Kyoko Yoshida Life in Brazil BLOG 

2020年10月1日(木)

先週いろいろ貴重な食材が手に入ったので、これまで長らく作ることができなかったお料理をちょこちょこ作っている。次の写真は、先日のお昼にアスパラガスとしいたけで作ったアスパラガスのリゾット。これもずいぶん久しぶりだったのだけれど、この他、木綿豆腐で豆腐ステーキや、牛肉ときぬさやを使ったお料理などを作ったり、作る予定にしている。アスパラガスのリゾットには本当はしいたけではなくマッシュルームを使うようにレシピではなっているのだけれど、ブラジルに来て以来、マッシュルームは一切使わないようになり、マッシュルームを使うとなっているお料理は、すべてしいたけを代用して使っている。これはこちらに来たばかりの頃、香山さんの紹介で訪ねたしいたけ菌床を作って農家に卸している人のところで、しいたけは日系人が作っているけれど、マッシュルームは不衛生な環境で中国人が作っていると聞いたから。何人が作っていても別にいいのだけれど、信じられないような不衛生な環境で作っているというのが問題なので、避けている。

2020年10月2日(金)

次の写真は、食堂西側窓下の箱庭のソテツ。例年1つ花が咲き、何ヶ月かすると新しい葉が出てきてきれいに開くのだけれど、今年は3つも花が咲いたのでどういうことになるのだろう?と思っていた。そうしたら、何と花は4つ咲いていたようで、9月になってから葉の芽が4ヶ所から出てきていて驚いた。一番端の大きな葉の芽はちゃんと開いて育つかもしれないけれど、その他の3つの葉の芽はちゃんと育つのだろうか?育ったとしてどのように開いて行くのだろう?と、とても不思議な気持ちで見守っている。

2020年10月3日(土)

ここは7月8月は乾期なので、ほとんど雨が降らず、9月になると乾期が終わり雨が降り出すのだけれど、今年は9月になってもほとんど雨が降らなかったため、森の泉から湧き出る水の量がだんだん減ってきているとエドソンが心配していた。先週前半2回ほど雨が降ったけれど、それまでずっと降っていなかったので、乾ききった大地の奥深くまでは染み込んでおらず、泉の湧き水にほとんど貢献していないのだろうと思う。そして今週は連日36度という異常に暑い日が続いている。この辺でひと雨ほしいところなのだけれど、自然はこちらの思い通りにはならない。

そして、コロナ禍の状況はまだまったく先の見えない状況が続いている。コロナが蔓延し始めた当初、かなりの死者を出したアマゾナス州マナウスは、集団免疫を獲得したらしく、8月から学校が再開され、経済活動もほぼ普通に行われているらしいけれど、サンパウロ州は9月から学校再開とか言っていたものの、それは実施されず、その後、どうも各自治体ごとの判断にまかせることになったらしく、エンブラエー(航空機会社)やINPE(ブラジル国立宇宙調査研究所)やITA(航空宇宙技術研究所)などのある、サンパウロ市の東にあるサン・ジョゼ・ドス・カンポスは、10月から学校が再開されたとエドソンから聞いた。でも、パーディーニョや隣町のボトゥカトゥなど、この辺の学校は年内の再開を諦めて、年明けから再開することになったらしい。まあ、10月に再開しても授業ができるのは10月と11月の2ヶ月だけで、12月からは夏休みになるのだから、再開してもしょうがないということなのかもしれない。日本はPCR検査を広範囲にするようになったので、大都会での感染者数は減らないようだけれど、重篤患者や死者数があまり増えていないので、低め安定でいいなと思う。一方、こちらは感染者数だけでなく、死者数も相応に多いので、まだまだ気が抜けない。

2020年10月4日(日)

何ヶ月か前、寝室前の庭の竹林を取り除いてもらい、整地してもらった後、薪ストーブから出た灰を撒いたり、培養土を撒いたりして土の準備をした。ここに紫陽花を植えたいという希望はあるのだけれど、相変わらずの自主隔離生活で食料品の買い出しなど必要最低限のことをするためにエドソンが外出するだけなので、ボトゥカトゥまで苗木を買いに行けるのはいつのことになるやら・・・。まあ、そんなわけで、苗木を買いに行くことができるまでここを畑として使うことにした。それでエドソンがオクラの種を撒いたのだけど、ちゃんと芽が出て、育ってきている。奥の2列を最初に撒いて、数週間後に手前の2列を撒いたので、芽の大きさがずいぶん違うけれど、みんな何とか芽を出して育っている。順調に育ってくれれば今年の夏はオクラをたくさん食べることができるかな?

