Kyoko Yoshida | Life in Brazil | BLOG |
2017年1月1日(日) | ||||
![]() あけましておめでとうございます。いつものように大晦日には日本時間とブラジル時間の2度の年明けを祝い、穏やかに新年を迎えることができたことを感謝。この近辺には神社はもちろんのこと、サンパウロなどにあるようなお寺もないので、初詣はできないけれど、今年もみな元気で良い一年を過ごせますようにと、元旦の朝の太陽に向かって祈った。 | ||||
2017年1月2日(月) | ||||
次の写真は、うちの丘の上から西を向いて撮った元旦の空。あまり青空はなく、雲に被われているけれど、時々強い日差しが照り、ここの気候にしては比較的湿度と気温が高く暑い元旦になった。午前中(こちらの時間で元旦のお昼前、日本時間で元旦の夜)広島の兄と、家族を連れて帰省している甥っ子たちと、エドソンのコンピュータにインストールされたスカイプで新年の挨拶を交わし、おしゃべり。兄のコンピュータのカメラが上手く作動せず、こちらは彼らの顔を見ることができなかったのだけれど、あちらは私の顔を見ることができ、甥っ子の幼稚園に行っている娘が、「どうして半袖シャツ着てるの?寒くないの?」と聞くので、「日本は今、冬だけど、ブラジルは反対で、今、夏だから暑いのよ」と説明するのだけれど、どうもピンとこないようだった。まだ小さいのだから無理もないね。今月は、先月延期になったUbatubaSatの宇宙への放出が行われる予定なので、ウバトゥーバとINPEからプロジェクトに関わる人たちがうちに来て、衛星がちゃんと信号を発信し受信できるかどうかを確かめることになっている。それで、その準備にエドソンは忙しくしていたのだけれど、またまた甥っ子の娘が、「エドソンはどこ?エドソンと話したい」と言うので、作業の手を止めて、少しの時間だけエドソンもスカイプでのおしゃべりに加わった。
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2017年1月3日(火) | ||||
大晦日の夜は、近隣の町から上がる花火が、360度の視界が広がるうちの丘に上がると四方八方遠くに見える。でも、今年は玄関を出たところからほぼ正面に見える位置でも遠くに赤や青の花火が上がっていた。こんなことは初めて。そして、いつもは5分くらいで終わるこれらの花火が今年は結構長く続いたので、これにもまたびっくり。クリスマス商戦が景気後退で寂しい状態だったとニュースで見ていたので、大晦日の花火に使う予算も多くの町で削減されるのではないかと思っていたのだけれど、予想に反していつもよりも気合が入っていたようなので驚いた。次の写真は、元旦の日の午後、我が家を庭の北東から撮ったもの。
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2017年1月4日(水) | ||||
12月最後の土曜日は大晦日だったのだけれど、手伝いのヒバマーとゼーとゼーの奥さんの3人が作業に来てくれた。このゼーの奥さん、以前はカステロ・ブランコ上のホドサーブのひとつでお料理などを作っていたのだけれど、経済不況の煽りでご主人と一緒に職を失い、ドナ・ベティのファゼンダに再就職したご主人の稼ぎだけではきついので、家でパンを焼いて売ったり、依頼のあった家の手伝い仕事をしたりしていると以前聞いた。そして最近、時々うちにも来て、ご主人のゼーたちと一緒に草刈りなどの力仕事をしている。こちらから頼んだわけではないのだけれど、エドソンは基本うちで仕事がある時は彼女が来て仕事をすることを拒まないので、あちらの都合で来たり、来なかったりするのを黙って受け入れている。1日3~4人分の日当を払うのはちょっと負担だけれど、それだけ仕事がはかどるのだからまあいいかと考えている。話を大晦日に戻すと、丘のとうもろこしがだいぶ実をつけて育ってきているので、エドソンがゼーの奥さんに「このとうもろこしが収穫できたらコーンケーキなんか作りたいね。作り方知ってる?」とか何とか聞いたらしいのだけれど、どうもコーンケーキを作って持ってきてほしいと言われたと勘違いしたようで、昨日の朝、今年初めて仕事に来てくれた際、奥さんが以下の写真の手作りのコーンケーキを持ってきてくれた。私がコーンミルだけで作るコーンケーキとは少し違っていて、彼女のコーンケーキは2層になっており、下の柔らかい層にはとうもろこしのつぶが混ざっていた。昨日のお昼に少し試食したらとてもおいしかった。代金は15レアル(約540円)。直径19センチの大きなケーキなので、お店で買ったらもっと値が張ると思うのだけれど、作り手から直接買うので安くてありがたい。
