Kyoko Yoshida | Life in Brazil | BLOG |
2018年12月1日(土) | ||||
次の写真は、昨日写真を掲載したカシが育っているのと同じエリアで育っているとうもろこしの一部。これらのとうもろこしもだいぶ背丈を伸ばして育ってきて、穂が出てきているものもあるので、そろそろベビーコーンが採れるかなと思って行ってみると、ベビーコーンを通り越して大きくなっているとうもろこしもたくさんあった。ボールなど持たずに手ぶらで行ったので、とりあえず、両手で持って帰れる10本ほど(2枚目の写真)を収穫してきた。現在、うちは実りの秋ならぬ、実りの初夏という感じだ。とうもろこしと同じような場所にマンジォカの苗も植えているのだけれど、それらも元気に育っている。手伝いの人たちがもうずいぶん長い間作業に来てくれていないため、とうもろこしの足元にはブラキアーリアがぼうぼうに生えている。
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2018年12月2日(日) | ||||
うちでは家の北側の防風林の並木や、家の西側にあるランドマークの木の側にリグストルン(ねずみもちの木)をたくさん植えているのだけれど、なぜかランドマークの木の側に植えたものの内の1本だけに毎年たくさん花が咲く。1枚目の写真は、花を咲かせているその木を撮ったもの。手前にサボテンの赤い花も見える。2枚目の写真は、リグストルンの花をアップで撮ったもの。花と言っても小さな白いまあるい物が鈴なりになっているような不思議な花。でも、蜂などの虫が群がっているので、花なのだと思う。
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2018年12月3日(月) | ||||
次の写真は、土曜日の昼食後に森へ水の汲み上げに行っていたエドソンが、家に戻る途中で採ってきてくれたライム2つ。家の南側にあるレモンの木は、大きくなってたくさん実をつけるので、せっせと採って人にあげたり、うちで使ったりしているのだけれど、消費が追いつかず、実がたくさん地面に落ちてしまうので、ちょっと申し訳ない気持ちになる。でも森へ行く途中にある果樹園のライムの木は、まだそれほど大きくなく、一度にたくさん実をつけることはなく、時々2つ3つ実をつけるだけなので、少しずつ採れて、全部使い切ることができるので助かっている。そして、うちのライムはお店で販売されているもののように濃い緑色ではなく、薄きみどり色で黄色が勝っているような色をしている。エドソンによると、スーパーにあるトマトやバナナは熟れる前に収穫されて店に並ぶので緑色なのと同じで、うちのライムが黄色っぽいのは木で完熟しているからと言うことだった。へえ~、そうなの?じゃあ、あの緑色のライムを買って、しばらく置いておけば黄色っぽくなるのかな?
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2018年12月4日(火) | ||||
日曜日の朝、ニワトリにエサをやるためにシュハスコ小屋に行くと、流し台の前の窓ガラスのところにシッポの長い変わったガのような昆虫がいたので、撮ったのが次の写真。この窓ガラスの所にはよく大きなガが迷い込んでいることがあるのだけれど、シュハスコ小屋に入っては来るものの、出られなくなって、この窓のところでバタバタしていたり、じっとしていたりする。ガは羽を広げて止まり、蝶々は羽を閉じて止まるという違いがあるので、この昆虫は羽を閉じて止まっているのだから蝶々なのかな?とも思うのだけれど、見かけは蝶々というよりもガとしか思えない。ガの中には羽を閉じて止まるものもあるらしいので、やはりこれはガなのかな?
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2018年12月5日(水) | ||||
以前も書いたことだけれど、パウロの会社でエドソンと一緒に働いているジョゼ・ハファエウは、土曜日だったり、日曜日だったり、週一で、ほぼ毎週末やって来てエドソンと一緒に何かをやっている。エドソンによれば複数のプロジェクトを一緒にやっているのだとか。この日曜日の午後は、ガレージの屋根の上に上がってアンテナを取り付けたりしていたので撮ったのが次の写真。2枚目の写真は、ジョゼ・ハファエウが持ってきてくれたたくさんのバナナ。こんなに大量のバナナ、どうやって食べよう?朝、昼、晩、食べても追いつきそうにない。いつもの2~3倍の大きさのバナナブレッドを作って冷凍保存でもしようかとか考えている。ジョゼ・ハファエウの家の敷地はうちの20倍くらいの広さで、お父さんがとうもろこし栽培や牧畜をやっているらしい。バナナの木も複数本あるようだ。
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2018年12月6日(木) | ||||
