Kyoko Yoshida Life in Brazil BLOG 

2021年10月1日(金)

次の写真は、パラナ州カストロにお住まいの蓼沼さんが送ってきてくださったもの。カストロの日系人協会の会館の敷地内の桜並木。この敷地内には蓼沼さんたちが植えて、丹精込めて育てられたいろいろな種類の桜がたくさん植えられている。去年、ドライブスルーで行われた桜祭りの様子の動画を送ってきてくださったけれど、とにかく広い敷地内にはたくさんの桜の木があり、それらが満開に花を咲かせていたのには感心してしまった。蓼沼さんからいただいて地植えにした陽光桜の1本に先月花が少し咲いたので、その写真をお送りしたら、「きれいに咲きましたね。安心しました」という返信があり、この写真が添付されていた。

2021年10月2日(土)

広島の友人が、お店で桑の葉を見つけたから買ったと言って、その写真を送ってきてくれた。桑の葉を乾燥させた桑の葉茶はネットで検索すれば見つかると思うけれど、新鮮な桑の葉がこんな風に販売されるようになったんだ、と驚いた。しかも親切に効用(糖尿病の予防改善、高血圧の改善、中性脂肪値やコレステロール値を下げるなど)や有効成分や利用法まで書いた紙が張られている。まあそうしないと桑の葉のことを良く知らない人は買わないだろうから、いいアイデアだなと思った。広島県三原市産とあるので、地産地消の商品ということになるかな?この友人はご近所の川沿いにある桑の木の葉や実を季節になると少し採ったりしているようだけれど、赤くなった実は鳥達と競争だろうと思うし、常にきれいな新芽の葉があるわけではないだろうから、ほんの一時期の楽しみということかな。

2021年10月3日(日)

ベランダで暮らしているめいは、鎖を長い物に変えてから動ける範囲が増えたので、側に来たダンゴーラたちを追いかけてみたり、芝生の上や外ベランダでゴロンと横になったり、居場所やできることの選択肢が増えた。でも、どうやら一番好きな居場所は、次の写真のように椅子の下と椅子の上のようだ。以前ベランダには4つの椅子を置いていたのだけれど、2つは下のセミナールームに移動させ、1つは家の中の居間の隅に移動させ、この1つだけはめいの椅子として、ベランダに置いてめいに使ってもらっている。ご飯の時間になるとはるとひろはワンワンと吠えて大騒ぎをするのだけれど、その声が聞こえると、そろそろご飯だとわかるらしく、めいは玄関扉の前で玄関の方を向いて座って、私が食事を持って出てくるのをいつも静かに待っている。その姿が健気でとてもかわいい。そして、ドッグフードを彼女の食事の容器に入れてあげると、お座りをして静かに食べ始め、食べ終わると、芝生の上に行って腰を下ろして日差しを浴びながらまったりとしている。

2021年10月4日(月)

ダンゴーラのダンちゃんたちは、日がな一日家の回りや敷地内を歩き回って何かをついばんでいる。時々、庭(シュハスコ小屋の後ろの方)で動かず静かに日向ぼっこをしているように座っていたりすることもあるけれど、入り口ゲート近くの西隣りのコーヒー農園の中に入り込んだり、家の南側の三角地帯からお隣の森の中に入り込んだりと、彼らのテリトリーは結構広い。先日離れに用事があって行って戻ると、家の前の庭の桜の木の下辺りから西に移動しつつあったので、写真を撮ってみた。その後彼らは南に庭を下りて行き、三角地帯に入って行こうとしていたので、玄関に入る前に、その写真も撮ってみた。彼らは私を見ると駆け寄ってくることもあるけれど、この写真を撮った時のように、私にかまわずそぞろ歩いていることもある。彼らがそぞろ歩いているのを見ると何だかのどかだなあと思い、ほっこりする。でも、エドソンは、「ダンちゃんたちは僕のことが嫌いなんだ。外に出た僕を見ると、いつもアラームのようなけたたましい声で大騒ぎをするんだ」と言っていた。どうしてだろう?頻度は少ないけれど、エドソンだって、たまに彼らにエサをあげるのに。

2021年10月5日(火)

先日、エドソンは次の写真の実を私に見せて、これ何だと思う?と聞くので、はて?何だろう?と匂いを嗅ぐと、何だかちょっと甘い匂いがする。わからないと言うと、手伝いのパラナが見つけた梅の実だと言う。家の南側の三角地帯にある2本の梅の木は年に一度花は咲くのだけれど、これまで実がなったことはなかった。それでエドソンは切ってしまおうかなどと物騒なことを言い始めたので、家に松竹梅の木があるのは縁起がいいことなんだから、実はならなくても花は咲くのだし、切ってはダメと私は言っていた。そんな中で見つけた梅の実だったので、びっくりするやらうれしいやら。翌日、他にも実がなっているのだろうかと思い見に行ってみたのだけれど、まったく見つからなかった。たったひとつだけ実がなったのか、その他の実は気づかないうちに落ちてしまったのか、わからないけれど、「桃栗三年、柿八年」と言うように、実がなるまでには何年もかかるのが普通なのだろうから、うちの梅もようやくそろそろ実をつける年頃になったのかもしれないと思った。でも、このたったひとつの梅の実をどうしたものか?と思っていたら、エドソンが半分ずつ食べてみようと言うので、半分に切って食べてみた。酸っぱいような甘いような悪くない味だった。ジュースにしたらおいしいかもとエドソンは言っていた。日本のスーパーなどで梅酒や梅干し作りのために販売されている梅の実よりも小さいこの梅の実は、小梅に分類される感じかな?

