Kyoko Yoshida | Life in Brazil | BLOG |
2017年6月1日(木) | ||||
次の写真は、家の西側、玄関の正面にある庭の沖縄桜。木の上の方にはまだ葉が残っているけれど、だいぶ葉を落としている。2枚目は、家の北側の庭にあるヒマラヤ桜。こちらの落葉のペースの方が沖縄桜よりも速く、手前左側の木などはほぼ完全に落葉している。日本で一般的なソメイヨシノは江戸ヒガン桜と何かを掛け合わせて人工的に作ったハイブリッドの木ということなので、自然には増えないようだけれど、ヒマラヤ桜は毎年、木の足元にたくさんの芽が出てくるので増やすことができる。それだけでなく、小鳥が種をあちこちに運ぶようで、あらまあこんなところにと思うような場所に桜の芽が出ていることもよくある。今年も7月から8月にかけてきれいに桜が咲いてくれるといいなあ・・・と、楽しみにしている。
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2017年6月2日(金) | ||||
先日、インターネット上の週刊SPAに掲載された倉山満氏の「女性天皇」に関する文章をコピーしたけれど、「女性宮家」に関する文章も5月18日配信ニュースにあったので、それもここにコピーしてみる。「女性宮家」の創設を説く人たちはご高齢の天皇陛下の負担を軽減するためとか、皇族を増やすために「女性宮家」が必要と主張するけれど、天皇陛下の役割を肩代わりできるのは、息子である皇太子殿下と秋篠宮殿下だけなので、「女性宮家」を創設しても天皇陛下の負担軽減にはならないことや、「女性宮家」に生まれた子供は皇族にはなれないということを、自分たちの主張を通すためにわざと無視している、ないしは、それらをわかった上で、あえてそこには触れないようにして、伝統を壊そうとしているとしか思えない。だって、これを主張しているのは民心党や、社民党、共産党と言った、もともと皇室や天皇の存在に否定的な非保守系の人たちばかりなのだから、彼らの主張の裏にある伝統破壊の意図は明らかなように思う。
眞子内親王殿下の御婚約が発表されました。 めでたい限りです。お相手は、民間人の小室圭さんとのこと。 眞子様は小室家に嫁入りし、皇籍を離脱なされます。惜しむ声も多いようです。 とくに、「ただでさえ皇族の数が少ないのに、これ以上、減らしてどうするのか」との声もあります。また、陛下がご高齢で御公務が大変なのに、代わって御公務ができる皇族が減るのは問題なのではないか」との声もあります。ごもっとも。 そこで、内親王がご結婚の際に皇籍を離脱しなければならない現行の皇室典範を改正し、女性宮家を創設すべきではないかとの意見もあります。 これに関しては、結論はそんなに難しくないので、簡単に答えておきましょう。
問一 女性宮家創設は是か非か。 先例があるので構いません。 江戸時代に桂宮を継承した淑子内親王(仁孝天皇の第三皇女)の一例だけではありますが。 ちなみに淑子内親王はお子さんを残さず薨去されたので、桂宮家は断絶しました。これは佳例とは言えませんので、女性宮家は何が何でもやる話ではありません。 どうしても必要ならば、絶対にダメとは言わない、程度の話です。
問二 その場合、小室さんの御身分は? 今はありませんが、昔は准三后という身分がありました。皇后・皇太后・太皇太后の三后に准じるという意味です。 有名なところでは、人臣最初の摂政の藤原良房、『神皇正統記』の著者の北畠親房、室町幕府最後の将軍の足利義昭などが准三后でした。というふうに、民間人が准皇族となった先例はいくらもあります。だから、小室さんが准皇族となっても問題はありません。 ただし、「准」であって、皇族にはなれません。皇族ではない単なる民間人が、皇族となった例は、歴史上一度もありません。皇室では許されないことです。「准」の一文字が付くのと付かないのでは、天地の違いなのです。 なお、インターネットで検索すると「準皇族」の文字ばかりが並びますが、誤字です。野田佳彦内閣で女性宮家が議論されたとき、誤字が報道された影響でしょう。
問三 小室さんが准皇族となられた場合、小室さんの敬称は? 女性宮の配偶者なのですから、「殿下」です。江戸時代の先例では、桂宮淑子内親王の婚約者は皇族の方でしたから、当然、敬称は「殿下」でした。 では民間人出身の小室さんは? 殿下で構いません。 皇室の先例では、民間人を殿下と呼んで構いません。日本人なら誰でも知っている有名人の先例があります。 単なる農民の子供の出身から殿下に成りあがった人物がいます。ここまで言えばわかるでしょう。豊臣秀吉です。晩年の秀吉は「太閤殿下」と呼ばれました。太閤とは元関白の意味です。天皇の代理人である摂政や関白の登った人は、殿下と呼ばれるならわしなのです。 だから、内親王の配偶者の方を殿下とお呼びしても何の差支えもありません。
問四 女性宮家を創設された場合、眞子様と小室さんの間に生まれたお子さんの身分は? ここまで「先例」という言葉を繰り返してきました。皇室の歴史は、『古事記』『日本書紀』の神話にさかのぼります。初代天皇神武天皇の伝説にさかのぼれば、皇室は公称二千六百年の歴史を誇ります。なぜそれほど皇室は続いてきたのか。神話や伝説の時代から変わらぬ伝統を保持してきたからです。 だから皇室では、先例が吉、新儀は不吉なのです。なぜ? と言われても、そういう世界だからとしか言いようがありません。 そのもっとも重要な伝統は、歴代天皇はすべて父親をたどれば天皇に行きつきます。父親が天皇でなければ、その父親、さらに父親とたどりつけば必ず歴代天皇の誰かにたどりつく。これを男系と言いますが、歴代天皇はすべて男系です。天皇になる資格がある人を皇族と言いますが、二千六百年間、皇族全員が男系です。 女性の皇族も、全員が男系です。つまり父親が天皇・皇族です。しかし、民間人と結婚された女性皇族が、その子供を皇族にした例は一度もありません。 仮にですが、眞子様が女性宮家を創設され、小室さんとの間にお子様が生まれても、そのお子さんは皇族になれません。皇室の歴史では一度も許されてこなかったからです。絶対にやってはいけない新儀です。 御公務軽減のために女性宮家創設という意見ならば、「どうしてもやりたいなら」という消極的賛成はしても構いません。しかし、「女性宮家を創設して皇族を増やそう」というならば許されません。 皇族が減っていくままの今、皇位の安定継承は急務です。しかし、女性宮家の話は何の関係もありません。 ちなみに勘違いしていそうな人がこちら。 民進・蓮舫代表「国民の一人としてお喜び申し上げる」 女性宮家の議論「期限切り結論出すべき」(産経ニュース2017.5.16より)
(以下引用) くれぐれもご用心あれ。 | ||||
2017年6月3日(土) | ||||
先週の土曜日に、ジョゼに日よけのネットを取り外すのを手伝ってもらった後、エドソンはジョゼと一緒に畑のフェイジャオン・デ・リマ(リマの豆)を収穫してくれた。それで、日曜日の午後、お掃除が終わってから豆をさやから取り出す作業をした。次の写真は、右側がこの日さやから取り出した豆。800グラムもあった。左側は、豆が収穫できるようになった初めの頃、2回くらい収穫して、さやから取り出して、瓶に保存している豆約550グラム。この1キロ少々だけでも、何回分かのお料理に使えるけれど、またしばらくすると、もう少し収穫できそうなので、とてもうれしい。感謝。感謝。
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2017年6月4日(日) | ||||
次の写真は、お隣のウィリアムのところの丘の上に駐機されたブルースさんの自家用ヘリコプター。うちのダイニングルームの窓から撮ったもの。駐機する際は、前面にカバーをかけるんだね。以前にも書いたけれど、ブルースさんは、サンパウロで衛星放送用のアンテナを製造する工場を経営していたのだけれど、安い中国製に押されて、経営が成り立たなくなったので、工場を閉めて、家やヘリコプターも売り払って、どこか他所の国へ移住すると言っていたけれど、どうも工場を閉めただけで、ヘリコプターも家もまだ売り払っていないようだし、移住するという話もどうなったのやら・・・。土曜日に、何やら彼が所有する装置を持ってきて、ウィリアムのところでアマチュア無線仲間が集まって実験をするので来ないかと、ブルースさんから直接メールで誘われて、エドソンはお昼前にサンパウロから彼がヘリコプターで到着したのを確認してから、お隣に出かけて行った。ブルースさんはお金持ちらしいけれど、エドソンの話によると、閉めた工場の他に、サンパウロに大きなビルをいくつも所有していて、工場を閉めたからといって、お金には困らないのだそう。だから、子供の学校が冬休みに入る来月は、丸々1ヶ月、家族を連れてヨーロッパ旅行に行く予定だという。でも、彼はサンパウロ州沖の大西洋上に小島をひとつ丸ごと別荘として持っているそうだから、長期の休みは必ず海外旅行に行くのだったら、別荘にはいつ行くのだろう?三連休などの週末にへリコプターでひとっ飛びで出かけて行くのかな?ブラジルには日本では考えられないようなお金持ちが結構いるけれど、同時に日本では考えられないような貧しい人たちもいて、何だかお金がうまく社会を循環していないなあと思う。
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2017年6月5日(月) | ||||
6月に入り、ハファエウとマイーラから以下の写真がメールに添付されて送られてきた。長らく付き合った末、2年前に正式に婚約したふたりだけれど、どうやら今年結婚することにしたようだ。送られてきた写真は、「この日は空けておいてください」という招待状だった。ふたりが生まれ、出会い、婚約し、教会で「はい」と言って愛を誓うということが時系列の図になっている。11月18日という日付だけで、どこの教会で何時からという詳細はないので、その詳細に関してはまた別の招待状が来るのかな?エドソンと私は、アメリカ時代にケンブリッジ市役所の判事の前で結婚の誓約をして、婚姻届に署名して入籍しただけで、ちゃんとした式や披露宴などしていないけれど、私はこれまで日本では数え切れないほど友人や家族の結婚式に出て、アメリカでも3回友人の結婚式に参加している。そして、ブラジルに来てからは数年前にペドレイロのエディの長女の結婚式に行ったので、ハファエウたちの結婚式に行くことになると、ブラジルでの結婚式参加も2回目になる。さて、どんな結婚式をするのだろう?
