Kyoko Yoshida | Life in Brazil | BLOG |
2022年1月1日(土) | ||||
![]() 新年明けましておめでとうございます。コロナ禍で迎えた二度目の年明け。このような状況にあっても、エドソンも私もワンコたちもみな元気で新年を迎えられたことを喜びたいと思う。2009年3月にブラジルに引っ越して来て、初めて迎えた2010年の新年が寅年だったので、あれから干支が一回りして、丸12年が経過したことになり、ブラジルに来て13年近くになるんだと思うと感慨深い。今年もエドソンとふたりプラスワンコたちと、健康で穏やかな一年が過ごせるよう笑顔でいきまっしょいと思っている。 | ||||
2022年1月2日(日) | ||||
次のお年賀のイラストは、トラと一緒にトゥカーノとアララ(読み方は最初のラにアクセント)が描かれている。トゥカーノとアララはブラジルの鳥なので、ブラジルからのお年賀としてちょうどいいかなと思い、ここに掲載することにした。
![]() 大晦日は、手伝いのパラナが彼の長男を連れて仕事に来てくれた。先週の初め激しい雨が降ったので、それで壊れた畝のところに水はけのための溝を作ってもらったりした。エドソンは、年末に買い替えたスマートフォンの不具合を直すために部品が届いたというショッピングモール内にある電話会社のお店に行ったのだけれど、対応してくれていた人がその不具合を直すことができず、それができる人が来るまでずいぶん待たされたらしく、10時開店ですぐお店に入れるようにと9時を過ぎてすぐに出かけて行ったのに、帰宅したのは12時少し前だった。その間、私は洗濯、掃除、お昼に食べる年越しそばの用意などをしていると、途中で雨が降ってきたりして、外に干していた足拭きマットなどを取り込んだりと何だかとてもバタバタしてしまった。でも、何とか正午(日本時間の午前0時)前には仕事が終わり、Youtube上で知恩院の除夜の鐘のライブを流しながら、日本酒を用意して、エドソンとふたりで年越しの乾杯をすることができた。そして、年越しそばを昼食に食べて、無事日本時間での年越しをした。 大晦日の夕飯は恒例のローストポークに、エドソンがコウヴィと花ブロッコリとトマトとベーコンとカサバ(マンジォカの粉)を混ぜたファロファを作り、私がひよこ豆と野菜のサラダを作っていただいた。デザートはチーズケーキに桑の実ジャムを乗せたもの。夜12時に、エドソンがシャンパンを開けて、ブラジル時間での年越しも無事に終えた。でも、私はもうずっと夜は10時くらいには寝る習慣になっていたので、12時まで起きているのが眠て眠くてなかなか大変だった。まるで夜遅くまで起きていることのできなかった子ども時代に戻ったような感じだった。 | ||||
2022年1月3日(月) | ||||
アメリカ時代働いていたSatelLifeでの私たちの同僚で、今はボストンのバークリー音楽大学で教えているアメリカ人の友人は、写真を撮るのが趣味で、時々撮った写真を送ってきてくれる。年末にもSeason’s Greetingsメールに添付して、メイン州で撮ったハチドリと、ケープコッドの海辺で撮ったSanderling(ミユビシギ)という鳥の写真を送ってきてくれたので、ここに転載してみる。とても鮮明できれいな写真!こんなにきれいな写真を撮るなんて、きっと高性能の望遠レンズやカメラを使っているんだろうねと、エドソンは感心していた。彼女は長引くコロナ禍で去年もずっとリモートで教えていたのだけれど、今年は早くクラスに出て直接教えたいと言っていた。なるべく早くそうできるようになるといいなと願うばかり。
| ||||
2022年1月4日(火) | ||||
年末にエドソンがそれまで6~7年使っていたスマホを買い替えた。新しいスマホは何故か皆サイズが以前のものよりも大きくなっているので、なるべくこれまでのものと同じような大きさのものを選んだ。それでも大きいのでズボンのポケットに入れると鍵やお財布などと一緒になってポケットがパンパンに膨れ上がって大変らしかった。それで何か小さなカバンを買いたいと考えていたようで、ネットで探して見つけたものが次の写真のカバン。肩から掛ける、と言うか、身体に巻きつけるようなタイプなので、両手がふさがらずにフリーなところがいいらしい。小さいと言っても、結構大きいねと言うと、ネットで見た時は、小さい感じに見えたのだけれど、実際は思ったよりも大きかったというのがエドソンの感想だった。でも、結構気に入っているようで、以来、外出時には必ずこれを肩から下げて出かけるようになった。
| ||||
2022年1月5日(水) | ||||
