Kyoko Yoshida | Life in Brazil | BLOG |
2020年4月1日(水) | ||||
次の写真は、今年も花を咲かせてくれたぼんぼりちょうちんのような形をした花。家の西側の庭にあり、木は小さくひょろひょろとしていて何年経っても全然大きくならないのだけれど、それでも毎年いくつか花を咲かせてくれる。緑の中で赤い花を咲かせるので、すぐに気づくことができた。
このところ毎日のようにアボカドが2つ3つ採れ、台所のテーブルのカゴの中に置いておくと、みなほぼ同時に柔らかくなるため、夕飯で食べるだけでは追いつかない感じになってきた。それでエドソンがアボカドのケーキとかムースとか、アボカドでデザートを作って食べようと言い出した。作って食べようと言っても、作るのは私。アボカドを使ったデザートなんて作ったこともないので、どうしようかと思っていたら、バターの代わりにアボカドを使うとか、キャロットケーキの人参の代わりにアボカドを使うというのはどう?と、エドソンが言うので、キャロットケーキのレシピを少しアレンジして、チョコレートを混ぜて、アボカドチョコレートケーキを作ってみた。クッキングソーダを入れ忘れたことに加え、基本の分量がパウンドケーキ型にいっぱいにならない少なめなこともあって、何だか厚みのないケーキができたけれど、アボカドが入っていることでケーキの食感が少しもっちりした感じはあってもアボカドの味は特にしなかった。強いて言えば、アボカドの野性的な苦味が少し感じられたかな?でも、エドソンの評価は軽いチョコレートケーキと言う感じで悪くないと言うものだった。まあ成功かな?
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2020年4月2日(木) | ||||
先週の土曜日は、ゼーとマリアともう一人、ゼーの兄弟だという男性の、計3人が手伝いに来てくれた。離れに向かう道を作る作業をお願いしていたので、助っ人を連れてきてくれたらしい。次の写真は、まだ完成ではないけれど、一応、道が平らになり、歩きやすくなった状態を撮ったもの。ここは傾斜地なので、このままだと雨が降ったら土が流れ出してしまうので、低い部分に石などを置いて土が流れ出さないようにしなければならないのだけれど、建築資材の店はこのコロナウィルス禍で閉まっているので、石を注文することができない。以前買って少し残っている石だけでは足りないだろうから、困ったなあ。でも、コロナウィルス禍の今、何もできない、何も進まなくても仕方のない状況の中、道を作る作業が少し進んだのだからありがたいことだと思う。
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2020年4月3日(金) | ||||
火曜日に、はるとひろの朝一番のオシッコとウンチに出ようと玄関まで行くと、はるがまた右足のびっこをひいていた。見てみると、また足が腫れていた。前日の夜中のオシッコはベランダ前の芝生の上でしたので、また虫に刺されたとも思えない。前回の傷が完全に治っておらずばい菌が入って感染でもしたのかな?エドソンがヴィラ・シーコへは行かずに、写真などを送って見てもらって、診察してもらい、薬を処方してもらおうと考え、連絡を取ろうとしたのだけれど連絡が取れない。それで、ホームページを見てみると、ドクターかスタッフに風邪の症状が出て、コロナウィルスへの感染が疑われるので、ヴィラ・シーコを閉じて自宅隔離になっているということだったという。ああ、とうとうこんな身近にまで迫って来たかと思った。ちなみにボトゥカトゥではすでに死者が2人出ている。それで、エドソンがネットでいろいろ調べて、私たちにできる治療をすることになった。まず、はるに痛み止めの薬を飲ませ、はるの右足をココナツ石けんでしっかりと洗ってから、消毒用のスプレーを吹きかけて、グリーンプロポリスをたらして、ホットタオルで5分間足を温め、5分後にもう一度ホットタオルで5分間温めた後、包帯を巻いて、様子を見ることにした。丸1日経過後、またはるが包帯を取ってほしいというそぶりなので取ると、腫れは完全ではないけれど、少しひいていた。以後は、包帯はせず、消毒のスプレーをして、グリーンプロポリスをたらすことを続けている。足の腫れは徐々に収まっているけれど、早く元通りに治ってくれることを祈るばかり。次の写真は、火曜日のお昼前、はるの包帯を巻き終わった後、ベッドの中のはるの足を撮ったもの。プロポリスの強烈な匂いがするため、ひろがはるの包帯が巻かれた足の匂いをしきりに嗅いでいる。
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2020年4月4日(土) | ||||
こちらはサンパウロ市を中心にブラジル全土に武漢コロナウィルス感染者が増え続けている。とうとうアマゾン奥地の先住民にも感染者が出たというニュースもあった。隣町のボトゥカトゥでは2人死者が出ていて、感染者もじわじわ増えているらしい。日本は1日に30人前後、40人前後でずっと推移していたのが、23日から79人、89人と増え始め、25日からは3桁になり、主に東京で爆発的に感染者が増え続けている。都道府県別新型コロナウィルス感染者マップによると4月4日8:03の時点で、東京都の感染者は891人と2位の大阪府の347人の倍以上で、日本全体では3363人となっている。厚生省は感染者の国籍を明確にしていないようだけれど、感染者の3割は外国人だとも言う。日本に住んでいる人はさておき、このうちの何割が旅行者なのだろう?そして、志村けんさんが入院からあっと言う間に亡くなり、これが他人事ではないということを皆が一様に感じたのではないだろうか?。広島県での感染者は13人になり、1人は広島市西区の会社員だそうで、同じ西区なのでちょっと気になると兄は言っていた。次の写真は、広島の友人がマンションのベランダで育てているチューリップが咲いたと言って、送ってきてくれたもの。「ベランダにあるささやかな植物たちの世話をしてるとコロナの陰鬱な気分も少しは和らぎます」とメールにあった。2枚目の写真は、桑の木(左)とローズマリー(右)。3枚目の写真は、武漢コロナウィルス禍で閉園しているけれど、桜が咲いている縮景園と、遠くに見える宮島の島影。
