Kyoko Yoshida | Life in Brazil | BLOG |
2017年12月1日(金) | ||||
次の写真は、今家の回りで花盛りのゴールデンマーガレット。何年も前にハイビスカスの花壇に2~3株植えたものから種が飛んで、あちこちから芽を出して花を咲かせるようになり、この写真のように、家の西側の車寄せの所でたくさん花を咲かせるようになった。ここのマーガレットは何度も何度も繰り返し取り除いているのだけれど、翌年にはまた芽が出てきて花が咲く。とても強い花だと思う。花株を別の場所に植え替えたり、種をあちこちに蒔いたりしたので、今では入り口ゲートを始め、あちこちで花を咲かせているのだけれど、この写真の場所が一番旺盛に咲いている。そして、庭を覆うアメンドインも、今黄色い花を咲かせているので、今の時期の我が家の色は黄色が主流。
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2017年12月2日(土) | ||||
以下は、2017年12月1日付けニッケイ新聞「コラム 樹海」からのコピー
伯国の政界用語の中のひとつに「カフェ・コン・レイテ(コーヒーと牛乳)」という言葉がある。これは「カフェ」が聖州、「レイテ」がミナス・ジェライス州を、それぞれの特産品に喩えたものだ。これはつまり、「伯国の大統領は伝統的にこの2州の政治の長の持ち回り」ということを意味する▼実際問題、共和国になった1889年から1920年代まではそれが習慣化しており、その名残か、現在もこの2州の政治家は国政での影響力も強い印象を与えがちだ▼だがコラム子は長年、これをすごく不思議な現象としてとらえていた。「なぜ、リオ州ではないのか」と▼リオ州といえば聖州に次ぐ国内2番手の州であり、世界的な観光地で、さらに言えばブラジリアに遷都する前、首都だったのはリオ市だ。そんな重要な地を差し置いて、なぜミナスと聖州の2つなのか。その理由が長年わからなかった▼それが証拠に、実は伯国の歴史上において、国民の選挙によって選ばれたカリオカ(リオ州民)の大統領は、なんとこれまで一人として輩出されていないという驚くべき事実まである。過去に大統領になったカリオカは2人いて、第7代のニロ・ペサーニャ氏(1909~10年)、第30代のジョアン・フィゲイレード氏(1979~85年)がそれにあたるが、前者は先代大統領の死で副から昇格、後者は軍事政権期に議員の間接選挙で選ばれたに過ぎない(厳密に言えば5代前のコーロル氏や3代前のカルドーゾ氏も生まれはリオだが、選挙地盤は異なる)▼「なぜカリオカはここまで国政に弱いのか」。コラム子も長年このように考えていたが、最近になって、ようやくその答がわかりつつある。いや、むしろ、「これではとても国政まではまかせられない」とさえ思いはじめるようになった▼現在のリオでは、3人の元州知事、3人の元州議会議長、5人の会計調査院判事という、州政府を司る中核の人たちが続々逮捕された。さらに、彼らの時代に横行していた収賄の応酬で州の財政はズタズタだ▼とりわけ醜態をさらしているのがセルジオ・カブラル元州知事(2007~14年)だ。同氏の在任中はサッカーのW杯やリオ五輪の開催が決まった頃で、そのバブル的な余波で浮かれ上がり、収賄し放題。現在、16の裁判の被告となっている同氏の収賄総額は発覚しただけで3億8600万レアル。この額は、今年8月に「サッカー史上最大の最高額」と言われた、ネイマールのPSGへの移籍金3億7700万レアルをも上回っているありさまだ▼また、州政府以外にも、リオ選出だった前下院議長のエドゥアルド・クーニャ氏は、ラヴァ・ジャット作戦で最も目をつけられた政治家であり、ジウマ大統領を自身の政治手腕で罷免に追い込みつつ、自身も収賄の連続で議員罷免に遭い、今や獄中生活を送っている▼そういえば、現在大統領選の世論調査で2位の極右候補ジャイール・ボウソナロ下議もリオ政界が拠点だ。同氏は果たして「リオ地盤の大統領が生まれない」ジンクスを破ることができるか? (陽) | ||||
2017年12月3日(日) | ||||
今年もあっと言う間に12月。師走になったからと言って、ここでの生活は何かが特別に変わることももなく、ほぼいつも通りの日々が過ぎて行く。でも、12月はクリスマスなので、例年通りせめてクリスマスツリーだけでも飾って、雰囲気を楽しもうと、この金曜日の午後クリスマスツリーを取り出して、エドソンに手伝ってもらって飾り付けをした。次の写真は、飾り付けが終わり、カウンターテーブルの上に置いたいつも通りの我が家の質素なクリスマスツリー。2枚目の写真は、クリスマスツリーを飾ったカウンターテーブルの上にいつもある植物の鉢植えを居間の柱の前に移動して、例年テレビの上に飾る靴下を今年はこの鉢植えの下に飾ってみた。
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2017年12月4日(月) | ||||
ペトロポリスの安見さんから久しぶりに情報満載のメールをいただいた。8月に恒例のBUNKA-SAIを実施した後、オズワルドクルスの財団フィオクルスのペトロポリスにある施設、イタボライ宮殿で日本展をしませんかと誘いを受けられたという。"Expo-Japão Saúde, Cultura, Biodiversidade" Dr.Noguchi, um bacteriologista japonês, que estudou sobre Febre Amarela no século XX - "日本展:保健、文化、生物の多様性"と込み入ったテーマで、黄熱病の研究で知られる野口英世の紹介や、オズワルドクルスから同研究所所蔵の日本固有の昆虫標本や黄熱病を媒介する蚊の標本などを提供してもらって展示し、別室では雛人形、日本人形、鯉のぼり、折り紙、昆虫折り紙、切り紙作品の展示や、七夕コーナーを作り展示されたという。野口英世紹介パネルは、ペトロポリス日系協会教育グループの元校長先生たちが調べて、作られたのだそう。次の写真は、その独自に作られたパネル展示の様子。
次の写真は、1枚目は昆虫の標本展示で、2枚目は折り紙で作った昆虫の展示。この昆虫の折り紙はこの展示のために誰かが作ったのだろうか?よくできている。ちなみに、オズワルドクルス研究所というのは、リオデジャネイロにある世界的に有名な免疫生物学技術研究所のことで、フィオクルス財団というのは、オズワルドクルスの研究を財政支援する関係財団というような関係にあるらしい。
