Kyoko Yoshida Life in Brazil BLOG 

2019年3月1日(金)

先日の朝、エドソンが仕事に出る際、いつものようにガレージの扉を開け閉めするのを手伝った後、下の部屋の前の外灯を消しに行ったら、ドアの横の壁にまるでてんぐのお面のようなとても変わったガが止まっていたので、次の写真を撮った。1枚目は正面から撮ったもの。両側の羽の付け根にある模様が目のように見える。そして、2枚目はその姿を横から撮ったもの。尻尾がてんぐの鼻のように見える。こういう自然界の生き物を見ていていつも思うのだけれど、人間の想像力って結局、こういう実在する生き物を見て膨らませているのではないかなあ?自然界って本当に不思議。

2019年3月2日(土)

今週の火曜日、26日に、在リオデジャネイロ日本国総領事館から「海外安全情報(リオのカーニバルに関する注意喚起)」という以下のメールが届いた。こんな危険な思いをしてまで、私はリオのカーニバルを見に行きたいとは思わないのだけれど、みな自分だけは大丈夫と思って行くのだろうか?

カーニバル期間中(3月2日(土)~3月5日(火))及びその前後は、世界各地から訪れる観光客らを標的とした犯罪が増加する傾向にありますので、以下を参考に、犯罪等に巻き込まれることのないように十分注意して下さい。
【ポイント】
●ブロッコ(街中でのカーニバル集団)参加や観覧にあたっての警戒
●カーニバルのメイン会場(Sapucai)周辺における警戒
●イパネマ海岸やコパカバーナ海岸等の海水浴場周辺における警戒
●犯罪に遭遇した際、決して抵抗しないこと
※リオ市犯罪発生件数(2018年)(暫定値)
殺人1,327件(約4件/日) 強盗121,235件(約332件/日)
※リオ市における人口10万人当たりの犯罪発生率(2018年)(暫定値)
殺人22.8件(日本の約32倍) 強盗1,894.4件(日本の約1,340倍)

1.カーニバル中は、ブロッコと呼ばれるカーニバル集団が街中を練り歩きますが、ブロッコ参加者や周囲の観衆に対するスリやひったくり事件が多発しています。ブロッコに参加したり、ブロッコを観覧する際には、これら参加者及び観衆内に犯罪者が潜んでいることを念頭に置いて、貴重品の装着や露出、不用意な写真撮影を控えてください。
2.カーニバルのメイン会場周辺には、複数の麻薬密売組織が活動するスラム街が点在しており、会場から離れれば離れるほど危険ですので、地理不案内な場所には立ち入らないようにしてください。また、会場内においても、毎年、置き引き等の事件が多発しておりますので、所持品からは決して目を離さないようにしてください。
3.毎年、カーニバル時期になると、イパネマ海岸やコパカバーナ海岸等の海水浴場周辺において、アハスタオン(地引き網)と呼ばれる集団強盗事件が発生しています。この犯罪は、数十名の若者がいきなり現れ、その場にいる観光客等を手当たり次第に襲い、金品等を強奪する犯罪です。外出時の携行品を必要最小限に抑えるとともに、周囲に対する警戒を怠らないでください。
4.強盗等の被害に遭遇した場合、決して抵抗しない。
抵抗や逃走を試みたがために、発砲され、多くの方が命を落とされていますので、強盗等の被害に遭遇した場合には、相手を興奮させないように、相手の要求に従ってください。

2019年3月3日(日)

次の写真は、土曜日の朝食後、居間の西側の窓のところから外の景色(1枚目は右側、2枚目は左側)を撮ったもの。先週は連日ぐずつくお天気で、毎朝この写真のように霧が出て、雨が降る日々だった。激しい雨は1日数回短時間降るだけで、だいだいは小雨と言うか、しとしとと降ったり止んだりを繰り返す感じだった。水曜日だけ、予報では1日雨で、今にも降り出しそうな空模様ではあったけれど、結局雨は降らなかった。久しく太陽が顔を出さないので、はるたちのベッドを天日干しできないで、困っている。今週は多少日差しが出るといいのだけれど・・・。

2019年3月4日(月)