さらに昨日は、畑の手伝いをしてくれるジョゼも来てくれ、ドナ・ベティのところでたくさん収穫したからと言って、カリオカ豆を持ってきてくれた。重さを計ってみると3キロ近くもあった。うちでは普通のブラジルの人たちのように毎日煮豆を食べることはないけれど、それでも日本にいた頃よりも頻繁に豆料理を食べるようにしているので、とてもありがたい新年の贈り物だった。ジョゼはドナ・ベティのところでも作物作りに精を出していて、去年は収穫したお米を2~3回持ってきてくれたりして、本当に助かっている。何かをただでもらえるからということではなく、私たちにもお裾分けをと思ってくれるその気持ちがとてもうれしい。この人たちがうちの手伝いに来てくれていることを心から感謝。
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2017年1月5日(木) | ||||
毎週土曜日にうちの手伝いに来てくれるのは、何年もずっと続けてくれているヒバマーと、去年ホドサーブでの職を失ってから、ヒバマーが働いているドナ・ベティのファゼンダに再就職して、ヒバマーに誘われたのか、うちにも来てくれるようになったゼーのふたりが基本。そして、このふたりとは別に、簡単な大工仕事や畑仕事をしてもらいたい時だけ来てくれるジョゼがいて、最近はゼーの奥さんも時々来るようになった。彼らがうちに来てくれるのは、基本は土曜日なのだけれど、ドナ・ベティのファゼンダでは年末年始は2週間くらい休暇になるので、その間、平日でも時々うちに来てくれる。年が明けて今週は、火曜日と水曜日に来てくれた。3日(火)は4人が揃って来て仕事をしてくれたのだけれど、4日(水)はジョゼとゼーの奥さんのふたりだけだった。ゼーは別のところでの仕事に行き、ヒバマーは数日前にお父さんが亡くなったそうなので、昨日はお休みだった。次の写真は、念願の小さなニワトリ小屋を作ってくれているジョゼを、食堂の窓から撮ったもの。ニワトリ小屋を設置するのは家の北側の庭なのだけれど、家の南側のガレージの前でないと電源がなく、電気ノコが使えないので、ここで作業をして、できあがったら庭に運ぶのだとか。2枚目の写真は、作業が進んでだいぶ形が見えてきたニワトリ小屋。
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2017年1月6日(金) | ||||
昨日、パーディーニョの町に用事があり、郵便局から発送するものもあったので、エドソンが郵便局に行ってくれた。すると、サンパウロ新聞の松本さんが先月15日に発送してくださった新聞2部が届いていた。15日付けで「香山文庫」のウェブサイトの件に関する記事が掲載された新聞だ。サンパウロ新聞を購読しておられるペトロポリスの安見さんのところにはクリスマスの2日くらい前に届いたそうだから、ここは距離的には近くても、やはり田舎だから時間がかかるのだろうなあ・・・。ページを開き記事を見ると、新聞紙上のレイアウトや文字の大きさなどの違いで、インターネット上の記事とはずいぶん印象が違い、何だか大きく取り上げられている感じがあって、ちょっと恐縮してしまった。以下の写真の左側のページの上半分の右側2/3がその記事で、左側1/3の記事はここで行われた岡村さんの映像の上映会に関する記事。全体としては日本の新聞の感じとあまり変わらないけれど、紙面の大きさは日本の新聞よりも細長い。そして、通しのページ番号が、サンパウロ新聞と名前がある日本の新聞で言うと一面の1ページ目(写真右側)が8ページで、日本の新聞でいうと最後のページが1ページとなっていた。わざわざ送ってくださった松本さんに感謝。
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2017年1月7日(土) | ||||
うちの桜は7月から8月、つまりここでは冬の時期に咲くのだけれど、去年は天候不順で一部が早々と6月に狂い咲きしたりした。でも、それだけでは終わらず、7月から8月にかけても、ある程度花を咲かせてくれたので、まずまず良かった。そんな訳で、例年になくちょっとおかしな状態を経験したのだけれど、それから数ヶ月経って、庭の桜の木の回りだけでなく、やたらあちこちから桜の芽が出てきているので驚いている。年々芽が出る数が増えてはいたけれど、こんなにたくさんの芽が出たのは今年が初めて。次の1枚目の写真は、庭の桜の木の足元の芝生の間から出ている桜の芽。
2枚目の写真は、庭の桜の木からほんの少し離れた糸杉とポインセチアの間の足元にあるラベンダーの回りに生えている桜の芽。どうしてこのラベンダーの回りにこんなにたくさんかたまって芽が出ているのだろう?このラベンダーの下にはアリの巣があるので、アリが桜の実を運んできて、巣の回りで芽が出てしまったのだろうか?、それとも、このラベンダーの上の辺りに桜やフランボヤンの木の細い枝が伸びているので、鳥が実を運んできたのかな?それとも、実を食べた鳥がこの枝の上で糞をしたのかな?などと、エドソンと話している。これらの芽がもう少し大きくなったら、またテトラポットに植え替えて、育てて、さらに大きくなったところで地植えにする作業をしなければと考えている。ただ、あまりにもたくさん芽が出ているので、これら全てを植え替えるのはちょっと無理かもと思ったりしている。でもまあ、これらの芽が全て無事に大きくなるとも限らないので、今から心配することでもないかな?
