Kyoko Yoshida | Life in Brazil | BLOG |
2018年7月1日(日) | ||||
10日ほど前、梅の花が咲き始めたので写真を掲載したけれど、今、ほぼ満開になっているので、もう一度写真を撮ってみた。側に行くとほんのりいい香りがする。
うちの敷地内の入り口ゲートまであと少しという道沿いにイペーの木が2本育っていることは以前書いた。その側に、地面すれすれに朝顔のような白い花をひとつ咲かせた小さな植物があることに先週前半気づいた。何だろう?と思い、近づいて見ても、何の植物なのか良く分からなかった。そして、この金曜日には、2ヶ所に同じ花が咲いていたので写真を撮ってみた。画面の右手前と左奥にひとつずつ白い花を咲かせている植物が写っているのがわかるだろうか?朝一番のお散歩の際は、花はしっかり開いていたけれど、12時近くに写真を撮りに行った際は、もう花はしぼみかけていた。2枚目の写真は左奥の花をアップで撮ったもの。豆か何かだろうか?手伝いのゼーが種を蒔いたのだろうか?でも、芽は2つしか出ておらず、このふたつの芽以外に、回りにある緑はみな雑草。
| ||||
2018年7月2日(月) | ||||
この土曜日は、ドナ・クレウザとマウリシオが手伝いに来てくれたので、ドナ・クレウザには下の部屋の床をきれいに磨き上げる作業を、マウリシオにはその部屋の内外の作業をしてもらった。この日は草刈りなどの外の作業をしてくれるゼーとマリアも来てくれたので、家の中と外、それぞれにだいぶ作業がはかどった。次の写真は、下の寝室、洗面所、そして、汚れたガスレンジの掃除が済んだ後、下の部屋の床を洗いながら磨き上げてくれているドナ・クレウザ。1枚目はドアの外から撮ったもの。2枚目は、近づいて窓の外から撮ったもの。
お昼前に上の写真を撮った際は、夕方までに全部仕上げられるだろうかと、ドナ・クレウザはちょっと不安だったらしいのだけれど、4時半頃には作業がすべて完了してきれいになった。次の写真は、きれいになった下の部屋を日曜日の朝撮ったもの。汚れて土色になっていた床が磨き上げられて、きれいになり、ここの床のタイルはこんな色だったんだとエドソンとふたりで驚くことしきり。汚れていた調理用のガスレンジもすっかりきれいにしてもらい、感謝。感謝。
| ||||
2018年7月3日(火) | ||||
アチバイアのシオックが亡くなったと、日曜日の夜遅く、長男のペドロから届いていたメールを、月曜日の朝仕事に出てからエドソンは見たようで、午前9時頃私に連絡をくれた。シオックは4年前にガンで亡くなったエドソンの親友のデマーコの奥さん。彼女もご主人が亡くなる少し前にガンを発症していることがわかり、ガン闘病中だったのだけれど、障害児教育の仕事を続けながら比較的安定しているようだったし、昨年末にホリデーグリーティングのメールをやり取りした際は、元気そうにしていたので、この知らせを受けてショックだった。食事ができなくなり、痛みも激しいので、最後の望みをかけて手術を受けたのだけれど回復できなかったということだった。私よりも何歳か若く、3人の子供たちはみな成人して結婚しているものの、まだ孫の顔を見ていない。人には寿命というものがあり、世の中不公平なものだということはわかっているけれど、デマーコやシオックのような愛すべきいい人たちの、あまりにも理不尽で早すぎる死に不公平過ぎると思った。次の写真は、昨年末のメールに添付して送ってきてくれた、9月に行われた娘マリリアの結婚式で家族揃って撮った1枚。抗がん剤治療を受けている頃はかつらを使用していたけれど、この写真では自分の自然な髪で写っていて元気そうなのに・・・。
| ||||
2018年7月4日(水) | ||||
家の西側の庭の桜の木の手前に、去年ガーデンマナカを1本植えた。すでに一度花が咲いているのだけれど、6月下旬から、またポツポツと花が咲き始めた。うちの森にあるマナカの木は野性なので、とても大きな木だけれど、このガーデンマナカは庭用に栽培されたものということで、あまり大きくならないのだと聞いている。そして、森のマナカは年に一度秋に咲くのだけれど、このガーデンマナカは年に何度咲くのか?秋に咲くと決まっているわけではなさそうだ。マナカの花はちょっとハナミズキの花に似ているなと思う。ひとつの木に白、ピンク、濃いピンクの三色の花が咲くので、不思議な木だと思っていた。そうしたら、今回このガーデンマナカの花が咲き始めて、毎日花を見ていて、その三色の花の謎が解けた。まず最初に開花した時の花の色は白いのだけれど、2日くらいすると、それが薄ピンクになり、そして、さらに1~2日すると濃いピンクに色が変化するということがわかった。おもしろい。次の3枚の写真は、その色の変化を撮ったもの。
