Kyoko Yoshida Life in Brazil BLOG 

2019年1月1日(火)

恭賀新年 亥年

昨日の大晦日は、エドソンの仕事は休みではなく半ドンで、午前中だけ仕事に出て行った。大晦日に半日だけでもエドソンが家にいないというのはアメリカ、日本、ブラジルでの私たちふたりの暮らしの中で、今回が初めてのような気がする。彼は元旦に私の作るいつものパンでBLT(ベーコン、レタス、トマトのサンド)が食べたいと言っていたのだけれど、「元旦の朝はお雑煮だからダメ」「じゃあ、大晦日の朝」「大晦日の朝は仕事に行くんだからのんびりしていられないでしょう?」と言うことで、30日(日)の朝食で食べることで妥協した。それで、29日(土)にパンを焼いたのだけれど、サンドウィッチにできるように四角く薄く成形しようとしたらうまく膨らまず、ちょっと失敗。でも何とか1枚を半分に薄切りにして、BLTを挟んで食べられるようにしてみた。私の作るパンはなんちゃってフランスパンなので、外側がちょっと固くてチューイー(噛みごたえがある)なのだけれど、まあ何とかサンドウィッチとして成立し食べることができ、やれやれセーフ。30日は朝一番でいつものようにはるとひろのオシッコとウンチを済ませた後、エドソンに彼らの体をシャワーで洗ってもらい、それが終わると私が彼らの体をタオルで拭き、ドライヤーで体を乾かし、オシッコに連れ出しと、朝食前からふたりの連携作業でバタバタと忙しかく、それらの一仕事が終わりようやくのんびりとBLTを食べた。でも、これでみんなすっきりきれいになって新年を迎える準備完了。そして、大晦日に仕事に出かけたエドソンは予定よりも1時間早く戻ったので、年越しそばを作ってNHKの紅白歌合戦をBGMにして食べて、ワンコたちのお昼とお散歩を大急ぎで済ませ、「ゆく年くる年」を見ながら日本酒で乾杯して、まず日本時間の新年を祝った。そして、夜はいつものようにブラジル国内各地の花火の中継を見ながらスパークリングワインで乾杯して、ブラジル時間の新年を祝った。エドソンは今日元旦だけが新年のお休みで、明日からはまた仕事。のんびりと年末年始を過ごす環境ではないけれど、とにかく今年も穏やかな年でありますようにと祈るばかり。

2019年1月2日(水)

元旦の午後、ブラジルでは新大統領の就任式典があり、その様子が2時くらいから5時くらいまでテレビで生中継された。新大統領の車列(車はすべて三菱の黒のSUVだった)がブラジリア市内を議会に向かう所から始まり、議会のすぐ側でオープンカーに乗り換えて議会に向かい(以下、1枚目の写真)、議会の中で宣誓をしたり、文書に署名したりといろいろ長々やった後、外に出て、オープンカーでパレードをした後、議会の建物のバルコニーで、ジャイール・ボウソナロ新大統領がテメール前大統領からタスキを渡され、その後スピーチをするという流れだった。

ボウソナロ大統領夫人のお父さんは黒人の血を引いているそうなのだけれど、彼女はごく普通の美しい白人女性だった。ブラジルでは色々な人種の血が混ざっている人が珍しくないのだけれど、ご先祖の血をどの程度受け継ぐかはまちまちなので、同じ兄弟の中で黒い人や白い人がいたりして、同じ兄弟?と思うような家族もいる。そして、バルコニーでテメール前大統領からボウソナロにタスキが渡される際、夫人の横に黒人の男性がいて、副大統領夫妻は彼の後ろにいるので、この人は誰だろうと思ったら、国歌斉唱の際、手話の動作をし始めたので、手話通訳だということがわかった。その後も再び大統領夫妻と副大統領夫妻がバルコニーに登場した際、まず、大統領夫人が声を出さず手話でスピーチをして、横には別の手話通訳の女性が大統領夫人の手話を声に出して通訳していた。

その後、大統領がスピーチしたのだけれど、その際もまた別の手話通訳の女性が通訳をしていた。この手話通訳の存在はジウマ大統領就任式ではなかったことだった。エドソンによると大統領夫人は手話の先生なのだという。これらのことでわかることは、ボウソナロは決してメディアが言うような女性差別主義者でも人種差別主義者でもないということだ。もうしそうであるなら、見かけは黒人ではなくても黒人の血をひく女性と結婚はしないだろうし、大統領よりも先に夫人にスピーチをさせたりはしないだろう。そして、手話通訳をさせるということもなかっただろう。おそらく夫人は、今後彼女自身の社会活動を活発に行って行くのだろうということが伺える就任式だった。以下の写真の右側の男性が副大統領で、彼は見るからにそれとわかる先住民の血を引く人で、退役将軍ということだった。それから、議会の建物の中に戻って、正副大統領夫妻が並んで各国からの来賓の挨拶を受ける際、イスラエルのネタニヤフ大統領夫妻が来ていたことは特筆に値することだった。ブラジルはイスラエルとの関係強化をねらっているようだ。それからもうひとつ。今回の式典でおもしろいなと思ったことは、前大統領も新大統領も新副大統領もみな夫人がとても若いということ。

この就任式の様子を写した様々な写真は、次のサイトで見ることができる。見てみたい方はこちらへ

2019年1月3日(木)

元旦の大統領就任式で、気づいたことがもう2つあるので、ここに書き留めておこうと思う。一つ目は、議会で宣誓をしたりする一連の儀式の中で、国家斉唱の伴奏が海軍の軍楽隊の人たちだったこと。ブラジルでは軍政時代の反動というかアレルギーからか、民政になってから、一度も議会内でこのように軍楽隊が演奏をするなどということはなかったのだそう。そして、新大統領のパレードやバルコニーでの演説の際、集まった群衆を見ると、ルーラやジウマの時代に溢れていた共産主義の赤色ではなく、ブラジルカラーの黄色と緑と青が溢れていたこと。何となくブラジルを取り戻したという感じがあり、「私はあなたたちのためにここにいる」という意味をこめたジェスチャーをボウソナロがしたことと合わせて、これからどこまでブラジルを立て直してくれるだろうかとちょっと期待が膨らんだ。

