Kyoko Yoshida Life in Brazil BLOG 

2020年2月1日(土)

次の写真は、我が家の北側の防風林の並木の一番下から北の方角にある離れを撮ったもの。うちの土地はどこも傾斜地で平坦ではないので、ここも画面の右から左に傾斜していて歩きにくい。それで離れからこちら側までの部分をある程度平坦にして歩きやすいように道を作ってもらおうと思っている。左側の桜の木々は、右側の電信柱のトランスフォーマーが落雷で壊れた際、修理のトラックを無理やり入れて枝をたくさん切ったので、木自体を切り倒す話しになっていたのだけれど、どうやら切り倒さなくてもいいのではないかという話しになってきている。せっかくここまで大きく育ち、去年は初めて少し花が咲いたりしたので、切らなくて済むものなら切らない方がいいなと思っている。

2020年2月2日(日)

今、クアレズマの花が咲いている。お隣のコーヒー農園の入り口ゲートから家に向かう道沿いはクアレズマの並木で、花が咲くととてもきれいなのだけれど、今年は、花が咲いている木と咲いていない木とが混在している。次の写真は、うちの庭に2本あるクアレズマ。右側の木にはたくさん花が咲いているけれど、左側の木にはちらほらとしか咲いていない。でも、うちの場合、毎年こんな感じ。2枚目の写真は、丘の上の貯水タンクの側に2本あるクアレズマの木の低い位置にある花を撮ったもの。庭のクアレズマは背が高く、花をアップで撮ることができないのだけれど、この丘の上の木は庭の木に比べて背が低いので、花を近くで眺めることができる。

2020年2月3日(月)

次の写真は、土曜日の朝、鶏に餌をやるためにシュハスコ小屋に行くと、小屋の中の窓のところに蛾なのか蝶々なのか、昆虫がいたので撮ったもの。ここには大きな茶色の蛾が羽を広げてじっとしていることがよくあるのだけれど、この黒地に白と赤(と言うかきれいな濃いピンクと言った方がいいかな?)の模様のものは初めて見た。大きさは茶色の蛾よりも小さく、モンシロチョウよりも大きく、青筋アゲハと同じくらい。羽を広げて止まるのは蛾で、羽を閉じて止まるのは蝶々と一般的に言われているけれど、このきれいな模様のものはとても蛾とは思えない。何とかアゲハとか言った名前がついていそうな蝶々だろうか?2枚目の写真は、シュハスコ小屋の窓の外側からこの昆虫を撮ったもの。顔から胴体にかけても赤いのがわかる。なかなかきれいな蝶々?だなあ~。

2020年2月4日(火)

ブラジルでは1月中旬から南東部で(ミナス・ジェライス州、エスピリトサント州、リオデジャネイロ州の3州を中心に)豪雨が続いており、洪水で死者も出ていて、非常事態宣言が出された。オーストラリアでは静まらない森林火災で非常事態宣言。日曜日のニュースでは、ソマリアで大量のバッタが発生して非常事態宣言というのがあった。アメリカは新型コロナウィルスで緊急事態宣言を出し、WHOは遅まきながら1月30日にようやく新型コロナウィルスで「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」を宣言した。あっちでもこっちでも非常事態や緊急事態で、心穏やかに暮らせる環境ではなくなっている。世界各国で感染が広がっている新型コロナウィルスだけれど、ブラジル国内では中国から戻った学生などに感染が疑われる人が複数の州に複数出て、サンパウロ州にも感染が疑われる患者が出ていると報道されているのだけれど、今のところ陽性の患者は出ていない。でも、いつ陽性の患者が出てもおかしくないと思うので、田舎暮らしとは言え、とても心配。それに今月21日から26日までカーニバルが予定通り実施されれば、各地でどっと感染者が出る危険性もある。持病のない元気な人が重篤になることはないようだけれど、問題は本人の知らないうちにウィルスを拡散して、そのウィルスのせいで他の人が重篤になったり、亡くなる人も出るかもしれないというのが恐ろしい。前回のSARSに比べて死亡率が低いから心配ないと言っている人たちもいるようだけれど、重要なのは死亡率ではなく、死亡者数ではないかと思う。新型コロナウィルスへの感染者数は公式発表よりもずっと多いと思われるので、例え死亡率が低くても、死亡者数は大きくなるかも知れないというのが問題のように思う。

2020年2月5日(水)

