Kyoko Yoshida Life in Brazil BLOG 

2018年8月1日(水)

今年5月中旬頃、楽書倶楽部の前園さんから「今まで掲載しましたあなたの文章を1冊にまとめて、これまでのお礼にプレゼントしたいと思います。2012年4月15日発行の第13号からこれまで一回も欠けることなく書いて頂きました。こうして拾い上げてみてあなたに感謝し続けています。もっと早いうちに差し上げたかったのですが、雑用が多くこんなに遅くなりました。135頁にもなります」それで、「タイトル、表紙の写真、あとがき、詳細なあなたの経歴などを送って下さい」「印刷段階に入るまえに校正本を送ります」と連絡があった。楽書倶楽部の同人のみなさんが寄稿された文章がある程度の本数になると、それをまとめて1冊の本にして差し上げているのは知っていたけれど、私にも作ってくださるのかと感激した。そして、先週金曜日に郵便局に行ってくれたエドソンが届いていたその校正本を持って帰って来てくれた。何と、8月15日発行の第44号掲載予定の文章まで入れて下さっていて、合計33本の記事をまとめてくださり、これまでに前園さんとのメールのやり取りで送ったことのあるものも含めて、いろいろな写真を入れたグラビアページまであって、全部で150ページという分厚い本になっていた。感謝感激!!!通常の仕事の合間に楽書倶楽部を年に5回編集・発行するだけでも大変で、超多忙な方なのに、同人の方達のためにこのような本作りまでしてくださっていることに、本当に頭が下がる。次の写真は、その校正本の表紙と、2枚目はその裏表紙を撮ったもの。

2018年8月2日(木)

先週、エドソンの職場に、うちの桜の苗木を分けて欲しいという人が訪ねて来たと言う。この人は、パーディーニョからボトゥカトゥにあるペットホテル兼クリニックのヴィラシーコに行く途中にあるファゼンダ・マンジョラオン(Fazenda Manjolao)のマネージャーで、敷地内の桜が植えてから40年を経て枯れてしまったので、植え替えたいのだそう。このファゼンダは以前、日系の人が所有していたので、道沿いや、ファゼンダの中の池の回りや、敷地内の道沿いに、その人が植えたたくさんの桜の木があって、私たちがここに来た8年くらい前は、まだきれいに花を咲かせていた。でも、その後木が枯れ始めて、まったく花が咲かなくなって久しい。ブラジルでの桜の寿命は20年から30年ということなので、寿命だったのだろう。そして、持ち主がブラジル人に変わったので、桜を維持することに関心がないんだろうなと思っていた。でも、そうではなく、何とか美しい桜に溢れたファゼンダを再生したいと、これまで花が終わって少し採れる種を植えて芽を育て、地植えにするということを繰り返しているのだけれど、何故か芽が育たず枯れてしまうのだと言うことだった。それで、この土曜日にうちの桜を見にいらっしゃいとエドソンがその人を誘ったので、午後、そのマネージャーさんがやって来た。次の写真は、うちの敷地内の桜を見せながら、そのマネージャーさんと話しているエドソンを撮ったもの。

このマネージャーさんが働いているファゼンダがずいぶん広いことは知っていたけれど、パーディーニョとボトゥカトゥをまたいだ広大な土地で、うちの何百倍もの広さがあるらしい。ちなみにうちは1アルケール(約2.5ヘクタール)で、このファゼンダは数百~数千アルケーレス。桁が違う。この広いファゼンダでは何を生産しているのだろうか?と思っていたのだけれど、何と、ここはサンパウロで大きな印刷会社を経営している人の週末の別荘なのだと言う。うちに来たマネージャーさんと一緒に土曜日の午後、エドソンはこのファゼンダに行き、持ち主のご主人とも会い、話をしたらしい。私たちがここに来る1年ほど前にこのファゼンダを元の持ち主だった日系の人から購入して、以来、週末は必ずここに来て過ごしているのだそう。敷地内は手入れが行き届いていて、とてもきれいだったとエドソンは感心していた。そして、敷地内の桜並木を再生するために、千本の苗木がいると言う。千本?!それもまたまた桁が違うと、たまげた!それって、私たちがうちの敷地内に植えた木の総数くらいだ。私が毎年ちまちま育てている桜の苗木はせいぜい数十本。千本なんて数を育てるには、何年もかかる。しかも今育てている苗木はパーディーニョに老人ホームを作ろうとしている財団の敷地内に植えるために寄贈する約束をしているものなのであげることはできない。それで、エドソンはどう対応するのかと思っていたら、これから桜の花が終わり、実がなり、種が採れる時期になるから、その種を採ってあげる。そして、庭に桜の芽が出てきたら連絡するからそれを採りにいらっしゃい。お金はいらないと伝えたのだそう。種から芽を育て、地植えにする際は、もっと広い範囲でブラキアーリアや雑草を取り除かないと育ちませんよとも付け加えたらしい。このファゼンダのご主人は、敷地内の森の再生、拡大も進めていて、環境にとてもいいことをしているのだから、それに協力してあげようとエドソンは思ったらしい。やれ、まあ、何と、いろいろな人がいるものだなあ・・・と、今回のことではちょっと度肝を抜かれた感じ。

2018年8月3日(金)

以前ガレージだった下の部屋の大掃除をする前に、埃をかぶってあふれかえっていた物を新しいガレージに移動させる手伝いをしてくれたジョゼ・ハファエウは、その後、時々うちに遊びに来るようになった。彼には特に趣味がないらしく、エドソンがアマチュア無線をやっているので、自分もやりたいと思ったらしく、いろいろ教えてもらいたくて時々来るようになったようだ。この日曜日の午後もやって来て、下の部屋でふたりが何やら話しているので、以下の写真を撮らせてもらった。その後、上に上がってきて、エドソンのワークショップやコンピュータデスクの前で、夕方まで一緒に何か作業をしていた。ジョゼ・ハファエウは私の英語の生徒さんだったヴィトーと同じくらいの年齢で20代前半なので、エドソンにとっては息子のような年の若者だけれど、ヴィトーもジョゼ・ハファエウも何だかまったく違和感がない。

2018年8月4日(土)

冬の間は乾季なので何週間も雨が降らないのは例年のことだけれど、今年は例年よりも気温が高く暖かいためか、この時期よく出る朝霧があまり出ないため、庭の草木が水分不足でカラカラになって潤いを失くしている。特に、ランドマークの木の側の2種類の竹が茶色に変色してしまっている。こんなことは初めての経験。でも、月曜日の午前中と夜に、結構な量の雨が降り、7週間ぶりの恵みの雨となった。以後、ほぼ毎日1回は雨が降り、曇りがちのお天気で、気温が低い日々が続いていて、まるで寒い雨季がきたみたいだと驚いている。そして、昨日は日付が変わった頃から降り出した雨が丸1日降り続き、寒くて久しぶりに薪ストーブに火を入れた。予報では、この雨は月曜日一杯まで続くらしい。次の写真は、月曜日の朝、雨が降り出したので撮った外の写真。中央奥の竹が茶色く変色しているのがわかるだろうか?