次の写真は、30日の夕飯で作ったサラダそうめんと焼きなすと冷や奴。29日にドナ・マリナに行った際、大きな洋ナスではなく珍しく細長い和ナスがあったので、ふと焼きなすが食べたくなり2本買い、その内の1本で作ったもの。焼きナスも冷や奴もかけるものはポン酢。サラダそうめんのおつゆは手作りのめんつゆにお酢とごま油を混ぜたもの。停電していた数日はお天気が悪く、気温も低く薄ら寒いくらいだったので、電気がなく扇風機が使えなくてもいい日々だったのだけれど、電気が復旧すると、翌日くらいから気温が上がり夏の気温が戻り、最高気温が連日30~31度を記録しているので、こういうさっぱり系の夕飯がとても合う。停電するまで続いていた33~34度の最高気温に比べると、30~31度というのはずっとましな気温なのだけど、それでもやはりここでの普通の最高気温は29度前後なので、30度を超えるととても暑いと感じる。

次の写真は、広島の友人が送ってきてくれた彼女の自宅マンションの玄関ドアのしめ飾り。百均ショップで買ったものだそうだけれど、我が家の玄関ドアのしめ飾りよりも立派。他に何もなくてもお正月はこのしめ飾りがあるだけで、何となくお正月という気分になるから不思議だ。

2019年1月4日(金)

ニッケイ新聞の2018年12月27日付けの特集記事に、友人の毛利さんの記事が掲載されていた。11月半ばに日本に一時帰国した際、一緒に行った50代のブラジル人の女医さんの日本の印象に触れる記事だった。「この国は別の惑星・・・」という印象をその人は持ったようだけれど、エドソンもここで「日本てどんな国?」とか、「日本人てどんな人たち?」とか聞かれると、「一言で言うとdifferentとしか言いようがない」と答えることがよくある。ただし、英語でdifferentと言うと、ちょっと否定的な意味合いになるのだけれど、エドソンの場合はいい意味で様々なことがブラジルを始めとする欧米諸国と違っているから、直接行って経験してみないと、話を聞いただけでは理解できないだろうという意味合いがこもっている。欧米白人至上主義の世界の中で、それとは異なる価値観と思考形態を持つ日本人が感じる生き辛さは、これからも変わることはないのだろうなあと、日本の外で暮らしながらつくづく思う。毛利さんの「授かったこの身体を使い切る=高齢化社会・日本の就労事情=働けるうちは喜んでいつまでも=サンパウロ市ヴィラカロン在住 毛利律子」の記事のサイトは、こちらへ

2019年1月5日(土)

次の写真は、昨年末にウエノで買ったドライトマト味のかりんとう。一袋85グラム入りで6レアル(約200円)だった。二袋買ってみた。次の写真の左側が袋を開ける前の状態で、右側は袋を開けて中身をプラスチックの容器に移した状態。夕方、エドソンが仕事から戻り、夕飯の仕度をしながらふたりでワインを開けて、私はあられやナッツなどをつまむのが至福のひととき。エドソンはお砂糖がふりかけてあるぽたぽた焼きのような甘いおせんべいなどは好きではないのだけれど、甘くない、塩味のおつまみだと食指が伸びて、ポリポリ食べたりする。あられよりも安いこのドライトマト味のかりんとうは、初めて買ってみたのだけれど、エドソンにとても好評だった。

2019年1月6日(日)

9月にイギリスで暮らす娘さんを訪ねた友人が、今度は12月の休暇をスペインで過ごす娘さん夫婦に合流する形でスペインに行って来たとメールをくれた。スペインは娘さんのご主人の実家があるので、娘さん夫婦はよく行くらしい。友人いわく、「食いしん坊の私は食べ物がもっとも印象深かったです」と言って、いろいろ写真を送ってきてくれた。彼女はバターや生クリームをたっぷり使うフランス料理は苦手だけれど、それらを使わないスペインの料理は本当においしかったと言っていた。魚介類が豊富で、日本食と同様に基本的に出し汁を大事にする料理だったと言う。婿殿のお母さんが作ってくれた塩たらを塩抜きしたシチューのような料理やパエリアが絶品だったそう。次の1枚目の写真は、スーパーで並ぶどんぐりを食べて育ったイベリコ豚の骨付きもも肉で、テニスラケットのように見える。一般家庭ではクリスマスに用意するらしいのだけれど、1本数万円もするので、すべての家庭で買えるものでもないということだった。このハモンを薄くスライスして、クリスマスシーズンに2週間くらいかけて食べきり、残った骨はスープにするのだそう。2枚目の写真は婿殿の実家の台所に置かれたハモン。外側の上の方の脂肪の部分を平たく切っておいて、それを蓋にするようになっていて、写真のハモンの塊の下に置いてあるのがその脂肪部分だそう。

次の写真は、mercado de san miguelという有名なマーケットで、そこにもたくさんのメニューがあり、とても美味しかったということだった。日本のコロッケやエビせん味の揚げ物などもあって、こういう料理は昔、ポルトガルやスペインから日本に伝わったんだな~と思ったそう。

次の写真は、オリーブ売り場。友人は塩味のオリーブしか食べたことがなかったのだけれど、こんなに様々なオリーブ漬けがあることに驚いていた。ブラジルでも大きなスーパーのお惣菜売り場に行くと、この写真ほどではないけれど、いろいろなオリーブを販売している。私は昔は、あまりオリーブを食べる機会がなく、あの味があまり得意ではなかったけれど、エドソンがお料理に必ずと言っていいほどオリーブ油だけでなく、オリーブの実を使うので、最近はその味に慣れてしまって、緑色のオリーブの塩漬けを丸ごと梅干しのような感覚で食べることもできるようになった。2枚目の写真は、酢漬けにした魚などを乗せたオープンサンドのようだ。スペイン語と英語で食材の説明がある。旅行の楽しみのひとつはその土地のおいしいものを食べることだけれど、スペインにはおいしそうなものがたくさんあるようだから、旅行の楽しみは数倍に膨らみそう。行ってもいないのに、何だか行った気分になっている。

