Kyoko Yoshida Life in Brazil BLOG 

2019年12月1日(日)

木曜日の午後、うちに来た配達のトラックが道沿いのアメンドインを無残にめちゃくちゃにして、道もかなり大規模な補修が必要なひどい状態にしてしまった事故の衝撃から、まだちょっと立ち直れないでいる。それで、その現場を再度近くから写真に撮ってみた。トラックの前後のタイヤがハマってしまった場所は50センチ以上の深さにえぐられて、大きな穴ができている。トラックをここから出す際、木材を使ったらしく、1枚の板が地面に突き刺さっている。2枚目の写真は、その穴から少し離れて道の上の砂の様子とアメンドインの上の泥だらけのわだちを撮ってみた。自然の力は強いので、数年すれば、また元のきれいな状態に戻るだろうとわかってはいても、出るのはため息ばかり・・・。

2019年12月2日(月)

次の写真は、ランドマークの木の側の坂道を下りた辺りの道沿いにある竹を撮ったもの。筍は相変わらずせっせと採っているのだけれど、今生えている竹のすぐ側に生えてきた筍は、掘り出さずにそのまま大きくなるがままにしている。それで、ここに2本生えてきていた筍が大きくなって来ているので、撮ってみた。画面中央に2本、足元が緑色で、上の方はまだ茶色い皮で被われている竹が見えるだろうか?

2019年12月3日(火)

日曜日の夕食に、ドトー・ヴェネジートと奥さんのドトーラ・エレインを招いた。パーディーニョに老人ホームを作りたいというエリオのことをサポートしているドトー・ヴェネジートは精神科のお医者さん。奥さんのドトーラ・エレインはアレルギー専門のお医者さん。以前から一度夕食をと言っていたのだけれど、ボストンで暮らす娘さんのところに初孫ができたので会いに行き、1ヶ月余りの滞在の後戻ったということで、ようやく実現した。エレインがベジタリアンということで、私が焼いたパンとムリロのブルーチーズ、タケノコご飯、大豆と野菜のサラダ、ジャガイモとチーズのグラタンという献立にした。彼らが暮らしているのはボトゥカトゥなのだけれど、エリオの財団のサポートだけでなく、パーディーニョで子供向けの教育活動などもボランティアでしている人たち。二人とも英語を話すので、英語とポルトガル語を織り交ぜながら、様々なことを話すことができ、とても楽しいひとときとなった。次の写真は、ピンボケになってしまったけれど、食事を始めて、おうそうそう写真を撮らなくてはと、撮ったもの。

2019年12月4日(水)

12月1日の日曜日は、午前中夕食の準備で忙しく、午後はヤスミンの英語のレッスンがあったので時間がなく、恒例のクリスマスツリーの飾り付けは、月曜日の夕方エドソンに手伝ってもらってした。毎年代わり映えのしない質素なツリーの飾り付けだけれど、また今年も無事にクリスマスと年末年始を迎えられそうなことを感謝するのみ。毎年思うことだけれど、今年もあっと言う間の一年だったなあ・・・。

2019年12月5日(木)

次の写真は、エンブラエー高校の校長先生から送られてきたアマチュア無線のステーションの様子を撮ったもの。エドソンの命名で、エドソンの親友で数年前に亡くなったデマーコの名前を冠した「JKDeMarcoアマチュア無線クラブ」として立ち上がったのだそう。左側のモニターにはエドソンが作った衛星通信のデータ画面が写っている。今後ここにエドソンが無線機を寄贈したりして、充実させて行くのだと言っていた。この日曜日にエドソンとデミウソンが例年やっているアマチュア無線愛好家向けの衛星通信関係のイベントが行われることになっている。今年はこのエンブラエー高校を会場にして開催されるのだけれど、その際、このクラブの発足も正式に発表されるのだそう。アマチュア無線を利用した科学技術教育プログラムの一例として、エンブラエー高校で今年エドソンが行ったプロジェクトに参加した生徒たちによる発表も行われる予定だという。エドソンの努力が着実に実を結び始めているのはとても喜ばしい。

2019年12月6日(金)

先日、Youtube上で「ひとりがたり馬渕睦夫」を見ていたら、芥川の小説のジャンルで「切支丹物」と呼ばれる短篇のひとつで、実在の『宣教師・オルガンティーノが、記紀神話の神から、「外国から伝来した文化を元に、独自の文化を作り上げる」日本人の特性を学ぶというストーリー』を紹介していた。どうして日本ではキリスト教が広まらなかったのかという私の疑問に対するひとつの答えになるなと思った。この短篇のサイトは、こちらへ

この小説の後半、オルガンティーノの前に現れた老人が、日本人が持っている力は破壊する力ではなく、造り変える力だと言っている言葉に、なるほどと思い、ユダヤ・キリスト教と日本人の信仰との違いを見たような感じがした。どういうことかという説明の一部を本文から以下にコピーしてみる。

