Kyoko Yoshida Life in Brazil BLOG 

2016年8月1日(月)

土曜日の夜、パウラとジャイミが自宅に招いてくれたので、久しぶりにふたりの家に行った。パウラはパーディーニョのセントロでお父さんがやっていた薬局をお兄さんと一緒に引き継いでやっている薬剤師さん。ジャイミはずっとサンパウロで暮らして仕事をしていたのだけれど、パーディーニョが気に入り土地を買って(と言っても、この土地の正確な住所はボトゥカトゥなのだけれど)、そこにこの家を建てて、サンパウロで暮らしながら毎週末ここに来るという生活を何年も続けていたらしい。そして、パウラと結婚してからはここに腰を落ち着けて、家の横にある牧場でロバを飼育して生活している。いわゆる種牛(牛でなくロバなので種ロバというのかな?)となる良質のロバを育てているのだそうだ。ふたりの間には2年ほど前に娘のアマーリアが生まれ、すっかりいいお母さんとお父さんになっていた。普段の食事はパウラが作るのだろうけれど、週末に友人を呼んで食事をする際は、いつもジャイミが腕を振るっておいしい食事を作ってくれる。この日のメニューは野菜サラダ、おいしく味付けされたジャガイモのロースト、ベーコンを巻いた鶏肉をシャンピニオンマッシュルームと一緒にクリームソースで調理した一品、そして、ナスと黒オリーブの特製ラザニアだった。どれも何だかどこかのレストランで出てくるような感じの料理だった。私たちはワインと自家製のアップルパイを持参した。彼らと会ってこんな風にゆっくり食事をしながらおしゃべりするのは久しぶりだったので、とても話が弾み楽しいひとときだった。

次の写真は、アマーリアをアップでパチリ。彼女は12月生まれなので、現在1歳8ヶ月。私たちが到着した時は、パウラに抱っこされて、ちょっと恥ずかしそうにしていたけれど、そのうちに慣れてエドソンともおしゃべりをしたりして、いい子にしていた。私たちがいる間、一度もぐずることなく、食事の後テーブルを離れてからもしばらくおもちゃで一人遊びをし、眠くなるとパウラに抱っこしてもらって比較的すぐに寝てしまった。私の側に置いたケージの中のはるとひろの方がぐずってちょっとうるさいくらいだった。でもジャイミたちから2匹は「おとなしい子たちだね」と、及第点をもらうことができた。アマーリアが寝てから2匹をケージから出して自由にすると、とてもうれしそうに家の中を隅から隅まで匂いを嗅ぎ回っていた。

2016年8月2日(火)

以下は、7月30日付けニッケイ新聞「コラム 樹海」からの転載。

ブラジルにとって五輪よりも大切なことは

『24日、オーストラリア代表選手団が五輪選手村マンションに入居しようとしたら工事が未完――電球なし、電気なし、物置部屋がゴミの山、水漏れなどが各部屋で発見され、入居を延期した。その批判を聞いてムカッときたリオ市長は「彼らが自宅でくつろいでいると感じられるようカンガルーを置いといてやる」と問題発言。それに関し、経済評論家ミリアン・レイトンは26日朝のCBNラジオで「Morreu na praia」と評した▼直訳すれば「海岸に死す」だが、意味は「難破船から逃げた遭難者が死ぬような思いで、泳いで泳いで、なんとか海岸に辿りついた途端、力尽きて死んだ」というもの。「目標達成の寸前に失敗」を表現する言葉で、彼女に言わせると、7年がかりで準備してきたリオ五輪は「開幕目前に死んだ」らしい▼加えて27日、聖火リレー隊は最終地点リオ州に入ってすぐのアングラ・ドス・レイス市でデモ隊と衝突し、あろうことか聖火が盗まれ、さらに消されたとの報道(テンポ紙28日付電子版)や、その時のものらしき映像までネットに溢れている。実に不穏な「幕開け一週間前」だ▼思えば、ブラジル経済自体が「海岸に死す」だった。五輪誘致が決定した2009年の国内総生産は、前年の世界金融危機の影響を受け、世界8位で成長率マイナス0・2%だったが、翌10年は7・6%成長を実現してBricsの面目躍如、7位に浮上した▼その勢いでジウマ政権初年の11年は3・9%成長(6位)まで急上昇。12年は1・8%で7位、13年は2・7%で7位、ペダラーダ(粉飾会計)までして14年は0・1%で7位を維持。しかし五輪目前の昨年はマイナス3・8%で9位に沈没、まさに「海岸に死す」を地で行く展開だ▼その昨年末からリオ州政府は財政難が顕在化し、公立病院でガーゼや包帯を買う金がないとの報道が出始め、消防士や警官の給与遅配まで本格化した。3月からは大統領罷免運動が本格化、5月には下院議長も停職となり、国を挙げて「五輪どころではない」という雰囲気が蔓延した▼その結果が、本紙20日付2面にある「リオ五輪=伯国民の半数は開催反対?=3年前から倍増=醜態さらすなと危惧する声」の記事によく表れている。このダッタ・フォーリャ社が開幕2週間前に発表した調査では、「五輪開催に反対」と答えた人が50%もおり、13年6月の25%に比べて2倍になったという▼追い打ちをかけたのは、本紙28日付2面の記事だ。別の世論調査会社IBOPEでも、「リオ五輪は伯国に利益と損失のどちらをもたらすか」の質問に60%が「損失」と答え、「利益」の32%を大きく上回った。後者の調査で、五輪に対する国民の思いを質問した項目では「氷のように冷え切っている」がなんと4人に1人、24%に及んでいたことは注目に値する▼2大調査会社が同じ傾向を示している事実は重い。おりしも五輪の真っ最中に、連邦議会では汚職疑惑を抱えるクーニャ前下院議長の議席剥奪審議が結末を迎え、大統領弾劾裁判も始まれば五輪閉会式の前後には最終判決がでる。これは共に、サッカーW杯の前年に国民が街頭で始めた抗議活動の成果であり、罷免が決まれば、これこそが「民主主義の金メダル」といえる▼五輪でお祭り騒ぎをしている間に、連邦議会では捜査をやりにくくする法案が審議されそうな情勢だ。こちらは「海岸に死す」ではいけない。国民は今、五輪よりも重大な歴史的政治プロセスの真っ最中だ。次回開催地の東京が、今のブラジルから何か学べるものがあるとすれば、そんな「国民の気付きと行動」ではないか。(深)』

2016年8月3日(水)

土曜日の夜、パウラとジャイミの家での夕食はとても話が弾み楽しかったので、ついつい長居をしてしまい、失礼した時はもう11時半近くで、帰宅するともう12時になっていた。こんなに夜更かしをすることはここでの生活ではめったにないので、翌日、はるは食欲がなく朝食を食べず、ひろはお散歩の際下痢をして、エドソンも私も何となく体がだるく調子が良くなかった。エドソンが血圧を計ってみると、ちょっと数値が高かったので、血圧を下げるためにきゅうりのジュースを作ってと言うので、きゅうりをすりおろして、レモンの絞り汁とはちみつを混ぜた次の写真のジュースを作った。これをミキサーで撹拌してすりおろしたきゅうりをさらに小さくして飲みやすくしてから飲んでもらった。はるとひろはお昼頃にはまったく普段通りに元気を回復していた。

