Kyoko Yoshida | Life in Brazil | BLOG |
2016年10月1日(土) | ||||
次の写真は、家の前(北側)の庭の様子を撮ったもの。2週間ほど前、前園さんたちが来られる前日の土曜日に、ヒバマーとジョゼに、庭の地面を被うアメンドインを取り除き、うっそうと繁るハイビスカスの枝を少しはらってすっきりしてもらったり、刈り残していた家の前の芝生を刈ってもらったりした。ハイビスカスの左側に2本あるくちなしの花(2本のうち右の1本は裸なので、写真ではその存在がよく見えない)は、葉切りアリに葉を切られて裸になり、少しずつ葉が生え戻っているところ。ハイビスカスガーデンの向こう側の緑は、アメンドインではなく芝生なので、取り除いていない。アメンドインを取り除いた後、様々な小鳥がここに来て虫をついばんでいる姿をよく見かけるようになった。アメンドインを取り除いたと言っても、その根は多少残っているので、雨が降り出すと、またきれいに生え戻ってくるのではないかと思っている。
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2016年10月2日(日) | ||||
先日、ジョアオンが彼のお母さんのソフィアが市議会議員に立候補しているのでチラシと名刺を持って来た。それで、エドソンはソフィアに「あなたに投票しようと思うけれど、議員になったら何をしようと計画しているのか教えて」とメールを送った。返事がないなあと言っていたら、土曜日の午前中直接訪ねて行って話がしたいということで、ご主人のジュニオーと一緒に我が家にやって来て、1時間半ほど話し込んで行った。彼女は本職が理学療法士(physical therapist)なので、パーディーニョの救急病院の態勢を改善して、医療環境をより良いものにしたいと言っていた。次の写真は、左から、エドソン、ソフィア、そしてジュニオー。10時にヴィトーが英語のレッスンに来たので、私は彼らの話を全部聞くことはできなかったけれど、最近テメー大統領が教育改革(ジウマやルーラの労働者党はこれをなおざりにしてきた)に乗り出し、小学校で教える科目を減らして基本科目だけに絞るという計画に、エドソンは賛成だけれど、ソフィアは反対という違いはあっても、その他のパーディーニョを如何に良くして行くかという考え方は、全体的に意見が一致することの方が多いようだった。
次の写真は、ヴィトーが持ってきてくれたチーズ。クエスタ・ヘゼルバ(Questa Reserva)という名前のチーズで、彼が勤めている会社が統括しているファゼンダで作っているチーズ。このチーズはサンプルで持ってきてくれたのだろうけれど、このファゼンダで働いている人たちは販売価格の15%割引で、作っているチーズを買うことができるらしく、エドソンはこのファゼンダで働いているヴィトーのお母さんにお金を払うから、割引価格で買ってもらえないかなあとヴィトーに頼んでいた。
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2016年10月3日(月) | ||||
次の写真は、エドソンが作ってくれた土曜日の夕食。圧力なべでポークリブとトマトとマンジォカ(芋)を調理したもの。味付けは緑色のオリーブの実を数個丸ごとと刻んだにんにくとお塩だけ。最後にルッコラとイタリアンパセリをたっぷりちらして出来上がり。圧力なべでお肉を調理すると、お肉は骨から離れとても柔らかくなるのでとてもいい感じ。この写真はエドソンのお皿を撮ったもの。ご飯の上にとろっとしたポークリブのおかずを乗せて、サラダを添えている。サラダの中の白いものは、パウミト(Palmito、日本ではパルミットと呼ばれている)というヤシの新芽で、たけのこよりも柔らかいけれど、似たような食感と味がする。ブラジルではサラダに混ぜて食べることが多い。この他、アボカドや前の日に作って食べたニンジンサラダの残りも一緒に食べたのだけれど、この写真の中には写り込んでいない。
昨日は統一地方選挙が行われ、夜にはインターネット上で結果が判明した。パーディーニョの市長は200票差でナポレオンが破れ、ジトが再び当選。市議会議員に立候補していたソフィアはあと5票あれば当選していたのだけれど、残念ながら落選。パーディーニョの市政刷新は、また次の選挙まで4年間据え置きとなった。今回の統一地方選挙で良かったことは、ジウマやルーラの労働者党(PT)が、ブラジル北東部の州の労働者党の牙城のような都市を除き、全国的に壊滅状態になったこと。ジウマの罷免は議会のクーデターだと叫んでいた彼らの訴えが、事実ではなく、正真正銘の民意だったことが明かになった。サンパウロの市長選挙は、現職の労働者党の市長は落選。民主社会党の候補が得票数1位だったものの、過半数に及ばなかったため、1カ月後に2位の候補との決選投票が行われる。過半数の得票が得られなければ上位2人の間で決選投票というのは、人口の多い都市に限られ、パーディーニョのような人口の少ない町の市長選では適用されない。 | ||||
2016年10月4日(火) | ||||
インターネット上で、Youtubeに「もしも蓮舫議員の二重国籍問題を蓮舫議員が追及したとしたら(笑)-ブーメランの女王はガソリーヌでなく私よ!」というサイトがあることを知り見てみた。おもしろかったので、そのサイトへリンクをはってみることにした。よくこんな映像を寄せ集めて、うまく編集したものだなあと、感心してしまった。このサイトは、こちらへ。蓮舫議員の問題は、議員になっても二重国籍を放置していたこともそうだけれど、それ以上に長年言っていることがその時その時の状況によりコロコロと変わり、問題が発覚した後、ちゃんと説明責任を果たさず、嘘をついたことが政治家として最も問題なのではないかと思う。そして、他者への批判は容赦なくしても、自分が批判されると論点をすり替えて、問題を回避しようとするのはブラジルでもジウマやルーラの労働者党がやっていたことと同じ。こういう党や人は国にとって害になっても利益にはならないと思う。 月曜日のブログにサンパウロの市長選は、来月決選投票が行われると書いたけれど、これはリオデジャネイロ市長の間違いだった。いつも接戦となるサンパウロ市長選は、「民主社会党(PSDB)の新人候補、ジョアン・ドリア氏(58)が現職のフェルナンド・ハダジ市長(労働者党・PT)らを寄せ付けず、53・3%と過半数以上の得票数を獲得。決選投票を待たずに当選を決めた。サンパウロ市長選でのここまでの圧勝は、民政復帰以降では初めてのこと」だそう。「2日に行われた全国市長選は、ジウマ前大統領の罷免やラヴァ・ジャット作戦に揺れる労働者党(PT)が、市長当選者数ランキングで屈辱的な10位降格を招き、民主社会党(PSDB)の躍進を生む結果となった」ともニッケイ新聞の記事にあり、PTが市長選で獲得した州都はアクレのみとなったという。 | ||||