今年になってからだったか、広島の古い友人のひとりと1~2週間に一度くらいの頻度でメールのやり取りをするようなった。彼女は身の回りで目にする季節の風物詩と言った感じの写真をよくメールに添付して送ってきてくれる。この火曜日には、彼女が広島の町でよく車を止める駐車場の前の道路の向かいにそびえるビルの壁面の大きなクリスマスツリーの写真を送ってきてくれた。このビルは昼間は3階から上は全面白いパネル(2枚目の写真)なのだけれど、夜になるとパネルに光で動画が描かれるのだそう。夏は花火の上がる大空、冬はクリスマスツリーだという。以下の1枚目の写真がそのクリスマスツリーの写真で、大きなボタン雪が深々と降り、左上から右下に流れ星が静かにツリーを横切るのだけれど、静止画の写真では残念ながらそれらが動いている様子は見えない。彼女はこの夜空の素朴な大きなツリーが好きで立ち止まって見上げてしまうという。それでその気持ちを誰かに伝えようと、駐車場の管理人の人に、「あのツリーいいですね」と言うと、不思議そうに「そんなのありましたかね?」という返事。日を改めてまた、「去年は雪だるまが描かれていましたが、今年は雪だるまが消えて流れ星が現れましたね」と話しかけると、「そうだったかな」と、これまた何とも反応薄。さらに、「石崎本店と左上に控えめに小さく書かれているだけで、会社の宣伝をしている訳でもなく経費もかかるでしょうに、奇特な会社ですよね」と言うと、にこやかに「儲かってるのでしょう。いいですね」とのお応え、とあり、何とも身も蓋もないおじさんの反応に笑ってしまった。日々の何気ない出来事だけれど、彼女のメールを読みながら、いつもほのぼのとした気分になっている。
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2018年12月7日(金) | ||||
広島の友人が大きなクリスマスツリーの写真を送ってきてくれたからというわけではないのだけれど、12月に入ったらしようと思っていた、我が家の恒例のクリスマスツリーの飾り付けが遅れていたので、火曜日の午後、我が家のいつもの質素なクリスマスツリーを飾り付けた。まず、カウンターテーブルに置いている観葉植物を居間の柱の前に移動させて(1枚目の写真)、納戸からクリスマスツリーと飾りを入れた箱を出して来て飾り付けた。いつもはエドソンにも手伝ってもらって一緒にするのだけれど、今回は平日でエドソンが仕事に出ていていないので、私ひとりで飾り付け、カウンターテーブルの上に設置した(2枚目の写真)。毎年、何の代わり映えもしない同じツリーと同じ飾りだけれど、これらを飾り付けると、ああ、12月だなあ・・・、今年もあとわずかだなあ・・・としみじみ思う。私が作業を始めるとはるとひろが側に来て、興味深そうにクリスマスツリーやその回りをクンクンしていたけれど、2匹とももう赤ちゃんではないので、ちょっかいを出すこともなく、おとなしく私のすることを見ていた。ずいぶん成長しましたね、君たち。
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2018年12月8日(土) | ||||
ここでの毎日の食事に欠かせない大事なものだけれど、簡単には手に入らないもののひとつに、ポン酢がある。料理をする際はお醤油を使っても、お豆腐とか、アボカドとか、がんものような揚げ物をいただく際は、うちではお醤油ではなくポン酢をかけるし、献立によっては調理の際、ポン酢を使うこともよくあるので、どうしても必要な調味料だ。ボトゥカトゥの日系食料品店のウエノさんに頼んでこれまで2度くらい仕入れてもらったり、めったに行かないけれど、サンパウロに行く用事があった時は、リベルダージの日系食料品店に行って買い求めたりしてきた。でも、ボトゥカトゥのウエノさんでは頼まないと仕入れてくれないし、リベルダージでさえいつでもどこにでもあるわけではなく、あちこち探し回って、ようやくミツカンではなく、キッコーマンのポン酢を入手できたということもあった。サンパウロから前園さんが探して持ってきてくださったこともある。これまで買い置きしておいたポン酢がなくなりそうだったので、今年の4月に母に会いに広島に戻った際、ご近所のスーパーに600mlのプラスチックボトルのポン酢があったので買って帰った。そして、その後、お料理の本に載っていた白菜と鶏肉を調理した料理に添えるつけ汁がまさにポン酢の味だったので、買って帰ったポン酢がなくなってから、醤油と酢とだし汁を1:1:1の割合で混ぜて作るこの「なんちゃってポン酢」を作ると、エドソンがまさにポン酢だと言って、とても気に入ってくれたため、以来、これを作ってポン酢の代わりにしている。次の写真のボトルはミツカンの味ポンだけれど、中身は私が作ったなんちゃってポン酢。このなんちゃってポン酢の作り方に出会えて、本当に助かっている。
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2018年12月9日(日) | ||||
ジョゼ・ハファエウからもらった大量のバナナを何とか消費しようと、バナナ10本と、買い置きのくるみを使って、この木曜日にバナナブレッドを作った。うちにある耐熱容器の一番大きなもので作ったので、いつも作っているものの2倍半くらいの大きさのものができた。いつもとは容器と量が違うので、焦がさないようにオーブンの温度を少し低めにして焼いたのだけれど、しっかり茶色に焼きあがってしまった。これを冷ました後、四等分にして、ラップフィルムに包んで、冷凍室に保存した。これで当分、パンを切らしたりした際の非常食などとして活用できる。
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2018年12月10日(月) | ||||
外階段のところにある箱庭のダリアが、また黄色い花を咲かせた。今年の5月に初めて花が咲いたのだけれど、あれから半年して、また花を咲かせたので、次の写真を撮った。花の左右につぼみもある。このダリアでけでなく、サツキやバラなど、ここでは年に二回、三回と花を咲かせる花がいくつかある。今、真紅のバラが3つほど咲いていて、サツキも濃いピンクのものがちらほら花をつけている。その様子を撮ったのが2枚目の写真。
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2018年12月11日(火) | ||||
