Kyoko Yoshida Life in Brazil BLOG 

2016年4月1日(金)

次の写真は、1年前から始まった現政権への抗議デモでいつも見かけるアヒルの人形。何故、抗議デモの際、この巨大なアヒルがいつも通りにデーンとあるのか、以前エドソンに聞いてはいたのだけれど、その説明が3月30日付けのニッケイ新聞の「東西南北」にあったので、以下にその記事をコピーしてみる。現政権の下で電気料金が跳ね上がり、車の燃料代が上がり、物価が上がり、税金が上がり、政府の汚職と無策のつけを私たち一般市民が払わされている現状を考えると、このアヒルなかなかメッセージ性が高いと思う。

『PMDB(民主運動党)の連立与党離脱が伯国のニュースを独占しているが、29日、そのPMDBともつながりが深く、昨今の抗議デモでもおなじみのキャラクターとなった黄色いアヒルが5千羽分、大統領府の前に置かれ、話題となっている。このアヒルは、PMDB党員でもあるパウロ・スカッフィ氏が会長をつとめる聖州工業連盟(Fiesp)がパウリスタ大通りの本部前に皮肉を込めて置き、有名になった。ポルトガル語で「ツケを払う」は「アヒルを払う(Pagar o pato.=パガール・オ・パット)」というが、「国のツケなんて誰が払うか」というメッセージだ。28日付伯字紙は黄色い帯に「罷免」と書いた広告が延々と続いたが、今後、至るところでこのアヒルを見ることになりそうだ。』

2016年4月2日(土)

以下は、この月曜日に届いていた2016年4月15日発行の「楽書倶楽部」第32号に掲載された私の文章。前園さんが4月は旅行で留守にされるので、この号はいつもよりも日程を早めて3月中旬に発行され、発送されたので、いつもより早く届いた。

恩送り

ブラジルで暮らし始めて、何とか生活が落ち着いてきた三年ほど前から、夫は趣味の分野の専門知識を生かしてボランティア活動を始めた。彼は子供の頃からアマチュア無線が趣味で、その関係で以前、アメリカで衛星通信に関わる仕事をしたこともあり、その分野におけるとてもユニークな経験と専門知識を持っている。

アマチュア無線というと、インターネットが普及した今の時代に、まだやっている人がいるの?と、驚く人もいるくらい、少々時代遅れという印象を持つ人もいる。けれど、アマチュア無線には、人と話すコミュニケーション手段という側面だけでなく、科学技術の発展に貢献してきた技術面での実験や研究や開発というとても重要な側面がある。そしてアマチュア無線の技術的な側面は、通信技術分野の発展に重要な役割を果たしてきた。世界の著名な科学者や物理学者の中には、子供の頃アマチュア無線の技術に触れたことがきっかけで、それらの道へ進んだという人も少なくない。そのため近年ではアメリカ航空宇宙局(NASA)や日本の宇宙航空研究開発機構(JAXA)や欧州宇宙機関などが、アマチュア無線技術を通じて、子供や若い人たちの科学や科学技術、工学などに対する興味を刺激し、将来彼らの中からそれらの分野に進む人たちを増やし、それらの分野の発展を促進しようと、かなりの資金を投じて努力している。そして、夫もこの技術的側面で深くアマチュア無線と関わってきた。

それで、夫が具体的にどんな活動をしているかというと、ブラジルで衛星プロジェクトを行っているITA(航空宇宙技術研究所)や、INPE(ブラジル国立宇宙調査研究所)といった機関で、衛星プロジェクトに関わる院生やコーディネーターの人たちの質問に答えたり、アドバイスをすることで、技術面での支援をしたり、これらの研究所との共同プロジェクトを提案して、実施している。一方で、隣町のボトゥカトゥにある、航空機メーカーのエンブラエーが運営している高校で、年に一度、衛星通信などに関連した授業やデモンストレーションをする出前プロジェクトも行っている。これはアマチュア無線を手段として利用しながら、STEM(サイエンス、テクノロジー、エンジニアリング、数学)教育を奨励することを目的としている。

昨年八月には、INPEの修士課程と博士課程で学んでいるコロンビアからの留学生ふたりを2日ほど我が家に招いた。夫は自作の衛星追跡ソフトなどを見せたり、彼らの関わっている衛星プロジェクトに関する質問に答えたり、相談に乗っていた。メールやスカイプだけでは十分とは言えないやり取りを、直接会って話すことで補おうというのがその意図で、夫が関わっている人たちにはできるだけ、同様の機会を設けたいと考えているようだ。

その留学生たちが帰る際、「こんなに良くしてもらって、どのように恩返しすればいいだろうか」と聞いてきた。それに対し「恩送りをしてもらえれば、それで十分ですよ」と夫は応えていた。つまり、夫は好きでやっているのだから、恩返しなどする必要はなく、彼らがコロンビアの大学に戻って、若い人たちを指導する立場になった時に、彼らにできる形で若い人たちを支援すればいいのだから気にすることはないと説明していた。

この説明をする際、夫は英語で「Pay it forward.」という言葉を使っていたけれど、これを日本語にすると「恩送り」という意味になる。もっと聞き慣れた言葉で言えば、「情けは人の為ならず」の精神だ。

彼らに恩送りについて説明した夫自身が、実は今、それを実践しているのだということには言及しなかったけれど、アメリカでの夫の苦学生時代を側で見てきた私には、彼が今やっていることがとてもよく理解できる。アマチュア無線と関わりを持って以来、様々な人から恩を受けてきて、今の自分があると夫は考えている。実際、経済的な理由から高校卒業後すぐには大学に行けずに働いていた夫が、アメリカの大学に留学することができたのは、アマチュア無線のお陰だった。昔、彼が参加したリオデジャネイロで開かれた国際会議で、衛星通信技術に精通した夫の能力を高く評価したアメリカのNGOが、奨学金を出してくれたことで実現したアメリカ留学だったからだ。そのようなことがあったからこそ、これまでの人生で培ったこの分野におけるユニークな経験と専門知識を活用して、若い人たちを支援することで、恩返しならぬ、恩送りをしたいと考えたのは、夫にとっては自然な成り行きだった。

自分が得意とする分野で、このように今、仕事で忙しい時間をやりくりしながらも恩送りができる夫は、ある意味とても幸せな人だと思う。そして、夫のように社会貢献できる特別な能力を持ち合わせていない私も、ささやかながら彼に協力することで、私自身の恩送りにもなっているのだから、私はさらに幸せ者だと感じている。

2016年4月3日(日)

