Kyoko Yoshida | Life in Brazil | BLOG |
2021年6月1日(火) | ||||
約2週間ほど前にエドソンがボトゥカトゥのスーパーに買い物に行ってくれた際、ポンカンのようなデコポンのようなオレンジを4つ買ってきてくれた。大きさが普通のオレンジよりも大きいので、うちで採れたオレンジと並べて一緒に写真を撮ってみた。手前がうちのオレンジで、後ろが買ってきたオレンジ。色や大きさの違いがよくわかる。味もポンカンやデコポンに似て酸っぱくはなく、優しい甘味のあるオレンジだった。
現在ブラジルの国会では、上院コロナ禍議会調査委員会(CPI)というのが開かれていて、コロナ禍における連邦政府の対応などに問題がなかったのかという調査が行われている。その中でボウソナロ大統領がコロコロと変えた保健相がひとりずつ証人喚問を受けたり、科学的に有効性のないクロロキンという薬を治療薬として使うようにと言い張ってボウソナロ大統領に影響力を持っている日系の女性医師が証人喚問を受けたりという感じで、毎日この委員会に関するニュースが出ている。つい先日は、様々なワクチンを作っているサンパウロのブタンタン研究所の所長が委員会に出て、コロナウイルスのワクチン開発生産に対する政府からの支援がゼロだったことがワクチン供給に遅れを招いた。ちゃんとした支援があれば世界最初の接種国になれたはずと政府の無策を批判したというニュースもあった。エドソンはこの委員会の映像を見ているようで、誰が嘘をついているのか、誰が利にかなったいい質問をしているのかがとてもよくわかると言っていた。そして、ボウソナロ支持の国会議員のうそっぱちに呆れる一方で、ブラジルにも結構まともないい政治家が少数いることを発見しうれしいとも言っていた。 一方、このコロナ禍で失業率が上がっていて、ニッケイ新聞の5月28日付けの記事には「失業率が過去最高の14・7%に=求職者1480万人の新記録=就業者は生産年齢人口の半数以下」というものもあった。日本の場合、倒産や失業が増えると自殺者が増えるという相関関係があるけれど、ブラジルの場合、失業率が上がると犯罪発生率が確実に増えるので、心配の種は尽きない。 | ||||
2021年6月2日(水) | ||||
ブラジルではマナウス変異株が猛威を奮っているのだけれど、20日にはマラニョン州に到着した船の乗組員がインドで確認された変異株に感染しており、濃厚接触者も100人いると公表され、21日にはペルナンブコ州保健局がインド株感染の疑いのある患者を観察中というニュースがあった。そしてさらに、22日にインドから帰国し、サンパウロ州のグアルーリョス空港経由でリオ州のカンポス・ドス・ゴイタカゼス市まで戻ったインド株感染者に関し、サンパウロ市とリオ州の当局が濃厚接触者の追跡調査を始めたというニュースもあった。マナウス変異株に続き、今度はインド変異株。まったく終わる兆しの見えないブラジルのコロナ感染状況に出るのはため息ばかり。 次の写真は、先週の金曜日の午後撮った玄関でエドソンの帰りを待つはる(左)とひろ(右)の姿。この前の週にエドソンはボトゥカトゥに買い物に行ってくれたので、食料品はまだ大丈夫だったのだけれど、鶏とダンちゃんたちの餌が底をついてきたので、パーディーニョに餌を買いに行くついでにスーパーにも行ってくれた。はるとひろはエドソンが下のオフィスに行く時と、買い物などで外出する時の違いがわかるようで、彼が外出した後は、寝室や居間のベッドには行かず、玄関でこんな風にじっと彼の帰りを待つのを常としている。可愛い!コロナ禍になって以来私は髪を切っていないのだけれど、それ以前、髪を切るために私が美容室に行って留守にすると、この子たちはやはり玄関で同じように私の帰りを待っているよ、しかもはるは泣きながら・・・と、エドソンは言っていた。この子たちにとっては私とエドソンのどちらが欠けても寂しくて、ふたりがちゃんと揃っていなくてはいけないらしい。
| ||||
2021年6月3日(木) | ||||
家の南側の三角地帯にある2本の梅の木に花が少し咲き始めているので、写真を撮ってみた。よく見ると結構つぼみがたくさんついているので、本番はこれからのようだ。
同じく三角地帯にある野性のレモンの木に実がたくさんなっているので撮ったのが次の写真。みかんのように見えるけれど、残念ながらみかんではない。とても酸っぱくて独特の味がする柑橘類で、たまにジュースにして飲んだりすることもあるけれど、レモンとオレンジがあれば、この野性のレモンまでは手がでない。
| ||||
2021年6月4日(金) | ||||
次の写真は、玄関を出た先の西側の庭にあるぼんぼり提灯のような花が咲く植物に、ひとつ花が咲いたので撮ったもの。だいたいいつも咲くのは1つずつだけれど、よく見るとつぼみがいくつかついているのが見える。2枚目の写真は、お散歩中に入り口ゲートに近い木から聞きなれない複数の鳥の賑やかな声が聞こえるので撮ったもの。胸が黄色いのでベンチヴィかなとも思うのだけれど、ベンチヴィよりも体が大きく、鳴き声も違うので、違う鳥なのかもしれない。よくわからない。この写真の画面には3羽しか見えないけれど、複数羽一緒に行動していた。
| ||||
2021年6月5日(土) | ||||
次の写真は、防風林の並木の一番上のカエデを撮ったもの。ここでは日本のようなきれいな紅葉は見られないけれど、わずかに見ることができる黄葉。2枚目は、その色づいている葉を少しアップで撮ったもの。このカエデの前の裸の木は、桜の木。
次の写真は、私たちの寝室の窓ガラスに蛾がへばりついていたので撮ったもの。1枚目は部屋の中から。2枚目はカメラを窓の外に出して撮ったもの。この蛾は月曜日の朝、カーテンを開けるとここにいて、火曜日も水曜日も木曜日もずっと動かずここにいたので、とうとう木曜日に写真を撮ったもの。頭を下にしてどうして何日もこうして動かずに止まっているのか不思議。木曜日の夕方、寝室に行った際にいなくなっていたので、ああ、ようやくどこかに行ってくれたと思った。はてさて、ここで何をしていたのやら?