葉切りアリはゴマが嫌いらしく、保護しようと思う木の回りにゴマを蒔いて芽が出ると、葉切りアリが寄ってこないと聞いたので、やってみようということになり、ずいぶん前にウエノに行った際、エドソンが炒ってあるものではなく、生のゴマを買ったのだけれど、何となく重い腰が上がらず、実験を実行するには至っていなかった。それで、先月末、これではいけないと思い直し、ようやく牛乳のテトラパックを切って容器を作り、土を入れてゴマを蒔いてみた。買ってからずいぶん時間が経っていてゴマが古くなっているだろうから、ちゃんと芽がでるかどうか半信半疑だったのだけれど、何と何と、今月に入って芽を出してくれた。ゴマが小さくて軽いので、水をやった後ゴマが容器の隅の方に移動してしまったようで、隅っこにかたまって芽が出ているのが次の写真でわかる。でも、ちゃんと芽が出たので、さらにたくさんゴマの芽を育てて、これらをモリンガの木の足元に移植してみようと考えている。
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2018年12月12日(水) | ||||
次の写真は、月曜日に手伝いに来てくれたマウリシオが、ベランダ前の芝を刈ってくれているところ。午前中は丘の上の草を取り除き、午後からベランダ前の芝を刈ってほしいとエドソンは頼んだのだけれど、午後3時になっても芝刈りを始めてくれないので、まさか朝は涼しかったのに、午後から急に気温が上がってひどく暑くなったから体調でも崩して倒れていたりして?と、心配になり見に行くと、普通に草を取り除く作業をしてくれていたのでほっとした。彼は太っているので、ついこんな心配をしてしまう。でもまあ、自分の体調に合わせてマイペースで作業をしてくれているみたいなので、取り越し苦労だったと安心した。彼に「家の前の芝も刈ってね」と言うと、あと少しここをやったらそっちの作業をしますと言って、3時半を回って芝刈り作業を始めてくれた。でも、前回芝刈りをしてからずいぶんの月日が経っていて芝の背が高く伸びてしまっている上、電動の芝刈り機は力が弱いので、なかなか作業が進まず、このぶんでは完了しそうもないなと思っていたら、バラの花壇の前の一面とちょっとを終えたところで5時になってしまった。でも、この芝刈りを含む、敷地内の草の除去が全部終わるまで、今週は毎日来てくれる予定と聞いて、感激。
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2018年12月13日(木) | ||||
火曜日に再び作業にきてくれたマウリシオは、電動の芝刈り機は非効率だから、ガソリンで動かす芝刈り機を使わせてほしいと言うので、エドソンが出勤前に倉庫から芝刈り機と少し残っていたガソリンをマウリシオに渡していた。エドソンは電動の方が時間はかかっても軽いので、使いやすいと思っているようだけれど、マウリシオたちは重くてもガソリンで動かすものの方が使い慣れている上、馬力が強く、作業を早く進めることができるので、こちらの方がいいということだった。午前11時くらいには、家の前の芝刈りと、西側の駐車スペースの草も刈り終え、刈り取った芝を鶏小屋の前の運動場に入れてもらったり、家の南側の三角地帯に運んでもらうことができた。やはりガソリンで動く芝刈り機だと速いなと実感。1枚目の写真は、芝がきれいに刈られ、刈り取られた芝を取り除いた状態の家の前。2枚目の写真は、鶏小屋の前の運動場に刈り取った芝が入れられた状態を撮ったもの。これでボウボウだった家の前がすっきりとし、気持ちよく年末年始を迎えることができる。感謝。
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2018年12月14日(金) | ||||
12月11日付けのニッケイ新聞「コラム 樹海」に、「リベルダーデの名の由来と人骨発見の関係」という記事があった。リベルダーデ(または、リベルダージ=サンパウロの東洋人街)の歴史を説明するとても興味深い記事だったので、ここにリンクをはってみる。リベルダージは昔、奴隷の処刑場だったこと、リベルダージというのは自由という意味で、奴隷が処刑されてあの世で自由になる場所ということからつけられた名前だったことは知っていたけれど、この記事はさらにいろいろ歴史的な背景を詳しく説明していてとてもおもしろかった。この記事のサイトは、こちらへ。 | ||||
2018年12月15日(土) | ||||
私の友人に子どもの本を書いている女性がいる。彼女とはもう30年以上も仲良くしている。私の大事な親友のひとりだ。長年広告制作の仕事をしながら、児童文学を書くという二足のわらじを履いていたのだけれど、定年退職後は、本を書きながら、広島の被爆体験を継承するためのイベントの企画・実施や、子どもに楽しい本を紹介したり、親子で楽しく本を読んでもらうための活動などを精力的に行っている。いつかブラジルに遊びに来てねと話しているのだけれど、常に忙しそうでそんな日が果たしてくるのかどうか・・・?それで、何とかブラジルまで訪ねてきてもらうために、ブラジルの日系人のことを題材に何か子ども向けの本を書いてみない?などと、そそのかしたりしているのだけれど、まだ実現には至っていない。でも、彼女もよくメールをくれるので、それだけでも私にとってはありがたく、うれしい存在の人ではある。そんな彼女が時々送ってきてくれる活動のお知らせを見ながら、頑張っているなあ。私も頑張らなくちゃと励まされている。以下は、最近のそんなお知らせのひとつ。このお知らせのサイトは、こちらへ。 | ||||
2018年12月16日(日) | ||||
