Kyoko Yoshida | Life in Brazil | BLOG |
2017年2月1日(水) | ||||
とうもろこしが収穫できるようになったので、そのお祝いの意味で、この日曜日、お天気が良かったらお昼にうちのシュハスコ小屋でチキンスープを作ってくれることになっていたゼーと奥さんのマリア。土曜日は雨が降らず薄日が差して、日曜日も同じようなお天気という予報だったのに、日付が変わって日曜日の午前2時頃、音で目が覚めるくらいザーザーと激しい雨が降った。朝には止んでいたけれど、濃い霧が出て、どうもお天気が良くないのでふたりは来ないかなと話していたら、午前10時を少し回ってやって来てくれた。そうしたら、あら不思議、だんだんお天気が回復してきて、日差しまで出てきて、むしろ暑いくらいになった。次の写真は、シュハスコ小屋のかまどで調理を始めたマリア。よくレストランや食料品を扱うお店の人たちが使うシャワーキャップのような帽子をかぶっている。さすが以前、ホドサーブのレストランで働いていただけある気づかいだなと思った。
次の写真は、料理ができて、庭のテーブルの用意もでき、さあいただきましょうという前にパチリ。この庭のテーブルは、ゼーたちがお昼を食べる際にいつも使っているのだけれど、私たちが食事で使うのはこれが初めて。お天気が良くなり、日差しが強くなったので、桜の木の陰になっていない場所は、座っていてとても暑くなった。画面の後ろ、家の前にある白と青のものは、この朝はるとひろの体を洗った際、体を拭くために使った使い古しのバスタオルを洗って干している洗濯物。
次の写真は、マリアが作ってくれたチキンスープをよそった私のお皿。鶏肉は、平日ゼーが働いているドナ・ベティのファゼンダのマネージャーのジョアオンが飼っている地鶏を1羽25レアル(約915円)でわけてもらい、自分たちで処理したものを、日曜日に持って来て調理してくれたもの。とろみのあるスープが黄色いのは、この朝うちで収穫したばかりのとうもろこしをおろしたものなので、とうもろこしの自然の色。鶏肉ととうもろこしとねぎだけのシンプルなスープだったけれど、とうもろこしの味がちゃんとして、とてもおいしかったのでみんなおかわりをした。今月は第二週まで続いていた暑い日々がガラッと変わって以来、ほぼずっとお天気が悪かったのだけれど、この日は、とても暑いいいお天気になり、びっくり。エドソンはヒバマーとジョゼも誘ったのだけれど、それぞれ予定があったらしく、彼らは来なかった。
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2017年2月2日(木) | ||||
朝一番のはるとひろのオシッコから戻り、めいをシュハスコ小屋から出してオシッコをさせて、ベランダに移動させた後、朝食の仕度を始める前に、下のガレージの外の街灯を消しに行くことが日課になった。すると最近はいつもガレージの扉の横の壁にたくさん蛾がへばりついているので写真に撮ってみた。次の写真は、そんなある日の朝、撮ったもの。左下に黄色と茶色の2色のものが1匹、上の方に黒っぽいのが1匹、大きさの違う白いのが2匹。何故かみな種類が違う。この写真の画面に入りきらなかったのだけれど、この壁の上の方にも数匹いた。時々、モスラを彷彿とさせる大きなものもいる。時間が経過するといなくなるのだけれど、朝はいつもこんな感じ。どうやらここの壁は彼らの寝床になっているみたい。2枚目の写真は、左下の黄色と茶色の蛾を少しアップで撮ったもの。
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2017年2月3日(金) | ||||
ベランダ前のハイビスカスガーデンの手前側には、赤い色のハイビスカスの間に、ピンク色と白に近い薄いピンク色のハイビスカスの苗木も植えていたのだけれど、赤い花の木ばかりが元気に育ち、ピンクのものはどちらもあまり大きくならずにいつの間にか消えてしまって久しい。そうしたら、この夏、その白に近い薄いピンク色の花が赤い花の間で咲いているので、あれっ?と思った。何と、赤い花を咲かせているハイビスカスと同じ木に、この薄いピンク色の花がちらほら咲いているのでびっくり。つまり、ひとつの木に2つの異なる色の花が咲いているのだ。どうしてだろう?次の写真が、その証拠写真。ちょっとわかりにくいかもしれないけれど、左側の薄ピンクの花が咲いている枝と、右端の赤いハイビスカスが咲いている枝は、同じ木の幹から伸びている枝。どうしてこういうことが起こっているのか、不思議だ。
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2017年2月4日(土) | ||||
次の写真は、先日の朝、オシッコをさせ、シュハスコ小屋からベランダにめいを移動させた後、私が朝ご飯を持って来るまで椅子の上に座って待っているめい。カメラを向けている私を「お腹空いたよ~。朝ご飯、まだですか~?」と言うように、うらめしそうに見つめている。めいはこの椅子が好きらしく、ベランダにいる時はほぼいつもこの椅子の上で丸まって寝ているか座っている。でも、めいのために椅子の足元に置いている大きな骨のおしゃぶりには見向きもしないのに、何故かこの椅子の角やアームをガリガリかじるので、ちょっと困っている。
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2017年2月5日(日) | ||||