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2020年4月5日(日) | ||||
ネット上にあった4月1日18:09配信のNewsweek日本版に、「中国からの医療支援に欠陥品多く、支援の動機を疑えとEU警告」という記事があった。それによると「ここ数週間、オランダ、スペイン、チェコ共和国、トルコといった国々から、マスクや検査キットなど中国から送られた医療物資が、品質基準を満たしていなかったという報告が相次いでいる」「スペイン政府は、中国のメーカーから購入した約6万個のコロナウイルス迅速診断キットの診断精度が低すぎて感染も有無がわからない不良品だったことを公表。トルコも注文した検査キットの一部について同様の苦情を発表している」などとあった。これと同じことがブラジルでも起きていて、ブラジル政府が中国から大量に購入した検査キットの75%が不良品だったと言う。そして、北東部の州が独自に中国から検査キットを買う契約をしていたのに、突然、中国の方から理由も告げず契約を破棄してきたと言う。おそらくより高い値段で買う他の国が現れたからだろうとエドソンは言っていた。中国にとって契約なんてあってないようなものだから、大いにあり得る。コロナウィルスを撒き散らして全世界を混乱に陥れただけではなく、さらにこんなことをして、中国はどこまで悪行を重ねるつもりなのだろうか? そして、4/2(木) 1:03配信のブルームバーグの記事で、「中国、感染・死者数を意図的に過少報告と米情報当局断定-当局者」というのがあった。最初の段落だけをここにコピーしてみる。「 中国がこれまで新型コロナウイルスの感染例、およびウイルス感染症による死者数をいずれも過少報告し、感染の広がりの実態を隠蔽(いんぺい)していたと米情報当局が断定し、機密報告をホワイトハウスに提出した。報告内容の極秘を理由に米当局者3人が匿名を条件に明らかにした」このニュースの英語のオリジナル記事は、こちらへ。そして、別の記事では、「ジョンソン政権は、中国が新型コロナウイルスに関して誤った情報を拡散し、自国の感染者数について嘘をついていると非難している」とあり、「報道によると、科学者たちはジョンソン首相に対し、中国の感染者数は発表されている数の最大で40倍にのぼる可能性があると警告したという」さらにYoutube上で、中国では去年の12月から今年の3月までの4ヶ月間で、2100万人のスマホが料金未払いのため契約解除されたと言うニュースもあった。高度デジタル化した中国社会では、年金の受け取りも電車のチケットの購入も買物も、スマホなしでは生きられないというのに、2100万人ものスマホが契約解除になたということは、つまり、武漢コロナウィルスでそれだけの人が亡くなったということだと考えられるというニュース解説だった。全世界で感染者数が100万人を越えたとつい先日のニュースにあったけれど、桁が違う!実はこの武漢コロナウィルスの実態はもっとずっとずっと深刻なのだと思うと、心がめげそうになる。 | ||||
2020年4月6日(月) | ||||
毎年この時期になると、桜の写真を送ってきてくれる広島の友人が、今年も桜の写真を送ってきてくれた。花はこんなにきれいに咲いていても、お花見で浮かれていられない武漢コロナウィルス禍真っ只中で、何だか残念な今年の春だけれど、身の安全を確保するためには仕方がない。でも、このきれいな花を見ているだけで少し癒される。人間界がどんなにひっくり返っていても、自然界は淡々と季節が巡り、草木は生を全うしてくれている。がんばれ人間!
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2020年4月7日(火) | ||||
この土曜日もゼーとマリアとゼーの兄弟の3人が作業に来てくれた。庭の東側にあるユーカリの木を1本切り倒したり、これまで切ってそのままだったセドリーニョの枝などで、薪ストーブ用の薪を作ってもらった。次の写真は、庭のユーカリの木の幹をストーブに入るように小さく切ってもらったもの。この木は数年前にも切り倒して薪ストーブ用の薪として使ったのだけれど、数年してまたとても大きくなったので、エドソンは切って薪にしようと考えたらしい。2枚目の写真は、ランドマークの木の足元に集められた薪。この木の横にいろいろな木を切った枝がたくさん集められていたのだけれど、それらの小さな枝をはらって、太い部分を薪用に小さく切ってもらったもの。敷地内のあちこちの木の足元にこんな感じで薪が集められている上、離れ建設に使って出た廃材もあるので、結構な量の薪が用意できた。この冬がとても寒くなったとしても十分な薪ができたねと言うと、エドソンは2年分くらの薪ができたと思うよと言っていた。
前の週に、フランボヤンの低く垂れ下がった枝を切ってもらった際、すぐ側の桜の垂れた枝も切られてしまいショックだったのだけれど、今回、そのフランボヤンが切り倒されてなくなっていたので、びっくり!フランボヤンを切っちゃったの?とエドソンに言うと、同意してくれたじゃないと言う。フランボヤンは枝を横に張り出して広がる木だけれど、すぐ側に桜があるから張り出して行けず混雑してるから切った方がいいかなあという、あなたの意見は聞いたけれど、私は同意していないでしょう?と言うと、あれ?そうだった?とエドソンがしらっと言うので、やれやれ、とほほ・・・。次の写真は、その切られてしまったフランボヤンの足元に残った幹。せっかく去年の11月に初めてきれいな花を咲かせてくれたのに、ああ、可哀想・・・。
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2020年4月8日(水) | ||||
ブラジルの武漢コロナウイルス感染者数は1万2000人を越え、毎日1000人以上の新たな感染者が報告されているらしい。死者も500人を越えた。このまま行けば、サンパウロ州だけで10万人~20万人の感染者が出ることが予測されていると言う。サンパウロ州はブラジルで一番発展した人口の多い州(ブラジルの総人口の半分近くを占める)なので、こんな予測になるのだろう。恐ろしいことだ。そんな中、4/5(日) 11:16配信のPRESIDENT Onlineに、「激増中「コロナ鬱」を避けるための5つの予防法」という記事があったので、詳しい説明部分は省いて、その5つの項目だけを以下にコピーしてみた。