私は体がちょっとだるいのは睡眠不足が主な原因なので、月曜日には元気を取り戻していたのだけれど、夕食後から何故かお腹の調子が悪くなり、日付が変わった頃から一晩中お腹の痛みが襲い、1時間おきくらいに朝まで下痢が続いたので、火曜日の朝はパーディーニョの救急へ行った。どうもお腹の中にばい菌が入ったらしく、下痢が止まらなかったということがわかった。点滴をしてもらい、薬を処方してもらい、11時前に帰宅し、遅い朝食を少し食べて、午後はずっとベッドで横になって過ごした。エドソンは午後からボトゥカトゥに行く用事があり、出かけて行ったので、はるとひろは私に付き添って寝室のベッドの中で寝て過ごした。6時前にエドソンが帰宅したので、煮ておいた豆を調理してもらい炊いておいたご飯と一緒に少し夕食を食べた。その後はるたちのお散歩をして、私はシャワーを浴びた後、すぐにまたベッドに入りひたすら休養。そのお陰で、今日はほぼ体調が戻り、朝のジョアオンの英語のレッスンもちゃんとこなして、普通に家事ができるようになった。

2016年8月4日(木)

次の写真は、ブラジルのスーパーなどで普通に市販されているココナツジュース(agua de coco=直訳するとココナツの水)。左のものは330ミリリットルで、外出時にちょっと飲むのに適した大きさ。右のものは1リットルのテトラパックなので、家で飲むのに適している。ココナツジュースは栄養価が高いので飲む点滴とも呼ばれているらしい。ビタミンやミネラル分を多く含んでいるので、お腹の調子が良くないときには特にいいからと言って、エドソンが買ってきてくれたもの。低カロリーなので、ダイエットをしている人などがよく飲んでいるようだけれど、私たちもこれからは果物ジュースの代わりに、砂糖が加えられていないこの飲む点滴のココナツジュースを飲んだ方がいいかな?と、思ったりしている。

2016年8月5日(金)

以下は、8月2日付けニッケイ新聞「コラム 樹海」からの転載。

7・31デモは種火状態

『「今は(サッカーの試合の)後半42分だ。ここで気を抜いてはいけない。ジウマは財政責任ではなく、刑事犯罪に問われ、刑務所に入るべきだ。ルーラもしかり。その日が来るまで、何度でも街頭に出て、圧力をかけなくては!」―反ルーラ/ジウマの急先鋒、過激な発言で知られる歴史家マルコ・アントニ・ヴィラがそう熱烈に演説すると、聴衆は「モーロ、モーロ、モーロ!」とラヴァ・ジャット作戦を指揮するセルジオ・モーロ判事の名前を大合唱して応えた。7月31日のパウリスタ大通り抗議行動の一場面だ▼有名女優レジナ・ドゥアルテも街宣車の上から《わたしはタダで来た!》と足代をもらって参加する親PT系のデモを批判し、《この罷免の機会を逃したら、もう後戻りできない。孫の代まで無茶苦茶な状態が続く。今ラヴァ・ジャット作戦を応援しよう》と呼びかけた▼いくつかの演説を聴いたが、反ルーラ/ジウマ/PT色が最も強く、大統領弾劾裁判を決着させることに力点を置く。続いてクーニャ前下院議長の罷免、そこから広がって汚職撲滅、議員特権の廃止、最高裁批判、「政党なき学校」運動(PT系人材が牛耳る公立学校が多いことを批判して〃政党色〃のない教育を!と訴える運動)などが中心。真面目で穏健な中産階級が主体だ▼不思議だったのは「五輪反対」と声高に叫んだり、プラカードを持つ人がいなかった点だ。大通りには100人以上の露天商が並んだと思われるが、五輪マーク付きの旗やTシャツ、土産品関係を売っている者はほぼいない。「サンパウロに五輪はない」との印象だ。コラム子は、カメロー(露天商)こそ世間の関心事のバロメーターだと思っている。彼らは主義主張と関係なし、合法・非合法関係なく、売れるものなら何でも売る。五輪開幕まで6日の時点で、聖州民の中産階級の関心事に五輪は入っていない▼Istoe電子版7月31日22時14分の記事に《罷免親派の抗議行動はスカスカ》との見出しが躍ったほど、参加者は多くなかった。とはいえ、写真にある通り、Vem Pra Rua(VPR)の街宣車の周りには数万人の聴衆が詰めかけた。今回はMBLとNas Ruasが同調せず、参加者が少なかった▼同Istoe誌電子版によれば、VPRのロジェリオ・シェケル代表は《参加者が少ないことは予想通り。多くの人が上院での罷免決議を見越している。我々の主たる目標はもはや罷免ではない。新しい過程に入っている》と議員特権廃止など10項目を訴えた▼1日から連邦議会が再開され、これからが罷免の最終段階だ。上院本会議の弾劾裁判で罷免されるには3分の2の賛成票が必要であり、予断は許されない。今回参加しなかったMBLなどは、上院の罷免決議の直前、8月中頃に行動する予定。同電子版でMBLの主要メンバーに一人は《我々はバラバラになった訳ではない。罷免決議に力を結集させるために、今回は自由参加にしただけ》とコメントしている▼今回のデモの参加者数は、「最低、不発」と言われた昨年12月のデモとほぼ同じ程度は集まっていたように感じられた。その12月の後、3月に120万人規模の超巨大デモが起きた。今回もいわば「アイドリング状態」(車のエンジンを点火しただけの状態)、「種火」状態だ。「罷免決議があやうい」などの状況になれば、瞬時にしてアクセルが踏まれ、「最大火力」の100万人規模になるだろう。(深)』

2016年8月6日(土)

昨晩は、8時からNHKで「とと姉ちゃん」を見た後、引き続き広島の「平和祈念式典」の様子を見た。原爆投下から71年。当時女学校の2年生で、現在の平和公園近くでの勤労奉仕に出ていて被爆し行方不明になった叔母の静枝さんが生きていたら84歳のおばあさんになっていたんだなあなどと、叔母と母のことを思った。黙祷が終わってからチャンネルをグローボに変えて、リオデジャネイロ・オリンピックの開会セレモニーを見た。セレモニーは午後8時から始まっていたので、私が見た時には移民の歴史を紹介しているところで、ヨーロッパ系、中東系の移民に続き、アジア系移民の代表として一番大きなコミュニティーを形成している日系移民が紹介されていたのは、さすがブラジルだと思った。事前のニュースでモデルのジゼル・ブンチェンをファベイラの黒人少年が襲うという筋立てがあるらしいと読んでいたので、そんなこと演出してどうなるんだ?と思っていたけれど、情報が間違っていたのか、やはりふさわしくないと思って削除したのか、ジゼル・ブンチェンが襲われるという演出はなく、ちょっとほっとした。そして、日本人選手団の入場を見届けてから、10時にベッドに入った。

