Kyoko Yoshida Life in Brazil BLOG 

2019年4月1日(月)

金曜日の夕方、エドソンが帰宅後いつものように、カウンターテーブルのところでワインを傾けながらおしゃべりをしていると、エドソンの足元でウロウロしていたはるが、椅子に乗ってバランスを取り始めたので撮ったのが次の写真。はるは子供の頃はよくこうやってバランスを取っていたけれど、最近はやらなくなって久しい。たま~に思い出した様にやることがあっても、すぐに椅子から降りてしまうためシャッターチャンスがなかった。でもこの金曜日は結構長く椅子から降りずにバランスを取ってくれていたので、記念すべき写真を撮ることができた。昔よりは体が大きくなってはいるけれど、それでもひろと比べれば小さいので、この狭い椅子の脚の間に乗ることができる。でも、ひろは大きいので、ここには体が収まらないだろうと思う。何よりも彼にはこの椅子の脚に乗って遊ぶという感覚も昔からないみたい。これははる独特の行動。

2019年4月2日(火)

昨日、新元号が発表されたという記事をインターネット上で見たので、記念にその記事を以下にコピーしてみた。そもそも日本の元号は、その昔、シナ大陸の王朝の周辺国がみな属国として、その王朝の元号を使っていたところ、日本は、属国ではなく独立国だということを示すために、独自の元号を使い始めたという歴史があり、現在では、世界で唯一元号というものを使っている国になった。だから、西暦と元号の2つを使う煩わしさばかりを言わず、大国を相手に独立を保った昔の人の勇気と知恵と伝統に感謝したい。

『1日、平成にかわる新たな元号は「令和(れいわ)」と発表された。安倍首相は正午すぎ、「令和には、人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つという意味が込められている」などとする談話を発表した。

新しい元号の「令和」は、日本の『万葉集』の「初春の令月にして 気淑く風和ぎ 梅は鏡前の粉を披き 蘭は珮後の香を薫らす」という一節から取られたもの。これまで247ある元号はすべて中国の古典からとられてきたが、今回、初めて、日本の古典から選ばれた。

安倍首相は歴史上初めて国書を典拠とする元号を決定したことについて、「特に万葉集は1200年あまり前の歌集ですが、一般庶民も含め地位や身分に関係なく幅広い人々の歌がおさめられ、その内容も当時の人々の暮らしや息遣いが感じられ、まさにわが国の豊かな国民文化を象徴する国書です。これは世界に誇るべきものであり、我が国の悠久の歴史、薫り高き文化、そして四季折々の美しい自然。こうした日本の国柄はしっかりと次の世代にも引き継いでいくべきであると考えています」などと述べた。』

2019年4月3日(水)

広島の友人から春の便りが届いた。彼女が暮らす地域のご近所の団地の裏山で、毎年この季節に咲く花の写真を送ってきてくれた。名前は知らないけれど、数年前この白い小さな花たちが連なって咲いているのを見た時には、思わず「わぁー、すごい」と驚いたとメールにあった。道沿いにたくさん咲いている様子がとてもきれい。

2019年4月4日(木)

先週土曜日に手伝いに来てくれたマリアに、数本のマンジォカを掘り起こしてもらった。半分はうち用にして、半分はマリアにあげた。そして、その晩、早速エドソンがこのマンジォカの1本を使って、お肉の付け合わせを作ってくれた。私がマンジォカで何かを作るとなると、唐揚げしかできないのだけれど、エドソンはチキンスープに入れることがよくある。土曜日は、にんにくを炒めて、茹でたマンジォカをつぶして入れ、水を加え、トマト、パセリ、ネギ、ターメリックなどを混ぜて味付けをして、ご飯の上にかけて食べるとおいしい一品を作ってくれた。彼の場合、これを混ぜたらおいしいんじゃないかなと、適当にいろいろ混ぜて作って、ちゃんと食べられるものを作ってしまうところがすごい。

2019年4月5日(金)

この火曜日のカミーラの日本語のレッスンは彼女の都合でキャンセルになった。先週は1週間ずっと中国新聞の記事を書くのに忙しかったので、ちょっと休むことができてほっとしていた。すると水曜日にエドソンが帰宅後、さっきカミーラから連絡があって、急に引っ越すことになったから、日本語のレッスンを続けられなくなった。それで未払いのレッスン料を支払いに来るということなので、何があったのかと思った。カミーラとご主人のヒシエリが6時過ぎにやってきて、話を聞くと、ヒシエリがカロリナ・ソイルを首になったとかいうことではなく、出身地の友人からもっといい仕事があると連絡があり、その職を得ることができたので、出身地に戻るのだと聞いて、少し安心した。もともと彼らが暮らしていた家族もいる町に戻り、より良い条件の仕事に就くことができるのであれば、それはおめでたいことだと思った。カミーラとのレッスンは2ヶ月しか続かなかったけれど、とても真面目な生徒さんだったので、短期間でも教えることができたことに感謝。それにしてもほんの数日で転職、引越しを決めて、実行してしまうここの人たちの身軽さにはびっくり。