2021年10月6日(水)

昨日は梅の実の写真を掲載したけれど、今日は今たくさんなっている桜の実の写真を撮ったので、それを掲載することにした。以下の写真の木は、ランドマークの木の西側の道沿いの桜並木の木を撮ったもの。地面にも熟れた実がたくさん落ちている。とても複雑なメロディーで鳴くサビアーという鳥がこの実が好きなようで、実を採ってはさっと飛び去るところを良く見かけると手伝いのパラナが言っていた。桜の花が咲いている時期は、ミツバチのジャタイや他の蜂たちが一日中花の回りを飛び回っているし、桜の木々は鳥やミツバチたちのために大いに貢献しているなと思う。

2021年10月7日(木)

昨日の朝、家事やストレッチの合間、合間に、ブログをアップしたり、ニュースをチェックしたりしていたら、KK母を告発するための準備を進めていたジャーナリストの篠原常一郎氏が、KK母を詐欺罪で訴える告発状を東京地検に提出したという速報がYoutube上にあった。10月初旬には準備ができると言っていたけれど、言葉通りの行動に感謝。ここまで来たからには東京地検特捜部には無視せず動いて、KK母を逮捕してほしいと願っている。それができなければ日本は法治国家とは言えないとんでもない国になってしまったことになる。この動画サイトはこちらへ

2021年10月8日(金)

発電の半数以上を石炭による火力発電所に頼っている中国では、石炭不足のため十分な発電ができず、このところ全国的な停電が起こっているそうだけれど、ブラジルでは石炭による火力発電はなく、火力発電はガスなのだという。そしてブラジルの発電の主力は水力発電というかなりエコな状況なのだけれど、エコな発電はお天気に左右される。夏からずっと雨不足なので、サンパウロ州内にたくさんある水力発電所の内のいくつかは水がなく発電が止まっているとエドソンが言っていた。先月ある日の午前中、突然、停電になったり戻ったりの不安定な状態を繰り返してから結局停電したことがあった。こういう電流が不安定な時は電気機器や電子機器が壊れたりするので、すぐにコンセントを抜いて、電気が完全に戻るまで、台所仕事をしながら待った。このおかしな停電が電力危機と関係があったのかどうかはわからないけれど、発電量が減っているのは事実なので、給電のやりくりでアタフタしている結果起こったことだったりして・・・なんて想像した。そして、10月に入りようやく、雨がよく降るようになった。この雨で水力発電所がどれくらい潤ってきているのかわからないけれど、少なくともうちの水の供給状態はこの雨のお陰で、またしばらく大丈夫そうになったので、ありがたいことだと思っている。

玄関前の外階段沿いのサツキはしばらく咲き続けていたけれど、数週間前に花が終わった。一番右側のサツキの咲き始めが一番遅かったので、一番遅くまで咲いていて、その花が枯れて茶色くなっていたのだけれど、このところまたピンク色が濃くなってきたので良く見ると、またたくさんつぼみをつけている。一旦終わって、また咲くんだと思って写真を撮ってみた。

2021年10月9日(土)

10月7日付けのDaily WiLL Onlineに、『眞子さまの「複雑性PTSD」は国民のせい?―反皇室プロガンダに利用される懸念【橋本琴絵の愛国旋律㊹】』という記事があったので、以下にリンクをはってみる。この記事のサイトはこちらへ。ちなみに、このような重篤な精神疾患があると、アメリカのビザは取れないというニュースもYoutube上にあった。国民からの危惧や疑問の声を抑えようとして墓穴を掘ったことになるのだろうか?

この記事の目次は以下の4つ。
・暗に皇室を危惧する国民世論を批判
・問われる診断理由の妥当性
・「PTSD」と「複雑性PTSD」は違う
・反皇室プロパガンダ「準備」の可能性

そして以下は、記事の最後にあっ筆者略歴
橋本 琴絵(はしもと ことえ)
昭和63年(1988)、広島県尾道市生まれ。平成23年(2011)、九州大学卒業。英バッキンガムシャー・ニュー大学修了。広島県呉市竹原市豊田郡(江田島市東広島市三原市尾道市の一部)衆議院議員選出第五区より立候補。日本会議会員。2021年8月にワックより初めての著書、『暴走するジェンダーフリー』を出版。

2021年10月10日(日)

今年もランドマークの木に花が咲いた。木の側に行くと、風でハラハラと白い花びらが落ちてきて、ちょっと雪が降っているような感じがする。1枚目の写真は、ランドマークの木全体を撮ったもの。見えにくいかもしれないけれど、黄緑色の若葉とうっすら白い花が木全体を被っている。2枚目の写真は、その花をアップで撮ったもの。この写真を撮った日の朝は雨だったので、開いていた花は落ちてしまったのか、写真で見るとつぼみばかりが見える。3枚目は、木の足元にびっしり落ちている白い花びらを撮ってみたのだけれど、ちょっと見えにくいかな?このランドマークの木に咲く花は、派手さはないけれど、花びらが舞い、地面を白く埋めるので、その威風堂々な姿同様に存在感があるなと思う。

2021年10月11日(月)

