Kyoko Yoshida Life in Brazil BLOG 

2017年10月1日(日)

2017年9月29日付けで、『「希望の党」の中身がカラッポすぎて、笑いが止まらない・・・これで国家権力なんて握ったら…』と題するジャーナリストの長谷川 幸洋氏(東京新聞・中日新聞論説委員)の記事があったので、以下にコピーしてみる。お笑い劇場の何と空恐ろしいこと・・・。

これぞ政界お笑い劇場
小池百合子東京都知事が新党「希望の党」を立ち上げたと思ったら、民進党は事実上の解党を決め、両党は合流に動き出した。さらに小池氏は都知事を辞任して、総選挙への立候補を模索している、と報じられた。これをどうみるか。

驚き、呆れたのを通り越して、私はしばらく笑いが止まらなかった。本当だ(笑)。まさに「政界お笑い劇場」ではないか。政治家たちがこれほど我を忘れて、右往左往するのを見るのは、実に久しぶりだ。

しかも、当の本人たちは大真面目である。だから芸人の下手なギャグより余計、面白い。希望の党の会見では、小池氏とおぼしき人物がドラマのオープニングさながらに、ヒールの足音を響かせながら逆光の光に向かって歩いて行く動画まで紹介された(https://www.youtube.com/watch?v=mX5JnVmNmwA)。何度見ても、笑えてくる(笑)。

何がおかしいかと言って、ネタがありすぎて困るのだが、順番に書いていこう。

最初に言いたいのは、そんな野党勢力のドタバタを促したのは、国民の声であるという点である。安倍晋三首相が解散を決めたら突然、野党勢力が流動化し始めた。それは「このままでは、自分たちの当選が危うい」と気が付いたからだ。

国民が実際に投票する前に、民進党は国民の声におののいて、解党せざるを得なくなった。自分たちの主張がいかに国民の支持を得ていないか、自ら認めた格好だ。主権者たる国民が政治を動かしたのである。これこそ「解散の大義」を如実に証明している。

前原誠司代表はじめ民進党議員たちは、つい先日まで「大義なき解散」とか「モリカケ疑惑隠しだ」などと批判していた。それなら絶好のチャンスなのだから、安倍晋三政権打倒を掲げて真正面から挑めばいいのに、なんと戦う前から自分の党を壊してしまった。

しかも、合流する相手は憲法改正と安全保障関連法の堅持を掲げている希望の党だ。おいおい、それは民進党がもっとも反対していた政策ではなかったのか。いったい、どういうことなのか。

前原代表の選択は「もう民進党などどうなってもいい、政策もどうでもいい。とにかく自分の議席を守るためなら、みなさん、どうぞお好きなように」という話にほかならない。代表選で強調していた「最低条件でも党の一致団結」などどこへやら、である(https://thepage.jp/detail/20170807-00000022-wordleaf?pattern=1&utm_expid=90592221-90.Psn9uNmMQsqD2PQwW8WpfQ.1&utm_referrer=https%3A%2F%2Fwww.google.co.jp%2F)。

民進党のみなさんには、こういう代表を選んでしまったのは自業自得、お気の毒としかいいようがない。ま、それも十分予想された話ではある。私は代表選の最中から「民進党は流れ解散」という見通しを書いてきた(8月11日公開コラム「前原新代表を信用できないシンプルな理由」http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52562)。

コラムで指摘したが、前原氏は1年前に自分のブログで書いたばかりの憲法改正論を「安保関連法は違憲だから、自衛隊を憲法に書くのは反対だ」などと訳の分からない理由で、さっさと取り下げてしまう代表である。もともと確固たる政治信条などないも同然なのだ。

一体、何がしたいのか?
そんな民進党議員が大挙してなだれ込む、とみられる希望の党はどうか。こちらも「お笑い度」は負けず劣らずである。小池氏は結党会見でなんと言ったか。まだ具体的な政策がないので、綱領をみよう。

ーーーーー
我が党は、立憲主義と民主主義に立脚し、次の理念に基づき党の運営を行う。常に未来を見据え、そこを起点に今、この時、何をすべきかを発想するものとする。
1 我が国を含め世界で深刻化する社会の分断を包摂する、寛容な改革保守政党を目指す。
2 国民の知る権利を守るため情報公開を徹底し、国政の奥深いところにはびこる「しがらみ政治」から脱却する。
3 国民の生命・自由・財産を守り抜き、国民が希望と活力を持って暮らせる生活基盤を築き上げることを基本責務とする。
4 平和主義のもと、現実的な外交・安全保障政策を展開する。
5 税金の有効活用(ワイズ・スペンディング)の徹底、民間のイノベーションの最大活用を図り、持続可能な社会基盤の構築を目指す。
6 国民が多様な人生を送ることのできる社会を実現する。若者が希望を持ち、高齢者の健康長寿を促進し、女性も男性も活躍できる社会づくりに注力する。
ーーーーー

この文章を読んで、希望の党が何を目指すのか、具体的にイメージできる読者はいるだろうか。私はまったくできない。まるで高校生でも書けそうな、中身のないスカスカの文章である。

なかでも、小池氏が強調したのは「しがらみ政治からの脱却」だ。「しがらみ政治」とは一見、分かりやすい言葉だが、具体的に何を意味するのか。しがらみ(柵)とは、流れをせき止めるじゃまな柵といった意味である。

これを政治の世界になぞらえれば「だれかとだれかの関係が深くて、そのために本来、あるべき姿から歪められた政治」というような意味だろうか。そんな政治からの脱却を、私が簡単に言い換えるなら「既得権益にまみれた官僚たちが主導する政治ではなく、政治家主導に改める」という話になる。そうだとすれば、私も賛成だ。

五輪と築地はどうなった?
だが、彼女は官僚主導政治からの脱却など、初めからやる気も実績もまったくない。都知事になって「東京大改革」なるスローガンを掲げたが、やったのは東京五輪・パラリンピックの会場見直しと築地卸売市場の移転問題だった。

それがどうなったか。会場見直しは結局、元どおりになった。約400億円の経費削減をしたと言っているが、それはまやかしである。予備費の減額と都の借金追加による予算項目の付け替えで400億円を削減したように見せかけただけだ。この件は都議会で自民党議員に追及された(http://www.gikai.metro.tokyo.jp/record/educational/2017-08.html)。

築地の移転問題は結局、豊洲移転を決めると同時に、築地にも市場機能を残すという。東京の近い場所に2つも大きな卸売市場が必要ないのは、素人でも分かる。移転派と残留派の双方にいい顔をしようとしただけなのだ。

彼女は「改革」という言葉を多用する。だが中身はといえば、都知事の出発点からしてデタラメだった。小池氏は就任後まもなくの2016年9月1日、最初の都政改革本部の会議で居並ぶ都の幹部たちに「現職の仕事に関わらず、こうすれば良かったというアイデアを出してください」と呼び掛けた。 つまり、官僚に改革を丸投げしたのである。これが彼女の言う「自律改革」だ。前例踏襲の官僚は自分の仕事を自ら見直すことはまずしない。まして同僚の仕事に口を出すなどは掟破りもいいところだ。

