Kyoko Yoshida | Life in Brazil | BLOG |
2017年3月1日(水) | ||||
うちの入り口ゲートの西側の、お隣のコーヒー農園との境の柵沿いにある結構大きな木に、現在白い花が咲いている。この木は私たちがここに来る以前からあったのだけれど、この木がこんな風に白い花を咲かせているのを見た記憶はこれまでなく、初めてのような気がする。緑の中に咲く白い花なので、派手さはないけれど、つつましやかに咲いている感じが何ともいい。2枚目の写真は、カメラをズームして、この白い花をアップで撮ったもの。遠くがけから見て想像していた花とはまったく違い、花というよりも綿毛のようなものなので、驚いた。
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2017年3月2日(木) | ||||
2月25日付けのニッケイ新聞に「実際は暗い国ブラジル?=不安障害や鬱病の多さは世界有数」という以下の記事があった。不安障害と鬱病に関するWHOの調査で、ブラジルの患者数が少なくないという結果らしい。私のブラジルでの限られた狭い世界で感じることとしては、男性はよくわからないけれど、女性は精神的に不安定な人が少なくないという印象を持っているのだけれど、この調査結果を見ると、私の印象はそれほど的はずれでもないということなのかな?と、思った。 『ブラジルではこの週末、世界的にも有名なリオ・デ・ジャネイロ市でのパレードなど、全国各地でカーニバルのイベントが佳境に入る。「陽気な国ブラジル」のイメージを国際的に植えつけるカーニバルだが、実はブラジルがそれほど明るい国ではないことを裏付けるデータが入ってきた。 国連の世界保健機構(WHO)が、全世界を対象に行った、不安障害と鬱病に関する調査の結果を発表したのだ。 それによると、地域別に見た場合、不安障害を抱えている人が最も多いのは北・中・南を含めたアメリカで、男性が人口の4%弱、女性に至っては7%後半に至っている。 どこの地域も女性の患者の割合が男性より2~3%ほど高いが、アメリカに次いで高いのが中東で、すぐ下にヨーロッパ、少し差があってアフリカ、東南アジア、オセアニアと続いている。 米州諸国を国別で見た場合、ブラジルの患者数はトップの9・3%で、2位のパラグアイの7・6%ともかなりの差がついている。それ以外の国では、チリの6・5%など、6%台前半だった。 鬱病の患者は世界人口の4・4%にあたる3億2200万人に及び、2005年~2015年の10年間で18・4%増えた。 地域別に見ると、アメリカとアフリカの女性が共に6%弱と高い。それ以外の地域でも女性の割合が男性を上回り、オセアニアが4%強である以外は、5%強に至った。 男性に関しては、5%弱のアフリカが1位。あとはオセアニアが3%弱と低い以外は、どこも4%弱だった。 米州諸国で見た場合、ブラジルの鬱病患者は、アメリカ合衆国の5・9%に次ぐ5・8%(1150万人)だった。ブラジルは世界全体で見ても、6・7%のウクライナ、同率2位のアメリカ合衆国、エストニア、オーストラリアに次いで5位だ。 このような結果になった理由を24日付エスタード紙は、「失業や生活環境、大都市に住むプレッシャー、社会生活への適応などに悩んでいるからではないか」と分析している。 また、社会一般的な傾向として、ブラジル人が自分たちの国のことを誇らしげに語ることはかなり少ない。その傾向は2000年代後半のバブル期の頃でも同様で、「GDPが高くても社会が未成熟」などとして、世間の実感も決して高いものではなかった。 現在は長引くリセッションに加え、ラヴァ・ジャット作戦に代表される政治腐敗のイメージも重なり、マスコミや世論でも、ネガティヴで自嘲的でさえある物いいの傾向が更に強まっている。 この点に関していえば、自分たちの国の美点を放送や出版レベルで持ち上げる傾向があるといわれる日本とはかなり異なる状況にあると言えそうだ。(24日付エスタード紙などより)』 | ||||
2017年3月3日(金) | ||||
水曜日の夜、久しぶりにペトロポリスの安見さんからメールをいただいた。「12月は日系協会やPilates教室の仲間との忘年会。年末年始は例年の友人グループで(サンパウロ州の)カンポス・ド・ジョルダン旅行。1月は、いろいろの新年会参加。ピースボート乗船者との懇親会参加。2月は、今年のBUNKA-SAIの計画作業を市役所と開始。リオ総領事送別会参加」と、相変わらずエネルギッシュに元気に動き回っておられる。でも、最近、知人関係で、認知症の話が出るたびに他人事ではない、自分にも起こりうると考えると心配になられたそうで、「予防方法は頭を使うことと分かっていても、近頃はあまり頭を使った生活習慣ではなくなっているし、読書の習慣が少ないので、それなら文章を書こう」と考えられ、昨年3月から「写真付き随筆」としてテーマごとにA4一枚に文章と関連写真を入れて作ることを開始されたと言う。先月までの1年間に265テーマで書くことを目標として、それを達成されたというからその実行力はすごい。