Kyoko Yoshida Life in Brazil BLOG 

2020年7月1日(水)

今週は毎日寒い日が続いている。この日曜日は雨は降らなかったけれど日差しがあまりなく、太陽はお昼前後にちょっと顔を出しただけだった。こんな日は午前中は寝室のベッドの中で毛布に潜り込んで過ごすはるとひろだけれど、お昼前に日差しが出ると居間の日溜まりに来て、ベッドを日溜まりに移動させてと言うので、移動させると、その中で過ごした。そして、午後2時頃だったか、日差しが陰るとひろはストーブの前の方が暖かいと思ったらしく、ストーブの前に座って、ベッドを持って来てと言うので、ベッドを居間からストーブの前へと移動。やれやれ注文が多いこと。次の写真はストーブの前のベッドの中でひろがはるの耳をペロペロ舐めているところ。これはひろの愛情表現。2枚目は、この後しばらくして休憩で下から上がってきたエドソンがベッドの中のふたりにちょっかいを出しているところ。はるは反応しているけれど、ひろはいたってマイペース。

2020年7月2日(木)

今年は例年になく早く、6月中旬に咲き始めた桜だったけれど、何故か後が続かず、花がしおれ始め、葉が出てきてしまい、木全体に花が咲くことなく、あらもうお終いですか?という残念な結果になった。毎年、多少花の多い少ないはあるので、いつも同じようにきれいに咲き誇るわけではないけれど、こんなに少しの花しか咲かず、中途半端で短命な開花は初めてではないかと思い、ちょっとがっかりした。次の2枚の写真は、2週間前に掲載した同じ桜(玄関前と庭の桜)を火曜日に撮ったもの。

2020年7月3日(金)

6月30日(火)は雨は降らず、まずまずのお天気だったのだけれど、1日中強い風が吹き荒れた。それでエドソンは寝る前に家の中のコンセントをすべて抜いて雷や停電に備えてくれた。私は眠っていて気がつかなかったのだけれど、夜中に雨が降ったようだった。ここはそれだけで済み、停電もしなかったので幸いだった。後で知ったのだけれど、6月30日から1日未明にかけてブラジル南部を爆発的なサイクロン(ciclone bomba)が襲い、多数の家屋が倒壊し、10人の死者が出たというニュースがあった。この影響でリオ州やサンパウロ州でも多数の木が倒れ、街路が分断され、各地で停電の被害があったという。このサイクロンは温帯低気圧(Ciclone extratropical)の一種で、南極から冷気が勢いよく流れ込んで寒冷前線が北上し、急激に気圧や気温が低下することで大西洋上に突発的に生成されるものらしい。その影響で陸上でも時速100キロ超の突風が吹くのだそう。ここよりも南でパラナ州との州境に近いイタぺヴァでは複数箇所で倒木被害があったという。このサイクロンがもう少し北上してきていたら、ここも危なかったんだなと思った。それにしても今は冬だというのにサイクロンだなんて、温暖化による異常気象としか言いようがない。そして、1日の水曜日は午後からどんどん気温が下がり、2日木曜日の朝の気温は5度だった。朝の気温が一桁という状態は日曜日くらいまで続くらしい。

2020年7月4日(土)

一昨日の木曜日に、町の郵便局やスーパーに行ってくれたエドソンが、届いていた2020年6月15日発行の楽書倶楽部第53号を持って帰って来てくれた。以下にこの号に掲載された私の文章をコピーした。外出自粛規制で前園さんを始めとする編集の皆さんはそれぞれ自宅に引きこもって作業をしなければならない状態なのに、ちゃんといつも通りに発行してくださるのだから、頭が下がる。

異なる文化、異なる思考

年初から中国で始まり世界中で蔓延し始めた武漢肺炎の感染者が、二月下旬にブラジルでも確認された。とうとう来たか。これは大変なことになると思い、自宅でやっていた英語と日本語のプライベートレッスンをすべてキャンセルして、自宅への人の出入りを止め、3月中旬から夫とふたりで自主隔離生活を始めた。そのため私の日々の生活の中心だった若い生徒さんたちとの関わりが一切なくなってしまい、何とも寂しく感じている。