2018年7月31日付けのニッケイ新聞「コラム 樹海」に、「一度だけ身内の話を」と題して、日本語編集部の若い記者の人たちの奮闘が書かれていた。ニッケイ新聞の記者の人たちは、短期間の研修記者として仕事をしているので、任期が終わると順次、日本に帰って行くため、編集部では新しく記者を募集中だという。関心のある人は「記者研修の件」と件名に書いてメール(redacao@nikkeyshimbun.jp)で応募してみられては?この記事のサイトは、こちらへ

2018年8月5日(日)

次の写真は、入り口ゲート横のブーゲンビリアと桜を先週初めに撮ったもの。先月21日に掲載したここのブーゲンビリアを撮った際は、桜の花がまだあまり咲いておらず、写真ではわからなかったのだけれど、7月下旬頃から花の数が増え、ブーゲンビリアと一緒に咲いている様子を撮ることができた。咲く季節がちょっと違う桜とブーゲンビリアが一緒に咲いているのが珍しいので撮ってみた。

2018年8月6日(月)

次の写真は、先週火曜日に撮った火星。先日の皆既月食の写真を撮った際も、月の側で光っていたのを確認していたのだけれど、火曜日の夜(日本時間で水曜日の朝)のNHKのニュースで、今、火星が地球に最接近しているというニュースをやっていので、ああそうだ、ここからも見えるのだから写真を撮っておこうと思って撮ったもの。

2018年8月7日(火)

楽書倶楽部の前園さんが送ってくださった校正本(8月1日付けで写真掲載)の最後に、表紙とグラビアは大西さんがしてくださった旨記載されていたので、先週大西さんにお礼のメールをお送りした。そうしたら、返信メールで、3週間ほど前に、愛犬のハチ君が白内障の手術を受けたそうで、事前の検査で採血2回、超音波2回と人間並みだった。術後は一時間毎に数種類の目薬を差してあげなければならず、つきっきりの介護で家を空けられないとぼやいておられた。何でも、大西さんの母校の早大野球部が日本移民110周年を祝って遠征試合に大挙して来伯したのだけれど、歓迎夕食会には出席できず。その後奥地を転戦した後、今週はサンパウロでAll Brasil選抜軍との試合があるのだけれど、応援にも行けそうにない。先般の眞子様の歓迎式典も招待状が無駄になったそうで、残念至極。次の写真は、そのハチ君。目を足でひっかかないために、首にカラーをはめている。生き物と一緒に暮らしていると、そういうこともありますね。うちは今のところ幸いみな元気ではあるけれど、うちもなかなか家を空けられない。

2018年8月8日(水)

昔、日本人街と呼ばれ、現在は東洋人街と呼ばれているサンパウロ市中心部のリベルダージ(日系の人たちはリベルダーデと発音する)にある地下鉄駅の前の広場が、日本移民110周年を記念して、リベルダージからリベルダージ・ジャポンへと変更になったというニュースが、2018年8月3日付けのニッケイ新聞の記事にあった。『移民110周年=リベルダーデ・ジャポン広場に=メトロ駅も「ジャポン」追加=池崎氏「皆で聖市一番の街に!」』というこの記事のサイトは、こちらへ

同じく8月4日付けのニッケイ新聞に、それに伴い地下鉄の駅名もジャポン・リベルダージに変更されたため、看板を新しくしている作業を撮った写真があったので、それもここにリンクをはってみた。『写真ネタ=ジャポン・リベルダーデ駅へ』というこの写真のサイトは、こちらへ

2018年8月9日(木)

アラウカリア(Araucaria)という松のことを、ブラジルの日系の人たちはパラナ松と呼んでいて、うちにも庭に2本、森の手前に2~3本植えた苗がかなり大きく育っている。このパラナ松の実のことをピニャオンまたはピニョン(Pinhão)というのだけれど、先週、エドソンがパウロからもらったと言って、大きな網袋に入った大量のそのピニャオンを持って帰ってきた。次の写真が、その網袋のピニャオン。ひとつひとつの実の長さが5センチくらいあって、かなり大きい。

この実の端の黒い部分を切って取り除き、圧力鍋に入れて、水と塩少々で茹でて食べるのだそうで、この日曜日にエドソンがその作業をしてくれた。次の写真は、茹で上がったピニャオン(右上の白いお皿の中のもの)と、ひとつだけ実を殻から出して、お皿に置いてみたもの。味はちょっと栗のようだと思った。栗ほど柔らかいホクホク感はなく、甘味も栗ほどはないけれど、なかなかおいしかった。おつまみとしていただくのに最適だと思った。ただ、やり方がまずいのか、実の細い方を押さえると出てくるはずの実がなかなか出てこず、殻が硬く、実を取り出すのにちょっと悪戦苦闘。でも、ナイフで切り込みを入れれば簡単に殻から実を出すことができるとわかり、悪戦苦闘は終了。エドソンも初めて食べたらしいのだけれど、おいしいと言って気に入ったようだった。

2018年8月10日(金)

以下は、2018年8月7日付けニッケイ新聞の「コラム 樹海」からの転載。眞子さまは今回のブラジル訪問で、リオデジャネイロ州、パラナ州、サンパウロ州、アマゾナス州、パラー州という広範囲の5州14都市を駆け回られたと別の記事にあったけれど、本当にお疲れ様でした。

感動の眞子さまご来伯を振り返って

ブラジル日本移民110周年を記念して訪問された眞子さまは、かつて皇族が足を踏み入れたことがなかった地を何カ所もお訪ねになり、各地で祈りと癒しを実践された。本紙記者が各地で取材した内容からご訪問のハイライトを振り返りたい。

最たるものは、ノロエステ開拓最前線でマラリアと戦いながら亡くなった先駆者に対し、皇族によって初めて花束が供えられたことだ。

1915年、入植開始わずか半年で80人以上の日本移民が次々とマラリアで斃れていった平野植民地。当時は原始林の真っただ中、川沿いで米作向きだと思われていた第1区は悲劇の現場だ。そこに1946年、村人によってひっそりと慰霊碑が建立された。

リンス西本願寺の岡山智浄住職(83)は、「その場所はブラジル人牧場主に売られ、牧草地帯となっていた。慰霊碑の場所には牧場主の家が建っていたんです。その牧場主は昼夜を問わず、女子供の泣き声が何処からともなく聞こえてきて、『なんでここに連れてこられたの?』とすすり泣く女性の声を幾度となく聴いたと言うんです」と本紙記者に証言した。「同ブロックのあちこちに埋葬されていた遺骨を集めて、この慰霊碑を建立して納めた。それからピタリと泣き声が止んだんです」。

7月23日午前、眞子さまは、見渡す限りのサトウキビ畑に立つ「開拓先没者慰霊之碑」の前に立たれ、深々と頭を垂れ、鎮魂の祈りを捧げられた。

皇族が自分の先祖に花束を捧げている姿を見て、地元の森部静代さん(68、三世=カフェランジア在住)は感極まって泣き崩れてしまった。眞子さまはそれを見て、森部さんを優しく抱きしめ、「大丈夫ですよ、大丈夫ですよ」―そう声をかけながら寄り添われ、森部さんが落ち着くまでじっと抱きしめられた。

