Kyoko Yoshida Life in Brazil BLOG 

2019年6月1日(土)

4月下旬頃から咲き始めて、5月上旬にはほぼ満開に白い花を咲かせたノイヴィーニャが、まだまだ勢いよく咲き続けている。この花はひとつひとつの花は小さいのだけれど、木全体が真っ白になって咲くので、とても華やか。そして、ほのかにいい香りも漂わせて、とてもいい感じ。入り口ゲートから入って来て、道沿いに咲くこのノイヴィーニャの並木を見て、うちを訪れる人たちはハッとするようだ。一年に一度、この時期だけの華やかな眺めを長く楽しめることに感謝。次の写真は、昨日の午前中に入り口ゲートに向かう道沿いのノイヴィーニャの並木と、ひとつひとつの花が良く見えるように、花を近くから撮ったもの。

2019年6月2日(日)

10日ほど前、ここから2~3時間南西に行ったオーリーニョスという町から仕事の話を持って、エドソンを訪ねてきた人がいた。この人もアマチュア無線家で、バウルのデミウソンからエドソンのことを聞いてやって来たということだった。何でも、本社がマトグロッソ州にあって、サンパウロに支店のある会社の仕事をしていて、SDR技術のわかる人を探しているということだったらしい。長時間の話し合いの後オーリーニョスに戻り、サンパウロ支店の重役らに報告して、この金曜日にその重役の人たち3人を連れて再度やって来た。重役というので、40~50代の年配の人たちを想像していたのだけれど、皆30代くらいの若い人たちだったので、少し驚いた。何でも、トラックに追跡用の装置を取り付けて、そのトラックが盗難に遭った際、その装置を作動させて場所を特定するというような事業をしているらしく、その事業に欠かせない無線技術、SDR技術、コンピューター技術、プログラミングなどの分かる人を探していて、アマチュア無線家つながりで、そのすべての知識と経験のあるエドソンを見つけ出したという経緯のようだった。マトグロッソ州にある本社の社長などとの最終協議が残ってはいるものの、エドソンの知識と経験にすっかり満足した様子で、どうやら彼らの会社の仕事をする方向で話が進みそうな感触なので、感謝。感謝。次の写真は、高速道路カステロ・ブランコ沿いのレストラン・カンポネーザでエドソンと合流して昼食を食べた後、うちに来て、下の部屋で話を始めたその重役さんたちを撮ったもの。

2019年6月3日(月)

この土曜日の朝、疲れが溜まっていたのか、手伝いの人たちが来るかもしれないということをすっかり忘れていて、6時半に目覚ましがなってもベッドの中でうつらうつらしていたら、7時頃外からエドソンを呼ぶ声がしたので、「しまった」と思った。マリアだけでなくゼーも一緒に車で来たので、ゲートの鍵が開いておらず入って来れないため、マリアが家まで来て声をかけたのだった。マリアひとりだけだと、ゲートの鍵がかかっていてもゲートを乗り越えて入って来るのだけれと、車だとそうは行かない。でも、ゼーは月に1回来るか来ないかで予測不可能なので、最近は土曜日でもゲートの鍵を開けに行かないことがある。それでたまに、この土曜日のように彼らに叩き起こされることになったりする。トホホ・・・。次の写真は、何年か前、大きくなりすぎた庭のユーカリの木4本を切り倒してもらった後、そのままになっていた2本の幹を、薪ストーブ用に小さく切ってくれているゼーともう一人の手伝いの若いお兄さん。先日冷え込んだ際、2日ほど今年初めて薪ストーブに火を入れたのだけれど、明日からまた気温が下がって最低気温が一桁の日が週末まで続く予報なので、彼らのお陰で薪の準備をすることができて助かった。

2019年6月4日(火)

次の写真は、家の西側の庭で咲いているガーデン・マナカ。花をつけ始めたこの木の写真を先月半ばに掲載したけれど、その後花の数が増えてきたので、また写真を撮ってみた。木の下側から咲き始め、上に向かって徐々に花を咲かせている。まだまだたくさんつぼみをつけているので、一気に咲かない分、長くこの花を楽しめそう。マナカの左側のサツキの列は、中程の薄ピンクと白の花はまだ咲いていないけれど、つぼみはつけているので、もう少しすれば咲くのかなと思う。

2019年6月5日(水)