土曜日も雨が降ったり止んだりの相変わらずのお天気だった。時々日差しが出る時間もあったのだけれど、日差しが出ているのにパラパラと雨が降り続くという変なお天気だった。次の写真は土曜日の午後撮ったもの。写真では雨粒は見えないかな?雨粒がキラキラと輝いて見え、きれいではあるけれど、せっかく太陽が顔を出しているのだから雨には遠慮してもらいたいなと思った。その同じ土曜日の午後のマテウスとのレッスンの際、いつものようにおしゃべり(もちろん英語で話す練習)をしていて、学校は水曜日までお休みだということを知った。5日の火曜日が謝肉祭(カーニバル)で、6日の水曜日が灰の水曜日(Ash Wednesday)なのだから、なるほどと思った。でも、エドソンのお休みは5日の火曜日1日だけ。ちなみに、パーディーニョの町は何年か前に未成年者(自分の娘)の飲酒問題で、隣町のボトゥカトゥの判事(娘の父親)から訴えられて以来、カーニバルをやらなくなってしまったので、パーディーニョの町はいたって静か。マテウスにどこかの町のカーニバルを見に行く予定があるのか尋ねたのだけれど、そんな予定はまったくないと言っていた。たぶんおばあさんのシチオに集まって家族で食事をするくらいだろうということだった。親の監督不行き届きを棚に上げて、他人のせいにして、ひとつの町の楽しみを取り上げてしまうなんて釈然としないなあと思った。

2019年3月5日(火)

この日曜日は久しぶりに太陽が顔を出してくれた。次の2枚の写真は、丘の上のガジーボの所から西の空を撮ったもの。1枚目は雲の間の青空を撮り、2枚目は視線を地平線に下ろして同じ空を撮ったもの。地平線上は雲に被われているけれど、頭上は青空が見えるという状態だった。3枚目の写真は、ガジーボから少し南に下りた辺りから振り返って、北の空を撮ったもの。久しぶりに見る青空が気持ちいい。

次の写真は、丘の上の貯水タンクの側のクアレズマの花。この花は1月頃からずっと咲き続けていて、とても息が長い。この場所には2本のクアレズマの木があり、大きい方の1本には薄ピンクの花が咲いていて、この写真の小さい方の木には濃いピンクの花が咲いている。お隣のコーヒー農園の道沿いのクアレズマもきれいに咲いている。

2019年3月6日(水)

月曜日は晴れたり曇ったりのお天気だったのだけれど、午後4時前くらいから雨が降り出し、しばらく激しく降った後、日差しが出てきたので、雨が止んだのかと思い外を見ると、日差しの中まだ降り続いていた。毎日4時半前後にはるとひろはオシッコに行くことを日課にしているのだけれど、この雨がもう少し軽くなるまではオシッコに行けないねとはるたちに話しながら、居間の窓や台所の窓から雨の様子を観察していると、東の空に虹が出ていたので次の写真を撮った。はっきりとした虹の上側にうっすらともうひとつ虹が出ていて、ここで時々見かける二重の虹になっていた。1枚目の写真を撮った際、上部の虹に気づかず撮り、撮った後で二重の虹が出ていることに気づいたので、2枚目は上部の虹もちゃんと入るようにと撮ったのだけれど、1枚目の写真にも上部の虹がちゃんと写っていた。

2019年3月7日(木)

次の写真は、毎週土曜日の朝、マックス・フェファー文化センターの広場で行われる青空市で、エドソンが買ってきたオクラとカリオカ豆に似たお豆。これは両方とも日系のタケイシさんのところで栽培して販売しているもの。野菜を扱っているお店は他にも複数出ているのだけれど、タケイシさんのお店ではアボカド、バナナ、チェリートマトなど、私たちが欲しいものを出しているので、どうしてもタケイシさんのお店で買ってくるものが多くなる。このオクラにしても、他のお店のオクラはスーパーなどにあるオクラとあまり変わらず固くておいしくないのだけれど、タケイシさんのオクラはうちで栽培するオクラ同様柔らかく、まともなオクラなので、今がシーズンということもあり、毎週買ってくるようになった。うちでもオクラの種を蒔いたのだけれど、芽が出てきた後にひょうが降ったせいか、ほとんどの芽が消えてしまったため、今年はタケイシさんのオクラのお世話になっている。

2019年3月8日(金)

カーニバルが終わり、ブラジル国内はこれからようやく落ち着いて、秋の気配も深まるという時期に向かう。ニッケイ新聞3月7日付けのサンパウロのカーニバルに関する記事を2本、以下にリンクをはってみる。サンパウロでは毎年、わざわざ日本からやって来てパレードに参加する人たちがいるのには恐れ入る。1つ目は、「聖市カーニバル=駐在員や日系ダンサー続々=サンバ教室やツアー団体参加も」で、この記事のサイトは、こちらへ

2つ目は、「サンパウロ・カーニバル特別写真グラフ=リオに負けじと華やかに行進!=例年通り日本人、日系人多数参加」という写真グラフで、この記事のサイトは、こちらへ

2019年3月9日(土)

