Kyoko Yoshida Life in Brazil BLOG 

2018年9月1日(土)

水曜日にエドソンが郵便物を持って帰ってくれたのだけれど、楽書倶楽部だけでなく、それよりもずっと後に発送された私の文章をまとめて作った「私のブラジル生活」も届いていた。1冊30レアルの実費で、10冊印刷していただいたのだけれど、前園さんからのプレゼントとしての1冊を加えて、11冊が箱に入っていた。でも、小包の箱を開けると、本が出てくる前に、インスタントのみそ汁や、海草サラダ、小魚と柿の種などが混ざったおつまみ、プリンが出てきて、びっくり!いつもながらの前園さんらしい優しい心遣いに、感謝の気持ちがあふれた。

2018年9月2日(日)

最近、NHKで桜が何故同じ時期に一斉に咲くのか?というのをやっていた。ソメイヨシノはエドヒガンとオオシマザクラを掛け合わせて作られたものだけれど、同じ両親から生まれても、子供の血液型が同じではないのと同様、エドヒガンとオオシマザクラを掛け合わたからといって、必ずソメイヨシノが生まれるわけではないので、日本全国にあるソメイヨシノはクローンなのだと言っていた。つまり、エドヒガンとオオシマザクラを掛け合わせて生まれた桜の中で、一番美しいソメイヨシノを接ぎ木して、増やして行ったのだそう。クローンなので、咲く時期も同じなのだと言っていた。なるほど、それで接ぎ木などして育てているわけではないうちの桜たちは咲く時期がまちまちなのかと納得した。今年はいつもは寒い6月7月が暖かかったからなのか、桜の咲き具合がちょっとおかしく、桜の時期が終わったはずの8月下旬になってから、複数の木にまたポツポツと花が咲き始めた。次の写真は、入り口ゲート東側の桜。

次の写真は、家の東側の庭の桜。この木にたくさん花が咲いている頃は木の上の方は裸の枝だけで、花がなかったのだけれど、下の方の桜が終わり、葉が出てきた今頃になって、上部の裸だった枝に花が咲いている。

次の写真は、庭の一番北側の桜。今年はこの木にはあまり花が咲かなかった。それなのに、今頃になってまた花が咲き始めた。花が終わった後に出る若葉と、実があるというのに、花がまた咲き始めている様子がこの写真から見える。

次の写真は、ランドマークの木の西側の道沿いの桜並木の北側の桜。今年は、この並木の真ん中辺の桜が花をたくさんつけたのだけれど、並木の南側の数本の若い木や、北側の木にはほとんど花が咲かなかった。すると、今頃になって花を咲かせ始めている。ソメイヨシノのように一斉に咲いて、パッと散るわけではない我が家の桜は、見応えとしてはソメイヨシノに劣るけれど、長~く花を見ることができるのだから、これはこれでいいのでは?と、エドソンと話している。

2018年9月3日(月)

玄関前の外階段沿いのサツキが、今また、きれいに花を咲かせている。花の数が多かったり少なかったりしながら、何だかずいぶん長い間花を咲かせていて、現在花盛りの最盛期と言った感じなので、また写真を撮ってみた。

先週、捕鯨問題を扱った八木景子監督の「ビハインド・ザ・コーブ」が、ブラジルで上映されるというニッケイ新聞の記事のサイトへのリンクをはったけれど、8月31日付けのニッケイ新聞に、上映後の記事があったので、その記事を以下にコピーしてみた。

【既報関連】国際社会で日本だけが槍玉に挙げられる捕鯨問題の真相を解き明かした話題作――映画『ビハインド・ザ・コーヴ―捕鯨問題の謎に迫る―』(2015年、八木景子監督)の上映会が28日夜、市内ホテルで開催された。サンパウロ人文科学研究所(本山省三理事長)主催。9月4日からサンタカタリーナ州都で開催される「第67回国際捕鯨委員会総会」を目前に、反捕鯨国である当地において議論喚起につながりそうな一作だ。

「なぜ捕鯨ばかりが非難されるのか。その謎を追っていって、映画ができました。国際会議の前に少しでも事実を知って欲しい」――上映会に特別出席した八木監督(51、東京)はこう期待を語り、テレビ・クルトゥーラ等現地メディアが参加するなど注目を集めるなかで上映された。

本作は、10年にアカデミー賞を受賞した和歌山県太地町でのイルカ漁を題材にしたドキュメンタリー映画作品『ザ・コーブ』の反証作品。調査捕鯨を巡る国際司法裁判所での紛争で14年に日本が敗訴し、地元漁師と環境保護団体「シーシェパード」の対立が過熱するなか、同町を舞台に捕鯨賛否双方に取材した話題作だ。

一方的な主張を唱え、執拗な嫌がらせを繰り返すシーシェパードに対し、生活圏を蹂躙されて戸惑いと怒りを募らせる現地住民。その両者に猪突猛進で取材した八木監督は、「ともかく事実を積み重ねて作った。同じ話題について両者の声を拾い、西洋人と日本人の対談のような形となるよう意識した」と話す。

緊張と対立のなか、捕鯨に命を捧げた地元の男達、そして鯨食に親しみ「竜田揚げ」を好物とする子供たちの穏やかな日常風景が映し出される。

鯨肉のみならず五臓六腑や皮まで食べ、骨やヒゲ板まで全て無駄なく利用する日本の捕鯨文化が紹介される。悠久の歴史のなかで育まれた鯨信仰や唄や踊り、伝統工芸にも触れ、文化的観点から捕鯨をより深く考えさせる作品となっている。

終盤には捕鯨問題の真相が明かされる。ベトナム戦争中の72年、枯葉作戦が国連人間環境会議で議題に上がりそうになると、米国は水面下で圧力をかけて捕鯨問題に議題を差替えた。この時に採択された商業捕鯨モラトリアムにより、商業捕鯨が中止されていった。

捕鯨中継地確保のために幕末日本に開国を求め、自ら乱獲した挙句、反捕鯨に衣替えした米国。反捕鯨の立場にありながら、宇宙開発に不可欠であった鯨油を日本から輸入し、輸入品目を「高級アルコール」とする小細工までしていたことも明かされる。

現在、ノルウェーやアイスランドでは商業捕鯨が実施され、米国もアラスカ先住民には捕鯨を認めている。鯨には絶滅危惧種とそうでない種がおり、日本で獲っているのは後者。にも係らず、IWCの規定に則り調査捕鯨のみを行う日本だけがとりわけ槍玉に挙げられる、理不尽な国際政治の事実があった。

上映後の質疑応答では「なぜ美味しいものがたくさんあるのに鯨肉なのか」「国際社会から批判を浴びてまで争うことなのか」といった質問も。

八木監督は「それではなぜ鯨肉だけいけないのでしょうか」と逆質問。「間違った情報はきちんと是正する必要がある。絶滅の危機があると考えられているが、それは違う」と指摘した。

最後に「環境破壊が叫ばれるが、地球の4分3は海洋資源だ。家畜や穀物に依存し森林伐採するのでなく、海洋の恵を利用したほうが自然保護にも繋がる」との考えを述べた。なお、同作品は映画ストリーミング配信事業サービス「ネットフリックス」にて世界189カ国で配信されている。ポ語選択も可。

関連コラム 大耳・小耳

現在生息が確認されているクジラは84種類。少数の種類を除けば絶滅に瀕しているクジラは殆んどいないという。ちなみに日本が17年11月から今年3月までに調査捕鯨を目的として捕獲したミンククジラは333頭で、これは全体の700万頭のわずか0・0004%。八木監督は「これでも毎年4%ずつ増加しており、逆にこれでは魚の方が居なくなるのではないかと心配している。魚を保護するため、クジラを間引いたほうがよいのでは」とも。伯人の参加者からも「絶滅危機に瀕していないものであれば、一人一人の選択肢として何を食べるかは個人の自由では」という共感の意見が上がった。

