして、何とか採れたタケノコを無駄にしないように工夫した。

二〇二一年も相変わらず続くコロナ禍で、状況は前年とあまり変わらなかった。そろそろタケノコが採れ始めるようになった頃、夫が瓶詰用の大瓶をネット通販で八個も買ってくれた。それで十月はせっせとタケノコ料理を食べるだけでなく、茹でては瓶詰にする作業を繰り返す日々になった。それでも、やはり追いつかないので、車で一時間近く離れてはいるものの、楽書倶楽部のお仲間の中では一番のご近所さんである井上さんご夫妻にお願いして、茹でておいたものや、前日と当日の朝採ったタケノコを、わざわざ受け取りにきていただきとても助かった。そして、コロナ禍で引きこもって以来、直接外の人と会っておしゃべりをすることなどない日々だったため、井上さんご夫妻とのおしゃべりはとても楽しいひと時となった。これもタケノコがもたらしてくれた思いがけない恩恵だった。

日本で暮らしていた頃は、春になるとスーパーで新鮮な皮つきのタケノコが販売されているのを見かけていたけれど、それを買って自分で茹でて食べたことは一度もなかった。いつも買うのはお手軽なすでに茹でて皮が剥かれパックされた、一年中手に入る商品だった。それを春に買ってタケノコご飯などを作って春を感じられることに満足していた。それが、まさかブラジルに来て、自宅で生えてくるタケノコを自分の手で採って、茹でて、さらに瓶詰やら乾燥までさせて、一年を通じて頻繁にあれこれタケノコ料理を食べることになるとは夢にも思っていなかった。

タケノコを茹でる際はぬかと一緒に皮ごと茹でなければならないと思っていたけれど、ここでは採りたてをすぐに茹でるからなのか、皮を剥いてそのまま茹でただけで何の問題もなく食べることができるため助かっている。タケノコが採れるのは十月のひと月だけで、その間は寝ても覚めてもタケノコに追い回される感じだと夫に冗談で愚痴ると、自宅でタケノコが採れて、その旬のタケノコを食べることができるなんて、まさに天の恵みなんだから、ありがたいことだよとたしなめられた。そして、こんなに頻繁にタケノコを食べていたら、ひょっとして僕たちパンダになってしまうかも?などと言う夫の冗談に笑いながら、この自然の恵みに感謝する田舎暮らしならではの日々を送っている。

2022年2月17日(木)

先日、手伝いのパラナがまた日本のトマトと呼ばれる果物をたくさん持ってきてくれたと書いたけれど、この日本のトマトと呼ばれる果物はペルー原産でポルトガル語ではタマリーリョと呼ばれていることがわかったと、エドソンが教えてくれた。日本のトマトと呼ばれているのは、ペルーからブラジルに持ってきたのが日系の人だったからなのかもしれないとも言っていた。それでタマリーリョで検索してみたのだけれど、何も出てこない。出てきた写真にタマリロとあったので、それで検索してみると、出てきた。出てきた。以下が、Wikipediaの内容。タマリロはスペイン語バージョンの名前なんだ。英語圏では木立ちトマトとかツリートマトを呼ばれているから、日本のトマトという名前になったのかなと思った。

「南米のアンデス山脈周辺が原産で、ペルー、エクアドル、ボリビア、コロンビア、チリなどに広く分布する。ニュージーランド、オーストラリア、アルゼンチン、ブラジル、ベネズエラ、インドネシア、ケニア、ポルトガル、アメリカなどで栽培されている。特にニュージーランドとポルトガルでは商業栽培が進み、輸出も行っている。オーストラリアにおいては1970年代から一部で知られていたが、本格的な栽培は1996年に開始された。原産地である南米では、木立ちトマトの名称が一般的であり、主に英語圏での名称であるタマリロとはあまり呼ばれない。これは1967年にニュージーランドにおけるプロモーションの一環でタマリロという名称が作られたためである。それまでは英語圏においてもツリートマトの名称であったが、エキゾチックなイメージ作りとトマトとの差別化を狙って新名称が採用された。由来は、マオリ語でリーダーシップを意味するtamaとスペイン語で黄色にあたるamarillo。ちなみにニュージーランドは南米原産の個性的な植物の導入に以前から熱心である」

2022年2月18日(金)