昨日は、オリンピック反対を唱え、開会セレモニーを邪魔するためにPT(労働者党)が様々な州からバスを仕立ててデモ隊をリオに送り込もうとしたのを、警察が察知して事前に阻止したために、セレモニーが行われたマラカナン競技場の周辺で大きな混乱もなく、とにかく何とかセレモニーが無事終了したのは良かった。それにしても、そもそもリオにオリンピックを招請したのはルーラ元大統領、つまりPT(労働者党)だったのに、自分たちの悪事がバレて政界を追われそうになっているからといって、オリンピックを妨害しようと考える思考形態が私には理解できない。

2016年8月7日(日)

ひろはやたらに身の回りにあるもの(主に自分たちのベッド)をかじって壊す癖があり、困ったものなのだけれど、先日、居間のベッドの中で何かコリコリとかじっている音がするので振り返って見てみたのだけれど、例によって足の爪をかじっているようだったので、やめなさいと言っただけで、側まで行って確かめなかったのは失敗だった。お昼ご飯の後のお散歩から戻って、ベッドを日溜まりに移動させようとしたら、ひろがかじって壊した衛星放送受信用のコンセントが床にころがっていた。この日はお昼前から何度も停電したり、短時間で電気が戻ったりを繰り返していたのでテレビのコンセントとこの衛星放送受信用のコンセントを抜いておいたため、これまでちょっかいを出したことはなかったのに何故か側にあったこのコンセントをかじることにしたらしく、次の写真のような状態にしてしまっていた。こんなものをかじって食べてしまったらお腹を壊すだろうと思うのだけれど、何ともないようなので不思議だ。何かをかじりたくてしょうがないひろにはおしゃぶりの骨を与えるといいのだろうけれど、はるはそれをかじると体調を崩すので、与えることができない。いつも2匹一緒なのでひろだけに与えるわけにも行かず、困ったものだ。

2016年8月8日(月)

次の写真は、この土曜日にエドソンが作ってくれた夕飯。牛肉の塊とジャガイモと玉ねぎを圧力ナベで調理して、牛肉を取り出してスライスしてお皿に盛り、ジャガイモと玉ねぎにオリーブを加えてソースを作り、牛肉の上にかけた一品と、にんにくを入れて煮ておいたカリオカ豆にこまかく刻んだカラブレーザソーセージとオリーブとカサバパウダーを混ぜて作った煮豆、そしてサラダとご飯。ブラジルではコミダ・ミネイラ(ミナス料理)と呼ばれるミナス・ジェライス州の料理が一番おいしいと言われているのだけれど、エドソンの母方のおばあさんはミナス出身の人だったので、その影響でエドソンのおかあさんもお料理が上手で、エドソンはそれを見て、食べて育ったので、彼もお料理が上手。でも、同じ母親のもとで生まれ育った妹のエリカはお料理がまったくダメで、興味もないのはもったいないなと思う。

2016年8月9日(火)

次の2枚の写真は、家の南東側で積み上げてあるレンガの山を角度を変えて撮ったもの。レンガの下にはかせていた木材の下駄が腐食して壊れ、レンガの山が傾き始めて崩れそうになってきているので、この土曜日にエドソンが手伝いのヒバマーとゼーに頼んで、家の東側のスペースに移動してもらっている途中の状態。土曜日の午後半日でほぼ半分のレンガを移動させてくれた。ヒバマーと一緒にゼーが来てくれるようになってから草刈り作業がはかどり、草刈りの他にもいろいろな仕事もやってもらえるようになったので、とても助かっている。このレンガは来客用の小さな離れを建てるためのものなのだけれど、エディがいつまでたっても来てくれないので、風雨に晒されてすごく汚れてきている。それで家の裏側で来客の目にあまり触れないとはいえ、やはりエドソンは気になっていたらしく、きれいに整理整頓することにしたようだ。レンガの横に積み上がっているのは家を建てる際に出た廃材の山。毎冬これを小さく切って、薪ストーブに使っているのだけれど、まだまだたくさんある。

次の写真は、家の東側の物置スペース。上の写真のレンガの山の半分ほどを移動させて積み上がったところを撮ったもの。写真の奥左側に積み上がっているのは、薪ストーブ用に廃材を小さくした木材の山。この冬はもうストーブを使うような冷え込みはないと思うので、これは来年冬の最初の冷え込みが来た際、数日間をしのぐためのものになる。

2016年8月10日(水)

7月に休暇を取ってこちらに来ると言っていたエリカは、他の看護師さんたちとの調整がうまく行かなかったようで、7月に来ることはできなかった。でも、ようやく今週1週間の休暇が取れて、月曜日の夕方、無事にこちらにやって来た。次の写真は、クリスマスでもないのに、たくさんのプレゼントやお土産や持って来てくれたので、それらを並べて撮ったもの。エリカいわく冬至のお祝いなのだとか。キリスト教の祝祭日よりも春分の日とか秋分の日のお祝いの方が自然の理にかなっていて意味があると言って大事にするエドソンの影響を受けたのかな?私には竹の調理道具のセットとボディーローション。エドソンにはポロシャツ2枚。そして、その他チーズ、スナック、ワイン、バナナのカシャサなどがかごに入ったセットとか、お母さん手作りのパソカとか、パラカンビのシチオで収穫したウルクンなど盛りだくさんで、感謝。感謝。ちなみにかごの後ろに見える木の箱は、だいぶ前にエリゼウが送ってくれた彼手作りのミツバチのジャタイ用の巣箱で、エリカが持って来てくれたものではない。

次の写真は、火曜日の朝、食卓を囲んでおしゃべりしているみんな。ブライアンだけがカメラ目線になっている。

次の写真は、ブライアンひとりをアップでパチリ。現在2歳半。言葉が話せるようになり、よくしゃべるようになったので、以前に比べてとてもぎやかな子になっていた。この食卓の椅子に座っていても食事に集中せず、プラスチックのスプーンでテーブルを叩いたりするので、エリカが「止めなさい」と叱ると、「ベイジョ(キスしよう)」と言って、エリカに愛嬌を振りまいて、叱られたことをなかったことにしようとするので、何ともおかしかった。今はまだ小さいからいいけれど、ジェイチーニョ・ブラジレイロにはなってほしくないなと思った。ジェイチーニョというのは、どんな困難にも柔軟に創造力を働かせて解決策を見つけようとするブラジル人の性格のことと言えば、肯定的な意味になるけれど、順法精神なんてものはなく、ルールや法には常に抜け道があり、それらをうまくすり抜けるのが賢い生き方だと考えるブラジル人気質という悪い意味もあり、どちらかと言うと私たちにはこの言葉には悪い意味合いの印象の方が強いと感じてる。だからそんな子にはなってほしくないなと願っている次第。

2016年8月11日(木)