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2017年1月8日(日) | ||||
ここでの暮らしで一番の楽しみのひとつは、育てた野菜や果物が育ち、収穫して、食べること。先日の夕方、仕事が終わってエドソンが外に出たので、例によってお散歩運動かな?と思ったら、しばらくして、とうもろこしを数本持って戻ってきた。以前、とうもろこしを育てた際、成長しつつある小さい段階で収穫して食べてみると、ベビーコーンのように柔らかくておいしかったので、今回も実をつけて成長しつつあるものを採ってきてくれたのだった。次の写真は、採ってきたとうもろこしの皮をエドソンが剥き始めたので、1本剥き終わったところで流しに並べて撮ったもの。2枚目は、全部皮を剥き終わって、茹で上がったもの。大きさは大小いろいろだけれど、どれも柔らかく、甘くておいしかった。うちでは農薬を使わず育てているので、いわゆるオーガニック。この夏の初物のとうもろこしを感謝とともにいただいた。
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2017年1月9日(月) | ||||
次の写真は、屋根と右サイドにランプができれば完成となるところまできたニワトリ小屋。エドソンがカメラを持って出て来てというので、カメラを持って小屋の前まで行くと、かんぬきを抜いて正面の扉を開けてごらんと言う。扉を開けると、中にめいがいたのでびっくりして、「あらあ~!めいちゃん!」と驚きの声をあげたら、エドソンとジョゼが大爆笑。やられたあ・・・。ジョゼが作業をしている側でめいがずっとうろうろしていたので、エドソンが私を驚かせようと、めいを小屋の中に入れたらしい。めいにとってはとんだ迷惑だったね。小屋の中には止まり木が1本水平に取り付けてあり、その奥の壁に取り付けてあるのはニワトリの寝床。この写真では見えないけれど、この寝床の右側の床の上にはエサ箱までちゃんと作ってくれている。この小屋の正面の扉は、私たちが玉子を採ったり小屋の掃除をしたりする際に使うもので、右側サイドの小さな扉はニワトリたちが小屋を出入りする際に使うもの。その出入りのためのランプはまだできていない。ジョゼの完璧な仕事に感謝感激!広島の友人が5日のブログに掲載した作りかけのニワトリ小屋の写真を見て、「今年は酉年、にわとり飼いはじめにぴったりですね」とメールをくれた。そのメールを見て、「ああ、そうだ。今年は酉年で、念願のニワトリ小屋ができるなんて、何と奇遇」と思った。
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2017年1月10日(火) | ||||
パウロが自宅テレビの衛星放送受信のためのアンテナを最新式のものに取り替えた。これまで使っていたとても古いタイプの大きなディッシュ・アンテナを捨てると言うので、捨てるくらいならちょうだいと言ってエドソンがもらうことになった。そして、2ヶ月ほど前にパウロがトラックで運んできてくれ、ランドマークの木の側に下ろしてもらっていたのを私が手伝って家の南東側に移動させ、そのままになっていた。そしてようやく先日、ジョゼに手伝ってもらってアンテナを支える支柱を立ててもらい、取り付けが完了した。以下の写真は、設置完了後、微調整を行っているエドソン。このままではまだ使えないらしく、このアンテナの中心部分、つまり核心部分を取り替えれば、電波望遠鏡として使えるのだという。ここは銀河系の中心が1日に1回頭上を通過するのだそうで、それを捕らえてコンピュータ上でデジタル化した信号を観察することができるらしい。私にはよくわからないけれど、エドソンにとってはとても興味深いことのようだ。ずっと以前、広島の友人のご主人が、エドソンは口数が少なくスポーツにも関心がないようだし、何に関心があるのかよくわからないから、何を話したらいいかよくわからんとこぼしたことがあったけれど、エドソンの興味の対象は、普通の人がほとんど関心を示すことのない、と言うか、理解が難しい、かなり高度な科学的なことなので、そんなことを話しても普通の人には理解できないのだから仕方がない。でも、ブラジル、アメリカ、日本で暮らし、1ヶ月ほどかけてアフリカ大陸の6ヶ国くらいを回って、衛星通信の地上局を設置したこともあり、様々な国籍の人たちと仕事をして来たので、もっとずっと柔らかい比較文化論的なことを話すのも大好き。それに音楽や映画も好きだし、話すことはたくさんあるんだけどなあ・・・。
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2017年1月11日(水) | ||||
先日、夕食が終わる頃、外でドスンというような音がした。何だろう?とエドソンと顔を見合わせたのだけれど、夕食後にはるとひろのお散歩に出て、音の原因がわかった。何と、庭のフランボヤンの木の大きな枝が虫に切られて落ちた音だったのだ。このフランボヤンの木は以前にも一度、このビッショ・セハドーという虫に枝を切られたことがあり、その虫が枝を切っている写真をこのブログに掲載したことがある。今回切られた枝も結構太い枝なので、かなりの時間をかけて切ったのだと思われるけれど、その進行途中ではまったく気がつかなかった。散歩から戻りエドソンがこの枝を片付けようとするので、写真を撮りたいからそのままにしておいてと頼んで、翌朝この写真を撮った。その後、私がランドマークの木の後ろに引っ張って枝を移動させたのだけれど、とても重かった。大きな音がするはずだ。
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2017年1月12日(木) | ||||
畑のラディッシュは、収穫できるものはほぼ収穫し終え、実が丸く育たなかった収穫できないものだけがまだ畑に残っている。それを抜かずに放っておいたら、ひょろひょろと茎を伸ばし、かわいい薄ピンク色の花がたくさん咲き始めたので、写真を撮ってみた。次の写真が、そのラディッシュの花の一部。背景にある緑は、ほぼ毎日食べているコウヴィの葉。