| ||||
2018年7月5日(木) | ||||
次の写真は、丘の上のクアレズマを撮ったもの。確か今年の1月にこの花が咲いたので写真に撮って掲載したように思うのだけれど、また花が咲いているので撮ってみた。左側の背の低い花の咲いていないクアレズマはお隣の敷地内のもの。左右2本のクアレズマの間に境界線の柵があるのがわかるだろうか?左側のクアレズマの横にあるものは、お隣の貯水タンク。この左右のクアレズマの木は私たちがここに来た時からあったのだけれど、お隣の敷地内の木はその頃とまったく大きさが変わっていないのに、うちの敷地内の木はだいぶ大きく育っている。その理由は簡単で、写真でもわかるように、左側のお隣の敷地はブラキアーリアという草で被われているけれど、うちの敷地内では取り除いているから。ブラキアーリアは放牧牛に食べさせる草としてアフリカから移植したものらしいのだけれど、とても強く牛に踏みつけられても枯れたりせず、根から毒素を出して、他の植物の成長を阻害するので、ブラキアーリアがあると、木があまり成長しないということがこの2本のクアレズマの大きさの違いからもよくわかる。ブラジルでは牛の放牧場や空き地はどこもこのブラキアーリアで被われている。うちの敷地内も同様だったので、何年もかけて手伝いの人にブラキアーリアを取り除く作業で格闘してもらい、最近ようやくコントロールできるようになってきた。お陰でうちの木々はどれもとても大きく育ってくれている。
| ||||
2018年7月6日(金) | ||||
この冬は冷え込む日々があまりなく、これまでに2回あっただけ。それ以外は例年になく暖かく、穏やかで気持ちのいい日々が続いている。そのせいなのかどうかよくわからないけれど、今、桜と一緒にサツキ、ガーデンマナカ、クアレズマなど、咲く時期が少し異なると思われる花々が一緒に咲いている。次の写真は、玄関前の外階段沿いのサツキ。4種類のサツキが花の数や勢いはそれぞれ異なるけれど、一応みんな花を咲かせているので撮ったもの。この写真には写っていないけれど、先日掲載したガーデンマナカの木は、この画面の右側にある。ただ、予報によると月曜日からお天気が崩れ、気温が下がるようなので、また数日、蒔ストーブの出番になるかもしれない。明日は七夕。うちにはたくさん竹があるけれど、笹竹に飾るための色紙などがないので、今年も七夕飾りはできないなあ・・・。
| ||||
2018年7月7日(土) | ||||
1ヶ月くらい前から、家の北側の庭や鶏小屋の回りで黒っぽい鶏のような、でも大きさは鶏よりも一回り小さい鳥を毎日のように見かけるようになった。虫をついばんでいたり、フラフラ歩いていたり、私たちの気配を感じると一目散に走って逃げたりする。鶏よりも小さいけれど、うずらよりも大きい。あの鳥は一体何だろう?と、エドソンと話していた。すると、先日朝食を始めようとしていると、ベランダのめいが大騒ぎをして吠えるので、居間の窓から見ると、その鳥がランドマークの木の南側の駐車場の隅でフラフラしていたので、大急ぎでカメラを取りに行き、写真を撮ってみた。写真で見ると、今まで見ていた印象よりも足が長くスマートで、鶏ではないことがはっきりわかる。先週の日曜日の午後遊びに来ていたジョゼ・ハファエウにエドソンがこの鳥のことを描写して尋ねてみると、それはサラクーラじゃないかと言っていたそうなので、インターネットで検索してみると、この写真と同じ鳥の写真があり、やはり、サラクーラだということがわかった。ジョゼ・ハファエウもパーディーニョの中心部に近いけれど自然環境のいいシチオで両親と暮しているので、こういうことに結構詳しいのだなと思った。それで、私はこの鳥のことを勝手にサラちゃんと呼ぶことにした。我が家の一員になったわけではないけれど、やはり毎日のように見かけるので、いつもの名前をつける癖が出てしまった。ちなみに、うちの車はトヨタ車なので、トヨちゃん。うちの敷地内によく出没する野うさぎは、初めて出没し始めた際、庭のアメンドインや、種を播いた後生えてきたばかりの豆の芽をすべて食べてしまうという破壊行為がすごかったで、テロリストのオサマ・ビン・ラーデンからオサマと名づけた。うちの鶏の名前は以前も書いたことがあるけれど、4羽の間に序列があるので、それに合わせて、部長、課長、そして、平社員の平(ひら)ちゃん2羽。2羽の平ちゃんは、体全体が薄茶色のものと、体は薄茶色で頭から首にかけて茶色のものとがいるのだけれど、この2羽の名前は特に区別しておらず、どちらも平ちゃんと呼んでいる。