次のアラサツーバではノロエステ連合主催の「歓迎昼食会」にご臨席された。

食事の後、眞子さまは「昼食がとても美味しかったので、ぜひお礼を申し上げたい」と希望され、予定にない婦人部とのご接見を始められ、普段は裏方の〃エプロンを付けた民間大使〃に労いの言葉をかけられた。婦人らは「本当にもったいないこと。嬉しくて言葉もでない」と格別なご配慮に感激した。

この逸話を記者から聞いて有難いと感じると同時に、返すがえす残念に思ったのは、聖市の県連日本祭りでは、主役である県人会婦人部や青年部がいる食の広場を、眞子さまがお通りになられなかったことだ。

7月27日午前、眞子さまはパラー州のトメアスー文化農業振興協会(ACTA)をご訪問された。眞子さまが乗る飛行機到着に合わせて、日系学校の生徒が校庭に並んでハート型の絵文字を作り、日伯の小旗を振る「プロジェト・コラソン」で大歓迎した。

同校の生徒は普段古タイヤを重ねて和太鼓の練習をし、歓迎会の当日だけベレンから本物を借りて眞子さまに披露した。その子供たちが声を合わせて「遠くまでご訪問くださり、ありがとうございました!」と感謝の気持ちを伝えた。

その時、隣に座っていたトメアスー農業協同組合の乙幡敬一アルベルト理事長は「眞子さまの頬に涙が伝っていた」という。

トメアスーご到着時、まずサントメ墓地内の日本人開拓先没者慰霊碑に向かわれた。白いドレスと手袋をはめた眞子さまは慰霊碑に献花後、深々と頭を下げられた。

この墓地には、移住地に支援を惜しまなかった千葉三郎日伯議連会長、南拓を主導した鐘紡の武藤山治社長、開拓最前線で悪戦苦闘した福原八郎南拓社長、胡椒をもたらした臼井牧之助氏、東京農大拓殖科の杉野忠夫初代科長ら5人の墓もある。

千葉氏は39年前、アマゾン移住50周年式典に出席するために来伯する途上、メキシコで客死した。千葉氏のような恩人を思い起こすたびに、日本の国会が延長した関係で、110周年には誰も日本政府代表が来なかったことが残念でならない。

来年はアマゾン90周年。ぜひ、それにふさわしい日本政府代表に来て頂きたい。

トメアスー総合農業共同組合(CAMTA)の元理事長、伊藤譲二さんとご接見された際、眞子さまは「両親がトメアスー移住地訪問を望んでいて、今日私が来ることになりました」との顛末を話されたという。

今回、各地の日系社会ができる限りを尽くして歓迎したことを、両陛下はもちろんご家族の皆様にぜひお伝え願いたいものだ。(深)

2018年8月11日(土)

家の西側にあるランドマークの木の幹の間にあるランが、今年もまた花を咲かせた。私たちは何もしないのだけれど、ランドマークの木に守られているからなのか、毎年必ずちゃんと花を咲かせてくれる。そして、木の足元にあるサボテンの一種も元気なようだ。このランは普通だったらあまり気づかないような場所で咲いているのだけれど、はるとひろがこの木の側でオシッコやウンチをすることが時々あるお気に入りの場所なので、彼らのお陰でいろいろと気づかせてもらっている。

2018年8月12日(日)

このところ、女性国会議員の水田水脈さんの発言か何かがメディアで問題になっているようなのだけれど、インターネット上のアゴラ言論プラットフォームで、八幡和郎氏が書いている記事があったので、以下にリンクをはってみた。一つ目は、2018年08月04日19:30配信の「NHK、朝日、文春が揃って水田水脈の”人権蹂躙”」という記事。この記事のサイトは、こちらへ

二つ目は、8月9日(木)18:53配信の「水田水脈をなぜ偽リベラルはそんなに恐れるのか?ーー八幡和郎」という記事。この記事のサイトは、こちらへ

2018年8月13日(月)

6月のブログで、台所の窓から見える三角地帯のグレヴィーリャの1本に、今年初めて黄色いようなオレンジ色のような花が咲いたと書いて、その写真を掲載した。そうしたら何と、先週、また同じ木に複数の花が咲いていることを発見。毎朝、エドソンが仕事に出る際、ガレージドアの開け閉めを手伝っているのだけれど、その際、ふと目の前のグレーヴィーリャに黄色いようなオレンジ色のようなものが見えるので、よく見ると花だった。前回よりも多くの花が咲いているので、花が咲いている枝の1本を撮ってみたのが1枚目の写真。そして、2枚目は、その花のひとつをアップで撮ったもの。

2018年8月14日(火)

この土曜日は、7週間ぶりに手伝いのゼーとマリアがやって来た。我が家のアボカドを断りもなく採って帰って以来となる。ほとぼりの冷めるのを待っていたのだろうか?7週間ぶりとは言っても、冬の間は夏のように取り除くはしから草が生えるというわけではなく、かなりコントロールできていて、この間草ボウボウになるとういことはなかったので、まあ、いいのだけれど、それにしても彼らの予測不能で、気ままな仕事ぶりには何だかなあと思う。朝食後に事務所から電話があり、何か技術トラブルが発生したらしく、8時半頃には事務所に寄ってから買い物をして戻るねと言い置いて、エドソンは出かけて行った。エドソンは基本土曜日はお休みなのだけれど、事務所自体は開いていて、仕事に出ている人たちもいる。そして、お昼前に戻って来てから昼食を済ませた後、午後からやって来たジョゼ・ハファエウに手伝ってもらって、丘の上でアンテナを立てる作業をしたようだった。その日の夕方、めいとのお散歩で入り口ゲートまで行った際、丘の上に電波望遠鏡に使うと言っていた大きなパラボラアンテナが設置されているのが見えた。次の写真は、日曜日の朝撮ったそのアンテナと奥のガジーボの下で、月の軌道を周回している中国の衛星からの信号を受信しようとしているエドソンとジョゼ・ハファエウ。

2018年8月15日(水)

平日は毎朝サラダとゆで卵とトーストでも全然飽きないけれど、週末の1日くらいはちょっと変化があるといいなと言って、時々、エドソンはパンケーキを作ってとか、BLT(ベーコン、レタス、トマトのサンド)を作ってなどとリクエストしてくるので、この日曜日はいつものサラダにゆで卵の代わりにハムとチーズを加え、トーストの代わりに玉ねぎとベーコンを混ぜて粉チーズをふりかけてスコーンを作ることにした。でも、ガラスのお皿に広げたスコーンをオーブンに入れて30分焼いても何だか柔らかく、焼けた感じがないので、失敗したかな?と思い、急遽、スコーンは諦めトーストを食べた。でも、食べている間もスコーンをオーブンで焼いていたら、何とか焼けたので、これはお昼に食べることにした。次の写真は、焼き上がったスコーン。白い小麦粉と全粒粉を半々に混ぜているのと、ちょっと長く焼きすぎたのか、少し茶色っぽいスコーンになった。スコーンをひとつひとつ丸めるのが面倒だったので、ガラスのお皿に広げてパイのようにして焼いてみた。2枚目の写真は、日曜日の昼食でジョゼ・ハファエウ、エドソン、私の3人で食べて残った一切れ。味はまあまあおいしく、失敗作とはならなかったのだけれど、ちょっとパサパサし過ぎかな?と感じた。スコーンは基本パサパサというかサクサクしているものだけれど、次回は混ぜるバターや牛乳の量を増やした方がいいかなと思った。