10月10日に開会式が行われ、リオ総領事、元オズワルドクルス財団総裁のAKIRA HONMA氏(平成25年春の外国人功績叙勲=旭日中綬章)が出席されたとのこと。この展示は2ヶ月間で、12月15日まで続くのだそう。市内の小中学生が毎日課外授業として訪れているという。この展示を鑑賞したリオ総領事が気に入り、リオ総領事館文化センターでもやりませんかと誘ってくれたため、来年の1月15日から1ヶ月間実施することになったという。その展示場の下調べをしてみると、部屋が広いので野口英世紹介パネルと昆虫の折り紙だけでは見栄えがしないということになり、オズワルドクルスに、所蔵の日本固有種の昆虫標本展示を倍にしてくれと頼んだところ引き受けてくれたという。「その旨を領事館に話したところ、そんな高価なもの保険はどうなっているのかと大騒ぎになり、オズワルドクルスに問い合わせたところ、問題発生した場合はオズワルドクルスの責任で対処するから心配しないでくれと、大変好意的な対応に皆で驚いてしまいました」とあった。何と太っ腹!見学者を増やすために、期間中に野口英世に関する講演会を開催してはどうかなど、色々案が出てきていて、まだまだ気をもむことが多いようだけれど、リオから招待を受けたことを日系協会の人たちはみな喜んでいるということだった。いつも書いていることだけれど、ペトロポリスの日系協会はすべてボランティア。手弁当でこんな大きな展示企画をこなしてしまうのだからいつもすごいと思う。次の写真は、安見さんご夫妻にとって目に入れても痛くない孫娘のまりえちゃんの近影。
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2017年12月5日(火) | ||||
この日曜日のお昼、ジャナイーナの両親の家で、シュハスコ・デ・シャオン(churrasco de chao)をするから来てと、パウロからお誘いがあり行ってきた。シュハスコ・デ・シャオンというのは、お肉をシュハスコのかまどではなく、地面の上で焚き火をして、その火であぶって焼くというガウーショ(カウボーイ)がするタイプの豪快なシュハスコのこと。シャオンというのは床という意味なのだけれど、地面という意味もあるらしい。地面の上で焚き火をするためには広いスペースが必要。でも、新築のパウロの家は大きな家だけれど、敷地いっぱいいっぱいに家を建てているため庭がなく、このタイプのシュハスコができないので、ジャナイーナの実家ですることにしたらしい。次の写真は、11キロの牛肉の塊を焼いている様子を撮ったもの。大きなお肉の塊を焼くのは時間がかかるので、午前7時ころから準備をして焼き始めたということだった。
去年はパウロの会社の忘年会がアヴァレのホテルで泊まりがけであったのだけれど、詳しい事情を知らない私は、今年はこのシュハスコが会社の忘年会なのかと思っていたら、会社とは関係なく、パウロとジャナイーナの家族や親戚が集まるシュハスコだった。ブラジルでは毎週末のようにどこかの家で、家族や親戚が集まってシュハスコをやっているのだけれど、まあそんな日常のシュハスコという感じだった。次の写真は、缶ビールを片手に焚き火をつついているパウロと、それを側で見ているエドソン。
牛肉の他にも、シュハスコのかまどでリングイッサ(腸詰ソーセージ)と鶏手羽肉も焼かれていて、正午少し前くらいから食事が始まった。お肉の他には、ご飯、パオンジーニョ(小さなフランスパンという名前のパン)、サラダ、ビナグレッチ、ファロッファ、魚のグリル、煮豆、トマトソースのショートパスタなどがテーブルに並んでいた。次の写真は、パウロ(左)とジャナイーナのお兄さん(右)がふたりがかりで牛肉の塊を切っているところ。
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2017年12月6日(水) | ||||
日本の食パンは、厚切りから薄切りまで様々なものがあり、四角い食パンだけでなく、山型のイギリスパンもあったり、食感も普通のものからモチモチのものまでいろいろあるけれど、ブラジルの食パンの厚さは、日本で言うとサンドイッチ用の1斤12枚切りのような薄切りのものばかりで、厚切りのものはない。どの店でも販売されているのは日本の1斤よりも長い1本のパン(3斤分くらいの長さ)。全粒粉のパンは1種類だけではなく、いろいろ体に良さそうなものを混ぜていて、種類がいろいろあるけれど、普通の白い食パンも全粒粉の食パンも大きさが日本の食パンよりもひとまわり以上小さい。全粒粉の食パンは1斤よりも長く、1本よりも短い。どうしてなのかその理由はわからない。日本で普通に見かける食パンは、サンパウロのリベルダージ(東洋人街)の日本食料品店に行けば、日系のパン屋さんが作っているらしい1斤8枚切りのものを買うことができるけれど、この辺では手に入らない。エドソンによると、彼が子供の頃はご近所にポルトガル系のパン屋さんがあり、様々な種類の手作りのおいしいパンが販売されていたけれど、そういうお店は消えてしまって久しいという。どうしてブラジルではパン屋さんが消滅してしまったのだろう?次の写真は、ここで手に入る2種類の白い食パンを並べて撮ったもの。下の3枚が、ごく普通の食パンで、上の3枚は、今年になってスーパーで見かけるようになった、モチモチ食感で普通の食パンよりも若干厚みのある食パン。エドソンは、この少しモチモチ感があり厚みのある食パンが気に入り、あれば買ってくるようになった。これだとフレンチトーストもおいしくできる。
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2017年12月7日(木) | ||||
広島で短大生だった頃、ESS(English Speaking Society)というクラブに所属していた。そのクラブの同学年の仲間たち10人くらいとは今でも交流がある。短大を卒業するとすぐに結婚した人。結婚の遅かった人。しなかった人。大阪や東京やブラジルに引っ越した人。定年退職までずっと仕事を続けた人。子育てや介護に格闘した人。みな様々な人生を送ってきている。それでも連絡が途切れることなく、最近は遠方住まいの仲間が広島に帰省すると、みんなで集まって食事をするということをしている。先月下旬、大阪住まいの仲間が仕事の関係で広島に行くからと、みなに声をかけて都合のつく人たちが集まったと、参加した別の仲間から写真を添付したメールが届いた。以下がその際撮った写真。都合がつかず、半数は参加できなかったようだけれど、参加できた人たちは久しぶりに会って楽しく近況を報告し合ったようだった。年をとっても、声をかければこうやって集まって話すことができる友人がいるというのは幸せなことだと思う。人との出会いというのは、本当に不思議なもので、かけがえのないものだとも思う。
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2017年12月8日(金) | ||||
