Kyoko Yoshida | Life in Brazil | BLOG |
2018年11月1日(木) | ||||
エドソンは、隣町のボトゥカトゥにあるエンブラエーという航空機会社が運営している教育レベルの高い高校で年に一度、ボランティアでアマチュア無線と衛星通信に関する出前の授業とデモンストレーションをやっていたのだけれど、1回きりの授業ではなく、1年を通して学べるプロジェクトにしたいという学校側の要望があり話し合いが行われたものの、学校側が具体的にどのようなプロジェクトをやりたいかという考えがまとまらず、去年と今年は出前授業は行われなかった。すると、先月学校から連絡があり、来年のことを話し合いたいということで、先週の土曜日にエドソンは学校に行き先生たちとの話し合いが行われた。さらに今週火曜日の午前中に、先生たちにうちに来てもらって、エドソンがやっている衛星通信で、どんなことができるのかを見てもらい、学校側の要望と、エドソンの提案をすり合わせる作業が行われたようだった。ちなみに、エンブラエーの本社は、サンパウロよりも東にあるサン・ジョゼ・ドス・カンポスにあり、そこでもやはりレベルの高い高校を運営している。次の写真は、やって来た先生たち2人とエドソンが下の部屋で話し始めた所を撮ったもの。左側の先生は校長先生。エドソンに感化されてアマチュア無線の一番下のクラスの免許を取得し、エドソンのプロジェクトにかかわりたくて勉強を始めたジョゼ・ハファエウも参加している。
| ||||
2018年11月2日(金) | ||||
広島の友人から秋たけなわのメールが届いた。次の写真は、広島の中心部にある白神社の秋の例大祭ののぼり旗。「街なかではこのシーズンはハロウィンのかぼちゃの飾りつけを目にしカラフルで良いなと思いますが、昔ながらのこの秋の収穫のお祭りもいいなと思います。シンプルな色合いで竹竿にくくりつけられた天をさす縦長の旗は、収穫の労働を無事に終えほっとし『ありがたや』と思うご先祖様達の心意気を感じさせてくれます」とメールにあった。仕事帰りに寄った神社正面脇には2本かがり火が焚かれていて、その前方に舞台が設置され、お囃子さん達が装束姿で左袖に座り笛や太鼓を鳴り響かせていたという。舞台中央ではお神楽に照明が当てられ、夜空の下でお囃子に操られたように「やまたのおろち」がきらびやかに舞われていたともあった。この白神社は平和大通り沿いの角地にあり、後ろと左側に高層ビルが立ち、普段はひっそりとした小さな神社なのだけれど、ちゃんと季節の例大祭を行っているんだなあと、妙に感心してしまった。次の写真は、その白神社を正面から撮ったものと、例大祭の看板を撮ったもの。
| ||||
2018年11月3日(土) | ||||
木曜日の午前10時を回って、「今晩、イタぺバから来ているスタッフを2人うちに泊めてもいいか?」とエドソンから連絡があった。ムリロがチーズを作っているファゼンダ・ベラ・ヴィスタ内に光ファイバーを通すための工事に、イタぺバの事務所からふたり手伝いにきてもらっているのだけれど、泊まるホテルの手配をするのも大変だし、うちに泊めようと思うということだった。この木曜日の夜はパーディーニョに老人ホームを作ろうとしている財団の定例会をうちでやる予定だったのだけれど、都合が悪くなったともう連絡済みだと言うし、晩ご飯は、鶏の胸肉とカシをローストしたものを作ろう、帰宅してから僕も手伝うからと言うので、急なことだったのだけれどOKした。木曜日は洗濯をした後、鶏の餌やりも、台所の野菜くずを埋めるのも、桑の葉を採ってきてお茶を作ることも、タケノコを4本掘り出してきて茹でる作業も、この連絡がある前にすでに終えていたので、慌てないで済んだ。ボランティアの学生さんたちが帰った後、ベッドシーツやバスタオルは洗濯を済ませていたものの、ベッドシーツのアイロンがけがまだだったので、お昼までにそれを済ませ、下の寝室のベッドメーキングをした。5時過ぎに翌朝食べるパンなどを買って帰宅したエドソンが夕飯のメインの仕度をしてくれ、私は午後タケノコご飯と、アボカドとトマトのサラダを作って準備をしておいたので、ゆとりを持って受け入れることができた。イタぺバはここから南西に3時間半くらい行ったところにあるため、彼らはパーディーニョで午前8時から作業が始められるようにと、朝4時にイタぺバを出て来ていて、午後6時までの仕事の予定が少し手こずって7時になったので、ずいぶん疲れていたのだろうけれど、あまり疲れた様子を見せない元気な人たちだった。翌日の金曜日も朝8時から夕方まで1日仕事をする予定ということで、うちでもう1泊することになるのかなと思っていたら、パウロが彼の自宅に泊めることになり、うちでの2泊目はなくなった。次の写真は、金曜日の朝、食卓を囲んでいるところを撮ったもの。ふたりとも会社の技術スタッフが着用するユニフォームを着ている。
| ||||
2018年11月4日(日) | ||||
今回の大統領選挙のことで、もう少し書いておきたいことがある。日本など海外のニュースでは富裕層がボウソナロを支持したと言っていたけれど、それは正しくない。労働者党(PT)の支持基盤が国からお金をもらっているような貧困層に多いということは事実だけれど、メディアや大学などの教育機関で働く人たちは貧困層というよりも、むしろ、富裕層で、その人たちはPTのハダジ支持で固まっていた。これは世界的な傾向のようだけれど、ブラジルでもメディアや教育関係者は、恐ろしいほど左だ。パーディーニョの町は裕福な町ではないけれど、住民の7割以上がボウソナロに投票したらしいので、貧困層対富裕層という単純な二極構造ではない。そして、大統領選などを戦って、負けた候補は普通、勝った候補に潔くおめでとうとエールを送るものだけれど、ハダジからボウソナロにお祝いの言葉などはなく、反対に今後も戦うと宣言していて、実際、先週初めにサンパウロでPT主導の反ボウソナロのデモが行われた。これまで何度も書いていることだけれど、PT主導のデモの参加者は自発的な参加者ではなく、PTから動員されてお金をもらってやっている人たち。日本では選挙の結果に、よく民意が示されたとか言うけれど、PTは自分たちに都合の悪い民意など無視するダブルスタンダードぶりがむごい。そして、メディアはそれを批判したりはしない。PTとメディアは今後、ことあるごとにボウソナロが実施しようとする改革の足を引っ張るのだろうなと思うと、先が思いやられる。以下は、10月30日付け、ニッケイ新聞の「東西南北」にあった短い記事のコピー。 『28日の大統領選決選投票で当選が決まったジャイール・ボウソナロ氏に関して、ブラジル国内での受け止められ方と国外でのそれに、かなり大きな差があると言わざるを得ない。国外の報道で目立つのは、「ファー・ライト(極右)の政権がブラジルに誕生した」と、民主主義が危機にさらされる脅威を伝えたものだ。これはブラジル国内での、特に同氏支持者の「旧政権を打倒し、正義が勝った」とのトーンとは大分趣が異なる。もっとも、メンサロン事件を裁いたジョアキン・バルボーザ元最高裁判事も、ラヴァ・ジャット作戦を管轄したロドリゴ・ジャノー氏も、投票前日に支持したのはハダジ氏ではあったのだが』 | ||||