八木監督によれば、鯨肉には他の肉類にはない「バレリン」という成分が含まれているという。それは、スタミナ回復に効能があるのみならず、近年の調査では痴呆症やパーキンソン予防にも繋がることが実証されているという。八木監督は「戦後は日本人のタンパク源の7割が鯨肉だった時代もあった。日本が驚異的な経済成長を遂げられたのは、そこからスタミナをつけたからかも」とも語った。

日本のイルカ漁に反対し、各国の環境保護団体等が日本の在外公館前等で世界同時抗議行動を行う「日本イルカ・デー」のデモが、9月1日午前11時頃からパウリスタ大通りの在聖総領事館及びサンパウロ美術館で予定されている。デモは現在60人程度となる見込みで、在聖総領事館は「日本人をターゲットとして暴徒化する恐れもある」と注意を呼びかけている。反捕鯨派が論拠とするのは「イルカは知能が高い」「あんなに可愛い動物を殺すのは残虐」というもの。では、なぜ牛や豚や鶏は食べても良くて、イルカや鯨はダメなのか。ブラジルは本来、多様性や多文化を尊重する美風が強い。一部の運動家が捕鯨反対を唱えるのは「言論の自由」でけっこうだが、「絶対いけない」と断定するのは、いかがなものか。

以上のこの記事で、そもそも70年代から突然欧米諸国が反捕鯨を声高に叫ぶようになった裏側には、米軍によるベトナム戦争での枯葉剤使用が国連の人間環境会議での議題に取り上げられそうになったため、米国が圧力をかけてそれを捕鯨問題にすり替えたからということを初めて知った。これって、戦後の極東裁判で、米国の原爆使用の非人道性を追求させないために、南京問題とすり替えた構造とまったく同じじゃないかと思った。そして、そのスケープゴートになるのはいつも日本なのはどうしてだろう?日本が世界で唯一植民地支配を受けなかった非白人国(非キリスト教国)で、唯一白人諸国と対等に渡り合ってきた非白人国( 非キリスト教国 )という、その異質性に何か関係があるのかなと漠然と思った。この記事のサイトはこちらへ

2018年9月4日(火)

この日曜日の夕飯に、エドソンが同じ職場で働くルーカスと彼のガールフレンドを招いた。ルーカスも22~3歳の若いスタッフで、コールセンターでカスタマーサポートを担当している。かなりストレスの溜まる仕事なので、最近だいぶ参っているらしく、気分転換にうちにおいでと言って招いたということだった。ルーカスは短大でIT関連の勉強をしたらしいのだけれど、現在もオンラインでコースを取って勉強しているということだった。ガールフレンドのパローマは18~9歳で、昼間は歯科医院で受付の仕事をしながら、夜はサン・マニュエル(ここから車で1時間弱のところにある町)の大学で看護師になるための勉強をしている大学1年生だと言っていた。エドソンがうちに連れてくる若い人たちは、ほぼ例外なく、みな仕事をしながら勉強をしている。自分もそうだったからなのか、こんな風に真面目にがんばっている若い人たちが彼は好き。そして、いろいろ話して精神的なサポートをしてあげたいと思っているのだと思う。パローマは日本食が好きらしく、ルーカスとふたりでよくボトゥカトゥの日本食レストランに食事に行くと言っていた。でも、お箸はまだうまく使えないらしい。夕食に何を作ろうかと迷ったのだけれど、エドソンが鶏肉とキャベツとトマトのフレンチドレッシング和えが良いと言うので、それを作った。週末は真夏のように暑かったので、このさっぱりとした食事はちょうど良かった。その他には私たちがいつも食べるアボカドに海苔を散らしてポン酢をかけたものと、いつものきゅうりの酢の物を作り、日本米のご飯とふりかけを出した。ブラジルの人はまったく味のついていない白米が苦手なので、いつもふりかけを出して勧めている。デザートはいちごとバナナとマンゴーを生クリームとメープルシロップで和えたフルーツサラダを作った。ふたりともどれも問題なく食べてくれた。

2018年9月5日(水)

8月31日に高等選挙裁判所(TSE)でルーラ元大統領(労働者党・PT)の大統領選出馬資格を問う審理が行われ、6対1の大差でルーラの出馬資格が否認され、ルーラの出馬資格は即時停止となったというニュースがあった。「ああ、やれやれ、良かった・・・」と思ったのだけれど、PTはなおも最高裁に上告する意向だそうで、PTは9月1日の大統領選の政見放送にルーラの映像を乗せ、TSEに反発したと報じてられていた。PTは自分たちに都合の悪い法律には一切従わない。これは法治国家の政党がすることではないし、何とも往生際が悪い。

月曜日に、離れ建設用の砂と砂利の配達があった。建設現場のすぐ横に下ろしてもらう予定だったのだけれど、日曜日から月曜日に日付が変わる頃からザーザーと雨が降り出し、夜が明けてからも1日ぐずつくお天気だったので、雨で地面が緩んでいる斜面の狭い建設現場に、長さの長い大きなトラックが入るのは危険なので、エドソンの指示で建設現場からは少し距離がある、庭の横のランドマークの木の前に下ろしてもらったようだった。

2018年9月6日(木)

エドソンは4年前に、1ヶ月の長期休暇を取って私と一緒にイギリス、日本、カナダを回って以来、仕事が忙しく、まったくと言っていいほど休暇を取れていなかった。それで今年はちゃんと休暇を取ろうと計画し、今月3週間ほど休むことになった。そして、1日の土曜日から彼の長期休暇が始まったので、普段仕事をしているとできないことをこの機会に少しずつやりながら、気分的にのんびりとした日々を過ごしている。私も彼が仕事に出ていると車がないので行けない美容院に、4ヶ月ぶりに行ってカットとカラーをしてもらったりと恩恵を被っている。この時期に彼が休暇を取ろうと考えたのは、そもそも今月の第二週に4日間、ヒオ・グランジ・ド・ノーチ州のナタールで国連主催の衛星通信に関する国際会議があり、それに行こうと計画していたから。この会議ではブラジルアマチュア無線協会のAMSATブラジルのグループと、国際アマチュア無線連合の周波数調整グループを代表して参加し、講演をする予定だった。でも、7月下旬頃だったか、講演をポスターセッションに変更してほしいと主催者側が言ってきたため、会議への参加は結局断念することになった。2つのグループを代表して参加するとは言っても、どこからもエドソンの旅費などが出るわけではないので、自腹を切ってでも参加するのはネットワーキングが主な目的だったから。でも、講演ではなくポスターセッションとなると、会議期間中ずっとその場を離れることができず、自由にあちこち動き回って、いろいろな人に会ってネットワーキングすることができないため、行っても無駄という判断になったようだった。ナタールはブラジル最東端の海岸の町で、有名な観光地なので、できることなら私も一緒について行きたいと思っていたけれど、その可能性を具体化する前に予定がポシャってしまった。

2018年9月7日(金)

去年のいつ頃だったか、簡単な大工仕事ができる手伝いのジョゼからランの一種か何かの寄生植物をもらった。それで、庭の桜の木の1本に、この寄生植物を縛り付けて、時々水をやっていたら、元気に根付いてくれたようで、新しい葉をいくつも出すようになった。でも、まだ花を咲かせたことはない。これが何なのか、花を咲かせるのかどうかもわからないのだけれど、枯れてしまったりせずにここでちゃんと生きながらえてくれていることを、とてもうれしく思う。