若い人たちと日々接していると、ブラジルの人たちの物の考え方はずいぶん違うなあと思うことがよくある。今日はその一例として、ひとりの女の子のことを書こうと思う。大学で看護師になるための勉強をしているその女の子の思考形態は、私にとってはまさに不思議が一杯なのだ。まず、すでに私とレッスンをしていた彼女のボーイフレンドを通じてレッスンを受けたいと言ってきたので、レッスンの可能な日時やレッスン料などをそのボーイフレンドを介して伝え、彼女の要望の日時でレッスンを始めた。すると、三回目のレッスンが終わった時、今日四回分、つまり、一ヶ月分のレッスン料を支払いたいけれど、合意したレッスン料は払えないと言い出した。いくらだったら払えるの?と聞くと、合意したはずのレッスン料の三分の二の金額しか払えないと言う。一旦合意した条件を、仕事を始めて少ししてから根本からひっくり返して自分の都合のいいように変更しようとする人たちがいることは、ブラジルに来てからこれまで何度か経験していたので、ああ、またかと思ったものの、もうレッスンを始めてしまっていたし、私はお金のためだけにレッスンをしているわけではないので、まあ、仕方ないなあと思い、そのレッスン料で続けることにした。

そして、一年近くして、レッスン料の支払いを4回のレッスンが終わった月末か月初めではなく、月の中頃にさせてほしいと言ってきた。理由を聞くと、病院での看護助手のアルバイト代が月の半ばに支払われるので、そのお金がある間にレッスン料を支払いたいのだと言う。彼女のボーイフレンドの話しによると、彼女はアルバイト代が入ると後先のことを考えず、すぐに使ってしまうので、月末や月初めには、もう手元にお金が残っていないらしい。月々決まって支払わなければならないものがあるとわかっていても、それを使わないで取って置くということができないのだと言う。従って貯金もまったくできないのだと聞き、一体家庭でどういう教育を受けているのだろうかと思った。夫にそのことを話すと、ブラジル人の女性には結構そういう人がいるんだと話してくれた。目の前にある欲しい物を我慢したり、お金を貯めてから買うという習慣というか思考形態がない人が少なくないらしい。ああ、だからカードローンの負債を抱えている人がブラジルには多いのかな?と思ったのだった。

さらに彼女とのもうひとつおもしろいエピソードがある。レッスンの中で、「あなたの国の人々は時間通りに仕事に出ますか?」という英語の質問に英語で答えてもらう練習をした際、「はい。皆、普通時間通りに仕事に出ます」と彼女が言うので、「あなた自身はどうですか?」と聞くと、「時々、遅刻することがあります」と言う。「どうして遅刻するのですか?」とさらに聞くと、「私は速く歩けないからです」という答えが返ってきて、私は一瞬、意味がわからなかった。もう少し詳しく説明してもらうと、彼女いわく、車で送ってもらえる時は遅刻しないけれど、車で送ってもらえない時は歩いて行かなければならず、彼女は速く歩けないから遅刻するのだという。「家から職場まで歩いてどのくらい時間がかかるかわかっているのだから、歩いて行く際は、どうして遅刻しないように、早めに家を出ないのですか?」と聞くと、「???」と一瞬ポカンとして「ああ・・・」と言って彼女が驚いていることに、私自身驚いて、笑ってしまった。そして、生まれ育った文化が違うと、こうも思考形態が異なるのか?と、妙に納得したのだった。

2020年7月5日(日)

大きな一房のバナナがあと残り3本になり、だいぶ黒ずんできていたので、これを直接食べるよりも何かを作ろうと考えた。でも、バナナブレッドを作るには量が少なすぎるので、久しぶりに朝食用のマフィンを作ることにした。いつだったか小麦粉を買い物リストに入れた際、エドソンは小麦粉だけでなく、アヴェイア(Aveia)という粉物を買ってきて、これもパンとかお菓子に使えるよと言っていた。どうもオートミールのようなものらしいのだけれど、さて、どうしようかと思いつつ、まだ使っていなかった。それで、今回のマフィンに使ってみることにした。写真の左側がそのアヴェイアの袋で、右側がそれで作ったマフィン。うっかりベーキングパウダーを入れ忘れたため膨らまず、何だかふわふわサックリという具合にはならず、重たい感じになってしまった。まあ食べれないことはないけれど、エドソンは何だか食感がいまいちで、重いねと言って、1個は多すぎるからと半分しか食べてくれなかった。重たい感じになったのはベーキングパウダーを入れ忘れたからだと思うけれど、食感の問題はさらさらの小麦粉ではなく、つぶつぶのあるアヴェイアを使ったからかなあ?失敗。失敗。エドソンに不評だったので、残りは私の午後のおやつとして少しずつ消費することにした。

2020年7月6日(月)