日本のコロナ禍の状況は、ずいぶんと良くなっているようだけれど、年の瀬ぐらいからオミクロン変異株の感染が拡大し始めて、またぞろ自粛などと言われ始めている。でも、広島の兄夫婦はクリスマス前の数日間横浜で暮らす孫たちの発表会を見るためにずいぶん久しぶりに横浜に行ってきたらしい。その際の家族全員が揃った写真を送ってきてくれた。みんな元気そうで何よりと思った。4人の孫たちのひとりはインラインフィギュアスケートというのをずっとやっていて、他の3人はみなピアノをやっているのだけれど、同じ日の午前中にインラインフィギュアスケートの発表会があり、午後からピアノの発表会があるというスケジュールだったようで、忙しくも楽しい1日だったのかなと想像した。次の写真は、家族の集合写真。2枚目はインラインフィギュアスケートの発表会のもの。そして、2019年から2020年の年末年始はコロナ禍で、みんなが広島に帰省することを諦めたため、初めて子どもたちや孫たちのいない夫婦ふたりだけの年末年始を過ごしたようだけれど、今回の年末年始には帰省したため、久しぶりににぎやかな年末年始になったようだ。孫たちがとにかくにぎやかで、大騒ぎだったようだけれど、「幸せなことだとつくづく思います」と兄はメールに書いていた。
![]() | ||||
2022年1月6日(木) | ||||
庭の桜の木のところに置いた野性のランに花のつぼみができているのは以前写真を掲載したけれど、2本出ている枝のうちの右側の1本の花が満開になったので写真を撮ってみた。ちょっと黄色も混じっているけれど、茶色の花なので、離れた場所からは花が咲いていることがわかりにくい。でもたしかにたくさん咲いている。花の形はダンシング・レディーという名前の黄色いランと同じだけれど、こちらはとても地味な茶色。茶色のランの花なんて初めて見た。でもこれはこれでなかなかきれい。
| ||||
2022年1月7日(金) | ||||
大晦日にも関わらず仕事に来てくれたパラナは、元日と言っても別にやることなんてないからと言って、元日も息子と一緒に仕事に来てくれた。でも、大晦日から元日の未明にかけてここの人たちは家族や友人たち大勢で集まってドンチャン騒ぎのパーティーをするのが常なので、元日は寝不足と二日酔いで仕事にならないんじゃないの?と私が言うと、彼は脳梗塞だか何かの病気を数年前にして以来、お酒をいっさい飲まないクリスチャンになったらしいから、パーティーと言ってもあまり関係ないんじゃない?と、エドソンは言っていた。ちなみに彼の息子はうちのご近所のカロリナ・ソイルで働いていて、もう10年くらいになるのだそう。カロリナ・ソイルの仕事はかなりきついと聞いているけれど、せっかくの休日にお父さんに仕事に駆り出されて大丈夫だったのかなと思った。そして、「日本のトマト」と呼ばれているという果物をおみやげに持ってきてくれた。エドソンは見たことも聞いたこともないものだと言うので、恐る恐る食べてみたのだけれど、皮を剥くと、果肉の感じがトマトというよりも柿のようだと思った。中の種はパッションフルーツかグアバのように小さくコリコリしていて、トマトの種のようでもあった。そして、あまり甘くはなく、ほんの少し酸味があって、不思議な味だったけれど、悪くはない味だった。まあ、トマトと言えば言えないこともないかなというのが食後の感想だった。それにしても、日本にはこんな果物はないと思うのだけれど、どうしてこれが日本のトマトなんて名前で呼ばれているのだろう?
| ||||
2022年1月8日(土) | ||||
先日の夕方、台所のカウンターテーブルのところでエドソンとふたりでワインを飲みながらおしゃべりをしていると、スナックを食べ終わったはるとひろが、ベッドの中でぴったりとくっついている姿が可愛いと言って、エドソンが撮ったのが次の写真。ちゃんとカメラ目線なふたり。このベッドは普通居間の真ん中辺に置いているのだけれど、時々ひろが前足で蹴って動かして、とんでもない場所に移動させたりする。この日も居間に置いたソファーと壁の間の狭い場所に動かしていて、台所のカウンターテーブルからよく見える場所だったので、彼らの様子を楽しく眺めながら夕方のひとときをゆっくりと過ごした。ひろはベッドを意図的にどこかに移動させようと思って前足で蹴るのではないのだと思うけれど、私のコンピュータテーブルの近くに移動させたてみたり、先日など、気づいたらいつの間にか台所の冷蔵庫の前にベッドが来ていたのでびっくりしてしまった。
| ||||
2022年1月9日(日) | ||||