2019年1月7日(月)

次の写真は、3日の午後8時頃の夕焼け。居間の西側の窓から見えるユーカリの木々の向こうの空がきれいだったので撮ったもの。肉眼だと夕焼けがもっと赤い色だったのだけれど、写真で見ると色がちょっと違って見える。年が明けてからも毎日30度を超える気温だけれど、夕立がほとんどなかった12月とは異なり、年明けからこっち、いつもの夏らしく午後4時前後になるとにわか雨が降り、気温が下がるのでほっとする。そして、朝は20度を下回り、18度くらいなので気持ちよく起きて朝食を食べることができる。ここ本来の夏の気候が戻ってきたようだ。でも、願わくば、落雷被害だけはもうごめん被りたい。

2019年1月8日(火)

12月にスペイン旅行に行った友人からのお土産話第二弾。「スペインの伝統的なお菓子で、400年前に修道院で最初に作られて、その後村の主婦が改良してきたというポルボルンや、アーモンドの粉と砂糖と水で作ったマサパンは、バターや生クリームを使ってないので、普段あまりお菓子を食べない私もついつい手が伸びてしまいました」と、また食べ物の話にニンマリしてしまった。そして、「もう一つ、伝統的でありとても珍しいお菓子で、すみれの花のキャンディーとすみれの葉の砂糖漬けがありました」と言って送ってきてくれたのが次の2枚の写真で、そのお店と、そこで販売されていたすみれのキャンディーなどを撮ったもの。すみれのキャンディー?すみれの味ってどんな味なんだろう?と思った。東京で暮らしていたとき、夏の休暇で一度北海道に行った際、富良野だっかか美瑛だったかのラベンダーの農場でラベンダーのキャンディーやクッキー、アイスクリーム、石けん、化粧品など、へえ~こんなものまでラベンダーで作っているの?というようなものがあったけれど、何だかそれを思い出した。

2019年1月9日(水)

この6日の日曜日のお昼に、約束通りジョゼ・ハファエウとヤスミンと一緒に4人でレストラン・カザラオンへ行った。土曜日は1日雨が降ったり止んだりのお天気で、夜になるとさらにザーザーと降り続き、夜が明けて日曜日になっても何だかすっきりしないお天気だったけれど、たまにパラパラくるだけで、本格的な雨は降らなかった。エドソンは奮発して皆でプライムリブローストを食べようと考えていたのだけれど、ジョゼ・ハファエウたちはパルメジアーナが食べたいというので、彼らはパルメジアーナを食べて、プライムリブはエドソンと私がふたりでシェアして食べた。食べる量にもよるけれど、一応二人分の量だとお店の人は言っていた。でも、大食いでない私たちには三人で食べても十分な感じの量だった。次の写真は、おつまみとして頼んだボリーニョ・デ・バカリャウ。バカリャウというのは塩漬けしたタラのことで、ブラジルでは年末年始にいろいろなお料理にしてよく食べられる。写真のものは、バカリャウを塩抜きして茹でたジャガイモと混ぜてコロッケのようにして揚げたもの。ボリーニョというのはボール、つまり丸いものという意味。

次の写真は、向こう側のテーブルでウェートレスさんが私たちのプライムリブローストを切ってくれているところ。ローストと一緒に食べたのは、ご飯と二種類のファロファと野菜サラダとヴィナグレッチ。

次の写真は、食事が終わり、テーブルを片付けてもらった後、デザートを待っている際、ウェートレスさんに撮ってもらったもの。ジョゼ・ハファエウとヤスミンは29日から1月1日までの4日間、友人達と総勢12人で、ここから1時間半くらい南西に行ったアヴァレという町のプール付きの1軒家を借りて休暇を過ごしたと言っていた。その間ほとんどの時間をプールの中で過ごしたので、日焼けを通り越して、火傷をしてしまったという。服を着ているので背中や肩が焼けた様子はわからなかったけれど、ヤスミンはそう言われれば顔が少し赤いかなという感じだった。そして、ジョゼ・ハファエウは鼻の頭や目の下に赤い水脹れができていたので、ちょっと痛ましかった。でも、2日に仕事に出てきた時は、これよりももっとずっとひどい状態で腫れていたんだとエドソンは言っていた。でも、一緒に行った人達の中で火傷をしたのは、二人だけだったのだそう。ふたりとも今回のように夏の休暇をプールの中で何日も過ごしたのは初めてだったので、日焼けに慣れていなかったかららしい。新婚旅行で初めてハワイに行った日本人カップルが、日差しの強いハワイのビーチで過ごして火傷をして病院に駆け込むケースがあると、昔聞いたことがあるけれど、そんな感じだなと思った。そういう私も大昔に広島YMCAからハワイのYMCAとの親善交流プログラムでハワイに行った際、ビーチで1時間余り過ごしただけで火傷一歩手前になり、まるで「茹でたロブスターだね」と笑われたことがあったっけ。

2019年1月10日(木)

2019年1月8日付けニッケイ新聞の特集に、『ブラジルを「故郷」にするなら桜を植えよう=郷愁とブラジル日本移民』という長い記事があった。私はまだブラジルに来て10年と、年季の浅い移民だけれど、桜と故郷がリンクする日系移民の人たちの気持ちはよくわかる。私自身、どんな花よりも桜を見ると「ああ~、いいなあ~」と気持ちが癒されるように感じる。何故そうなのかはわからない。理屈ではなく、まるで桜をめでるDNAでもあるように感性に響くのだと思う。日本に生まれ落ちた時から一番身近にあった花で、日本を代表する花だからなのかもしれない。だからうちでもヒマラヤ桜と沖縄桜をたくさん植えている。新しく芽が出ると、それを育てて少し大きくしてから他の場所に地植えして、桜を増やして行っている。この記事のサイトは、こちらへ

2019年1月11日(金)