パーディーニョの町はとても小さいのに、スーパーが5軒くらいある。でも、どのスーパーも取り扱う商品は似たりよったりで、ここの人達は食べないけれど私がほしい野菜や魚などは隣町のボトゥカトゥの大きなスーパーに行かなくては手に入らない。エドソンがいつも行くスーパーはパーディネンセと言うのだけれど、どうしてここに行くようになったのか良くわからない。精肉売り場やパン売り場が気に入っているのか、お店の対応が他よりましと思っているのかもしれない。先週の木曜日に食料品の買出しに行ってくれ、冷凍のサーモンがあったと言って買ってきてくれた。お魚は冷凍物しか販売していないけれど、いつもあると言うわけではなく、たまに見た感じいいものがあれば買うという感じのようだ。でも、手に入るだけでもありがたい。この大きな半身のサーモンのお値段は108レアル近くと結構高かったけれど、5食分くらいになる量だから仕方ないかな?と思った。これを少しずつ食べるために切り分けて、ラップに包んで、容器に入れて冷凍保存した。

2020年7月7日(火)

エドソンは仕事やプロジェクトなどに必要だけれど、ここでは手に入らない電子機器部品などをネット上で探して買うということをよくするのだけれど、最近、それらとは関係のない普通の商品をネット販売で時々買ったりするようになった。オーガニックのココナツ砂糖とドライバナナを買ったと言っていたけれど、楽書倶楽部と同じように、ちょうど届く頃に郵便局に取りに行けるわけではないので、注文したという話を聞いてからだいぶ経った先週の木曜日にパーディーニョの町に行った際、届いていた商品を持って帰って来た。以下がそれらの写真で、左から、ココナツ砂糖4袋、ドライバナナ2袋、そして、チョコレートパウダー1袋。ドライバナナは食べたかったのだろうけれど、どうして砂糖やチョコレートパウダーを買おうと思ったのかはよくわからない。でも、普通に使うものだから問題はないのだけれど・・・。ココナツから作ったお砂糖って、ココナツの味がするのだろうか?

今年の桜はちょっとしか咲かず、木全体が満開になることなく、もう終わってしまった。厳密に言えば、まだチラホラと花を咲かせているのだけれど、本当にチラホラとだけ。でも、食卓のサツキ(写真左側)は、今もパラパラと息長く花を咲かせてくれている。そして、6月中旬くらいから3つ芽を出していた蘭(右側)も咲き始め、1つずつ開花して、ようやく3つ全部が開花したので、写真に撮ってみた。

2020年7月8日(水)

先月末、ニッケイ新聞にあった記事にリンクをはって、チェルノブイリ原発事故後甲状腺がんを発症した子供たちを助けたいと現地で奮闘した日本人医師のことを紹介したら、広島の友人がその医師の本を持っていて、送りたいけれど、まだブラジルへの郵便は受け付けてもらえないから送れないと言ってメールをくれ、本の写真を送ってきてくれた。私はニッケイ新聞の記事で初めてこの医師の存在を知ったのだけれど、日本では結構知られている先生なのかなと思った。

そして、この友人は児童文学を書く人なのだけれど、このコロナ禍での蟄居閉門中に一気に書いた本が今月半ばに出版されると知らせてくれた。私はこの自主隔離が続く中、日々の家事以外、まったく何も建設的なことをしてきておらず、とにかくストレスを貯めず元気でいることが一番と甘えてずぼらな毎日を過ごしているなあと反省。

2020年7月9日(木)

6月中旬に咲き始め、後が続かず、満開にならずに終わってしまった感じの桜だったけれど、先週一週間続いた冷え込みの後で、今週は暖かくなったからなのか、まだ目覚めていなかった花芽が目覚めたようで、またパラパラと花が咲き始めた。それで、昨日庭の桜の写真を撮ってみた。すでに花が咲いて終わってしまった枝には、葉が出てきていて、葉のない裸の枝に花が少し咲いている。うちの桜は7月下旬から8月頃はピークを過ぎて、花と葉が共存したりはするけれど、7月上旬にすでに花と葉が共存しているというのは珍しい。

2020年7月10日(金)

先日、ペトロポリスの安見さんからのメールで、FIQUE EM CASA(Stay Home)で過ごす中、ジグソーパズルに挑戦したとあったけれど、その後、TV O BLOBOの地方局INTER TVのニュース番組の中のFique em casaの過ごし方として、このJigsaw Puzzleの2,000ピースを組み立てた人や、3,000ピースを三ヶ月かかって完成させたという人を紹介していたのだそう。「この時期、皆考えることは同じなんですね」と、またメールをもらった。それで気を良くして、今度はリスボンの街並みの1,000ピースのパズルをされたと言って、その完成記念写真を送ってきてくださった。今年は仲の良い友人たちと、気候の良い5月か6月にPORTOからSantiago de Compostelaまで100Km強を歩く旅行を考えておられ、2月になって旅行の詳細な計画を立てるつもりが、今回のコロナ禍でお流れになり、もし行っていればリスボン一泊となるところだったので、パズルにリスボンの町並みを選んだのだそう。