5日にリオ・オリンピックが始まり、アメリカや日本の友人数人からメールが届いた。大きな国際イベントなので注目が集まる中、ブラジルと言えば私たちがいたなと思い出してメールをくれたようだった。オリンピックとは関係のないここでの生活だけれど、こんなふうにメールをもらうとまったく関係なくもないんだと認識をあらたにした。8月9日付けで、ニッケイ新聞にオリンピック関連の記事がたくさん掲載されていたので、ちょっと欲張って以下に4つの記事のサイトにリンクをはってみた。

「コラム 樹海」の『リオ五輪開会式で顕彰された日本移民』という記事のサイトは、こちらへ

『「あの娘は誰?」=アニッタがリオ五輪のシンデレラ・ガールに』という記事のサイトは、こちらへ

『リオ五輪=開会式は世界的に大絶賛=開幕からを振り返る=文化歴史の紹介と音楽好評=メダル1号は射撃のウー』記事のサイトは、こちらへ

『聖火が二つある五輪=ボウレヴァルドも好評?=ダフ屋暗躍は止められるか』記事のサイトは、こちらへ

2016年8月12日(金)

以下は、昨日リンクをはったニッケイ新聞のオリンピック関連記事を補足する、8月9日付けのコラム「東西南北」からの転載。

『既にご存知の方も多いように、リオ五輪の開会式は大成功に終わった。この日は開会前にテメル大統領代行に対する抗議行動があり、マラカナンでもテメル氏への野次も聞こえたが、サッカーのW杯のときのようにそれが主な話題になることはなかった。音楽で参加したカエターノ・ヴェローゾやシコ・ブアルキも熱心な労働者党支持者として知られているが、開会式会場で歌う際にそれを表すことはなかった。そこはさすがに五輪の場。どんなに現実世界で醜い紛争や厳しい現実があろうとも、せめてこの開会式ぐらいは争いもなく世界平和の理想に浸りたいもの。世界中の多くの人にそれが感じられたら成功といえるはずだ。

その五輪の聖火台に火を灯したヴァンデルレイは、本日の記事の本文中にも書いたように、マラソンをトップで走っていたにも関わらず、闖入者に突如止められたトラブルで、泣く泣く銅メダルに終わった五輪史に残る悲劇のランナー。その彼は、本国開催の五輪での大役に「今日、やっと金メダルがもらえた気分だ」と喜びを語った。なお、この大役に関してはサッカーの神様ペレという説もあったが、背中の手術後で断念している。

今回のリオ五輪での初のメダルは10メートルのエアピストルのフェリペ・ウーの銀だが、これは不思議な縁がある。それは伯国が史上初めて五輪で金メダルを取ったのが、1920年のアントワープ(ベルギー)大会での射撃選手ギリェルメ・パラエンセだったことだ。しかも、射撃でのメダル獲得はそれ以来96年ぶりのこと。五輪の神様が取っておいたのか。』

2016年8月13日(土)

次の写真は、ひろたちのケージの中に入ってしまったブライアン。水曜日の朝食が終わった頃、ブライアンがぐずって大きな声を出したので、エドソンが「ひろは叫んでうるさくしたら、ケージの中に入らなくてはいけないんだよ。ブライアンもケージに入る?」と聞くと、それを罰だとは理解しなかったようで、「入る」というので、エリカがブライアンを椅子から下ろすと、自分からケージの中に入って行ってしまった。ケージの中に入っただけでなく、扉を閉めてと言うので扉を閉めたところをエドソンがパチリ。まだ体が小さいから中に入れてしまって、みんな大笑い。2枚目の写真は、ケージの中から出てこようとしているブライアン。彼は時々何かをしつこく要求したり、ぐずったりすることがあるけれど、そんな時、エドソンが状況を説明してゆっくり言って聞かせると納得して静かに待つことができるので、基本的にはとてもいい子なのだと思う。でも、エリカやデニウソンはゆっくり言って聞かせるということをあまりしないようで、性格的なことなのか?はたまた気持ちにゆとりがないからなのか?などと思いながら、私たちは彼らの子育てを観察している。

2016年8月14日(日)

エリカたちがこちらに来てから、気温が下がり始め、朝の最低気温が10度をきっていたのだけれど、11日の木曜日にはとうとう最低気温が5度になり震え上がった。もう薪ストーブを使うことはないと思っていたのに、火曜日の夜から始めて、水曜日、木曜日と毎日朝晩火を入れて薪ストーブを使った。そして、今日ようやく少し寒さが和らいだ。次の写真は、木曜日の朝食が済んでお散歩をしているエリカたちを撮ったもの。それまで曇りがちだった日々が、この日は朝から太陽が出ていたので、「今日は暖かいのかなと思ったら、寒くてビックリ」とエリカは驚いていた。でも内側が毛羽立ったような層のあるウィンドブレーカーを着てはいるのものの、その下はTーシャツ1枚で、足元は靴下もはかず裸足では寒いでしょう。ブライアンは大人たちよりも少し暖かめの服装だけれど、彼は風邪をひいていて、毎日ゴホンゴホンと咳をするものだから、エドソンがその風邪をもらってしまい、金曜日の朝から風邪の症状全開で絶不調。そして、私は土曜日の朝から少し風邪の症状が出始めた。やれやれ・・・。

金曜日の夕飯が済んで、8時前にエリカたちが下の部屋に行って少しすると、デニウソンが戻ってきて、エリカたちのお母さんが病院に運ばれたと連絡があったと言う。デニウソンとエリカがそれぞれ複数の人に電話をして確認したところ、ご近所のおばさん(毎日午前中ブライアンの子守をしてくれている人)が、金曜日の午後お母さんの様子を見に行ったところ、洗面所で倒れていたので、隣に住む親戚のベッチーニョに助けを求めて病院に運んだのだけれど、心臓発作なのか、脳梗塞のようなものなのかまだよくわかからないまま、とにかく意識不明だということがわかった。それで、エリカたちは急いで荷物を車に積み込んで、9時半前にはパラカンビに向けて帰って行った。夜通し6時間も7時間も運転して行くなんてちょっと無謀だと思ったけれど、彼らが事故に遭わないことをひたすら祈った。幸い、途中でデニウソンが疲れを自覚し、エリカの体調も悪かったので、こことパラカンビのちょうど中間辺のタウバテという町のモーテルで一泊して体を休めてから、翌土曜日の朝パラカンビに戻ったと、エリカから連絡がありほっとした。でも、お母さんの状態はとても悪いというだけで、あまり詳しいことはわからなかった。そして、エドソンがバウルのデミウソン主動のAMSATブラジルのイベントの手伝いで出かけていたボトゥカトゥから午後3時頃戻り、再度エリカと連絡を取った際には、お母さんは自覚症状のないまま肺炎を悪化させていて、呼吸ができなくなったことが原因で倒れたらしいということがわかった。胸には水が溜まり、腎臓機能が弱っていて、病院に運ばれてから二度ほど心停止してそのつど蘇生したということだった。意識不明の状態は続いていて、より適切な治療ができるリオの大きな病院に移転させる手続きを行っているところだということだった。4月か5月頃、ブライアンが毎日午後行っている保育所から肺炎をもらってきて、2度ほど肺炎を繰り返していたそうだから、おそらくお母さんはブライアンの肺炎をもらい、長年の大量喫煙が祟って肺が弱っていたので、こんなことになったのではないかと思われる。さらにお母さんの入院に加えて、金曜日の午後は、エドソンたちの叔父さん(お父さんの弟)が亡くなったという情報もエリカから伝えられ、私たちはただただ唖然としている。