次の写真は、この木曜日の夜、うちで行われた財団の定例会の様子を撮ったもの。これまで1年近くこの定例会を月に2回うちの食堂で受け入れてきたのだけれど、前回から幽霊理事にもちゃんと参加してもらおうということになり、参加人数が増え、食堂では入りきらないので、下の部屋を使うことになった。それでも前回は、13人の参加のはずが、9人だった。そして、この木曜日はさらに減って、7人だったので、上の食堂で行った。木曜日は夕方から激しい雨が降り出したのも関係したのだろうと思うけれど、それにしても、理事会に名を連ねている人たちが参加しない定例会って何なんだろう?と、いつも思う。そして、話し合われることは堂々巡りで、いつもほぼ同じ。エドソンと私は、財団のポートフォリオ(パンフレット)を作る必要がある。今財団が最優先にするべきことは資金調達。だから、ポートフォーリオと同時進行で、資金調達のイベントを考えて実行するための準備をする必要がある。さらに、寄付をする習慣のないここの人たちに寄付をしてもらうためには、彼らの懐を痛めることなく、彼らが支払う税金の何%かを寄付に回すことのできる制度を利用して資金調達をするべきだ。そして、これらの仕事を実行して進める専門の人を雇うべきだ。と、何度も何度も繰り返し提案しているのだけれど、何故か堂々巡りで、何も決まらない、何も進まない。今年になって、何とか私たちの説得が功を奏して、理事長のエリオと副理事長のドトー・ベネジートが作業をして、ようやくポートフォリオの原案(文章と写真)ができたので、それをポートフォリオにデザインしてくれる人をみつけて、見積りをしてもらうところまで進んだ。その人に仕事を依頼するかどうかを決めるために、次回の定例会にその人に来てもらって、これまでの彼の仕事を見せてもらうということになった。やれやれ少し前進したなと思っていたら、会の終り頃になって、「ポートフォリオなんて必要ないと思うんだけど・・・」と、またエリオが言い出して、振り出しに戻りそうになりやれやれと思った。資金調達のイベントをしたり、あちこちに寄付を募りに行く際、うちはパーディーニョに老人ホームを作ろうとしている財団です。ぜひ協力してくださいと、名刺代わりに配布して、それを読んだ人がどうすれば協力できるかを知ることのできるポートフォリオの必要性をどうしてわかってくれないのだろう?

2019年3月10日(日)

昨日は久しぶりに、ボトゥカトゥへ買い物に行った。日本米が残りわずかになってきていたので、ブラジル米と半々に混ぜて食べていたのだけれど、何とか日本米がなくなる前にウエノに行って日本米を買うことができ、滑り込みセーフ。その他の雑多な食料品や消耗品はスーパー・コンフィアンサに行こうかとも思ったのだけれど、時間を節約するためにウエノと同じ通りにあるスーパー・パオン・ジ・アスーカーへ行った。瓶やペットボトルのリサイクルをこのスーパーが止めてしまって以来、ずっと行っていなかったのだけれど、今回行ってみると、中はすっかり改装されて、高級感あふれるグルメスーパーと言った雰囲気になっていた。まあ、このスーパーの近辺にはどんどん新しいマンションやお店ができていて、住人たちの懐具合にはゆとりがあるのだろうから、他の普通のスーパーとの差別化を図るために、高級グルメスーパーという道を選んだのはある意味正解のような気がした。でも、相変わらずメープルシロップはないし、全体的に商品の価格も高めだったので、私たちはたぶんあまり行かないだろうと思う。その後、帰宅途中のショッピングモール内にあるロジャ・アメリカーナでプリンターのインクカートリッジを買い、側のガソリンスタンドで車に燃料を入れて、11時半には家に帰り着くことができた。帰宅してからエドソンはお昼を食べて、エンブラエー高校へ出かけて行き、私は買ってきたインクカートリッジをプリンターに入れ替えて、マテウスのレッスンに使うテキストのコピーなどをして準備をした。このインクカートリッジ、店には1つしかなかったのだけれど、売りきれていたら危ないところだった。何とか新しいカートリッジを入手でき準備ができて、ほっとした。

2019年3月11日(月)

3月7日(木)11:51配信の、Voiceの記事に「鯨を“殺し続ける”反捕鯨国アメリカの実態」という記事があったので、以下にリンクをはってみた。この記事のサイトは、こちらへ。世界はご都合主義のダブルスタンダードのオンパレードだなあ・・・。正論など通らない、まことに生き難い世の中です。特に日本人にとっては・・・。溜め息・・・。

2019年3月12日(火)

