Kyoko Yoshida | Life in Brazil | BLOG |
2018年6月1日(金) | ||||
以下は、ニッケイ新聞5月29日付け「コラム 樹海」からの転載。
29日付け本紙が、ちゃんと読者の手元に届くか心配だ――。28日(月)早朝、聖市アクリマソン区のスーパー・エストラをのぞいたら野菜コーナーはガラガラ…。周辺のガソリン・スタンドはみなロープが張られて閉鎖され、従業員が暇そうにあくびをしていた。 トラック運転手の全国ストは国民の移動、郵便、治安、医療、食糧などの一番生活に密着した部分に大打撃を与え、しかもまだ続いている。一時は空港の飛行機燃料が足りなくなって欠航する便が相次ぐなど、国際的な問題に発展しかねない状況にまでなった。 27日(日)午後9時半、テメル大統領が直々にスト回避を巡る丸一日の交渉結果として記者会見した。「これで解決した!」といわんばかりの様子だったが、翌朝まだストが続いていた。大統領の面目は丸つぶれだ。 28日朝CBNラジオで経済評論家のカルロス・アルベルト・サルネンベルキは《ワッツザップで各地域の自営業運転手のリーダーたちが直接に連絡を取り合ってストを継続させている。トラック組合や運輸企業などの自称〃代表者〃は実際には代弁者ではない。2013年6月に突然始まったマニフェスタソンに似た同時多発ストになっている》と分析した。 歴史研究家のマルコ・アントニオ・ビラは《テメルは弱い! ブラジルをこの10年で最悪の権威低落を招いた。テメルは現実に同調していない。演説では鶏(!)の心配をしている。病院、治安、経済、国民の生活はどうなった? 一体いつまでテメルを大統領にしておくことに我慢すればいいのか?》という激烈な動画をフェイスブックに25日晩に放ち、翌朝(14時間)までに6万8千回も再生され、7304人が「いいね」ボタンを押した。 国民の不満が猛烈に高まっている。 トラック業界にスト気運が高まっているとの事前情報が昨年末からあったのに、テメルは見逃した。自分への告発第3弾回避が気になって、ほかの事に気を配る力がないのかも。 本来なら、昨年6月に社会保障改革を実現する勢いだった。だがJBSショックでぶっ飛び、2度の大統領告発を回避するために、彼が持つ全ての政治的な資源(権限、権力)を使い尽くした。権限を使い尽くした大統領は、抜け殻も同様だ。連邦議会で票を集める力がないから、社会保障改革はお蔵入りし、次期政権に預けられた。 テメルが大統領の座に居続けられるのは「いま罷免して新大統領を選んでも任期が短いから誰もやりたがらない。しかも罷免手続きには何カ月もかかって面倒。選挙があるから、そんなことやっていられない。だから置いておけ」という現実的判断からだと多くの政治評論家が指摘する。 スト回避のためにテメルが27日晩に発表した、ディーゼル油を60日間46センターボ値下げするなどの緊急対策を実現するには、国庫から少なくとも135億レアルを支出する必要があると報道された。ちなみに連邦政府の2017年度の教育予算総額が625億レアルだから、その約4分の1という貴重な金額だ。 USP経済学部のラウラ・カルバーリョ教授は24日晩のジョルナル・ダ・クルツーラで《このストは恐喝だ。一見すると自営業の運転手が自分のためにやっているように見えるが、実は(税金の軽減などは)トラック業界の企業家が主に恩恵を受ける。その恐喝に政府は屈した。ペトロブラス(PB)が石油の国際価格に合わせて国内卸売り価格を日々変動させる方針を維持すれば、今ストが終っても、数カ月後にはディーゼル油価格には同じことが起きる。燃料は産業の基盤なんだから、国際燃料価格が急激に上がっても直に市価に反映しない国策が必要だ》と鋭く指摘した。 リカルド・セネスUSP国際政治学教授も同番組で25日、《PT政権の間、インフレをムリヤリ抑えるために、PBに強権的に命じて国内の燃料価格を上げさせなかった。そのせいで国際価格の上昇を国内価格に転嫁できずPBは大損害を被った。その反省からPBはテメル政権になってから日々変動させる政策に変えたが、振り子が逆方向に振れ過ぎて、今回の事態になった。1年間で50%近くもディーゼル油が上昇したら困る業界がたくさん出ることは予想できた。両極端に陥らず、燃料価格をある程度、政策的に安定させるのは国の仕事のはずだ》とコメントした。 トラック運転手は「1年で50%近く値上がりした」と抗議しているが、28日付けエスタード紙によれば、ストが開始された21日のディーゼル油価格は3・60レアルで、世界平均価格3・94レアルより安かった。つまり、それ以前にPT政権が余りにも安く抑えすぎていた価格を、ペトロブラスは回復しようとしていただけだ。 TVクルツーラ報道によれば「国内輸送の61%がトラックに依存」する。だから、トラック輸送が止まるとあらゆる面に影響が出る。「鉄道や川船による輸送ルート」という選択肢を充実させておけば、トラックが止まってもこれほど大問題にはならなかった。 ストの「痛み」を抑えるためだけの対処療法に135億レアルもの巨額な費用を使うのはもったいない。どうして事前に同額を他の輸送ルート設置という「根本治療」に投資できなかったか。 この騒動で、先週だけでペトロブラス株は23%も下げた。それに引っ張られてIbovespaも先週5・04%も下げ、1月10日の株価水準まで後退し、残酷なまでに経済の脆弱性が露呈された。 さらに便乗ストや便乗値上げまで起きている。これがインフレ要因となり、それを抑えるためにいずれ金利も上がり、企業活動に支障が生まれて失業率をさらに引き上げる悪循環につながる可能性がある。今回のストが、再び景気を悪化させ、PIBを下げる引き金になれば最悪だ。 少なくとも、今回のストによって損害を受けた全伯の企業は、それを取り返すために将来的に商品価格に上乗せする。また政府は税金として徴収することが予想される。今回起きていることの全ての損害は、最終的に国民が負担することになるだろう。 テメルがスト潰しに軍まで動員させたのは、まことに政権の末期症状だ。今回のストでテメルは政治的に致命的な痛手を負った。もう選挙で大きくでる余地はない。おそらくMDBは他党候補を裏からひっそり支えるしかないだろう。(深) | ||||