| ||||
2018年7月8日(日) | ||||
パーディーニョに老人ホームを作ろうと活動をしている財団の人たちと知り合ったことは以前書いた。以来、エドソンは、月に2回、木曜日の夜行われる彼らの定例会に参加するようになった。私もたまには参加できるようにと、一度、うちで定例会をすることを提案していることは知っていたけれど、この木曜日の夕食の時に、「言うのを忘れていたけれど、今晩の定例会はうちですることになったから」とエドソンが言うのでびっくり。「おい、おい、そういうことは前もって言ってくださいよ」と、思わず心の中でつぶやいた。夕食後に、急いで食卓の上の鉢植えを片付けたり、お茶をいれるためのお湯を沸かしてポットに入れたり、マグカップを人数分出したりとあたふたと準備をした。午後7時の定刻通りに始まった定例会の司会進行をするベネディートは、時々、私が話し合いにちゃんとついてきているかどうか気をつかってくれたり、私にも意見や感想を求めてきたりした。私は土曜日にここに来る手伝いの人たちの言っていることはほとんど理解できないのだけれど、何故かこの人たちが話し合っていることは8割方問題なく理解できる。エドソンにそう話すと、彼らは教養のある正しく聞き易いポルトガル語を話しているからだろうということだった。でも、聞いて理解することよりも話す方は難しく、発言はどうしても英語になり、ベネディートが私の発言を通訳してくれた。次の写真は、定例会が終わり、帰ろうとしている皆さんを撮ったもの。左から、エリオ、ヒウド、イレーニ、エレイン(ベネディートの奥さんで、アレルギー専門医、彼女も英語を話す)、エドソン、そして、ベネディート。そうそう、はるもちゃんと玄関マットの上で写っている。でも、臆病なひろはケージの中から出てこようとはしない。
| ||||
2018年7月9日(月) | ||||
この週末に桜が見頃になるだろうという予測から、エドソンの職場で働く日系3世のトシオ君と彼の家族を招いてお花見会をしようと計画し、トシオ君に声をかけていた。「僕とアナは100%大丈夫だけれど、お姉さんは日曜日も仕事だから、休むか早退できないか話してみる」ということだった。でも、結局、都合がつかないのはお姉さんだけでなく、トシオ君も水曜日に受けた歯の手術からの回復が遅れていて体調が悪く、ガールフレンドのアナも日曜日に仕事になったということで、初めてうちに人を招いてのお花見会は不成立となった。日曜日もお天気が良く、午後は暑いくらいだったので、桜の下でお花見するにはもってこいの気象条件だったのだけれど、残念。次の写真は、家の西側の桜。その足元の間から向こう奥に見える桜は、家の南側の三角地帯に下りて行く入り口のもの。
次の写真は、庭に4本ある桜の内の南側の1本。枝垂れ桜のように枝が垂れている。右側の緑色の木は糸杉。
次の写真は、4本ある庭の桜の内の一番東側の桜。この木の左奥の桜は、今年は何故かほとんど花がない。ここはすぐ側にあるセドリーニョが大きくなって日当たりが悪いからだろうか?画面左側にここの4本の桜のちょうど真ん中に設置したテーブルが写っている。
次の写真は、家の東側の庭に1本だけ植えている桜。エドソンのワークスペースの前の窓から撮ったもの。この桜が見頃になってから、エドソンは窓のブラインドを上げて、この桜が見えるようにしている。家事をしながら窓の向こうにこの桜が見えるとハッとする。とてもきれい。
| ||||
2018年7月10日(火) | ||||
次の写真は、エドソンが撮った夕日を浴びている庭の桜。それでなくてもうちの桜はヒマラヤ桜や沖縄桜なので、ソメイヨシノよりもピンク色が濃いのだけれど、夕日を浴びて、さらに一層赤みを帯びて写っている。
| ||||
2018年7月11日(水) | ||||
次の写真は、入り口ゲートから家に向かって歩いてきて、ランドマークの木の手前、坂の下で撮ったもの。真っ直ぐ進行方向前方に見えるのは、家の西側のランドマークの木のさらに西側の道沿いの桜。この桜の並木は、これまであまりたくさん花を咲かせていなかったので、東側にランドマークの木、西側にユーカリの木があって、日当たりがあまりよくないからなのかと思っていたのだけれど、今年は花の数が多く、これまでで一番きれいに咲いている。これまではただ単に木がまだ若かっただけなのかな?