2020年10月5日(月)

この土曜日の夕飯は例によってエドソンが作ってくれた。エドソンが台所に来ると、ひろとはるは何かおもしろいことが始まると思うらしく、興味津々で必ず台所にやって来る。それで台所に来た彼らの写真を撮ってみた。ひろは名前を呼んでカメラを向けると、ちゃんとカメラを見てくれるのだけれど、はるはカメラを向けるとそっぽを向いてしまい、うまく写真を撮ることができない。それで私がはるを抱きかかえるようにして、エドソンにはるの写真を撮ってもらった。このところずっと暑い日々が続いているので、ひろはとても頻繁に、しかも大量の水を飲む。はるは子供の頃からあまりお水を飲まない子だったけれど、私が作る食事に水分がたっぷり含まれているからか、この暑い日々でもあまり水を飲まない。それでもふたりは最近頻繁にオシッコに行くので、1時間半から2時間置きに出たり入ったりがとても忙しい。はるが玄関マットのところで吠えて、オシッコと言うことの方が多いけれど、ひろがコンピュータの前の私のところに来てオシッコと言うことも結構ある。そして、ひろははるよりも大量のオシッコをする。よくこんなに大量のオシッコを我慢できるなあと感心するほどの量。でも、たまに私が彼のサインに気づかなかったりすると、我慢できずに食堂のいつも決まった場所で粗相をしてしまうこともある。

2020年10月6日(火)

私はブラジルに来るまで圧力鍋というものを使ったことがなかったのだけれど、エドソンはお肉を調理する際、いつも圧力鍋を使って調理する。そうすると硬いお肉でもとても柔らかくなる。私はまだお肉を圧力鍋で調理したことはなく、うまく調理する自信もないけれど、お豆を煮る際は圧力鍋を使えるようになった。週末に彼が夕飯を作ってくれる時は、お肉と野菜が入ったチキンスープだったりすると、それだけで完結して私が副菜を作ることはないけれど、お肉を調理したものだと、野菜の副菜が必要なので、そういう場合は私がサラダなどを作るのが常。それで、この土曜日は次の写真の大豆と野菜のサラダ(右)をお肉の付け合わせに作り、先日エドソンが大量に買ってきてくれたカニカマで、久しぶりに常備菜としてきゅうりの酢の物を作った。2枚目の写真は、エドソンが圧力鍋で調理してくれた牛肉と、私が作ったサラダをお皿に盛った写真。

2020年10月7日(水)

次の写真は、先日の午後撮ったはるとひろのラブラブショット。居間のベッドのところでふたりがラブラブでじゃれ合い始めたので撮ったもの。いつものようにはるが攻撃してひろは防御に徹している。この子たちが居間で使っているベッドを外に出して天日干しにしている時だったので、午前中外で天日干しした寝室で使っているベッドを居間に持ってきたのだけれど、自主隔離前に買った半年ちょっとしか経っていない新しいベッドなのに、すでに相当ダメージを受けていることがこの写真でわかる。ベッドの縁は4つの角をひろが噛んで破るのでそれを繕い、ベッドの縁の内側ははるが爪でシャカシャカとひっかいて破るので、その部分に当て布をして繕いというのを何度も繰り返している。彼らにおもちゃを与えれば、そちらを噛んで壊してもベッドを壊したりしないのかな?とも思うのだけれど、ひろの場合そのおもちゃを噛んで飲み込んでしまったら、その素材によっては体に良くないようにも思うし、どうしたものかと悩ましい。もう子供ではないので、こういう物を噛んで壊す行動は減っていたのだけれど、ベッドの中にいることが多いので、どうしうてもベッドの角を噛みたくなるらしい。

2020年10月8日(木)

火曜日の夕飯の後、ヴィトーがチーズを持ってきてくれるから、入り口ゲートを開けに行って来ると言って、エドソンが外に出て、しばらくすると鍵を置きに戻ってから、下の事務所に下りて行った。その間私はテーブルの食器を下げて、お皿を洗ったり、はるとひろに夕飯をあげたりした後、めいにあげる夕飯を持って外に出ると、ヴィトーがすでにそこに立っていたのでびっくり。すぐにエドソンを呼びに行って、「今日も暑いわねえ。37度だったでしょ」などと、3人で少しおしゃべりをした。ヴィトーによると、隣町のボトゥカトゥは40度で、近隣の町で42度というところもあったということだった。これが日本だったら熱中症に気をつけてくださいとかテレビやラジオで盛んに注意喚起をするのだろうけれど、ここはどうなのかな?と思っていたら、7日付けのニッケイ新聞に、『記録的猛暑に異例の警告=春先なのに「熱中症注意!」』と題する記事が掲載され、『国立気象観測所(Inmet)は6日、ブラジルでは猛暑のため、「熱中症で亡くなる人が出る可能性がある」と警鐘を鳴らした』という記事が掲載されていた。とにかく気温が高く、湿度が低いので、危険なレベルだとエドソンも言っていた。おしゃべりの途中で、夕飯後すぐにひろとはるをオシッコに連れ出さないといけないことを思い出し、私はおしゃべりをはずれて、ひろとはるにオシッコをさせたり、まだ途中だったお皿洗いをしたりしているうちにヴィトーは戻って行ったようだった。先月まるまる1ヶ月とさらに先週土曜日も手伝いのゼーたちがここに来なかったので、2週間に一度町に買い物に行くエドソンと違い、ここから一歩も外に出ない私にとっては、外の人の顔を見るのは何と5週間ぶりのことだと、ふと思った。でも9月の上旬鶏のひらちゃんを手伝いのゼーに受け取りにきてもらったから、それから数えると4週間ぶりだったことになる。