2019年4月6日(土)

先日、朝食を食べていると、食堂の西側の窓からほぼ正面に見えるユーカリの木に、ここでよく見かけるちょっと大きな鳥(わしの一種)が飛んできて、しばらくそこに止まっていたので、次の写真を撮った。ここには2本の背の高いユーカリの木があり、これらの木にはトゥカーノを始めとする様々な鳥がよく止まっていて、私たちの目を楽しませてくれる。

2019年4月7日(日)

3日付けで掲載した広島の友人が送ってきてくれた白い花は、「ゆきやなぎ」だと、広島の別の友人がメールで知らせてくれた。名前がわかって何だかうれしい。そして、花の名前を知らせてくれた友人が、桜が満開なので、お花見に行ってきたと言って、桜とお花見弁当の写真を送ってきてくれた。この桜と手作りだと思われるお花見弁当の写真を見て、ああ、私も行きたかったなあと思いつつも、何となく行ったような気分にもなっている。桜の木の下で、酔っ払って大騒ぎをすることには抵抗があるけれど、家族や親しい友人たちと、おいしいお花見弁当を食べながら楽しい時間を過ごすというのは、日本人ならではの感性だなと思う。

2019年4月8日(月)

手伝いのゼーとマリアの夫婦は、彼らによるアボカド窃盗疑惑が発生した半年くらい前からここに来なくなっていたのだけれど、年が明け、1月中旬頃からマリアだけが手伝いに戻ってきて、草取り作業をしてくれるようになっていた。ただ、ゼーも戻ってくると言っていたのに、来るのはいつもマリアひとりだけだった。それがこの金曜日と土曜日に珍しくふたりでやってきて、ゼーが草刈り機で作業をしてくれたので、マウリシオが草を刈ってくれてから3ヶ月くらいしか経っていないのにボーボーになっていた芝生やアメンドインが、すっきりと刈られてきれいになった。1月2月と手伝いに来てくれていたマウリシオは、100円ショップのようなお店で雇ってもえたらしく、うちには来なくなっていたので、入れ替わりのようにゼーが来てくれたので助かった。次の写真は、金曜日の夕方撮ったもの。1枚目は、外階段沿いのサツキの足元のアメンドインだけが刈られた状態を撮ったもの。2枚目は、庭のアメンドインの一部が刈られた状態を撮ったもの。右側のまだ刈られていないアメンドインが見えるので、伸びたアメンドインの背の高さがよくわかる。

2019年4月9日(火)

広島の友人が、平和公園の北側にある相生橋(あいおいばし)の、さらに北側の川沿いの今昔を比較する写真を送ってきてくれた。1枚目は昭和何年頃の写真かはわからないけれど、たくさんバラックの家が建て込んでいるので、被爆から間もない時期の写真ではないことはわかる。(その後の連絡で、1965年頃の写真ということだった。)このエリアの再開発が始まったのはいつ頃だろう?1960年代の半ばか後半頃まではこんな感じだったような気がする。2枚目の写真は、川沿いに遊歩道ができ、きれいな桜並木になっていることがわかる。被爆後何十年も草木も生えないと言われた広島は、今では花と緑にあふれるとてもきれいな町になっている。

2019年4月10日(水)