香山文庫の蔵書を将来的にどうしたものかと1年余り前からずっと考えている。去年の1月、楽書倶楽部向けに思いを書いたものが前園さんのお陰でニッケイ新聞に掲載されたため、続きの記事を楽書倶楽部2月号向けに書いたり、4月下旬、中国新聞に連載記事を書かせてもらったりしてきた。そして、去年の9月、日系社会のことならこの人だろうということで、ニッケイ新聞の深沢編集長にご相談したところ、ブラジル日本移民史料館の図書館しかないだろうということで、運営委員長の方の名前とメールアドレスを教えていただいたので、その方にご連絡した。でも、ちょうど海外出張中で11月にならないと戻らないという返信をいただいた。それからご連絡がないのでどうしたものかと考えていると、12月に入りようやくご返事をいただいた。現在移民史料館は改修工事などでとても忙しく、対応できないので、2020年末まで相談は待ってくださいということだった。今日明日にでも結論を出さなければならない問題でもないので、まあ、気長に待てばいいのではとメル友の鎌谷さんもおっしゃる。そんな中、2020年2月1日付けニッケイ新聞に「移民史料館=第3期工事完了、お披露目=研究センター、斎藤広志記念室=書道、折り紙など日本文化普及」という記事があった。なるほど、手一杯なんですね。この記事のサイトは、こちらへ

2020年2月6日(木)

うちでは普段カノーラ油とオリーブ油を用途に応じて使っている。たまにだけれどココナッツ油を使うこともある。でも、最近、オリーブ油はいいけれど、カノーラ油などのサラダ油はどれも体に良くないということを知り、カノーラ油の使用をなるべく減らして、オリーブ油の使用を増やすようにしていた。そうしたらエドソンが豚の脂が良いと言って、買い物に言った際、スーパーで買ってきてくれたのが次の写真のもの。つまりこれはラードだ。へえ~、普通に販売されているんだ。早速使ってみたけれど、まったく違和感なく、味も変わらず、今まで通りサラダ油を使う感覚で使えるので助かっている。大きな塊なので、容器に入りきらず、少し削ったものを右側の小さな容器に入れて使っている。

2020年2月7日(金)

はるは先週の月曜日の治療予定日に、血液検査でまた免疫レベルが下がっていたため治療できず、今週の月曜日に予約を入れようとしたら、すでに先客の予約が入っていたため、この水曜日に予約をとって治療に行ってきた。今回は幸いにしてすべての検査数値がとても良く、ちゃんと治療をすることができた。そして、体重が100グラム増えていた。先週末だったか、ひろが右後ろ足上部の嚢胞がかゆいのか、何か違和感を感じるらしく、ペロペロとなめ続けるものだから少し毛が抜けてしまい、傷口が現れたので、アルコールで消毒して、はるの手術の後の傷を消毒するスプレーを吹き付けて化膿しないように努めていた。そして、水曜日にはひろもヴィラ・シーコに一緒に連れて行って診てもらった。はるの採血をして、血液検査の結果を待つ間、ひろを診てくれたドトーラ・ジャナイーナは、嚢胞から膿だか脂肪だかを押し出してきれいにして、消毒をして薬をぬってくれた。あとは、家で1日に2回これまでやっていたように傷口をスプレーで消毒すれば、すぐに治るということだった。診察台の上でもじっとしていられないはるとは違って、ひろは診察台の上では伏せの姿勢でとてもおとなしく治療を受けることができるからすごい。はるの治療中はエドソンが座る椅子の下で小さくなってとても静かにしているものだから、インターンとしてドトーラ・ジャナイーナの手伝いをしていた学生さんは感心していた。次の写真は、木曜日に撮ったベッドの中のひろ。この時はるは玄関マットの上にいたのか、台所のお水を飲みに行っていたのか、ベッドの中はひろだけだった。2枚目の写真は、ひろの嚢胞の傷を撮ったもの。

2020年2月8日(土)

1月からずっととてもよく雨が降る状態が続いている。特に、ここ2週間あまりお天気が良くない日が多いので、ベッドシーツなどの大物の洗濯ができないで困っている。洗濯したタオルや衣類などは、外に干せなくても家の中で部屋干しができるけれど、ベッドシーツや肌掛けなどは干す場所がないし、その日のうちに乾いてくれないと、その晩使えないので、朝干したらお昼前には乾くようなお天気のいい日でないと洗濯できない。そして、こんな雨の多い日々だからなのか、玄関前の外階段を上がりきった辺りに白いきのこが4つ生えてきたので、撮ったのが次の写真。これまでも、芝生の間から小さな茶色のきのこが生えてくることは時々あったけれど、白いきのこが生えてきたのは初めて。

2020年2月9日(日)