2018年6月2日(土) | ||||
広島の友人が、今マイブームだと言って南部鉄瓶と毎朝飲んでいる抹茶の写真を送ってきてくれた。鉄瓶で沸かしたお湯は鉄分とビタミンC補給に良いという事で始めたのだそう。そして、鉄瓶は重いのだけれど、胸筋トレーニングと思ってお湯を注いでいると言っていた。食いしん坊の私は、抹茶よりも、その横のよもぎもちと思われるおいしそうなお菓子の方に目が行ってしまい。「ああ~、おいしそう・・・よもぎもちなんて、もう何年も食べてないなあ・・・」とよだれが出そうになった。
次の写真は、その同じ友人が、廿日市の「ゆめたうん」というショッピングモールの吹き抜けで泳いでいた鯉(のぼり)たちを2階から撮ったものだそう。そう言えば、ブラジルでは鯉のぼりを見たことがない。鯉のぼりなんてブラジルでは手に入らないだろうから、日本から持って帰るしかないだろうし、値段も高いだろうから見たことがなくても不思議はない。ただ、日系人集住地に行けば、5月頃にどこかのお宅の庭先にあったりするという可能性は否定できない。でも、やっぱりないかな?
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2018年6月3日(日) | ||||
ホドルフォたちが来ていた先週の土曜日の午後、エドソンとホドルフォはふたりでクエスタ・カフェに出かけて行った。帰ってくるとそれぞれお土産にコーヒーを買ってきていた。次の写真は、うち用にエドソンが買ってきたコーヒーひと缶。大きなコーヒー農園の入り口前の見晴らしのいい場所にあるクエスタ・カフェというガラス張りの喫茶店では、そのコーヒー農園で作っているコーヒーを飲ませてくれる。そして、コーヒー豆も販売している。以前販売していたのはコーヒーとコシニャのような簡単な軽食がわずかだけだったのが、今回行くと、ムリロがファゼンダ・ベラ・ヴィスタで作っているチーズや、材木店のご主人が作っているビールも販売されていたと言う。同じ町の産物を協力して販売しているなんていいなと思った。
買ったコーヒー缶の入った紙袋の中に、クエスタ・カフェのパンフレットと、もうひとつパーディーニョの町外れで、うちからパーディーニョの町に行く途中に位置するハンショ・ド・マルーリというレストランのパンフレットが入っていたので、それらを撮ったのが以下の写真。以前はこんなパンフレットなどなかったのに、観光地として発展させて行くためのインフラが少しずつ整ってきているみたいだと思った。私たちはこのパンフレットでハンショ・ド・マルーリというレストランの存在を初めて知った。ジガンチ・アドーメシード(眠れる巨人)という山が見える絶好の場所にあるようなので、営業は週末だけだけれど、一度行ってみようとエドソンと話した。
パンフレットにそれぞれウェブサイトがあったので、そのサイトへのリンクをここではってみた。クエスタ・カフェ(Cuesta Cafe)のサイトは、こちらへ。ハンショ・ド・マルーリ(Ranch do Maluli)のサイトは、こちらへ。 | ||||
2018年6月4日(月) | ||||
次の写真は、軒下に何か所もたくさんできている蜘蛛の巣を、手伝いのゼーが長い竹の棒で取り除く作業をしているところ。何年か前に一度、手伝いのヒバマーに同じ作業をしてもらったことがあるけれど、しばらくするとすぐにまた蜘蛛が巣を張り巡らせて、窓のところ辺りまで巣を広げてしまう。困ったものだ。以前から取り除いてもらおうと思いながら、他の作業をしてもらうのに忙しく忘れていて、ようやくこの土曜日にやってもらうことができた。一方、軒下とか窓枠によく巣を作っていた黒い蜂のマリンボンドが、最近、巣を作らなくなったなと思っていたら、この土曜日の午前中、庭の草刈りをしていたゼーとマリアが鶏小屋を囲む網にぶら下がるようにマリンボンドが大きな巣を作っているのを見つけてくれ、その巣に薬剤を吹きつけて処理してくれた。私は鶏に餌をやるために毎日鶏小屋に行っているのに、マリンボンドの巣ができていることに気づいていなかったので、危なかったなと思った。
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2018年6月5日(火) | ||||
次の写真は、玄関前の外階段横にある箱庭の縁に置かれた枯れ枝の芸術作品。ホドルフォとニーズィアが来ていた土曜日の午後、ここに突然こんなものが出現したので、誰が置いたのだろう?手伝いのマリアがこんな気の利いたことするわけないし・・・と、思っていたら、ニーズィアだった。土曜日の朝、お散歩をしていたら可愛らしい枝がたくさん落ちていたので、それを拾ってレンガに差してみたんだそう。なかなかいい。それで、どこにも移動させず、そのままここに飾り続けている。
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2018年6月6日(水) | ||||
次の写真は、黄葉し始めた防風林のカエデの木々の内の1本を撮ったもの。5月20日前後にガクンと気温が下がったのだけれど、その後は最低気温が2桁に回復し、最高気温も20度以上あるので、寒いという感じではなく、穏やかな日々が続いている。ただ、今週は今にも雨が降り出しそうな曇り空のお天気が続いていて、太陽が顔を出さないので、最高気温が20度に届かず、ちょっと薄ら寒く感じている。
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2018年6月7日(木) | ||||