これからは、月20テーマ書くことを目標にされるそうだ。「自分で行動したことを書く、行動しなければ書くテーマがなくなるので、何時も何を書こうかテーマを探して、その行動をして、それを書く。これをしていけば頭が回転して少なくとももうろくする速度が落ちるだろうと期待してます」とのことだった。でも、歳をとって認知症になるのは、外出の機会が減って、外の人たちとの接触が減り、外界からの刺激が減ることが大きな原因のひとつだというから、安見さんのようにいつも活動的に外に出て行って、いろいろな人たちと交流しているタイプの人たちには、認知症が忍び寄るすきもないのではないかと、私は思う。せっかくすごい勢いで文章を書いておられるのだから、一部を楽書倶楽部に寄稿されませんか?と、お誘いしてみたのだけれど、独りよがりのことを自分のためにだけ気軽に書いているので、公表できるようなものはないのでと、断られてしまった。残念。楽書倶楽部は、一世や準二世の方達が気楽にお仲間の間でする世間話のように、日々の思いを書いている同人誌なので、そんなに堅苦しく考える必要はないのだけれどなあ・・・。
上の写真は、娘のえりかさん夫婦がポルトガルの友人夫婦と一緒にリオのカーニバルに参加したので、そのグループの行進の様子を伝えるテレビの画面をパチパチ撮っていたら、偶然にもえりかさんが一瞬見えた画像を取ることができたと言って、送ってきてくださったもの。右側がえりかさんらしい。えりかさんもご両親に負けず劣らず活動的だなあと感心。 | ||||
2017年3月4日(土) | ||||
先週、花がひとつ開いたと写真を掲載したフランボヤンジーニョは、あれから次々に花が開いているので、また写真を撮ってみた。1枚目は横から撮ったもの。2枚目は上から。この植物の背丈はまだ私のおへそにも届かないくらいで低いのだけれど、元気にたくさんつぼみをつけて、花を咲かせている。
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2017年3月5日(日) | ||||
金曜日の朝、めいと入り口ゲートまでお散歩をした際、ゲートの両脇の桜の木が葉切りアリに攻撃されて、だいぶ葉を落としているなあと思いながら眺めていたら、西側の桜の木にピンク色のものが見えたので、あれっ?と思い、近づいて見ると、そのピンク色の正体は、何と桜の花だった。次の写真が、その証拠写真。画面中央の枝先にいくつも花が咲いている。そして、画面左下の奥の枝先にも少し花が咲いている。この木は、うちにある桜の木の中でも花が咲くのは一番遅く、例年8月にならないと咲かないのに、今はまだ3月。5ヶ月も早い。一体どうしたんだろう?この木は1年に何度も葉切りアリに襲われるので、葉を落としてから花を咲かせるという季節感がなくなっているのか、狂い咲きもいいところだ。それともこの夏はとても暑かったり、お天気が悪い間は寒いくらいに涼しかったりと気温の変化が激しかったので、季節が分からなくなってしまったのだろうか?2枚目の写真は、その左下の花をアップで撮ったもの。
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2017年3月6日(月) | ||||
この土曜日、久しぶりにジョゼが来てくれて、ニワトリ小屋にペンキを塗り、屋根に透明のビニールシートを張って小屋の中に雨が漏れないようにして、最後の仕上げをしてくれたため、めでたくニワトリ小屋が完成した。次の写真が、その完成したニワトリ小屋。だいぶ前にゼーに家の前の芝刈りをしてもらった際、刈り取った芝生をニワトリの寝床に敷くためにゴミ袋に入れて少し取っておいたので、その取っておいたゴミ袋の芝生を小屋まで運んできたエドソンも一緒に写っている。
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2017年3月7日(火) | ||||
次の写真は、昨日のブログで書いたニワトリが産んだ卵を、比較するためにスーパーで買ったものと一緒に並べて撮ったもの。お皿の上部の赤玉はスーパーで買った卵で、左側の色の薄い卵は、羽の色が濃い茶色をした2羽のニワトリのうちの1羽が日曜日に産んだもの。右側の水色の卵は、羽の色が薄茶色のものが月曜日の朝産んだもの。地鶏の卵は、大きさが少し小さめというのは普通らしく、殻の色が薄い左側の卵はなるほど大きさが一回り小さい。そして、鶏の種類によって、殻の色はいろいろ異なるらしく、薄茶色のニワトリは水色の殻の卵を産むとエドソンが言っていた通り、水色の殻の卵を産んだ。
次の写真は、ジョアオンの所でニワトリを分けてもらった際、あげると言われてエドソンがもらって帰ったかぼちゃ4つ。色も大きさも違うので、2種類の異なるかぼちゃかと思ったら、右側のような緑のものを収穫しないで、そのままさらに成長させると、大きくなって左側の薄茶色のかぼちゃになるのだそうだ。小さい緑色の段階で収穫すれば、ズキーニのように食べることができて、大きくなるとかぼちゃとして食べるのかな?さてどうやって食べようか?