離れの電気の配線や、電灯やコンセントやスイッチの取り付けは、エドソンが少しずつ週末に時間のある時に自分ですると言っていたのだけれど、私の新しい生徒さんのニコールのお父さんが電気関係の建築資材のお店をしていて、こういう電気の配線工事も請け負うということを知った。ペドレイロさんたちも彼は信頼できる人だとお墨付きを与えてくれたので、エドソンはこのお父さんに頼むことにした。次の写真は、木曜日に来て作業のために屋根から天井裏に入る場所を確認しているニコールのお父さんのジョゼ。それでなくてもエドソンは仕事やあれやこれやで毎日とても忙しく、ストレスを溜めて、時々煮詰まってしまうこともあるのだから、お金を払って専門の人に頼めることはその人に頼んだ方が正解だと私も思っている。

次の写真は、1枚目は居間の壁に取り付けが完了したコンセント。2枚目は、入り口を入った台所の横の壁に取り付けが完了したスイッチ(上)とコンセント(下)。まだ、すべてのスイッチやコンセントの取り付けが完了したわけではないけれど、少しずつ進んでいる。ジョゼの仕事はそんなに速くはないけれど、エドソンがこうやって欲しいと頼んだ通りにしてくれているらしい。エドソンひとりで何でも背負い込まず、やはり頼んで良かったのだと思う。

2020年2月10日(月)

1月27日にエンブラエー高校での高校生活がスタートした私の英語の生徒さんのひとりのマテウスは、2月1日はお昼前から降り出した激しい雨のため英語のレッスンをお休みしたので、8日が高校生活が始まってから初めてのレッスンになった。早速、高校生活について話してもらったところ、朝7時20分から午後5時20分まで10時間学校にいるということだった。エンブラエーは特別な学校なので、1日がこんなに長いのだろうけれど、中学を卒業するまで学校は午前か午後の半日だけだったので、この違いはすごいこと。疲れていないかと聞くと、まったく大丈夫のようだった。学校での1日のスケジュールは、まず、7時20分から2つの授業があり(1つの授業時間は50分間)、その後、食堂で朝食が出て、朝食後に3つの授業があるということだった。そして、1時間50分の昼食休憩があり、後半の50分は、先生に質問がある場合は、先生のところに行って質問をするための時間なのだそう。そして、午後からまた2つの授業があり、その後20分くらいのスナック休憩をはさんで、さらにもう2つ授業があるということだった。午前5科目、午後4科目、つまり1日に9科目もの授業があると聞いて驚いた。先生たちのことは、The teachers are great. My English teacher is very nice. Her name is Angela.と言っていた。まだ1年生が始まったばかりなので、ゆっくり進行しているらしく、マテウスは学校生活をとても楽しんでいるようだった。これが学年が上になると、少しずつ要求されることが高度になり、さらに忙しくなるのだろうと思うけれど、マテウスなら難なくこなして行けるように思う。

2020年2月11日(火)

日曜日はボトゥカトゥのスーパー・コンフィアンサと、ショッピングモール内にある量販スーパーのテンダに行ってきた。どちらもすごく混んでいて、レジの順番を待つ列が恐ろしく長く、店を出るまでにとても時間がかかったので疲れた。ブラジルの経済はひどく落ち込んでいて、最近徐々に上向いてきているようではあるけれど、まだまだというニュースを聞く。でも、これらのスーパーでの混雑を見たり、ボトゥカトゥで新しいマンションが次々にできていたり、スーパー・コンフィアンサの近くに大きなデパートが建設されているのを見ると、本当にそんなに経済が落ち込んでいるのかなあ?と思ったりする。次の写真は、日曜日の午後収穫したワイルドベリー。収穫量は120粒くらいで、まだそんなにたくさんのベリーはなっていないけれど、今年初めての収穫に感謝。

2020年2月12日(水)

土曜日は久しぶりに朝から良いお天気になり、1日雨が降らなかったため、ベッドシーツを洗濯することができ助かった。でも、日曜日はまた朝から降ったり止んだりのお天気に戻り、夕方からは雨が止むことなく、延々降り続いた。日曜日から月曜日に日付が変わった頃、雨の音で目を覚ますくらいすいぶんザーザーと降っていたけれど、お隣のボトゥカトゥではここよりももっと多量の雨が降ったらしく、大変なことになっていたことを月曜日の朝、エドソンがインターネット上のニュースを見て知った。あちこちで川が氾濫したり、道路が陥没したり、道路や家が壊れたりといった写真がそのニュースには色々掲載されていた。ボトゥカトゥとバウルを結ぶ高速道路も一部壊れて、通行止めになっているのだそう。そして、サンパウロもあちこち洪水が発生していて、高速道路の通行止めが発生しているらしい。1月はリオ州やミナス・ジェライス州、エスピリト・サント州などで洪水被害が出ていたけれど、何だかその状況が西に移動してきたような感じだ。次の写真は、エドソンがリンクを送ってきてくれたニュースサイトにあったボトゥカトゥの被害状況を撮った写真の一部。1枚目の車の上に乗っているものは瓦礫集積用の鉄の箱。2枚目の写真は、川沿いの家の壁が壊れてなくなり、家の中が見えるような状態になっている。

