Kyoko Yoshida Life in Brazil BLOG 

2017年4月1日(土)

10日ほど前に一番大きなひまわりが咲いたので写真を掲載したけれど、その後中くらいのものと小さいものも花が咲いたので、写真を撮ってみた。本当はもっと何か所もジョゼが種を蒔いてくれたのに、野うさぎに茎を切られず生き残ったのはこの3か所だけなので、ちょっと寂しい。でも、何とか花を咲かせてくれて良かった。これらの花は入り口ゲートのある北東を向いて咲いているので、うちにやってきた人たちを、これらのひまわりがお出迎えする感じになっているので、なかなかいいなと思う。2枚目の写真は、真ん中の中くらいのひまわりをアップで撮ったもの。ここのひまわりは花は小さめだけれど、1本の茎にいくつも花をつけている。

2017年4月2日(日)

うちにやってきた3羽のニワトリは、1羽2羽とニワトリ小屋に戻って来なくなり、最後に残っていた薄茶色の1羽も、1週間ほど前から小屋に戻ってこなくなった。みんなお隣の大型犬にでも追われてどこかに行ってしまったのかと思っていたのだけれど、どうやら3羽とも防風林の並木を登りきったその上の竹林の中(以下写真)で暮らしているらしいということがわかった。エドソンが時々静かに様子を見に行って、3羽とも竹林の中にいるのを何度か確認している。

彼らは私たちが近づくと、静かに物陰に隠れたりするので、なかなか見つけられないのだけれど、ニワトリ小屋の裏に彼らのために水を入れた容器を置いているので、時々そこに水を飲みにきているようで、ジョゼが小屋の裏の辺にいるのを目撃したりもしている。エドソンはニワトリって普通はもっと人間のことが好きで、人が寄って行くと、うれしそうに近づいてきたりするものなのに、どうしてうちのニワトリたちはこちらが近づくと隠れるのかなあ?と不思議がっていた。とにかく、どこかに行ってしまったりせず、うちの庭付近には居るようなので、どうやってニワトリ小屋に戻ってくるようにしたものか?あるいは小屋の回りにフェンスを作ってその中から出られないようにするか?などといろいろ考え始めた。そうしたらこの金曜日にひとりで手伝いに来ていたマリアが、ニワトリの叫び声を聞き、お隣の大型犬が走って行くのを見たと言うので、その方向にエドソンが見に行くと、広い範囲でニワトリの羽が散乱していて、どうも犬に襲われたらしいことがわかった。でも、食べられてしまったわけではなく、翌日の土曜日、つまり昨日のお昼前に、うちの庭の東側で3羽のニワトリたちがいるのをエドソンが確認し、その内の1羽は尻尾がなかったと言っていたので、襲われはしても食べられはしなかったようで良かった。ニワトリたちが小屋に戻って来なくなって1~4週間、ずっと無事だったのに、やはりお隣の去勢されていない大型犬が何匹もうろうろしているようなここの環境では外に出すのは危険なようなので、小屋の回りにフェンスを作ってニワトリの安全を確保しながら、彼らが自由に動き回れるスペースを作るしかないのかなということになった。でも、それを実行するまでには何日もかかる。その間3羽のニワトリは無事でいられるだろうか?

2017年4月3日(月)

次の写真は、畑で採れ始めたフェイジャオン・デ・リマ(リマの豆)という名前のペルー原産の豆。最初の収穫はスーパーの袋に半分くらいだった。右側は少しさやから出したその豆。赤と白の縞々模様がきれいな豆だ。本格的に収穫できるのはこれからだし、ずいぶん長い間収穫できるらしいので、今からとても楽しみ。この豆はお多福豆のような形をしていて、お多福豆よりも少し小ぶりで厚みも薄く、味は金時豆のような感じでとてもおいしい。栄養価もとても高いらしく、血糖値を下げる効果もあるらしい。今回、畑でとても元気に育ったので、次回は、畑ではなく、もっと広い場所で本格的にたくさん育てようとエドソンは言っている。

2017年4月4日(火)

庭の東側に名前は憶えていないけれど、ナッツの一種が採れる木が2本ある。今年もたくさん実を付けているなと思っていたら、その実のいくつかがすでに地面に落ちて、ナッツが地面に転がっていたので、拾い集めて来たのが次の写真。このナッツの皮はちょっと剥きにくいのだけれど、何とか剥いて食べなくては。と、思っていたら、この日曜日にエドソンがまたチキンスープを作ってくれた際、少しこのナッツの皮を剥いて、スープの具材のひとつとして入れて使ってくれた。でも、このナッツは溶けてしまったようで、食べる際、入っていることを確認できなかった。今回はうちで採れたシュシュもキューブ型に切って入れたのだけれど、そちらは形が残っていたので、ナッツの方が柔らかいんだなと思った

次の写真は、庭のその実がなっている木、2本。2枚目は、その木になっている実の一部をアップで撮ったもの。この硬い殻を開けると、中に上の写真のような実がいくつか入っている。

2017年4月5日(水)