2018年11月5日(月) | ||||
11月2日金曜日はフィナードス(死者の日)という休日だった。これは日本のお盆のようなもの。それで、今年6月に亡くなった母のためにろうそくに灯をともして、母の霊を弔った。エドソンは午前中、うちに泊まったスタッフたちによる作業が行われているファゼンダ・ベラ・ヴィスタに行って、光ファイバーが正しく設置されたかどうかを確認する仕事をして、午後帰宅した。その晩もスタッフたちがうちに泊まるかもしれないので、翌日の朝食用のパンや果物を買って帰る予定が、町中のすべてのお店が閉まっていて、買えなかったので、パンを焼いてと言われて久しぶりにいつものパンを焼いた。でも、結局彼らはパウロの所に泊まることになったので、その晩のことも、翌朝のことも心配しなくて良くなりほっとした。 そして、例年は10月の第二日曜日から夏時間が始まるのだけれど、今年は、10月7日に大統領選挙があり、28日に決選投票となったからなのか、夏時間の開始が延期され、昨日、11月4日に4週間遅れで夏時間が始まった。最近は朝早くから明るくなるため、いつもよりも早く目が覚めるようにはなっていたのだけれど、それでも1時間時計を早めることには、すぐには体がついて行かない。日本でも東京オリンピックの際のことを考えて、夏時間が検討されたようだけれど、どうも実施は難しいという判断になったとニュースで聞いた。それでエドソンにどうして”途上国”のブラジルにできて、”先進国”の日本でできないのかと聞いたら、ブラジルはもう長年夏時間をやって来ているからできているけれど、複雑で広範なITシステムを抜かりなくすべて準備して実施するには時間がかかるし、一番最初の実施がとても難しいんだと言っていた。そう言えば、以前みずほ銀行のシステム統合がうまく行かず、開始予定日にシステムが機能しなかったということがあったなあ・・・などと思い出した。あれはマネージメントと技術の人たちとの意思疎通が悪かったというか、マネージメントが技術の人たちの意見をちゃんと聞かなかったことが問題だったのだろうけれど、でもやはり、ブラジルの電子投票にしても、どうしてブラジルでできることがアメリカや日本ではできないのだろうかと思ってしまう。 | ||||
2018年11月6日(火) | ||||
広島の別の友人が、広島出身の詩人の原民喜(はらたみき)の被爆当時の足跡をたどる研究者のフィールドワークに同行し、縮景園に行ってきたと言って、写真を送ってきてくれた。縮景園は、原の家族が避難したところで、舟で対岸まで渡った場所らしい。1枚目の写真は、縮景園にある原民喜に関する説明板。2枚目は、縮景園で満開のツワブキという名の花。3枚目は、少し紅葉した木も見られる縮景園の写真。広島からいろいろ秋の便りが届き、うれしい限り。
| ||||
2018年11月7日(水) | ||||
9月に娘さん夫婦に会いにロンドンに行ってきたとメールをくれた友人が、今度はその娘さんのご主人の絵の展覧会の情報を送ってきてくれた。ロンドンのコヴェントガーデンにあるThe Hospital Club, London (www.thehospitalclub.com)という所で10月22日から1月5日まで開催されているのだそう。1枚目の写真は、このhospital clubの建物の入り口のところのウィンドウに貼ってある展覧会の紹介を撮ったもの。毎回建物内のラウンジエリアで行われる展覧会の紹介がここに張り出されて、外を通る人たちからも見えるようになっているのだそう。2枚目以降の写真の絵は、すべてそのご主人の絵で、最後の鳥の絵は油絵で、彼のキュレーターに依頼されて描いたもの。そして、その他の動物の絵は今まで描きためていたものということだった。この何となくほのぼのとした温かな印象の絵を見て、会ったことのないご主人だけれど、NHKの朝ドラ「まんぷく」に出てくる、主人公の福ちゃんのお姉さんの旦那さん(動物の絵ばかり描いている画家の忠彦さん)のようだなと、ふと思った。でも、こういう才能があるのってうらやましい。
これらの絵が展示されているラウンジの写真を見て、絵の展覧会の会場というよりも、ハーバード大学のファカルティー・クラブとか、仕事の関係でボストンで行ったことのある会員制のクラブのラウンジのようだなと思った。これら展示されている絵は販売もされているらしく、次のhospital clubのサイトでも見ることができる。そのサイトは、こちらへ。 | ||||
2018年11月8日(木) | ||||
次の写真は、先週の土曜日の午前中、ボトゥカトゥに買い物に行った際、日系食料品店のウエノで買った桃1箱。ウエノさんのところで栽培して、店で販売している桃はだいたい小粒なのだけれど、今年の桃は例年よりもさらに小粒で、1箱に16個入って、9レアル(日本円で約300円弱)だった。ウエノさんのお陰で、一年に一度は桃を楽しむことができることに感謝。
次の写真は、マテウスのおばあさん手作りの直径25センチあまりの大きな甘いパン。先週の土曜日の午後のレッスンに来たマテウスが持ってきてくれたもの。その2週間前に、マテウスを迎えにきていたおばさんとエドソンが話していて、タケノコって食べたことありますかと聞くと、食べたことがないという返事だったので、ココナツの芯のパウミットと同じように料理して食べることができるんですよと説明し、次の週に採って茹でたものをあげましょうと約束したというので、用意をして、大きなタッパーに入れた4~5本の茹でタケノコをマテウスに持たせてあげた。だからこれはそのお返しということのようだった。ここブラジルでクリスマスから年末年始の時期に食べるパネトーネのような、または、アメリカで人気のシナモンロールのような感じの柔らかくて、ココナツがふりかけられたほんのり甘いおいしいパンだった。