次の写真は、果樹園の端っこで、白とピンクの花をたくさん咲かせている雑草木。こういう自然に生えてきた雑草木は葉切りアリの被害に遭わず元気なのに、私たちが植えた果物の木は、ある程度大きくなったと思ったら、葉切りアリの襲撃に遭い裸にされるものが少なくない。ハイビスカスなどは葉切りアリに何度も繰り返し裸にされても、しばらくするとまた元気に葉を茂らせてくれ、花も咲かせてくれるけれど、果物の木は襲撃されると、そのまま弱ってしまって、復活しないものが多いので、ため息が出る。
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2017年2月6日(月) | ||||
先日、玄関前の外階段のアメンドインがナイアガラの滝状態になっている写真と、階段に溢れ出している部分を切ってもらってすっきりしたbefore&afterの写真を掲載したけれど、今回は、同じようにナイアガラの滝状態の家の前の庭のアメンドインのbefore&afterの状態を撮ったのが以下の写真。この土曜日は、雨が少し降ったり止んだりのお天気だったので、ヒバマーは仕事に来なかったのだけれど、ゼーとマリアは仕事に来てくれたので、エドソンが家の前の芝生や庭の芝生やアメンドインの草刈りを頼んだ。うちにもガソリンで動かす草刈り機があるのだけれど、ゼーは自分の体に合わせたものを持っていて、その草刈り機の方が使いやすいからと持参して作業をしてくれた。それで、ガソリン代などもかかっているので、いつもの日当に50レアル上乗せした日当を支払った。ここのアメンドインは、9月の上旬、一度鍬で取り除いてもらったのだけれど、その後また元気に復活して、5ヶ月足らずで次の写真のような状態になってしまった。アメンドインという草は本当に元気。
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2017年2月7日(火) | ||||
次の写真は、入り口ゲートに向かう道沿いの状態を道の上から北を向いて撮ったものと、道から降りて同じく北を向いて、道沿いのエリアを撮ったもの。ここにはフランボヤンジーニョ、モリンガ、ハイビスカス、カラフルな葉物植物、白い花が咲く木の苗木などなどを少しずつ植え足して行っていて、それらが少しずつ背丈を伸ばし、葉を茂らせ、成長しているので、だいぶ賑やかになってきている。
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2017年2月8日(水) | ||||
次の写真は、草刈り機で芝生やアメンドインを短く刈ってもらった後の庭の状態。この庭の芝生は、これまで一度も芝刈りをしたことがなく、伸び放題で、桜の木の足元の芝は枯れたように変色していたのだけれど、短く刈ってもらったので、しばらくすると緑の芝が生えてきれいになると思う。桜の木の足元にたくさん芽を出していた桜の芽も一緒に刈られてしまったけれど、先月十数本、テトラポットや小さな植木鉢に植え替えているし、芝生のまだ及んでいないところで出ている芽は、まだまだたくさんあるので、これらもおいおいテトラポットに植え替えて行こうと考えている。この庭にはところどころに小さな長方形に切った芝を植えたのだけれど、よくもまあこんなに地面を覆い尽くすまでになってくれたものだと思う。ここの4本ある桜の真ん中に設置したテーブル(手前の桜の木の後ろに隠れていてよく見えない)は、トップが石の1枚板なので、重くて移動などできないけれど、ベンチは木なので、風雨に晒さないように、土曜日にゼーやヒバマーたちが来てくれる時や、週に2日午前中英語のレッスンにジョアオンを連れてくるお祖父さんのために出すようにしている。この写真は、日曜日の朝撮ったものなので、ベンチの板はなく、ベンチの脚だけが見える。
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2017年2月9日(木) | ||||
毎年1月から2月にかけて、クアレズマの花が咲く。次の写真は、ランドマークの木の前に立って撮ったお隣の入り口ゲートから家までの道沿いに植えられたクアレズマの並木の一部。毎日お散歩に行く際、必ずこの位置からお隣を眺めることになるので、この木にピンクの花が咲き始めると、緑の中のピンク色がパッと目に飛び込んできて、あっと思う。それで、うちのクアレズマも花が咲き始めたかな?と、庭のクアレズマを見ると、お隣よりも少し遅れて花をつけ始めているのが確認できる。2枚目の写真が、うちの庭のクアレズマ。お隣のようにきれいに剪定していないので、ちょっと趣きが異なるけれど、ハイビスカスとは少し違った彩りを我が家の庭に添えてくれている。
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2017年2月10日(金) | ||||
