Kyoko Yoshida | Life in Brazil | BLOG |
2017年9月1日(金) | ||||
果樹園の桑の実が色づいて来ているので、月曜日の午後、うちにあるボールの中で一番大きなものを持って、収穫に行った。次の写真は、収穫作業に入る前に撮った大きな実のなる桑の木3本の状態。一番手前の木が一番元気が良く、たくさん実をつけている。真ん中の木は小さく、実の数は少なめ。どの木もてっぺんの部分に葉がまったくない枝が数本あるので、どうやら葉切りアリの被害に遭っているようだった。葉切りアリは実を切り落としたりはしないけれど、葉を切り落とすと、木が弱るのではないかとちょっと心配している。
手の届く範囲でボール一杯に収穫して、家に戻り、洗面所の体重計で重さを計ってみると2キロもあった(以下、写真)。これまで1回の収穫は500グラムとかせいぜい7~800グラムだったのに、ボールの重さ350グラム弱を差し引いても、今年初めての収穫で1.7キロ近くの実が収穫できたなんて、うれしい悲鳴!これからほぼ毎日せっせと収穫しては、桑の実ジャム作りに励まなくては。9月は忙しくなりそう!
| ||||
2017年9月2日(土) | ||||
エドソンの甥っ子のブライアンとは、1年に1回彼らがここに休暇で来る時くらいしか会えないけれど、何故か彼はここに来る時はいつも風邪をひいている。去年の7月に来た時も風邪をひいていたし、今年7月ここに来た時も風邪をひいていた。そして約1ヶ月後、2週間ほど前にエドソンがパラカンビに行った時も風邪をひいていた。そして、その都度几帳面に、エドソンはブライアンからその風邪をもらってしまう。去年もそうだったし、今年もブライアンたちがパラカンビに戻った後、風邪で体調を崩した。そして、先月は最悪で、パラカンビから戻るとちょっと喉がイガイガすると言っていたのが、数日後、風邪の症状がどっと出て、今週は1週間ずっと改善の兆しが見られないままとても辛そうだった。夜寝ていてもエドソンがひどく咳き込んだりするので、私も、月曜日くらいから喉の調子がおかしくなった。それですぐに薬を飲んでベッドの中で遠赤外線のウォーマーを胸に当ててひどくならないように対策をして、何とかエドソンのようにひどくはならずに済んでいるのだけれど、エドソンは咳込みが激しく、頻繁に鼻をかむので、鼻を赤くして、夜熟睡できなため傍目にも体調が悪いのがはっきりとわかり、とても辛そう。こんなにひどい風邪の症状に悩まされるのはずいぶん久しぶりのような気がする。今朝はようやく咳の頻度が少し減り、回復の兆しが見られるけれど、完全復活まで後どれくらいかかるのかなあ・・・?ああ、やれやれ・・・。 と、そいんなわけで気分的にも元気をちょっと失いそうだったところ、昨日昼食後のお散歩に出た際、イペーの花が咲いているのをエドソンが見つけた。たくさん花が咲いているので、数日前から咲いていたのだろうけれど、孟宗竹の後ろでひっそり咲いているからか、昨日、エドソンが気づくまで私もまったく気づかなかった。お陰でうれしくなり気分的に少し持ち直した。今年もちゃんと花を咲かせてくれてありがとう。
| ||||
2017年9月3日(日) | ||||
先月、エドソンがピザ生地を作っていた時、フードプロセッサーを使っていたら壊れて動かなくなってしまったので、エドソンが機械を分解して調べたところ、モーターで回転するベルトのようなものがボロボロになっていて、修理不可能ということがわかった。そろそろ桑の実ジャムを作る時期でもあるし、新しい機械を買ってあげると言ってくれていた。それで、先日ボトゥカトゥに行った際、次の写真の一番シンプルなタイプのフードプロセッサーを買ってくれた。今年初めて収穫した桑の実を早速ジャムにする作業を先週したのだけれど、700グラムくらい入れるとフードプロセッサーが一杯になった。それで、水曜日、木曜日、金曜日と、3日に分けてジャム作りをして、2枚目の写真のように、大びん2つと小びん1つのジャムができあがった。こういうふうにできあがると、何だかちょっとした達成感がある。
| ||||
2017年9月4日(月) | ||||
9月2日付けのニッケイ新聞に松井太郎さんの訃報があったので、ここに転載する。私は個人的には存じ上げないのだけれど、お名前と「うつろ船」という小説のことは、ブラジルに来る前に日本の新聞で読んだ記憶があり、サンパウロ在住の映像作家の岡村淳さんのブログ上でも時々お名前を見かけたことがあるので、まったく知らない人という感じがしないため、ここにその訃報記事を転載することで、松井さんを偲びたいと思う。
訃報■松井太郎さん 移民文学「うつろ舟」の作者、コロニア小説家の松井太郎さんが1日朝、老衰のため自宅で亡くなった。享年99。 1917年10月25日、兵庫県神戸市出身。1936年に渡伯し、聖州奥地のカフェザルで一年の労働した。その後マリリア市郊外で綿作りの歩合作に入った。戦後聖市近郊に移り住み、野菜作りのかたわら執筆活動を始めた。 80年に「うらみ鳥」でパウリスタ文学賞、82年に「アガペイの牧夫」でのうそん小説賞を受賞した。 90年にコロニア文芸賞を受賞した「うつろ舟」は、他3編とともに2010年8月に京都府の図書出版・松籟社から刊行された。同書は「移民文学の一つの到達点」「日本文学の臨界」などと評され、日本の全国紙や地方紙に書評が掲載されるなど、コロニア文学としては異例の注目を浴びた。 | ||||
2017年9月5日(火) | ||||
