Kyoko Yoshida | Life in Brazil | BLOG |
2016年11月1日(火) | ||||
次の写真は、丘に蒔いたとうもろこしの芽が出てきて育ってきているところを、丘の中腹から入り口ゲートの方を向いて撮ったもの。先日掲載した写真は、まだ芽が小さく、雑草なのかとうもろこしなのか、ほとんど区別がつかなかったけれど、今回のものは、芽が育ってきているので、はっきりととうもろこしだとわかる。このブログで敷地内に豆やとうもろこしを蒔いたと書いたので、それを読んだ友人が、本格的に出荷する農業を始めるのかと思ったようなのだけれど、実は、そういうわけではない。週に一度うちの手伝いに来てくれている人たちがうちの土地で豆を蒔いて育てたいと言い出したのがきっかけで、じゃあ、ついでにとうもろこしも育てようということになったのだ。収穫できたら、私たちで食べる分を少し確保して、あとは手伝いの人たち3人が販売して換金して、山分けすればいいとエドソンは考えている。その主な理由は3つ。まず、敷地内に雑草をはびこらせたくないから、そして、土地を有効利用するために何かを育てた方がいいから。そして、うちの土地を維持管理するためには、どうしても手伝いの人が必要な一方、真面目に働いてくれる人材の確保はとても難しく、今手伝ってくれている人たちはいい人たちなので、長く仕事を続けてもらいたいから。うちの日当は他所と比べて決して低くはなく、むしろ毎年増額しているので相場よりも少し高めなのだけれど、何かを育てて、それがさらなる副収入につながれば、彼らのやる気につながると思うから。
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2016年11月2日(水) | ||||
月曜日のお天気は、朝の最低気温13度、午後の最高気温26度で、穏やかないいお天気だったのだけれど、午後4時頃から雷が鳴り始め、5時頃に予報通りに雨が降り始めた。30分くらい降った後、雨があがると東の空に虹が出たので次の写真を撮ってみた。今週のお天気は、毎日午後4時とか5時になると雨が降ったり、朝から雨という日が続く予報になっている。まさに雨期のお天気らしい。気温は最低気温が15度前後、最高気温が18度から28度くらいを行ったり来たりするらしい。
先月ブラジル全国で行われた市長選挙で、得票率が50%に届く候補がおらず、市長が決まらなかった市で、上位2人の候補者の間で行われる決戦投票が30日に行われた。11月1日付けのニッケイ新聞に『統一市長選=決選投票の結果出揃う=リオはクリヴェラ逃げ切る=PSDBが躍進しPTは大敗=テメル政権の連立与党圧勝』という記事があったので、その記事にリンクをはってみた。この記事のサイトは、こちらへ。 次の写真は、畑に蒔いたかぶとラディッシュが芽を出し育ち始めたので、その芽を少し間引いて採ってきたもの。これらの間引き菜はサラダに混ぜて食べている。
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2016年11月3日(木) | ||||
昨日11月2日は、ブラジルではフィナードス(Finados=万霊節、または個人追悼の日)という休日だった。世界の教会暦(教会行事)で、11月1日が聖徒の日(All Saints' Day=諸聖人の日、または万聖節)、その翌日の2日が万霊節、または諸魂日(All Soul's Day)と決められているため、ブラジルではそれに合わせて2日が休日になっている。でも、フランス在住のリエちゃんのブログによると、フランスではトゥッサン(Toussant)と呼ばれる「諸聖人の日」の11月1日の方が祝日なのだとか。同じキリスト教国でも、国が違えばお休みとする日も異なるんだね。そして、アメリカでは万聖節も万霊節もお休みではないけれど、キリスト教の行事ではない、その前の10月31日のハローウィン(Halloween)のイベントの方に重きが置かれているのもおもしろいものだなと思う。 ちなみに、今年は7月に日系移民史の師匠の香山さんが亡くなり、8月にエドソンのお母さんと、楽書倶楽部同人の大羽さんが亡くなっているので、夕方ろうそくを灯して、彼らの霊を弔った。 先月15日付けのブログで、ランドマークの木の側のサボテンがたくさん新芽をつけたと書いたけれど、それらが大きくなる中、ひとつだけ大きくならない新芽があった。すると何とそれは花芽だったということがわかった。この火曜日の午後、台所から出た野菜くずを埋めに行って戻る際ここを通ったら、かわいい黄色い花が咲いていたので、写真を撮った。昼食後のお散歩の際はまだ花開いていなかったのにとびっくり。1枚目はこのサボテンの全体像。2枚目は花だけをアップで。
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2016年11月4日(金) | ||||
次の写真は、野菜畑の左端の畝を撮ったもの。左側手前からイタリアンパセリ、タイム、赤いバジル、緑のバジル、葉が小さいタイプのバジル、背の高いフンショの手前にセージのようなハーブがあり、フンショの向こうにはシソ、ルッコラ、ニラ、ネギなどが育っている。これらの足元にあるのは笹の葉。枯れた笹の葉を足元に置いておくと、水の蒸発を防いで、土がカラカラにならないというジョゼの助言で、置いている。バジルというのは緑色のものだとばかり思っていたのだけれど、シソと同じように、緑の葉と、赤い葉があることを初めて知った。そして小さい葉のタイプなどいろいろあることも初めて知った。これらはボトゥカトゥの苗屋さんでエドソンが買ってきて植えたもの。みな元気に育っているので、ほぼ毎日お料理に利用していて、とても役に立っている。
そして、鎌谷さんからいただいたシソは、緑色一色ではないので、どうも赤いタイプのシソのようだ。葉が少し虫にくわれているけれど、少しずつ大きくなっている。
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2016年11月5日(土) | ||||
次の写真は、居間のソファーと私のコンピュータデスクの間のスペースで、元気に戯れ合っているはる(左)とひろ(右)。2匹は昼間でもおとなしくベッドの中で寝ていたり、ゴロゴロしていることが多いけれど、こんな風に部屋じゅうを走り回りながら戯れ合うこともよくある。とにかく仲がいい。1日3回くらいのお散歩だけでは運動不足になるかな?と、思ってみたりするのだけれど、こうやってしょっちゅう戯れ合うことでいい運動になっているのかもしれないなあとも思う。2匹が戯れ合っているのを見ていると、とてもおもしろいけれど、その決定的瞬間の写真を撮るのはなかなか難しい。