ここ2週間ほど、お散歩に出る度に、毎日のように道の東側や西側の木々の足元で、チコチコ(ticotico=すずめの一種)と、何という鳥なのか名前は知らない黒い小鳥が一緒にいるところを見かけるようになった。まったく異なる種類の小鳥が一緒にこんな風に仲良くしているのは珍しいので、「この子たち、友達なんだろうか?」とエドソンと話しながら、見かける度に観察するようになった。すると、どうも黒い小鳥が「チーチーチー」とか「ジージージー」とかいう鳴き声を出しながらチコチコにくっついて歩いているということがわかってきた。それでエドソンの見立てでは、このチコチコはきっと代理母で、この黒い小鳥を卵からかえしたのだろうというものだった。さらに観察を続けると、チコチコが自分よりも体の大きなこの黒い小鳥にエサを与えている様子を何度も見かけたので、やはりチコチコはこの黒い小鳥のお母さん代わりをしているんだという結論に達した。とても珍しい光景なので、写真に撮ろうと思ったものの、お散歩に出る際はこの小鳥達のことを忘れているので、カメラを持って出るのを忘れ、何度もいいシャッターチャンスを逃していた。そして、先日、はるたちとの昼食後のお散歩に出た際、この小鳥達が近くにいたので、はるたちとのお散歩が終わり、一旦家に戻って、カメラを持って、今度はめいとのお散歩に出た。するとまだ同じような場所にいてくれたので、次の写真を撮ることができた。
と、ここまで書いて、エドソンがネットで調べてみると、これは珍しいことではないということがわかった。この黒い小鳥はシュピン(chupin)という名前で、親鳥は自分で巣を作らず、チコチコの巣に卵を産みつけて、チコチコに子育てをさせるのだという。シュピンの卵はチコチコの卵よりも早くかえるので、チコチコはこのシュピンのひながかえるとエサを与えなくてはならず、自分の生んだ卵を温め続けることができないため、自分の子供は死んでしまうらしい。まあ何とずうずうしい自然界の不思議。こちらの勝手で、チコチコがシュピンにエサをやる光景を微笑ましいと思って見ていたのだけれど、自然界は厳しいのだと思い知らされた。 | ||||
2017年12月9日(土) | ||||
ペトロポリスの安見さんが、前回送ってくださった虫の折り紙の写真は、作品の様子があまりよくわからないからと、昆虫だけの以下の写真を再度送ってきてくださった。これらは日系のエンジニアの人が趣味でインターネットで覚えて作ってくれたものなのだそう。インターネットで見て作り方を覚え、こういう協力をしてくれる人材が身近にいること自体、とにかくすごいことだと思う。
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2017年12月10日(日) | ||||
森に下りて行く途中に大きなアリの巣があるので、最近そこを掘っては、台所の生ごみを埋めている。こうするとアリは嫌がって、巣の活動が不活発になり、やがて巣を捨ててどこかに行ってしまうようなので、薬よりも効果があるかも?と思いながらやっている。先日、また生ごみを埋めに行った帰り道、ヤシの葉の間に枯れ葉がたくさんたまっていたので、どうしてだろう?と思いながら近づいてみると、チコチコがパッと飛び出してきた。上から覗くと、これはチコチコの巣で、中に4つの卵があった。一旦、家に戻ってカメラを持ってもう一度その場所に行って、次の写真を撮った。1枚目は、ヤシの葉の間に枯れ葉がたまっている様子を撮ったもの。2枚目は、その巣の中を上から覗いて卵を撮ったもの。4つとも同じような色と大きさの卵なので、どうやらシュピンの卵は含まれていないようだと、何だかちょっと安心した。そのことをエドソンに話すと、シュピンの卵はチコチコの卵ととてもよく似ていて親鳥も区別がつなかないらしいから代理母をやってしまうんだと言うので、また心配になってしまった。
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2017年12月11日(月) | ||||
マテウスの都合で、この土曜日午後の英語のレッスンを2日前の木曜日の夜に変更したため、土曜日が1日フリーになった。それで前から一度のぞいてみたいと思っていたボトゥカトゥに新しくできたコンフィアンサというスーパーマーケットに行ってきた。ボトゥカトゥの中心部に入るちょうど手前にできた大きなスーパーなので、町の中の狭い道路を走る必要がなく、駐車場も建物の外と中の両方にあり、とても便利だった。これまで行っていたパオン・ジ・アスーカーのようなテレビコマーシャルをやっている全国チェーンの店ではなく、このスーパーはサンパウロ州中部のバウルという大きな町が本拠地で、近郊の町に支店を広げつつあってボトゥカトゥにも進出してきたものということだった。外から見ても結構大きな建物なのだけれど、中に入るとスーパーだけでなく、店構えとしては小さいものの、家具店、薬局、ベッドシーツなどを販売する店、床屋、レストランのようなランショネッチ(軽食堂)などが同じ建物の中の異なる階に入っていて、ちょっとしたショッピングモールのような感じだった。というか、ボトゥカトゥのショッピングモールにはフードコートがあり食事はできるけれど、家具店も、薬局も、ベッドシーツなどを販売する店も、床屋も入っていないので、ショッピングモールよりもいいじゃないと思った。次の写真は、このスーパーのインターネットサイトからコピーした建物の外観写真。
次の2枚の写真もサイトからコピーしたもので、1枚目は野菜や果物の売り場で、2枚目はワインその他のアルコール売り場。野菜の新鮮さを保つために、日本では霧吹きで水を野菜に吹きかけたりするのが普通だけれど、ブラジルではこれまでそんなことをしている店を見たことがなかった。エドソンがパーディーニョのスーパーの人に何度助言しても、まったく聞く耳もたずで、平気でグタッとした野菜を販売しているのだけれど、このスーパーは野菜に水が吹きかけてあった。売り場の広さ的にはパオン・ジ・アスーカーとあまり変わらない感じだったけれど、店内のレイアウトなどはこちらの店の方がちょっと高級感があり、ざっと見た感じ品揃えもいいように感じた。そして、レジの数が多く、すべてのレジが開いていて、お客さんがスムーズにはけていたので、支払いをするのにあまり待つ必要がなかった。だからお客さんが多く大盛況という感じだったけれど、レジで長い列ができておらず、駐車場も楽に車を止めることができて、混雑しているという感じはしなかった。とにかく働いているスタッフの数が多いという印象だった。パン、魚、肉の売り場がパオン・ジ・アスーカーよりも広く充実していた。そして、以前は販売していたのに、近年パオン・ジ・アスーカーで見かけなくなってしまったカナダからの輸入品のメイプルシロップがここにはあったので感激。