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2017年3月8日(水) | ||||
庭でずいぶん大きくなっていた4本のユーカリの木を、背が高くなり過ぎたからと、エドソンはヒバマーたちに言って、1月中旬に切り倒してもらった。せっかく大きく育ったユーカリの木を切り倒すのはもったいないなあと、私は思ったのだけれど、エドソンは「しばらくすれば幹から芽が出て、また成長するから心配いらないよ。それに放っておくと垂直に伸びるばかりだけれど、こんな風に切れば横に枝を広げて育つから、その方がいいんだ」と言っていた。何とその言葉通りに、4本のうちの2本のユーカリの木の幹から早速たくさん芽が出てきているので、その1本の写真を撮った。ちなみに、このユーカリの木は、切り倒した後に、枝を払って、その枝を一ヶ所にまとめて山積みしているのだけれど、その側を通る度にユーカリのいい匂いが長い間続いた。完全に枯れてしまった現在でも、雨が降った後には、今でもほのかにユーカリのいい香りがする。
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2017年3月9日(木) | ||||
入り口ゲートに向かう道沿いに、3本のイペーの苗木を何年も前に植えて、育てていたのだけれど、これらも葉切りアリの被害に何度も遭い、成長の度合いが大中小と3本それぞれに異なっていた。そんな中、中くらいの大きさに成長していた木が、ある日突然枯れてしまい、大と小の2本だけが残った。あれからどの位の月日が経過したのだろう?先日草が取り除かれてきれいになった後を見ると、その枯れてしまって消えていたイペーが復活していたので驚いた。次の写真中央手前の小さな木が、その復活したイペーの木。その向こうに2本のイペーの木も見える。一番奥の、一番大きく育っているイペーの木は、最近葉切りアリにだいぶ葉を切り落とされたので、葉が茂っていないけれど、幸い新芽も出てきている。真ん中のイペーの木は一番小さく、成長が最も遅く弱々しかったので、早い段階で足元にレンガを置いた。そのお陰か、葉切りアリに襲われずにここまで何とか成長できたのだと思う。それで手前の復活したイペーの足元と、奥の一番大きなイペーの足元にもレンガを置く作業をした。写真右側の茂った緑はグアンドゥー豆の木。
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2017年3月10日(金) | ||||
先日、ドナ・ベティのファゼンダのマネージャーのジョアンの所でもらった皮の色が薄茶色のかぼちゃで、スープを作ってみた。私が好んで買う緑色の表面がごつごつとした南京かぼちゃは、中が黄色いけれど、もらったかぼちゃは、中がオレンジ色だったので、スープも濃いオレンジ色になった。かぼちゃの種類が違うので、スープの味も少し違ったけれど、これはこれでとてもおいしかった。
家の北側の防風林のさらに北側、とうもろこし畑との間の三角形のエリアに、桜の苗木を20本近く植えたとこは以前書いたけれど、ゼーたちが頻繁に草を取り除いてくれているので、一番最初に植えた斜面の一番下側の苗木はだいぶ大きくなってきている。そして、その側に最近植えたたくさんのマンジォカも、まだ小さいながら成長し始めているので写真に撮ってみた。次の写真の小さな画面には、足元にレンガを置いた桜の木が4本と、その手前にマンジォカの緑の芽が4つ見えている。
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2017年3月11日(土) | ||||
ペトロポリスの安見さんからおもしろいメールをいただいた。「日本人が指で数を数えるときは、開いた手の平に親指を折って1、次に人差し指を折って2、と閉じていきますね。6以降は閉じた指の子指を開いて、次に薬指、中指と開いていきますね。ブラジル人は閉じた手の子指を立てて1、薬指立てて2、と開いていき、6以降は閉じていく。全く日本人とは逆ですね。それじゃ、指で数を示すとき、日本人は1、人差し指を立てる。2は、人差し指と中指で2、さらに薬指を加えて3、4は子指を加える。それをブラジル人にやってもらったら、子指から、人差し指から、親指からと始まりはまちまちです」とあった。アメリカ人の場合、指で数を数える際、まずグーをした状態から、親指を立てて1、人差し指を立てて2と続けて行く。6以降は、はっきりとした記憶はないけれど、もう一方の手で同じようにするので、両手が必要だったのではないかと思う。でも、彼らのやり方だと、4と8で薬指を立てるのは難しいので、やりにくくないだろうかと思う。 さらに、安見さんたちは孫娘のまりえちゃんに、3歳という年齢を示すやり方として、日本式の人差し指、中指、薬指を立てることを教えられたそうだけれど、まりえちゃんのパパはブラジル式のやり方を教えたらしい。その結果が以下の写真。
![]() 「まりえ! いくつになったの?」とママが聞くと、右手はブラジル式で、左手は日本式で答えている。この写真を送ってきたえりかさんに電話でそのことを言うと、「ああそうなの?」と気付いていなかったようだとおっしゃっていた。さらに、まりえちゃんは、安見さんご夫妻のことを(オ)ジイチャン、(オ)バアチャンと呼び、パパの両親のことはVovô(おじいちゃん), Vovó(おばあちゃん) とポルトガル語で言って、区別しているらしい。子供ってスポンジのように何でも吸収して学習してしまうんだなあ。安見さんご夫妻は、1~2週間毎にまりえちゃんに会っているそうだけれど、「食べ物の好み、遊び方、態度とそのつど変わっていくのを感じています」と言っておられた。孫娘の成長を側で見守ることを楽しんでおられるようだ。 | ||||
2017年3月12日(日) | ||||