(1)自分の症状を冷静に見つめ「これはコロナのせい」と自覚する
■コロナ鬱を避けるため毎日言うべき「5文字」 上の段落は記事の最後にあったので、そのままここにコピーしたのだけれど、これって、ここで暮らし始めたばかりの頃、友人が送ってきてくれた本の中の「ツキを呼ぶ魔法の言葉」と同じだなと思った。つまり、その魔法の言葉というのは「ありがとう」という言葉だったので、以後、なるべく様々なことに感謝の気持ちを表明するようにしてはいるのだけれど、やはりそうなんだとこの記事を読んであらためて思った。ちなみに鬱はこころの病ではなく、体の筋肉が硬くなり、脳に十分な血流が流れなくなることから起こるということがわかってきたらしい。だから、3番目の適度に体を動かして、体が硬くならないようにすことはとても大切かもしれない。日本では昨日遅まきながら緊急事態宣言が出された。皆が協力して何とか早く終息に向かってくれることを祈るばかり。 | ||||
2020年4月9日(木) | ||||
広島の友人がこの日曜日に髪を切りに行った帰りに、商工センター横の太田川放水路河口で、家族連れの人たちが潮干狩りをしていたので撮ったと言って、写真を送ってきてくれた。ああ、春だなあ~。こういう外出なら三密ではないし、気持ちがいいだろうなあ~。そして、2枚目の写真は、ランチタイムに職場から近い平和公園の川沿いの桜を撮ったもの。桜の下を歩いている人たちが少し見える。職場は三密なので、不安を抱えながら毎日仕事をしているようだけれど、どうか感染しないで無事に乗り越えてと祈るばかり。
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2020年4月10日(金) | ||||
うちでは次の写真のカゴの中、左上のへちまのようなカシという野菜がたくさんできる。右上はうちで採れたアボカド2つ。そしてだいぶ前にスーパーでたくさん買って来て少しずつ食べているりんご。数年前に一度、ゼーからもらったこのカシの種を蒔いたら良くできて、以後、何もしなくても毎年芽を出して実をつけてくれるようになった。でも、あまりにもたくさんできるので、いつも食べきれないでもったいないことをしている。
それで、何とかたくさん消費できないかと、このカシで先日エドソンがオーブン焼きを作ってくれた。カシを薄く切って、いろいろなハーブやにんにく、オリーブオイルで混ぜて、青カビのチーズとパルメジャンチーズを散らしてオーブンで焼いたものなのだけれど、とてもおいしく出来上がった。以来、何度か作って食べるようになった。オーブンに入れる前の写真(以下)は撮ったのだけれど、オーブンから出して出来上がった写真を撮るのを忘れてしまった。他にもやはりズキーニとカボチャのどちらとも言えないような大きなひょうたんのような形をした野菜も採れる。それで、最近、そのひょうたん型の野菜を使って、カボチャのスープのレシピでポタージュスープを作ってみた。カボチャのスープとは異なる味と口当たりなのだけれど、これがなかなかいけることを発見。畑で作ろうとする野菜はなかなかうまく育ってくれないけれど、敷地内のあちこちで放ったらかしで育てているこういった野菜は、野性に近いからかとても良くできる。不思議なものだなあと思いつつ、これらの恵みに感謝しながらいただいている。
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2020年4月11日(土) | ||||
兄からメールで「ネットにあったネタで真意のほどは不明だけど面白いので紹介するよ」と言って、届いたのが以下のアメリカの偉い人と麻生大臣との電話での会話。クスッと笑えた。
【麻生大臣の一昨日の電話】 以上なのだけれど、どうして日本はまだ死者が二桁で済んでいるのかというのは、BCGをやっているからとか、皆保健制度があって、いつでも誰でも高度な医療を受けることができるからとか、日本人は衛生観念が高く土足で家の中い入らないし、手を洗う習慣があるからとか、色々言われているけれど、おそらくひとつの理由だけではなく、様々な要素が複合的に重なり合ってこういう結果になっているのではないかと思う。その他の理由としては、CTが世界で一番たくさんあるのが日本なのだそうで、武漢肺炎の症状がなくても、CT検査をすると肺に炎症があることがわかり、PCR検査に回すことができるという特徴もあるのだとか。そして、先日見たある現役医師がやっているサイトで、緑茶をよく飲むからということも考えられると言っていた。緑茶にはビタミンCとかカテキンとか免疫を高める成分が含まれているからだそう。現在日本では、医師や看護師はビタミンCとビタミンDの点滴を毎日受けて感染予防をして患者の治療に当たっているとも言っていた。うちではグリーンプロポリスと、ビタミンDを飲んでいるのだけれど、このサイトを見てから、水分補給で水を飲んでいたのをやめて、緑茶を水出しでたっぷり作って毎日頻繁に飲むことを始めた。我ながら影響され易いなとも思うけれど、良いと思われることでできることはやって、とにかく免疫力を高めて備えなければと考えている。 | ||||
2020年4月12日(日) | ||||
3月の中旬後半頃から、義姉が3人の子どものいる次男のところに助っ人で行っていて留守なので、兄はひとりで留守番生活をしている。彼は畑での野菜作りに精を出しつつ、掃除とか洗濯とかは普段から奥さんを良く手伝っているので問題はないと思うけれど、お料理は苦手。それで、食事はどうしているのかと思い聞いてみると、完璧な自炊生活をしていて外食はほとんどしないと言って、ある日の夕食の写真を送ってきてくれた。畑の野菜を中心に三食、野菜を山ほど食べているとも言っていた。次の夕食の写真の右上の野菜は、畑で採れたスナップエンドウとスティックセニョール(ブロッコリーの仲間)で、野菜炒めの中にも畑の人参、キャベツ、ニラが入っているという。スープとワインもついて、いやはや、ご立派!