10月9日付けのニッケイ新聞の記事に、「《ブラジル》コロナ死者が60万人突破=感染拡大明らかに減速=気になる死因未特定者の増加」というのがあったので、以下にリンクをはってみる。この記事のサイトはこちらへ。コロナによる死者がついに60万人を越えた。この数は世界で2番目に多いのだけれど、1番は70万人超のアメリカ。でも、死因がはっきりと特定されていない死者も結構いるようで、それらがコロナによる死だったのなら、死者の数はもっと増えるということのようだ。ただ、このところ新規感染者や入院患者はかなり減ってきているというのは、いいニュース。パーディーニョでは現在、自宅隔離の人が2名と、検査結果待ちの人が2名で、入院患者はいないというのが病院からの情報。

2021年10月12日(火)

今日は、「ノッサ・セニョーラ・アパレシーダ」という祝日。エドソンは平日在宅で仕事をしているけれど、私は以前やっていた英語のプライベートレッスンをすべて止めてしまっているので、平日も休日も何も変わらない引きこもり生活。時々、「今日は何曜日だったっけ?」と思うことがある。だから祝日だからと言って基本何も変わらない。ただ、この金曜日にボトゥカトゥに買い物に行ってくれたエドソンの話だと、今日の祝日を入れて、土、日、月、火の4連休を取る人が多いらしく、サンパウロからボトゥカトゥに遊びに来ている人たちで、町はいつになく車が溢れていたそう。ちなみに、「ノッサセニョーラアパレシーダ」を英語に直訳すると、Our Mrs. Aparecidaとなるのだけれど、ネット上で見つけたこの言葉の説明を以下にコピーしてみる。『アパレシーダとは、ポルトガル語の動詞である「aparecer=アパレセー」の過去分詞「aparecida=アパレシーダ」に由来します。(褐色の)聖母マリア像がブラジルのパライーバ川から「姿を現した」出来事が、形容詞的用法でノッサセニョーラアパレシーダとして定着しました。アパレシーダが褐色になった理由ですが、パライーバ川の濃い川の色説や、長年のお祈りでのロウソクの煤説など諸説あります。したがって、数あるカトリック諸国の中でもブラジルにしか存在しない“褐色の聖母”なのです』その褐色の聖母の像が以下の写真の像。自宅でこの像を飾っている家庭は非常に多い。そして、この聖母の名をとって、女性はアパレシーダ、男性はアパレシードという名前の人たちも普通にいる。

次の写真は、その褐色の聖母が祭られている大聖堂で、多くのブラジル人が巡礼に詰め掛ける聖地。ブラジルのバチカンのようなところと言っていいのかな?パーディーニョなどからもバスを貸しきったりして、同じ教会の人たち同士や友人や家族などのグループで、ここに巡礼に行く話をよく聞く。年に一度は行くという人たちもいるようだ。

2021年10月13日(水)

この日曜日にエドソンに手伝ってもらって(と言うか、手伝うのは私の方で、作業の主力はエドソンなのだけれど)、台所の水のろ過器の掃除をした。ろ過器の外側はカビが生えてくるので、週に一度程度洗剤で濡らした雑巾で拭いたり、漂白剤で拭いたりするのだけれど、ろ過器の中から外まで掃除をするのは年に一度くらい。汚れが気になり始めたらやっている。今回はだいぶ汚れてきていたので、「やらなきゃね」と思いながら先延ばしにしていて、ようやくエドソンにお願いしてやってもらった。今年になってから、水源を森の湧水から井戸水に変えたため、水質がだいぶ良くなっているので、これでしばらくは大丈夫そう。このろ過器でろ過した水は飲み水と調理用の水として使っている。マナウス在住の陣内さんの話だと、50年前、最初に暮らし始めたベレンでは、水道からアマゾン河の茶色い水がそのまま出てきていたそうで、素焼きのツボ(つまり、うちで使っているのと同じ水のろ過器)に入れて濾し、それをコーヒの濾し紙で濾して沸かして飲んでおられたそう。ミネラルウォーターなんてものはなかった時代。洗濯槽の蛇口にもサラシの布で袋を縫ってかぶせていて、その小さな袋を縫うのが日課だったと言っておられた。時代を感じるなあ。そして陣内さんのお話の中でさらに驚いたのは、「お金持ちは衣類の洗濯をポルトガルまで送っていたそうです」とあり、信じられない思いだった。

2021年10月14日(木)

入り口ゲート近くのコーヒー農園との境の柵沿いに3本のジャメラオン(Jamelao)という木の苗木を何年前だったかなあ、ずいぶん前に植えた。そのうちの1本は育たず、2本が元気に育っているのだけれど、この2本の木が今年始めて花芽をつけたので写真を撮ってみた。とても小さな花芽なので見落としそう。そして、2枚目の写真は、一部咲いているその花を撮ったもの。こんな小さな花なのだけれど、紫色の実をつけるのだとエドソンは言っていた。そして、ネット上で見つけたジャメラオンの実の写真を送ってきてくれた。種が大きいところは違うけれど、ちょっとぶどうみたいだなと思った。この実は食べることができるらしい。

2021年10月15日(金)