6日木曜日にエドソンがオンラインミーティングなどで話をしていると咳が出るようになったと言っていた。夕方熱を測ってみると37度ちょっとあり、夕食の1時間後くらいにまた測ってみると38度になっていた。でも熱っぽいという感覚はなく、ちょっと咳が出て、喉が少しイガイガする以外には特に症状はないらしいのだけれど、その晩は早くにベッドに入ってもらった。翌朝、熱は37度ほどに下がっていたけれど、夜中に起きた際はぐっしょり汗をかいていたということなので、検査に行った方がいいと話し合い、彼がいろいろ調べて、病院で長い列に並んで検査を待つよりも、町の薬局では時間を予約して80レアル支払えば検査をしてもらえることがわかり、午前中予約をしてエドソンひとりで検査に行った。帰宅すると「陽性だった」「Covidに感染していた」と言ってひどく落ち込んでいた。本当に残念だけれど、感染してしまったのなら、とにかく暖かくして横になって休んで、食事はしなくても水分補給をしっかりしなければいけないからと、下の事務所のソファーで毛布に包まって横になってもらった。昼食は、その前の日にたまたま見た野菜を煮込んで、ファイトケミカルがたっぶり出た野菜のスープ出汁を作って飲んでもらった。この日は夕飯にちょうど七草がゆならぬ、恒例の大根鶏がゆを作る予定だったので、それを作って食べた。食欲はちゃんと普通にあるのだけれど、ウィルスと戦っている時は胃に負担をかけない方がいいので、大根鶏がゆはちょうどよかった。私は金曜日は特に何の症状もなかったのだけれど、おそらくエドソンからもらって感染しているだろうと覚悟して遠赤外線のウォーマーでぬくもりながら早めに寝た。そして土曜日の朝、少し風邪のひき始めに感じることのある喉がちょっと腫れた感じが出始めたので、家事をしながらなるべく静かに過ごした。幸い熱は平熱。感染の原因はおそらく、大晦日にエドソンがボトゥカトゥのショッピングモール内の携帯電話会社に行って、新しく買ったスマホの不具合を直してもらうのに1時間以上かかり、複数の人たちが彼のスマホをいじりまくったので、家に帰ってスマホを消毒しようと思っていて、うっかり忘れてしまったこと。お店で時間をとられて正午少し前に帰宅したので、日本時間の新年を祝うのにぎりぎりセーフとう感じで、忘れてしまったのだと思う。まあ、今更何を言っても仕方がない。ふたりの症状から察するに、巷で広がっているオミクロン株感染のようだ。幸い症状はひどくないので、後はこれを悪化させることなく、なるべく早く回復させることに専念するしかない。 | ||||
2022年1月10日(月) | ||||
エドソンは金曜日の夜は喉が痛くて、咳が出て、よく眠れなかったと言っていた。私は金曜日の夜は普通に眠ることができたけれど、土曜日の夜は何となく身体がしんどいので、8時過ぎには寝た。ベッドに入るまではそれほど感じていなかったのだけれど、ベッドに入ると身体の節々が痛くて、頭痛もあり、眠れなかった。夜中の2時過ぎにトイレに起きた際、葛根湯を飲んでから横になると、身体の節々の痛みはだいぶ和らいだ。でも頭痛はまったく良くならずそのまま。朝6時にアスピリンを飲むと30分あまりしてようやく痛みが和らぎ始めた。私たちの状況がいつもと違うとはるとひろは何か感じているのか、寝る前にオシッコに行ってから朝までの時間が長時間に及んでいるのに、夜中にオシッコに起きることなく、朝私が起きるまでおとなしくしていてくれてとても助かった。7時に起きて、ワンコたちのオシッコとウンチのためのお散歩をした際は、一晩中頭痛と身体が痛くて眠れなかったのに、その痛みがなくなったことで身体がとても楽になり、寝不足の感じもしないくらいすっきりした感じだった。喉のイガイガはないのだけれど、喉の調子が普通でない感じはあり、たまに咳が出るというのがその後の私の症状で、家事でごそごそ動いていると頭がちょっと重たい感じはある。喉の左側と鼻の奥に炎症がある状態が続いている。エドソンは前ほどではないようだけれど喉が痛い状態が続いていたので、日曜日の朝食後にアスピリンを口の中で噛み砕いて、少しずつ飲み込むようにしてみたら、喉の痛みが取れたと言っていた。 | ||||
2022年1月11日(火) | ||||
日米開戦80年目の真実[WiLL増刊号]という番組で、馬渕睦夫氏がなぜ日米が開戦することになったかを前半と後半の2回に分けて話していたので、そのサイト2つにリンクをはってみる。 そして、つい最近、Youtubeでよく見ているHarano Timesさんが「日米開戦の責任は100%日本にある?日米開戦の真相、禁断のスピーチ|米歴史学者ヒッグス博士|2012」という動画をあげていたので、そのサイトにもリンクをはってみる。このサイトはこちらへ。 | ||||
2022年1月12日(水) | ||||