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2020年4月13日(月) | ||||
次の写真は、入り口ゲート近くのパイネーラの木の足元辺りから向こうの桜の木々の辺りまで、何週間前だったか何度かに渡って手伝いのマリアに植えてもらったマンジォカ芋の芽を撮ったもの。見てもよくわからないかもしれないけれど、点々と列をなして見える緑色のものが、そのマンジォカの育ってきている芽。マンジォカはとても強い植物で、古くなったマンジォカの木の枝先の若い葉のついたものを切って、土に差しただけで根ついて育ってくれる。森を拡張するためにたくさんカエデの木を植えたその木々の間にもマンジォカを植えた際は、雨の少ない時期だったため、なかなか芽が元気に大きくならなかったけれど、それでも枯れずに成長してくれたので驚いたことがある。この写真の芽は、植えてから雨が何度も降っているので、ほぼ皆元気にしている。もし万が一食糧が手に入らなくなるようなことがあれば、先日ブログに書いたうちで育つカシやズキーニのような野菜や、このマンジォカを食べてがんばろうなどとエドソンと話している。ただ、そんな事態にはならないことを切に願ってはいるけれど。先のことはわからない。
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2020年4月14日(火) | ||||
先週の木曜日に、エドソンが2週間ぶりにスーパーへ買物に行ってくれた。2週間前に行った際は、ほとんど人がいなかったのだけれど、今回は、スーパーの周辺道路にたくさんの車が駐車されていて、入店制限をするほどではないものの、店の中も多くの人たちが買物をしていたと言う。パーディーニョにシチオ(日本で言う別荘のようなもの)を持っているサンパウロの人たちが、感染の広がるサンパウロを逃れて疎開して来たのか、10日(金)のグッド・フライデーから始まるイースターの三連休で週末を過ごすためだけに来たのか、どちらなのかはわからないけれど、外出自粛で自由に出歩けないはずのサンパウロから大勢人が来ているなんてと思った。エドソンが鶏の餌などをよく買いに行くスーパーの筋向かいのお店のご主人は、サンパウロからたくさん人が来ているので感染が怖いと話していたと言う。ちなみにパーディーニョではまだ感染者は出ていないのだけれど、2週間後にはサンパウロの人たちが持ってきたウイルスで感染者が出るかもしれないと心配している。と、ここまで書いていたら、昨日エドソンが、ニーニョ・ヴェージ(パーディーニョを通る高速道路カステロ・ブランコ沿いの塀で囲まれた大きな住宅地区)で、この週末に1人死者が出たと教えてくれた。感染者ではなく、いきなり死者が出たと聞いてびっくり。この人はサンパウロからここのシチオにおそらく疎開して来ていた高齢の女性だそうで、この人と接触した人たちに感染が広がることが懸念される。 次の写真は、入り口ゲートに向かう道沿いでドラゴンフルーツのような実をつけている植物。3年くらい前だったか、この植物が初めてきれいな白い花を咲かせて、その後この実をつけたことがあるけれど、今回が2回目。でも、今回は花が咲いていたことには何故かまったく気づかず、この赤い実がなっていて初めて気づいた。これがドラゴンフルーツなのかどうかはいまだに謎のまま。
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2020年4月15日(水) | ||||
広島の友人からこの日曜日に、無情の雨で10度を切る寒さの1日でしたとメールをもらった。そして「先日、所用の帰り、平和公園を横切ったのですが。ほぼ、無人。いつもでしたら大勢の観光客や子どもたちであふれているのですが。観光バスも一台もいませんでした。こんな平和公園を観たのは、初めてです。静寂に包まれた、まさに祈りの場、ではありましたが」と言って、平和公園の写真を送ってきてくれた。次の写真の奥にあるのが平和資料館。2枚目の写真は、原爆の子の像。
月曜日には兄からもメールがきて、「日・月と雨で非常に寒くて日本列島各地で大雪だったよ」と言っていた。この冬は暖冬だったのに、4月になって季節外れの雪ですか?それで畑に1日行かなかったらこんなにたくさん採れたと、たっぷり収穫した野菜の写真をまた送ってきてくれた。玉ねぎ2個で600g、絹サヤ(右)500g、スナップ(左)300g。みずみずしくておいしそう!