この店でもうひとつ感激したことは、パン売り場にいろいろな種類のパンがあったこと、そして、試しにフランスパンのバゲットを買って帰り、食べてみると、ちゃんとしたフランスパンのバゲットだったこと(以下写真)。パオン・ジ・アスーカーのフランスパンのバゲットは、柔らかいパオンジーニョを大きくしただけのようなパンで、外側がカリッとしておらず、味もちょっといまいちだったのだけれど、ここのフランスパンは普通においしいパンだったので、とてもうれしくなった。パオン・ジ・アスーカーには以前、ビンや缶やプラスチック容器などをリサイクルする集積場が駐車場の一角にあったのだけれど、先月行った際、それがきれいになくなってしまっていて、リサイクルの集積場は止めましたという張り紙がしてあった。それで溜まっていたビンなどを車のトランク一杯にして持って行ったのに、そのまま持って帰るはめになってしまった。コンフィアンサではリサイクルはしていないけれど、パオン・ジ・アスーカーで手に入らないものも含めて、私たちがほしいものがちゃんと手に入る上、パオン・ジ・アスーカーがリサイクルの集積場を止めてしまった今、パオン・ジ・アスーカーに買い物に行く理由がなくなってしまったなと思った。環境に優しいグルメスーパーとして他の普通のスーパーとの差別化を図っているように思われたパオン・ジ・アスーカーだったけれど、とうも経営戦略を間違ったのではないかと私には思えた。そして、これからはコンフィアンサだとエドソンとふたりで盛り上がった。
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2017年12月12日(火) | ||||
以下は、2017年12月8日付けニッケイ新聞「コラム 樹海」からの転載。以下の写真は、記事に添付されていた写真ではなく、インターネット上にあったアウキミン氏の別の写真をコピーしたもの。この記事には名前が出ていないけれど、そろそろ大統領選という時期になると、毎回必ず出馬を表明するマリーナ・シウヴァという黒人の女性政治家がいる。彼女は元々はルーラの労働者党(PT)の政治家だったのだけれど、ルーラ政権で環境大臣をしている時、ルーラと意見が合わず離党して、ブラジル社会党だったかに移った人。でも、この人は政界のスキャンダルや社会で起こっている様々に注目度の高い事柄に関して、普段はまったく何のコメントも意見も表明せず、だんまりを決め込んでいて、何をやっているのか、存在しているのかすら忘れられているような人なのに、大統領選が近づくとメディアに出てくるという変な人。基本的にはルーラと同じく共産主義の政治家なので、ルーラ同様、私的には、この人にも大統領にはなってほしくない。この記事に出てくるボウソナロは極右だし、やはり、派手好きなブラジル人にはあまり人気のない、普通の政治家よりも腐敗の度合いが少なく、実直でブラジル人らしくないアウキミンが一番まともな候補かなあ・・・?と、思ったりする。でも、エドソンの話だと、腐敗しきった政治家に政治は任せられないと言って、政治家ではない人たちが近年新しく作ったパーチ・ド・ノヴォ(新しい党)というのがあり、言っていることもまともらしいので、少数派ではあるものの、その党の進展も気になるところ。
来年10月の大統領選挙は、汚職裁判で出馬失格の危険性のある中、国民の圧倒的な支持率を元に突っ走る元大統領のルーラ氏(労働者党・PT)と、「反ルーラ、反PT」の支持を集める極右候補のジャイール・ボウソナロ氏の一騎打ちのような様相を現時点では見せている。だが、まだ選挙本番の10カ月以上前。そのまま行くとは、少なくともコラム子は見ていない▼選挙戦を今後面白くしていきそうな候補が、コラム子の目には少なくとも、5人はいるが、今回はその中のひとり、民主社会党(PSDB)のジェラウド・アウキミン聖州知事について語りたい▼PSDBといえばPTのこの20年の最大のライバルで、アウキミン氏も06年の大統領選でルーラ氏との決選投票で大敗しているため印象はさほど強くない。だが、ここに来て、非常に同氏が得意とする流れで浮上してきているのがコラム子的には気になっている▼このアウキミン氏、とにかく「泣くまで待とう、ホトトギス」ではないが、自分から慌てて仕掛けることをあえてしないスタイルで知られている▼それは14、15年の少雨による水危機がそうだ。あの当時聖州は最大のカンタレイラ水系が底を突き、誰の目にも給水制限が必要だった。にもかかわらず、同知事はそれを頑なにやらず、同水系の地下水の汲み上げと、放水量調節と水道代値上げだけを行なった▼その態度に州民は苛立ったが、そのうち雨が降り、水系の貯水量は回復。今や汲み上げに使った道具が他州の水不足の対策道具で貸し出されるほどの「手柄」にいつしかなっていた▼また、14年の聖州知事選のテレビ討論会でも、アウキミン氏は対立候補には一切質問せず、攻撃的な姿勢を見せないまま冷静さを保ち、選挙本番では一次投票で圧勝していた▼そして14年選挙での聖州知事再選後、当初から「PSDBの大統領選はアウキミン氏で」の声が挙がる中、本人は表向きには国政の意欲を見せず、14年大統領選に敗れたアエシオ・ネーヴェス同党党首が出馬への意欲を隠せないでいた▼だがアエシオ氏は、今年5月のJBSショックで、あわや現行犯逮捕もありえたくらいの収賄スキャンダルに巻き込まれ、政治生命こそ絶たれなかったものの大統領選的には万事休す▼PSDB内のライバルは、アウキミン氏がみずから目をかけた企業家出身のジョアン・ドリア聖市市長のみとなった。17年の市長就任当初はフレッシュな魅力で大人気で、「地味なアウキミン氏より大統領候補には良いのでは」の声もあがっていたドリア氏だったが、その声に舞い上がり、国の内外で行なった自己アピール活動が不評で人気が下降した▼その間、アエシオ氏やドリア氏に特にライバル心も嫉妬も表さなかったアウキミン氏が、テメル政権支持か否かを元に内紛・分裂状態にあったPSDBをまとめることも期待され党首に就任。大統領候補もたしかなものにしている▼「伯国政界の徳川家康」なのか「無手勝流」なだけなのかはわからない。ただ、いつもの「アウキミン・ペース」で浮上してきた同氏の術中に国民がはまると、大統領選もまだわからない。(陽) | ||||
2017年12月13日(水) | ||||
今年はタケノコの当たり年だった。ただ、孟宗竹のタケノコが収穫できたのは10月からせいぜい11月の初めくらいまでだったけれど、食べることができないヒメシマダケは、繁殖力が恐ろしく旺盛で、いまだに芽をたくさん出し続けている。それで、生えてきた芽を取り除くのに忙しい日々。次の写真は、ランドマークの木に迫りつつあるヒメシマダケの林を撮ったもの。新しく生えてきた竹がたくさん一直線に空に向かっているのが見えるだろうか?この竹は、毎年新しく生えてきた竹が前年の竹よりも太くて背が高くなるので驚いている。
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2017年12月14日(木) | ||||
庭の糸杉とフランボヤンの木の間に、ジョゼからもらった3本のブリンコ・デ・プリンセーザ(王女様のイヤリング)のうちの1本を地植えにしてだいぶ経つ。1~2度葉切りアリに襲われたため、木の回りにレンガを置き、足元にコーヒーかすを置いて保護している。それが功を奏したのか、その後は葉切りアリに襲われていない。ここは木陰ができる時間が多く、強い日差しがあまり当たらないからなのか、木はまだ小さいのだけれど、今年初めてつぼみをつけた。2つのつぼみの内、ひとつが花開いたので、次の写真を撮ってみた。この木よりも早く花を咲かせた畑に2本あるブリンコ・デ・プリンセーザは、背の高い鉢に植え替えて、ベランダに飾ろうかなどと考えたりしているものの、まだ鉢を購入しておらず、実行には至っていない。