去年のクリスマス前に、一度うちに来たことのある在日スリランカ人2世の百合子さんが、10日の金曜日に、サンパウロからまた訪ねてきてくれた。彼女の学生ビザの有効期限は3月末までなので、日本に帰る前にできればもう一度遊びにいらっしゃいと誘っていたのだけれど、もう少しブラジルにいたいから、仕事を探して就労ビザを得るか、学生ビザを延長しようと考えているらしく、それらのことも話したかったようで訪ねてきてくれたのだった。12月に彼女がうちに来てから紹介した、私のメル友の鎌谷さんが、以来毎週のように彼女を日系人1世の方たちや、日本語の話せるその子供や孫の世代の人たちにも引き合わせて、日系人の人たちに会って話が聞きたいという彼女の希望を叶えてあげてくださっている。ありがたいことだ。鎌谷さんは彼女の今後のことをとても気にかけてくださっていて、じっくり話を聞いてあげてくださいとメールをくださったので、そのメールを百合子さんにも見せて、率直に、これからどうしたいのかなど長時間に渡って話をした。鎌谷さんは、彼女がどうしてそんなにブラジルに関心があるのか、どうして滞在を伸ばしてまでブラジルに居たいと思うのか、不思議なようなので、以前メールで私の想像を書いて送ったことがある。つまり、彼女はスリランカ人の両親のもととは言え、日本で生まれ、日本の学校に行き日本人と同じ教育を受け、普通に日本で育って来たので、こころの中は日本人と同じなのだけれど、外見が日本人とはまったく異なるため、日本社会ではひとりの人間として受け入れられることがなく、どこまで行っても外国人扱いなので、日本では生き辛いと感じている一方、ブラジルでは自分がはっきりと外国人だと認識できる一方で、ブラジル人は彼女が何人なのかに関心はなく、外見が異なっていてもまったく意に介さず、ひとりの人間として受け入れてくれるので、居心地の良さを感じでいるのかもしれないと書いた。今回そのことを言ってみると、どうもその解釈は当たりのようだった。彼女は今サンパウロで結構いろいろ大変な想いをしているのだけれど、尻尾を巻いて逃げ出すのではなく、その大変さを何とか乗り越えて、ブラジルでの滞在は有意義なものだったと実感したいようだった。これからどうしたいのか、どうやって生きて行きたいのか、手探りをしながらもがいているんだろうなと思った。「ゆっくりじっくり考えて、自分で納得できる答えを出せばいいのではないでしょうか。そうすればどんな結果になっても、のちのち後悔するようなことは彼女ならないのではないかと思う」と、鎌谷さんにはメールした。次の写真は、土曜日の朝食のテーブルで撮ったもの。いつも私が撮るので、今回はエドソンに写真を撮ってもらった。すると食卓の下で、ちゃっかりはるも写っていた。ひろはいつも通り、ケージの中に引きこもっているでの、写っていない。
次の写真は、土曜日のお昼、うちから程近いこの丘陵地帯の東端にあるランショネッチ(手作りのコシニャやキビといった軽食を出すお店)に行って、お昼を食べた後、そこから見える「眠れる巨人」と呼ばれる山の写真を撮っている百合子さんを撮ったもの。前回もここに行ったのだけれど、平日だったのでお店は閉まっていて食事ができなかったうえ、お天気が良くなく、景色もよく見えず残念だった。でも、今回はいいお天気で、景色がよく見えて良かった。
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2017年3月13日(月) | ||||
今月上旬、黄色いフランボヤンジーニョの花が咲いたと、その写真を掲載したけれど、別の木に、オレンジ色に黄色の縁取りのあるフランボヤンジーニョが咲いた。このブログの最後のページに掲載しているフランボヤンジーニョの花は、赤に白い縁取りの花なので、これで我が家には3種類のフランボヤンジーニョの花が咲く木があることがわかった。ちなみに、このオレンジに黄色の縁取りのあるフランボヤンジーニョは、花が咲いて2日くらいすると、あら不思議!黄色い縁取りが消えて、オレンジ色一色になる。右側のオレンジ一色の花がその証拠。百合子さんにもはるたちのお散歩に付き合ってもらって、この花を見せると、「きれい!」と言って、写真を撮っていた。百合子さんは当初日曜日の朝まで滞在予定だったのだけれど、日曜日に何か予定が入ったのか、土曜日の午後6時10分の高速バスでサンパウロに帰って行った。
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2017年3月14日(火) | ||||
1月のお正月明けに、ジョゼが仕事に来てくれた際、ひまわりの種を持ってきてくれて、入り口ゲートに向かう道沿いに植えたイペーの木の周辺数ヶ所に種を蒔いてくれた。しばらくすると元気に芽が出てきて、育っていたのだけれど、大きな葉が出て、茎が2~30センチくらいの高さになった頃、次々に野うさぎに茎を切られてしまい、結局なんとか復活したり、生き残ったりしたのは、半分以下の3ヶ所だけになってしまった。次の写真は、その生き残ったひまわりの中のひとつ。まだ花は咲いていない。
ジョゼが種を全部蒔いてしまわず、少し残った種をくれたので、さてどこに蒔こうかといろいろ悩んだ末、2月に入ってから庭のフランボヤンの木の足元に蒔いた。その後、何だかとても弱々しい芽が出てきたものの、なかなか成長しないなと見ていたら、何とその小さいままの状態で、花が咲き始めてしまった。次の写真は、10本くらい見えるひまわりの芽のうちの4つくらいに花が咲いている様子を撮ったもの。2枚目の写真は、その花を少しアップで撮ったもの。この写真を見て、これがひまわりとは思えないかもしれないけれど、種は本当にひまわりの種だったのだから不思議なものだ。同じ種なのに、ここのひまわりは成長しないまま花が咲き、イペーの木の側のひまわりは大きく成長しながら、まだ花が咲いていない。エドソンは、「sun flowerっていうくらいだから、太陽の陽が弱いと育たないのかもね」と言っていた。ここはフランボヤンの木の足元で陰になり、1日中あまり強い陽が当たらないので、場所がよくなかったのだろうか?と思ったりしている。