2020年2月13日(木)

昨日、ボトゥカトゥでの大雨による被害について書いたけれど、2月11日付けのニッケイ新聞に、「サンパウロ大都市圏=大雨でチエテ川など溢れる=土砂崩れや交通網の混乱も」というサンパウロ市の被害に関する記事があったので、以下にリンクをはってみた。この記事にはないけれど、サンパウロの中央卸売市場も水に浸かり、大損害を被ったらしいとエドソンが言っていた。サンパウロにあるチエテ川とピニェイロス川はとても汚く、特に、ピニェイロス川は悪臭が漂っているのがわかるぐらいなので、その川の水が溢れたのだから、後の清掃や消毒が大変だろうなと思う。この記事のサイトは、こちらへ

そして、中国の武漢から戻ったブラジル人に関する記事もあったので、これにもリンクをはってみた。「コロナウイルス=ブラジル人家族34人の帰国便が到着=肺炎の症状訴える人おらず=空軍基地で18日経過観察=基地近くにくる帰国者の親も」という記事のサイトは、こちらへ。ブラジルは民間機ではなく、政府専用の軍用機を飛ばしたのだけれど、中型旅客機なので、2機飛ばしたようだ。そして、一気に長距離を飛べないため、途中給油のために何度もあちこちを経由して往復したらしい。それで、ブラジル人だけでなく、途中の経由地のポーランドの人も救出して国に送り届けたらしいとエドソンは言っていた。日本と違い、帰国者にはちゃんと空軍基地内の宿泊施設を用意して、隔離受け入れを行い、帰国者からは政府にとても良くしてもらっているというSNSでの発信などがあったらしい。

2020年2月14日(金)

いつだったかエドソンが畑に蒔いたオクラが芽を出して育ってきていて、ちらほら花をつけ始めたので、そろそろオクラができているかなと見てみると、ひとつ生っていたので写真を撮ってみた。左手前のオクラが一番大きく育っているので、一番に実をつけてくれたのだろう。2枚目の写真は、オクラと同じ畝に移植したタイムの枝4本が元気に根付いて育ってきているのを撮ったもの。もともと鶏小屋に一番近い畝にあったタイムは、古くなって姿を消しそうだったので、去年のいつ頃だったかエドソンがここに枝を移植して、毎日水をやってくれたのだけれど、その判断は正しかったことが証明された。でも、タイムがちゃんと成長できるようにせっせと草取りをしたのは私。つまり、ふたりの共同作業の成果。

2020年2月15日(土)

次の写真は、木曜日の午後、ルイーザのレッスンが終わった後、はるとひろをオシッコに連れ出して、玄関まで戻った際撮ったもの。最近、はるとひろが玄関を出入りする際、めいが必ずひろに馬乗りになったり、脚を噛む真似をしたりするので、その様子を撮ろうと思ったのだけれど、この時ははるやひろのお尻の匂いを嗅いだり、鼻をつき合わせたり、一緒に遊ぼうという意思表示はしても、馬乗りになったりはしなかったので、期待した写真は撮れなかった。

2020年2月16日(日)

次の写真は、庭のフランボヤンと糸杉の前にあるバラの木を撮ったもの。高さ40センチくらいの小さなバラの木で、何年経ってもこれ以上大きくならないのだけれど、毎年小さな白い花をひとつだけ咲かせる。今年も花が咲いたので撮ってみた。2枚目の写真は、外階段横の箱庭のソテツの葉の下に、蜂の巣ができていたので撮ったもの。これはここで普通に見かける黒のマリンボンドではなく、茶色い種類のマリンボンド。

最近、Youtube上で、及川幸久クワイト・フランクリーとう時事解説のとても短い番組を見ている。この人の解説はとても的を射ていてわかりやすく、なるほどねえとよく思う。2月15日付けで、【国賓来日】真の目的は・・・!という内容で、習近平を国賓として来日させてはいけない旨の説明をしていたので、リンクをはってみた。このサイトは、こちらへ

2020年2月17日(月)