喜劇はやがて…
そもそも、改革とは制度や枠組みを無駄なく効率的に改めることなのだが、既存の制度の中で仕事をするのが官僚である。官僚の活躍基盤である制度自体を見直すのは、政治家の仕事だ。だから、政治家や外部の目で制度をチェックするのが改革の基本になる。

ところが彼女の言うように、作業を官僚に丸投げしてしまったら、大胆な制度や枠組みの見直しなど絶対にできない。彼女が改革の原理をまるで分かっていない証拠である。

彼女がいかに官僚べったりだったかは、同じ会議でただ1人、メインテーブルに座っていたブレーンの上山信一特別顧問が官僚たちに「みなさん、改革意欲が十分で…」などとおべんちゃらを言っていた1点でも分かる。

この実績をみれば、彼女が国政の実権を握ったら、何をするかも容易に想像できる。

財務省はじめ霞が関官僚を集めて「国政改革会議」を立ち上げ「みなさん、現職の仕事に関わらず改革のアイデアを出して下さい」と官僚たちに呼び掛けるだろう。そしてブレーンが「みなさん、改革 意欲は十分だから」などとゴマをするのだ。

そんな発想がいかにトンチンカンかは、説明するまでもない。それで「日本をリセットする」とは聞いて呆れる。一言で言えば、彼女はいかに政局カンが鋭かったとしても、上っ面の言葉だけの政治家である。

「カイカク」とか「リセット」「ワイズ・スペンディング」などと、もっともらしい言葉を使っているが、中身はまるで空っぽなのだ。

そういう非改革体質に加えて今回、受け入れる民進党の議員たちは多かれ少なかれ、労働組合の支援を受けている。まさに「しがらみだらけの議員たち」ではないか。そんな議員たちが加わる希望の党は「しがらみ政治からの脱却」どころか「しがらみだらけの第2民進党」になるのは目に見えている。

小池氏は今回、都知事を途中で放り出すのではないかと報じられた。あろうことか「後継者を指名すれば、有権者の理解は得られる」などといった報道まである。それが本当なら、都民をバカにしているとしか言いようがない。

本人は9月28日の会見で否定したが、どこまで信じていいのやら…。

いや、ここまで来たらぜひ、放り出して国政にチャレンジされたらいかがか。主役・小池氏、脇役・前原氏のコンビとその他大勢で「政界お笑い劇場」の本番が開幕したら、北朝鮮情勢の危機が続く中、国民は一時、緊張を忘れて喜劇を堪能するだろう。それが投票にどう結びつくか。喜劇がやがて悲劇にならないとは限らない。

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2017年10月2日(月)

8月中旬に1週間雨が降り続いて以降、約1ヶ月半ほどまったく雨が降っていなかったのだけれど、木曜日の夕方1時間ほど雷を伴うにわか雨が降り、金曜日はずっと曇り空で夜になってかなりの雨が降った。土曜日の予報は雨だったので、ザーザー降りなら無理だけれど、小雨くらいなら苗木を植えるために来てほしいとエドソンはヒバマーたちに頼んでいた。結局、午後3時くらいまで雨は降らなかったのだけれど、ジョゼとゼーは来てくれず、ヒバマーだけが来てくれた。ヒバマーはひとりで50本のカエデの苗木を森の北側エリアに植えてくれ、とても助かった。ヒバマーが12時のお昼休憩になっても戻ってこないので、様子を見に行くと、あと少しだからこのまま作業を続けて、全部植え終わったら帰らせてもらうと言うので、そのまま作業を続けてもらった。午後1時に作業を終えたので、6時間ぶっ通しで作業を続けてくれたことになる。それで、ヒバマーには1日分の日当を払おうとエドソンと話している。次の2枚の写真は、苗木を植える前と後の森の北側エリアを撮ったもの。

2017年10月3日(火)

次の写真は、今年作った桑の実ジャム。台所の冷蔵庫にはこれらを保存するスペースがないので、下のガレージの冷蔵庫にこうして保存している。先月は毎週桑の実を収穫して、週に2回から3回ジャムを作り続けたのだけれど、それでも追いつかず、収穫前に地面に落ちてしまった実も少なくなかった。そして9月の下旬、収穫しに行ってみると、つい数日前までまだたくさんあった実の数がガクンと減っていた。最盛期の3分の1ほどの実を収穫したのだけれど、おそらくこれが今年最後の収穫だと思われる。桑の実の収穫は9月の一ヶ月間が勝負なのだと実感。結局、今年作ったジャムは、これから作る小びん1個分を除くと、大びん7個と小びん12個となった。もっと真面目に収穫して、ジャム作りをしていたらもっとたくさんできただろうと思うけれど、私にはこれが精一杯だった。先月、大びん1つと小びん4つを井上さんやうちの手伝いに来てくれるヒバマーたちにあげたので、この写真に写っているジャムは実際に作った数よりも少ない。現在はまだ去年作ったジャムを食べているので、これらの新しいジャムは、おみやげにしたり、これからの1年間でぼちぼち食べることになる。

2017年10月4日(水)

手伝いのジョゼが種を蒔いてくれたカシという瓜の一種と思われる野菜のつるが伸びている写真を先月上旬掲載し、2つ3つ育ち始めていた実が忽然と消えてしまっていたと書いた。そうしたら、先週、別のところで育っていたもうひとつのつるに、大きな実がひとつなっているのを発見。いつ収穫したらいいのかよくわからないのだけれど、結構大きく育っていたので、ここにいる野性動物に食べられたり、タイミングを逃して傷みだす前に収穫しようということになり、日曜日にエドソンが収穫してきてくれた。次の写真は、そのカシ。大きさを比較するために、普通サイズのバナナを一緒に置いてみた。

2017年10月5日(木)

昨日からまたひとり新しい生徒さんとの英語のレッスンが週1回のペースで始まった。この新しい生徒さんは11歳のルイーザ(Luisa)。パーディーニョの学校の午後の授業に出ているので、水曜日のお昼前、学校に行く前にうちでレッスンをすることになった。夜や週末ではなく、昼間のレッスンなのはとても助かる。ちなみに、ブラジルの小中学校の授業は、丸1日ではなく、朝の部と午後の部の二部制で行われている。マテウスと同様、彼女もパーディーニョに新しくできたと思ったら2年くらいで閉校してしまった英語学校に1年ほど通っていたという。でも、彼女が使っていたテキストはマテウスが使っていたものとは異なり、習熟度もマテウスほどではないものの、初回のレッスンの感じでは真面目に取り組み、レッスンを吸収してくれる様子がいい感じだった。彼女もヴィトーのお母さんからの紹介。彼女はお母さんがヴィトーの両親同様、ご近所のファゼンダ・ベラ・ヴィスタで住み込みで働いているので、ファゼンダ内の家で暮らしている。