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2016年11月6日(日) | ||||
土曜日の朝、ヴィトーが10時にレッスンに来る前に洗濯を済ませて、準備万端整えていたのだけれど、彼のガールフレンドの弟さんが亡くなったので、お休みすると連絡があった。まだ15歳だというのに脳出血を起こして意識不明になり、そのまま亡くなったのだとか。そんな若さで脳出血ということもあるのかと少し驚いた。それで時間ができたので、洗面所や台所のマットを外ではたいてホコリを取ってから干し、午後から掃除をするための準備をしたり、前日植えた桜の苗木に水やりをしたり、マーガレット数株をゲートに向かう道沿いのエリアに植え替えたりした。午後から掃除をしていると、ガレージの前でエドソンがジョゼに手伝ってもらいながら、電気ノコギリやカナヅチを使って何かを作っていたので、ダイニングルームの窓から作業をしているふたりの写真を撮ってみた。2枚目の写真は、彼らが作った5つの机のうちの1つ。これをサンドペーパーで磨いて表面をなめらかにする作業はまだこれから時間のあるときにぼちぼちやるのだとか。エドソンは2年ほど前からあるグループに所属していて、月に2回ほどあるそのグループの例会に、この9月の下旬から場所を提供している。そのため下のガレージ横の来客用として使っていた部屋のベッドやタンスをガレージに移動させて、メンバーが持ってきた古いイスを並べて使っているのだけれど、小さな机も必要なので、エドソンが手作りすることにしたらしい。
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2016年11月7日(月) | ||||
次の写真は、昨日の朝撮ったもの。1枚目は、エドソンがはるの体を洗っている間、シャワールームのガラス扉の前のマットの上に座って、自分の順番が来るのを待っているひろ。はるはシャワーが好きではないので、こちらから迎えに行かないと、呼んでも寝室のベッドから出てこようとはしないけれど、ひろははるの側にいたいのか、はるをシャワールームに連れて行くと、こうして自発的にやって来る。2枚目は、エドソンに体を洗ってもらった後出てきて、私がタオルで体を拭き終わったはる。3枚目は、体を洗ってもらった後、シャワールームのガラス扉の向こうで座っているひろ。体をパタパタして水気を飛ばすようにエドソンがひろに話しかけているのだけれど、エドソンの方を注目してはいるものの、なかなかパタパタしてくれない。
次の写真は、シャワーが終わり、シャワーの後のオシッコとウンチから戻り、朝の日差しが差し込んでいるダイニングルームの彼らのケージの前で、シャワーを終えたエドソンが朝食にやって来るのを待っているはる(左)とひろ(右)。
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2016年11月8日(火) | ||||
次の写真は、この日曜日の夕飯。ソーセージと、シュクルート(ザワークラウト)と、ご飯の変わりに茹でたジャガイモに刻んだパセリとネギとシソを混ぜ、白ワインビネガーとオリーブ油でマリネしたもの。パセリとネギとシソはうちの野菜畑で採れたもの。シュクルートは酢漬けのキャベツではなく、茹でた千切りキャベツに炒めた玉ねぎを混ぜて、塩コショウして、白ワインビネガーとオリーブ油を混ぜて作ったなんちゃってシュクルート。このソーセージは9月に楽書倶楽部の同人の方達が訪ねて来てくださった際、使おうと思ってエドソンが買ってきたのだけれど、少し残っていたソーセージだけで間に合い、このソーセージは使わずそのまま冷凍庫で保存。そろそろ食べなくてはと思い、久しぶりにソーセージの夕飯となった。
次の写真は、日曜日の午後パウロが持ってきてくれた大きなアンテナ。これは古いタイプのテレビアンテナだそうで、パウロは家に最新の小さなテレビアンテナを取り付けたから、このアンテナは捨てると言うので、捨てるくらいなら僕にくれとエドソンが頼んでいたところ、持ってきてくれたのだそう。エドソンはこれをアマチュア無線の実験に使うつもりなのだとか。うちには何だかいろんな種類や形のアンテナがあるのだけれど、またひとつエドソンのコレクションが増えたことになる。
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2016年11月9日(水) | ||||
次の写真は、我が家を西側から撮ったもの。正面左側の煙突のある小さな建物は、シュハスコ(ブラジルのBBQ)のかまどがあるシュハスコ小屋。そして、家の手前中央でたくさん咲いている花はマーガレット。このマーガレットは、写真の左側にほんの少し写っているハイビスカスの木々の間に何年も前に種を蒔いたものが咲いて以来、種が方々に散って、あちこちから芽を出して咲くようになったので、私たちが意図して咲かせているものではない。この写真の中央のマーガレットは、草取りのついでにヒバマーに全部取り除いてもらったりするのだけれど、何故か毎年元気に芽が出て、花を咲かせるとても強い花。
次の写真は、アンドリーニャ(つばめ)の赤ちゃんだろうとエドソンが言っていた。月曜日のお昼過ぎに野菜を収穫して畑から家に戻る際、居間の窓の下のコンクリートの上でバタバタしていたので、コンクリートの上よりは多少マシかなと思い、ベランダ横の植木鉢の中に移動させたのだけれど、死ぬまでの苦しい時間を先延ばししただけかもしれないとも思った。家の南側は、アンドリーニャが屋根の隙間から屋根裏に入って巣を作っていることがあるけれど、家の北側にはアンドリーニャの巣などないのに、この子は一体どこから来たのだろう?トゥカーノか何か大きな鳥に襲われて、連れて行かれる途中で落下したのかな?助けてあげられるものなら助けてあげたいけれど、まだ卵からかえって間がないようなひななので、かわいそうだけれど私たちにはどうすることもできない。親から離れたひなは助からない。自然界は厳しいなあ・・・。
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2016年11月10日(木) | ||||