先週、はるが右前脚を上げてびっこを引いて歩いたり、正常に歩いたりを繰り返していた。ひろと激しいラブラブをして痛めたのかな?と思っていたのだけれど、そのうち右前脚の足裏をペロペロなめるようになり、びっこを引く状態が続いたので、足をひっくり返して良く見てみると、小さく皮が剥けている箇所があった。それを見てエドソンが足にノミが卵を産みつけたから、痛がゆくてなめて皮が剥けてしまったんだと言う。それで、金曜日にエドソンがエンブラエー高校でのミーティングの後で、薬を買ってきてくれたので、土曜日の朝、はるとひろの体を洗った後その薬をはるの足に塗って、包帯とテープを巻いて、しばらくこの状態で足についたノミの幼虫を退治することにした。この足につくノミは体につくノミとは違うようで、ノミを寄せ付けないために時々首筋にたらすノミよけの薬は効かないらしい。次の写真は、右前脚に包帯を巻いたはる。最初は歩きにくそうにしていたけれど、そのうちに慣れてこの状態でも普通に歩けるようになった。2枚目の写真は、ひろ。今から朝ご飯というタイミングで撮ったので、写真ではよくわからないけれど、ふたりとも「ごはんだ!ごはんだ!」と大喜びでワンワンと吠えて尻尾を激しく振ってはしゃいでいるところ。

昨日に引き続き、習近平国賓来日に反対する件で、国守衆(くにもりしゅう)という団体が、『「国守衆全国評議会では、香港・ウイグル・チベット・南モンゴル等、民族浄化と人権弾圧を繰り返し、アジアで軍事的な侵略行為を進める中華人民共和国国家主席習近平氏の日本国国賓としての来日に反対するため、署名活動を開始いたしました。ご賛同いただける方は、以下の署名登録フォームから登録いただくか、以下の署名用紙をダウンロードして「国守衆全国評議会」までお送りください」と訴えているので、私はネット上で署名登録フォームに登録した。賛同していただけるなら、署名をご検討ください。国守衆のサイトは、こちらへ

2020年2月18日(火)

先週の金曜日の午後、ムリロが仕事の都合でレッスンに来れないことが前日からわかっていたので、お天気も晴れたり曇ったりとまずまずだったので、衣類だけでなく肌掛けなど大物の洗濯もして、ついでに雨が降ると結構ぐちゃぐちゃになる入り口ゲート前に何回かバケツでレンガを運んで行って、そのレンガを細かく砕いて敷く作業をした。普通のレンガだと簡単には細かく砕くことができないけれど、天井を作る際に使うレンガは簡単に壊れるので、作業中に壊れて廃棄されたものを再利用している。こういう肉体労働は作業の後にへばることもあるので、レッスンが予定されている時はできないけれど、レッスンがなければ、へばった際は横になればいいという楽な気持ちですることができる。1時間ほどの短時間の作業をしたのだけれど、これが私には精一杯で、汗ぐっしょりになり、ヘロヘロになった。でも、適度に疲れたため、その晩は夜中にひろたちがオシッコに起きなかったこともあり目覚めることなく、よく眠れた。やはりたまにはこういう肉体労働をして、体を適度に使わないといけないんだなと思った。次の写真は、砕いたレンガを敷いた入り口ゲートの前を撮ったもの。この状態は、まだ完成ではないので、また時間ができたら続きの作業をしようと思っている。

2020年2月19日(水)

次の写真は、土曜日の夕方撮った台所のひろとエドソン。週末によく夕食を作ってくれるエドソンが、この日も夕食を作ってくれたのだけれど、圧力鍋で作っていたお肉料理ができあがり、最後の仕上げでファロッファを作り始めたら、それまでケージの中でおとなしくしていたひろが、ケージから出てきて、エドソンの足元に行って一生懸命にエドソンのすることを見つめていたので、撮ったもの。この時はるは居間のベッドの中でおとなしく丸まっていて、台所に来ることはなかった。ふたりは一緒にいることの方が多いけれど、それぞれ気の向くまま別々の場所にいたりとマイペースなところもあってとてもおもしろい。

2020年2月20日(木)

月曜日は、はるの4回目の抗がん剤治療でヴィラ・シーコに行ってきた。今回も血液検査を無事にパスして、ちゃんと治療を受けることができた。はるの足に巻いていた包帯は日曜日の朝のお散歩の後で取れてしまったので、足裏を見てみると、剥けていた皮の部分が癒えているようだった。そしてはるの歩き方も正常に戻っていたので、新しく包帯はせず、月曜日にドトーラ・ジャナイーナに診てもらった。エドソンの処置が良かったようで、問題なしという診断だった。そして、治療前の体重測定で、はるの体重が300グラム増えていたのはうれしい驚きだった。去年の12月の手術とその後の治療をするにあたり、ドッグフードの食事から手作りの特別食にして以来、はるはとても食欲があり、毎日特別食をむさぼるように食べているから多少は体重が増えているとは感じていたけれど、前回の100グラム増加をはるかに越えて一気に300グラムも増えていたなんてうれしい驚きだった。次の写真は、入り口ゲート横で咲く花。これはここに自然に生えてきた草が木のように大きくなったもので、こんな風に花を咲かせると取り除くこともないかなと思ってしまう。