2016年10月5日(水) | ||||
先週末は、土曜日も日曜日もめいはうちの庭やベランダなど家の回りで過ごしていた。土曜日の夜はシュハスコ小屋で寝たようだった。一体どういう理由でうちで寝たり、よそに行って寝たりするのかわからないのだけれど、週末は平日よりも長くうちにいることが多いような気がする。毎週土曜日はヒバマーたちが来るので、ここにいるのだろうけれど、人の出入りのほとんどない日曜日はどうしてかな?日曜日の午前中、はるたちをオシッコに連れ出す際、めいがベランダで横になって日向ぼっこをしていたので、エドソンに頼んで3匹一緒のところを写真に撮ってもらった。めいはひっくり返ってお腹を出して、はるとひろがしきりにめいの匂いを嗅いだりしている。昼食後のお散歩に出た際もこのベランダにいて、以前のようにはるたちのお散歩に一緒について来た。その後、エドソンが森の貯水タンクの水を丘の上の貯水タンクに上げるためにポンプを作動させに行くのについて行き、エドソンが戻っても、しばらく森の中で遊んだ後、トコトコと歩いてお隣に向かっている姿があった。まるでお隣がめいの家で、時々うちに遊びに来るような感じ。ちょっと逆じゃない?と思うのだけれど、ずっとうちにいるのは嫌なんだね。
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2016年10月6日(木) | ||||
毎週土曜日にうちの手伝いに来てくれるヒバマーとゼーが豆を育てたいというので、エドソンが許可をして、1ヶ月ほど前カリオカ豆の種を蒔いたのだけれど、その芽が出て、少しずつ育ってきているので、写真に撮ってみた。グアンドゥ豆の間のスペースに点々と見える小さな緑色のものがカリオカ豆の芽。グアンドゥ豆は背が高くなって木になるけれど、カリオカ豆はあまり背は高くならないらしい。何年か前、お隣のカゼイロのジョアオンがここでとうもろこしの種を蒔いて育てた際、一部、何かの豆の種も土地の隅に蒔いたことがある。その豆の芽が出始めた頃、野うさぎに全部食べられてしまい全滅したことがあったけれど、今回は虫に芽を切られたような芽が少し散見されるものの、幸い野うさぎの被害は出ていない。そして、ヒバマーたちが豆を蒔く数日前に雨が降って以来、ずっと雨が降っていなかったのだけれど、この月曜日に恵みの雨が降った。
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2016年10月7日(金) | ||||
庭の西の角に植えたラベンダーは何年経っても大きくならず、半分くらいは枯れてしまったので、根元にアリの巣ができている1株を残して、すべて取り除き、そこにジョゼからもらった赤い花が咲くという木の苗を植えた。真ん中の小さな苗木がそれ。この苗木の右後ろで右に傾いている木は、白いポインセチア。現在ひょろひょろと伸びた枝先に3つ~4つ花が咲いている。画面左側の木の幹はフランボヤンの木。画面中央後ろに見える幹は桜。
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2016年10月8日(土) | ||||
6月の中旬、2度にわたってうちの土地をトラクターで耕してくれた人は、9月にもう一度来てトラクターで耕してくれる約束になっていたのだけれど、忙しかったのか9月にやって来ず、昨日の午後来て、作業をしてくれた。次の2枚の写真は、その作業をしているところを撮ったもの。この作業が完了すると、これでようやく、ここにとうもろこしの種を蒔くことができる。
上の写真を撮ろうと思って、カメラを持って丘に上がったついでに、うちとお隣との境の柵沿いに植えたコロア・デ・クリストがだいぶ成長して大きくなっているので、これも写真に撮ってみた。長い間なかなか成長しなかったけれど、ヒバマーが繰り返し何度も足元のブラキアーリアを取り除く作業をしてくれたので、何とかここまで育ってくれた。
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2016年10月9日(日) | ||||
以下は、10月7日付けニッケイ新聞「コラム 樹海」からの転載。
『「ママイ、僕のことをジャーナリストに話すときに、絶対に苗字を言っちゃダメだよ」。県連ふるさと巡り旅行で偶然出会ったある二世女性から、息子にそう釘を刺されたと聞いて興味を持った。聞けば、彼女の息子はサンパウロ州立大学卒で、なんと世界有数の自動車メーカー「日産」の常務執行役員をしている▼なんでも「僕はブラジルでは知られていない。もし知られると、引き抜きとか、うるさいから言わないで。ゴーン社長からそう釘を刺されている」と念を押したという。あのカルロス・ゴーンだ▼母は続ける。「同じブラジル三世として、お前とは特別に気持ちが通じる部分があるって、ゴーンさんが言ったそうなの。だから別の会社から自分を引き抜いたって」。カルロス・ゴーンは、ロンドニア州都ポルト・ベーリョ生まれのレバノン系ブラジル人三世だ。祖父は13歳の時に、ボリビアとの国境「グァポレ直轄州」に入植した。同州は56年に改名して現州名になった▼「グァポレ」に聞き覚えがあると思って調べてみると「トレーゼ・デ・セッテンブロ植民地(旧グァポレ)」だった。1954年に戦後移民29家族が入り、「グヮポレ移民」と呼ばれた。河口の町べレンから、なんと2週間も船でさかのぼった奥アマゾンだ▼ゴム生産を目指していたが、州政府のずさんな計画で断念。《血色のない顔色、頬がこけ、欠けた歯、重労働で痩せた入植者たちの群れ》(『グヮポレ移民50年史』87頁)という酷い状態で「幽霊植民地」とまで呼ばれた▼ゴーンの祖父は日本人と同じように地方部に入植し、ゴム仲買商をしていた。二世である父の代に州都へ移り、奇しくも日本人が同地入植した54年に、ゴーンは誕生した。州都のどこかで日本移民と顔を合わせていたに違いない。6歳の時、祖父の地レバノンに戻り、フランスで教育を受け、仏ミシュランを経てルノーにスカウトされた▼財政危機に瀕していた日産とルノーは1999年に資本提携を結び、ゴーンは日産自動車の最高執行責任者に就任。人員整理などを敢行して「コストキラー」(経費削減の鬼)の異名をとる▼短期間で経営立て直しを果たして03年には米フォーチュン誌は、ゴーンを称して「アメリカ国外にいる10人の最強の事業家の一人」と呼んだ。ルノーと日産の両者は2010以降、全世界自動車市場の約10%の占有率を誇る▼ゴーンの経歴を日系ブラジル人に譬えれば、二世が三世の幼子を連れて日本に永住し、そこで育った子供が米国に留学して高等教育を受けて、世界を代表する企業の社長に育ったようなもの。