| ||||
2021年6月6日(日) | ||||
次の写真は、先日作ったきゅうりの浅漬け。Youtubeのお料理番組を見ていて、白だしに水を加えただけのお汁にきゅうりを漬けて作る浅漬けというのを作っていたので真似して作ってみた。ここでは白だしなんて手に入らないから、これはこれでインターネットで作り方を検索して作った手作りの白だし。朝作って、夕飯に食べた際は、漬かり具合がまだ少し足らない感じだったけれど、翌日はおいしくなっていた。これを見て、エドソンが日本にいる頃食べていた漬物が食べたいと思っていたんだよねと言って、ポリポリ食べてくれた。東京で暮らしていた頃はスーパーで出来合いのお漬物がいろいろあったし、浅漬けの素というものもあって、自分で作ったりしていたけれど、ここでは日系食料品店で手に入るのは、せいぜいたくあんくらいで、浅漬けの素なんてものも販売していない。だから、たまに色々な野菜を混ぜて、昆布、塩、酢などを適当に加えた浅漬けを作ることがあるけれど、白だしの浅漬けというのは初めてだったので試してみた。
次の写真は、Youtubeでよく見るイタリアの食卓のミホさんが作って紹介していたズキーニのスティックオーブン焼き。オーブンの温度の関係か、ズキーニの種類の違いか、彼女が作るようにカリカリ、ポリポリという具合にはならなかったけれど、味は悪くなかったので、エドソンからは一応合格のお墨付きをもらえることができた。
| ||||
2021年6月7日(月) | ||||
金曜日の朝、いつものように7時を少し過ぎた頃に起きて、毎朝のルーティン通りトイレに行った後、各部屋のカーテンを開け、食堂のコーヒーメーカーのスイッチを入れて、アガリクスエキスを少し混ぜたお水をコップ1杯飲んで、寝室に戻って着替えようとしたら、ベランダのめいが吠えてはいないのだけれど、何かに飛びつこうとしているようにチェーンをザワザワさせていたので、何だろうと思い、居間の西側の窓からひょいと見ると、何とレアンドロが玄関前に立っていた。私はまだ寝間着姿のままで髪もボサボサの状態で目が合ってしまい、焦った。苦笑いをしつつ手を振ってちょっと待ってと合図をしてから、すぐに寝室に戻って、エドソンに言って対応してもらった。エドソンは、前の晩ゼーからの連絡ではマリアが仕事に来ると言うことだったのにと驚いていた。何というミスコミュニケーション。それで来てくれたのはレアンドロとゼーのふたり。金曜日はふたりともドナ・ベティのところで仕事のはずだけれど、木曜日がコーパス・クリスティで休日だったので、連休になったのかなとエドソンと話した。それで、前回レアンドロがひとりで来てくれた際に、離れのドアの補修などをしてもらい、午後から家の西側の食堂の外壁に防水塗料を塗る作業を始めてもらったのだけれど、この日は、ふたりで家の南側の外壁に防水塗料を塗る作業をしてもらった。次の写真は、高い所で作業をするために組んだ足場の上で作業をしているふたりを撮ったもの。このパイプの足場は、建築資材店のオリベイラから借りたもの。
| ||||
2021年6月8日(火) | ||||
6月4日付けのニッケイ新聞に、月に一度は掲載される友人の毛利さんの特別寄稿記事が例によって掲載されていた。『イザベラ・バードの見た「古き麗しき日本」(1)』と題する記事で、明治の初期にイギリスからはるばる日本に来て、数ヶ月間をかけて日本のあちこちを旅行して回り本を書いたイザベラ・バードについてだった。彼女がどのような経緯で日本旅行をしたのかなど詳しいことは知らなかったけれど、この記事でいろいろ納得した。私はイザベラ・バードの本は読んでいないものの、彼女の名前と本に書かれた日本に関する描写などは、あちこちの記事で引用されたり紹介されたりしているのをつまみ食いで知ってはいた。でも、毛利さんが詳しく書いてくださったので、とても興味深く読んだ。欧米人の感覚では、貧しさというのは、不幸、惨め、汚いというのと同義語なのだろうけれど、日本人は貧しくとも幸せで、惨めではなく、きれいで、正直という人たちだったのだということを、日本人自身再認識する必要があるように思った。この記事のサイトは、こちらへ。 | ||||
2021年6月9日(水) | ||||
次の写真は、ベランダ横の花壇の花を撮ったもの。1枚目はひとつだけ花を咲かせたバラ。2枚目は冬だというのに、芽を出し、花を咲かせている朝顔。3枚目は花が咲き始めたゴールデンマーガレットと、右側に1枚目の写真のバラが一緒に見えるように撮ったもの。花壇と言っても芝生と草に侵食されて見る影もないのだけれど、こうして花を咲かせてくれるとうれしくなる。
| ||||
2021年6月10日(木) | ||||
最近時々きれいな夕焼けが見られるので、先日その夕焼けを撮ってみた。でも、写真に撮ってみると、肉眼でのきれいな印象がちょっと違ってくるのはどうしてだろう?カメラマンの腕が悪いからかな?今は季節が冬なので、太陽が沈む位置がずいぶん北側(画面の右側)に偏っている。夏はもっと南側(画面の左側)に移動する。日本にいる頃は日の出の位置や日の入りの位置が季節によって移動するということを、あまり実感した記憶がないけれど、ここで暮らしていると、本当にとてもはっきりとその違いを実感する。
次の写真は、先日ニッケイ新聞に掲載されたイザベラ・バードに関する特別寄稿を書いた毛利さんの新著「ソロー流究極のシンプルライフ」。7月に日本の書店に並ぶと言っておられた。ご住職のご主人と共にブラジルに来た彼女は、ご自宅のお寺の仕事だけでも大変だろうと想像するのだけれど、その他にも最低月に一度はニッケイ新聞に特別寄稿をし、二ヶ月に一度は楽書倶楽部に文章を寄せていて、さらに日本で本まで出版するなんて、イザベラ・バード並のエネルギーの持ち主だと思った。でもまあ、日本におられる頃は大学で教えておられて、二足のわらじを履いていたのだから、こんなの朝飯前なのかもしれない。
| ||||
2021年6月11日(金) | ||||