うちでは買ってきたレタスやキャベツなどの外側の少し傷んでいる葉は鶏に与え、台所で出るその他の野菜くずや果物の皮などはゴミとして捨てずに、敷地内のあちこちに穴を掘って埋めている。ここの土地は痩せているので、野菜くずなどを埋めれば少しは土の改良になるかなと思うから。それで、先日防風林の北側の桜の苗木をたくさん植えているエリアに行って、野菜くずなどを埋めた際、側に何か植物が育っていたので見ると、トマトの木に4つのトマトが生っていた。次の写真の真ん中手前がそのトマトの木。後ろの2つの緑は苗を植えて育っているマンジォカ芋で、右側が少しずつ大きくなってきている桜の苗木の1本。

次の写真は、そのトマトをもっと近くから撮ったもの。4つ実が生っているけれど、その内の左側手前の一番小さいものは、すでに虫にやられている。うちではミニトマトは何度か育てているけれど、この普通の大きさのトマトはちゃんと育ったためしがない。それなのに、ずっと前にここに埋めた野菜くずの中からトマトが芽を出して育つなんて不思議だ。まだ虫にやられていない3つのトマトを守るために、スーパーの袋を被せた方がいいんじゃないかとエドソンが言うので、この写真を撮った後、袋を被せた。虫にやられず実がうまく育つかどうか、乞うご期待。

2019年1月12日(土)

友人のスペイン旅行のお土産話第三弾。マドリードはロンドンに比べて人口が少なく、街もそんなに大きくないので、2~3日暮らせば一人でも行動できそうだとメールにあった。広島には広島駅に隣接したグランビア広島という名前のホテルがあるのだけれど、マドリードの一番の賑わいのある通りの名前がグランビアだったそう。次の1枚目の写真がその通りを撮ったもの。彼女が泊まったホテルから徒歩圏内に3つぐらい広場あり、その一つが「太陽の門」と言うらしく、クリスマスのための三角形の塔が設置されていて、夜になるとライトアップされていたそう。それを撮ったのが、2枚目と3枚目の写真。昼間はそれほど人で混雑していなかったのに、夜は人々がびっしり集まって来ていたと驚いていた。

次の写真は、王宮を一方角から撮ったもの。中に入るためには並ばなくてはいけなかったので、外観だけ見て済ませたとか。「全体的に白っぽい建物が壮大で威圧感があり、ずいぶんと日本の皇室関係の建物とは異なっているな~と思いました」と、あった。また、ピカソのゲルニカを見るためにソフィア王妃芸術センターに行った際、元は病院の建物だったと聞いて、そう言われれば廊下などはそういう雰囲気だなと思ったそう。

次の写真は、カトリックの修道院の建物。何と、ここの修道女たちはこの修道院から一生外に出ることはないという非常に珍しい修道院なのだそう。また、クリスマスシーズンだったので、街中で聖母マリアとキリストの誕生の飾りつけをよく見かけたと言う。ブラジルも私たちが暮らしているような小さな田舎町でも12月には町の広場に同様の飾りつけが見られる。彼女の婿殿の友人の話によると、スペインの70%はカトリックだけれど、教会に通ったりしている信者はそのうち数%で、クリスマスは今ではもっぱら商業的な行事になっているのだそう。と言うことは、ブラジルの方が教会に通う人の割合が多いと言うことになるのかな?でも、教会に行ってる人たちが信心深く、教義に沿って正しい生き方をしているかと言うと、まったくそんなことはないので、宗教って何だ?と思うことがよくある。これは私の個人的な見解だけれど、ブラジル人の宗教心は、例えば、日本で受験生が神社などに行って合格祈願をしたりするのと何も変わらない。普段は神の教えなどどうでもよくて、都合のいいときだけ、助けてくださいと神様にお願いするという感じ。宗教心のないと言われる日本人とどこが違うのか?少なくとも、日本人の倫理観はブラジル人とは比べ物にならないほど高い。この違いはどう説明したらいいのだろう?

2019年1月13日(日)

次の写真は、エドソンが毎週土曜日に開かれる青空市で買ってきたピメンタ何とかという野菜。お店の人から名前を聞いたのに忘れたらしく、正式な名前はわからない。ピメンタというのは英語でペッパーのことなのだけれど、この小さな星型をした野菜はピーマンと同じように調理して食べることできるというので、先日ピーマンのように千切りにして他の野菜や魚と一緒にローストしてみたら、まさにピーマンでおいしかった。

2019年1月14日(月)

次の写真は、一週間前に行ったレストラン・カザラオンで撮ったもの。食事が終わって、レストランの後ろの景色を見に行って、レストラに戻る所をエドソンたちの後ろからパチリ。そして、この写真の正面に見える出入り口の左側から撮った写真が2枚目の写真。ここから我が家が見えるとエドソンが言うので、カメラを望遠にしてみると、はっきり見えた。画面中央の丘の稜線に我が家の赤い屋根が見え、その左側に我が家のユーカリの木の並木が見える。そして、うちの赤い屋根とユーカリの並木の間に、丸く盛り上がっているように見える緑がランドマークの木。うちの右側に見えるねずみ色の屋根はおそらくお隣の丘の上に置かれたコンテナで、それよりも低い所にある倉庫や家は見えない。

2019年1月15日(火)

先週、火曜、水曜、木曜と、マウリシオが草刈りの手伝いに来てくれた。ガソリンで動く草刈り機を担いで、家の南側の三角地帯から徐々に草刈りを始めて、家の北側の庭、西側の庭の草刈りを完了してくれた。水曜日に北側の庭を東から西に刈っていたら、庭の真ん中辺にあるエドソンのアンテナタワーの足元のレンガを低く積んだケーブルなどが入っているスペースにラガートがいるとマウリシオが言うので、カメラを持って行って撮ったのが次の写真。レンガの一部が壊れていて、そこから中に入ったようだった。そして、このスペースの外側でマウリシオがヘビの乾燥した皮の一部を見つけ、おそらくヘビを食べた後、ここで昼寝をしていたんだろうと言っていた。去年の暮れ、鶏小屋の中に産みつけられた卵の殻が壊されて中身が食べられるという事態が発生したけれど、やはりラガートの仕業だったんだとマウリシオと話した。この写真を撮った後、目が覚めたらしく、ガバッと外に飛び出して逃げて行った。ラガートはイグアナのように大きなトカゲなので、遭遇するとぎょっとするけれど、こちらを攻撃してくるようなことはないおとなしいトカゲ。鶏の卵を食べるのは困るけれど、へびなどはせっせと捕まえて食べてください。