リスボンはご夫妻にとっては思い出の場所で、最初に訪れたのは35年前、お嬢さんがまだ6歳の時に、ブラジルから日本への帰国途中に立ち寄り、二度目は6年半前に、当時リスボンに行っていたお嬢さんに会いに行かれ、今回はパズル組み立ての擬似旅行で3度目の訪問となったということだった。私はリスボンと言えば、4~5年前、イギリス経由で日本に行く途中、リスボン空港でロンドン行きの飛行機に乗り換える際、到着が遅れたため空港内を長距離走らされ、結局乗り継ぎに間に合わず、次の便まで結構待ったという、ポルトガル航空のひっちゃかめっちゃかな対応に疲れた思い出しかない。

2020年7月11日(土)

今、外階段横の箱庭や畑やその周辺など、あちこちに生えているサボテンの一種のような、アロエの一種のような植物の花が咲き始めている。実際のところ、これが何と言う名前の植物なのかは知らない。次の写真は、畑の中と、鶏小屋の横で咲いているその花を撮ったもの。一番最初はマウリシオか誰かから1株もらったものなのだけれど、何もしなくてもどんどん増えるので、入り口ゲート付近に移植したりしているうちに、種が飛ぶのか、敷地内のあちこちから自然に生えてきて数が増えていっている。

2020年7月12日(日)

ニッケイ新聞に、ブラジルのコロナ死者が7万人、感染者が180万人の大台を越えたにもかかわらず、いぜんとして保健大臣は空席のまま。このままの勢いでは、今週中には感染者200万人越えは確実、というニュースがあった。まあ、これでもまだアメリカの半分強ではあるのだけれど・・・。そして、先週前半、ボウソナロ大統領の感染が確認されたというニュースが世界を駆け巡った。彼はクロロキンという効果がなく副作用が大きいとされる薬を治療薬として奨励していて、それを毎日飲んでいるから自分はいたって調子がいいなどとうそぶく画像を配信したというニュースもあった。でも、毎日2回心臓病の専門医にクロロキンによる副作用が出ていないかどうかをチェックしてもらっているというのだから、何をか言わんやだ。

アマゾナス州マナウス在住の陣内さんと時々メールのやり取りをしているのだけれど、マナウス市長もアマゾナス州知事もコロナに感染して、現在サンパウロで入院治療を受けているということだった。大統領や政治家はブラジル人の大多数が受けることのできない最高の医療を受けることができるのだから、コロナ感染だって怖くはないだろうと、ボウソナロの暴走を見ながら思ってしまう。そして、ボウソナロ大統領が感染を自ら発表する記者会見で、記者との間に適切な距離を取らず、マスクを外して記者を危険に晒したとして、記者協会が大統領を提訴したというニュースもあった。こんな現状に出るのはため息ばかり・・・。陣内さんが送ってきてくださった彼女のマンションの1階のパティオで咲く赤い花の写真に少し癒しを求めたりしている。

2020年7月13日(月)

我が家のシュハスコ小屋と鶏小屋の間に大きなアロエの木がある。これは確かイビウーナにおられた中村さんからいただいた小さな芽を植えたものが、大きく育ったもの。これがアロエだということは知っていても、どういう種類のアロエなのかは知らなかった。でも、楽書倶楽部創刊十周年記念号に掲載されていた細井真由美さんの「アロエに感謝」という文章を読んで、キダチアロエをネットで検索してみると、うちのアロエもキダチアロエだということがわかった。細井さんは、このキダチアロエに助けてもらった経験を書いておられた。一回目は、十代の頃、ケーキを作ろうとオーブンに火をつけたら、ボオーーーと、もの凄い勢いで火の塊が彼女の顔をつつんで大火傷を負ったのだけれど、家にキダチアロエがあったので、すぐにその皮を剥いてヌルヌルした部分を張り付けては取り替えるを繰り返したら、夕方になると、顔はまだ赤鬼のようになっていたけれど、痛みも落ち着き、心配した水ぶくれもなく、皮膚の引きつりもなく、数日経つと火傷したのがウソのようにきれいに治ってしまったのだと言う。そして二回目は、訪日した際、東京で暮らすお兄さんと一緒に房総半島に遊びに行って、海岸をそぞろ歩きしていた時、岩場で足を滑らして、海に落ちないように岩にしがみついたら、岩にびっしりとついている小さな三角の貝で手がぐちゃぐちゃギザギザに深く切れるという怪我をしたのだけれど、その際も近くにキダチアロエを見つけたので、そのアロエのネバネバを傷口に塗って、その後もしばらくの間アロエを傷口につけておいたら、数日後には完全に傷が痕を残さず治ったという。キダチアロエはお腹の調子を良くするという効果があるだけでなく、細井さんが書いておられるような様々な効用があるのだから、まさに神様からの贈り物だなと思った。