広島の友人が、1月9日に町内会で行われたという「とんど」の写真を送ってきてくれた。ここは彼女が毎朝参加しているラジオ体操が行われている同じ公園。午前11時に着火という情報をラジオ体操のシニア仲間から得て、出かけてみると、公園の入り口には小型の消防自動車1台が、万が一の為に待機していて、既に大勢の大人や子供が来ていて、こんなに町内会に人がいたのかと驚いたそう。着火の前にとんど準備委員長や町内会長らの短い挨拶があり、町内会太鼓同好会の大人と子供達の笛と太鼓や鉦の演奏があったのだそう。「パチパチと竹がはじける音が鳴り響き、ボウォーと竹の葉が燃え上がる炎の音を聞いた時には、普段コンロのガスの炎しか見ない私は少しばかりおじけづきました」と書いていた。時代が変わっても、今でもこうやって伝統行事を引き継いで行っている人たちがいるのはいいことだなと思った。準備は大変だろうけれど、これがこれからも受け継がれて行ってほしいというのが友人や私の気持ち。ちなみに、「とんどの呼び名は地方によって異なるが、その名のもと、日本各地で行われている古い歴史を持つ伝統行事である。 “とんど”は 正月に迎えた “神様” をとんどの火によって、お送りする。とんどの火にあたると家内安全 ・無病息災 ・五穀豊穣 が叶えられる」とネットの説明にあった。私もこの写真を見ながら、今年一年の家内安全と無病息災を祈った。まあ、現在オミクロンと格闘中なので、一日も早く回復したいということも一緒に祈った。こういういい写真を送ってきてくれた友人には感謝。
| ||||
2022年1月13日(木) | ||||
ブラジル唯一の邦字紙だったニッケイ新聞が昨年末に廃刊し、ブラジル日報として新年1月4日から新聞の発行を再開した。ネット上で見る限り多少の装丁は変わっていても、基本は変わっておらず、ブラジル社会ニュースと日系社会ニュースをネット上で読むことができ、助かっている。2022年1月12日付けで、「特別寄稿=帰国のご挨拶=意義深かったブラジル布教の報告 浄土真宗本願寺派僧侶 久保光雲」という記事があり、興味深く読んだ。この久保光雲という浄土真宗の僧侶の方は、2015年から西本願寺(浄土真宗本願寺派)の開教使として、また画家として、サンパウロ市で3年半、サンパウロ州西部のアラサツーバ市で3年間の計約6年半、「浄土真宗の信心を伝えたい」という目的で布教生活をされたそうで、数年前、ニッケイ新聞の記事で、移転新築されたモジ・ダス・クルーゼス本願寺の内陣に極楽浄土の絵を描いたことが紹介されていたのを思い出した。広島の人たちの大多数は浄土真宗で、うちも父方が浄土真宗なので、まったく知らないわけでもないけれど、深く触れることはなかったので、この記事を読んで、苦悶して信心を得る人たちもいるんだと思った。この記事のサイトはこちらへ。 | ||||
2022年1月14日(金) | ||||
玄関前の外階段の横の箱庭で咲いている黄色いダリアは、今年は本当に息が長く、花の数も多く、いまだにたくさんの花を咲かせてくれている。これまでに2回くらいこの花の写真を掲載しているけれど、ついついまた写真を撮って、掲載してしまった。毎日何度もこの階段を下りたり上ったりしているので、とてもいい目の保養になっている。昨年のクリスマスの週は珍しく雨が降らなかったのだけれど、クリスマスが終わると、12月最後の週は毎日雨で、元日だけは曇り空で雨は降らなかったものの、2日からはまた連日雨が降っている。1日降り続くわけではないのだけれど、日差しがほとんどないため、最高気温は25度くらい、最低気温が15度くらいで、気温が上がらず、この夏は何だか寒い。それに今、低温好きなコロナオミクロンと戦っていることもあって、なるべく暖かくして過ごそうと、夜は肌掛けだけでは寒いので毛布をかけ、昼間も冬のように厚着をして、とにかく寒くないようにして過ごしている。12日の水曜日は久しぶりに朝から日差しがあって、気持ちが良かった。そして、今日も朝からお天気が良く気温が上がる予報になっている。でも、こんなに頻繁に雨が降っていても、雨量的にはたいしたことはないようで、うちの森の泉は相変わらず枯れたままで復活していないとエドソンは言っていた。ただ井戸の水の方は何とか大丈夫なようで、今のところ水不足になっていないのはありがたい。
| ||||
2022年1月15日(土) | ||||
昨日の午後、エドソンとふたりでコロナの検査を受けに行ってきた。結果は、ふたりともまだ陽性だった。がっかり・・・。症状が完全には消えてはおらず、エドソンは喉の痛みはもうまったくないらしいのだけれど、時々咳をしていて、私は咳などはなく、これといった症状もないのだけれど、喉の奥と鼻の奥がクリアではない感じが残っているので、ウイルスがまだいるということらしい。100%症状が消えるまでは陰性にならないのかなあ~?どうすればウイルスを消すことができるんだろう?ニュースでオミクロン株の潜伏期間は3日とあったけれど、エドソンの場合、31日に感染してちょっと咳が出始めたのが5日なので、潜伏期間は5日なんだけれど・・・。その咳の頻度が増えて、熱が出たのが6日で、その次の7日の夜が一番症状がひどく、それから徐々に症状は軽減していった。私は喉が少し変だと感じたのは7日の夕方で、その翌日の土曜日の夜が一番しんどく、それ以降はひどくなることなく、ただ喉の奥と鼻の奥の炎症を感じるだけで、さしたる症状が出ることなく抑えることができていて、エドソンよりも早く症状が軽減していった。