サンパウロ在住のメル友の毛利さんが、ご自宅の庭で咲く、シッポ・デ・アーリョ(cipo de alho)というおもしろい名前のアマゾンの花の写真(以下)を、メールに添付して送ってきてくださった。木というよりもつる性の植物のような感じで、壁にそって這い上がって花を咲かせている感じが、花の形は全然違うけれど、ちょっとブーゲンビリアのようだと思った。花が咲くまでに3年かかったとおっしゃっていた。うちでも植えてから何年にもなるのに、まだ花を咲かせない木がいろいろあるけれど、数年かかってもこんな風に見事に花を咲かせてくれると感動ものだろうなと思う。アーリョはにんにくという意味だけれど、シッポは何だろうと辞書をひいても、私の持っている辞書には載っていなかった。それでエドソンに聞くと、「シッポ?尻尾?何それ?」と反対に聞くので、つづりを言うと、「ああ、スィポね。それはターザンが木から木に飛び移る時に使うあの太いつるだよ」と言う。「へえ~、そのつるがにんにくのような匂いでもするからこんな名前になったのだろうか?」などと、おバカなことをふと想像した。

2019年3月13日(水)

3月12日付けニッケイ新聞の「コラム 樹海」に、「県人会は一世と共に滅びるべきなのか?」という記事が掲載されていたので、以下にリンクをはってみた。戦前戦後を通じて、日本からブラジルに移住して来たのは約25万人ということは知っていたけれど、47都道府県すべてから移住して来ていることと、熊本からの移住者数が一番多いことを初めて知った。さらに移民県と言われている広島が移住者数では第5位ということも初めて知った。県人会の行く末と、先人たちの記憶をどうやって後世に残して行くかという問題は、同じ問題だと思う。記事の中の移住者数の一覧表を見ると、戦前202,733人、戦後53,409人、合計256,142人となっているけれど、現在は190万人ほどに増えている。それでもブラジル全人口の1%に満たないのだけれど・・・。この記事のサイトは、こちらへ

同じく3月12日付けで、「特別寄稿=ブラジルに於ける日系人社会=消えていく日本人会、その後に残るものは=ブラジル和歌山県人会=会長 谷口ジョゼー眞一郎」という記事もあったので、それにもリンクをはってみた。この記事のサイトは、こちらへ

2019年3月14日(木)

ブラジルでは3月と4月が確定申告の時期で、前年末付けの銀行口座の残高証明が申告の際必要なので、昨日仕事を休んで時間を作ったエドソンと一緒にボトゥカトゥに行ってきた。ボトゥカトゥの銀行へ行ったついでにペットショップのポリヴェットにも行き、はるたちのドッグフードと新しいベッドを買って帰った。はるとひろは定期的に体を洗ってはいるものの、家を出たり入ったりするので、汚れていないようでも、どうしてもベッドが汚れる。頻繁にベッドを天日干しして、たまに洗濯したりもするのだけれど、はるがベッドをひっかいて破ったりもするので、何度繕っても1年くらいしか持たない。それで年に1回は新しいベッドを買っているような感じだ。買ってきたベッドの写真を撮ろうと思ったら、寝室にいたのに私のやっていることに気づいた2匹が居間にやってきたので、床に置いて写真を撮る代わりに、ソファーの上に置いて写真を撮った。「何、何?これ私たちの新しいベッドなの?きゃっ~」という感じで、興奮して新しいベッドの匂いを嗅いでいる2匹が一緒に写り込んでいる。写真の右側のベッドは素材が丈夫そうなので、居間に置く用のベッドにして、左側のベッドを寝室用のベッドにする予定。

2019年3月15日(金)

次の写真は、居間の北側の窓の前の日よけネットに止まっているガを撮ったもの。昨日の朝、カーテンを開けると、この茶色いものがネットに止まったいるので、最初は枯葉が引っかかっているのかと思ったのだけれど、よく見るとガだった。この写真を撮った時は、ちょうど雨が降っていたのだけれど、風が吹いても飛ばされないぞという感じで、しっかりネットにしがみついていた。水曜日の夜、ルーカスとジョゼ・ハファエルとのレッスンの後、彼らがしばらくエドソンと話し込んでいたら雨が降り出し、翌日も、ずっと降ったり止んだりを繰り返すというお天気だった。激しく雨が降ったかと思うと、しばらくして日差しが出るので、洗濯物を外に出しても大丈夫かなと思いながら、不安なので外には出さず、ベランダの屋根の下に出してしばらくすると、また激しい雨が降り、洗濯物を家の中に入れたり出したりと、めまぐるしく変わるお天気に振り回された。数日前、サンパウロ市内では、豪雨で道路に水が溢れたとニュースでやっていたけれど、今年は本当によく雨が降る。

2019年3月16日(土)