武田鉄矢の「今朝の三枚おろし」というラジオ番組をYoutubeで時々聞いている。先日、芥川龍之介のことを三枚におろしているのを聞いた。その中で「おぎん」という短篇小説を紹介していた。敬虔なキリスト教徒だったおぎんが、火あぶりの刑になる直前にころんだ話なのだけれど、深い話だなと思った。この小説の解釈として、「命惜しさに信仰を捨てたという罵声を受けることは避けなければならない。大義名分が必要である。火刑は免れるがそのあがないに自分は地獄に行くのだというのがその一つ。二つ目は孫七とおすみが地獄に行くことで、おぎんの孝心が実の父母、養父母の両方に対して全うできるということであった。孝は古来日本において道徳上第一の徳目である。おぎんの智恵が捻り出した大義名分は、孫七に棄教を決心させるのに十分なものであった」という解釈もあるみたいなのだけれど、私には、おぎんがキリスト教を信じているからこそ亡くなった両親が地獄に堕ちていると信じ、自分だけ天国に行きたいという欲望を満たすことが果たして正しいことなのかという葛藤があったのではないかと思えた。日本人の間に何故キリスト教に改宗する人が少ないのかということと呼応するように思えて仕方がなかった。つまり、全知全能であるはずの神様でも、すでに亡くなっているキリスト教徒ではなかったご先祖さまを救うことはできないという矛盾。多くの人が自分は無宗教だという日本人でも、本当は深く深く命のつながりの大切さというものを信じているのではないかと思えてならなかった。 この芥川龍之介の「おぎん」が、インターネット上の青空文庫にあり、自由に読めるので、そのサイトへリンクをはってみた。その「おぎん」のサイトは、こちらへ。ちなみに、この物語の中に出てくる言葉で、少し分かりにくいものの意味を参考のためここに書き添えておく。ジェスウィット=イエズス会士、いんへるの=地獄、ばぷちずも=洗礼、ぜすす=神様、あんめん=アーメン、なたら=クリスマス、べれん=ベツレヘム、はらいそ=天国、えわ=アダムとイブのイブ。 | ||||
2018年6月8日(金) | ||||
次の写真は、ニーズィアがお土産に持ってきてくれたLINGUA DE GATOという名前のチョコレート。まだ食べてはいない。箱の右下にコペンハーゲンのロゴがあるので、ああ、ブラジリアで行ったコーヒーショップのコペンハーゲンと同じ会社だとわかった。そして、GATOというのは猫のことで、LINGUAというのはlanguage、つまり言語とか言葉という意味だから、「猫の言葉」というのがチョコレートの名前なのかな?と一瞬思った。でもこの箱の猫の絵を見ながら、ふと、LINGUAって舌という意味もあるのかな?と思い、エドソンに聞くと、やはりそうだった。英語でも舌を意味するtongueには言葉という意味もあって、mother’s tongue(母国語)と言った使い方をするから、同じなんだと、何だかすごい発見をしたような気分になった。
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2018年6月9日(土) | ||||
今月に入って、ニッケイ新聞に在日の日系ブラジル人ユーチューバーのことが2本立て続けに載っていたので、ここにリンクをはってみることにした。 2018年6月2日付けニッケイ新聞の日系社会ニュースの「デカセギから日本文化伝道師に=大人気ユーチューバー夫妻=移民110周年の記念動画製作」という記事記事のサイトは、こちらへ。 同じく6月5日付けニッケイ新聞の「コラム 樹海」の「《ブラジル》ナマの日本を伝える人気ユーチューバーという存在」という記事のサイトは、こちらへ。 | ||||
2018年6月10日(日) | ||||
日本時間6月9日(土)午後6時頃、広島の母が92歳で静かに人生の幕を閉じた。土曜日はいつも通りに起きて、朝食の仕度をして、エドソンがシャワーから出て食堂に来るまでの間、メールをチェックすると、「お母さんが亡くなりました」という表題のメールがあってドキッとした。「先ほどお母さんが亡くなったとの連絡がありました。今から哲学堂へ行くので詳細はまたあとで連絡します」という兄からの短いメッセージだった。 5月16日のメールで、「点滴の針が刺さらないことがあったり、点滴も完全には注入できない状況です。~中略~ 係員の声掛けにも反応がなくなってきています。主治医の山本先生からは、命の灯が消える日がいつ訪れてもおかしくないのでそのつもりでと言われました」とあったので、覚悟はしていた。でも、とうとうこの日が来てしまったことにたじろいだ。 土曜日の午前9時頃(日本時間、土曜日の午後9時頃)兄から電話があり、午後5時の母の体温は正常。午後5時半はまだ普通にしていたけれど、午後6時頃様子を見に行くと、すでに息を引き取っていたということだったそう。側に家族がいなかったことは少し残念だったけれど、おそらく静かに眠るように息を引き取ったのだろうと思う。日曜日にお通夜、月曜日に葬儀の予定だと知らせてくれた。母は、幼い頃に父親が亡くなり、戦争でお兄さん、原爆で妹を亡くし、大変な人生だったと思うけれど、戦後は子供ふたり、孫ふたり、曾孫4人を得て、いい人生だったと思ってくれているといいのだけれど・・・。お母さんありがとう。 | ||||
2018年6月11日(月) | ||||
次の2枚の写真は、夜、さあ寝ましょうという際、寝室に行かず、納戸の扉の前にたたずむひろを撮ったもの。5月の下旬に気温が下がった時から、夜はキューブベッドを出して、ひろとはるはその中で寝るようになった。昼間も寝室にキューブベッドを置いておくと、中で寝転がるだけでなく、破壊行為をして、キューブの中のクッションをちぎり出してしまうことがあるので、最近は対抗策として、朝起きると同時にキューブベッドを納戸の中にしまうようにしている。昼間は寝室のベッドの中にキューブベッドがなくても文句は言わないのだけれど、夜本格的に寝ようとする際は、キューブベッドがないと嫌なようで、ひろはこの納戸の中にキューブベッドがあることを憶えていて、扉の前でキューブベッドを出してくださいと意思表示をして、動こうとしない。その姿がおかしくてたまらない。
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2018年6月12日(火) | ||||