パーディーニョは小さな町なのに、大きさの大小はあるけれど、スーパーマーケットが5つもある。うちではその内の町の中心にあるパーディネンセというスーパーをずっと使っているのだけれど、野菜の種類が少ないのはどこも同じで仕方ないとしても、何故か仕入れたばかりという野菜でも新鮮でないことが多いので、エドソンはいつも頭を抱えていた。いつだったかお店の中年の女性スタッフに苦情を言ったところ、お店には内緒と言って、マックスフェファー文化センターの側のメルカド・ノヴォなら新鮮な野菜が手に入りますよと教えてくれたのだと言う。それで行ってみると、その言葉通り、新鮮な良い野菜を販売していたので、以来、まずそちらに行って、そこで手に入らなかった商品をパーディネンセに買いに行くようになった。いつだったか欲しいものがあったら仕入れてきますよとそのお店の人が言うので、ほうれん草とふじりんごが欲しいとエドソンが伝えると、翌週、仕入れてきましたと彼に連絡が入った。その週は買い物に出る予定ではなかったのだけれど、せっかく仕入れてくれたのだからと言って、エドソンは出かけて行った。するとその後、毎週ほうれん草を仕入れましたと連絡があるため、毎週1束600~700グラムくらいのほうれん草を2束買うことになってしまい、毎日おひたしにして食べるだけでは消費が追いつかなくなってしまった。それでお料理の本にあったほうれん草のオムレツグラタンというのを作って、一度に一束使い切ってみた。レシピではお肉は入っていないのだけれど、エドソンはお肉が入っていた方だいいだろうと思い、少量残っていた挽き肉を入れてみた。それでも、まだ冷蔵庫には3束もあるので、ほうれん草を買うのをちょっと控えてくれないかなあ~、買うとしても2束ではなくせめて1束にしてくれないかなあ~、などと思っている。次の写真は、そのほうれん草のオムレツグラタン。もう少し厚みが出るはずだったんだけれど、薄いのは、茎も使うと量が多すぎるかと思い、葉だけを使ったので、結果、ほうれん草の分量が少なかったのかな?

2021年10月16日(土)

10月に入り、ほぼ毎日のように雨が降っているので、ひょっとしてタケノコが芽を出しているかもしれないと思い、入り口ゲートに向かう道沿いのエリアや家の東側の庭を見てみると、家の東側の庭に数本芽が出ていた。それで3本ほど採ってエドソンに見せると、入り口ゲートに向かう道沿いよりも少し下のエリアにも1本芽が出ていたよと言っていた。後で見に行ってみようと思っていたら、少ししてからエドソンが採りに行ってくれた。そのタケノコは東側の庭で採れたものの2倍以上の大きなものだった。次の写真は、今年初採りのタケノコ4本。2枚目の写真は、採った翌日に茹でて、豚肉と一緒に煮て作った土佐煮。この日の夕飯にこの土佐煮を食べながら、「我が家で採れたタケノコで、こうやって食事ができるなんて贅沢だよねえ~」とか、「僕はタケノコの味が好き。ひょっとして前世はパンダだったのかな?」などとエドソンが言うので、笑ってしまった。これが普通のブラジル人だったらこんなにタケノコ料理(しかも和風のもの)を喜ばないだろうけれど、エドソンは喜んでくれるので、夫婦の食事の好みが合っているのって大事だよねと今更ながらに思った。

2021年10月17日(日)

15日(金)にエドソンが買い物のついでに郵便局に寄ってくれたため、今月5日に発送された楽書倶楽部第60号が届いていた。以下は、その号に掲載された私の文章。この文章を書いた後で、薪ストーブのボヤ騒ぎがあったのだけれど、書きあげる前だったら、気持ちが落ち込んで、とてもじゃないけれど、こんなのんきな文章は書けなかっただろうなと、今更ながらに思った。

南極おろし

ブラジルは南半球の暑い国と思っている人たちには不思議なことかもしれないけれど、国土が日本の二十三倍近くもある大きな国なので、ブラジルでもサンパウロ州から南の州は、冬季に厳しい寒さに襲われることがある。私が暮らすサンパウロ州パーディーニョという小さな田舎町は、標高千メートル近い丘陵地帯に位置していて、ブラジルでは珍しい地中海性の穏やかな気候に恵まれている。そのお陰で夏は周辺の町よりも常に二~三度気温が低いため涼しく、冬は結構寒いことがある。とは言っても最低気温が零度や氷点下になったり、霜が降りるようなことはない。と、今年の冬までは思っていた。

ところが今年は、例年なら冷え込み始める六月は比較的穏やかだった一方で、七月に入った途端、一日、二日と連日最低気温が一度を記録した。サンパウロ州以南の三州では氷点下の気温で雪が降ったところもあったようだ。さらに例年ならだいたい四~五日、長くてもせいぜい一週間ほどで冷え込みは一旦和らぐのに、この時は十日も寒い日が続いた。それから一週間ほど冷え込みが緩んで穏やかな日が続いた後、十七日にはマイナス一度を記録してさらに冷え込んだ。ここで氷点下の気温になったのは、私たちが暮らし始めて初めてのことだった。そして、さらにさらに、二十九日は零度、三十日は再びマイナス一度となり、ひと月に三度も記録的な寒波に襲われるという例年になく厳しい寒さを経験した。日本の北国の冬の寒さと比べればどうということのない寒さかもしれないけれど、めったにこのように寒くなることはないここの気候に慣れている身からすると、震え上がった。

数年前、ニッケイ新聞紙上で「南極おろし」という言葉を目にした。「六甲おろし」という言葉は知っていたけれど、南極から大寒気団が押し寄せることを「南極おろし」と表現しているのが、なかなか的を射た表現だなと思った。