先週後半2日続けて、それぞれ広島と沖縄から届いたメールに、ブラジルの治安の悪さを取り上げたニュースをテレビで見たと同じようなことが書かれていたので、ブラジルで何か大きな事件でもあったのかと思いエドソンに聞いてみた。「グアラレマであった銀行襲撃事件のことかな?」と言って、詳しく説明してくれた。何でも警察が1年近く内偵捜査をしていた犯罪組織が、サンパウロ近郊のグアラレマの2つの銀行を襲う計画があると言う情報を得て、警察が銀行を取り囲んだため、銃撃戦になり、25人の犯人の内11人が射殺されたということで大きなニュースになったのかもしれないということだった。中小の町の銀行が襲われるということは別に珍しいことではないけれど、警察が待ち構えていて犯人が大勢射殺されることは稀だからニュースになったのかなと思った。ブラジルの犯罪組織は、まるで軍隊のような武装集団で、銃規制などあっても彼らには何の意味もなく、普通では手に入れることができない爆弾や軍仕様の武器を使って銀行を襲うので、小さな町の小さな警察は手も足も出ないけれど、同じように重武装の警察が大勢で対峙すれば、銃撃戦になることは必至だ。何年前だったか、リオの薬の密売組織を空から監視していた警察のヘリコプターがバズーカ砲のようなもので撃ち落とされるということもあった。中東でアル・カイーダやIS殲滅のために行われている戦闘と同じようなことが、ブラジルでは犯罪組織と警察との間で続いている感じを想像してもらうと理解し易いかもしれない。こういう犯罪組織は普通の民家を襲ったりはしないけれど、地方の大きな農場などは標的になることもあるらしい。どこの町にもいるこそ泥は、留守宅を狙って泥棒に入る。家人が在宅だったり、その家の人が銃を所持していることを知っていれば盗みに入ることはない。それで一般の人たちが自衛することができるように、ボーソナロ大統領は銃規制を緩和しようとしているのだけれど、メディアはひどく批判的だ。日本の常識では理解できないことだけれど、日本は自衛のために銃を所持すべきかどうかを悩む必要のない、世界でもまれに見る安全でいい国なのだと、ここで暮らしていると、つくづく思う。日本と外の世界を比較すると、文化や人々の民度が違うのだと思う。

2019年4月11日(木)

毎年桜の季節になると写真を送ってきてくれる広島の友人が、今年も彼女の家の周辺の桜の写真を送ってきてくれた。1枚目の写真の手前の枯れた感じの木は、桑の木だそうで、梅雨の時期になるとたわわに桑の実がなるので、そこを通る度に20粒くらい採って帰るのだとか。2枚目の写真は、桜の木をアップで撮ったもの。

この川沿いの桜並木には桃の木も植わっていて、濃いピンクの花が桃の花のようだ。

次の写真は、桜の木の下にいた鳥で、名前は知らないけれど、このあたりでよく見かける鳥なのだそう。川向かいの縮景園に住んでいるのかもしれないとメールにあった。

次の写真の川向こうに見える竹林は縮景園で、縮景園の対岸あたりは江戸時代に縮景園の借景として桃が植えられていたそうで、その向こうに双葉山が見えて縮景園からの景色はさぞかし良かったことだろうとあった。今ではマンションが立ち並んでいて双葉山は見えないようだ。このあたりにはツツジもたくさん植えてあって、5月頃は桜に劣らずツツジがとてもきれいなのだそう。こういうきれいな景色がすぐ身近にあるというのはいいなと思う。ブラジルは地方とか地域によって違うのかもしれないけれど、私が暮らしている周辺の町を見る限り、お金をかけて都市計画の中に花や木を植えて環境を良くしようとしている感じはない。

2019年4月12日(金)

4月9日付けのニッケイ新聞の日系社会ニュースに、「お釈迦様の生誕を祝う=リベルダーデで今年も花祭り」という記事があったので、そのサイトにリンクをはってみた。日本ではどこかのお寺が主体となって花祭りが行われることはあると思うけれど、こんな風にまるで秋祭りのように町全体で花祭りが行われるというのは聞いたことがないように思う。これもブラジルならではのことというところだろうか?この記事のサイトは、こちらへ

2019年4月13日(土)

私の30年来のアメリカの友人に、古銭とか根付とか小さな骨董品を集めるのが趣味の人がいる。漢字が書いてあるものだと、時々、これは何て書いてあるの?とか、これは日本の古銭?それとも中国のもの?とか、メールで写真を添付して問い合わせてくる。年が明けたばかりの頃だったか、古銭の写真を添付して送って来たのだけれど、古銭にしては文字が結構はっきり見えたので、インターネットで調べてみると、清朝の第6代皇帝の乾隆帝時代に作られた古銭だった。その頃ちょうど浅田次郎の「蒼穹の昴」という清朝末期の時代を舞台にした小説を読んでいたので、そこに出てくる乾隆帝の時代の古銭なのかと、何というタイミングだと不思議に思った。先日は以下の写真を送ってきて、裏に何て書いてあるの?と聞いてきたので、「とものぶ」という人が作ったということが書いてある。ひょっとしてゆうしんと読むかもしれないけれど、とものぶと読む方が一般的なように思うと返信した。そして、こんな精巧な根付を作る日本人ってすごいなあと、ひとり感心したりした。

2019年4月14日(日)

先月末、パイネイラの花が初めて咲いているのを発見して、そのひとつだけ咲いた花の写真を掲載したけれど、その後も花は咲くのだけれど、木全体が花盛りになることはなく、常にあちらの枝にひとつ、こちらの枝にひとつといった感じで、3つから5つくらいの花しか咲かない。花の命もハイビスカスのように短く、毎日入れ替わりで少しだけ花を咲かせている。それで、昨日めいとの昼食後のお散歩の時に、比較的低い枝に咲いていた2つの花を、また写真に撮ってみた。