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2017年3月15日(水) | ||||
弱々しいひまわりが咲いている庭のフランボヤンの木の足元に、ずいぶん前にエリゼウからもらった植物を鉢のまま置いていたのだけれど、それまで強い日差しが当たる場所に置いていた時よりも状態は良くなったものの、何だかいまひとつ元気がなかった。それで2年ほど前だったか、鉢から取り出して、地面に直接植えてみた。すると、水をやらなくても葉が枯れたりせず、とても元気になったので喜んでいた。そうしたら今年初めて、すずらんのような白い小さな花をたくさん咲かせた。花を咲かせる植物だとは思っていなかったので驚いてしまった。種を蒔いて芽を出したひまわりにはフランボヤンの木の陰という場所はあまりいい環境ではなかったのかもしれないけれど、この植物には寄らば大樹の陰でいい環境だったんだなと思った。次の写真は、そのフランボヤンの足元の植物。2枚目の写真は、白い花が咲いているのが見えるように、アップで撮ったその植物。
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2017年3月16日(木) | ||||
昨日の夕食後、はるたちとのお散歩の際、夕焼けを見て、そう言えば2009年の3月13日にサンパウロに到着したんだから、あれからちょうど8年になるんだなあと思い出した。あっという間だったなあ・・・。 弓場農場の矢崎さんがフェイスブックに子供たちの可愛い写真をたくさんアップされたので、その一部をここに転載させてもらうことにした。ブラジルで暮らしていても子供たちのために豆まきやひな祭りをされるというのは、いいなと思った。以下は、その説明と写真。 「豆まき(2/27)、ひな祭り(3/5)を催しました。豆まきでは子供達が自由にボディーペインティングし、大人は鬼に変装して子供達を追いかけ回しますが、鬼が怖くて泣き出す子もいてチョット可愛そうな場面も。終わった後はサンパウロから来訪中だった日本人学校の生徒さん達と作ったアンパンマンを食べてご機嫌でした。ひな祭りでは、着物を着て冠をかぶり、母が30年前に日本から持って来たおひな様の前で少し緊張しつつ、ひな祭りの歌をピアノとフルートの伴奏で合唱、おいしいお菓子を頂いて終了、楽しい一時でした」
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2017年3月17日(金) | ||||
入り口ゲートに行く道沿いのエリアで育っている3本のモリンガの木の内の2本に、花が咲いたので写真を撮ってみた。これらの木はだいぶ大きくなってきてはいるものの、まだ葉を収穫できる状態ではないので、成長するのを待っているのに、時々葉切りアリに葉を切り落とされて裸になってしまう。困ったものだ。この木は私たちが食べるために植えて育てているのだから、横取りしないでほしいなあ。
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2017年3月18日(土) | ||||
二週間前に我が家にやって来た3羽のニワトリに、毎日小屋の中でコウヴィの葉やとうもろこしをせっせと与えていた。そして、もうそろそろいいだろうと、エドソンが先週の木曜日にニワトリ小屋の小さな扉を開いて、外に出てこられるようにレンガと板でランプを作った。しばらくすると1羽が外に出てきて、小屋の回りで虫などをついばみ始めた。その後だいぶ経ってから他の2羽も出てきて、防風林の小路の辺りで虫をついばんでいた。時々姿が見えなくなったりしたものの、あまり遠くに行く様子はなかった。それでも、夕方ちゃんと小屋に戻るかなあ?と、ちょっと心配していたら、夕方薄暗くなってから、エドソンが見に行くと、2羽は戻ってきていた。でも、最初に小屋を出た1羽は戻ってきていなかった。小屋に戻らなかった1羽は、その後2日間くらいは、防風林の上の竹林の辺りや、家の東側の桜の木の下などで姿を見かけたのだけれど、その後はまったく姿を見かけなくなった。一方戻ってきた2羽は、以後も毎日、朝になると扉を開放するのだけれど、何故か小屋から出てこようとしない。その上、まったく玉子を産んでくれなくなった。一体全体どうしちゃったんだろう?と思いながら1週間が過ぎた昨日、いつものようにコウヴィの葉を小屋の中に入れて扉を開けたままにしておいたら、しばらくして外に出たらしく、けたたましい叫び声を上げて走って行く1羽を目撃。2羽とも外に出たようで小屋は空っぽになった。お昼前後に雨が降ったのに小屋に戻らなかったので、夕方ちゃんと戻ってくるかな?と思ったけれど、彼らの帰巣本能は正常に機能しているようで、薄暗くなってから見に行くと、2羽とも小屋の中に戻っていたのでほっとした。次の写真は、木曜日の午後撮ったもの。
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2017年3月19日(日) | ||||
先週ブラジルではまたもや大きなスキャンダルが明るみに出た。今度は食肉加工会社が日本でいうところの農林水産省の検査官に賄賂を送って、食肉検査に手心を加えてもらっていたり、古い肉に化学薬品を使用して匂いを消していたなどということがわかったという。以下は、そのニュースに関してあったヤフーニュースの記事のコピー。この日本語の記事ではあまり詳しくわからないけれど、これもまたルーラやジウマの共産主義政権時代から続いていた不正が発覚したもので、少なくとも連邦警察の数年におよぶ捜査でこの不正が発覚して、ニュースになり、現在もさらなる捜査が行われていること自体は、ジウマを追い出した後のテメル政権の下、ブラジルがまだまともに機能しているという証拠と言えるのかもしれない。事件の詳細はまだ捜査中で、現時点では全容はわかっていないけれど、ブラジルの食肉の安全に対する信用が揺らいだことは間違いないと思う。