ダンゴーラのヒナたちは生まれてから3ヶ月以上が経過し、ずいぶん大きくなった。今では大人同様高く飛び上がることができるので、夜は畑の上に通した竹竿の上に飛び上がって、大人もヒナもみんなで一緒に寝ているようだ。敷地内を散策する行動範囲もかなり広くなり、大人の後をついてよちよち歩いていたヒナたちが、最近ではグループを先導するように大人の前を歩いて進んだり、虫か何かをついばむのに夢中で、みんなが移動してしまったのに気づかず、慌てて遠くに行ってしまったみんなの後を追って走って行く姿などがとても可愛い。私が洗濯物を干すためなどで家を出入りすると、エサかな?と思うのか、必ずシュハスコ小屋の後ろから姿を見せて私の方を見ている。エサを与えるためにシュハスコ小屋に行くと、うれしくてしょうがないという感じでシュハスコ小屋の回りをグルグルと何度も回ったりする。そんな彼らの姿を見ながら、我が家のとびきりのエンターテイメントだなと思う。この子たちは後3ヶ月もすると大人のダンゴーラになるらしい。次の写真は、めいとダンちゃんたちの穏やかな関係性を見ることのできるもの。めいがすぐ側にいるのに怖がっていないダンちゃんたちと、ダンちゃんたちがすぐ側にいるのに、吠えたり飛びかかろうとしたりすることなく興味深そうに、でも穏やかに眺めているめい。
| ||||
2021年6月12日(土) | ||||
次の写真は、暗くて見えにくいかもしれないけれど、先日の午後6時前にダンちゃんたちが畑の上の竹竿に止まって寝る準備をしているところを撮ったもの。あまり近くに行くと怖がって竹竿から下りてしまうかもしれないと思い、10メートルくらい離れた場所から撮ったので、こんな感じで暗くなってしまった。この時、大人のダンちゃん1羽が私に気づいて竹竿から飛び降りてしまったので、画面左側に2羽、右側に1羽いて、その間にヒナの7羽が並んでいるのが辛うじて見える。
| ||||
2021年6月13日(日) | ||||
次の写真は、食卓の上のセントポーリアを撮ったもの。金曜日にパーディーニョのスーパーに行ってくれたエドソンが、またセントポーリアの鉢植えを1つ買ってきてくれた。今度はピンクに白の縁取りのもの。「まるでセントポーリアのコレクションね」と言うと、「今度黄色のものがあったら買おうと思う」と言っていたけれど、黄色のセントポーリアは見たことがないとも言っていた。3週間前にボトゥカトゥのスーパーに行ってくれた際、買ってきてくれたチューリップは2週間ほどで花が終わってしまったけれど、このセントポーリアはずいぶん長い間元気にしてくれている。
ニッケイ新聞の6月12日付けの記事に、毛利さんの書かれた『イザベラ・バードの見た「古き麗しき日本」(2)』が掲載されていたので以下にリンクをはってみる。この記事のサイトは、こちらへ。 | ||||
2021年6月14日(月) | ||||
次の写真は、食堂西側の窓の下で咲いている花を、窓を開けて上から撮ったもの。2枚目の写真は、食堂の窓の下の箱庭を撮ったもの。この写真の右から2つ目の赤い葉物植物を上から撮ったのが1枚目の写真。ここには壁沿いに4本この葉物植物を植えたのだけれど、右端のものが一番元気が良く大きくなり、2番目のものがその次に元気で、3番目のものは枯れて消えてしまい、一番左側のものは成長が遅く、とても弱々しい。たぶん日当たりの関係なのだろうと思う。画面手前のダリアは、右側の株は花が終わり枯れかかっているけれど、左側の株は今でもまだ繰り返し花を咲かせてくれている。
| ||||
2021年6月15日(火) | ||||
日曜日の昼食後のはるとひろとのお散歩が済んで、私はめいとのお散歩に出た。一方、エドソンは箱を持って家の南側の三角地帯にオレンジとライムを採りに行った。そして、採って来てくれたオレンジを台所の流しに入れると流しが一杯になった。左側の水切りかごにあるのはライム。オレンジとライムを洗う前に、オレンジで一杯になった流しをライムを乗せた水切りかごと一緒に写真に撮ってみた。このたくさんのオレンジは、切って、皮をむいて、タッパーに入れて、砂糖を少しかけて冷蔵庫に入れ、朝食用に食べる準備をしなければならないのだけれど、一度に全部を処理することはできないので、とりあえず翌日の朝食用の分だけを用意して、残りは翌日作業することにした。ライムはジュースにしたり、お料理に使うつもりでいる。
| ||||
2021年6月16日(水) | ||||
次の写真は、日曜日の夕飯を作ってくれているエドソンと、その足元でエドソンを見つめているひろを撮ったもの。夕飯の支度を始める前にエドソンがワインを開けて私とふたりで乾杯する際、スナックの人参をもらうためにはるとひろもいつものように台所に来ていた。人参を食べ終わり、ピーナツもひとつずつ食べた後、はるは寝室のキューブベッドに戻って行った。でも、ひろは台所に残って、私たちがワインを飲みながらカウンターテーブルでおしゃべりしているその足元を離れないでいた。そして、エドソンがお料理を始めるとガスストーブの前のエドソンの足元にぴったりくっついてエドソンのすることをずっと見つめているので写真を撮った。
次の写真は、この日エドソンが作ってくれた夕飯。マンジォカのスープを作ってお皿に入れて、鶏肉とトマトとターメリックで作ったお料理をスープの上に乗せ、ネギを散らし、炒めたコウヴィを添えた一品。この写真を撮った後で、オレガノを振りかけて完成だった。これはエドソンの創作料理なので、こういうお料理がブラジル料理に存在するわけではなく、他所では食べられない。うちの畑からエドソンが採ってきたターメリックを薄くスライスしたものを混ぜているので、ターメリックの味とピリピリ感があり、体が温まるおいしい一品だった。土曜日くらいからまた気温が下がり朝晩は冷えてきたので、温まるのにぴったりの食事になった。ターメリック(または、ウコン)は皮を剥いたりスライスしたりという作業をすると指先も包丁もまな板も黄色くなり、特に、指先の黄色がなかなか消えないのが玉にきず。
| ||||
2021年6月17日(木) | ||||
次の写真は、家の西側の庭で花をたくさん咲かせているマナカの木。もう何度もしつこく写真を掲載しているけれど、とにかく白、薄ピンク、ピンクの3色の花がたくさん咲いていて、とてもきれいなので、ついつい写真を撮ってアップしてしまう。そして、午後になると太陽の位置が北に傾くので、食堂の南側の窓にこの木が写ってきれいなので、はっとすることが度々ある。2枚目の写真は、同じマナカに夕陽が当たってきれいだったので居間の中から撮ったのだけれど、やはり肉眼で見た感じと写真に撮った感じが違う。まあ、しょうがないか?