毎年オクラは放っておいてもよく育ち、たくさん実をつけてくれていたのに、この夏は最初に種を蒔いたオクラがまったく芽を出さず、2度目に蒔いた種は芽が出たものの、大きくなる前に虫か何かに食べられてしまい育たず、何故か1本だけかろうじて被害に逢わず成長して、花を咲かせ、実をつけ始めている。1本だけなので、収穫できる実は1本とか2本ずつ。でも、ぼちぼち実がなり始めたのだからありがたく大切にいただいている。
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2017年1月13日(金) | ||||
家の東側の庭にあるアモー・アガハジーニョというつる性の植物が、今たくさんピンクの花をつけている。以下がその写真。この花から少し離れて、この東側の庭を撮ったのが2枚目の写真。真ん中に桜の木があり、その左側にアモー・アガハジーニョがあり、手前にガーデン・グレヴィーリャの赤い花が咲いていて、そのまた手前の、ガーデン・グレヴィーリャよりも背の低いネムの木の赤い花が咲いている。桜の木の左後ろの緑は孟宗竹で、そのまた左に少し見える赤い花も、ガーデン・グレヴィーリャ。ここのガーデン・グレヴィーリャやネムの花は、花の数の多い少ないはあっても、ほぼ1年を通じて咲いている感じだけれど、アモー・アガハジーニョが花を咲かせるのはこの時期だけ。
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2017年1月14日(土) | ||||
1月12日付けのニッケイ新聞に、『10日連続で体感温度40度超=リオ・デ・ジャネイロ市で記録的な猛暑が続く』と題する記事(以下にコピー)があった。サンパウロ市も1月10日の時点で、23日連続で最高気温が30度を越えたと、別の記事にあった。ここもリオやサンパウロほどではないけれど、先月のクリスマス前から最高気温30度前後で湿度の高い日が続いていたのだけれど、以下の記事の最後にある予報通りに11日の夜に雨が降り、冷たい南風が吹いたので、気温が下がり、最高気温25度前後の日々になり、ほっとしている。 『2017年が明けて12日になるが、リオ・デ・ジャネイロ市では年明け早々から猛暑が続き、1月10日まで10日連続で体感温度が40度を超えるという異常事態となっている。 ブラジルでは、年明けの1月からカーニバルの行われる2月が、北半球でいう7月から8月に当たり、1年でもっとも暑くなる。ブラジル南東部は、北東部ほど暑くならないが、それでも、海岸に近いリオは暑い地域として有名だ。 だが、体感温度が40度を超えるという事態が10日間も続くのは、そのリオでさえ珍しい。しかも、それを記録しているのが、国内の芸能人などが住んでいるリゾート住宅街として有名なバーラ・ダ・チジュッカ区などだったりする。いわゆるボサノバの名曲「イパネマの娘」などで国際的に想像されがちな「暑い海岸」そのままのイメージではあるのだが、ここまで暑いと、おしゃれなムードを楽しむとところでもなさそうだ。
以下が1日以降のリオ市での体感温度の最高温度だ。 この夏に日焼けなどを楽しみたいなら絶好の温度と日差しかもしれないが、これでは、海岸に行って一浴びでもしないとやっていられない暑さでもある。 連日の猛暑の原因は、昨年末から南東部にいすわっている熱帯高気圧(ASAS)の影響だ。予報ではそろそろ影響力を弱めるとも言われ、11日には低気圧が接近すると見られているが、さて、どうなるか。』 | ||||
2017年1月15日(日) | ||||
昨日ヒバマーたちが仕事に来てくれたのだけれど、ヒバマーとジョゼの他のふたりは知らない人だったので、エドソンに言うと、すぐに外に出て確認してくれた。すると、ヒバマーとジョゼの他のふたりは、ひとりはゼーで、もうひとりはジョゼの親戚の人らしく、このふたりはドナ・ベティーの所に仕事に行く前に、ニワトリ小屋を家の南側から北側の庭に移動させるために、わざわざここに寄って手を貸してくれたのだということがわかった。ゼーはいつもと装いが違い完全防備ではなく、ノースリーブのシャツに膝丈の半ズボンをはいた気楽な装いだったので、見違えてしまい、この人は知らない人だと思ってしまった。次の写真は、4人が来てすぐにニワトリ小屋をみんなで運んで、家の北側の庭に設置し終えたところをベランダからパチリ。ニワトリ小屋は当初は畑の東側のスペースに置こうと思っていたのだけれど、昼間、鶏に庭で自由にウロウロしてもらって、虫などを食べてもらうためには、庭の真ん中辺がいいのではないかということになり、設置場所を変えた。
この作業の後、ジョゼがニワトリ小屋の屋根をトントントンと取り付けてくれた。黒いビニールシートで小屋が被われているのは、外壁に防水のペンキを塗るまでは風雨を避けた方がいいということで被ってくれたようだ。その後、エドソンはヒバマーとジョゼに、庭のユーカリの木が大きくなり過ぎたので、切り倒す作業を頼んだ。次の写真は、昨日の夕方、4本のユーカリの木の切り倒しが終わった状態をパチリ。大きなユーカリの木が4本すべてなくなり、庭が何だか寂しくなった。でも、エドソンの話だと、切り株からまた芽が出て育つから心配ないということだった。4本を切り倒したので、2年分くらいの薪ストーブ用の薪ができたんじゃないかとエドソンは言っていた。太い幹はまだ小さく切っていないので、すぐには薪として使えないけれど、これよりも細い枝は今年の冬から使えるのでありがたい。
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2017年1月16日(月) | ||||
先月、バラの花壇の向かい側のレンガの壁のところで、もらってきたままの鉢で育てているワイルドベリーの木に2つほど白い花が咲いたので、その写真をこのブログに掲載したけれど、あれから1ヶ月、赤い実がひとつと、黄緑色の実がひとつなっているので、またその写真を撮ってみた。前回も書いたけれど、鉢から地植えにしようと思ってはいるものの、花が咲いたり、実がなったりしているので、鉢からはずして、地植えにすることを躊躇している。地植えにしたワイルドベリーにも少しだけれど花が咲いたり、実がなったりしている。量がとても少ないので、これでジャムとかができるわけではないけれど、実をつけてくれると、それだけで何だかとてもうれしい。以下の赤い実の写真を撮って2日くらいした日曜日の午後、赤い実を収穫してみようかなと思って見ると、赤い実が黒色に変わっていてびっくり。桑の実と同様、赤い実はまだ完全に熟れておらず、黒くなってから完熟なんだと納得。