この家ができてから、12月にはパラカンビからエドソンの家族が来るのが恒例になっていたのだけれど、何年か前から12月よりも7月の方が休暇が取りやすいということで7月に来るようになった。でも、今年は7月には来ず、今月12月に来ることになり、最終的な確認が取れたのが彼らの到着予定日の1週間足らず前だった。そして、この金曜日の午前7時にはパラカンビを出発すると言っていたのに、前の日の午後から夜にかけて2つのパーティーをはしごして帰宅したのが夜中の12時過ぎだったため、翌朝起きられず、パラカンビを出発したのは午前10時と連絡が入った。小さな子どもを連れて2つのパーティーを夜中まではしごする感覚が私にはわからない。とにかく出発が遅れたうえに、途中で朝食、トイレ休憩、昼食などと何度も停車したため時間がかかり、サンパウロを通過するのが金曜日の夕方という一番混雑する最悪の時間帯となり、こちらに来るのがとても遅くなった。夕食を作って待っていたのだけれど、8時までには到着しない状況になったため、待つことを止め、私たちは7時半頃夕食を食べ、彼らにはここに到着する前、高速道路のカステロブランコを下りたところにあるホドサーブで夕食を食べてきてもらった。9時頃ようやく到着したので上にはあがらず、すぐに下の部屋に入ってもらった。初日から何だか疲れる展開になり、やれやれ・・・。次の写真は、翌日の土曜日の朝、朝食のテーブルを囲んでいるみんな。
次の写真は、土曜日の昼食を食べに行ったご近所にあるユーリコ・ヌネスのレストラン・カザラオンで撮ったもの。ブライアンはスパイダーマンなどの人形を貸してもらって遊びながら食事をしている。今回私とエドソンはパルメジアーナを頼んだ。写真の後ろの方に写っているカップルのお客さんは、男性の誕生日を祝っている。食事の後、大きなバースデーケーキが出され、ウェートレスさんたちだけでなく、私たち他のお客さんも一緒になってハッピーバースデーの歌を歌ってお祝いをした。この写真を撮った時は、オーナーのヌネスさんが座り込んでふたりとおしゃべりをしていた。オーナーのヌネスさんもウェートレスの女性たちもみな、いつ来てもとてもフレンドリーで感じがいい。
次の写真2枚は、食事が終わったブライアンがじっとしていられなくなり、ウェートレスさんが彼を外の遊び場に連れて行ってくれたので、撮ったもの。
次の写真は、料金を支払っている時、カウンター横のテーブルにこのレストラン・カザラオンの入り口の横にヌネスさんがパルメジアーナを持って立っているとういうフィギュアの置物があったので、とてもよく似ているなと思って撮ったもの。
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2018年12月17日(月) | ||||
ペトロポリスの安見さんから年末恒例のメールをいただいた。師走になるとペトロポリスも町に車が多くなって、乱暴な運転が目立ち、何かあわただしい感じがすると、書いておられた。でも、安見さんご夫妻も、例年通りこの時期はいろいろなグループの忘年会等の集まりに参加されて、あわただしく過ごされているようだった。以下の1枚目の写真は、ペトロポリス日系協会の忘年会。2枚目の写真は、ご夫妻で参加されているピラティス教室の先生と生徒さんとの忘年会。3枚目の写真は、安見さんが以前社長をしておられた元ATA社の従業員との集まり。この他にも、リオ州の日系協会が集まった連盟の忘年会や、リオ総領事館主催の天皇誕生日祝賀会、移民110周年記念リオ州移民資料館落成式、リオ老壮会の今年最後の集まり、ペトロポリス市のクリスマス・イルミネーション点灯開始式典参列、リオ文協の忘年会などなど、リストの長さに驚いてしまう。ほぼ忘年会というものに行くことがない我が家とは真逆の忙しさだ。お元気だからこそ参加できるのだろうから、来年もこの調子でお元気でいていただきたいなと思う。ただ、今年のクリスマスはお嬢さんたちがポルトガルに行っているので、クリスマスはおふたりだけで静かに過ごし、年末年始は、例年通りお仲間の先生たちとの旅行に、SERRA NEGRAに行かれるという。セハ・ネグラというのは、サンパウロ州カンピーナスから北へ100キロぐらいの、ミナスジェライス州の州境に近い観光地らしい。
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2018年12月18日(火) | ||||
クリスマスにはちょっと早いのだけれど、エリカたちが休暇で来ているので、16日の日曜日の夜、みんなで一緒にクリスマスディナーを食べた。彼らが来ることが確定する前に買っておいたチェスター(普通の鶏よりも肉厚でジューシーで柔らかいのが特徴の鶏)をじっくり時間をかけてオーブンで丸焼きにして、エドソンがマンジォカの粉とベーコン、トマト、コウヴィ、オリーブなどを混ぜたファロファを作り、私がニンジンのサラダとご飯を炊いて、前日の大豆と野菜のサラダの残りや、常備菜のミックス野菜の浅漬けなども並べてクリスマスディナーにした。12月に入りここでは珍しい30度を超える暑い日々が続いているのだけれど、土曜、日曜と連日最高気温が34度、昨日はとうとう35度になるという異常事態で、毎日午前中は家中の窓を全開にして、扇風機をかけて過ごしている。そして、午後は一旦窓を閉め、夕方気温が下がり始めるとまた窓を開けるというのを繰り返している。それで午後7時を回っての夕食時はちょっと薄暗くなり始めるのだけれど、電気をつけると虫が家の中に入ってくるので、電気をつけずにテーブルを囲んだ。次の写真は、エドソンが焼きあがったチェスターをみんなに切り分けているところ。