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2017年6月6日(火) | ||||
次の写真は、カシ(Caxi、「シ」にアクセント)という名前の瓜の仲間。形や大きさは何だかヘチマのよう。大きさを実感するためにうちで採れたオレンジを側に置いて写真を撮ってみた。うちの手伝いに来てくれるゼーがくれたもの。ドナ・ベティのファゼンダで採れたものなのかな?日本ではハヤトウリと呼ばれている瓜の一種のシュシュと同じように調理して食べることができるというので、このカシをキューブ型に切って、みじん切りにした玉ねぎとにんにくと、やはりキューブ型に切った鶏胸肉と一緒に炒めて食べてみた。カシの味は特に強くなく、シュシュと似たような感じに思えた。私よりも匂いや味覚に敏感なエドソンは、風邪をひいていて、シュシュとは少し違うようだけれど、風邪のせいで味がよくわからないと言っていた。まあ、とにかく野菜がいろいろ食べられるということはありがたい。お味噌汁の具としてもいいかもしれないと思い、その後も、残ったカシを薄切りにしてお味噌汁に入れたりしておいしくいただいている。
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2017年6月7日(水) | ||||
先日、外ベランダ横のバラの花壇に、白い花が咲いていたので以下の写真を撮った。夏の間咲いていた朝顔が終わった後、寺田さんからいただいた夕顔の種をここに蒔いたのだけれど、小さな芽が出てきても、あまり元気がなく、つるを伸ばす様子がないので、秋から冬に向かう時期に種を蒔いたのがいけなかったのかな?と思っていた。そうしたら、先日の朝、そこに大きな白い花が咲いていてびっくり。これまで咲いていた朝顔よりもずっと大きく、形も星のような形で、普通の朝顔とは違う。これが夕顔だろうか?でも、夕顔というのは夕方から咲く花で、朝から咲くことはないのでは?と、面食らってしまった。そして、この花は午後になっても、夕方になっても、夜になっても、この状態を保っていて、さらにびっくり。でも、さすがに翌朝は少ししぼんでいた。
次の写真は、同じバラの花壇の左側を撮ったもの。以前、芝生の上に落ちた種が芽を出して、ひとつだけ花を咲かせている紫色の朝顔の写真を掲載したけれど、その後も次々に芽が出て、芝生を被うようにどんどん盛り上がってきて、毎日たくさん花を咲かせているので、また写真を撮ってみた。この紫の朝顔は本当に元気。
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2017年6月8日(木) | ||||
以下は、6月6日付けニッケイ新聞「コラム 樹海」からの転載。
「35歳でオバアチャンっていうのが、あちこちにいるんだよ」――日本の大手派遣会社アバンセの林隆春社長が先月末に来社した折り、日本のデカセギ事情を聞いている最中に、そう言われて頭を抱えた。つまり、17歳ぐらいで出産を二世代に渡って繰り返している▼将来のことを深く考えずに訪日し、工場労働ばかりする両親は、子供の教育のことを考えない傾向がある。両親は残業、残業でろくに面倒をみない。子供は学校から落ちこぼれて不良化し、同じ様な仲間と集まって恋愛し、すぐに子供を作る。デカセギ・コミュニティの中にはそのような集団が相当数いるという▼コラム子は「2008年の金融危機の直後に大量帰伯した。その時に日本に残ったのは、日本の工場から『ぜひ残って欲しい』と嘱望された優秀な人材が多かったのでは。中には、ブラジルに帰るに帰れない人もいたとおもうが」と訊ねると、「違うよ。帰るに帰れない人の方がかなり多かった」と即答▼林社長は「ぜひ残ってくれと工場から頼まれたような人は少ない。みんなバカじゃないから、学歴がない自分たちがブラジルに帰ってもロクな仕事に就けないことは良く分かっている。日本語もポルトガル語も、それなりにしゃべるけど、ちゃんとした読み書きはどちらもダメ。そんな人材はブラジルに帰るより、日本に居た方がいいって思っているんだよ」と即座に反論され愕然とした▼しかも金融危機後の大量帰伯で、日本側コミュニティアは崩壊してしまったのだという。ブラジリアンプラザ設立趣意書にも《労働意欲やスキルの高い日系人が帰国し、派遣会社では一時的に管理者や通訳者にも事欠くほど、有為な日系人材が不足することになりました。加えてメンター(指導者)人材も帰国。日系人社会は連帯をなくし、羅針盤となる人たちが消え混迷を深めることとなりました》とある。それを補うために、林さんは同プラザを群馬県大泉町のコミュニティセンターとして再出発させようとしている▼生活保護も日本残留を後押ししているという。「できそうな仕事を紹介してやっても、計算してみると生活保護の金額の方が多かったりする。『そんなら生活保護のがいい』って断るんだ」という現実がある。つまり在日ブラジル人の相当数が生活保護をもらい、悲しいことに日本の納税者にぶら下っている▼しかも「生活保護は子供が多いほど高くもらえるので、子供が次々に生まれることに抵抗がない」と聞き頭を抱えた。ブラジル国内の下層階級と同じ思考回路で、「日系人」と呼ばれる人々が日本で生活をしている。そこから抜け出すには公教育を受けて、社会上昇するしかない▼ところが、同趣意書には《日本は義務教育全入学といいますが、(日系人の中学校)卒業者は約60~70%という現状、日本語が弱い日系人は進路指導も満足にない現実、療育手帳もない持たない公的支援の存在すら知らない障がいを抱えた子ども達は少なくありません》とある。外国人の場合、登校せず学力がなくても、自動的に中学卒業資格を与えられてしまう。「義務教育」というのは、「義務的に全員に学歴を与える」ことではなく、「全員に最低限の教育内容の取得を義務付ける」ことではなかったか▼中学の卒業者が6~7割なら、高校卒業者はその半分以下だろう。デカセギ第2世代が日本に適応して、8割が高卒になっていれば、少なくとも日本社会のことを良く理解して、地域住民との軋轢は相当に弱まる▼第2世代に投資して日本の公教育を受けさせることが、デカセギ受入れの最大の鍵のはず。それなのに、学校から落ちこぼれるままになっているから、どんどんと日本社会の最底辺に澱むような存在になり、幼くして子供を次々に生むような集団になってしまう▼日系人が日本に行ったことで将来的に貧困層化するなら、行かない方が良い。目先の高い賃金につられて「将来」を売ることになる。日本の産業社会の最底辺で使い捨てにされるなら、四世は日本に行かない方が良い。皆さんはどう思いますか?(深) | ||||
2017年6月9日(金) | ||||
次の写真は、家の南側の三角地帯にあるレモンの木から収穫して来たバケツ1杯分のレモン。洗うために台所の流しに入れたらここでも一杯になった。売り物になりそうな傷のないきれいなものもあるけれど、ほとんどはちょっと何らかの傷がついている。でも、傷があってもなくても、味は変わらない。今、レモンやオレンジが採れる時期なので、たくさん採れて、うれしい悲鳴をあげている。とりあえず、絞ってレモンジュースやオレンジジュースを作っていただいている。
次の写真は、冷蔵庫の中に並んだうちの鶏たちが生んでくれた卵。黒い鶏が来て以来、卵を生んでくれなくなっていたうちの鶏たちだったれど、先週の木曜日から、薄茶色の鶏と2羽いるこげ茶色の鶏のうちの1羽が以前のように、毎日ではないものの、卵を生んでくれるようになり、水曜日の朝までに薄茶色の鶏が5個と、こげ茶色の鶏が3個の卵を生んでくれ、合計8個の卵が冷蔵庫の中に並んだ。地鶏は冬の間は産卵数が減ると聞いていたので、当分卵は期待できないかなと思っていたのだけれど、ぼちぼちとでも生んでくれるようになったので、とてもありがたい。ミニトマトやワイルドベリーや豆やレモンやオレンジもそうだけれど、この地鶏の卵も、田舎暮らしならではの醍醐味だなとつくづく思う。田舎暮らし万歳!そして、おおいなる恵みに感謝!