うちの手伝いに来てくれているゼーかジョゼに、カシ(シにアクセント)という、へちまのように大きなうりの一種をもらって以前食べたことがある。そのカシの種を2箇所に蒔いてくれたらしく、芽が出て、つるをのばしていて、時々白い花を咲かせている(以下写真)。そのうちのひとつに小さなきゅうりのような実が2つ3つなっていたので、これがへちまのように大きくなるんだなと思い、期待して待っていたのだけれど、先日様子を見に行ったら、影も形もなく、こつぜんと消えていた。何かに食べられてしまったのか、日照り続きだったので育たず枯れてしまったのか・・・。でも、白い花だけは何度も繰り返し咲いているので、そのうちまた実をつけてくれないだろうかと期待しながら待っている。
| ||||
2017年9月6日(水) | ||||
玄関前の、家の西側の庭にマナカの苗木を植えた後、ジョゼからもらった別の植物の小さな苗を植たのだけれど、先日、その小さな苗木にぼんぼりのような変わった形の花がひとつ咲いていたので以下の写真を撮った。葉はカエデのような形をしているけれど、カエデではなさそう。何という植物なのか知らないけれど、こんなに可愛い花が咲くのかとちょっとびっくり。植物の中にはジャカランダのように大木になっても10年以上しないと花が咲かない木があったり、この木のようにまだ小さな苗木の状態でもすでに花を咲かせたりするものもあり、自然というのはおもしろいものだなと思う。2枚目の写真は、この苗木を植えた庭を撮ったもの。左側に階段沿いにサツキが並んでいて、右側手前にマナカの苗木が少し花を咲かせている。ぼんぼりのような花を咲かせている苗木は、このサツキとマナカの間、下の方にあるのだけれど、刈り取ったアメンドインがまた青々と生えてきているので、ちょっと見えにくい。
| ||||
2017年9月7日(木) | ||||
今日はブラジルの独立記念日で休日。休日とは言っても、エドソンの仕事がお休みで気分的に楽なだけで、洗濯をしたり、ワンコたちの世話をしたり、食事を作ったりという私の日常はあまり変わらない。でもやはり、気分的にのんびりしているからちょっと不思議。 ワイルドベリーの花が咲き始め、また実をつけるようになった。それでこのところ何回かベリーを収穫している。一度に収穫できる量が少ないので、だいたいいつも、次の写真のように、バナナといちごに生クリームとジャタイのハチミツを少しかけて、最後にワイルドベリーをちらして朝食でいただいている。今いちごの季節なので、パーディーニョのスーパーでもいちごが手に入るのだけれど、ここのいちごは日本のいちごのように甘くないので、生クリームとジャタイのハチミツとバナナの甘味を加えて食べている。エドソンはさらに桑の実のジャムをほんのちょっと加えて、ベリー尽くしで食べている。
| ||||
2017年9月8日(金) | ||||
先日、家の西側の道沿いの孟宗竹の後ろで黄色いイペーの花が咲いていることに気づいて、その花の写真を掲載したけれど、今回は、少し離れた場所からその木全体を撮ってみた。例年よりも咲いている花の数が多いけれど、孟宗竹の後ろで緑に囲まれているので、あまり目立たない。この花が咲いているのに気づいて、家の前の庭の北東側にある大きなイペーの木には花が咲いているだろうかと確認した時は、まだ咲いていなかった。でも、水曜日に再度確認すると、たくさん花を咲かせていたので、2枚目の写真を撮った。3枚目の写真は、その花をアップで撮ったもの。ちゃんと季節になれば花を咲かせるのは当然のこととは言え、何だか律儀に花を咲かせてくれると、ありがとう。また会えてうれしいよ。という気持ちになる。
| ||||
2017年9月9日(土) | ||||
ここパーディーニョで暮らし始めたばかりの頃は、トゥカーノ(オオオニハシ)はたまに見かける程度で、とても珍しかったのだけれど、最近は見ない日はないというか、1日に何度も見かけるくらいごくごく普通の存在になった。どうもこの辺が住みやすいのか個体数が増えたのだろうと思う。だいたいうちの回りの背の高い木に止まって鳴いていたり、木から木へ飛び交っていたりするのだけれど、先日はめいとのお散歩から戻ると、我が家の煙突の上に2羽のトゥカートが止まって、グアッ、グアッと例の何とも言えない変な声で鳴いていた。すると翌日辺りから家の上でゴトゴト音がするようになり、エドソンが外へ見に行くと、トゥカーノが3~4羽煙突の上にいたので、薪ストーブに火を入れて追い払おうとした。煙突から煙だ出始めると飛び去って行き、しばらく家に近づいてこないのだけれど、ストーブの火が消えると、また戻ってきて煙突の上にたむろするということを繰り返している。次の写真は、例によってゴトゴト音がするので、カメラを持って出ると、3羽のトゥカーノが煙突の上にいて、カメラを構えるとさっと飛び去っていったところ。そのため写真には1羽しか写り込まなかった。
家の煙突から飛び去っても、遠くへは行かず、家の回りの大きな木に止まってこちらの様子を伺っていたりする。そして、私たちが家の中に入り、ほとぼりがさめると、また煙突の上に戻ってくる。煙突の上で一体何をしているのか、なぜゴトゴト音がするのかはわからないまま。次の写真は、ランドマークの木に止まっているトゥカーノ2羽。煙突の上を集会場にしているのか、巣を作ろうとしているのかわからないけれど、これまでにもアンドリーニャ(つばめ)が何度かうちの屋根裏に入って巣を作ろうとしたり、マリンボンドという黒い蜂が軒下に繰り返し巣を作ったりと、何故かうちには動物たちが寄ってくる。どうしてだろう?