そして、ついでにと言って、いつもこのパターンで食べているという朝食の写真も送ってきてくれた。パンに塗られているジャムは、当然ながら彼の畑のイチジクで作った自家製のジャム。
さらに、昼食はパスタ、カレーライス、ラーメン、うどん、牛丼が定番で、いずれも自家製野菜の追加トッピングを添えて食べていると、ある日の昼食の写真も送ってきてくれた。こんな何ということはないやり取りをしていると、何だか心が和む。
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2020年4月16日(木) | ||||
次の写真は、我が家の西側にあるランドマークの木のさらに西側の道沿いの桜並木を撮ったもの。手前の木々は、ほぼ葉を落として裸になっているけれど、向こう側、奥の方の木々は、まだ緑の葉をたくさんたたえている。おそらく奥の方は東側にランドマークの木やヒメシマダケがうっそうとしていて太陽の日差しがあまり届かないからだろうと思う。桜の花が咲くまであと3ヶ月。その頃までに武漢コロナウイルスの感染はピークに達して収束し始めているだろうか?でも、言われているようにこれが100年に一度のパンデミックなのであれば、前回のスペイン風邪の時のように、第一波が一旦収束した後も、またすぐに第二波が襲い、収束までに2年以上はかかるのかもしれない。現に中国ではすでに第二波が来ているらしい。日本は感染者が増え続け、状況がどんどん悪くなって来ているけれど、中国人を初めとする外国人の入国は止めているはずなのに、現実には3月は毎日10人ずつくらい入国していて、何故か4月に入ってからは湖北省や浙江省の人たちを含む300人前後の外国人が毎日入国しているという。何故?どうして?誰がこんなことを許しているの?つまりこの人たちが感染者数を押し上げているということ?こんなことをしているから日本国内の感染拡大は止まらないのだろうと思う。ブラジルはバカな大統領が、頑張っている保健相や各州知事らの足を引っ張っているのでひっちゃかめっちゃかで、感染者数と死者数は日本の比ではないひどい状態で増え続けているけれど、中国人を始めとする外国人の入国を止めていると言っておきながら、事実上止めていない日本政府の対応もまったく理解できない。
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2020年4月17日(金) | ||||
Youtube上の番組で、野菜の多くは冷凍保存が可能で、アボカドも冷凍保存ができると言っていたので、説明に従って試してみたのだけれど、ダメだった。皮をむいてスライスして容器に入れ、2個のアボカドを冷凍したのだけれど、そのうちの1個を室温で解凍していつものようにそのまま食べようとしたらべちゃべちゃ、トロトロで、大失敗だった。それでもう1個残っていた冷凍したアボカドで、アボカドチョコレートケーキをまた作ってみた。ケーキを作るためにはアボカドをマッシュしてつぶさなければならないので、べちゃべちゃ、トロトロでも大丈夫だろうと思ったのだ。その予想は的中して、問題なくおいしいケーキが出来た。今回は1個超のアボカドを使ったため、その他の材料もそれに合わせて増やしたので、大きな容器で大きなケーキが出来上がった。2枚目の写真は、食後のデザートとして切ってお皿に乗せたケーキ。甘さ控えめだし、体にいいアボカドを使ってはいるものの、甘いものを控える必要のあるエドソンのために、やはり一度に食べる量は控えめにしている。今年はアボカドがたくさん採れるのでとてもありがたいのだけれど、冷凍保存はダメということがわかったので、一度に何個も食べ頃にならないように、これまでのように室内で放置せず、冷蔵庫で保存して、少しでも時間稼ぎをして食べている。
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2020年4月18日(土) | ||||
次の写真は、先日書いたひょうたんのような形をしたズキーニのようなカボチャのような野菜。この写真のものはちょっと形が悪く、ひょうたんのような形とは言い難いけれど、とても大きな野菜。前回、これで作ったポタージュスープがなかなか良かったので、今回もこれでスープを作った。おいしいだけでなく、スープにすると結構な量を一度に消費することができるからという理由もある。と言っても、一度に消費できる量はこの3分の1くらいなのだけれど・・・。今回はマンジォカも少し混ぜてみると、さらにおいしくなった。このスープを1回作ると、その日の夕食と翌日の昼食と夕食の三食分の量ができる。それでこの野菜を使い切るまで3回くらい1日おきにスープを作ることになるので、1週間はほぼ毎日食事にこのスープがつくことになる。でも、エドソンはこのスープを結構気に入っていて喜んで食べてくれるのでありがたい。
2枚目の写真は、この火曜日の夕食。画面中央上がそのポタージュスープ。この日の献立は挽き肉と玉ねぎと少し残っていたしめじを炒めて玉子で包んだオムレツと茹でキャペツとご飯。のりを散らしてポン酢をかけたアボカド。そしてポタージュスープ。こうして写真を撮って気づいたのだけれど、まだケチャップやウスターソースをかけておらず、赤や緑の野菜もないので、ちょっと彩りに欠けるなと少し反省。私はオムレツと言えば、母の作る挽き肉と玉ねぎを炒めたものを玉子で包んだもので、夕食のおかずだとずっと思っていたのだけれど、中学生か高校生の頃だろうか、オムレツは玉子だけで作って朝食で食べるのが定番と知った時はとても驚いた記憶がある。でも、やはり私にとってオムレツと言えば、朝食用のプレーンオムレツではなく、母が作ってくれていたこの炒めた挽き肉と玉ねぎを包んだオムレツと茹でキャベツでなくてはオムレツではないと思える。三つ子の魂百までと言ったところだろうか?