日曜日のお昼前に、家の北側の庭で何か作業をしていたエドソンが、ニワトリ小屋の中で物音がするのに気づき、見に行くと、いつから戻っていたのかニワトリが2羽戻って来ているのを発見。金曜日に大型犬に襲われたので怖くなって避難してきたのかもしれない。もう1羽はどこにいるのだろう?と、エドソンが探すと、丘の上の竹林の側の背の高いセドリーニョの上で声がしたので、見上げると、セドリーニョのほぼてっぺんの枝の上にいるのを発見。ニワトリは地面の上で寝るのは危険だと知っているので、夜はおそらく竹林の側のセドリーニョの木の枝の上で過ごしているんだろうと、エドソンは言っていたけれど、その予想通りセドリーニョの木の上にいて、しかもてっぺん近くにいたので、そんな上までよく上がれるなあと、エドソンも驚いていた。次の写真は、月曜日の朝、アメンドインやとうもろこしを与えに行った際、小屋の中に戻ってきている2羽を撮ったもの。手前の濃い茶色のニワトリの向こう側に薄茶色のニワトリが見えるけれど、どうもこの子が犬に襲われたようで、尻尾がほぼなくなっているのが確認できる。この子が一番帰巣本能が強く、他の2羽が小屋に戻ってこなくなっても、この子だけでもしばらく戻ってきていたのに、その子がこんな被害に遭うなんて、かわいそうに・・・。失ったのは羽だけなのか、怪我をしているのかは確認できていないけれど、以後毎日ちゃんとエサを食べて、普通にしているので、怪我はしていないようだなと思っている。

2017年4月6日(木)

以下は、インターネット上で見かけた興味深い記事2本。1本目は、NEWSポストセブン4月3日(月)7:00配信の「韓国の一部若者は発情状態 昼間から街頭で抱き合いキス」という記事。『いまでは韓国の日常的光景となった「反日」や「法より民意という社会」。約40年間、韓国をウオッチし続けてきた産経新聞ソウル駐在客員論説委員の黒田勝弘氏が、民主化によって秩序が崩壊する韓国社会のおかしな事象をレポートする』この記事のサイトは、こちらへ

2本目は、Japan In-depth4月2日(日)17:51配信の「トランプが北朝鮮を攻撃する日」 『【まとめ】 ・トランプ政権、対北朝鮮「予防攻撃」を検討。 ・米、中国に対北朝鮮経済制裁の実施を要求へ。 ・国会は今すぐ朝鮮有事に備えよ』この記事のサイトは、こちらへ

2017年4月7日(金)

今日はクイズです。さて次の2枚の写真はそれぞれ誰の後ろ足でしょう?

正解は、1枚目がはるで、2枚目がひろでした。写真では少しわかりにくいかもしれないけれど、はるの後ろ足はちょっとバレリーナのつま先立ちのような感じできゃしゃな印象があり、ひろの後ろ足は、はるの後ろ足に比べて大きくどっしりと地面を踏んでいる。そして、次の2枚の写真は、それぞれはるのおすまし顔と、ベッドでひっくり返っているひろのいつものひょうきんな顔。はるがこんなに真っ正面からカメラを見つめてくれることはめったにないので、とても珍しい写真が撮れた。

2017年4月8日(土)

ヴィトーのお母さんが長年働いているご近所のファゼンダ・ボア・ヴィスタは、良質な牛の精子を生産しているのだけれど、数年前からチーズ作りも始めている。そのチーズ製造部門で働いているムリロ(Murilo)という人が、英語を勉強したいというので、ヴィトーが私とレッスンをしていることを知っているお母さんの勧めで先週うちにやって来た。それで、彼とは毎週木曜日の夜にレッスンをすることになり、今週からレッスンを始めた。この新しいチーズ製造部門では、はるばるフランスからチーズ職人の人に定期的に来てもらって技術指導をしてもらっていて、その人との意思疎通やマネージャーらも交えた会議は英語らしく、彼ひとりわからない状態を何とかしなければと、英語を勉強する必要に迫られたようだった。このファゼンダで作るチーズは、従業員は何割引かで買えるらしく、これまでヴィトーが2種類のチーズをうちに持ってきてくれたことがあり、食べたのだけれど、どちらもおいしく、本気でいいチーズを作っているんだなということがわかるものだった。サンパウロで開催されたフードフェスタにも出品したりして、高級グルメチーズとして売り出しているようだ。エドソンがインターネットで調べてみると、すでにブラジル国内で生産される高品質チーズのベスト10入りをしているという。通りでおいしいはずだ。ちなみに、ムリロという名前は初めて聞く名前なので、珍しい名前ねとエドソンに言うと、別に珍しい名前ではなくて、普通によくある名前だよと言っていた。ブラジルではこれまで聞いたことのないような名前によく遭遇するけれど、その度に同じ移民国家のアメリカとブラジルだけれど、アングロサクソンの多いアメリカと、ラテンヨーロッパ系の多いブラジルの違いがあるんだなと思ったりしている。次の写真は、木曜日のレッスンが終わった後撮った新しい生徒さんのムリロ。

2017年4月9日(日)

先週、甥っ子の賢志のところに3人目の子供が生まれた。兄夫婦はこれで4人の孫に恵まれたことになる。今月末に91歳になる母にとっては4人目の曾孫誕生となり、とにかくめでたい。早産の危険があり、今年の初めからしばらく入院したりしていたようだけれど、無事に出産することができ、まるちゃんよくがんばりました。ありがとう!これから3人の子育てで、ますます大変だろうけれど、どうかふたりで協力してがんばってね。次の写真は、「川面は一面の霧、桜が満開の広島の朝です」と言って、友人が送ってきてくれたもの。ここの桜はソメイヨシノよりもピンク色が濃いけれど、ソメイヨシノは白っぽくて、まるで水墨画の世界のよう。今、日本は春、こちらは秋。

2017年4月10日(月)

土曜日の朝、朝食後のはるとひろとのお散歩を終え、家事をしていたら、めいとのお散歩に行くのを忘れていたことを思い出して、めいとお散歩に出た。坂道に向かってランドマークの木の前を歩きながら、目を上げて前方の森を見ると、坂道の下の孟宗竹の間から奥で咲くマナカの白とピンクの花が目に飛び込んできた(以下写真)。数日前から咲き始めていたのだろうけれど、その瞬間までまったく気がつかなかったので驚いた。でも、毎年4月になると必ず花を咲かせてくれるので、今年もちゃんといつも通りに咲いてくれたことになる。日本の桜が春を告げる花なら、ブラジルのマナカは秋を告げる花。2枚目の写真は、坂を下りて、入り口ゲートに向かって少し歩いて行き、セドリーニョの並木の間から撮ったマナカ。去年はまだ小さかったグアプルブの木がマナカの手前で大きくなっているので、マナカの下の方は見えない。来年はこのグアプルブの木がさらに成長してマナカを隠してしまうかもしれないなと思った。