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2017年12月15日(金) | ||||
ウリの一種のカシという、一見ヘチマのような野菜が1本、また1本と、収穫できるようになったので、それを薄切りにしてソテーしたり、お肉と一緒にオーブンでローストしたりして頻繁に食べている。エドソンはズキーニやシュシュ(和名はハヤトウリ)よりもカシの方がおいしいと言って、喜んで食べてくれる。そして、カシを天ぷらにしてみたらおいしいかもと言うので、ボトゥカトゥのスーパー・コンフィアンサで買ってきた小魚のマンジューバと一緒に、先日天ぷらにしてみた。次の写真は、出来上がったその天ぷら。手前からズキーニ、カシ、インゲン、マンジューバ。マンジューバはいつもは唐揚げにしているのだけれど、今回は他の野菜を天ぷらにするので、一緒に天ぷらにしてみた。エドソンが予想した通り、カシの天ぷらはおいしくて大成功だった。
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2017年12月16日(土) | ||||
楽書倶楽部の同人で、パラナ州カストロに住んでおられる蓼沼さんから、9月に陽光桜の苗木を2本いただいたことはすでに書いた。すぐに地植えにせず、もう少し大きくなってから地植えにするといいということで、庭の桜の木の足元に置いて育てている。でも、10月の下旬か11月の上旬くらいから、葉が紅葉し始め、足元の方からとてもきれいな赤一色になると落葉するので驚いている。9月10月は雨が多く、日差しが少なく、気温が低めだったからなのか、理由はよくわからない。夏のこの時期に紅葉して落葉するというのはおかしなことだなと思う。でも、一斉に紅葉して、一斉に落葉するわけではなく、葉に何となく赤い斑点ができ始めてゆっくり紅葉して、落葉するまでにはずいぶん時間がかかっていて、苗木自体が弱っている感じはないので、大丈夫かな?とも思うのだけれど、一度蓼沼さんにメールで相談してみた方がいいかな?と、思いながら毎日苗木を眺めている。
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2017年12月17日(日) | ||||
ここ3週間建設作業に来ていなかったペドレイロのミウソンたちが、この金曜日に作業にきてくれたため、ガレージ建設が少し進んだ。金曜日1日かけて、ガレージの正面と左右の柱を作る作業が行われた。次の写真は、翌日土曜日の朝撮ったもの。土曜日も来てくれたら作業がだいぶ進むなと期待していたのだけれど、土曜日は別の用事があって来れないということでがっかり。これから先の週末はクリスマスや年末年始と重なる日程なので、たぶん仕事には来てくれないだろうから、ガレージはこの時点で来年に持ち越しということになるのかな?
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2017年12月18日(月) | ||||
土曜日の昼食後のお散歩に出ると、この辺ではよく見かけるオレンジ色に黒の縁取りの蝶々が、ランドマークの木の側の地面の上をヒラヒラしていた。はるたちとのお散歩から戻っても、めいとのお散歩に行って戻っても、同じような場所で相変わらずヒラヒラしているので、カメラを持って再度その場所に行ってみると、やはりまだそこにいたので次の写真を撮った。ちょっとアングルがよくないけれど、右側の羽(体に近い側)が少し欠損していたのでちゃんと飛べないから、ここでヒラヒラしていたのかな?この蝶々、翌日も家の側のマーガレットが群生している場所でヒラヒラしていた。遠くに飛んで行けなくても、どうか命をまっとうしてほしいと思った。
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2017年12月19日(火) | ||||
日曜日の正午前、どこからともなくセルタネージャ(ブラジルのカントリー)音楽が聞こえて来た。まるでうちの前の道路でだれかが大音量の音楽を流しているような感じだったので、これは絶対うちの前で誰かが車を止めて音楽を流しているに違いないとエドソンに言うと、「ああ、馬のパレードじゃないかな」という返事が返ってきた。それでカメラを持ってエドソンとふたりで丘の上のガジーボに上がってみると、エドソンが言った通り、馬に乗った人たちの行列がうちの前の道路を東から西に向けて移動していた。パレードの先頭のスピーカーを乗せた車が大音量で音楽を流していて、それに続いて、馬に乗った人たちがゾロゾロと行列をなしていた。次の写真は、丘の上から西側を向いてその行列を撮ったもの。先頭の車はもうずっと西に行ってしまっていてよく見えないのだけれど、音楽はまだしっかり聞こえていた。行列の手前に見える緑の木々は、お隣のコーヒー農園のコーヒーの木と、さらに手前に見えるのは我が家のセドリーニョの木。2枚目の写真は、うちの入り口ゲートの前を行く人たちを撮ったもの。入り口ゲートは画面左の桜の木で隠れている。
次の写真は、うちの丘から東を向いて遠くに見えるまだまだ続く行列を撮ったもの。2枚目の写真は、このパレードの出発地点らしい車がたくさん集まっている場所を撮ったもの。この2枚は、どちらもかなり距離が遠いところを無理して撮ったので、ピンボケ写真になってしまった。
次の写真は、また西を向いて撮ったもの。この行列はとにかく長く、なかなか終わらず、延々3キロくらい続いたのではないかと思う。こんなにたくさんの馬と人は一体どこから集まって来たのだろう?パーディーニョでは例年9月に馬のパレードがこの同じ道を通るけれど、そのパレードでは大音量の音楽などは流さないし、行列はこんなにも長くはないのだけれど、これはうちから北東の位置にあるファゼンダのイベントの一環らしいということだった。何でもお金持ちのセルタネージャの歌手の人がここのファゼンダを買って、初めてのコンサートとシュハスコをこの週末に行うという話を、エドソンはパウロか誰かから聞いていたようだった。それにしてもやけに派手なキックオフ・イベントだなと思った。
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2017年12月20日(水) | ||||