去年の暮れだったか、年が明けてすぐだったか、毎日雨がよく降るので、入り口ゲートの東側の柵沿いと、その側にある枯れてしまったリグストルンの木の足元に、朝顔の種を蒔いてみた。柵や木が側にあると、朝顔が芽を出してつるを伸ばし始めたら、上がって行きやすいかなと思ったのだ。1枚目の写真は、柵沿いに一列に少し芽を出している朝顔。その手前のトゲトゲの植物は、コロア・デ・クリスト(キリストの冠という意味)。2枚目の写真は、手前に以前から育っているコロア・デ・クリストとその向こうに以前あったものが枯れてしまったため、新しく小さな芽を植えて育っている状態を撮ったもの。3枚目の写真は、リグストルンの足元を撮ったもの。リグストルンの回りにはぐるりとたくさん種を蒔いたのだけれど、芽を出したのはほんの少しだけで、ちょっとがっかり。

2022年2月19日(土)

2月15日(火)の午前中だったか、エドソンが下の事務所から上がってきて、ペトロポリスで豪雨があって大変なことになっていると言って、ネット上のグロボのニュースサイトを見せてくれた。あちこちで土砂崩れが発生し、道路は川のようになって濁流が車を押し流して、町の中心部を流れる川の両側の道路も川になっている写真や映像があった。安見さんたちは大丈夫だろうか?と、思ったのだけれど、こんな状態ではインターネットも寸断されているかもしれないし、などと思いながら、連絡をためらっていた。でもやはり気持ちが落ち着かないので、連絡をしてみようと思い、翌日メールをお送りしてみた。するとFacebookのメッセンジャーを利用して「我が家はまったく問題ありません」というメッセージが届いた。ああ〜、良かったと心から思った。それから数時間して、今度はメールへの返信が届いたのだけれど、雷と同時に電源は抜いたのだけれど、インターネット回線から伝ってきたのか、PCのモデムが焼けてしまい使えないので、スマホからメールを書いているということだった。ペトロポリスでは10年くらい前にも大きな豪雨災害があったのだけれど、今回はその時をさらに上回る規模の豪雨災害が発生したらしい。何しろ雨雲がペトロポリスの上で動かず、6時間くらいに1ヶ月分の雨が局地的に降ったようなので、土砂崩れも起こるというものだ。18日の朝の段階で、すでに200名近い死者が確認されているらしいけれど、行方不明の人たちがかなりいるようなので、この数は増えることが予想される。そして、また雨が降り出したので捜査活動は止まっているとエドソンが言っていた。

2022年2月18日付けのブラジル日報に「《リオ州》ペトロポリス豪雨の死者と不明者200人超す=再びまとまった雨の予想も」という記事があったので、その記事にリンクをはってみる。この記事のサイトはこちらへ

2022年2月20日(日)

北京オリンピックなんてどうでもいいと思いつつ、高梨沙羅さんの失格問題や、平野歩夢選手の素晴らしい滑走に対しておかしな採点が出たりと、次から次へとおかしなことが起こっていたため、ついついYahooニュースなどでそれらに関する記事を読んでしまう自分がいた。そして、2/18(金)18:02配信の47NEWSに、「パシュート女子3人が見せてくれた最高の笑顔 カメラマンが涙腺崩壊したせいで撮れた奇跡の1枚」という記事があり、これもついつい読んでしまった。でも読後、読んで良かったと思ったので、この記事にリンクをはってみることにした。この記事のサイトはこちらへ

2022年2月21日(月)

2022年2月20日05:00配信の産経新聞のニュースに、「中国の邦人死亡 全力で救出を試みたのか」という記事があったので、以下にその記事をコピーしてみた。Youtuberの「闇のクマさん」が、この件に関して怒りの動画を上げていた。この邦人って、先週だったかに同じくYoutuberのDEEP MAXの妙佛(みゃおほう)さんが話していた去年12月に上海で拘束されたまま、日本総領事館の人が一度も面会できず、まったく拘束の理由がわからないという人だろうか?と思ったら、どうも別の人だったようだ。政府は何も言わないし、マスコミもまったく報道しないけれど、じゃあ、一体今現在、中国では何人の邦人が拘束されているのだろうか?と思った。在外邦人保護のために6億円だかの補正予算を最近獲得した外務省だけれど、そのお金はNYのマコムロの生活費や警護費用に使われるのであって、中国などで不当に逮捕拘束されている一般邦人救出のために使われるわけではない。これまで外務省はこれらの人々にまったくと言っていいほど何もしてこなかったと、ジャーナリストの篠原常一郎氏は言っていたけれど、複数の邦人が理由もわからず拘束されていることをまったく報道しないマスコミっていうのもどうなの?と腹立たしく思った。以下がその記事のコピー。ネットにリンクをはったのでは、その元記事がネットから削除されて読めなくなる可能性もあるので、コピーしてみた。