広島の友人が、「今年のらっきょう漬けです」と言って、写真を送ってきてくれた。鳥取砂丘のらっきょうと広島のおたふくらっきょう酢とのコラボだそうで、自作のガリシャキ感が気に入っているのだそう。昨年は1kg漬けたのだけれど、1~2カ月で食べ尽くしてしまったので、今年は3kg漬けてみたと言うことだった。1kgのらっきょうをひとりで1~2カ月で食べてしまうなんてすごいと思うと同時に、彼女はフルタイムで働いているのに、いろいろなものをちゃんと手作りして偉いなあと思った。うちではボトゥカトゥの日系食料品店で販売しているプラスチックのマヨネーズの容器を再利用したと思われる誰かの手作り風のらっきょうを買って食べているのだけれど、カレーの時に私もエドソンも4つか5つくらい添えるだけなので、なかなかなくならない。3kgもあったらうちでは何年も持ちそう。ちなみに、ここでは生のらっきょうとか、らっきょう漬けを作るためのらっきょう酢などは見たことがないので、らっきょう漬けを自作しようと思ったら、まずはらっきょうから自分で栽培しないといけないのではないかと思う。でも、サンパウロ州には日系人の人たちがたくさんいてくれるお陰で、誰かが育てたらっきょうで作られたらっきょう漬けが販売されているのだから、ありがたい限り。

2019年6月6日(木)

この月曜日の朝食後、ペットホテル兼クリニックのヴィラ・シーコに電話をして、年に一度の予防接種をしてもらうために10時の予約を取って、はるとひろを連れて行った。本当は2月に連れて行かなければならなかったのだけれど、エドソンの仕事が忙しいとかいろいろあって、4ヶ月遅れの予防接種となった。去年はめいも一緒に3匹を連れて行ったのだけれど、めいはケージに入ることをとても嫌がって大変だったので、今回はまずはるとひろを月曜日に、めいを火曜日にと、別々の日に連れて行った。次の写真は、ヴィラ・シーコの受付の所で撮ったはるとひろ。ひろはヴィラ・シーコに着いて車を降りると、必ずウンチのおもらしをするので、今回は家を出る前にちゃんとオシッコとウンチをさせたのに、ヴィラ・シーコに着いて車を降りると、下痢風のウンチをあちこちにおもらししてしまい、外の世界が怖くてたまらない「困ったチャン」丸出しで、後始末が大変だった。

次の写真は、診察室で注射をしてもらう前に、ドトーラ・ナターリアとはるとひろの健康状態について話しているエドソンと、診察台の上で興奮しているはる。2枚目の写真は、この診察台の足元で縮こまっているひろ。はるはひろのように怖がりではないので、怖くておもらしをするということはないけれど、ジッとしていられない性格で、床の上でも、診察台の上でも動き回って困る。一方ひろは、怖がりでウンチのおもらしをするのが玉に傷。でも、怖がりの分じっとしていてくれるのは助かる。

次の写真は、ドトーラ・ナターリアがはるの注射の用意をしているところ。2枚目は、注射をしてもらっているひろ。注射をする際、首というか肩の辺りをモミモミすると注射の痛みをあまり感じないということで、エドソンはひろをモミモミしている。

2019年6月7日(金)

次の写真は、火曜日の午後、ヴィラ・シーコで予防接種をしてもらっているめい。めいは行きも帰りも車の中の私の足元でおとなしくしていてくれ、ヴィラ・シーコに着いてからも落ち着いて穏やかだったのだけれど、唯一診察台の上に上がることを嫌がり、上げても飛び降りるものだから、仕方なく注射は写真のように床の上でしてもらった。めいは注射がちょっと怖いので尻尾をお尻に下げているけれど、おとなしく受けてくれた。去年だったか、めいは車に酔って吐いたことがあったので、この日はお昼ご飯抜きで連れて行ったので、嘔吐することはなかった。そして、この日も先生はドトーラ・ナターリアだった。

2019年6月8日(土)

2019年6月4日付けのニッケイ新聞に、「慰安婦像を巡って考えた伯米日系人の違い」という記事が掲載されていたので、ちょっと長いのだけれど、伯米の比較がおもしろかったので、その記事にリンクをはってみた。この記事のサイトは、こちらへ

5月下旬に冷え込んだ頃から、夜、はるとひろに毛布を掛けて寝かせるようになった。そうすると朝までオシッコに起きることがなくなったのはいいのだけれど、夜中にベッドから出て体勢を変えてベッドに戻ろうにも、自分で毛布を掛けることができないので、「ヒーン、ヒーン、毛布掛けて」と言うようになり、何度も起こされるようになった。オシッコに起こされるのと、毛布を掛けてと起こされるのと、どっちがマシかなあ?などと思っていたら、そう言えば今年はまだキューブベッドを出していなかったと気づいた。それで、木曜日の夕方、納戸から新品のキューブベッドを出したら、はるとひろは狂喜してベッドの中に飛び込んで行った。この子たちは本当にキューブベッドが大好き。次の写真は、夜寝る前のオシッコを済ませてからそのキューブベッドに入ったはる(右)とひろ(左)。この新しいキューブベッドは真四角ではなく、長方形なので、ベッドのサイズとぴったり合って、2匹が左右に住み分けができている。そして、期待通り、木曜日の夜からヒーン、ヒーンがなくなり、彼らが私を起こすことをしなくなり、ほっとしている。