2019年4月15日(月)

かなり以前から会社を辞めようと考え、どのタイミングで辞めようかと思案していたエドソンが、先週の月曜日の朝、辞表を出して、スッキリとした顔で帰宅した。これからどうして行くかは、いろいろ考えてはいるものの、まだどれも具体化はしていないけれど、会社を辞めたことで時間が自由に使えるようになり、あちこち出かけて行って人と会ったり、用事を済ませたりすることが容易にできるようになった。何よりも以前のようにほぼ毎日彼が家にいてくれることが私はうれしい。先週はボトゥカトゥにあるテクノロジーパークに出かけて行き、そこのディレクターの人と面会をし、7月か8月に開催を考えているAMSAT-ブラジルのイベントについて話し合いを行った。営利のイベントではないので、会場使用料は無料にしてもらえることになったらしい。これまでこのイベントはパーディーニョのマックス・フェファー文化センターでこじんまりと行っていたのだけれど、今年はテクノロジーパークの150人収容可能な大きな会場を利用して、アマチュア無線愛好家だけでなく、ボトゥカトゥの技術系の大学の学生にも声をかけて、大きな技術イベントにしたいと考えているらしい。それでしばらくはその準備で多忙になりそうだ。このイベントはエドソンの仕事に直接関わってくるものではないけれど、衛星通信技術のセミナーなどをしようと考えているようなので、まったく関係ないわけでもなく、これから彼のやることはすべて大なり小なり彼の仕事に関わってくるんだろうなという感じだ。彼の新しい挑戦が始まることに私自身もわくわくしている。

2019年4月16日(火)

次の写真は、夜寝る前のオシッコに行った後、寝室のベッドで寝る体勢に入ったはるとひろを撮ったもの。ベッドの中でどのようにスペースを分け合って寝るかはその時の彼らの気分次第なのだけれど、最近はもっぱらこの写真のようにはるが左側で、ベッドの縁を枕にして寝て、ひろが右側で、頭の位置は逆という感じで寝ていることが多い。二匹とも夜中に起きて、ベッドの中でごそごそ、ぐるぐる動き回って体の位置を変えることもあれば、ベッドから出て体をパタパタさせてから、またベッドに戻るということもある。真夜中に起きてオシッコと言うので、外に連れ出してオシッコをさせる時もあれば、朝までオシッコの必要がなく、起こされない時もある。こちらが彼らのペースに合わせてあげなければならない時もあるけれど、彼らがこちらの生活のペースに合わせてくれていることの方が多いかな?と、思う。彼らのお陰で毎日笑っていられることに感謝。

2019年4月17日(水)

今年も柿の季節がやってきた。ぐちゅぐちゅに熟れてトマトのような色をしたしぶ柿ではなく歯ごたえのあるおいしい富有柿は、ボトゥカトゥの大きなスーパーか日系食料品店に行かなければ手に入らないのだけれど、パーディーニョの青空市で野菜や果物を販売している日系のタケイシさんが、3週間ほど前から自宅で育てている柿を収穫して販売し始めたので、エドソンが早速買ってきてくれた。毎週2個ずつ買ってきてくれ、まだ青いのでしばらく置いて、色づいてから食べるのだけれど、この土曜日の朝、最初の柿を食べた。ちょうどいい感じの歯ごたえで、甘味もあって、おいしい柿だった。次の写真は、10日前に買ってきたふたつと、この土曜日に買ってきたふたつの柿。上のふたつは今週末くらいには食べれるかなと、楽しみしているところ。

2019年4月18日(木)

広島の友人が、太田川放水路のコンクリートの土手に生えているよもぎの写真と、そのよもぎで作ったよもぎ団子の写真を送ってきてくれた。毎年春になるとよもぎを摘んで、あの香りたっぷりのお団子を食べたいと常々思っていたのだけれど、この春やっと長年の念願が叶ったとメールにあった。1枚目の写真はその太田川放水路のコンクリートの土手に生えているよもぎ。2枚目は、ブーケのようなそのよもぎをアップで撮ったもの。3枚目は、摘んだよもぎの若葉。4枚目は、その若葉で作ったよもぎ団子。あんこも自家製なのだそう。よもぎ団子の色が、普通お店で販売されているものよりも緑が濃いくて、おいしそう。日本では道端に普通によもぎが生えていたりするけれど、ブラジルではその辺で普通に生えているのは見たことがない。と言うか、ここから1時間足らず東に行ったセザリオ・ランジで暮らしておられる井上さんの所で育てているよもぎしか見たことがない。花壇でよもぎを育てておられ、そのよもぎでよもぎもちを作るのだと言っておられた。ブラジルではマッサージをする日系の人たちがもぐさでお灸をしたりもするのだけれど、そのもぐさの原材料となるよもぎがなかなか手に入らないというのを、以前、メル友の鎌谷さんが文章に書いておられた。もぐさを作っている人を探しまわった結果、ひとりふたり作っている人を見つけたけれど、それほど、ブラジルでは珍しいもののようだ。