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2017年1月17日(火) | ||||
外階段の向こう側の庭に植えたアメンドイン・フォファジェイロという草がとても元気が良くて、今ではうっそうとして、時々刈り込まないとサツキに覆い被さるようになり、階段にあふれ出してナイアガラの滝状態になる。数ヶ月前に、私がここを刈り込む作業をしたのだけれど、また伸びてきてしまって滝状態になってきたので、この土曜日に、ヒバマーにあふれ出している部分を刈り取ってもらった。次の2枚の写真は、そのbefore&afterを撮ったもの。
去年12月に日本の「こうのとり」でISSに運ばれたブラジルのウバトゥバ・サット小型衛星が宇宙に放出される日が今月に延期になっていたのだけれど、昨日のニュースで、『国際宇宙ステーション(ISS)の日本実験棟「きぼう」から16日、超小型衛星6機が宇宙空間に順次放出された』とあった。宇宙に放出されたこれら6機の小型衛星の中には、このウバトゥーバ・サットも含まれているので、INPEの関係者やウバトゥーバの先生たちがうちに来て、衛星がちゃんと信号を発信していて、受信できるかどうかを、エドソン手作りの地上局から確認するのは20日(金)になった。 | ||||
2017年1月18日(水) | ||||
先週打ち上げ予定だったJAXA(宇宙航空研究開発機構)の超小型衛星を載せたミニロケットが、予定通り打ち上げられなかったようなので、どうしたのだろう?と、思っていたら、15日に延期になり、打ち上げられたけれど失敗したというニュースがあった。飛行中にロケットからのデータが送られてこなくなったため、飛行中止決定が下され、ロケットは海上に落下したということだった。 『ミニロケットは、これまでの観測ロケットを改良したもので、大きさは電柱の大きさ程度、衛星を地球周回軌道に投入できるロケットとしては世界で最も小さいものだった。また部品には民生品が活用され、コストダウンを目指す新しいケースとして、打ち上げの行方が注目されていた。 打ち上げ後の記者会見で、JAXAの開発責任者である羽生准教授は「民生品に原因があったかどうかは分からない。機体のデータを送る機器は、これまでも使ってきた実績のある機器だ」と述べた。今後JAXAは、打ち上げ失敗の原因について、取得データなどから調査を進める考えだ』と、ニュースにはあった。 どうしてロケットからのデータ送信に問題が起こったのかは、これからの調査を待たなければならないけれど、このニュースを見て、ブラジルでエドソンが様々な大学や研究機関の衛星プロジェクトを技術支援しながら感じている、衛星通信軽視の傾向は、日本も同じなのかな?とふと思った。衛星を作って、打ち上げ、運用するためには、多くの専門分野の英知を結集しなければならないのだけれど、何故か一番肝心な衛星通信に関しては、ブラジルのプロジェクトには専門家がおらず、なおざりにされている。衛星を宇宙に送り出して、データを収集できたとしても、それを地上に送ることができなければ、そのプロジェクトは完全な失敗で、つぎ込んだ大金を無駄にすることになるので、エドソンは口を酸っぱくして、繰り返し衛星通信技術に関してもっと注意を払うようにと言っているのだけれど、なかなか理解されない現実がある。今はとりあえず、ウバトゥバ・サットが成功することを祈るばかり。 | ||||
2017年1月19日(木) | ||||
以前にも紹介したことのある韓国人の人が日本語で書いている「シンシアリーのブログ」は、韓国人の物の考え方を説明しているのだけれど、日韓の慰安婦合意や釜山にあらた設置された慰安婦像に関連する、韓国人の考え方の記述があったので、以下にそのコピーを掲載してみた。
毎日新聞(※韓国の毎日新聞は大邱毎日新聞のことで、日本の毎日新聞とは違います)の社説に、次のような主張がありました。 <・・民間レベルで展開されている慰安婦像の設置で、日本が韓国を窮地に追い込むことは、友好国としての姿勢ではない。一度結んだ国間協定を破棄したり無効にすることは望ましくないが、慰安婦像設置と合意金10億円の出捐は、別の問題なので、見直しの余地が十分にある。日本が慰安婦像撤去を繰り返し要求するなら、10億円は返すのが正しい。> 怒るか、笑うか、呆れるか。この文章を読んだ反応は人それぞれでしょうけども、地方紙の社説にポツンと書いてあるこの短い内容は、韓国側の考え方を実によく現しています。 この社説は、「国家間の協定を破棄するのは望ましくない」ことを知っています。ただ、「私が正しいと思っているやり方を貫くのはそれとは別だ」と考えていることがよくわかります。 「協定は守るべきだ」を「一般的なこと」として知っていつつも、「私の正しいこと」をそれとは別に考えることで、自分自身の正義にある種の特権(その一般的なことから例外とする)を与えているのです。 これは、「知らない」、すなわち教育が足りないなどの理由で最初から知らないこととは、大きな差があります。「そんなこと知ってはいるけど、私は別だ」と考えるから問題なのです。 「韓国人による噓韓論」に、韓国は教育インフラは決して低くないのに、なぜ自分で調べようとしないのかという問題を提起したことがあります。すなわち、「慰安婦や日本海呼称問題など反日思想の矛盾を、決して知らないわけではない。知っていてもそれを受け入れようとしない」のです。受け入れないのが『正しい』から、でしょう。 国内に目を向けても、この「知ってはいるけど、俺は別な」という生き方は蔓延しています。 「社会で上位層(高位層)になればなるほど、ルールを守るのではなく、ルールを破ることを考える」現象。 「ウリ」を叫ぶ人たちが、結局はその「ウリ」を分裂させてしまう謎。 「私は例外だ。なぜなら私が正しいから」。 全てに繋がっている、韓国の慢性病です。 | ||||