2020年7月14日(火)

今年の桜は本当に変!満開にならずに終わったような感じだったけれど、引き続きパラパラと咲いている。家の西側の道沿いの桜並木など、ほとんど花がなくずっと裸だったので今年は咲かないのかと思っていたのだけれど、最近花芽がたくさん膨らみ始め、いよいよこれから咲きそうな感じになってきている。そして、玄関前の桜も緑の葉の間でピンクの花を今も咲かせている。そして、その側のガーデンマナカの花の数が増えだして、手前の階段沿いのサツキも結構たくさん花をつけ始めたので、何だかちょっと玄関前が華やかになってきた。

2020年7月15日(水)

先週、広島の友人がこのコロナ禍の蟄居閉門中に本を1冊書きあげたと知らせてくれたことで、香山文庫のウェブサイトに手を入れる作業を途中で放り出して、前進させていなかったことを反省。それで、本のリストとデータをつなげる方法はまだ解決していないものの、ボランティアで来てくれた学生さんたちを紹介する項目を追加したり、オンラインで様々な日系移民などに関する記事が読めるようにリンクをはった項目を追加したりするためにやりかけていた作業を少し進めて、エドソンにサイトをアップしてもらった。まだまだやらなければならないことはたくさんあるし、ボランティアの学生さんたちに入力してもらったデータをサイトにつなげてアップしなければならないのだけれど、とりあえず更新した香山文庫のサイトは、こちらへ

2020年7月16日(木)

先月、広島の友人がロンドン在住の娘さんが送ってきた白鳥の親子の写真を、私にも送ってきてくれたので、このブログにその写真をアップした。そして先日、そのひなたちが大きくなった写真を送ってきたからと、それも私に送ってきてくれた。体は親鳥のようにまだ白くはなっていないけれど、大きさは親鳥とほぼ同じくらいになっている。動物の成長って早いなあと、この写真を見て思った。うちの回りにもたくさんいろいろな種類の鳥がいるけれど、近くに川とか池とかがないので、水鳥は見かけないし、ひなを連れた親鳥というのも見かけない。唯一、うちのユーカリ並木の北の端の木の上で暮らしているワシのつがいが子育てしているらしい姿を見かけることはあるけれど、何しろ巣は高い木の上なので、ひなを見かけることはない。最近はそのつがいが育てて巣立った子供のワシなのか、親たちがいる並木の北の端のユーカリの木とは少し離れた南の端のユーカリの木を寝ぐらにしているらしく、うちで暮らすワシの数が増えている。エドソンによると、こういう鳥たちは巣立っても、生まれた場所からあまり遠くには行かずに暮らす習性があるのだそうだ。

2020年7月17日(金)

次の写真は、先日昼食後のお散歩の際撮ったもの。エドソンはいつもひろにこの辺で左から走って行って、右側の丘を登らせるという行動をとる。ひろも結構これが好きみたいで、いい運動になっているようだ。写真の左奥に見えるちょっとピンクに見える裸の木は、つぼみが膨らみ始めた桜。

次の2枚は私とはるの前を行く、エドソンとひろを撮ったもの。1枚目は家の西側の桜並木(左)と竹林(右)の間の道を行くふたり。2枚目は、離れの前辺りでひろが立ち止まって何かを眺めているところ。

2020年7月18日(土)

昨日はひろのお散歩写真だったので、今日ははるのお散歩写真。1枚目は、向こうで立ち止まっているひろの手前、アメンドインの上で、クンクン匂いを嗅いでいるはる。2枚目は、帰路、離れのベランダでほうきと格闘しているはる。はるはほうきとかモップとか掃除機とか長い柄のついたものが、何故か嫌いで、それを見るとヒステリックに吠えながら突っかかって行く。この日は離れの前に立てかけてあったほうきに突っかかって行って倒して、噛みついているところをパチリ。私が長い木の枝を拾って歩いていても平気なのに、ほうきだと、ただそこに立てかけてあるだけなのに、何故だかヒステリックに反応する。不思議だ。

2020年7月19日(日)