| ||||
2021年6月18日(金) | ||||
6月16日付けのニッケイ新聞に「《ブラジル》過去91年で最悪の水危機=来年は電気料金5%値上がりか」という記事があった。この夏は降雨量が例年になく少なかったことで、この乾期にここも水不足、または、干ばつになるのではないかと私たちは心配していたのだけれど、夏の降雨量の少なさで、イグアスの滝などの水量が激減し、水力発電が十分にできない事態になっているらしいと知った。アマゾンのネグロ河は氾濫しているというのに・・・。あっちは河が氾濫して、こっちは水不足。ラニーニャの影響で、アマゾンの雨雲がここまで南下してこないらしい。自然というのは本当に人間の思うようにはならなものだなと思う。この記事の冒頭には、「国家電力庁(Aneel)が15日、過去91年間で最悪の水危機のため、来年は電気料金が最低で5%値上がりするとの見解を表明した」とあった。次の写真は、1枚目は例年のイグアスの滝の状態で、2枚目は今年の状態なのだそう。水量が全然違う。エドソンがどこかのニュースサイトで見つけて送ってくれたもの。
| ||||
2021年6月19日(土) | ||||
次の写真は、お隣のウィリアムからもらったアテモヤ(Atemoya)という果物。先日、アマチュア無線の関係で何かあったようで、エドソンが少し関わったので、それに対するお礼ということらしかった。1箱に11個入っている。これは彼の果樹園で作って市場に出しているもので、今が収穫の最盛期だと思う。確か8月くらいまで収穫が続くのではないかと思う。最近ではカナダにも輸出しているらしい。2枚目の写真は、食べ頃になったアテモヤをひとつテーブルの上に置いて撮ったもの。3枚目は、それを半分に切った状態を撮ったもの。アテモヤを食べる際は、いつも1つを半分に切って、ふたりで半分ずつ食べている。果肉が柔らかいので、白い果肉をスプーンですくって食べるのが普通の食べ方。
| ||||
2021年6月20日(日) | ||||
金曜日にボトゥカトゥまで食料品の買出しに行ってくれたエドソンが、パーディーニョの郵便局にも寄ってくれたらしく、届いていた楽書倶楽部第58号を持って帰ってきてくれた。9日に発送されたものが10日以内で届いていたなんて、いつになく早いじゃないのと思った。以下は、この号に掲載された私の文章。
この田舎町のシャカラで暮らし始めて、比較的早い時期から鶏を数羽飼い始めた。当初、鶏を放し飼いにして葉切りアリなどの虫を食べて、庭の掃除をしてもらいたいと考えていた。鶏がうちに来てしばらくして鶏小屋に慣れた頃、小屋を開放して放し飼いを始めると、お隣で飼われている複数の大型犬がやってきて鶏たちを追いかけまわし襲うという事件が起きたため、放し飼いにする計画は諦めざるをえなくなった。それで、鶏小屋の前に網で囲った運動場を作り、限られたスペースではあるものの、何とか平飼いの状態で生活できるようにして、彼らの生む卵をありがたくいただいている。 しかし、夫は鶏を敷地内に放し飼いにして、庭の掃除をしてもらうという考えを諦め切れなかったようで、昨年の十一月頃からダンゴーラ(D’Angola)という鳥を飼い始めた。ダンゴーラは鶏よりも丈夫で、逃げ足も早く、高く飛び上がることがでるので犬に襲われ被害に遭う可能性が低く、彼らが庭を歩き回っていると、蛇が近寄らないという利点もあるので、ダンゴーラなら放し飼いにできるのではないかと考えたのだった。ちなみに、ダンゴーラは「アンゴラから来た」とか「アンゴラの」という意味だそうで、もともとはアフリカから来た鳥だという。日本ではホロホロ鳥と呼ばれている。 ご近所のファゼンダから買ってきたダンゴーラのオス二羽とメス二羽の計四羽を鶏と一緒に飼い始めたのだけれど、数日するとオスの一羽が運動場の上の網の隙間から飛び出して外に出てしまった。鶏はこんなに高く飛び上がったりはしないので、さすがダンゴーラだと思った。数日そのオスの様子を見ていたのだけれど、鶏小屋や運動場の側からあまり遠く離れることなく過ごしているので、他の三羽もみな外に出すことにし、いよいよダンゴーラの放し飼いを開始した。 当初は四羽で一緒にあちこち敷地内を歩き回って、夕方になると鶏小屋の近くに戻り、夜は木の上で寝ているようだった。しかし、ある日を境にオスの一羽が姿を消し、それから数日すると、今度はメスの一羽が姿を消した。家出をしたのか、何かに襲われて命を落としたのか、まったくわからなかった。残ったオスとメスはその後ペアになったようで、今年二月頃からメスが鶏小屋の側のシトロネラの草むらの中で卵を抱き始めた。そんな時、夫がまたご近所のファゼンダからあらたに四羽のダンゴーラを買い足した。その新入りのオス一羽とメス三羽の計四羽を運動場に入れると、そのメスたちのことが気になったのか、外で放し飼いになっていた古株のオスが飛び上がって、運動場の中に入ってしまった。それに驚いた中の新入りのオスが飛び上がって外に出てしまい、続いてメス二羽も同様に外に出て入れ替わってしまった。結局、運動場の中では新入りのメス一羽と、古株のオス一羽が鶏たちと暮らすことになり、入れ替わりに外に出た新入りのオス一羽とメス二羽が、卵を抱いているメスと一緒に外で自由に暮らすようになった。 それからしばらくしてヒナが十三羽生まれ、母親とヒナたちは鶏小屋の前にある、低いレンガの壁で囲まれた畑の中で過ごすようになった。一方、外で自由にしているオス一羽とメス一羽はペアになったようで、常に一緒にあちこち歩き回ったり、畑に戻ったりして過ごすようになった。そして、残りのもう一羽のメスはヒナたちに寄り添う母親の子育てを手伝うかのように、常に母親やヒナたちと一緒に畑の中で過ごすようになった。 ダンゴーラたちは何か危険を感じると大きな声で鳴くものの、普段は小さな声を出しながら歩き回る程度でうるさくはない。その声が聞こえると、ああ、家の側に来ているなということがわかり、家の周囲で彼らが自由に歩き回り虫などをついばんでいる姿を見ていると、何とも言えず平和でのどかな気分になる。 ヒナが生まれて最初の二日くらいの間に何があったのか、三羽のヒナが次々に死んでしまったものの、残りの十羽は皆元気に成長している。生後三~四週間もすると、小さくただ丸かったヒナたちの体は少しずつ大きくなり始め、首が伸びて、大人のダンゴーラの体型に似てきた。そして、羽をバタバタさせて少し飛び上がったり飛び降りたりすることができるようになった。そうるすと、もうそろそろ畑から外の世界に出てもいいと判断したのか、母親はヒナたちを連れて時々庭に出てくるようになった。