2017年10月6日(金)

この火曜日、いつものようにみんなで昼食後のお散歩に出た際、坂を下りた道沿いのところで生えている孟宗竹に、新しい芽が出て大きくなっていたので、その周辺を見てみると、土の中からちょっとだけ頭を出している竹の芽が4つくらいあった。それでお散歩が終わってから、大きなスコップを持って行って、たけのこ掘りをした。次の写真は、何とか掘り出すことができたたけのこ3本。根元の方も土をどけて姿が見えていたのだけれど、私の力ではうまく掘り出すことができず、途中で折れてしまったので、堀り出せたたけのこはちょっと短め。でも、ヒバマーたちが来る土曜日まで待っていたら大きくなりすぎて、たけのこではなく竹になってしまうので、私がひとりで掘り出す作業をしたので、まあしょうがない。2枚目の写真は、外側の皮を剥いて中から出てきたたけのこ。皮を剥いたらこんなに小さくなってしまった。でも、これ全部を使って、翌日水曜日の夕食にたけのこご飯を作っておいしくいただいた。ささやかでも我が家で採れた春の味覚を楽しむことができるなんて最高!自然の恵みに感謝!

2017年10月7日(土)

この家ができた頃からガレージ横の部屋は「香山文庫」と来客用の寝室を兼ねるよりも、来客用には別に小さな離れを建てようという計画があり、この家を建ててくれたペドレイロのエディがその離れも建ててくれる約束になっていた。でも、エドソンがいつ戻ってきくれるのかと何度確認しても、やるやると言いながら、結局何年もまったく作業に戻ってきてくれることはなかった。そのうち、離れも必要だけれど、まずその前に、下のガレージを改修して事務所兼セミナー会場として使えるようにしたいとエドソンは考えるようになり、家の南東側に小さなガレージを新たに建てて、車をそちらに移動させて、下のガレージの改修をすることにした。そして、エディのことは諦めて、しばらく何人かのペドレイロにあたったのだけれど、パーディーニョではブラジルの不景気をよそにここ数年建設ラッシュが続いていて、腕のいいペドレイロはみな仕事を抱えていて、うちの仕事を請け負ってくれる人がいなかった。そんなわけで途方に暮れていたところ、パウロの家や借家を建てているペドレイロのミウトンとエドソンが話してみると、平日はパウロから依頼の仕事で忙しいけれど、毎週土曜日に作業をすることは可能ということで合意を取り付けたのが、今年の上旬だった。その時点では4月か5月くらいから作業に取りかかれるということだった。でも、家族が病気になったり何だかんだで、やはり作業には来てくれず、ずっと待ちぼうけをくらっていたところ、10月になり、ようやく計画が動き出した。1日の日曜日にミウトンがやって来て、お天気が許せば今日7日から作業を始めるから、砂利や砂やレンガなど必要なものを購入しておいてほしいと、買い物リストを持ってきた。それで、今週エドソンがパーディーニョの建築資材店のひとつに注文をして、昨日、配達された建築資材の一部の砂利と砂が以下の写真。でも、今日は未明から降り出したあいにくの雨で、建築作業は始まらなかった。

2017年10月8日(日)

はるはあと2週間足らずで満5歳の誕生日を迎える。彼女は生後2ヶ月でうちに来たので、ずいぶん長い付き合いになる。うちに来た時はとても小さな赤ちゃん犬だったけれど、犬の5歳と言えば、人間で言えば立派な大人の年頃。ちょうど私たちがモビと出会った頃、モビはすでに5歳くらいの成犬だったので、もうそんな年頃になったのかと思う。ひろは2月生まれなので、現在2歳8ヶ月。去年の2月、突然うちの玄関前に現れためいは、その時1歳になるかならないかだと診てもらった獣医さんが言っていたので、現在3歳弱くらいと思われる。ほぼひろと同い年ということになる。はるもひろも成長したからなのか、最近はめったに夜中にオシッコに行きたいと言わなくなった。でも、はるはつい最近になり時々夜中や早朝に小さな声で「ヒーン、ヒーン」と声を出すようになった。以前、これはオシッコに行きたいという意思表示だったのだけれど、最近はそうではなさそうなので、「ナナネネ(「赤ちゃんねんね」という意味のポルトガル語の赤ちゃん言葉)」と言うと、体の向きを変えて、おとなしく寝るので、何なんだろうと思っていた。今週、また2晩続けて「ヒーン、ヒーン」と言うので、今度は「Do you want to go pee?(オシッコに行きたいの?)」と聞くと、寝ていたひろがその言葉に反応して、ベッドから飛び出した隙に、はるはひろが寝ていたベッドの隅に体を移動して、オシッコに行く気はなさそう。どうもベッドの中での場所を移動したいから私に手伝ってという意味で「ヒーン、ヒーン」と言っていたということがわかった。ひろははるには弱く、はるの言うことはよく聞くのだから、「ちょっとそこどいて」とぐいぐい押して行けば、場所を明け渡してくれると思うのだけれど、そうはしないところがはるの優しさでもあるのかなと思った。この子たちは本当に仲がいいのでとても助かっている。次の写真は、ある日の午後、居間のベッドの中のはるとひろ。ひろがはるの耳をペロペロなめてはるが気持ち良さそうにしていたので、その写真を撮ろうと思ったのだけれど、カメラを取りに行っている間にシャッターチャンスを逃してしまい、ただふたりが座っている普通の写真になってしまった。

2017年10月9日(月)

次の写真は、この2~3年エドソンが時々お世話になっているボトゥカトゥの日系2世のマッサージ師さんのところでもらってきたチラシ。彼女の両親がボトゥカトゥの日系コロニアの中の所有地で、Recanto das Cerejeiras(ヘカント・ダス・セレジェイラス)という釣り堀兼レストランをやっているというのは前から聞いていたので、一度行ってみようと話してはいるのだけれど、まだ一度も行ったことがない。そこは大きな池の釣り堀で釣った魚を料理してくれたり、釣り堀で魚を釣らなくても、魚料理が食べれる場所らしい。ヘカントというのは、くつろぐ場所というような意味で、セレジェイラは桜のことなので、桜のあるくつろぎの場所というような意味なのかな?この場所ははるたちが時々お世話になるペットホテルのヴィラ・シーコからあまり遠くなく、日系文化協会の会館の近くなので、うちから車で40分くらいだろうか?