この木曜日の午後、エドソンが2週間ぶりにパーディーニョのスーパーと郵便局に行ってくれた。でも、郵便局の営業時間が午前中だけに変更になっていて、閉まっていたと言って戻ってきた。感染者数の増加スピードは衰えていないけれど、規制が緩和されてきているこの時期にどうして営業時間の短縮?このコロナ禍で営業時間を短くすれば、短時間に利用者が集中して三密が発生してまずいでしょうと思うのだけれど、ここの人達の発想はどうもそうではないようだ。それで、金曜日の午前中に再度行き、届いていた小包や郵便物を持って帰ってきてくれた。やはり、郵便局では予想通り列ができていて、エドソンの前には3人の人たちがいたという。持って帰ってくれた小包3つは、エドソンがインターネット上で買ってくれた品々。カナダから輸入のメイプルシロップ2瓶。粒マスタード4瓶。そして、ブラジル製の電気炊飯器。粒マスタードはボトゥカトゥの大きなスーパーに行けば手に入るものだけれど、そこにはもう4ヶ月以上行けない状態だし、メイプルシロップはボトゥカトゥでも手に入らない。輸入品なので値段も1本60レアルほどと結構高価なのだけれど、パンケーキやフレンチトーストを食べる際には欠かせないので、これまで日本に行ってブラジルに戻る際、乗り換えのカナダの空港でいつもプラスチック製の大きなボトルを2つくらい買って帰っていたものの、それもなくなって久しかったので、とてもうれしい。電気炊飯器は6月初旬にあった落雷で何故か壊れてしまい、サンパウロのリベルダージの日系のお店に行かなければあらたには手に入らないので、まあしょうがないと諦めて、以後お鍋で炊いていた。メル友の鎌谷さんからは一番小さなサイズの圧力鍋を使えば短時間で炊飯器に負けないおいしいご飯が炊けると教えていただいていたので、圧力鍋を買ってと頼んだのだけれど、それよりも前にこの炊飯器を注文してくれていたのだった。この炊飯器は日本のもののようにタイマーとかお米の種類によって炊き方を選ぶことなどできず、ただスイッチを入れて炊いて保温するだけというものなので、性能の保証はないけれど、まあ試しに使ってみてとエドソンが言うので、このブラジル製の炊飯器を使うことになった。

2020年7月20日(月)

久々にメイプルシロップが手に入ったので、何だかフレンチトーストが食べたくなった。でも、エドソンは木曜日にスーパーに買い物に行き、金曜日に郵便局に行ったばかりなので、食パンだけをまた買いに行ってもらうわけにも行かないので、以前作ってみて、ちょっと失敗だった食パンをまた作ってみることにした。金曜日にいつものパン生地を用意して、土曜日に焼く準備をしていたので、どうせオーブンを使うのだから食パンも一緒に焼けばいいと思いついた。今回は生地をしっかりこねて、最後に膨らませる時間をたっぷりとったので、前回よりもいい感じに膨らんでくれた。次の写真の、左側がいつものパンで、右側が2度目の挑戦で出来上がった食パン。焼きあがったらいつものパンを焼いた時とはちょっと違ういい匂いが台所にあふれた。触ってみると柔らかく、まずまず成功。この焼きあがった食卓の上の食パンを見て、日曜日の朝食にフレンチトーストが食べられると知り、エドソンはとても喜んでくれた。

2020年7月21日(火)

次の写真は、フレンチトーストを作るために食パンを切ったので、その断面を撮ったもの。上部にちょっと空洞ができているけれど、柔らかくてまあいい感じに出来上がった。2枚目の写真は、この食パンで日曜日の朝食に作ったフレンチトースト。ずいぶんお久しぶりのフレンチトーストだったのだけれど、いつも食べていた味のフレンチトーストが出来上がり、エドソンも喜んでくれて、満足。満足。同じく日曜日のお昼の野菜スープと一緒に、この食パンをトーストせずに、そのまま少し食べたのだけれど、食パンの匂いと味がして、食感が柔らかく、ああ、食パンだと思える味だった。

2020年7月22日(水)

第一波で咲き終わってしまったと思っていた桜に、第二波が訪れて咲き始め、今、見頃を迎えているので、日曜日にいろいろ写真を撮ってみた。1枚目は玄関前の桜と、ガーデン・マナカと、サツキ。2枚目は家の前の庭の4本の桜。3枚目は、玄関前の庭の奥の桜も見えるように場所を変えて撮ったもの。左端にガーデン・マナカが写っていて、ここに6本ある桜のうち、早くから咲いた左側の木々には、もう葉がたくさん出てきている。でも、右側の木々はようやく咲き始めたので、まだ葉は出ていない。そして、4枚目は右側奥の花を少し近くから撮ったもの。後ろ側は勢いよく咲いているけれど、左側手前の木の枝のつぼみは、まだこれから開こうかという状態なのがわかる。その後、このつぼみは月曜日には開き始め、ここの桜も庭の桜もほぼ満開になった。

2020年7月23日(木)

次の写真は、離れに向かう途中に転々と植えた4本の桜。まだ、ひょろひょろとしていて花の数もそんなに多くはないけれど、一応桜だということがわかるくらいに花を咲かせている。