今年になって私の右頬の、頬骨と耳の中間辺にシミができていることに気づいた。本当はもっと前からあったのかもしれないけれど、2週間くらい前から急にそのシミが大きくなり、色が濃くなったので、あらためて気づいたのかもしれない。ちょっと急激な変化だったので、念のために皮膚科を受診しようと言うことになり、エドソンがインターネットでクリニックを探して、電話で予約を入れてくれ、この金曜日の午後診察に行ってきた。マーリ・サアード(Marli Saad)という名前の医師だったので、アラブ系の人なのかな?と、思っていたら、何と日系2世の女医さんだった。ご主人がアラブ系ということだった。バストス移住地出身で、「私の日本語は田舎の日本語」と謙遜しておられたけれど、少し日本語を話し、英語も少し理解できるようだった。とても感じのいいフレンドリーな40代くらいの先生で、偶然にもいい先生に出会えたなと思った。診察の後、私の顔のシミはおそらく皮膚がんではないと思うけれど、万全を期すためには皮膚の一部を採って生検するという方法もある。ただ、東洋人の皮膚は西洋人の皮膚よりも繊細で、ほんのちょっとの皮膚を採取しただけで、傷跡が残るので、やるかやらないかは本人次第ということだった。そしてそれに加えて、ジピロナという鎮痛剤を飲んでいないかと聞かれた。この薬を飲むと、シミが大きくなったり、濃くなったりする副作用が出る場合があるらしい。そう言えば、フロリアノポリスから戻って、はるとひろとめいをヴィラ・シーコから連れて帰った途端に、ひろがストレスから体調を崩し、回復したかと思ったら、今度はめいの初潮が始まり、めいと交尾しようとお隣の大型犬が毎晩のようにシュハスコ小屋にやって来たため、めいの吠える声やその犬がゴソゴソする音で起こされる日が続き、ちょっと頭痛がして頭が重たい日があった。その際、アスピリンを切らしていたので、エドソンがジピロナを用意してくれ、それを飲んだことを思い出した。シミの急激な変化はその後起こったことなので、そうだったのかと納得。私は鎮痛剤をめったに飲まないのだけれど、今後はジピロナを使わず、鎮痛剤が必要な時はタイロノールを飲むようにと言われ、飲み薬と塗り薬を処方してもらい、しばらく様子を見ることになった。

2016年4月4日(月)

次の写真は、エリゼウがミナスジェライス州からわざわざモリンガの苗木を郵便で送ってきてくれたので、急いでテトラパックに植え替えたもの。苗木を郵便で送るなんて大丈夫なのかな?と、思ったけれど、以前にも同じことをやった経験があり、やり方を間違えなければ枯れてしまうことはなく、根付くということだった。濡れた新聞紙に包まれ、ビニール袋で丁寧に梱包された、元気そうな苗木だったけれど、本当にうまく根付いてくれるかなあ・・・、大丈夫かなあ・・・。

4月1日付けのニッケイ新聞に、『カンポス・ド・ジョルドン「陽光桜」秘話=桜に込めた日本人の想い=聖市ヴィラ・カロン在住 毛利律子』という記事があった。ちなみにうちにある桜はヒマラヤ桜と沖縄桜。カンポス・ド・ジョルダオンはここよりも標高が高い、有名な避暑地なので、一度行ってみたいなあ。この記事のサイトは、こちらへ

同じくニッケイ新聞の4月1日付けの記事に、『「ブラジルのニクソン」=ニューヨーカー誌がジウマ語る』という記事もあった。現在ブラジルが抱える問題がわかり易く説明されていると思った。この記事のサイトは、こちらへ

2016年4月5日(火)

金曜日の午後、皮膚科を受診した後、薬局、スーパーマーケット、ウエノ、そして、ポリヴェットとハシゴをして、私たち用の食料品や、はるたちの新しいベッドやドッグフードを買って帰った。次の写真は、はるたちの新しいベッド2つ。右側の茶色のものは寝室に置いておく夜用のベッドで、左側のピンクのものは食堂や居間など、昼間はるたちが過ごす場所に応じて移動させて使うベッド。ひろがベッドを噛んで破ってしまうため、これまで破られては繕って、破られては繕ってを繰り返していたのだけれど、だいぶボロボロになってきたので、とうとう新しいものを買うことにした。ひろはもう1歳を過ぎたのだから、何とか新しいベッドは破壊しないでほしいなあと思っている。だいぶボロボロになったとは言っても、まだ捨てるのはもったいないので、ひとつはめいにお下がりで使わせようと思っている。そして、もうひとつは家で使っている新しいものを車の座席の前の床に置いて使うと、私たちの靴についた泥がついたりしてすぐ汚くなるので、古いものを外出の時だけ車の中で使うことにした。

次の写真は、金曜日に買ってきて台所に置いた右からはるとひろのドッグフード(20キロ)、めいのドッグフード(15キロ)、そして、私たちのお米(5キロ)。はるとひろのドッグフードは145レアル。めいのドッグフードは33レアル。そして、私たちのお米は40レアル。はるは以前、私が手作りした食事を食べていたのだけれど、去年の11月、ブラジリアに行く際、はるたちを5日間くらいヴィラ・シーコに預けるにあたって、数週間前から手作りの食事にドッグフードを徐々に混ぜて行き、完全にドッグフードだけにしても大丈夫なように準備したので、それ以来はるはひろと同じようにドッグフードだけを食べることができるようになり、私はとても助かっている。でも生まれつき肝機能の弱いはるのために、ドッグフードはポリヴェットのドトーラ・ヴィットリアが勧めるプレミアムの値段の高いものを使っている。ただ、元気なめいに同じものを食べさせる必要はないので、うちの家計になるべく響かないように、めいのためには安いドッグフードを買った。めいが来て以来、入院治療費や予防接種、そして、これから受ける去勢手術とかなりの支出がかさんでいて、我が家の家計を圧迫しているので、せめてドッグフードは安いもので我慢してもらうことにした。

2016年4月6日(水)

この日曜日、「Sunday with Astronauts(宇宙飛行士と過ごす日曜日)」というイベントが、ここから北西に1時間半くらい行ったところにあるバウルという町で行われた。多くの研究機関や組織が関わっていたようで、アムサット・ブラジル(AMSAT-Brasil)もこのイベントに加わり、バウルのデミウソンが中心になってブースを出したりしたので、エドソンもデミウソンを手伝うべく、朝早くから出かけて行った。このイベントの中心人物は、バウル出身のブラジル人元宇宙飛行士。この人は元ブラジル空軍所属で、ロシアで訓練を受けて、ロシアのロケットで国際宇宙ステーション(ISS)に行き、数ヶ月間過ごし、地球に帰還してから空軍を退役して、財団を作って活動しているということだった。私は行っていないので詳しくはわからないのだけれど、とても大きなイベントだったらしく、招待されて来ていたアメリカ人の女性宇宙飛行士の講演などもあったという。夕方戻ったエドソンが箱を抱えて帰って来たので、中を見せてもらうと、欧州宇宙機関(ESA=European Space Agency)からエドソンに送られたお礼の記念品ということだった。ここはFEDEXは届かないので、バウルのデミウソンの住所に送ってもらっておいたのを、持って帰ってきたのだという。esaのロゴの入ったカバン(以下の写真の左側)の中に、写真の右側に並べたようなノート、ボールペン、カラフルな付箋、マウスパッド、ESAのバッジ、ペンドライブ、キューブサット(小型衛星)のプラスチック模型などが入っていた。

何故、欧州宇宙機関(ESA)からエドソンにお礼の記念品が届いたかというと、「Fly Your Satellite from the ISS!(国際宇宙ステーションから衛星を打ち上げよう)」というESA教育プログラムのパイロットプロジェクトに、デンマークの大学の学生たちが参加し、大学の教授やESAの専門家の協力を得てキューブサットを作り、2015年10月5日に初めて宇宙に放出されたその衛星の初期シグナルをエドソンがキャッチして、欧州宇宙機関に連絡したからなのだという。以前にも書いたことがあるけれど、衛星が宇宙に放出されて、早い時期にその衛星が発信しているシグナルをキャッチすることは、その衛星がちゃんと機能しているということを確認するためにとても大事なことなので、その感謝の気持ちということらしい。次の写真は、この箱に同封されていたこのプロジェクトのポスターで、関係者のサインがたくさん書かれている。