2017年1月20日(金) | ||||
弓場農場の矢崎さんが、ファイスブックに金婚式="Bodas de ouro"を迎えられたと写真を掲載された。腰を痛めておられ、杖や車椅子での移動を強いられておられるようだけれど、いい笑顔でお元気そうなので安心した。おめでとうございます。以下は、この写真に添えられていたメッセージ。 「1月16日は私と妻恵子の結婚50年目の記念日でした。私がユバ農場入りしたのが1963年10月(昨年で53年目となりましたが)その4年後の67年1月に私24才、恵子23才で一緒になりました。今にして思えば随分若くして結婚したものだと思うのですが、それ故に金婚式などという大きな節目を迎えることが出来たのでしょう。大いなる感謝です」
18日(水)に、広島の友人から、昨年お亡くなりになっていたことがわかった横路先生のことをもう少し知りたくて、片岡先生にお目にかかったのだけれど、お知らせいただいた以上のことは片岡先生もご存知なかったと連絡をもらった。でも、ひとつ新しいニュースとして、横路先生の奥様もすでに数年前にお亡くなりになっていたということがわかった。やはりそうだったのかと、またちょっと気が滅入った。 | ||||
2017年1月21日(土) | ||||
昨日、アメリカの新大統領にトランプ氏が就任した。この人の登場で、これからアメリカは、日本は、世界は、一体どうなるのだろう?毎年クリスマスカードを送ってくれるアメリカの友人から、年が明けてカードが届いたので、お礼のメールを送ると、それに対して返信があり、その中で「I'm still reeling about having to deal with our new incoming president. I can't even say his name. I had already booked a flight and hotel along with my sister and some friends to be in DC for the first woman's inauguration. Instead of that joyful event, I will be marching with at least a hundred thousand other women in protest.」=「新しい大統領にどう対処したものか、いまだに動揺が収まりません。彼の名前を口にすることさえはばかられます。妹や友人たちとアメリカ初の女性大統領の就任を祝うために、ワシントンDCに行く飛行機とホテルをずっと前に予約していたのですが、その喜ばしいイベントに代わり、少なくとも10万人の女性たちが集まって行う反対デモ行進に参加するつもりです」とあったので、わあ大変と思った。この人はフリーランスでカメラを担いで映像を撮り、ニュースにしたりビデオを作ったりすることを職業としている中西部に住む独身女性。国政に対しても声を上げようとしているのはいいけれど、トランプ氏がキング牧師の息子と和解したというのに、このような行動はますますアメリカの分断を深めるのに寄与するだけなのではないかと危惧される。トランプ氏がどんな舵取りをするのかみんなが不安に思っている。ああ、何だか波乱の船出だなあ・・・。 | ||||
2017年1月22日(日) | ||||
当初の予定では19日(木)の夜パーディーニョに到着して、ホドサーブのホテルに1泊して、翌20日(金)の午前中の衛星通過に合わせてうちに来るはずだったウバトゥバとINPEの人たちは、ウバトゥバを19日の午前7時に出発して、途中サン・ジョゼ・ドス・カンポスでINPEの人たちを拾って、午後4時頃こちらに到着したので、その夜の衛星通過を見守ることになり、我が家にやって来た。次の写真は、4時過ぎに到着したウバトゥバの学生9人と、先生2人、INPEのプロジェクトマネージャーと、技術支援をした日系のスタッフ(この人はINPEのスタッフであると同時に、INPEで修士課程に在籍して研究している人)、総勢13人の人たちに、ダイニングルームでオリエンテーションをしているエドソン。
次の写真は、オリエンテーションの後、地上局のあるエドソンのワークスペースに移動して、みんなにウバトゥバ・サット(別名タンクレード)の通信システムなどを説明しているエドソン。手前に立って空中を指して話しているのはINPEのプロジェクトマネージャー。奥右側の横縞のシャツを着た人が、技術支援をした日系のスタッフ。この人のことを何となく20~30代の若い人と想像していたので、中年のスタッフさんでちょっと驚いた。
次の2枚の写真は、バンの運転手さんに写真を撮ってもらっているところと、それが済んで、運転手さん(赤いシャツで右側に立っている人)にも入ってもらって、私が撮った右側半分の人たちの写真。右奥のソファーに座っている男性と、手前右側に座っている青いシャツを着た女性が、ウバトゥバの学校の先生。男の先生がそもそもこの衛星プロジェクトを始めた人。地方の小さな学校の先生が始めたプロジェクトが、ウバトゥバ市の支援を受けるようになり、それがさらに広がって国の支援も受けるようになり、国の研究所であるINPE(ブラジル国立宇宙調査研究所)のスタッフが直接的に技術支援し、エドソンがそのINPEを技術支援しているためこんな形で今回関わることになったという訳。この後、一旦夕食のためにみなさんは引き上げて、午後9時頃の衛星通過に合わせて、8時過ぎに再度やって来た。でも19日(木)に予定通りにウバトゥバのチューブ・サット(タンクレード)が、キューブ・サットから放出されなかったようで、信号を受信することができず、プロジェクトが失敗したのかどうかまだはっきりわからない状態で、みなさんは午後9時半頃ホテルに引き上げて行った。
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2017年1月23日(月) | ||||