夏は周辺の町よりも涼しく、冬は少し寒いというここの気候がわかっていたので、冷房は必要なくても暖房は必要と考え、家を建てる際、暖炉を設置しようかと考えていた。でもいろいろ検討した結果、小さくても薪ストーブの方が効率的なようだという結論になり、薪ストーブを探して設置した。あまり大きなストーブではないため、家全体がポカポカと暖かくなるわけではないけれど、ストーブに火があれば、外気温が下がっても室内の気温をあまり下げずに過ごすことができるため、あるとないとでは大きな違いがある。それでも今回の記録的な「南極おろし」の襲来では、陽が落ちて外の気温が一桁に下がり始めると、ストーブがあっても足元から深々と冷えてくる状態だった。ここよりも少し標高の低いパーディーニョのセントロに近いシャカラで暮す友人の所では、霜が降りた影響で、牛に踏まれても枯れることのないブラキアーリアという草が枯れたと言っていた。

この「南極おろし」が今年は七月早々襲来したからなのか、いつもはそれぞれの木が気ままにマイペースに咲く我が家の桜が、今年は七月の最初の寒波が緩む頃に、開花スイッチが入ったのか申し合わせたように一斉に咲き始めた。そして満開になって一週間でまた冷え込んだため、すぐに散ってしまうことなく、結局二週間くらい満開の状態が続き、あっちを見てもこっちを見てもピンクに咲き誇る桜に、今年はまるで桜の当たり年のようだと思った。日本では桜は春ないし早春の花だけれど、ここでは冬に咲く。今年のように「南極おろし」で震え上がりながらも、桜の花が咲くとほっこりとした気持ちになるから不思議なものだ。

そして日本では有り得ないことだけれど、うちでは桜の花と同時に、カエデの黄葉と落葉の景色を楽しむことができる。ここで夏季によくある激しい暴風雨から家を守るために、家の北側に、セドリーニョ、桜、カエデ、グレヴィーリャ、リグストルンといった木を植えて、六層の並木で防風林を作っている。セドリーニョは常緑樹だけれど、他の木々はそれぞれ時期は異なるものの落葉するため、防風林の小路は常に落ち葉で被われている。特に、冬にカエデの葉が黄葉して、足元にたくさん落ちて積もる風景を見ると、ここがブラジルだということを忘れそうになるほどだ。今年は度重なる「南極おろし」による冷え込みが強かったため、すべてのカエデの木が例年よりもきれいな黄葉と落葉を見せてくれた。これも「南極おろし」がもたらしたお土産のようなものだった。

2021年10月18日(月)

タケノコが採れるようになったので、これからせっせと採って食べたり、保存したりする作業で忙しくなりそう。昨年、保存方法のひとつとしてやってみた瓶詰めが成功だったので、今年も瓶詰めにしようとエドソンは張り切っている。それで早速、瓶詰めに使う瓶をメルカド・リブレというオンラインストアで注文して買ってくれた。以前ここを利用した際は、郵便で発送されたものを郵便局で受け取っていたのだけれど、ブラジルの郵便サービスの質がとても悪く、届くまでに日数がかかるだけでなく、品物が届かないというケースも少なくなかったらしく、郵便での配達を止めて、独自の配送システムに変更したのだそう。郵便や宅配など、うちのような町外れの、住所があっても意味をなさないような場所に配達してくれるところは、パーディーニョの町のプロパンガスのお店とか家具屋さんとか、ボトゥカトゥのお店くらいで、その他の場所から配達してもらえることはまずない。これまで引越し荷物とパナソニックの電化製品を買った時はサンパウロから届けてくれたけれど、ここに何か品物が直接届くことはまずない。でも、メルカド・リブレはグーグルマップ上で場所を示せば配達してくれるというので、エドソンがトライしてみたところ、何と注文の翌日にはちゃんとうちまで配達してくれたため、エドソンはとても感激していた。次の写真は、そのメルカド・リブレで買った1.5リットルくらいの大きな瓶4本。ちなみに配達料は、品物の購入価格が200レアル以上だと無料になるらしく、この瓶はひとつ50レアル以上して、合計200レアル以上したので、無料配達だった。日本の便利さと比べたらまだまだだけれど、ブラジルでもぼつぼつこういう便利なビジネスが根付いてきていて、うれしい限り。

2021年10月19日(火)

パーディーニョのメルカド・ノヴォというスーパーが、毎週ほうれん草を仕入れくれるため、我が家のほうれん草の消費が追いつかなくなっていると先日書いたけれど、同様に、ふじりんごもほしいと言ったために、これもたくさん買って来ることになってしまい、一度に何個かまとめて消費してしまおうと、先日アップルケーキを作った。最近はエドソンが甘いものを控えているため、ケーキの類を頻繁には作らないのだけれど、久しぶりのアップルケーキだったので、とても喜んでくれた。これを作った後で、りんごは中心から外に向けて置いて行った方がきれいにできたのではないかと、ふと思った。そういうことは作る前に思いつかないかなあ~?抜けてる私・・・。

2021年10月20日(水)

とにかくあちこちからたくさんタケノコが生えてきているので、毎日のようにチェックして、収穫した方がいい大きさになっているものから収穫している。次の写真は、あちこちから芽を出しているタケノコの様子を撮ったもの。この画面だけで14~5本芽が出ているのが見える。

この日曜日の午後、タケノコを採りに行こうとエドソンが言うので、掃除が終わってから二人で採りに行った。次の写真は、エドソンが今からタケノコめがけて鍬を振り上げようとしているところと、その直後、タケノコが採れたところ。そして、3枚目の写真は、この日採った6本のタケノコを入れたバケツを撮ったもの。この後、ここでタケノコの皮を剥いて、家の中に持って入り、洗って、根元の固い部分を切り落としたりときれいにしてから、大鍋で茹でる作業をした。