次の写真の1枚目は、朝ご飯を食べているめい。めいは食事をする際、だいたいこんな感じで座って食べる。でも、はるとひろは立ったままで食べる。どうしてこういう違いがあるのだろうか?と、思う。2枚目の写真は、はるの食事風景。はるの向こう側に、この水曜日にはるたちのシャワーの後で体を拭くために使ったバスタオル(まだ洗濯をしていない)が見える。3枚目は、あっと言う間に食事を終えて、ちょっと離れた洗濯物の陰から食事をするはるを見つめているひろ。いつもは座って見つめているのに、この日は立ったままで見つめていた。ひろの食事をするスピードは本当に速く、噛まずに飲み込んでいるのではないかと思うほど。そして、はるが食事をしている間は、決して邪魔をせず、静かにはるが食事を終えるのを待って、はるがお皿から離れたのを完全に確認してから、おもむろにはるのお皿に行って、何も残っていないのに、そのお皿を舐めるという行動をする。

2019年3月17日(日)

土曜日の朝、バナナに新しい芽が出てきたよと、エドソンが言うので、撮ってきたのが次の写真。うちの敷地内の西側にある森の手前に植えた2本のバナナが少しずつ大きくなってきているのだけれど、その内の1本の足元から小さな芽が出てきていた。バナナは地下茎が元気だと、こんな風に芽が生えてきて自然に増えるらしい。

2019年3月18日(月)

次の写真は、バナナの木の写真を撮りに行ったついでに、森の北側に植えたカエデの様子を撮ったもの。植えて2年くらいはずっとひょろひょろの苗木のままだったけれど、少しずつ大きくなり、葉がたくさん出てきて、最近ようやく木らしくなってきている。ところどころに見える緑の濃い木は、森の中にある木と同じ、この辺でよく自生している木で、自然に生えてきて育っているもの。これらの木の側に見える薄茶色いひょろひょろとしたものは、立ち枯れしたとうもろこし。とうもろこしはすでに収穫済みで、立ち枯れした茎だけが倒されずに残っている状態。

2019年3月19日(火)

うちは衛星放送を見ることができるSky TVと契約してテレビを見ている。とは言っても、テレビは夕方から夜にかけてしか見ないので、NHKとアメリカのドラマを見ることができる1つか2つの決まったチャンネルしか見ない。しかもアメリカのドラマは早い時間帯は再放送ばかり。夜英語のレッスンがある日はNHKも見ない。その割には支払っている料金が結構高く、もったいないなとは感じていた。先週、これまでいつも見ていたドラマチャンネルが突然見れなくなっていたので、エドソンに聞くと、「ああ、NHKだけは確保して、契約プランを一番安いのに変更したから」と言う。よく聞くと、Sky TVから毎日のようにいろんなメールが来るのだけれど、忙しいからそんなものいちいち見ていなかったら、メールの中に新たなプランの提案があって、そのプランに変更したくなければ、連絡をという内容だったらしく、そんなメールが来ていることを知らず、連絡などしなかったので、自動的に必要のないチャンネルが増えるプランに変わり、月々の支払い金額が多くなっていたらしい。それで、プランを変えたのだと言う。一番安いプランではドラマチャンネルもCNNもBBCも、とにかくまともなチャンネルはほぼすべて見ることができないという状況になったので、いっそのことキャンセルしようということになった。その代わりに月々の料金がSky TVの何分の一かでぐんと安いNetflixと契約したので、ドラマや映画が見たい時に見放題という状況になった。ただし、まだテレビとコンピュータをつなげる装置を入手していないので、見るのはコンピュータ上でだけだけれど・・・。かなり前からSky TVからNetflixに乗り替える話は出ていたのだけれど、NetflixではNHKが見れないので、エドソンは私のために乗り替えないでいた。でも、NHKだけのために見ないものに高い料金を払うのはバカらしいので、乗り換えて良かったと思っている。

2019年3月20日(水)

次の写真は、ランドマークの木の足元に生えているとうがらしを撮ったもの。畑に鷹の爪よりもずっと小さなとうがらしがなる木が1本あって、以前、実を採って乾燥させて使っていることは書いた。でも、このとうがらしは、畑のとうがらしよりもさらに小さく、鳥が種を運んできたようで、ここに自然に生えてきたもの。1月中旬くらいから戻ってきて草取り作業をしてくれるようになった手伝いのマリアが、入り口ゲート近くの草取りをしてくれた後、1本だけ雑草低木のような植物が取り除かれずにそのまま残っているので、どうしてだろう?と、思っていた。エドソンが見に行くと、とうがらしの木だということがわかった。以前、手伝いのマウリシオがお昼休憩の際、お昼に食べるんだと言って、この小さなとうがらしの実を採ってきていたので、どこから採ってきたのか聞くと、丘の上の貯水タンクの側に2本生えていると言っていた。どうやらこの小さなとうがらしがなる木、うちの敷地内のあちこちに生えているようだ。