次の写真は、ランドマークの木の西側の道沿いの桜とユーカリの並木を撮ったもの。朝食後のはるたちとのお散歩から戻る際、朝日を浴びてユーカリの木がキラキラ輝いていてとても美しかったので、撮ってみた。このユーカリの木は成長が速く、今では見上げるようなすごい高さになっている。夕方、夕日が西に傾く頃、夕飯作りの合間に、居間のソファーにゴロンと横になって眺めていると、陽の光が風に揺れる葉に反射して、キラキラ輝いて、とてもきれいで見惚れてしまう。
次の写真は、先日エドソンが自分で食べるために採ってきて、お昼の里芋の炊き込みご飯に刻んで混ぜて食べた野菜たち。左からルッコラ、イタリアンパセリ、赤バジル、青バジル。エドソンは、緑の野菜をなるべく食べようと努力していて、いろいろな食事にこれらの野菜を混ぜて食べている。
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2016年11月11日(金) | ||||
月曜日の午後見つけてベランダの前の植木鉢の草の上に移動させたアンドリーニャのひなを、夕食後のはるたちとのお散歩から戻って確認すると、夕方結構激しい雨が降ったにもかかわらず、まだ生きていた。遅かれ早かれこの子は死んでしまう運命なので、自己満足でしかないのはわかってはいるのだけれど、それでも何だかやはり放っておけずに、夕飯で食べた揚げた小エビを小さく刻んでほんの少しだけ食べさせてみた。そして、戸外は朝夕冷えたりするし、めいが来てこの子がいることに気づけば食べてしまうだろうから、家の中に連れて入り、使い古したタオルにくるんで台所で様子を見ることにした。それまでスカイプでお話し中だったエドソンが話し終えたので、ひなに少し食事を与えて台所に連れて入ったことを伝えた。何を与えたのかと聞くので、エビを少しと言ったら、人間はエビを食べることができるけれど、犬を始めとする動物の多くにとってエビは毒なんだよ。そんなもの与えたら死んでしまうと言われ、びっくり。パンに水を加えて潰したものとか、果物を普通は与えるのだと言われ、反省。エドソンは動物のことに関していろんなことをよく知っているなあと思った。そして、エドソンが適当な大きさの箱の中にペーパータオルを敷いてひなの寝床を作り、タオルを敷いた上にひなを寝かせて、水も与えないといけないと言うので、モビの治療で使っていた注射器で水を少し与えるとひなはちゃんと飲んでくれた。翌朝、恐る恐る箱を開けて確認すると、フンを2箇所でしていて、ゴソゴソと動いていたので、ああ、まだ生きている、すごい生命力だなあとほっとした。次の写真は、火曜日の朝、食事や水を与えた後、しばらくして寝ている所を撮ったもの。
以後、私たちが食べている全粒粉のパンを水で柔らかくして潰したものを少しずつ何度にも分けて与えている。それを食べるとしばらく静かに寝るようだ。そして、時々箱を覗いて中の様子を見て糞が出ていれば、それを掃除する。するとひなは目を覚ましてピーピー泣きながら大きな口を開けて食事をねだるので、また食事を与えるというのを繰り返している。糞をするということは、食べたものをちゃんと消化している証拠なので、何とか命をつないでいる感じだ。でも、この子の動きをよく観察していると、コンクリートの上に落ちた際の衝撃で体の左側を痛めたのか、左足と左の翼が右側のようにしっかり動いていないので、やはり長くは生きられないかなあと思いながら世話を続けている。発見から4日経った現在、金曜日の朝も、体調5センチくらいの小さな体でこの子は何とか生きようとがんばっている。 | ||||
2016年11月12日(土) | ||||
次の写真は、ヒバマーやジョゼと一緒にうちの手伝いに来てくれているゼーが持ってきて仕掛けた野うさぎを捕まえるための罠。かごの中には葉物野菜のアルメイラオンが吊り下げてあるのだけれど、アルメイラオンは豆の芽に比べておいしくはないだろうから、「こんなので捕まえられるのかなあ?」と言うと、「たぶん無理だと思う」とエドソンは言っていた。その予想通り、これを仕掛けて1週間になるけれど、野うさぎはまったくかかっていない。でも、豆の芽は救いようもないほど食い荒らされてしまっている。
次の写真は、先日畑で収穫した野菜たち。左からネギ、ルッコラ、コウヴィ。これらはどれも根こそぎ収穫せず、葉だけを切ってきて使う。そうすると次から次へまた新しい芽が伸びて、また葉が収穫できるから。これらの野菜にはとてもお世話になっている。
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2016年11月13日(日) | ||||
先週は、昼間は気温が上がって暑くなっても、夕方雨が降り、スーッと気温が下がり、翌朝はまた涼しくなっているというのを繰り返す日々だった。そして、金曜日は雨が降らなかったのだけれど、夕食後くらいから激しい風が吹き、気温が下がり、土曜日の朝は濃い霧が出て、風も吹いていたので、はるとひろとの朝のお散歩は上着を着ないと寒いくらいだった。そして、今週は最低気温が15度前後、最高気温が20度前後というちょっと寒い感じで推移するらしい。次の写真は、昨日の朝の英語のレッスンが終わり、居間でエドソンと話しているヴィトーをパチリ。はるがヴィトーの側で愛嬌を振りまいているので、ヴィトーもはるを撫でたりして構ってやっている。一方、臆病なひろは怖くてケージから出てこない。ヴィトーはとても真面目ないい子なので、エドソンは彼のことをとても可愛がっていて、コンピュータのプログラミングなどを彼に教えたりしている。私との英語のレッスンが終わると、だいたいいつも居間や外のベランダの椅子にこうしてふたりで座って、しばらく話し込んでからヴィトーは帰って行く。
ヴィトーのレッスンの後、アンドリーニャのひなの様子を確認すると、糞をしていた。その後少しずつ食事はしても何故か糞をせず、箱の中であちこちゴソゴソ動き回る頻度も減っているので、弱ってきているみたいだなと心配しながら昨晩は寝た。そして今朝6時過ぎに箱の中を確認すると、もうすでに冷たくなって死んでいた。文鳥を飼っている友人がメールで、小鳥は体が弱ったらとにかく体を温かくしておかないといけないと助言してくれていたので、気温が下がった昨晩は箱の下に遠赤外線のウォーマーを弱にして置いたのだけれど、昨日の午後、糞をしておらず、少し弱ってきているのに気づいた時点で、すぐにウォーマーを使うべきだったと少々後悔。助けてあげられなくてご免ね。 | ||||
2016年11月14日(月) | ||||