日本政府がちゃんとデカセギ子弟を受け入れて教育を受けさせる体制を作れば、ゴーンのような逸材がいつか日本から生まれる▼件の二世女性に聞けば、リオ五輪開幕式に出席するために息子は数年ぶりに帰郷した。たしかに日産はリオ五輪のスポンサーだ。母は「4年も帰ってこなくて2時間半しか家にいなかったわ。家族は本当に寂しい思いをしているのよ」と嘆く。「息子は忙しいから、会うためには日本まで行かないと・・・」▼息子の名前をネット検索してみたら、日本語と英語でたくさん出てきた。驚くほど有名人だ。だが、不思議なことにポ語で検察しても記事はほぼゼロ。「米国駐在時にスカウトされて日本に行った」そうだからブラジルでは無名。今回「普通のサラリーマンと同じ格好で一人で帰ってきた」とか▼そこでピンときた。「ブラジルで知られて困る」理由は、彼自身ではなく、実は家族の方にこそある。世界的に有名なビジネスマンの家族だと、一般に知られれば誘拐される危険性が大だ。息子が心配しているのは「引き抜き」ではなく、きっと家族のことだ。日系人らしい気配りといえる。コロニアが誇る、知られざる世界的日系人の一人だ。(深)』 | ||||
2016年10月10日(月) | ||||
先日エーナーニとカロウを夕食に招いたばかりなのに、この土曜日に早速夕食に招き返してくれたので、行ってきた。次の写真は、エーナーニのお母さん。このお母さんと今は亡きお父さんとの間に子供がいなかったため、エーナーニは養子として他所の町からもらわれてきてパーディーニョで育った。お父さんが農業をしていてあちこちにたくさん土地を持っていたので、エーナーニはそれを引き継いで農業をしている。エーナーニは若い頃は生活がずいぶん荒れたらしいのだけれど、今はぐっと落ち着いて、何百坪もある広い敷地内にプールをはさんで向かい側にある離れで暮らすお母さんの面倒を見ている。日々の面倒はカロウが見ていて、最近少し認知症が進んできているので大変と言っていた。でも、この日は私たちの到着後エドソンと普通に会話をしていて、とても元気そうに見えた。「写真を撮ってもいいですか?」と聞くと、「いいですよ」と快く次の写真を撮らせてくれた。お母さんの左背後に少しプールの端が写っている。
この日の夕食のメニューは、ニョッキのミートソース、鶏肉のストロガノフ、煮豆、ご飯、サラダ。そして、デザートはイチゴのスライスがたっぷり入ったババロアのようなものと、同じく刻んだパイナップルが入ったカスタードのようなものだった。カロウのお母さんは長年ホドサーブのレストランで料理を作る仕事をしていたと言っていたから、それでカロウもお料理がとても上手なんだと納得。何よりも、デザートを含め、いつも出される料理の品数が多いことに驚いてしまう。お料理や彼らの家族の写真を撮りたかったのだけれど、お母さんの写真を撮った後、カメラの電池切れで撮れなくて残念。夕食を食べながら、前の週の選挙の話になり、ナポレオンが選ばれなかったのは残念だったけれど、市長になったジトはいつものように1000票をお金で買ったから勝ち目はなかったのかもしれないと言っていた。これからの4年間ジトは何もしないだろうから、パーディーニョは何も変わらないけれど、4年後は任期を2回繰り返したことになり、ジトは次の市長選に出ることはできないので、次回こそナポレオンの出番になってほしいと言っていた。1000票もお金で買ったって、それって選挙違反でしょう?と思ったけれど、選挙違反で捜査が入ることなどないらしい。不思議の国ブラジル。 | ||||
2016年10月11日(火) | ||||
畑作りを手伝ってもらっているジョゼに、この土曜日は庭にテーブルを作ってもらった。庭にある4本のヒマラヤ桜のちょうど真ん中辺にテーブルとイスがあるといいねと、前々から話していて、木で作るか、レンガで作るかなどいろいろ悩んでいたのだけれど、結局、テーブルの足は木の丸太を地面に埋め込んで使い、トップはモラエス家具店で販売している安いテーブルの石のトップを使うことにした。足元の丸太は丈夫だし、石のトップなら木製のトップよりも風雨に晒されても傷みにくいだろうというのが理由。イスはずっとここに出しておくことはできないので、必要な時に家の中で使っているスチールパイプのイスか、ガレージにある古いスチール製の折り畳みイスを、その都度運んで使うつもり。そして、テーブルのトップが水平かどうかを確認する器具がテーブルの上にあったので、その写真も撮ってみた(2枚目の写真)。このテーブルの足元の地面は水平ではなく、左から右へ軽く傾斜していて、地面を水平にする作業はまだだけれど、テーブルトップはちゃんと水平になっていることがわかる。
土曜日の午後からは、金曜日に整備が終わった暴風林の北側の斜面に、ヒバマーとゼーとゼーの奥さんがとうもろこしの種を蒔いてくれた。ゼーの奥さんは、彼らが蒔いた豆が育ってきているので、回りに生えてきている雑草を取り除く作業に来ていたのだけれど、午後からはとうもろこしの種まきも手伝ってくれていた。次の写真は、午後からの作業の前に準備をしているみんなを背後から撮ったもの。夕方作業が終わってみると、土地の広さに比べて、エドソンが買っておいたとうもろこしの種の量が少し少なかったようなので、余った土地には大豆(枝豆)を蒔こうかと話している。大豆(枝豆)はいつものように畑で育てようかと思っていたのだけれど、畑で育てたいものがたくさんあって、スペースが足りくなりそうだったので、ちょうど良かった。
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2016年10月12日(水) | ||||
次の写真は、今年生えてきた孟宗竹の新芽。右側の背の高い孟宗竹は去年生えてきたもので、それまでの竹の2倍くらいの高さになったので驚いたのだけれど、今年の新芽は、高さは去年のものよりもほんの少し低いものの、太さが去年の竹の倍くらいと太いので、またまた驚いている。2枚目の写真は、その新芽の足元を撮ったもの。背後の古い竹の太さと見比べると、その太さがよくわかる。孟宗竹と言ってもブラジルのものは細いなあと思っていたけれど、今年の新芽はこれぞ孟宗竹という感じの太さなので、これまでは竹がまだ若かったから細かったのかなと思った。
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2016年10月13日(木) | ||||