| ||||
2018年11月9日(金) | ||||
家の西側の庭にある3本のくちなしの木の中で、一番小さな木にひとつ花が咲いたので撮ったのが次の1枚目の写真。この花は朝陽に向かって咲いているので、食堂の西側の窓から見え、すぐに気づくことができた。そして、2枚目は、ランドマークの木の側のサボテンを撮ったもの。このサボテンは、毎年新しい芽を複数出すのだけれど、今年は去年以上にたくさんの芽が出ている。
| ||||
2018年11月10日(土) | ||||
次の写真は、畑の隅に置いたカートの中に大きなカエルがいたので撮ったもの。このカートの中で育っている緑の葉は、サラダにも使えるらしいのだけれど、私は時々鶏に与えている。このカートの中で育っていたネギとニラを、何週間か前エドソンが畑の方に植え替えたので、ちょうど何もなくなったくぼみにこのカエルは座り込んでいた。鶏にエサをやりながら、ここに水をやった際、カエルがいることに気づいた。この大きなカエルは、今の時期、昼間暑く、夕立が降った夜などに、ベランダの前に出てきていたりする、ここではよく見かけるカエル。大きくてグロテスクなので、初めて見たときはびっくりしたけれど、最近はもう見慣れた感じがある。一方、全長が2センチくらいの小さなペレレッカと呼ばれるカエルも、ここではよく見かけ、ジョウロの中とか、ガレージの扉の内側とか、何だか変な場所で遭遇することがよくある。
| ||||
2018年11月11日(日) | ||||
楽書倶楽部がもうそろそろ届く頃かな?と、数日前ふと思った際、あれ?今年の最後の号は10月号なんだから、1ヶ月近く前に届いていないといけないんだったと、思い違いに気づいた。ひょっとして、この1ヶ月くらい郵便局に行っていなかったということかな?と思い至り、エドソンに最近しばらく郵便局に行ってなかったんだっけ?と聞くと、何やかやと忙しく、行くのをすっかり忘れていたと言って、早速木曜日に仕事の合間を縫って行ってきてくれた。楽書倶楽部だけでなく、メル友の鎌谷さんからの手紙他も届いていた。何と、鎌谷さんの手紙は10月11日に発送されていた。何という大ポカ!やれやれ、とほほ・・・。以下は、楽書倶楽部10月号に掲載された私の文章のコピー。
最近はインターネットのお陰で、リアルタイムではないものの、日本のラジオ番組をユーチューブ上で聞くことができる。それで時々、武田鉄矢の「今朝の三枚おろし」という番組を聞いている。この番組で取り上げられる内容は多岐に渡り、様々な本を紹介しているのだけれど、好奇心の塊のような武田氏の読書量の多さと勉強家ぶりに驚いている。武田氏の受け売りになるのだけれど、その番組で彼が取り上げていた話題の一つをここでご紹介したい。 カナダの大学で日本語を教えている金谷武洋氏の「日本語で世界を平和にするこれだけの理由」という本を紹介しながら、日本語の不思議さを語っていた。金谷さんは「日本語の中に人の気持ちを楽にする要素があるのではないか?」と言うのだ。さて、どういうことだろ?と、聞き入った。 英語を話す場合、主語を決めなくては動詞が決まらず、文章ができない上、必ず相手がいる。Thank you.というお礼の言葉にも相手がいる。あなたあってこその感謝なのだが、一方の日本語は、話し手も聞き手も誰もおらず、ありがとう=有り難し=なかなかこんなことはないという状況を表現しているだけ。朝の挨拶のGood morning.も、I wish you good morning.つまり、あなたに良き朝がありますようにという祈りの言葉だけれど、「おはようございます」は、ただ単に時刻が早いと言っているだけで、時刻に関する確かめ合いなのだという。日本語は、状況、出会い、行為についての印象を述べて、共感を呼び起こす一方で、英語は関係を明確にする言語なのだと言う。 共感を呼び起こすという一例で、俵万智さんの「寒いねと話しかければ 寒いねと答える人のいるあたたかさ」という短歌を紹介していた。つまり、同じものを見つめて、同じ心境であるその共感こそが美しいのであって、共感の響き合いが暖かいのだという説明に納得してしまった。 川端康成の「雪国」の冒頭の描写についての話もおもしろかった。「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」を、エドワード・サイデンステッカー氏は、「The train came out of the long tunnel into the snow country.」と訳している。NHKのある番組で英語を話す人たちに、この英語の文を絵に描いてもらうと、みな同じように、雪山のトンネルから汽車が出てきている空中から見た絵を描いたという。英語を話す夫にもこの文で絵を想像してもらうと、やはり同じだった。英語の翻訳には、日本語にはないtrainが主語となって出てきているので、仕方がないのだろう。一方、日本人はこの描写を読んで、空撮にしたりはしない。自分が汽車に乗っていて、トンネルの闇から出てきて、雪国の白さの中に視界が開けるという印象をこの文章から理解する。日本語の持つさりげないニュアンスを英語にするのは至難の技だ。 英語にとっては主語がとても重要で、私がどこにいるかがとても大事な一方、日本語は、まず私を消して全体を見ることが特徴になっている。日本語には全部言ってしまうと何の印象も残らないという感覚があり、あいまいであればあるほど良しとするのが、日本語であり、日本語表現なのだという説明にもなるほどと思った。英語の二人称にはYouしかないため、聞き手との関係は話し手本位にならざるを得ず、だから英語の話し手の自己主張は強くなる。一方、日本人があいまいなのは、日本語の言葉そのものに、自己主張にブレーキがかかる仕組みが潜んでいるのだと言う。 「映画を観に行きませんか?」と誘われて、「映画はちょっと・・・」と、否定語を一切使わなくても日本語では断ることができる。「映画は」の「は」は、他ならばという希望も残していて、強い否定を相手に与えない。「あなたは私が好きですか?」という問いに「好きですが、それは・・・」と目を逸らすと、相手を傷つけずにあいまいな否定が簡単にできる。などの説明になるほどと思った。 「富士山が見える」を英語にすると「I can see Mt. Fuji.」