2019年6月9日(日)

次の写真は、木曜日に作ったアップルパイ。エドソンはここ数年なるべく甘いものを控えているので、食後のデザートのケーキを作らなくなって久しいのだけれど、先週、たくさんりんごを買ってきて、アップルパイが食べたいと言うので、夜英語のレッスンのない木曜日に、ようやく作った。月、火、水は、夜7時から英語のレッスンがあるので、夕飯をのんびり食べていられないのだけれど、何もなければのんびりできるので、お待たせしましたという感じになったけれど、ようやく要望に応えることができた。もう少し焼き色がつけば、もっとおいしそうに見えて良かったのだけれど、まあ、いつも作る私の簡単アップルパイには違いなく、エドソンが喜んでくれたのだから、それでOK。問題なし。

2019年6月10日(月)

広島の友人が送ってきてくれたらっきょう漬けの写真を掲載して、そのことを先日ブログに書いたら、別の友人もらっきょう漬けを手作りしているとメールをくれた。みんなマメに手作りしてるんですねえ。偉いなあ・・・。らっきょうは漢方薬でもあるので、その友人は食べ終わった後のつけ汁も捨てずに、酢豚とか煮物に使っているということだった。そして、アジサイが咲き始めたと言って、彼女のマンションのベランダで育てている植物の写真を送ってきてくれた。2枚目の写真の唐辛子は、去年野菜を洗った水をまいていたらひとりでにたくさん生えてきたものの1本で、去年は1つだけ小さな実をつけたので、冬の間、ビニールをかぶせて防寒対策をしてあげたら、今年はこんなにたくさん実をつけたのだそう。近くからアップで撮ったので大きく見えるかもしれないけれど、3~4センチくらいでそんなに大きくはないと書いていた。でも、うちの唐辛子よりもずいぶん大きく立派だと思った。

そして、昨日は、母の一周忌だった。土曜日に光善寺で二組の従兄弟夫妻と兄夫婦の6人でささやかに法要を行ったと、日曜日の朝、兄からメールが届いた。もう1年かという気持ちと、4月に母に会うために急いで広島に戻ったのがずいぶん遠い昔のような感じもして、何だか不思議な気分だった。だんだん日本が遠くなるなあ・・・。

2019年6月11日(火)

次の写真は、土曜日にエドソンが作ってくれた夕飯。牛肉の胸肉を調理して、我が家のマンジォカを茹でてからつぶして混ぜて、トマト、パセリ、ネギをたっぷり入れて作ったシチューのようなもの。ちなみにこういうお料理がブラジル料理として存在するわけではなく、これはエドソン特有の創作料理。付け合わせは、毎日の朝食で食べるレタス、ルッコラ、トマト、きゅうりのいつものサラダに、畑で育っているフンショ(和名:ウイキョウ)の茎を細かく切ったものと、フンショの糸のような柔らかい葉と、マンゴーを小さく切ったものを加えて、ちょっと雰囲気を変えてみた。でも、これは私のアイデアではなく、エドソンのアイデア。サラダにマンゴーを加えると、とてもおいしくなるので、夕飯にサラダを食べる際、エドソンはよくマンゴーを入れてと要望する。でもマンゴーをサラダに一緒に混ぜるとマンゴーのわずかな酸味でレタスがしなってしまうので、細かく切ったマンゴーは別のお皿に用意して、食べるときにサラダに加えるようにしている。写真は、私のお皿を撮ったのだけれど、ちょっと山盛りに入れすぎてしまい、お料理がお皿から溢れそうになってしまっている。

2019年6月12日(水)

次の写真は、日系食料品店のウエノに行った際見つけて買ったクリームシチュー。値段は29レアル。日本円に換算すると約810円。ウエノではカレーは販売していても、ビーフシチューとかクリームシチューといった物は見たことがなかった。それが数週間前に行った際、このクリームシチューが1箱だけあったので、うれしくなって買ったもの。元々の入荷数が少なく、あっと言う間に売れてしまったのか、1つだけでも残っていてくれてありがとうという気持ちだった。昨年、母に会いに広島に戻った際、クリームシチューを1箱買って帰って、2度に分けて食べたのだけれど、ここでは手に入らないものなので、サンパウロのリベルダージに行く機会でもなければ、当分食べられないと思っていた。でも、この1箱のお陰で、また2度食べることができる。ということで、いつもあるとは限らないブロッコリーも買ってあったので、この月曜日の夕飯にこのルーを半分使って、1回分のクリームシチューを作っていただいた。寒い時期になると何となくクリームシチューが食べたくなるから不思議だ。