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2017年6月10日(土) | ||||
次の写真は、広島の医師、渡辺晋先生の近著「核戦争防止国際医師会議(IPPNW)私記」。昨年12月に上梓され、私にも一冊送って来てくださったもの。3月上旬に発送されているのだけれど、相変わらずのこちらの郵便事情の悪さで、パーディーニョの郵便局の受領印は5月24日になっていた。そして、ここでは郵便物はめったに来ないので、私たちも郵便局には頻繁に行かないため、受領したのは6月6日で、発送から3ヶ月も経過していた。でも、とにかく無事に届いてくれ良かった。私がIPPNWに関わったのは、1989年に開催された広島大会前後の3年半少々の短い間だったけれど、この本は1980年のIPPNW設立に至る初期の足跡から、日本支部の設立、その後の日本支部とIPPNWとの関わりの歴史を2016年までまとめていて、とても貴重な歴史の記録になっている。いろいろな人がいろいろな文章をいろいろな機会に書いておられるとは思うけれど、このようにIPPNWと日本支部との関わりという観点で組織の歴史をひとまとめにした本は初めてだと思うので、先生のご尽力にはこころからの敬意を表したい。1931年生まれの渡辺先生は、広島に原爆が投下された当時中学生だったのだろうか?救護作業のため入市し、黒い雨にも遭っておられる被爆者のようだ。現在80代半ばの先生の世代が、ほぼ最後の被爆医師の世代になるんだなあ・・・。ちなみに渡辺先生は文章も書かれるけれど、絵も描かれるので、この本の表紙になっているポスターはすべて渡辺先生の作。右上のポスターは、2012年に開催された2度目の広島大会の際の公式ポスター。
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2017年6月11日(日) | ||||
6月8日(木)12:00配信のインターネット上の産経新聞の記事に、ーー「辻元清美さんは皇室を『生理的に嫌だ。同じ空気を吸いたくない』と書いた」日本維新の会・足立康史氏が攻撃ーーという以下の記事があった。何をどう言い繕っても、この人たち本来の考え方は変わってはいない、ということから目を逸らしてはいけないと思う。 『民進党の辻元清美衆院議員が8日の衆院憲法審査会で、過去に著書で皇室を「生理的にいやだ」などと批判していたことを認め、「一面的だった」と反省の弁を述べた。日本維新の会の足立康史衆院議員が著書を取り上げ、追及した。 話題に上ったのは、辻元氏が民間国際交流団体「ピースボート」を設立し政界進出する前の昭和62年3月に出版した『清美するで!!新人類が船を出す!』(第三書館)。 辻元氏は著書で皇室について「生理的にいやだと思わない? ああいう人達というか、ああいうシステム、ああいう一族がいる近くで空気を吸いたくない」「天皇っていうのも、日本がいやだというひとつの理由でしょ」と記していた。 さらに日本のスポーツ界と関連させて「人生訓とか道徳を押しつけたがる。天皇とあの一族の気持ち悪さに直結している」とし、天皇制を「悪の根源」とまで断じていた。 足立氏は、天皇制廃止を訴えた辻元氏の過去の発言も挙げ、「こうした発言を繰り返す辻元氏が憲法審査会の幹事なのは適当ではない」と批判した。 これに対し辻元氏は「30年ほど前、学生時代にご指摘の発言をした」と認めた。その上で「日本国憲法の下、日本は生まれ変わり、戦争放棄の国になった。憲法に規定されている象徴天皇を尊重しなければならない。私は考えが一面的だったと痛感し、深く反省した」と述べ、著書の内容を撤回した。』 | ||||
2017年6月12日(月) | ||||
先週また、550グラムほどのフェイジャオン・デ・リマ(リマの豆)が収穫できたので、これまで収穫して、瓶に保存している豆を食べようと言うエドソンの希望で、私が前日から2カップほどを水に浸しておいて、次の日の午前中に圧力鍋で煮て準備しておいたものから、エドソンがオリーブオイルとにんにくを炒めた小鍋に1食分だけの量を取って煮豆料理を作ってくれた。煮豆料理に関しては、エドソンがその時の気分で食べたいように調理した方がいいので、いつもエドソンにやってもらうことにしている。今回はベーコンもオリーブも何も入れず、シンプルなものを作ってくれた。白地に赤い筋が入ったこのリマの豆、煮ると全体があずき色になり、わずかに赤い筋が見えるだけになる。形はおたふく豆のようだけれど、味は金時豆のように甘味がある。煮ている時、何だか小豆を煮ているような匂いだなと思った。もう何年も食べていないおぜんざいが食べたいと、ふと思った。ここでも小豆は手に入るのだから作ろうと思えば作れるのだけれど、エドソンだけでなく、普通のブラジル人にとって、煮豆料理は塩味と決まっていて、甘く煮た豆なんてあり得ないものなので、おぜんざいは作ったことがない。
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2017年6月13日(火) | ||||
以下は、6月8日付けで掲載したニッケイ新聞「コラム 樹海」の記事の続きで、6月9日付けの記事からの転載。
日本の大手派遣会社アバンセの林隆春社長の話を聞き、「在日日系人の多くは、ブラジルの貧困層を日本に再生産しているだけ」という部分があると痛感した。デカセギブームが始まった90年代前半、「先進国日本に行くんだから、連れて行った子供もブラジルより良い教育が受けられるはず」ぐらいの楽観的な気分だったが、約30年経った現在、それが「単なる幻想」だったことは明らかだ▼日本レベルの教育が受けられるのは、日本人とごく一部の外国人だけ。単純労働者として入った外国人の子供が、公教育に適応して社会上昇することは、よほど親子共に頑張らない限り難しい。林さんに「日本の産業界では、長期滞在できる日系人を、他の短期滞在外国人の上に立つ中間管理職として登用したり、熟練工に育てて日本人の後継者的な存在にする場合も出てきているのでは」と質問すると、「そういう人もいるが少数」という厳しい答えだった▼林さんは「多くのブラジル人は『流動層』として産業界から〃重宝〃されている。というのも技能実習生は同じ職場で働く制限があるから、人手の需要の変動に応じてあちこちに移動させられない。ところが日系人は需要に応じてホイホイと便利に使える。だが50代半ばになれば、そんな仕事もなくなる」と説明した。残酷な現実だ▼工場の単純労働以外、たとえば長距離トラックの運転手や熟練工の仕事にも日系人は就き始めている。だが、その多くは産業のロボット化によって、近い将来なくなる仕事と見られている。だから日本人の若者がやりたがらない。そこで流動的で便利な日系人に頼る。悲しいことに、日本産業界はそんな残酷な仕組みになっているらしい▼ブラジリアンプラザ設立趣意書は、日系人高齢化問題も指摘する。《日本の日系ブラジル人社会には「老い」の現実が迫っています。今後60歳以上の人は毎年2000人増となり、5年後には毎年2500名ほどが仕事人生をリタイヤ(退職)していきます。