2021年10月21日(木)

日曜日の夕方、タケノコを収穫した後、前日に採って冷蔵庫に入れておいたタケノコ1つも加えて、合計7本のタケノコを大鍋で茹でた。茹で上がったところを撮ったのが次の写真。そして、メルカド・リブレで購入した瓶1つを煮沸消毒して茹で上がったタケノコを瓶詰めにしたのが2枚目の写真。この瓶は思ったよりも大きくて、うちにある大きな鍋に入らず、アメリカで暮らしている時に買ったのだけれど、めったに使わない我が家で一番大きなDANSKの大鍋で煮沸消毒した。そして、この瓶には5本のタケノコを詰めることができた。瓶詰めする作業は、エドソンが夕飯を作りながら協力してくれ、お酢や塩の量を指示してくれたので、スムーズに作業を進めることができた。感謝。感謝。

2021年10月22日(金)

次の写真は、日曜日の夕飯にエドソンが作ってくれた牛肉とタケノコを圧力鍋で煮込んだ一品。去年だったか一昨年だったか、エドソンが牛肉とタケノコを一緒に煮込むことを思いついて作ってみたらおいしかったので、以来、タケノコがたくさん採れる時期になると、何度もこれを作ってくれる。ブラジルでは日系食料品店に行けば、タケノコを茹でて真空パックにしたような商品を買うことができるけれど、普通のスーパーなどでは販売していない。たから、ブロト・デ・バンブー(ポルトガル語でタケノコ)という言葉は存在していても、普通のブラジル人はタケノコを食べない、と言うか、タケノコの食べ方を知らない。これまで何度も繰り返し書いていることだけれど、ブラジル人(と言うか、彼らの大多数はヨーロッパなどから移民してきた人たちだったり、その子孫なわけだけれど)は、基本あまり野菜を食べないので、ブラジルで見かけるこういう変わった野菜は、みな日本人や日系人の人たちが食べるだけ。

2021年10月23日(土)

リオデジェネイロ州ペトロポリス在住の安見さんご夫妻は、在ブラジル50年ほどになるのだけれど、ブラジルでの生活を引き払って日本に戻られることを決めたと去年の年初だったかに伺った。でもコロナ禍が思いのほか長く続いたため、その計画は延期になっていた。すると先日メールをいただき、来年の3月にいよいよ引っ越されることが決まったということだった。それで「48年間見慣れた我が故郷の景色です」と言って、ペトロポリスのご自宅から見える景色を撮った写真を送ってきてくださった。ペトロポリスはここよりも少し標高が高く、山の中にある町なので、こことはずいぶん異なる景色が広がっている。

一方、マナウス在住の陣内さんからもメールをいただいた。楽書倶楽部10月号が届き、それに掲載された私の「南極おろし」という文章を読んでくださったそうで、その感想をくださった。そして、マナウスでも以前は毎年7月に4~5日間「アンデスおろし」と言われる寒波が襲い、セーターがいるほど寒い日があったと教えてくださった。でも、地球温暖化の所為か、いつの間にかなくなってしまったのだそう。へえ~、アマゾンで寒波?地球って不思議な場所だなと思った。

2021年10月24日(日)

次の写真は、マンゴーの木に小さな実がなり始めているので撮ったもの。この小さいままで地面に落ちている実もあるので、これらがちゃんと大きな実に育つのかどうかわからないけれど、初めて実をつけたので、うわ~と思った。食べることができる実に育つといいなあ・・・。

次の写真は、花芽がたくさん出てきているガビロバという果物の木。この木も今年初めて花芽をつけてくれた。今年は結構いろいろな果物の木が初めて花を咲かせてくれていて、驚いている。さて、ちゃんと実がなるかなあ~?楽しみだなあ~。

2021年10月25日(月)

土曜日の朝、寝室でベッドメーキングをしていると、ダンゴーラの1羽がすぐ近くで「ゴハン、ゴハン」と鳴いているのだけれど、部屋の中から見える庭などにはいないので、どこにいるんだろう?と、窓から顔を出して覗いてみると、寝室の右前にあるシュハスコ小屋の煙突の上にいた。ダンゴーラはとても高く飛び上がることができるので、めいに追いかけられて、うちの家の屋根に飛び上がることもあるし、鶏小屋の屋根の上に乗っていることもある。そして、ダンゴーラはいろいろな鳴き方をするのだけれど、この「ゴハン、ゴハン」という鳴き方をするのはメスだけらしい。最近1羽だけが寝室の前とか、家の南側とかで「ゴハン、ゴハン」と鳴いていることがよくある。おそらく同じメスなのだろうと思う。以前は四六時中集団行動をしていたダンゴーラたちだけれど、最近は2グループとか3グループに分かれて、1グループは家の南側の三角地帯にいるのに、1グループは鶏小屋の側にいるなんてことがよくある。そういう時は、一方向からだけでなく、家のまわりのあちこちから彼らの声が聞こえて、何だかダンゴーラたちに囲まれているような時がよくある。

2021年10月26日(火)