土曜日の夕方、めいとのお散歩で入り口ゲートに向かって歩いていると、セドリーニョの枝が山と積まれていて、煙が出ていた。このセドリーニョはどこのを切ったのだろうと見回して見ると、道沿いよりも一段上の列のセドリーニョの尖った先が切りそろえられていることがわかった。背が高くなりすぎたからと、エドソンがゼーに頼んで切ってもらったんだそう。
次の写真は、道沿い東側のセドリーニョの列を撮ったもの。2枚目は同じ場所からさらに東側の一段上のセドリーニョの列を撮ったもの。この列のセドリーニョは、てっぺんの尖った部分が切られて、何だかずんぐりむっくりになっている。
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2018年6月13日(水) | ||||
先月23日のブログで、中国のハルビン工科大学が作り打ち上げた2つの衛星の信号受信にエドソンが成功したことを書いた。そして、エドソンの他にも各国のアマチュア無線の人たちが信号受信に成功したようで、中国のこの衛星プロジェクトのサイトに、エドソンを始めとする信号受信に成功した人たちのアンテナやコンピュータ画面の写真や、何時何分に受信したのかなどの詳細が掲載されたというので、そのウェブサイトをエドソンから教えてもらい、ここにリンクをはってみることにした。このサイトのSUCCESSFUL CONFIGURATIONSという項目の、一番最初に記載されているPY2SDRがエドソンのコールサインで、世界で最初に衛星の信号受信と、decode、つまり信号の文字変換に成功したので、一番最初に掲載されているのだそう。掲載されているエドソン手作りのアンテナの写真が、他の人たちのものよりも何ともシンプルでいけている。この中国の衛星プロジェクトのウェブサイトは、こちらへ。 | ||||
2018年6月14日(木) | ||||
次の写真は、土曜日の夕方、台所の隅の箱の中に置いたマンジォカをかじっているひろ。私がめいとお散歩に出ている際、エドソンが何だか変な音がすることに気づいて見に行くと、ひろが生のマンジォカをかじっていたので撮ったのが以下の証拠写真。はるもひろもマンジォカを茹でたものや揚げたものが大好きだけれど、まさか生のマンジォカにも食指を動かすとは思わなかった。さすが食いしん坊のひろだ。
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2018年6月15日(金) | ||||
ここ3週間ほど、穏やかな気温の日々が続いていたけれど、昨日から少し気温が下がり、今日、明日は最低気温はかろうじて2桁の11度だけれど、日差しがあまりないので昼間の気温も上がらず、13~14度止まりという予報。また薪ストーブの出番かな? 先週、防風林のカエデが黄葉し始めていると、その内の1本の写真を撮って掲載したけれど、今回は、防風林のカエデの列を坂の下から撮ってみた。地面に枯葉が落ちて、歩くとサクサクと音がして、何だかとてもいい感じ。
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2018年6月16日(土) | ||||
先日、エドソンが台所の南側の窓から見える三角地帯のグレヴィーリャの木に、花が咲いていると言うのだけれど、何だかよく見えなかった。それで、カメラを通して見てみると、黄色いようなオレンジ色のようなものが緑色の葉の間に3箇所見えた。2枚目の写真は、その花をアップで撮ったもの。このグレヴィーリャには赤いような花が咲くとは聞いていたけれど、苗木を植えてから7年くらいの年月を経てようやく咲いたことになる。でも、何本もあるグレヴィーリャの内、花が咲いたことを確認できたのは、今のところこの1本だけ。
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2018年6月17日(日) | ||||
以下は、6月12日付けニッケイ新聞の「コラム 樹海」からの転載。
「日本移民110周年に相応しい遺産」とは何か?――一つは、ビザ制度の整備ではないか。「7月から四世ビザが始まるのに…」と疑問に思う読者が居るかもしれない。 だが、コラム子にはこの制度は日本政府による一種の「フェイント」に見える。要望が多いから制度を作ったが、実は実現が難しい条件をこっそり入れている。「日系四世受入れサポーター」(日本側の身元保証人のような存在)が必要―という制限だ。 三世向けビザ資格である「定住者」として渡航するには、日本国内に居住する本人の親族が入国管理局で「在留資格認定証明書」を取得し、それをブラジルの本人に送付して、本人がその証明書を添付して在ブラジル日本国総領事館に特定査証を申請する手続きが必要だ。 でもそれが難しいから、その手続きが特別に免除された在聖総領事館でしか、三世向けのビザは事実上発行されていない。 四世ビザの場合、在聖総領事館でも「日系四世受入れサポーター」が必要だ。だから制度はあるけど、このビザを取ることは難しいことが予想される。言い方を変えれば、法務省は本心では受け入れるつもりがない、そんな目くらましはいい加減に止めてもらいたい。 その裏側では、日本経済新聞6月5日電子版《安倍晋三首相は5日の経済財政諮問会議で外国人労働者の受入れ拡大を表明した。人手不足が深刻な建設や農業、介護など5業種を対象に2019年4月に新たな在留資格を設ける。原則認めていなかった単純労働に門戸を開き、25年までに50万人超の就業を目指す》という方針を発表している。 日系人には受入れ制限をかぶせて、外国人一般に門戸を開こうとしているように見える。 基本的に、日本は安易な外国人の大量受入れはするべきではないと思う。日本政府はテコでも「移民政策」という言葉を使いたくないようだ。「外国人労働者の受入れ」(一時滞在の外国人)という言葉で目くらましをしている。 日本政府は「送りだす」という意味での「移民政策」はさんざ実施してきた。