「中国で服役中の70代の日本人男性が今月、北京市内の病院で病死していたことが分かった。

男性は2015年に北京で拘束され、スパイ罪で懲役12年の実刑判決を受けた。どのような行為が罪に問われたのか。肝心の点が明らかにされないまま、中国で他界したことになる。

罪状を公にしないまま人身の自由を奪ったうえに死に至らしめたことは、司法に名を借りた重大な人権侵害である。断じて許すことはできない。

男性はかつて航空会社に勤務し、その後コンサルタントとして日中間を往来していたという。拘束の経緯も理由も不明である。

密室の裁判で弁護が許されたかどうかも分からない。民主主義国の司法手続きではあり得ない。男性がなぜスパイ罪に問われ、服役したのか。中国当局は直ちに明らかにすべきであり、日本政府は強く開示を迫るべきだ。

上海では昨年12月、50代の別の日本人男性が中国当局に拘束されていたことも明らかになった。スパイ行為に関与した疑いがかけられているという。

習近平政権が14年に反スパイ法を施行後、中国では日本人を含む外国人を拘束するケースが相次いでおり、日本人の拘束はこれで16人となる。うち9人が懲役3~15年の実刑判決を受けたが、いずれも何が違法行為に問われたのか、詳細は明らかになっていない。

中国企業「華為技術」の孟晩舟副会長が18年にカナダ当局に逮捕された際、中国外務省は「理由を示さないままの身柄拘束は人権侵害だ」とカナダ当局を批判した。二枚舌とはこのことだろう。中国は日本人の拘束や判決理由の詳細を明らかにすべきである。

日本政府が亡くなった男性の救済をどこまで本気で試みたかという点にも疑問が残る。邦人保護に当たる在外公館は中国側に事実関係を厳しくただしたのか。

松野博一官房長官は17日、亡くなった男性について「人道上の観点から早期帰国を認めるよう働きかけてきた。誠に遺憾であり、抗議した」と述べた。50代男性についても上海の日本総領事館が早期解放を求めているという。

政府の沈黙は国民の理解を遠ざける。70代男性はなぜ亡くなったのか。上海での男性の拘束理由は何か。政府は強く中国側に迫り、交渉の経緯を公にすべきだ」

2022年2月22日(火)

次の写真は、入り口ゲートを入ると目の前に見えるパイネイラの木。ワンコたちとのお散歩で、毎日この側を歩くのだけれど、先週の初め頃、木の下にピンクのパイネイラの花が落ちていたので、あれ?花が咲き始めたのかな?と、上を見上げても、花は見えず咲いている感じではない。それから毎日1つ2つ花が地面に落ちているので、その都度上を見上げて花を確認していると、ほんの1つ2つ咲いているのが確認できる程度の日が続き、数日後にようやくその数が増えてきたので、その花を撮ってみた。まだ咲き始めなので数は少ないけれど、緑の中にピンクの花が咲いているのが見える。

2022年2月23日(水)

昨日は私の誕生日だった。今月初め頃、誕生日にどこかに食事に行こうとエドソンが珍しいことを言うので、即、賛成した。どこに行くか可能性としては、うちの近所のレストランは週末しかやっていないし、ボトゥカトゥは片道30分とちょっと遠いし、そもそもどんなレストランがあるかあまり知らないし、平日となると高速道路のカステロ・ブランコ上にある数軒のホドサーブかカンポネーザという選択肢しかない。ここから高速道路に向けて下りたすぐのところにある一番近いホドサーブ・ストップはエドソンが仕事の関係で何度かお昼に利用したことがあり、セルフサービス(バイキング?)だけでなくアラカルトもあって結構いいよと言うことで、そこに行くことにした。これまでエドソンが私の誕生日に時々ケーキを買ってくれることはあったけれど、私たちどちらかの誕生日に外食なんて、ブラジルに来てから初めてのことだった。それに前回外食したのは3年前。その翌年からコロナ禍でずっと引きこもりだったので、少し気分転換をしようというエドソンの気遣いと提案がうれしかった。