最近、土曜日に手伝いに来てくれる人たちは、平日働いているドナ・ベティのファゼンダの仕事が土曜日もあることが多く、うちの仕事を休みがちだったのだけれど、先週の土曜日は、マリアだけでなく、ゼーとゼーのお兄さんも手伝いに来てくれたので、草取り作業がはかどった。午前中に丘の下の方の草取り作業を済ませてもらって、午後からそこにとうもろこしの種を蒔いてもらった。去年は丘の上の方までたくさんとうもろこしの種を蒔いて育てたのだけれど、ちょっと量が多すぎて処理と保存が大変だったので、今回は鶏に食べさせるためのものが少しあればいいという程度にして、種を蒔く場所と量をだいぶ減らした。次の写真のセドリーニョの列の右側に草のないきれいな道のようになっている部分が、種を蒔いた場所。12月に入って雨が降っていなかったのだけれど、この日の夜遅く、雷が鳴って、少し雨が降った。種を蒔いたばかりだったので、恵みの雨になったなあと思っていたら、日曜日の夜と月曜日の夕方にも少し雨が降ったので、とてもありがたかった。
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2017年12月21日(木) | ||||
昨日の朝のルイーザの英語のレッスンをもって、今年の私の仕事納めとした。土曜日のマテウスのレッスンは、今週は23日で、その日はクリスマスと年末年始の食料品を買いに行きたいので、先週の土曜日のレッスンを最後にし、次回のレッスンは1月6日からとした。今年も生徒さんに恵まれて、レッスンを続けることができたことに心から感謝。一方、エドソンはパウロの会社のシステムを大きく変更する仕事で忙しく、仕事納めでのんびりというわけには行かず、なかなか大変。 昨日掲載した写真を撮った同じ場所から左側を向いて撮ったのが以下の写真。この部分に桜の苗木を何本植えたのだったかよく憶えていないのだけれど、数えてみると現在16本の桜が少しずつここで成長していることが確認できた。2~3本はまだ木が小さいけれど、葉切りアリに襲われても枯れずにちゃんと育っている。2枚目の写真は、1枚目の写真を撮った場所から少し下がって、カメラを左に向けて、防風林前の上の方を撮ったもの。この部分にもこれから桜の苗木を6本くらい植えようと考えている。
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2017年12月22日(金) | ||||
今月に入り、入り口ゲートに向かう道沿いの下のエリアに十数本あるフランボヤンジーニョの1本に花が咲き始めた。去年は、この時期は、もうすでに何本ものフランボヤンジーニョの木に花が咲いていたけれど、今年は花の咲き具合がちょっと遅いような気がする。次の写真は、1本だけ花を咲かせているそのフランボヤンジーニョを撮ったもの。この木の向こうの1本は枯れてしまっていて、そのまた向こうに1本写っている木は元気そう。2枚目の写真は、そのフランボヤンジーニョの花を近くから撮ったもの。ちょっとピンボケになってしまった。
次の写真は、入り口ゲートに向かう道沿いで1本だけひっそりと咲いている草。きれいなラベンダーカラーで、花も小さくて可愛らしい。いわゆる雑草なのだけれど、こんな風に可愛い花が咲いていると、抜くには忍びなく、この草の前を通る度に、きれいな色だなと思いながらそのままにしている。
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2017年12月23日(土) | ||||
以下は、2017年12月21日付けニッケイ新聞のブラジル国内ニュースからの転載。ボサノバやショーロといった日本でよく耳にするブラジル音楽に関しては、まったく言及されていない。ということは、ボサノバやショーロはブラジルでは人気がないということなのかな?まあ、実際、私たちの回りで聞くのはセルタネージャばかりで、若者の間ではファンキばかりという感じは否めない。ブラジル国外の人たちがブラジル音楽として思い浮かべる音楽と、ブラジル国内で人気のあるブラジル音楽の間にギャップがあることが、この記事からわかる。
「サンバはリオでしか聴かれない」「セルタネージャは都会では聴かれない」。ブラジルで生活していて、なんとなく耳にしていた話がこのたびデータとして裏づけを持って証明された。 15日付フォーリャ紙は、ブラジル国民がユーチューブやスポティファイなどのデジタル音楽視聴媒体を介した音楽視聴を基に、国際レコード産業連盟(IFPI)ブラジル支社がまとめた、各音楽ジャンルが最も聴かれている地域を点によって表した分布図を掲載した。 一言で「ブラジル」といっても、同国は米国にも負けない多様な人種の坩堝の国。どこに住んでいるかで人種構成も貧富の差もまるで違う。このことは、各地域で流行っている音楽の傾向にもあてはまる。それが今回、見事に証明された。 まず、国際的に「ブラジル音楽と言えば?」との問えば皆が思いつくサンバだが、現在聴かれている地域は、もとから伝統のあるリオに集中していることがわかった。あとはサンパウロ州や南部のリオ・グランデ・ド・スル州の一部、北東部の一部沿岸部に過ぎない。既に「流行音楽」というより「伝統音楽」になりつつあるサンバだが、少し寂しい結果になった。 また、90年代に爆発的人気を誇ったものの、現在はイベッチ・サンガーロなどの限られた歌手のみの人気になった「モダン・サンバ」のアシェーも、その本場のバイーア州など北東部に集中し、リオ州やサンパウロ州までは影響力が及ばなくなっている。 こと、音楽の売り上げやラジオ局に占める割合が圧倒的な「ブラジル版カントリー」のセルタネージャは、聴かれている地域に意外と偏りがあることが判明した。発祥の地と呼ばれる中西部のゴイアス州や南部のサンタカタリーナ州と、共に農業地帯で圧倒的な強さを見せる反面、サンパウロ市やリオ市のような大都会では、局やアーティストの知名度とは裏腹にあまり聞かれていない。実際、サンパウロの音楽ファンの間でも、思ったほど話題にあがらないのが現実だ。 今、ブラジル全土で地域に関係なく、もっとも万遍なく聞かれているのはファンキだ。これは米国の黒人音楽のR&Bをブラジル流に翻案した音楽だが、国内の若者に圧倒的な人気がある。 ファンキは「サンパウロ流」が「ファンキ・パウリスタ」、「リオ流」が「ファンキ・カリオッカ」と呼ばれるが、MCケヴィーニョなどの人気アーティストがいる前者の方が人気だ。 一方、同じ米国黒人音楽起源でも、ヒップホップはほぼサンパウロのみの人気、という結果も出ている。これはブラジルにおけるヒップホップの解釈が「真面目な黒人のメッセージ音楽」とややシリアスなもののため、広がりにくくなっている側面がある。 続いてロックを見てみると、日本でいわゆる「洋楽」といわれる英米からのものは、大型フェスティバル「ロラパルーザ」が行われるサンパウロ州で特に強く、白人人口の多い南部のパラナ州やリオ・グランデ・ド・スル州でも強い。これらの州都のサンパウロ、クリチーバ、ポルト・アレグレは、英米アーティストの公演がリオやブラジリアよりも目立つくらいだ。 また「ブラジル国内のロック」になると、前述の地域のほかに、ローカルのバンドシーンがあるリオ市やミナス・ジェライス州ベロ・オリゾンテ市、北東部沿岸のペルナンブッコ州レシフェ市、リオ・グランデ・ド・ノルテ州のナタウ市なども加わり、分布が広がる。 また、クラブ・ミュージックになると「エレクトロ」「レゲトン」といった最近の若者に流行りのものは白人の若者ウケするのか、パラナ、サンタカタリーナ、リオ・グランデ・ド・スルの南部3州で圧倒的に強い。 カエターノ・ヴェローゾやジルベルト・ジル、ミルトン・ナシメント、シコ・ブアルキなど、いわゆる70年代に世界的に広がったブラジリアン・ポップスのMPBは、サンパウロ、リオ、ミナス・ジェライスの南東部3州に集中する結果が出ている。 細かいところだと、クラシック音楽は圧倒的にサンパウロ州、レゲエは北東部、北東部ペルナンブッコ州の伝統音楽のフォフォーは同州周辺、ゴスペルはリオ州やエスピリトサント州などの沿岸部で強いという。 | ||||