さらに、このポスターの一番下の段落に、この衛星からの初期信号キャッチに協力してくれたアマチュア無線コミュニティー、特に、ドイツのマイク・ルプレヒトと、ブラジルのエドソン・ペレイラの協力に感謝すると書いてある。ポスターに個人の名前を載せてくれるなんてすごいなあ。以下は、このポスターの最後の段落の原文をコピーしたものと、そのアップ写真。「We hereby recognise the help from the amature radio community, and especially from Mike Rupprecht, DK3WN (Germany) and Edson W. R. Pereira, PY2SDR (Brazil) for the support they offered in the acquisition of the early radio transmission from AAUSAT5.」

2016年4月7日(木)

月曜日のお昼が済んで、いつものようにエドソンと一緒にはるとひろをお散歩に連れ出す際、ひろが玄関の土間で何か黒い虫のようなものを見つけて食べたようなので、すぐに口を開けさせて調べたのだけれど、もう口の中には何もなかった。そして、お散歩から戻った後、今度は私がひとりでシュハスコ小屋の中のめいにお昼を与えて、めいとのお散歩に行ってから家に戻ると、エドソンがやれやれといった顔をしていた。何があったのか聞くと、お散歩から戻ると、ひろが食堂で3回嘔吐して、それをエドソンが片付けている間にひろは居間に移動して、今度はそこでウンチをしたと言って、呆れていた。ひろは体が大きくて食いしん坊なので、はるよりも少し多めに食事を与えているのに、それでも家の中で虫などを見つけると素早く食べてしまったり、外にお散歩に出ると、アメンドインの花や、何か変なものを見つけては食べてしまう。今回の嘔吐はお散歩に出る前に食べてしまった虫が原因だろうと思われる。嘔吐とウンチをした後、ひろもまずいことをしたという自覚があるようで、気持ちの悪そうな顔をして、自発的にケージに入ったとエドソンが言うので、ケージを覗いて見ると、ちょっと気分が悪そうな表情のひろがケージの中で横になっていた(以下写真)。しばらくしてケージから出てきた後は、はると一緒に私の側に置いたベッドで横になっていたのだけれど、その後落ち着かない感じで私の膝の上に来たと思ったら、今度は寝室のベッドに行ってひとりでずっと横になっていた。夕方5時前に様子を見に行くと、以前はるが虫か何かを食べて顔が腫れてじんましんのような症状が出た時のように、やはり顔が腫れて、はるの時よりもひどく人相と言うか犬相が変わり、お腹にじんましんのような発疹がたくさん出ていたので、エドソンが大急ぎでひろをヴィラ・シーコに連れて行った。ヴィラ・シーコでドトーラ・ジャナイーナに注射を打ってもらい、6時半頃戻ってきた時には、顔の腫れや体のじんましんは引いていてほっとした。でも、薬の影響なのか丸1日くらいいつものような元気がなく、食欲以外は本調子ではなかった。だいぶ調子が戻ってきたのは火曜日の夕方くらいだった。変なものを食べて嘔吐するということをこれまで何回か繰り返しているのに、なかなかちゃんと学習してくれないのはどうしてだろう?ただ、顔が腫れたりじんましんが出たのはひろにとっては今回が初めてだけれど・・・。

2016年4月8日(金)

去年、楽書倶楽部の10月号で、毎週土曜日に草刈りなどの手伝いに来てくれるヒバマーのことを、彼のように正直でよく働いてくれる人が、もう3年以上もうちに来てくれているのは本当に助かっていると書いた。でもその後、11月頃から雨の日が多く、ヒバマーが来れなかったり、お天気が良くてもヒバマーにいろいろあって来ないことが多くなり、結局、月に1~2回来ればいいという状態がずいぶん長く続いていた。それでエドソンは、「何だか嫌な予感がする。ヒバマーはうちの仕事を止めようとしているのかもしれない」と言っていた。そして、先月の半ばに久しぶりに仕事に来てくれたヒバマーが、とうとう止めたいと言い出した。去年の後半くらいから、平日働いているドナ・ベティのファゼンダでの仕事の担当が変わり、1日中草刈り機を担いで作業をしているので体がしんどいと愚痴っていたのだけれど、どうやら今年に入って、お給料が上がったようで、週末も働いて生活費の足しにする必要性が少し減少したということらしかった。「僕は君のように信頼できて、真面目に働いてくれる人を他に知らないから、毎週ではなくてもいいから、月に1回でも2回でも来れるときに来て仕事をしてもらえないかなあ?」とエドソンは引き止めているのだけれど、体がしんどいと言われると無理強いもできず、かと言って、ここでは草刈りなどの肉体労働をしてくれる真面目な働き手を見つけるのはとても難しいことなので、私たちはどうしたものかと頭を抱えている。エドソンはあちこち誰かいい人はいないか?と聞いて回っているのだけど、今のところまったく見つかる当てがない。次の写真は、現在草ボウボウになっている入り口ゲートを外と中から撮ったもの。

このことをイビウーナの香山さんへの近況メールで愚痴ると、返信メールで、ブラジルの経済不況が深刻化するなか、香山さんが一代で築き、今は息子さんとお孫さんが引き継いで経営しておられるアグロ・カヤマという小さな城が不況の激震に耐えている姿を見るのは辛いという気持ちを吐露され、「一日も早く政権がかわって経済の立て直しをやってくれるのを願うばかりです」とあった。そしてこれに続いて、どこの家にも頭の痛いことはあるもんだねと言って、最近香山さんのことろで起こったトラブルについて話してくださった。「先月モジの日系のヤンマー代理店から卑劣にも長年育てたセールスマンや熟練工を引き抜かれ、嫌な思いをしています。ウチでは息子も孫も顔見知りの同業者などから人材など引き抜くようなことは一切やらないのですが、こんな厚顔の同胞もいるものだと寂しい感じでした」ブラジル人にはこういうことを平気でする人もいるけれど、同じ日系人同士でこんなことする人がいるのかと残念に思った。でも、最後に、「とにかく長い人生には喜怒哀楽、いろいろなことがあるものですが、つねに強く生きてゆく心構えをもつことが大切です」と叱咤激励してくださり、感謝、感謝。香山さんはこの言葉通り、常に強く生きてゆく心構えでおられるから、90歳を超えた今でもかくしゃくとしておられるのだなと、あらためて思った。

2016年4月9日(土)

うちでは毎年4月になると、秋の花の代表であるマナカが開花する。今年も4月になり、うちの敷地の西端の、森の手前にある大きなマナカの木(以下写真)や、果樹園とジャタイの巣箱の間のあるマナカの木が花を咲かせ始めた。この夏は多雨で、太陽が顔を出さず、気温が低めの日が多かったので、早くから庭のヒマラヤ桜は葉を落として裸になってしまっていて、ひょっとして例年よりも早く花を咲かせるのだろうか?と、思ったりしているのだけれど、マナカがちゃんといつも通りの時期に花を咲かせたということは、桜もただ裸の状態でいる期間が長く続くだけで、花が咲くのは例年通り7月なのかな?などと思っている。