となり、徹底して主語を私にしないと成り立たない。日本語では私ではなく、自然を主語にして語るところに日本語の静けさがある。つまり、日本語は静かな言語なのだと。 「山路来て 何やらゆかし すみれ草」という俳句にも「私=主語」は出てこない。この俳句から思い浮かぶのは、険しい山道を歩いてきて、地べたに座り込んだ、その疲れ切った旅人の目の前に、すみれ草が生えていたという情景だ。また、「松島や ああ松島や 松島や」は、地名を三回繰り返しているだけで、何故松島なのか、何故三度も繰り返したのか、誰がつぶやいたのか、何のために三度もつぶやいたのかという説明は一切ない。ところが、これを読んだ日本人のまぶたの裏には宮城の湾にいくつも浮かぶ島々の情景がのどかに見えてくる。 日本人にとって理解し合うとは、お互いを見つめ合うことではなく、お互いが同じものを同じ姿勢で強く見つめていること。その構図が美しく感じられ、表現はあいまいなのに、その光景がはっきり見えるのだと言う。日本人は相手に対して自分を小さ目にしようと努力する。体を曲げてお辞儀をして、決して相手を見つめない。相手と同じ方向を向くことが、お互いの関係が結ばれているという姿である一方、英語は逆で、如何に私=自分を大きく相手に見せるか、そしてあなた=相手を如何に下に見下ろすか、英語は上から目線で語る言語なのだと。 「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」これは広島の平和記念公園の慰霊碑に刻まれた言葉。主語がないため、碑文は原爆投下の責任を明確にしておらず非常にあいまいだと、かなり批判された過去がある。しかし、主語がないことで、逆にすべての人に主語になるチャンスを与えてくれる文章だと、その意図を理解してくれる外国人もいると聞き、少し安堵した自分がいた。 | ||||
2018年11月12日(月) | ||||
11月5日(月)7:00配信の現代ビジネスの記事に、高橋洋一氏の『韓国「徴用工判決」日本政府が国際社会に対して直ちにやるべきこと』というのがあったので、以下にリンクをはってみる。この記事のサイトは、こちらへ。
今回の韓国高裁の元徴用工判決に関して簡単に整理してみると、次のようになる。 | ||||
2018年11月13日(火) | ||||
離れの建設で、家の基礎の部分ができた後、ペドレイロのミウソンは、また作業に戻ってこなくなったので作業がストップしている。でも、9月下旬のある朝、エドソンが仕事に出かける際、ミウソンがうちの入り口ゲートのところでエドソンが出てくるのを待っていて、基礎部分の作業が終わったので、約束の分割払いの第1回目のお金を支払ってくれと要求してきたという。普段、多額の現金や小切手など誰も持ち歩いたりしないことは常識だと思うのだけれど、何故、前もってメールなどでいついつ受け取りに行きたいから支払ってくれないか?と言わずに、突然来たりするのかと、不思議でならなかった。エドソンは翌日お金を用意するから出直してと伝え、翌朝、やはりゲートのところで待っていたミウソンに支払ったということだった。そして、その際、うちの東側のスペースに積み上げているレンガを離れの建設現場に移動させる作業に対して、500レアル支払ってくれとミウソンが言うので、エドソンは断ったと言っていた。手伝いの人ふたりに1日がかりで移動作業をしてもらっても、経費はその3分の1にもならないのだから、ミウソンの要求額は法外としか言いようがなく、エドソンは憤っていた。ここの人たちは気に入らないとすぐに怒鳴り散らすような厳しい施主からの支払いが遅れたり、関係がこじれて支払ってもらえなかったりすることがある一方で、取れるところからは必要以上にふんだくろうとする傾向があるのは本当に困ったものだと思う。エドソンは決してミウソンたちを怒鳴り散らしたり、支払いをわざと遅らせたり、拒否したりするようなことはなく、とてもいい施主だと彼らもちゃんと認識しているのに、だったら何故、もっとまともに大切に付き合おうとしないのだろうか?私には彼らの思考形態は理解不能。ミウソンの法外な請求は断ったものの、最近、手伝いの人たちも全然きてくれないので、レンガの移動作業ができずにいた。それで、「誰か手伝ってくれそうな人知らないかなあ?」と、エドソンが職場でポロリと漏らしたら、ほぼ毎週末のようにうちに来て、エドソンからアマチュア無線やコンピュータのことを教えてもらっているジョゼ・ハファエウが、「僕が手伝う」と言ってくれ、この日曜日に来てくれ、レンガの移動が少し行われた。1枚目の写真は、家の東側でレンガをジョゼ・ハファエウのピックアップトラックに積んでいるところ。2枚目は、建設現場でレンガをトラックから下ろしているところ。お昼前に空模様が怪しくなり、3人でお昼を食べている時に、弱い雨が降り出したので、この日の作業はおしまいになった。エドソンは頭脳労働者で肉体労働者ではないので、午後も作業を続けていたら、疲労困憊して大変だっただろうから、お天気が崩れてくれて良かった。そして、手伝ってくれたジョゼ・ハファエウには心から感謝。
| ||||
2018年11月14日(水) | ||||
次の写真は、広島の友人が送ってきてくれた「大イノコ祭り」の様子。彼女の職場の近くにある袋町公園に、太くて長い何本もの竹で、公園広場を囲む巨大な鳥籠のようなものが出来ていたので、公園側の駐車場のおじさんに聞くと、11月3日(土)と4日(日)に開催される大イノコ祭りの準備だということだったそう。それが1枚目の写真で、中央に大きなイノコ石が鎮座している。2枚目の写真は、その駐車場のおじさんがくれたというチラシ。それで、日曜日に袋町公園に行ってみると、「鳥籠のように見えた竹には綱が張られ、広場の中心に置かれた大石につながっていました。その時のアナウンスによると88本の竹で1.5トンの大石を吊りあげているのだそうです」とあり、3枚目の写真は、はっぴを着た大人や子供たちが綱を引いてその大石を吊り上げながら「イーノコ イノコ イノコ餅ついて 繁盛せい 繁盛せい」と唄い地面に打ち付けているところ。また、小さいイノコ石で、子供達が本通り(広島中心部の一番の繁華街の長~いショッピングアーケード)を練り歩く行事も夕方あったらしい。こんな町のど真ん中のビルに囲まれたような公園で、地元の人たちが子供たちも巻き込んでちゃんとこういう秋の行事を行っているのはいいなあと思った。イノコ祭りというのはどうも西日本のお祭りのようで、転勤族で名古屋に住んでいた頃は聞いたことがなく、広島に戻ってから秋になると、どこどこでイノコ祭りが行われたというようなニュースを聞いて知ったように思う。このお祭りでは、亥の子餅を作って食べて、万病除去・子孫繁栄を祈ったり、子供たちが地区の家の前でイノコ石を地面をついて回ったりすると、インターネット上のWikipediaにあった。