インターネット上で、9月5日(水)20:58配信の朝日新聞DIGITAL に、『麻生氏「我々はG7唯一の有色人種」 安倍氏応援の会で』と題する短い記事があった。『麻生太郎副総理兼財務相は5日、盛岡市内で開かれた「安倍晋三自民党総裁を応援する会」で、「G7の国の中で、我々は唯一の有色人種であり、アジア人で出ているのは日本だけ」と述べた上で、「今日までその地位を確実にして、世界からの関心が日本に集まっている」と語った。日本以外のG7構成国にも様々な人種がおり、かつてはオバマ氏も米大統領としてG7サミットに参加していた』と、暗に麻生氏の発言を批判していた。でも、彼の言った「G7の国の中で、日本が唯一の有色人種」というのは何も間違っていない。G7構成国には様々な人種がいることは事実だけれど、それは近年のことで、元々は白人のキリスト教国ということは動かしがたい事実で、今もこれらの国々の価値観の基本は白人キリスト教だ。非白人、非キリスト教国の日本が唯一、戦前から白人キリスト教国の間で苦悩してきた事実をしっかりと認識せず、そこから目をそらしてしまっては、日本を取り巻く厳しい現実も、これからの日本の未来を見据えることもできないと思う。日本国外で暮らしたことのない大多数の人々には実感がなく、その違いがわからず理解しにくいことかもしれないけれど、メディアの情報操作に惑わされず、ちゃんと目を見開いて、井の中の蛙にならない努力をしてほしい。

2018年9月8日(土)

2018年9月4日付けのニッケイ新聞にあった、「世代交代するサンパウロ靖国講=若い世代が中心に祭事取り仕切る」という記事を読んで、ブラジルに靖国講というものがあることを初めて知った。と言うか、日本にもあるのだろうか?この記事のサイトはこちらへ

そして、同じく9月4日付けのニッケイ新聞の「コラム 樹海」に、「海外唯一の靖国講があるブラジル」という記事があり、深澤編集長が我が身を振り返っておもしろいことを書いていて、昨日のブログに書いたことと少し連動するので、一部以下にコピーしてみた。

▼不肖52歳、日本の戦後教育の中で育ち、1992年に渡伯したコラム子にとって、正直言って靖国神社は遠い存在だった。大学時代の恩師は、天皇陛下のことを「天ちゃん」と呼ぶバリバリの左翼インテリだった。真面目な学生だったコラム子は、敬愛する教師諸氏から教えられた通り、日本国憲法は「平和憲法」だと思っていたし、「自衛隊は違憲だ」と信じていた。だが地球の反対側にきて、〃常識〃だと信じていた様々なことがひっくり返った▼たとえば、全ての人間関係の基礎だと思っていた「性善説」は、ブラジルでは通用しないことに驚いた。死刑がない立派な法治国家のはずなのに、裁判にもかけずに、警察が現場で犯人をバンバン撃ち殺す。日本ではお金が動いた証拠すらもないのに、政治家が口を利いた利かないだけで大騒ぎをしている。だがブラジルでは、政治家の汚職は最低でも100万レアル(約274万円)単位でボロボロでてくるし、検察から数々の証拠を並べて告訴されても「物証がない」と開き直って、平然と選挙に立候補し、しかも当選しそうな議員が多数いる。日本では親から「絶対にウソはいうな」と教え込まれてきたが、この社会ではウソの上にいかに上手に別のウソを積み重ねるかという答弁技術が問われる▼権謀術数、謀略まみれの西洋社会の一角ブラジルから東洋を眺めた時、いつしか、先の大戦で日本がしたのは侵略戦争ではなかったと思う方が現実的で、しっくりくるようになった。警察権力の名を借りて平気で一般人を射ち殺すような西洋人を相手に、戦争を出来るだけしないで済む方法を考えた時、自らが武力を持たないという選択肢はありえない。大切な家族が賊に襲われたら、命を投げ打って戦って助けるのは普通のことだ。相手が戦争を始める気を起こさせないために、武力が必要なのだ。法的にそれを可能にする憲法も必須だろう▼ならば靖国神社に祀られている人たちは日本を護った人たちであり、侵略者ではないと素直に思えるようになった。愚かなコラム子はそこまで思い至るのに半世紀近くかかったが、ブラジルには若い時分からそれを分かっている人がいる

以上は、記事の一部をコピーしたものなので、全文を読んでみたい方は、こちらへ

2018年9月9日(日)

次の写真は、ボトゥカトゥの日系食料品店ウエノで買ったお米で作ったお菓子。昔、私が子供の頃、このお米で作ったお菓子をポン菓子と呼んでいた。おじさんがリヤカーに大砲みたいなものを積んで来て、お米をその大砲みたいなものに入れて、ポーンと大きな音をさせて、お米を膨らませたお菓子を作って販売していたのを何度か食べたことがある。ウエノでこのお菓子を初めて見たとき、ああなつかしいと思い、つい買ってしまい、その後もたまに買っている。この写真のお菓子はブラジルで作られているもので、カラメルで固めてある。40グラムのものが通常は2レアル(最近の為替レートで5~60円くらいかな?)で販売されているのだけれど、これは賞味期限を過ぎていたのか、1.80レアルに値下げされていたことに気づかず買ってしまった。東日本大震災以降、食料品の輸入規制がまだ続いているのか、韓国が日本のお菓子をコピーした商品が、ウエノではたくさん販売されているけれど、日本から輸入されたものはあまりない。それとも値段の安さで韓国商品が幅をきかせているのかもしれない。

2018年9月10日(月)

うちのご近所の、見晴らしのいい場所にあるクエスタ・カフェで買ったコーヒーが底をついたので、この日曜日の午前中にコーヒーを買いに行った。私たちはコーヒー通ではないので、コーヒーに対して特別なこだわりはないのだけれど、ここのコーヒーを飲み始めたら、今まで飲んでいたものよりもおいしいので、今まで飲んでいたのは何だったんだと思うようになり、以来ずっと、ここのコーヒー豆を買って飲むようになった。前回行った際、カメラを持って行くのを忘れたので、今回は忘れずにカメラを持参して、クエスタ・カフェの写真を撮ってみた。1枚目は、車を止めたところからガラス張りの建物を撮ったもの。2枚目は、1枚目の写真の建物の右後ろのお店の入り口で並んでいる際、振り返って撮ったもの。ここはいつ行っても盛況なのだけれど、昨日は三連休の最終日で、お天気も良く暑いくらいだったからなのか、これまでで一番の人出で、お店の入り口で注文をするための行列ができていた。私たちは、ここでスペシオーザとセレイジャというタイプのコーヒーをそれぞれ1缶ずつリフィルしてもらい、水曜日に井上さんのところにお土産で持って行くために、新しくセレイジャ1缶の豆を挽いてもらって帰ってきた。すぐ近くなのに、混んでいたので、行って帰ってくるまでに1時間半近くかかってしまった。

2018年9月11日(火)

例年ならそろそろ暖かくなり始めるはずの8月が、今年はかなり冷え込んで寒かったのだけれど、9月に入ると真夏のように暑くなったり、また真冬のように冷え込んだりを繰り返している。暑い日はかなり暑くなるからなのか、マリンボンドが活動し始めたようで、新しいガレージに出入りするためのドアの上部軒下に、金曜日か土曜日頃から無数のマリンボンドが巣を作ろうと集まっていることに気づいた。次の写真は、日曜日の午後撮ったもの。でも、同じ巣を作るにしても、どうしてドアの真上に作ろうとするかなあ~。ガレージを出入りする際、危険でしょうがない。明るい間はとても危険なので、夜暗くなって蜂が寝静まってから、エドソンが殺虫剤を吹きつけて、このマリンボンドの群れを取り除いてくれた。