2020年10月9日(金)

うちの南側にあるガレージに向かう滑走路のようなコンクリートの道の向こう側に、アメンドインという草を植えているのだけれど、そのアメンドインの間からいろいろな草が生えてくる。そんな中、草と言うか小さな木と言ったらいいのかよくわからない植物が生えてきて、花を咲かせたので写真に撮ってみた。つぼみはオレンジ色で、花が開くと中心部が黄色。オレンジと黄色が何だかとてもきれい。

2020年10月10日(土)

連日猛暑が続いていたのだけれど、水曜日の夜と言うか、日付が変わって木曜日の午前4時前頃、雷の音で目が覚めたら雨が降っていた。それで木曜日の朝は涼しくなりほっと一息という感じだった。森の泉の湧水も危険なレベルまで減少していたので、十分とは言えないまでも、久しぶりの恵みの雨になった。そして、この日の午後はまた34度まで気温が上がったものの、日付が変わって金曜日の午前3時半頃、またまた雷で目が覚めた。明け方まで雨が降った後、一旦雨はあがったものの、日差しがなく霧が出て、降ったり止んだりのお天気になったので、久しぶりに涼しくしのぎ易い1日になった。

次の写真はこの水曜日の朝エドソンのために作った飲み物。左から桑の葉茶、カモミル茶、レモン水。桑の葉茶は上の冷蔵庫で保存して、エドソンが休憩などで上がってきた際や夜寝る前に飲むのだけれど、カモミル茶とレモン水は下の冷蔵庫で保存して、仕事の合間に少しずつ水分補給のために飲んでいるもの。桑の葉茶だけでなく、下で飲むためにカモミル茶も作ってと言われて作り始めたのは、自主隔離を始めた頃だったかな?そして、数週間前には、うちで採れるレモンをスライスして水に入れたレモン水も作ってと言うことで、それも作り始めた。でも、このところの猛暑で消費量がぐんと増えて、あっと言う間に無くなってしまうので、繰り返し作っている。一方私は水分補給のために台所のテーブルの上で常温保存している水出し緑茶を作り置きしたものと、水を飲んでいる。暑い時は熱中症予防という意味もあるけれど、季節に関係なく水分補給は大切なので、とにかく喉が乾いたと自覚する前になるべく水分補給をすることをふたりとも心がけている。

2020年10月11日(日)

次の写真は、金曜日の午前10時半頃、玄関先のベランダから北西を向いて庭を撮ったもの。霧が出ていて桜の向こうにある道沿いの木々は見えない。朝、一旦止んでいた雨は、この写真を撮った後、また降り出したりと、降ったり止んだりの1日になった。こういう雨の降り方は、雨がしっかり地面に染み込んでくれるし、日差しがないので、太陽で水分が蒸発することもなく、森の泉にとってはありがたい雨。そして気温があまりあがらず、久しぶりに1日中ずっと涼しい1日になった。と言うか、お昼頃には普通に半袖Tシャツ1枚では寒くなり、Tシャツの下にタンクトップを着て、それでも寒いのでカーディガンを着てちょうどいい感じだった。

2020年10月12日(月)

次の写真は、外階段脇にある箱庭のソテツ。先日、芽が4つも出てきているので、この混雑ぶりでどうやって葉を広げるのだろう?と、書いたのだけれど、そのぎゅうぎゅう詰め状態で葉が育ってきているので、その様子を撮ったもの。2枚目は、ソテツを上部から見た状態を食堂の窓から撮ったもの。

2020年10月13日(火)

先月の初め頃だっただろうか?西隣のコーヒー園のそのまた西側の牛の放牧場だったところで、トラクターが土を耕すような作業を数日間していた。ここで牛のエサにするためのとうもろこしか何かを育てることにしたのか、今はまだうちからは良く見えないのでわからない。緑の草地だったところが耕されて茶色になっていることだけがわかる。写真の手前にうちとコーヒー園との境界の柵が見え、その柵の向こうにコーヒーの木が見え、その向こう側にクワレズマの並木が見え、そのさらに向こう側に茶色の地面が見える。エドソンの話だと、以前放牧されていた牛たちは、この茶色の大地のさらに向こうにある牛小屋の中や周辺にいて、以前のように広いエリアを自由に歩き回れないようになっているらしい。

2020年10月14日(水)

次の写真は、ランドマークの木の側にあるサボテン。左側のサボテンが、そもそももらってきてここに植えて大きく育ったものなのだけれど、種が飛んだのか、右側にも同じものが自然に生えてきて育ってきている。そして、2枚目の写真でもわかるように、この右側のサボテンの手前や右後ろにも芽が出てきていて、徐々に数が増えている。先日、離れに行く道沿いにひとつこれと同じ小さなサボテンが芽を出している写真を掲載したけれど、とにかくこのサボテンは繁殖力が旺盛なようだ。このサボテンのことをエドソンと何度か話題にしたからなのか、先日エドソンが変な夢を見たという。その夢の中で鶏がお隣のコーヒー園の入り口ゲート辺りをウロウロしているので、よく見るとうちの鶏で、その鶏の足がこの楕円形の緑のサボテンだったんだと言っていた。先月、うちの鶏が脱走して、ひらちゃんが怪我をしたりとか色々あったので、それとサボテンが無意識下で融合して、そんな夢になったのだろうか?と、ふたりで笑った。