次の写真は、上の写真を撮った同じ場所で斜め左を見て撮ったもの。坂の上の左側に庭の桜が見え、右側奥に家の西側の桜が見える。坂の上の雲ならぬ、坂の上の桜。なんちゃって。でも、桜の後ろのフランボヤンの木の後ろに雲も少し見えている。
| ||||
2018年7月12日(木) | ||||
次の写真は、防風林の小路を上がりきった所から後ろを振り返って撮った桜。正面と右側の桜の間、正面の桜の木の足元寄りに、長方形に石を置いたモビのお墓が少し見える。
| ||||
2018年7月13日(金) | ||||
次の写真は、うちで採れたアボカド。今年初めてアボカドの木に10個くらい実がなっていると、以前書いたけれど、その後、ひとつを採ってきて柔らかく熟れるまでしばらく置いて、食べてみると、なかなかおいしかった。この写真のアボカドは2度目に採ってきたものを夕食に出したもの。どこにも傷がなく、まったく痛んでおらず、おいしくいただいた。でも、エドソンがこの2個目のアボカドを採りに行った際、手の届く高さにあった別の4~5個のアボカドがすべて消えていたという。どうやら手伝いのゼーとマリアが黙って採ったようだった。これまでオクラやとうもろこしやカシやレモンをあげたり、マンジォカの場合は、自分たちのために掘り起こした際はうち用にも採ること、そして採った後は、採りっぱなしではなく新しく芽を植えておくことという合意のもとに、うちで育てている野菜などを持って帰らせていたけれど、私たちが楽しみにしていたアボカドを、私たちに一言の断りもなく採って持って帰ったことにエドソンとふたりで憤慨した。もらってもいいですか?と、一言あれば、数が少ないから2個だけならいいよとか条件をつけても、ダメとは言わないのに、黙って持って帰れば、それは泥棒と同じだという認識がないのだろうか?
| ||||
2018年7月14日(土) | ||||
火曜日の午後から気温が下がり始め、夜の気温は一桁になる予報だったので、夕方エドソンが帰宅する前に蒔ストーブに火を入れた。エドソンが帰宅すると、パーディーニョの町ではまだそれほど寒くなかったけれど、やはりここはパーディーニョよりも寒いねと言っていた。ほんの数百メートル高さが違うだけでもだいぶ違うのだと再認識。台所のカウンターテーブルの所で、いつものようにふたりでおしゃべりをしながらワインを飲んでいると、ひろが薪ストーブの前に座って、ストーブを見つめていることに気づいた。昼間日差しの差し込んでいた居間の真ん中に置いた彼らのベッドを、エドソンがストーブの前に移動すると、早速そのベッドの中に入って暖を取り始めたので、エドソンが撮ったのが次の写真。1枚目はフラッシュなしで撮ったので暗くなってしまった。それで、2枚目は仕切り直してフラッシュを使って撮ったもの。ここ数日続いた最低気温5度、最高気温15度くらいの冷え込みは、今日から少し緩む予報。
| ||||
2018年7月15日(日) | ||||
土曜日の午前11時過ぎ、この辺でよく耳にするセスナ機でもヘリコプターでもなく、隣人が時々飛ばすドローンでもなく、何だか聞き慣れないうるさいエンジン音が上空でするので、窓から外を見てみると、パラグライダーが飛んでいた。それで外に出て撮ったのが次の写真。9時過ぎにパーディーニョのスーパーに買出しに行ったエドソンが、途中でパラグライダーを乗せたトラックとすれ違ったから、きっとその同じパラグライダーだろうと言っていた。ここでは週末、うちの前の道は自転車愛好家のコースになっているので、自転車に乗った人たちをよく見かけるけれど、パラグライダーで飛んでいる人を見たのは初めて。自転車と違って、パラグライダーなんて、何だかとてもお金のかかりそうな趣味だなと思った。
| ||||
2018年7月16日(月) | ||||
広島の友人が、久しぶりに私のブログを覗いたら、西日本の豪雨災害への言及がないので、ニュースを知らないのかな?と心配して、メールをくれた。のんきなことばかり書いているので、いらぬ心配をかけてしまったようだった。私はもちろんNHKのニュースも見ているし、インターネット上のヤフーのニュースも見ているので、広島と岡山で桁違いの大きな被害が出ていることは知っていた。兄や友人たちとメールで安否確認をしたり、こちらで最近知り合ったばかりの倉敷出身の方と、大変なことになりましたねと、心配を共有するメールのやり取りをしたりはしていたのだけれど、何となくブログで言及するまでには至っていなかった。それにしても、近年の日本は雨が降ると言えば記録的な豪雨で、台風も年々規模が大きくなっていて、地震も頻発し、多くの犠牲者や被災者を出している現実に、日本は一体どうなってしまうんだろうと、暗い気持ちになる。 次の写真は、土曜日にバウルから遊びにきたエドソンの親友で、アマチュア無線仲間のデミウソンと一緒にお昼を食べているところ。