2019年4月19日(金)

そろそろ秋の花の代表とも言える、マナカの花が咲く時期ではないかと思うのだけれど、森の手前の木々が大きくなって、以前は見えていた大きなマナカの木が見えなくなってしまっているので、確かめるために森の手前まで行ってみた。1枚目の写真は、その森の手前の大きなマナカの木で、少し花が咲き始めていた。花は木の上の方の高い所で咲いているので、肉眼では見えなかったのだけれど、写真でみるとたくさんつぼみをつけている。もう少しで一斉に開花するのではないかと思われる。2枚目は森の手前のミツバチのジャタイの巣箱を置いた棚の側で咲いているマナカ。3枚目は、森の手前の左端で咲いているマナカ。この木が一番たくさん花をつけていた。4枚目は、ジャタイの巣箱の後ろの森の中で咲いているマナカ。しばらく森の近くまで行っていなかったのだけれど、今回行ってみると、以前植えた小さな木々が大きくなり、うっそうと茂っていて、ジャタイの巣箱を置いた棚も木々に被われていて、様子がずいぶん変わっていて驚いた。

2019年4月20日(土)

水曜日の午後、UNESP(サンパウロ州立大学)農学部付属の会社で、様々な分析をしている学生さんたちがやって来た。うちでは森の湧水を生活用水として使っているものの、水質検査というものをしたことがなかった。それで以前、同じく農学部付属のコンサルタント会社の学生さんたちにモリンガ栽培のアドバイスをしてもらうために、来てもらった際、水質などを分析調査する会社もあるということを知り、エドソンが申請書を取り寄せて、それを提出して、水質検査のために水の採取に来てもらったという次第。前回のグループも4~5人でやって来たけれど、今回のグループも5人の大人数だった。これらの会社は彼らが勉強するための会社なので、多くの学生が関わるような仕組みになっているのかもしれない。彼らが到着して、実際に森の取水地に行く前に、エドソンが学生さんたちに少しここの状況を説明をしているところを撮ったのが次の2枚の写真。この後、森に下りて行き水を採取して戻ったのだけれど、この日は外で話を続けるには日差しが強く暑かったので、下の部屋に入ってもらい、冷たく冷えたお水を出して飲んでもらった。ブラジルは世界の食料供給を支えている国なので、農学部で勉強するこれらの学生さんはブラジルの未来だと、エドソンは言っていた。

2019年4月21日(日)

この金曜日はGood Friday(聖金曜日)で休日だった。とは言っても、エドソンは今後の仕事のことで出かけて留守だった。今日はパスコア(イースター)。木曜日の夜、サンパウロの前園さんから以下のパスコア(イースター)のイラストメッセージがメールで届いた。「この聖金曜日に、あなたに真心のカゴを届けます」というようなことが書かれていて、カゴの中の卵にはそれぞれ、上部右側から時計回りに、愛、健康、光、信仰、平和と書かれている。そろそろ楽書倶楽部が届いているかなと思い、水曜日にエドソンが郵便局に行ってくれたのだけれど、楽書倶楽部の今月号はまだ届いていなかった。相変わらずの郵便事情だ。週明けには次回の6月号の原稿をもう少し読み直してから提出しようと思っている。

2019年4月22日(月)

エドソンはパウロの会社を辞めて、個人事業者として仕事をすることをずっと考えていたので、あらたにガレージを作り車を移動させて、下にあったガレージをセミナールーム兼ワークショップに改修し、香山文庫兼来客用の寝室をエドソンのオフィスにする計画を少しずつ進めてきているのだけれど、離れの建設が半年も止まってしまっているので、離れが完成せず、来客用のベッドやタンスなどを離れに移動させることができないでいる。でも、オフィス用の机と椅子が木曜日に届いたので、ベッドを書棚の方に寄せて、机を組み立ててもらい、とりあえず窓際に机と椅子を設置した。ここを本格的にオフィスにする準備が進むと、当分来客に泊まってもらうことはできないなと思う。離れの建設が予定通り進んでいれば、今頃完成しているだろうと思うのだけれど、困ったものだ。1枚目の写真が、その配達された机と椅子。2枚目の写真は、一緒に配達されたセミナールーム兼ワークショップのスチール製の棚2つ。以前、同じお店で棚を2つ買って使っているのだけれど、それだけでは足らなくなったので、また2つ買ったということだった。