クリスマスディナーが終わり、デザートはスライスバナナの上にチョコレートアイスクリームを乗せたものを出した。食事中、ブライアンが真面目に食べないので、私が「夕飯を食べない人にはデザートのアイスクリームもなしよ」と言うと、「えっ、アイスクリーム?」と反応して、時間は少しかかったけれど真面目に自分のお皿によそわれたものをきれいに食べたのでおかしかった。そして、食べ終わると何も残っていないお皿を持ち上げて私に見せたので、みんなで拍手して褒めてあげた。まあこの年頃の常なのだろうと思うけれど、時々、彼もわがままを言うので、私はいつも交換条件を出したりして彼に選択肢を提示して、わがままを受け入れないようにしている。これがチオ・エジーニョとチア・キョウコ(エジーニョおじさんとキョウコおばさん)の家のルールよと繰り返している。とは言っても、ブライアンはとてもいい子で、めったにご機嫌斜めになったり、かんしゃくを起こすようなことはないので、彼が側にいるととても楽しい。次の写真は、クリスマスツリーの前に置いたプレゼントの山。
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2018年12月19日(水) | ||||
日曜日のクリスマスディナーの後、窓を閉めて、電気をつけて、プレゼント交換をした。ブライアンは上機嫌でプレゼントを渡してまわる役割をしたり、自分へのプレゼントを開けて歓喜したりしていた。ブライアンがとてもうれしそうにはしゃいでいるので、はるも同じようにとてもうれしそうにはしゃいでいた。この間ひろは食堂のケージの中から相変わらず出てこない。赤ちゃんの時、数ヶ月間エリカたちの家で一緒に暮らしていたのだから、彼らのことを憶えてはいるのだけれど、やはり外から来る慣れない人は怖いようで、彼らに対して吠えたりはしないものの、彼らがいる間は自分の食事の時以外はケージから出てこようとしない。一通りプレゼント交換が終わり、みんなの動きがなくなったところで、ひろをケージから引っ張り出して居間に連れて来ると、しばらくみんなと距離を置いてオドオド、ウロウロしていたけれど、はしゃぎついでにはるが上機嫌でひろにじゃれついたりするので、状況に少し慣れてきたようで、しばらくするとソファーに座った私とエドソンの間の足元に座り込んで静かにしていた。次の写真は、月曜日の朝撮ったエリカたちからもらったプレゼント。
左端のT-シャツなどは私とエドソンがお互いのために買ったプレゼント。これらよりも右側の品々は、エリカたちから私たちへのプレゼント。右端の2枚の毛布は、はるとひろ用にエリカがくれたプレゼント。はるたちは毛布が好きで、特にはるは毛布に包まることが大好きなので、暑いのに、毛布に包まってうれしそうにしていた。でも、これらの毛布は冬までお預け。だって、毎晩暑くて寝苦しいので、彼らはひとつのベッドでいつものように一緒にくっついて寝ていられず、最近は朝気温が下がるまでは別々のベッドで寝ているくらいなのだから、毛布はいらないでしょう。ここ数日朝の最低気温でも20度と高温だったのだけれど、今朝は久しぶりに18度と正常な気温に戻りほっとしている。どうやらこの週末あたりからいつものここの正常な気温に戻るような予報なので、予報通りになることを願っているところ。 | ||||
2018年12月20日(木) | ||||
月曜日はエドソンが仕事なので、私たちはいつも通りのスケジュールで朝食を食べるけれど、あなたたちは好きな時間に上がってきて食べてと言っておいたら、エリカたちは8時半くらいになって上がってきた。でも、翌日の火曜日はパラカンビに戻る日だったので、7時20分に上がってきて私たちと一緒に朝食を食べた。朝食後エドソンはみんなにお別れを言って、いつもより少し遅い8時頃仕事に出かけて行った。その後エリカたちは荷物を車に積み込んで、9時頃出発して行った。ここに到着した翌日の土曜日、パラカンビの家の留守番をしてくれているデニウソンのお姉さんからの電話に、エリカは「ここもとても暑いよ」と文句を言っていたけれど、エドソンがパラカンビの気温を調べたら、最高気温は低くて35度、ほぼ毎日37度~39度という気温で、最低気温でさえ24~5度を下回ることがなく、ここの方がずっとましなのに、何を文句言っているのと思った。リオの気温は40度を超えることだって珍しくないのだから、それに比べたらここは天国なのに・・・。でも、ここにしては異常に高い気温でとても暑いのは確かなので、土曜日の午前中彼らを連れて町に買い物に行ったエドソンは、下の部屋で使ってもらおうとモラエス家具店で扇風機を買って帰ってきた。次の写真は、夜、別々のベッドで寝ているはるとひろ。はるもひろのようにお腹を出してひっくり返っていたのだけれど、カメラを向けると体勢を変えて横向きになってしまった。ひっくり返って写真に収まるのは恥ずかしかったのかな?連日昼間の気温が33度前後の日が続くようになってからは、夜も暑いのでこうやって別々に寝るようになったのだけれど、朝起きて見るとひとつのベッドで一緒に寝ているおかしなふたり。仲がいいのよね。
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2018年12月21日(金) | ||||