それまで母親やヒナたちとは別行動で、敷地内を自由に歩き回っていたオスとメスのペアも、ヒナたちが畑を出て行動するようになると、遠くへ行くことを止め、母親ともう一羽のメスと四羽で一緒に、ヒナたちを見守るように、常に寄り添ってみんなで一緒に行動するようになった。大人のダンゴーラたちとヒナたちが集団であちこち移動する姿は、見ていてとても可愛い。このダンゴーラたちの社会性が何だか優しくていいなあと思いながら彼らの行動を日々楽しく観察している。そして、彼らの存在が、ここの静かな田舎暮らしに賑わいをもたらしてくれていることに感謝しながら、ヒナたちがみな無事に大人になることを願う日々を送っている。 | ||||
2021年6月21日(月) | ||||
先週、エドソンが夕飯に畑から採ってきたターメリック(または、ウコン)を使ったと書いたけれど、その際、採ってきた複数のターメリックの写真を撮っていなかったので、あらためて写真を撮ってみた。人の親指くらいの長さと太さで、一度に1本使えば十分な感じ。ショウガのような感じではあるけれど、味とピリ辛感が違っている。エドソンはショウガよりもターメリックの方が好きかなと言うのだけれど、多少似た感じはあるけれど、ターメリックをショウガの代用にはできないだろうと私は思う。ただ、やってみたことはないので、定かではないけれど。
| ||||
2021年6月22日(火) | ||||
エドソンがボトゥカトゥのスーパー・コンフィアンサで買ってきたアボカドがいつになく大きなものだったので、写真に撮ってみた。日本で見かけるアボカドは小さく、表面がデコボコで、色もこげ茶色と、ここで見かける大きくて、表面がつるつるしていて、緑色のアボカドとはずいぶん異なる。ただ、味は同じ。手前オレンジ色の果物は富有柿で、右側の果物はマンゴー。富有柿の下にある黄色の果物は我が家のライム。この他ぶどうも買ってきてくれたので、我が家のオレンジやウィリアムからもらったアテモヤもあり、果物が選り取り見取りとなり、朝食だけでなく昼食にも食べることができて幸せ。
6月22日付けのニッケイ新聞に、「コロナ死者が50万人突破=あと3カ月で世界1位の米国越え?=感染者平均が最悪期の4月1日並みに戻る」という記事があった。50万人の大台に乗ったのは19日だそう。「欧米諸国では予防接種の普及で感染者や死者が減っているのに、ブラジルでは高齢者の死者こそ減ったが、60歳未満の死者が増えている上、新変異株発生や変異株による感染が増えており、現在世界一の米国との死者数の差が縮んでいる」ともあった。 | ||||
2021年6月23日(水) | ||||
次の写真は、土曜日の夕飯にエドソンが作ってくれたパエリア。この数日前にネット上でパエリアを作っている動画を見て食べたくなったらしい。それで金曜日にボトゥカトゥのスーパー・コンフィアンサに行った際、殻付きのエビを買ってきて、野菜と鶏肉とエビでこのパエリアを作ってくれた。白米の代わりに玄米を使ったところがミソで、「生まれて初めて作ったから味の保証はできないよ」と言っていたけれど、エビの茹で汁をだし汁にして作ったのでとてもおいしいパエリアができあがった。「おいしい!!」と感激したら、とてもうれしそうにしていた。緑色のものはパセリとネギ。
| ||||
2021年6月24日(木) | ||||
日曜日の朝、手伝いのゼーが、彼の兄弟か友人らしい人たちとミツバチのジャタイの巣を2つ持ってきてくれた。ひとつは木の太い幹の中にできている自然の巣と、もうひとつは蜂の巣箱の中にできているものだった。エドソンは巣箱の方を森の手前のジャタイの巣箱を置いている棚に持って行き、自然の幹の中にできている巣はランドマークの木の四つ叉になっている間に置いた。次の写真は、そのランドマークの木のところに置いた自然の巣。気温が低いのでジャタイは中で眠っているようで、活動していないためちょうど持ち運びができる状態だったようだ。だから、どこが出入り口なのか、パッと見て私にはよくわからない。2枚目の写真は、ジャタイの巣を持ってきてくれた人たちが帰ろうとしているところをパチリ。エドソンはこの2つの巣の代金として240レアル支払っていた。この値段が高いのか安いのか私にはわからない。エドソンはジャタイを飼育してハチミツを採ろうとは考えていないようで、これまで一度もハチミツを収穫したことはない。その代わりに、近年すっかり数が少なくなってしまったブラジル固有種のジャタイを保護して、自然な状態で増やすことができればいいなと考えているようだ。冬の時期はジャタイの食料が減る時期なのだけれど、うちは5月6月はノイヴィーニャが満開だし、7月8月は桜が咲くので、ジャタイが花の回りを飛び回り、食料に事欠くことは少ないのではないかなと思う。
| ||||
2021年6月25日(金) | ||||
広島の友人が、今年もまた5キロのらきょうを漬けたと写真を送ってきてくれた。彼女はこれを保存食というか常備食にして、毎日食べているらしい。私は例年収穫した桑の実で少しジャムを作るくらいで保存食というのは特に何も作っていない。去年はタケノコを乾燥させたり瓶詰にしたりして保存する方法を試してみて、結構うまく行ったので、今年もそうしようとは思っているけれど、らっきょう漬けや梅干しと言った保存食は作ったことがない。らっきょうは日本食料品店のウエノに行くと、手作りのようなものや既製品のものを販売しているけれど、らっきょうの実そのものを販売しているのは見たことがない。梅も同様。日系のお宅で自宅の梅を収穫して自家製の梅干しを作っている人は少なくないのかもしれないけれど、フレッシュな梅の実がスーパーに出回っているのも見たことはない。たぶんらっきょうも梅もブラジル人は食べないというか、日本人のような食べ方を知らないのだろうなと思う。
| ||||
2021年6月26日(土) | ||||