昨日はノッサ・セニョーラ・アパレシーダという宗教関連の祝日でお休みだったのだけれど、ジョアオンは午前中のレッスンに休まずやって来た。でも、夜のレッスンのジセレーニはお休みしたので、洗濯と夕飯作りを午前中に済ませ、午後からは花壇などの水やりや、畑やテトラパックへの種まきなどをがんばった。次の写真は、今年作って、下のガレージの冷蔵庫に保存している桑の実のジャム。アップルパイを作る際買ってきて使ったオレンジマーマレードの瓶を、使った後取っておくのだけれど、今年は数が足らず、2倍くらいの大きさの他の瓶も引っ張り出して、作ったジャムを入れている。去年は桑の実の収穫の途中で蜂に刺されてしまったためジャム作りをストップしたのだけれど、今年は大粒の桑の実の収穫が去年よりも多いのと、小粒の収穫もぼちぼち始めたので、去年よりもできているジャムの量が多い。この写真の一番右側の奥の大きな瓶は、去年エドソンのお母さんが作って持ってきてくれた果物の砂糖漬けのようなスイーツ。お母さんは亡くなってしまったので、これを食べてしまったら、もう二度と彼女の手作り瓶詰スイーツは食べられないなあと思いつつ、手をつけられないでいる。その手前の瓶はジャタイのハチミツを入れている瓶で、ジャムではない。
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2016年10月14日(金) | ||||
次の写真は、先週の土曜日にジョゼからもらった豆。ドナ・ベティのファゼンダのマネージャーをしていたエリゼウが、ずっと以前入手したという豆がまだ残っていたため、今年植えて収穫して、食べてみると、結構おいしかったので、うちにも少しその収穫した豆を持ってきてくれたということだった。さやから出してみると白地に赤い筋の入った、何だかとてもきれいな色の豆で、ずいぶん変わった豆だなと思った。全部さやから出して重さを計ってみたら160グラムほどあった。さて、どうやって食べようかなあ・・・?
次の写真は、家の東側の庭。この庭のメインは真ん中に植えて大きくなった桜の木。その回りにガーデン・グレヴィーリャやネムの木を植えているのだけれど、そのうっそうとした木々の間から雑草が生えてきて、現在、黄色い花を咲かせているので写真に撮ってみた。一番手前の緑はネムの木で、たくさん咲いていた赤い花は、今ではほとんど終わってしまっている。その後ろで赤い花を咲かせているのはガーデン・グレヴィーリャ。
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2016年10月15日(土) | ||||
鎌谷さんからいただいて毎年種を蒔いて、花が終わると、種を採取して、また次の年に種を蒔いてと繰り返し育てている朝顔の種を今年も蒔いた。次の写真のバラの花壇が草ボウボウになっていたので、数日かけて草を取り除いて、新しく土を入れて種を蒔いた。右側の竹は以前から朝顔のつるが伸びて行けるようにここにこうしてさして使っているのだけれど、左側のスペースにあったバラが1本枯れてできたあらたなスペースに桜の枝を2本さして準備した。毎年採取できる種が増えているので、このスペースだけでは種を使いきれず、残った種はどこに蒔こうかと現在思案中。
次の写真は、ランドマークの木の側から下の道に下りて行く坂道の左側にあるサボテン。毎年1つ2つ新しい芽を出して、前のめりに成長してきていたのだけれど、今年はさすがにこれ以上は前に芽を出せないと思ったのか、後ろの部分からたくさん上に向かって芽を出している。
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2016年10月16日(日) | ||||
「楽書倶楽部」第35号は5日の水曜日に発送しましたと、前園さんからご連絡をいただいていたので、14日の金曜日には届いているかな?と思い、エドソンに郵便局に行ってもらうと、予想通り届いていた。今号には7月に亡くなられた香山さんや、8月に亡くなられた大羽さんを偲ぶ文章を書いておられる方が複数人おられた。そして、先月同人の方たち10人が我が家を訪ねてくださった時の写真も掲載されていた。以下は、この号に掲載された私の文章。
五年前に八十九歳で人生を終えた父は、八十歳を過ぎた頃からよく転ぶようになっていた。歳のせいで足腰が弱くなったのだろうくらいにしか思っていなかったのだけれど、実は加齢により四肢の神経が麻痺する難病を発症していて、転びやすくなったのはその病気のせいだったということが、数年後にいろいろな検査をした結果わかった。現在、介護施設で暮らす九十歳の母も、八十五歳の時に父が亡くなるまでは一通りの家事をこなしていたけれど、八十歳を過ぎた頃から物忘れの兆候が見え始めていた。年老いて行く両親を見ながら、老いや死というものがとても身近なものに感じられるようになり、自分自身の老いや人生の終え方も少し考えるようになった。 二十年余り前から両親の老後を見るために、一緒に暮らし始めていた兄夫婦は、父が亡くなり、母が介護施設に入ってから、少しずつ両親が暮らしていた一階の台所、居間、寝室などの掃除と整理を始めた。父は読書が趣味だったので、寝室の本棚には大量の蔵書があり、毎日少しずつそれらを整理して行った。その過程で出てきた新聞のスクラップブックに、父が中学時代にバレーボールで活躍した新聞記事の切り抜きなどを発見して、戦前のものが原爆で消失せず、大事に保存されていたことに驚き、その写真を私にも送ってきてくれた。父の若かりし頃の活躍は多少聞いて知ってはいたものの、実際に古い新聞記事を目の当たりにして、涙があふれてきて止まらなかったと兄は話してくれた。そして、父の蔵書を単にゴミとして捨ててしまうのは忍びないと言って、父がどんな本を読んでいたのかを1冊ずつ確認し、著者ごとに分類したリストを作り、古本買い取り業者に引き取ってもらうという作業を時間をかけてやってくれた。几帳面な兄らしいと思った。 今年の五月に広島の母の様子を見に帰った際、「この曲の歌詞を聞いてみて」と言って、兄が「Since I don't have you.」という曲のCDをかけた。一九五〇年代の「オールディーズ」と呼ばれるジャンルの音楽がことのほか好きな兄らしく、それは五〇年代後半にアメリカでヒットしたザ・スカイライナーズというグループの聞き慣れた曲だった。「僕のお葬式の時に、この曲をかけてほしいんだ」と言うので、「何と気の早いこと」と思った。でも、これは父の蔵書などを整理する過程で、何か深く思うところがあった兄なりの終活の一部なのだと納得した。 そしてさらに、私の親しい友人たちの名前と連絡先をまとめたリストを作っておくようにと宿題を言い渡された。私に万一のことがあった時、夫は何とか広島の兄に連絡することはできても、私の友人たちにまで連絡することはできないだろうから、兄か、兄がすでにこの世にいなければ、兄の息子から連絡できるようにしておきたいからということだった。