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2020年4月19日(日) | ||||
寝室の前の物干場のポールが根元で腐ってしまっていたようで、先日、薄い掛け布団を干そうと思って、ワイアーに乗せようとしたら、ボキッと折れて倒れてしまった。次の写真は、その根元から折れて倒れたポール。向こう側のもうひとつのポールはまったく問題なく、今もしっかりと立っている。それでこの物干しが使えなくなったので、エドソンが畑にあるコンクリートの柱を利用して、ビニールコーティングされたワイアーを取り付けて、新しい仮設の物干しを作ってくれた。それが2枚目の写真。画面左端のコンクリートの柱から右に2本の緑色のワイアーが張られているのが見えるだろうか?このワイアーが厚手の掛け布団の重みにも耐えられるかどうかはわからないけれど、少なくともベッドシーツや肌掛けなどは問題なくかけることができると思うので、感謝。感謝。
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2020年4月20日(月) | ||||
次の写真は、先日作って食べたお昼ご飯。お豆腐と油揚げとベーコンとショートパスタのスープ。これは以前テレビを見ていた頃、朝ドラの「半分青い」の中で律がすずめに作って食べさせた特製スープを真似て作った物。自主隔離生活を始めてから、昼食には頻繁にスープを作って食べるようになり、レンズ豆と野菜とトマトのスープとか、ひよこ豆と野菜のスープとか、オクラとベーコンのスープとかを作って食べている。ただ、スープのレパートリーがたくさんあるわけではないので、何か簡単でおいしいスープはないかな?と思いながらインターネットを見ていてこのスープを見つけたので、作ってみるとなかなかおいしかった。エドソンも気に入ってくれたので、以来、時々作っている。
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2020年4月21日(火) | ||||
エイズウイルス(HIV)の発見で、2008年のノーベル生理医学賞を受賞したフランス人のリュック・モンタニエ(Luc Mongtagnier)博士が、テレビのインタビューに答えて、(1)武漢コロナウイルスは人工的に作られたウイルスで、(2)武漢ウイルス研究所から事故で漏洩したと思われる、(3)先行したインドの研究者に圧力をかけて発表論文を撤回させたということも言われていると語ったというニュースがあった。この博士はパスツール研究所で長く勤めた感染症の専門家だそうで、数学者のジャン・クロード・ペレズ氏の協力を得て調べたということだった。この他にも、日本の警察に協力して、松本サリン事件解明のきっかけを作ったことで知られる台湾系アメリカ人のアンソニー・トゥー先生(毒性学および生物兵器・化学兵器の専門家)も、武漢コロナウイルスは自然界にはないRNAを持っているから人工的に作られた可能性があると言っていたし、いよいよ武漢のP4研究所が発生源だった可能性が高くなってきた。ちなみに、この武漢のP4研究所は、中国がフランスに頼んで作ってもらったものなので、モンタニエ博士はこの研究所が何をしていたのかある程度知っているのかもしれない。それにしてもフランスという国は、北朝鮮の金一族の治療のために医師団が北朝鮮に行ったり、約束など守らない中国がP4研究所で何をしようとしていたかは明白だろうと思うのだけれど、お金さえ払えばなんでもやるような国なのか?そのために今しっぺ返しを喰らっていることをフランスの人たちはどう考えているのだろう?このニュースソースである国際政治学者の藤井厳喜氏のYoutubeサイトは、こちらへ。 | ||||
2020年4月22日(水) | ||||
先日、昼食後のお散歩から戻る際、エドソンが道沿いの木の根元に集めている薪を見ながら、少しずつベランダに移動させないといけないねと言うので、ちょっと気が早いなとも思ったのだけれど、思い立ったが吉日、はるとひろとのお散歩を済ませ、次にめいとのお散歩から戻ると、その足で空の箱を持ち出して、家から一番遠い道沿いのセドリーニョの足元から薪をカートで運んで移動させて、玄関先に置いた。まだ薪ストーブが必要な気温ではないけれど、朝の最低気温は11度前後で、午後の最高気温は24度前後。少しずつ気温が下がってきているので、いざという時にいつでも火を入れられるようにしておくことにした。次の写真は、その3箱分の薪。これで2日分弱くらいかな?
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2020年4月23日(木) | ||||
2020年4月18日付けニッケイ新聞に、また友人の毛利さんの特別寄稿が掲載されていた。「疫病文学の予言を傾聴する=再注目浴びるカミュ『ペスト』」というタイトルで、カミュの「ペスト」という本を紹介していた。今日本でこの本が再注目を浴びているということはニュースで聞き知ってはいたけれど、早速それを文章にしていることに、彼女はすごい読書家だなあと思った。彼女の書く文章には私自身は読んだことも、その存在さえも知らない本からの引用がたくさんあって、一体これだけのたくさんの本をいつ読むのだろう?と、思ったりしている。この本の内容は暗澹たるものなので、気が滅入るけれど、ヨーロッパでペストが流行った頃と今とでは時代も衛生観念も違うので、同じようなことにはならないのではと思ってみたり、でも似たようなことが起こっていることは事実なので、心穏やかではいられない。この記事のサイトは、こちらへ。 | ||||
2020年4月24日(金) | ||||
先日はるとひろの朝一番のオシッコとウンチのためのお散歩に出て、いつもは素通りする家の西側にあるランドマークの木の辺りで2匹がウンチをしそうだったので、彼らが匂いを嗅ぐのにまかせてうろうろしていたら、突然、鳥がバタバタと逃げ出したのでビックリ。その鳥が逃げ出した場所を見ると、小さな巣の中に2つ小さな卵があった。鳥は野バトの一種のジュリチという鳥で、お母さん鳥は竹林の方に逃げて行ってしまった。昼食後のお散歩に出た際、お母さん鳥は戻ってきているかなと見ると、ちゃんと戻って来ていた。次の写真は、午後4時前に再度行って、おどかさないように少し離れたところからズームで撮ったもの。2枚目の写真は、ズームを戻して、どんな場所に巣を作っているかを見てもらうために撮ったもの。見えにくいかもしれないけれど、中央の緑の木の右側にズームで撮ったお母さん鳥が座っている。こんな地面の上に無防備に巣を作って大丈夫なんだろうか?と、とても心配になる。以前も、家の東側の物置の薪の上に巣を作っていたことがあったけれど、ジュリチはどうしてこんな風に安全とは思えないようなところに巣を作るのだろうか?