【サンパウロ時事】ブラジル捜査当局は17日、全国の食肉加工会社70社以上を、衛生管理基準に違反した疑いで一斉に家宅捜索した。 衛生検査で組織的な不正が行われていた可能性があり、ブラジル産食肉の主要市場である日本の輸入にも影響しそうだ。 地元メディアなどによると、食肉会社は衛生検査官に賄賂を払い、衛生基準を満たさない食肉や加工食品を国内外に販売したとされる。警察は既に数十人の逮捕状を取得。官民癒着による大規模な不正が疑われ、ブラジル産食肉への信頼が揺らいでいる。 製品の一部に腐った肉を使ったなどの情報もある。農務省は3カ所の食肉加工工場の一時閉鎖を命令。工場から出荷された製品は販売店から撤去することも決めた。政府は近く、食肉輸出相手国の大使を集め、事態を説明する方針だ。 ブラジルは世界有数の食肉生産国で、日本を含む約150カ国に輸出。2015年に日本が輸入した鶏肉の77%はブラジル産が占めた。日本の鶏肉自給率は7割弱で、ブラジルの供給が止まれば品薄になり、価格が上昇する可能性もある。 牛肉に関しては、日本は同年12月にブラジルとの協議で「対日輸出条件を順守できる体制」を確認。BSE(牛海綿状脳症)発生で停止していた加熱処理牛肉の輸入再開を決めた。 | ||||
2017年3月20日(月) | ||||
金曜日のお昼前から雨が降り出し、その後雷と伴って激しく降ったり、小降りになったりしながら、1日ぐずつくお天気になった。そして、予報通りに翌日の土曜日はぐんと気温が下がり、半袖シャツでは寒いだろうと思って着た七分袖のシャツでも寒く、その上から長袖の上着を羽織っていても、お天気が悪いので、それでも少し寒いと感じるほどだった。土曜日の午前中いつものようにエドソンがパーディーニョのスーパーに食料品の買出しに行ってくれ、戻ってきてから買って帰ったものを冷蔵庫に収めていると、私の買い物リストにはなかった里芋と鶏肉のドラムスティックがあった。急に寒くなったのでチキンスープを作るつもりかな?と思ったら、見事に当たりだった。鶏肉と里芋とトマトの他に、うちの畑で採れたコウヴィとオクラとパセリを入れたチキンスープで、スープとは別に茹でたショートパスタをお皿に入れて、オレガノを振り入れて、その上にチキンスープをよそって、オリーブ油をかけて食べてというエドソンの指示に従い、おいしくいただいた。食べ始めてから、おおそうそうと思い出して撮ったのが以下の写真。そして、土曜日の夜から夏用の肌掛けだけでは寒いので、その上から薄い掛け布団をかけて寝ている。一気に晩秋というか冬の入り口にさしかかったような感じだ。
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2017年3月21日(火) | ||||
昨日の朝、シャワーを済ませて食卓にやってきたエドソンが、開口一番「Happy Autumn Day!」と言うので、「うん???」と聞くと、今日は秋分の日だから、今日から秋でしょ?と言う。ああ、日本では3月20日は春分の日だから、ここは秋分の日かと、初めて気がついた。金曜日から3日連続雨模様の暗いお天気だったのが、昨日は朝から太陽が出て、明るいとてもいいお天気になった。エドソンはとてもさわやかで気持ちのいい秋の日だと言ってご機嫌が良かった。次の写真は、ベランダ横のバラの花壇で昨日花を咲かせていた朝顔。夏に咲いた朝顔が終わって、種を採る前に、地面に落ちてしまった種から自然に芽を出した日本朝顔が、まだつるが伸びていないのにピンクと水色の花を咲かせていたので、写真に撮ってみた。ちょっと季節外れのせいか花が夏に咲いたものよりも小さい。2枚目の写真は、同じくバラの花壇で咲いている紫の朝顔。ピンク、水色、白の朝顔が終わった後も、この紫の朝顔だけはとても元気で、もう何ヶ月も咲き続けている。つるの重みと風の影響で地面に刺した桜の枝が左側に傾いてしまっている。ベランダにいるめいも画面の右端に写っている。
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2017年3月22日(水) | ||||
入り口ゲートの近く、イペーの木が育っている周辺にジョゼがひまわりの種を何か所か蒔いてくれたことは以前書いたけれど、その中で野うさぎに茎を切られずに生き残り、一番大きく育っているひまわりの花が咲いた。次の写真の中央がその一番大きなひまわりで、左側の少し背の低いひまわりも花が咲きそうになってきている。これらのひまわりの左側奥に、もう1か所数本のひまわりと、右側奥、イペーの木の右側にもう1か所数本のひまわりが見える。2枚目の写真は、花を少しアップで撮ったもの。
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2017年3月23日(木) | ||||
次の写真は、ランドマークの木の所で育っているマラクジャ(パッションフルーツ)に実がひとつなっているので撮ったもの。この実はずいぶん前からここになっているのだけれど、いつまで経っても緑色のままで、一向に黄色く熟す気配がない。
花も咲かない、と言うか、咲いた所を見なかったのに、実がひとつだけなっているのも不思議だなと思っていたら、この月曜日の朝一番にこの前を通ったら、一度に4つ5つ花が咲いていたので、写真を撮ろうと思ったのだけれど、朝食後のはるたちとのお散歩に出た際見ると、すでにしぼみかけていて写真に撮れなかった。まだつぼみがたくさんあるので、また写真を撮るチャンスはあるだろうと思っていたら、火曜日の午後遅く、また4つ5つ咲いていたので、次の写真を撮った。2枚目は、花のひとつをアップで撮ったもの。何度見ても不思議な形の花だなと思う。3枚目は少し離れて、ランドマークの足元から生えてきたランドマークの木の若木を被うように生い茂っているマラクジャを撮ったもの。たくさん花が咲いてもこれらがすべて実を結ぶわけではないし、収穫できるわけでもないのだけれど、花が咲くと何だかうれしい気持ちになる。