『はるばるこの国へ渡って来たのは、泥烏須(デウス)ばかりではありません。孔子、孟子、荘子、――そのほか支那からは哲人たちが、何人もこの国へ渡って来ました。しかも当時はこの国が、まだ生まれたばかりだったのです。支那の哲人たちは道のほかにも、呉の国の絹だの秦の国の玉だの、いろいろな物を持って来ました。いや、そう云う宝よりも尊い、霊妙な文字さえ持って来たのです。が、支那はそのために、我々を征服出来たでしょうか? たとえば文字を御覧なさい。文字は我々を征服する代りに、我々のために征服されました。私が昔知っていた土人に、柿本の人麻呂と云う詩人があります。その男の作った七夕の歌は、今でもこの国に残っていますが、あれを読んで御覧なさい。牽牛織女はあの中に見出す事は出来ません。あそこに歌われた恋人同士は飽くまでも彦星と棚機津女(たなばたつめ)とです。彼等の枕に響いたのは、ちょうどこの国の川のように、清い天の川の瀬音でした。支那の黄河や揚子江に似た、銀河の浪音ではなかったのです。しかし私は歌の事より、文字の事を話さなければなりません。人麻呂はあの歌を記すために、支那の文字を使いました。が、それは意味のためより、発音のための文字だったのです。船(しゅう)と云う文字がはいった後も、「ふね」は常に「ふね」だったのです。さもなければ我々の言葉は、支那語になっていたかも知れません。これは勿論人麻呂よりも、人麻呂の心を守っていた、我々この国の神の力です。』

2019年12月7日(土)

先日、アセロラの木に小さなピンク色の花が咲いている写真を掲載したけれど、実がつき始めて、その実が赤く色づき始めたので、赤く色づいたものだけを採ってきたのが次の写真。現在は、花と、まだ色づかない実と、赤く色づいた実が共存している状態で、赤く色づいた実はまだそれほど多くない。それで採れた実の量も少ないのだけれど、これで早速アセロラジュースを作ろうかなと考えている。

2019年12月8日(日)

次の写真は、土曜日の朝撮った離れの進捗状況。1枚目は離れの南側から撮った写真。寝室の壁の上部にガラスのレンガが入った。柱のコンクリートは上半分だけ塗られ、下はまだ。そして、家の土台の壁にコンクリートが塗られるのはこれから。2枚目は北側から撮った写真。こちら側は軒下、柱、壁すべてにコンクリートを塗る作業が完了している。

2019年12月9日(月)

この土曜日に草取りの手伝いに来たマリアが、前の週にお裾分けした筍のお礼だと言って、手作りの大きな石けんを持ってきてくれた。この手作り石けん、何だかちょっと大きなこんにゃくのように見える。もちろん石けんなので、こんにゃくのように柔らかくはないのだけど・・・。うちで採れたものをお裾分けするのは、私たちだけでは食べきれないからという単純な理由で、見返りなどまったく期待してはいないのだけれど、こんな風にお礼をされると、しかも手作りのものを持ってきてくれたりすると、何だかちょっとうれしい。私の生徒さんのルイーザのお父さんも、筍のお礼だと言って、自宅で飼っている地鶏の卵を8つ持ってきてくれたし、こういうやり取りがあると、ここの生活もまんざらでもないなと思う。

2019年12月10日(火)

この日曜日に、恒例のエドソンとデミウソン主催のアマチュア無線愛好家向けの衛星通信に関するイベントが行われた。今年は会場がエンブラエー高校だったので、土曜日にアヴァレからデミウソンも来てエンブラエー高校での会場の準備が行われ、午後2時過ぎくらいからはうちに戻ってきて、ふたりは翌日の講演の準備に余念がなかった。デミウソンはうちに泊まるのかな?と思ったのだけれど、ボトゥカトゥのB&Bに泊まるということで、うちで夕食だけ食べてボトゥカトゥに戻って行った。翌、日曜日は朝8時過ぎに出かけて行ったエドソンは、午後5時半頃帰宅した。午前中はデミウソンとエドソンがそれぞれ講演した後で、エンブラエー高校でエドソンたちのプロジェクトに参加した生徒6人による発表があったのだけれど、生徒たちは皆ネクタイをして正装していたのでエドソンは驚いたと言っていた。学校の他の生徒向けの発表ではなく、彼らのプロジェクトの技術的なことを理解している大人のアマチュア無線愛好家に向けての発表だったので、とても緊張していたらしいのだけれど、校長先生いわく、彼らにはとてもいい経験になったということだったそう。去年は、会場がパーディーニョのマックス・フェファー文化センターだったので、途中、ワンコたちにお昼ご飯を食べさせたりお散歩をさせるために、会場と家を行ったり来たりすることが容易にできたので、私はほぼずっと会場で飲み物や茶菓子のお世話をすることができたのだけれど、今回は、ボトゥカトゥと家を行ったり来たりするのは時間がかかるので、私はイベントの手伝いには行かず、家で忙しく洗濯や掃除に勤しんだ。参加者は予想を下回る30人余りだったそうだけれど、午後からはイベント参加者にもいろいろ発表をしてもらい、内容的には充実したいいイベントになったということだった。お疲れさまでした。以下は、イベントの様子が撮影された写真。

2019年12月11日(水)