2019年6月13日(木)

またまたガーデン・マナカの写真を撮ってみた。木の下から上に向かって少しずつ花が咲いていっているため、かなり長く楽しませてもらっている。1枚目の写真は、玄関を出た所から撮ったもの。2枚目は、木の側まで行って、違うアングルから撮ったもの。2枚目の写真では、木の上の方の花も咲き始めているのがわかる。

2019年6月14日(金)

次の写真は、エドソンが時々買ってくるピーナッツ(ブラジルではアメンドインと言う)。これは生のピーナッツで、このままでは食べられないので、数年前にエドソンが買ってくれたエアー・フライアーでローストしてから食べている。ピーナッツなどのナッツは、夕方ワインを飲む際におつまみとして食べるのだけれど、エドソンはコーティングしてあるナッツではなく、何もしていないナッツを好むので、このピーナッツにはお世話になっている。エアー・フライアーは、エドソン自身が欲しくて買ってくれたものの、じゃがいもを薄く切ってフレンチフライにしたり、アメンドインをローストしたりする際に使うぐらいで、あまり日常的には使っていない。でも、これがあるお陰でピーナッツがローストできたりと役に立っているとは思っている。

2019年6月15日(土)

次の写真は、来週の木曜日から英語のレッスンに来ることになった新しい生徒さん。月曜日に英語のレッスンに来ているムリロとヴィトーの紹介でやって来たハファエウという獣医さん。年齢は聞かなかったけれど、おそらく20代後半で、まだ30にはなっていないのではないかという印象だった。マリリアの大学の獣医学部で学位を取って獣医師になり、牛の精子を生産するファゼンダで仕事をしているということだった。この会社は、ムリロが働いているファゼンダ・ベラ・ヴィスタ内に以前はあったのだけれど、何年か前にオランダの会社に売却されて、ボトゥカトゥに移転したものなので、ファゼンダ・ベラ・ヴィスタでチーズを作っているムリロや両親がそこで働いているヴィトーのことをよく知っていても当然なのだと思った。この会社の所有がオランダの会社に移ったことで、オランダ本社とのメールのやり取りや、オランダから時々やって来る人たちとのコミュニケーションには英語が必要なので勉強したいということだった。以前、ボトゥカトゥの英語学校で2年ほど勉強したらしく、少し英語が話せるようだった。さらにこれからUNESP(サンパウロ州立大学)獣医学部の修士課程で勉強しようと準備をしているとも言っていた。勉強しようと考えている専門分野がずいぶん最先端のバイオ技術のようなので、すごいなと思った。パーディーニョ生まれでパーディーニョ育ちの人たちも、若い人たちはちゃんと勉強して、専門を身につける人たちが増えているんだと思うと、うれしくなった。

2019年6月16日(日)

次の写真は、パラナ州カストロの蓼沼さんから届いた本というか冊子。立教大学地理人類学研究会が2017年12月に発行したもののようで、超域文化学専攻博士後期過程の名村優子さんの「ブラジル国パラナ州カストロ市の日系コミュニティ」という論文が掲載されていた。11日に前園さんからメールが来て、9日の日曜日にサントス厚生ホーム(サントスにある援協の老人ホーム)であったフェスタ・ジュニーナ(6月のお祭り)に、カストロから9人が参加され、その中に蓼沼さんご夫妻もおられ、ご主人から私に送ってあげてくださいと預かった本を発送しましたという内容だった。たまたま木曜日にエドソンがパーディーニョの銀行に行く用事があったので、ついでに郵便局にも寄って、持って帰ってくれたのだけれど、月曜日に発送したものが木曜日に届いていたので驚いた。でもこれよりも前に同じく前園さんが送ってくださった楽書倶楽部6月号はまだ届いていない。まあとにかく、蓼沼さんは私が香山文庫を管理しているので、わざわざ送ってくださったのだとわかり、感謝感激だった。蓼沼さんの奥さんからのメールによると、サントス埠頭はご主人が62年前、奥さんが60年前に移民として第一歩を踏み出した地なのだけれど、到着後手続きを済ませるとすぐに汽車でサンパウロ市、さらに奥地の移住地へと移動したので、ほとんど憶えておらず、一度行ってみたかったのだそう。でも、60年ぶりにサントスの町を見て複雑な気持ちになったということだった。ブラジルに来られて60年かあ・・・と、その長さに何だかため息が出た。ご主人と長年連れ添われて、おふたり揃ってお元気で穏やかな老後を過ごされていることは何よりだと思った。