2月に入っても1週間近く毎日一度は雨が降っていたけれど、それまでの日差しのない暗いお天気から、雨が降るのは午後からで、それまでは明るいいいお天気という夏らしい感じの日々が多くなった。さらにうれしいことに、午後4時くらいから8時くらいまでの時間帯が一日で一番暑いと感じる以外は、午前中から午後早い時間帯にかけては家の中はさらっとして涼しいので、とても気持ちがいい。そして、今週の月曜日の午後雨が降ってから以後は、久しぶりに雨のない日々が続いている。連日太陽が顔を出し、空に入道雲が見える日々はこの夏にしてはとても珍しい。そんな中、私は1月の下旬、ふと何か軽い本を読みたい気分になって、12月に岡村さんがくださった本の中から「書物奉行、江戸を奔る!行人坂大火の策謀」という時代物の捕物帳を読み始めたら、おもしろくて一気に読んでしまった。それで頭がちょっと読書モードになったため、さて次は何を読もうかと、山崎豊子の「沈まぬ太陽」を読み始めた。そうしたら5冊もあるのにどっぷりはまってしまい、「止められない、止まらない」状態に陥り、家事の合間にこの本が離せなくなり、本の虫状態を一昨日まで2週間近く続けた。夕食を作りながら、その合間にも読んだりしているものだからエドソンは呆れていたけれど、とにかく本に引き込まれてしまい、読み終えるまで止めることができなかった。主人公が再度ナイロビに左遷される所で本は終わり、ため息が出た。89歳で亡くなるまでこんな本を書き続けた著者の能力と、世の中にはお金と権力に取り憑かれた信じられないような魑魅魍魎が存在している現実と、どんな環境に置かれても自分の節を曲げない生き方ができる人がいたりする現実に圧倒された。次の写真は、うちの丘の上の貯水タンクの側のクアレズマ。この木とお隣のクアレズマの並木は、おそらく同種のもので、うちの庭のクアレズマは少し種類が違うのではないかと、エドソンは言っている。このピンクの花を見ながら、私はこの環境にいられて幸せだという思いをあらたにした。
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2017年2月11日(土) | ||||
次の写真は、木曜日のお昼過ぎにめいとのお散歩で丘の上に行って撮ったもの。向こう側に見えるとうもろこしは人間の背丈を越え、手前右側の陸稲もだいぶ成長して背を伸ばしている。でも、手前に植えて芽が出てきていたじゃがいもはみな野うさぎか葉切りアリにやられたようで、すっかり姿を消してしまっている。トホホ・・・。
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2017年2月12日(日) | ||||
次の写真は、とうもろこしの畑(右側)と防風林の列(左側)との間の三形角のスペースを上から撮ったもの。よく見えないかもしれないけれど、ここには十数本の桜の苗木が植わっていて、少しずつ大きくなってきている。これらの桜の苗木は植えた時期が少しずつ違い、それぞれの苗木の成長の速さも異なるため、比較的はっきり見えるくらいに成長している木と、まだ小さくてこの写真ではよくわからないものとが混在している。一方、防風林のすぐ右側にはっきり見える木は桜ではなくセドリーニョで、この木は防風林のセドリーニョと同時期に苗木を植えたのだけれど、長い間ブラキアーリアの中で育ったので、成長が著しく遅い。画面の左側に、今はまだ西隣のコーヒー農園の家と倉庫が見えるけれど、ここの桜が成長すると、ここからは桜で隠れてしまい、丘の一番高いところに行かないと見えなくなるんだろうなと思う。
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2017年2月13日(月) | ||||
多少お天気が悪くても気にせずうちの仕事に来てくれるゼーとマリアとは違い、ジョゼやヒバマーはお天気が崩れそうな時はやって来ない。でも、この土曜日はいいお天気になったので、ジョゼが3週間ぶりに仕事に来てくれた。ヒバマーは新しい借家へ引越すということで来なかった。それで、エドソンは午後からジョゼに野菜畑の北側にネットを張る作業を頼んだ。うちで飼うニワトリは、昼間は小屋から出して自由に庭の草や虫を食べてもらう予定なのだけれど、野菜畑が無防備だと、野菜畑に入り込んで野菜を食べてしまうので、そうさせないための防衛策。この次に、ニワトリ小屋のペンキ塗りが終われば、ようやくニワトリを迎えることができる。次の写真は、野菜畑にニワトリが入れないように張られたネットをシュハスコ小屋の裏から撮ったもの。
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2017年2月14日(火) | ||||
土曜日の午前中、どうしてもボトゥカトゥに行かなければならない用事があって、エドソンはひとりでボトゥカトゥに出かけて行った。それで、ついでにドナ・マリナで豆腐や野菜や果物を買い、ポリヴェットではるたち用のドッグフードと新しいベッドを買ってきてくれた。次の写真は、土曜日の夜、新品のベッドで寝る体勢になっているはる(左上)とひろ(右下)。これまでこの寝室で使っていた茶色のベッドは居間に移動させ、居間で使っていたベッドははるたちとの外出の際、車の中で使い、これまで車の中で使っていたベッドは、シュハスコ小屋の中で使うめいのベッドにと、順繰りに移動させた。この新しい青いベッドは、以前の茶色のベッドよりも一回り大きく、ゆったりしていて、気に入ってくれたようだ。はるは2歳か3歳を過ぎた頃から、ベッドをかじって破ったりはしなくなったけれど、ひろは頻度は減ったものの、まだベッドやタオルや床のマットをかじるのを止めないので、1年足らずでベッドを新しくしている感じだ。今月で満2歳になるのだから、もうそろそろベッドをかじって破るのは止めてほしいのだけれど、この新品のベッドは2日しかもだず、昨日の夜、彼らがベッドに入り、私がシャワーを浴びている間に、ひろがムシャムシャムシャ。ベッドの端が唾液で濡れて、オレンジ色の縁取りが2センチほど噛みちぎられていた。噛みちぎられた縁取りはどこにも見当たらないので、おそらくひろのお腹の中に収まったものと思われる。ああ・・・ため息、吐息。
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2017年2月15日(水) | ||||