2019年3月21日(木)

毎朝、家の中での家事が一通り片付いたら、鶏に餌を与えに行くのだけれど、運動場の向こう側に薄ピンク色の花びらが落ちていることがよくあり、この辺にピンク色の花の咲く木はないのに、このピンクの花びらはどこから来たのだろう?と不思議に思いつつ、確かめてみることはしていなかった。昨日の朝、鶏に餌をやった後、毎朝飲むハーブティーに入れるローズマリーの枝を採っていると、側のウルクンに花が咲いていることに気づき、ようやく薄ピンク色の花びらがこのウルクンの花だったことがわかった。これまでウルクンにこんな花が咲くことは知らなかった。次の写真は、その花とつぼみを撮ったもの。2枚目は小さな赤い実の入っているトゲトゲの実と花を撮ったもの。3枚目は、鶏小屋のすぐ側で大きく育っているその2本のウルクンの木を少し離れて撮ったもの。ウルクンは、ご飯を炊く際、一緒に混ぜて炊いて、ご飯にうっすら赤い色をつけたり、色々な料理に混ぜて使う食材。詳しいことは忘れたけれど、体にいい成分が含まれている健康食品。

2019年3月22日(金)

3月20日(水)に、在リオデジャネイロ日本国総領事館から「日本国籍者等に対するブラジル短期滞在査証の免除」というメールが届いたので、以下にコピーした。ブラジル短期滞在査証の免除は、リオオリンピック前後の数か月間、期間限定で行われたけれど、これからは無期限で免除になるのはいいことだと思った。ただ一方通行ではなく、日本もブラジル人に対する日本短期滞在査証を免除してくれないかなあ。無制限に免除することは無理としても、せめて、日系人子孫や日本人の配偶者という限られた範囲だけでも実現するといいのだけれどと思う。

6月17日から,日本国籍者等がブラジルに入国するに当たり,ブラジル短期滞在査証(ビザ)の取得が免除されます。

1 ブラジル政府は,3月18日付官報にて,本年6月17日以降,日本,米国,カナダ及びオーストラリア国籍者がブラジルに入国するに当たり,ブラジル短期滞在査証の取得を免除する大統領令を公布しました。

2 同大統領令によれば,有効なパスポートを所持する上記国籍者が,ブラジルに居住する意図を有さず,観光,商用,トランジット,芸術・スポーツ活動を目的としてブラジルに入国する場合には,ブラジル短期滞在査証の取得が免除されます。

3 滞在期間は,90日までの滞在を期限とし,最初の入国の日から数えて12か月の間に180日を超えない範囲で90日の延長可能としています。

4 なお,日本国籍の方が海外へ渡航する際の査証については,渡航先国・渡航目的・滞在期間等によって査証の要否・種類が異なり,また,国によっては事前通告なしに手続きが変更される場合もありますので,詳細は日本国内にある各国の大使館・総領事館に確認し,最新の情報を入手してください。

2019年3月23日(土)

先週ボトゥカトゥの銀行に行った際、ついでに同じ通りにあるペルナンブカーナという名前のデパートに行き、エドソンのズボンを探したのだけれど、ごく普通のコットンパンツがなく、ジーパンもスリムなものしかなく、がっかり。それで、パーディーニョに戻って、知り合いのジョゼ・ホーダーの娘2人がやっている衣料品店に行ってみた。エドソンがどんなズボンを探しているかを説明して、複数のコットンパンツを出してもらったところ、サイズや材質など彼が気に入るぴったりのものがあり、2本買った。その上、ボトゥカトゥのデパートでは裾上げなどしてくれないので、買ったとしても私が自宅でやるしかないのだけれど、この店ではサービスできれいに裾上げをしてくれてとても助かった。そして、希望を言えば、サンパウロから欲しいものを調達してきてくれるということで、ズボンは何本あってもいいので、この同じタイプのコットンパンツを何本か調達してきてほしいとエドソンは頼んでいた。ボトゥカトゥまで行かなくても、自分たちの好みに合った衣料品が手に入ることがわかり、これは小さい町ならではの特典で、とてもラッキーだと思った。ちなみに、昨年末はまだ就活中だったジョゼの息子のニコラスは、サンパウロのコンサルティング会社に就職したそうで、今、研修中ということだった。3人の子供たちがみな立派に育ち、さぞかしジョゼもうれしく自慢に思っていることだろうと思った。

2019年3月24日(日)