2020年10月15日(木)

最近、エドソンはワンコたちを夕方のお散歩に連れて行ってくれるようになった。森の貯水タンクの水を汲み上げに行く時は、いつもめいを連れて行っていたけれど、貯水タンクの水を汲み上げに行かない日ははるとひろも順番に連れ出してくれ、しかも一緒に走ったりするので、ふたりとも、お散歩の後は口でハアハア息をしながら、とても満足したように笑顔で帰ってくる。まず、はると一緒にお散歩をして、次にひろ。そして、最後にめいという具合に1匹ずつ連れて散歩をするので、エドソンには結構な運動になっている。次の写真は、はるがお散歩に出た後、玄関マットの上で、はるが戻り、自分の番がくるのを待っているひろ。先日はエドソンと私との連携プレイがうまく行かず、私がひろのリードを確保する前にエドソンが少し開けた玄関ドアの隙間からひろが外に飛び出して行ってしまい、捕まえて連れ戻すのに、ちょっと苦労した。めいはリードがはずれてひとりで飛び出して行っても、20~30分走り回ると満足して、自主的にベランダに戻ってくるけれど、ひろは外を自由に走り回ることに慣れていないし、野うさぎなどの動物に遭遇したら、どこまで追いかけて行くか想像もつかないし、ちゃんと自分で戻ってこれるのかもわからないので、自由に走り回わらせるわけには行かない。でも、呼んでもまったく無視なので、捕まえるまでが大変。

2020年10月16日(金)

アメリカ、ワシントンDCで暮らす友人が、先週末ニューヨーク州の家族のところに行った際、Finger Lake regionにあるお兄さんの別荘に行って撮った紅葉の写真を送ってきてくれた。現在も移動の規制があって、ニューヨーク州はワシントンDCからの人は受け入れても、メリーランドやヴァージニアからの人は入ってはいけないらしい。DCからの移動はOKなので、来年大学生になる長男の大学探しの一環で、Ithaca CollegeとSyracuse Universityを訪ねることができたと言っていた。生活はまだ正常には戻っておらず、マスク着用が義務化されているらしい。そして、大統領選挙関連の混乱が続いていて、国が2つに分断されそうな様相を呈していることを悲観していた。アメリカもブラジルも政治は混沌としているけれど、自然は季節が巡ってくれば、ちゃんとその美しさを示してくれる。ここではこんなきれいな紅葉は見られないけれど、防風林の並木のカエデがほんの少し黄葉する。でも、今年は急に冷えたり、暑くなったりと、不安定だったからか、いつものわずかな黄葉もほとんど見られなかった。そして、今秋真っ只中の北半球と違い、こちらは暑くなったり涼しくなったりを繰り返しながら夏に向かっている。

2020年10月17日(土)

木曜日の夜、マナウスATSツールの島さんからメールをいただき、アマゾン河の合流点とフローティングビレッジを訪問するライブツアーを金曜日の朝実施するので参加されませんかと、ご招待いただいた。急なことだったけれど、せっかくの機会なので、お言葉に甘えて参加させていただいた。次の写真は、マナウスの港から対岸にあるカタロンというフローティングビレッジに行った後、ネグロ河とソリモンエス河が合流する地点を見学するツアーの行程を示す地図。

このライブツアーはフローティングヴィレッジの入り口辺りにある場所で、日系のガイドさんが釣りをしているところから始まり、釣れたピラニアの子ども(下の1枚目の写真)を見せてくれた。ピラニアというのは1種類だけでなく、いろいろな種類がいるということを初めて知った。2枚目の写真は、ガイドさんがピラニアを釣った場所のすぐ側で、ピラルクを養殖して釣り体験というか、ピラルクの大きさを体感させてくれる観光施設ということで、見せてくれたところ。ここで養殖しているピラルクはだいたい70~80キロだそうで、大きいものは100キロの大物もいるのだそう。ピラルクというのは古代魚だそうで、1億年前からその姿を変えていないのだそう。恐竜は絶滅してしまったけれど、恐竜と同じ時代を生きていたピラルクは、今も生きているというのはすごいなと思った。

次の3枚の写真は、フローティングビレッジの入り口から入って行って見える景色。アマゾン河の水位は、増水期と減水期で水位が10メートルも上がったり下がったりするのだそうで、今、マナウスは乾季で、減水期なので、いつもは水で見えない部分が見えるほど水位が下がっているということだった。この水位はさらにもう少し下がり、11月か12月頃から増水するということだった。ここを通過中、人々が小舟で行き来していたり、犬が対岸に向かって泳いでいたりしていた。3枚目の写真は、LAN HOUSEというインターネットカフェのような場所だそう。このフローティングビレッジには学校はあるけれど、病院はないので、病気治療や出産には対岸のマナウスの町まで行かなければならないのだそう。この後、ちょっとインターネットのトラブルで10分くらい映像が途切れたのだけれど、回復したら、ある1軒のお宅にお邪魔して、中を見せてもらっているところだった。水の上に浮かぶ家と言っても、中はとても綺麗で普通のお宅と変わらない感じだった。それに名前は忘れたけれど、水の中でも40~50年は十分保つ丈夫で特殊な木材の上に建てられているので、揺れたりもしないとも言っていた。