エドソンのお陰で、長年の念願だった「香山文庫」のウェブサイトが昨日何とか立ち上がった。英語版のテキストもほぼできているのだけれど、もう少し微調整が必要なので、こちらをアップするにはもう少し時間がかかりそう。でも、何はともあれ日本語版が立ち上がり、うれしい限り。エドソンには感謝。感謝。ひたすら感謝あるのみ。楽書倶楽部の同人の皆さんにはホームページの広場欄でお知らせし、生前香山さんと交流のあった方たちにはメールやお手紙で少しずつお知らせしているところ。この香山文庫のサイトは、こちらからどうぞ。 このサイトの最後の方のニュースの項目で、蔵書の整理や分類をして、データベースや抄録を作成する作業をボランティアで手伝ってくださる方を募集している。できれば、最初は図書館司書の経験を有する方に来ていただければ、道筋をつけられていいのだけれどと、希望している。と言っても、私には図書館司書の友人も知り合いもいないので、みなさんのお力をお借りしたい。日本人向けのブラジルへの観光ビザは3ヶ月間有効なので、その3ヶ月を利用して、ブラジルでボランティアをしてくださる方がいらっしゃればと願っている。往復旅費やお小遣いは自己負担で、こちらでの宿泊と食事は私たちがお世話する計画。このブログを見たみなさんのお知り合いで、そのようなボランティアをしてくれそうな方がおられたら、この情報を拡散していただきたいと思っている。よろしくお願いします。 | ||||
2016年11月15日(火) | ||||
カブとラディッシュの間引き菜がたくさん採れるので、サラダに混ぜるだけでは追いつかなくなり、一度にたくさんの量を消費できるおひたしを作ることを思いついた。次の写真は、日曜日に作った間引き菜のおひたし。9月だったか10月だったかに暑くなった際、ソーメンサラダを食べるために作っためんつゆが残っていたので、おひたしにめんつゆとゴマとかつおぶしを混ぜておいしくいただいた。私はほうれん草のおひたしが大好きなのだけれど、ここではほうれん草が手に入らないので、代用品とは言え、ささやかな贅沢を味わうことができ、感謝。感謝。
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2016年11月16日(水) | ||||
最近の我が家の朝食は、コーヒー、全粒粉の食パン1枚(パンにはその日の気分で、コッテージチーズや、自家製の桑の実ジャム、砂糖の入っていないピーナツバターなどを塗る)、ゆで玉子1つ、サラダ、そして、果物。ここまでがエドソンと私のふたりに共通しているメニューで、この他エドソンはヨーグルトにグラノーラを混ぜて食べ、私はグラノーラに牛乳をかけて食べている。日本のスーパーでは取り扱っている商品があったりなかったりということはまずないけれど、パーディーニョのスーパーでは、ほしい商品があったりなかったりするのは日常茶飯事。商品の在庫管理をちゃんとしていないのか、週に2度の仕入れに意図的な優先順位があるのか、理由はよくわからない。先週の土曜日もエドソンがいつも食べている甘さ控えめのヨーグルトがまったくなく、全粒粉の食パンもなかったため、グラノーラを混ぜてパンを焼いてというエドソンからの要望で作ったのが、次の写真のパン。全粒粉のパンとグラノーラの両方を食べられるようにするためには、私が作るパンにグラノーラを混ぜて焼けばいいとエドソンは考えたようだ。最近パン作りはお休みしていたのだけれど、久しぶりに作ったら、何だかいつもよりも太っちょのパンが出来上がった。味の方は、まずまず合格。この組み合わせも悪くないことを発見。
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2016年11月17日(木) | ||||
現在、外ベランダ横のバラの花壇のバラの木が、ちらほらと花を咲かせている。1枚目の写真は黄色にピンクの縁取りがあるバラ。2枚目の写真は真紅のバラ。ここの涼しい気候のせいなのか、この花壇に植えたバラには季節というものがあまりないようで、一斉に花が咲き誇るというようなことはあまりなく、決まって咲く時期もないようで、パラパラと咲きたい時に咲いたり、枯れたりを繰り返している。これらのバラの木は植えてからもう何年にもなり、特に肥料なども与えていないので、最近は初期の頃に比べるとあまり元気がなく、きれいな葉が出ても、しばらくすると黄色くなって落葉して裸になったり、せっかく花が咲いてもあまりきれいではなかったり、花びらが虫に食われてしまったりすることも少なくない。でも、時々きれいな花が咲くと、見とれてしまう。これらのバラの足元の地面にある緑の芽は、種を蒔いて芽が出てきて少しずつ育ってきている朝顔。まだつるは伸びてきていない。
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2016年11月18日(金) | ||||
日曜日に「香山文庫」のウェブサイトが立ち上がったのを機に、少しずつ私の数少ない知り合いの方たちにメールでお知らせしているのだけれど、「香山さんも喜んでおられることでしょう」と楽書倶楽部の前園さんや石田さんが言ってくださりとてもうれしく思った。そして、サンパウロ在の映像作家の岡村さんが、早速関心を示してくださり、サンパウロで日系の農業を研究している知り合いの日本人女性研究者や、USP(サンパウロ総合大学)に来ている留学生の人たちに声をかけて、岡村さんの作品の上映会を兼ねて、「香山文庫」訪問を企画してくださり、来月こちらに来てくださることになった。何でも時間のかかるブラジルで、この何とも早い展開にとても驚いている。また、サンパウロ新聞の鈴木さんも、記事にしましょうと言ってくださり、近々担当記者から連絡させますとメールをくださった。ありがたいことだ。
上の写真は、そんなお知らせメールをお送りした広島の片岡先生から、「すばらしいお仕事を引き継がれましたね」といただいた返信メールに添付されていたもの。広島カープは日本シリーズは逃したものの、優勝したので、その優勝パレードが行われたようで、パレード前の平和記念公園の人出を筋向かいの土屋病院から撮られたもの。背景の横長の建物は、原爆資料館。このメールで私はこれまで知らなかった片岡先生の個人的な背景を知った。「実は私もハワイ移民の孫娘です。母方祖父は『狭い農地を弟と分け合っても先細り』と、長男の権利・義務を弟に譲り、マウイに移民。たぶん最初は農業移民だったと思うのですが、成功して大きな商店の支配人になり、2人の娘(伯母5歳と母3歳)の教育のために一時帰国、5年位日本滞在のつもりが日本で4人の男子に恵まれ(下の二人は夭逝)たりしているうちに排日移民法、そのうち母の弟2人が戦死、父が母の実家に帰って私もそこで育ちました。というわけで、移民には特別な関心があります」とあった。まあ何と、人にはそれぞれの人生のドラマがあるのだなあとつくづく思った。お爺様が娘たちを連れて日本に戻ろうと思われなかったら、片岡先生はひょっとして広島ではなく、ハワイで女性の医学部教授の先駆けとして活躍しておられたのかもしれない。 | ||||