インターネット上で、9/5(水) 11:00配信現代ビジネスの記事に、『世界に広がる「“弱者の大義”に憤る人々」とどう向き合うか』と題するちょっと長いけれど、興味深い記事があった。この記事のサイトは、こちらへ

この記事の中にあった『私たちは他者について何も知らないときこそ、その他者のことを単純化されたイメージで「理解した」と思い込むことができる。むしろ、他者のことを知れば知るほどわからなくなるものだ』という一文に、その通りだなと共感を覚えた。知らないことを棚にあげて、レッテル張りをするのは危険なことだと思った。

2018年9月12日(水)

今、我が家の庭で花盛りなのは、家の西側の玄関前の外階段沿いで咲いているサツキと、家の東側の庭のネムノキの赤い花。ハイビスカスも今の時期、普通だったら花盛りのはずなのだけれど、葉切りアリに葉を落とされて、ようやく新しい葉が出始めているような状態で、完全に回復しておらず、少ししか花を咲かせていない。次の写真は、家の東側の庭のネムノキ。

インターネット上で、9/10(月)7:34配信のJIJI.COMのニュースに、「慣習を投げ飛ばす、ブラジル柔道の男子監督に抜てきされた日本人女性コーチ」という記事があった。この記事にある日本人女性コーチの藤井裕子さんというのは、ペトロポリスの安見さんご夫妻の友人で、先月掲載したペトロポリスのBUNKA-SAIで、安見さんご夫妻と一緒に写真に写っている女性。最近の日本の若いアスリート、特に女性アスリートには、水泳の池江璃花子選手にしろ、テニスの大阪なおみ選手にしろ、頑張って結果を出している人がいて、すごいなあと思う。藤井さんが監督をしているブラジル男子柔道チームが東京オリンピックでいい結果を出せることを心から願っている。この記事のサイトは、こちらへ

2018年9月13日(木)

9月は毎年、うちでは桑の実がたくさんなるので、その収穫とジャム作りで忙しくなるのだけれど、今年もまた実が色づき始めたので収穫を開始した。次の写真は、第一回目の収穫。我が家で二番目に大きなボールにほぼ一杯になっているけれど、これは色づいた実の一部に過ぎない。全部収穫するのはとても大変で、一度にたくさん収穫しても処置に困るので、ボールに一杯になった頃合いで止めている。取れたての実がツヤツヤ、キラキラしていてとてもきれいなので、食堂の陽が当たっている床の上にボールを置いて写真を撮ってみた。

全部で800グラムの収穫の内、250グラムを使って、今年は桑の実のジュースを作る実験をしてみることにした。何故250グラムの実でジュースを作ることにしたかと言うと、グラニュー糖が250グラムしか残っていなかったからという単純な理由。インターネット上にあった桑の実ジュースの作り方を参考に、とりあえず桑の実とグラニュー糖を等分に混ぜて、レモンの絞り汁も少し混ぜて休ませている状態が以下の写真。この状態で1週間から10日くらい冷蔵庫に置いてできたエキスを4倍量の水か炭酸水かワインで割って飲むといいらしい。

2018年9月14日(金)

7月下旬、パラナ州カストロ在住の蓼沼さん(楽書倶楽部同人のおひとり)からメールをいただき、8月の最初の週末に桜祭りをするのでいらっしゃいませんかと、ご招待いただいた。蓼沼さんご夫妻が手塩にかけて育て、日系会館の回りに植えた桜が今年も見頃を迎えるので、お仲間の主婦のみなさんとおいしいものをたくさん作ってお花見をする予定だとおっしゃっていた。去年、陽光桜の苗を2本いただいたご縁もあり、伺えるものなら伺いたかったのだけれど、カストロは遠く一泊しなければならない。うちではカゼイロ(住み込みの使用人)を雇っていないので、ワンコたちや鶏たちもいて、簡単には家を空けられないということを説明して、丁重にお断りした。蓼沼さんは、セザリオ・ランジの井上さんにも招待のメールを送られたようで、井上さんはご夫妻で片道5時間かけて行かれたという。遠かったけれど、桜が見事ですばらしく行った甲斐があったということだった。その際、蓼沼さんから水仙の苗をもらって帰ったのだけれど、私も欲しいようだったら、1鉢あげてくださいということだったからと言って、連絡をくださった。それでこの水曜日の午後、井上さんのところにいただきにあがった。次の写真は、いただいて帰った水仙。カストロから帰った際は、すべての鉢に花が咲いていたそうなのだけれど、私たちが伺った時はすでに花は終わっていて、この鉢にひとつだけしおれた花が残っていた。

次の写真は、水仙の他にもいろいろお土産をいただいて帰る際、井上さんご夫妻と一緒のところをエドソンに撮ってもらったもの。おふたりは半袖なのに、私は長袖で、ちょっとギャップがあるのだけれど、セザリオ・ランジは標高570メートルで、ここよりも400メートル余り低いので、ここよりも気温が高く、ここでちょうどいい恰好で行ったら暑かった。でも、帰宅すると、やはりこの恰好でちょうどいいというのを実感する1日だった。

2018年9月15日(土)

水曜日の午後、ここから東に1時間ほどサンパウロ方向に行ったところにあるセザリオ・ランジという町の、井上さんのお宅に伺ったことは昨日書いた通り。以前差し上げたヒマラヤ桜の苗を枯らしてしまったとおっしゃっていたので、私が育てているヒマラヤ桜の苗1本と、クエスタ・カフェで買ったコーヒー豆1缶をお土産に持参した。でも、いただきにあがった水仙の鉢だけでなく、何だかあれもこれもと、たくさんお土産をいただいて帰って来てしまい、恐縮至極。井上さんのお宅の食堂で、おいしいお茶をいただきながら、手作りだというとても大きな豆で作ったおいしい甘納豆をいただいた。この豆は、ナタ豆と言うのだそうで、「お宅でも育ててみます?」と、聞かれたので、いただいたのが次の写真のナタ豆。ナタのような形と大きさなので、ナタ豆(英語でSword Bean)と言うらしい。この写真のさやの長さは35センチ。豆は4センチ。こんな大きな豆は初めて見た。帰宅してインターネットで調べたら、アジア、アフリカの熱帯原産だと言う。井上さんは、「ナタ豆は福神漬けに入ってますよね」と言われるのだけれど、そんなことまったく知らない私は、「そうなんですか?」と言うばかり。いろいろな食べ方があるようだけれど、さやの大きさが10~20センチになった若いものを、サヤインゲンのようにさっと茹でて食べるのが一般的らしい。そして、福神漬けは七福神にあやかって7種類の野菜を入れて作るのだとネットの情報にあった。おお、何と知らないことばかり。NHKの「チコちゃんに叱られる」とうい番組の決め台詞ではないけれど、「ボーっと、生きてんじゃねえよ!」と、自分自身に突っ込みたくなった。

次の写真は、井上さんが畑で作っておられる大根。ボトゥカトゥの日系食料品店で見かける大根よりもきれいで立派なので、びっくり。寒い間はよく採れていたけれど、大根の収穫もこれで終わりと言っておられた。ご主人が大根おろしが好きなので、毎日のように大根は食卓に並ぶのだそう。井上さんが畑でどれだけの種類の野菜を作っておられるのか詳しくは聞かなかったけれど、少なくとも、今、大根の他に、かぶやビーツやアスパラガスなどが採れるらしいことは、台所にあった野菜の山を見てわかった。