お昼前にワンコたちみんなにご飯を食べさせて、はるとひろにオシッコとウンチをさせてからシュハスコ小屋のお留守番スペースに移動してもらって、出かけた。でも、カロリナ・ソイルの工場横を通過した辺りで何かがタイヤに挟まったような音がするようになったので、エドソンが車から下りて確認すると大きなボルトのようなものがタイヤに刺さっているというので、パーディーニョの入り口にあるタイヤ修理のお店に行き、スペアタイヤと取り替えてもらい、タイヤの修理を頼んでホドサーブ・ストップに向かった。そこでの昼食が終わってからまたそのお店に戻り、修理が済んでいたタイヤに取り替えてもらうことができた。料金が20レアルととても安かったので驚いた。これから楽しい昼食にお出かけと思っていたところにいきなりのハプニングでやれやれと思ったけれど、パーディーニョの町の近くでのトラブル発生だったので、すぐに対応できたけれど、これがどこか別の場所だったらすぐには対応できずに大変だったと思うと、不幸中の幸いだったかなと思った。次の1枚目の写真は、ホドサーブ・ストップのレストランでお店の人に撮ってもらったもの。2枚目の写真は、ここでお土産に買って帰ったコーンブレッドと、アルゼンチン産のワイン。お昼はいつも軽く食べるところを、昨日はしっかり食べたので、夕飯は茹でたジャガイモに、エドソンがニンニクやオリーブ油を和えてサラダを作ってくれ、目玉焼きとサラミソーセージと、買ってきたコーンブレッドで軽く済ませた。このコーンブレッドが思った以上に柔らかくておいしかったので、ふたりで感激。

2022年2月24日(木)

先週いつだったかの夕飯に、久しぶりにトンカツを作った。うちでは大きな豚肉1枚を揚げるのではなく、2口か3口で食べられるように小さく切ったものを揚げている。そして、付け合わせとして白いんげん豆と野菜のサラダを作った。白いんげん豆がないときには代用として大豆やひよこ豆を使ったりする。いつだったか、お散歩の際見つけたダンちゃんの卵ふたつを茹でてこのサラダに入れる予定だったのだけれど、茹でて殻を剥いてみると中身が古くなっている卵だったので、使用できなかった。これまで前の日になかった場所で見つけたダンちゃんたちの卵は古くなっているという問題はなかったのに、これら2つの卵はどこか他の場所でかなり前に生みつけられたものが、何者か(こんなことをする動物が何なのかはわからないけれど)によって場所を移動させられたものなのかなと思った。それで茹で玉子の入らないサラダになってしまった。そんなちょっと不完全なサラダだったのだけれど、エドソンがこれを食べながら、「この豆と野菜のサラダ、僕すごく好きなんだよね」と、何気なくポロリと言ったので、とてもうれしかった。

2022年2月25日(金)

先週初めに、サンパウロの日本総領事館とのメールのやり取りで、日本語が通じないという疲れる経験をした。昨年の9月で私のパスポートの期限が切れてしまったのだけれど、このコロナ禍ではどうすることもできず、時間だけが過ぎていた。そんな中、オミクロンもそろそろピークアウトするというニュースもあり、私たちの3回目のワクチン接種も今月末に可能になりそうなので、そろそろ準備だけでもしておこうと思い、総領事館のウェブサイトを見て確認したものの、いろいろ疑問な点が多く、旅券課にメールで問い合わせをした。

質問はわかり易く箇条書きにしたのだけれど、その中のひとつ「住所を確認できる書類に関して、3ヶ月以内の住所証明書のコピー、もしくはインターネット版を印刷したものとありますが、この3ヶ月以内の住所証明書のコピー、もしくはインターネット版を印刷したものとは何のことでしょうか?」という質問に、返ってきた返事は「住所を確認できる書類:原本、もしくはインターネット版を印刷したもの」というものだった。

私の質問は、住所証明書というものが存在するのか?あるいは、何が住所証明書とみなされるのか?という意味で、年金受給のための生存確認を日本に送る際、総領事館から在留証明書を出してもらわなくてはならないため、その際は、ネットで行っている税金申告書の住所の記載のある最初のページを送って住所証明書としているけれど、それでいいのか?それとも別のものか?と具体的に聞いているのに、その質問には完全スルーで返答はなかった。

それで再度メールで、「3ヶ月以内の住所証明書のコピーとは何のことですか?とお尋ねしているのですから、『住所を確認できる書類:原本、もしくはインターネット版を印刷したもので3ヶ月以内』では回答になっていません。税金の申告書でいいのか、住所が私書箱と町の名前しかないけれどメールで届く電話料金の請求書でいいのか?そちらは何だったら受け付けるのか、明確にご回答ください」と書いた。

それに対する返事は、「(仮申請の場合)住所証明書のコピーで結構です。受領の際には原本提示が必要です」だった。この一行を見た時、日本語が通じないのか?この人は私のメールをちゃんと読んでいないのか?と思った。