2017年10月10日(火)

先週の土曜日は1日中雨で、日曜日もお昼前まで雨が降り続いた。午後からようやく雨が止み、少し日差しも出たのだけれど、外ベランダの欄干が濡れて乾いておらず、マットを干せる状態ではなかったので、いつも日曜日にする掃除はしなかった。その代わり、土が湿っている好機なので、短時間ハイビスカスの苗木を植える作業をした。夕方、卵を確認するために鶏小屋に行った際、夕日が真っ赤だったので、以下の写真を撮った。こんなふうに真っ赤な夕日の翌日は晴れて午後とても暑くなるのだけれど、月曜日は朝から曇り空で10時前くらいから濃い霧が出て、午後からお天気が少し回復したものの、それほど暑くはならなかった。そして、今朝は朝からお天気が良く、日差しが強いので予報通りに暑い日になりそう。

2017年10月11日(水)

うちの入り口ゲートの両脇に2本づつブーゲンビリア(ポルトガル語ではプリマヴェイラ)の木を植えている。でも、ここに植えている木は、コロア・デ・クリスト(これは木というよりもサボテンのような植物だけれど)以外は、グレヴィーリャもリグストルンも桜もブーゲンビリアも、みな葉切りアリの襲撃に繰り返し遭っていて、まずリグストルンが耐えられず最初に枯れてしまった。グレヴィーリャもずいぶん元気がなくなってきて、葉がある期間よりも裸の期間の方が長い状態が続いている。そして、桜は花を咲かせる時期がわからなくなってしまっているようで、早くから遅くまでちらほらと咲くばかりで、庭の桜のように木が花で被われることがない。でも、今は緑の葉をたくさん茂らせて元気そうにしている。そして、ブーゲンビリアも、特に東側の2本はなかなか大きくならず枯れそうになっていた。すると今年はどうしたことかその東側の2本のブーゲンビリアのうちの1本が復活して枝を伸ばし、たくさん花を咲かせているので、写真を撮った。1枚目の写真が、その東側をゲートの外から撮ったもの。右側のブーゲンビリアがたくさんピンクの花を咲かせている。中心に写っている柵の柱の左側にも、もう1本ブーゲンビリアがあるのだけれど、こちらの木は成長できず、とても小さいままで、ほんの少し葉があるだけなので、この写真ではコロア・デ・クリストが目立っていて、ブーゲンビリアの存在はよく見えない。

次の写真は、ゲートの西側の2本のブーゲンビリアを撮ったもの。右側にピンクのブーゲンビリアが枝を伸ばしていて、中央から左にかけて、枝を伸ばして大きな葉を茂らせている木には赤い花が少し咲いている。ここにあるブーゲンビリアのうち、このちょっとタイプの異なる大きな葉のものが一番元気にしている。後ろにあるコロア・デ・クリストが隠れて見えないほどだ。

2017年10月12日(木)

エドソンが注文した建築資材は、先週の水曜日と木曜日の午後配達される予定だった。でも、水曜日は何の連絡もなく配達されず、木曜日も午後2時の予定が3時過ぎになり砂と砂利と鉄筋が配達され、セメントは午後5時を過ぎてから再度配達された。でも、レンガの配達は今週になるということで、火曜日にゲートの鍵を開けて待っていたら、お昼前にレンガが配達された。これで配達完了かと思ったら、レンガはこれですべてではなく、もう一度今週の土曜日までに配達に来るという。この建築資材のお店は、以前この家を建てている時に使っていて、配達の約束を守らないためさんざんな目にあったパーディーニョに古くからあるお店ではなく、数年前に新しくできたお店で、これまで何回か少量の砂や砂利を購入した際は、約束通りに配達してくれていたのだけれど、今回は注文の量が多いため予定通りに配達できないのか、理由はよくわからないのだけれど、配達が遅れている。でも、少なくともこのお店のオーナーの顧客に対する対応や仕事のやり方は悪くないので、多少のことは想定内のこととして受け入れている。

2017年10月13日(金)

はるたちと毎日一緒にお散歩に出ると、見るとはなしに回りの景色を眺めることになるので、いろいろな発見がある。先日は、うちの西隣のコーヒー農園のコーヒーの木が白っぽく見える(私はド近眼なので、メガネをかけていても遠くはあまりはっきり見えない)ので、何だろう?花が咲いているのかな?とお隣との境界の柵のところまで行ってみると、やはりたくさんの花が咲いていた。それで、以下の写真を撮った。2枚目は、その花をアップで撮ったもの。つい最近、2ヶ月くらい前だったかに、豆の収穫をしたばかりなのに、もう花が咲くのかと驚いた。そして、へーっ、コーヒーの花ってこんな花なの?と思うと同時に、お隣のコーヒーの木がこんなふうに白い花で被われるのを見たのは初めてじゃないかと思った。ただこれまで気がつかなかっただけという可能性もあるけれど・・・。

2017年10月14日(土)

以下は、ニッケイ新聞2017年10月12日付け「コラム 樹海」からの転載。この記事には5人に1人が肥満とあるけれど、ここでの生活実感としてはもっと多いような気がする。ブラジル人の肥満の問題は、野菜を含むバラエティーに富んだ食事をする習慣がなく、食生活が偏っていることと、とにかく量をたくさん食べる結果なのではないかと思う。日系人の人たちの中にも肥満の人はいるのかもしれないけれど、私の経験では肥満の日系人の人に会ったことがない。普通のブラジル人とは食習慣が異なるからではないかと思う。日本でよく言われる「食育」を国民全般に対して行って食習慣を変えて行かなければ、この問題を改善するのは困難なような気がする。

ブラジル人の5人に1人は肥満

TVのニュースで、ブラジル人の半数以上は適正体重を超え、2割は肥満である事と、肥満だと癌や脳血管障害(AVC)なども起こり易くなる事を話していた。8、9、10月と3カ月続けて癌やAVCによる知人の死を経験した後だけに、この話は耳に残った▼ブラジルの成人の2割が肥満との話は、保健省が昨年行い、4月に発表した電話アンケートの結果と一致する。06年は11・8%だった肥満者が16年は18・9%に増えた事は、それだけでかなりインパクトがある。しかも、糖尿病は5・5%が8・9%、高血圧も22・5%が25・7%に増えている▼先に挙げた知人3人は、癌、AVC、糖尿が原因で亡くなった。肥満者は年齢と共に増えるが、25~44歳でも17%が肥満である事や、ブラジル人の死因の74%は心臓疾患や血管障害と慢性的な呼吸器疾患、糖尿、癌が占める事などを考えれば、事の深刻さがより明確になる▼かつては食糧難や栄養失調が問題だったブラジルが、肥満や太り過ぎで悩むようになったのは、食生活の変化や運動不足が主因だ。物事が便利になると体を動かす機会が減り、加工食品の摂取量が増えればカロリーや塩分のとり過ぎが起こり易い。ストレスが溜まるとやけ食いする人などはなおの事、注意が必要だ▼肥満の人には骨粗しょう症や不妊、関節や腰などの痛み、皮膚の炎症、胃潰瘍といった問題も生じ易い上、問題は女性の方が深刻とも。やせている人にはやせている人なりの悩みや問題もあるのだろうが、適正体重になったら、生活全般が快適になったという証言も数多くある。全てにバランスが取れている事は難しいが、時折は生活全般を見直す事も必要だ。(み)