2016年8月15日(月)

今朝、朝食の仕度をしていると、エリカから電話で、お母さんが亡くなったと知らせてきた。状態がかなり悪いと聞いていたので、遅かれ早かれこういう結果になるだろうことは予想していたことだけれど、7年前のお父さんに続き、これでエドソンは両親をともに亡くし、家族は妹のエリカだけになってしまったんだなと思った。お父さんが亡くなった際は、大急ぎでパラカンビに駆けつけ、何とか棺をお墓に埋葬する時間には間に合ったけれど、今回ははるとひろを預けてから行くとなると、お葬式はもちろんのこと、埋葬にも到底間に合わないので、パラカンビには行かないことにした。それに、私たちがブライアンからもらった風邪はどうやらただの風邪ではなく、インフルエンザだったようで、エドソンも私も体の節々が痛く、何年ぶりかでこんなひどい風邪をひいたように思う。ふたりとも熱はないのだけれど、とにかく体が痛く、しんどい感じが強い。こんな状態でも英語のレッスンはできるけれど、ジョアオンにこのインフルエンザをうつしては申し訳ないので、今朝の彼の英語のレッスンはキャンセルした。

2016年8月16日(火)

昨日のお昼前に前園さんからメールが届き、楽書倶楽部同人で、楽書倶楽部の編集や発送を手伝っておられた大羽豪三さんが11日の夜中に脳血栓のため亡くなられたと知らせてくださった。大羽さんとは一度、前園さんの事務所で楽書倶楽部の発送作業を手伝っておられた際、お目にかかったことがある。その後、鹿児島県人会百周年記念誌発行の責任者をされ、去年の7月に記念誌が発行された際、1冊香山文庫にご寄贈いただきたいとメールで何度かやり取りしたことがあるので、同人の中でも個人的に知り合っていた方なので、訃報を聞いてとても残念に思った。まだ幼いふたりの孫娘さんたちのことを目に入れても痛くないといった感じで可愛がっておられ、楽書倶楽部に孫娘さんたちのことを書いた文章にはその優しい人柄がにじみ出ていた。享年80歳。この4日間で、エドソンの叔父さん、エドソンのお母さん、そして、大羽さんと、訃報続きで気が滅入る。次の写真は、10日ほど前にボトゥカトゥのスーパーで買ってきて、食卓を彩っているサツキ。

14日の日曜日は、香山さんの49日忌がイビウーナの浄土宗日伯寺で行われた。お葬式に行けなかったので、49日忌には行きたかったのだけれど、エリカたちが日曜日まで滞在する予定だったので、前もって前園さんにそのことをお伝えして、ちえ子さんやのぶ子さんによろしくお伝えくださいとお願いしておいた。そのためわざわざ「実に厳粛な雰囲気に包まれた中で読経され、久しぶりにいい法要で心温まるお説教でした」とのメールもくださった。前園さんにはいつも本当にお世話になるばかりで、ありがとうございます。

2016年8月17日(水)

次の写真は、この土曜日の作業で、白レンガの移動が完了した状態を撮ったもの。少し残っているレンガはみな壊れたり、コンクリートが詰まっていたりして使えないものばかり。これらと赤レンガを他の場所に移動させて、壊れた木材の下駄を薪ストーブ用に集めて掃除をすれば、ここの状態もだいぶ良くなる。ただ、左側の廃材の山はまだしばらく手がつけられそうもない。

次の写真は、同じくこの土曜日に行われた作業の進捗状況を撮ったもの。ちょっとした大工仕事ができるジョゼに、以前森の中の水の湧き出る場所に取水場を作る作業をヒバマーと一緒に手伝ってもらったことがあるのだけれど、今回は畑をやり直す作業をお願いして、始めてもらった。うちの森の中の竹を切ってきて、柵を作り、畑を作る準備を進めてくれている。柵作りが完了したら、この中に新しい土を入れて、畑の準備ができると、野菜の種を撒いたり、苗を植えたりすることができる。昨夏の野菜作りはまったくの不作だったので、今回はジョゼに手伝ってもらって、ちょっと本腰を入れることになった。

2016年8月18日(木)

8月13日付けのニッケイ新聞「コラム 樹海」に、『ラファエラの金メダルは日本の勝利でもある』という記事があったので、以下にリンクをはってみた。ファベイラ(貧民街)出身の黒人の女の子が日系人指導者の下で柔道に打ち込んで、金メダルを獲得するなんて、何だか映画になりそうな物語だ。ブラジル代表の体操選手の中には日系の選手もいるようだし、日系人はブラジルスポーツにもおおいに貢献しているんだと思った。この記事のサイトは、こちらへ

エリカたちがパラカンビのシチオからココナツの実を4個持ってきてくれ、金曜日にデニウソンが緑の外皮を取り除いてくれていたので、日曜日にエドソンが穴を開けて、中のジュースを容器に出してくれたので、そこをカメラでパチリ。ココナツジュースは高血圧の人にもいいそうで、エドソンが市販のテトラパックのココナツジュースを飲み始めたことを知って、デニウソンがシチオにあるココナツの木から採取して持ってきてくれたのだった。感謝。感謝。私は、以前ココナツジュースを飲んだ際、何だかとても甘く感じて、積極的に飲みたいという印象を持たなかったのだけれど、今回、市販のものや、このフレッシュなココナツジュースを飲んで、以前のようなマイナスな印象がなく、甘味も気にならず問題なくおいしく飲めるので、不思議なものだなと感じている。ジュースを取り出した後は、ココナツを割って、中の白い果肉をこそげ落として、それに生クリームと砂糖を混ぜたものをエドソンが作ってくれたので、このところ毎朝、それにイチゴとバナナを混ぜて食べている。

2016年8月19日(金)

ブラジルに来てから今年初めて、お米を入れている容器の中に小さな黒い虫が何匹も見つかったので、お米を全部出して、虫を取り除いて、容器を洗ってから、お米を容器に戻すということをしたことがあった。お米を入れている容器の中にはローレルの葉やとうがらしの他、日本で買ってきた虫除けを入れているのだけれど、その虫除けがなくなって効かなくなってきたから虫がわいたのかと思っていた。そして、先月新しく買ってきたお米を容器に入れていると、そのお米の袋の中に虫がいるのを発見して驚いた。ちゃんと精米されて、製品化されたものの中に虫がいるってどういうこと?と思った。それをエドソンに言うと、ブラジルではよくあることなのだとか。稲穂のお米の中に卵を産みつける虫がいて、精米して袋詰めされた後、お米の中で卵かかえるのだという。お天気のせいで虫が大量発生したりすると、こういうことが起こるらしい。日本ではないことだと思うけれど、熱帯性気候のブラジルならではのことなのだろうと思った。こんなことがあると、やはりブラジルは発展途上国だからと単純に思いがちではあるけれど、先進国でも気候が変動して熱帯性気候になれば同じことが起こるのだと思う。ブラジルでは雷に打たれて死亡する人が結構いたり、デング熱やジカ熱などの蚊が媒介する病気があるのは、みな熱帯性の気候のせいで、発展途上国だからという理由ではない。それを証明するように、近年、気温が上がりつつある日本でも、雷に打たれて死亡する人のニュースや、デング熱の患者発生などのニュースを聞くようになったし、これまであまり聞かなかった爆弾低気圧によるひどい豪雨災害も起こっているのはやはり気候変動によるのだと思う。次の写真は、小さいので見えにくいかもしれないけれど、お米の中で成長した虫が、まだ完全にはお米から出てきていない状態。こんな感じでお米の中で卵がかえり、虫が成長して、お米から出てくるので、一旦、お米の容器の中の虫をすべて取り除いても、まだお米の中で成長している虫は取り除くことができないため、しばらくするとまたお米の容器の中に虫を発見することになる。