| ||||
2017年9月10日(日) | ||||
次の写真は、先日の朝、朝食が終わり、私が台所でお皿を洗ったり片付けをしている間、お散歩に出るために私の準備ができるまで玄関マットの上に座って待っているはる(左)とひろ(右)。
次の写真は、お散歩の途中でセドリーニョの足元でオシッコをしているひろ。2枚目は、入り口ゲート前の道路を通る人の声がしたので、その方向を注視しているはる。ひろは外で何か見えたり、ただ気配を感じただけで、ワンワンとよく吠えるけれど、はるはまったくと言っていいくらい吠えない。でも何故か、私が洗濯物を外に出すためとか、めいとのお散歩に行くためなどで玄関を出ようとすると激しく吠える。
めいはご飯の時間とか、私たちがはるとひろのお散歩から戻ると、今度は自分のお散歩の番だとわかっているようで、いつもいる芝生の上とか椅子の上とかではなく、必ず玄関の近くまで来てお行儀良く座っている。その姿を写真に収めようと、居間の中からカメラを構えたら、私の気配に気づいて、振り向いたところが次の写真。
| ||||
2017年9月11日(月) | ||||
今月2日の土曜日にお天気がいいのに手伝いの人たちが誰も来なかったので、どうしたのだろうとエドソンと話していたのだけれど、この土曜日は4人全員が来てくれた。前の週はゼーとジョゼが風邪でとても仕事に来れる状態ではなかったということだった。私たちも風邪だったのだけれど、あちこちで流行っていたんだなと思った。この土曜日はいつものようにゼーとマリアには草取りをしてもらい、ジョゼとヒバマーには軒下のマリンボンドの古い巨大な巣や蜘蛛の巣を取り除くといった家回りのいろいろ細かいことをやってもらったようで、マテウスとの英語のレッスンが終わり、迎えに来ていたマテウスのお父さんに挨拶するために外に出たら、家の北側に日よけのネットの設置が完了していた。これまで強い風が吹くとネットがヒラヒラ宙を泳ぎフックから外れたり、めいがネットを破って、だいぶ悲惨なことになっていたのだけれど、エドソンが両端を竹で固定できるようにしてほしいと、ジョゼに頼んだら、以下の写真のように、とてもいい感じに仕上がっていた。めいが穴を開けてボロボロにした部分を向こう側にしてくれたので、私たちが出入りするベランダ側のネットはきれいな状態になり、いい感じ。
| ||||
2017年9月12日(火) | ||||
2週間ほど前、楽書倶楽部同人のおひとりで、パラナ州カストロで暮らしておられる蓼沼さんからメールをいただいた。ご主人が陽光桜を接ぎ木して育てた苗木があるので差し上げたい。火曜日に娘夫婦がカンポス・ド・ジョルドン(サンパウロ北東にある避暑地として有名な町で、ここよりも少し標高が高い)に陽光桜を見に連れて行ってくれることになっているので、その途中、カストロから北上して、タトゥイでカステロ・ブランコ(高速道路)に出るところで待ち合わせをして、苗木を渡せないだろうか?というお申し出だった。タトゥイはここから東へ片道1時間余りでそれほど遠いところではないのだけれど、火曜日の夜はムリロの英語のレッスンがあり、タトゥイで午後3時か4時頃の待ち合わせだと、ムリロのレッスンの時間までに戻って夕飯を作って食べて、ムリロを迎えるにはちょっと時間的に厳しい。それで、お申し出はとてもうれしいのだけれど、理由を説明して伺えないとメールすると、タトゥイの隣町のセザリオ・ランジに住む井上さんが苗木を預かってくれることになったから、連絡をして都合のいい時に、井上さんのところに取りに行ってくださいという連絡があった。井上さんも楽書倶楽部の同人で、去年の9月前園さんたちと一緒にうちに来られたことがある。うちからは一番近いところに住んでおられる同人だ。それで井上さんとメールで連絡を取り合って、この日曜日の午後井上さんのお宅に、桜の苗木をいただきに伺った。以下の写真が、蓼沼さんからいただいたその陽光桜の苗木2本。井上さんにも蓼沼さんから同様の連絡があったので、井上さんのところの2本と一緒に私たちがいただく苗木2本も受け取って預かってくださったのだった。
苗木と一緒に陽光桜の由来などが書かれたものもいただいた。それには、「愛媛県の高岡正明、照海氏親子の25年に及ぶ品種改良によってできた品種です。『陽光』の名前で、唯一つ農林省に桜の品種として登録されています。両親の台湾緋桜と天城吉野による交配種です。太平洋戦争の時、青年学校の教師だった高岡正明氏は、多くの生徒を沖縄戦線で死なせて、『もう2度と、戦争で若者達が、死ぬことのないように。平和の願いをこめた、新しい桜をつくろう・・・』と考えました。沖縄の摩文仁の丘に咲いていた台湾緋桜(2月開花)と天城吉野(4月開花)を苦心の末交配、採取して品種を選別固定しました。高岡氏親子は、今まで世界中に5万本以上の苗を無料で送り届け、2004年フィランソロピスト賞を受賞しました。この苗木は、アチバイアの菊池庄平氏の寄贈によるものです」とあった。ちなみに、バチカン法王庁の庭園に咲いている桜も、高岡氏からローマ法王に贈られた陽光桜ということだった。ブラジルでは沖縄桜(寒緋桜)とヒマラヤ桜が一般的で、陽光はまだカンポス・ド・ジョルドンなどごく少数の限られた場所にしかないということだった。そんな貴重な桜を楽書倶楽部同人のよしみでくださった蓼沼さんご夫妻に心から感謝している。 | ||||
2017年9月13日(水) | ||||