次の写真は、家の西側の外階段の向こう側の庭を撮ったもの。水曜日の夕方5時の時点で、家の北側の庭の草刈りが終わり、家の西側の草刈りもだいぶ進んだ状態を撮ってみた。アメンドインという草は元気に伸びてうっそうと茂ってくるので、草むらにへびがいたりしても見えなくて危ないので、時々こうして草刈りをしないといけない。実際、この草刈り作業をしている際、マウリシオは毒蛇を1匹見つけて殺している。さすがにその写真は撮らなかった。

2019年1月16日(水)

次の写真は、エドソンと同じ職場で働いているフランシエリという女の子と彼女のボーイフレンドのヴィトー。フランシエリ、略してフランは、英語を勉強したいということで、この日曜日の午後相談にやって来た。車の運転免許は持っているのだけれど怖くて運転ができないフランのために、ヴィトーはアッシー君をしてフランを連れてきてくれただけで、彼は英語を勉強するつもりはないらしい。フランは毎日フルタイムで働きながら、ここから北西に1時間半余りのところにあるバウルにある大学の夜間部で、マーケティングの勉強をしている。だからこれ以上何かを始める時間的余裕なんてないだろうと思うのだけれど、どうしても勉強したいという彼女の熱意に負けて、週に1回、日曜日の午後、レッスンをすることになった。それにしても、仕事をしながら毎晩ここから遠い大学の夜学にバスで通って、学位を取ろうと頑張っているのはすごいことだと思う。今年4年生になるので、年末に卒業するらしい。ちなみにブラジルの新学期は2月から始まり、12月にその学年が終わる。日本のように4月から次の年の3月というのとはちょっと違う。彼女はお母さんとお兄さんとの三人暮らし。エドソンも私もこんなふうに真面目に頑張っている若い人にとても弱い。勉強する意欲があるのなら、日曜日でもレッスンをするかという気になってしまう。でも、去年週2回来ていたジルベルトが7月いっぱいで止めてしまったので、だいふ楽になり、今は3人の生徒さんとの週1回ずつのレッスンがあるだけでそんなに忙しいわけではないし、ずっと家にいる私にとっては平日も週末もたいした違いはないので、まあ日曜日でも問題はないのだけれど・・・。

2019年1月17日(木)

スペイン旅行に行った友人のお土産話第4弾。彼女は、イギリス在住の娘さんがスペイン人の男性と結婚するまでスペインには全く関心がなく、Hola(=Hello)もuno(=one)も知らなかったと言う。それで昨年の4月からラジオでスペイン語講座を聞いたり、スペインに行く直前にはスペインの歴史をネットで検索して読んでみたのだけれど、多くの民族や宗教間の戦いが激しく入り乱れていて、頭の中がこんがらがってしまって諦めたと言っていた。でもスペイン語の方は、家族との会話に少し役立ったみたい。ちなみにこの家族はみな英語も話すので、友人との会話はもっぱら英語だったのだと思う。次の写真は、マドリードから特急列車で約30分のところにあるトレドという町。キリスト教とユダヤ教とイスラム教の宗教と文化が混合していて、市街地全体が世界遺産になっているのだそう。

「トレドにあるスペインのカトリックの総本山であるトレド大聖堂には圧倒されました。13世紀から15世紀にかけて造られたということで、外部も内部も彫刻や絵画で華美をつくし、荘厳で巨大な建築物でした」と、以下の写真を送ってきてくれた。トレドには婿殿のご両親も一緒に行ったのだけれど、二人の電車賃はシニアということで無料だったそう。また、ゲルニカのあるソフィア美術館では、友人は外人なのにシニアということで入場料が無料だったので感動したという。大聖堂の中を回っているときに、婿殿のお母さん(ドイツ出身)が、「このような贅をつくした華美なカトリックを批判して、ルターの宗教改革が行われたのよと説明してくれたときには、私は高校の時に世界史で宗教改革を一応学んではいたけど、ただ言葉だけで学習していたんだと今さらながら思いました」と書いていた。

トレドは観光地としてお土産店もたくさんあるそうで、その昔刀剣類を作っていたことから、今も様々な形をした包丁やナイフが店にずらりと並んでいたと、以下の写真を添付してくれた。刃物の形や種類は日本の包丁類よりも多種多様だったという。そして、彼女の出身の熊本には伝統工芸で肥後象眼というのがあるのだけれど、何と、そこに肥後象眼があり、熊本のよりもはるかに種類も多く華美なものだったけれど、基本的なつくりは全く同じだったので驚いたと書いていた。旅行から戻ってネットで検索したら、シリアのダマスカスで始まって、シルクロードを通って日本には飛鳥時代に伝わり、熊本では細川藩主のころに発達したらしいということだった。それに、扇も日本のものとは模様はちがっても、いろんなお土産店にあり、「世界は昔からつながっていたんだ~」と思ったそう。あちこち旅行をして見て回ると意外な結びつきや類似性を発見するものなんだなと私も再認識した。

2019年1月18日(金)

1月9日(水)6:00配信JBPressの記事に『「南京大虐殺」は中国軍の仕業だった』というのがあった。この記事のサイトは、こちらへ

1月12日(土)12:11配信ウェッジWedgeには『李登輝が考える「日本」と「中国」の決定的な違い』という記事があった。この記事のサイトは、こちらへ

2019年1月19日(土)