2017年4月11日(火)

先週、木曜日と金曜日は雨でぐずつくお天気だった。土曜日にお天気が悪いとジョゼたちは来ないので心配していたら、曇り空ながら雨は降らず、お昼前くらいから太陽が少し顔を出すお天気になり、ジョゼ、ゼー、マリアの3人が来てくれた。それで、エドソンがジョゼに頼んでニワトリのためのスペースを囲む柵を作ってもらった。もっと広いスペースで作るのかと思っていたら、畑の北側の柵を利用して、細長いスペースに木の柱を立てて、ネットを張り巡らして作ってもらっていた。次の写真は、午前中作業をしているジョゼ。2枚目の写真は、お昼前にエドソンがジョゼに手伝ってもらって、畑のところまで移動させたニワトリ小屋。畑側から大きな扉を開いてエサを与えたり、小屋の掃除や卵の回収ができるようにして、ニワトリたちは右側の小さな扉を開け放しておいて、外のスペースに自由に出入りできるようにするというセッティングらしい。お昼の休憩時間にこの写真を撮ったので、まだ完成途上の状態。

土曜日の午後、柵が完成し、エドソンがニワトリ小屋の小さな出入り口を開け放して、自由に出入りできるようにしたのだけれど、結局、彼らが外に出てきたのは日曜日の午後になってからだった。日曜日の午後遅く、ニワトリの声がしたので、エドソンが見に行くと、2羽が小屋から外に出て来ているということだった。それで、カメラを持ってその写真を撮りに行くと、何とここ数日まったく姿を確認できていなかった3羽目のニワトリが畑に来ていて、柵の中の2羽に合流したそうにしていたので、次の写真を撮った。エドソンと私のふたりだけでは捕まえることはできないので、しばらくこのまま様子を見ることにした。以来、夕方になり、柵の中の2羽が小屋に戻ると、この外にいるニワトリもどこかの木のねぐらの上に移動するのかいなくなり、朝食前にめいをシュハスコ小屋に迎えに行くと、ニワトリ小屋の2羽が小屋から出てきていて、外の1羽も畑に来ているというのを繰り返している。次の写真は、柵の中の2羽(左側)と、柵の外、畑の中の1羽(右側)。この1羽はニワトリ小屋にはずっと戻ってこなかったのに、このスペースができた途端に戻ってきたくなったのだろうか?

2017年4月12日(水)

この週末、夕飯に今年初めての水炊き鍋を作った。寒かったわけではないのだけれど、水炊きを作るための材料が揃っていたし、久しぶりに食べたくなったから。私の母は鍋と言えば、必ず水炊き鍋を作っていたので、他にいろいろな鍋があることは知っているし、食べたこともあるのだけれど、鍋と言うと、私はどうしても水炊きをポン酢で食べたくなる。次の写真は、作っている途中のその水炊き鍋。右側の鍋にこんぶ、大根、人参、鶏肉、白菜が入っていて、超弱火でコトコト煮ているところ。左側手前のお皿には豆腐、生しいたけ、ネギでが乗っていて、向こう側の緑はルッコラ。鍋の鶏肉や野菜に火が通ったら、左側の具材を入れてさらに煮る手はずだ。2人だけの食卓にはちょっと多過ぎる量だけれど、いつも翌日のお昼にも食べるし、それでもまだ残っていれば、別の日にお水とお味噌を加えて、具沢山のみそ汁として食べるのを常としている。水炊き鍋を作るとたくさん野菜が食べられるので、体が喜ぶような気がする。

2017年4月13日(木)

先日、花が咲いていることに気づいたマナカの木はお散歩道から見える大きな木で、うちの敷地内にあるマナカの木の中で一番大きい。高さが10メートル近くあるのではないかと思う。森の中や森の手前にも数本これよりも小さめのマナカの木が数本あるのだけれど、それらは側まで行かないと見えない場所にあるので、その内の1本の側まで行って、次の花の写真を撮った。どうして1本の木にピンクと白の2色の花が咲くのかなあ・・・?5枚の花びらがまるで桜の花を拡大したように見えなくもない。

次の写真は、家の東側の庭で咲いているネムの花。このネムの花、ハイビスカスのように時期によって花の数の多い少ないはあっても、何だか1年中咲いているような気がする。赤い色にもいろいろな色合いがあるけれど、ネムの花のこの赤はとてもきれいだなと思う。

2017年4月14日(金)

今日は、ブラジルではパイシャオン(Paixao=日本語で聖金曜日、英語でGood Friday)で、祝日。日曜日がイースターで三連休のお休みになる。この水曜日にジョアオンが英語のレッスンに来た際、「金曜日は午前中に教会に行かないといけないからレッスンはお休みするね」と言うので、「ああ、パスコア(イースター)か」とようやく気づく始末。クリスマスや年末年始以外のブラジルの休日、特に宗教的な休日は、私たちの日々の生活にほとんど関係がないので、すっぽり私の頭から抜け落ちている。