そして、翌20日(金)の朝、出直してきたみなさんが到着したところを家の中から撮ったのが次の写真。彼らが到着する前に、彼らのチューブ・サットを放出して軌道に乗せる役割のキューブ・サットを作ったイタリアの会社が、放出予定時間の連絡を間違えていたようで、その後放出が無事行われ、ヨーロッパや北米で観察していた人たちがこのチューブ・サットから発信される信号をちゃんと受信しているという情報をエドソンは得ていたので、彼らが到着してから、家の北側にあるエドソン手作りの受信アンテナを示しながら状況を説明しているようだった。キューブ・サットがちゃんと役割を果たしてくれたお陰で、ウバトゥバのチューブ・サット、つまりタンクレードが成功したことが確認できて、本当に良かった。
午前10時過ぎの衛星の通過を待つ間、みなさんで撮った記念写真が次の写真。車の運転手さん(黄色いシャツの人)にも一緒に入ってもらった。このプロジェクトが始まった時、この学生さんたちはまだ中学生だったのだけれど、今はみな高校生になっていて、一部はすでに高校を卒業した人もいるらしい。
北米で衛星を観察している人たちからの連絡で、衛星が電池の充電を始めたらしく、信号が微弱になっているということで、午前10時過ぎの通過の際、結局、エドソンの地上局で信号を受信することはできなかった。でも、衛星はちゃんと軌道に乗って、信号を発信して、機能していることはあちこちで確認されているので、成功したことは確かで、みんなとてもうれしそうだった。それにしても衛星を観測するアマチュア無線の人たちの世界的なネットワークはすごいなと思った。次の写真は、帰路につく前に、外階段のところで記念写真を撮っているところを、上の玄関から私が撮ったもの。
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2017年1月24日(火) | ||||
20日(金)のお昼前にウバトゥバからの学生さんたちが帰路についた後、ジミーから「今晩良かったら、またワインとチーズの集いをしない?」と連絡があり、ウバトゥバ・サットの成功でお祝いしたい気分だったこともあり即OKした。そして、ジミーとジセレーニが数種類のチーズの盛り合わせとワインを持って午後7時過ぎにやって来た(以下写真)。私はジャガイモのグラタンと、我が家で採れたとうもろこしとベーコンを炒めたソースをかけた野菜サラダを作って出し、ヴィトーからもらって、まだ食べていなかった大きなクエスタ・チーズも出して、みんなでワインを飲みながらおしゃべりに花を咲かせた。去年の4月頃まで私と英語のレッスンをしていたジミーの長女のダニエラは、去年12月の大学入試で、バウルのサンパウロ州立大学に合格したのだけれど、パーディーニョ市がやっていた学生をバウルまで通学させるためのバスの運行が財政難のため今年からなくなることになり、ダニエラにはバウルでアパートを借りて一人暮らしをするための資金がないため、今年の進学は諦めて、お父さんの工場で働いて資金を貯めることになったという話だった。そして、今年の12月に再度大学入試を受けなければならないダニエラだけでなく、ジミーとジセレーニも私との英語のレッスンに今週から戻ってくるという。ダニエラに英語を習得させたいジミーの気持ちは良くわかるけれど、ジミーやジセレーニは仕事が忙しいのだから続けたいという気持ちはあっても続けられなかったのだから、今年もレッスンに来る時間を作るのはなかなか大変なのではないかなあと思った。でも、本人たちが戻って来るというのだから、私としては喜んで受け入れるだけ。
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2017年1月25日(水) | ||||
先々週の半ばにお天気が変わり、それまでの暑さがスッーと引いたのはいいのだけれど、先週は毎日必ず雨が降るお天気で、日差しがほとんどない日々が続いた。連日の雨で地面が柔らかく、水分をしっかり含んでいるので、これ幸いと、日曜日の午前中曇り空の下、桜の苗木を2本、防風林の外側に植え足した。これで現在ここでは17本の桜の苗木が育っていることになる。家に戻って、そのことをエドソンに言うと、テトラパックで育てているモリンガの苗も大きくなってきているからそれも地植えしようということになり、ふたりで8本のモリンガの苗木を果樹園の近くに植えた。葉切りアリから苗木を守るために、プラスチックの古い植木鉢の底を切り取って、苗木にかぶせたり、レンガを運んできて苗木の回りを取り囲んだりという作業もした。でもその作業の最中に、すでに1本のモリンガの枝の上にアリが上がって、枝を切っているのを発見。今、今、植えたばかりなのに、ここにモリンガがあることをどうして知っているんだろう?と、二人ともただただ唖然としてしまった。それで、すべての苗木に囲いをした後で、エドソンがプラスチックの植木鉢やレンガに薬を噴霧して、アリが近づかないようにしてくれた。現在、だいぶ前に地植えしたモリンガ3本が何とか大きくなりつつあるのだけれど、「医者いらずの薬木」と言われるモリンガは、これからの私たちの健康維持には欠かせない植物なので、アリの襲撃に遭うことなく、すべて無事に育ってほしいと切に願っている。
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2017年1月26日(木) | ||||
ブラジルではだいたい12月の半ばくらいから1月末くらいまで学校が夏休みなので、週2回うちでの英語のレッスンに来ているジョアオンは、今月はとてもご機嫌で元気がいい。年末年始の3週間、私の都合もあってレッスンをお休みして、1月の第2週からレッスンに戻ってきたのだけれど、サンパウロ州の南にあるパラナ州のクリチバから夏休み中ずっと遊びに来ているという2つか3つ年上の従姉妹のダニエリを連れてやって来た。いつもは”How are you?”と聞くと、眠そうな顔で”I'm tired.”と答えるのが常なのに、今月はいつも笑顔で”I'm happy.”と答えて、レッスン中もとても気合が入って楽しそうにしている。長期のお休みプラス大好きな従姉妹のダニエリが一緒なので、とてもうれしいようだ。今週もダニエリをレッスンに連れてきたので、ふたりの写真を撮った。果物の歌を歌った後、色鉛筆でプリントの果物の絵に色を塗っているふたり。ボトゥカトゥにあるジョアオンの学校は来週から新学期が始まるのだけれど、今週末にクリチバの家に帰る予定のダニエリに、学校はいつから始まるのか聞くと、2月の半ばまでお休みだと言っていた。州が違うからなのか、新学期の始まりがずいぶん違うので驚いた。