2016年11月19日(土) | ||||
次の写真は、再びラディッシュの間引き菜。カブの育ちはあまり良くないけれど、ラディッシュは少しずつ大きくなり始めているので、せっせと間引かないと実が十分に大きくならない。それで頻繁に間引いている。そして、先日作った間引き菜のおひたしはエドソンにもとても好評だったので、気を良くして、今度は大量に作ることにした。左側に並べた赤いものはラディッシュの根元。細い根元がぎゅうぎゅうに生えているのを間引くのだけれど、たまに間違えて左の一番上のラディッシュのように、少し丸く育ち始めているものを抜いてしまったりもする。そういう時はサラダに混ぜて食べている。細いものも食べられるかな?と思って切ってみたのだけれど、茎と根の間のような感じで、残念ながら食べられなかった。
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2016年11月20日(日) | ||||
以下は、11月18日付けニッケイ新聞の「コラム 樹海」からの転載。この記事にトランプ勝利を木村太郎氏が予言していたとあるけれど、そのような予想をしていた人は他にもいた。日本在住の国際弁護士のケント・ギルバート氏もCNNの報道は偏っていて、現実をちゃんと伝えていないと言っていたし、三浦瑠麗氏という新進の国際政治学者も、アメリカ国民の感覚は、民主党寄りのアメリカメディアが伝えているものとはずいぶん違うという指摘をしていて、日本の専門家の分析力のなさ、あるいは浅さを繰り返し語り、トランプ当選の可能性に言及していたけれど、そういう冷静な意見を日本のメディアはただ無視していただけなのではないだろうか?評論家の潮匡人が「そして誰もマスコミを信じなくなったーー共産化する日本のメディア」という近著の中で、マスコミの誤報、歪曲報道、情報操作などのひどさを書いておられるようだけれど(インターネット上で聞くことのできる日本放送の「そこまで言うか」の中で聞いた)、アメリカも同じようなものなのかもしれないなと思った。そうすると、つまるところ誰も世界のマスコミを信じられないという状況が到来するのかもしれない。 余談だけれど、ニッケイ新聞の深沢さんは、このところコラムを書いておられなかったので、休暇で日本に戻っておられるのかな?、それとも体調を崩しておられるのだろうか?と、心配していたのだけれど、久しぶりに読み応えのあるコラムが掲載されていて安心した。
トランプ勝利を昨年から予言していたジャーナリストに元NHK記者の木村太郎がいる。出演した番組で「なぜトランプが勝つと思ったのか?」と尋ねられ、彼は「民主党が8年間やったから、米国の慣例で次は共和党になると思った。単純でしょ。あとヒラリーは汚職、不正がひどすぎるから」と答えた▼「ヒラリーのメール問題」とよく報道にでるが、単に「個人のメールアドレスで国務長官としてのやり取りをしていた」という単純な疑惑ではない。公式メルアドでは、情報開示法により数年後に内容が公開される。公にしたくない違法なやり取りを個人メルアドでしていたことが問題だ▼どんな違法な行為をしていたか―という内容が『クリントン・キャッシュ』(ピーター・シュヴァイツァー著、2016年)で暴露され、同名の映画、マンガにもなった▼例えば、ヒラリーが国務長官だった4年間に、クリントン夫妻が運営する同名の財団へ2億5千万ドル(約270億円)もの寄付があり、夫のビル・クリントン元大統領は講演によって1千億ドル(約108億円)以上の収入があったと同映画は指摘している▼ある会社がクリントン(C)財団に大型寄付をしたり、クリントン元大統領を呼んで講演会をして巨額の講演料を払ったりすると、それに対してヒラリー国務長官が米国務省がらみで便宜を図ったという疑惑の構図をその映画は明らかにした。しかも南スーダンなどのアフリカ諸国という政情が不安定な国々からの寄付が目立つ。とはいえ、あくまで疑惑の段階だ▼同映画をみて「どこかで聞いた話だな?」という既視感を受けた。ルーラが作った「インスティツート・ルーラ」(以後IL)だ。R7サイト3月22日付電子版によれば、ルーラは2011~15年に72回の講演をし、1440万ドルの収入を得た。そのうち30回は、ラヴァ・ジャット作戦で経営者が逮捕されたゼネコンや投資銀行が依頼した。その汚職会社だけで講演料の大半にあたる1180万ドルを支払っている。最も講演依頼回数が多いのは、現在司法取引の真っ最中のオデブレヒト社。8回で毎回20万ドル、計160万ドルも払った▼15年10月2日付エポカ誌電子版によれば、オデブレヒト社が用立てた飛行機で、ルーラは13年3月に赤道ギニア共和国(1972年から独裁政権)を訪問し、副大統領と会談するなどのロビー活動をした。キューバでは、ジウマ大統領の名前をだしてBNDESの融資を間違いないとルーラが保証し、オデブレヒト社に受注させる手伝いをしたことも同誌は報じた▼C財団とILの手法はかなり類似している。ノチシア・アオ・ミヌト・サイト3月15日付記事によれば《ルーラはビル・クリントン元大統領の講演料を参考にして値段を決めた。ルーラは「我々はビル・クリントンと同じ金額をもらう。我々は彼よりもやることをやるから同等以上もらう価値がある」と語った》とある▼思えば、ヒラリーと民主党の大統領候補を争ったバーニー・サンダース上院議員は8月8日、ジウマ罷免審議に関して《選挙で選ばれた大統領が政治的に罷免されようとしている事実に、心からの不安を覚える。罷免プロセスは国家によるクーデターにみえる》とPT擁護のくちばしを挟んだ▼トランプ勝利をブラジルからの視点で考えると、ジウマ罷免とヒラリー落選という現実の底辺には、PTと民主党に通底する何かを、国民が否定した部分を感じる。ラヴァ・ジャット作戦が米国でもかなりの話題になっている背景には、C財団とILの手法の類似性がある気がする。もしルーラが有罪になれば、それが判例となって米国でも…。(深) | ||||
2016年11月21日(月) | ||||