2019年6月17日(月)

今月に入り、1日と8日の土曜日に、手伝いのゼーたちに庭に横たわったままだった2本のユーカリの木の幹を小さく切ってもらったり、背が高くなりすぎたセドリーニョの先端を切ってもらったりしたので、薪ストーブ用の薪がたくさん準備できた。次の1枚目の写真は、家の東側の物置に積まれた薪。2枚目は、庭の東側にまとめらて積み上げられた薪。ここには2本のパラナ松を植えていたのだけれど、大きくなりすぎたからと、エドソンがゼーたちに頼んで切り倒してもらったので、見通しが良くなっている。そして、3枚目の写真は、庭に集められたセドリーニョの枝。これだけの薪があれば、準備万端なのだけれど、このところ最低気温が10度から13度、最高気温は23度から26度と暖かい日々で、薪ストーブの出番がない状態が続いている。

2019年6月18日(火)

次の写真は、セドリーニョやパラナ松を切った後、幹は薪ストーブ用に小さく切ってもらい、それ以外のはらった細い枝は丘の上に集めて積んでもらった様子を撮ったもの。2枚目の写真は、1枚目の写真の反対側の、丘の下、入り口ゲート付近から撮ったもの。

2019年6月19日(水)

次の写真は、シュハスコ小屋の後ろ辺りの庭を撮ったもの。芝生の間から茶色い土がいくつもこんもり盛り上がっているのは葉切りアリの巣。何故か庭のこの辺りだけこんなことになっている。巣が1ヶ所だけでなくたくさんあって、メインの出入り口がよくわからないので、薬もどこにまいたらいいかよくわからず、手がつけられないでいる。

2019年6月20日(木)

次の写真は、ベランダに置いためいの犬小屋の屋根の部分を撮ったもの。画面中央左側と右側奥に毛虫がそれぞれ3匹ずついるのが見えるだろうか?4月の下旬頃からだったか5月の上旬頃からだったか?毛虫がベランダを這い始めて、めいの犬小屋の上にいるのをよく見かけるようになった。犬小屋は木でできているので、ベランダタイルの上よりも暖かいからなのかな?でも、犬小屋の上だけでなく、ベランダの上、玄関扉の前のマットの周辺とか、外階段とかを這っていたりもする。めいは夜ベランダの灯りに寄ってくる虫を捕まえたりするけれど、この毛虫には関心がないようで、側でウロウロしていても気にならないようで、ちょっかいを出したりしない。ちなみに、はるとひろもこの毛虫に遭遇しても、匂いをかいだりという反応をまったくしない。その上この毛虫は、この辺で普通に見かける蝶々になる毛虫だと、エドソンが言うので、特に排除したりしないで、放ったらかしにして共存している。

2019年6月21日(金)

次の写真は、水曜日にエドソンが郵便局から持って帰ってくれた2019年6月15日発行の楽書倶楽部第48号。そして、以下の文章はその号に掲載された私の文章。

新元号に思う

四月一日に、譲位に伴う新しい元号が「令和」となることが発表された。外務省発表の正式な英語訳は、Beautiful Harmonyだとネット上のニュースにあった。このような元号があるのは、現在は世界で唯一日本だけだ。

その昔、中国大陸で勃興しては消えて行った様々な王朝は、周辺諸国に臣下の礼を求め、見返りに交易や対外的な権威を認める冊封体制を強いていた。周辺国は冊封により、王朝の天子と君臣関係、つまり「宗主国」と「朝貢国」の関係を結んでいた。そして、周辺国は宗主国であるその王朝の元号を使うことを余儀なくされていた。日本も当初はそれらの王朝の元号を使っていたようだけれど、六四五年から日本独自の元号を使うようになった。その記念すべき最初の元号は飛鳥時代の「大化」だった。独自の元号を使ったのは、日本がそれらの王朝の天子とは冊封による君臣関係ではなく、独立国であることを示すためだった。その行為は王朝の怒りを買って侵略されるかもしれない危険を伴う大きな決断だったと思う。日本は七世紀~九世紀にかけて遣隋使や遣唐使を何度も送ってはいたものの、中国大陸にあった王朝の天子と冊封による君臣関係はなく、対等な関係を保ったのだった。日本独自の元号を設定する以前にも、遣隋使に託した国書の中で、聖徳太子(五七四年~六二二年)が隋の煬帝に対し、「日出る処の天子、書を没する処の天子に致す」と書き、煬帝と対等であることを示して朝貢を行っている。