2016年4月10日(日)

広島の友人が今週の初め、自宅マンション前の川沿いの桜の写真をたくさん送ってきてくれた。その内の1枚と、2枚目は彼女のマンションのベランダから見える縮景園という広島では有名な庭園の写真。縮景園にも桜が咲いている。マンション前に桜並木があったり、ベランダから縮景園が見えるなんて、とてもいい場所にあるマンションだなあと思った。こういう環境ならマンション暮らしも悪くないかも。そして、日本とブラジルでは桜の咲く時期が違うので、こうして3月末から4月の初めにかけては写真ではあるけれど日本の桜を愛でて、7月から8月にかけてはブラジルの桜を愛でることができ、1年に2度桜を楽しむことができるのは贅沢だなあと思った。

2016年4月11日(月)

以下は、4月9日付けニッケイ新聞「コラム 樹海」からの転載。

来週がジウマ大統領罷免の山場

「今週、来週が大統領罷免の山場だ!」とは政治評論家が共通して指摘する点だ。下院罷免委員会で罷免すべきとする報告書が読まれ、それが来週月、火曜日頃に採決される。そして下院本会議(下議全員)による採決が15~17日頃に行われ、513票中の342票が集まれば、罷免審議が上院に送られる。ここまでが来週中に行われる可能性がある。もちろん342票も集まらない可能性もあり、予断を許さない▼上院で審議受入れを「過半数」で採決したら、その日から180日間、大統領は職務停止、テーメル副大統領(PMDB)が昇格する。早ければ、今月中にはその日が来るかもしれない。こうなるとPTは風前の灯だ。とはいえ、テーメルにも罷免申請が出されており、「死なばもろとも」を狙っている。上院にも罷免委員会が組織され、ジウマの罷免申請を3分の2が承認すれば、正式に「テーメル政権」の誕生だ▼では罷免の後、テーメル政権は何をするのか。「テーメル大統領」はまず組閣をやり直す。今の状勢からすれば野党勢力がそのまま連立与党にはいり、PMDB、PSDBを中心とした大臣指名を行う。PT勢は野党に戻り権力を失う。テーメルが今回大統領になる代わりに、18年の国政選挙にはPMDBは候補者を出さず、PSDBに大統領の座を禅譲すると見られている▼ラジオCBNで4日、政治評論家ケネディ・アレンカールは、こんな組閣予想をした。財務相はアルミニオ・フラガかエンリッケ・メイレーレス(共に元中銀総裁)、ジョゼ・セーラ上議が教育相か保健相、著名なドラウジオ・バレラ医師を保健相という話も、外相は外務省高級官僚ではと指摘した。「財政緊縮の一環として25省庁程度に削減(現在39)するはずだ」とも見ている。罷免後の〃苦い薬〃である福祉、医療、教育などの予算削減は10月の地方選挙の後に出てくるだろう▼このように、選挙によらずに政権がガラッと入れ替わるので、PTは「GOLPE」(政権転覆)と批判している。国民の信任を失うほどの問題を起こした大統領を辞めさせる法的手続きとして憲法に書かれている罷免制度だが、「選挙に寄らずに政権転覆」という一点だけを批判する。だがPTは与党なんだから、それが嫌ならさっさと憲法改正をすればよい。改正せずに文句ばかり言い、自らの汚職疑惑にはいっさい口を閉ざし、ただ「選択的な情報漏えいは違法だ」と批判するだけの見苦しい状態が政治力のなさを証明している▼もしテーメルも罷免され、クーニャが大統領でもこの辺の線で進みそうだ。でもクーニャも罷免されたら、レヴァンドスキ最高裁長官が「暫定大統領」となり、大統領選のやり直しをするようだ。この上位3人が共に罷免寸前という異常事態に当たり、根本的に政体を考え直す必要があるのではないか▼「議院内閣制」を真剣に考えてもいい。大統領制では大統領が強大な権限を握り過ぎており、その弊害が現在の膠着状況を生んでいる。政治的混乱が足を引っ張って、いつまでも景気高揚策が練られない。大統領は国会議員から選ばれないから、ジウマのように下議を一回もやらずに大統領が可能だ。その結果、優秀な事務方タイプだが政治的交渉能力に欠け、連立与党をまとめきれず分裂を招いた▼議院内閣制では、最大与党が連立を募って国会議員から首相を決める。首相が国民からの信任を失うような問題が起きれば、まず与党内で首相を入れ替える。ブラジルが議員内閣制なら、現在のように7割の国民が大統領を否定している状態であれば、とっくに野党から不信任案を出されて解任だ。でも大統領制には不信任案がない▼議員内閣制の良い点は、首相が下院の解散権限を持つことだ。政治危機に直面したら、総選挙で国民に一から選びなおしてもらう。今回の様な未曽有の政治危機を経験したからこそ、真剣に議論すべき段階だろう。(深)

2016年4月12日(火)

ボトゥカトゥのスーパーでは冷凍のいちごやラズベリーやブルーベリーを普通に見かけるので、先日行った際、ブルーベリーを買おうと思ったのだけれど、ラズベリーはあったもののブルーベリーはなくて、がっかり。でも、ブルーベリーを探していて冷凍の枝豆(1袋200グラム)を発見したので、買ってみた。次の写真は、その冷凍の枝豆を茹でたもの。この夏は天候不順だったせいか、種を蒔いた野菜も、苗を植えた野菜も、畑の野菜がまったく育たなかったので、例年育ててわずかながら収穫して食べていた枝豆もできず、まったく枝豆のない夏を過ごした。でも、遅ればせながら我が家で収穫できる枝豆よりも豆が大きな枝豆をこんなふうに食べることができ、うれしく思った。枝豆を茹でた後、商品名が「Edamame」となっていたので、日本からの輸入品かな?と、思って袋をよくよく見ると、すべてポルトガル語で表示されていたけれど、中国からの輸入品と小さく表記されていたので、がっかり。禁止農薬とか汚染物質が混ざっていないか心配で、次回はこの商品を見かけても買えないなと思った。ちなみに、ブラジルでは大豆の生産が盛んではあるけれど、ブラジルの人たちは大豆を青い時に収穫して枝豆として食べる習慣はないので、こんな食べ方は日本人(ないし、日系人)以外しないと思う。それなのに中国からの輸入品が店で販売されていたことにとても驚いた。

2016年4月13日(水)

次の写真は、ランドマークの木の西側の道を横切って、葉切りアリが葉を運んだと見られるトレイルを撮ったもの。夜の間作業をして、昼間は休んでいるのか、この写真を撮った際、アリは1匹もいなかった。このトレイルを追ってみると、ランドマークの木の後ろのハイビスカスの木の足元にたくさん葉が落ちていたので(2枚目の写真)、ハイビスカスが被害にあったのかと思った。