昼食は、「眠れる巨人」という名前の山が見えるこの台地の東端にあるバー・ド・ヴィヴァンで、ふたりが買ってきてくれたコシニャとキビ。デミウソンはうちのオレンジで作ったオレンジジュースではなく、ヴィヴァンで買ったというシナモンとハチミツ入りのピンガ(さとうきびから作った強いお酒)を飲んでいる。午後から私がマテウスのレッスンをしている間、ふたりの話し声が下の部屋から聞こえていた。そして、レッスンが終わる頃に上に上がってきて、エドソンのコンピュータの前やワークショップの中でごそごそと何やらしているようだった。デミウソンとはいろいろなプロジェクトを一緒にやったりする仲間なので、話は尽きないらしく、とても楽しそう。
| ||||
2018年7月17日(火) | ||||
ブラジルには首というか肩のところに、こぶのある牛がいて、そのクピン(cupim)と呼ばれるこぶ肉もスーパーなどで普通に販売されていたりするので、うちでもたまに食べることがある。次の写真は、Wikipediaのサイトからコピーしたそのこぶのある牛。セブ牛とかこぶ牛とか呼ばれているらしい。
日曜日の夕飯に、エドソンがそのクピンを圧力鍋で調理してくれた。彼の作る肉料理はだいたい圧力鍋を使って作るのだけれど、玉ねぎを切って鍋の底に敷いて、塩、コショウ、ガーリックやタイムなどで味付けしたお肉を玉ねぎの上に乗せて、水も油も加えずに、そのまま火にかけて作る。たまに火加減が強すぎたのか、玉ねぎを焦がしてしまうこともあるけれど、圧力鍋を使うと硬いお肉も柔らかくなるから不思議だ。次の写真は、出来上がった圧力鍋の中のクピンを撮ったもの。2枚目の写真は、そのクピンをふたりで半分ずつ切り分けて、お皿に盛り付けて、ご飯の上に玉ねぎを乗せて、トマトとアボカドとパセリとネギをマヨネーズで和えたサラダを添えてできあがり。このクピンは柔らかく、いつもの安い牛肉のもも肉だかすね肉だかを調理した時の味よりも、おとなしい味に仕上がっていた。
| ||||
2018年7月18日(水) | ||||
うちで採れるオレンジでオレンジジュースを作ると、一度に結構な数のオレンジを消費できるけれど、レモンはレモンジュースにしてもサラダドレッシングにしても、それほどの量を消費できないので、何とか無駄にしないで消費する方法はないものかと考えていた。でも、いいアイデアが浮かばなかった。すると、先日ネット上でたまたま、塩レモンの作り方を見かけて、これだと思った。ビンにレモンの輪切りとレモンの重量の10%の塩を加えて常温で置いておくと、レモンの水が上がってきて、塩レモンができるという。この塩レモンをレモンが採れなくなった頃、サラダドレッシングを作るために絞っていたレモン同様に使えばいいんじゃないかと思い、早速作ってみた。ただ、レモンの重量の10%の塩というのが多過ぎるように感じたので、その半分の量で作ってみた。結果が吉と出るか?凶と出るか?できてみるまではわからない。これがうまく行くようだったら、何本かビン詰めの塩レモンを作ろうと思っている。このビン詰めは常温保存で半年くらい保存できるということだから、これがうまく行けば、レモンが採れなくなってもサラダドレッシングにレモンを利用することができると期待が高まる。
| ||||
2018年7月19日(木) | ||||
日本のスーパーでは、トマトと言えば赤く熟したものを販売しているけれど、ここではなかなか赤いトマトを見かけない。だいたいいつも販売されているのは青いトマト。最初の頃は赤いトマトはないかと、何軒かのスーパーに行って探していたけれど、どこにもないことが多いので、ボトゥカトゥのスーパーで買うことが多かった。でも、ある時、青いトマトをエドソンが買ってきた際、台所のテーブルの上でしばらく置いておいたら赤くなった。何だ、青いトマトをすぐに冷蔵庫に入れると赤くならないけれど、こんな風に外に出しておけば青いトマトも自然に赤くなるんだということに気づいた。以来、赤いトマトがなければ青いトマトを買ってきて、赤くなってから冷蔵庫に入れるようにしている。次の写真は、先週土曜日にエドソンが買ってきたトマトを翌日撮ったもの。2枚目は4日後に撮った赤くなったトマト。
| ||||
2018年7月20日(金) | ||||
次の写真は、ベランダ横のバラの花壇で今咲いている朝顔。冬に見る朝顔もなかなかおつなもの。この青紫の朝顔はとても強くて元気なので驚いてしまう。2年前にいただいた種をここに一度蒔いただけなのに、毎年自然に落ちた種から芽が出て、花を咲かせるようになった。しかもずいぶん長い間花を咲かせ続ける。他にも同じ時期に白やピンクや空色の朝顔の種を蒔いたのだけれど、それらからも種が少し落ちたはずなのに、この青紫の朝顔のように、放っておいても毎年芽を出すということはない。
| ||||