それなのに、まだウイルスがいて、人に感染させることができるのかと思うと、ちょっと滅入る。でも、症状がとても軽いことを感謝すべきなのかな?とも思う。 検査は町の薬局でやってもらうのだけれど、午後一番の時間での予約だったので、薬剤師さんがまだ来ておらず、来るまでお店の外で待っていると、その向かいのランショネッチでヒウド(アイスクリームの製造販売の事業をしている人)とジョゼ(電気工事のお店をしている人、彼の末娘が一時私の英語の生徒さんだった)がおしゃべりをしていたので、挨拶をして、エドソンがヒウドに奥さんは元気?と聞くと、先週亡くなったという返事で驚いてしまった。半年くらい前にガンで闘病中でかなり悪いらしいとは聞いていたけれど、先週亡くなっていたなんてと、思った。おしゃべりをしている際、ヒウドは涙は浮かべてはいなかったけれど、エドソンは彼の言葉の端々に彼の悲しみがヒシヒシと感じられたと言っていた。人生は辛いことや悲しみであふれているなあ・・・と、ちょっとやり切れない気持ちになった。 | ||||
2022年1月16日(日) | ||||
2022年1月13日付けのブラジル日報に、「ブエノスで45度超?!肌身で感じる気候変動」という、アルゼンチンを熱波が襲っているという記事があった。この記事サイトはこちらへ。 ブラジルでは北東部のミナス州やゴイアス州で何百もの市が水害で苦しんでいる一方で、リオ・グランデ・ド・スル、パラナ、サンタカタリーナの南部3州と中西部のマット・グロッソ・ド・スル州では、干ばつや熱波で453億レアルに上る農業被害が出ていると13日付けのブラジル日報の記事にあった。この調子だと、今年はここも干ばつに見舞われるかもしれないとエドソンは心配していた。 同じく2022年1月13日付けのブラジル日報には、ブラジル音楽に関するおもしろい記事があったので、リンクをはってみることにした。『コラム「日伯音楽交流史」=No.1=日本初のプレス盤ブラジル曲 坂尾英矩』この記事サイトはこちらへ。 | ||||
2022年1月17日(月) | ||||
手伝いのパラナたちが道沿いに作ってくれた畝が年末に降った激しい雨で一ヶ所崩れてしまったため、その崩れた場所から道を横切って水はけ用の溝を作ってもらったのだけれど、元日だったか次の土曜日だったかに来てくれた際、その溝に向けて雨水を流す畝を作ってくれたので、この日曜日の朝写真を撮ってみた。エドソンは、ここにこういう畝を作るつもりはなかったのだけれど、パラナが自分で考えて自発的に作ってくれたので、それを尊重して何も言わなかったと言っていた。
先月のいつ頃だったか、エドソンがパラナからもらった大きなピーナツを2つくらい鉢に植えて、食堂の窓際の棚に置いていたらそのひとつから芽が出てきて、とても大きくなってきているので写真に撮ったみた。普通のピーナツよりも大きなサイズのものだったので、さすがに芽も背が高く育つんだとびっくり。左側の鉢にはピーナツよりも前にガビロバか何かの種を植えたのだけれど、こっちの方はまったく芽を出す気配がない。
| ||||
2022年1月18日(火) | ||||
先日掲載したとんどの写真を見た別の友人が、自宅近くの神社でも毎年開催されていることを知り、行ってきたと写真を送ってきてくれた。とんどの高さは2~3メートルぐらいだったけれど、燃え上がったときは10メートルぐらい離れていても暑かったと言っていた。午後4時から始まり、最初に二人の神職の方が祝詞をあげて、その後点火。神社でのとんどはいかにも神事という感じで小規模でもいい感じだなあ。この友人は子どもの頃、実家の庭で「どんど焼き」と言って、お正月に書いた書初めや玄関のしめ縄やお正月飾りなどを焼いていたとも言っていた。うちは両親とふたりの子どもだけの核家族で転勤族だったので社宅住まいで、近くに親戚もおらず、こういう伝統的なことを自宅でするということはなかった。近所の神社とか町内会でとんどがあったという記憶もない。そういう経験がないのか、ただ私の記憶から抜け落ちているだけなのかよくわからないけれど、何だかちょっと残念な気もするなあ。
| ||||
2022年1月19日(水) | ||||
先週の土曜日にパラナと彼の息子がふたりで手伝いに来てくれた際、エドソンは午後から彼らに防風林の並木の下の方の、一番外側のセドリーニョの足元の枝を払ってもらった。下の方の枝は陽が当たらないため、枯れて茶色くなっていたので、それが取り払われてきれいになった。1枚目の写真は、その切り払われた状態を近くから撮ったもの。2枚目の写真は、家の前の外階段を上がりきったところから防風林の向こうに見える離れを撮ったもの。セドリーニョの足元の枝が切り払われたので、木々の間から離れがよく見えるようになった。3枚目の写真は、撮影場所を庭の桜の木まで行って、さらにアップで撮った防風林と離れ。