次の写真は、井上さん手作りのかぶの千枚漬けと、いろいろな野菜の入った福神漬け。水曜日の夕飯で、早速これらを少しいただいた。どちらもここではまず手に入らない珍しいものなので、エドソンとふたりで「おいしいね」と言い合いながらいただいた。日本ではお店に行けば何でも簡単に手に入りとても便利なので、自分で作る必要はないのだけれど、ブラジルで暮らしていると、サンパウロのリベルダージ(東洋人街)は別として、それ以外の場所では、欲しくても手に入らないものの方が多いので、食べたければ自分で作るしかない。特に、昔は、お醤油でもお味噌でも自分で作るしかなかったので、日本移民の女性たちは本当にいろいろなものを自分で作るなあと感心してしまう。ただ、戦後生まれはみな何でもある便利さに慣れてしまっているけれど、戦前生まれの私の母などは、梅干しや、らっきょう漬けや、ぬか漬けや、おはぎや、ひとつひとつの具材を別々にていねいに調理して混ぜたちらし寿司など、おいしいものをたくさん時間をかけて作っていたのだから、時代が変わったということなのだろうか。私も一応それらを作る手伝いはしていたけれど、ちゃんと作り方を教えてもらっていなかったことを、今頃になって後悔している。後悔先に立たずだなあ・・・。この他に、ご主人からピンガ(さとうきびで作ったお酒)を2本もエドソンはもらっていた。家の下のバーを改装したのだけれど、友達がひとり、またひとりと亡くなって行くので、一緒に飲む友達がいないとエドソンにボヤいておられたらしい。そうですね。一世の人たちはみな高齢化していて、その人口は減る一方なので、寂しいですね。

井上さんが野菜作りに勤しむ一方で、ご主人は、ご自分の大きな工房で、ベンチ付きの大きな長テーブルや、中華料理のお店で使うといいような8~10人がけの丸いテーブルや、小ぶりの木工細工を作ったりしておられる。欲しいという人に販売しておられるのだそう。工房を見せていただいたのだけれど、テーブルに使われている木材が、最近では手に入らないだろうと思われる希少なペローバとかジャトバなどの木材で、とても美しいテーブルだった。何だかすごく本格的なので、まるで家具職人だなと思った。ご主人いわく、「男はいろいろ体を動かして、何かやっていないといけなんだよ。隠居して、暇だからね」だそう。70代にして、ご夫婦おふたりともよく働いておられるなあ・・・。ご立派!

2018年9月16日(日)

広島の友人が、加齢による筋力低下で足のアーチが落ち、外反母趾の左足の指の付け根が痛み始めたため、織田信長が愛用した足半(あしなか)というのを、以前テレビで見て気になっていたので、早速、高知県の竹虎という竹細工専門店の通販で購入したと言って、その足半の写真(以下)を送ってきてくれた。信長の足半は藁製のわらじなのだけれど、購入した足半は竹皮でできているため、かなり足裏を刺激するらしい。足半からはみ出る指先で足半を掴むような恰好になり、足の筋肉が鍛えられるのだそう。毎朝掃除機を掛ける時に5分か10分程度履いているのだけれど、効果抜群で、1日目に痛みが和らぎ、2日目以降は指の付け根の痛みが無くなったと言っていた。写真の足半は、大小2足買ったもので、踵の部分がない草履なので小さく、子供用のように見えるけれど、どちらも大人用なのだということだった。足に問題があると、体のあちこちに不具合が出るらしいので、足を適度に刺激していい状態を保つことは、どうやらとても大切なようだ。

2018年9月17日(月)

先週の13日の木曜日はエドソンのお誕生日だった。何年前だったか、彼のお誕生日をすっかり忘れてしまい、彼を悲しませたことがあったので、それに懲りて、今年は8月下旬頃から、夕食は何が食べたい?とか聞いて、心づもりをしていた。去年もそうだったけれど、何が食べたいかと聞くと、何故かローストポークという答えがいつも返ってくるので、今年もローストポークを作った。付け合わせに関しての要望はなかったので、私の独断でアボカドとトマトのサラダを作った。そして、デザートは時々作るといつもエドソンが喜ぶ「なんちゃってティラミス」。でも、木曜日は月に2度、私も参加できるようにと、うちでやるようになった財団の定例会だったことを思い出したので、少し早めに夕食を済ませ、定例会で出すお茶などの準備をして、デザートのティラミスは定例会が終わって、皆さんが帰った後食べようと話していた。すると、定例会に来たヒウドとイレーニが、エドソンの誕生日祝いにと、ヒウドのお母さんが作った小ぶりのコシーニャやキビなどのサウガジーニョ(スナック)と、チョコレートケーキを持ってきてくれたので、定例会が終わった後、皆さんに祝ってもらって、それらをみんなで食べた。それで私の作ったティラミスは翌日に持ち越しとなった。次の写真は、金曜日の朝撮った、みんなで食べた後の残りのチョコレートケーキ。みんなで食べているところを写真に撮るのをうっかり忘れてしまったため、こんな食べ残しのケーキの写真になってしまった。

2018年9月18日(火)

先週12日のブログで、「慣習を投げ飛ばす、ブラジル柔道の男子監督に抜てきされた日本人女性コーチ」という藤井裕子さんの記事にリンクを張ったけれど、その記事のサイトを藤井さんのご友人のペトロポリスの安見さんにお知らせしたところ、「ブラジル柔道連盟が男子の監督に世界の前例を破って裕子さんを監督に選んだのはすごい決断ですが、裕子さんは選ばれる人格なのです」と返信をくださった。裕子さんとは、彼女がブラジル女子柔道のコーチとして来伯したのをきっかけに、2013年4月に知り合ったということだった。日本の新聞、雑誌、TV報道番組、更にブラジルではO GLOBO新聞にデカデカと写真が出るような人ということだった。男子の監督就任後に会われた時も淡々としていて、いつもながら口数が少なく、物事に動じないと言う風格で、監督就任という情報はご本人からではなく、ご主人から聞かれたという。ご主人もそのことを自慢するわけでもなく、お似合いの感じのよいご夫婦だと書いておられた。安見さんは裕子さんのファンで、奥様の道子さんはご主人の方のファンなのだとか。彼らには4歳と1歳の子供がいて、ブラジル着任後に子供を妊娠していることがわかり、こちらで出産されたのだそう。このふたりのお子さんの子育ては、6歳年下のご主人の担当で、裕子さんはしょっちゅう遠征で不在なので、このご主人がいなかったら裕子さんの活躍は制限されるだろうとも言っておられた。日本にもこういう男性がいるんだと妙に感心してしまった。今月裕子さんはヨーロッパ遠征で長期不在なので、ご主人は二人の子供を連れて日本に一時帰国されているらしい。などなど、新聞やテレビには出てこない情報を安見さんからいろいろ教えていただいた。私自身はお目にかかったことはないけれど、数年前から安見さんからのメールに藤井さんの名前や写真があり、何だか知っている人のように感じている。

2018年9月19日(水)

毎週金曜日の夕方4時から7時まで、パーディーニョのバスターミナルで地元の農家の人たちが野菜の市を開いているということは以前書いた。以来エドソンは毎週必ず仕事帰りにこの市に寄って、野菜や果物を買ってきてくれるようになり、コウヴィ、ポロネギ、ネギ、パセリ、レタス、ルッコラ、花ブロッコリー、トマト、ミニトマト、バナナ、アボカド、マンゴーなどが、ほぼ常時、我が家にある状態になっている。この他、時々、ピーナツとかクスクスとか勧められるままに買ってくるものもある。今月はエドソンが長期休暇中で家にいるので、一度、一緒に市に行こうと話していて、先週の金曜日に行って来た。前の晩からの雨が続いていたので、これでは市は立たないだろうなと諦めていると、午後2時前頃から何とか雨が止んだので、郵便局やスーパーに行った後、市にも行こうということで、行って来た。パーディーニョで暮らし始めたばかりの頃、お世話になったご近所の日系コーヒー農家のタケイシさんご夫妻に久しぶりに会うことができた。年を取り、労働のきついコーヒー作りが難しくなったので、作物をコーヒーから野菜や果物に変え、それらをこの市でも販売しているということは、エドソンから聞いていたけれど、私がおふたりに会うのは何年ぶりだろう?病気療養中の奥さんのお姉さんの看病で、おふたりはパーディーニョとサンパウロを急がしく行ったり来たりしていて、ずっと会っていなかったのだけれど、どうもそのお姉さんは亡くなられたようで、最近はずっとパーディーニョに腰を落ち着けておられるということだった。いつもはこの市には4~5軒のお店が出るのだけれど、この日は前の晩からお昼過ぎまで降った雨の影響で、タケイシさんともう1軒の農家しか来ていなかった。1枚目の写真は、レタス1束と、トマト1キロを買ったお店のご夫婦。2枚目の写真は、その横で、果物類を販売していたタケイシさんご夫妻。タケイシさんの店ではバナナ1房、アボカド2つ、ミニトマト1袋を買った。