先週、広島の渡辺晋先生(IPPNW広島大会当時の広報担当理事)からメールをいただいた。2016年12月に上梓された『核戦争防止国際医師会議(IPPPNW)私記』は、私にも1冊送ってきてくださったので、拝読していたのだけれど、そのご著書ではサテライフ「SatelLife(IPPNWから派生したNPO)」に触れられなかったため、今回書かれる本で入れたいのだけれど、分からないことだらけなので、添付の質問に答えて、文章を英訳してほしいということだった。

広島大会が開催されたのは1989年なので、すでに30年の時が過ぎ、私がサテライフを辞めてからでも20年という年月が経過していて、記憶を呼び起こそうにも多くのことが忘却の彼方に行ってしまっていて、はっきりと思い出せない。サテライフも他の組織との合併や吸収を経て、2014年には完全に役割を終えて、消滅してしまっているので、WEBサイトもなく、情報を確認しようにもできない。当時サテライフで一緒に仕事をし、今も親しくしているJon Metzgerにメールで問い合わせたり、エドソンにも記憶を辿ってもらったり、ネットで検索してもらったりして、何とかある程度の情報を収集確認することができたものの、私が担当していたサテライフのニューズレターSatelLife Newsの最初の発行日がわからない。どうも年に4回発行していて、第1回目は1992年の11月だったようだというところまで何とかわかったのだけれど、その発行がいつ終わったのかはまったくわからなかった。私が担当したのはおそらく1996年くらいまでの数年で、途中から編集をフリーランスの専門家に外注するようになり、私自身は1998年にサテライフを辞めて別の職場に転職し、エドソンも私が辞めてあまり月日を経ずに転職したので、その後サテライフがどうなったかということをあまり気にしていなかった。今回あの当時のことをいろいろ思い出そうと、エドソンとふたりして2~3日いろいろな思い出話しをして、とても深い感慨にふけった。非営利組織のご多分にもれず、サテライフも多くの問題を抱え、事務局長を始めとするスタッフの入れ替えが激しく、ひっちゃかめっちゃかな状態がずっと続いていたので、あの職場に戻りたいとは思わないけれど、大学、さらに大学院に行きながら仕事をする苦学生だったエドソンと暮らしたあの当時の日々をなつかしく思った。たまの休暇にふたりであちこち行った楽しい日々のことは結構憶えているものの、毎日のルーティーンがどうだったかという部分の記憶が結構抜け落ちていることに驚いた。ああ、年を取ったんだなあ・・・と、つくづく思った。ここでのんびりぼっ~と生きているので、今回のことで久しぶりに脳が大きな刺激を受け、びっくりした状態がしばし続いている。今日はヤスミンの英語のレッスンがお休みなので、調べ上げた内容を基に英訳した文章を完成させて、今日中にお送りしようと思っている。

2019年3月25日(月)

次の写真は、2週間ほど前、エドソンが青空市で買って来たのだけれど、上の冷蔵庫にスペースがなく、下の冷蔵庫に入れていたため、その存在を忘れていたことに気づいた果物。1枚目の写真は、袋に入った状態のその果物。ライチーの一種というだけあって似たような果物だけれど、皮の表面がトゲトゲしておらず、そこがちょっと違った。値段のシールを見ると、OLHO DE DRAGAO(オリョ・デ・ドラガオン)つまり「龍の目」というおもしろい名前だった。2枚目の写真は、すぐに食べられるように皮をむいた後の、その龍の目。皮をむいた後の見かけも味もライチーとあまり変わらない感じだった。エドソンもライチー同様においしいと気に入っていた。

2019年3月26日(火)

昨日ライチーの一種であるオリョ・デ・ドラガオンのことを書いたついでと言っては何なのだけれど、一ヶ月くらい前にエドソンが買ってきたライチーの苗木が元気に育っているので、写真を撮ってみた。買ってきた時はこの鉢に1本の芽が出ているだけだったのだけれど、うちに来てから2本目の芽が出てきて、新しい葉が次々に出てきて育っている。まだ芽が小さいので、すぐに地植えにしないで、しばらくこの食堂の南側の窓辺で様子を見ることにしたのだけれど、ここの環境が気に入ったようで、今のところすくすく育ってくれている。

2019年3月27日(水)

昨日、3月26日付けのニッケイ新聞に、『ブラジル日系文学会=武本文学賞が最後の授賞式=中田編集長「ここから再出発」=新会長は桜井セリアさん』という記事があった。ブラジル日系文学は、形を変えて存続して行くようだけれど、日本語の書き手がいなくなれば、これまでの広島ペンクラブとの交流も続けて行くことは難しくなるのではないだろうか?武本文学賞は今回で終了するということで、またひとつ日系社会の活動が終わりを迎えたことになる。この記事のサイトは、こちらへ