土曜日に手伝いのパラナが来てくれたら茹でたタケノコをあげようと思っていたのだけれど、来てくれなかったので、あげることができなかった。もうすでに瓶詰めを4つ作り、何度もタケノコを食卓に上げているのだけれど、毎日のように次々にタケノコを収穫しなければならないので、どうしたものかと考えていて、ふと、ここから1時間ほどのセザリオ・ランジにお住まいの井上さんに連絡してみることを思いついた。土曜日の午後、タケノコがたくさん採れるので、お裾分けしたいのだけれど、日曜日に来ていただけませんかとメールをお送りすると、日曜日の朝、伺いますという返信が来ていた。午後3時頃来てくださったので、パラナにあげようと思ってアイスクリームの容器に入れて冷蔵しておいた茹でタケノコ5~6本と、土曜日の午後採って、まだ皮を剥いていないままのタケノコ10本を差し上げた。家に上がっていただいて、居間で座ってお茶を飲みながらしばらくおしゃべりができたのは、とても楽しい時間だった。やはりこうやって直接会っておしゃべりできるのって楽しいなと思った。次の写真は、帰られる際、家の前でおふたりをパチリ。ご主人はもうすぐ80歳。奥様はもうすぐ77歳。おふたりともすでに3回目のワクチン接種を終えておられるということだった。コロナ禍になって人の出入りを止めて以来、初めての記念すべき我が家への来訪者になった。

次の写真は、井上さんがお土産に持ってきてくださった大量の玉ねぎとにんにく。ミナス・ジェライス州で農業をやっている息子さんのところで収穫されたものなのだそう。わざわざ来ていただいたのにお土産なんて申し訳ない感じだったけれど、ありがたくいただいた。でも、玉ねぎはよく食べるので何とかなるとしても、こんなにたくさんのにんにくはすぐには消費できないので、皮を剥いて、オリーブ油漬けにして保存するしかないかな?とエドソンと話している。

2021年10月27日(水)

次の写真は、丘の上の見晴らし台の少し下で咲いている草花を撮ったもの。オレンジ色の花が何だか可愛い。以前も咲いていた際、可愛い花だなと思っていたら手伝いのマリアか誰かが他の草と一緒に取ってしまって、ああもったいないと思ったことがあった。でも、鍬で地面の上に出ている部分を取り除いただけだったようで、根が残っていたらしく、今年も芽を出して咲き始めたので、ちょっとうれしかった。せっかくきれいな花をさかせているのだから、この草花は取り除かないように手伝いの人たちに言ってねと、エドソンに頼んだ。2枚目の写真は、その花を少しアップで撮ったもの。開いた花の形がラッパのようで、可愛い。

2021年10月28日(木)

今月上旬、外階段沿いの一番上のサツキが、一旦花が終わってから、またつぼみをつけたと書いたけれど、今きれいに咲いているのでまた写真を撮ってみた。ここに4種類あるサツキのうち、何故かこの1種類だけが今咲いている。

国民のストレスレベルを上げ続けたマコムロ問題が、26日に婚姻届を提出して、記者会見と言うか、記者発表をしたことで、一応終わったことになった。何だか学芸会のようだったという感想をくれた友人もいた。皇族の役目はそろそろ終わりつつあるのかなあとその友人は書いていたけれど、今回のM子さんの暴走が天皇や皇族の存在に与えた負の影響は計り知れないけれど、この問題を皇族全体の問題としてとらえるのはちょっと違うのではないかと、私は感じている。これはA宮家の問題で、他の皇族の方々には関係ないことのように思うのだ。A宮家は子供の教育を間違えたのだと思う。カコさまが「お母さんは自分から皇族になりたくて皇族になったのかもしれないけれど、私もお姉ちゃんも皇族になりたくてこの家に生まれてきたわけじゃない」というようなことを言って、母親と声を荒げて大喧嘩をしていたというエピソードが漏れ伝わっている。どこの世界に親を選んで生まれてくる子供がいると思っているのだろう?冗談も休み休み言ってもらいたい。先日WiLL増刊号を見ていたら、ジャーナリストの安積明子氏が、こんな発言を紹介していた。「皇族の一員に生まれると言うことは、天皇、皇后両陛下をお支えすることだと教わりながら暮らしました。今日をもって私は皇籍を離れますが、元皇族として天皇、皇后両陛下をお支えするということに変わりはございません」これは皇族と生まれたならば肝に命じているはずの認識と言うか常識なのだと思うけれど、A宮家の人たちにはそれがないように見受けられる。この言葉は、2018年に明治神宮で守谷彗氏と結婚された高円宮家三女の絢子さんが結婚直後に記者たちに囲まれてお話しされた際のお言葉だという。高円宮家は皇族の中の序列は一番下の宮家で、しかも絢子さんは高円宮家の三女で女王の立場。一方A宮家は次の天皇を抱える宮家でM子さんは内親王という、天皇、皇后両陛下にとても近い立場なのだから、このような正しい認識を持っていて当然なのに、皇族としての自覚のなさと、自己中心的で皇室に後ろ足で砂を引っ掛けて行くような醜い行為や、天皇、皇后両陛下への敬意のカケラも感じられないことに、唖然とさせられる。A宮という宮家では「自由な教育」と称して放任して、ちゃんとした教育をしてこなかったのではないだろうか?M子さんがどうしても出たかったのは皇室ではなく、A宮家だったのではないかと思えてならない。やはりA宮家がおかしいとしか思えないのだ。

2021年10月29日(金)