昨日、はるはヴィラシーコで腫瘍摘出手術を受けた。先々週、はるの足の調子が悪いので、ヴィラシーコに連れて行って診てもらい、ちょっと腰を痛めているだけということでほっとしたのだけれど、その何ヶ月か前からお腹にできていたおできのようなものも針で細胞を少し採ってついでに病理検査に回してもらった。その検査結果が出るまで数日かかるということで、結果を待っていたところ、木曜日の朝一番でヴィラシーコから連絡があり、検査結果が出たので、説明をするから来てくださいということだった。「う~ん・・・何だか嫌な予感」と思いながら、朝一番で事務所に出かけて行ったエドソンが帰宅するのを待つ間、窓を閉めたり、ひろをシュハスコ小屋に入れたりと準備をして、エドソンが戻るとすぐに、はるを連れてヴィラシーコに行った。やはり、おできは腫瘍だった。そうじゃないことを願っていたのだけれど、嫌な予感が当たってしまい、エドソンも私も精神的にどっと落ち込んでしまった。お昼前にヴィラシーコから戻ると、手術は火曜日に決まったと連絡があり、手術の前にしなければならないレントゲンなどの検査の手配で、それから2時間余りエドソンは携帯電話にかじりついてあちこちに電話をかけまくりバタバタとした。日曜日にエドソンはエンブラエー高校でイベントを開催する予定だったので、土曜日はその準備のためにエンブラエー高校に行かなければならない。それで検査とイベントの準備をどのように時間調整したらいいか頭を抱えた。でも、幸い、月曜日の朝一番にヴィラシーコで心電図と超音波と血液検査のための採血をしてもらえることになり、レントゲン検査はボトゥカトゥの他の検査施設で10時半の予約でしてもらえることになったので、土曜日の時間のやりくりをしなくて済んだのは、不幸中の幸いだった。次の写真は、はるのお腹にできた直径1センチくらいの腫瘍を撮ったもの。

昨日は9時前にはるをヴィラシーコに連れて行き、先生たちの準備ができるのを待ち、呼ばれて診察室で点滴の針を刺す足の毛を剃ったり、手術するお腹の毛を剃ったりするために、はるが怖がらないようにエドソンとふたりではるの体を優しく寝かせて支える手伝いをした。サンパウロ州立大学の獣医学部から腫瘍専門医のドトーラ・ヴェロニカが来ていて、ドトーラ・ジャナイーナとふたりで手術をするということだった。9時半を回って、はるは手術室に連れて行かれたので、私たちはボトゥカトゥで用事を済ませるためにヴィラシーコを出て、ボトゥカトゥの中心部に向かった。11時半頃、まだボトゥカトゥでの用事が半分残っている状態で、ドトーラ・ジャナイーナから手術が無事終わり、はるは麻酔から覚め始めていると連絡をもらった。その後、コンフィアンサで食料品の買出しをしてからヴィラシーコに戻って、はると面会した。はるが元気そうだったので少し安心した。はるは私たちに飛びついて帰りたがったけれど、手術の後の経過観察のために一晩ヴィラシーコに入院しなければならなかったので、明日迎えにくるからと言い聞かせて、私たちは帰宅した。一晩何もなければ、はるは今日帰宅できる予定。

2019年12月12日(木)

水曜日の朝、午前11時にはるが退院できるとヴィラシーコから連絡があった。私は洗濯などやらなければならない家事があったので、バタバタと済ませてから、10時過ぎに家を出た。途中、建築資材のお店に寄ってこれまで購入した砂やセメントなどの支払いをし、離れに使うタイルなどを新たに注文してから、ヴィラシーコに向かった。ヴィラシーコの待合室で待っていると手術の傷の消毒か何かをしていたてようで、診察室の方からドトーラ・ナターリアと一緒に待合室に向かって歩いていたはるが、私たちを見つけて尻尾を振って駆け出してきた。その様子に、ああ、元気だなと、うれしかった。そして、これから数日間毎日家ではるに与えなければならない数種類の薬の説明を受けて、支払いを済ませ、ヴィラシーコにはなかった薬をポリヴェットに買いに行った後、帰宅した。12時半頃帰宅して、はる用の特別食を作り、それを冷ます間、私たちはお昼を食べ、その後、エドソンにはるに与える薬を用意してもらい、はるの特別食にそれらの薬をつぶして混ぜて、はるたちのお昼にした。次の写真は、そのお昼を食べているはるとひろ。ひろのご飯は特別食ではなく、いつものドッグフード。はるもしっかりと食欲があり、完食してくれた。とにかくちゃんと食べることができれば、投薬も容易だし、はるも体力をつけることが出来、回復して行くだろうと思われるので、これまたひと安心。はるが帰宅してから、ひろをシュハスコ小屋から家に戻すと、はるのお尻の匂いをしきりに嗅いでいたけれど、はるに飛びついたりはせず、静かに見守る行動をとってくれ、こちらもひと安心。2枚目の写真は、お昼ご飯が出きるまでの間、居間のベッドに横になっているはるの匂いを嗅いでいるひろ。はるはお腹回りに包帯を巻いているのが洋服を着ていてもわかる。

2019年12月13日(金)

はるが戻って来てから、はるの普通とは違う状態がある程度理解できているのか、ひろははるに激しいラブラブ攻撃をせず、結構穏やかにしていたのだけれど、水曜日の夕方夕飯の仕度をしていると、エドソンがひろにケージに行くようにと言って叱っているので、どうしたのかと思った。ひろがはるのお腹(と言っても洋服の上からなのだけれど)をペロペロなめて、べっとり濡らしているのを発見したので、止めさせるためにケージに行かせたようだった。これはひろの優しさから出た行動だと思うのだけれど、ちょっとまずかった。エドソンがすぐに服の上からアルコールをたっぷりかけたので、ますますべとべとになってしまった。でも、手術痕の周辺にばい菌が付着なんかしたら大変なので、仕方のない処置だった。それまで居間のベッドに横になってお腹を見せて、ひろがペロペロするのを許していたはるは、アルコールの匂いが嫌いなので、何だか行き場を失くした感じで、居間のベッドには戻らずコンピュータのところにいるエドソンの側でずっと座り込んでいた。その際、エドソンが撮ったのが次の写真。2枚目の写真は、はるが手術を受ける前の日曜日に撮ったはるとひろ。ひろはカメラ目線で私に注目しているけれど、カメラがあまり好きではないはるは知らんぷりしている。