ここ2週間くらいシュピンのひなの鳴き声が家の回りで1日中うるさいほど聞こえる。去年の今頃だったか、チコチコという小鳥(スズメの一種)が、シュピン(以前は聞き間違ってチュピンと書いてしまった)という自分よりも体の大きな黒い小鳥のひなの代理母をしている様子を撮った写真を掲載したことがある。このシュピンの親は自分では子育てをせず、チコチコの巣に卵を産みつけて、チコチコに子育てをさせるということを聞いて、何だかがっかりしてしまった。これは人間様の勝手な思いでしかないのだけれど、チコチコが自分のひなを犠牲にしてシュピンの子育てをすると聞いてから、シュピンがチコチコの後をついて回って、絶えずエサを要求してピーピー鳴く声が何だかわずらわしく感じるようにさえなった。去年はなかったことなのだけれど、今年は家の前の庭や、鶏小屋の辺りで常ににぎやかな鳴き声がする。鶏小屋の前の運動場にはチコチコや野バトなどが入り込んで、鶏と一緒にエサとついばんでいたりすることがよくあるのだけれど、最近は、朝、鶏にエサを与えに行くと、庭にいたチコチコとシュピンが鶏小屋の前の運動場にやってきて、食事を始める。やれやれと思うのだけれど、鶏たちはまったく無関心で、側に彼らが来てエサを食べても何とも思わないようなので、おもしろいものだなと思う。次の写真は、その運動場の中と外でエサをついばんでいるチコチコとシュピン。
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2018年12月22日(土) | ||||
八年ほど前に亡くなった私の父は辛い食べ物が好きだった。カレーは普通のインスタントの辛口とかではなく、母が父と兄用にS&Bのカレー粉を使って特製の辛いカレーを作っていたし、白菜の漬物には必ず七味唐辛子をふりかけ、お料理にはタバスコをかけて食べるような人だった。顔や性格が父に似ていた私だけれど、この辛いもの好きの遺伝子は受け継がなかったようで、昔も今も辛いものが苦手。挽き肉とインゲンやナスなどの野菜を炒めて、タバスコ少々とケチャップで味付けをするようなお料理にタバスコを使うことはあっても、お料理にタバスコをかけて食べることはない。一方、エドソンは父ほどではないけれど、お料理によっては時々タバスコをかけたりする。ただ、私も大人になってから辛さ控えめのものなら食べることができるようになり、辛いものがまったくダメというわけではなくなった。それで、家では豆板醤とか赤唐辛子を少し入れてピリ辛にしたものを作ったりもする。その赤唐辛子のストックがなくなって久しかったのだけれど、最近畑の唐辛子の木に実がなり、だんだん赤くなって来ているので、これらがみな赤くなったら収穫して、乾燥させて、ビンに入れて保存しようと待ち構えている。次の写真は、その畑の唐辛子。
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2018年12月23日(日) | ||||
次の写真は、先週エリカたちが来ている時に、彼らを一緒に連れて行ったパーディーニョの青空市でエドソンが買って帰ったライチー。食べる際にひとつひとつ皮をむいて食べるのは面倒なので、朝食で食べる際それぞれのお皿によそってすぐ食べられるように、前もって皮を向いて容器に保存する作業をしているところ。ライチーというのは東南アジアの果物というイメージで、食べたことはあるのだけれど、日本にいる頃はスーパーで買って食べたという記憶がない。でも、ここでは日本にいた頃よりもお店でよくみかける。私の英語の生徒さんの一人のルイーザに、What is your favorite ~?という質問に答えてもらう練習をしている際、What is your favorite fruit? と聞くと、ライチー(ポルトガル語でリシーア=Lichia)と答えたので、マンゴーやパパイアなどではなくライチーなの?と、ちょっとびっくりしたことがある。
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2018年12月25日(火) | ||||
ああ~、参った。23日の日曜日の午後2時半頃から今日25日の午後4時前まで停電で、ホワイトクリスマスならぬ、ブラッククリスマスを過ごした。日曜日は朝から小雨が降っていて、気温が下がり暑い日々から開放されたと思って喜んでいたのだけれど、午後から雨足が強くなり、午後2時頃ジョゼ・ハファエウが遊びにきてから雷が鳴り出した。雷が鳴り出してすぐに私がいつものようにコンピュータのコンセントを抜いたりすれば良かったのだけれど、エドソンが下にいることに何となく安心してすぐに対応しなかったため、ザーザー降りの中を上がってきたエドソンが玄関にたどり着いた瞬間、とても近くで雷が落ち、家の中でパチンという音がし、エドソンが玄関を上がってくると、また雷が落ち、またパチンという音がした。結果から言うと、コンピュータなどの機器に被害は出なかったのだけれど、彼の手作りの小型無線機や、これまた手作りのSDRの装置など、どこかに行けば買えるというものではないとても大切なものが複数壊れてしまっていた。大切なものを失った上、こうなった原因は、私がコンセントを抜かなかったからではなく、無線機と外のアンテナがつながっていたからで、すぐに上に上がって対処しなかった自分自身が許せないと、ひどく落ち込むエドソンを前に言葉もなかった。でも問題はそこでは終わらず、その後電力会社に電気を復旧してもらうための3日間に及ぶ格闘が始まった。 | ||||
2018年12月26日(水) | ||||