2019年4月23日(火)

今年もまた庭のアロエの花が咲いたので、畑の中から鶏小屋とシュハスコ小屋の間に見えるアロエを撮ってみた。

次の写真は、入り口ゲートを入ってきて、前方左奥に見える離れの建設現場を撮ったもの。半年も建設作業がストップしていて、夏の間草ボウボウになっていたのだけれど、その草が取り除かれ、所々に集めたその草の山が枯れてから、火をつけて燃やしたので、だいぶすっきりした。手前の左右に見える木はイペーの木。この2本のイペーの木の間に移植したサボテン2つも何とか生きながらえている。

2019年4月24日(水)

カミーラとの日本語のレッスンは、突然彼女たちが引っ越すことになり2ヶ月ほどで終わってしまったのだけれど、まるでそれと入れ替わるように、日系3世のトシオ君とガールフレンドのアナが日本語を習いたいと言って来た。それで先週の火曜日の夜ふたりにうちに来てもらっていろいろ話をして、今週の火曜日から週に1回、夜レッスンをすることになった。トシオ君のお父さんは三重県に出稼ぎに行っていて、孫の世話で忙しかったお母さんが、そろそろ孫に手がかからなくなったので、日本に行ってお父さんに合流する話になっていたらしいのだけれど、お姉さんがまた妊娠したため、仕事をしているお姉さんのために、またその子が生まれたら、その世話をお母さんがしてあげなくてはいけなくなり、日本に行くことはできなくなったということだった。それでトシオ君とアナが日本に行ってお父さんに合流しようと考えているらしく、それまでにできるだけ日本語を学びたいということだった。彼らの場合目的がはっきりしているので、カミーラとは違ったアプローチで、すぐに役立つ日本語を教えないといけないなと考えている。昨晩のレッスンの後、ふたりの写真を撮ろうと思っていて、すっかり忘れてしまったので、写真はなし。

2019年4月25日(木)

次の写真は、庭の糸杉とフランボヤンの木の間にある白いポインセチア。つい最近まで葉を落としてほぼ裸になってひょろひょろしていたのが、青々をした葉を繁らせ、中心の花の回りの緑色だった葉が白くなり始め、誰の目にもはっきりと白いポインセチアだということがわかるようになった。

次の写真は、広島の友人が送ってきてくれたクレマチス。マンション住まいでも、こんな立派なクレマチスが育つんだなと思った。こういう花はここでは見たことがない。

2019年4月26日(金)

先日、桜の写真をいろいろ送ってきてくれた広島の友人が、広島市中心部にある縮景園で探鳥会というのがあることを知り、初めて参加してみたとメールをくれた。彼女の家の周辺でよく見かける鳥たちはみなこの縮景園に住んでいるのだろうと思っていたので、期待して行ったのだけれど、彼らの巣は縮景園の中ではなく、近くの山のほうにあるということで、期待したほど多くの鳥を見ることはできなかったらしい。でも、桜と一緒に写っていた鳥はムクドリだということがわかり、他にも、時々川沿いの道路を歩いている小鳥はハクセキレイだとか、カワセミなども見ることもできたらしいので、自宅周辺でよく見かける鳥たちの名前がわかってよかったと言っていた。

次の写真は、縮景園の一角にある竹林で、タケノコがにょきにょきとたくさん出ていたので撮ったものだそう。とても立派な孟宗竹の林のようで、たくさんタケノコが生えてきているのが見える。うちにも孟宗竹を植えていて、春にはタケノコが採れるのだけれど、こんなに大きな林になっても困るので、新しく出てくる芽はほぼすべてタケノコとして採るようにしている。

次の写真は、同じく縮景園でたわわになっていた梅を撮ったもの。縮景園は梅の名所だそうで、この梅は盲学校の生徒たちがつみに来て梅干しを作るのだそう。それにしてもとても大きな梅の実だなと感心してしまった。縮景園にはお茶の木もあるようで、新芽が出ていて、八十八夜頃に高校生が茶摘みをして、それをいって手でもんで茶葉を作ったりするらしく、かまどのようなものが側にあったと言う。ただし、そうやって茶葉を作っても、衛生上の問題があるので、飲料にはせずその茶葉は捨てるらしい。それはちょっともったいないなあと思ったけれど、ようするにお茶作りの体験をさせることが目的なのかな?縮景園は私も好きな場所なので、何度も行ったことがあるけれど、季節のお茶会だけでなく、一年を通して様々なことが行われていて、広く市民に愛されているんだなと思った。