でも、よく見ると、攻撃されたのはハイビスカスではなく、その後ろのリグストルン(ねずみもちの木)だった。次の写真の下の部分がハイビスカスで、ハイビスカスの上のあたりのリグストルンの葉がないのがわかるだろうか?このアリのトレイルは道を横切って、果樹園の方につながっているようだった。エドソンがところどころに薬剤をまきながら、トレイルに沿って、どこから来ているのか調べると、果樹園のオリーブの木を丸裸にしたのと同じグループのようで、やはり何百メートルも離れた隣の敷地内にある巣から来ているということだった。このアリの巣があると見られるお隣の敷地の南側には森があって、もっと近場にたくさんの様々な木があるというのに、どうしてわざわざその森よりも遠い我が家の木を目指してやってくるのだろう?と、不思議でならない。

2016年4月14日(木)

この夏は天候不順で、比較的過ごしやすい日が多かったのに、秋になり、雨が降らなくなると気温が上がり、最高気温27~28度というまるで夏のように暑い日々が続いている。朝食後のお散歩に出ると、すでに日差しが強く汗ばむほど。昼食後のお散歩はさらに暑い。午前中は家の中はまだそれほど暑くないのだけれど、午後から家のレンガの壁が太陽に焼かれ、家の中にいてもだんだん暑くなってくる。そして、太陽が沈めば外の気温はぐんと下がるのだけれど、部屋の中は熱気がこもるので扇風機が必要になってくる。今頃の季節になると、夜はそろそろ毛布を掛けて寝ていたりするはずなのに、4月に入ってからはずっと暑くて夏用の肌掛けでも暑いくらいで、扇風機をかけて寝ている。

次の写真は、先日紹介したモリンガの花のつぼみが開いたのを撮ったもの。花の回りの小枝に葉がないのは、葉切りアリに襲撃されたから。この写真を撮る前日まで無傷だったのに、この写真を撮りに行た日には、木の足元にたくさん葉が落ちていて、枝を見ると葉がなくなっており、近くのアリの巣の回りにモリンガの葉あったので、エドソンに頼んで薬剤をまいてもらった。いつまでも気温が高いので葉切りアリの活動が活発で困ったものだ。モリンガの花の背後に見えるピンクの花は、フランボヤンジーニョ。花をたくさん咲かせている。

2016年4月15日(金)

次の写真は、ランドマークの木の西側の道沿いの桜並木。桜の左側の背の高い木はユーカリの木。庭の桜はヒマラヤ桜だけれど、この並木の桜は沖縄桜。早くから自然に葉を落としてしまった庭の桜と違い、この道沿いの桜は葉切りアリに次々に葉を落とされてしまったので、まだ襲撃されていない画面奥の桜は、葉を落としておらず、たくさん葉を残している。2枚目の写真は、この並木を反対側の北から撮ったもの。画面左端に少しランドマークの木の枝が写っている。そして、私たちが家から出てうろうろする際、必ず一緒についてくるめいも中央に写っている。めいは生理が終わったので、シュハスコ小屋から解放して、今は自由に外で過ごしている。そして、夜だけシュハスコ小屋の寝床に戻すようにしている。

驚くことに、葉切りアリに葉を落とされた木のうち5~6本の木にほんの少し花が咲いていたので、写真に撮ってみた。この並木の桜は普通、庭の桜よりも遅く花が咲き始めるのに、7月や8月ではなく4月に花を咲かせるなんて、びっくり。でも、体内時計が狂ってしまったせいで、ちらほら間違って花を咲かせてしまっただけで、本格的に咲いたりはしないだろうねとエドソンと話している。

2016年4月16日(土)

エドソンが昨日サン・ジョゼ・ドス・カンポスにあるITA(航空宇宙技術研究所)に行かなければならなくなったのだけれど、今週の火曜日にその連絡が入るという急なことだったので、バウルのデミウソンは仕事のスケジュール調整ができず、同行できなかった。ここからサン・ジョゼ・ドス・カンポスまではトイレ休憩などまったくなしでも、片道4時間はかかるので、エドソンひとりが車を運転して行くというのは少々不安なので、私が一緒について行った。金曜日の午前5時にこちらを出て、丸1日ITAの衛星に搭載する実験機器のテストをして、こちらに戻るというスケジュールは体にきついのと、私もエドソンも夜の車の運転は苦手なので、金曜日の夜遅くにこちらに戻るスケジュールは避けて、金曜日の夜はITAのすぐ近くのホテルに1泊し、今朝は、クレベーと一緒に朝食を食べて、午後1時頃こちらに無事戻った。往路は道路の混雑があまりなく、移動時間の予想が容易な北回りのアチバイア経由で行ったのだけれど、今日の復路は、土曜日だったのでサンパウロの渋滞はそれほどでもないと予想し、遠回りをせずサンパウロ経由でスムーズに戻ることができ、移動時間を30分から45分短縮することができ、ラッキーだった。帰宅後、荷物を車から下ろしてから、水曜日の午後からヴィラ・シーコに3泊ほどお世話になっていたはるとひろを迎えに行き、連れて帰った。めいには金曜日の早朝から土曜日の午後私たちが戻るまで、シュハスコ小屋の中に自由に出入りできるようにして、ドッグフードと水をたっぷり用意して、ひとりで留守番してもらった。みんな元気でお留守番してくれていて、ほっと一安心。昨日サン・ジョゼ・ドス・カンポス到着後は、午前10時前にもかかわらず、ホテルがチェックインをさせてくれたので、エドソンが仕事中何もやることのない私は、ホテルでNHKを見ながら疲れてうたた寝をしたり、下のレストランにお昼を食べに行ったり、本を読んだりしてのんびり過ごすことができ幸いだった。ただ、NHKはずっと熊本や大分で続いている大きな地震のニュースを伝えていた。

2016年4月17日(日)

4月に入りずっと暑い日々が続いている。一体秋はどこに行ってしまったのだろう?この暑さのせいか、昼寝から目覚めたひろがベッドの中でひっくり返って、お腹を丸出しにして、ゴロゴロしていることがよくある。その恰好がおかしいので、エドソンがひろの写真を数枚撮った。1枚目はその典型的なひろのひっくり返った恰好。2枚目はその状態のひろの顔をアップで撮ったもの。この写真は、あまり目をむいていないけれど、時には目をむいたような表情の時もあり、そんな時は、昔、何のコマーシャルだったか憶えていないけれど、テレビのコマーシャルで、芸術家の故岡本太郎さんが「芸術は爆発だ!」と言いながら大きなぎょろ目をむいた顔を思い出して、それに似ているなと思って笑ってしまう。ひろは朝も目覚めた後、こんなふうにベッドの中でひっくり返ってゴロゴロしているので、これはひろの寝起きの状態なのかもしれない。

次の写真は、少し角度を変えて撮ったひろ。ひろのおもしろいところは、カメラを構えるとカメラを見つめて、フラッシュがたかれても目をつむらないところ。はるはカメラを見つめることが少なく、フラッシュがたかれると、必ず目を閉じてしまうため、いい写真がなかなか撮れない。ひろはなかなかのフォトジェニックだ。ちなみに、はるもひろと一緒にこのベッドでお昼寝をしていたのだけれど、ひろがひっくり返ってゴロゴロし始めたので、はるはベッドから避難してしまって、この写真を撮った際は、別のところに行ってしまって、一緒の写真には収まっていない。

2016年4月18日(月)