先週の水曜日にサンパウロの岡井さん宛てに発送した手紙が届いたと言って、この土曜日の夕食後に岡井さんからお電話をいただいた。ここ数年入退院を繰り返しておられたので、手紙と「香山文庫」のサイトを見ていただけるだろうかと不安だったのだけれど、見ていただけて安堵した。岡井さんは、同じチエテ移住地ご出身ということもあり香山さんとは古くからのご友人で、香山さんが私に蔵書を託そうとされた際(私はまだその申し出に対する戸惑いの方が大きく、本気で考えていない頃)、息子さんの運転する車でわざわざサンパウロからパーディーニョまで会いにきてくださったことがあった。おそらくどんな人間なのか大事な蔵書を託しても大丈夫かどうかを確かめに来られたのだと思う。岡井さんはEメールをされないので、たまに手紙でやり取りしていたのだけれど、最近はずっとご無沙汰していた。岡井さんが手がけられた輪湖俊午郎氏の「流転の跡」のポルトガル語翻訳が完成した後、その翻訳原稿を輪湖五月さんに寄贈されたのだけれど、輪湖さんの方で出版する様子がないので、私に託すことを輪湖さんに同意してもらい、2年前に輪湖さんから私に原稿が送られてきたという経緯がある。岡井さんの翻訳を印刷出版する資金は私にはないため、「香山文庫」のサイトを立ち上げ、そのサイト上で岡井さんの翻訳を発表しますとお約束していたので、何とかそのふたつの約束を今回果たすことができ、ひとまずほっとした。今は病院ではなく、自宅で療養しておられるようだけれど、香山さん同様ご高齢なので、だいぶ体が弱ってきておられるご様子。でも、香山さんには見ていただけなかったけれど、岡井さんには見ていただくことができて良かった。 我が家の玄関を出て正面に見えるエリアには、手前の外階段沿いにサツキを植えている。そして、向こう側に沖縄桜を6本くらい植えていて、その手前に、くちなしの花を3本植えている。次の写真がそのくちなしの花3本。今、真ん中の木にたくさんつぼみがついていて、その左側の元気のない木にも少しつぼみがついている。でも、何故か右側の木にはまだつぼみは見られない。この写真では花が見えないけれど、少し近づいて角度を変えて見ると、真ん中の木の中の方に2つ花が咲いていたので、2枚目の写真も撮ってみた。私はくちなしの花の香りが好き。花がたったひとつだけでは、花の側まで行かなければ香りがしないけれど、いくつか複数の花が咲くと、この木の前を通っただけで、かすかな香りがしてとてもいい。
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2016年11月22日(火) | ||||
先週、弓場農場の矢崎さんからいただいたメールに、「私もこのようなサイトを立ち上げることが出来たらと思っていましたが・・・(車椅子や杖が必要という体調不良問題を抱えておられ)ままならぬ状態です」とあり、続けて「ユバ所蔵の多くの貴重な資料をどこへ寄贈したらよいのか思い悩んでおります。文協の資料館では気ままな閲覧も難しく、しかも資料一枚のコピー代がR$.80(2016/02)と言う驚くべき価格、これでは誰もコピー出来ないし、しないでしょう。折角の資料も死蔵のようになってしまいます。何とか改善できないものでしょうかね」とあった。本当に悩ましい問題だと思う。私が引き継いだ香山文庫もこんな片田舎で埋もれさせるなんてもったいない。個人ではなくちゃんとした組織に委ねるべきだという声があることは承知している。でも、組織とは関係のない市井の研究者だった香山さんは、文協の図書館などへの蔵書寄贈を良しとされず、何故か新米移民でこんな田舎住まいの普通の主婦の私に蔵書を託されたのだから、私にできることを少しでもやるしかないと考えている。インターネットのない時代なら、こんな日系社会からも遠い片田舎にある図書はその存在すら知られることなく、死蔵になってしまう運命だろうけれど、今はインターネットの時代。それを何とか利用してアクセスを良くすれば、可能性が開けてこないかなと思ったりしている。甘いかなあ・・・? 文協の図書館やブラジル日本移民資料館などが存在することはとても大事なことだと思う。でも、日本語のわかる一世や準二世の方たちがみないなくなってしまわれた後は、これらを維持して行けるのだろうか?と不安を覚える。どうすれば貴重な移民資料を後世に残して行くことができるのだろう?日系コロニアの中で横のつながりを作って、あちこちにある小さな地元の移民図書館や個人の文庫などをつなげて、これらの貴重な資料を後世に残して行くという国家規模のプロジェクトを誰か考えてくれないかなあ・・・。でもまずは、日本の大学に日系移民史を研究する学部を作ってくれないかなあ・・・。そうすれば、弓場農場の蔵書も香山文庫の蔵書も必要とされ生きてくるのではないかと思うのだけれど・・・。ああ、悩ましい、悩ましい・・・。来月こちらに来られる岡村さんやUSPの留学生さんたちの意見もぜひ聞いてみたいと思っている。 | ||||
2016年11月23日(水) | ||||
次の写真は、食堂の西側の窓の下の箱庭を窓から下を向いて撮ったもの。真ん中のソテツが今年も新芽を出している。ソテツは1年に一輪ずつ葉が増えると思っていたし、最初の数年は確かにそうだったのだけれど、去年も今年も一度に三輪の葉が生えて来ているのでちょっと驚いている。そして、このソテツの右側に写り込んでいる生い茂っている木は、ここに自然に生えて来てしまった雑木。去年すごく背が高くなって食堂の窓を越えるほどになったので、私が自分で手の届く部分の枝をノコギリで切って短くしたのだけれど、雑木だけあってとても強く、一年でまたこんなに大きく育ってしまった。2枚目の写真は、家の西側から箱庭と食堂の窓を向いて撮ったもの。
次の写真は、野菜畑で成長しているトマトの1本。畑仕事を手伝ってくれているジョゼが、トマトの回りにまるで雪囲いのように竹をくんでくれたので写真を撮ってみた。トマトはつる性の植物とは少し違うけれど、上に伸びて成長して行く際、側につかまるものがあるといいようなので、これを組んでくれたようだ。これまでトマトはミニトマトが少し収穫できるくらいで、なかなかうまく育てられなかったのだけれど、今夏はちゃんとしたトマトが育って収穫できるといいな。
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2016年11月24日(木) | ||||