今は「送り出した延長としての受入れ国策」をする段階ではないか。 ブラジルで生活していてつくづく思うが、実態としては「移民=外国人労働者」だ。にも関わらず、日本政府は「外国人労働者は一時滞在だから、社会的な保障を考える必要がない」という言い訳にしている。「住めば都」との言葉の通り、必ず何割かは永住しようとする。 外国人一般を大量受け入れする前に、まずは日系人で「実質的な移民政策」を試してほしい。まずは、すでに日本国内で永住権を取得したブラジル人が、日本で安定した資格を確保できるように日本国籍への帰化手続きを安易化してほしい。 それと同時にブラジルからの親族呼び寄せが幅広く、より簡単にできないか。すでに日本で5年も10年も生活している人なら、日本の生活や習慣には習熟している。その人たちが「呼びよせる」ことで、彼らが新参者の責任を負うようにすれば「日系四世受入れサポーター」と同じ様な役割を担える。家族の絆をテコにして、日本生活の指南役をかってもらうのだ。 それに加え、日系以外のブラジル人も日本を気軽に体験できるように、日伯ワーキングホリデー協定を結んでほしい。WHは全ブラジル人が利用可能で働きながら滞在できる。昨年10月にはアルゼンチンと、今年2月にはチリとのWH制度が始まった。 「日本の若者は外国へ出たがらない」「内向き志向」と指摘されて久しい。ブラジル在住者としては、声を大にして言いたい。「外国に住んでこそ日本という国の本当の価値が分かる」。海外生活最初の一年は「痘痕もエクボ」だが、2年目、3年目からはより客観的にその国を判断できるようになり、同時に日本への公平な評価も下すようなる。 世界最大の日系社会があるブラジルは、日本の若者を受ける器として一番ふさわしい。日本政府が若者の背中を押してでも、ブラジルに送りだすぐらいの積極性があっても良いのでは。 日本国内で生活していたら、世界における日本の本当の価値が分からない。外から見た日本を知った若者が、日本に戻って生活を始めれば、内向き志向という社会体質が変わっていくはず。同質性が高い社会の中でも異文化を認める風潮が広がっていくのでは。 日伯交流をさらに深めるにはビザ制度の整備は根本だ。日系人だけでなく110周年を記念して日伯WHを「1万1千人枠」で始める勢いが欲しい。(深) | ||||
2018年6月18日(月) | ||||
次の写真は、食堂の西側の窓から見える桜の木につぼみがたくさんついて、ふくらみ始めているので撮ったもの。ただ、こんな風にすでにつぼみがふくらみ始めているのはこの木だけ。うちの桜は日本で見る桜のように、ヨーイドンで一斉に咲いて、パッと散る感じではなく、6月はまだ桜の時期ではないのに、早とちりな木はこの写真のようにつぼみをつけて咲き始めたり、普通の桜は7月に咲き、遅いものは8月に咲きと、何だかバラバラと咲く。長い期間桜を楽しめると言えばそうなのだけれど、満開の感じが日本の桜ほど見事ではないような・・・。でも、やはり7月の桜が一番勢いがあってきれいかな?
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2018年6月19日(火) | ||||
次の写真は、家の南側の三角地帯のオレンジとレモンの木を撮ったもの。画面左側がオレンジの木で正面奥がレモンの木。ここにはオレンジの木が9本くらいと、レモンの木が2本ある。ここに下りて行くことはめったにないのだけれど、この時期になるとオレンジとレモンがたくさん実るので、収穫して食べないともったいないため、毎日のように下りて行って実を収穫して、オレンジジュースを作ったり、レモンを絞ってお酢の代わりに使って毎日食べるサラダドレッシングを作る作業に追われている。この土曜日はペドレイロのミウソンが久しぶりに作業に来てくれたので、4~50個のオレンジと10個のレモンをお裾分けした。午後から英語のレッスンに来たマテウスにもレモンを10個くらい持って帰ったもらおうと用意しておいたのだけれど、忘れないようにと、テーブル上の彼のノートの横に袋を置いたのに、彼はそれを持って帰るのを忘れ、私も彼がその袋を持っていないことに気づかず帰してしまった。やれやれ、とほほ・・・。それで月曜日の夜のレッスンに来たムリロに、彼に持って帰ってもらうレモンの袋とマテウスが忘れた袋の両方を渡して、マテウスの家に持って行ってもらうようお願いした。ムリロはマテウスの叔父さんなので、喜んで引き受けてくれた。感謝。
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2018年6月20日(水) | ||||
パーディーニョの町の中心部の道路はすべて舗装されているけれど、カロリナソイルからこっちに伸びるうちの前の道路は舗装されておらず、うちの敷地内の道も当然のことながら舗装されていない。それで雨が降ると泥道になり、車のタイヤが泥だらけになる。その車をガレージに入れると、ガレージの中まで泥だらけになる。それを何とかしようと、新しく作ったガレージの前約15mくらいに渡ってコンクリートの道を作ってもらうことにした。こうすれば車がガレージに到着するまでに、タイヤの泥が多少とも落ちるだろうと思われるから。次の写真は、そのコンクリートの道を作るための前作業が行われているところ。
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2018年6月21日(木) | ||||