上の写真は、お豆腐とアボカドの冷や奴。エドソンも私もアボカドが好きで、夕食の際、単にアボカドにお醤油をかけて食べることも少なくない。いつだったか、冷や奴としてお豆腐を食べる際、アボカドをお豆腐と同じくらいの大きさに切って、その時たまたまあった刻みのりを乗せてポン酢をかけて食べてみるととてもおいしかったので、エドソンもすっかり気に入って、以後、お豆腐とアボカドの両方がある時はお豆腐とアボカドの冷や奴を作るようになった。でも、ここで買えるのりは大判ののりで、すぐに湿気ってしまうのでもったいなくて買えないため、刻みのりの代わりにねぎを乗せてポン酢をかけて食べている。アボカドが手に入らない時は、オクラと梅干しを刻んで乗せてみたりしたこともあったけれど、エドソンが塩の接収を減らすことにして以来、梅干しは食べなくなり、冷や奴と言えば、単にお豆腐だけか、この写真のアボカドを混ぜたものに限定されるようになった。

2017年4月15日(土)

昨日のお昼前、エドソンがニワトリたちの様子を見に行くと、柵で囲ったニワトリ小屋の横に、ジョゼが置いてくれていたカゴの罠の中に3羽目のニワトリが入っているのを見つけ、カゴからそのニワトリを出して柵の中に入れることができたので、これでようやく3羽みんなをニワトリ小屋に戻すことができ、ほっとした。このカゴの罠は、以前、ゼーが野うさぎを捕まえようとして、グアンドゥー豆の木の林の中に仕掛けていたものなのだけれど、野うさぎはまったくかからず、そのまま放っておかれたものだった。でも、ジョゼがニワトリ確保に使えるかもと言って、小屋の横に置いてくれたのが功を奏した結果になった。感謝。感謝。次の写真は、昨日のお昼過ぎに柵の中の3羽を撮ったもの。一番左側の1羽がずっと家出をしていたニワトリで、まだこのスペースに慣れていないのと、私たちが側に居ると怖いらしくソワソワと動き回っていた。このスペースで暮らし始めて1週間近くなる他の2羽は、この環境にだいぶ慣れてきたようで、私たちが側に行っても、あまり怖がる様子はないので、家出していたニワトリはすぐわかる。

2017年4月16日(日)

1週間ほど前、レモンが収穫できたと言って、エドソンがライムを2つ持って帰ってきてくれた。ブラジルでは緑色のライムのことをリマオン、つまりレモンと言い、私たちが日本でレモンと呼ぶ黄色いものをリマオン・シシリアーノと言うので紛らわしい。そして、エドソンが毎日のように台所に来ては果物カゴの中のそのライムを手にとり、「レモンパイが食べたいなあ・・・」とつぶやくものだから、パスコア(イースター)の連休でもあり、ジョアオンのレッスンがキャンセルになって時間もたっぶりあったので、金曜日の午前中、そのライムでレモンパイを作った。次の写真が、その出来上がったレモンパイ。メレンゲの角の立て方って結構難しいなあと、初めてやってみてわかった。

そして、金曜日の夕飯の希望をエドソンに聞くと、先日ボトゥカトゥのスーパーで買ったブルーチーズとパスタが食べたいというので、ブルーチーズのクリームペンネ(以下写真)を作ってみた。これも初めて作ったのだけれど、思いのほかおいしくできて、エドソンにも好評だったので満足、満足。緑色のものはルッコラ。

2017年4月17日(月)

4月15日は北朝鮮では金日成の生誕105年を祝う記念式典があるため、それに合わせて北が核実験をする可能性がある。その場合、どのような実験が行われたかの分析結果次第で、アメリカが北朝鮮を攻撃する可能性が高いと言われていた。でも、北が行ったのは核実験でもICBM発射でもなく、これまでに何度もしている中距離弾道ミサイルの発射で、しかも失敗に終わったため、アメリカの攻撃ということにはならなかった。でも、北は今後も核実験やミサイルの開発は止めないだろうから、アメリカの攻撃の可能性が消えてなくなったわけではない。北から日本へミサイルが飛んできたら、平和主義の人たちは一体どうするのだろう?以下は、インターネット上で見かけた「アゴラ」4/16(日)17:16配信の記事。

平和主義で平和は守れるの? --- 池田 信夫

朝鮮半島が危ない情勢になってきました。きょう北朝鮮の軍事パレードがあり、核実験をするともいわれています。本当にやったら、アメリカが挑発とみなして緊張が高まるでしょう。どっちにしても金正恩委員長の考えることは普通ではないので、いつ日本にミサイルが飛んできても不思議ではありません。

でも安保法制のとき「戦争はやめろ」とデモしたガラパゴス憲法学者のみなさんは、今回はおとなしいですね。今こそ北朝鮮に行って、金正恩に「憲法第9条があるんだから戦争をやめろ」と説得したらどうでしょうか?

平和主義は英語ではpacifismといいますが、日本語とは違って攻撃されても抵抗しない思想で、大きくわけて次のような考え方があります。

1. 攻撃してきたら降伏する:軍備をもたないで、ミサイルが飛んできても反撃しないで降伏する。それ以上は相手も攻撃しないので、犠牲は少なくてすむだろう。

2. 仲よくしたら戦争は起こらない:日本が敵意をもつと向こうは攻撃してくるが、憲法で「戦争しないで仲よくする」と書いておけば、北朝鮮は攻めてこないだろう。

3. 他国の戦争に巻き込まれない:アメリカの戦争は、ベトナム戦争やイラク戦争など失敗が多い。これに日本がつきあわないように「集団的自衛権」を使えないようにして、戦争はアメリカにやってもらおう。

1のような「一方的非武装主義」は宗教的な信念で、日本にはほとんどありません。シールズの学生などには2が多いと思いますが、これは「戦争は起こらないだろう」と信じているだけで、起こったらどうするのかという問題への答にはなっていません。友達づきあいで仲よくすることは大事ですが、北朝鮮が友達になってくれるとは限りません。