次の写真は、入り口ゲートに向かう道沿いに植えたワイルドベリーの木(おそらくちゃんとした名前があるのだろうでけれど、わからないので私たちはワイルドベリーと呼んでいる)。先月、まだ地植えにしていない鉢のワイルドベリーに赤い実がなり、その後その実が黒く熟した写真を掲載したけれど、こちらの木には今たくさん実がなっていて、同時に花も咲いている。まだ小さい木なのに、たくさん実をつけているので、写真に撮ってみた。ちなみに、先月写真を掲載したひとつだけ黒く熟した実は直径2センチくらと大きかったいので、実を半分に切って、エドソンと試食してみた。酸味と甘味のバランスが良く、おいしかった。この熟した黒いベリーを見て、アメリカで一度見たことのあるボイズンベリーに似ているなと思った。ジャムを作れるほどにたくさん採れるようになるといいなと思うけれど、まずは木がもっと大きくならないと無理だろうから、それはまだまだずっと先の話。
次の写真は、月曜日の朝撮った、日の出前の朝焼けの東の空。1月の太陽はこの丘の2本の木の右側から出てきていたけれど、だんだん左へ移動し、2月になると木の間から出てくるようになり、今では木の間ではなく、左側の木の後ろまで位置が移動。ここで生活していると、日の出と日の入りの太陽の位置で季節の移り変わりが感じられる。この写真は、はるたちの朝一番のオシッコから戻り、午前7時前に撮ったのだけれど、もうすぐ夏時間が終わり、平常時間に戻るので、そうすると日の出の時間は午前6時頃へと変わる。そして、今月末のカーニバルが終わると、そろそろ秋の足音が聞こえてくる。
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2017年2月16日(木) | ||||
2月1日に発送され、8日受領のパーディーニョの郵便局の受領印が押された「楽書倶楽部第36号」を、火曜日に郵便局に行ってくれたエドソンが持って帰ってきてくれた。以下は、この号に掲載された私の文章。
私が日本で学校に通っていた頃は、卒業式や入学式で国歌を歌い、国旗掲揚をすることはごく自然で普通のことだった。そして、祝日には我が家を含め、多くの家庭で国旗を掲揚したものだった。でも、いつの頃からか学校などにおけるそのような式で国歌を歌ったり、国旗掲揚をすることが国粋主義や軍国主義復活のように言われ始め、国旗を掲揚する家庭もほとんど見られなくなった。そして、教養も分別もある人が日本の国歌は「単に『天皇陛下万歳!』を唱和するだけ」のものと言ったり、学校の左翼系教師が日本の日の丸の赤は、アジア各地で日本軍が殺した人々が流した血の色で、白は戦場に残した屍骸の骨の色だなどとむちゃくちゃなことを教えているという話を耳にするようになり、驚くとともに、何故自分の国や自分の国の歴史を嘘まで言って貶めようとするのだろうと不思議でしかたなかった。 日本の国歌「君が代」は、本当に「単に『天皇陛下万歳!』を唱和するだけ」の歌なのだろうか?君が代の歌詞はもともと平安時代(七九四年~一一八五年)の和歌で、鎌倉期(十二世紀)以降おめでたい歌としていろいろな場面で歌われてきたという。天皇陛下のことを歌っているようではあるけれど、「君」をどう解釈するかによって意味は変わってくる。たとえ「君」を天皇陛下と解釈したとしても、実際に意味していることは、天皇陛下が末永くお元気でおられることを望み、天皇の御世、つまり国と国民の繁栄と平和が長く長く続きますようにと願っているのだから、「単に『天皇陛下万歳!』を唱和」している歌ではない。血生臭く戦闘的な内容の歌詞が多い諸外国の国歌に比べて、これほど平和的な国歌はなく、争い事が嫌いな日本人の国民性にとても良く合った国歌ではないかと私は思っている。 君が代は古い和歌なので歌詞がわかりにくく、メロディーも宮中の雅楽奏者がメロディーをつけ、ドイツ人に編曲してもらったという一三〇年も昔にできた曲なので、暗くてダサいと感じる人も少なくないかもしれない。しかし、これだけ古い歴史を持ち、日本の伝統文化をちゃんと継承して、国民性をもはっきりと表している国歌は他にはないということをちゃんと知っていれば、諸外国の戦闘的で派手な曲調に比べて地味な日本国歌に自信が持てないということはなくなるのではないだろうか?日本は世界中を見渡しても類を見ない諸外国とは異なる古い歴史を持っている。その古い歴史と伝統文化が途絶えることなく今に連綿とつながっており、今も息づいている稀有な国なのだ。諸外国から羨ましがられることはあっても、恥ずかしく思う理由は何もない。連綿と続いた歴史を新しい薄っぺらなイデオロギーで一瞬にして消し去ることはとても簡単なことだけれど、一旦失われ断絶した伝統を蘇らせることは至難の技だし、歴史や伝統は遡って作ることはできない。どんなにあがいても諸外国には日本よりも長く深い歴史や伝統を今から作ることはできない。それほどに諸外国とは違っているのが日本なのだから、その日本の独自性にもっと自信と誇りを持っていいのではないだろうか? また、日本の古代信仰では太陽を信仰の対象としてきており、皇祖神・天照大神は太陽神であったこと、さらに、飛鳥時代(五九二年~七一〇年)末期に国号を「日本(日の本)」と命名しており、古くから日本人は自国を太陽が出るところ、つまり、日の本(ひのもと)と認識していたことから、自然に日本の国旗が日の丸になったのだろうと思っていた。しかし、調べてみると、どうも日の丸の歴史は十二世紀の源氏と平家の戦いに遡るらしいということがわかった。この時、源氏の旗は白地に赤の丸で、平家の旗は赤字に金の丸だった。