広島の友人のひとりが、今年彼女のお母さんの一周忌法要をした際の、お坊さんの法話が心に残ったと言って、その内容をメールに書いてきてくれた。「あるお坊さんが法要に来ていた人に何かお言葉を書いて下さいと頼まれて書かれた言葉についてのお話しでした。それは『爺婆死ぬ、父母死ぬ、子死ぬ、孫死ぬ』と書かれたそうです。こんな時のそれはないだろうと頼んだ人は思いましたが、その心を聞き納得したそうです。その心とは、ろうそくは最後まで燃え尽きてそっと消えることもありますが、何かの拍子にふっと風が吹けば、その炎はさっとあっけなく消えてしまう事があります。人の命の炎も同じで天寿をまっとうすることなく不意に消えてしまうことがあります。不意にその命を終わることなく、いわば順番に年取った者から死んでいくことは大変幸せなことです、との事です」とあった。子が親よりも先に死ぬことほど親不孝なことはないというから、兄と私が元気で、天寿をまっとうしてくれた母を見送ることができたのだから、幸せなことなのだとあらためて思った。 次の写真は、家の南側の三角地帯にある2本ある梅の木の1本に今年も花が咲いたので、撮ったもの。まだほとんどがつぼみなので、写真を撮るのが少し早すぎたかも。
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2018年6月22日(金) | ||||
次の写真は、火曜日の午前中ミウソンたちが作業しているところを撮ったもの。土曜日、月曜日、火曜日の午前中と作業をしてくれたので、ガレージ前のコンクリートの道が出来上がった。ただ、コンクリートが乾くまでは車をガレージに入れることができないので、今晩ようやく車をガレージに入れる予定。2枚目は水曜日の午前中、その出来上がったコンクリートの道を撮ったもの。何だか飛行場の滑走路みたいだねとエドソンは笑っていた。
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2018年6月23日(土) | ||||
昨日は、サッカーW杯のブラジルのゲーム(第二戦目)が午前中にあった。月曜日の英語のレッスンで、ムリロが金曜日の午前中に試合があるので、仕事は午前中お休みで、午後から出ることになっているんだけれど、僕はサッカーには興味がないからどちらかと言うと、午前中仕事をして、午後から休みにしてもらった方がいいんだけれどと言っていた。でも、金曜日の午後は施設見学のお客さんを受け入れる日で、見学者があるかどうかは木曜日にならないとわからないため、午前中仕事にしてもらって午後から帰ろうと思っていても見学者があるとそのまま仕事をしないといけなくなり、そうなると、きっと他のスタッフに恨まれるだろうから変更は申し出ない方がいいかなあ・・・と、悩ましそうにしていた。ファゼンダ・ベラ・ヴィスタのスタッフにはサッカーファンはひとりもおらず、ブラジル代表選手の名前をひとりでも知っている人はムリロ以外にはいないのだそう。私だって、ネイマールくらいは知っているのにと思った。興味はないとは言え、ムリロが一番サッカーのことをよく知っているような状態なのだそう。みんなサッカーに興味がないのなら午前中お休みにする必要もないのに、ブラジルだからそうも行かないのかなあ・・・?木曜日のジルベルトとのレッスンの後、金曜日は学校がお休みだから、アヴァレから大学生のお姉さんが帰ってきているとうれしそうに話していた。そして、W杯のブラジルの試合のお陰で学校が休みなのだけれど、彼もサッカーには興味がないので、金曜日はサッカーの試合を見る代わりにネットフリックスで映画を見ると言っていた。これらのことをエドソンに話すと、最近の世論調査で、ブラジル人の50何パーセントだかはサッカーに興味がないという結果だったらしいから、ブラジルのサッカー人気は徐々に衰えているんじゃないかな?と、言っていた。日本人はブラジル人はみなサッカーきちがいだと思っているけれど、実際はそうでもないという現実を垣間見た気がした。 エドソンの職場もひょっとして午前中はお休みになるのかと思ったのだけれど、お休みにはならなかった。事務所にあるテレビでパウロと数人の男性スタッフが試合を見ただけで、他の人たちはみな仕事をしたということだった。もちろんサッカーに興味のないエドソンも観戦には加わらなかったと言っていた。初戦でブラジルは引き分けたので、この2回戦でどうなるかなと思っていたのだけれど、辛勝したようで、今後も試合日によっては、また仕事中にパウロはサッカー観戦をするのだろうなと思った。次の写真は、ユバ農場の矢崎さんがフェイスブックに掲載されたユバの皆さんのサッカー観戦の様子。ブラジルと日本のそれぞれの試合がある日に、飾りを変えて、観戦されているようだ。
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2018年6月24日(日) | ||||
次の写真は、畑を東側から撮ったもの。左側から覆い被さるようにつるを伸ばしているのは種が落ちて自然に育ったムクナ豆か何かだと思っていたのだけれど、マラクジャ(パッションフルーツ)の花がいくつか咲いていたので、これは豆ではなく、マラクジャだということがわかった。マラクジャはここ数年育てていないのに、畑の外側で以前育っていたものが復活して、自然に伸びてきたようだ。2枚目の写真は、そのマラクジャの花のひとつをアップで撮ったもの。
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2018年6月25日(月) | ||||
この土曜日は、手伝いのゼーたちは誰も来なかったけれど、ペドレイロのミウソンが息子を連れて午前中だけ来てくれ、新しいガレージの上にアンテナタワーを設置したり、古いガレージから新しいガレージに建設作業用のセメントなどの資材を移動してくれたりといった細かい作業をいろいろしてくれた。そして、エドソンの事務所で働くジョゼ・ハファエウという若いお兄さんも下の元ガレージに溢れかえっている物の埃を払って、新しいガレージに移動させる作業を手伝ってくれた。次の写真は、新しいガレージの屋根の上に設置するアンテナタワーの組み立てをしてくれているジョゼ・ハファエウとミウソン。そして、2枚目の写真は、屋根の上に設置が完了したそのタワー。これらはすべて衛星通信用のアンテナを立てるためのもの。