| ||||
2022年1月20日(木) | ||||
私たちふたりのオミクロン感染による喉の奥と鼻の奥のわずかに残る炎症がなかなか解消しないので、エドソンがいろいろ調べて、月曜日の午後、薬局に薬を買いに行った。帰宅すると、検査の結果陰性だったとうれしそうに話すものだから、薬を買いに行ったのではなくて検査をしに行ったの?と思った。どうやらたまたま薬局に行った際、その時間に検査を予約していた人が急にキャンセルになったから検査してあげられるけれど、しますか?と言われて、やってもらったのだとか。その3日前の金曜日はまだ陽性でがっかりしたのだけれど、多少でも症状があると陰性にならないのかなと思っていたので、ああ、良かったと思った。それで、水曜日にエドソンが食料品の買出しに行く時間帯に私の検査の予約を入れてもらって、一緒に町まで行くつもりでいたのだけれど、オミクロン感染者の数が増えていて、毎日検査の予約が詰まっているらしく、予約を取ることができず、私の検査はまだできないでいる。エドソンが買ってきた消炎作用のある薬で喉の奥と鼻の奥のわずかな炎症も、今はだいぶ消えているので、まあ焦ったことはないと思っている。ちなみにエドソンが買ってきた2種類の薬のひとつがAdvilだったので、これって痛み止めじゃない?と聞くと、痛み止めにもいろいろあって、これには消炎作用があるんだと言っていた。そして、飲んでみるとしぶとく残っていたわずかな炎症がほぼ消えた感じになったので、なるほどそうだねと思った。 | ||||
2022年1月21日(金) | ||||
この夏は連日の雨で気温も低いと以前書いたけれど、今週も毎日一度は雨が降るものの、日差しが出ている時間も結構あって、気温が上がり始めた。そして、これまでの雨は雷や暴風を伴わないものが主だったのだけれど、今週は雷を伴う激しい雨が降るようになった。何度も書いているけれど、ここは雷が一番怖い。火、水、木とほぼ1日お天気が良く気温が上がり、久しぶりに雨が降らないと思ったら、夜になって、雷を伴う激しい雨がザーザーと降り、夏の雨に変わってきたように感じる。そして、水曜日の夕方、今日は1日いいお天気で暑くなったなあと思っていると、午後7時頃、家の西側や北側の背の高いユーカリの木々が久しぶりに夕陽を浴びて赤くキラキラ輝いていたので、写真を撮ってみた。家の西側のユーカリの木々は、以前は居間のソファーにゴロンと横になって窓からこのキラキラが眺められたのだけれど、今ではすごく背が高くなってしまったため、居間のソファーから見えるのは木の下の方だけで、上の方は見えなくなってしまっている。このユーカリのキラキラが見えるのは夏の夕方限定なので、ああ、また見ることができたと、少しうれしくなった。そして、木曜日の午後4時、検査の予約が取れたので行ってきた。その結果は陰性。ほっとした。
| ||||
2022年1月22日(土) | ||||
次の写真は、コロラドで暮らしているアメリカ人の友人がメールに添付して送ってきてくれたコロラドの雪景色。寒い日が続いている時にこの写真を見たら、さらに寒々とした気分になったかもしれないけれど、このところ毎日暑くなってきているので、ちょっと涼しげでいいなと思った。人の感覚なんていい加減なものだなと思う。洪水に干ばつ、大雪に熱波。これらが今、同時に地球上のあちこちで起こっているのだから驚きだ。
| ||||
2022年1月23日(日) | ||||
木曜日の午後、パーディーニョの薬局で検査を受けて私の陰性が確認されたので、その足で、エドソンとふたりですぐ近くのモラエス家具店に行った。離れの寝室に置くベッドと、ベッドサイドにランプが置けるように小さなテーブルのような棚と、タンスを買った。翌日の金曜日の午後、モラエス家具店がそれらを配達して、組み立ててくれた。次の写真は、トラックから荷物を下ろして離れに運んでくれているところ。2枚目の写真は、寝室の中に入れたベッドの上で、ベッドサイドの棚テーブルやタンスの組み立てを始めてくれているふたりのスタッフさん。
次の写真は、組み立てが終わり、部屋の真ん中のベッドと、ベッドの両サイドに置いた棚テーブルを撮ったもの。ブラジルではベッドの大きさは一人用はシングルを意味するSolteiroと、二人用はカップルとかペアを意味するCasalが一般的なのだけれど、CasalはQueenサイズよりも20センチも幅が狭いので、二人で寝るのはちょっと窮屈。ブラジルの人は太った人が多いのに、よくこの狭いCasalサイズのベッドで寝れるなあと思う。それで、離れの寝室用に買ったのはQueenサイズのベッド。2枚目の写真は、完成したタンスを撮ったもの。これで窓のカーテンとカーテンポールを買って取り付け、ベッドシーツ、毛布、掛け布団などを買い揃えれば、寝室はほぼ完成する。あともう少し。