2018年8月16日(木)

8月は毎年リオデジャネイロ州ペトロポリスではBUNKA-SAIが開催され、日本文化週間も行われるのだけれど、今年のBUNKA-SAIは8月1日から5日の5日間開催され、8月7日から11日までの5日間に文化週間が行われたと、安見さんからメールをいただいた。これらの催しの企画、手配、実行をやり始めて今年で10年になるので慣れたはずだけれど、相手の市役所のメンバーが変わり、ペトロポリス日系協会の仲間も各人の事情があり、出られない人が出てきてメンバーが変わり、同じように出来ず、安見さんご夫妻の作業量と悩みの量は一向に減らず同じだったと書いておられた。

今年は日本移民110周年記念の年で、領事館や日系協会の催しも多くあったようで、それらにも色々と参加されたご様子。例えば、今年3月にブラジリアで開催された「世界水フォーラム」で基調講演をされた皇太子殿下のレセプションがあり、リオ州から4名がブラジリアまで行って参列し、各自一分以内の割り当てで、安見さんはペトロポリスの話をして握手をされたとあった。さらに、7月は眞子内親王殿下のブラジル訪問の出発地点となったリオでレセプションがあり、各日系協会から4~5名の枠で参加されて、これまたペトロポリスと日本の歴史的な関係を話して握手をされたという。「日本に居たら全くありえないチャンスですから記念になりました」とメールにはあった。更に日本人移民110周年記念行事として、初代公使館のあったペトロポリス市の公園に110本の桜を植えられた際は、リオの110周年委員会とペトロポリス市役所の取り計らいをされたり、これらの行事の手配や参加の合間を縫って、ランニングのメダル100個獲得目標の数字を上げるために、3度もランニングに参加されたとメールにあり、私はのけぞってしまった。70代後半の年齢で、よくそこまでのエネルギーがあるものだと、感心を通り越して驚いている。

「今年のBUNKA-SAIは、市側は会場作りで精一杯。市のイベントの費用負担はゼロなのでボランテアー参加を見つけました。ペトロポリス市外からの参加4グループの交通費等はリオ領事館の援助を得て実現しましたが、その他は全てボランテアの参加で、BUNKA-SAIは、計28項目、文化週間は11項目実施しました。新しいイベントは、小学生を動員したMINI-UNDOU-KAI。我々の友人で日本からの全ブラジル男子柔道強化コーチ藤井裕子さんに来ていただき、市内の柔道クラブへのデモンストレーションがあり、更に桜写真コンテストもありました。毎年やっているイベントですが、我々が直接やったのが盆踊りと着物ショーでした」と、メールにあった。

次の写真は、開会式の鏡開き。いつもは、樽はサンパウロの東麒麟から借りていたのだけれど、運搬費を削減するために、メンバーの一人が作ったのだそう。市長と総領事に木槌で蓋を開けてもらい、安見さんの音頭で乾杯。

次の写真は、着物ショー。去年は30名以上が色々の着物で舞台を歩いたのだけれど、今年のショーは出演者を12名に減らして、各人日本人の仕草を披露され、解説者がブラジルとの仕草の違いを説明したのだとか。例えば、履物をぬいで部屋に入り挨拶とか、道で会って挨拶とか、傘の開け閉め、扇子の開け閉めなどを実演されたのだそう。娘のえりかさんと孫のまりえちゃんも、浴衣で夏祭りに出かけるという想定場面に出演されたという。えりかさんはぞうりを履いているけれど、まりえちゃんはぞうりではなく靴を履いているところが何ともブラジルらしい。それとも気温が低く寒かったので草履ではなく靴を履いたのかな?

例年やっている太鼓は人気のイベントで、リオとバレンサの太鼓グループに出演してもらったと言う。次の写真はリオの太鼓グループ。

2018年8月17日(金)

ペトロポリスはBUNKA-SAI開催直前まで雨が降らず乾燥続きだったのに、開会式前日から雨になり、金曜まで続いたらしい。幸い土日は晴れたので人出に救われたけれど、レストラン出店の人たちからは雨での損失をカバーするために次の10日(金)から12日(日)までBUNKA-SAIを延長してほしいと頼まれたため、7日から11日は別の場所で文化週間の催しをしていて大忙しだったのだけれど、頼まれるうちが花と思って、延長戦をされたとあった。「人集めのためのイベントは、結構気軽に無償で出てくれるグループがあり、これまた救われました」ともあった。

次の2枚の写真は、雨が降らなかった日曜日の会場の風景を撮ったもの。

次の写真は、会場のクリスタルパレスの中で行われた盆踊りの様子で、一番左端の男性は、リオの総領事のようだ。

次の写真は、全ブラジル男子柔道強化コーチでブラジルに来ておられる藤井裕子さんとその家族と一緒に撮られたもの。

次の写真は、ハッピを着たペトロポリス日系協会のメンバー。そう言えば、顔ぶれがこれまでの常連の方達と少し変わっている。

全ての催しが終わり、8月13日は各会場で使ったものをご自宅に持ち帰って、「終わった、終わった」とお二人で大声を上げ、両手を上げ、背を伸ばしたとメールにあり、ちょっとクスッとしてしまった。でも、ご夫妻の仕事はこれで終わったわけではなく、持ち帰ったものを次の催しのために整理して箱詰めし、浴衣は洗って糊付けするというから気が遠くなる。浴衣や着物などすべてをご自宅で管理、保管されるのは、数が多いからさぞ大変だろうと想像するのだけれど、それにしても、よく毎年されるなあ・・・。それで、「お元気ですねえ~」と、返信すると、「元気にするよう心掛けると元気になると信じて振舞っているからです。元気だねといわれると嬉しい限りです。もっと元気にしようと思います」と、またメールをくださった。おふたりは、まず気持ちが若い。そして、前向きに元気に動くことを心がけておられる。それがおふたりの元気の秘密なのかなと思った。私たちも見習わなくては!