今週火曜日の午後2時頃から激しい雷雨があった。比較的近く(ピカッと光った後、カウント3くらい)で複数回雷が落ち、雨がさらに激しくなったかと思うと、その雨が窓や屋根に当たってカチカチというかガチガチとういか、すごい音を立てるので、「ひょう?」と思って見ると、直径1センチくらいのひょうが窓際やベランダで跳ねるのが確認できた。夏の嵐は普通西または西北からの強い風が吹きつけるのだけれど、この日の風は南東から吹きつけるという変わった嵐だった。雨が降り出す前に遠くで雷が鳴り出してすぐに、すべてのコンセントを抜いて対処したので、コンピュータや家電製品は大丈夫だったのだけれど、30分余り激しいひょうが打ち付ける音がうるさく、めいはベランダ隅の犬小屋の中に避難し、はるとひろは怖くて不安で身の置き所がないと言う感じでウロウロし、居間のベッドにおいでと言っても来なかった。このひょうのせいで、台所の窓の網戸にひとつ穴が開いてしまった。そして、雨が止んで夕方のお散歩に出ると、桜やフランボヤンやランドマークの木など、ほとんどの木の葉がたくさん地面に落ちていて、庭の西端のユーカリの木の細い枝が折れていた。恐るべし、ひょう!次の写真は、その枝の折れたユーカリの木を撮ったもの。

さらに翌日のお散歩で入り口ゲートまで往復した際、ゲート手前のエリアで育っているマンジォカの列がみな北西側に傾いて、上部の葉が落ちていた。次の写真は、そのマンジォカの列を撮ったもの。真ん中の花の咲いている木は、フランポヤンジーニョ。2枚目は、マンジォカの木の傾き加減と、葉がなくなっている様子を近くから撮ったもの。毎日採ってお茶を作っている桑の葉も穴がたくさん開いてしまった。こういうことがある度に、うちは趣味で野菜や果物を少し育てているだけだけれど、こんな自然環境の中で、真剣に農業をやっていたら大変だろうなと思ってしまう。

2019年1月20日(日)

クリスマス直前にあった落雷でうちの電信柱のトランスフォーマーが壊れた際、電気復旧工事に来たトラックが、電信柱の所まで入るのに、サボテンをなぎ倒し、桜の木などを折ったり傷つけたことは先月書いた。サボテンは強い植物だから葉を直接土に植えても育つので、トラックに踏み潰されなかった部分の葉を別の場所に植え替えようということになり、1枚はなぎ倒された現場のすぐ近くに植えた。それが1枚目の写真。ここはすぐ側にセドリーニョや桜の木があるので、日当たりが良くないから育たないんじゃないかな?と、エドソンが言うので、残りの葉は、ふたりで相談して、入り口ゲート近くのイペーの木の間に植えた。それを撮ったのが2枚目の写真。

2019年1月21日(月)

土曜日の朝一番のめいとのお散歩をしていて、はたと、防風林の北側のエリアで見つけたトマトのことを思い出して見に行ってみた。3つなっていた青い実のうち2つはひょうが降る前にだいぶ熟していたようで、実に被せておいたスーパーの袋を開けてみると袋の中でぐしゃぐしゃになっていた。ひょうが降る前に収穫していれば大丈夫だったのだろうけれど、すっかり忘れていたので手遅れになってしまった。でも残る1つはひょうが降っても傷つかず、赤くなっていたので、採ってきたのが次の写真。このエリアには毎日のように野菜クズなどを埋めに行くので、時々トマトを気にはかけていたのだけれど、ああ、もったいないことをしてしまった。

2019年1月22日(火)

日曜日の午後、フランと英語のレッスンをすることになったので、以前、英語を勉強したいと言っていたルーカスに「日曜日からフランのレッスンが始まるんだけれど、一緒にやる?」とエドソンが声をかけると、「やりたい」ということで、フランの了解を得てルーカスも参加することになった。そして、この日曜日に最初のレッスンが始まった。でも、言い出しっぺのフランは都合が悪くなり欠席。ふたりのクラスなんだからどちらかが休むとふたりの進行具合に差が出て困るんだけれど、まあ、仕方がない。ただ、ルーカスは「もう我慢の限界だ。これ以上やっていられない」と言って、先週仕事を辞めると職場で宣言したと言う。エドソンが話をして説得して、もうしばらく頑張るということにはなったらしいのだけれど、問題はオーナー夫婦にあって、何とかしてあげたくてもエドソンにはその問題の根本を解決することはできないため、職場環境が改善されるわけではなく、ルーカスがいつまで職場にとどまっていられるかは微妙だろうと思う。彼のガールフレンドのパローマは大学で看護師になる勉強をしていたのに何があったのか大学を止めてしまい、ボトゥカトゥで仕事を見つけて働き始めたらしいので、ふたりで一緒にボトゥカトゥで暮らすという話にもなっているらしい。それやこれやを考えると、彼との英語のレッスンがいつまで続くかは未知数。まあやれるところまでやってみるしかないかな・・・?

2019年1月23日(水)

ワンコたちとお散歩に出ると、気づかないうちに靴下やズボンやスカートの裾などに草の種がくっついてきて、家に戻ってから「あらら・・・?」と気づくことが少なくない。ピカオンという名前の草らしいのだけれど、先日それがどの草なのかがわかったので、写真を撮ってみた。1枚目は靴下にくっついていたそのピカオンの種をパチリ。2枚目は、その種(右手前)とピンク色の花(左後ろ側)を咲かせているピカオンを撮ったもの。この草の側を通って靴下や服に種がくっついても、それが肌に触れないとくっついていることに気づかないのだけれど、はるやひろは、これが自分たちの体にくっついていると、すぐにわかるらしく、一所懸命に取り除こうとする。そして、この種が私たちのズボンの裾とかについていると、それも取ろうとしてくれるので、「何してるの?」と思って見て、初めてこの種がくっついていることに気づくこともある。

2019年1月24日(木)