2018年9月20日(木)

フランス在住の友人リエちゃんのブログを読んでいて、最近おもしろい記述があった。彼女はご主人ともどもフルタイムで働いているので、普段はとても忙しくしているのだけれど、8月に夏休みを取りゆっくりしたようで、その間、須賀敦子著「ヴェネツイアの宿」、米原万理著「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」、色川武大著「うらおもて人生録」の3冊を読んだとあった。その読書感想の内容が、最近私が繰り返し書いていることと呼応するので、リエちゃんの許可を得て、そのブログの一部を以下にコピーさせてもらった。*印の間の文章は、リエちゃんが本から引用している部分。その前後はリエちゃん自身の感想。

『「ヴェネツイアの宿」の中で、私の頭の中で常にぐるぐるしている考えがわかりやすく表現されていた。彼女の時代と比較すると、今は日本に興味を持つフランス人も多く、日本がヨーロッパとは違うということを少なくとも頭でわかっている人はたくさんいる。でも、やっぱり私たちの基本となる土台がそう変わらないように、フランス人だって、頭で理解していても、そもそもの土台がガラリと変わったりはしない。程度の差はあれ、日本で育った日本人なら、このヨーロッパ社会でやはり同じような思いをし、いらだちながら、同じような問いかけをして暮らしているのではないだろうかと思う。
*****
はじめてのヨーロッパは、日本で予想していたよりずっときびしかった。言葉の壁はもちろん私を苦しめたが、それよりも根本的なのは、この国の人たちのものの考え方の文法のようなものへの手がかりがつかめないことだった。自分とおなじくらいの年齢で、自分に似た知的な問題をかかえているフランス人との対話が、いや、対話だけでなく、出会いさえが、パリの自分にはまったく拒まれているように思えて、私はいらだっていた。

…… 日本人にひきあわされて興味をしめすような学生は、そのころのパリの大学にはまったくまれにしかいなかったから、とても話がはずむどころまではいかないのはわかっていた。巡礼の出発から解散までのまる二日間、私はまるでモニックの盲腸みたいに、できるだけ邪魔にならないようにするのが精一杯で、黙々とただ彼女の後をついて歩いた。

……いったん彼らがそれを使いはじめると、私はお仕置きで家から閉め出された子供のようにひとりぼっちだった。……フランスに生まれないと、少なくとも子供のときからこの国のことばに慣れてこなかったものには、永遠に理解できない言葉なのではないのだろうか。いつのまにかみんなの議論からは遠いことを考えながら歩いている自分に気づく。
*****
最後のくだりなどは、会社でのかしこまらないミーティングの時などにはいつも思う。社会人は学生とは違うけれど、学生気分の抜けない世代も多い。そして全世代共通の俗語はもちろん、独特の言い回しなどは溢れかえっている。それだけでなく、数人が同時にしゃべる、ボリュームが上がる、そうなってくると、言葉の意味以前の問題で、私にはもう騒音にしか聞こえない。こういうのは、内輪の会話だけでなく、テレビやラジオのインタビューや討論番組なんかでも日常的に見る光景で、一般フランス人にはごく普通のこと。私なんかは、「永遠に理解できない」と悟りながらも、やっぱりうんざりする。実際その場にいる場合には、「うるさーい!いい加減にして!」と言ってみようかと思うことがある。私のことだから、いつか言ってみるかも?』

須賀敦子さんやリエちゃんが、フランスで感じた、そして感じている言葉やコミュニケーションの難しさは、その言葉の背景にある、文化、価値観、物の考え方、感じ方、その他もろもろが基本的に違うことからきているので、これはヨーロッパに限らず、アメリカでも、ここブラジルでも日本人がどうしても感じてしまう何とも言えない感覚なのだと思う。日本人が日本の外で暮らすのはどこに行ってもしんどいことなのです。と言って、日本の中で暮らしていても鎖国はできないので、諸外国と没交渉というわけには行かないのだから、これは日本という国や日本人が抱えるとても困難な永遠の課題のように私には思える。

2018年9月21日(金)

9月になって庭のイペーの花が咲き始めたので、写真を撮ってみた。9月はイペーの花の季節なので、この時期に外出すると、あちこちで大きな木にこの花が咲いているのを見かける。イペーの花は数種類の色があるのだけれど、黄色い花を一番よく見かける。そして、うちのイペーも黄色。他所で見かけるイペーの木には花がぎっしり咲いているのだけれど、うちのイペーはまだ若いからなのか、パラパラとしか咲いていない。でも、木の足元にはすでに、この写真の花数と同じくらいの花が落ちているので、全体としては結構な数の花が咲いたことになる。花数はまだ少ないけれど、年々増えているように思える。

2018年9月22日(土)

兄の孫娘のひとりが、ご近所のパン屋さんが行った「たべてみたいパンのえコンテスト」というイベントに参加して、もみじパンの絵を書いたら、その絵が金賞に選ばれたという。おそらく広島に帰省する度に何度も食べたことがあるだろうもみじまんじゅうから発想したのかな?次の写真は、その孫娘が描いたもみじパンの絵が他の参加者の絵と一緒に壁に並んでいるところを撮ったもの。赤いもみじの絵が目立っているのですぐにそれとわかる。しかも、期間限定のようだけれど、それが商品化されたと言う。2枚目の写真は、金賞の子供たちは3人いるようで、それぞれが描いたパンが商品化されたものを持って写っているチラシのようだ。この2枚目の写真では、手元に持っているもみじパンがあまりよく見えないけれど、3枚目の写真には、そのもみじパンの写真もあり、大きなもみじまんじゅうのように見える。地元の住民を引き込んで販売促進をしようとする町のパン屋さんのおもしろいイベントだなと思った。

2018年9月23日(日)

金曜日の午後、エドソンが用事があって出かけていたボトゥカトゥからの帰りに、例によってパーディーニョの野菜市にも寄ってくれたのだけれど、帰宅すると、買った野菜以外に、次の写真の「へセイタス・ダ・ヴォヴォ」という冊子をもらって来ていた。これは日本語にすると「おばあちゃんのレシピ」という意味で、いろいろな野菜や果物を使ったお料理やケーキなどのレシピが掲載されていた。どうやらパーディーニョの農家の人たち9人がレシピを出し合って作ったもののようで、その人たちの名前が最初のページに列挙されていた。そして、タケイシさんの名前もあった。このリストの中に、ソニア・マリア・ペレイラ・デ・ソウザ・サントスというとても長い名前があったので、エドソンに見せると、彼も驚いていた。その他にも、テクラ・モンタニャ・デ・オリヴェイラのという人のテクラはコンピュータのキーボードのことで、セルソ・ゲハ・ジャシントのゲハは戦争という意味で、何だか変わった名前がたくさんあるなあと思った。そして、タケイシさんの他にもうひとり日系の人の名前があったのだけれど、ウォナミネとあるのは、ヨナミネの間違えだろうか?などと思いながらページをめくった。この市場で野菜を出しているタケイシさんのご近所の農家の人は、自分たちで食べるために大根を作っているのだけれど、市に出してもパーディーニョの人たちは買わないから出していないというので、僕が買うから次回から持ってきてとエドソンは頼んだと言う。大根はボトゥカトゥの日系食料品店に行かないと手に入らないものなので、この市で買うことができればとてもありがたい。