2018年8月18日(土)

ワンコのめいは、昼間はベランダで過ごし、夜はシュハスコ小屋の中で寝る。いつもならはるとひろに朝一番のオシッコとウンチをさせた後、めいをシュハスコ小屋から出して、お散歩をしてオシッコとウンチをさせてからベランダに連れて来るところ、今月始めのように連日雨で寒い日々や、先週末から今週にかけて朝の最低気温が5度前後と低い時は、ベランダに連れて来ても寒いだろうからと思い、エドソンが仕事に出るまで、シュハスコ小屋の中から出さないでいる。めい自身も、シュハスコ小屋の中の方が暖かいとわかっているからか、早く出してと吠えたりせず、小屋の中で静かにしていることが多い。気温が低くても日差しがあれば、次の写真のように芝生の上で暖を取ることができるけれど、雨が降っているとそうも行かない。めいはベランダの椅子の上も好きだけれど、この芝生の上で丸まって寝ていたり、背中がかゆいのか、ひっくり返ってゴロゴロ体を動かしていたり、次の写真のように座っていたりするのも好き。それで、この部分の芝生だけがめいの重みで禿げたようになっている。

2018年8月19日(日)

一週間ほど前、ランドマークの木の幹の間で咲いているランの写真を掲載した際、ついでに写っているサボテンのような植物も元気にしていると書いたら、広島の友人が、彼女の家にも同じ多肉植物があって、名前は「おぼろづき」とか「リランナ」と言うらしいと教えてくれた。それで、ネットで「多肉植物、おぼろづき」で調べてみると、リランナよりもたくさんの写真が掲載されていて、うちのとまったく同じ、緑と言うよりも、ちょっと灰色がかった色で、つるの伸びたものなどもあって、やはり、おぼろづきと言うんだとわかり、何だかうれしかった。それにしてもおぼろづきなんて何とも風情のある名前だなあ。それで、今回はついでではなく、そのおぼろづきをメインにして写真を撮ってみた。

2018年8月20日(月)

うちで大量に収穫できるレモンを何とかあまり無駄にせず利用できないかと、先月、塩レモンを作ってみたことは書いた。レモンの輪切りに塩をふりながら瓶詰にして2週間ほど置いた後、わずかに上がってきたジュースでサラダドレッシングを作ってみた。純然たるレモンの絞り汁ではないので分量の割合を適当にしたのだけれど、ドレッシングの味はまあまあだった。でもたくさんのレモンを使ったのに一回分しかドレッシングができないのはちょっと残念と思い、オリーブ油とサラダ油を混ぜたものの中に塩レモンを作ったレモンの輪切りの半分を入れて、ドレッシングができるかなと思いながら混ぜてみた。その結果、レモンの皮のついた輪切りを入れたので、レモンの皮の苦味が出てしまい、レモンの酸味が少なく、エドソンには不評だった。トホホ・・・。酢の代わりにレモンを搾ったレモン汁でドレッシングを作る方が手間もレモンの数も少なくて済み、簡単だという結論に達した。実際にやってみるまではわからなかったことなのだから、まあこの努力は良としよう。

2018年8月21日(火)

この土曜日、手伝いのゼーとマリアはまたまた仕事にやって来なかった。でも、ペドレイロのミウソンと彼のお父さんが6週間ぶりにやって来た。と言っても6週間前は、新ガレージ建設プラスアルファーでやってもらったガレージ前のコンクリートの道作りとか、古いガレージの扉を取り除いた後の壁作りとかの作業に対して、いくらいくら支払って欲しいという話し合いにやって来ただけで、仕事は何もしなかったので、仕事をしに来たのは8週間ぶり。つまり2ヶ月も仕事に戻って来てくれなかったことになる。6週間前、これらの追加の仕事に対して法外な金額を言って来たものだから、エドソンがそれはいくら何でもおかしだろうと交渉し、何割だか減らしてもらって支払金額に合意し、その半額だけを支払った。そして、残りの支払いは次の仕事に戻ってきてくれた際払うことにしていた。でも、ずっと戻って来てくれず、残りの支払いは銀行振り込みして欲しいなどと言って来たらしい。でも、そんなことをすれば、また当分仕事に戻って来てくれないのは明らかなので、エドソンはそれには返事をせず、いつ仕事に戻って来るの?と返事をしたらしい。それで、仕事に戻らないとどうも残りを支払ってもらえそうにないと理解したから戻って来てくれたのだろうかと思った。それで、その日彼らが仕事を終えて帰る際、支払いできるようにとお金を用意していたのだけれど、昼食後、ついさっきまで彼らが仕事をする側で話していたエドソンに何も言わず、その数分後、午後1時半頃に帰って行ってしまったので、支払いは次回に持ち越しとなった。新ガレージの次に彼らにやってもらう仕事は、来客が長期滞在できるように1LDKの小さな離れを建てること。この離れを建てる計画はエディにこの家を建ててもらっている頃からあり、その建設作業をエディがしてくれる約束になっていたのだけれど、結局何年も作業に戻って来てくれず、ずっと計画倒れになっていたもの。現在、来客の際は香山文庫のある下の寝室に泊まってもらっているけれど、台所や居間のある、独立した離れの方が気兼ねなくくつろいでもらえるだろうと考えるから。でも、それを実現してくれるはずのペドレイロの行動もまったく予測不能なので、今後毎週土曜日に来てくれて作業が順調に進むかどうかはわからない。

2018年8月22日(水)

ブラジルでは、ペドレイロや手伝いの人など、誰かに仕事をしてもらう際、労賃の前払いをしてはいけないというのは常識。前払いなんかしてしまうと、お金だけ受け取って、仕事をしてくれないから。手伝いの人たちには夕方仕事が終わってからその日の日当を払うのだけれど、ペドレイロの場合、例えば、どんな家を建てるかによって金額は異なるけれど、1平米当たりいくらで、この広さだといくらになるという具合に合意して、何回かに分けて仕事を継続してもらいながら支払って行く。でも、ここの人たちはその何分割かの支払いでも、お金を受け取ると姿を消して、しばらく仕事に戻って来てくれなくなるから困ったものだ。いっそのこと、すべてが完成した後で支払うことにすれば、休まずやってくれるのかもしれないと思ったりするけれど、そうすると彼らの生活が成り立たなくなり、そんな支払方法への同意は得られないだろうから、そういうわけにも行かず、ある程度仕事が進み、支払いをし、しばらく仕事が中断し、またある程度仕事が進みというのを繰り返すことになる。以前、楽書倶楽部にブラジルで暮らしていて一番大変なことは「人」だという文章を書いたけれど、ブラジルに来て10年近くなろうかという今でも、やはり一番大変なのは「人」に変わりはなく、理解に苦しむ彼らの行動に振り回されながら、いろいろと駆け引きをしながら仕事をしてもらわなくてはならず、日本やアメリカなら必要のない気苦労が耐えない。でも、そんな時、私たちのイライラを和らげてくれるのはここの自然の営み。例えば、今は、最近咲き始めたイペーの花(以下写真)が気持ちを癒してくれる。

2018年8月23日(木)

インターネット上の2018年8月14日11:45配信の「産経ニュース」に、アメリカ上院の民主党有力議員であるダイアン・ファインスタインの補佐官が中国のスパイだったという古森義久氏の記事があった。以下は、その記事のコピー。この記事のサイトへのリンクは記事の最後に記載した。

中国スパイと断じられた米上院議員の補佐官 慰安婦問題糾弾でも先鋒

米国上院の有力議員の補佐官が司法当局から中国政府のスパイと断じられていたことが判明した。この人物は日本の慰安婦問題でも長年、日本を糾弾し、いまもそのための在米組織の中枢にあることも分かった。