日曜日におじゃました井上さんのお宅は築25年ほどのとても大きなお宅で、まさに豪邸だった。ただ大きいというだけでなく、立派な日本間がとても広い居間の続きにひとつあり、居間から見える中庭は日本庭園になっていた。この日本庭園をぐるりと囲んで、たくさんの部屋が配置されていた。日本庭園はまったく手入れをしていないので、見る影もないと人栄さんは自嘲しておられたけれど、池の回りに形のそれぞれ違う石燈篭が3つ配置され、さつきや千両などの植物が植えられていた。次の1枚目の写真は、日本間で、中央のテーブルの下は掘りごたつのように、足を下ろして座れるようになっていた。畳はわざわざ日本から一級品を取り寄せられたということだった。2枚目の写真は、日本庭園。どちらもサンパウロの日系の大工さんと庭師さんに造ってもらったのだそう。このお宅でさらにすごいのは、下のガレージから上の家に上がる階段も、すべての部屋の扉も床も、各寝室の作り付けのクローゼットも、台所の食器棚もキャビネットも、すべすべピカピカのきれいで硬くて丈夫そうな木材でできていた。聞いてみると、すべてマホガニーで作られているとのこと。はるばるアマゾンからトラック4台を連れねてマホガニーを運んでこられ、ここで製材されたというからスケールが違う。エドソンによると、こういう硬い木材はシロアリの被害とは無縁なのだそう。
3人のお子さんたちはみな成人され独立されているので、この豪邸にはご夫婦ふたりだけ。掃除が大変ですねと言うと、住み込みではないけれど、お掃除の人を雇っているということだった。私はお手伝いさんを雇わなくてはならないような生活をした経験がないので、家事は自分でするものと思っているのが少しおかしかった。ご主人は戦後のコチア青年でブラジルに来られ、ボトゥカトゥのバタテイロ(じゃがいも農家)のパトロンのところで9年間働いた後に独立され、セザリオ・ランジに引っ越されたということだった。バタテイロで成功した移民の人たちは結構いるようだけれど、農業は天候などに左右されて、いい時はいいけれど、悪いときは借金を背負い込むようなことになるので、ご主人はじゃがいもだけでなく、様々な野菜や果物を生産されて、収入を安定させたと言っておられた。そして、お金が貯まると、借家を建てて行ったのだそう。セザリオ・ランジのお宅のある敷地はうちの10倍以上もあり、入り口近くには何かの工場跡のような場所があった。現在は人に貸して物置き場のようになっているということだった。ご主人は引退されてもう仕事はしておられないと言うことだったけれど、敷地の隣には広い放牧場があり、牛を200頭も飼っておられ、他にもシチオを数ヶ所所有して果物などを作っておられるそうなので、雇っている人たちの管理は大変だろうなと思った。次の写真は、台所の食卓でおいしいお茶と甘納豆をいただきながらおしゃべりに花を咲かせているところ。
次の写真は、ガレージの前で人栄さんとふたりで。人栄さんは14歳の時に、家族と一緒にブラジルに来られ、最初はパラナ州のコーヒーファゼンダに入って仕事をされたのだそう。私よりも一回り弱年上で、とても気さくで、温かみのある穏やかな女性。楽書倶楽部のご縁で、蓼沼さんから桜の苗木をいただき、井上さんとも交流を深めることができ、本当にありがたい。この成り行きを前園さんにメールでご報告して、感謝すると、私もうれしいとメールをくださった。
| ||||
2017年9月14日(木) | ||||
昨日はエドソンの誕生日だった。去年は楽書倶楽部の方たちがサンパウロから来られることに気を取られてしまって、その数日前のエドソンの誕生日をすっかり忘れてしまうという大ポカをしでかしたので、今年は前々からエドソンに誕生日の夕食には何が食べたいか、彼の希望を聞いて、忘れないように心づもりをした。エドソンの希望は、メインにフィレミニョンのローストビーフとデザートにレモンパイだった。エドソンは、以前はティラミスにはまっていたけれど、今年はレモンパイにはまっている。その他はおまかせだったので、以前作って評判の良かったズキーニとトマトの煮びたしと、レンズ豆のサラダと、フレンチフライを付け合わせとして作った。9月に入り、最高気温が連日28度や29度と、まるでいきなり夏になったような暑い日々が続いているのだけれど、そんな中、今年は何とか無事にエドソンの誕生日をちゃんとお祝いすることができて良かった。 次の写真は、井上さんのご主人にいただいた手作りの小物入れ大小、栓抜き、包丁掛け、ナプキンホルダー。左端のナプキンホルダーはペローバという木材でできており、その他はみなマホガニーだとおっしゃっていた。家を建てた際に出た木材の切れ端を使って、趣味で作られたのだとか。ペローバという木は、日本人移民の人たちがブラジルに来た頃は、そこらじゅうに生えていて、その硬い大木を切り倒して、ジャングルを切り開いて行く作業が大変だったという話しをいろいろな本で読んだことがある。昔は、その切り倒したペローバで家を建てていたそうなのだけれど、今ではペローバはほとんどなくなり、手に入らなくなったので、高級木材になってしまったと井上さんのご主人は話しておられた。この他、シュハスコで使うまな板と夏みかんのような大きなみかんをいただいた。このみかん、早速1ついただいてみると、あまり酸っぱくなく、シューシーでおいしいみかんだった。私たちは今年収穫したばかりの桑の実で作った桑の実ジャムの大瓶1つと小瓶1つ、レモン10個、ヒマラヤ桜の苗木1本をお土産にしたのだけれど、持って行ったお土産よりもたくさんのものをいただいて帰って来てしまった。
| ||||
2017年9月15日(金) | ||||
陽光桜の苗木をくださったパラナ州カストロの蓼沼さんは、パークゴルフをやっておられるらしく、その関係で、以前サンパウロ州のアチバイアヘ試合に行った時に、カストロの日系協会の会館のまわりに、雪割桜(8月開花)を植えているという話をしたら、その時初めて会った愛媛県出身の菊地さん(もうお亡くなりになっている)が陽光桜を3本くださったのだという。陽光桜の話に感動して、その3本の桜を接ぎ木して増やし、50本以上をカストロで植えられたそう。それで、パラナ州のカストロは桜祭りで有名になり、少し誇らしく思うとメールにあった。桜を植え始めて15年くらいになるという。この8月にあったパークゴルフ南米大会はパラグアイであったので、パラグアイの知人のところ3ヶ所と、アルゼンチンの知人にも陽光の苗木をあげたとあった。ご主人は今年80歳だそうで、いろんな人生があるけれど、桜の花を残すというのもいい人生だと思うと書いておられた。そして、カストロの日系協会の会館に植えられた陽光桜の写真を送って来てくださった。今年の冬は大霜が降り大変だったけれど、まだ陽光が咲いているということだった。