2019年12月14日(土)

先週半ばに楽書倶楽部の前園さんからクリスマスの挨拶とお年賀を兼ねたカードが届いた。お忙しい方なのに、毎年この時期になると必ず手作りのカードを送ってきてくださる。郵便事情が多少改善しつつあるのか、今年は1週間ほどで届いていた。そのお礼のメールを差し上げたついでに、こちらの近況もお知らせして、何度かメールのやり取りをする中、はるのこともお話しした。すると、大西さんのところのハチ君も先日腫瘍の摘出手術を受けたばかりだと話してくださった。ハチ君はアレルギー体質なので、毎日手作りの食事を食べさせなくてはならないうえに、最近白内障の手術もし、その上、腫瘍の摘出手術ということで、何とまあ大変なことと思った。すると今週、前園さんからはるのことを聞かれた大西さんからお見舞いのメールが届いた。次の写真は、その大西さんのところのハチ君。お腹の手術痕がかゆいらしく、絨毯の上やベッドの中でゴロゴロお腹を擦るものだから、白内障の手術を受けた右目を痛めてしまい、1日10回も目薬を点してケアしなければならなくなり大変なご様子だった。何だか同病相憐れむと言った感じだ。大変だけれど、「人生いろいろ」と考えるようにしているということだった。そのポジティブさは大切ですね。ワンコたちも私たちも生きているからこそ病気を経験するので、死んでしまったら経験しないことなのだから、お互い頑張りましょうと返信した。

2019年12月15日(日)

はるは水曜日に帰宅後もご機嫌が良く、比較的元気で、食欲もあるのだけれど、やはり飲み薬に身体が拒否反応を示して、木曜日の未明から嘔吐を繰り返し始めた。午前5時前、午前7時頃、午後4時過ぎ、午後11時半、翌13日の午前3時と、投薬から数時間後に食べた食事がまだあまり消化されていない状態で吐き出されるため、困った。それで、13日の金曜日の朝は、食欲はあって食事をしたい気持ちはあるのだけれど薬が入った食事は食べたくないと拒絶したので、消化しやすいように特別食をミキサーにかけて流動食風にして、薬を混ぜない状態で与えてみると食べることができた。それで、エドソンがドトーラ・ナターリアに電話をかけて相談したところ、では、薬はすべて止めましょう、お腹と肝臓の調子を回復させるための注射をするから来てください言うことになった。この日は午後のムリロの英語のレッスンがその朝連絡が入りキャンセルになったので、朝からエンブラエー高校に出かけていたエドソンが午後帰宅してからその足で、はるをヴィラシーコに連れて行き2本の注射を打ってもらった。投薬は木曜日で終わったものや、土曜日に終わるものだったのだけれど、少し予定よりも早く終わることになってしまった。そしてそれと入れ替わりのように、金曜日から毎日、はるの傷口の消毒をしてガーゼと包帯を取り替える作業が始まった。帰宅した初日にひろがはるのお腹をペロペロ舐めてべとべとにするということがあったので、はるの服を洗って乾かす間、以前、モビのために買った服を着せようかなと、納戸を見てみると、めいが去勢手術を受けた際に着ていた服が洗ってしまってあったのを見つけて、それを着せてみた。何度か洗濯しているので、ちょっと小さくなっている感じではあるけれど、ヴィラシーコからはるが着て帰った服と同じサイズだったので、ラッキーだった。以後、はるの傷の消毒をして、ガーゼと包帯をやり替える際、服も着替えさせて、清潔に保つことができるので、助かっている。次の写真は、金曜日の午前中、私の机の側に置いたベッドの中でひっくり返っているはる。包帯の巻き方が緩かったのか、服の下から包帯がずれて出てきている。

2019年12月16日(月)

先週の木曜日に広島の渡辺先生から届いていた小包をエドソンが郵便局から持って帰って来てくれた。先生の近著「異臭の六日間」と、先生が編著者をされている2019年の「SF詩群」という同人誌4冊と、お手紙が入っていた。このSFというのはscience fiction のことではなく、speculative fictionのことで、ウィキペディアによると「さまざまな点で現実世界と異なった世界を推測、追求して執筆された小説などの作品を指す」言葉らしい。「空想科学小説に哲学的要素を持ち込んだものを指していたため、日本語では思弁小説(しべんしょうせつ)、思弁的小説」と訳されているらしい。この説明を読んでも私には何だかよくわからないのだけれど、まあとにかく、この渡辺先生の「SF詩群」で香山文庫のことを紹介したいから、あなたも俳句を作って投稿してと言われ、ずいぶんビビったのだけれど、添削してくださるというお言葉に甘えて作ったこともない俳句作りに挑戦して、20句ほどの駄作をお送りした。そして、この同人誌を手にし、その俳句がこの同人誌に掲載されているのを見て、うれしいやらはずかしいやら。この同人誌を渡辺先生から受け取った兄からは、「俳句なんてよく作る気になったね。でも、ブラジルの生活がよくでているなと感じたけど」と言われた。以下は、その20句のうちの10句。