上院民主党カリフォルニア州選出のダイアン・ファインスタイン議員は8月5日、「連邦捜査局(FBI)から5年前に私の補佐官の一人が中国諜報機関にひそかに情報を提供し、対米秘密工作に協力していると通告を受け、独自にも調査した結果、すぐに解雇した。機密漏れの実害はなかった」という声明を発表した。

5年前の出来事がいま表面に出た理由は7月下旬の米国の政治ネット新聞による「上院で情報委員会委員長として機密を扱ったファインスタイン議員に20年も仕えた補佐官が実は中国の対外諜報機関の国家安全部に協力する工作員になっていた」という報道だった。

いまの米国ではロシアの大統領選干渉疑惑に加えて中国の対米工作の激化が問題となり、上院で25年も議席を保つ最長老の有力女性政治家、ファインスタイン氏の中国スパイとのつながりは全米に強い衝撃を与えた。トランプ大統領も8月4日の遊説で同議員の名を挙げ、「自分が中国のスパイに浸透されながらトランプ政権のロシア疑惑を糾弾するのは偽善だ」と語った。

さらに8月6日、ワシントンを拠点とするネット政治雑誌が「中国スパイとされるのは同議員補佐官だった中国系米国人のラッセル・ロウという人物だ」と断定する報道を流した。ロウ氏は長年、ファインスタイン議員のカリフォルニア事務所の所長を務めたという。

同報道をファインスタイン事務所もFBIも否定せず、一般のメディアも「ロウ氏こそ中国諜報部の協力者あるいはスパイだ」と一斉に報じるようになった。ただしロウ氏は逮捕や起訴はされておらず、その理由は「中国への協力が政治情報提供だけだと訴追が難しい」からだと説明されている。

ところがロウ氏は現在はサンフランシスコに本部をおく「社会正義教育財団」の事務局長として活発に活動をしていることが多数の米国メディアにより報道され確認された。

数年前に設立された同財団は長年、米国で反日活動を続ける中国系組織「世界抗日戦争史実維護連合会」とも密接なつながりを保ち、学校教育の改善という標語を掲げながら、実際には慰安婦問題に関する日本糾弾が活動の主目標であることが財団の紹介サイトにも明記されている。

同サイトは「日本は軍の命令でアジア各国の女性約20万人を組織的に強制連行し、性奴隷とした」という事実無根の主張も掲げている。

ロウ氏は議員補佐官としても慰安婦問題で日本を非難する多彩な動きを取ってきた。

ロウ氏はいまは社会正義教育財団の中心として活動し、昨年10月にはマイク・ホンダ前下院議員とともに韓国を訪問した。ソウルでの記者会見などでは慰安婦問題で「日本は反省も謝罪もせず、安倍晋三政権は嘘をついている」という日本非難の言明を繰り返した。

だがこういう人物が実は中国のスパイだと米側で断じられたことは、慰安婦問題の中国当局の政治操作を改めて物語るといえそうだ。(ワシントン駐在客員特派員)

この記事のサイトは、こちらへ

この米上院議員の補佐官が中国スパイだったというニュース、他でも報道していないかと思い見てみると、THE EPOCH TIMESにTrevor Loudon、Zachary Stieber、翻訳編集・佐渡道世として、2018年8月17日11時29分配信の「米上院議員の重鎮、補佐官は中国スパイ 江沢民氏と深い繋がり」という記事があったので、この記事のサイトにもリンクをはってみた。この記事のサイトはこちらへ

8月21日11:01配信のJapan In-depthに掲載された「中国スパイ 韓国で日本を糾弾」という記事のサイトは、こちらへ

2018年8月24日(金)

以下は、インターネット上にあった夕刊フジ8月20日16:56配信の「有本香の以毒制毒」のコピー。

「靖国参拝」公人か私人かバカげた質問 中曽根政権から左派メディアが仕掛けた
「中韓の批判」

8月15日は73年目の終戦の日。平成最後の終戦の日でもあった。東京・九段北の靖国神社には例年どおり、早朝から多くの参拝客が詰めかけ、報道陣もそれなりの数が詰めていたことだろう。

いわゆる「靖国問題」がやかましかった小泉純一郎政権時代には、上空に報道ヘリが飛ぶ物々しい雰囲気であったが、当時に比べると今年は静かだったと聞いた。

私自身は近年、取材を除き、8月15日に靖国へお参りすることをやめている。理由は、あまりにも騒がしく、落ち着いてお参りできないからだ。

神社周辺ではデモ隊がわめき、参道には奇妙なコスプレーヤーや報道陣がいる。靖国と関係ない、他の政治問題を訴える活動家が大勢集合している。多くの人々に自分たちの問題を訴えたい活動家の気持ちも分からなくはないが、「靖国の政治利用」は控えてもらいたいものだ。

ところで、メディア各社の記者とカメラクルーは例年、暑いなか、社殿の出入り口近くの定位置に立錐(りっすい)の余地なく立つ。そして、参拝を終えて出てくる閣僚や有力政治家らに、判で押したように同じ質問をするのだ。

「公人ですか、私人ですか?」「玉串料は?」「中国、韓国などの反発をどう思うか?」

汗だくで詰める若い記者さんらには悪いが、これほど非生産的なルーチンワークもない。

長年メディアが騒いできた「靖国問題」とは、朝日新聞をはじめとする日本の大メディアが仕掛けたタチの悪い政争というしかない。「靖国問題」などと言うが、神社には何の「問題」もない。

1985年、当時の中曽根康弘首相の公式参拝までは、もっぱら「政教分離」を論点として政治家の参拝の適否を問うていたものが、この年を境に、「中国・韓国が気にする問題」にすり替わった。

左派メディアの“手引き”により中国が物申し始めたからである。

このような「問題」の発端は、近年多くの日本人の知るところとなり、メディアが騒げども、靖国神社の参拝者は年々増えている。にもかかわらず、左派メディア側はかたくなに旧来どおりの「8・15靖国報道」を続けているのだ。

この報道活動がいかにバカげたものか。そのいわば証の1つが、前述の「公人か、私人か?」なる定番質問だ。これ、実はまったく無意味な質問と言っていい。

靖国神社に閣僚が参拝する際、神社側は、日ごろ厳重に保管している閣僚専用の記帳簿を用意して迎え、閣僚はこれに署名する。つまり、閣僚専用の記帳簿に署名した時点で「閣僚(公人)が参拝した」ということになる。

この閣僚専用の記帳簿の存在を、靖国神社は秘密にしていない。なのに、なぜかどのメディアもそのことは報じず、参拝する閣僚らに「公人か、私人か?」と問い、政治家側が「私人です」と答える。そんな「茶番」が長年、繰り返し繰り広げられてきたのだ。

今年、安倍晋三政権の閣僚は一人も参拝しなかった。閣僚用記帳簿の出番はなかったはずだが、このことを「中韓に配慮」などの見出しとともに、「良きこと」のように大メディアが報じた。

来年の終戦の日こそ、ヨソの誰かではなく、英霊に「配慮」し、静かに祈るときを持ちたい。意味なき取材なら、遠慮してくれないかとすら思うのである。

■有本香(ありもと・かおり) ジャーナリスト。1962年、奈良市生まれ。東京外国語大学卒業。旅行雑誌の編集長や企業広報を経て独立。国際関係や、日本の政治をテーマに取材・執筆活動を行う。著書・共著に『中国の「日本買収」計画』(ワック)、『リベラルの中国認識が日本を滅ぼす』(産経新聞出版)、『「小池劇場」の真実 』(幻冬舎文庫)など多数。