2020年10月18日(日)

フローティングビレッジ訪問の後、河を少し下って、ネグロ河とソリモンエス河の合流点に行った。1枚目の写真の上側の黒い部分がネグロ河で、下側の薄茶の濁った感じの部分がソリモンエス河。このふたつの河はマナウスで合流するのだけれど、水温が4~5度くらい異なるのですぐには混じり合わず、ここから10キロくらいはずっとこんな風に2色に分かれたまま流れて行くのだそう。2枚目の写真は、この2つの河の水源からの流れを辿って示している地図。上側の黒い線がネグロ河で、この河の水源はコロンビアのジャングルなので、水温が高く、流れが遅く、枯葉とかいろいろな物が混ざっていて酸性度が高いので、水が黒っぽいのだそう。下側の水色の線が、ソリモンエス河で、ペルーの5000メートルの高さにあるアンデスの雪解け水が水源なので、水の流れるスピードが速く、水温が低いのだそう。このソリモンエス河は、いわゆるアマゾン河の上流で、アマゾン河の長さを測る際は、このペルーの水源から河口までの長さを言うのだそう。ちなみに、マナウスの町の水道水は、ネグロ河の水を浄水して使っているのだそう。そして、フローティングビレッジの人たちの水は、マナウスの町から水を運んでいると言っていた。

次の写真は、この日実際にボートから見た河の合流点の様子。ここの水深は150メートルもあるのだそうで、大ナマズなどがいて危険なので、水の中に入って泳いだりしてはいけないのだと言っていた。向こう側がネグロ河で、手前がソリモンエス河。2枚目の写真は、ガイドさんがコップに汲んだ水を比較して見せているところ。私たちから向かって右側(ガイドさんの左手)がネグロ河の水で、左側(ガイドさんの右手)がソリモンエス河の水。ネグロ河の水は少し黒っぽくて、ソリモンエス河の水は白く濁っている。このライブツアーでは、ただその場所を見せるだけでなく、背景となる基礎的な情報もいろいろ教えてくれるので、とても興味深く、「へえ~、そうなの?なるほどねえ~」などと、つぶやきながら楽しんだ。

2020年10月19日(月)

ここで暮らしていてうれしいことのひとつは、朝、鳥たちの歌声を聞きながら目覚めることができること。早朝真っ暗闇からほんの少し明るくなり始めると、いろいろな鳥たちが歌い始めるのだけれど、今の時期、一番耳にするのはサビアーという鳥と、チコチコというすずめの一種。サビアーはツグミ科の鳥で、ブラジル全土で暮らしている野鳥。その歌声の美しさでサンパウロの州鳥と、ブラジルの国鳥にも指定されている。サビアー・ド・マト、サビアー・ド・カンポ、サビアー・ラランジェイラ、サビアー・ポカ、サビアー・バハンコなど様々な種類がいて、それぞれに鳴き方が違っているらしい。ここでよく耳にするのはサビアー・ド・カンポやマトのようで、それらとは少し違う歌声も聞こえたりするのだけれど、どの歌声が何というサビアーの声なのか、私には良く分かっていない。オオオニハシやスミレコンゴウインコなどがブラジルのシンボル的な鳥として有名だけれど、この見た目はとても地味なサビアーは歌声が美しいので、とても愛されている。

うちで聞こえる歌声とは少し違うのだけれど、サビアーの鳴き声がYoutube上にあったので、そのサイトで歌声を聞いてみてください。このサイトは、こちらへ

2020年10月20日(火)

サンパウロの北東、サン・ジョゼ・ドス・カンポスよりもう少しリオデジャネイロ寄りの山の上にある町で、サンパウロからバスで約2時間のところにブラジルのスイスと呼ばれているCampos do Jordao(カンポス・ド・ジョルドン)という町がある。私はまだ一度も行ったことがないのだけれど、避暑地というか、高原リゾートとして有名な町で、ドイツ風の建物が立ち並び、ブラジルというよりもヨーロッパの町のような場所。

ここよりも標高が少し高く1200メートルくらいなので、冬はここよりも寒いのではないかと思う。日系の老人ホームもあり、7月か8月の桜の季節に例年桜祭りが開催される。たまたまYoutube上でこの町を旅行した人がアップした動画があったので、リンクをはってみる。このサイトは、こちらへ

2020年10月21日(水)