昨年11月上旬、ニッケイ新聞で平成30年秋の叙勲に関する記事を何気なく見ていたら、受章者の中にペトロポリスの安見さんの写真を見つけた。新聞には「ペトロポリス日系協会会長。同市における対日理解向上及び日伯文化交流に貢献」で旭日単光章とあった。それで安見さんに「おめでとうございます」とメールを送ると、「今、夫婦で娘と孫娘を連れて日本に来ています」という返信をいただいた。その時は、ご高齢になられたので、日本に行くのもこれが最後かもしれないというようなことを書かれていたので、「ああ、ご家族で旅行か、いいなあ」と単純に思っていたのだけれど、先日メールをいただいて、その来日の際、日本で旭日単光章を受け取ったとあり、「わあ、そんなタイミングでの訪日だったのか」と納得。どうやら授章の場所は日本を選ぶこともできるらしい。

メールには、平成30年秋の叙勲は4,000名強が授章し、3~4回に分かれて授与式があったらしく、安見さんの場合は、外務省と他2~3省との合同で11月8日に行われ、安見さんは外務省で外務大臣から表彰状と勲章を授与されたという。それが次の写真。

外務省での授与式の後、勲章を胸につけて皇居に移動して、他の省庁の受章者とその同伴者と合わせて700名程度が整列して、天皇陛下のお言葉をいただいたということだった。皇居内は個人撮影禁止で天皇拝謁の写真はないのだけれど、拝謁した会場入り口でグループに分かれて記念撮影をしたというのが次の写真。安見さんご夫妻はほぼ中央におられる。この写真は、その後今月17日にリオ領事館で受け取られたのだそう。その際、上の外務省で撮られた授与式の写真も同封されていたのだとか。

日本での授章式参加は全て自費で、配偶者のみ同伴可。日本語を充分理解できることという参加条件があるらしく、ブラジルからの参加者は二名だけだったそう。そして、受章者は数百人を招待してお礼の宴を開くらしいのだけれど、安見さんは「サラリーマンあがりの私は、とても出来ませんので、皆様のお陰ですと頭を下げただけにしていただきました」と書いておられた。当日ご夫妻は貸し衣装で正装。結婚式以来の正装だったので、将来の緊急時用写真としてお二人で写真を撮られたというのが次の写真。おふたりともとてもいいお顔をしておられる。更に安見さんの場合は、リオ総領事館公邸でも再度2019年1月12日に授与式があったということだった。叙勲や授章式なんて私にはまったく関係のない世界のことなので、どのように行われるのかなど知るよしもなかったけれど、安見さんのお陰でそんな知らない世界をほんのちょっと知ることができた。感謝。

2019年1月25日(金)

今月上旬、暑中お見舞いのメールを、サンパウロの大西さんにお送りした。彼は私の駄文をまとめた「私のブラジル生活」の中のグラビアを作ってくださった方で、前園さんのご友人。メールをお送りすると、いつも返信をくださるのに、今回は返信がなく、お元気でいらっしゃるのだろうか?とちょっと不安に思っていた。すると、二週間くらいして、先日返信をいただいた。「心身共に劣化が進行」していて、返事を出したとばかり思っていて、出していなかったことに気づいたと書いておられた。まあ、そういうことは誰にでもあることなので、とにかく体調を崩されたとかそういうことではなかったので、安心した。そして、そのメールに1週間ほど前に咲いたらしい月下美人の写真を添付して送ってきてくださった。「ベランダに放置していた月下美人が今年も咲いてくれました」とあり、その花を愛でるために、真っ暗なベランダから室内に持ち込んだら天井に届かんばかりに成長していて驚かれたよう。次の写真は、左側がベランダから室内に移動させた月下美人で、右側は花瓶に差した一枝。花の数が多く「正に百花繚乱の咲きっぷり」花瓶に差した一枝だけでも見事だけれど、左側の鉢植えと並べると小さく、鉢植えがとても大きいことがわかる。2枚目の写真は、その花瓶の月下美人を床に置いて、愛犬のハチ君と一緒にパチリ。ハチ君、何だか驚いたような表情をしている。

2019年1月26日(土)

先々週3日ほど草刈り機を担いで草刈り作業をしてくれたマウリシオは、玄関前の外階段沿いのサツキの回りのアメンドインを手バサミを使って切っている際、マリンボンドがサツキのひとつに巣を作っていることに気づかず、その巣のあるサツキの回りのアメンドインを切ろうとしてマリンボンドの攻撃を受け、顔を刺されてしまった。それでもしばらく作業を続けていたのだけれど、顔の腫れがずいぶんひどくなったので、お昼前に作業を止めて帰って行った。「大丈夫。平気だ」と笑っていたけれど、ドナ・クレウザに説得されて病院へ行き、注射や点滴をしてもらい、2日後くらいにようやく腫れがひいたと言っていた。それで先週はうちでの仕事をお休みしたのだけれど、今週はまた元気に手伝いに戻って来てくれたので、ほっとした。そのお陰でいろいろな作業が進み、うれしい限り。入り口ゲートの外側でぼうぼうに茂っていた草や、ゲートへ向かう道沿いの高く伸びたアメンドインを刈ってもらってすっきりした。さらに、落雷でトランスフォーマーが壊れた際、修理に来た作業のトラックに傷つけられたり折られたりした木々の枝を切って、問題なく車が入れるようにしてもらった。次の写真は、枝を切った後の様子を撮ったもの。視界が開けて、向こうの離れの建設現場がとてもよく見えるようになった。

こんな風に我が家では、淡々と日々の暮らしが続いているのだけれど、ブラジルのお隣のベネズエラでは、どうやらマドゥーロ独裁政権が終焉を迎えそうだというニュースがあったと、エドソンが言っていた。その後、インターネット上で1/25(金)7:07配信のJIJI.COMに、「強権マドゥロ氏、最大危機=国会議長の暫定大統領宣言―ベネズエラ」という記事があったので、一体何が起こっているのか少し理解できた。この記事のサイトは、こちらへ

2019年1月27日(日)