この戦いで源氏が勝って天下統一を果たしたため、以来、武家社会では白地に赤丸の旗が、天下統一の象徴として受け継がれてきて、現代に至っているらしいということだった。さらに、日本では古来から紅白は縁起が良い色とされてきたことも、この旗が無理なく受け入れられてきた理由のひとつであったのかもしれない。 日の丸には国旗としての法的正当性がないと、日本教職員組合や日本共産党などの革新勢力が「反・日の丸」を唱えたことをきっかけに、一九九九年(平成十一年)に「国旗及び国歌に関する法律(国旗国歌法)」が制定され、日の丸と君が代が日本の国旗と国歌であると正式に位置づけられた。けれども、日の丸も君が代も、そんな法律ができるずっとずっと以前から国旗、国歌として、長く広く人々に受け入れられてきたということを忘れてはならない。 日頃、国歌や国旗に無関心な人たちでも、オリンピックなどで日本人選手が金メダルを獲得し、君が代が演奏されるなか日の丸が掲揚されるのを見ると素直に心から感動する。日本の長い歴史の中で見ると、つい最近できたばかりの、しかも日本の歴史や文化伝統などとは関係のない外来のイデオロギーで、君が代や日の丸を国歌や国旗ではないと否定する人たちは、それをどう見ているのだろう?このイデオロギーの色眼鏡をかけている人たちにひとつだけはっきりと言えることは、自分の国の長い歴史の中から生まれ、受け入れられてきた国歌と国旗に敬意や愛着を持てない人間は、おそらく他の国の国歌や国旗に敬意を払うこともできないだろうということだ。ちなみに、この国旗掲揚の際、欧米諸国の人々は胸に手を当てるけれど、これは欧米式の儀礼で、日本式では直立不動が正しいのだそうだ。そして、ブラジルでも軍関係者以外は、直立不動が正しいと聞いた。 | ||||
2017年2月17日(金) | ||||
めいは庭にいるよりも私たちにより近いベランダにいる方が好きなようなので、最近は、夜寝るとき以外は、家の前のベランダで過ごしている。そして以前の鎖はちょっと短かったので、大きく長いものに変えた。それでベランダにいても自由に動ける範囲が広がり、椅子に座っていたり、椅子の上で丸まって寝ていたり、椅子の下で寝ていたりする以外に、陽が当たっているベランダの端のコンクリートの上で、一段高いベランダのタイルの床を枕代わりにして寝ていたり、ベランダの外の芝生の上に座っていたりするようにもなった。芝生の上に直に座っていることもあるし、次の写真のように、端っこが垂れ下がった日よけのネットの上にうまい具合に座っていたりもする。
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2017年2月18日(土) | ||||
以前、ランドマークの木の側のサボテンに黄色い花がひとつ咲いた際、その写真を掲載したけれど、その花が終わった後の花の下の部分はサボテンの実で、食べることができ、ちょうど今食べ頃になっているから食べてみようということになった。次の写真は、その実を採ってきて外皮を切っている途中。皮をむき始めると、中の実は思いもよらないきれいな赤で何だかビーツのようなので驚いた。エドソンと半分ずつ試食。サボテンの緑色の外皮の下にもう一層赤い皮があり、それはちょっと歯ごたえがあり、いちじくのような味がして、その下の実は口に入れると溶けてしまいそうに柔らかく、この部分は何とも例えようのない味だった。でも、普通においしかった。ただ、中にたくさんある小さな種が固いため、それらをいちいち出すのがちょっと面倒だなと思った。この実がたくさん採れれば、アセロラのようにミキサーで攪拌して、液体だけこしてジュースにしたらおいしいかもしれないと思った。
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2017年2月19日(日) | ||||
昨日、土曜日の夜12時に時間が1時間巻き戻されて午後11時となり、夏時間から平常時間に戻り、夏時間が終わった。今日から平常時間で、日本との時差はマイナス12時間に戻った。でも、体が夏時間に慣れてしまっているので、しばらくは朝早く目が覚めるのだろうなと思う。特に、めいはこれまで朝6時半頃になると目を覚まして吠えていたので、体内時計が平常時間に戻るまでは朝6時前には吠え出すかもしれないと懸念していたのだけれど、昨晩いつもより1時間遅くシュハスコ小屋に移動させたからなのか、今朝は6時前に目を覚まして吠えたりはしなかった。 在リオデジャネイロ日本国総領事館から届くメルマガは、リオのどこで日本人がどんな強盗事件に遭ったとか、何のデモがいつどこで予定されているから注意するようにという内容がほとんどなのだけれど、今年に入ってから黄熱病に関する警戒情報が何度も届いている。患者の発生数が多く、パンデミック状態と考えられているかららしい。そんな中、以下のような記事を2月16日付けニッケイ新聞「コラム樹海」で見かけたので、転載してみた。