一方、お隣の朝鮮半島はと言えば、紀元前三世紀頃冊封されて以来、一八九五年に日清戦争で日本が清を破り、下関条約で朝鮮を独立国と認めさせるまで、中国大陸にあった王朝の冊封国であり続け、王朝からの許しを得なければ何もできない国だった。高麗を倒して王位についた太祖李成桂は、当時の明王朝の洪武帝に、国号、つまり自分の国の名前を「朝鮮」と「和寧」の二つの候補から選んでもらったぐらいだ。自分の国の名前を自分で決めることができず、何事も王朝の許しがなければできなかった国と、一三〇〇年以上も前から独立国という立場を明確にしてきた国の違いは、現在のそれぞれの国の状況を見るにつけ明白だ。

今の時代に西暦と和暦の両方を使う不便さを言う人々も少なくないけれど、元号にはどのような意味が込められていて、私たちの祖先がどのような決意を持って長きに渡り独自の和暦を使ってきたのかということに思いを致し、その英断を尊崇の念を持って受け入れたいと私は思う。グローバル化する世界の中で、日本独自の歴史や文化を捨てて、金太郎飴のように他の国と区別のつかない同じような国になるのを良しとするのか、世界で一番古い歴史を誇り、他の国がどこも真似することのできない日本独自の文化を大切にして、魅力溢れる個性的な国になるのか、どちらがより誇りを持つことのできる魅力的な国と言えるだろう。そして、国際社会の中で尊敬され長く生き残って行けるのはどちらだろうか。

歴史というのは一朝一夕に作られるものではない。いくら強大な勢力や長い歴史を誇った国でも、一度その歴史を捨て去ってしまったら、それを再び取り戻すことは不可能ではないかもしれないけれど、とても困難な作業になると思う。例えば、一時はヨーロッパにまで進出しユーラシア大陸の三割以上を占める世界史上最も大きな地続きの領域を支配したモンゴルは、ソ連時代にモンゴル文字の使用を禁じられ、独自の歴史を学ぶことも禁じられたため、多くの歴史書が廃棄され、文字を失った。そのためわずかに残っている古い歴史書を読むことすらできなくなってしまったという。現在では、日本のモンゴルを始めとするアジア史の専門家である岡田英弘氏や宮脇淳子氏のモンゴル史に関する著書を、わざわざ日本語からモンゴル語に翻訳して教材として使っていると聞いたことがある。これらの日本人研究者がいなければモンゴルは自分たちの歴史を完全に消失してしまい、取り戻すことはできなかっただろう。モンゴルはソ連に強制されて歴史を失ったけれど、日本も自らの歴史を軽んじていると、同じようなことが起こらないとも限らない。そのときどきに変わる流行や空気に流されず、しっかりと自分たちの歴史を見つめ、他の国が成し遂げることができなかったその奇跡のような長い長い日本の歴史に誇りを持ち、感謝できる日本人でありたいと思う。

2019年6月22日(土)

広島の友人が、広島港(宇品港)からクルーズ船に乗って宮島まで往復したと言って、船の上から撮った厳島神社の大鳥居の写真を送ってきてくれた。この大鳥居は6月17日から令和3年6月まで大規模保全修理に入ったそうで、足元のあたりから修理が始まっているらしいのだけれど、遠くからはまだ特に変わった様子はなかったと言うことだった。中国地方はまだ梅雨入りしておらず、この日はお天気が良く、いい船旅になったようだった。ちなみに、2枚目の写真は、我が家の食堂の棚にある大鳥居の小さな模型。私的には、竜宮城の入り口という設定の飾り付けをしているつもり。

2019年6月23日(日)

2019年6月18日付けニッケイ新聞の「コラム 樹海」に、「日本で一番、ブラジル日系社会の書籍出す無明舎」という記事があったので、以下にリンクをはってみた。この記事のサイトは、こちらへ

また、同じく6月19日付けで、「《ブラジル》ビザなしの観光客が到着=4カ国限定の大統領令発効」という記事もあったので、以下にコピーしてみた。この大統領令は議会の反対で発効しないかもしれないというニュースもあったけれど、発効したというニュースに、やれやれ一安心。日本からもビザなしで来れるようになりましたよ!