2020年2月21日(金)

次の写真は、入り口ゲートを入ってくると正面に見えるパイネイラの木で、今年も花を咲かせ始めたので撮ったもの。花は何故か木の右側半分にだけ咲いていて、左側には咲いていない。この木は去年初めて花を咲かせたと思うのだけれど、今年はたくさんつぼみが見えるので、去年よりもたくさん花が咲きそうだ。2枚目は、花を少しアップで撮ったもの。花の側に丸いつぼみがたくさん見える。入り口ゲートの左右にも1本ずつパイネイラの木を植えているのだけれど、それらはこの写真のパイネイラの木よりも植えた時期がだいぶ遅く、大きくはなっているけれど木が若いので、まだ花を咲かせたことは一度もない。

2020年2月22日(土)

パーディーニョの建築資材の店に注文していたドアノブなどが、お店が言っていた2週間を経ても届かないので、エドソンがいつ届くのかと催促すると、いつになるかわからないなどと言い始めたため、仕方なく洗面所のタオル掛けなどもパーディーニョの店ではいい品質のものが手に入らないこともあって、先々週、先週とエドソンはボトゥカトゥの店を何軒か探し回り、必要なものを調達してきてくれた。それで今週火曜日にペドレイロさんたちが久しぶりに作業にやって来て、それらを取り付けてくれた。これでペドレイロさんたちの仕事はほぼ完了。居間の前の木製のベランダを作る作業は、ペドレイロさんたちの新しい仕事との兼ね合いもあって、すぐには始まらないらしい。ニコールのお父さんが少しずつやってくれていた電気の配線やコンセントやスイッチや電球の取り付けも、残るはシャワーヘッドの取り付けだけになったので、洗面台、トイレ、台所の流し、冷蔵庫、ガスレンジなどの掃除をして、床の掃除を始めた。床に落ちた細かなペンキのしずくや作業中についたしみなどをタワシでゴシゴシ落としたりする作業に時間がかかっていて、まだ完了していない。室内の掃除ができたら、居間にソファーを入れたり、洗面所に洗濯機を入れたり、寝室にタンスを入れたりすることができる。ただ、寝室のベッドは下で使っていたシングルベッド2つではなく、クイーンサイズのベッド1つを新しく買って入れることにしたので、まだ、ここで泊まることはできない。それにまだシャワールームのガラス扉ができていないし、寝室、居間、台所の窓3箇所にカーテンを取り付ける作業もある。細々したことがまだいろいろ残っているので、なかなかこれで完成とは行かないなあ・・・。でも、遅れに遅れていた離れの建設がようやくここまで来たことに感謝している。次の写真は、完成した洗面所。

次の写真は、右側がまだガラス扉のないシャワールームで、シャワーヘッドの上の部分にある電気の配線がまだ終わっていない。左側は洗濯機を置くスペース。

次の写真は、居間から撮った台所。冷蔵庫は汚れたまましばらく使っていなかったので、ここに移動させて、きれいに掃除をした後、扉を開けたままにして変な匂いがこもらないようにしている。

2020年2月23日(日)

今年のカーニバルは、21日から26日までなので、ブラジルはこの週末カーニバル一色と言っていいのかもしれない。でも、カーニバルとは無縁の私たちはごく普通にいつも通りに過ごしている。パーディーニョの町は何年か前に未成年の飲酒が問題になり、カーニバルイベントを開催しなくなって久しいけれど、今年は、市の中心にある教会前に大きなテントが立っていたので、カーニバルが復活するのかとヴィトーに聞いてみた。すると、パレードはないのだけれど、ダンスパーティーなどのイベントは予定されているということだった。隣町のボトゥカトゥは今月あった豪雨災害で、今年のカーニバルは中止になったそうだから、パーディーニョの町のカーニバルイベントが復活すれば、近隣の町々からたくさん人が集まるのだろうなと思う。今のところブラジル国内ではコロナウィルスに感染した人は出ていないけれど、このカーニバルの期間中、いろいろな国からリオやサンパウロには大勢人がやって来るので、ブラジルへのウィルスの伝播が心配されている。そんな中、リオの在ブラジル日本国総領事館から、「ブラジルにおける新型コロナウィルスに関する注意喚起」というメールが昨日届いた。それによると、『2月21日、ブラジル保健省は、疑い症例の定義を「熱及び呼吸器系の異常(咳や呼吸困難等)があり、それら症状の発症から14日間以内に、中国、日本、韓国、北朝鮮、シンガポール、ベトナム、タイ、カンボジアへの渡航歴がある人」に拡大した。万が一当局に隔離され援護が必要な場合には、最寄りの大使館、総領事館または、領事事務所までご連絡下さい』とあった。