次の写真は、火曜日に作ったにんにくのオリーブ油漬け。この瓶にどのくらいのにんにくが入るか良くわからなかったので、とりあえず5玉のにんにくの皮を剥いて用意したのだけれど、出来上がって見ると、もう1玉分は入りそうだった。それで翌日さらに10玉のにんにくの皮を剥いて、この瓶が一杯になるまでにんにくを加え、残りはこの瓶よりも大きな瓶に2つ目のオリーブ油漬けを作った。そうしたら瓶が大きかったので半分くらいにしかならなかったので、まだ9玉未処理で残っていたにんにくの皮を剥いて、大瓶に加えた。そして、何とかすべてのにんにくの処理が終わり、3日がかりでのにんにくのオリーブ油漬け作りが完了した。これと同時進行で相変わらずタケノコを茹でて、瓶詰めしたりする作業は続いている。

Youtube上のDEEP MAXという番組の妙佛(みゃおほう)氏は中国関連の情報をいつも伝えてくれていて、日本人がよく知らない(日本のメディアが報じない)中国の現状や、中国人の物の考え方などを教えてくれるので、とても興味深い。先日、日本人の中国に対する好感度が低いのはどうしてかということを分析している中国語の記事について解説していた。曰く、「日本人が中国に対して悪い印象を持つのは、中国がまだ十分に強くないからだ。つまり、中国が強くなれば好感度が上がるはず」と中国人は考えているというのだ。「中国では強いものに対しては、悪いイメージを抱かないのか、あるいは強い相手に対してはイメージが悪いとすら言わないようになるのか?とにかく強ければ中国に対して悪いイメージを持っていると言う人が少なくなると思っているらしい」のだ。こういう考え方が中国にはかなりあるため、国際政治の舞台では、中国の軍備拡張につながって行くということだった。「中国社会では相手を説得するとか損失を補填するとか、そういうことで納得させるよりも力で押さえつけるというのが一般的なやり方」なのだという。でもこんなこと国際社会では通用しない。中国人のものの考え方というか、国民性は、日本人の常識では測りしれないものだなと思った。

2021年10月30日(土)

10月28日付けのニッケイ新聞に、「特別寄稿=移民国家で生き延びる処世術=母語と外国語では話す態度異なる=サンジョゼー・ドス・カンポス 小林音吉」というなかなか興味深い記事があったので、以下にリンクをはってみることにした。そう。私も英語で話す際は、日本語で話す時よりもYes, Noをはっきりと述べるけれど、心のありようも多少違っているかもしれないと思った。でも、ブラジル人は英語を話す人たちと違って、Yes, Noがあまりはっきりしないと言うか、Noと言いたくないため、結果嘘をつくことになるというケースが少なくないように感じる。超ストレス社会の日本で暮らすのも楽ではないけれど、日本人が日本の外で暮らすのはもっと大変だという思いを強くする。例えば、日系二世や三世のように、ブラジル社会で生きて行くためには、親から受け継いだ日本人の良さを少しずつ捨ててでも、ブラジル社会のやり方を受け入れて行くしかないんだろうなと思う。この記事のサイトはこちらへ

2021年10月31日(日)

うちのワンコたちは去年の3月に年に一度の予防接種を受けることになっていたのだけれど、ちょうど3月にコロナ禍で自主隔離を始めてしまったため、ずっと外出できず予防接種をしていなかった。当初は車から降りなくてもできるようにドライブスルーのような形でやってあげますよということだったのだけれど、ペットクリニックのヴィラ・シーコでも感染を疑われる人が出てしまい、しばらくクリニックがお休みになったりしたこともあり、コロナ禍では当分無理だねということで、結局、ずっと行かずじまいで2年近くが経過してしまった。でも、このところパーディーニョもボトゥカトゥもほとんど感染者がいない状態で、コロナ禍が徐々に落ち着いてきていて、今月中旬学校の対面授業も始まり、私たちも2度のワクチン接種を済ませて一ヶ月が経過したこともあり、ようやくこの金曜日に予約をして、はるとひろの予防接種と健康診断に行ってきた。はるの体重は6.4キロ、ひろは12キロ。血液検査の結果、はるは少し貧血ぎみということで薬を処方された。お腹の腫瘍の摘出手術を受けて2年ほどになるので、お腹の超音波検査もしてもらい、異常はなく、やれやれ。ただはるは歯の状態があまり良くないので奥歯を抜く手術を受けなければならないかもしれない。ひろは血液検査の結果、何も異常はなかったのだけれど、耳を頻繁にパタパタしたり、足で耳をシャカシャカしたりするので調べてもらったところ、耳にカビがあることがわかり、1日1回耳を掃除して、1日2回処方された薬を耳に入れる治療を家でしなければならなくなった。そして、ひろの肩にできているしこりが何なのかを調べるために、そのしこりの一部を採って検査に出してもらった。はるが貧血ぎみなので、予防接種は状態が改善してからの方がいいだろうということで、ひろの予防接種もせず、健康診断だけ受けたのだけれど、10時半の予約で少し早めに行って、終わったのがほぼ正午だった。1年半以上自主隔離を続けて、ワクチン接種以外で外出していなかったので、ヴィラ・シーコに行って戻ったら、半日だけの外出だったのにどっと疲れてしまった。次の写真は、ヴィラ・シーコの受付の柱につないだはる。2枚目の写真は、ヴィラ・シーコのロビーで落ち着かない様子のひろ。3枚目は、診察室の診察台の上でおとなしくしているひろ。左側に写っているのはドトーラ・ジャナイーナ。2019年の予防接種にはめいも一緒に連れて行ったのだけれど、さすがに3匹を一緒に連れて行くのは大変だったので、今回はまず、はるとひろだけで、めいの予防接種はまた別の日に行こうと考えている。



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