次の写真は、入り口ゲート横の桜。右側(東側)の桜よりも、左側(西側)の桜の方が大きく元気で、花もたくさん咲いている。左側の桜の前の緑の木はパイネイラ。右側の桜のさらに右側に少し裸の枝が見えるけれど、これもパイネイラ。こちらの木と同じ時期に左側の木も植たのだけれど、日当たりの関係か、左側の木はまだ右側の木ほど大きくなっていないため、葉を落とすことなく、青々としている。桜の木も、木が小さい間は葉を落とさないけれど、それと同じなんだなと思う。

2020年7月24日(金)

次の写真は、入り口ゲートのところから振り向いて南を向いて撮った丘の防風林の列の外側に植えた桜。画面左上の桜は防風林を作る際にほぼ一緒に植えたものなので、大きくなっているけれど、それよりも右下に写っている桜は、丘の下、つまり右側から少しずつ異なる時期に植えていったものなので、右側の木が大きく、花が咲いていて、左に上がるほど木がまだ小さく、花の数が少ないのがわかる。

次の桜は、家の西側の道沿いの桜並木を南側から撮ったもの。2枚目は同じ並木を北側から撮ったもの。

2020年7月25日(土)

以前、寝室の前の庭に地中にコンクリートの枠を作って、竹林を作っていたのだけれど、コンクリート枠の下から根を伸ばして、毎年のように庭のあちこちや鶏小屋の辺りまで竹が生えてくるようになったので、エドソンはこの竹林を取り除くことに決めた。自主隔離に入ってからいつ頃だったか、手伝いのゼーたちにここの竹林を掘り出して取り除いてもらった。以後、掘り返したままで、ここをきれいにすることなく放ったらかしにしていたのだけれど、先週の土曜日に手伝いのゼーとマリアが来てくれたので、竹の根っこなどのゴミを取り除いてきれいに整地してもらい、花壇ができるようにしてもらった。私はここに紫陽花を植えたいと思っているのだけれど、苗を買いに行けるのはいつのことやらわからないなあ~。そして、この花壇と鶏小屋の間にあるローズマリーの木の足元辺りに植えてあったサボテンの一種のような植物を、この花壇に移植してもらったのだけれど、ひとつは黄色い花が咲いていたので、写真に撮ってみた。何なんだろうこの植物?うちにはあまりよくわからない植物がいろいろあるなあと、笑ってしまった。

2020年7月26日(日)

毎日のワンコたちとのお散歩から戻る道すがら、坂のところまで来ると、今とてもきれいな景色が目に飛び込んでくる。桜とガーデン・マナカが花盛りで見頃になっているのだ。次の写真は、坂の下から撮ったその景色。毎日これを見ながらきれいだなあ~と繰り返し感嘆している。ここは今の時期が一年で一番きれいなんじゃないだろうか。そして、坂を上がって家に近づくと、ガーデン・マナカとサツキが咲き誇っているので、これまたいいなあ~、きれいだなあ~と、うれしくなる。

2020年7月27日(月)

最近、いろいろなYoutubeサイトを見て楽しんでいる。自主隔離を始めてすぐの頃、イタリア在住20数年というミホさんという日本人女性がやっている「イタリアの食卓」というお料理を紹介する番組を偶然見かけて時々見るようになった。彼女が紹介するお料理は簡単でおいしそうなので、いくつか作ってみようと思ったレシピをメモしたものの、まだどれも作ってみたことはなかった。彼女のサイトを見ている人達の3割くらいは海外在住の日本人らしく、イタリア料理だけでなく、日本食材が手に入らない環境で作る日本食というのも紹介しようと思ったと言って、先日、皮から手作りする餃子を紹介していた。私自身、数年前に手作り餃子を作ってみたものの、皮がうまくできず、見た目は餃子とは言えない代物が出来上がったので、以来それに懲りて、手作りなどしておらず、隣町の日系食料品店のウエノで手作りしたようなものを冷凍した餃子をたまに買ってきて食べる程度だった。でも、この番組を見て、久しぶりに餃子が食べたくなり、餃子作りに再度挑戦してみることにした。前回うまく行かなかった餃子の皮は、ミホさんのやり方だと、何とかいい感じにできた。具材を餃子の皮で包むのにやはりちょっと悪戦苦闘したけれど、ミホさんのやる通りにやってみると、以前のように悲惨なことにはならず、何とか餃子とわかる代物ができあがった。次の写真は、30枚できた皮に具材を包んだもの(右)と、残った具材(左)。ミホさんは具材にキャベツを使っていたけれど、私は少し残っていた白菜があったので白菜を使った。そして、ミホさんは同じ材料で36個作っていたけれど、私ができたのは30個だった。左側の残った具材は、後日フライパンに広げて焼いていただいた。オイスターソースなどで味付けしてあったので、おいしく、残り物だったのだけれどエドソンにも好評だった。