| ||||
2017年9月16日(土) | ||||
先日、トゥカーノ(オオオニハシ)が数羽うちの煙突の上に毎日のようにやって来てはゴトゴトと音をさせていると書いたけれど、この火曜日の午前中に、とうとう1羽が煙突に入って来てしまった。近くに森もあり、いくらでも巣作りをする場所はあるだろうに、何故うちの煙突にそんなに関心があるのか理解に苦しむ。この煙突、屋根の上から屋根裏の天井まではレンガでできていて、少し幅があるけれど、屋根裏から下の部屋の中までは直径15センチくらいのメタルの丸い煙突に変わり、レンガの煙突からメタルの煙突になる空間にメタル製のネットカバーが被せてあるので、下のメタルの丸い煙突には入って来れないようになっている。以前、こうもりが下の焚口まで入ってきてしまったので、その対策としてカバーをしたのだ。でも、天井裏まで落ちてきた大きなトゥカーノがその空間でバタバタするものだから、うるさいだけでなく、煙突のススがバタバタする度に大量に部屋の中に落ちてきて困った。何度も繰り返し掃除をするのだけれど、キリがない。これまでアンドリーニャ(つばめ)が煙突に入って来てしまったことはあったけれど、トゥカーノのような大きな鳥が入ってきたのは今回が初めて。アンドリーニャのような小鳥であれば、エドソンが屋根裏に上がって行って、逃してやることはできるけれど、トゥカーノは肉食で大きなくちばしを持った鳥なので、下手をするとこちらが怪我をする。でも、一旦煙突に入ってしまうと自力では出られない。それで仕方なく、薪ストーブに火を入れて、その熱で昇天してもらおうとするのだけれど、これがなかなかしぶとくて少々のことではびくともせず、暴れ続けた。とうとう夜遅くにエドソンが3度目の火を入れて、ようやく少し静かになったのだけれど、夜中も時々音をさせていたので、ひろも気にして起きたりするものだから、エドソンはその晩よく眠れなかったと言っていた。そして、今朝、手伝いに来てくれたジョゼに屋根裏に上がってもらって、トゥカーノの死骸を回収して埋めてもらった。 次の写真は、今年も花を咲かせてくれたサンタ・バーバラの木と花を撮ったもの。1枚目は、丘に上がって行く防風林の小路の一番下に並んでいる右から桜、サンタ・バーバラ、くぬぎ、セドリーニョ。そして、2枚目はそのサンタ・バーバラの花をアップで撮ったもの。薄ピンク色の花びらの中央に紫色のものがある。派手な花ではないけれど、とてもいい。
| ||||
2017年9月17日(日) | ||||
8月の初めから新しく私の英語の生徒さんになったマテウスは、まだ12歳なのでひとりで町から離れたうちまで来ることはできない。それで、彼のお父さんが車で彼を送ってきて、レッスンが終わる時間に迎えに来る。次の写真は、昨日の午後マテウスが到着したところを撮ったもの。マテウスのお父さんは骨董品のようなビートルに乗っている。日本やアメリカではこんな骨董品のようなビートルはもう見ることはできないけれど、ここブラジルの田舎町では時々見かける。特に、パーディーニョではそんなに珍しいことではない。こちら側のドアからマテウスが出てきているところが見える。向こう側にはお父さんが立っていて、一緒について来たマテウスの妹のジュリアを車から降ろしている。マテウスのお父さんはマテウスを落として行くだけでなく、必ず車から降りてきて玄関まで来て私に挨拶したり、エドソンが外にいればエドソンと少し立ち話しをしたりする。迎えに来たときも、庭のテーブルのベンチに座って待っていたり、手伝いのマリアがテーブルで作業していると、マリアと世間話しをしたりしている。マテウスは英語の基礎がしっかりできているので、今のところまだ優しいテキストの前半をすごいスピードで進んでいっている。それで、別の少し難しめのテキストも同時進行で使っている。こんな生徒さんは初めてで、私にとってもとてもチャレンジング。
| ||||
2017年9月18日(月) | ||||
昨日の午後2時前、ハファエウとマイーラが11月に行われる彼らの結婚式の招待状を持って来てくれた。私はだいたいいつも日曜日に掃除をするので、お昼前に「午後行きます」とハファエウから電話連絡があった際、午後2時を回ってきてくれるとありがたいなと思っていた。でも、2時前に到着してしまったので、掃除が完了しておらず、後もう少しで雑巾がけが終わるという状況だった。でも、彼らが来てしまったので、外に干していたソファーに掛ける毛布や床に敷くマットなどを大急ぎで取り込んで、同様に外に干していたはるたちのベッドも取り込んでと、バタバタしてしまった。次の写真は、居間のソファーに座って話し始めたところを撮ったもの。ケージから出したはるが、ハファエウに戯れついている。ひろはいつものように来客がある時は、ケージから出てこようとはしない。
次の写真は、1枚目は招待状が入っていた封筒で、私たちの名前が印刷されている。2枚目はその封筒の中から出した招待状。なかなか落ち着いた色合いとデザインで、きれいな招待状だなと思った。ボトゥカトゥの教会での午後5時からの結婚式と、その後別の場所で引き続いて行われる披露宴の会場などが案内されている。結婚式と披露宴は夜行われるのか?そうすると、はるとひろはヴィラ・シーコにお泊まりさせないといけないななどと思いながら、この招待状を読んだ。他にも招待状を配達しないといけないのでと、あまり長居をせず、ふたりは帰って行った。うちを建ててくれたペドレイロのエディの長女が結婚する際も、その式と披露宴の招待状をエディが直接うちまで持って来てくれたけれど、ここではどうも郵送などせず、直接手渡すのが普通のやり方のようだ。
| ||||
2017年9月19日(火) | ||||