憲法学者や朝日新聞は3で、アメリカの軍事力にただ乗りしようというものです。これ自体は合理的な考え方で、たとえば電車賃を払わないで電車に乗れるなら乗ったほうが得です。でもみんながただ乗りしたら、電車のコストがまかなえなくなります。

日米のような二国間でただ乗りすると、アメリカがいざというとき守ってくれるかどうかはわかりません。日本は1972年に「集団的自衛権はいやだ」と閣議決定して米軍を守らないと決めましたが、アメリカはこれに不満なので、ずっと日本に「東アジア防衛の責任分担」を求めてきました。

そこで安倍首相は2014年に閣議決定を変えて、集団的自衛権を条件つきで認めることにしました。これは野党も最初は了解していたのですが、憲法審査会で自民党の呼んだ長谷部恭男さんが「安保法制は憲法違反だ」といったので、大騒ぎになりました。

それは当然です。憲法では「戦力」を認めていないのだから、自衛隊も米軍基地も憲法に違反していることは明らかです。だったらどっちもやめよう――ということにはならないで、「個別的自衛権」ならいいというのが憲法学者の奇妙な意見です。個別に自衛する戦争は戦争ではないのでしょうか?

もちろん戦争はよくないことですが、「よくないからやめよう」といっても、やめるとは限らない。日本国憲法は国内法なので、北朝鮮がそれに従うことはありません。法律に従わないと警察に引っ張られますが、国際的な警察はないので、世界中の国が従う法律はありません。平和主義も憲法第9条も理想としては美しいが、平和を守ることはできないのです。

2017年4月18日(火)

今月から新しくレッスンに来るようになったムリロが、ヴィトーのお母さんに頼まれたと言って、2種類のチーズを持ってきてくれた。彼らが働くファゼンダは、ファゼンダ・ボア・ヴィスタという名前なのだけれど、このチーズを作っている部門の会社名はパーディーニョ・アーテザナル(Pardinho Artesanal)と言う。アーテザナルというのは職人の~とか手仕事の~とかいう意味。つまり職人が手作りしている高品質のチーズというのを売りにしている名前なのだろうと思う。この2種類のチーズは、写真の右側が青カビのチーズ(ブルーチーズ)で、左側はこれまでいただいて食べたものとはまた違う、作るのが難しいチーズということだった。さてどんな味なのだろう?楽しみだなあ。

先日咲き始めていることに気づいたマナカの花が、この週末ほぼ満開になったので、また写真を撮ってみた。マナカの手前のグアプルブの木だけでなく、マナカのすぐ側に生えている木があるので、緑色の葉が花を隠している部分もあるけれど、マナカの木全体に花が咲いている。森の緑の中に、このピンクの色が一際目立っていて、とてもきれい。

2017年4月19日(水)

次の写真は、先日の夜、寝る前のオシッコに行った後で、寝室のベッドに入ったはるとひろ。ベッドに入るやいなやふたりともひっくり返ってあられもない恰好で寝転がっているので、その写真を撮ろうとカメラを取りに行って戻ってくると、ひろは起き上がって、相変わらずひっくり返っているはるを見つめていた。ふたりはどんなコミュニケーションをしているのだろう?

はるは両前足を顔のところにあてて、「あら恥ずかしい」とでも言っているのだろうか?

次の写真は、寝る態勢になったひろが、横になって大あくびをしている瞬間。はる、ちょっと太ったのかな?お腹がふくらんでいるように見えるのだけれど・・・。

2017年4月20日(木)

次の写真は、入り口ゲートに向かう道沿いのエリアに植えているワイルドベリーの木。この木の右隣りの植物も、大きなつぶの実のなるベリーなのだけれど、葉切りアリの襲撃に遭い、裸になってしまっている。この左側のワイルドベリーに時期があるのかどうか知らないけれど、時々、この写真のように白い花をたくさん咲かせて、しばらくすると赤い実がなっていたりする。花はたくさん咲くのだけれど、その花が全部実を結ぶわけではないようで、これまで何度か実が採れたことがあるけれど、いつも2個とか3個だけ。

次の写真は、先日上のワイルドベリーの木から収穫したベリー。こんな風にちょっとまとまって収穫できたのは初めて。と言っても、ひとつぶがこんなに小さく量もわずか。でも、せっかくの恵みなので、翌日の朝食の時に、スライスしたバナナとブルーベリーを混ぜたものに乗せていただいた。

2017年4月21日(金)

次の写真は、昨日掲載したワイルドベリーの木同様、入り口ゲートに向かう道沿いのエリアにあるミニトマトの木。でもこれは私たちが意図的に種を蒔いて育てたものではなく、台所から出た野菜くずをすいぶん前に埋めたところから自然に生えてきたもの。今たくさん実をつけている。

でも、実が赤くなる前に虫にかじられたり、卵を産みつけられてしまうので、苦肉の策として、まだうっすら黄色くなるかならないかの段階で収穫して、次の写真のように台所の流しの窓のところに並べて赤くなるのを待っているところ。まったく色づいていないものを収穫してきても、何日かここにこうして置いておくと、左側の実のようにだんだん赤く色づいてくる。本当は赤く色づいたものを収穫した方がおいしいのだろうと思うけれど、虫にかじられてはもともこもないので、はるたちとのお散歩の際に毎日チェックして、虫と競争するように収穫している。

2017年4月22日(土)

おそらく日本ではまったく報道されることのないだろうブラジルのニュースを2つ。以下は、4月20日付けのニッケイ新聞から転載した、ベネズエラからブラジルへの難民流入に関する記事と、ブラジルの現政権の施策が気に入らないからと、ブラジル訪問を拒否したローマ法王に関する記事。ローマ法王が批判すべきは、ルーラやジウマのおかげでガタガタになった国内を何とか立て直そうと努力している現在のブラジル政権ではなく、難民を作り出しているベネズエラの独裁政権の方なのではないだろうか?何だかおかしい。そして、共産主義は宗教を否定しているのに、ブラジルのカトリック教会は、ルーラやジウマの共産主義の労働者党を支持している。何故だろう?