2018年7月21日(土) | ||||
次の写真は、入り口ゲートの西側で咲いているブーゲンビリア。中央の赤いブーゲンビリアはとても元気で、数本の枝がずいぶん高く伸びているのでびっくり。右側にピンク色のブーゲンビリアも見えるけれど、背丈は以前と変わらない感じ。さらに右側に見える赤い花は、コロア・デ・クリスト(キリストの冠)という名の花。これらの後ろのほぼ裸の木は桜。写真では見えないけれど、ほんの少し花を咲かせている。でも何故かゲートの両脇のこれらの桜は、庭の桜のように木全体が桜の花で被われたことがない。さらに、ゲートの西側に2本あるブーゲンビリアの内の1本は枯れてしまい、もう1本のピンク色のものは時々花を咲かせるけれど、葉切りアリに繰り返し襲われているので、あまり元気がなく、なかなか大きくならない。
| ||||
2018年7月22日(日) | ||||
IPPNW日本支部事務総長の片岡先生は、私が広島に一時帰国した際に、先生、小泉さん、大木さん、私の女性だけで集まって、横路先生を偲ぶ会をしましょうと、横路先生のご逝去がわかって以来ずっと言っておられた。でも、広島にはなかなか戻れないし、この4月に母のことで駆け足で広島に戻ったばかりな上、母は亡くなってしまってもういないしで、今度はいつ戻れるかわからない。それで、私の一時帰国を待っていただいていると、いつまで経っても偲ぶ会はできないので、私抜きでやってくださいとお願いしていた。そして、ようやくこの20日(金)に集まって偲ぶ会をしたと、小泉さんが写真を送ってきてくれた。横路先生をとても尊敬されていて、偲ぶ会をする際は仲間に入れてとおっしゃっていた放射線影響研究所理事長の丹羽先生と、医学生時代からIPPNWの活動に加わり横路先生と関わりの深かった吉國先生も参加されて、こじんまりとしているものの、いい会が催されたようだった。広島県医師会速報に片岡先生が長文の記事を書かれ、横路先生を上手に追悼してくださったお陰で、皆さんに先生のご逝去をお知らせすることができたというタイミングで、ご尽力くださった皆さんで、偲ぶ会をしていただくことができたことは、うれしいことだった。大木さんからのメールに「今、改めて考えると、横路先生ご自身は、ご自分の死を残った者たちがどのように扱うかなどどうでもいいと思っていらっしゃったような気がします。何々賞などというのもたくさんお貰いになっていたようですが、ほとんど気に留めておられなかったですし」と、あったけれど、本当に先生はお金や名誉などといった物事にあまり執着というか頓着しない方だったなあと、思いながら先生に思いを馳せた。次の写真は、その偲ぶ会で撮影されたもの。前列左から片岡先生、丹羽先生。後列左から小泉さん、吉國先生、大木さん。
| ||||
2018年7月23日(月) | ||||
次の写真は、2週間ほど前だったか、エドソンが買ってきた潤滑油。入り口ゲートの錠前が風雨に晒されて閉まりにくくなったので、それを改善するために買ってきたということだった。見るとSingerとあり、シンガーミシンのシンガーだ!と思った。昔、私が子供の頃、母は洋裁をしていて、私の夏用のワンピースなどをよく作ってくれていた。それらを作るために母が使っていたのが足踏みタイプの古いシンガーミシンだった。あのミシンが我が家からいなくなったのはいつ頃だろう?確か私が高校生くらいまでは、学校の宿題の洋裁をするために私も使っていたので、家にあったと思うのだけれど、大人になってからもあったのかなあ?まったく使わなくなってからもカバーがかけられて縁側にあったように思うのだけれど、はっきりとした記憶がない。でも、このSingerとある潤滑油を見て、母の作ってくれたワンピースや母のぬくもりを思い出し、何だかとても懐かしいものに再会したような、ちょっと鼻の奥がつんとくるような感じを味わった。
| ||||
2018年7月24日(火) | ||||
先週の水曜日から4泊5日の予定で、エドソンはサンタ・カタリーナ州西部のシャペコと言う町へパウロと一緒に出かけて行った。木、金、土と3日間行われるセミナーに参加するための出張だったのだけれど、それが決まったのが先週の初めで、急だったためとても高い航空券しかなく、車で片道12間余りかかるというのに車で行くことになったと火曜日に言われ、やれやれと思った。飛行機ならカンピーナスからシャペコまで1時間、それぞれの空港まで車で2時間くらいで楽に行けるというのに、経費で落とせるわずかな旅費をケチってどうするの?長距離の運転は疲れるし、途中整備された高速道路がなく、道路がどんな状態かもわからないのにと不安が先行すると同時に、「時は金なり」ということを知らないのか?と、私は少々不満だった。でも、仕事上どうしても必要なセミナーということで、黙って送り出すしかなかった。