最近、ワンコたちとのお散歩の距離を伸ばそうと、入り口ゲートまで行ってそのまま引き返すのではなく、柵沿いに丘をぐるりと上がって、てっぺんの見晴らし台のところから防風林の並木を下りて戻るというコースを歩くようになった。それで先日、丘の中腹にある一本松に紫色の花のようなものが咲いているように見えるので、側に行って確認すると、以下の写真のようなものがたくさん咲いて(?)いた。「これって花だろうか?」「生まれて初めて見た」と、エドソンとふたりでしばし見入てしまった。あとでインターネットで調べて見ると、これはやはり花だった。そして、松ぼっくりは実なのだそう。この松の木の下には松葉がぎっしり落ちていて、松ぼっくりもたくさん回りに落ちているけれど、花が咲いているのに気づいたのは今回が初めてのことだった。
| ||||
2021年6月27日(日) | ||||
先日、Youtube上のチャンネルクララで『マスコミが報じない皇位継承有識者会議「女系派総崩れ」』とういう番組を見た。その中で皇學館大学の新田均教授がこの会議に関して話しているのを聞いた。教授が曽根香奈子氏(公益社団法人日本青年会議所監事)からの意見陳述を少し取り上げて話していたので、実際に彼女の陳述を読んでみた。そして、とてもまともでいい陳述だと思ったので、長いのだけれど、以下にコピーしてみた。これは内閣官房「天皇の退位等に関する皇室典範特例法案に対する附帯決議」に関する有識者会議のサイトからコピーしたもの。このサイトに行くと、すべての議事録を読むことができる。この有識者会議のサイトは、こちらへ。
************************* ア 意見陳述 座長からの紹介の後、次のように曽根氏から意見陳述があった。 私は、現在は、愛知県半田市の株式会社武田工業所というところで製造業、主に鋳造を行っている。父が2代目として、私が3代目として継承している。3児の母でもある。 このような機会をいただき、ありがたく思っている。そして、安定的な皇位継承の確保という大変重要な役割を担われている、地位のあるこの会議に出席し、私自身も緊張している。 私はごく普通の民間人である。そして、国民の1人である。専門的な知識はない。しかし、その中で皇室のお役に立てるのであればということで、今回出席を引き受けさせていただいた。 この機会に、私なりに学び、情報を得て、その後、自らの考えを持つことができた。 だからこそありのままに、そして素直に、率直にお話をさせていただけたらと思っている。それでは質問の項目に沿ってお話しさせていただく。 問1について。まず、天皇というお立場は日本国と日本国民の象徴、シンボルだと思っている。その役割と活動は3つ。1つ目が祭り主、宮中祭祀の長として執り行われること。2つ目が、お田植えを宮中で行われて、農業を始めとした伝統産業を守り、伝えることの大切さを示されていること。3つ目として、国家元首としての御公務。この3 点をお務めいただいていると思っている。 問2の皇族の役割や活動について。天皇陛下御自ら御奉仕される宮中祭祀や御公務以外の皇室の御公務を行っていただくことだと思う。皇后陛下におかれては、養蚕業をさ れていらっしゃるが、これは天皇陛下が行われる稲作りとともに、伝統産業に携わる者にとって、大きな励ましになっていると思う。ただし、天皇陛下は皇族には含まれず、 別格の御存在と心得ているので、歴代天皇陛下のみが行ってこられた御祭儀・御公務は、 皇族といえども代わりになされるべきものではない、代わりにできるものではないと考えている。 問3に移る。皇族数の減少についてである。皇族の活動に一定の支障を来すという心配はもちろんあるが、この有識者会議の議論においての根本の問題ではないと思う。なぜなら、安定的な皇位継承の資格を確保するための課題としては、皇位継承資格を有する者の減少が根本の問題であるからである。これについては、志ある旧宮家の方々に皇族、皇室へ復帰していただく以外に、この根本問題を解決する道はないと思っている。 ただし、皇族数が減少すれば、天皇及び皇族の御公務の御負担が増えるのは確かであるから、何らかの対策は必要だと考えている。 問4に移る。「皇統に属する男系の男子である皇族のみが皇位継承資格を有し、女性皇族は婚姻に伴い皇族の身分を離れることとしている現行制度の意義をどのように考えるか」ということである。これは大変大事な点だと思うので、私が学び、感じ、そして考えに至ったことを少し詳しくお話ししたい。 皇族について考えたときの最初、今回の機会をいただき、私が一番初めに発した言葉は、「このように社会の女性活躍が進んでいる。男女平等を進めている今の社会と、皇族も同じように考えては。」と一言目に申し上げた。恐らく多くの一般国民も同じかと思う。皇位継承資格を男系の男子に限る必要はないのではないか、と思っていた次第である。 しかし、皇室についての私の認識が少しずつ深まり、学んでいくに従って、誤りに気付いた。その点について、3つお話ししたいと思う。 1つ目は、最初に申し上げたことであるが、天皇陛下が祭り主であり、宮中祭祀を執り行われることが最も大切な役割であるということ。そのお祭りをなさる資格が皇統に属する男系に限られてきたという歴史、それが皇室の伝統だということを知ったからである。この伝統は古代より2000 年以上の歴史を通じて守り続けられてきた。この伝統を守るために、皇室ばかりでなく、お仕えしてきた臣下も努力してきたのではないか。 これは、国全体、国民全体で守ってきた伝統であり、日本人としての誇りであると同時 に、国民としての結束力の証でもあると思う。テレビやメディアで見る、天皇陛下が地方にいらっしゃると、国民が集まり、嬉しくて歓喜する。その光景が結束力の証だとも言えるのではないか。 この会議の中心的なテーマは、安定的な皇位継承である。そこで、安定とはどういう意味なのだろうか。国民世論なのだろうか。確かに世論は大切ではあると思う。私自身も初めはそのように考えていた。しかし、世論は時とともに大きく揺れ動いていく。少し前まで褒め称えられた人々が、あっという間に大きな批判にさらされる様子を私たちはしばしば目にしている。そう考えると、世論に頼りすぎることは、かえって不安定の原因になってしまうのではないかと思う。 