2019年3月28日(木)

昨日は、約半年ぶりにエディナの美容室に行って髪を切ってもらった。エドソンが仕事に出ていると車がないので、私は外に出て行けず、ずっと先延ばしにしていたのだけれど、先週エドソンと話して計画をして、エドソンが午後1時に予約を入れてくれ、お昼休みに迎えにきてくれたので、ようやく行くことができた。これまでは髪を切って毛染めをしてもらっていたのだけれど、もう年だし、この際、毛染めは止めることにした。それでカットだけだったので、かかった時間は30分、料金は20レアルと、時間は4分の1に短縮され、料金も3分の1以下になった。カットが終わってからエドソンの事務所まで歩いて行き、受付でエドソンを呼んでもらって、車で送ってもらったので、2時には帰宅することができた。次の写真は、エディナの美容室のある通りを撮ったもの。家の前にグレーの車が3台止まっているピンク色の壁の家が、エディナの美容室兼自宅。

エディナの美容室は、東西に伸びるパーディーニョの町の中心から見ると、西の端にあるのだけれど、さらにその西側に市が建てた低所得者層向けの住宅が並んでいる地域がある。次の写真は、そのエリアの一部を撮ったもの。同じ形で同じ大きさの家がいくつも立ち並んでいる。

2019年3月29日(金)

次の写真は、エドソンが働いているパウロの会社の建物を撮ったもの。真ん中のオレンジ色の建物がそれ。普通の家を事務所に改装して使っているので、事務所のようには見えないけれど、ブラジルの小さな町の事務所はだいたいこんな感じで、普通の家を改装して使っている場合が少なくない。向かって右側の白い扉は会社の車庫の扉で、このオレンジ色の建物の向こう側、つまり左側のベージュ色の壁に白い扉の大きな家がパウロの家。事務所の入り口を入ってすぐ右側に受付があって、そこにいた若い女性はとてもフレンドリーな人だった。後から聞くと、何とペドレイロのエディの姪なのだとか。この町の人は外から移り住んだ人は別として、ほぼみんな血縁関係でつながっているんじゃないかと思うほど、誰々の親戚という人ばかり。

2019年3月30日(土)

外からうちの入り口ゲートを入ってくると、ほぼ正面に見えるようにパイネイラの木を植えている。昨日の朝一番のメイとのお散歩の際、この木に何か赤っぽい色のものが見えるので、パイネイラの葉は紅葉したりしないのに、何だろう?と思い、側に行ってみると、花だった。それで、朝の家事が一段落してから撮ったのが次の写真。1枚目は、パイネイラの木全体を撮ったもの。真ん中の太い幹よりも少し上、右側にその花は咲いている。2枚目はその花を近くから撮ったもの。たったひとつだけ咲いているのだけれど、カメラをズームにして撮ってみると、他にもつぼみがあるので、もうしばらくすると複数の花が咲くのかなと思う。花は木の上の方にあるので、肉眼ではよく見えなかったのだけれど、写真で見てみると、花は向こう側を向いて咲いていた。何だかちょっとハイビスカスの花の形に似ているなと思った。そして、この写真を撮った際、ちょうど虫が花の側を飛んでいたので、その虫も一緒に写真に写り込んでいた。

2019年3月31日(日)

3月28日付けのニッケイ新聞「大耳小耳」に、日本などからの旅行者の短期滞在ビザが免除される予定だったけれど、それが怪しくなってきたという以下の短い記事があり、おいおいそれはないでしょうと思った。

『日本、米国、カナダ、オーストラリア国籍者に対して、ブラジル政府は6月17日から短期滞在ビザ(観光、商用、トランジット、芸術・スポーツ目的など)を免除する予定だったが、どうも雲行きが怪しくなってきた。大統領との政治交渉を求めるマイア下院議長に対し、ボウソナロ氏は「古い政治手法」と相手をしなかったため、下院議会では反抗の意思を表すために、大統領が嫌がる法案を承認した上、「4カ国へのビザ免除の大統領令を否決する」との話が出ている。大統領と議会が折り合いをつけないうちは、あちこちに思わぬとばっちりが飛んできそう。せっかく日本からの観光客が増えるかと思ったが、じっくりと成り行きを見守った方が良さそうだ。』

また、同じく28日付けの特別寄稿記事に、『新企画「日本人の歴史物語」=連続講演会、26日から開始=ブラジル日本会議 理事長 徳力啓三』というのがあったので、リンクをはってみる。サンパウロ市内で暮らしていれば、聞きに行くのだけれどなあ・・・。この記事のサイトは、こちらへ



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