「香山文庫」のウェブサイト立ち上げをきっかけに、先週はいろいろな方たちからメールをいただいた。サンパウロ新聞社長の鈴木さんからは、「ご存知のように、書籍の整理は整理方法が確立しており、同じ整理方法で整理しないと意味をなしません。サンパウロにあるブラジル日本移民資料館にも膨大な資料があり、整理はある程度されているのですが、整理方法が独自だったために使い物にならず、日本の専門家から指摘を受け、現在、整理方法を変えている最中のはずです」と、以前やり取りをさせていただいた時同様、図書館司書による書籍のちゃんとした整理が必要ということを繰り返し指摘してくださっている。そしてさらに「注意していただきたいのは、移民資料研究家と称する人たちの中には、蔵書を盗む人がいることです。これはブラジル移民資料館もそうです。日本から来た大学の先生が史料を盗んで持ち帰ったということが1度や2度ではないのです。困ったものです」とあったので、驚いた。ブラジル人にはそういう人もいるので注意が必要と、以前エドソンが言っていたけれど、まさか日本人で、しかも移民研究をしている日本の大学の先生にそんなことをする人がいるのかと唖然とした。そんなことをしないのが日本人のはずなのに、一体どういうことなんだろう? 鈴木さんからの朗報としては、記者に取材させて記事にしましょうと言っていただいたこと。その記者さんは岡村さんと親しくしておられる方なので、岡村さんたちと一緒に来月こちらに来てくださることになった。 図書館司書で手伝ってくださる方を探すのは容易なことではないので、おいおい探すとして、抄録作成はそのような経験のない人でもできるので、本が好きで、文章を書くことも苦ではなく、さらにブラジルでボランティアをするのもおもしろいかもと思ってくれるような人が来てくださるといいんだけれどなあ・・・と、思っている。 | ||||
2016年11月25日(金) | ||||
次の写真は、丘の上から西を向いて撮ったもの。自生の一本松の向こう側にとうもろこし畑の存在がはっきりとわかる。とうもろこしが育っていない手前の地面には、じゃがいもの種芋を植えて、大豆を蒔いたのだけれど、大豆は去年から使っていたものを蒔いたので豆が古くなっていたのか、まったく芽がでず、地面の中で腐ってしまっていた。それで先週の土曜日にエドソンがパーディーニョの町で買ってきたオクラの種をヒバマーたちに蒔いてもらった。ジョゼがお米も作ろうというので、ここでお米を育ててみることにもしたらしい。もちろん日本米ではなく、陸稲のブラジル米だけれど、自家製のお米ができればうれしいなと思っている。うまくできるかどうかは、数ヶ月先のお楽しみ。
次の写真は、防風林の並木の北西側、とうもろこしの畑の南西側のエリア。画面右側奥に、上の写真と同じ一本松が見える。ここには桜を植えるためにヒバマーに頼んでたくさんの穴を掘っておいてもらったので、台所から出る野菜くずなどを埋めて準備をしては、少しずつテトラパックで育てている桜の苗木を地植えにしている。ちょっと見えにくいかもしれないけれど、9月から少しずつ植え始めて、現在、16本の苗木がここに植わっている。まだ4つか5つ穴があるので、すべての穴に桜を植え終わり、それらが育てばこのエリアは20本くらいの桜の群生地になる予定。
次の写真は、上の写真を撮った同じ場所から桜の苗木を少しアップで撮ったもの。桜の木の回りにレンガを置いているものと置いていないものがあるのは、最初に植えた苗木の内の2本が葉切りアリにやられて裸にされてしまったので、それを少しでも防ぐために、初期に植えた9本の苗木の回りにレンガを置いた。その後新しく植えた7本の苗木の回りにはまだレンガを置いていない。レンガを置いても完全にはアリを防ぐことはできないのだけれど、敷居を高くすることで、少しでもアリを寄せ付けないようにできればと思ってやっている。
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2016年11月26日(土) | ||||
次の写真は、家の東側の庭の桜の木の側で、現在咲いている白い花。何年も前にこの花の名前を教えてもらったように思うのだけれど、思い出せない。木はだいぶ大きくなっているのだけれど、花が咲いていたのは木の下の方の枝先だったので、花の上から写真を撮るような恰好になった。
次の写真は、先日収穫したラディッシュ。せっせと芽を間引いていたのだけれど、ラディッシュがだいぶ大きくなってきているので、大きめのものを収穫してみた。ちょっと割れているものもあるけれど、先週、パーディーニョのスーパーで買ったラディッシュよりも色が鮮やかできれいで、形も悪くなく、採れたてなので新鮮でみずみずしく、しゃきしゃきしていて、ちょっとうれしくなった。ラディッシュについた土を洗い流すために、ハイビスカスの花壇の前の水場でざっと洗い、レンガの上に並べて写真を撮ってみた。2枚目の写真は、このラディッシュで作った酢の物。数時間置いておくと無色透明だった甘酢がピンク色になる。こうなるともう食べても大丈夫。葉は、黄色くなっていたり、虫が卵を産みつけていたりするものを取り除いて、きれいな葉だけを選り分けて、例によって少量のおひたしを作った。
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2016年11月27日(日) | ||||
11月25日付けニッケイ新聞の「コラム 樹海」に、「移民110周年で立ち上がれ!ノロエステ」という記事があったので、以下にサイトへのリンクをはってみた。「ノロエステ」というのは「北西」という意味で、アリアンサなど日本人移民集住地がたくさんあるサンパウロ州北西部のことを言う。戦前の日本人移民の人たちの多くはサンパウロから汽車に乗って、北西部地域に入植したのだけれど、その汽車の路線はノロエステ線と呼ばれていた。この記事のサイトは、こちらへ。 昨日の土曜日は、ヴィトーの都合で英語のレッスンがお休みになったので、午後から行こうと思っていたのを急遽変更して、午前中はるとひろをシュハスコ小屋でお留守番させて、留守を手伝いのヒバマーとジョゼに託して、久しぶりにボトゥカトゥへ買い物に行った。ドナ・マリナ、スーパーのパオン・ジ・アスーカー、そして、ウエノの3軒を大急ぎで駆け巡り、12時半頃帰宅。ここ2ヶ月ほど気温の低い日が多く、夏という感じではなかったので、時々気温が少し上がると暑いと感じていたのだけれど、昨日は最高気温が29度にもなり、真夏の暑さになったのでびっくり。そして、季節柄、ドナ・マリナでもウエノでも桃が販売されていた。ドナ・マリナの桃はカンピーナスの青果市場から仕入れたものなのだろうけれど、ウエノの桃はウエノさんの所で栽培しているいつものおいしい桃なので、一箱買った。9個入りで8レアル。他の箱は粒の小さい桃も混ざっていて12から15レアルくらいだったので、どうして価格が安いのかと聞くと、この箱の桃はちょこちょこ傷がついているからということだった。そう言えば、よく見ると傷がついているけれど、毎日ひとり1つずつ食べればあっと言う間に食べきってしまうので、これぐらいの傷は気にしない気にしない。