次の写真は、お昼を食べ終わったジョゼ・ハファエウとエドソン。ジョゼ・ハファエウにはボランティアで手伝ってもらうので、簡単なお昼を出してあげてねとエドソンから言われていた。それで、手のかからないキャベツとベーコンのペペロンチーノスパゲティを作って出した。彼はパウロの奥さんのジャナイーナの親戚だということは知っていたけれど、従弟だということを今回初めて知った。
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2018年6月26日(火) | ||||
土曜日に、エドソンを手伝って午後4時近くまで片付け作業をしてくれたジョゼ・ハファエウのお陰で、物があふれてひっくり返っていた下の元ガレージが何とか片付いた。次の2枚の写真は、片付けを始める前と、片付けが終わった後に撮ったもの。片付けがほぼ終わったと言っても、まだ奥の作業台の上などにこまごましたものがあって、片付いていない部分もあるけれど、大きなテーブルの上とか、床にあふれていたものは一応すべて移動させることができた。後は、画面真ん中のテーブルや奥のタンスや冷蔵庫を拭いてきれいにし、移動させて、この部屋の掃除をして床を磨き上げないといけないのだけれど、その作業は30日の土曜日にドナ・クレウザに手伝ってもらってやろうと考えている。ゆっくりだけれど、少しずつ前進していることがうれしい。
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2018年6月27日(水) | ||||
日曜日の夕飯に、パウロと彼の家族を招いて一緒に食事をした。パウロは私の作るティラピアのフライが食べたかったようだけれど、パーディーニョのスーパーでは基本的に魚は手に入らないので、魚を食べようと思えばボトゥカトゥまで行かなくてはならない。でもボトゥカトゥまでティラピアを買いに行く時間がなかったので、エドソンが味付けをしてくれた鶏もも肉のローストをたっぷり作り、我が家で採れたマンジォカのフライ、キャベツと玉ねぎとケーパーのマヨネーズサラダ、ラディッシュの酢の物、そして、ご飯を出した。パウロとジャナイーナはすべてのおかずをまんべんなく食べてくれたけれど、娘たちは例によって、野菜は一切食べず、食べたのは鶏肉とマンジォカとご飯だけだった。最近、エドソンは甘い物を控えているので、デザートを作る必要性をすっかり忘れていたのだけれど、食事に招いておいてデザートがないのもちょっと何だかなあと日曜日の朝になって思ったので、急ぎチョコレートでコーティングした簡単なキャロットケーキを作った。娘たちは人参なんて絶対食べないけれど、ケーキにすれば問題なく食べるのでおもしろいものだと思う。エドソンがマリア・パウラにこのケーキ、何のケーキだかわかる?と聞くと、彼女はチョコレートケーキでしょう。と答えた。それで、人参のケーキだよとエドソンが言うと、不思議そうな顔をしていた。
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2018年6月28日(木) | ||||
2018年6月15日発行の楽書倶楽部第43号が先週金曜日に届いた。6月5日に発送されていて、2週間経っても私から受領のメールがないので、前園さんからまだ届きませんか?とメールをいただいていた。前の週にはまだ届いていなかったので、金曜日には届くかもしれないと思っていたら、何とか2週間ちょっとかかったけれど、無事届いていた。そして、今回掲載された私の文章は、このむごい郵便事情に業を煮やして書いたもの。
九年ほど前にブラジルに来て暮らし始めた当初は、日本やアメリカと比べても、郵便事情はそれほど悪くはなかった。それが徐々に悪化して行き、ここ数年はとてもむごい状態になっている。ここからサンパウロ市などに向けて発送する郵便は普通郵便ではなく、書留などにするからか、三~四日で届くのだけれど、サンパウロ市内からこちらに向けて発送される普通郵便は、ここに届くまでに二~三週間かかる。必ず二日以内に届けますというSEDEXという料金の高い特別な速達便でも最低三日はかかる。日本やアメリカからの航空郵便は二~三ヶ月かかる。ここは田舎町とは言っても、アマゾンの奥地ではなく、サンパウロ市から車で二時間半の場所なので、何をどうすれば、配達にそんなに時間がかかるのだろうと不思議でならない。 今年一月、サンパウロの総領事館に在留証明を求める文書を書留で送った。それから二週間余りして、総領事館の書留受領署名の入ったハガキが戻ってきたので、私の郵便は発送から三日後に届いていたことがわかった。それで在留証明はそのハガキを受領した一~二週間後には届くだろうと想定していた。しかし、待てど暮らせど一向に届かない。ハガキが戻って来てから二週間経過しても届かないので、メールで総領事館に問い合わせをした。すると、すでに発送されて四週間経過していることがわかった。届かなければ、また時間とお金をかけて、すべての必要書類を用意して再度お願いするしかないと聞き、ため息が出た。近年、発送した在留証明が届かず、同じ人に二度三度在留証明を出すケースが増えていて、総領事館も困っているということだった。時間はかかっても郵便が届かなかったことは、これまでに皆無ではないものの、めったにないことなので、遅れついでに届くまで待つことにした。総領事館に問い合わせのメールを送ってから一週間後、つまり発送から五週間後にようやく在留証明は届いた。 同じ頃、毎年更新する車の登録証明書が届かないと夫が心配し始めた。だいたい一月中に届くはずの証明書なのに、三月になっても届かないので、夫がデトラン(車の登録証明を出す機関)に問い合わせたところ、発送された郵便の追跡番号を教えてくれたので、インターネット上で確認したという。すると、パーディーニョの郵便局にはちゃんと届いていたのに、うちの私書箱に入れられることなく、郵便局に届いてから一ヶ月後にデトランに返送されてしまっていたことがわかった。でも、幸いなことに、パーディーニョの町に、以前はなかったデトランの出張所ができていて、本部からこの出張所に宛てて、再度この登録証明が送られて来ていることがわかり、無事証明書を手にすることができた。 