その多くが厚生年金や国民年金の満額受給期間は加入していません。働く人生を終えた後、彼らは健康寿命が約15年間、介護寿命が5~6年間、そして要介護の状態で0・6年間という気の遠くなるほど永い余生を過ごす。そんな在日日系人の大多数が人生の最後を日本で迎えることとなりそうです》。恐ろしい未来予言だ▼林さんは「現在一番人数が多い年齢層は40代後半、すでに10~20年既に働いている日系人だ。彼らの仕事は50代半ばまでで、60歳までは難しい。先がないにも関わらず、彼ら自身に危機感が薄い」と明かした。「いずれ彼らのための老人ホームが必要になる」とも。だがタダの施設はない…▼さらに林さんは《日系人の老いも、非正規化も家族の分断も止まることはありません。必要とされる社会インフラもブラジル日本文化福祉協会、サンパウロ日伯援護協会のような社会連帯、経済団体そして福祉を目的とする団体はありません》と当地と比較する▼横浜に「海外日系人協会」があるが、外務省の外郭団体で、外国在住の日系人と日本政府をつなぐ存在だ。不思議なことに、外務省は国外で日系人を支援する姿勢を保ち続けてきたが、同じ日系人が日本国内に入って管轄が通産省、厚労省、文科省等になった途端に「使い捨て人材」にされてしまう▼海外日系人協会は今後、省の枠を超え、国内向きの日系代表団体の役割を強めるべきではないか。デカセギ第2世代を日本産業界の将来の国際戦力、多文化人材として育て上げる方向性を強めるべきだと思う。ブラジル側日系団体もその方向に向け、日本政府に圧力をかけていい▼一つ考えるべきは、何が「日本の国益か?」という問題だ。「日本を将来的に支える多彩な人材を育てること」こそが、グローバル化時代の「国益」ではないか。であれば、日本国籍でない子ども達にも日本人同様の教育機会を与えてもいいはず。この動きはきっと、東京ではなく地方から始まる気がする。(深) | ||||
2017年6月14日(水) | ||||
リオデジャネイロ州のペトロポリスでは毎年8月に日本祭り”BUNKA-SAI”が開催される。確か今年、安見さんがペトロポリス市長に会われた際、今年は盛大にやりましょうと市長が言っていたと安見さんから伺ったように思うけれど、緊縮財政で運営費がないため、今年はリオの日系協会の太鼓グループを呼んだり、他の都市の日系協会のグループを招待することができないらしい。それで仕方がないので、安見さんたちのペトロポリス日系協会の人たちだけで、お金をかけずに、着物ショーと盆踊りをやることになり、その準備に忙しくしておられるようだ。 今年の1月にピースボートがリオに来た際、乗船者と現地在住日系人との親睦会がり、その時乗船者から大量の着物と浴衣を寄贈され、それがリオの各日系協会に配布され、ペトロポリスもかなりの量をもらったということだった。でも、寄贈された着物は普段着で、着物の展示には使えないので、今年は着物ショーだけでなく、その普段着の着物を使って、会場で希望者に着せ付けて、会場を練り歩いてもらうことにしたという。でも、寄贈されたのは着物だけで襦袢がないので、それらは手作りされることにしたというから大変だ。そして、着物の着付けができるのは道子さんだけなので、日系人の女性3人に着付けを憶えてもらうことになり、リオの先生のところに行って、皆で着付けを習っているのが次の3枚の写真だそう。
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![]() そして盆踊りの準備の方は、これまでのように少人数で盆踊りを披露するのではなく、もらったお揃いの浴衣で、多くの人に参加してもらおうということになり、何回も練習会を開いて「東京音頭」「炭坑節」「日光和楽踊り」の三曲を練習しておられるのだという。次の写真2枚は、その練習会の様子を撮ったもの。このもらった浴衣にも帯が付いていないので、帯をつくらなければならなかったり、浴衣のサイズが日本人向けのサイズで、太ったブラジル人には着せ付けることができないなど、色々問題があるようだけれど、とにかく頑張っておられるようだ。
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2017年6月15日(木) | ||||
次の写真は、うちの入り口ゲートに向かう道から3段階ほど西に下りて行って撮った写真。以前はブラキアーリアが生い茂っていたのだけれど、何度か繰り返し除去してもらったので、きれいになり、下まで楽に下りて行くことができるようになった。1枚目の写真は、下りて行って左を向いて、森が始まる場所を撮ったもの。2枚目は、右を向いて撮ったもの。画面奥の緑は、西隣のコーヒー園。そして、3枚目は、正面を向いて最初の2枚の写真の間を撮ったもの。左側に森、右側にお隣のコーヒー園が見えて、中心の部分は、雑草低木が茂って、足元の刈られたブラキアーリアが枯れて茶色くなっている。
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2017年6月16日(金) | ||||
ペトロポリスの安見さんご夫妻は、8月のBUNKA-SAIの準備で忙しくしていらっしゃるのに、その合間を縫って11日の日曜日に、ピラティス教室の仲間と山登りに行って来たとメールをいただいた。ペトロポリスはリオの北の山の上の方にある町で、そこ自体標高が高いのに、さらに標高が高い、1,552mのMorro do Bonetに登られたということだった。頂上からは360度の視界が開け、内陸側は山の谷あいにペトロポリスの町が広がっているのが見え、海側はグアナバラ湾からリオの町が遠くに見えるのだそう。さぞかし絶景だろうと思う。次の写真は、山頂で参加者8人全員での記念写真。
なかなか合わない皆さんの日程を合わせて予定をたてても、お天気の都合で実現しないというのを繰り返して、今回4度目の挑戦でようやく実現したようだ。「11日は天気が良くなり、皆、張り切って集合場所に時間通りに集まり、登り口まで移動。10時から登り始めました。前回の山と違って下から上まで急勾配の連続。両側の潅木のむき出した根や幹につかまってよじのぼり、つかまるところの無いところは、リーダーが綱を張って、それにつかまってよじ登りました。1時間ちょっとで頂上。頂上で軽食をして、12時半下山。登りが大変だったが、下るのも大変。登りの途中で、山の上で昨夜一泊したと言う何組もの下りて来るグループとすれ違いました。我々が下るときはこれから上ると言うグループとすれ違いました。皆20才台とおぼしき若者達ばかり、我々のような年増グループは見かけませんでした。前回の山は家族連れグループがいたのに、ここはきつい登山コースのようですが、案内には軽度コースとあり、へーこれが軽度かよと思いました。終わってバールで打ち上げ会をして解散。つぎは、何時どこに行くかリーダーが連絡してくれます。楽しみです」とのことだった。それにしてもおふたりともお元気だなあ。次の写真は、頂上近くを登っているみなさん。2枚目は、頂上の岩のところで自然を満喫している道子さん。頂上周辺には景色を遮るものがなくて、本当に眺めがよさそう。それにしてもおふたりともお元気だなあ!