2017年12月24日(日) | ||||
次の写真は、先週の土曜日にエドソンが買ってきた小さなりんご一袋。手前に普通のふじりんごを3つ置いて、大きさを比べてみた。ブラジルで生産され販売されているふじりんごは、日本のものよりも少し小さめなのだけれど、それと比べてもこのりんごは小さい。「この小さなりんご、どうしたいの?」と、エドソンに聞くと、アップルパイを作ってという。それで、今日はこれから夕飯のためにローストチェスターとアップルパイを作る準備をする予定。
15日の金曜日の午後少し雨が降ってから、毎日のように夕方遅くからとか、夜遅くから少し雨が降るようになり、いい感じだなと思っていたら、20日水曜日の夜降り始めた雨は、翌日の木曜日も、またその次の金曜日も降ったり止んだりを繰り返しながら降り続いたので、何日も降り続くのは勘弁してほしいなと勝手なことを思ったりした。その上、21日の木曜日にちょっとしたハプニングが起こった。夕食後にめいにオシッコをさせた後、シュハスコ小屋に入れて、鶏小屋の卵をチェックしようと思い、いつものように声をかけてから、畑の側の扉を開けて、まず部長のお腹の下を調べた。その際、止り木に止まっていた鶏たちはいつものように外の運動場の方に出て行ったのだけれど、何故が課長だけは止り木から動かず、次にクロちゃん(黒い鶏のことを最近こう呼んでいる)のお腹の下を調べていたら、課長が私のいる畑側に飛び出して脱走してしまった。扉を閉めて、エドソンを呼んで何とか捕まえようとしたのだけれど、うまく行かず、その日のうちに何とかするのは諦めた。基本的に鶏は仲間のいる場所から離れて遠くへ行かないということは、最初の頃の彼らの行動でわかっていたし、その晩雨がザーザー降ったので、おそらく鶏小屋の下で雨を避けているだろうと思って、あまり心配はしなかった。翌朝、めいをシュハスコ小屋から出すために迎えに行ったら、思った通り鶏小屋の下にいてくれた。それで朝食後にエドソンが運動場の鶏を小屋の中に入れてドアを閉め、畑の方に開く金網のドアを開け、庭からその金網のドアを入って運動場までとうもろこしを点々と置いて、課長がそのとうもろこしを食べながら自発的に運動場に入って行くように仕向けて待っていたら、その作戦が大成功で、無事運動場に入ってくれたので、ほっとした。その後、鶏小屋のドアを開けて、中の鶏たちも外の運動場に出してから、いつも通りに餌を与えた。何だかクリスマス前とは思えないハプニングだなと、やれやれと思いながらも、いかにもここでの私たちの日常らしいなとも思い、笑ってしまった。 | ||||
2017年12月25日(月) | ||||
![]() この土曜日は、ボトゥカトゥの日本食料品店のウエノとドナ・マリナ、ペットショップのポリヴェット、そして、スーパー・コンフィアンサの4つのお店を駆け回って、買い出しをした。ウエノではお米、みりん、だしの素、豆腐、その他。ドナ・マリナでは大根、セロリ、その他。ポリヴェットではワンコたちのドッグフード。コンフィアンサでは、チェスター、ワイン、フランスパン、その他を購入した。日本食料品に関しては、ウエノかドナ・マリナのどちらかですべて揃えば言うことはないのだけれど、ウエノには様々な種類の新鮮な野菜がなく、一方で、ウエノで30レアルの日本米がドナ・マリナでは50レアル余りで、基本的にドナ・マリナの商品の値段が高いため、どうしてもどちらか一方だけというわけに行かないのが頭痛の種。コンフィアンサにもセロリはあったけれど、大根はなかったので、ドナ・マリナに行って買ったのは正解だった。ちなみにブラジルでも七面鳥は手に入るけれど、エドソンも私も七面鳥のお肉はパサパサしておいしくないので好きではなく、日本で暮らしている頃は鶏を丸焼きにしていた。ブラジルに来てからは、普通の鶏ではなくチェスターと呼ばれる胸の肉厚な鶏のお肉の方がジューシーでおいしいので、毎年チェスターを買っている。ただ、ふたりきりのクリスマスの際は、丸焼きでは大き過ぎて食べきれないため、骨を取り除いた胸肉だけを買っている。それでも食べきるには2日かかる。今年のクリスマスはふたりきりなので、今回もチェスターの胸肉を買って、それをローストした。はるとひろとめいにはクリスマスの特別なお裾分けとして、チェスターの小さなスライスと、普通のひやご飯を少々ドッグフードに加えて与えた。次の写真は、できあがったチェスターの胸肉のロースト。向こう側に見えるのは、ひよこ豆と野菜のサラダと、コウヴィのソテー。ご飯はエドソンの希望で、久しぶりにガーリックライスを作った。デザートはもちろんアップルパイ。
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2017年12月26日(火) | ||||
10月の下旬、雨が降り続いていた頃、エドソンのラップトップが突然壊れてしまったため、ボトゥカトゥのコンピュータの店に新しいラップトップを買いに行った。11月上旬にサン・ジョゼ・ドス・カンポスでのミーティングに行く際、どうしても必要だったこともあり、素早い行動となった。その際、私のラップトップも保冷材を使っていても熱を持って、時々クラッシュするようになってきていたので、突然動かなくなる前に新しいのを買ってほしいなとエドソンと話した。でも、緊急を要する状態ではないので、すぐ買ってもらえるとは思っていなかったのだけれど、12月に入ってしばらくすると、「DELLのコンピュータをインターネットで注文したから、今月末には届くよ」とエドソンが言うのでびっくり。当初は配達は来月と言われたらしいのだけれど、「妻へのクリスマスプレゼントなので、できれば今月中に届けてほしい」という希望を伝えると、「では、月末までに届けます」ということになったらしい。そうしたら、その予定よりもさらに早く、先週半ばに届き、クリスマスに間に合ったので、二度びっくり。これが私のためのクリスマスプレゼントなら、その前に買ったラップトップがエドソンのためのクリスマスプレゼントということになるのかな?でも、どちらにしてもお金の出所はエドソンなので、プレゼント交換と言っても名ばかりなのだけれど・・・。届いたコンピュータをエドソンがセットアップしたり、私が使っているラップトップのすべての情報を新しいコンピュータにコピーしたりと、数日作業をしてくれ、24日から完全にラップトップからデスクトップに移行することができた。感謝!感激!デスクトップの料金は、エドソンが新しく買ったラップトップよりも安い上、今まで通りOSがLinux/Ubuntuなので、Windowsのものよりも1,000レアル余り安いそうで、大きな買い物ではあるものの、それほどひどい負担にならず良かった。次の写真は、私のテーブルの上のその新しいデスクトップコンピュータ。中央のモニターの右後ろにある小さな黒い箱がコンピュータ。モーターの音がとても静かで机の上にあってもまったく気にならない。モニター画面がラップトップの画面よりも大きくなり、使いやすくなった。