入り口ゲートから家へと続く道、特に、セドリーニョの並木沿いの部分は、雨が降った後、車が通ると地面がぐしゃぐしゃになり、車のタイヤが泥だらけになるので、補修しなければと、ずいぶん前からエドソンと話していた。でも、これはかなりの重労働なので私たちにはとてもできない作業。それで、週末に来る手伝いの人たちにやってもらうしかないのだけれど、長らく何ヶ月も誰も来てくれない状態が続いていた中、マウリシオが昨年暮れぐらいから時々平日来てくれるようになり、いろいろな作業がはかどり始め、この水曜日からようやく道路の補修に着手してもらうことができた。次の写真は、カートで砂利を運んできて、砂利を敷き詰めてくれているマウリシオ。このカート一杯の砂利はとても重たい。その上、玄関前の外階段下の砂利の山から運んでもらっているので、ここまで運ぶには距離がかなりあるので大変な作業。この砂利の山を使いきった後は、ランドマークの木の前に積まれた砂利を使ってもらったので、運搬距離が少し縮まったのだけれど、それにしてもきつい仕事なので、マウリシオに休み休みしてねと言ってやってもらった。

2019年1月28日(月)

次の写真は、フランボヤンジーニョの花の蜜を吸っているアゲハ蝶。入り口ゲートに向かう道沿いで咲く何本ものフランボヤンジーニョの回りで、よく複数のアゲハ蝶が飛んでいるのを見かける。この時も2羽のアゲハ蝶が飛び回りながら蜜を吸っていたので写真を撮ろうとしたのだけれど、2羽一緒にとらえることはできず、とらえることができたのは1羽だけ。しかも撮れた写真を見たら、羽を閉じている瞬間でシャッターを切ってしまっていた。このアゲハ蝶は黒地に黄色の柄の、ここでは比較的よく見かける種類だけれど、黒地に青い柄のものや、橙色に柄が入ったようアゲハ蝶なども見かける。

2019年1月29日(火)

次の写真は、ランドマークの木の南側の木に巣を作って卵を抱いているらしい野バトを撮ったもの。かなり側まで行ってこの写真を撮ったのだけれど、飛んで逃げたりせず、巣の上でじっと座り続けていた。先週、マウリシオがランドマークの木の前の砂利の山のところでカートに砂利を積んでいるところをワンコたちとのお散歩で通りかかると、「あそこの木に小鳥がいるよ」と言って、教えてくれたので撮ったもの。マウリシオは陽気でおしゃべり好きな人なので、私が家を出たり入ったりごそごそしていると、必ず話しかけてくる。それで彼が来ているとよくおしゃべりをする。先週の初め彼が仕事に戻ってきた際、「シューヴァ・ジ・ペドラ(chuva de pedra)が降ったの?」と聞くのだけれど、ペドラって何だっけ?と一瞬思い出せず、理解できなかったので、「ペドラ?ノン」と答えた。家に戻って辞書で調べてみるとペドラは石という意味なので、シューヴァ・ジ・ペドラは「石の雨」ということになり、「ひょう」のことなのかな?と、ようやく何となく理解し、後でエドソンに確認するとやはりそうだった。うちの敷地内の木々の葉っぱにたくさん穴が開いて傷ついていたので、ひょうが降ったんだろうと思ってそう聞いてきたようだった。こんな感じでマウリシオとのおしゃべりが空回りすることもあるのだけれど、それでも彼は気にせず気さくに話しかけてきてくれる。ちなみに、インターネット上の天気予報のサイトにはひょうを伴う雨のことはchuva com granizoとあるのだけれど、口語体ではgranizoなどと言ったりせず、シューヴァ・ジ・ペドラ(石の雨)と言うことを今回学んだ。

次の写真は、野バトが巣を作っている木と、ランドマークの木の位置関係を示すために撮ったもの。右側の大きな木がランドマークの木で、画面中央少し左側正面に見えるひょろひょろとした複数の幹はパパイアの木。背景のうす緑色のヒメシマ竹との間に、濃い緑の上部が見える松の木のような木が、野バトが巣を作っている木。この木は何年も前に、クリスマスツリーとして苗木屋さんで鉢植えを買って来て、2年くらいクリスマスツリーとして使った後、ここに地植えにしたのだけれど、今ではすっかり大きくなって、見上げるほどになっている。

2019年1月30日(水)

次の写真は、エドソンが青空市で買ってきた2種類のバナナ。後ろ側の緑色のバナナは普通のバナナでしばらく置いておくと黄色くなって食べることができる。最初から黄色いものを買ってくると、すぐに真っ黒になってしまうので、エドソンはだいたいいつも緑色のものを買ってくる。手前のバナナは、生食用ではなく焼きバナナにして食べる種類のバナナ。一週間前にひと房6本のものを買ってきていたので、しばらく置いて熟れてきた状態。このバナナは熟れてもあまりきれいな黄色にならない。6本の内3本の皮をむいて薄切りにして、フライパンにサラダ油をひいて両面を焼いた後、器に入れて砂糖とシナモンをかけて出来上がり。2枚目がその出来上がった焼きバナナの写真。エドソンはこの焼きバナナが好きで、時々買ってくるので、その都度、この焼きバナナを作って容器に入れて、冷蔵庫で保存しながら、少しずつアイスクリームと一緒に夕食後のデザートで食べたりしている。甘いものを控えるためにデザートのケーキを作ることを止めて久しいのだけれど、ケーキを食べなくてもアイスクリームに焼きバナナを添えて食べれば甘いものを控えていることにならないんだけどなあ・・・。

2019年1月31日(木)

パウミットというココナツの芯はタケノコと同じような感じで、ブラジルではサラダに混ぜたり、炒め物にしたりして食べるのだけれど、ココナツにもいろいろな種類があるらしく、先日、エドソンが次の写真のパウミット・ププニャ(palmitos pupunha)という名前のココナツの芯を買ってきた。見かけは短いそうめんかスパゲティのよう。これを数分間茹でて、オリーブ油でにんいくとトマトを炒めた中にププニャを加えて炒め、最後にオリーブを刻んだものを入れて混ぜてできあがった料理が、2枚目の写真。できあがったものも何だかスパゲティのように見える。でも、味は以前エドソンが作ってくれたタケノコを小さく薄切りにして同じような材料で炒めたものと同じような感じで、結構おいしかった。



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