2020年2月24日(月)

土曜日は私の誕生日だったので、午前中のエロイーザのレッスンと、午後のマテウスのレッスンを休ませてもらい、ボトゥカトゥの農業資材兼ガーデンショップのカコに観葉植物を買いに行ったり、私の生徒さんのひとりであるハファエウのお兄さんが今年になって開店したお店にお昼を食べに行ったりしようと計画していた。でも、あいにく朝からザーザー降りの雨で、とても外出できる状況ではなかったので、どちらも中止して家でのんびりと過ごした。夕飯はエドソンが作ってくれたローストポークをおいしくいただいた。翌日の日曜日は晴天とは行かなかったけれど、雨は降らなかったので、土曜日に行けなかったハファエウのお兄さんのお店に行ってきた。このお店はレストランではなく、軽食を出すバーなのだけれど、お昼をガッツリ食べない私たちにはちょうどいいかなと思って行ってみた。このお店の名前は「Deck976」と言って、ジガンチ・アドーメシード(眠れる巨人という名前の山)が良く見える場所にある。Deckというのはお店にはウッドデッキがあるためつけたものらしい。そして、976というのはここの標高が976メートルだからなのだそう。次の写真は、そのお店の中で私たちが座ったテーブルから外を撮ったもの。画面左前方に ジガンチ・アドーメシードが見える。

次の写真は、私たちが頼んだミニ・バーガー。小さ目のハンバーガーをひとつずつ頼むのかと思ったら、3種類のパンで作ったバーガーがセットでワンプレートになっていると言うので、ワンプレートだけ頼んだ。飲み物はマラクジャ(パッションフルーツ)のジュース。

次の写真は、お会計を済ませてからお店の中を撮ったもの。座席数はお店の中よりも、外のウッドデッキの上の方がたくさんあり、外の方がお客さんの数が多かった。左側のカウンターの中で背中が見えるひげを生やした男性がハファエウのお兄さんで、この店のオーナー。

次の写真は、お店を出て、下にある駐車場に行く途中で撮ったお店の様子。お店の外にL字型のウッドデッキがあるのがわかる。

2020年2月25日(火)

昨日掲載した「Deck976」のすぐお隣と言うか、同じ敷地内に、「チロレーザ・ド・ジガンチ」というワイアーロープにぶら下がって下まで行く遊具があったので、その写真も撮ってみた。1枚目の写真は、その出発点の飛び込み台のような建物。「Deck976」の中から撮ったもの。

次の写真は、飛び込み台のような建物の下で、安全ベルトなどを係のお兄さんがお客さんに装着しているところ。

次の2枚の写真は、ワイアーロープにぶら下がって、下っている女性を店の中から撮ったもの。

次の写真は、この遊具の着地点を撮ったもの。ここから上までどうやって戻るのかな?と、思っていたら、木製のベンチを取り付けたピックアップトラックが、ここからお客さんを上まで運んで来ているようだった。

2020年2月26日(水)

とうとうブラジルでも新型コロナウイルスの感染者が出てしまった。昨日の夜のインターネット上のニュースで、北イタリアへの旅行から戻ったサンパウロ在住の人の感染が確認されたと、エドソンが教えてくれた。ブラジルにもたくさん中国人があふれているけれど、ウイルスは中国からではなく、北イタリアから来たことが、ちょっとブラジルらしいかなと思った。何しろ、ブラジルにはイタリア系の人が多いし、イタリアとの二重国籍を持っている人も少なくない。イタリアとの人の行き来が多いのだからさもありなんという感じだと思った。ブラジルでも感染者が出るかどうかではなく、いつ出るか、時間の問題だとエドソンが言っていたけれど、まさにその通りという状況になった。

次の写真は、日曜日のお昼に「Deck976」から戻ってきた際、西側から家に向かうと木立の中に少し見えるうちの離れを撮ったもの。ああそうだ、写真を撮ろうと思って、車を止めてもらったのだけれど、ちょっと行き過ぎてしまい、かろうじて屋根だけが見えるショットになってしまった。もっと手前で止まっても家全体が見えるわけではないのだけれど、この写真よりはもう少し見えるかな?家の手前に見えるピンクというか紫の花の列は、うちの西隣りのコーヒー農園の入り口ゲートから家まで続くクアレズマの並木。そして、そのさらに西側(つまり画面の手前)は、別の人所有の牛の放牧地なので、牛が数頭写り込んでいる。

2/24(月)11:15配信のPRESIDENT Onlineの記事に、「アメリカ人が理解できないイラン人と日本人の意外な共通点」というなかなか興味深い記事があったので、以下にリンクをはってみた。この記事のサイトは、こちらへ