4月12日付けのニッケイ新聞に、『今日のお言葉=Toma Lá Dá Cá(トマラ、ダカー)』という短い記事があり、次のように説明していた。《『あまり品の良いフレーズではありませんが、最近テレビなどで盛んに出てくる言葉です。直訳すると「これをやるから、それをくれ」です。政治関係のニュースでは、「○○省の大臣の椅子をやるから、これと引き換えに『大統領罷免に反対してくれ』」という取り引きがされている現実を示すのに、この言葉が使われています。下院罷免委員会で昨晩、ジウマ大統領を辞めさせようと云う提案が投票されました。もちろん、この1票、1票にこの「トマラ、ダカー」が働いているワケです。」》とあった。でも、大臣の椅子は限られているから、本当にブラジリアの政府で飛び交っているのはお金。そんなことがニュースで取り上げられただけで、日本だったら辞任に追い込まれるスキャンダルだけれど、政権党の労働者党はなりふり構わず悪行の限りを尽くしている。

昨晩、ブラジル下院でジウマ罷免の投票が行われた。実況生中継でその投票の様子をテレビで見たけれど、日本の国会のように議員が並んで、投票用紙を投票箱に入れるというようなものではなく、州ごとにひとりひとり議員の名前が呼べれ、そのひとりひとりがマイクの前で何か少ししゃべってから、賛成、反対の意思表示をするというとても時間のかかるものだった。それで、最後まで見ないで寝てしまった。今朝、インターネット上にあった4月18日10時45分毎日新聞配信の結果を伝える記事で、賛成票が上回ったので、ひとまず下院は通過して、次は上院での審議になることを知った。まだ先は長いけれど、まずは最初の一歩を踏み出すことができ、ブラジルには自浄能力があるかもしれないと思わせる展開になった。

<ブラジル>大統領弾劾、下院採択 職務停止は不可避

【サンパウロ朴鐘珠】ブラジル下院本会議は17日、ルセフ大統領に対する弾劾決議案を賛成多数で採択した。審議は上院に移る。上院の野党勢力は下院より強く、上院本会議での採択を経て弾劾裁判が開かれる可能性が高い。左派労働党政権は4期目で窮地に追い込まれた。

投票結果は賛成367、反対137、棄権7、欠席2。賛成票は採択に必要な定数513の3分の2(342)を超えた。

報道によると、上院(定数81)で弾劾裁判を開くか否かの採決が5月上旬にある。ここで過半数41人が賛成すれば、大統領は職務を180日間停止される。この期間中に始まる弾劾裁判で、定数の3分の2に当たる54人が賛成すれば、大統領は失職する。

16日現在、上院議員で弾劾に賛成を表明しているのは47人。反対表明は19人。既にルセフ大統領の職務停止は避けられない情勢だ。

職務停止中はテメル副大統領が暫定大統領に就く。弾劾が成立した場合もルセフ氏の残り任期である2018年末までテメル氏が大統領職にとどまる。

決議案は、ルセフ政権が財政赤字を隠し、貧困層への生活保護費や失業保険などを満額給付するため不足分を国営銀行に違法に肩代わりさせたとして、大統領を8年間、公職追放するよう求めている。

ルセフ氏は、肩代わりは長年の慣習で問題ないと反論していた。 この日は弾劾賛成派、反対派が全国各地で集会を開催。参加者はテレビで、議員が議場で1人ずつ短い演説をした後、口頭で賛否を表明する模様を見守った。

2016年4月19日(火)

以下は、4月16日付けニッケイ新聞「コラム 樹海」からの転載。

「悪党には悪党をぶつけるしかない」

「悪党には悪党をぶつけるしかないんだ」――悪の政治学なのか、それとも「実践的なブラジル的政治手法」なのか。11日のTVクルトゥーラの人気討論番組『ローダ・ヴィヴァ』に出演したロベルト・ジェフェルソン元下議の話を聞きながら、不思議なことにある種の清々しさを感じた。政府軍を度々蹴散らしたアントニオ・コンセリェイロの反乱に雲集したカンガセイロの親分たち、パードレ・シセロのもとにはせ参じる百戦錬磨の義賊ランピオンを目の当たりにしたような感じだ▼彼はPTB党首としてメンサロンを最初に内部告発した。PT政権が政府法案を通過させるための票の取りまとめに裏金を受け取っていたと証言し、ルーラの右腕的人物ジルセウらを逮捕にさせ、PT権力永続計画のほころびを最初に作った。7年の実刑判決を受け、この3月に最高裁から免罪されるや、すかさずブラジリア〃伏魔殿〃に参内した。娘に党首を任せていたPTBが大統領罷免に態度保留していたのを、一気に罷免賛成に引き寄せ、ジウマに最後通牒を渡す役割を担った党の一つになった▼ジェフェルソンは同番組で《「最も応援する悪党はクーニャだ」との発言の真意は?》と問われ、こう答えた。《PT勢は権力の中枢を握り、合法、非合法を問わずあらゆる手段を駆使して、〃試合〃(議会運営)を進める達人集団になった。倫理など横において議員の票買収など当り前。表から裏から政府機関を使っていろいろな手を打てる。そんなレベルで試合を進める強敵ルーラに対し、同じレベルに立って一人でも対抗できる悪党はクーニャしかいない。奴ほど議会運営の裏の裏まで知っている人間はいない》。同じリオ選出、古くからの友人ゆえの実戦的な見立てだ。《奴は相手の髪を引っ張り、目んたまに指を突っ込み、噛みついてでも暴れる。ルーラと同じ速さで相手を後ろから撃てる。クーニャは一匹狼のピストレイロ(殺し屋)だが、PTはよく組織された銀行強盗だ》と一気に語った▼さらに《だってFHCにはそんなことはできないだろ。彼は別のレベルの人だ。PTと同じレベルで勝負できない。でもエドゥアルド(クーニャ)は同じ土俵に立てる》。確かに最大野党のはずのPSDBの影が異様に薄いのは、同じレベルで対抗ができる人材がいないからだ。与党のはずのPMDBが、「限りなく野党」の役割を担ってきた▼〃悪党の美学〃の真骨頂はここからだ。《大統領罷免はクーニャの最後の使命だ。これを遂行し終えたら、奴は司法の手に落ちる。疑問の余地はない。下院の罷免投票で、最後の議員がボタンを押したら、あの世への旅路に出発するのさ。時間の問題で、最高裁判断で彼は職責剥奪される》と見ている▼《役割を終えた奴は、冥界と現世を隔てる川を渡す船に横たわり、両目の上に冥銭をおくことになる》とまで言い切った。ローマ時代からあの世に渡る川では渡河料金を払うことになっているらしく、映画でもそんなシーンが描かれることがある。実際に死ぬわけではないから少し大げさだが、「政治家」としての彼は「死罪に等しい」という意味なのだろう▼《でも、今の政権を倒しただけでも、奴はブラジル政治史に名を残したと言っていい。テーメルは大統領になっても絶対に司法に口を出さない。だから、奴には残された時間はとても少ない》。これはあくまでもジェフェルソンの見立てだ。見ごたえのある映画には、必ず個性的な悪役がいる。もしブラジル政界を描く映画が将来できるのなら、個性的な悪役に事欠かないことだけは確かだ。(深)

2016年4月20日(水)