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2020年4月25日(土) | ||||
そろそろ秋の花であるマナカが咲く頃じゃないかな?と思い、先日の昼食後のお散歩に出た際、入り口ゲートまで行って戻る道すがら、一ヶ所だけ森のマナカの木の上部が少し見えるスポットで眺めてみると、やはり花が咲いていた。この花が咲くと、ああ、秋だなあと思う。それで森まで写真を撮りに行ってみた。すると、アボカドの木のすぐ左側のマナカの木が大きくなっていて、花が咲いていたので撮ったのが次の1枚目の写真。そして、うちで一番大きなマナカの木の下から撮ったのが2枚目の写真。この木の回りの木々が大きくなってしまって、花が咲いている状態を横から撮ることができなかったので、木の下からしか撮れず、花が密集して咲いている感じがなく、ちょっと残念。
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2020年4月26日(日) | ||||
昨日掲載したマナカの写真を撮りに行った際、そのマナカの木に行くまでにあるアボカドの木も写真に撮ってみた。ここには2本のアボカドの木があり、1本は大きな実がなり、現在その大きい方の実を収穫して食べているのだけれど、もう1本は実の大きさが半分くらいの小さいサイズのアボカドで、この木のアボカドはまだ一度も収穫しておらず、たわわに実っている状態。
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2020年4月27日(月) | ||||
マナカの花が咲いているのを確認して、秋だ!炊き込みご飯だ!と思い、この秋初めての炊き込みご飯を作った。今回は里芋がないので、代わりにマンジォカ芋を使い、エドソンが「レンズ豆も入れて」と言うので、レンズ豆も入れて、賑やかな洋風炊き込みご飯になった。里芋がマンジォカ芋になり、レンズ豆が入っていても、いつもとほぼ変わらない味で、満足、満足。付け合わせは、オイルサーディーンと、アルメイラオン・パウリスタというちょっと苦味のある緑の葉物野菜のソテー。この野菜は畑や花壇などあちこちに自然に生えてくるもの。普段は時々鶏にあげているのだけれど、エドソンがどうしても食べたいというので、ベランダ横の花壇に生えていたものを採ってきて調理した。そして、オイルサーディーンは、自主隔離に入る前に何度かに渡って備蓄のためにエドソンが買ってきておいたもの。コロナ禍が収まるまではボトゥカトゥに買い物に行けないので、お魚が手に入らない。パーディーニョのスーパーでもたまに冷凍の魚があるけれど、品質があまりよくなく、本当にたまになので、ツナ缶とオイルサーディーン缶はとても貴重で、ありがたい存在。
昨日、インターネット上のニュースで、鳥羽水族館(三重県鳥羽市)で2月22日に生まれたばかりのバイカルアザラシの赤ちゃんの写真があり、まるで人間のおじさんみたいな顔が可愛いく心がほっこりした。それで、その写真にリンクをはってみた。この写真のサイトは、こちらへ。 | ||||
2020年4月28日(火) | ||||
次の写真は、エドソンがネットで買った結構大きな手動でコーヒー豆を挽く機械。「どうしてコーヒー豆挽き機を買ったの?」と聞くと、「何か楽しいじゃない、手で挽いたコーヒー豆ですぐにコーヒーを淹れて飲むのって。いい匂いもするし」と言う。う~ん。でも、パーディーニョの町のスーパーではコーヒー豆は販売していないし、うちのご近所にあって、私たちがいつも豆をその場で挽いてもらって買っているコーヒー専門店のクエスタ・カフェは、このコロナ禍で営業していないから、今コーヒー豆は手に入らない。だからこの豆挽き機の出番は当分あるとは思えない。でも、まあ、いいか?欲しかったんだね。これが届いた日に早速箱から出して、下のセミナールームのとっちらかったテーブルにセッティングしてエドソンは悦にいっていた。いざ使うとなったら、上の台所か食堂のどちらかにセッティングすることになるんだろうけれど、そうすると結構大きいので、場所をとらないかちょっと心配。
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2020年4月29日(水) | ||||
26日の日曜日は、本来ならサンパウロでの楽書倶楽部十周年記念親睦会に参加するはずだった。でも、ブラジルでも感染が広がり始めた武漢コロナウイルスのために延期になってしまった。そして、高齢者はなるべく外出をしないようにというお達しで、記念号の第52号は前園さんや石田さんたちが自宅で分担作業をして何とか出版にこぎつけたものの、それを郵便局まで持って行って発送することができないということで、楽書倶楽部のサイト上で読めるようにしましたと、今月初めにご連絡をいただいていた。いつもは楽書倶楽部が届くと、その号に掲載された私の原稿をこのブログにコピーしていたのだけれど、今号は楽書倶楽部が届かないこともあり、ここにコピーして掲載することをすっかり忘れていたことに気づいた。以下は、いつもの掲載文章の他に、十周年を迎える楽書倶楽部に向けて書いてくださいと前園さんから依頼を受けて書いたお祝いの文章。