うちのベランダの前の庭にハイビスカスを何本もまとめて植えている。ハイビスカスはほぼ1年中花を咲かせてくれるので、家を出入りする度にその花が目に入りとてもいい眺め。これまでこのハイビスカスの左横に植えているくちなしの花2本は毎年葉切りアリに裸にされているものの、ハイビスカスが葉切りアリの攻撃に遭ったことはなかった。そうしたら今年はどうしたことか、以下写真で見える前列の4本が右側から順番に葉切りアリに襲われ、丸裸にされてしまった。左端の木が一番最後に襲われたので、現在新しい芽が少しずつ出始めてはいるものの、まだほぼ裸の状態。でも、一番最初に襲われた右端の木は完全復活して、今たくさん花を咲かせている。葉切りアリ退治のための薬もなかなか効果がないので、頭が痛い。そんなことをメル友の鎌谷さんにぐちったら、葉切りアリから守りたい木の回りにゴマを蒔いて育てると、葉切りアリが近づかないと、以前、農業をやっていた知人から聞いたことがあると教えてくださったので、今度、ボトゥカトゥに行った際、ゴマを買ってきてやってみようかなと思っている。
| ||||
2017年9月20日(水) | ||||
以前、エドソンが庭に衛星通信用のディッシュアンテナをひとつ設置した際、写真を掲載したけれど、先週の土曜日に、左側に用意していたコンクリートの台座にもうひとつのディッシュアンテナが設置された。地面が掘り返されているのはアンテナのケーブルを通すためなのか、それとも落雷防止のために何かを埋め込むのか、私にはよくわからない。こういう何かを作るという作業では、いつもジョゼとヒバマーに手伝ってもらっていて、助かっている。でも、昨日のお昼前にまたトゥカーノが煙突に入ってきてしまった際は、前回のように薪ストーブに火を入れるという悠長なことはせず、長袖のシャツと帽子を被って準備をしたエドソン自ら屋根裏に上がってトゥカーノを追い出してくれた。トゥカーノを煙突から屋根裏に出して、屋根の開いた所から外に出て行ってもらうのに数分かかった。今回は無事出て行ってくれたので、あそこの煙突に入ると出られなくなるということをちゃんと仲間たちに伝えてほしいものだと思う。
| ||||
2017年9月21日(木) | ||||
今年の初めに、背が高くなりすぎた庭のユーカリの木4本をヒバマーたちに頼んで切り倒してもらった。ユーカリの苗木を植えると、どんどん上に向かって成長して、背が高くなるばかりだけれど、幹を切ると、その幹のあちこちから新しい枝が出てきてブッシュを形成するから、その方がいいんだとエドソンは言っていたけれど、その言葉通り、幹からたくさんの枝が出てきて、ブッシュになっているので写真に撮ってみた。2枚目の写真は、4本のユーカリの木の中で、一番枝の成長が遅い木を撮ったもの。ユーカリの新芽は赤っぽい色をしている。すぐ後ろに見える緑の木はくぬぎ。左側後ろに見えるユーカリは1枚目の写真と同じ木。
| ||||
2017年9月22日(金) | ||||
先日、家の西側にあるランドマークの木の足元にあるサボテンのような植物に、花が咲いていたので写真を撮ってみた。へえ~、こんな花が咲くんだ。この植物に花が咲いているを見たのは初めてのような気がする。そして、8月下旬から9月の上旬にかけて葉を落としたランドマークの木は、その後みずみずしい若葉をたたえてとても美しい。そろそろ花が咲くかな?と、エドソンと話していたら、この水曜日に花が咲いていることに気づいた。白っぽい、ちょっと黄みがかった色の花なので、黄緑色の若葉の中であまり目立たない。そして、昨日ぐらいから花びらが舞うようになり、木の足元はその白い花びらが落ちてまるで雪が降ったような感じになっている。2枚目の写真が、そのランドマークの木の花をアップで撮ったもの。ちなみに、先日サンタ・バーバラの花の写真を掲載した際、書き忘れたのだけれど、この花はかすかだけれど、側を通るととてもいい香りがする。意図したわけではないのだけれど、うちにある木は花が咲くといい香りがするものが少なくない。
| ||||
2017年9月23日(土) | ||||
インターネット上のニュースで、9月22日6:00配信の現代ビジネスに掲載されたジャーナリストの長谷川幸洋氏の記事があった。長いけれど、とてもいい記事だったので、ここに転載してみる。ただ一点、この記事の中に『なんでも直撃質問すればいいと思っている厚顔無恥の女性記者が話題になっているが、彼女はただの「おバカ」か「ピエロ」だ』という記述があるのだけれど、おいおい、彼女はあなたのいる東京新聞の記者でしょう?ちゃんと教育してあげてくださいよ!と突っ込みたくなった。
私の予測が的中した理由 先週のコラムで書いたように、各マスコミの世論調査で内閣支持率が急回復した半面、野党への期待は冷え切っていた。民進党は山尾志桜里議員の不倫スキャンダルが尾を引く一方、離党の動きが止まらない。小池百合子東京都知事の新党構想も進んでいない。となれば、総理が解散したくなるのは当然である。そこを書いただけだ。日本のジャーナリズムには、なぜか私のようなスタイルの記者が少ない。というか、ほとんどいない。読者には、ぜひ今後ともご愛読をお願いする(笑)。 さて宣伝はこれくらいにして(笑)、本題に移ろう。 衆院解散に大義は必要なのか。私は、とってつけたような大義名分は必要ないと思っている。なぜかといえば、衆院解散とは本質的に与野党の権力闘争であるからだ。政権与党はこれこれの国家戦略と理念、政策を掲げて国民に信を問う。それに対して、野党も野党なりの国家戦略と理念、政策を掲げて戦う。国民はそれを見たり聞いたりして、どちらに国の行く末を任せるのに適当か、判断を下す。それが総選挙だ。