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2017年1月27日(金) | ||||
次の写真3枚は、先日の夜、就寝前のオシッコから戻って、はる(向こう側)とひろ(手前側)を寝かしつけていたら、シンクロして寝転がっている姿が可愛かったので、エドソンに撮ってもらった写真。でもエドソンがカメラを構えてパチリと1枚撮ると、はるが寝る体勢から起き上がって、ひろとじゃれ始めたので、その過程をパチリパチリと撮ったのが2枚目と3枚目。はるは赤ちゃんの頃、よく夜中にオシッコに起きていたけれど、もうすっかり大人になったので、それがなくなり、ひろはひろで小さい頃からめったに夜中にオシッコに行くことはなく、朝まで大丈夫なので、夜がだいぶ楽になった。そして、たまに夜中に目を覚ましてオシッコに行きたい時に、ひろもはるのように小さな声で私に知らせることができるようになり、ずいぶん成長したなと思う。
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2017年1月28日(土) | ||||
めいは半年ほど前に家出をして以来、うちとお隣を行ったり来たりという気ままな生活をしているものの、完全にうちから離れてしまったわけでもない宙ぶらりんな状態が続いていた。けれど、お隣でエサをもらうことはあっても、予防接種まではしてくれないかもしれないので、やはりうちで世話をして、番犬の役割をしてもらおうということになった。それで、はるやひろ同様、1日3回エサを与え、食後にお散歩をして、めいがいることで汚れるベランダを頻繁に掃除したり、時々体を洗ってやらなければならないので、私の仕事が増えた。でも、お散歩は、はるたちとは別に行くので回数が増えて、私自身のいい運動になっているかなとも思う。お天気のいい日は庭のセドリーニョの木の足元につなぎ、お天気が悪い日はベランダの椅子の足元につなぎ、夜はシュハスコ小屋に移動して寝てもらっている。常に鎖につないでいるのはちょっと可哀想だとも思うけれど、こうでもしないとここに居てくれないのだし、こうすることで、他の犬から病気をもらったり、その病気をはるやひろに感染させる危険も避けられるので、仕方がないと思っている。次の写真は、ベランダのめい。雨が降っていると椅子の上でずっと丸くなっているのだけれど、この時は、カメラを構えた私に「遊ぼうよ~」というポーズをとって、アピールしている。
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2017年1月29日(日) | ||||
ここは1月が1年で一番雨が降る時期で、この時期にしっかり雨が降らないと、その年は水不足や干ばつで困ることになる。でも、今年は例年になく雨が多く、ほぼ連日雨降りの状態で太陽の日差しが恋しい日々。そんな中、最近リオデジャネイロ州の北西のミナス・ジェライス州で黄熱病が流行っているというニュースがあり、それに追い討ちをかけるように、サンパウロ市だけでなく、パーディーニョを含むボトゥカトゥ地方でも流行り始めたというニュースがあった。そして、26日付けで、在リオデジャネイロ日本国総領事館が、「今年に入り、ブラジル国内で黄熱が流行しています。最も多くの感染例が報告されているミナス・ジェライス州の州知事は、1月13日付けで同州の4つの市(コロネル・ファブリシアーノ市、ゴベルナドル・ヴァラダレス市、マニュミリム市及びテオフィロ・オトニ市)に対して、黄熱に関する180日間の緊急事態宣言を発出し、注意を呼びかけています。黄熱は、黄熱ワクチンの接種により予防することができます。ブラジルに渡航・滞在を予定している方は、黄熱ワクチンを接種し、現地に滞在中は蚊に刺されないための対策を講じてください」という警戒情報を発信するに至った。「世界保健機関(WHO)により、ブラジルは黄熱に感染する危険のある国とされており、大西洋沿岸の一部地域を除く地域(内陸部全域)が黄熱ワクチン接種推奨地域に指定されています」ともあった。去年流行が拡大して大きな問題になったジカ熱、デング熱、チクングニア熱もまだ収まったわけではないのに、その上黄熱病まで流行り出してしまい、困ったものだ。 | ||||
2017年1月30日(月) | ||||
ハイビスカスガーデンの端にあるパパイアの木に1つだけ残っていた実が、先日見えなくなっていたので、木の足元を見ると、下半分くらいしか色づいていないのに、地面に落ちてしまっていた。後で家に持って入ろうと思い、とりあえず車寄せのレンガの所に置いておいたら、雨が降ってきたこともあり、このパパイアのことを忘れてしまった。午後遅くなってからはるたちのオシッコに出て、忘れていたことに気づいたのだけれど、熟れた部分がすでに鳥に食べられてしまっていた。みんなおいしいものを良く知っているなあと感心しきり。前回収穫したこのパパイアを食べてみた際、熟れすぎて傷んだ所は別として、普通においしかったので、食べられてしまったことはちょっと残念だったけれど、たまには鳥たちにもお裾分けと思い、ずっとそのままにしておいたら、毎日少しずつ食べて楽しんでくれたようだった。
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2017年1月31日(火) | ||||
以下は、インターネット上で見かけた韓国関連の記事2つ。1つは、1月12日付けの神谷匠蔵氏の「なぜ韓国だけが他のどの国よりも「反日」なのか」という記事。この記事のサイトは、こちらへ。 2つ目は、1月20日付けの『「なぜ韓国だけが他のどの国よりも反日なのか」に反論 --- 八幡 和郎』という記事。この記事のサイトは、こちらへ。
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