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2017年12月27日(水) | ||||
クリスマス前の23日と24日は何とか雨が降らず、午後から弱い日差しが少し出たりしたけれど、25日のクリスマスは午前11時頃から降り始めた雨が、激しく降ったり、弱まったりを繰り返しながら1日中続き、気温が上がらなかった。それで半袖のTシャツだけでは寒いので、長袖のシャツを上から羽織って過ごす1日になった。記憶を辿ってみると、ここはクリスマス前後に雨が降り、ちょっとうすら寒い感じになることが多いなと思う。ここに引っ越してきた年の最初のクリスマスは豪雨で、パーディーニョの中央を流れる小さな川が氾濫して、その側の小学校が浸水したり、高速道路カステロ・ブランコからパーディーニョに上がってくる山道で、崖崩れが何か所か発生して通れなくなったりしたことなどを思い出した。その2年後だったか、家が完成した年の初めてのクリスマスに、お義母さんと義妹のエリカ夫婦がここに来て、一緒にクリスマスを過ごしたことがあったけれど、その時もやはりお天気が悪かったため、お義母さんが寒い寒いと言っていたねと、エドソンと話した。次の写真は、昨日の昼食後のお散歩の際に撮ったもの。10日ほど前に、ここに種を蒔いた後、毎日のように雨が降っているので、早くもとうもろこしの芽が出てきている。真ん中に写っているのは、パイネイラの木。葉切りアリに襲われて裸にされることがよくあるのだけれど、そんな試練にも負けず少しずつ大きな木になりつつある。
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2017年12月28日(木) | ||||
次の写真は、先週の土曜日に日本食料品店のウエノに行った際、買ってきた桃(左)と、すもも(右)。桃はポルトガル語でペセゴ(Pessego)、すももはアメイシャ(Ameixa)。どちらも一箱10レアルで、ウエノさんの農場で栽培されている果物なので安いのだと思う。前回、11月の上旬に行った際にも桃があったので買ったのだけれど、その時は大きさが今回のものよりも少し大きく、一箱に入っていたのは9個だった。でも今回はそれよりも小粒なので14個も入っている。すももはさらに小粒なので、二重になってたっぷり入っている。昨日の朝食で、すももを2つずつ食べたのだけれど、甘くて、ジューシーでとてもおいしかった。
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2017年12月29日(金) | ||||
27日の朝、めいとのお散歩で入り口ゲートまで行った帰り、見たこともない大きな動物の足跡を見つけた。昼食後のお散歩の際、エドソンに「恐竜の足跡を見つけたよ」と言って見せると、「オンサ(ジャガー)の足跡かなあ・・・?」と言って、びっくりしていた。初期の日本移民の人たちは、大木が生い茂るジャングルを開拓して行ったので、身近にオンサがいて、学校に通う子供たちが時々オンサの声を聞いて恐れたという話をいろいろ読んだことがある。でも、今ではジャングルなんて残っていないし、ましてやこの辺はずいぶん田舎と言ってもたくさん人が住んでいるから、オンサなんていないよとエドソンは以前言っていたのに、ひょっとしてオンサが近くにいるのかなあ?と思った。エドソンがインターネットでオンサの足跡を調べてみると、オンサの足には指が4本あって、真ん中の肉球がこの足跡よりも大きいので、どうも違うようだ。さらに調べてみると、3本指の足跡はカピバラのものだということがわかった。ペトロポリスの街中の川沿いにカピバラが住んでいると言って、以前、安見さんがその写真を送ってきてくださったことがあるけれど、カピバラってそんなに大きな動物ではないというのが私の印象。でも、この足跡は縦横15センチ余りでかなり大きい。足がこんなに大きいと体はずいぶん大きいのではないだろうか?へえ~、ここにはこんな大きなカピバラも住んでいるのか?と、再びびっくり。
次の写真は、少し日差しの出た水曜日の午後、丘の上のガジーボのところから撮った北西の空。この広い空を眺めると、気持ちがすっきりする。
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2017年12月30日(土) | ||||
来年は戌年なので、はるとひろの写真を撮って、お年賀メールに添付しようかと思ったりしているのだけれど、なかなか自然でいい感じのシャッターチャンスがつかめないでいる。先日、夕食前にエドソンが協力してくれて、2匹がいい感じに座ってエドソンに注目している写真が撮れたので、確認してみると、ひろはなかなかいい表情をしているのだけれど、はるの目はフラッシュが反射してしまっていて、はるのお腹と言うか乳房が垂れ下がっているのが写っている。さらに、ひろのおちんちんの赤い先っぽがなぜか顔を覗かせている。これではちょっとお年賀メールとしては不適切なような・・・。
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2017年12月31日(日) | ||||
今月前半は雨が降らず、夏らしく暑くていいお天気の毎日だったのだけれど、後半は雨が降り出し、ほぼ毎日のように雨が降っている。空はどんよりと曇りがちで気温が低く、なかなか快晴の青空を拝むことができない日々。年末だからといって、いつも大掃除などは特別にしたりはしないのだけれど、何ヶ月かに一度、汚れ具合を見てする窓の掃除と、台所のガスレンジとレンジフードの掃除を先週済ませ、シャワールームの掃除も一昨日済ませることができたので、これで気持ちよく新年を迎えられそう。うちは大晦日の夕食はローストポークと決まっているので、その後にさらに年越しそばを食べる気になれず、もう何年も食べていなかったのだけれど、今年はお昼に年越しそばを食べることを思いついたので、今日のお昼におそばを作ることにした。テレビをつけて紅白歌合戦をBGMとして聴きながら、洗濯などをして、おそばを作って食べると、日本時間ではちょうどいい時間での年越しそばとなる。
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