異国の地不思議な糸の曳きゆくか
これまで様々な人との出会いを重ねてブラジルに来ましたが、ここでも愛犬たちとの幸せな出会いがあり、彼らと前世で繋がりがあったのか、彼らに導かれて来たのだろうかと思ったものでした。

愛犬と泣いて笑って癒されて
ここで最初に出会った二匹の愛犬を病気で亡くし涙したものの、新たに三匹の愛犬と出会い、彼らのお蔭で毎日を笑って暮らせる感謝の日々です。

ブラジルの冬を彩る桜かな
ブラジルで桜が咲くのは七、八月の冬季。今年、作者の家の桜は七月の最終週から二週間、みごとに咲いて楽しませてくれました。季語のズレにご注目下さい。

日本祭り人つどいきてサクラ舞う
サンパウロ州の日本人が多い町には、だいたい桜が植えてあります。日本祭りは「サクラまつり」と呼ぶことが多く、これによりブラジル人も「お花見」を知るのです。

サビアーの声に目覚めり冬の朝
サビアーは、複雑な美しいメロディーで啼くブラジルの有名な鳥です。日本では鶯が主役ですが、冬には仲間と話しているのか、ジジジジという声が聞こえます。

十月にタケノコ食みて春うらら
ご近所から孟宗竹を頂き、植えて数年すると、筍が生えてきました。収穫し茹でて食べると、まさに日本の味でした。爾来、十月には筍堀りをして春を感じています。

デンワ無用ネット有用きのう明日
ブラジルでは、電話線が来ていない地域が多く、携帯の電波も地形の関係か不安定で使い物になりません。インターネット環境は良いので、連絡はメールに限ります。

庭先で合唱始むサラクーラ
クイナの一種。ここで暮らしだした頃は森から声が聞こえましたが、最近は敷地内の木樹が大きくなり、庭先で合唱しています。用心深い鳥なので珍しいことです。

ジャカランダ青藍紫の艶姿
ブラジル産の落葉高木です。艶やかな青紫の綺麗な花が咲くまでには十年かかると言われていますが、当家に植えたものは七年目に開花しました。

葉切り蟻オリーブの木の裸形かな
当地には葉切りアリがたくさん棲息しており、様々な木が裸にされます。たいていは新しい葉を出して蘇りますが、当家のオリーブは、みな枯れてしまいました。

2019年12月17日(火)

昨日に引き続き、「SF詩群」に掲載していただいた、20句の内の残りの10句を以下にコピーした。

春の日々桑の実を得てジャム作り
当家には桑の木を数本植えていて、九月になると赤や黒紫色の桑の実(マルベリー)がたくさん実ります。その実をジャムにするので一ヶ月ほど忙しくなります。

夕刻の哀愁を呼ぶセミの声
当地では午後六時頃になると、決まって鳴きだすセミがいます。寂しい鳴き声です。ここでは冬以外、気温の変化により、多種類のセミがいろいろな時期に鳴きます。

雷に機械こわされ自失せり
当地は、雷銀座のような所なので雷雲が接近すると早めに機器のコンセントを抜いて対処しますが、何年か前にコンピュータ等を壊され、茫然としたことがあります。

ウルクンで着色調理の御飯よし
ウルクンの赤い実は炊飯や調理の際に混ぜて、オレンジ色に着色させるのです。夫の母は実を油で炒め、油に色と味を移し、その油を使って調理していました。

ユーカリの香り漂う雨後の庭
我が家には、ユーカリの木も数本植えております。そばに行くといい香りがしますが、とりわけ雨あがりに外へ出ると、爽やかないい香りを漂わせます。

さまざまの鳥さえずりてシンフォニー
コーヒー農園、牛の放牧地を経て荒地となった場所へ家を建て、千本近くの木を植えました。国鳥のオオオニハシや小さなハチドリなど多くの鳥の声が聞こえます。

お隣はコーヒー作る小農場
町外れの農村地帯で暮らしているため、近くには家が殆どありませんが、西隣は小規模のコーヒー農場です。小規模とはいえ、数十ヘクタールありますから広いですね。

使命とは神の課題か天職か
何年も前、霊感の強い女性に「あなたは何か使命があって来たのですね」と言われました。最近、「それは香山文庫を保全すること」か、と想ったりしております。

異国での田舎暮らしに令和あり
治安の悪い大都会で暮らすのが嫌で、美しい自然に囲まれた生活を選びました。不便でも穏やかな暮らしに、この選択は間違いではなかったと感じています。

人生は縁の連鎖かそして今
これまでの人生を振り返り、様々な人との出会いを重ねながら、今を生きていると感じています。つたない一連の句の末尾に付けさせて頂きました。(吉田 恭子)

2019年12月18日(水)

広島でマンション暮らしの友人は、ベランダで花などを育てていて、時々それらの写真を送ってきてくれる。今は菊の花が咲いていると言って、その写真を送ってきてくれた。何でも10年ほど前に一鉢200円くらいで買った菊らしいのだけれど、春に伸びた部分を切って捨てるのも忍びなくて、挿し芽にしているうちに増えたとメールにあった。菊って、挿し芽にしただけで育つ強い植物だったなんて知らなかった。パーディーニョには花屋さんは1軒もないけれど、隣町のボトゥカトゥに行けば2~3軒の花屋さんがある。日本と違って、切り花はほとんど扱っておらず、だいたい鉢植えの花で、菊の鉢植えなどは見かけるので、今度花屋さんに行く機会があって、菊の鉢植えがあったら買ってみようかなと思った。

2019年12月19日(木)

次の写真は、台所と居間の間のカウンターテーブルに置いた、はるのお腹の手術の傷を毎日消毒するためのガーゼや包帯、消毒液、テープなど。2種類の消毒液はヴィラシーコから処方されて持って帰ったものだけれど、他のガーゼや包帯は、モビの2度目の手術の際に用意したもの。でも、モビは亡くなってしまったため使うことなく取ってあったので、それを今はるのために使っている。モビの置き土産にお世話になっていることになる。モビははるのことが好きだったから、喜んでくれているかな?