自分の終活だけでなく、私の終活についてまで考えているなんてと驚いた。 私は夫と共にブラジルに来る際、ブラジルに骨を埋めることになるのだと覚悟して以来、漠然とではあるけれど、ここでどのように人生を終えたいかと考えている。自分のお葬式でどんな音楽をかけてほしいとか、友人たちにどうやって連絡するかということは考えてもいなかったけれど、ひとつだけ具体的な望みがある。私が死んだら土葬ではなく、火葬にしてほしいと思っている。パーディーニョの気候と自然環境が気に入り、ここに終の住家を建てて暮らし始めたものの、所詮、パーディーニョの町は私だけでなく、夫にとっても何の縁もゆかりもない場所。そんな町の墓地にひとりぼっちで土葬されるのは寂しすぎるので、火葬にしてうちの敷地内に埋めてほしいと夫に頼んでいる。ガン治療の末この世を去った愛犬モビをうちの敷地内の丘の上に埋めてお墓を作った際、私が死んだら火葬にしてその灰をモビのお墓の横に埋めてほしいと思ったのがきっかけだった。遺灰は埋めなくても、モビのお墓の回りに植えた桜の木の根元にまいて樹木葬のようにしてもらってもいいかなとも思う。 この望みを夫に叶えてもらうためには、私が夫よりも先に逝き、夫に見送ってもらうことが前提条件になる。私が夫よりも年上で、夫に先立たれては私はここでひとりでは生きて行けないので、私が先に逝くことが順当だと思っている。でも、よくよく考えると、私たちには子供がおらず、側に家族もいないため、私が先に逝くと、夫がひとりぼっちで年老いて行くことになり、これはこれで寂しく、とても不安なことなので、一体どうしたものだろうと考え込んでしまった。あれこれ考えた末、結局、私たちに必要な終活は、万一の時に残されたものがひとりぼっちで寂しく不自由な思いをしないように、精神的に支え合い、頼れる親しい友人たちを身近にひとりでも多く作ることだと思い至った。そういう支えがあり力になってくれる友人がいれば、先に逝くものも後に残るものも心穏やかでいられるだろうと思うからだ。そしてさらに大切なことは、私も夫もお互いに健康に気をつけて元気に長生きをして、できるだけ長くふたり一緒に生き、どちらかをひとりぼっちにしないこと。つまりこれからどう生きて行くかが問題なのだと思い直している。 | ||||
2016年10月17日(月) | ||||
昨日の日曜日からまた今年も夏時間が始まった。日本との時差はマイナス12時間だったものが、夏時間の間はマイナス11時間になる。この夏時間は来年の2月18日まで続く。日曜日にいつものように朝6時頃目を覚ますと実は7時になっているので、これが平日だったらちょっと大変だけれど、いつも週末に変更になる決まりなので、1時間の差はたいした問題ではなく助かっている。ただ、コンピュータの時計は自動的に時間が変わるのだけれど、家の中の置き時計はひとつひとつ手動で時間を変更しなければならないのはちょっと面倒かな? 毎日午後5時を回るとエドソンが仕事を終えて台所に来てワインを開ける。それをちびちび飲みながら夕食の仕度をするのだけれど、それに合わせて、ひろとはるには人参やキャベツの芯、ブロッコリーなどその時ある野菜をスナックとして与える。これが日課になっているので、5時が近づくと、2匹は台所にやって来て、「もうそろそろ時間じゃないですか?」と、スナックをおねだりする。次の写真は、床に置いた人参を前にして、私が「はい、どうぞ」と言うのを待っているひろ(左)とはる(右)。普段は私が「はい、どうぞ」と言うまで人参から目を離さず、必死に見つめているのだけれど、この日は私がカメラを構えていたので、ひろは人参ではなくカメラを見ている。はるはカメラに焦点があっていないので人参を見ているのかな?そして、「はい、どうぞ」と許可を与えると、はるは台所の流しの前のマットの上に行って食べ、ひろは玄関のマットの上に行って食べる。食べ終わると満足して、2匹は寝室のベッドに行き、夕飯までおとなしくしていることが多い。「もっとちょうだい」とねだることはめったになく、とても聞き分けがいい。
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2016年10月18日(火) | ||||
先週の水曜日の夕方から雨が降り出し、木曜、金曜と断続的に降り続いた。そして、土曜日は深い霧の中で夜が明けて、徐々にお天気が回復していったのだけれど、気温もそれに伴いぐんぐん上昇して、その後最高気温が連日30度を越え、32度まで上がっている。そのため夜使っていた薄い掛け布団を片付けて、夏用の肌掛けだけにして、扇風機をつけて寝ている。予報ではこの状態が金曜日まで続いて、土曜日に一息つくらしい。お天気が回復して急に気温が上がったからなのか、土曜日の夕方から夜にかけて羽アリが無数に飛び交っていた。次の写真は、ランドマークの木の前から西北に下って行く坂道を撮ったもの。地面に小さな茶色い丸いものがあちこちに見えるけれど、これは羽を落とした女王アリが穴を掘って巣作りを始めているところ。敷地内のそこらじゅうに無数にある。2枚目の写真は、その巣のひとつをアップで撮ったもの。大きな女王アリが出てきたのでカメラを向けたのだけれど、シャッターを押すのと同時に穴の中に入って行ってしまたので、お尻しか写らなかった。これだけおびただしい数の女王アリのうち生き残って家族を増やすものは極々少ないらしいのだけれど、このアリは葉切りアリだとういうから、少しでも生き残れば、木々が被害に遭う。でも、穴が無数にあって、それらすべてに殺虫剤を噴霧することなどできないし、もしそんなことをすれば、土壌汚染を引き起こすので、森の泉の水を飲んでいる私たちにはそんなことはできない。だからなすすべもない。自然の淘汰に任せるしかない。
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2016年10月19日(水) | ||||
入り口ゲートと家を結ぶ道沿いの西側に植えたセドリーニョの列の中の、西隣りのコーヒー農園に近い辺りの1本がこの冬茶色に変色し始めて枯れてしまったので、何があったのだろう?と思っていた。先日、エドソンが確かめに行くと、木の幹の下の方の皮が剥ぎ取られて、裸になった幹から虫かバイ菌が入って枯れたようだということがわかった。皮を剥ぎ取ったのは虫なのか動物なのかはわからないけれど、この1本だけが被害に遭ったことになる。せっかくここまで大きく育ったのに、残念。写真の手前にいくつも見える茶色い土の山は、台所から出る野菜くずなどを埋めるためにヒバマーに掘ってもらった穴の側の土の山。そしてその向こう側に並んで、ポツポツと小さな苗木が3本見えるけれど、これらはフランボヤンジーニョという木の苗。長くブラキアーリアに埋もれていたため、なかなか大きくならないので、足元に肥料(白い色のもの)を少しまいている。