昨日は、午前8時半からめいの去勢手術が行われた。その手術に備えて、月曜日の午後めいの体を洗った後、体を汚させないために寝る前のお散歩に連れ出す以外は、シュハスコ小屋の中で朝まで過ごしてもらった。そして昨日は、朝6時に起床し、私たちの朝食と、はるとひろの朝食とお散歩を済ませた後、朝食を食べてはいけないめいにオシッコとウンチをさせるために、お散歩に連れ出して、7時半を少し回って出発した。エドソンは仕事なので、今回も私ひとりでめいをヴィラ・シーコに連れて行った。ヴィラ・シーコでは手術の同意書に署名したり、ドトーラ・ジャナイーナの質問に答えて、食事は指示通り前日の夕食以来与えておらず、今朝は何も食べていないとか、翌日めいを引き取りに来る時間や段取りを確認してから帰宅した。そして、今朝、ジョアオンの英語のレッスンが終わった後、めいを迎えに行き、ドトーラ・ジャナイーナから明日以降飲ませる薬や、傷に吹きつける消毒薬などの説明を受けて、めいを連れて帰った。ドトーラ・ジャナイーナは少し英語が話せるのだけれど、私もがんばってポルトガル語で話をした。これまでエドソンがいなければどこにも行けない、何もできない私だったけれど、少しずつ自立に向けて、私ひとりでできることを増やして行こうと奮闘努力中。帰宅しためいをシュハスコ小屋に入れると、自発的に奥に置いてあるベッドに入って横になった。痛み止めの薬は飲んでいるけれど、やはり傷が痛むのかな?

そして、食事はもう普通に与えてもいいということだったので、お昼にいつものドッグフードを持って行くと、ベッドから出てきて、きれいに食べてくれた。上の写真は、昼食後にオシッコとウンチに庭の芝生の上まで連れ出しためい。はるの時と同様、お腹の手術の傷を保護するために、服を着せられている。抜糸が済むまで1週間ほどこの服を着ていなくてはいけないのだけれど、はるの服は白で汚れが目立ったけれど、めいの服は濃いピンクなので、多少汚れが目立ちにくいかなと思った。2枚目の写真は、ウンチを2度ほどした後、すっきりしたのか、アメンドインの上でゴロンとして、くつろぎモードのめい。しばらくは長く歩かせたり走らせたりしてはいけないということなので、当分お散歩はなしで、食後に庭に出て、オシッコとウンチをする日々になる。今回のめいの去勢手術にかかった費用は、手術の前に行った血液検査の費用も合わせると850レアル少々。私が現在4人いる生徒さんに英語を教えて得られる1ヶ月分のレッスン料よりもずっと多い。ああ・・・ため息が出る。どうか今後は病気をせず元気でいてね。

2016年4月21日(木)

17日の日曜日の夜、ジウマ大統領への罷免請求が下院で可決された。ジウマ(労働者党)という悪党に、クーニャという悪党が見事に立ち向かって、仕事をしてくれたことに感謝。翌日の会見でジウマは、「投票は不公正なもので激しい怒りを覚えた」とか、「軍政下で生きる方が遥かに辛かった。今、私の夢や権利は踏みにじられている。だが、誰も私の胸の内にある希望を殺すことは出来ない」と語り、「戦いは始まったばかりだ」と宣言したそうだけれど、自分を被害者に仕立て上げて、嘘で塗り固めた、自身の無能、無策の政権運営で、一般の国民の夢がどれだけ奪われたと思っているのだろう?ブラジルの夢を奪った罪は重いというのに・・・。さらに、民主主義に基づく正当な手続きをクーデター呼ばわりする思考形態は異常としか思えない。でも、民主主義というのはとにかく時間がかかるので、今後もどうなるか目が離せない。

4月16日付けニッケイ新聞の『大統領弾劾に王手、その次は?』という記事のサイトは、こちらへ

同じく、4月20日付けニッケイ新聞の『ジウマ罷免審議=下院での投票から一夜明け=上院では段取りの準備開始=大統領は戦闘開始を宣言=テメルは組閣構想はじめる』という記事のサイトは、こちらへ

2016年4月22日(金)

昨日は「チラデンティスの日」で休日だった。でも、英語のレッスン以外は何曜日だから何をするということはなく、毎日が日曜日というか、毎日が平日の主婦の私としては、普段通りに家事があるので、お休みも平日も何だかあまり変わらず、「あれ?今日は休日?」という感じだった。ただ、エドソンは仕事がお休みなので、ワークショップで何かを作っているのか修理をしているのか、午後は居間のソファーでゴロンと横になって、本を読んでいたりと、いつもと違うことをして、気分的にリラックスしているようだった。次の写真は、先日、白い花が咲いたと紹介したモリンガの木。サン・ジョゼ・ドス・カンポスから戻った翌日はまだ無事だったのに、夜の間に葉切りアリに襲撃され、翌朝ほぼ丸裸にされてしまっていた。何故か一枝だけ葉が切り落とされずに無事なので、何とか枯れずに息を吹き返してほしいと願っているところ。私たちの健康維持を助けてくれる大事な大事な木なのに、まったく葉切りアリときたら、憎らしい。いつまでも暑いので葉切りアリの活動が活発すぎて困っている。葉切りアリはありとあらゆる木を襲撃するようだけれど、これまでのところ竹とカエデは襲撃されたことがない。同じ襲撃するならここらにはびこる草のブラキアーリアを襲撃してくれればいいのにと思う。でも、ブラキアーリアは竹の遠い遠い親戚らしいから、やはり竹は嫌いなのかな?

2016年4月23日(土)

次の写真は、2週間ほど前にヒバマーが道の両側の草を草刈り機で刈ってくれた入り口ゲートに向かう道。8日付けで掲載した草ボウボウの状態と比較してもらうと、その違いがわかると思う。うちの手伝いをやめたいと言っているヒバマーは、月に1度でもいいから来てくれないかというエドソンの頼みを聞き入れて、毎週は来てはくれないけれど、時々、来れる時に来てくれているので、まだ何とか助かっている。でも、いつまでそんなふうに続けてくれるかはまったくわからないので、新しい人を探してはいるのだけれど、いまだに見つかる当てもない。

以下は、4月21日付け、ニッケイ新聞「コラム 樹海」からの転載。ニューヨークの国連に行ったジウマは、アメリカのメディアのインタビューに答えて、今ブラジルではクーデターが進行中と言ったそうだけれど、メディアはクーデターが起こっている国の大統領が国を留守にするなんて前代未聞。つまりブラジルは平穏だというような意味合いのニュースを伝えたという。ニューヨークでショッピングを楽しみ、国連で「私は被害者」と訴えて、誰がそんな嘘を信じると思うのだろう?