2019年12月20日(金)

週に一度私の英語のレッスンに来て、毎週日曜日と時々土曜日にもやって来て、エドソンからいろいろ教わったり、一緒にプロジェクトをやっているジョゼ・ハファエウが、今年も私たちにお世話になったからワインを持参したいと言うので、だったら、夕飯を一緒に食べて、一緒にワインを飲もうと、18日(水)の夜のレッスンをする代わりに夕飯に誘ったからとエドソンが言う。それで、彼だけ?ガールフレンドのヤスミンは?と聞くと、ああ、そうだね。彼女も誘おうと言うことになり、ふたりが揃って夕飯にやって来た。ふたりは何でも食べるとは言っていたけれど、おそらく彼らが食べるものはそんなにバラエティーに富んでいるわけではないので、あまり変わったものは出せない。どうしようか?と言っていたら、フライドチキンにしようとエドソンが言うので、フライドチキンを作った。でもこれって、どちらかと言うと、彼らのことを考えて決めた献立というよりも、エドソンの好みで決まった感が強い。そして、火曜日の昼食後に森の貯水タンクの水を汲み上げに行ったエドソンが帰りに敷地内を回って、ズキーニの一種がなっていたからとひとつ採ってきてくれていたので、その半分くらいをソテーして、サラダとは別に付け合わせにすることにした。次の写真は、そのズキーニの一種の野菜。大きいのでお皿からはみ出している。

次の写真は、食事がほとんど終わった頃撮った食卓のみんな。ジョゼ・ハファエウはすべてのお料理を万遍なく問題なく食べてくれたけれど、ヤスミンは、たったそれだけ?と驚くほどほんの少しのフライドチキンとご飯とズキーニのソテーを食べただけで、サラダにも、ラディッシュの酢の物にもまったく手を出さなかった。やっぱりね。

2019年12月21日(土)

次の写真は、今月7日(土)の午後、パウロが持ってきてくれた彼の会社(PR Telecom)からエドソンへのクリスマスプレゼント。かごの真ん中に背の高いパネトーネがあり、その回りに、ワイン、ナッツ、クッキーなど様々なものが詰め合わせてある。中央には会社のロゴ入りのマグカップがあり、Edsonの名前が入っている。今年はエリカたちがこちらに来ないので、クリスマスプレゼントをあげることももらうこともなく、Edsonと私の間でもクリスマスプレゼントのやり取りは予定していない。だからこれが我が家に来た唯一のクリスマスプレセント。でも、7月にEdsonが助けてあげなければ、今頃彼の会社は全く立ち行かなくなって潰れていたのに・・・。それを考えると何もしないよりはましかもしれないけれど、このクリスマスプレゼントだけでお茶を濁す対応に、何だかなあ~と、強い違和感。喉元過ぎれば何とかなのか?それって人としてどうなの?と、こう思う私の心は歪んでる?

2019年12月22日(日)

次の写真は、今月初めに届いた前園さんからのクリスマスカード兼お年賀カード。印刷されたカードだけでなく、短い手書きのメッセージも同封されていた。楽書倶楽部の同人の方々おひとりおひとりに、こうやってちゃんと個人的なメッセージを添えてカードを送られるその細やかな心遣いに、前園さんあっての楽書倶楽部だなとあらためて思う。来年4月で10周年になる。会費も取らないボランティアの同人誌なのに、こんなに長く続いてきたのは、ひとえに前園さんの存在と人柄のお陰だとつくづく思う。

2019年12月23日(月)

先週の水曜日、ドナ・ベティのファゼンダの仕事がクリスマス休暇に入ったからと言って、パラナ州の実家に帰省する前に1日だけだけれど、マリアと一緒にゼーが仕事に来てくれた。そして、丘の3分の1くらいにアメンドインの苗を移植してくれた。彼らのお陰で敷地内の雑草がかなりコントロールできていて、雨期になったらこの丘にそろそろアメンドインを移植してもらいたいと思っていたので、それが少し実現して良かった。

次の写真は、先月末、建築資材のお店の配達のトラックがタイヤを取られてハマって大きな穴ができてしまった場所に土を入れて修復してもらい、道路に捨てられた砂を平らにしてもらった様子を撮ったもの。これで一応少しきれいにはなったけれど、道路の方には以前のように砂利を敷かないと、雨が降るとまたドロドロになるのではないかと思う。

次の写真は、離れの出入り口のベランダ前に並ぶセドリーニョの足元の枝を払ってもらい、すっきりした状態になったので撮ったもの。年の瀬を前に、いろいろやってもらいたかったことが進み、とてもうれしかった。

2019年12月24日(火)