| ||||
2022年1月24日(月) | ||||
ブラジル日報の2022年1月22日付けの記事に、「在住者レポート=アルゼンチンは今3=相川知子=1万5千人が訪れる盆踊り大会=コロナ3波で今年も断念=再開待ちわびる人々の声」というのがあった。アルゼンチンはブラジルよりもずっと日系人口が少ないけれど、それでも盆踊り大会があるんだと、少し驚いた。ブラジルでも日系人の多い町では盆踊り大会が行われる。ブラジルに来て間もない頃、サンパウロ市の北、車で1時間弱のアチバイアのデマーコとシオック夫婦を訪ねた際、ちょうど町で盆踊り大会が行われていて、少し顔を出してみたのだけれど、大勢の人たちが集まって、楽しげに踊ったり、焼きそばなど日系の婦人会の人たちが作った食事を楽しんでいたなあと思い出した。でも、日本の盆踊り大会とはかなり様子が違っていて、普通の盆踊りの曲もかかっていたけれど、テンポの早い曲に合わせて若い人たちがやぐらの回りをぐるぐる回って踊るという「祭りダンス」と呼ばれる踊りを踊っていたりした。私たちにとって数少ないとても親しい友人だったデマーコとシオック夫婦は、数年前にふたりとも相次いでガンで亡くなってしまい、もういない。寂しいことこの上ない。この記事のサイトはこちらへ。 | ||||
2022年1月25日(火) | ||||
広島の友人が「一読・十笑・百吸・千字・万歩」というのを最近知ったので、ラジオ体操仲間のシニアに言ってみたら既にご存知で、「へーこれってもしかしてシニア間では周知の事項だったのかと思った」とメールをくれた。私は初めて聞いたけれど・・・。彼女は今のところ「百吸」だけは毎日出来ているけれど、「一読」はこの7日間で1日だけ出来たものの、一人暮らしで在宅勤務の今「十笑」は至難で、それでも毎朝ラジオ体操のシニアと「二笑」か「三笑」はしているとあった。でも「千字」「万歩」達成はなかなか手強いらしい。一方私は、朝晩ベッドの上で横になって目にホットタオルを当てるので、その間腹式の深呼吸をしているので、百吸はクリアしているけれど、ワンコたちやダンちゃんたちを見ていて、フフフと笑うことは1日に何回かあっても、ワッハッハと笑うことはあまりないし、ワンコたちとのお散歩もそんなに距離を歩かないので、十笑と万歩はちょっとハードルが高いかなと思う。一読というのは本ではなくネット上のニュースを読むのでも良ければクリアしている。千字というのも手書きではなくもっぱらキーボードを打つだけなのだけれど、それでも良ければクリアかな?と思った。友人が送ってきてくれたこの言葉の簡単な説明のサイトはこちらへ。 | ||||
2022年1月26日(水) | ||||
次の写真は、月曜日にパーディーニョの町のジョゼの衣料品店で買ってもらった私の室内用のスリッパ代わりのサンダルと、外用の靴。日本に一時帰国した際に買ってくる室内用のスリッパはすぐダメになってしまうので、これまでスリッパを何足捨てたことか。ここ数年はこのお店で買った柔らかい靴を履いてスリッパ代わりにしていた。でも、それももうだいぶ古くなりくたびれてしまって擦り切れてヨレヨレになっていたため、ずっとスリッパ代わりのサンダルがほしいと思っていたものの、コロナ禍でずっと買い物に出ることができず、我慢が続いていた。それを今回ようやく買うことができたのでとてもうれしかった。外用の靴は、ワンコたちとのお散歩などで敷地内を歩き回る際は、エドソンのお古のスニーカーを履くのだけれど、ちょっと洗濯物を干しに出たり、ダンちゃんや鶏たちに餌をやりに出たりする際は、日本で買ってきたいわゆるつっかけを使っていた。でもそれも古くなり、ボロボロになり崩壊寸前になっていたので、今回、履いたり脱いだりが簡単なスリップオンのものがあったら買おうと思っていた。ちょうどいいデザインのものがあったのだけれど、大きなサイズがなくて、普通の靴になってしまった。ただ、この靴は靴べらや指を使わなくても、つま先をトントンとすれば履ける靴だったので、これを買ってもらった。エドソンはジーパンを一着買った。隣町のボトゥカトゥまで行かなくても、ある程度の衣料品や靴がこのお店で手に入るのは、本当にありがたい。
| ||||
2022年1月27日(木) | ||||
先週モラエス家具店でベッドなどを買った際、食器や調理器具などを入れる食器棚なども買いたかったのだけれど、置く場所の寸法を測っておくことを忘れたため、どのような大きさの物を買えばいいか自信がなく、寸法をちゃんと測ってから、この月曜日に出直した。そして、買ったものを翌日の火曜日に配達して組み立ててくれたので、写真に撮ってみた。1枚目の写真は、台所のガスレンジの左側と、冷蔵庫の右側に食器棚が収まったところ。2枚目は、居間のソファーの反対側の壁に置いた棚。この上にテレビを置こうかな?と、考えている。