土曜日にエドソンが鶏レバーを圧力なべで調理した後、その調理した半分のレバーに、さらにズキーニとトマトなどを加えた夕飯を作ってくれた。あいにくその時の写真は撮り忘れてしまった。調理済みの残り半分の鶏レバーは、日曜日の午後にパテ(レバーペースト)を作るのに使うと言っていたのだけれど、忘れてしまっていて、夕方私が夕飯を作っている時になって思い出して、作業をして作ってくれた。このパテは朝食のパンに塗って食べたいということで、翌日月曜日の朝食から食べるようになった。次の写真は、月曜日の朝食の際撮ったもの。でも、サラダを食べ終わり、パンを食べ始めてから、写真を撮ることを思い出したので、パンとパテしか写っていないおかしなものになってしまった。右側の容器の中の茶色いものが鶏レバーでエドソンが作ったパテの一部。結構な量のパテができたので、朝食のパンに塗って食べるだけではなかなか消費できないのではないかと、ちょっと心配している。

2020年10月22日(木)

先日サビアーという鳥の写真と歌声を掲載したので、今日は、チコチコというすずめの一種の写真と歌声を掲載してみる。チコチコは本当に身近でよく見かける鳥で、この鳥の特徴は、日本で見かけるすずめの頭にトサカのような感じのものがあること。そして、個体によって多少異なるけれど、歌声がとても可愛いこと。

チコチコが歌っているサイトは、こちらへ。蛇足だけれど、この動画のチコチコは鳥かごの中にいるのがちょっと気になる。何故かというと、ブラジルでは野性の動物や鳥を捕まえて、こんな風に自宅で飼ってはいけないという法律があるから、これは違法行為。

2020年10月23日(金)

今月3日に発送された2020年10月15日発行の楽書倶楽部第55号が、この水曜日にエドソンが買い物に行った際、郵便局に届いていたので、持って帰ってくれた。通常でもサンパウロからの普通郵便は4~5日はかかるのだけれど、今回は9月下旬に2ヶ月近く続いていた郵便ストがようやく終わって間がなかったので、前回の買い物に行った8日にはまだ届いていなかったのだ。サンパウロ市内でも、まだ届いていない人もいるらしく、ちゃんと届くだろうか?時間がかかるだろうかと、前園さんは心配しておられたけれど、何とか無事に届いて、一安心。以下は、この号に掲載された私の文章。

被爆から七十五年

八月上旬、広島の友人が被爆七十五周年の原爆死没者慰霊祭並びに平和祈念式典をリアルタイムで見ることのできるYoutubeのサイトを知らせてくれた。それで、八月五日の午後八時過ぎ(日本時間八月六日午前八時過ぎ)からそのサイトを開いて、八時十五分から一分間行われた黙祷に参加することができた。

当時、私の母は十九歳で、広島市の西の端にある井口(いのくち)の山の上にあった軍需工場のようなところに動員されて仕事をしていたため直接の被爆は免れた。母の母、つまり私の祖母は爆心地から二キロほどのところにあった己斐(こい)の自宅で被爆した。爆風で家の瓦や窓などが吹き飛ばされるという被害はあったものの、幸い怪我はなかった。ただ、当時十三歳で広島市女(ひろしまいちじょ)の二年生だった叔母は、女学校から建物疎開の作業で市の中心部(現在の平和公園近く)に駆り出されていたため行方知れずになった。

井口の山の上から原爆のきのこ雲を目撃した母は、その後己斐まで一緒に行ってくれるという軍人さんに伴われて自宅のある己斐まで戻り、妹を探しに行こうとしたものの、火の海と化している市中に今入るのは危険だから翌日まで待つようにとその軍人さんに説得され、とりあえず家に戻った。続々と市内から避難してくる負傷した被爆者の群れに、夜は危険だからと、町内会の人達と一緒に己斐の山の上に避難して一夜を過ごした。そして、翌朝、母は叔母たちが作業をしていたと思われる市の中心部まで何とか行って妹を探したものの、遺体はもちろん、何の痕跡も見つけることはできなかった。

私は子供の頃、その日母が目にした市中の恐ろしい光景を母から何度も聞いたことがある。自分で経験していないにもかかわらず、まるで自分で見たことのように、今でもその話を聞きながら想像した光景が目に浮かぶ。母はその時は神経が麻痺していたから、それらの地獄絵図を見て酷いとは思っても怖いとは思わなかったと言っていた。いわゆる火事場の馬鹿力で、とにかく妹を探して連れ帰らなければという思いに突き動かされていたのだろうと思う。

その後母は、学校の方で何か情報が得られるかもしれないと、広島市女まで行ってみた。当時、建物疎開に出ていた女学校や中学校は、作業現場の近くにそれぞれ集合場所を決めていて、皆の荷物をまとめて置いていたため、その日非番で助かった先生がすでにその場所に行って、学生達のものと思われる遺留品を学校に持ち帰っていた。その中に叔母が使っていた水筒があったため、その水筒だけを母は持ち帰った。その水筒はフィリピンで戦死した彼女達の兄が使っていたもので、遺骨のない伯父や叔母の代わりに、その水筒がお墓に埋葬されていると聞いたことがある。そして現在、その集合場所だった所にはそれぞれの学校の犠牲者のための慰霊碑が建てられている。平和大通りをはさんで平和公園の南側にある広島市女の慰霊碑には叔母の名前も刻まれている。