2016年8月20日(土)

先月家出をしためいは、当初何日も戻ってこなかったりしたけれど、8月に入ったくらいから結構頻繁に戻ってくるようになった。特に、ヒバマーたちが作業をしている土曜日は必ず姿を見せるようになった。と言っても、うちのシュハスコ小屋で寝たり、シュハスコ小屋の中の餌を食べたりはせず、はるとひろとのお散歩をしていると、どこからともなく現れて、ひろたちとじゃれながら一緒にお散歩をしたり、ふと見るとうちのベランダや庭でゴロンと寝転がっていたりする。そして、しばらくうちで過ごすと、またどこかに行ってしまうという行動を繰り返している。めいの行動を観察していると、うちの東隣のウィリアムのところと、うちと、西隣のコーヒー園の三ヶ所を縄張りのようにして行ったり来たりフラフラしているようだ。めいは基本的に人が大勢いるところが好きなようで、西隣のコーヒー園でコーヒーの収穫作業のために複数の人たちが働いていると、その人たちの側で過ごし、土曜日はヒバマーたちが庭の桜の木の下でお昼を食べていると、その側で過ごしたりしている。次の写真は、水曜日の午後、ベランダで寝転がっているめいを居間の窓からパチリ。最近はほぼ毎日のように午前中とか午後とか短時間だけれど戻ってきているなと思ったら、昨日戻ってきてからはずっと家の回りにいて、夜もここで寝たようだった。今朝シュハスコ小屋の中の食べかけで残っていた餌をチェックしにみると、全部きれいになくなっていた。昨晩食べたようなので、今朝朝ご飯を持って行くと、うれしそうにモリモリ食べていた。ひょっとして、お隣で食事をもらえなくなって帰って来たのかな?

2016年8月21日(日)

次の写真は、食堂の棚のワインの列。いつもはこんなにたくさんワインがあるなんてことはないのだけれど、今月に入り、ジミーがワインをまとめて買うと送料を無料にしてくれる卸しの店をサンパウロで見つけたんだけれど、一緒にワインを注文しないか?と、言ってきたので、最近パーディネンセのワインの値段が上がってきていたこともあって、節約のためジミーと一緒にまとめて買うことにした。それが今週届くのを待っている間に、パーディネンセでワインを箱でまとめて買ったら値引きをしてくれたので、半分どう?とも言ってきたので、それも分けてもらった。それで、前者が2ダース、後者が1ダース半という量で、こんなふうに棚がワインであふれる状態になってしまった。ジミーは太ってはいないけれど、以前たくさん飲んでいたビールは太るからとやめて、最近は健康のためにワイン一辺倒にしているらしく、うちも夏のすごく暑い時にビールを飲むことはあっても、1年を通じていつもワインを飲んでいるのをジミーはよく知っていて、声をかけてくれたのだった。感謝。

2016年8月22日(月)

昨晩、テレビでリオ・オリンピックの閉会式を見た。テロや大きな事故もなく何とか無事にオリンピックが終わり良かったなと思った。始まる前は準備が遅れているとか、治安が悪化しているとか、テロを計画していた人間が逮捕されたとか、悪いニュースばかりで、一体どうなることかと思ったけれど、様々小さなトラブルはあったのかもしれないけれど、終わってみれば開会式も閉会式も成功し、日本代表も42個ものメダルを獲って、ブラジルもこのところさっぱりだったサッカーで金メダルを獲り、男子バレーも予想通りの金メダルで、合計19個のメダルを獲得したのだから、国民はみな喜んだのではないかと思う。何はともあれ良かった。

今朝、前園さんからのメールには「昨夜の閉会式の興奮がいまだ覚めずです。いろいろな不祥事や国内外の非難を背にブラジルオリンピック協会はよくやったとお礼を言いたいです。最後の日の丸よかったですね。あと4年は生きたいと思うことでした」とあった。開会式には関心を示さず、私と一緒にテレビを見ようとしなかったエドソンも、閉会式はほぼ最後までテレビを見て、リオだけでなく、ブラジルの様々な地方の音楽が取り入れられていて、よくできた閉会式だったねとコメントしていた。

2016年8月23日(火)

先々週ブライアンからもらった風邪で、先週はエドソンも私もずっと体調が悪くやれやれだった。体の節々の痛みは週の前半には取れたものの、胸と喉の炎症がなかなか引かず、咳が続いて疲労を覚えるほど。午後になるとふたりとも体がしんどくてソファーやベッドで1~2時間横になって過ごす日々だった。私たちは6月にも風邪をひいたので、ひと冬に2度も風邪をひいたことになる。しかも、これほどまでに風邪で体調を崩したのは私は久しぶりだったので、体から力がわいてこず、かなり苦戦した。日曜日くらいからようやく胸と喉の炎症がだいぶ引いて楽になってきているけれど、エドソンも私もしつこい咳が相変わらず続いている。土曜、日曜はお天気が悪かったこともあり、即、体調もすっきり回復というわけにはいかないところが悩ましい。そして、今週はまた寒さが戻ってきてしまい震え上がっている。風邪からの回復にはまだしばらくかかりそうな感じだ。

2016年8月24日(水)