2019年4月27日(土)

日本の運転免許の更新は、確か3年ごとだったように思うけれど、ブラジルでは5年ごとに更新をする。そして、ここに来て2度目の更新をする時期がきたので、インターネット上で日時の予約を入れておいたこの木曜日の午前中、ボトゥカトゥに免許の更新に行った。日本では全国どこでも警察の運転免許センターで免許の更新をするけれど、ブラジルでは警察はまったく関係なく、州政府の管轄らしい。サンパウロ州の大きな町にはポウパ・テンポ(poupa tempo=英語に直訳するとsave timeという意味)と呼ばれる州政府の出先機関(一ヶ所で行政サービスを受けることのできるワンストップセンターのようなもの)があって、そこでは、免許の更新や身分証名書の更新などいろいろなことができる。ただ、州政府の出先機関と言っても、民間の会社が請け負ってやっているので、とても効率的にスムーズに業務が行われている。こういうシステムはサンパウロ州だけなのか、他の州にもあるのか知らないけれど、連邦政府がやっている全国的なものではないらしい。例えば、リオ州にはこういうものはないため、免許の更新をするためには、運転免許の事務所に行って申請をして、銀行に行って支払いをして、視力検査を受けるために眼科に予約を入れて、数日後に検査を受けて、その結果をまた数日後に眼科に受け取りに行き、ようやく運転免許の事務所に行って検査結果を提出して申請作業が終わり、さらに数日後に免許が交付されるという具合で、何日もかかる。でも、このポウパ・テンポではそれらすべてが一ヶ所でできて、30分くらいですべてが終了する。ただし、免許の交付は同日ではなく、翌日以降なので、もう一度行く必要はあるけれど、あっちに行ったり、こっちに行ったりする必要はないので、とても助かる。次の写真は、そのpoupa tempoの入り口にある看板を撮ったもの。中の写真撮影は許可してもらえなかったので、帰る際に外でこの写真を撮った。

2019年4月28日(日)

次の写真は、金曜日の夕方エドソンが撮った日の入りの様子。この日、午前中は雨だったのだけれど、お昼前からお天気が回復して日差しが出て、午後からはいいお天気になり、1日の終わりに真っ赤なきれいな夕日を見ることができた。ただ、写真に撮ると、肉眼で見るほどにはきれいに写らないのは残念。

次の写真は、エドソンが作ってくれた昨日の夕飯。毎週青空市でエドソンはタケイシさんの所のオクラを買ってくるので、さっと茹でただけのものをそのままポリポリ食べたり、ベーコンとスープ煮にしたり、お料理に混ぜたりして毎日食べているのだけれど、昨日は、鶏もも肉と一緒に調理した一品をエドソンが作ってくれた。ご飯が黄色いのは、うちで採れたウコンのみじん切りと、これまたうちで採れたウルクンを混ぜて炊いているから。ご飯の中の赤い小さなつぶがウルクン。鶏肉とオクラの方にもウルクンが入っている。ちょっとぴりっとしているのは粒マスタードが入っているからかと思ったのだけれど、うちで採れた小さな赤唐辛子を1本入れているからだということが後でわかった。

2019年4月29日(月)

10日ほど前に森の手前まで行って撮ったマナカの写真のうち、一番大きなマナカの木は、つぼみをたくさんつけてはいても、花はまだ少ししか咲いていなかった。すると先日、昼食後のお散歩の際、ランドマークの木の前を通りかかると、視線の先、少し左寄りに、道沿いのセドリーニョの間にピンク色の花が見えた。歩いていたので、ほんの一瞬だったのだけれど、マナカの花が見えたんだと思い、立ち止まって良く見ると、やはりマナカの花だった。次の写真は、1枚目がランドマークの木の前辺りから少しだけ見えるほぼ満開のマナカ。朝一番のお散歩の際、お天気がいいと朝日を浴びて、緑色の木々の間でとても鮮やかに際立ってきれいに見える。2枚目の写真は、入り口ゲートから10メートル足らず家に向かって戻った辺りで、木々の間に一瞬見えるマナカ。花が咲いていなければ、緑の中でどれがマナカの木か区別がつかないけれど、花が咲けば、この2ヶ所からマナカが見えるんだとわかり、何だかうれしくなった。

2019年4月30日(火)