ロライマ州へのベネズエラ人流入止まらず=今も4千人が難民申請待つ列に

『国際的な人権保護団体のヒューマン・ライツ・ウォッチング(HRW)が18日、14年以降、ブラジルに来たベネズエラ人は1万2千人を超え、ロライマ州では4千人が難民申請枠ができるのを待っていると発表したと同日付G1サイトが報じた。

ロライマ州は同国人が最初にブラジル定住の機会を探す場所で、難民申請するために何カ月も待っているベネズエラ人が4千人以上いる。

連邦警察は今年3月、ベネズエラ人の難民申請は、14年の9件以降、15年230件、16年2230件と急増していると発表した。申請増加はマドゥーロ政権下での経済情勢悪化と動きを一にしている。連警は既に、10月までに4千人の難民申請者と面談する予定を組んだが、ほぼ全員がベネズエラ人だ。ただ、16年に出された申請2230件中、申請書検討は5件だけで、全てがお蔵入りした。

だが、同州の連警前には早朝から申請枠が開くのを待つ人の列が常にあり、約70人の外国人の98%は同国人だ。

3歳の娘を連れた21歳の女性は、4カ月前ロライマ州に来た。車の修理工として働いている夫の呼び寄せで来ており、食料や医薬品さえ不足、仕事もないという母国の窮状が落ち着くまでブラジルにいたいという。理容師を辞め、15日前にブラジルに来た母親(48)は「仕事は見つかった。近い内に労働手帳を申請する。母国に帰るのは全てが正常化してから」という。

同じ列にいた33歳の男性は、半年前まで石油関係の会社で働いていたが、給料遅配で「こんな国では生きていけない」と言ったら、即刻解雇された。「母国では政府の悪口は禁物だが、現政権は全てを滅茶苦茶にした」と言う男性は、2台あった車を1台売って旅費を作り、ブラジルに来たという。今後は家族を呼び寄せ、状況改善を待つ意向だ。

同州内のベネズエラ人の中には医者にかかるためだけに来た人もおり、同国の窮状が窺われる。同州政府は、ベネズエラ人のために仮の収容施設を整えると共に、同国先住民のワラオ族をブラジル側のワラオ族の集落で受け入れる事も検討し始めている。』

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フランシスコ・ローマ法王法王がブラジル訪問を拒否=政府の社会保障制度改革に反対し

『フランシスコ・ローマ法王が、テメル大統領からのブラジル招待を断っていたことが明らかとなった。19日付現地紙が報じている。

テメル大統領がフランシスコ法王にブラジル訪問の招待を提出したのは昨年末だ。今年は聖女アパレシーダ像にまつわる最初の奇跡から300周年にあたるため、アパレシーダの祝日でもある10月12日の再訪問をと望んでいたが、法王は断った。

法王が出した声明によると、ブラジル訪問拒否の理由はテメル政権が進めている、「苦い薬」とも称される社会保障制度改革を始めとした政策を「表面的なもの」として反対しているためだ。

法王は「現在、ブラジルが迎えている危機は社会・経済・政治が絡んだ複雑なもので、現在、政府が打ち出しているような、その場しのぎ的な対策では解決出来ない」と言及。とりわけ、最も貧しい人たちがその代価を払わされていることを問題視している。

ブラジル全国司教会議(CNBB)も3月に、テメル政権が行おうとしている社会保障制度改革に異を唱える声明を出していた。

フランシスコ法王は2013年にリオで開かれたカトリック青年大会でブラジルを訪問した際、「2017年に戻って来るから、祈っていて欲しい」と発言していた。』

2017年4月23日(日)

今月上旬採ってきたナッツの皮を剥く作業が、ちょっとおっくうで、なかなか手をつけることができなかったのだけれど、先日ようやく意を決して皮を剥いて、エアー・フライアーでローストしてみた。エアー・フライアーだとオーブンやオーブントースターでローストするよりも短時間で、しかもいい感じに出来上がったので、感謝。感謝。エドソンにこのナッツの名前を再度聞いたところ、カスターニャ・ド・マラニョンと言うと教えてくれた。つまりマラニョン州で採れるナッツということのようだ。でもマラニョン州以外では、インディオの言葉でモングバと呼ばれているということだった。昔からインディオが食べていた中南米原産のナッツなのだそうだ。ローストしたナッツはとてもおいしく、この恵みに感謝しながらワインのお供としていただいた。

次の写真は、広島の友人が自宅マンションで育てているミニトマト。去年寒くなり始める頃、枯れつつあったトマトの上のほうの枝を10センチくらい切って、プランターに挿していたら根付き、そのうち実をつけ始めたのだそう。以後、適当に伸びた枝を切っては挿し木にしているということだった。これまで種や苗を買ってはプランターで栽培していたけれど、今回の挿し木の方が何だかしっかりしてるので、驚いているという。うちでもハイビスカスなどは、枝を切って土に挿し木することで増やしているのだけれど、トマトも同じようにできるということは知らなかった。それにしても彼女のトマトは、うちのトマトよりもずっとしっかりときれいに赤く色づいていておいしそう。

2017年4月24日(月)

以下は、ニッケイ新聞4月21日付け、「コラム 樹海」からの転載。ブラジル社会は、日本と比べてとにかく倫理観に乏しく、ビジネスにはブラジルコストと呼ばれる政治家への付け届けというか、賄賂が欠かせない。政治家や役人の汚職は目に余るものがある。でも、これは社会全体がそれを許しているという現実があるのだから根は深い。政治は社会全体を写す鏡で、政治家のレベルはその人たちを選ぶ国民のレベルと比例していると言われるけれど、ブラジルはまさにそれを体現しているのだと思う。さて、日本はどうだろうか?ブラジルほどではなくても、やはり政治家のレベルは国民のレベルに比例しているようで、あまり自慢できそうにないなあ。

《ブラジル》汚職文化は政治家だけか?