2018年8月25日(土)

ランドマークの木の西側の道沿いにユーカリの並木がある。このユーカリの並木の一番北側の木に、ちょっと大きい鳥がよく止まって鳴いていたりするので、ここに巣でも作っているのかなと思っていた。すると、先日、エドソンがわしの一種だと言うその鳥が、枝をくわえてこの木に飛んで来るのを何度か見かけたので、カメラを持って出て見てみると、やはり巣ができていた。1枚目の写真は、朝日を浴びた木の上の方、画面中央に何となく茶色っぽく、ぼんやり見える巣を撮ったもの。2枚目は、その巣をアップで撮ったもの。画面右端の方に鳥が1羽写っているのがわかるだろうか?これはヒナでなく親鳥。この鳥の写真は以前一度ブログに掲載したことがあるけれど、体全体は黒で、首から上が白く、頭のてっぺんはお皿をかぶったように黒く、くちばしと足が黄色っぽい色をしている。この写真を撮った際、私が写真を撮っているのに気づいたのか、飛んで行ってしまったので、さらなる接写はできなかった。サラちゃんを始め、こういう野性動物たちがここに住み着いているということは、うちのシャカラの自然環境が良く、住みやすい場所だと思ってもらえているということで、それは光栄なことだと思う。

2018年8月26日(日)

この10月、ブラジルでは大統領選挙が行われる。でも、ブラジルの政治は混沌としていて、腐敗していない政治家なんていないので、この人という候補がいない。マイナス面の大きい候補からハジキ飛ばして行くと、何とかましなのが社会民主党のアウキミン候補(前サンパウロ州知事)なのかなと思う。でもこの人、実務家で、結構真面目なので、あまり人気がない。ブラジル人は真面目な政治家が嫌いで、痛みを伴う改革が嫌い。そんな中、現在服役中のルーラ元大統領(労働者党・PT)が大統領選に出馬しようと画策している。犯罪歴のある人間は何年間か、選挙に出ることはできないという法律があるのに、現在服役中の人間には摘要されないとか何とか、おかしな解釈と主張をして、PTはどうしてもルーラを担ぎ出したいらしい。現在服役中。つまり、犯した罪のみそぎをまだ済ませていないバリバリの犯罪者で、国を傾かせた人間を大統領にしようなど正気の沙汰とは思えない。そしてとうとう、ルーラは大統領選出馬登録を行ったという。実際に選挙への出馬が認められるかどうかの最終判断は高等選挙裁判所に委ねられているのだけれど、ルーラが大統領選に出る可能性が出てきたため、ブラジルの通貨が1ドル3レアルくらいだったものが、4レアルを越えてガクンと下がってしまい、すでに経済に悪い影響が出始めている。それでこれ以上経済に悪影響を及ぼさないために、連邦検察庁が高等選挙裁判所(TSE)に対し、ルーラの出馬登録に関する審理を早く行うよう圧力をかけていると言う。つまり、出馬不許可の結論を早く出せということなんだろう。一方、これとは反対に「国連人権委員会」が、ブラジルに対し、最終判決が出るまでルーラの立候補を妨げないよう勧告したというニュースがあり、「国連人権委員会」に他国の内政に口をはさむどんな権限があるんだ?と思った。それよりも人権委員会と言うなら中国で弾圧されているウイグルやチベットの人たちの人権を守れと中国に言うべきでは?とも思った。ブラジルの人たちは国のことよりも自分のことしか考えない傾向があるけれど、ルーラが大統領に返り咲いたりしたら、ブラジル経済はさらに悪化し、国が疲弊して、多くの国民が困窮してブラジルに逃げてきているベネズエラのようになるということを、どうして理解できないのだろうかと、そのことが私には理解できない。人を盲目にさせる共産主義という宗教は本当に恐ろしい。

2018年8月27日(月)

昨日、ベネズエラのことに少し触れたけれど、ベネズエラと国境を接するブラジルのホライマ州は、国の機能が破綻して、インフレ率100万%というすごい状態で、生活できなくなっているベネズエラから逃げ出してくる人々が溢れてとても困っている。日本ではベネズエラのことはほとんど報道されないようだけれど、インターネット上に、8月23日(木)15:16配信の「ベネズエラの妊婦がブラジルに殺到、病院はてんてこ舞いに」という記事があったのでリンクをはってみる。この記事のサイトはこちらへ

8月22日付けニッケイ新聞には、『八木景子監督=「捕鯨問題の真実伝えたい」=ビハインド・ザ・コーブ23日上映=日本叩きの不可解な背景暴く』という記事があった。この映画が完成して、モントリオールの映画祭で公開されてからずいぶんと年月が経過しているけれど、とうとうブラジルでも上映されるのかと思った。でも、一般の映画館での上映でないのは残念だなと思った。この記事のサイトはこちらへ

2018年8月28日(火)

今月、ペトロポリスの安見が送ってくださったペトロポリスのBUNKA-SAIの情報と写真を掲載した際、孫娘のまりえちゃんが浴衣に靴を履いているので、ブラジルらしいと書いた。すると、先日、またメールをいただき、日本の親戚の人がフェイスブックに載せた写真を見ると、「日本でも幼稚園の夏祭りとか、町内会の夏祭りで山車を曳く幼稚園児たちはみな浴衣に運動靴を履いている。この子たちが大きくなると、浴衣に運動靴が定番になるだろう」と書いておられた。へ~、最近の子供たちは浴衣に運動靴なのか~と、思った。浴衣は大きめのものを作って、タックをして、成長とともに、そのタックをはずして何年か着ることができるけれど、下駄は成長の早い子供に合わせて毎年買うのは大変だし、履き慣れない下駄で歩くのも大変だから、運動靴というのも何だかわかるような気がした。さらに、着物や浴衣は日本から譲ってもらえるけれど、履物(草履、下駄、足袋)はもらえないので、現地調達することになり、大人は白の靴下に、日本で言うビーチサンダルを代替品として使っているとのことだった。ブラジルで日本を体現しようと思うと、いろいろ大変ですね。次の写真は、浴衣姿のまりえちゃん。

2018年8月29日(水)

先週、ペドレイロが約束通りちゃんと仕事を始めてくれないとぐちったけれど、お天気があまりよくなかったのに、この土曜日に作業に来てくれたため、離れの基礎工事が始まった。何年もずっと工事が始まらず、果たして離れを作ることはできるのだろうかと、ちょっとへこんでいたので、うれしい展開だった。金曜日の夜から降り始めた雨が、夜半には強風と雷を伴い、土曜日の朝には止んでいたものの、またいつ降り出してもおかしくない空模様だったので、手伝いの人たちもペドレイロも来ないと踏んでいたのだけれど、ペドレイロのミウソンから来ると連絡があったようで、朝食後にエドソンが入り口ゲートの鍵を開けに行き、ミウソンたちは8時半頃には来て作業が始まった。次の写真は、土曜日の夕方、ミウソンたちが仕事を終えて帰った後、エドソンとふたりで建設現場に行って撮ったもの。家の南側に作った新しいガレージ(5x8=40平米)とほぼ同じくらいの広さの小さな離れ(6x7=42平米)。完成は来年のいつ頃になるだろう?