以下は、8月23日付けニッケイ新聞「コラム 樹海」からの転載。

リオ五輪は「再生の時」

『どうしてこうドラマチックなのか――ブラジルという国の動きの筋書きのことだ。国技サッカーが初金メダルを獲り〃王国〃復活の兆しを見せた五輪によって、国全体に「再生の時」という雰囲気を醸し出す気がする▼大会前は、無事に終わるのかという不安感と、不必要に莫大な資金を投じたことに強く疑問を感じていた国民が非常に多かった。でも素晴らしいスポーツのドラマが連日展開され、過去最多のメダル数にまでなった。米国水泳選手による狂言劇まで起き、むしろ伯国の株は上がった。欧米メディアも大会運営に総じて合格点を出す▼2年前のW杯では自国開催でドイツに7対1の大屈辱を受けて、国民は「サッカー王国」の誇りを失う深刻なトラウマに陥った。自国開催という晴れの舞台で地に堕ちるという最悪の結果に▼あれ以来、サッカー代表はずっと自信喪失に苛まれ、マスコミや国民から折に触れて傷口に塩を塗り込むような痛評が繰り返され、その〃戦犯〃としてネイマールがいた。先のアメリカ杯も惨憺たる成績で終わり、今五輪の最初の2試合までそれを引きずった▼ところが3試合目から不思議なことに復活の兆しが見え、4試合目には目に見えて連係プレーが良くなった。2002年W杯もそうだった。途中からエンジンがかかり、試合のたびに調子が上がるようなチームは良い成績を残す▼1994年W杯優勝の時は「レアル・プラン」が始まってハイパーインフレ抑制に成功し、2002年W杯優勝の頃から「BRICS」好況の循環に入った。そして2年前の「ミネイロンの悲劇」の後、最悪の景況になった▼自国W杯で受けた屈辱は、自国開催のそれに匹敵する大会(五輪)で、しかも同じ相手(ドイツ)と決勝戦で争わないと雪がれない。それが今回起きた。誰が書いたか知らないが天才的なシナリオだ。伯人はよく「神さまはブラジル人」というが、そうなら相当サッカー好きな神さまだ▼W杯ではネイマールが怪我で欠場した後に7対1が起きた。今回も国民の大半は「優勝などあり得ない」と考え、あえて期待せず、「五輪惨敗」でもいいように心理的に備える状態だったのでは。ところが、その彼がキャプテン腕章を付けて大活躍を見せた▼決勝戦でネイマールは1点先取し、延長線も含めて120分間走り抜いた。ペナルティキックではドイツの5人目をキーパーのウェベルトンが奇跡的に止め、最後の最後にネイマールが5本目をしっかりと決めた。彼を否定するネットの書き込みをした一般人、疑問を投げつけた有名評論家らに、ピッチの中で返事をしてみせた▼それゆえ、彼は試合後のグローボ局インタビューで《僕の人生で一番幸福な瞬間だ。みんなは僕のことを呑み込まなきゃいけない》と言った。風当りが強かった〃戦犯〃と共に、一旦は堕ちるところまで堕ちた国技サッカーが、再生の時を迎えた瞬間だ▼五輪自体も開始前は冷淡な評価が多く、テロや治安、ジカ熱の悪い前評判ばかりが目立っていた。それが無事に終わった安堵感は大きい。W杯から二つの国際的大イベントを無事に終わらせた達成感、そして国技の再生は国民的なカタルシス(心の浄化作用)をもたらしている。そんな空気は、今後の景気動向や政治へも大きな影響を与えるだろう▼折しも今週からジウマ大統領の弾劾裁判が開始され、来週には終わる。テーメルが「代行」から正大統領になる可能性が大だ。弾劾裁判が終わると同時に最高裁長官も交代。その後にはクーニャ元下院議長の議席剥奪審議。つまり五輪の前後に、上院以外の「三権の長」(国家運営の中軸となる三つの権力)が総とり替えとなる。さらに10月2日には地方統一選挙▼五輪と王国の復活と共に、これらがいっぺんに起きる。これを「再生」「再出発」といわずして何というか。このタイミング、ドラマチックさは、天の配剤かと思うぐらい絶妙だ。やはり「神さまはブラジル人」かもしれない。(深)』

2016年8月25日(木)

次の写真は、居間の日溜まりで温もっているはる(左)とひろ(右)。今週はまた最低気温が一桁になり冷え込んでいる。それで午前中は薪ストーブとガスストーブをつけているので、はるたちは午前中はエドソンのワークスペースのガスストーブの前に陣取って暖を取っている。でも、午後になるとストーブを切るので、今度は居間にできた日溜まりに移動して暖を取るのを日課にしている。火曜日の朝、はるは食欲がなく、ドッグフードにオリーブ油をかけてあげても食べなかった。お昼には食べるかなと思ったのだけれど、やはり食べなかったので、例によって、正露丸ひとつをはるの大好きなクリームチーズで包んで食べさせ、お散歩から戻ってしばらくしてから朝食べなかった食事を鼻の前に置くと、食べてくれた。ひろはいつもお腹を空かせているけれど、はるは朝時々食欲がないときがある。こういう時は、いつものようにひろとラブラブで戯れ合う気分にはならないらしく、ひろが「ラブラブしようよ」と誘っても「ウワン!」と一声怒って、そんな気分じゃないのと意思表示する。それでもラブラブしたい時、かまってもらえないひろはエーン、エーンとかヒーン、ヒーンと泣いて訴えたりする。

2016年8月26日(金)

7月末に少し気分が悪い日があり、血圧を測ると数値が高かったため、エドソンは今月に入って血液検査などの健康診断を受けた。血圧はほぼ正常値に戻っていて、心臓にも異常はなく健康体であることがわかったのだけれど、コレステロール値が高いことがわかり、塩分の取りすぎに気をつけて、適度な運動を心がけるようにと医師から言われた。以後、塩分と炭水化物の量を減らし(と言っても、今までだってお米もパンもたいした量を食べていたわけではないのだけれど)、夕方敷地内を早足でせっせと歩く運動を始めた。さらに、夕食後に毎日食べていたデザートのケーキは週末だけにすると言い、パンの代わりにグラノーラをヨーグルトに混ぜて食べたり、ご飯の量を減らしてオートミールを加えたりし始めた。これから毎日朝はグラノーラというのも何だかなあと思っていたら、普通の小麦粉ではなく、全粒粉(Integral)で作ったパンならいいというので、フランスパンを全粒粉で作ってみた。見た感じ色合いがライ麦パンのようで、何だかヨーロッパの田舎のパン(以下写真)のような感じに出来上がった。でも、味はフランスパンという感じではないものの悪くはなく、なかなかいい感じに出来上がったので、エドソンはおいしいと言って喜んで食べてくれた。エドソンはブラジルの油で炒めたご飯よりも、何も味付けしない日本米のご飯の方が好きなのだけれど、何故かそれにクレージーソルトとオリーブ油をかけて食べたりすることもあり、私は、オリーブ油はいいとして、塩をかけて食べたりしない方がいいよと言っていたのだけれど、その時は全く意に介していなかった。でも、血液検査の数値に塩分の取りすぎが出てしまい、医師からも注意するように言われたことで、素直に生活改善に乗り出した。

2016年8月27日(土)