『近年にない規模の流行状態に至った黄熱病。患者や死者が群を抜くミナス州で、周囲の町では患者が続発しているのに、感染が疑われる患者すら出ていない町がある▼人口5700人の農業の町フランシスコポリス。感染が疑われる患者の有無を示す地図で見ると、105人のラダイーニャや50人のポテ、35人のイタンバクリ、31人のテオフィロ・オトニなどに囲まれ、唯一、白抜きになっているのが同市だ▼同市で感染者が出ていないのは、黄熱病が騒がれ始める数カ月前に危険を察知し、予防接種を勧めた看護婦のケニア・モレイラ氏のおかげだ。ケニア氏は昨年9月、ケブラ・ココ区住民が「林のサルがいなくなった」と言うのを聞いた。夫や隣人からも「サルの死体を見た」と聞いたケニア氏は、異変が起きているのを感じた▼別の地区でもサルの死体を見た人がいると知ったケニア氏は、毒や空腹、喉の渇きが原因と言うには数が多過ぎると感じ、テオフィロ・オトニの地方保健衛生監督局にも赴いた。サルの死体は死後48時間以上経っており、感染確認はできなかったが、同市ではこの時点でサルの死体が見つかった地区での予防接種を開始▼1月に他地区でサルの死体が発見されると、それらの地区にも予防接種を拡大。他の町で人への感染が疑われ始めた時、同市の住民は予防接種を受け終わっていたという。周囲の町の人々は自分達にも知らせてくれていればと文句を言うが、同市は地方監督局に警告していた。監督局は同市だけの問題と判断したようだ。流行を免れた町と流行に苦しむ町の境目が小さな情報を活かしたか否かだった事は、今後への大きな教訓となりそうだ。(み)』 | ||||
2017年2月20日(月) | ||||
昨日の午後4時半頃、フロリアノポリスのサンタカタリーナ州立大学で衛星プロジェクトに関わっている大学院生が2人、プロジェクトを代表して、うちに3泊4日でやって来た。政府から約束されている助成金が支払われないため、プロジェクトの進展が遅れていて、資金も時間もないため、衛星通信用のアンテナ(既製品はブラジル国外からとても高いものを輸入するしかなく、お金と煩雑な手続きで時間がかかる)を入手できず、プロジェクトが暗礁に乗り上げそうになっているので、安価にできる手作りのアンテナの作り方をエドソンが教え、地上局の運用方法などを教えてあげることになったらしい。約1年前にフロリアノポリスであった衛星プロジェクトの国際会議にエドソンも参加したご縁で、この大学の大学院生数人と担当教授とも知り合い、以来、サンタカタリーナ州立大学の衛星プロジェクトの支援もしているので、こういう次第になったようだ。彼らが到着して、下の部屋に荷物を入れてから、しばらく居間のソファーに座っていろいろ話していたけれど、その後、早速エドソンのワークスペースに行き、エドソンからの説明を受けているところを写真に撮った。画面左側の大きなモニターはどこから来たのかと思ったら、下の寝室で使っているテレビで、画面がコンピュータの画面よりも大きく見やすいので、この方が二人に説明しやすいので、彼らがいる間こうやって使うことにしたのだそう。
2人のうちのひとり、ハファエウは、昨年、フランス政府の招待でフランスに行って起業したマリオのビジネスパートナーで、今回わざわざフランスから戻って、うちにやって来たので、ふたりからのお土産は、この人がフランスから持って帰ってきた次の写真のワインとチョコレートだった。フランスからわざわざ担いで持ってきてくれるなんて、感謝。マリオは私たちがフロリアノポリスの会議に参加した際、毎日のように私たちの面倒を見てくれた大学院生さんで、エドソンとは頻繁にメールでやり取りしていて、今回の計画もマリオが中心になって動いたようだ。マリオとこのハファエウは、大学院生なのだけれど、同時に、欧州宇宙機構(European Space Agency)に行って研究をしている彼らの教授の関係なのか、チャンスをつかんで起業したということだった。学生としての研究と、起業してビジネスをすることが両立できる環境なのか、詳しいことは私にはよく分からないのだけれど、フランスに行って起業したと聞いたときはとても驚いた。
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2017年2月21日(火) | ||||
次の写真は、昨日の朝食のテーブルをみんなで囲んでいるところを撮ったもの。右端はヴィニシウス。その左側がハファエウ。ヴィニシウスと言えば、リオデジャネイロオリンピックのマスコットだった黄色い猫のような動物と同じ名前だ。彼らが到着した日曜日の夕食は、朝から作っておいた豚肉と玉ねぎのトマト煮込みと、豆腐とキャベツのみそ汁と、きょうりの酢の物と、ご飯を出したのだけれど、みな初めて食べるものばかりだと言いながらも、嫌がらずに一通り食べてくれた。ヴィニシウスはみそ汁の中の豆腐を見て、「この白いのはチーズ?」と聞くので、エドソンが説明してくれたのだけれど、豆腐も初めて、みそ汁も初めてと言いながら、全部食べてくれた。彼はブラジル北部のパラー州ベレンの出身で、フロリアノポリスにも日系人はほとんどいないので、日本食にはまったく馴染みがないようだった。一方、サンタカタリーナ州出身のハファエウは、魚は大丈夫なのだけれど、エビなどにアレルギーがあるらしく、きゅうりの酢の物にカニカマが入っていたので、それには手をつけなかった。カニカマは本当のカニではなく、タラの身をすりつぶして作っているんだと説明しても、カニの味を付けているということは、カニの成分が少し入っているかもしれないからということだった。
ヴィニシウスとハファエウがいる間、食事とお散歩とオシッコ以外の時間は、彼らの存在が怖くて、ひろはほとんどずっとケージの中に引きこもっているので、ストレスがたまるといけないと思い、月曜日の午後、スティックを与えた(以下写真)。はるは生まれつきこういうものを食べられない体質なので、はるにはキャベツの芯を与えたのだけれど、「ひろのと違うのはどうして?」とでも言うように、キャベツの芯をほったらかして、ひろのいるケージの中に首をつっこもうとする。「はあちゃんはスティックは食べれないんだから、キャベツを食べてね」と話しかけると、ようやくキャベツを食べてくれた。2枚目の写真は、キャベツを食べ終わって、床の匂いをクンクン嗅いでいるはる。