2018年8月30日(木)

月曜日の朝食後に、台所の流しで食器を洗っていると、ガレージの扉の前に何だか丸っこくて黒っぽいものが見えるので何だろう?と思った。エドソンが仕事に出かける際、一緒に出て見ると、サビアーというきれいな声で鳴く小鳥だった。私たちがすぐ側に行っても、体調が悪いのかじっとしてまったく動かない。でも、扉の前にいられては車が出せないので、エドソンが足で優しくつついて鳥を移動させ、車を出すことができた。エドソンが出かけて、私が家に戻ってもまだ同じ場所でじっとしているので、カメラを持って出て、その鳥を撮ったのが次の写真。写真を撮った後、その場を離れて振り向くと、もうそこにはいなかったので、何とか飛び立つことができたようで、安心した。

2018年8月31日(金)

エドソンの仕事が忙しく、なかなか郵便局に行く時間がなかったのだけれど、この水曜日にようやく時間を作って行ってくれ、郵便を受けとることができた。次の写真は、届いていた楽書倶楽部第44号。火曜日に前園さんから、毎回サンパウロ新聞にも楽書倶楽部を送っていて、そのサンパウロ新聞から「女性の広場」という欄に、この号に掲載された私の文章を掲載させてほしいと言ってきているけれど、いかがでしょうかと連絡があった。この欄にはこれまでにも楽書倶楽部から何人もの人の作品が掲載されているらしく、この前は蓼沼さんの文章だったと言う。「差支えがなかったらサンパウロ新聞の読者に読んでいただけるのもいいことだと思います」というメールだったので、喜んで同意しますと返信をした。以下は、この号に掲載された私の文章。

女性の社会進出と幸福度は比例するか?

日本は女性の社会進出が欧米諸国に比べて非常に少ないと言われている。日本で女性の社会的な地位が低いのは、社会的に差別されているからだと批判される。確かに、政治家や企業のトップ層に女性が少ないのは事実だろう。ただ、こういう批判を耳にすると、女性が男性と同じ思考形態で行動し、男性と同じことをすることが、即、差別がなく、女性にとってより良い社会と言えるのだろうか?と、天邪鬼な私は考えてしまう。

能力があり、社会の一線で仕事をしたいと望む女性が、女だからと、その道を閉ざされてしまうことには反対だけれど、だからと言って、女性がみな社会に出て男性のように働くべきだという考え方にも違和感を感じる。男性と女性が平等な機会を与えられることは当然のことながらとても大事だ。ただ、女性と男性は基本的に違うのだから、女性も男性と同じ事をしろと言われると、それで女性はみな幸せだろうか?と疑問に思う。

最近、一世の友人とメールで話していて、「世界の村で発見!こんなところに日本人」というテレビ番組を見ていると、世界の隅々まで日本人女性が出て行って暮らしていることにとても驚く。どうしてだろう?最近の日本女性は変わったのだろうか?という話になった。それで私なりに考えてみた。日本人男性は子供の頃から、親からの期待が大きく、いい学校に行って、いい会社に入って、結婚してちゃんと家庭を築かなければ一人前ではないという既定の線路が敷かれているため、そこから逸脱することは困難で、人生の選択肢にあまり自由がない。一方、女性は男性ほど期待されない分、やりたいことをやれる自由が多少なりともあり、異なる環境を受け入れる柔軟性もあるのではないだろうか。ブラジルの花嫁移民などこのいい例ではないかと思った。日本人女性には好奇心が強く、海外に出て、様々な異文化を直接経験してみたいと思う人が少なくないのだろうと思う。日本では男性と女性のどちらが幸せだろうかと考えた時、ひょっとすると社会的な縛りが少なく、比較的自由な女性の方が幸せなのかもしれないと思えるのだ。

日本、アメリカ、ブラジルと暮らしてきて、私なりにいろいろ感じることがある。アメリカには男性同様バリバリと仕事をしている女性が多い。でも、私の個人的な印象ではあるけれど、彼女たちは男性と対等に仕事をするために、心に鎧を着込んでいて、一見強そうに見えるけれど、内面はとても壊れやすく、その弱い部分を隠すためにいつもピリピリしているように感じた。私には彼女達がずいぶん無理をしていると思えてならなかった。そして、彼女たちが外でバリバリ働けるのは、彼女達の夫や社会が助けてくれるからではなく、比較的安い賃金で子育てや家事労働をしてくれる移民の女性たちがいるからという現実もあった。

話は少し脱線するけれど、日本の家電製品などは使う人(女性)の身になって作られていて、とても便利にできているとつくづく思う。女性だけの開発チームを作って、女性の意見を十二分に取り入れて作っているからだと聞いたことがある。例えば、日本の洗濯機は音がとても静かで、衣類を傷めにくい構造になっている。一方、ブラジルの洗濯機は音がとてもうるさく、洗濯槽の構造は衣類を傷めやすい。そして、新しいモデルが出ても、それらの問題は一向に改善される気配がない。

私の知る限り、ブラジルでは高層住宅は別として、平屋の場合、洗濯機はうるさいので室内には置かず、屋外の屋根の下にある洗濯場に置くことが普通のようだ。我が家を建てる際、土木技師の人に柱の数や太さの助言を受けた際、洗濯機は台所に置くつもりだと話すと、室内に置くと音がうるさいですよと、忠告を受けたくらいだ。では、何故静かな洗濯機を作ろうという発想にならないのだろうかと不思議に思った。ブラジルは熱帯や亜熱帯に属する国なので、洗濯機が屋外にあっても困らない地域は少なくないだろうけれど、サンパウロや南部の州は温帯で、冬は最低気温が一桁になったりして寒い。そんな寒い屋外で洗濯する人の身にもなってほしい。奥さんも働いていて、お金のある家庭ではお手伝いさんを雇い、洗濯はお手伝いさんがするのかもしれないけれど、そのお手伝いさんだって女性だ。いづれにしろ女性に優しくないことに変わりはない。

話が逸れてしまったけれど、自分の能力を十分に発揮して男性と同じように働く女性がいたり、子育て期間中は働く時間を短縮できたり、子育てが一段落したら、また仕事に復帰できたり、フリーランスの仕事でも社会保障が他の働く人たち同様に受けられたり、一定以上に大きな会社には従業員のために保育所を作ることを義務付けたりと、様々な働き方を許容する社会を作ることができれば、女性政治家が何人いるとか、会社の経営陣に何人女性がいるという数字には現れない女性の幸せを実現することができるのではないだろうか。

アメリカでは、一時期、仕事をしていない専業主婦を見下す傾向があったけれど、それもひとつの選択肢として認め、いろいろな生き方、働き方を女性が選択できるような多様性を認める懐の深い社会に、日本がなればいいのになあと夢想している。



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