あれから七十五年。叔母が生きていたら八十八歳だ。祖母も、当時すでに結婚して広島にはいなかった伯母(母の姉)も、八十八歳まで生きたし、二年前に亡くなった母も九十二歳まで生きたので、原爆がなければ叔母もきっと長生きしたのではないかと思う。おとなしい性格の母とも、気の強い伯母とも、少し性格の異なるこの叔母のことを聞くにつけ、一度でいいから会ってみたかったと思ったものだった。毎朝家族と水杯を交わしてから作業に出ていた叔母が何を考えていたのか、どんな夢を持っていたのか、もし現在生きていたらどんなおばあさんになっていたのか知りたかった。

私はアメリカという国は嫌いではないし、憎んでもいない。アメリカの大学を卒業し、アメリカで仕事をしたこともあるので、アメリカの良い面も悪い面も理解している。何十年もの付き合いの親しいアメリカ人の友人も何人かいる。近年、国内外で違法なことをして、非道の限りを行い、自由と民主主義を踏みにじっている共産党独裁国家の中国が世界を支配するくらいなら、アメリカが世界を支配した方がよっぽどましだとも思っている。ただしかし、戦時中アメリカが東京を始めとする日本の六十六もの都市への空爆で計画的に民間人を虐殺した行為は国際法違反だと考えている。それに加えて二つの核爆弾を日本に対して使うことに当時の米国政府内で皆が反対する中、ただひとり賛成したバーンズ国務長官と、この新しい兵器を使いたいがために戦争終結を意図的に遅らせ、広島、長崎で数十万もの民間人を殺戮したトルーマン大統領の犯した国際法違反と人道に対する罪は決して許すことはできない。いつか後世の人々がこの戦争責任を正しく認識し、この非道な行いに対して公正な審判を下す日が来ることを願って止まない。

当時の母と叔母のことを考えていたら、次の三つの短歌が心に浮かんだので、ここに記しておきたいと思う。
妹を 探し歩いて 手にしたる 兄の形見の 水筒ひとつ
地獄絵の 中を彷徨い 呆然と 感覚のない 母ぞ悲し
毎朝の 水杯を 交わす子は 短き命 捧げ逝くなり

2020年10月24日(土)

先日、鶏に野菜ぐずを与えるために、畑に向かって歩きながら、何気なく進行方向左前方の庭に目をやると、緑の中に赤い花のようなものが見えたので、フランボヤンの花だろうか?と思い、その後カメラを持って行ってみると、やはり、フランボヤンの花が咲いていた。庭の西側の糸杉や桜の側にあったフランボヤンは切ってしまったのだけれど、もう1本、庭の東側にフランボヤンがあったことにこの花のお陰で気づかされた。1枚目の写真は、緑の中にちらほら見えた赤い花の部分を側まで行って撮ったもの。2枚目の写真は、1枚目の枝とは違う反対側の枝を撮ったもの。そして、3枚目は、花を少しアップで撮ったもの。

2020年10月25日(日)

金曜日の夕飯の副菜に、ひじきと人参としめじの煮物を作った。ひじきを使ったおかずを作るのは珍しいので、記念に写真(左側)を撮った。でも、テーブルの上に並んだ主菜の豚肉とじゃがいもの重ね焼き(右側)の方が量が多くて、存在を主張しているので、一緒に並べて撮るべきではなかったかな?と後で思った。最近、Youtube上で認知症予防とかという番組があると、ついつい見てしまうのだけれど、その中で、腸内環境を整えないと、脳に悪い影響があるから、認知症予防にはまず腸内環境を整えようと言っている番組があり、そのためには、「まごはやさしい」という食生活に努めるようにと言っていた。「ま」はまめ。「ご」はごま。「は」はわかめ。「や」はやさい。「さ」はさかな。「し」はしいたけ、または、きのこ類。「い」はいも類なのだそう。そして、高齢者はこれにお肉を加えると良いということだった。ボトゥカトゥまで行かないと手に入らない食材も少なくないので、こういう食生活をすることは簡単なことではないのだけれど、この日は副菜にわかめではないけれど、ひじきとやさいときのこ類を足してみた次第。この他にこの日は作り置きの副菜のきゅうりの酢の物にわかめとカニカマが入っているから、まずまずかなと、自己満足。そして、最近エドソンが毎日ご飯の代わりにお豆が食べたいと言うので、カリオカ豆やレンズ豆などを水煮したものを作り置きしている。彼はこれに塩少々とオリーブ油を少し垂らして食べている。一方私はその水煮しただけで、何も味つけをしていない豆を午後のおやつとして少し食べている。カリオカ豆はただ水煮しただけでも自然の甘味があって、とてもおいしい。

2020年10月26日(月)

この土曜日は久しぶりに手伝いのゼーがマリアとふたりで来てくれたため、いろいろ仕事がはかどった。次の写真は、家の西側のランドマークの木のさらに西側の道沿いの桜並木を撮ったもの。桜の木の足元の枝をはらってもらってすっきりしたので、ワンコたちとのお散歩も垂れ下がった枝が頭に当たることなく、歩き易くなった。2枚目の写真は、桜並木と、後ろのセドリーニョとユーカリの木の並木の間に積み上げられた桜の枝。