2017年10月15日(日)

私の英語の生徒さんのひとりであるムリロがチーズを作っているファゼンダ・ベラ・ヴィスタでは、最近、毎週金曜日の午後オープンハウスをするようになった。前もっての予約が必要ではあるけれど、チーズを作っている施設を外部の人に見せてくれる。以前から施設が見てみたいと私が言っていたので、ムリロが誘ってくれ、この金曜日の午後行ってきた。本当は前の週の金曜日に行く約束だったのだけれど、建築資材の配達が遅れたため出かけて行くことができなかったので、今回は2度目の挑戦。ご近所なのでファゼンダ・ベラ・ヴィスタの場所は知っていたけれど、中に入ったのは今回が初めて。入り口には守衛さんが常駐しているので、誰に会いに行くのか先方とこちらの名前を聞かれ、車の番号を控え、ムリロに電話を入れて確認して、無事中に入れてもらう。入り口から教えられた通りに行くと、その施設はあった。途中何軒か住み込みで働いている人たちの家が道沿いにあり、あちこちに巨木があった。次の写真は、チーズを作るための牛乳を搾乳する施設で、ちょうど搾乳作業が行われていた。この牛は、ヴァカ・ダ・インジア(Vaca da India=インドの牛)という種類で、この牛のミルクでないと質の高いチーズができないのだそう。そして、この牛は1頭あたりで搾乳できるミルクの量が普通の乳牛に比べて少ないので、出来上がったチーズの単価は高めになるらしい。母牛が搾乳されている側に子牛がいるので、理由を聞くと、子牛が側にいるとミルクの出がいいらしい。それで出産後に子牛が死んだりした場合は、その子牛の皮をはいで、別の子牛にその皮を被せて側に居させると、自分の子牛がいると思い、母牛は安心してミルクを出すのだとムリロは言っていた。2枚目の写真は、搾乳作業が終わり、餌場に行く途中の1匹を近くから撮ったもの。耳が垂れているこの牛を見て、エドソンがはるみたいだと言うので、ちょっとおかしかった。

この搾乳施設の並びの建物の1階に、フランスから持ってきたというチーズを作るための巨大なタンクが2つある大きな部屋があり、その横には品質検査などをするための場所だろうか?いろいろな検査機器が並ぶ部屋があった。そして、この建物の2階には小さな台所を備えた広い部屋があり、事務所兼接客の場といった感じだった。ここで、クエスタ、クエスタアズーウ、マンダラ、そしてもうひとつ(名前は忘れた)合わせて4種類のチーズを試食させてもらった(以下写真)。右側の男性がムリロ。頭にビニールの帽子をかぶり、白いTシャツ、白いズボン、白い長靴というのがここでの作業着のようだった。このファゼンダが大きなファゼンダだということは知っていたけれど、ここで住み込みで働いているヴィトーの両親の家はどの辺にあるのかと聞いたら、この施設からさらに3キロも先だと聞いて、その距離にのけぞってしまった。ちょうどいい機会なので、クエスタとクエスタアズーウ(青カビのチーズ)の2種類のチーズを買って帰った。2枚目の写真は、右からパーディーニョのスーパーで買ったブルーチーズ206グラム=11.10レアル。クエスタチーズ210グラムとクエスタアズーウ330グラムで合わせて57レアル。値段を比べると、約2倍弱。だからパーディーニョの人たちには値段が高いし、味も食べ慣れたものと違うと不評らしいのだけれど、このチーズの主な顧客はパーディーニョの人たちではなく、サンパウロやリオの高級レストランやグルメの人たち。

2017年10月16日(月)

昨日の日曜日からまた夏時間が始まった。日本との時差はマイナス12時間だったのが、マイナス11時間になった。つまり、日本の夜9時はこちらでは同じ日の朝10時。この時期、朝明るくなる時間がだんだんと早くなるので、6時くらいにはもう目が覚めてしまうようになっていた。だから夏時間が始まって時計を1時間早めても、体が早起きに慣れているので助かる。先週はずっと気温が高く、最高気温が33度という日が水曜日から土曜日まで続いた。これはここでの真夏の日々の中でも特に暑い日の気温なので、相当暑いと感じるのだけれど、ここから車で北西に1時間半ほど行ったバウルというサンパウロ州中央部の大都市では37度だったと聞いてびっくり。この土曜日はお天気が良かったのに、手伝いのゼーとヒバマーとジョゼは仕事に来てくれなかった。エドソンがヒバマーに電話をすると、ゼーの親戚の人がパラナ州から来ていて、ゼーが仕事を休むことにしたので、いつもゼーの車で一緒に来るヒバマーとジョゼもそれに従ったということだった。でも、ペドレイロのミウソン(以前、彼の名前をミウトンと書いたけれど、正しくはミルソンだった)は約束通りに来てくれ、新しいガレージの建設作業を始めてくれた。次の写真は、いろいろな作業用の道具を積んだトラックから積荷を下ろしているミウソンたち。左端の青と白の横縞のシャツを着た人がミウソンで、白い長袖のシャツを着て、木材を担いでいる人がミウソンがいつも一緒に仕事をしている彼のお父さん。右端の人は手伝いの人。

そして、午前10時頃、エドソンがスーパーに買出しに行こうとしているところに、レンガ配達のトラックがやってきた。前回配達に来た際、この人たちはシャツを着ていたけれど、この日は上半身裸だった。私も普通の半袖シャツでは暑いのでタンクトップを着ていたぐらいだから、この人たちも裸にでもならないとやっていられないのだろうなと思った。でも、日曜日にはぐんと気温が下がり、朝の気温が15~6度、最高気温も23~4度までしか上がらず、半袖1枚では寒いくらいになった。

次の写真は、土曜日にミウソンたちが作業を終えて帰って行った後、撮ったガレージの建設現場。

2017年10月17日(火)

2週間ほど前、エドソンがマッサージ師のかおりさんのところでマッサージをしてもらった際、その部屋にある陶器でできた灯篭はどこで買ったのかと聞くと、彼女のお姉さんが趣味で作った手作りの灯篭だということがわかった。趣味ということは人からの依頼で作ったりはしないのかもしれないけれど、私たちのためにひとつ作ってもらえないだろうかと、エドソンがかおりさんに相談すると、次の週末、お姉さんがサンパウロから戻って来るというので、うちに来てもらって直接相談することになった。かおりさんのお姉さんは、サンパウロのUSP(サンパウロ総合大学)の大学病院で働いていて、時々実家のあるボトゥカトゥに帰省するということだった。お姉さんの名前はデウザというので女神という意味のデウザかと思ったら、つづりが異なり、女神のDeusaではなく、Delsaとつづるのだという。uとlの違いだけれど、ポルトガル語では同じ発音になるので紛らわしい。昔、鳥取県米子市の大学に1年ほど留学したことがあると言っていた。ご両親がふたりとも鳥取県出身なので、鳥取県人会子弟のための留学制度を利用して行ったのかなと思った。このお姉さんは日本語も話し、いろいろなことに興味を示すとてもおもしろい人で、話題が豊富なのでおしゃべりしていてとても楽しかった。それで快く、私の希望の雪見灯篭を作ってくれることになった。でも、時間のある時にぼちぼち作るので、急ぎではできないということだったけれど、私たちも急いではいないので、ゆっくりペースで作ってもらってまったく構わないということで合意した。次の写真は、彼女達が夕方帰る際撮ったもの。右側の赤ちゃんを抱いている女性がかおりさんで、左側の女性がデウザさん。この赤ちゃんは彼女たちの妹さんの赤ちゃんで、かおりさんは仕事が忙しくない時にいつもこの子の面倒をみてあげているということだった。そして、デウザさんはサンパウロの家で飼っているプジン(日本語ではプリン)という名前のオス犬を同伴して来ていた。この子はリードなしで自由にしていても、敷地内をあちこち歩く私たちの側からあまり離れず、まったく吠えることなく、とてもおとなしいワンコだった。