| ||||
2018年11月15日(木) | ||||
次の写真2枚は、入り口ゲートに向かう道沿いの孟宗竹。去年、生えてきたものはそれまでのものよりも太く、背が高く育ったので、驚いたのだけれど、今年生えてきたものも太く、背丈は去年のものよりもさらに高くなったので撮ってみた。1枚目は、ランドマークの木の側の坂を降りたところのグループ。2枚目は、そこから少し入り口ゲートに向かって歩いたところにあるグループ。芽が出てくると、タケノコとして掘り出しているのだけれど、すべてを掘り出しても消費しきれないこともあって、すべてを掘り出すようなことはせず、見つけた時にはすでに大きくなりすぎていたりする何本かはこうして育つに任せている。
| ||||
2018年11月16日(金) | ||||
次の写真は、先日めいが夕飯を食べた終わった後、ベランダの椅子のアームの上に座って、家の中を見ていたので、居間の中から撮ったもの。何を考えているのか、たま~に、こんな風に椅子のアームの上に座って、こちらを見ていることがある。めいもはるやひろと一緒に家の中で暮らしたいのかなあ~?でも、それはちょっとできないのよ。ごめんね。
| ||||
2018年11月17日(土) | ||||
中東カタールの皇太子は、アマチュア無線家だそうで、大金を投じてドイツの大学に頼んで衛星放送用の大きな衛星を作ってもらい、この木曜日にその衛星がアメリカのケープカナベラルからスペースXによって打ち上げられた。そして、打ち上げは成功した。打ち上げの次の段階の、衛星を地球周回軌道に乗せるのは三菱重工の役割だそうで、へえ~、三菱重工はこんなところにも関わっているのかと思った。そのプロジェクトに関わったドイツ人のマリオさんが先月中旬くらいからブラジルに来ていて、仕事でブラジリアを始め、あちこち飛び回っているということだった。彼はドイツの大学で教えている先生で、AMSAT-DL(ドイツ)のメンバーでもあるため、数年前にエドソンが立ち上げたAMSAT-BR(ブラジル)のことも知っていたので、ブラジルに出張することになって、ふたりは頻繁にメールのやり取りをしていたらしい。ブラジル滞在最終週の今週は、休暇をとってサンパウロに来るということだったので、エドソンが週末はうちにいらっしゃいと、彼を招待した。そして、こういう機会はめったにないので、ここのアマチュア無線コミュニティーに対して、このカタールの衛星プロジェクトに関する講演をマリオさんにしてもらうことになり、その準備で、今週はバタバタした。今週前半マリオさんはサントスのビーチでのんびりと休暇を過ごし、木曜日の午後4時発のバスでこちらに向かう予定だったのだけれど、運のいいことに、サントスからサンパウロへの移動がスムーズに行き、バハ・フンダのバスターミナルに思ったよりも早く、1時発のバスに乗れそうな時間に到着した上、満席だったはずのバスの出発間際に確認してもらうと空席があって乗ることができたので、午後4時少し前にパーディーニョに到着した。そして、夕飯までの間、早速、エドソンと衛星通信などの話を始めたところを撮ったのが次の写真。午後6時頃からインターネット上で、カタールの衛星打ち上げの実況中継があったので、その打ち上げの成功を見届けてから、午後7時に夕食になった。ちなみに彼はポルトガル語は話せないので、共通言語は英語。元東ドイツの出身だそうだけれど、話し好きの気さくな人だった。彼はとてもインテリだとエドソンは言っていた。
| ||||
2018年11月18日(日) | ||||
木曜日は休日だったので、午前中エドソンにスーパーへ買出しに行ってもらうことができ助かった。そして、金曜日はエドソンは仕事を休み、午前中はマリオさんを連れてパーディーニョ観光に出て、カシャサ(ブラジル名物の砂糖きびで作った強いお酒)を作るところを見たいというマリオさんのリクエストに応えて、パーディーニョでこじんまりカシャサを作っている人のシチオに行って、試飲をしたり、お土産のカシャサを買ったらしい。その後、お昼に私を迎えにきて、3人でご近所のカザラオン・ユーリコ・ヌネス(Casarao Eurico Nunes)にお昼を食べに行った。次の写真は、そのレストランの建物を撮ったもの。2枚目と3枚目の写真は、レストランの中を撮ったもの。一番乗りだったので、写っているレストランの中は空っぽだけれど、私たちがテーブルについて注文を始めたら、一組、また一組と、お客さんがやってきて賑やかになった。ここは昔コーヒー農園だったところで、コーヒーを貯蔵する倉庫のような建物を少し手直ししてレストランにしている場所。古い建物だけれど、いかにもこの田舎町独特のレストランという印象になっていて、なかなかいいなと思った。
次の写真3枚は、レストランの入り口から入って、まっすぐ突き抜けた向こう側のドアを出た、外にある椅子やベンチで撮ったもの。ここからは南に視界が開けた景色が見える。ふたりが手に持っているのは、レストランのオーナーがサービスで試飲させてくれたこのレストラン手作りのフルーツのカシャサ。カシャサは強いお酒なのだけれど、フルーツのジュースと混ざっているので、甘くて何杯でも行けそうで、なかなか危ない代物だった。
次の写真は、壁に大きな窓の絵がかかっていて、お店のオーナーが写真を撮るのに絶好のテーブルですよと言うので、マリオさんに座ってもらって撮ったもの。2枚目は、ようやくテーブルについて食事を注文し、運ばれてきたお料理を食べ始めたところ。マリオさんは、牛肉のパルメジアーナを、エドソンと私は牛肉のステーキを注文。ここのオーナーは、以前、高速道路カステロブランコ沿いにあるホドサーブ・ソヒーゾの手前にあるカンポネーザというレストランの調理場のマネージャー兼コックさんをしていた人なので、このレストランで出される食事もカンポネーザと同じようなものなのだけれど、この辺の人たちはこのお肉の上にチーズが乗って、トマトソースがかかっているパルメジアーナという料理が好きなようで、最近ではパルメジアーナと言えばパーディーニョみたいな感じになっているらしい。ボランティアの学生さんたちが来ている時に行ったハンショ・ド・マルーリは大失敗だったけれど、ここはオーナーがとても親切で、直接対応してくれ、食前にいろいろな味のカシャサをサービスしてくれ、食後にパイナップルをサービスしてくれたりして、注文したカイピリーニャもお料理も満足の行くものだったので、大正解だった。あいにく営業は昼間だけで夜はやっていなのだけれど、来客があった際は、またここを利用しようとエドソンと話した。