先週の木曜日に運転免許証の更新手続きに行き、翌日には新しい免許証を受け取ることができたのだけれど、金曜日はエドソンが新しく始める仕事の関係でアヴァレに行かなければならなかったので、昨日の月曜日に、免許証を受け取りに行った。その場で有効期限を確認すると、2022年の4月までとなっていたので、「えっ?有効期間は5年間じゃないの?」と思い、エドソンが係の人に聞いてくれたのだけれど、年齢のせいかもしれない。これは医師が決めることだからと言うだけで、はっきりした理由はわからなかった。3年なんてあっと言う間。まあ、ここでの手続きは面倒くさくはないものの、やはり5年後ではなく、3年後にまた手続きをしなければいけないのかと思うと、ちょっとがっかり。今回はボトゥカトゥまで行ったついでに、スーパー・コンフィアンサに寄って買い物をして帰った。パーディーニョに戻ると、すでに11時37分だったので、郵便局はお昼休みでもう閉まっている時間なのだけれど、エドソンが、まだ開いているかもしれないからと、郵便局に行くと、まだ開いていて、届いていた郵便物を持って帰ることができた。最近、郵便局のスタッフが総入れ替えのように変わったので、対応が少し変わったかららしかった。次の写真は、届いていた楽書倶楽部の第47号。そして、以下はその号に掲載された私の文章。

水分補給で認知症が予防できる

インターネット上で偶然目にした記事で、アルツハイマー病や脳血管障害などを主な原因とする認知症の症状を、水分補給をすることで改善したり、予防したりすることができるということを知った。

人間にとって生きて行くために欠かせないもののひとつが水で、栄養や酸素の運搬、老廃物の排出、体温調節など、私たちの生命活動を維持する重要な役割をしているため、その水が不足すると、健康に様々な悪影響を及ぼすということはよく理解できる。二~三日絶食しても死にはしないけれど、水を飲まなければ死んでしまう。それだけ水は大事だとわかってはいたものの、体内の水分が不足すると認知症を引き起こすという記述に目が釘付けになった。

人の体の半分以上は水でできていて、その水が一~二%失われただけで、疲労感やイライラ、食欲がなくなったり、覚醒レベルが低下したり、意識障害が起こったりして、それが認知症につながってしまうというのだ。近年、夏の暑い時期に、こまめに水分補給をしないと熱中症になるということはうるさいほど耳にするようになったけれど、慢性的な水分不足を防ぐだめ、夏以外でも意識的に水分補給をしなければ、脳の血流量が悪化し脳細胞の死滅が加速したり、脳機能の衰えが早く進行したりして認知症になりやすくなるということだった。

東京都のある介護施設で、医師の指導の下、介護士が入所者の人たちの水分補給量を管理して、みなに毎日一五〇〇mlの水分補給をした結果、声をかけても反応のなかった人が反応するようになったり、食事に介助が必要だった人が自分で食事ができるようになったりと、入所者の五割以上の人たちの要介護度が改善するという結果が出たと、その記事にはあった。

心臓病や肝臓病などで水分制限がある人は別として、通常私たちが一日に摂取するべき水分量は、食事から八〇〇ml、飲み物から一〇〇〇~一五〇〇mlだそうで、起床時、食事前、運動後、入浴前後、飲酒後、就寝前などは特に水分補給することが大切だという。水分補給には水やお茶だけでなく、果物、ゼリー、水ようかんなど凝固させたものでもいいのだそうだ。ただ、アルコールは利尿作用があり、飲んだ水分量よりも失う水分量の方が多く、結果的にマイナスになるため、水分補給にはならず注意が必要とあった。そう言えば、母が介護施設でお世話になっていた頃、飲み物をうまく飲み込めず、むせってしまうようになった際、お茶などに凝固剤を混ぜてゼリー状にしたものをスプーンですくって食べていたことを思い出した。嚥下障害のある高齢者が水分補給をする場合には、この様な方法もあるのだとあらためて思った。さらに、一日に一度、家族や友人でお茶の時間を設けると効果的で、ひとりではお茶を飲もうという気にならない人でも、このお茶の時間を設けることで一緒に飲もうという気になり、コミュニケーションが増えることも認知症予防につながるということだった。

そこで、私自身は一日にどれくらいの水分補給をしているのだろうかと思い、一五〇〇mlのペットボトルに水を入れて、その水でお茶を入れたり、そのまま飲んだりして、調べてみた。結果、一五〇〇mlのペットボトルでは足らなくなった上、それとは別にコーヒーや牛乳を飲んでいたので、二〇〇〇mlほどの水分を補給していたことがわかり、少し安堵した。今年の夏は異常気象で例年になく記録的な暑さが続いてたため、いつもよりも頻繁に喉の渇きを覚えこういう結果になったのかもしれない。毎日続けていると、日によって摂取量が上下することもわかった。それで、毎日一五〇〇mlのペットボトルに水を用意して、水分摂取量を目に見える形にして、寒い時期は水ではなく暖かい飲み物を作るなど工夫して、必要な量の水分補給をして行こうと思った。



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