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2017年6月17日(土) | ||||
インターネット上で、2017.06.12配信のSPAの記事に、倉山満氏の『天皇家に関する素朴な「3つの疑問」を日本一やさしく解説』という記事があったので、以下にコピーしてみた。
6月9日に天皇陛下の退位に関する特例法が成立。「光格天皇以来、約200年ぶりの譲位が実現」と各メディアが一斉に報じた。昨年8月8日に表明された陛下の「お言葉」から、およそ10か月。天皇家の在り方について、各所で様々な議論が飛び交ったが、憲政史家の倉山満氏は「そもそも圧倒的多数の日本人が、天皇のことを知らなすぎる」と訴える。つい先日、新刊『日本一やさしい天皇の講座 』を緊急出版した氏に、天皇に関する「そもそも」の話を語ってもらった。 【疑問1】皇室はどうして必要なのか? 倉山満(以下、倉山):日本人が必要だと思っているからです。少なくとも、これまではそうでした。我が国は公称2677年、「神話」の時代を除いても、1400年の歴史を数えます。現存する国家のなかで、最長不倒記録を有しており、今もなお継続中です。その間、皇室がなくならなかったのは、日本人が必要だと思い続けてきたからです。今もそうです。仮に未来の日本人が「皇室や天皇なんていらない」と言ったら、おそらく必要なくなります。個人的には、そうなってほしくはありませんが ――もし皇室がなくなると、日本はどう変わりますか? 倉山:そのときは、日本が日本でなくなります。皇室が国の中心であり、天皇が国の本来の持ち主である、というのが日本の国家体制ですから。これは歴史がつくった事実なので、好き嫌いの話ではありません。天皇を戴かなくなった国は、もう日本ではないんです。 ――ゆえに、国民は天皇を崇拝すべきだと? 倉山:いえ、別にそんなことはありませんよ。我が国の歴史において、庶民が天皇を崇拝していた時代なんて、ほとんどないですから。権力者と一般人という垣根はあったとしても、「皇室と民」というのはもっと近しい関係。京都人が陛下のことを「天皇さん」と呼ぶのなんて、その親密さの表れでしょう。「天皇を崇拝しろ!」なんていうのは、明治時代の藩閥官僚あたりが言い出したこと。2600余年に渡る歴史のなかで、100年にも満たない期間のことなんです。 【疑問2】なぜ天皇は、自由に行動してはいけないの? 倉山:「新儀は不吉。だから先例を探す」という、皇室論議における大原則があるからです。時代が変化して、完全な伝統墨守ができないときでも、自分の意見を主張するのではなく、ご先祖様の歴史のなかに「先例」を探し求めるわけです。「昨日と同じ今日が、明日も続けばいい」が、皇室の幸福であり伝統。いい意味で、ノンキで平和な日本だからこそ、育むことができた文化です。 ――「慣例に縛られた皇族の方々は可哀想」という声も聞こえてきますが? 倉山:そこはもう「感性」の問題です。この前もある大学生が、「なぜ先例に従わなくてはいけないんですか? 明快かつ論理的な答えを期待します」と質問をぶつけてきました。が、まず「明快かどうか」は主観的な問題ですし、「論理的か否か」についても、いったい何を基準に決めるつもりなのかと。論理というものの根源には、価値があります。その価値をどこに見出すかで、論理は変わるわけですから。 ――いわゆる「価値相対主義」的な……? 倉山:そうです。まず何らかの価値が存在しないと、その説明が論理的であるかどうかは、証明しようがないんです。例えば、フランス革命では合理性を追求し、1か月を30日、1日を10時間などで計算する「フランス革命暦」を採用しました。合理性の面では論理的だったかもしれませんが、実用性の面では案の定しっちゃかめっちゃかになりました。一方で、日本では7世紀に宗教紛争が起こりそうになったとき、仏教側に「神様というのは仏様の仮の姿だよ」と説明し、神道側にはその逆を語り、事なきを得た。日本人はストーリーの合理性よりも、「平和」という実用性を勝ち取ったわけです。 ――つまり、理屈じゃないと? 倉山:はい、だから「感性」の問題なんです。皇室廃止論者に何を言っても、結局は通じないんですよ。例えるなら、古代からの文化遺産を守ろうとする人と、「その土地を中国人に売り飛ばして、ビルを建てたほうが合理的」と主張する人が、話し合いにならないのと同じ。歴史のなかに存在する「個人の努力を超越した、人間的な努力」に価値を見出せない人に、いかなる理屈を並べてもムダなんです。 【疑問3】皇室が現代まで続いてこられた理由は何? 倉山:世界で日本の皇族だけが、途切れることなく続いた理由は……「タマタマ」です。普通なら王朝交代が起きそうなタイミングでも、その時代ごとに天皇を守ろうとする人々が現れ、現代まで存続することができた。何かひとつの理由があったわけではなく、様々な偶然が重なった結果です。それが具体的にどんな偶然の連続だったかは……ぜひ拙著『日本一やさしい天皇の講座』をお読みください! 「譲位について語るなら、せめてこれぐらいは知っておいてほしい」(倉山氏・談)との思いで書き下ろされた天皇論の入門書。125代続く歴史を俯瞰で読み解いた、『日本一やさしい天皇の講座 』は、全国書店ほかで絶賛発売中。 <取材・文/ツクイヨシヒサ> | ||||
2017年6月18日(日) | ||||
昨日に引き続き今日も、6/14(水) 16:00配信SPAの倉山満氏の記事を見つけてしまったので、くどいようだけれど、またまたここにコピーすることにした。 新刊『日本一やさしい天皇の講座』にて、皇室と日本人の関係を通史で書き上げた倉山満氏。譲位、女系、女帝、旧皇族の皇籍復帰など、皇室を巡る論点は尽きないが、氏に言わせれば「その前提となる部分に、国民のカン違いが多い」という。皇室に対する「よくある誤解」として、以下の5つを挙げてもらった。 ◆【誤解1】天皇陛下が退位を希望するのは、公務に「疲れた」から!? 倉山満(以下、倉山):とんでもない誤解です。平成28年8月8日のいわゆる「生前退位に関するビデオメッセージ」において、天皇陛下はひと言も「俺は疲れた、休みたい」などとは仰っていません。自分は死ぬほど働けと言われたら働くが、制度としてこの状態はどうなのか、今後もずっと続けられるかどうかを考えてほしい、と訴えられたのです。 ──「続けられる」というのは、何をですか? 倉山:伝統としての象徴天皇を、です。日本国憲法に「天皇は、日本国の象徴であり……」と記されているせいで、誤ったイメージが広まっているのかもしれませんが、じつは歴代天皇のなかで「象徴ではなかった」天皇というのは、数えるほどしかいません。平安時代の嵯峨天皇以降で考えれば、基本的にすべて象徴天皇です。実力を伴う独裁者の地位を目指したのは、鎌倉幕府を倒した後醍醐天皇ただひとり。明治天皇も昭和天皇も、そんなことは微塵も考えていなかった。これが第2の誤解につながります。 ◆【誤解2】戦後、マッカーサーが天皇の権力を剥奪した!? 倉山:象徴天皇というのは、別に進駐軍から押し付けられたものではありません。日本はもともと象徴天皇でしたし、明治以降もそうでした。にもかかわらず、マッカーサーが勝手に思い違いをして、「独裁者はやめろ!」と言ってきたわけです。 ──話が噛み合っていなかったと? 倉山:そうです。初めからマヌケなやりとりなんですよ。しかも厄介なことに、ここへもうひとつの誤解が重なってくる……。 ◆【誤解3】日本憲法下では、天皇は自分の意見を表明してはいけない!? 倉山:繰り返しますが、マッカーサーは天皇に「独裁者はやめろ!」と言ってきました。「判を押すだけのロボットになれ!」とは言っていません。日本国憲法の表現を使うなら、天皇は「国政に関する権能を有しない」としただけです。 ──「権能」とは? 倉山:一般的な言葉に置き換えるなら、「権限」でしょう。英語にすれば、どちらも「power of command」で同じ意味です。日本憲法下では、天皇は国政に関する権限こそ持ちませんが、自分の意見を表明することや、結果として影響力を行使することまでは禁じられていません。つまり戦後、日本人の多くは天皇に対して【誤解2】と【誤解3】という二重の誤解をしながら、マッカーサーすら口にしなかった暴挙を行ってきたということです。 ◆【誤解4】女系を認めない皇室典範は「男尊女卑」だ!? 倉山:これはむしろ逆だろう、と私は考えています。詳しくは以前の記事「『女性天皇』賛成派は愛子様に生涯独身で通していただくつもりか?」を読んでもらいたいと思いますが、男系でつながる皇室はむしろ「男性排除」の論理で成り立っています。女性は民間人でも皇族の方と結婚すれば皇室に入れますが、男性はそうはいきません。男性が民間人の場合、皇族の方と結婚されても民間人のままです。 ──結婚相手の女性皇族のほうが、皇籍を離れることになりますね。 倉山:そうです。美智子様や皇后陛下、雅子様が皇太子妃になられても、眞子様と結婚される予定の小室圭さんが皇室に入ることはない。ゆえに「男性排除」の論理だと言っているわけです。 ──なるほど。 倉山:愛子様の女帝に関する議論についても、誤解があると思います。我が国では、奈良時代に民間人の道鏡が皇位を狙って以来、「女帝は生涯独身か未亡人のみ」とする不文法が確立しました。