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2017年2月22日(水) | ||||
ハファエウとヴィニシウスは、だいたい7時半から8時半までの朝食、12時半から1時半までの昼食、7時から8時半までの夕食、そして、9時半を回って下の寝室に行って休む以外の時間は、エドソンから連日集中講義を受けている。ここでの滞在時間が限られているので、必死なのだろうと思う。今月の第二週に入りお天気が回復して以来、だんだん気温が上がり始め、ここでは珍しく暑い日が続いているので、1日中扇風機を回すだけでなく、午前中は窓を全開にして、空気を入れ替えたり、夕方陽が沈んでから再度窓を全開にして、空気を入れ替えたりしているのだけれど、それでも暑いので、時々「お水ください」と台所にお冷を飲みに来たり、私の方からお冷を運んであげたりしている。次の写真は、昨日の午前中の彼らの様子を撮ったもの。私が英語のレッスンで使っている白板を落ちてこないように本棚に取り付けて、いろいろ書き込んで説明しているエドソンと、メモを取りながら活発に質問したりしている2人。ひろと違って彼らの側にくっついていたいはるも一緒に写り込んでいる。2枚目の写真は、その白板をアップで撮ったもの。何が書かれているのか私にはまったくわからない。ひろはよっぽどストレスが溜まっているのか、彼らの匂いが気にくわないのか、昨日の朝一番のオシッコに行く際、ヴィニシウスが使っている机の下で、オシッコをしてしまい、やれやれ。このひろの行動は、おそらく「ここは僕のテリトリーだからね」という主張なのだろうと思う。
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2017年2月23日(木) | ||||
火曜日の午前11時頃から昼食をはさんで、ハファエウとヴィニシウスは下のガレージに行って、エドソンに教えられたアンテナ作りに没頭していた(以下写真)。ちなみに、後からわかったのだけれど、ヴィニシウスの正しい名前はファブリシオだった。私は一度聞いただけでは憶えられず、エドソンに確認すると、ヴィニシウスだというので、それで彼のことをヴィニシウスと呼んでいたのだけれど、本人が訂正してくれないものだから、それで正しいと思っていたら、後で間違っていることがわかり、申し訳ないことをしてしまった。彼らがガレージでの作業中、ひろはほっとしてケージから出てきて、居間のベッドではるとくつろいでいたのだけれど、何か用があって、彼らが上がってくる度に、びっくりしてワンワンワンと吠えながらというか悲鳴をあげながら、大急ぎでケージに逃げ込むというのを何度か繰り返した。1週間くらい毎日顔を合わせていれば多少慣れるのかもしれないけれど、ほんの2~3日では彼らに対する恐怖心を克服できないようだった。次の写真は、お昼前にガレージでアンテナ作りを始めたふたり。夕方までにアンテナが出来上がり、うちにあったダンボール箱に入れて、手荷物として持って帰る準備も整ったようだった。
ふたりは水曜日の朝食後に帰路につくのかと思っていたら、何と午前9時過ぎのフライトということなので、ここを午前3時頃出発しなければならないスケジュールだった。彼らが確保できたのは、フロリアノポリスとサンパウロ国際空港のグアルーリョス間のフライトなので、ここからサンパウロのさらに東にあるグアルーリョスへはスムーズに行って2時間半から3時間くらいかかるのだけれど、途中通過するサンパウロ市内のマージナル・チエテがどれくらい渋滞するか予測できないのと、グアルーリョス空港でレンタカーを返却したりしないといけないので、それらの時間も鑑みて、余裕をもって出発するためにそんな時間になった。私たちにかまわず出発してねということで、火曜日の夜お別れをして、次の写真を記念に撮った。夜中の3時にちゃんと出発できるかな?と少し心配したのだけれど、3時前にひろとはるが下の音に反応して起きて吠えたので、私たちも目が覚めてしまった。そしてどうやら10数分後には出発して行ったようだった。翌朝、ベッドシーツなどを洗濯しようと部屋に行くと、バスタオルやベッドシーツがきれいにたたんであり、空になったミネラルウォーターのペットボトルやソーダの缶もちゃんときれいに机の上に並べてあって、整理整頓されていた。
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2017年2月24日(金) | ||||
今週はうんざりするほど暑い日々が続いていたのだけれど、夏の終わりに鳴き始める種類のセミがにぎやかに鳴き、トンボが飛び始めたので、季節は確実に変わりつつあるようだ。今朝は曇り空で爽やかな風が時々吹いているけれど、この暑さはいつまで続くのだろう?と、長期予報を見てみた。すると、今日のお昼くらいからお天気が崩れ、28度から30度くらいあった最高気温が、これからの1週間で25度、23度、22度、20度と徐々に下って行くという予報になっていたので少しほっとできそうだ。でも、今晩からサンパウロなどでカーニバルが始まるので、カーニバル期間中は雨模様の日々ということになるわけだ。カーニバルに行こうと考えている人たちにはちょっと残念なお天気になるのかな?サンタカタリーナ州立大学のハファエウとファブリシオがここに滞在している間は、こちらの都合で朝食や夕食をさっさと食べて片付けるということができないため、月・水の朝のジョアオンの英語のレッスンと、火曜日夜のジミーのレッスンはお休みさせてもらった。でも、ジョアオンには都合が良ければ埋め合わせに、今週の木曜日と金曜日にレッスンをしてもいいですよと言っておいたら、木曜日はサッカーの約束があるとか言っていたけれど、何とか変更できたようで、レッスンにやって来た。そして、カーニバル期間中は家族で旅行に行くので、来週お休みする代わりに、今日もレッスンにやって来た。今日の午後から学校を休んでパラナ州クリチバに住む従姉妹のダニエリのところに行くので、うれしくてたまらないようで、神経衰弱のカードゲームをしながら歌ったり踊ったりと、とても上機嫌だった。 | ||||