では、何に頼るべきなのか。私は伝統だと考えた。2000年以上も続いてきた神武天皇以来の男系継承の伝統は、揺るぎようがないと考えている。やはり皇室にはその伝統を 維持していただき、私たち国民は伝統の価値を理解できるように学んでいくというのが本筋だと考えている。 皇室が国にもたらす安定性を考えたときに、私は「こま」のイメージが浮かんだ。こ まは高速で回転していく。中心がなければ回っていかない。その中心が天皇陛下である とするならば、その周りを回っているのは国民であると考える。皇室が皇位継承の原則と伝統をしっかり守っておられるという中心軸があるからこそ、私たち国民は様々な変化、時代とともに変化していくことを受け入れ、多様で豊かに暮らしていける。この安定のおかげで、平和でいられたのではないだろうか。 2つ目である。今私は「多様」という言葉を申し上げた。これは2つ目の話に関係する。多様性は、皇室の場合、皇室に入られた女性の方々が担ってこられていたのではないかと考えている。中島みゆきさんのヒット曲に「糸」という曲がある。男性が縦糸で、 女性が横糸に例えられていると思う。男性は布を布として成り立たせている縦糸、女性は布に美しい模様を与える横糸。この役割は皇室でも同じだと考えた。むしろ、皇室の方がもっとはっきりしていて、男性の一貫性と女性の多様性によって、皇室の伝統と文 化が織りなされてきたように見えている。 少し昔話になるが、例えば「天孫降臨」の物語によれば、天から九州の高千穂に天照大神の孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が降臨された。天から下って来られた瓊瓊杵尊とその子孫は、 天から続く縦の一貫性を主張する存在である。瓊瓊杵尊には、山の神の娘である 木花咲耶姫(このはなさくやひめ)が嫁がれ、2人の間に生まれた彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)には、海の神の娘である豊玉姫(とよたまひめ)が嫁がれた。つまり、天からの一貫性を主張する男系の子孫に、地の多様性を主張する山の神の娘や海の神の娘が嫁いで、天と地の和合が生まれたと考えている。そして、初代の神武天皇は、九州から東征して大和を平定された後に、大和の神である事代主命ことしろぬしのみことの娘である媛蹈韛五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)をお妃とされた。 第2代の綏靖天皇から第4代懿徳天皇までは、神の娘や孫を妃とされている。その後の第 10 代崇神天皇までは、大和の豪族の娘を妃とされた。これによって、九州からやって来た天皇の一族と大和の豪族との和合が成立したといわれている。 仏教は、第 29 代欽明天皇の時代であるが、そのお妃で蘇我 稲目(そがのいなめ)の娘である堅塩媛(きたしひめ)を通じ、仏教が後宮に入り、お2人の子供である第 31 代用明天皇が仏教を信じられるようになって、皇室と仏教との結びつきが生まれた。 皇室のお寺である京都の泉涌寺では、昭和天皇までの御位牌が祭られており、そのつながりはいつまでも続いていると伺っている。第 45 代聖武天皇の皇后である藤原氏出 身の光明子(こうみょうし)は、平城京に悲田院を設けて孤児や病人を収容し、皇后宮職に施薬院を設けて、医療に当たられた。 皇室の女性による福祉事業は、特に近代において盛んとなった。現在、皇后陛下は日本赤十字の名誉総裁を務めておられる。このように、女性による多様な事業への参入は、 仏教導入の場合のように多少の混乱をもたらしつつも、最終的には調和ある形で統合さ れ、皇室の多彩な伝統となってきた。それは、その根底において、男系による皇位継承の原則が貫かれていたからだと思う。この一貫性と多様性が調和した皇室の伝統を守り続けていくことは、とても大切なことだと思った次第である。 そして3つ目は、女性によってもたらされる多様性は素晴らしいものだが、それによ って皇統に属する男子が担ってこられた一貫性を壊してはならないということである。 横糸ばかりで、縦糸がなければ、布は織ることができない。縦糸が切れてしまっても布は織れない。女性皇族の婚姻に伴い、その配偶者が皇室に入られること、そして、その方の子孫が皇位につかれるということは、縦糸が切れてしまう、変わってしまうということである。それでは伝統的な菊の紋の織物ではなく、別の血筋の紋が入った、別の織物に変わってしまう。私が別の血筋の紋と申し上げたのは、皇統に属さない男性の血筋のことである。 3つ目のまとめとして、女性皇族の配偶者の男性は、皇室とは区別された姓を持った方で、その御子息・御令嬢も皇族とは別の血筋に属することになる。したがって、女性皇族の配偶者、御子息・御令嬢は皇族としての御活動ができず、若しくはされても意味がないと考えている。以上が問4についてである。 続いて、問5の「内親王・女王に皇位継承資格を認めることについてはどのように考えるか。その場合、「皇位継承順位についてはどう考えるか」についてである。原則的な考えは今申し上げたとおりである。ただし、歴史的にはその時代、世代の状況により、 皇族女性が皇嗣となったり、寡婦か未婚の状態で、時代背景などもあり、中継ぎ的役割で御即位されたりしたことはあった。したがって、男系女子の継承は、一時的にどうしても必要なときは可能だと考えている。しかし、その御子息・御令嬢である女系男子や女系女子への継承はあってはならないものだと考えている。 皇位継承順位は現皇室典範どおりが正しいと思っている。そして、繰り返しになるが、 今日問題とされている安定的な皇位継承について、女性天皇の容認は解決策にはならないと考えている。 問6に入る。「皇位継承資格を女系に拡大することについてはどのように考えるか」ということである。これについては反対である。歴代父系、男系をたどり、初代神武天皇に血統がつながることが天皇の定義だと理解している。いわゆる女系ということは、 母系をたどることである。女系天皇というのは天皇には当たらず、もしも今後、女系天皇なるものが誕生すれば、それは天皇ではなく、新たな王朝を開くこととなり、皇室の歴史が終わり、ひいては日本の歴史が終わり、新王朝の下、新たな国家を開くことになるからだと考える。 