「17日、リオ市北部のトン・ジョビン国際空港に、同日発効の大統領令9731号によってビザを免除された米国人観光客らが到着し始めたと同日付アジェンシア・ブラジルが報じた。

マルセロ・アウヴァロ・アントニオ観光相によると、ビザ免除の対象は米国、カナダ、オーストラリア、日本の4カ国で、手続きが簡単になった事で観光客が増え、年最低10億レの経済効果があるはずだという。

ビザ免除による観光客増加は観光省が15年以上前から訴えていたもので、17日に到着した米国人観光客の中にはやはり、ビザが要らなくなったから来たという人もいたという。

同相によれば、ビザ免除により恩恵を受けるのはブラジル経済であり、ブラジル国民だという。同相は、必要かつ適正な投資さえ行えば、少なくとも、中期的に見た雇用増加と所得増加、その他の恩恵が見込まれると見ている。

17日に到着した米国人親子はコパ・アメリカを見に来たと言い、「米国も早く同様の措置をとればいいのに」「繰り返してブラジルを訪問できる事を期待している」と述べている。

昨年の場合、ブラジル人は国外で182億ドルを消費した。これに対し、外国人旅行者がブラジル国内で落とした金は59億ドルで、123億ドルの出超だった。

観光省は現在、米国向けのPR用キャンペーンを計画しているが、今後はその対象をカナダ、日本、オーストラリアに広げていく予定だという。

同省によると、2018年に電子的な手続きでビザ取得が可能になった事で、今回のビザ免除の対象となった国々からの観光客は15・73%増え、4億5千万ドルの経済効果を生んだという。」

2019年6月24日(月)

今年の初め頃、エドソンがボトゥカトゥによさそうな歯医者さんを見つけて、1月2月と数回通って、歯の治療とクリーニングをしてもらったのだけれど、若い女性の歯医者さんで、歯の治療やクリーニングの際とても丁寧で痛みも違和感もまったくなく、とても気に入ったと言うので、私も歯の検査とクリーニングをしてもらいたいと思い、お願いしていた。でも、エドソンの都合でなかなか実現していなかったのが、ようやく彼の再診の時に一緒に行って診てもらうことになり、先週の金曜日の午前中、行ってきた。次の写真は、受付の女性の背後の壁にあったこの歯科のロゴと名前を撮ったもの。2枚目は、待合室の奥にある診察室にエドソンが入っていた後、診察台の上のエドソンの足が見えたので、撮ったもの。2人の歯科医師が仕事をしているこじんまりとした小さな歯科医院だった。この女性の先生は英語も話せる人だったので、エドソンが私の側で通訳をする面倒をかけなくてすんで助かった。

2019年6月25日(火)

うちの敷地内の南西側にある森を拡張しようと思い、数年前に森の北側にカエデの苗木を50~60本植えたのだけれど、植えた当時はひょろひょろだった苗木が、現在ではたくさん枝を出して葉を茂らせているので、写真を撮ってみた。次の1枚目の写真は、森の北側から撮ったもの。画面左側奥の竹の辺りから右に見える背の高い木々が森の北側の先端だったのだけれど、手前のカエデが大きくなって、森が広がったのがわかる。2枚目の写真は、撮影場所を竹の近くに移動して、以前の森の先端(左側)と、新たに植えたカエデ(右側)を撮ったもの。カエデの木は回りの木と比べて小さく見えるけれど、これでも背丈は2メートルを優に越えている。これらのカエデはまだ木が若いので、葉が青々として、まったく黄葉していない。この冬は例年になく暖かい日が多いからか、防風林のカエデも黄葉するというよりも葉に茶色い斑点が出て、あまり美しいとは言えない状態。

2019年6月26日(水)

よもぎ団子やらっきょう漬けをまめに手作りしている広島の友人が、今度は5月末に青梅を漬けて梅ジュースを作ってみたと言って、写真を送ってきてくれた。数年前に廿日市の柿の木村アンテナショップで梅ジュースを買ったことがあり、琥珀色の甘いジュースを水で割って飲むと梅の香りがさわやかだったのだそう。それまで梅酒は作ったことはあっても、梅ジュースのことは知らなかったので、今年初めて梅ジュースを作ってみたのだと言う。1枚目の写真は、買ってきた青梅を水洗いしてザルに上げたところ。2枚目の写真は、容器にその青梅と氷砂糖を入れて準備したもの。左側に一緒に写っているのは、5~6年前に梅酒を作った時に余った焼酎と、その梅酒の梅の残りで、今回の梅ジュースとは関係ないのだけれど、これからは梅酒ではなく、ノンアルコールの梅ジュースを作るだろうと思い、記念に並べて撮ったのだそう。