今年は、英語のレッスンに来る生徒さんの数が倍増し、平日も週末も関係なく毎日1つないし2つのレッスンがあって、体がもつかな?と我ながら心配だったのだけれど、やり始めたら体も慣れ何とか年の瀬を迎えることができた。そして、21日の土曜日から、2週間のお休みを取らせてもらうことにした。生徒さんの方も子供たちは夏休みの真っ最中で、海水浴だ何だかんだで忙しいし、大人もクリスマスの頃はいろいろ予定が詰まっていて忙しいので、双方にとって都合のいいお休みということになり、のんびり過ごそうと思っている。それで、早速、土曜日の午前中ボトゥカトゥの日系食料品店と大きなスーパー・コンフィアンサに買い物に行った。お正月はいつもお雑煮しか作らないので、特別に必要なものはないのだけれど、クリスマスは鶏肉を焼いたり、いろいろクリスマス用の夕食を作るので、ボトゥカトゥまで行かないと材料が手に入らない。それで、食料品の買出し日となった。それと大晦日用のスパークリングワインもパーディーニョでは手に入らないので、コンフィアンサで買って帰った。

次の写真は、家の西側の庭の桜の木々の横にあるくちなしの木。ここに3本あるくちなしの木の真ん中の一番大きな木にたくさん花が咲き始めた。この木の右側の少し小さめのくちなしの木にも少し花が咲き始めていて、この木の左側の一番小さな木には、花のつぼみがひとつ見える。くちなしの木の手前に見える黄色い花はゴールデンマーガレット。

2019年12月25日(水)

次の写真は、昨日の朝、食堂の西側の日溜まりで、自分たちの食事の時間が来るまでくつろいでいるはるとひろ。ここでゴロゴロしている姿が可愛いので、エドソンがカメラを持ってきて写真を撮ろうとすると、ひろはちょっと上目遣いにカメラを見るのだけれど、はるは振り向かないので、エドソンが何度かはるに声をかけて撮ったのが2枚目の写真。最近、朝一番のお散歩から戻ると、私の机の横に置いたベッドに行っておとなしくしており、朝食の用意ができ、エドソンと私が朝食を食べるために食卓につくと、ちょうどここに日溜まりができているので、移動して、私たちの食事がそろそろ終わるという頃までここでじっとしている。でも、私たちの食事が終わる頃になると、私たちの横に来て、お腹空きましたあ~!ご飯まだですかあ~?と、訴え始める。

2019年12月26日(木)

次の写真は、スーパー・コンフィアンサで買ってきたチェスターを、室温で解凍しているところ。チェスターというのは胸肉が厚くて、肉質もパサパサしておらず、しっとりとしたおいしい種類の鶏の名前。一羽丸ごとではなく、胸肉の部分だけを買おうと話していたのだけれど、今回はそれがなかったので、エドソンが買ったのは骨を取り除いてある1羽丸ごとだった。骨が取り除いてあるので小さく見えるけれど、袋を開けるとやはりとても大きいので、肉奉行でローストチェスター担当のエドソンは切り分けて半分だけを調理することにした。すでに味付けをしたものが一般的に販売されているのだけれど、エドソンは自分で味付けをしたいので、塩・こしょうしただけのものを選んで買っていた。残りの半分は年が明けてから食べる予定。

次の写真は、24日に作って並べた我が家の質素なクリスマスの食卓。献立はロースト・チェスター、いろいろ野菜のロースト、ご飯、ラディッシュの酢の物、残り物だけれどトマトのマヨネーズサラダ。デザートはスーパー・コンフィアンサでマスカルポーネが手に入ったので、エドソンの希望で、いつもの私の「何ちゃってティラミス」を作った。一方夕方、Youtubeを見ていて、山下達郎のクリスマスイブ30thアニヴァーサリーCDというのがあったので、何気なく聞いてみた。「雨は夜更け過ぎに、雪へと変わるだろう。サイレントナイト、ホーリーナイト」と流れてくる曲に、JR東海のコマーシャルの画像が生き生きと浮かび上がった。ああ何だか懐かしい。私は山下達郎という人のことはあまりよく知らないのだけれど、あのJR東海のコマーシャルに使われたこの曲だけはしっかりと憶えている。それで、このアルバムに続くSeason’s Greetingsという彼のアルバムも流して、夕食のBGMにした。JR東海のコマーシャルなんてエドソンは知らないので、これを聞いてもクリスマスという感じではないだろうけれど、Season’s Greetingsの方にはアメリカの古いクリスマス曲がいろいろ収録されていたので、何とかクリスマスの雰囲気になったかな?

2019年12月27日(金)

次の写真は、先週の水曜日に手伝いに来てくれたゼーが、庭のテーブルの回りの芝とアメンドインを草刈り機でガガッと刈ってくれたのだけれど、それだけでなく、何故がこちら側からテーブルに行くための道もアメンドインを刈って作ってくれたので、撮ったもの。刈り取った2日後にこの写真を撮ったのだけれど、刈り取った時にはなかったのに、この時はすでにアメンドインの黄色い花が咲いていた。アメンドインは本当に強い草だ。

次の写真は、先週の土曜日に行った日系食料品店のウエノで買ってきたアメイシャ(すもも)。ウエノさんの所で育てた果物をお店で販売していることがよくあるのだけれど、これもそのひとつ。甘くてジューシーでとてもおいしいアメイシャだった。1袋が1.2キロ強で6レアル。2袋買って帰ったのだけれど、1週間足らずで1袋食べてしまったので、もう1袋買っても良かったかなと思った。

2019年12月28日(土)

次の写真は、24日のお昼前に配達された台所の流し台やタイルなど。1枚目の写真は、離れの寝室に運び込まれた流し台と床に敷くためのタイル。2枚目の写真は、入り口を入った所から見える洗面所前に置かれた洗面台やトイレの便器や流し台の上部。そして、正面の寝室の中に見えるのは、洗面所や台所の壁用のタイル。資材は届いたものの、クリスマスや年末年始はペドレイロさんたちも仕事を休むようで、年が明けるまで作業の再開はないのかな?