ここで、私が、天照大神のことがネックになってぶつかった疑問についてお話ししたい。この疑問は多くの国民が抱いている疑問でもあると思ったからである。私がこの機会をいただき、勉強したときに、天皇の御先祖である天照大神は女性だから、皇統はもともと女系で始まっているのではないか。それなのになぜ男系にこだわる必要があるのか、という疑問を持った。 それで「日本書紀」を読んで、系譜について学んだところ、皇室の御先祖の神々についても男系が続いていることが分かった。国生みをされた伊邪那岐命(いざなぎのみこと)も、その子供で姉の天照大神、誓約(うけい)をされた素戔嗚尊(すさのおのみこと)が誓約時に産んだ正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊(まさかあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)も、その子供の彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)、その子供も神武天皇という系譜であった。 そして、中世以来、最もまとまった権威ある皇室系譜とされてきた本朝皇胤紹(ほんちょうこういんじょう)運録(うんろく)でも、天忍穗耳尊を素戔嗚尊第一子としていることが分かり、これで私の疑問は氷解し た。 問7に移る。「内親王・女王が婚姻後も皇族の身分を保持することについてはどのよ うに考えるか」である。これについては、必要ないと考えている。繰り返しになるが、 その配偶者と御子息・御令嬢は皇族ではない。皇族としての御活動はできず、意味がないからだと考えている。配偶者と御子息・御令嬢を民間人とし、内親王・女王が皇族に残ったとしても、御家族の中で身分が分かれることとなる。国民の理解が得られないと考えたからである。また、皇族としての御活躍もかなり難しくなることが容易に想像で きる。 続いて、問8の「婚姻により皇族の身分を離れた元女性皇族が皇室の活動を支援することについてはどのように考えるか」である。菊栄親睦会や新たな組織などがあれば、 御活動いただくべきだと考えている。 そして、問9の「皇族に属する男系の男子を①又は②により皇族にすることについてはどのように考えるか」についてである。①については、旧宮家であれば、GHQ により、 ハーグ陸戦条約違反にて、不当に臣籍降下されたものと理解しているので、旧宮家の志ある方を養子縁組することのみ可能にすべきだと思う。②に関しては、「皇統に属する 男系の男子を現在の皇族とは別に新たに皇族とすること」は賛成である。 最後に、問 10.「安定的な皇位継承を確保するための方策や、皇族数の減少に係る対 応策として、そのほかにどのようなものが考えられるか」についてである。旧宮家の皇族復帰しかないと思う。旧宮家の方々と丁重に議論を重ね、志ある方々に皇族、皇室にお戻りいただければと思っている。 以上、私の考えをお伝えさせていただいた。
************************ | ||||
2021年6月28日(月) | ||||
6月26日付けのニッケイ新聞に、毛利さんの特別寄稿『イザベラ・バードの見た「古き麗しき日本」=秋田、山形、津軽、北海道へ=(最終回)』が掲載されたので、以下にリンクをはった。この記事のサイトは、こちらへ。 畑の南側の孟宗竹の間で芽を伸ばしていたマラクジャ(パッションフルーツ)のつるに、何と実が4つ連なっていたので写真を撮ってみた。右側の2つは黄色く色づいているけれど、右端のものはすでにお尻の部分に穴が開けられ食べられてしまっていた。その隣の実もやはり小さいけれど、お尻に穴が開いていた。畑で育てていた頃は、こんなにまともに実がなることはなかったのに、畑の外に落ちた実から芽が出て、自然に生えてきたものがこんなにちゃんとした実をつけるなんてと思った。
| ||||
2021年6月29日(火) | ||||
先日らっきょうの写真を送ってきてくれた友人とは別の友人が、自宅マンションのベランダで育てているインゲンの写真を送ってきてくれた。彼女は毎年夏は暑さ避けに窓際にゴーヤを植えているらしいのだけれど、今年はつるありのインゲンにしてみたところ、思いのほかインゲンがよく実ってくれていると言っていた。すでにいくつもインゲンを収穫していると言うことだった。そして、スーパーで買ったミニトマトを食べるとき、種を試しにまいてみたら、いくつも芽が出てきたともあった。田舎暮らしで畑のある私たちよりもよっぽど真面目に野菜を育てているなと感心してしまった。
| ||||
2021年6月30日(水) | ||||
次の写真は、土曜日の夕飯にエドソンが作ってくれた牛肉のパエリア。前回作った鶏肉とエビのパエリアがとてもおいしかったので、それに気を良くしたのか、「今度は牛肉で作ってみようと思うけど、どう?」と言うので、「いいんじゃない」と言ってお願いした。週末は圧力鍋で牛肉を調理することがよくあるのだけれど、この日はいつもの牛肉(牛の腰の辺りの脂身の少ない部位)を使ってパエリアを作ることを思いついたようだった。出来上がって食べる段階になり、オリーブとウルクンを入れるのを忘れたと言っていたけれど、おいしい牛肉のパエリアが出来上がった。本場スペインでパエリアに牛肉を使うなんてないかもしれないけれど、本場イタリアにはないけれど日本にたらこスパゲティとかがあるように、おいしければ何でもOKかな?と思った。
次の写真は、土曜日に私が作ったオレンジレモンケーキ。今の時期、オレンジやライムがたくさん採れるので、エドソンがまたレモンパイが食べたいと言っていて、週末に作ろうと思っていたもの。これまでに作ったことのあるレモンパイではなく、オレンジとライムの両方を使った、これまでとは違うレシピで作ってみたケーキというかパイ。デザートも夕飯も両方作るとなると大変だけれど、幸い夕飯はエドソンが作ってくれるのだから、デザートは私が作り、役割分担することができ、ありがたかった。
|
Home | Copyright (C) 2009 Kyoko Yoshida | Next |