2018年9月24日(月)

何年か前に、ボトゥカトゥに1軒魚屋さんがあると聞いて行ってみたことがあった。ちょっとわかりにくい場所で、その日がたまたまだったのかはわからないけれど、品数がとても少なく、あったのは冷凍物ばかり。ボトゥカトゥのスーパーの魚売り場の方がずっとましな感じで、がっかりしてしまい、二度と行かなかった。今年になってボトゥカトゥにもう1軒新しく魚屋ができたという情報をエドソンが仕入れてきていたので、行ってみようと話しながらなかなか行けず、ようやくこの土曜日の午前中に行くことができた。お店は分かり易い場所にあり、他にもたくさん店が並ぶ道路に面していたので、すぐに見つけることができた。次の写真は、そのPEIXARIA HIGO(ペイシャリア・ヒゴ)の外から、店構えを撮ったもの。ペイシャリアというのは、魚屋という意味。名前がヒゴということは、オーナーは熊本出身の人の子孫なのだろうか?などど思った。このお店は、以前行ってがっかりしたお店よりも小さいのだけれど、品揃えはこちらの方が断然良く、魚だけでなく醤油やわさびやしょうがなどから、魚をフライにするためのパン粉など、魚料理に必要な商品も様々置いていて、なかなかいい感じだった。できあいの巻き寿司なども置いていた。日系の若いお兄さんと彼のお母さんがふたりで切り盛りしているようで、このお兄さんがとてもいい笑顔の感じのいい人だったので、うれしくなった。

それで結局、あれもこれもと買い込んでしまったのだけれど、料金は140レアルと安く、感激!次の写真は、この店で買った左から時計回りに、マンジューバ、冷凍の小エビ、トゥリリァ、サーモン、ポーキーニョ(小さなブタという意味で、日本名はハギ)、そして、ティラピア。鯛のような赤い色のトゥリリァは、フライにするとエビのような味がする魚で、パラカンビでは普通に見かける魚だったけれど、サンパウロ州の人たちはこの魚のことを知らず、ここに越してきてから見たことがなかった。でも、この店には冷凍物だけれど置いていたので、エドソンが喜んだ。それで、土曜日の夕飯はトゥリリァをフライにした。この他にギョウザ、しいたけ、しょうが、小魚のおつまみなども買った。次の写真のトゥリリァ以外の魚は、上の冷蔵庫の冷凍室が満杯なので、すべて下の冷蔵庫の冷凍室に持って行って保存した。これで当分、魚料理が楽しめる。感謝。感謝。

2018年9月25日(火)

エドソンの3週間に及ぶ休暇が終わり、昨日から仕事に戻ったため、昼間はまた私とワンコたちだけの生活になった。休暇中にあれもしようこれもしたいと話していたのだけれど、今月はぐずつく雨の日が多かったこともあり、結局、話していたことの多くはできないで終わった。彼は私と一緒に買い物や井上さんの所に行ってくれたり、ひとりでお散歩に出たついでに草取りをしたり、ジョゼ・ハファエウと衛星通信の実験をしたりもしていたけれど、ほとんどの時間、コンピュータの前から動かず毎日を過ごしていたため、まるで在宅勤務をしているような感じだった。それで、ちゃんと休暇を楽しめたのかなあ?と、少々疑問に思っていた。するとこの土曜日の夕方、ようやくKA9Q-SDR IQ Spectrum Analyzerが完成したと言って、彼が作ったアマチュア無線のソフトをコンピュータ上で見せてくれた。「スペクトラムアナライザとは、電気信号や電磁波に含まれる周波数を分析し、周波数別の強度を2次元的に表示する計測器のこと」だそう。と言われても、私には何のことやらわからない。でも、このソフトを作るために毎日コンピュータにへばりついていたことがわかり、謎が解けた。前々からこれを作ろうと思っていて時間がなくてできなかったのだけれど、休暇を利用してようやく作ることができたと、本人はとてもうれしそうで、達成感を感じているようだったので、私もうれしくなった。次の写真は、そのソフトのコンピュータ画像を撮ったもの。

KA9Q-SDRというのは、米国サンディエゴ在住のフィル・カーン(Phil Karn)という人が作ったソフトで、それを利用して作ったSpectrum Analyzerなので、こういう名称にしたのだそう。このフィル・カーンという人はインターネット開発のパイオニアのひとりだそうで、とても有名な人なのだという。ノーベル物理学賞受賞者のジョー・テーラー博士にしろ、フィル・カーン氏にしろ、アマチュア無線の世界では、有名無名に関係なく、対等に付き合うことができるというのはいいなあと思う。ちなみにエドソンはどちらとも直接会ったことはなく、もっぱらメールでのやり取りだけのようだけれど、彼らのようにすごい人たちと知的に刺激し合うことで、こんな田舎にくすぶっていても、エドソンは知的好奇心を満たし、精神的な満足感を得ているのだろうなと思った。

2018年9月26日(水)

今月は例年よりも気温が低めだったけれど、時々お天気が回復すると夏のように暑くなってみたりと、変化が激しかった。先週も月曜日から毎日降ったり止んだりで、ちょっと寒い日々だったのが、木曜日にこれでもかというくらい目一杯、丸1日雨が降り続いたかと思うと、金曜日にはカラッといいお天気になり、気温がぐんぐん上がり、最高気温が30度を越える真夏のような暑さになった。この暑くていいお天気はまだ続いている。でも、予報では明日からまた数日雨が降るらしく、最高気温は25度くらいから30度くらいを行ったり来たりするようなので、季節は夏に向かってまっしぐらなのかなと思う。次の写真は、家の西側の庭で今、咲いているぼんぼりちょうちんのような形をした花。2枚目も同じ庭でポツポツ咲き始めたガーデン・マナカの花。

2018年9月27日(木)

広島の友人が、娘が暮らすロンドンに1週間ほど行ってきたと言って、メールと写真を送ってきてくれた。ロンドンの住宅は、ほとんどがテラスハウスという建物だそうで、長屋みたいにくっついているので驚いたと言っていた。次の写真は、1枚目がお嬢さん夫婦が暮らす家の正面で、2枚目がその建物の奥にある庭から撮った家の写真。この家は築100年くらい経っているらしい。そしてロンドンもご多分に漏れず不動産価格が高いらしい。間口が狭く奥に長く続いているというのは典型的なイギリスの家なのかな?イギリスの影響を強く受けているボストンやワシントンD.C.にも、こういう間口が狭く、奥が深いという同じような住宅がたくさんある。

次の写真は、外の通りの様子を撮ったもの。この坂道を下って行くと川があるのだそう。お嬢さん夫婦が暮らす家から徒歩10分くらいのところに電車の駅があり、その駅と家の間に、ユダヤ教原理主義者の人たちの学校があったという。黒い服、黒い帽子を被り、髪の両端を三つ編みのようにたらしている男性をたびたび見かけたという。この恰好は、アメリカの映画やドラマでよく見る恰好だし、ニューヨークに行けば実際にそういう人とすれ違ったりすると思うけれど、女性にどんな特徴があるのか、彼女からのメールを読むまで、私はまったく知らなかった。友人が見かけた女性たちは外見はごく普通に見えたのだけれど、実は、彼女たちの髪はみなかつらなのだとお嬢さんが話してくれたという。ユダヤ教原理主義の女性は結婚したら、頭を全部剃って、かつらか何かを被るのだそう。男女差別が激しいらしく、結婚は同じ宗教の人どうしで、部外者と話すことも禁じられていると聞き、イスラム教原理主義と何だか似たり寄ったりだなと思った。まあ、もともとが同じというか親戚の宗教なのだからさもありなんとも思ったけれど、それにしても、欧米が批判する日本の男尊女卑が霞んでしまいそうだと思った。