2017年2月25日(土) | ||||
入り口ゲートに向かう道沿いのエリアに何本も植えたフランボヤンジーニョの苗木が少しずつ成長してきていて、そのうちの1本につぼみがたくさんつき始めたので、写真に撮った。これまでうちで育てていたフランボヤンジーニョは赤というか濃いピンクの花が咲くものばかりだったのだけれど、これは黄色い花のフランボヤンジーニョだった。2枚目の写真は、1枚目の写真を撮った翌日、つぼみのひとつが花開いたので、撮ったもの。
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2017年2月26日(日) | ||||
今年はオクラの不当たり年で、たくさん種を蒔いたのに、畑でちゃんと育ったのは1本だけ。とうもろこし畑の下のエリアでグアンドゥ豆が育っていないところに蒔いた種も、出てきた芽は少し大きくなると、皆何かに食べられてしまい、1本だけかろうじて時々枝を切られながらも1つ2つ実をつける程度。幸い畑で生き残った1本のオクラはその後も元気に育ち、かなり大きくなり、初め頃は1本とか2本の収穫だったのが、最近では一度に4本とか5本とか採れるようになった。それで8本くらいのオクラを使って、オクラとトマトのサラダを作ってみた。ブラジルに来て以来、サラダドレッシングは店では買わず、いつも手作りしているので、その毎日使っているフレンチドレッシングに和えただけの、どうということはないサラダなのだけれど、ローストポークのお供にあっさりとして、エドソンにはとても好評だった。
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2017年2月27日(月) | ||||
この土曜日のお天気は午前中から雨が降り出すという予報だったのだけれど、ゼーとマリアが仕事に来てくれ、ヴィトーが都合でレッスンに来れなくなったと連絡してきたので、はるとひろをシュハスコ小屋でお留守番させ、ゼーたちに時々はるたちの様子を見てねと頼んで、久しぶりにボトゥカトゥへ買い物に行った。リサイクルする瓶やペットボトルが何箱もたまっていたので、ようやくそれらをスーパーのリサイクルサイトに持って行くことができ、やれやれ。先週の21日は義妹エリカの息子ブライアンの誕生日で、22日は私、23日はひろの誕生日という連日誕生日の続く週だったのだけれど、週の前半は大学院生さんたちが来ていたし、22日の夜はジセレーニの英語のレッスンがあったので、特別なことは何もせず、普通に過ごした。私は去年の9月のエドソンの誕生日を忘れるという大ポカをしてしまったけれど、エドソンは私の誕生日を忘れずちゃんと憶えていて、22日の朝、朝食の時にハッピーバースデーの歌を歌ってくれた。私にはそれだけで十分だったのだけれど、土曜日にカーニバル休暇中の食料品の買出しに来ているお客さんでごった返すスーパーのレジに並んで順番を待っている間、エドソンが姿を消したと思ったら、次の写真のラン(右側)の鉢を手に戻ってきた。私の誕生祝いだなどとは言わず、とてもきれいだったからとだけ言っていたけれど、感謝。感謝。お昼前に家に戻って早速食卓の上に飾った。
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2017年2月28日(火) | ||||
この日曜日に弓場農場の矢崎さんからメールをいただいた。楽書倶楽部の最新号に掲載された私の文章を読んでわざわざ感想を送ってきてくださったことに恐縮するとともに、とてもうれしかった。寄稿した文章に反応が来ることはめったにないことだけれど、日々の思いを綴っただけの私の文章を読んでくださっている方がいること、そして文章を発表する場を与えてくださっている前園さんと楽書倶楽部の存在に感謝すると同時に、香山さんを通じて交流が広がったブラジルでの我が身の幸運を感謝した。以下がそのメールの一部。 「・・・過日楽書倶楽部36号に投稿された「国歌と国旗」拝読しました。読みつつ、我が意を得たりとすっかり嬉しくなってしまいました。仰るとおりです。昔は旗日と言っていましたが、国歌はともかくも国旗は頻繁に門口に掲揚されていました。子供心にも誇らしく清々しい思いを抱いたものでした。 国歌イコール天皇崇拝、国旗イコール軍国主義etc.、考え違いも甚だしいことです。愛国心などは右翼左翼以前に日本国民として当然持ち合わせていなくてはならないものです。日本国旗ほど威風堂々とした旗はありませんし、日本国歌ほど簡潔、明快に平和を説く歌はないのです。祖国の平和が千代に八千代に保たれるようにと祈る歌なのですから。貴女の記事は新聞に投稿して頂きたい内容です。今からでも是非出してください。 大変遅くなりましたが一言お礼を申し上げたくしたためました。ますますお元気でお過ごしください。」
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