| ||||
2018年11月19日(月) | ||||
土曜日のマリオさんの講演イベントを、当初はうちの下の部屋でこじんまりやろうかと考えたらしいのだけれど、うちでは最大20人くらいしか収容できないからと、結局エドソンはパーディーニョのマックス・フェファー文化センターでやることにした。去年やはりエドソンとデミウソンが企画したイベントには100人ほどの人が集まったのだけれど、今回はマリオさんがここに来ることになったのに合わせて急に企画したため、イベントの通知から開催まで1週間ちょっとしかなかったのに、50人余りの人が前日までに参加登録をしてくれたと言って、エドソンもマリオさんも驚くとともに喜んでいた。次の写真は、ほぼ時間通りに10時を少し回ってエドソンが開会の言葉を述べているところを撮ったので、まだ空席が目立つけれど、この後、このイベントの共同開催者のデミウソンが正式な開会の挨拶をして、マリオさんの講演が始まると遅れて来た人たちで椅子が埋まり始めた。1枚目の写真の右側手前の丸いテーブルの上にあるコーンケーキ3つは、イベントの手伝いに来てくれたドナ・クレウザが知り合いの人に注文して、持ってきてくれたもの。オレンジジュースはデミウソンが持ってきてくれた12~15リットルものジュースの一部。この写真には写っていない別のテーブルには、我が家からコーヒーメーカー2台と、コーヒーをいれるためのミネラルウォーターやプラスチックのコップ、砂糖、紙ナプキンなどなどと、クエスタ・カフェから寄付してもらったコーヒーを用意した。イベント終了までに、これらすべてがほぼ消費された。用意したものが多すぎず、少なすぎず、ちょうど良かったので、ほっとした。3枚目の写真は、講演をしているマリオさんを少しアップで撮ったもの。
10時半くらいになると、用意して並べた椅子が足りなくなり、1ダース余りの椅子を追加で並べることになったので、再度会場の様子を撮ったのだけれど、11時を少し回った頃に会場は一杯になった。午前中は、マリオさんが木曜日に打ち上げられたカタールの衛星プロジェクトのことを話した後、質疑応答があり、パラナ州ロンドリーナ近くのパラナ州立大学に在籍しているアマチュア無線家の学生さんが、自分の関わっている衛星プロジェクトに関して発表をし、12時に昼食休憩になった。エドソンは前回のイベントの際、会場近くのジョージのハンバーガーのお店に頼んで、特別にお昼に開けてもらった結果50人ほどの参加者が利用したらしいのだけれど、今回はジョージの都合が悪く開けられないということで、もう一軒のすぐ近くにあるピザのお店が開けてくれるだけではみんなのお昼が賄えない恐れがあるので、前の日に行ったカザラオンの案内のカードを示して、ここでもお昼を食べることができますよと、エドソンは宣伝した。
土曜日の午後はいつもならマテウスの英語のレッスンがあるのだけれど、このイベントの手伝いでレッスンができないため、その代わりに、内容的にちょっと難しいかもしれないけれど、講演は英語で行われるので、英語に慣れるためのいい機会だからいらっしゃいとマテウスを誘ったら、家が会場から近いこともあって、ちゃんとやって来た。お昼休憩になった際、「どうだった?」と彼に聞くと、「とてもおもしろかったです」と言い、「内容は少しは理解できた?」と聞くと、「はい。ほぼ理解できました」と明るい顔で言っていたので、誘って正解だったとうれしかった。ちなみに、マテウスは私と話す時は、いつも英語で話してくれる。こんなふうに英語だけで意思疎通ができるようになった生徒さんは彼が初めてなので、彼にはいろいろな経験をさせたいと思っている。マテウスは14歳で、中学2年生。 | ||||
2018年11月20日(火) | ||||
次の写真は、土曜日にイベントが開催されたマックス・フェファー文化センターの芝生の公園で同時進行で行われていた青空市を撮ったもの。これまで毎週金曜日の夕方、パーディーニョのセントロ入り口のバスターミナルで行われていた市が2週間ほど前、開かれなかったので、どうしたのだろうと思っていたら、今後は毎週土曜日の午前中、このマックス・フェファーで開かれることになったと言うことだった。ドナ・クレウザのご主人のマウリシオが買い物袋を下げて、私たちの様子を見に来たので、会場のすぐ横で市が開催されていることを知った。日系農家のタケイシさん夫婦も来ているだろうと思い、挨拶をしに行った際撮ったのが次の写真。10軒くらいの店が出ていて、ここには写っていないけれど、この写真の左側のお店の列の後ろには、パステウ(春巻きの皮のようなものに、お肉やチーズをはさんで揚げたスナック)などを販売するお店も1軒出ていた。パーディーニョの市役所が本気でこの青空市に取り組み始めたことが感じられ、良かったなと思った。
今回のイベントでは、午後からエドソンが近く打ち上げられる予定のブラジルのITASATや、その他の衛星通信関連のプロジェクトや、技術的なことに関して話し、マリオさんがこれまでの世界の衛星プロジェクトの歴史のようなことを話し、デミウソンがバウルで時々行っている風船のプロジェクトのことなどを話し、午後3時過ぎに一旦休憩になったのだけれど、その後も話しは続き、すべてが終わったのは予定通り午後5時だった。今回のイベントの参加者の様子を見ていて、おもしろいなと思ったのは、イベントが始まるまでにほぼ時間通りに来ていた人たちはほとんど最後まで熱心に講演に参加していたけれど、30分以上、1時間前後も遅れて来た人たちの多くは、午後からは戻ってこなかったこと。エドソンは時間にルーズなのは嫌いなので、イベントはほぼ告知通りの時間とスケジュールで行われたのだけれど、20人余りの人たちはそのスケジュールにちゃんと合わせて行動していた。それで時間にルーズだと一般的に思われているブラジル人にもこういう人たちもいるんだと、マリオさんに示すことができたと、エドソンは喜んでいた。