一昨日は、夕方5時を回って外で何か音がするので強い日差しを遮るために閉めていたカーテンを開けると、晴れているのに大粒の雨が降っていたので写真に撮ってみた。1枚目の写真は、居間の西側の窓から西を向いて撮ったもの。2枚目は同じ窓から北西を向いて庭を撮ったもの。雨は30分足らずで止んだので、夕食後のはるたちのお散歩には支障がなく良かった。でも、その夜8時半頃から今度は雷が鳴り出したため、コンピュータ、テレビ、冷蔵庫などのコンセントを抜いて準備しなければならず、夏時間になり、放送時間が8時から9時になったNHKの朝の「べっぴんさん」は見ることができなかった。残念。
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2016年10月20日(木) | ||||
今日は、はるの4歳の誕生日。はるは生後2ヶ月で、まだとても小さい時にうちにやって来たので、ずいぶん長い付き合いになる。3年9ヶ月近くを共に過ごしたモビとの付き合いとほぼ同じくらいになったんだなあと、あらためて思った。モビは10歳になるかならないかで亡くなってしまったけれど、はるとひろには元気で長生きしてほしいと思っている。それで今日ははるの誕生日を記念して、写真をたっぶり掲載することにした。次の1枚目の写真は、ダイニングルームの食卓のイスの下にいるはる。2枚目は玄関マットの上にいるはる。私がカメラを構えてはるの後をついて歩くものだから、カメラがあまり好きではないはるは落ち着かない感じでうろうろして、何だか居心地が悪そうだった。
次の写真は、火曜日の朝撮ったもの。私が起きて着替えを始めると、それまで寝ていた2匹も起きて、私の準備ができるのを待っている間、ベッドの中で伸びをしたり、戯れ合ったりしながらおとなしく待っている。はるは小さい頃、この少しの時間が我慢できず、時々寝室のドアの前とか、玄関でおもらしをしていたけれど、ひろは小さい時から朝起きてすぐにおもらしをしたことはない。私が着替えるのを待っている間、エドソンがはるを呼ぶと、はるはエドソンのベッドサイドに行って「おはよう、パパ」とちゃんと挨拶するのだけれど、ひろはエドソンが呼んでも反応しないことの方が多い。でも時々、呼ばれなくても自発的に「おはよう」と言いに行くこともある。2枚目の写真は、戯れ合っている間、おもしろい写真が撮れないかなと、カメラを構えて写真を撮っていたら、戯れ合うのを止めてしまった2匹。カメラの前ではてれるのかな?
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2016年10月21日(金) | ||||
次の写真は、先日紹介したランドマークの木の側の道沿いの孟宗竹とは別に、ランドマークの木から少し離れた道沿いに生えている孟宗竹。ランドマークの木の近くの孟宗竹はほれぼれするほど真っ直ぐに上に向かって伸びているけれど、ここの孟宗竹はいつも最初は地を這うように芽が出てきて、しばらく経ってからようやく上を向いて伸び始める。写真中央が今年生えてきた芽で、いつまで経っても地面と水平に伸びていたのが、ようやく上を向いて伸び始めたところ。どうしてここの竹はいつもこうなのかな?と、不思議でしょうがない。
ブラジルのテメー大統領が18日、19日と日本を公式訪問したのだけれど、10月20日付けのニッケイ新聞に『インフラ支援=政府間協議の新設を合意=11年ぶり、テメル大統領訪日=伯国への投資呼びかけ』という記事があったので、ここにリンクをはってみた。ルーラやジウマは共産主義者だったので、自分の国や国民よりも共産主義の方が大事で、ベネズエラなどの民主主義とは相反する国の政権を、ブラジル国民の血税で支援していたことが明らかになったり、日本よりも中国大好き政策をとってきていたけれど、テメー大統領と彼の政権はだいぶまともなので、これまで被った外交的ダメージを修復しようと精力的に頑張っているように見える。この記事のサイトは、こちらへ。ジウマ前大統領は日本訪問を2度もドタキャンしたけれど、このテメー大統領の訪日を機に、日本とブラジルの関係がさらに深まればいいなと思う。 | ||||
2016年10月22日(土) | ||||
次の写真は、スーパーで買った赤玉の玉子(右)と、先日もらったエーナーニの所で飼っている地鶏の玉子(左)。地鶏の玉子はスーパーで販売されている白玉と赤玉の中間のような白でも赤でもない淡い色をしている。エドソンいわく、これが自然な地鶏の玉子の色なんだとか。2枚目の写真は、この2つの玉子を茹でて、半分に切って中の黄身の色の違いを比べてみたもの。赤玉(左)の黄身は薄い黄色だけれど、エーナーニの地鶏の玉子(右)はちょっとオレンジ色のような濃い色をしている。栄養価が高そう。
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2016年10月23日(日) | ||||
毎年ろう細工のような花を咲かせる植物が、今年も花芽をつけたので、写真を撮ってみた。右側のつるを伸ばしたような植物がそれで、上下にひとつずつつけた花芽が少しずつ大きくなってきている。この植物の左側はランの鉢で、2つつぼみをつけているのが見える。
次の写真は、先日の朝撮った食卓の上。右側の白いランは7つも花をつけていて、左側のピンクのランは4つ花をつけている。このピンクのランの前には白いシクラメンの鉢も置いているのに、窓際の棚の上に置いていたオレンジ色のランがつけた4つのつぼみの内の3つが開花したら、窓際から食卓の上に昇格させようとエドソンが言うので、食卓の上に移動させた。そのため食卓の上は現在花盛り。どれもみんなとてもキレイだから、エドソンは食事をしながら眺めていたいらしい。
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2016年10月24日(月) | ||||
金曜日の夕方、台所で夕飯の仕度をしていると、インコの賑やかな鳴き声がするので見ると、目の前のセドリーニョの木のてっぺんに2羽のインコが止まっていたので、ダイニングルームの窓から2羽の写真を撮ってみた。この辺は野性のインコがよくうるさく飛び交っているので、珍しいことではないのだけれど、このインコたちはずいぶん長い間ここに止まっていたので、焦ることなく写真を撮ることができた。インコは何故かいつも2羽とか4羽が一緒に鳴きながら飛んでいて、1羽だけで飛んでいるのを見かけたことはない。と言うか、インコが飛んでいるのに気づくのは、彼らのうるさい鳴き声のためなので、1羽だけの場合は鳴かないのかもしれないなとも思った。この2羽はつがいなのかな?