往路はとても疲れたようだったけれど、セミナー自体はとても良く、参加して良かったということだった。予定では土曜日の午後5時にセミナーが終了するので、日曜日の朝一番で帰途につくはずだったのだけれど、土曜日の午後はそれまでの復習の時間ということになったので、それはパスして、午後2時に出発したので、途中、パラナ州に入ってから一泊すると連絡が入った。夕食後になっても到着したという連絡がないので、メッセージを送ると、途中の道路が混雑しておらず、スムーズに距離を稼ぐことができたので、このまま直接パーディーニョに向かうから帰宅は午前1時頃になると返信してきた。そして、結局、午前0時前に無事帰宅してくれ、ほっとした。次の写真は、エドソンが撮ったそのセミナーの様子。
行き先がシャペコと聞いた時、それって、1年半位前に、南米杯決勝戦のために、コロンビアに向かっていたブラジルのサッカーチーム、シャペコエンセの乗ったチャーター機がコロンビアで墜落して、70人余りが死亡して、生存者は数人だけだったというあのシャペコエンセのシャペコ?と思って、エドソンに聞くと、やはりそうだった。帰宅したエドソンの話だと、シャペコは人口20万ほどの結構大きな町で、ブラジルというよりもヨーロッパという感じで、道幅も広く、とてもきれいな町だったそう。そして、南部で冬は寒いからか、人々の服装もこざっぱりして、ちゃんとしていたと言う。サンパウロ州よりも南にあるパラナ、サンタ・カタリーナ、ヒオ・グランジ・ド・スーウの3州は、他のブラジルの州よりもヨーロッパ的できれいということは聞いて知っていたけれど、やはりそうなのかとエドソンの話を聞いて思った。 | ||||
2018年7月25日(水) | ||||
先週18日(水)から、秋篠宮眞子さまが来伯中。NHKの朝のニュースでも今週の月曜日と火曜日に2日続けて、眞子さまのブラジル訪問に関するニュースを報道していたけれど、日本の人たちの記憶にはおそらくほとんど残っていないだろうなと想像する。でも、ここブラジルの日系社会では、日本人ブラジル移民110周年を記念した眞子さまの来伯の意味するものはとても大きい。それにしても、いくら若いとはいえ、18日の早朝リオに到着してすぐ、その日の午後からずっと各地を訪問して、リオデジャネイロ州、パラナ州、サンパウロ州と飛び回っておられる様子に、お役目とはいえ大変だなと思った。以前、紀宮清子さまが来伯された際、現地での随行をされたイビウーナ在住だった中村さんご夫妻は、清子さまが事前勉強をしっかりしておられることと、現地で随行する人たちの名前までみなしっかり憶えておられることに驚いたと言っておられたけれど、眞子さまも事前勉強をしっかりして来られたようで、何度も言うけれど、皇族というお役目は、大変な仕事だと思った。ニッケイ新聞が連日眞子さまの動静を報道しているので、それらの記事のいくつかにリンクをはってみた。 2018年7月19日付け『移民110周年=眞子さま、ぶじにリオご到着!=元気にコルコヴァードの丘ご訪問=本日パラナ州ロンドリーナへ」』という記事のサイトは、こちらへ。 2018年7月20日月『《ブラジル》眞子さま、リオ日系社会と交流=110周年・歓迎式典にご臨席=「皆様の努力に心より敬意」』という記事のサイトは、こちらへ。 2018年7月24日付け『眞子さま、県連日本祭りへ=110周年式典にご出席=「未来担う世代にも引き継いで」』の記事のサイトは、こちらへ。 2018年7月24日付け『「眞子さまの言葉は癒し」=110周年式典参加者に感想聞く』の記事のサイトは、こちらへ。 | ||||
2018年7月26日(木) | ||||
次の写真は、防風林のカエデを撮ったもの。防風林のカエデの内、ちょうど真ん中辺りのこの1本だけ葉が黄色だけでなく赤く紅葉したものもあるので撮ってみた。去年は、防風林の一番上の方の木が1~2本赤く紅葉したのだけれど、どうしていつも紅葉するのは1~2本だけなんだろうか?と、不思議に思う。その他の木は黄色に色づいた葉の多い少ないの違いはあっても、赤い葉はほとんどない。2枚目の写真は、エドソンが私に見せようと思って持って帰った赤くなったカエデの葉。
| ||||
2018年7月27日(金) | ||||