女帝を認めていない現在の皇室典範を「男尊女卑」だと叫ぶのは勝手ですが、もし愛子様が御即位された場合、「生涯独身」を求められるという歴史があることをきちんと理解しているのでしょうか。甚だ疑問です。 ◆【誤解5】「上皇」という尊号は「元天皇」だけに与えられるもの!? 倉山:特例法の成立により、天皇陛下は退位後、200年ぶりの「上皇」となることが決まりました。この「上皇」という尊号は、天皇を辞めた方に贈られる「太上天皇」の略ですが、歴史上には天皇にならなくても「上皇」になった方が存在します。その方々を「不登極帝(ふとうぎょくてい)」と呼びます。 ──聞き慣れない呼び名ですね。 倉山:鎌倉時代の後高倉上皇や、室町時代の後崇光上皇などが「不登極帝」です。死後に追贈された、陽光上皇と慶光上皇もいらっしゃいます。いずれも天皇の父君です。天皇にはなっていないので、歴代天皇にはもちろん数えません。 日本人なら誰もがその存在を知りながら、よく理解できていない事柄も多い皇室関係。「じゃあ、よく理解できるようにしましょう」(倉山氏・談)との気持ちから生まれた『日本一やさしい天皇の講座』は、全国書店ほかで絶賛発売中だ。 【倉山満】 1973年、香川県生まれ。憲政史研究者。著者シリーズ累計35万部を突破したベストセラー『嘘だらけの日米近現代史』『嘘だらけの日中近現代史』『嘘だらけの日韓近現代史』『嘘だらけの日露近現代史』『嘘だらけの日英近現代史』『嘘だらけの日仏近現代史』のほか、保守入門シリーズ『保守の心得』『帝国憲法の真実』など。2017年6月、待望の新刊『日本一やさしい天皇の講座』を上梓 <取材・文/ツクイヨシヒサ> | ||||
2017年6月19日(月) | ||||
パーディーニョに来て家を建て始めてから1年後くらいに、下のガレージで仮住まいを始めた頃、家を建ててくれていたペドレイロのエディが、家の東側に物干しを作ってくれた。以来、ベッドシーツなどの大物を干す際は、この物干しが重宝していた。でもあれから7年近くが経過し、ワイアーを結びつけていた添え木が、風雨にさらされて朽ちて、先月ベッドシーツを干していたらその重みで割れて落ちてしまい、使えなくなった。それでエドソンがジョゼに頼んで、家の南側、私たちの寝室の前に、新しく丈夫そうな物干しを作ってくれた。次の写真は、完成した新しい物干しに、早速洗濯したベッドシーツを干しているところ。安定感と十分な幅と高さのある物干しで、完璧!感謝。感謝。
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2017年6月20日(火) | ||||
うちの手伝いに来てくれているジョゼが、平日働いているドナ・ベティーのファゼンダのマネージャーのジョアオンと一緒に、先週の日曜日にプラタという種類のバナナの木を2本ピックアップトラックに積んで、持ってきてくれた。エドソンが以前から頼んでいたようで、ジョゼがジョアオンに頼んでくれて、ファゼンダで育っているバナナの木を掘り起こして、運んできてくれたのだった。お返しに、エドソンはうちのとうもろこしを1箱あげていた。ジョアオンの所では鶏をたくさん飼っていて、とうもろこしはいくらあっても無駄にはならないので、喜んで受け取ってくれた。ゼーの兄弟がとうもろこしを分けて欲しいと言うので、数袋分けてあげた際は、お返しに鶏を1羽くれたりと、何だかここではこういう物々交換が成り立っているのがおもしろいなと思う。次の写真は、この土曜日にジョゼが植えてくれたそのバナナの木2本。右側に見える緑色の木の幹はグアプルブの木で、その奥にとても酸っぱいレモンの木があり、その後ろに秋になるとピンクと白の花が咲くマナカの木がある。この辺りから森が始まっている。ミツバチのジャタイの巣箱がある場所は、この画面の左側奥。エドソンが森の水場に行って、ポンプで水を丘の上の貯水タンクに汲み上げる際は、ここをさらに下りて行くので、1日置きくらいに通る場所。
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2017年6月21日(水) | ||||
毎週土曜日の午前中、エドソンはパーディーニョのスーパーに食料品の買出しに行ってくれる。そして、ほぼいつもスーパーのベーカリーで作って販売している鶏肉が入っていたり、パウミトが入っていたりする一口サイズのスナックパンを、昼食用に買ってきてくれる。先日は、それらがなかったのか、ポン・ジ・ケイジョ(チーズパン)を買ってきてくれたので、それとポンカン(みかん)と、自家製のレモンジュースとでお昼にした。次の写真は、その買ってきてくれた ポン・ジ・ケイジョ。大きさはお店によっていろいろだけれど、スーパー・パーディネンセのポン・ジ・ケイジョは普通サイズか、少し小さい感じだろうか?チーズ味で、もちもち食感のブラジル独特のパン。
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2017年6月22日(木) | ||||
我が家の食堂には南側と西側に窓があり、食事の際、食卓の東側に座っても北側に座っても、両方の窓から外の景色を眺めることができる。西側の窓の向こうに見える背の高いユーカの木にトゥカーノが1羽から数羽とまっているのが見えたり、雲が西から東に速い速度で移動して行くのが見えたり、西側の窓のところにハチドリが来て家の中を見ながらホバリングしていたり、先日などは南側の窓枠の出っ張りのところに小さめのフクロウがとまって、家の中の私たちを見ていたので驚いた。今の時期、夕食の時間はもう真っ暗なので、外の景色は見えないけれど、朝食や昼食の時に、こういう外の景色を見ながら食事をするのはとても楽しい。そして、先日の朝食の際、西側の窓の正面に見える桜の木にハトがとまっていたので見ていたら、その側にピンク色のものが見えた。遠くてよく見えないけれど、ひょっとしてあれは桜の花だろうかとエドソンと話をした。その後、カメラをズームして見てみると、やはり桜の花が4つほど咲いていたので、次の写真を撮った。この桜の木は沖縄桜で、庭のヒマラヤ桜よりも少し遅れて咲くのが常で、まだ1ヶ月先くらいにならないと咲かないはずなのだけれど、この4つの花は勘違いして狂い咲きしてしまったようだ。
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2017年6月23日(金) | ||||
昨日掲載した狂い咲きの桜の花を見つけて、おおそうそう、家の南側の三角地帯にレモンを収穫しに行った際、2本ある梅の木に花がたくさん咲いていたのに写真を撮るのを忘れていたと思い出し、次の写真を撮った。側に行くと、梅の甘い香りが漂っていた。1枚目の写真は、その1本の全体を撮ったもの。そして、2枚目は、花をアップで撮ったもの。これまでこの梅の木は、枝を縦横無尽に伸ばすばかりで、花はほとんど咲かず、伸び放題の枝をどういう風に剪定したらいいのかわからないので、たまにワイルドに伸びた枝を切るくらいで、手入れの仕方が悪いから、花も実もならないのかな?と、思っていた。でも、今年はなぜかこんなにたくさん花が咲いたので、本当にびっくり。「桃栗三年、柿八年」というけれど、梅もちゃんと花が咲いたり実がなるまでには、何年もかかるのが普通なのかな?ちなみに、青紫の花が咲くジャカランダという木の苗木を2本植えて4~5年になるのだけれど、だいぶ大きくなってきているものの、一向に花が咲かない。何と、花が咲き始めるまで10年以上かかるらしいと、最近エドソンが知り合いの人から聞いたと言っていた。その人のうちのジャカランダは植えて10年になるのだけれど、まだ花を咲かせたことがないのだそうだ。桜は2~3年のうちには花を咲かせるけれど、そんなに長い時間をかけないと花を咲かせない木もあるんだなあと、自然の不思議を思った。
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2017年6月24(土) | ||||
以下は、2017年6月20日付けニッケイ新聞「コラム 樹海」からの転載。