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2016年10月25日(火) | ||||
先週の土曜日、ゼーは何かの都合でお休みだったけれど、ヒバマーとジョゼは来てくれて作業をしてくれた。午前中エドソンは、ヒバマーには森に近い辺りの草取りをしてもらい、ジョゼには庭のテーブルのところにベンチを作ってもらった。イスは古いスチール製の折りたたみイスを利用するのだとばかり思っていたのだけれど、エドソンは最初からこの写真のようなベンチも作ってもらうつもりだったようだ。それで午前中に出来上がったベンチに座って、ふたりがお昼を食べ、休憩していたので、居間の中からふたりの写真を撮った。彼らがゆっくりくつろいで食事をしたり、休憩したりする場所ができてよかった。私たちもたまにここで朝食を食べようかなどと話している。
午後からエドソンは、ふたりに森の竹を切り出して来て、畑に日除けを作る作業をしてもらっていた。次の写真は、日曜日の朝撮った畑の様子。畑の上に長い竹が何本も置かれ、左半分に黒いネットをかぶせる所まで作業が進んだ。ジョゼはこういう仕事がとても上手だなと思う。去年の暮れくらいからヒバマーがここの仕事を辞めたいと言い出して休むようになり、新しい人を探す努力はしたものの、半年近くまったく見つからず途方に暮れていたところ、ブラジル経済が悪化したことで、パーディーニョでも仕事を失う人が増え、結局、ヒバマーがゼーを連れて戻って来てくれたので、私たちは本当に助かっている。その上以前、森の泉の水を集める井戸のようなものを作る際、手伝ってもらったことがあるジョゼも、うちの畑作りなどを手伝ってもらえないかと、ヒバマーを通じて頼んだら、来てくれるようになり、現在は3人が手伝いに来てくれているので、草取りだけでなく、懸案だった他の仕事もはかどり、本当にありがたい。
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2016年10月26日(水) | ||||
ゼーたちが蒔いた豆が芽を出し、可憐な薄いピンク色の花をつけ始めたので、写真を撮ってみた。芽の育ち方が大きいものと小さいものとがあり、ずいぶん差がある印象だ。どうやらカリオカ豆を蒔いたと聞いていたのだけれど、蒔いたのはカリオカ豆だけでなく、別の大きい種類の豆も蒔いたのだそうで、小さい芽がカリオカ豆で、大きい芽が大きいタイプの豆の芽だということだった。でも、どの芽も一様に葉先を野うさぎに食べられてしまっている。みんなちゃんと育って豆をつけてくれるかなあ・・・?
そして、丘に蒔いたとうもろこしも芽が出始めた。遠くからだと草なのかとうもろこしの芽なのか、判別しにくいけれど、一列に並んだ緑が見えるので、草ではなく蒔いたとうもろこしだということがかろうじてわかる。
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2016年10月27日(木) | ||||
広島の片岡勝子先生から先日メールをいただいた。片岡先生は約10年ほど前に広島大学を退官された後、IPPNW(核戦争防止国際医師会議)日本支部事務総長をされている。広島から岡山の介護施設に移転された横路先生との連絡が途絶えて以来、IPPNWつながりで今でも時々やり取りがあるのは、片岡先生と渡辺晋先生だけになってしまったけれど、広島を離れて20年以上になる今でも時々おふたりはご連絡をくださる。ありがたいことだと思う。片岡先生のメールには、『オバマ大統領ご自身が「習いながら折った」と持参なさったものです。くちばしの先など、大統領自身が折られたかどうかは分かりませんが、とてもきちんと合わせてあります。2羽は広島の原爆資料館に保管(ときどき展示?)、2羽は長崎に行きました。私は6月に写真をとっており、4羽とも広島の資料館に展示してありました』とあり、その4羽の折鶴の写真を送ってきてくださった。
それと一緒に、今年先生のご実家で咲いたという月下美人の花の写真と、片岡先生が中国新聞に寄稿された「世界の首脳 行動起こす好機」という10月22日付けの記事のコピーも送ってきてくださった。次の写真は、その月下美人の花。
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2016年10月28日(金) | ||||
片岡先生からさらに、今年3月に、広島の猿猴橋が添付写真のように復元されたと、次の解説をつけて、以下の写真も送られてきた。『元来、猿猴橋は猿猴川にかかる唯一の橋で、西国街道を上り下りする人達は、浅野公などの大名行列を含めて、この橋を通ったのだそうです。大正15年に木橋からセセッション様式の鉄筋コンクリート橋に架け替えられました。第2次大戦中に金属の飾りが全てとりはずされて供出されたものを、このたび復元されました。4本の主塔の上には地球儀に停まった鳥(動物学的には、鷹とも鷲ともとれる)、欄干の透かしは向かい合った2匹の猿が中央で1個の桃を持っている像です。渡り初めから約1週間後、満開の桜のときに撮りました』送ってきてくださったこの写真を見て、昔の橋のデザインは、結構凝っていたんだな。昔の人は遊び心と余裕があったということかな。復元され良かったなと思った。背景の川沿いの桜並木もなかなかきれいだ。
先日掲載したオバマ大統領の折鶴の写真を見て、広島の吉島中学校で英語教師をしている友人がメールをくれた。「オバマ大統領が来広の折には広島は大変な興奮でしたが、吉島中学にとっても大きな出来事でした。実は、吉島中学の生徒会の執行部数人がスピーチの当日に広島市に招待(?)されていて、あの折り鶴を手渡されたのは資料館の中で一緒にいた吉島中学の3年生二人でした。メディアもその後生徒にインタビューに来たり、新聞に何度も掲載されたりでした。大統領に、何歳かと聞かれたので年齢を言ったら、英語がとても上手ですね、と褒められたそうです。小学校としては中島小学校の生徒が参加していました」と、メールにあり、何だかいろんなエピソードを持った折鶴なんだなと思った。 | ||||