2020年2月27日(木)

25日火曜日の夜は、トシオとアナの日本語のレッスンをお休みさせてもらい、はるとひろにはシュハスコ小屋でお留守番をしてもらい、ドトー・ヴェネジートとドトーラ・エライニ夫妻のお宅での夕食にお呼ばれして行ってきた。彼らは夫婦共にお医者さんなので、ボトゥカトゥでも一番と言われる高級住宅街に家を構えていた。回りには個人の自宅とは思えない、どこかの国の在外公館か何かのようにとても大きく立派な家もあった。それらに比べると彼らの家はこじんまりとして、敷地面積は広くはないのだけれど、その限られた傾斜地を最大限に利用した、とてもよく考えられたゆとりのある居心地のよさそうな家だった。次の写真は、台所でみんなをパチリ。画面の右奥のスペースはブラジルの家庭によくあるサービススペース。つまり、洗濯機などが置いてあって洗濯などの家事をする場所で、正面奥のドアを左に出ると、屋根のついた戸外の物干場になっていた。

次の写真は、玄関ホールで、玄関を振り返って撮ったもの。左側に来客用のトイレが見える。この玄関を出るとすぐ右側にまた別のドアがあって、そのドアを開けると階段があり、それを下りると、精神科医であるドトー・ヴェネジートのクリニックになっていた。彼の患者さんは、門を入ると左に回って、家とは別に独立したドアからクリニックに入るようになっていた。このクリニックは半地下のような場所にあるのだけれど、大きな窓があるため、室内はとても明るかった。このクリニックのドアのさらに奥にもうひとつドアがあって、玄関ホールの写真の次に掲載した居間の前の庭に通じるようになっていた。庭はウッドデッキが敷き詰められていて、土は見えないのだけれど、木がちゃんとそこここに植えられていて、きれいな庭だった。

次の写真は、玄関ホールを抜けて、数段階段を降りたところにある居間。窓が大きく、天井も吹き抜けになっているので解放感がある。画面右奥の引き戸の向こうにあるのは、シュハスコをする場所。真ん中に8人くらいが囲める大きなダイニングテーブルがあった。この家は、半地下、一階、中二階、二階と、傾斜をうまく利用して、少しずつ高さの違う部屋がいろいろある変わったデザインだった。寝室は来客用を含め5つもあった。

2020年2月28日(金)

ドトー・ヴェネジートのお宅では、家の隅々まで見せてもらったので、今日もお宅拝見の続きで残りの写真を掲載した。次の写真は、玄関ホールと台所の間にあるダイニングルーム。ダイニングルームの向こうに壁がなく、下に居間が見えるので、ここも解放感がある。画面正面奥に中二階の家族用の居間のある場所が少し見える。ドトーラ・エライニはベジタリアンなのたけれど、私たちのために夕食はローストチキンを用意してくれていた。と言うか、ドトー・ヴェネジートはベジタリアンではないので、いつもお肉料理を一品用意するのかもしれない。その他の献立はクスクスと野菜のサラダ、とうもろこしのスープと言うかソースのようなもの、そして、ご飯。デザートは私が作って持って行ったバナナブレッドにヴァニラアイスクリームを添えたものとぶどう。どれもおいしくいただいた。

次の写真は、娘さんたちの寝室のひとつ。彼らにはふたり娘さんがいるのだけれど、ふたりともすでに成人して、アメリカで暮らしている。ボストンで暮らす長女さんのところに去年初孫が生まれたので、以降ふたりは結構頻繁に渡米している。30年近く家族4人で暮らしてきた家だけれど、子供たちが巣立ち、ふたりだけになった今では、ちょっと大き過ぎると感じていると言っていた。でも、週に何回かは知らないけれど、通いのお手伝いさんがやって来て、掃除や洗濯など家事をしてもらっているようなので、家が広くても掃除や家事が大変ということはなさそうだなと思った。

2020年2月29日(土)

先日ようやく、めいがひろに馬乗りになる決定的瞬間を撮ることができた。はるとひろをオシッコなどに連れ出す際、いつもカメラを持って出るわけではないし、めいが常にひろに馬乗りになるわけでもないので、なかなかこの瞬間を撮ることができなかったのだけれど、ようやく撮れた。めいに「つかま~えた!」という感じで馬乗りになられると、ひろは「ああ~、やめてくれない?」と言う感じで困った顔はしても、怒ったり、めいを振り払ったりはしないのだけれど、めいがたまにひろの耳を噛むとか過激なことをすると悲鳴をあげて逃げ出すこともある。めいはひろが好きなんだよね。



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