友人は1日だけロンドン観光もしたようだけれど、ほとんどはお嬢さんたちの生活圏を探訪して、その暮らしぶりを見て回ったようだった。彼女たちの最寄りの駅から二駅のところに、彼女たちが週に一度買い物に行く商店街があり、ポーランドやトルコからの移民の人たちや、アフリカの人たちがやっている店や露天などがずらりと並んでいたという。どうやら旧ソ連崩壊後に、東欧諸国の人たちが大勢移って来た結果らしい。そして、お嬢さんたちの生活圏内では東洋人を見かけなかったと書いていた。

次の写真は、滞在最後の日に、お嬢さんのご主人が作ってくれたというパエリアとハンバーガー。どうやら自宅の後ろの庭のテーブルに並べられているようだ。ご主人はスペイン人なのでやはり腕を奮うとなるとパエリアなのかな。おいしそう!このご主人、建築家兼アーティストで、緻密な感じの現代アートを描いて展示即売したりもするのだそう。しかも、ピアノもとても上手で、発達障害の子供の学校で教えてもいるという多彩な人のようだ。

2018年9月28日(金)

友人は、お嬢さんたちがよく行くというパブにも連れて行ってもらったそうなのだけれど、彼女がイメージしていたパブの感じとは違い、やはり間口が狭く、お店に入ったところにカウンターがあって、その奥が野外の広場のようになっていたとメールに書いていた。滞在中、2軒の異なるパブに行ったのだけれど、2軒とも同じような感じだったそう。次の写真は、そのパブの中と、店の奥のテーブルとベンチのある野外の様子。そう言えば、4年前にサリー大学のあるギルドフォードであった衛星通信に関する会議のようなものに、エドソンと一緒に行った際、日程最後の日の夕飯を数人で食べに出て、まず、パブに行ったのだけれど、やはり店の中にはこの写真のような大きなカウンターがあり、店の奥の野外にテーブルとベンチが並んでいて、そこで飲むようになっていた。でも、これは伝統的なイギリスのパブではなくて、最近の流行りのスタイルなんじゃないかとエドソンは言っていた。戸外で飲み食いするのはヨーロッパでもラテン系の暖かい国の人たちが好んですることで、お天気の悪いイギリスではなかったのではないか。夏の一時期だけやり始めたんじゃないかというのがエドソンの見解だった。お嬢さんのご主人の話では、以前これらのパブが店で出すのは飲み物だけだったけれど、だんだん食べ物も出すようになってきたそうなので、時代と共に、少しずつお客さんの変化や希望に合わせて変わってきているのかもしれないと思った。

友人のお嬢さんは、UCL(University College London )で博士号を取得した人なのだけれど、この学校はケンブリッジやオックスフォードなどとは違って、早くから外国人を受け入れているのだそうで、明治維新当時の伊藤博文らも留学していたという。次の写真は、その大学の廊下に掲示されている説明パネル。ロンドン大学というのは有名でよく聞くけれど、ロンドン大学というものが単体で存在するわけではなく、日本ではロンドン大学連合と呼ばれていて、UCLとKCL(キングス・カレッジ・ロンドン)の学生に学位を授与する機関がロンドン大学なのだということを、今回初めて知った。

友人は、つい数年前まで公立の中学校で英語を教えていたのだけれど、その中学の英語の教科書にロンドンの地下鉄(Tube)の話が出ていて、へ~と思っていたそう。そして、今回ロンドンで、Central Lineというロンドンで最初にできたという地下鉄に乗る機会があったのだけれど、古くて、狭苦しくて、本当にTubeのようで驚いたと言っていた。私たちもロンドン観光をした際、何線だったかは憶えていないけれど、ワーテルロー駅までの帰路に乗った地下鉄が、東京の大江戸線よりも小さく狭かったので驚いたことを思い出した。

2018年9月29日(土)

次の写真は、ボーッとしていて何だかよくわからないかもしれないけれど、日曜日の午後6時頃、私たちの寝室の窓から夕陽が差し込んで、ちょうど私たちのベッドの頭の上の壁に当たり、庭の桜とハイビスカスの木の影がまるで水墨画のように写っていたので、エドソンが撮った1枚。肉眼だともっといい感じだったのだけれど、カメラを通すと何だかよくわからない写真になってしまった。

次の写真は、月曜日の午後、建築資材のお店からレンガの配達に来たトラックを撮ったもの。午後1時少し前に、昼食後のワンコたちとのお散歩を終え、朝もお昼も食べず、食欲のなかったはるのために、ご飯とニンジンとコウヴィで特別食を作り、それをはるに食べさせた後、休憩していたら家の外から知らないおじさんが声をかけたので、ワンコたちはびっくりして大騒ぎになった。外に出ると、おじさんがレンガの配達に来たというので、ゲートの鍵を持ってゲートまで一緒に行き、入ってもらった。レンガは建設現場の側に置いてもらったのだけれど、トラックの長さが建設を始めた建物よりも長いので、またびっくり。こんな狭い所でもちゃんと入ってきて、レンガを半分下ろすと、途中でトラックを反転させて、残りの半分も下ろしてくれた。3000個のレンガを持って来たというので、基礎工事にそんなにたくさんのレンガがいるのかと、またまた、びっくり。途中で、エドソンにメールを送ると、先週来るはずだったのだけれど、まあ、遅れても来たのだからOKと返事が来た。おじさんふたりでの作業の途中、側でそれを見ていた私に、冷たいお水をもらえませんかと言うので、冷蔵庫で冷やしていた1.5リットルのボトルの水とコップを持って行ってあげた。おじさんたちは作業の途中でこの水を半分飲み、作業を終えてから残りの半分を飲みほし、ボトルをからっぽにして帰って行った。側の木陰でただ見ているだけの私でもとても暑いと感じていたので、日向で1時間余り作業をしたおじさんたちはかなり暑かっただろうと思う。家に戻って気象サイトでパーディーニョの気温を確認すると34度だった。これはここではちょっとない異常な暑さ。

2018年9月30日(日)

月曜日の真夜中を過ぎて、猛烈な風が吹いた。寝室の横に立っているエドソンのアンテナがきしむような音を立て、玄関扉にかけている木製のプラックが風でガタンガタンと音を立てたので目が覚めた。翌朝、ワンコたちとの朝一番のお散歩に出ると、ランドマークの木の周辺にたくさん白い花びらが落ちていた。夜吹いた強風で花びらが散ったのだった。次の写真は、ランドマークの木の側の坂道を撮ったもの。地面の白いものがその花びら。2枚目の写真は、ランドマークの木を見上げて咲いている花を撮ったもの。白い花と言ってもよくよく見ないと花が咲いているのかどうかわからないような地味な花なので、この地面に落ちた花びらを見るまで花が咲いていることに気づかなかった。そして、花がたくさん咲いているので、風のあるなしや向きにもよるのだけれど、木の側を通ったり、玄関から出ただけで、かすかに甘い香りが漂っている上、風が吹くとこの白い花びらが、桜吹雪のように舞う景色がなんともいい。うちのシャカラは私たちにいつも驚きと喜びを与えてくれる。感謝。



  Home Copyright (C) 2009 Kyoko Yoshida   Next