以下は、8月26日付けニッケイ新聞「コラム 樹海」からの転載。

なぜブラジル選手の多くは軍隊式敬礼をするのか

『「もしボクシングがなければ、俺は生きていなかった。サルバドールには死と暴力が溢れている。俺はかつて暴力的だったし、ケンカっぱやかった。ボクシングがなければ、俺の人生はまったく違っていた。たくさんの人は『ボクシングは暴力的だ』というけど、それは違う。ボクシングを知る前、俺は本当に暴力的だった」。ブラジルのボクシング界に初金メダルをもたらしたロブソン・コンセイソン(27)が受賞後に放ったこの言葉は印象的だった▼まるで現代版「あしたのジョー」だ。ケンカばかりの不良少年が少年院から出てボクシングに取り組み始め、燃え尽きるまでを描いた名作マンガだ。違うのは、ロブソンが表彰台で軍隊式敬礼をしたことか▼「あしたのジョー」は涙橋の下のボロボロの貧乏ジムで、食うや食わずの中でアル中のコーチと練習していたが、ロブソンは少し違う。彼は「三等海曹」(海軍の三等軍曹)の階級を持ち月給3200レアル(約10万円)をもらうからだ▼リオ五輪初のメダル(銀)をもたらしたフリッペ・ウーも軍隊式敬礼。体操(銀)のアルツール・ザネッチしかり、柔道(金)のラファエラ・ダ・シルバしかり。6日付アジェンシア・ブラジル電子版記事によれば今大会の柔道選手は全員軍人で、男子7人は陸軍、女子7人は海軍だ▼調べてみると今回獲得したメダル19個のうち、なんと13個は軍人選手によるもの。なぜこんなに軍人が多いのか。この原因を探ると、ミリタリーワールドゲームズ(軍五輪)リオ大会(2011年)にたどりついた▼つまり、今五輪の5年前に「軍リオ五輪」があった。07年の軍五輪インド大会で伯国のメダルはたった3個(銀2、同1)。国別順位では33位。次のリオ大会は地元開催だから強化しなくてはと08年に始めたのが、メダルが有望視される選手を支援する制度「Programa Atletas de Alto Rendimento (PAAR)」(高返益選手育成制度)だ▼3軍が分担して「三曹」待遇を有望選手に与え、月給の支給および軍スポーツ施設や医療制度の利用を許可する制度だ。この結果、軍五輪リオ大会ではいきなり計114個(金45、銀33、銅36)を獲得して国別1位に輝いた。月々10万円の支援でメダルが取れるなら、確かに「高返益」だ▼ただし米国サイト「ザ・インターセプト」ブラジル版8月18日付では《最初のブラジル人が五輪表彰台に上がった時、(軍隊式)敬礼があった。オリンピック憲章の第50項に反するとして、ほぼ禁じられたその振る舞いは、組織的・資金的な支援をする軍部へのブラジル代表選手団からの感謝だ》と斜めに見る▼伯国は約30年前まで軍部独裁だったせいで、一般市民からの印象はいまも悪い。軍五輪後も同制度を続けて「五輪選手のパトロン」として印象を好転させる狙いがあると同記事は見ている▼670選手がその制度によって国防省とスポーツ省からその待遇を保証され、今年だけでその制度に4300万レアルが投資された。「軍人」といっても毎年契約更新(最大8年)の一時採用。実際の軍役はない。最初に45日間の訓練を受け、軍イベントに参加する義務はあるが、あとは練習に専念できる▼リオ五輪は過去最多の465選手が参加したが、うち145人が同制度の軍人。ロンドン大会では259選手中51人だったから3倍増だ。伯国全体のメダル目標20個には一つ足りなかったが、実は同制度のメダル目標10個はかるく凌駕していた。本来スポーツ省がすべきことを、軍が肩代わりして大きくメダル数を底上げした。そのおかげでリオ五輪では面目が保たれたと言っていい▼とはいえ、同米国サイトによれば同様の制度を持つドイツは131人、イタリアは125人を今大会に送り込んだが、軍隊的敬礼をしたのはブラジルだけ…。軍の功績は正しく評価されるべきだと思うが、あえてあの敬礼をする必要があったのか。その辺はもっと議論があっていいのでは。(深)』

2016年8月28日(日)

次の写真は、昨日の午後ヒバマーとゼーがブラキアーリアを刈り取った後で枯らしたものをひとまとめに山にして、火をつけて燃やす作業をしている際、発見した50センチくらいの長さの「コラウ」とうい名前の毒蛇。草取りなどをしながらたまたま側を通りかかった私にゼーが見せてくれたので、カメラを取りに家に戻り、エドソンにも知らせて、この写真を撮ってみた。この毒蛇はブラジルに生息する毒蛇の中で最も強い毒を持っていて、咬まれたら人間も動物も10分以内に死亡するという一番危険な蛇なのだそう。この蛇は目が見えないので、普通の蛇のようにウロウロうろつくことはないのだけれど、草むらの中でジッとしているので、気づかずにうっかり踏んだりすると、咬まれるのだとか。この蛇が見つかった場所は、このところはるとひろがお散歩の途中で好んでウンチをしていた枯れて乾燥したブラキアーリアの下だったので、ぞっとした。

2016年8月29日(月)

28日付けのニッケイ新聞に、『世界からジウマ罷免に反対=映画界・音楽界が立ち上がるも』という記事があった。ブラジルの現実を何もわかっていない外国の著名人たちが、今ブラジルではクーデターが起こっているというジウマのプロパガンダに乗せられて、ブラジルで今粛々と行われている民主的な罷免手続きに反対を表明するなんて、お門違いも甚だしい。彼らはブラジルで一体何が起こっているのか、ジウマやルーラや共産主義の労働者党政権が一体このブラジルで何をしてきたのか、自分自身で調べて、少しでも事実を理解しようとしたのだろうか?わけもわからず法を犯した人間を支持し、法に照らしてその人たちを民主的に裁こうとしている側を非難するなんて、彼らもジウマやルーラのように共産主義者で、特権を乱用することを何とも思わず、自分の懐を膨らませることしか考えない同じ穴のムジナということか?この記事のサイトは、こちらへ

インターネット上のニュースで、ダイアモンド・オンライン8月26日(金)11時0分配信の『日本のメディアはなぜ報じない!?韓国を揺るがす7万人大暴動』という記事を見かけた。ニュースが統制されている中国ならいざ知らず、韓国で7万人の大暴動があったのに、それが日本で報道されないというのは何故だろう?と言うか、当時BBCやCNNでもパリでのテロのニュースばかりで、韓国のニュースなんてやっていなかったなあ。この記事のサイトは、こちらへ

2016年8月30日(火)

一年に一度、毎年花を咲かせるランドマークの木の幹の間のランが、今年も花を咲かせた。次の写真は、そのランドマークの木の3本の幹の間で咲いているランを撮ったもの。2枚目の写真は、その花をもう少しアップで撮ったもの。家の中のダイニングルームのランも何鉢かつぼみをつけているけれど、開花はこちらの外のランの方がずっと早かった。

2016年8月31日(水)

20日の土曜日は、ヒバマーたちが来てくれたにもかかわらず、1~2時間後には激しい雨が降り出し、どうやら1日雨が降りそうだったので、1日分の日当の3分の1強のお金を支払って帰ってもらった。そのため仕事が進まなかったけれど、27日の土曜日はいいお天気で、ヒバマーたちに頼んだ仕事も、ジョゼにやってもらっていた野菜畑での作業も進み、野菜畑の畝の囲いがすべて完了した。次の写真は、日曜日の朝撮った野菜畑。日よけのために畑の上を被っていた黒いネットは、何度も何度も直したのだけれど、長年の風雨に晒されてやぶれて、左右に落ちてしまっている。これも何とかしないといけないなあ。



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