『改心した悪党が真情を吐露した言葉には、妙な説得力がある――。オデブレヒト社(以下O社)のエミリオ前社長が怒涛の暴露をする司法取引証言の映像を見ながら、メンサロンを最初に内部告発したPTB党首ロベルト・ジェフェルソン氏に近いものを感じた▼前々回の樹海コラムで、エミリオ氏の「政治家の汚職は一種の『制度』だ。30年前から同じことをやってきた」との証言を紹介したが、実はその続きがある。彼いわく「だいだいマスコミもおかしい。奴らはこの仕組みを昔から知っていた。なぜ今になって大騒ぎをしているのか。問題だと告発するなら、どうして10年前、15年、20年前に騒がなかったのか。この仕組みは30年に作られたのだ」というもの▼コラム子が知る限り、グローボ局などのニュースでは、この部分は削除されている。彼は「どうして俺たちばかりを告発するんだ。マスコミだって同罪だろ。ヤツらばかり良いカッコしやがって」といわんばかりだ。ラヴァ・ジャット作戦で「悪の権化」のように扱われているO社にしてみれば、他も巻き込みたくなる▼マスコミが扱わない、もう一つの側面がある。政治家が受け取った賄賂が、なにに使われているかだ。もちろん豪遊や超高級車、宝石、豪邸、別荘などの購入など個人的な使い道の部分は報道されている。だが一番の使途は、実は「選挙資金」だ。それがどう使われているかが明らかではない▼過去の選挙期間中、地方の政治家や補佐官らと話す機会が幾度もあった。彼らは口をそろえて「いくらお金があっても足りない」とぼやいていた。聖市ではムリだが、田舎ではけっこう本音を教えてくれる。「何に使うの?」と興味津々で某市議に聞いたら、「選挙期間中になると近所の住民が電話代、水道代、インターネット代とかの支払伝票を2、3カ月もためて、俺の家に持ってきて目の前でヒラヒラするんだ。払ったら票を入れてやるってね」と言われ、開いた口がふさがらなかった▼別の地方の市スポーツ局長の日系妻は「選挙期間中は毎朝、近所の住民が電気代とかの銀行振り込み票をもって、うちの前に列を作っているのよ。毎朝よ。当選するには、それに従わないと仕方ないの。それが良いことじゃないと政治家も分かっているわよ。でも、政治家がそれを批判するのは『当選したくありません』と言っているのと同じ」と嘆いた▼それを聞いて「そういう選挙民が、ああいう政治家を選んでいるのだ」と確信した。有権者は「政治家に払ってもらってもうけた」と思っているが、そのお金は自分が払った税金から周り巡っていることを理解できていない。そんな層がたくさんいるから「汚職は文化」なのだ。政治家だけの問題ではない▼14日にあのチリリッカが公開声明文を発表した。サーカスのピエロとして有名になり、有権者からの「どうせ議会は道化モノの集まりだ」という抗議票を一身に受け、2010年選挙最多の134万票を得て当選した連邦下議だ。他の議員から大得票を羨ましがられ、「半文盲」とイジメられた。この手紙は、無名のサーカス団時代の実話だ。41人もの団員がいるのに、1日の入場料収入が32レアルしかなかった。その時、仲間の一人が病気で薬代に50レアルかかるので、全額を彼に与え、さらに薬局に掛け合って足りない分を後払いにしたという美談だ▼それに比べて政界はヒドイと憤慨し「金の亡者ばかり。右翼、左翼の問題じゃない。O社のリストの政治は両側に泥棒がいると証明した。来年の選挙では大掃除をすべき」と実に真っ当なことを書いている。本物のサーカスのピエロが超真面目に見えることで、連邦議会全体の不真面目さ、道化振りが引き立つ。このために彼は当選したのだ―と感じ入った。彼のような庶民層が汚職に怒り心頭という現実からは、来年の選挙では北東伯に大変化が起きる可能性、希望を感じた。(深)』

2017年4月25日(火)

これまで土曜日の午前中、うちに英語のレッスンに来ていたヴィトーは、毎日仕事をしながら毎週月曜日に隣町のボトゥカトゥの学校に通っていた。そのクラスが終わり、先月からは別のクラスをバウルの学校で土曜日に受講することになり、うちでのレッスンを土曜日から月曜日の夜に変更した。でも、せっかく始まったそのクラスは、もともと受講生の数が少ないところを無理して始めたのに、数人の受講生が早々にドロップアウトしたため、結局、学校側がクラスをキャンセルしてしまい、土曜日はフリーになったと言う。そして、同じ内容のクラスがソロカバの学校で火曜日と木曜日の夜行われているということで、そちらの方に行くようになった。ソロカバはバウルよりも遠いので通うのが大変だと思うけれど、よくがんばるなあと感心してしまう。そんな忙しいヴィトーなのだけれど、エドソンが時間のある時に、うちのアマチュア無線アンテナの修理を手伝ってもらえないかと頼んだら、快く引き受けてくれ、この土曜日のお昼前に来てくれた。次の写真は、命綱の安全ベルトを体に装着してアンテナタワーに上り、作業をしているヴィトー。先月エドソンが自分でしようとして、タワーに上がったのだけれど、年のせいか体調のせいか、タワーに上がるとめまいがして、作業どころではなかったため、無理をして事故ってしまう前に、若いヴィトーに頼むことにしたようだった。手伝ってくれてありがとうヴィトー。大助りで、感謝、感謝です。