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2017年3月24日(金) | ||||
お天気が許す限り、朝昼晩と毎食後みんなでお散歩に出る。玄関ではるとひろにリードをつけて外に出る準備をしてから、「Let's go fetch Papa!(パパをお迎えに行こう!)」と言うと、ふたりは戯れ合いながらも全速力でワークスペースにいるエドソンの所にお迎えに行く。何故か途中で戯れ合うのに忙しく、立ち止まって、エドソンの所までたどり着かないと、「今日のラブは80%か・・・」と言って、エドソンはがっかりし、ふたりともちゃんとエドソンの所までたどり着くと、「今日のラブは100%だ!」と言って、ご機嫌になる。そんなことで一喜一憂しなくてもと思いながらも、この子たちがいる穏やかな日々の幸せにとても感謝している。次の写真は、先日の朝、玄関のところからエドソンを迎えに行ったはるとひろを撮ったもの。この日のラブは100%だった、
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2017年3月25日(土) | ||||
お散歩に出る時はいつもエドソンがひろと歩き、私がはると歩き、彼らのそれぞれのペースや場所でオシッコやウンチをさせる。それで、めいはみんなと一緒にはお散歩に行かず、はるとひろとのお散歩から戻ってから、私がもう一度めいを連れてお散歩に行く。みんながお散歩に出る際、めいは私も行きたいというように、しばらくワンワン吠えることがよくある。私たちがお散歩から戻ると、ベランダの所に座ってちょっと挑発的な顔をしてひろを見つめていたりすることがある。めいは女の子なので、はるのことを嫌いではないものの、どちらかというとはるにはあまり関心がなく、ひろの方が気になるようで、家に戻ろうとすると、ベランダの所で必ずのようにひろに戯れついてくる。次の2枚の写真は、その様子を撮ったもの。ひろは優しい子なので、めいとの関係性もだいたい穏やかなのだけれど、時々、めいの前でぐるぐる回って踊ってみせたりする。一方めいは、ひろに馬乗りになってみたり、噛みつくしぐさをしてみたりとかなり攻撃的だ。
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2017年3月26日(日) | ||||
私の親しい友人に、フルタイムで仕事をしながら児童文学を書いている人がいる。彼女が書いた本が出版されると必ず私に1冊進呈してくれるので、彼女の本は十数冊すべて持っている。1986年にチェルノブイリ原子力発電所の事故があった後書いた「あしたは晴れた空の下で ー ぼくたちのチェルノブイリ」という本が1988年に出版された。それから20数年を経て、日本で福島原発の事故があり、この本は2011年に復刊された。それで、以下の写真のように出版年の異なる同じ本が2冊うちにはある。右が1988年に出版された本で、左が2011年に復刊された本。
そして、去年2016年には、チェルノブイリと福島とをこぶたの目を通して見た「こぶたものがたり」が出版され、発送から到着まで例によってずいぶんと時間がかかったけれど、何とか途中で迷子にならずに、今年我が家にこのこぶたの本はやってきた。彼女はこの他にも広島でシンポジウムを開催したり、被爆電車に乗って、主要な被爆建物を見て回るというイベントを企画したりと、とても精力的に活動していて、頭が下がる。その行動力はすごいなあと思う。
次の写真は、その中澤晶子さん。
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2017年3月27日(月) | ||||
「地中海料理は健康にとてもいいらしいから、これからは地中海料理を頻繁に作って」と、エドソンが言う。そう言われてもなあ・・・と思ってネットで調べてみると、「地中海料理とは、ギリシャ、イタリア、ポルトガル、スペインなどのヨーロッパや北アフリカ諸国の地中海沿岸の料理。 オリーブ油・ナッツ類、野菜、果物をふんだんに使うのが特徴。地中海沿岸地域の人たちは、この食文化のおかげで心疾患による死亡率が低いと言われている」とあった。でも、やっぱり具体的にはどんな料理か思い浮かばない。ネットでレシピを調べてみると、いろいろな豆を使ったスープやサラダがたくさんあり、魚やお肉を使った料理はほんの少々。結局のところ、よくわからないけれど、お肉や魚の料理に野菜をふんだんに使い、オリーブ油も使えばいいのではないかと単純に理解することにした。それで、レシピにあったサーモンのオーブン焼きというのを、手元にある野菜でアレンジして作ってみた。玉ねぎとズキーニとしいたけをお皿に敷いて、塩こしょうしたサーモンを乗せ、パセリとミニトマトとにんにくを散らし、白ワインとオリーブ油をかけただけ。使っている野菜が同じようなものなので、何だか、フランスのリエちゃんがブログに掲載していた鶏肉のオーブン焼きと同じようなものになったなと思った。オリーブ油をたっぷりかけて、野菜と一緒にオーブンで焼いているというところが、地中海料理っぽいんだろうかと思った。エドソンは喜んでくれたのでまずは良かった。ちなみに、このお料理に使ったミニトマトとパセリはうちの畑で収穫したもので、ズキーニは以前大小のかぼちゃをもらったと言って、写真を掲載した、ご近所のファゼンダでいただいたもの。
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2017年3月28日(火) | ||||