そして、エドソンがネットで注文しておいたベッドサイドに置くランプが、同じ火曜日の午後届いたので、寝室の所定の位置に設置して撮ったのが、次の写真。
| ||||
2022年1月28日(金) | ||||
先日、食堂の窓際の棚に置いたアメンドイン(ピーナツ)の苗が育っている写真を掲載したけれど、今週、黄色い花がひとつ咲いたので、写真を撮ろうと思っていたら、午後にはしおれてしまっていたので写真を撮るタイミングを逃してしまった。そうしたら2日後にまたふたつ花が咲いたので、今度はすぐに写真を撮ってみた。足元の左後ろと右前に小さな黄色い花が咲いているのが見えるだろうか?右前の花のさらに右に小さな黄色いものが見えるけれど、これは一番最初に咲いて、しぼんだ花の残骸。
| ||||
2022年1月29日(土) | ||||
うちには家の前の庭と、丘の上の貯水タンクの横にクアレズマの木があり、今たくさん花を咲かせている。森にもクアレズマの木が何本かあるのだけれど、それらは森に下りて行く用事がないと目にすることはない。でも、庭のクアレズマは家の中からでも見えるし、丘の上のクアレズマはワンコたちとのお散歩コース上にあるので、毎日目にすることができ楽しませてもらっている。お隣のコーヒー農園の入り口ゲートから家に向かう道沿いのクアレズマも花が咲いていて、お散歩で丘に上がるとお隣のクアレズマの並木が遠くに見える。1枚目の写真は、庭のクアレズマ。2枚目の写真は、丘の上のクアレズマ。3枚目の写真は、丘の上から撮ったお隣のコーヒー農園のクアレズマの並木。このクアレズマの並木の向こうに見える土地は、また別の人の所有地で、とうもろこしを刈り取った後なのか、新たに種を蒔いた後なのか、裸の土地しか見えない。
| ||||
2022年1月30日(日) | ||||
木曜日の午前中、ボトゥカトゥのデパートアヴァンに買い物に行った。離れの寝室のカーテンやベッドシーツや枕や毛布など、細々したものをいろいろ買った。枕は種類が多すぎてどれを買ったらいいかと悩んでいたら、何と低反発の枕があったので、それを買った。私たちが今使っている枕は東京で暮らし始めた時に買った低反発枕で、もう20年以上使っているので、だいぶくたびれてきてしまっている。でも、低反発枕に慣れているため、普通のフカフカ枕を買って使う気にはなれないし、ブラジルで低反発枕なんてこれまで見たことがなかったので、古くなってもそのまま使い続けていた。でも、今回とてもいい発見をしたので、今度買い物に行った際に、私たち用に新しい低反発枕を買おうと思った。とてもうれしい発見だった。そして、帰宅後昼食を食べて、ワンコたちのお散歩を済ませた後、エドソンがカーテンポールとカーテンを取り付けてくれている間に、私は先週台所の食器棚が届いた際、汚れてしまった床など、寝室以外の部屋の掃除をした。カーテンの取り付けが終わってから、カーテンポール取り付けで汚れた寝室の掃除をして、ベッドメーキングをした。これで何とか必要最低限のものが揃い、いつでも宿泊可能になった。このコロナ禍では誰も訪ねてきたりはしないことはわかってはいるけれど、少しずつ準備を進めて行くこと自体に何だかウキウキ、ワクワクして、楽しませてもらった感じだった。1枚目の写真は、その出来上がった寝室。カーテンはもう少し濃い色の方が光をシャットアウトできたかな?と、思ったけれど、まあいいかとも思った。日本のようにUVカットするようなカーテンなんてここにはないのだから仕方がない。2枚目の写真は、テーブルクロスとランチョンマットを敷いた台所のダイニングテーブル。ランチョンマットはアヴァンで買ってきたもの。テーブルクロスは大昔に誰かからいただいたものを、ずっと使うことなく、そのまま日本から持ってきて仕舞い込んでいたのだけれど、このダイニングテーブルはガラスなので何か敷いた方がいいだろうと考え、正方形なので、大きさと形がちょうど合うかなと思い、今回ようやく使ってみることにした。
| ||||
2022年1月31日(月) | ||||
次の写真は、森の北側にたくさん植えたカエデの木が大きくなって、森の一部になってきている様子(画面左側)と、その右側にたくさん植えたマンジォカ芋の木が大きくなっているのを撮ったもの。マンジォカ芋の側にエドソンがオクラの種も蒔いて、芽が出てきていたのだけれど、何かに葉を落とされてしまい、茎だけになっていたり、まったく姿を消してしまっているのもあって、オクラはうまく育っていない。
次の写真は、上の写真を撮った場所のさらに右側のエリアで、種を蒔いたとうもろこしが元気に芽を出して育っているのを撮ったもの。画面上部の背の低い緑は、マンジォカ芋の木。うちでは敷地内のあちこちにマンジォカ芋を植えて育てている。
|
Home | Copyright (C) 2009 Kyoko Yoshida | Next |