参加者は隣町のボトゥカトゥや近隣の町からだけでなく、車で2時間余りかかるサンパウロ市や、さらに車で最低4~5時間はかかるサンパウロ州西部の奥地から来ている人たちもいた。大都市のサンパウロ市でさえこのような知的好奇心を刺激するイベントは珍しく、しかも開催されたのがサンパウロ市内ではなく、サンパウロ州中部の名もない小さな田舎町ということも珍しいのだけれど、奥地の人たちにとっては、何とか日帰りが可能な位置にあるパーディーニョであるイベントは、とてもありがたいものらしく、おおいに感謝されていた。ここでイベントを開催する理由は、もちろんエドソンがここにいて、近くにデミウソンがいるからというのが一番大きいのだけれど、サンパウロまで出て行くことが容易ではない地方のアマチュア無線家に、衛星通信に関して興味を持ってもらったり、できるだけ若い人たちを刺激したいという意図もある。さらに、様々な町から来る参加者に、名もない小さなパーディーニョの町のレストランや、パーディーニョのコーヒーなどの物産を宣伝したりして、へえ~、こんなところにこんな町があるのかと、多くの人に知ってもらって地元を盛り上げるという目的もある。 | ||||
2018年11月21日(水) | ||||
マリオさんは、月曜日の夜サンパウロ国際空港発の便でドイツに帰国予定だったので、ブラジル滞在最後の日曜日はサンパウロ観光をしたいから、土曜日のイベントの後、サンパウロに向かいたいということだった。それでイベントの際、エドソンがサンパウロから参加していた人たちに声をかけて、マリオさんをサンパウロまで連れて帰ってくれる人を探した。その結果、1台の車で3人一緒に来ていた人たちが連れて帰ってあげると言ってくれたため、彼は無事にサンパウロに行くことができた。 去年のイベントでは、飲み物やケーキを用意しなかったので、休憩時間にそれらがあった方がいいということで、ドナ・クレウザにも手伝いに来てもらって今回は用意した。エドソンたちがするイベントはいつも参加者に事前登録をしてもらうものの、参加費は取らないのだけれど、今回は経費を少しでもカバーするための寄付を募った。帰宅して、募金箱の中のお金を調べたら124レアル入っていた。ドナ・クレウザへのお礼とコーンケーキの支払いの一部に当てることができたので助かった。エドソンと私は、6時前に帰宅したのだけれど、疲れて帰宅することが予想されたため、金曜日のうちに土曜日の夕飯用のカレーを作っておいたので、帰宅後慌てることなく、ゆっくり休憩してから8時頃、1日を反芻しながら夕飯を食べることができた。はるとひろには、いつものようにシュハスコ小屋でお留守番をしてもらったのだけれど、午後1時頃お昼ご飯を与えて、お散歩をさせるために、1時間ほど私が戻っただけで、朝から夕方まで丸1日、彼らだけでお留守番をしてもらった。初めての長時間のお留守番になったけれど、いい子でお留守番をしてくれて感謝。一方、めいは常にベランダの椅子につないでいるのだけれど、やはり彼女にもお昼を食べさせて、お散歩に連れて行く必要があるので、それも済ませてから、会場へとトンボ帰りをした。今回もイベントの参加者の反応は良く、最後まで結構たくさんの人が参加してくれたので、疲れたけれど、やって良かったとエドソンが晴れやかな顔で言うので、うれしかった。イベントの企画をいつも一緒にするデミウソンは、とても穏やかな人で、講演に必要なオーディオ機材の運び込みや撤収を汗をかきながら黙々として、いつもニコニコしているような人。エドソンはいい相棒にめぐり逢ったなと思う。デミウソンは閉会の挨拶の中で、会場を無料で提供してくれたマックス・フェファー文化センターに感謝の意を表するだけでなく、私やドナ・クレウザの名前も言って感謝の言葉を述べてくれたので、身内なんだからそんな必要はないのにと思いつつ、ちょっと感激。 | ||||
2018年11月22日(木) | ||||
家の西側の庭のくちなしの一番小さい木にひとつ花が咲いたので、先日写真を掲載したけれど、その後、他の2本にも花がたくさん咲いたので、3本の木を一緒に撮ったのが次の写真。真ん中の一番大きな木に、一番たくさん花が咲いている。
次の写真は、食堂の西側の窓下の箱庭のソテツを、上の食堂の窓から撮ったもの。今年もまた新しい葉がたくさん生えてきた。くちなしもソテツも元気で何より。
| ||||
2018年11月23日(金) | ||||
次の写真は、マシシという名前の野菜。土曜日にマックス・フェファーの芝生の公園で行われていた青空市で、マウリシオが買ったものなのだけれど、マウリシオがイベントの様子を覗きに来た際、何を買ったの?と、持っていた買い物袋の中を見せてもらったら、他の野菜と一緒にこのマシシが入っていた。ドナ・クレウザが「これは皮を剥いて、スライスして油で炒めて食べるとおいしいんですよ。食べてみて」と言って3つほどくれたので、ありがたくいただいた。そして先日、早速、言われた通りに調理して食べてみた。1枚目の写真は、左側のひとつは皮を剥いた後の状態で、右側の2つは皮を剥く前の状態のマシシ。2枚目の写真は、スライスしたマシシをオリーブ油で炒めたもの。この後、パセリのみじん切りを加えて、塩、コショウをして、夕飯のポークチョップの付け合わせとしていただいた。特別強い味はなく、食べやすい野菜だった。そう言えば、パーディーニョに来たばかりの頃、ドナ・クレウザが一度これを作ってくれたことがあったなあと思い出した。
| ||||
2018年11月24日(土) | ||||
次の写真は、庭のフランボヤンの木の下の小さなバラ。ひとつ花が咲いたので撮ったもの。何年か前、この小さな花の咲くバラの鉢植えを買い、室内でその花を楽しんでから、大きな鉢に植え替えてベランダに出し、次の年も花が咲いたりしていたのだけれど、しばらくすると枯れたようになってしまったので、ここに地植えにした。でも、ずいぶん長い間、生きながらえているのか、枯れているのかわからないような状態が続いていた。どうやら何とか細々と命をつないでいたようで、10月くらいから緑の葉が少し出てきて復活の兆しがあるなと思っていたら、先日この花が咲いたので、枯れずに生き延びてくれて、ああ良かったと思った。そして、次の写真を撮って数日後、昨日の午後、この白いバラの花がピンク色に変化していたので撮ったのが2枚目の写真。一体どうして白いバラが薄いピンク色に変化したのだろう?不思議だ!