昨年の楽書倶楽部十月号は、五十回目の記念号だった。そして、今回二〇二〇年四月号は五十二回目で、十周年記念号となった。心からお喜び申し上げます。会費を取ることもなく、文章を書いて寄稿したい人たちが気ままに文章を寄せる同人誌が、こんなにも長い間続いているのは、かなり珍しいことではないかと思う。「継続は力なり」と言うけれど、これはひとえに主宰者である前園さんと前園さんを支えておられる編集スタッフや協力者の皆さんのお陰と、ただただ感謝の気持ちでいっぱいだ。 私は二〇〇九年三月にブラジルに来て、半年後にイビウーナ在住だった故香山栄一さんと知り合ったことで、楽書倶楽部が始まって間もない頃にその存在を知った。「あなたも文章を書いてみませんか?」と誘われても、さて何を書いたらいいかという戸惑いの方が大きく、すぐには参加できなかった。その後、香山さんが送って来てくださった楽書倶楽部を数冊読んで、私のここでの生活を気楽につぶやいたものでもいいのかな?と、思えるようになり、楽書倶楽部第十三号(二〇十二年四月十五日)から文章を掲載していただくようになった。 私は下手の横好きで、文章を書くことに抵抗はないので、ブラジルに来て以来毎日ブログを書いていたし、ここでの生活で驚くことや戸惑うことには事欠かず、駄文でも鷹揚に受け入れてくださる前園さんのお人柄に惹かれて好き勝手に文章を書いて掲載していただくようになった。そうすると、毎回何を書こうかと考えて書くことが楽しくなり、出版された楽書倶楽部が届いて、皆さんの文章を読むことが、日本語を聞いたり話したりする機会のないここでの暮らしに潤いを与えてくれるようになった。いつも気遣ってくださる前園さんとのメールのやり取りも楽しく、前園さんと楽書倶楽部は私の生活にはなくてはならないものになった。 一口に「十年一昔」と言うけれど、その間一度も休むことなく皆さんから寄せられる原稿を編集して、一冊にまとめ上げる作業をずっと続けてこられた前園さんの努力に、何と言って感謝したらよいものか、適切な言葉が見つからない。ただただ頭が下がる思いだ。途中、体調を崩されて入院されたこともあり、いつまで続けられるだろうかという不安が頭をよぎったこともあると伺ったことがある。ただ単なる道楽でできることではない。道楽だなどと言う人がいたら、ご自分でやってごらんなさいと言いたい。できるはずがない。まず原稿が集まらないだろうと思う。これが前園さんでなかったなら、私も楽書倶楽部に文章を寄稿し続けることができたかどうか?前園さんのお人柄があるからこそ「類は友を呼ぶ」のことわざ通り、いい人たちが集い、いい同人誌が続いてきたのだと思う。日本から遠いこのブラジルで、前園さんと楽書倶楽部に出会えた我が身の幸運に感謝するばかりだ。これからも無理のない範囲内で続けていただけたらと願っている。 | ||||
2020年4月30日(水) | ||||
以下は、楽書倶楽部十周年記念号の2020年4月第52号に掲載された私の文章。
平成十七年(二〇〇五年)のお誕生日に際して、敬宮愛子様の今後の養育方針などについて皇太子殿下(今上天皇陛下)のお考えをという質問に対して答えられた内容を、つい最近目にする機会があった。当時の皇太子殿下は、「愛子にはどのような立場に将来なるにせよ、一人の人間として立派に育ってほしいと願っております。三歳という年齢は今後の成長過程でも大切な時期に差し掛かってきていると思います。愛子の名前のとおり、人を愛し、そして人からも愛される人間に育ってほしいと思います。それには、私たちが愛情を込めて育ててあげることが大切です。つい最近、ある詩に出会いました。それは、ドロシー・ロー・ノルトというアメリカの家庭教育学者の作った『子ども』という詩で、スウェーデンの中学校の社会科の教科書に収録されております」とおっしゃって、その詩を紹介されていた。
『批判ばかりされた 子どもは 非難することを おぼえる そして続けて「子どもを持ってつくづく感じますが、この詩は、人と人の結び付きの大切さ、人を愛することの大切さ、人への思いやりなど今の社会でともすれば忘れられがちな、しかし、子どもの成長過程でとても大切な要素を見事に表現していると思います。非常にこの詩には、私は感銘を受けました。家族というコミュニティーの最小の単位の中にあって、このようなことを自然に学んでいけると良いと思っております。また、愛子にはいろいろな経験をさせたいと思います」とおっしゃっていることに私は感動した。 今年の四月から大学に進学される愛子様の様子を見るにつけ、天皇・皇后両陛下はこのお考えに基づいて、愛情をたっぷり注いで愛子様を育ててこられたのだなと感じる。私たちが意識するしないは別にして、日本人の根幹で、要のような存在の方が、このようなしっかりとしたお考えや価値観を持って実践しておられること、そして、そのような方が天皇陛下になられたのだと思うと、何だかとてもうれしく、私たちは幸運だと思う。 この詩はごく普通のことを言っているようではあるけれど、言うは易し行うは難しで、そのような子育てをすることのできる親はそれほど多くはないかもしれない。私自身に子どもはおらず、子育ての経験はないため、子育てを通じて親として成長する機会はなかった。ただ、ブラジルに来てから自宅で英語を教えるようになったため、小学校低学年から30代の大人まで、様々な年齢の若い生徒さんたちや、その親御さんと接するようになり、いろいろな家庭環境を垣間見ている。大人の生徒さんの場合、彼らを取り巻く家庭環境の影響を感じることはあまりないけれど、親が離婚や再婚をしている十代の生徒さんの中には英語とは関係のない精神的な葛藤を抱えている生徒さんもいて、どのように接したものかと悩むこともある。そして、子どもの場合は、本人よりも親の意向が強く働いて、本人が後ろ向きな生徒さんもいたりする。そういう子どものレッスンはとてもチャレンジングだと感じる。とにかく英語っておもしろいと感じてもらうために、基本は愛情を持って前向きに、その子の長所をほめて、「できたねえ~!」と言って、成功体験を積み重ねてもらおうと心がけてはいるものの、なかなか思い通りに行かないこともある。 様々なタイプの若い人たちと毎日接しながら、ああでもないこうでもないと悩むことで、子育て経験のない私自身がこれまでになかった学びの体験と成長の機会を与えられているのだと思うと、人生とは不思議なものだと感じる。そして、この子どもという詩に出会い、若い人たちと接する際、あらためて心に刻まなければならないことを学んだように思う。
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