2017年10月18日(水)

今回、新しいガレージを作って、家の下のガレージの改修工事をしてくれることになったペドレイロのミウソンは、仕事をとても効率よくする人のようで、次に作業に来るまでに雨が降ると、せっかく基礎工事で掘った穴に土が流れ込み、またその土を取り除く作業をしなければならないので、日曜日にも来て、基礎部分に鉄筋とコンクリートを入れる作業をしてくれた。こうしておけば無駄に作業を繰り返さなくてもいいし、次に作業に来る土曜日までにはコンクリートが乾いており、お天気が許せばレンガを積む作業を始めることができるからということだった。週に1度しか作業に来れないのだから、これくらい先を見越して計画的に進めて当然とは思うけれど、ここではこういう人は珍しいと思った。この日曜日の作業は午前11時頃には終わり、持ってきたコンクリートミキサーをまたトラックに積んで帰って行った。エドソンは彼の効率的で手際の良い仕事のやり方を、とてもいいと言って喜んでいた。次の写真は、日曜日のお昼前に撮ったもの。

2017年10月19日(木)

10日ほど前、家の東側の庭から畑に上がった際、階段が壊れていたので驚いた。一体どうしてこんな風に壊れたのだろう?と不思議に思っていた。数日後エドソンもここを通って階段が壊れていることに気づき、割れ目から中を覗いて見ると、このコンクリートの下から生えてきたタケノコが、コンクリートを押し上げて階段を壊したのだということがわかった。次の写真が、その壊れた階段と、割れ目から中のタケノコを撮ったもの。コンクリートの下の緑色のものがそのタケノコ。さすがにまっすぐ上には行けないので、寝たように曲がって生えている。それでもコンクリートを押し上げるほどの力がタケノコにはあるのかと、本当にびっくり。

それでエドソンがこの東側の庭を見回してみると、無数にタケノコが生えてきているので、これは大変と、日曜日の午後、私が家の掃除をしている間に何本かタケノコを掘り出して来てくれた。次の写真は、エドソンが掘り出して、外で皮を剥いてくれ、家の中に持って入り、台所で固い部分を切り取ってくれた後のタケノコ。このタケノコは月曜日に茹でて、火曜日の夕飯で3分の2を豚肉と一緒にめんつゆで煮て、おいしくいただき、残りは瓶詰めにして冷蔵保存した。

2017年10月20日(金)

日曜日にエドソンが掘り出してきてくれたタケノコは、あれで全部ではなくて、その2倍以上のタケノコがまだ生えていると言っていたので、月曜日の昼食後に、庭に行ってタケノコ堀りをした。私がひとりでタケノコ堀りを始めたら、その音に気づいたエドソンが仕事中なのに出てきて手伝ってくれた。今回はスコップではなく重いクワを使い、エドソンが掘る作業をしてくれたので、短時間に何本も掘り出すことができ助かった。まだ小さなものはもうしばらくしてから掘り出した方がいいということで、生えているタケノコすべてを掘り出すことはしなかった。でも、まあ何と、今年はタケノコの当たり年になってしまった。次の写真は、月曜日に収穫したタケノコを茹で始めたところ。茹であがったらこれらもタッパーに入れて冷蔵保存にした。これでしばらくタケノコを買う必要がなくなった。と言うか、これから先、数ヶ月間は、タケノコご飯や、その他のタケノコを使った料理をせっせと作って、このタケノコをがんばって食べなくてはと、うれしい悲鳴をあげている。

2017年10月21日(土)

数ヶ月前に森の手前に2本のバナナの木を植えたことは以前書いた。乾期に植えたため、葉が茶色に変色し始め、枯れてしまうのだろうかと少し心配したのだけれど、エドソンが森の貯水タンクの水を汲み上げるために1日おきくらいに森に行く際、途中にあるバナナの木にせっせと水をやってくれていたので、何とか枯れずに生き延びてくれた。次の写真が、その生き延びて緑の葉を出すようになったバナナの木。側にある黄色いバケツは、このバナナの木に水をやるためにここにこうして置いているもの。

2017年10月22日(日)

昨日の土曜日は夜中か未明に雨が降ったようで、朝起きると地面が濡れていた。朝食後のはるとひろとのお散歩の際はまだ大丈夫だったのだけれど、その後のめいとのお散歩に出ると本格的に降り出し、お昼まで降り続いた。そのため手伝いの人たちもペドレイロの人たちも仕事に来れず、やってもらいたいことがたくさんあるのにとエドソンはがっかり。この雨が午後から降り始めたのなら午前中は仕事をしてもらうことができたのに・・・。でも、そのお陰と言ってはなんなのだけれど、エドソンに少し時間ができたので、だいぶ前にリニューアルして用意していた香山文庫のサイトを、ようやく昨日アップしてもらうことができた。新しく手を入れたサイトには、香山さん関連の記事の項目を設けて、それらの記事へのリンクを張り、香山さんに関する情報量を増やしたり、ボランティア募集の内容をもう少し詳しく書いたり、来訪者の項目を設けて、こちらに来てくださった方たちの写真を加えたりした。このリニューアルした香山文庫のサイトは、 こちらへ

2017年10月23日(月)