2020年10月27日(火)

次の写真は、家の東側の庭で咲くアモー・アガハジーニョというつる性の花を撮ったもの。この花はもう何年もここで咲きつづけているので、だいぶつるが枯れてきて、花の数も減ってきている。この花の位置関係としては、画面中央右に見える枝が、この庭の真ん中にあるヒマラヤ桜の木。右奥に孟宗竹の竹林が見え、そのさらに奥が野菜畑。

2020年10月28日(水)

Youtube上で国際政治学者の藤井厳喜氏が、「Inside Trump’s White House」という本を翻訳出版したということで、その本の内容を4回に渡ってかいつまんで紹介していた。普通メディアで目にするトランプさんに関する評価は彼の表面的な粗野な感じの人間性と相まってネガティブなことばかりで、私も彼の人間性が好きではないのだけれど、そうなのよね。私も印象操作されているのかもしれないな。とにかく彼は結果を出しているのよね。と、とても納得できるおもしろい内容だったので、以下にリンクをはってみることにした。

【トランプの真実(1)】「頼む、核だけは...」トランプへの手紙に書かれた金正恩の告白は、こちらへ

【トランプの真実(2)】トランプ当選の立役者は”家族”!?マスコミが語らない「トランプ一家の真実」は、こちらへ

【トランプの真実(3)】「本当のトランプを知りたいあなたへ」事実・データから読み解く”本当のトランプ像”は、こちらへ

【トランプの真実(4)】「なぜ、トランプの経済政策は結果が出るのか」トランプが変えた世界経済のトレンドとは?は、こちらへ

2020年10月29日(木)

次の写真は、玄関前の外階段の箱庭のソテツを撮ったもの。ソテツの下側の古くなって黄色く変色した葉を、ゼーが切り取ってくれたので、新しい緑の葉だけになり、きれいになった。

2020年10月30日(金)

いつも見ているインターネットテレビWILL増刊号で、先日来日本の電力政策や原発のことに関して、デスクの山根君が東京工業大学特任教授の奈良林直氏にインタビューしているものと、奈良林氏と桜井よしこ氏の対談とがあり、日本が隠している不都合な真実を分かり易く説明していたので、以下にリンクをはってみた。この件に関してもメディアがちゃんと勉強して事実を伝えないので、私自身知らないことばかりだったけれど、みんなも知らないだろうなと思った。

インターネットテレビWILL増刊号#300「太陽光発電でCO2削減」はウソは、こちらへ

インターネットテレビWILL増刊号#301「原発再稼働、どんな審査が行われている?」は、こちらへ

インターネットテレビWILL増刊号#302「震災を乗り越えた女川原発」は、こちらへ

インターネットテレビWILL増刊号#303「震災から10年を迎えて」は、こちらへ

インターネットテレビWILL増刊号#305「再エネ大国の欺瞞(1)」は、こちらへ

インターネットテレビWILL増刊号#306「再エネ大国の欺瞞(2)」は、こちらへ

2020年10月31日(土)

先週水曜日にエドソンが町に買い物に行ってくれた際、途中で寄った建築資材のお店か郵便局で、私が用意した買い物リストを失くしたらしく、スーパーでの買い物は家を出る際に見たそのメモの記憶を辿ってしたため、トマトやいんげんなどを買い忘れてしまっていた。それでこの木曜日に再度買い物に行ってくれたのだけれど、「もう~信じられない!」とブツブツ言いながら帰宅した。話を聞くと、スーパーで買い物をしていると、市長候補が副市長候補や彼らのグループの市議会議員候補ら20人ぐらいを引き連れてスーパーにどっと入ってきて、店内にいた人たち一人一人に握手やらハグやらチークキスやらの挨拶を始めたんだと言う。一応みなマスクはしていたようだけれど、市長候補は歯科医師で、一応医師なのにそんなことして信じられないと憤っていた。そして、エドソンのところにも来て握手やハグをしようとしたので、「止めてください」と拒否したと言っていた。11月3日はアメリカの大統領選挙があるけれど、ブラジルでは11月8日に地方選挙があり、市長や市議会議員が選ばれることになっている。パーディーニョではYoutube上で市長候補へのインタビューがアップされたりとか、選挙活動が行われていることはエドソンから聞いて知っていたけれど、こういう風に町に繰り出して濃厚接触をする活動もいつも通りにしていたのかと、ちょっと驚いた。

それから先日、アメリカの友人から彼女の息子の音楽が日本のコマーシャルに使われたから聞いてみてとメールが来た。ずいぶん以前、この子が10代後半頃だったか音楽の方に進みたいと言っていると聞いたことがあるけれど、何となくヘビメタとかが好きなのかな?と勝手な想像をしていた。そうしたら想像とはまったく異なり、こういう音楽を作っているのかと意外な感じがした。このコマーシャルの動画サイトは、こちらへ



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