先日、コロニア文芸関係者から「最近のニッケイ新聞は勝ち組側の話ばかりのせて偏っている」とのお叱りをうけた。正直な気持ちを打ち明け、その説明をしたい。本紙は「認識派」パウリスタ新聞と日伯毎日新聞の流れをくむ邦字紙であり、パ紙が創刊した1947年1月から長い間、勝ち組の言い分を一切、紙面に載せて来なかった。90年代から記者をするコラム子は最初、誰が勝ち組かすらよく分からないままに取材をしていた▼05年に暁星学園の同窓会を取材した時、「どうしてパウリスタ新聞系なのに取材に?」と言われ、意味が分からなかった。その記事を紙面に載せた直後、70年代にパ紙編集長だった故田中光義さんから「昔は暁星学園の記事なんか絶対に載せられなかった。でも今は時代が変わった。どんどん載せたらいい」と言われ、ドンと背中を押された。それから、むしろ勝ち組の声を積極的に掲載しなければ―と思うようになった▼以前、脇山大佐殺害事件の実行者の一人・日高徳一さんの連載を発表した後にも、リベラルな学術関係者から「貴方は人殺しの肩を持つんですか?」と非難された。日高さんは確かに脇山大佐を撃ったが、自首して10年間も服役した。刑を終えた人は罪を償っている。償った人は普通に接すべきだ。コラム子は「罪を償った人に、社会的、道徳的な制裁を続けるのは賛同できない。罪を悔い改める機会を否定することになる」と反論したが、その人には納得してはもらえなかった。何か感情的なしこりができているようだった▼一般的に「戦勝を盲信した勝ち組が一方的に認識派を襲撃した」との先入観が広まっているが、よく調べると勝ち組が殺され、怪我させられた事件が半分近くある。正しくは「殺し合った」のであって一方的なわけではない▼そうやって知れば知るほど、日高さんのような勝ち組強硬派は「新選組」に似ていると思えてきた。新選組は幕末に、京都において反幕府勢力を取り締まる警察活動に従事した。正規組織「京都見廻組」は幕臣(旗本、御家人)で、新選組は浪士(町人、農民身分を含む)で構成された「会津藩預かり」の非正規組織だった▼新選組の任務は、京都で活動する不逞浪士や倒幕志士の捜索・捕縛、巡察・警備、反乱の鎮圧など。その一方で、商家から強引に資金を提供させ、隊の規則違反者を次々に粛清するなど内部抗争を繰り返したという。治安維持を表カンバンにして人斬りやユスリも働いた非正規な浪人部隊としての側面もあったわけだ▼だから新選組と敵対していた薩長出身者が政治の実権を握っていた明治期には、幕府軍と共に賊軍となった新選組を否定する風潮が強かった。戦後になってようやく映画やテレビドラマで新選組が主役に扱われることが多くなり、各隊士にもファンが生まれた。昭和40年代に放送された『新選組血風録』や『燃えよ剣』(司馬遼太郎原作、栗塚旭主演)が新選組ブームを起こしたという▼それと同じで時代と共に勝ち組強硬派も、もう少し冷静な目で見られる気がする。勝ち組も負け組もコロニアという一枚のコインの裏表だ。終戦直後には7、8割が勝ち組だったことを思えば、そんな圧倒的大衆の想いや経験、声を記録として残すことは邦字紙の役目だ。ならば、負け組の声ばかりだった60年間を補う必要がある。だからその分この10年ほどは勝ち組系の人物を主人公とする連載を幾つも発表してきた。「襲撃者の一人、日高徳一が語るあの日」「正史から抹殺されたジャーナリスト、岸本昂一」「身内から見た臣連理事長・吉川順治」などだ。それが「勝ち組側に偏っている」との批判を受ける理由だろう▼奇しくも今年はパ紙創立から70周年。邦字紙は昨日、今日出来た新聞ではない。70年間の歴史を俯瞰した上で、現在の紙面を作らないといけない。今年3月に日本で刊行した『勝ち組異聞』(無明舎)は、まさにそんな想いから書いた勝ち組を主人公とする連載の選集だ。負け組系新聞だからこそ、冷静に歴史を見直して、よりバランスの取れた移民史を残したい。(深) | ||||
2017年6月25(日) | ||||
はるは生まれつき肝臓が弱く、赤ちゃんの頃は1年くらい鶏むね肉とご飯と緑黄色野菜を混ぜて手作りした食事をさせていた。成長するに従いだいぶ肝機能も安定してきたようで、普通にドッグフードだけを食べることができるようになってかなりの年月が経過した。でも、時々食欲がなくなり、特に朝ご飯を食べないことがあるので、グリームチーズに薬を混ぜて食べさせた後、ドッグフードにオリーブ油を少したらして食べさせたり、完全に朝は抜くこともある。 一方、ひろは基本的に健康に問題はないのだけれど、とにかく食いしん坊で、家の中でも外でも、虫など目につくものを片っ端から口にして食べてしまうので、それが原因でじんましんになったり、お腹を壊すことが少なくない。先週も、居間の横のドアの所で何かを口にしたようなので、すぐに口を開けさせて調べたのだけれど、すでに飲み込んでしまっていて、取り出すことができないということがあった。虫を食べても、種類によるのか、何ともないときの方が多いのだけれど、今回は良くないものを食べたのか、半日くらいして嘔吐してから体調を崩し、2日間くらい食欲があまりなかったり、食べても、しばらくしてまた嘔吐したりを繰り返した。ひろは私たちの食事がもうすぐ終わるという頃合いに、食堂にやってきて、「ご飯まだですか?ご飯、ご飯」とせっつくのだけれど、先週は、「ご飯ですよ。ご飯にしよう」と呼びかけても、はるは台所に来ているのに、ひろは寝室のベッドから出てこないということが2回続けてあったり、何とか出てきて食べても、いつもはあっと言う間に食べ終わるのに、食べる速度がゆっくりだったりと、いつもと全然違うので、私たちを少し心配させた。でも、週の後半になって、ようやく体調が回復し、いつもの調子に戻ったので、ほっとした。次の写真は、体調が回復し、いつものように私たちの食事が終わるほんの少し前に食堂にやってきて、私たちにせっついた後、私たちの食事が終わり、私が食器を台所に移動させたり、洗ったりする間、流し台の前のマットの上でいつものスフィンクスのポーズで待っているひろ。ここにこうやって座っていられると、流し台での作業が難しいので、「ちょっとどいてくれる?」と言うと、ほんの少しだけ体を移動させて私の立つスペースを作ってくれる。そして、私の足元で「ウーン、ウーン」と今にも飢え死にしそうな情けない声を出したりする。とにかくひろは何をしでかしても憎めないキャラで、はる共々、我が家にはなくてはならない存在になっている。
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2017年6月26日(月) | ||||
歌舞伎役者の市川海老蔵さんの奥さん、小林真央さんがガン闘病の末、先週亡くなった。私は彼女のブログをフォローはしていなかったけれど、毎日のようにブログにどんなことが書かれているかというニュースがインターネット上にあったので、それをいつも読んでいた。だから彼女の死を知ったのもインターネット上のニュースでだった。海老蔵さんの会見の様子の一部が、会見の日の翌朝(日本時間、こちらでは夜)のNHKテレビのトップニュースになっていたので、彼女がブログにしたためた生き様に、膨大な数のフォロワーだけでなく、私のようにフォローしていなくても多くの人が大きな影響を受けていたんだろうなと思った。34歳と若く、小さなこどもたちふたりを残して逝くのはさぞかし無念で心残りだっただろうと、せつなく思った。でも、完璧ではないにしても在宅医療と昔よりもかなり進歩した緩和ケアと、家族の愛と支えのお陰で、病院だけでなく、自宅でも療養することができ、穏やかに最期を自宅で迎えることができたのは良かったと思った。それにしても、ガンが顎にも転移して、激しい痛みがあっただろうことは疑いようもなく、それでも気力を振り絞って亡くなる直前まで前向きなブログを書き続け、家族の支えに感謝し、笑顔で過ごしたという事実に、ただただすごい人だと思った。 こういうニュースに接すると、我が身を振り返っていろいろ考えてしまう。ブラジルには老人ホームはあるけれど、サンパウロなどにある日系老人ホームは別として、パーディーニョにある老人ホームなどの質や環境は基本的に、日本とは比べ物にならないもので、できることならお世話になりたくないと思うような場所。そして、広島で母がお世話になっているような介護施設も、真央さんが利用した在宅医療というシステムもここにはない上、私たちには頼れる家族が側にいないので、万が一、私かエドソンのどちらかが介護医療が必要な状態になったら、たちまち立ち行かなくなるのは明らかで、大きな不安を覚える。潤沢な資産があれば、お抱えの看護師や介護の世話を手伝ってくれる人を24時間体制で雇うことができるけれど、そんな資産は私たちにはなく、とにかくふたりとも重篤な病気にならないことを願うばかり。それにつけても、日本のシステムは完璧ではなくても、ブラジルよりもずっとずっといいなあと思う。 | ||||
2017年6月27日(火) | ||||
次の写真は、家の前の庭に、エドソンが手伝いのジョゼに頼んで作ってもらったアンテナの土台2つ。右側のものは先々週作ってもらったので、この土曜日に衛星通信用アンテナの設置が完了した状態。左側の土台はこの土曜日に作ってもらったばかりなので、コンクリートが乾くのを待っている状態。ここにも右側のものよりも少し小さいサイズの衛星通信用のディッシュアンテナを設置する予定なのだそうだ。家の東側のスペースにもひとつディッシュアンテナが設置されているので、何だか我が家はアンテナファームのようになりつつある。衛星の発信する電波はそれぞれ異なるため、複数の衛星を追跡しようと思うと、複数のアンテナが必要なのだとか。ちなみにこの写真の後ろの屋根の上のディッシュアンテナはテレビの衛星放送受信用のもので、衛星通信用ではない。
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2017年6月28日(水) | ||||