これほど分かりやすい選挙もない それどころか、加戸守行・元愛媛県知事が国会で「加計学園を招いたのは私」と決定的証言をしたにもかかわらず、NHKを含めて左派系マスコミは加戸証言を無視してほとんど報じなかった。「偏向報道も極まれり」である。かくのごとく安倍政権と野党(加えて左派系マスコミ)の対立は深まっている。そうであれば、なおのこと、安倍政権と野党勢力のどちらが国の将来を担うのにふさわしいか、日本の平和と安全、繁栄が脅かされている戦後最大の重大局面で、解散・総選挙は国民の声を聞く最善の機会になる。それこそが「解散の大義」にほかならない。もしも安倍政権が間違っていると国民が判断するなら、早めに軌道修正したほうがいいに決まっている。逆に、政権があらためて国民の信頼を得るなら、いっそう強力に安倍路線を推進できる。国民の目から見ても、今回の総選挙は分かりやすい。多くの人々は安倍政権と野党勢力(加えて左派系マスコミ)との対立構図を十分承知している。私たちはどっちがいいか、選ぶだけだ。これほど分かりやすい選択はめったにない。「分かりやすさ」は民主主義にとっていいことだ。「どう選んでいいか分からない」「どちらを選んでも一緒」というような状況だと、何が起きるか。政治がつまらなくなって無関心層が増え、結局、社会が停滞する。北朝鮮情勢が緊迫する中、日米同盟弱体化につながる安保法制廃止を唱える民進党に政治を委ねるべきか。あるいは同盟廃棄や自衛隊解消を唱える共産党に期待すべきか。これだけ路線が明確に違えば、有権者は判断しやすい。
「解散するな」と言う人々の自己矛盾
先のコメンテーターは解散を背信行為と批判した。つまり、彼は政権を批判する一方で「解散するな」、すなわち「このまま安倍政権を続けよ」と言っている。なぜ、そんな自己矛盾が起きるのか。選挙の結果次第で「もしかしたら安倍政権が終わるかもしれない」などとは夢にも思っていないからだ。それがホンネである。つまり「野党が負けそうな選挙だからやってほしくない」と思っているのだ。そう正直に言ってしまったら、ミもフタもないから「タイギ、タイギ」と言っている。もっともらしい話をしながら、実は権力闘争に負けるのを恐れている。殴り合いのケンカに負けそうだから、土壇場できれいごとを唱える気弱な子供のようではないか。こういうところに、何かと言えば格好をつけたがる左派の情けなさがにじみ出ている。政権に解散の大義を求める前に、自らチャンスと受け止め、左派の大義を掲げて戦いに立つべきではないか。それとも、もう左派の大義を掲げる勇気はないのか。権力をめぐる戦いは勝つか負けるか、生きるか死ぬかである。安倍政権は勝負に出た。野党も性根を据えて戦いに臨むべきだ。いまさら泣き言を言っている場合ではない。 | ||||
2017年9月24日(日) | ||||
7月下旬くらいから7鉢あるランの内、白いランのつぼみがぼつぼつ開き始めた。つぼみをつけていたランの花が咲く度にエドソンはその花の咲いたランの鉢を「昇格させる」と言って、棚から食卓に移動させていたのだけれど、つぼみをつけていた5鉢すべてが花を咲かせたので、現在、その5鉢が食卓の上で並んでいる。5鉢はそれぞれ花の色が異なり、なかなかいい眺め。真ん中の白いランは、数年前に買った時は青い色をしていたのだけれど、その花が終わって、新しい花が咲き始めると、咲くのはみな白い花ばかりなので、きっと薬か何かで色を出していたんだろうねと、エドソンと話していた。すると最近、メル友の鎌谷さんから、青いランは青色のインクか何かを吸わせて色を出していると聞いた。食用の着色料を水に混ぜてやったら、うちでも青い花を咲かせるのかな?今度食用の着色料を見つけたらやってみようかなどと話している。でも、白いランもそれはそれできれいなので、そんなことしない方がいいかな?とも思う。
| ||||
2017年9月25日(月) | ||||
次の写真は、エドソンが健康のために毎朝、朝食の時に大さじ1杯を飲んでいるりんご酢。添加物など入っていないオーガニックのりんご酢となると、どこにでもある代物ではなく、パーディーニョでは手に入らないので、ボトゥカトゥのドナ・マリナという日系のキタンダ(八百屋)まで行って買っている。ちなみに、普通のワインビネガーでもパーディーニョのスーパーではないことがある。これまで飲んでいたりんご酢がなくなったので、この土曜日の午前中、ボトゥカトゥに買い物に行き、2本ほど買って帰った。ちなみに、りんごはポルトガル語で「マッサン」という。以前、NHKの朝のドラマでマッサンというのがあったけれど、まさにその発音。
9月に入り春を飛び越して連日いいお天気の夏日が続いていたのだけれど、昨日は冷たい強い風が吹き、空気は湿気を帯びてきて、気温が下がり、お天気が変わる兆候を示していた。そして、今朝の気温は14度で、半袖シャツだけではちょっと寒い感じすらした。長期予報によると、これから1週間は午後から雨という日が続いているのだけれど、さて、どうなるかな? | ||||
2017年9月26日(火) | ||||
土曜日にドナ・マリナに行った際、りんご酢の他、ここでは手に入らないセロリやゴボウ、もやし、きぬさや、さやえんどう豆、豆腐、ぎょうざなども買い、レジでの支払いのために列に並んでいたら、エドソンが普通のマンゴーよりも小さい、半分くらいの大きさの、緑色のマンゴーをカートに入れた。「この緑色のマンゴーはおいしいんだよ」と言うので、日曜日の朝食で早速ひとりひとつずつ食べてみた。エドソンの言う通り色は緑色でもちゃんと熟していて食べ頃だったけれど、味は普通のマンゴーとあまり変わらず、特別な感じはなかった。でも、緑色のマンゴーなんて初めて食べたけれど、おいしかった。
| ||||
2017年9月27日(水) | ||||