うちの敷地内の西の端にある森の中から、以前、鳥なのか動物なのか複数の生き物が一斉に合唱するように派手に鳴き出す声が時々、聞こえていた。それが、今年に入り、いつ頃からだろうか?家の北側の防風林の中や、南側の三角地帯から時々その合唱が聞こえるようになった。足の細長いサラクーラのサラちゃんがうちの庭に出没するようになったのと時期が重なるので、ひょっとしてサラちゃんの鳴き声なのだろうか?と、思ったりしたものの、鳴き声は複数の合唱なので、一羽のサラちゃんが鳴いているわけではないし、鳥の声という感じでもない。一体何の鳴き声なんだろう?と思っていた。すると昨日の朝、はるとひろの朝一番のオシッコとウンチを済ませた後、めいをお散歩に連れ出す前に、下の部屋の前の街灯を消しに行ったら、うちの東側のお隣との境界線の柵のすぐ側で、その合唱が始まったので、しずしずとガレージの後ろまで行って見ると、何とサラちゃんが3羽もいて鳴いていた。ああ、やっぱりサラちゃんだったのか。これまで庭で見かけるサラちゃんは、いつも一羽だけだったので、一羽がうちの敷地に住み着いているんだとばかり思っていたら、何と複数羽いたんだと、驚いた。その時見えたのは3羽だけだったけれど、ひょっとするともっといるのかもしれない。サラクーラは日本語でコンゴウクイナというそうで、ネットで調べてみると、はっきりと体の色がわかる写真があったので、以下にコピーしてみた。前回私が写真を撮って掲載したサラちゃんは、ただ黒っぽいだけに見えるけれど、実際は結構カラフルな鳥だということがこの写真からわかる。
| ||||
2018年7月28日(土) | ||||
今週、衛星放送のSKY TVからエドソンに連絡があり、現在私たちが契約しているパッケージがアップグレードされたので、それに伴いアンテナの装置を変えなければならないとかで、この木曜日のお昼前に工事の人がふたりやって来た。私ひとりでは対応できないので、エドソンが仕事から戻って来て対応してくれた。新しいパッケージはチャンネル数が少し増え、月々の料金がほんの少し下がるということだった。チャンネル数が増えても、おそらく私たちは見ないチャンネルなので、実質何も変わらないけれど、料金がほんの数レアルでも下がるのはうれしい。そして、これまでは下の部屋のテレビでは衛星放送を見ることができなかったのだけれど、今回工事の人に言って、上同様、下でも衛星放送を見ることができるようにしてもらえたので良かった。来客があった際、特に、その来客がブラジル人ではない場合、英語の番組やNHKが見れるのはとても助かる。次の写真は、その工事の人たちが乗ってきた車を食堂から撮ったもの。この時期は乾季で雨がほとんど降らないので、舗装されていない道路では、赤い土埃りを巻き上げて走るため、この車も赤い土埃りで被われている。
| ||||
2018年7月29日(日) | ||||
今、シュハスコ小屋の後ろの大きなローズマリーの木に水色というか、薄いラベンダー色の小さな花がたくさん咲いている(1枚目写真)。それで、毎朝飲むハーブティーに入れるために必要な、花の咲いていない枝をこの木から探すのに苦労している。一方で、ミツバチにとってはこの花がご馳走のようで、たくさんのミツバチが花に群がって、蜜を採取している。2枚目の写真で、そのミツバチの1匹を撮ってみたのだけれど、いまいちピントが合わせられず、肝心のミツバチがボケてしまっているけれど、何とかその存在は見えるだろうか?
| ||||
2018年7月30日(月) | ||||
いつから始まったのか、最近毎週金曜日の午後4時から7時まで、パーディーニョの町の出入り口に近いバスターミナルで、地元の5軒くらいの農家の人たちが野菜の市を開くようになった。今月初めにエドソンがそのことを誰かから聞いて、仕事帰りに立ち寄って野菜を買って来てくれたのだけれど、市に出すためにその日に採ったばかりというような野菜なので新鮮で、スーパーにある半分しおれかけたような野菜とは比べ物にならないくらい良いので、今後はここでエドソンに仕事帰りに野菜を買って来てもらうことにした。そして、この金曜日にも立ち寄ってくれたエドソンが買って来てくれたのが以下の写真の野菜。レタスの大玉2つ、アボカド3つ、コウヴィ1束、ポロネギ1束、ネギ1束、ルッコラ1束。欲を言えば、白菜とか大根とかカブとか、もっと色々な野菜があるといいのだけれど、あいにくここの人たちはそういう野菜を食べないので、売れないものは作らないということなのかなあ・・・?
| ||||
2018年7月31日(火) | ||||
金曜日の午後6時頃、エドソンが今日は皆既月食が見られるはずなんだけどと言って、食堂の窓から東の空を見ながら月を探すのだけれど、少し曇がかかっているのか月が見えない。「あれ?月が見えない。皆既月食見れないのか?」とちょっとがっかりしていた。どうもその時はまだ月が上がり始めたばかりで、山の影に隠れていたのか、皆既月食していて暗くて見えなかったのか、30分後に見ると、ちゃんと月が出ていて、下の方から皆既月食が終わり始めていた。それで撮ったのが次の2枚の写真。そして、それからまた30分後、午後7時頃に撮ったのが3枚目の写真。ここは田舎の農村地帯だけあって、回りに建物や明かりがないので、こういう天体ショーはお天気さえ悪くなければ、ちゃんと見える環境にある。
|
Home | Copyright (C) 2009 Kyoko Yoshida | Next |