次の写真は、入り口ゲートに向かう道沿いのゲートに近い辺りで、西隣のコーヒー農園の方を向いて、お隣との境界に接するエリアを撮ったもの。1枚目は右方向の入り口ゲートの方を向いて、2枚目は左方向の奥の森の方を向いて撮ったもの。このエリアはこれまで草刈り機で何度か伸び放題のブラキーアーリアを刈ってもらうことはあっても、鍬でブラキアーリアを根こそぎ取り除くということはしていなかった場所。していなかったというか、他のエリアの作業で手一杯で、ここまで手が回らずできなかったと言った方が正しい。それが少しずつ作業が進み、他のエリアがきれいになってきたため、今回初めてこのエリアに鍬が入り、敷地内で鍬でブラキアーリアを取り除く作業をしていない場所はなくなった。鍬でブラキアーリアを取り除く作業を2~3度繰り返すと、ブラキアーリアが生えてきにくくなり、そこにグアンドゥ豆を蒔いて、その豆の木が成長すると、ますますブラキアーリアは生えてこなくなり、うちの敷地内のブラキアーリア除去がほぼ完了する。ようやくここまで来たかと感慨無量。手伝いに来てくれるゼーとマリアの夫婦とジョゼのお陰。感謝。感謝。
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2017年6月29日(木) | ||||
前園さんから、楽書倶楽部第38号を8日に発送しましたと、メールをいただいていたのだけれど、先週21日(水)にエドソンが郵便局に行ってくれた際はまだ届いておらず、昨日私が郵便局に行ってみるとようやく届いていた。車で2時間半のサンパウロ市からの郵便だというのに、まるで日本からの郵便のように2週間以上かかる(日本からの場合、もっと時間がかかることもしばしばだけれど)なんて、ここの郵便事情にはやれやれと思う。以下は、この号に掲載された私の文章。
ブラジルに来る前に八年半ほど暮らした東京で、後半の数年間、ある団体の中に語学ボランティアグループがあることを知り参加した。財政的に余裕のないNPOなどの依頼で日本語と英語の翻訳や通訳を無償でするのがそのグループの主たる活動だった。メンバーは子育てを終えた年代の主婦が主で、非常に質の高い翻訳をするグループだったので、とてもいい勉強になった。 ある時、その団体のアジア地域の国際会議があり、来日した参加者の案内などをする要請があった。私は仕事があり、参加しなかったのだけれど、案内ボランティアに参加した人たちが、アジアからの参加者と一緒に、「愛子さまを女性天皇に!イエーッ!」と言ってとても盛り上がったという話を聞いた時は、「何だかなあ・・・」と思った。当時はまだ悠仁さまはお生まれになっておらず、女性宮家の創設や女性天皇容認の可能性が議論されていたので、そのような話しになったようだった。 男女平等という考え方が悪いとは思わない。しかし、愛子さまにも天皇になる権利があるという考え方には違和感を覚えた。そもそも、天皇になることは権利なのだろうか?という素朴な疑問が浮かぶ。天皇陛下には、私たちに認められている人権はない。まず、選挙権や被選挙権はなく、政治的発言のみならず、好きな力士の名前を言うことさえはばかられる。つまり、表現の自由もない。学問の自由も一部制約を受けるだろう。私たちは好きなところに住んで、自分で決めた仕事をすることができるけれど、天皇陛下のお住まいは皇居と決まっていて、京都御所や別の所で暮らしたいと思われても認められないだろう。天皇陛下には憲法で決められた仕事である国事行為に加え、様々なご公務や私たちが目にすることのない宮中祭祀を執り行う責任がある。結婚も、私たちはどんな相手とも自由にできるけれど、天皇陛下は国民を始めとする回りの反対を無視して結婚することはできないだろう。そして、天皇陛下は神道における祭祀の主宰者であるため、神道以外の宗教を信仰することは認められないだろう。つまり、基本的人権や自己決定権などは有しておられないのだ。そのような立場になることが果たして権利なのだろうか? 私は愛子さまを始め、皇室の若い皆様にはお幸せになってほしいと心から願っている。もしも、女性天皇が容認され、愛子さまが将来天皇になることが決まった場合、愛子さまは果たして幸せだろうか?近代に模範となる前例のないお立場になることで、どのように我が身を処したら良いかと苦しまれるのではないだろうか?そして、結婚相手が見つからず、生涯独身ということも危惧される。自分のキャリアを捨てて、将来天皇になる女性と結婚し、裏方に徹することを厭わない、そんな気概や勇気のある男性が日本にいるとは思えないからだ。将来天皇になる方の男性配偶者になるということが何を意味するのか、歴史を遡っても先例がないため、お相手が怖気づいても仕方のないことだと思う。皇太子殿下でさえ配偶者選びは難航したのだし、皇太子殿下と秋篠宮さまの妹君で、秋篠宮さまのご学友の黒田さんと結婚された清子さまでさえ、三十代半ばまで独身だった。それでは困るからと、回りから意に沿わない結婚を強制されることなど、当然のことながらあってはならない。 たとえ結婚相手が見つかったとしても、公務と宮中祭祀を務めながらの出産や育児は負担が重過ぎるのではないかとも思う。女性の体は非常にデリケートで、単に子供を産む機械ではない。年齢的な問題と共に、精神的なストレスから妊娠しなかったり、流産したりすることもあるかもしれない。宮中祭祀に関して私はその内容をよく知らないけれど、漏れ聞くところでは、夜明け前から始まる祭祀や、徹夜で行う祭祀もあるという。肉体的な負担はどれほどかと思う。子育ては乳母や養育係に任せればいいではないかと考える人もいるかもしれないけれど、子供の立場からすれば、実の母親から切り離されて、十分な愛情を受けられずに育つことが、どれほど寂しいことか。だからこそ今上陛下は浩宮さまが誕生された際、乳母を置かず、美智子さまと一緒にお側で育てると決められたのだ。いくら男女平等と言っても、妊娠、出産は女性にしかできないことを忘れてはならない。 近い将来、皇位継承資格者が存在しなくなるかもしれない男系男子の後継者不足という皇位継承問題に対処するために、戦後、皇籍を離脱された十一の旧皇族の方々に、皇室に戻っていただくという案がある。しかし、メディアなどは、七十年近くも前に皇室を離れた人たちを皇族に戻すのは一般の感覚として受け入れられないということをしきりに言う。ならば、歴史上先例のない、民間の男性が将来天皇になる方の配偶者になり、皇族になることは違和感なく受け入れられるのだろうか?旧皇族の方達は皇籍を離れたと言っても皇室の親戚という立場に変わりはなく、皇室の親族が所属する親睦団体「菊栄親睦会」に所属して、現在でも皇室と親しく交流を続けておられるので、皇室と縁もゆかりもない、何も知らない私たち一般人とは違う。 日本の根幹をなす伝統を絶やすまいと本気で考えるなら、女性(あるいは女系)天皇などという、伝統を壊すようなことを考えたり、天皇陛下のご公務の負担を軽減させるために女性宮家の創設が必要というメディアの嘘に騙されることなく、もっと確実に男系男子の後継者を増やす方法を真剣に考えるべきなのではないだろうか。例えば、旧皇族の方々に皇室に戻っていただくことができないのであれば、旧皇族の男子や男系の若いご夫妻を現在ある宮家の養子に迎えたり、女性皇族の結婚相手を旧皇族の男性の中から探すなど、方法はあるのではないだろうか。それらはもちろんご本人の意思が一番尊重されなければならないため、容易なことではないかもしれない。しかし、悠仁さまがおられるからと、このまま不作為を続けたり、メディアや時代の雰囲気に流され間違った方向へと軌道修正するようなことになれば、伝統を絶やすことになると心配でならない。 | ||||
2017年6月30日(金) | ||||
昨年エドソンのお母さんが亡くなったことで、実家の土地の登記を書き換え、公証人役場で直接その書類に署名をしなければならないため、エドソンは今月パラカンビに行く心づもりでいたのだけれど、書類を完成させるには、様々な書類をこちらからも送ったり、こちらの公証人役場であらたに作ってもらったりしなければならない書類もあって、結局、今月パラカンビに行くことはなかった。ブラジルは本当に何でも時間がかかる。 ランドマークの木の足元に、何年も前に、おそらく食べた後、その他の野菜くずと一緒にここに埋めたマラクジャ(パッションフルーツ)が、自然に芽を出し、ここ2~3年つるを伸ばしてきている。去年は2~3個実がなって収穫することができたので喜んでいたのだけれど、今年はさらにたくさん花が咲き、実もたくさんつけたので、果たしてこれが鳥などに食べられることなく、全部収穫できるだろうか?と思いながら、見守っていた。ありがたいことに今年は昨日までに8個の実を収穫することができ、まだもう2個収穫できる見通し。最初に収穫したひとつを、試しにヨーグルトに混ぜて食べてみたところ、とてもおいしくいただくことができ、大満足!次の写真は、台所のテーブル上の果物のかごを撮ったもの。バナナとりんごはスーパーで買ってきたものだけれど、黄緑色のマラクジャと黄色いレモンはうちで収穫したもの。他の果物同様、マラクジャもいつ収穫したらいいかよくわからないのだけれど、ランドマークの木の前は毎日何度も通るので、ランドマークの木の足元にマラクジャが落ちているとすぐ拾うことができ、実が落ちるとすぐ拾うというのを繰り返して収穫している。畑でマラクジャを育てていた時は、実がなっても鳥につつかれてしまい、取っても取ってもつるに虫がたくさんついて困ったけれど、何故かこのランドマークの所にあるマラクジャにはまったく虫がついていないし、鳥も実をつつくことなく、きれいなマラクジャが収穫できている。さあ、このマラクジャで何を作ろうかな?パウンドケーキかな?それともムースかな?
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