| ||||
2018年11月25日(日) | ||||
今月上旬だったか、エドソンはジョゼ・ハファエウに手伝ってもらって下の部屋のテーブルや棚などを動かして、レイアウトを変えた。マリオさんが来ている際、講演の準備などをこのテーブルの向こうの端でやったり、木の椅子に腰かけてエドソンと話したりしていた。エドソンは使い勝手がちょっと良くなったと思っているようだ。このテーブルの向こう側、テレビモニターの右側に緑色の大きなビンが見えるけれど、これはマリオさんがこの町でカシャサを作っている人のところへ行った際買ったカシャサの大ビン。こんな大ビンを買ってどうやってドイツに持って帰るのだろう?と思っていたのだけれど、やはり、ちょっと無理という判断になり、これをうちに置いて行った。その代わりにうちにあったいいカシャサの2Lのビンを1本あげた。でも、この4Lもの大ビンのカシャサをどこに置いて保存しようかと、私は頭を悩ませている。
| ||||
2018年11月26日(月) | ||||
日曜日の朝食時に、エドソンが「今日の晩ご飯は何?」と聞くので、「何にしようか?」と反対に聞くと、ニラが元気にたくさんなっているからニラを使おうと言う。それでニラと挽き肉とトマトとタケノコとパセリをオリーブ油で炒めることにした。次の写真は、日曜日の朝、畑のニラを収穫しに行った際撮ったニラと、収穫して来て台所で撮ったニラ。
次の写真は、畑のニラの側のパセリとネギを撮ったもの。手前のパセリは、何日か前に虫に葉を切り落とされて裸になってしまっている。向こう側のパセリは幸い被害には遭っていないので、少しだけ夕食用に収穫。ネギも一部被害に遭っていて、まだ成長途上なので、なかなか大きくならない。
| ||||
2018年11月27日(火) | ||||
次の写真は、日曜日の朝、畑にニラなどを採りに行った際、野バトの一種の小さな鳥がいたので撮ったもの。この鳥は、鳩よりも一回り小さい鳥で、ベランダの欄干の上を歩いていたり、庭のフランボヤンの枝に止まっていたり、畑の上を通るワイヤーのところに止まっていたりと、本当に身近でよく見かける鳥。どうもこの子は羽に問題があって飛べないのか、私が近づいても飛んで逃げたりせず、ひょこひょこ歩いて遠ざかったり、行き止まりになると方向転換してこちらに向かってきたりして、どうしたらいいかわからないようだった。私がニラなどを収穫し終えて、畑から離れる際振り返ると、枯葉の上に座り込んでじっとしていた。普通見かけるものよりもさらに小さいので子供なのかな?次の日の朝、ニワトリにエサを与えに行った時も、まだ畑にいたので、畑は他の大きな動物がめったに入ってこないから安全で、ここにいれば何とか生きながらえることができるかな?と思ったのだけれど、その日の午後掃除を終えて桑の葉を採ったりニワトリの卵を確認しに畑に行ってみると、畑に入ったすぐの所に鳥の羽が散乱していた。あっと思って見回してみると、あの小鳥とみられる頭部のない屍骸が隅っこの方にあった。屍骸の感じから大きな動物に襲われたという感じではなかったけれど、一体何に襲われたのだろう?自然界って厳しいなあ・・・。
| ||||
2018年11月28日(水) | ||||
突然ですが、あなたは地球が丸いということを信じますか?本当に突然、何を言っているんだ?頭がおかしくなったのか?と思われるかもしれないけれど、聞いてみたくなったのだ。今月上旬、パーディーニョでエドソンが参加したある会合で、知り合いの女性も来ていたので、挨拶をしたら、パーディーニョに老人ホームを作ろうと活動しているエリオと一緒に、翌週の土曜日にボトゥカトゥにある老人ホームの見学に行くのだけれど、あなたも来ませんかと誘われたという。それで、その日はマックス・フェファー文化センターで、丸1日衛星通信関係の講演会イベントをするので行けないと言って、うちに来る予定のドイツ人の大学の先生がカタールの衛星プロジェクトに関わっていて・・・などと説明したらしい。すると、突然、「あなたは地球が丸いということを信じますか?私も私の主人もそんなことは信じていません。あれは嘘です」私たちがよく目にする以下のような青くて丸い地球の写真もフェイクだというようなことを言ったので、エドソンは唖然としたという。彼女は決して冗談とかではなく、真顔で本心から言ったらしかった。彼女の学歴は知らないけれど、決して教育程度が低い人ではなく、むしろ平均よりもずっと上だと思わせる人との接し方や話し方をする人だと思っていたので、それを聞いて、私もただただ驚いた。まあ、アメリカには進化論を信じない人たちもいるのだし、今の世の中でもこんな人もいるんだという現実を再認識させられる出来事だった。ここで暮らしていると、本当に理解に苦しむことや人に遭遇することが珍しくない。
![]() | ||||
2018年11月29日(木) | ||||
次の写真は、この夏初めて収穫したワイルドベリー。入り口ゲートへの道沿いにあるワイルドベリーの木にだいぶ前から実が少しずつなってはいたのだけれど、小さくて数が少ないので、もう少し実がたくさんなってから収穫しようと思っていて、ようやく収穫できたもの。早速、朝食の時にバナナのスライスと混ぜて、生クリームとメイプルシロップを少しかけていただいた。このワイルドベリーの味は穏やかな味で、それほど強い味も甘みもないので、バナナと一緒に食べるとちょうどいい感じになる。畑に植えたいちごはうまく育たなかったけれど、これは「ワイルド」ベリーというだけあって、何も手をかけなくてもワイルドに自然に育って実をつけてくれるのでありがたい。自然の恵みに感謝。
| ||||
2018年11月30日(金) | ||||
次の写真は、うちの敷地内の西側エリアで元気に育っているカシを撮ったもの。これはウリの一種で、ズキーニやシュシュ(ハヤトウリ)のような感じの野菜。地面をはって元気につるを伸ばして実をつけるのだけれど、実はへちまのように大きくなる。ほぼ野性に近い野菜だからなのか、何も手をかけなくても本当によく育つ。それを収穫して、硬い皮と種を取り除いて食べていたのだけれど、日系農家のタケイシさんから、大きくなる前にきゅうりぐらいのまだ小さい時に採って食べると、皮も柔らかくてそのまま全部食べることができますよと聞き、そのようにしてみると、なるほどその通りだった。メル友の鎌谷さんにこの野菜をご存知ですかと聞いてみると、写真を撮って見せてと言われたので、撮ったのが次の写真。比較するものがないのでよくわからないかもしれないけれど、1枚目の写真のカシはきゅうりよりも少し大きく、2枚目の写真のカシはへちまのような大きさになっているもの。
|
Home | Copyright (C) 2009 Kyoko Yoshida | Next |