でも結局、その先を読み進めると、私の具体的な質問それぞれに対する回答があり、税金申告書は1年に一度出すものなので、3ヶ月以内という制限があると、いつ旅券申請をするかで使えないことがわかり、メールで届く電気料金の請求書の住所は私書箱の番号と町の名前があるだけで完全な住所ではないのだけれど、それでもいいということがようやくわかった。最初の問い合わせから、それらを具体的に確認したかったのに、ああ、やれやれお役所の人とのコミュニケーションは疲れるなあ~と思ったのだった。楽書倶楽部にこのことを書こうかとも思ったのだけれど、日系社会の中で角が立つかもしれないので思いとどまり、自分のこのブログでこうして愚痴ることにした。

2022年2月26日(土)

広島の友人が、彼女の暮らしている団地のすぐ後ろに鈴ヶ峰があり、登山口も近くにあるので、前々から登ってみたいと思いつつ、ひとりではちょっと怖いので、長年登ってみることはなかったところ、ラジオ体操で一緒になる元気なシニアのおひとりが、一緒に登ってくれたので、鈴ヶ峰に登ってきたと写真を送ってきてくれた。次の写真は、山頂の標識かな?鈴ヶ峰は標高312mなんだ。

「山といってもかなり低い山ですが上りは急で登山道は整備されていますが階段は高さが50㎝くらいのところもあったり、自然の大きな石の段を上ったり、狭い道の片面が急斜面だったりで、まさに山登りって感じでした。途中山を駆け降りる軽装のトレイルランナーに2度すれ違いました。私のよろよろペースで山頂まで約50分位かかったと思います。到着すると既に10人位の人がいて景色を眺めたりお弁当を食べたりしてのんびり過ごしていました」とメールにあった。このお元気なシニア女性は、ご近所のお仲間5~6人と、毎週のように近所の山に登っていて、鈴ヶ峰もよく登るのだと聞き、それはすごいと思った。ただのお散歩と違い足腰が鍛えられるだろうな。次の写真は、鈴ヶ峰の山頂からの景色。正面に宮島が見える。広島は身近にこういう自然がいっぱいあって、本当に暮らしやすい町だなと思う。

2022年2月27日(日)

兄から届いた誕生日祝いのメールに、「広島も寒さは厳しいけど雪はぱらつく程度。近年温暖化で雪が少なく、中国地方のスキー場は廃業が続いている中で、久しぶりに大雪でゲレンデも正月以降万全なのに、コロナで人の流れがなくて残念な状態です」とか、ここ数年兄が関わっている「地域猫活動」という行政が推進している取り組みについて書かれていた。この活動は野良猫を殺処分せず共存しながら、むやみに増えないようにしていこうという取り組みなのだそう。それって数年前にも聞いたことがあるなあと思って読み進めると、「うちの町内会でも5年前から取り組んでおり、僕はそのプロジェクトリーダー(響きがちょっとカッコいいか?)となっている」ああ、やっぱり、前にも聞いたことがあるはずだ。市の動物管理センターから捕獲籠を借りて、餌を仕掛けて捕まったら、管理センターへ運んで避妊・去勢処置をしてもらい、またもとの場所に放してやるというやり方だという。彼は町内会向けの報告書をまとめたりもしているらしい。

「最近はペットブーム、特にものすごい猫ブームだけど、僕はペットには全く興味ありません」へエ〜、猫ブームなの?知らなかった。兄はペットに自分の生活・行動を制約されるなんてまっぴらごめんと書いていたけれど、彼の家の庭によく出没したり、裏の扉の前のマットの上でいつもくつろいでいる猫に「マット」と名前をつけたりしているから動物嫌いではないのだけれど、「この地域猫活動は結構楽しんでやっているよ」ということだった。次の写真は数年前に彼の家(つまり私の実家)の裏庭で籠に入り込んだイタチで、住宅街でイタチが出没するなんて思ってもいなかったので、驚いたらしい。そして、イタチはむやみに捕獲してはいけないそうなので、己斐峠の向こうまで運んで山に逃がしてやったという話も、やはり数年前に聞いたなあ。

2022年2月28日(月)

先日パイネイラの花が咲き始めたので、写真を掲載したけれど、その花の数がだいぶ増えてきたので、また写真を撮ってみた。2枚目の写真は、その花を少しアップで撮ったもの。たくさん花のつぼみが見えるので、これからますます花の数が増えて行きそう。うちにはパイネイラの木を3本植えている。2本は入り口ゲートの左右に1本ずつ。残りの1本はこの写真の木で、入り口ゲートを背にして正面にある。3本のうち、この木を一番早く植えたので、一番古く、花を咲かせるのはこの木だけで、他の2本はまだ一度も花を咲かせたことがない。



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