2016年10月29日(土) | ||||
この木曜日の午後、昼食後のお散歩から戻り、台所ではるたちの食事用のお皿を洗っている時、ふと目を上げて外を見ると、眼下のセドリーニョの列の前のアメンドインの側を、イグアナのような大きな生き物がのそのそと右から左に歩いていたのでびっくり!急いでカメラを取りに行って戻って写真を撮ろうとしたのだけれど、東の端で下の三角地帯に降りて行ってしまい、写真に収めることはできなかった。エドソンが水の汲み上げに行っていた森から戻った際、その話をすると、「どれを見たの?」とインターネット上の写真を見せてくれた結果、イグアナではなく、以下の写真のラガート(Lagarto)という動物だということがわかった。エドソンによると、この動物は危険なものではなく、へびなどを食べてくれて掃除をしてくれるのでいい動物なのだとか。ただ、あまり側に近づくと、その太い尻尾でひっぱたかれて怪我をする可能性はあるということだった。ここには野うさぎ、タマンドア(アリクイ)、野ブタなど様々な動物が森の中で暮らしているけれど、こんなワニの子供のような生き物を見たのは初めて。ひょっとして、私たちが見かけたことがないだけで、森の中にはもっといろいろな種類の動物がいるのかもしれない。でも、真っ昼間に森から出てきて家の側をのそのそするのも珍しいのではないかと思った。
次の写真は、先日紹介したろう細工のような花が咲き始めた植物。花がだいぶ開いてきたのでまた写真に撮ってみた。この花は下を向いて咲くので、下の方から撮らなければならず、写真が撮りにくい。下の花は全開で、上の花は右側の一部がまだ完全に開ききっていない。そして、この2つの花の間の左側にもうひとつつぼみが育っている。この植物はこれまで毎年1つかせいぜい2つ花をつける程度だったけれど、今年は3つも花をつけた。
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2016年10月30日(日) | ||||
最高気温が30度を超えて暑かった先週から一転、今週は最低気温が15度以下の毎日で、昨日の朝の最低気温は9度まで下がり、風も強かったため、寒かった。それでアメリカーナからやって来たジョアオンたちも結構厚着をしていた。アメリカーナはここから北東へ2時間半くらいのところにある町で、サンパウロ州ではサンパウロ市についで2番目に大きなカンピーナスという町の西に位置している。今回はジョアオンと、奥さんのベル、次女のフェルナンダ、フェルナンダのボーイフレンドのルーカスの4人で遊びにきてくれた。長女のバーバラは今年大学を卒業して、サンパウロにある翻訳会社で働き始めて忙しくしているので、なかなか週末に戻ってこれないと言っていた。午前10時半頃到着して、午後9時半頃帰宅して行ったので、ずいぶんじっくりと話したり、ゆったり食事をしたり、お散歩をしたりすることができ、楽しかった。夕飯は彼らがピザを持参するというので、お昼はこちらが用意した。フェルナンダとルーカスはベジタリアンなので、サラダでいいよと言っていたけれど、そういうわけにも行かないので、ジャガイモとニンジンと玉ねぎとチーズでグラタンを作り、ジョアオン夫婦と私たち用には鶏肉と野菜のローストを作った。次の写真2枚は、みんなでお昼を食べているところ。テーブルの真ん中にドーンとある茶色いものは、途中、立ち寄ったフランゴ・アサードという店があるサービスエリアで買ってきてくれた大きなパン。夕方ジョアオンが小腹が空いたと言って、このパンを切り始めたので、いつもエドソンが食べている砂糖の入っていないピーナツバターや、私の手作りの桑の実ジャムを出してあげた。彼がおいしいと言って食べ始め、他のみんなもつられて同じように食べ始めたので、今パンを食べて、夕食のピザは大丈夫かな?と、心配したのだれど、8時近くになって夕飯にしたので、みんなで3枚の大きなピザを何の問題もなく完食した。
フェルナンダは大学でダンスを専攻していて、ルーカスの専攻はビジュアル・アーツだと言っていた。ふたりはカンピーナスにある同じ大学で知り合ったのだそう。ルーカスはみそ汁が大好きで家でよく作ると言うので、「でも、あなたはベジタリアンだから、魚のだしが入ったみそ汁はダメでしょう?」と言うと、「魚のだし?何それ?そんなもの使わないよ。お湯に味噌を混ぜて、ネギと豆腐とか玉ねぎとかその時あるものを入れるだけだよ」と言う。だしの入っていないみそ汁?おいしいのかな?と思った。次の写真は、お散歩で敷地内を歩き回り、森の側のミツバチのジャタイの巣箱のところで、ジャタイについていろいろ説明しているエドソンに耳を傾けているみんな。
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2016年10月31日(月) | ||||
ベランダから撮ったハイビスカスの木々を中心にした庭の写真を、今月1日付けのブログで掲載したけれど、9月の中旬に取り除いた庭の地面のアメンドインが、今ではすっかり生え戻ってきたのでまた写真を撮ってみた。
この庭に最初にアメンドインを植えた際、成長してきたところで、野うさぎにすべて食べられてしまったことがあったけれど、以来、野うさぎはアメンドインには見向きもしない。どうせなら大事な豆の芽を食べたりせずに、敷地内のあちこちに植えて元気にしているこのアメンドインを食べてくれたらいいのにと残念に思う。豆の芽が野うさぎに食い荒らされているのを見て、この土曜日に仕事に来てくれたゼーはとてもがっかりしていた。自然との付き合いはこちらの思うようには行かないなあ・・・。そして、ハイビスカスの木は枝をはらったので、何だかスカスカだけれど、このところ花がきれいに咲いている。上の写真は正面から撮ったもので、下の写真は、反対側から撮ったもの。正面のハイビスカスは濃いピンクの花が咲いていて、反対側は薄いオレンジ色と黄色の花が咲いている。下の写真は、日曜日の朝撮ったので、背後に洗濯物も写り込んでしまっている。
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