2019年12月29日(日)

去年は6月に母が亡くなったこともあり、例年アメリカなどの友人に出す英語のSeason’s Greetingsメールや、日本の友人に出す日本語のお年賀メールは、あちらから来たものに返信するだけで、こちらから積極的に出すことをしなかった。何となく怠け心が勝ってしまいその気分になれなかったから。でも、今年はそれではいけないと思い、休暇に入ってから、まずは英語のSeason’s Greetingsメールをせっせと書いて出した。すると、フィリピンのVipから奥さんのノナと、私や私の家族のことを話していたところだったので、メールが届いてびっくりと同時にとてもうれしかったと、すぐに返信が来た。彼はここ数年Automobile Association of the Philippines(AAP=日本のJAFのような組織)で、Motorsportsの推進事業に携わりフィリピン国内各地を飛び回り、忙しくしているようだった。そして、彼の息子は34歳になり、フィリピン大学でPhysical Education(体育学)の教授になっていて、AAPのMotorsportsマネージャーもしていて、Vipを支援してくれているらしい。娘はニュージーランドの大学でSports Management(スポーツ管理学)の修士号を取り、現在ニュージーランドバレーボール協会(というのかな?メールにはVolleyball New Zealandとあった)で、協会をマネージする仕事に携わっているということだった。奥さんのノナは89歳になった実家のお母さんのお世話で忙しいようだった。そして、今もパナイ島ロハスのVilla Patria(モレンテ家の所有地)で暮らすネネンさんの写真を送ってきてくれた。今から80年近く前に、戦争中に父がフィリピンのパナイ島カピス(当時はロハスではなくカピスという名前だった)で出会って、親しくなったモレンテ家の人々(おじいさん、両親、五人の娘たちと末っ子の息子)の中で、唯一今も存命のネネンさん(モレンテ家の次女)も、もう95歳。Vipのお母さん(モレンテ家の長女)も私の父も今はもう亡くなっており、彼らの次の世代となるVipと私が今も何とか繋がっている。そういう私たちも出会ってから40年になるのだから、よくぞ今まで関係が途絶えずに繋がってきたものだと思う。95歳という年齢よりも若く見えるネネンさん。でも車椅子のお世話になっているのが写真でわかる。彼女の左側に座っているのは、ネネンさんの妹のリリンさん(モレンテ家の四女)の末息子のジョージ。右側のサングラスの人はトニー・モレンテとあったけれど、誰だろう?リタさん(モレンテ家の三女)の息子かな?みんなおじさんになってるなあ・・・。私も年をとるはずだ・・・。

2019年12月30日(月)

次の写真は、サンパウロのリベルダージにある日系健康食品店から時々送ってもらっているアガリスクのエキス。数年前から私はこれを毎日水で薄めて飲むことを再開しているのだけれど、はるに腫瘍があることがわかってからすぐに、そうだはるにも与えようと思い、手術をする前からこれをはるの食事に混ぜて与え始めた。手作りの食事のせいなのか、このアガリクスのせいなのかわからないけれど、手術から戻ってきたはるのお腹の調子は、当初は投薬のせいで嘔吐があったものの、投薬を止めた後は好調で何も問題がなく、うれしい限り。これは薬ではなく、自然のきのこのエキスなので、はるもこれがご飯に混ざっていても、まったく問題なく食べてくれる。ヴィラシーコではるの手術をしてくれたドトーラ・ジャナイーナにもちゃんと、アガリクスをはるに与えていることを話しているのだけれど、彼女はアガリクスを頭から否定する人間相手の医師と違い、代替医療にも理解があって、それはいいことだと賛成してくれている。金曜日にはるの抜糸と、今後の治療について話し合うために、ヴィラシーコに行ってきた。手術で摘出したリンパ節の病理検査の結果、少し癌細胞が見つかったので、やはり抗ガン剤治療をした方がいいということになった。はるが治療に耐えられるか少し心配ではあるけれど、彼女の肝臓の状態を見ながら、週に一度の治療を4回、その後15日に一度の治療を2回という2ヶ月間の治療をすることになった。それからはるの食事に混ぜるご飯は、白米ではなく、玄米かさつまいもの方がいいということで、エドソンが玄米を買ってきてくれたので、今後は玄米を炊いて、はるの食事を作ることにした。ドトーラ・ジャナイーナは、麻酔医師の資格と栄養士の資格も持っているので、とても頼りになる。

2019年12月31日(火)

12月に入り、何だかんだとドタバタしているうちにとうとう大晦日がやってきた。今年は衛星放送のSKY TVを解約したので、NHKの紅白歌合戦もゆく年くる年も見ることができない初めての大晦日になった。それで今年はゆく年くる年を見ながら日本時間の新年を祝うことはできないけれど、正午に日本酒で乾杯して日本時間の新年を祝い、その後昼食に年越しそばを食べて、夕飯の後、起きていられればだけれど、午前0時にスパークリングワインでブラジル時間の新年を祝いたいと考えている。Netflixで映画でも見ながらがんばって0時まで起きていようかな?次の写真は、インターネット上でコピーしたリオの大晦日の花火の写真。



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