2017年4月26日(水)

次の写真は、フランボヤンジーニョの花。中央にきぬさやのような形と大きさの緑色のものがいくつか見えるけれど、これらは最初に咲き始めた花が終わった後に出てきたもの。おそらく種なんだろうと思う。

外ベランダ横のバラの花壇に朝顔がたくさん咲いている写真を以前掲載したけれど、涼しくなった今も紫の朝顔はたくさん咲いている。この紫の朝顔はとても元気で、種が花壇の前の芝生に自然に落ちて、そこからたくさん芽が出てきていると思っていたら、先日、その芽のひとつに花がひとつ咲いていたので、次の写真を撮った。

2017年4月27日(木)

先週の土曜日に、仕事に来てくれたゼーとマリアがまだ残っていた大量のとうもろこしを収穫してくれた。基本的に少し私たちのために採っておいてくれれば、後はすべて彼らが自由に販売して収入の足しにしていいということで始めたとうもろこし栽培。新鮮なものは食用として少し販売したり、立ち枯れした後に収穫した今回のものは、家畜の餌として販売するらしい。今週は月、火、水と3日も、手伝いに来てくれたマリアに、私たちのために採っておいてもらったとうもろこしの皮をはいで、実を軸からはずして、保管するための作業をしてもらった。とうもろこしを軸からはずす作業は、何個かやっただけでも少し手が痛くなるので、たくさんするのは大変なのだけれど、これはニワトリの餌として必要なので、とても助かる。次の写真は、家の南側で、皮をはいだとうもろこしを広げて陽に当てている側で、軸から実を取るための作業をしているマリアの後ろ姿を火曜日の朝撮ったもの。

2017年4月28日(金)

次の写真は、マラクジャ(パッションフルーツ)の実。先月ランドマークの木の足元で咲いていたマラクジャ(パッションフルーツ)の花の写真と一緒に、ひとつだけなっていた緑色の実の写真を掲載したけれど、その実がある日姿を消していたので、どうしたのだろうと回りを探すと、少し黄色くなった実が地面に落ちていた。それで拾って家に持って帰ってこの写真を撮った。こんな風にきれいに黄色く色づくまで実が無事なことなんて滅多にないので、何ともうれしい。2枚目の写真は、実を半分に切って、中が見えるようにしたもの。実を切ると、マラクジャのとてもいい香りが台所に広がった。この実の中のつぶつぶぬるぬるした部分を、ジュースやケーキやフルーツサラダに混ぜて使うのだけれど、ひとつだけで量が少ないので、昨日の朝食でバナナをスライスした上に乗せておいしくいただいた。自然の恵みに感謝。

2017年4月29日(土)

去年の8月に、とてもきれいだからと言ってエドソンが買ったサツキの鉢植えは、何ヶ月も花が咲きつづけ、ダイニングテーブルの上で長い間私たちの目を楽しませてくれた。花が終わった後、テーブルの上から南側の窓辺に移動させて、他の植物同様、毎日少しずつ水をやっていた。そうしたら、今月中旬頃つぼみが出てきているのに気づいた。そして、毎日つぼみがいつ開くかと注目していたら、この木曜日の朝、とうとうつぼみのひとつが開いていたので、次の写真を撮った。ピンクの色合いがとてもきれい。うちのダイニングルームは1日に2回、朝の日差しと夕方の日差しが当たって、日中の強い日差しは当たらないからなのか、ランや他の花も1回で終わってしまわず、毎年花を咲かせてくれる。うれしいなあ。

2017年4月30日(日)

今日、30日に楽書倶楽部の7周年記念の親睦会が開催されるため、前々から準備をして、29日から1泊2日でサンパウロに出かけて行った。でも、金曜日と土曜日に全国で組合(つまり労働者党)主導の交通機関のストが行われるというニュースが火曜日にあり、どのくらいの規模で行われるのか、本当に2日間行われるのかどうかぎりぎりまでわからなかったので、寄りによってこんな大事な時にと、胃の痛い思いをした。幸い、このストはゼネストと銘打っていた割には不発に終わったようで、サンパウロの場合は、市内の地下鉄やバスが金曜日に少し止まった程度で、市外の長距離バスは平常通り運行していたので、金曜日にバスのチケットを確保することができ助かった。金曜日にはるとひろをヴィラ・シーコに預けて、土曜日の朝からゼーとマリアに来てもらい留守番を頼み、いつもの朝の便のバスで出発した。いつものことながら、バスが30分ほど遅れたため、サンパウロのバハ・フンダに到着したのは午後1時を少し回っていたけれど、帰りのバスチケットを購入して、簡単なお昼を食べて、サンタ・クルースの地下鉄駅の近くの日系美容院で毎週土曜日にマッサージの仕事をされている鎌谷さんのところに伺った。エドソンの体の状態を診て、マッサージをしてもらい、時間があれば、私もということで、ふたりともすっかりお世話になった。エドソンにはマッサージの他に、特に悪いところにお灸と針をしていただいた。私も右肩に問題を抱えていたので、右側の背中に針をしてくださり、首の歪みも矯正してくださった。出発までは緊張状態だったので、ずいぶん疲れていたのだけれど、鎌谷さんのお陰で体が軽くなり、元気に乗りきることができた。エドソンも親睦会の間、長時間座りっぱなしで、帰りのバスでも長時間座っていたのに、脚の痛みがひどくならず、我慢できたのは鎌谷さんのお陰で、日曜日の夜帰宅してから、鎌谷さんのしてくださった治療の効果を実感することになった。次の写真は、治療中の鎌谷さんとエドソン。



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