総領事館からの郵便が発送から五週間もかかって届いた際、夫が郵便局で苦情を言ったところ、最近、全国で一万人近い職員が解雇されたため、人手不足になっている上、郵便事業の民営化に反対して、局内で意図的に業務を遅らせる闘争をしていると聞かされたという。しかし、郵便の遅延は最近始まったことではないし、その後にデトランからの登録証明書がどのように取り扱われたかが判明したことで、ただ単に人手不足で郵便事業が遅延しているのではなく、個人の利用者に向けてというよりも政府に向けて、意図的な嫌がらせが行われているのではないかと思わざるを得なかった。郵便局は政府に嫌がらせをしているつもりでも、結局迷惑を被るのは利用者なのだということがわかっているのだろうか? ここパーディーニョの郵便局は小さな郵便局で、配達を含め何人の職員が働いているのかは知らないけれど、窓口には一人か二人の人が出て対応している。職員が仕事を始めるのは午前八時でも、郵便局は午前九時にならないと開かない。サンパウロ市内の郵便局はお昼の時間でも開いているのに、ここは午前十一時半から午後一時半までの二時間は昼休みで閉まってしまう。そして、午後五時にはきっちり閉まってしまうため、利用者にはとても不便。さらに、セントロ(町の中心部)に住む人たちの家には郵便が配達されるものの、私たちのように農村地帯に住む人たちの所には配達してくれない。そのため、毎年料金を払って私書箱を借りて、届いた郵便物は私書箱に入れてもらい、定期的に郵便局まで取りに行く。 しかし、その私書箱の数が限られているため、私書箱に空きがなく使えない人宛ての郵便は、郵便局で保管され、受領から一ヶ月以内に受け取りに行かなければ返送されてしまう。以前、私書箱の空きを待っていた頃、長く続いたストライキがようやく終わり郵便局が再開されたので、郵便を受け取りに行くと、担当の人がお休みで受け取ることができなかった。翌日担当者が出勤して、スト中処理されていなかった郵便物を処理して、アメリカから夫宛てに届いていた郵便を、受領から一ヶ月が過ぎているということで返送してしまうということがあった。ストの間は仕事をしていなかったのだから、その期間は受領から一ヶ月の期間から除外してもよさそうなものなのに、何とも融通のきかないやり方だなと、あきれるしかなかった。 まともな郵便事業の遂行とサービスの提供ができないのであれば、民営化した方がいいのではないかと、今回のことで強く思った。 | ||||
2018年6月29日(金) | ||||
この月曜日に広島からうれしい知らせが届いていた。2月上旬、中国新聞のセレクト紙の「想」に掲載された「横路先生の思い出」と題する私の記事を、県医師会速報に転載する許可を求める申請が広島県医師会から出されたと、中国新聞の西村さんが知らせてくださったのだ。中国新聞に私の記事が掲載された後、県医師会速報のIPPNWコーナーに片岡先生が「思い出:IPPNW日本支部と歴代事務総長のことども」と題する記事を書かれ、そこに私の記事も転載して、横路先生を追悼する形を取るという企画が持ち上がっていたので、IPPNW本部事務局長が各国支部に送った追悼メールも掲載してほしいと考え、急いで日本語に翻訳して片岡先生と担当事務局員に送ったのだけれど、受け取ったとも、どうするとも反応がなく、静観しているうちに、母のことがあったりして医師会速報のことを忘れていた。そんなところに届いたお知らせだったので、すぐに広島の小泉さんと大木さんにもお知らせした。すると大木さんからインターネット上の県医師会サイトをチェックしたところ、6月25日付けの速報に、これらがすでに掲載されていると連絡をもらった。サイトに行って見てみると、片岡先生の6ページ半に及ぶ長文の記事と、私の記事コピーと、本部事務局長のメールのすべてがIPPNWコーナーに掲載されていた。次の写真は、それを印刷して並べて撮ったもの。片岡先生の記事は、IPPNW日本支部の歴史を振り返りながら、初代事務総長の大北先生の時代、在任期間が一番長く、日本支部の歴史の中で一番輝きを放っていた二代目の横路先生の時代、そして、三代目の現在の片岡先生の時代と、記録をていねいに当たりながら、歴史を網羅しながら、上手に横路先生を追悼してくださっていた。あちこちに気を配りながら書かれたことが偲ばれる労作だった。大木さんからのメールには「お忙しい中を、よくあれだけのことを書いて、掲載して下さったと思い、改めて尊敬と感謝をしてます」とあり私も同感だった。横路先生がお亡くなりになったことを知って以来、何とか先生を追悼できないかともがいてきたけれど、中国新聞の西村さんや、IPPNW日本支部のスタッフだった小泉さんと大木さん、現在の事務総長の片岡先生、放影研理事長の丹羽先生などのご協力で、何とかこのような形にすることができ、心のつかえが少し取れたように感じている。そして、きっと私たちの知らないところで他にも動いてくださった先生方がおられたのかもしれないと思い、ただただ感謝だった。
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2018年6月30日(土) | ||||
次の写真は、食堂の西側の窓から見える桜。前回掲載した写真は、咲き始めたところを撮ったのけれど、今回はだいぶ花が咲き華やかになってきているので昨日の朝の時点で撮ってみた。2枚目は花をアップで撮ったもの。まだ木全体に花が咲いているわけではないのに、枝先の花が散ったところには、すでに緑の葉が出てきていて、花と葉と花のない枝とが共存している。そして、この木だけでなく、その横の木や、庭に4本ある桜の木の一部や、家の南側の三角地帯に下りて行くところの桜の木の一部などのつぼみもふくらみ始めていて、ぼちぼちと花が咲き始めている。2ヶ月近く咲いていたノイヴィーニャと白いポインセチアの花が終わり、いよいよ桜の季節到来。
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