ここには野うさぎ、野ぶた、野ねずみ、アリクイ、ラガート(イグアナに似た爬虫類)、毒ヘビ、無毒ヘビなどなど、様々な野生動物がいるけれど、その姿を目の前で見かけることはあまりない。でも、最近、野うさぎを頻繁に見かけるようになった。この野うさぎは夜行性のはずなのに、朝一番のお散歩の際に私たちの目の前を横切って走っていったり、夕方、家の側でよく見かけるようになった。たまに真っ昼間に走っているのを見かけることもある。ここで暮らす野うさぎの個体数が増えたのかもしれない。この土曜日、夕方5時を回った頃、ベランダのめいが激しく吠え、家の中のはるとひろも一緒になって吠えるので、何か動物が来ているのかなと思い、窓から外を見ると、やはり、野うさぎが一匹家の西側の車を止めるスペースでうろうろしていた(以下写真)。同じ野うさぎなのか、最近、夕方になるとよくここに出没するようになった。体が少し小さめなので子供のようで、めいが吠えてもまったく気にせず、悠々とここで草を食べたりウロウロしている。そして、しばらくするとどこかへ行ってしまう。この野うさぎは、南米原産ではなく、昔、イギリス人が娯楽のための狩猟用にこのうさぎをチリに持ち込んだのが始まりで、繁殖力が強いため、どんどん個体数が増えて近隣の国々に広がったもの。ブラジルも西側からどんどん侵食されて行き、今ではサンパウロ州でも深刻な農業被害をもたらしている。この野うさぎによる農業被害は、ここよりもさらに東へ1時間ほど行ったソロカバでも深刻になってきているという記事を何年か前に読んだ記憶がある。うちも、ここで暮らし始めてすぐの頃、庭にアメンドインという草を植えたら、すべて食べられてしまったり、防風林の北側の丘にとうもろこしと一緒に豆を蒔いた際、出てきた芽をすべて食べられ全滅するという被害に遭っている。ちなみにとうもろこしの芽はなぜか食べない。野うさぎの糞は庭や敷地内のあちこちで見かけるけれど、最近はアメンドインがそこらじゅうに生えているからか、アメンドインが食べ尽くされるということはなくなった。でも、豆はやはり芽を食べられてしまう。

2017年10月24日(火)

この土曜日から降り始めた雨は連日降ったり止んだりを繰り返していて、日差しがない状態が続いている。この雨の状態はしばらく続く予報。雨が降らないのも困るけれど、毎日降り続くのもちょっと困る。気温も低めで、長袖のTシャツの上から長袖のカーディガンを着ていても、ちょっと寒い感じがする。まるで冬に逆戻りしたような感じだ。そんなどんよりしたお天気でも、新しい花が咲いているのを見つけるとうれしくなる。ジョゼがくれた苗木を2本、まだ地植えしないまま畑で水やりをして育てているのだけれど、数日前から赤いつぼみをたくさんつけ始めた(以下写真)。そして、昨日、朝食後のめいとのお散歩の後、いつものようにニワトリに餌を与えに畑に行くと、2枚目の写真のように、つぼみのひとつが開いていた。この花は軒下などに吊るして、垂れ下がって咲く花を楽しむ種類の植物なのかな?何だか見覚えがある花なのだけれど、名前は知らない。

2017年10月25日(水)

1ヶ月余り前に想像妊娠をした部長が、ニワトリ小屋の中の産卵場所で卵を抱くしぐさをするようになったのと同じ頃、何があったのか、黒いニワトリの太股の羽が抜けて、しばらくすると、お尻の回りの羽も抜けて、下半身裸になったような状態が続いている(以下写真)。そんな姿を毎日観察していたところ、何だか、体全体が茶色っぽくなってきたように感じるので、そのことをエドソンに言うと、僕もそう思うという返事が返ってきた。元々真っ黒ではなく、茶色の羽も混じってはいたけれど、最近はその黒い羽が減ったから茶色っぽく見えるのか、黒い羽が茶色になったのか、不思議でたまらない。2枚目の写真は、数ヶ月前、このニワトリ(右端)がうちに来たばかりの頃撮ったもの。2枚の写真のこのニワトリの色を比べてもらうと、何だか以前よりもちょっと茶色くなっているように見えないだろうか?ちなみに、想像妊娠中の部長が卵を生まなくなり、他のニワトリの卵を抱く状態は今も続いている。エドソンの話だと、この状態は2ヶ月くらい続くらしいので、まだもう1ヶ月近く続くのではないかと思われる。

昨日掲載したブログを見て、デウザさんがあの赤い花はブリンコ・デ・プリンセーザ(brinco de princesa=王女様のイヤリング)という名前だと教えてくれたので、ここに追記しておく。

2017年10月26日(木)

以下は、2017年10月24日付けのニッケイ新聞の黄熱病に関する記事をコピーしたもの。このニュースが出た後、サンパウロの別の2箇所の公園でも猿の死体が見つかったので、それらの公園も閉鎖されたというニュースがあったとエドソンが言っていた。今年の初めはミナス・ジェライス州とリオ・デ・ジャネイロでの発生だったけれど、今度はサンパウロだなんて、困ったものだ。この記事の中の最後にあるコルチコイドというのは、ステロイドのこと。

《サンパウロ州》黄熱病、流行終了宣言からひと月足らずで再発生?=サンパウロ市北部でワクチン接種開始

【既報関連】ブラジルでは、今年はじめから4月頃にかけて、ミナス州を中心に黄熱病が流行した。サンパウロ州でも今年は51件(内22件は州外で感染した患者)の黄熱病発症が記録され、その内16人が死に至っている。

ブラジル保健省は9月6日に一応の流行終焉宣言を出したが、今月9日にサンパウロ市北部のオルト・フロレスタル公園(オルト)で、黄熱病で死亡した猿の死骸が発見され、公園の封鎖と近隣住民への黄熱病予防ワクチン接種が行われていると、21~23日付現地各紙・サイトが報じている。

オルトではその後も猿の死骸が発見され、その数は23日までに5体に上った(2体は腐乱が激しく感染の有無の確認は不能。最後に見つかった2体は検査中)。

現在封鎖されて公園は、オルトと、同じトレメンベ地区にあるカンタレイラ公園の二つだ。サンパウロ州保健局のダヴィジ・ウイピ局長は、「パニックを起こす必要はない」と市民に平静を保つよう呼びかけた。

サンパウロ州は黄熱病予防ワクチンを150万人分所有しており、公園の近隣住民には21日からワクチン接種を始めている。トレメンベ、カーザ・ヴェルデ、ヴィラ・ノヴァ・カショエリーニャの各地区を中心に100万人への接種を行う予定だ。

人間への感染は、ネッタイシマ蚊などが媒介となって起こる。ネッタイシマ蚊は連続飛行距離が最大500メートルのため、黄熱病の予防接種を急いで受けなくてはならないのは、最大でも公園から1キロ以内に居住する人と、サンパウロ州伝染病監視センターのレジアーネ・デ・パウラ氏は語る。

妊婦や授乳中の人、化学治療や放射線治療中の人、高濃度コルチコイド使用中の人々は黄熱病ワクチンを接種できない。

2017年10月27日(金)