うちで飼っている5羽の鶏の中で、一番の古株で水色の卵を生む、羽の色が薄茶色の鶏がボスでいじめっ子だと以前書いたけれど、その後この鶏のことを私たちは「部長」と呼んでいる。その部長がここ2週間余り想像妊娠をしていて、卵を生まなくなり、1日中卵を生むための寝床に居座っている。夜もとまり木で寝ないで、寝床で寝ている。オスの鶏がいないので、うちの鶏が妊娠することはなく、生んだ卵を温めてもひながかえることはない。動物には発情期があるのが普通だけれど、鶏のメスも体温が上がると発情したような感じになるらしく、妊娠したと勘違いし、卵を抱く行動をするのだそう。部長が寝床に居座っていたら、他の鶏が寝床で卵を生めないじゃないと思ったのだけれど、不思議なことに以前とあまり変わりなく、毎日何個か卵が生み落とされている。エドソンの話だと、他の鶏が卵を生むために寝床に来ると、場所を少し移動してあげて、卵を生めるようにしてあげているらしい。いじめっ子にもやさしいところがあるのかと驚いている。そして、生み終わると卵を生んだ鶏は小屋から出て行き、部長がその卵をお腹の下で抱き続けているという。暑い時期でもあるし、長時間部長に卵を抱かせると卵が傷むといけないので、1日に何回か鶏小屋をのぞいて、部長のお腹の下に卵がないかをチェックしている。その都度、部長は邪魔しないでとでも言うように文句を言うものの、食事で外に出る以外は、ずっと寝床から動かない。次の写真が、その寝床に陣取っている部長。
| ||||
2017年9月28日(木) | ||||
次の写真は、ランドマークの木の右後ろにあるリグストルン(ねずみもち)の木に、花が咲いていたので撮ったもの。リグストルンは防風林の列の一番南側、つまり家の前の庭に面した側にたくさん植えていて、ランドマークの木の後ろにも3本のリグストルンを植えている。防風林の列のリグストルンは花を咲かせたことはないのだけれど、このランドマークの木の側のリグストルンの内の2本は、毎年写真のような花を咲かせる。ここは1日中陽が当たり、日陰になることがないからなのか、この写真の木はいつもたくさん花を咲かせる。でも、この木は同時に葉切りアリに何度も葉を切り落とされるという災難にも遭っている。そのため、ほとんどの葉が若いため、葉の色が他のリグストルンのように深緑ではなく、明るい緑色をしている。
次の2枚の写真は、ベランダ横のバラの花壇で今咲いているバラの花。黄色にピンク色の縁取りの入ったバラと、赤い色のバラ。それぞれぽつんとひとつだけ咲いている。季節は極端に言うと、冬と夏だけというような季節感の乏しいここでの生活ではあるけれど、冬の間葉を落として裸になっていた木に新緑の若葉が出てきたり、ハイビスカスなどとは違い、年に一度この時期だけ咲く様々な花が咲き始めると、やはり春だなと思う。
| ||||
2017年9月29日(金) | ||||
うちの敷地内の西側の端には、お隣のコーヒー農園との境界線をまたいで小さな森がある。境界線の手前のうちの敷地内には泉が湧いていて、そこからうちで使う水を取っている。その森から北側は何もない、ただ草ぼうぼうの手つかずの状態だったのだけれど、今年になり、木を植えて、森を広げるプロジェクトを開始することにした。手伝いのゼーたちに少しずつブラキアーリアを取り除いてもらい、苗木を植えるための穴をたくさん掘ってもらい、台所から出る野菜グズや果物の皮をその穴に埋めて準備をしているところ。そして、先週の土曜日にボトゥカトゥの苗木屋さんに行って、ここに植えるための苗木を買い、この水曜日に配達してもらった。次の写真は、朝9時過ぎに約束通りトラックで苗木を配達に来てくれたところを撮ったもの。苗木屋さんのスタッフの人が苗木をトラックから下ろして庭の桜の木の側に置く作業をしている間、エドソンはマネージャーの人に蓼沼さんからいただいた陽光桜の苗木や、私が育てているヒマラヤ桜の苗木などを見せていた。すると、そのヒマラヤ桜の苗木がもう少し大きくなったらほしいという話になったようだった。そして、うちの大きな実のなる桑の木を育てたいと言って、枝を数本切って持って帰って行ったという。うちにあっても苗木屋さんにはなくて、苗木屋さんがほしいと思う木もあるということを知った。桜の苗木を本当に買ってくれるかどうかは定かではないけれど、毎年桜は芽を出すので、これからもせっせと桜の苗木を育てようと思った。2枚目の写真は、桜の木の回りに置かれた苗木。購入したのは、カエデを50本と、他に4種類の異なる苗木を計9本、合計59本で、支払い金額は1,190レアル(約42,000円)だった。うちの敷地内をより良い環境にして行くプロジェクトが少しずつ前進していて、とてもうれしい。
| ||||
2017年9月30日(土) | ||||
次の写真は、ベランダの椅子の下にいるめい。夜の間は、めいをシュハスコ小屋に移動させるのだけれど、朝起きてから、夜シュハスコ小屋に行くまでは、ずっとベランダにつないでいる。めいがうちに来てからしばらくは自由にさせていたのだけれど、うちとお隣を行ったり来たりして、うちで寝なくなり、食事をちゃんとしているのかどうかわからないし、予防接種をしたり体を洗ってやったりしないといけないので、自由を奪うようで可哀想ではあるものの、今年からここにこうしていてもらうことにした。この生活になって9ヶ月が経過しようとしているので、めいもこの生活のペースにすっかり慣れた感じがある。ここにいれば私たちが頻繁に玄関を出たり入ったりする動きがあり、その都度かまってやるので寂しくないし、うちにやって来た人に愛嬌を振りまくこともできる。めいは他の犬や動物には反応して吠えるけれど、人に対してはうれしい気持ちの方が強く、ほとんど吠えないので、番犬の役割はしていない。でも、ここにこうしていてくれると、見た感じは番犬のように見える。めいの鎖をベランダの椅子につないでいるので、鎖の長さ以上に自由には動けないものの、椅子の上やこの写真のように椅子の下や、ベランダのタイルの床の上や、ベランダ横の芝生の上と、その時々の気分で居場所を変えて過ごしている。それで運動不足になって、欲求不満になってもいけないので、はるとひろのお散歩とは別に、朝起きてすぐと、朝食後、昼食後、夕方の1日4回のお散歩に連れ出している。そして、夕食後にシュハスコ小屋に行く前にオシッコをさせると、翌朝までだいたい静かにシュハスコ小屋の中で寝てくれる。めいとは、はるやひろのように濃密な関係ではないけれど、それでも私たちに彼女なりの愛情を示してくれるので可愛く、大事な存在になっている。
|
Home | Copyright (C) 2009 Kyoko Yoshida | Next |