次の写真は、うちにある一番大きなお鍋に並べた餃子。うちにはこんな大きなサイズのフライパンはないので、この浅めのお鍋を使うことにした。偶然にもうちにある一番大きなお皿がすっぽり入るちょうどいい大きさだった。餃子にところどころ赤っぽいところがあるのは、私の包み方が下手なので、包みながら中の具材のお肉がはみ出してきたものがついているから。トホホ・・・

次の写真は、焼きあがってお皿によそった餃子。買ってきた冷凍の餃子を焼いても、こんなにたくさんの餃子を一度に焼くことはないので、こんな風にお店で出てくるみたいな盛り付けをしたことはなかったのだけれど、これもミホさんの真似をしてやってみた。でも、真ん中辺りがちょっと焦げすぎたかな?エドソンは、これを見て「こんなにたくさんの餃子初めて見た!」とびっくりしていたけれど、一口食べて、「うん、餃子の味がする。おいしい」と言って、パクパク食べてくれた。食べ終わって残っている餃子を数えると12個だったので、ふたりで18個も食べたことになる。こんなに一度にたくさんの餃子を食べたのも初めてのことだった。餃子作りが上手な人と比べれば何とも変な包み方だと思うけれど、とにかく餃子を作るのはこれが人生で二度目という経験不足の私にしては上出来だと思った。ミホ先生さまさま。

2020年7月28日(火)

ちょっと古い記事になるけれど、7月21日付けニッケイ新聞の「コラム 樹海」の『《記者コラム》ブラジルで「伝統」になった米国南部連合の旗』という記事にリンクをはってみる。『世界中からアメリカに移住したい人は多いだろうが、その逆は少ない。歴史的に見ると、ブラジルは数少ないそんな国の一つだ。「どうして世界で最も豊かな米国から、危なくて貧乏そうなブラジルへ?」と不思議がる人もいるだろうが、そこには歴史的理由がある。』という書き出しで始まるこの記事では、アメリカ南北戦争後に南部からブラジルに移住して来たアメリカ人たちのことを話題にしている。『ブラジルというのは不思議な国で、歴史的に世界中から「虐げられた人々」「社会の大変動で居場所を失った人々」が集まって来る。』とあるように、ブラジルは本当に様々な国の人々を移民として受け入れてきている歴史がある。懐が深いと言えば言えなくもないけれど、歴史の必然なのかもしれないとも思う。この記事のサイトは、こちらへ

2020年7月29日(水)

アマゾナス州マナウス在住の陣内さんが、自宅マンション1階のパティオで咲くヘリコニアという植物の写真を送ってきてくださった。これはコロンビアからペルーにかけてのアマゾン熱帯雨林原産の植物だそうで、Wikipediaによると、花のような赤い部分は、花を包んでいる「苞(ほう)」と言うもので、実を結ぶ本来の花はその内部にあるのだという不思議な花。この赤い部分はオウムのくちばしのようでもあり、ロブスターのはさみのようでもあるので、オウムバナと言ったり、ロブスター・クローと言ったりもするらしい。

2020年7月30日(木)

先週金曜日の夕食前、日の入りの際にコメットが見えるかもしれないから写真を撮ってくると言って、カメラを持って外に出たエドソンだったけれど、明るすぎてコメットは見えなかったらしい。その代わりにお月様を撮ってきたと言っていた。その写真をコンピュータにダウンロードしてみると、結構はっきりとした三日月が写っていた。一眼レフとかそんないいカメラではなく、バカチョンのデジタルカメラでも、こんなにはっきりきれいに写っていることに少々びっくり。さすが、数年前にエドソンがこれがいいと言って、私のために買ってくれたキャノンのカメラだ。

2020年7月31日(金)

次の写真は、ランドマークの木の足元に置かれた鶏糞の入った袋。鶏糞の袋の向こう側に積み上がっているのは薪ストーブ用の薪。エドソンが手伝いのゼーに頼んで知り合いに鶏糞を売ってくれる人がいたら買いたいと頼んでいたらしく、先週の土曜日にその人が届けてくれたので、ここに下ろして置いてもらったもの。10袋で50レアル支払った。うちでも鶏を飼っているけれど、6羽と数が少ないので、こんなにたくさんの鶏糞は出ないので、頼んだようだった。これを野菜畑に入れて、まだ何も植えていない部分の畑の土を準備しようと思っているということだった。



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