今年は孟宗竹がたくさん芽を出しているけれど、ランドマークの木の南側のとても繁殖力の強いヒメシマダケも例年通りたくさん芽を出し始めた。生えてきてほしくないところに生えてきた芽は、毎年取り除くようにしている。時々、大きく成長した竹も、ちょっと邪魔だと思える場所に生えていると、切り倒してもらっている。土曜日から続いていたぐずつくお天気が、火曜日の午後から少し回復して、水曜日はいいお天気で日差しが出たので、午後、このヒメシマダケを取り除く作業をした。1枚目の写真は、ランドマークの木の左前辺りにたくさん芽を出しているヒメシマダケの様子を撮ったもの。2枚目は、その場所から取り除いたヒメシマダケと雑草をひとまとめにしたもの。このヒメシマダケはあいにく食べることはできない竹なので、取り除いた芽は、ただ捨てるだけ。

2017年10月28日(土)

水曜日の午後は、先週に引き続き、インターネットの光ファイバーを通すための作業に、パウロの会社で働くホドリゴが来てくれたので、車から作業に必要な機材を出しているところをお邪魔して写真を撮った(以下写真)。ホドリゴは私がブログを書いていることを知っているので、私が写真を撮りに行くと「ブログに載せるの?」と聞いてきた。2枚目は、ホドリゴがあちこち仕事で駆け回る際使っているパウロの会社の作業車。以前使っていたものから新しくなって、ルノーの可愛い感じの車になっていたので、つい撮ってしまった。ホドリゴはパーディーニョの町の数少ない日系人(3世)のひとり。ただし、お父さんは非日系のブラジル人。そしていろいろ変わる彼のガールフレンドはいつも非日系のブラジル人。日系人の絶対数が少ないので日系のガールフレンドは見つけにくいということがあるのだろうけれど、彼の場合、日系の女の子はまるで親戚の子と付き合っているような感じがするからという理由で、ガールフレンドにはしたくないらしい。私たちがここに越してきたばかりの頃、彼は20代前半だったから、今ではもう30歳になったのかな?まだ手前かな?この日は途中でちょっと問題が発生したらしく、作業を完了するのに時間がかかり、無事終えて帰って行ったのは午後6時を回っていた。お疲れ様。これでうちのインターネットの環境はさらに良くなり、感謝。感謝。

2017年10月29日(日)

次の写真は、金曜日にメル友の鎌谷さんから届いた豆3種類。右端は葉切りアリが嫌うという豆で、この豆を葉切りアリから保護したい植物の回りに帯状に蒔いておけば、アリはその植物に近づかないのだとか。イタブーナ農大の先生の推奨なのだそう。私がメールで何度も葉切りアリの被害を嘆くものだから、知り合いから情報と豆を仕入れてくださり、送ってくださったもの。鎌谷さん自身はやったことがないので、どんな感じで豆が育つのかはわからないらしい。真ん中は、ブラジル産のお多福豆。白いお多福豆で、見た感じちょっと白いんげん豆のよう。左端はひよこ豆。ひよこ豆はここでもスーパーで普通に手に入るので、うちでもたまに食べるのだけれど、鎌谷さんはお好きらしく、食べたことがなかったら育てて食べてみてということだった。

4月末にあった楽書倶楽部の親睦会に行った際、鎌谷さんに白地に赤い筋の入ったきれいなリマの豆を少しお土産に持って行ったのだけれど、さやから出して、ちゃんと乾燥させずにプラスチックの容器に入れたのが良くなかったようで、鎌谷さんがそろそろ畑に蒔こうかと思って見ると、変色してしまっていたということだった。それで再度、郵便で試食用と種蒔き用にまとまった量の豆をお送りしたので、これらの豆はそのお返しで送ってくださったようだった。リマの豆は、先々週の水曜日にSEDEX(速達書留のようなもの)で送ったら、何と翌日には鎌谷さんの所に届いたと連絡をいただいた。2日で届くといううたい文句のSEDEXではあるけれど、サンパウロからここへは2日では届かないのに、こちらからサンパウロに送ったものが1日で届いたことにびっくり。そして、鎌谷さんが送ってくださった豆は、先週の月曜日にPACというSEDEXよりも少し料金が安く、スピードも遅い書留のようなもので届いたのだけれど、水曜日にはまだ来ていなかったけれど、金曜日には届いていたので、まあこんなものかなと思った。でも、9月中旬から郵便局のストで、出来上がっている楽書倶楽部の10月号の発送ができないでいると言っておられた前園さんから、ストがようやく終わり、2週間前の月曜日にようやく発送しましたとメールをいただいていたので、さすがに届いているだろうと思ったのだけれど、この金曜日にはまだ届いていなかった。ブラジルの郵便局はやはり民営化した方がいいのでは?と思った。

2017年10月30日(月)

うちの新しいガレージの建設を始めてくれたペドレイロのミウソンは、平日はパウロの依頼で家を建てているので、うちでの建設作業は土曜日だけというのが基本なのだけれど、先週は、パウロの所のコンクリートが乾くのを待つ間、うちで作業をすると言って、木、金、土と3日続けて来てくれた。でも、お天気があまり良くなく、連日雨が降ったり止んだりの日々だった。そのため雨が降り出すと作業の手を止めて、ガレージの中で雨宿りをして、雨が止むと、また作業を再開するということを繰り返していた。そして、午後は2時頃になると本格的に激しい雨が降り出すので、仕事ができたのはそれぞれ半日だけだった。土曜日は雨が降らず、曇ったり薄日が差したりだったのだけれど、午後から用事があると言って、12時半頃まで作業を続けて、お昼は食べずに、やはり半日で帰って行った。次の3枚の写真は、それぞれ木曜日、金曜日、土曜日に、作業が終わった後、その進捗状況を撮ったもの。お天気が良くないのにこうして少しずつでも建設作業が進展していることがとてもうれしい。

2017年10月31日(火)

次の写真は、家の東側の庭から畑に上がる階段の下から生えてきて、階段を壊した竹が、その後も成長を続けていて、コンクリートの下から伸びてきているので撮ったもの。この庭の孟宗竹は、入り口ゲートに向かう道沿いの孟宗竹よりも太くて立派な竹が多いため、タケノコも結構大きなものが生えてくる。この写真のタケノコも太いので、それだけ力が強いのだろうと思った。土曜日に手伝いの人が来てくれたら、このコンクリートを持ち上げて、下の竹を取り除いてもらい、階段を直してもらおうと思っていたのだけれど、今月はお天気が悪かったり、お天気が良くても彼らの都合が悪くて、誰も来ない状況が続いていた。その結果、竹がこんなに育ってしまった。そして、この土曜日には、ゼーとマリアとゼーのお兄さんが来てくれたのだけれど、雨が降り出してから一斉に生えてきた草の除去やまだ植えていなかった苗木を植える作業など、たまっていた仕事をしてもらったら、この竹を取り除いてもらうことをすっかり忘れてしまったため、夕方になってエドソン自ら竹を折ったのだけれど、折れたのは先っぽだけで、やはり、このコンクリートを外して根元から取り除いてもらわないといけないと思い知らされている。それにこの階段を直してもらわないといけないので、次の土曜日にはペドレイロの仕事ができるジョゼも来てくれるといいのだけれどなあと思っているところ。



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