次の写真は、青梅を漬けてから数週間経過したもの。梅から水分が出て、あの硬い青梅にこんなに水分があったのかと驚いたと言う。そして、最後の写真は、試飲のため、漬かった梅を1個とジュースを少しグラスに移して撮ったもの。ネットでは作って2~3週間で飲めるようになるとあったので試飲してみたのだそう。梅の色は変わっていてもジュースはほとんど透明で、柿の木村ショップで買ったもののように奥深い琥珀色にはまだなっていないので、数ヶ月置いて熟成させた方がいいのかもしれないとメールにあった。でも、この試飲のジュースも梅の実も美味しかったということだった。

2019年6月27日(木)

日曜日の午前中、外に出て畑や庭の様子を見て回っていたエドソンが家に戻ってきて、桜が咲いているというので、一緒に行って確認してみた。庭の4本の桜の木の中の一番東側の木の低く垂れ下がった枝に7つほど花が開いていた(以下1枚目写真)。これだけだろうか?他はまだかな?と木を見上げてみると、高い所に何か所がつぼみがふくらみ始めている枝もあった(2枚目写真)。他の桜の木も見てみたけれど、つぼみがふくらみ始めているのはこの木だけだった。うちの桜は例年早いものは6月下旬から咲き始めるので、まあ例年通りかな?

2019年6月28日(金)

今月中旬、写真を掲載した丘の上のセドリーニョなどの枝の山に、日曜日の午後エドソンが火を入れて燃やした。このところずっとお天気が良く、乾燥していて、風もあったので、風上の枝の山が少し焼け残っただけで、すっかり燃えて灰になった。そして、土曜日に手伝いのゼーたちにセドリーニョの足元の枝を払ってもらったので、写真の向こうに見えるセドリーニョの列がすっきりと見通しが良くなっている。

上の写真と同じセドリーニョの列を近くから撮ったのが次の写真。この列は入り口ゲートから家までの道沿いのセドリーニョの列よりも一段上の列。

2019年6月29日(土)

次の写真は、昨日掲載したセドリーニョの列の前に置かれた枝の山。2枚目の写真は、うちとお隣のコーヒー農園との間の柵の側に集められたセドリーニョの枝の山。

エドソンがボランティアで技術プロジェクトを行っているエンブラエー高校が、YouTube上に新しい動画を掲載したと言って、そのリンクを教えてくれので、以下にリンクをはってみる。広報担当の女子生徒(エミリー・ホドリゲス)がプロジェクトについて説明しているのだけれど、この台本はエドソンが書いて、それを彼女が暗記して原稿なしで話している。なかなか上手。この動画にはエンブラエー高校のロゴと一緒に、ちゃんとLABRE(ブラジルアマチュア無線連盟)とAMSAT-ブラジル(エドソンが中心になってやっている技術グループ)が支援していることを明確に示すロゴが掲載されている。このサイトは、こちらへ

2019年6月30日(日)

いつもは火曜日の朝9時から英語のレッスンに来るヴァレンチーナの都合が先週悪くなり、木曜日の朝に変更させてほしいと言ってきたのでOKした。木曜日は午後ルイーザの英語のレッスンがあり、夜はハファエウの英語のレッスンがあるので、朝ヴァレンチーナのレッスンを入れると朝、昼、晩と3つもレッスンをすることになり、体力的にいささか不安ではあった。でも、レッスンをしている時はテンションを上げるのでアドレナリンが出て、比較的元気でいられるので、何とか乗り切った。ただその余波は翌日ちゃんと現れて、金曜日は朝起きた時から疲れて体がだるく、エネルギー不足でしんどい1日になった。金曜日は掃除をする日で、レッスンを入れない日なので、まあダラダラと休み休み洗濯などの家事をしたのだけれど、いつも午前中にやってしまう掃除まではできなかった。昼食後のお散歩の後頭痛が始まったので午後からの掃除も無理かなと思いながら、急ぎのメールを書いて送ったりしていたら頭痛がひいてくれ、掃除をすることができた。でも掃除の後はとうとうエネルギー切れで1時間ほど横になって過ごした。やはり無理は禁物だなあ・・・。今回のことで、毎日1つのレッスンがあり、時々、日によって2つのレッスンがある程度をこなすのが私にとっての限界なんだと、再確認した。次の写真は、防風林の外側に植えた20本近くの桜の木々がだいぶ大きくなったので撮ったもの。下の方から苗木を植えて行ったので、手前の木々はまだ小さいけれど、後方の木々は大きくなって、今年は初めて葉を落としている様子がみられる。花が咲くかどうかはわからないけれど、確実に大きく育ってきている。



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