このところ土曜日にお天気が悪いことが多かったのだけれど、この土曜日は久しぶりにいいお天気になり、ゼーとヒバマーとジョゼの3人が3週間ぶりに手伝いに来てくれた。エドソンは以前から予定していた森の中の貯水タンクの掃除を彼らに頼んだり、パーディーニョのスーパーに買出しに行った際、5月上旬に予定しているイベントのための会場の下見にきていたデミウソンと落ち合って話したりと、午前中はバタバタしていた。そして、午後からはこれまた久しぶりにボトゥカトゥへ買い物に行った。このところジョゼからもらったお米を日本米と混ぜて食べていたのだけれど、日本米が底をつきかけて、どうしてもボトゥカトゥに買いに行く必要があったので、パーディーニョでは手に入らない野菜や果物などもたくさん買って帰った。例によって、野菜と果物はドナ・マリナで、お米や料理酒や味噌やわかめなどはウエノで、魚やヨーグルトやチーズやナッツはパオン・ジ・アスーカーでと、3軒をはしごした。次の写真は、この日買ってきたものの一部。しいたけ、しめじ、きぬさや、日本梨、もやし、日本米などはパーディーニョではまったく手に入らない。白菜は冬の時期は手に入ることもあるけれど、その他の季節は手に入らない。この他に写真には写っていないけれど、セロリや大根や豆腐などもここでは手に入らないので、買ってきた。うちの冷蔵庫は結構大きいのだけれど、こんな風に大量の野菜や果物を買ってくると入りきらないので、こんな時は、下のガレージの冷蔵庫が役に立つ。この写真のお米の側のビニールの袋に入った茶色い丸いものは、ライチーのような果物。ウエノにあったらしく、エドソンが買って食べてみると、皮がライチーよりも薄く、味はライチーと変わらないと言っていた。
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2017年3月29日(水) | ||||
土曜日は1日とてもいいお天気だったのだけれど、午後5時を回った頃から雲行きが怪しくなり、西の空も南の空も黒い雲で被われているなあと思っていたら、突然、強い風が吹き始め、激しい雨になった。南西からの激しい風と雨が食堂や台所の窓だけでなく、玄関の扉にも叩きつけ、ベランダもびしょ濡れ。ベランダにいるめいは南東が壁になっている角のイスの下で小さくなっているのだけれど、別のイスに鎖が絡まって、イスの上に上がる余裕がない。でも、すごい雨が吹きつけているので、鎖を直しに出て行くこともできない。しばらく様子を見ていたら、何とか無理やりイスの上に避難できたものの、首が苦しそうなので、仕方なくウィンドブレーカーを着て雨の中、めいの鎖を直しに出た。それで外に出るために玄関の扉を開けたので、雨が吹き込み、一瞬で玄関フロアがびしょびしょになってしまった。ああ、やれやれ・・・。そして、6時前頃、まだ雨は小降りになったとは言え、完全に止んではいないのに、西の空が明るくなり、南東の空に虹が二重に出たので次の写真を撮った。
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2017年3月30日(木) | ||||
今月末でビザが切れるのだけれど、もうしばらくブラジルに居たいという在日スリランカ人2世の百合子さんは、サンパウロでいい語学学校が見つかったので、学生ビザを延長すると言っていた。仕事もしたいと言って、いろいろ探していたけれど、学生ビザではちゃんとした仕事はできないので、どうもうまくは行かないようだった。こうなれば、日本語や英語をプライベートで教えて収入を得るしかないのではないかと思い、生徒さんが見つかるといいのだけれどと思っていた。そうしたら、この日曜日にメールが来て、語学学校に支払うために銀行から下ろした2000レアル(約7万円)を、彼女が住んでいるグループホームで盗まれた上、彼女が子供をいじめているという有りもしないことを言う人が急に出てきて、精神的に参ってしまったようで、ビザも切れることだし、一旦、日本に戻って、気持ちを整えてから出直してきますという内容だった。今年になってから、このグループホームで、彼女になついていた19歳くらいの女の子が、お母さんがガンになり、入院、手術のためのお金が必要になったというので、百合子さんは800レアル(3万円弱)をその子に貸したそうなのだけれど、他の女性たちの話だと、その子のお母さんはすでに亡くなっていて、嘘だったということがわかり、他の女性たちがその子を問い詰めてお金を百合子さんに返済させたということがあった。ブラジルではお金は貸すな。貸すならそのお金は戻ってこないものと思って貸せと、言われていること、一緒に暮らしているブラジル人の女性たちのことを完全に信用しないように、そして、彼女たちの個人的なトラブルにはなるべく関わらないようにして、距離を置くようにと、鎌谷さん共々、百合子さんには注意していたのだけれど、さらにこういうことが起こってしまい、とても残念だ。日本人には想像もできないような歪んだ考え方をもったブラジル人も少なくない中で、無防備で正直な日本人(百合子さんの心は日本人)がひとりで生活して行くのはとても大変なことなんだという認識を今さらながら強くした。あらためてブラジルに来るのなら、一部屋に6人もの女性が一緒に暮らすグループホームではなく、多少家賃が高くても一人部屋のある寮のような所に住むことを強く勧めなくてはと思った。 | ||||
2017年3月31日(金) | ||||
入り口ゲートに向かう道沿いのエリアに植えたフランボヤンジーニョが、今年次々に花を咲かせている。まだ花が咲いていない木も数本あるけれど、だいぶ華やかになってきたので、入り口ゲートに背を向けて、北東側からこのエリアの写真を撮ってみた。花が咲いているフランボヤンジーニョが4本見えるけれど、左側の3本は、オレンジ色に黄色い縁取りの花が咲いていて、右側、一番手前の花はピンクに白い縁取りの花が咲いている。2枚目の写真は、その一番手前の花をアップで撮ったもの。
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