23日(日曜日)の午後2時半頃2度の落雷の後、バタリと停電になった。エドソンが機材の損壊などをチェックした後、いつも通りに電力会社に停電の復旧を依頼する電話をし、復旧を待った。でも8時になっても復旧しないので、エドソンが車で外の様子を見に行って戻ると、カロリナソイルもその手前の家も電気がついていたと言うので、どうしてうちだけ電気が復旧しないのだろう?と、不思議に思った。翌朝になっても電気は復旧しておらず、午前6時にエドソンが電力会社に電話をすると、すでに修理は完了しているという。外に出てうちの敷地内の電信柱を見に行くと、どうも家に一番近い電力使用メーターなどが取り付けてある電信柱の機材に異常があるのかもしれないということになり、また電力会社に電話して確認と修理を依頼。24日、エドソンは半ドンで、仕事は午前中だけなので、電力が午前中に復旧しないようだったら、事務所からまたジェネレーターを借りてくると言って、仕事に出かけて行った。電力会社の対応だけを待っていてはらちがあかないかもしれないと考えたエドソンは、パーディーニョで個人で電気工事の仕事をしている人に連絡をして確認と修理を頼んだらしく、11時前にその人がやって来た。その際撮ったのが以下の1枚目の写真。すると、電柱のトランスフォーマーとそれに取り付けられた避雷針の両方が壊れているので、修理は電力会社に頼むしかないということがわかったようだった。普通、こんな風にトランスフォーマーと避雷針が壊れることはないので、どうもこの電信柱に落雷したのだろうということだった。
12時前に、雨の中、エドソンがジョゼ・ハファエウの協力を得て、ジェネレーターを運んで来た。次の写真は、ベランダに下ろしたそのジェネレーターがうまく作動しないので、あれこれ格闘しているふたり。でも、結局動き出したかと思うと、すぐに止まってしまうという状態を繰り返すので、ダメだということになり、また事務所に取って返して、別のジェネレーターを持って来て、午後1時前にようやくそのジェネレーターで冷蔵庫を動かせるようになり、食料品を腐らせないで済むことになり、やれやれ一安心。いつもながら手伝ってくれるジョゼ・ハファエウには感謝。
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2018年12月27日(木) | ||||
エドソンは電力会社にまた電話をして、電気工事の人の見立てを伝え対応してもらうことにした。でも、トランスフォーマーのストックなんてないかもしれないし、クリスマス休暇の真っ只中ということもあり、普通に電力会社の対応を待っていたら電気が復旧するのに何日、下手をすると何週間かかるかわからないと恐ろしいことを言う。でも、ここはブラジルだからあり得る話。去年の11月にやはり停電が3日も続いた際、何度電話をしてもちゃんと復旧作業をしてくれないので、この電力会社のカンピーナス支店で地域統括責任者をしている知人に助けを求めた際、すぐに対応してくれたことがあるので、またその人の助けを求めることにした。24日の午後から夜にかけて、その人と連絡を取るために、メッセージを送ったり、共通の知人にもメッセージを送ったりして、ようやく連絡が取れたのがその日の夜だった。翌朝、午前中に工事の人が行くように手配したと言ってくれたそうなのだけれど、25日の午前中、結局誰もやって来なかった。電力会社に電話をすると、担当者は行ったけれど、問題は解決していたからこの工事のオーダーはキャンセルになっているという。そんなことまったくのウソ!!!それって、去年の停電の時に、修理をしてもいないのに、システム上に修理完了とウソの報告をしたのと同じ対応じゃないかと思い暗い気持ちになった。それで、エドソンはまたその知人の統括責任者に連絡をして状況を説明すると、そんなことはとても容認できないと言って、ボトゥカトゥ支店の責任者に直接連絡を入れて、うちに工事の人を派遣して修理をするように指示してくれた。そして、25日の正午前に大きなトラックがやって来て、何か作業をして帰って行った。でも、電気は復旧しないので、エドソンに聞くと、お昼前に来た人たちは作業の第一段階をしに来た人たちで、トランスフォーマーなどを設置するのは午後から別の会社の人が来て作業するということだった。そして、午後3時前にまた別のさらに大きなトラックで3人の人たちがやって来て作業をしてくれ、午後4時前にようやく電気は復旧した。ああ、感謝!!感謝!!!午後から来てくれた人たちは、25日は休日で仕事をする日ではなかったのだけれど、緊急呼び出しでやって来たと言うことだった。こんな風にシステムを飛び越えて、コネを使ってトップダウンの命令で作業をしてもらうなんてことは普通ならしたくはないけれど、電力会社の内部でどんな問題を抱えているのかは知らないけれど、ちゃんと仕事をしてくれないとこっちだって困る。電気がなければジェネレーターで冷蔵庫だけは動かせても、その他は何もできず、停電が長引けば水を汲み上げることもできないので、水も使えなくなり、生活できなくなる。ここでの生活がかかっている緊急事態なのだからしょうがない。でも、クリスマス休暇にも関わらず動いてくれたカンピーナスの知人や、休日を返上して修理に来てくれた作業の人たちには心から感謝。次の3枚の写真は、午後から復旧作業に来てくれた人たちの作業風景を撮ったもの。
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2018年12月28日(金) | ||||
電気復旧作業の真っ最中の25日の午後3時半頃、ジョゼ・ハファエウがガールフレンドを連れてやって来た。陣中見舞?と思ったら、私たちへのクリスマスプレゼントを持ってきてくれたということだった。「エドソンはあそこよ」と、防風林の側の工事現場を指差したら、ふたりはそちらに行って、作業が終わるまでエドソンの側で一緒に作業を見守っていた。作業が終わり、作業の人たち3人に冷たい水をあげた後、4時前にトラックは引き上げて行った。そして、ようやく電気が復旧したから、クリスマスプレゼントに持ってきてくれたワインでみんなで乾杯しようということになった。ジョゼ・ハファエウはワインのことはまったく知らないからと、ボトゥカトゥの友人に頼んで買ってきてもらったアルゼンチン産のおいしいカルベネ・ソービニョンを持ってきてくれていた。次の写真は、ジョゼ・ハファエウとガールフレンドのヤスミン(Yasmin)。ヤスミンは英語風に言うとジャスミン。来年から大学3年生で、看護士になる勉強をしている。年が明けたら4人でレストラン・カザラオンにお昼を食べに行こうと約束をして、彼らは5時頃帰って行った。