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2016年11月28日(月) | ||||
次の写真は、家の東側の庭を南から北を向いて撮ったもの。この土曜日にジョゼが、縦横無尽に伸びていたネムノキやガーデングレヴィーリャの枝を払ったり、足元で生い茂っていた雑草を取り除いてくれたため、とてもすっきりときれいになった。緑の中に見える赤い色はガーデングレヴィーリャの花。
次の写真は、同じ庭の後ろの方を少し角度と場所を変えて撮ったもの。写真中央の手前の背の低い木はガーデングレヴィーリャで、その後ろの背の高い木は雑木。この雑木と一緒に1本ガーデングレヴィーリャが生えていたので、この雑木の方を切り倒して欲しかったのだけれど、何故か元気のないガーデングレヴィーリャの方がなくなっていて、この雑木が残っていたので、あれっ?と思った。間違えたのかな?背景のレンガの壁の足元にある緑はミント。このミントはとても元気で、畑で育てていたものを取り除いて、一部ここに植え替えたのだけれど、ここでもとても元気に広がって育っている。その他の手前の緑は、アメンドイン・フォファジェイロという草。これは桜の木の足元に少し植えただけなのに、ここ数年でほぼこの庭を被うほどに育っている。
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2016年11月29日(火) | ||||
週に2回、月曜日と水曜日の午前中、うちでの英語のレッスンに来ているジョアオンは、まだ9歳なので、あまり長くは集中力が続かない。それで文章を読む練習や練習問題を繰り返しするだけでなく、やっている内容の補助となるような歌を歌ったり、カードを並べ替えて文章を作るゲームや、クイズをしたり、英語とポルトガル語で対になった手作りのカードで神経衰弱をしたりと、手を替え品を替え、同じことを長くしないようにレッスンをしている。到着後のHow are you? という質問に対する返事が毎回決まってI'm tired. なのは困ったものだけれど、カードの神経衰弱は結構好きで集中してでき、何度も繰り返しやりだがる。ただ、ひとつのことを終える度にAcabou?(終わり?)と聞くので、その都度Not yet.(まだよ)という問答をポルトガル語(ジョアオン)と英語(私)で繰り返している。つい先日は朝寝坊をしたのか、朝食抜きでうちにやって来て、空腹でまったく集中できないため、続けても無駄と判断。レッスンの後、学校に行く前に何か食べないと大変と思い、レッスンを早々に切り上げた。子供とのレッスンは大人とのレッスンよりもいろいろと準備が必要だし、気を使うことが多いけれど、その準備は結構楽しかったりもする。次の写真は、ジョアオンとのレッスンで今使っているおさるさんのぬいぐるみとアイスクリームの箱。Where is Mr. Monkey?の歌を歌いながら、Is he in the box? on the box? behind the box? in front of the box?などと、前置詞を憶える練習に使っている。このおさるさんのぬいぐるみはずっと昔にハワイのお土産としてもらったもので、何十年もの時を経て、今役に立っている。
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2016年11月30日(水) | ||||
香山文庫のサイトが立ち上がった後、確か今月は旅行に行かれると言っておられたけれど、戻られてから見ていただけばいいと思い、ペトロポリスの安見さんにもお知らせのメールを差し上げた。すると、すぐに返信をくださった。それでもう戻っておられるのかと思ったら、まだ旅行中だというのでびっくり。世界はインターネットでつながっているのだなあと思った。その後、戻られてからすぐに東海大学国際学科のお知り合いの教授の方にボランティア募集の件で情報拡散を依頼してくださり、教授がフェイスブックでその情報とメッセージを上げてくださり、ありがたい限り。この教授は毎年のようにブラジルに学生を引率して研修旅行に来ておられるらしい。私の世界は小さくて狭いけれど、いろいろな方がおられ、いろいろな方を知っている方がおられるんだなあと、ただただ感心するばかり。安見さんには心から感謝。そして、旅行から戻られてまだ日が浅いのに、早速旅行中の写真を何枚か送ってきてくださった。今回はドバイ経由でスリランカとインド洋のモルディブへ行かれたのだそう。
![]() 上の写真は、スリランカの街角。写っているテクテクと呼ばれる三輪車は市民の足なのだとか。スリランカは日本の戦後処理を決めるサンフランシスコ講和会議で、日本の運命を変えた国なので見てみたいと思われたのだそう。この会議で、スリランカ(当時セイロン)代表のジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナ蔵相(後のスリランカ第二代大統領)は、『「憎しみは憎むことによっては消えず、愛することによって消える」と言うブッダの教えを引用して、対日賠償請求を放棄する演説を行い、「もう忘れようではないか、アジアにとって独立した日本が必要だ」と演説したことで、日本分割管理案は無くなり、日本の戦後復興を助ける動きになったと言われている』だから、「今の日本があるのはこの演説のおかげ」と安見さんは書いておられたけれど、まったくその通りだなと思う。これはとても有名な話だけれど、学校では教えない歴史なので、若い人はあまり知らないかなあ?でも、これは日本人が忘れてはいけない歴史だと思う。
スリランカではシーギリアロックに登ることと、セイロン紅茶の茶畑を見たいという目的で行かれ、それを無事実現されたご様子。次の写真は、そのシーギリアロックの階段を登っておられる道子さんと安見さん。シーギリアロックの高さは200mで、1250段の階段を登らなければならないので、道子さんは登れなかったら大変と、旅行前にご自宅で毎日階段上りをやって鍛えたというからご立派。そのお陰で難なく登れたという。この団体旅行参加者28名中、道子さんが最年長で、3歳年下の安見さんが二番目の年長だったそうなのだけれど、おふたりともお元気だなあ。
上の写真は、スリランカの茶畑。この茶畑は海抜1800mにある紅茶の産地ヌワラエリアというところで、1860年にイギリス人がお茶の栽培を始めてから今日に至るまで続いているのだそう。列車で4時間かけて登って行き、ここで一泊されたそうなのだけれど、夜は大変冷え込んだということだった。
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