次の写真は、日曜日にジョゼ・ハファエウが来た際、持ってきてくれた大量のアセロラ。重さを計ってみたら1.4キロ近くあった。彼の家には数本のアセロラの木があるので、欲しかったらもっと持ってきますということだった。もらってすぐに水洗いをしてザルにあげたところをパチリ。でも、その後、落雷で停電してしまったので、ミキサーでジュースを作ることができず、電気の入っていない冷蔵庫に入れるしかなかった。そして、24日にジェネレーターが設置された後、その電気を使ってミキサーを動かし、この写真の半分のアセロラでジュースを作った。エドソンは精神的にひどく参ることがあると、すぐに食欲を失くす傾向にあるのだけれど、今回も24日、25日とお昼はまったく食べたくないというので、このアセロラジュースを飲んでもらった。ありがとうジョゼ・ハファエウ。助かりました。
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2018年12月29日(土) | ||||
トランスフォーマーとそれにつけられた避雷針は、うちの敷地内の電信柱の家に一番近い方から数えて2本目の電信柱で、昨日掲載した写真でもわかるように防風林の列のすぐ外側(北側)にある。その場所を反対側(南側)から撮ったのが次の写真。写真右側の木々に隠れた足元だけ見える電信柱は、電力使用メーターが取り付けてあって、回りの木々よりも背の低い電信柱。その向こうのT字型の頭のてっぺんだけが見えている電信柱が問題の電信柱。ここに車やトラックが入ることなど想定していなかったので、木をたくさん植えているのだけれど、工事のトラックには無理やり入ってもらったようだった。何とかぎりぎり入れたものの、手前のサボテンはなぎ倒され(1枚目写真左手前)、左側の桜の木の枝は削がれてしまい(1枚目と2枚目写真)、さらに奥のサンタバーバラの木や桜の木は複数本枝が折れてしまっていた(3枚目写真)。電信柱への落雷という同じことがまた起こらないとも限らないので、手前の桜やその奥のサンタバーバラは枝を切り落とすだけでいいかもしれないけれど、奥の桜の木数本は、かわいそうだけれど木自体を切り倒してトラックが入れるようにしなければいけないだろうと、エドソンは言う。この向こう側に土台だけが少し見えているのが離れの建設現場とういこともあり、左側前方の木々を切り倒して、ちゃんとした道を作った方がいいのかな?と、思ったりしている。せっかく植えて育っている木々を切るのは何だかせつないなあ・・・。
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2018年12月30日(日) | ||||
昨日は年末年始の食材を買いにボトゥカトゥにある2軒の日系食料品店をはしごした。まず、ドナ・マリナでは大根、きぬさや、セロリなど、ここでは手に入らない野菜や果物やエドソンのためのりんご酢などを買い、ウエノではそばや、そうめん、焼きそば、あられ、お米などを買った。どうして1軒で済ませず2軒をはしごするかと言うと、ドナ・マリナは、もともと八百屋さんなので、野菜や果物の種類が豊富で新鮮なのだけれど、野菜以外のお米などの食料品は、同じものでも何故かウエノよりも値段が高く、ウエノはあまりいい野菜を置いていないから。次の写真は、買って帰ったものの内のごくごく一部。そばは大晦日のお昼に年越しそばとして食べるために必要で、そうめんはたっぷりの野菜やカニカマ、いり卵などを加えたサラダそうめんにすると暑い日の夕食にぴったりで、夏はよく食べるので必需品。そして、焼きそばはたまに食べたくなるので、買い置きがなくなっていたので買った。写真の手前の左から、紅白かまぼこ、ちくわ、福神漬け、花梅漬け、梅干し、そして、おもち。かまぼこは年越しそばに入れようと思ったので買い、おもちは元旦のお雑煮に入れようと思い買った。日系食料品店にあるおもちは、日本から輸入したサトウの切り餅が一般的で、量が多いので、冷凍しても持て余すので、いつからかおもちを入れないお雑煮を作って食べるようになっていたのだけれど、ドナ・マリナで日本からの輸入品ではなく、地元ブラジル産の柔らかい10個入りのおもちがあったので、買ってみた。このさつま屋という会社が作っている大福餅などの甘い日本の和菓子はお店でよく見かけるのだけれど、こういう普通のおもちを見たのは今回が初めてのような気がする。
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2018年12月31日(月) | ||||
今月23日は天皇誕生日だった。来年の譲位を前に平成最後の誕生日会見ということで、Youtube上にその会見の様子があったので、じっくり拝聴した。こういうふうに国民に直接話しかけられるのはいいなと思った。85歳になられてもかくしゃくとしておられるご様子にすごいことだとも思った。そして、その「天皇陛下85歳 平成最後の誕生日会見=宮内庁提供映像(2018年12月23日)」というサイトにリンクをはろうと思っていたのだけれど、停電のドタバタですっかり忘れてしまっていた。年が変わる前に思い出せてよかった。この会見のサイトは、こちらへ。
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