認めたくないのは分かるけど

17日の下院本会議で大統領罷免審議の継続が認められ、上院での審理への道が開かれたが、ジウマ大統領は相変わらず「あれはクーデターだ」「私は被害者」と言い続けている▼大統領は19日も、国外メディアの記者を前に「民主的な手続きで選出された大統領を理由もなく追放する行為はクーデターで、罷免は非合法」と繰り返した。参加中止の予定だった国連の会議に参加すると言い出したのも、「あれはクーデターで、私は被害者」と訴えるためだという▼誰であれ、ミスを指摘され、批判されれば辛い。まして、一国の大統領が「はい、そうですか。では辞めます」というのは簡単ではないし、伯国経済の落ち込みは彼女一人のせいではない。だが、為政者が時の流れを読み違え、失政を重ねた上、経済指標などを操作し、国民の目をごまかしていたとあれば、その責任は重い▼軍政下での拷問にも耐え抜いた女性闘士が「爪をたて、噛みついてでも任期を全う」と言い続ける姿には、統治能力を失った事さえ分からない為政者の悲しい現実が覗いている。一国の大統領だからこそ、引き際はきれいであれと願い、潔さを求めるのは日本人故の感性か▼罷免手続きを「弾劾裁判」の言葉に置き換えるなら、下院から上院への罷免審議継続請求は「検察からの起訴」、罷免特別委員会がこの請求の受け入れを勧め、本会議が承認したら「起訴状受理」だ。この時点で大統領は休職となり、上院が起訴状の内容を認め、実際の審理に入る段階で大統領は被告となる。審理進行は最高裁長官が担当し、上議の3分の2が賛同すれば大統領罷免で結審だ。ジウマ氏はこの重圧に最後まで耐え切れるか。(み)

2016年4月24日(日)

めいの去勢手術が済み、家に連れて帰った当日は気がつかなかったのだけれど、めいが着ている服にヴィラ・シーコのロゴが入っていることに翌日気づいた。次の写真は、その服の右側についているロゴをアップで撮ったもの。既製品ではなく、自分のところのロゴ入りの服を特注して用意しているなんてすごいなあと思った。

めいをずっと陽の当たらないシュハスコ小屋の中に閉じ込めておくのも可哀想だと思い、先日からお昼のお散歩が終わった後、外ベランダにベッドを移して、はるのリードとめいのチェーンをつないで、少し動き回れるようにした。手術予定日前日の午後まで、めいは首輪をちゃんとしていたのだけれど、どこでどうやって外したのか、夕方見るとなくなっていて、以来、めいを連れ出す際は、はるのリードを借りて使わなくてはならなかった。でも昨日、エドソンが買い物に行った際、新しい首輪を買ってきてくれたので、はるのリードを借りなくてもよくなった。

2016年4月25日(月)

土曜日のお昼前、食料品の買い出しから戻ったエドソンが、庭の桜が咲いているというので、めいとのお散歩の後、見に行ってみると、4本の桜の木のうちの東側の2本の枝先数本にほんの少し花が咲いていた。夏のように暑い日々なのだけれど、これから本格的に咲き出すのか、早とちりな花が間違って咲いてしまったのかはわからない。でも、今からこんな状態だと、どうも今年は去年のように7月の末頃一斉に花が開く綺麗な光景はみられないかもしれないと心配している。

2016年4月26日(火)

次の写真は、この土曜日の午後、エドソンが草刈り機で芝刈り作業を始めたのでその勇姿を撮ったもの。私が手鋏みで切ってからそんなに月日が経っていないのに、芝生がまたずいぶん伸びてきていたので、切り残した部分も合わせてついでに刈ってしまおうと、やり始めたところ。草刈りをする際に飛び散る草から身を守るために、プラスチックのフェイスカバーをして、ゴム製の長いエプロンをしている。この草刈り機はガソリンで動くのだけれど、結構重くて、大変な作業。でも、頼りのヒバマーがなかなか来てくれないので、意を決してやることにしたようだ。

さすがに草刈り機だと手作業で切るよりも短時間でできるものの、全部刈り取る前に、プラスチックのブレイドがすり減って終わってしまい、やはり向こう側は少しやり残してしまった。次の写真は、作業が終わった直後に撮ったもの。作業の終わったエドソンは汗をびっしょりかいて、シャツや半ズボンは草だらけになっていたので、そのまま家の中に入ると、家の中にその草が落ちて汚れるので、玄関先でシャツと半ズボンを脱いでもらって、シャワールームに直行してもらった。全体が刈り取った草で被われてしまっているため、翌日の日曜日の朝、この刈り取った草をザザッと熊手で掃き集めて捨てる作業をした。

2016年4月27日(水)

ここでは強い風が吹き荒れると、お天気が変わる前触れ。この月曜日にほぼ1日中北からの強い風が吹いたので、この先1週間の天気予報を見てみると、火曜日は朝から雨で、水曜日から徐々に気温が下がるような予報になっていた。そして、ほぼその予報通り、日付が月曜日から火曜日に変わったくらいから雨が降り出し、朝食が終わるまでには一旦止んだもののお昼前後からまたパラパラと降ったり止んだりが続き、夜は風も雨も強まり、10時頃また停電してしまった。停電はちょっといただけないけれど、ほぼ1ヶ月ぶりの恵みの雨には感謝。雨のお陰で気温も下がり、真夏の暑さから解放され、ほっと一息という感じ。昨日は午前中めいをヴィラ・シーコに連れて行って抜糸をしてもらった。これでめいは晴れて自由の身になった。こちらもほっと一息。次の写真は、ヴィラ・シーコの診察室でドトーラ・ジャナイーナに抜糸をしてもらっているめい。右側でめいを抱きかかえて手伝ってくれているのは、ドトーラのお母さん。

次の写真は、抜糸が終わり、めいを連れて帰る前に、ヴィラ・シーコの受付でみなさんを撮ったもの。右側のめいを抱いている女性がドトーラ・ジャナイーナ。真ん中は平日だいたいいつも受付にいる女性。ドトーラのお母さんが受付をしていることもあるけれど、この女性がいることの方が多い。左側はドトーラのお母さん。抱っこしている犬は、この時ちょうど来ていた他のお客さんの犬。ドトーラの白衣の左袖や、受付の女性のピンクのポロシャツの胸に、ヴィラ・シーコのロゴマークが見える。ここでははるもひろもめいも、みなさんにとても良くしてもらっているのだけれど、年々料金が値上がりしているので、留守をする際のお泊まりは仕方がないとしても、なるべくみんなには病気でお世話にならないように、元気でいてほしいと願っている。

2016年4月28日(木)

次の写真は、水曜日のお昼前に撮った我が家の入り口ゲート前の道路。月曜日にトラクターか何かが来て、ガーガーとすごい音を立てて作業をしているようだったので、夕方お散歩のついでに行ってみると、左側にあったマタブフォという牛に境界線を越えさせないためのコンクリートの橋のようなものの位置が高くなっていて、土が盛られて坂ができていた。砂利ではなくただの土を盛ると雨が降った後、ドロドロになって困るし、マタブフォの前後には水たまりができやすいのに、マタブフォを高くして坂を作ると、自然の法則で水が低い部分に流れてたまるんじゃないかと心配していたら、やはり火曜日の雨で、うちの入り口ゲートのちょうど正面辺りにかなりの範囲で水がたまってぐちゃぐちゃになっていた。何故マタブフォを高くする必要があったのか?土に砂利を混ぜることなく、わざわざ高低差をつけて低い所に水がたまるようなことをどうしてしたのか理解に苦しむ。それでなくてもうちの前の道路は、雨が降ると水たまりがいくつもできるので、ヒバマーや私が何度もレンガの破片や石ころなどを入れて穴を埋める作業をしてきているのに、その努力を無にするような作業が行われたことに困惑している。ちなみに写真の左側に写っているのは、めい。

2016年4月29日(金)

昨日は、広島の母の90歳の誕生日だった。兄夫婦がお花を持ってお祝いに行ってくれ、様子をメールで知らせてくれた。最近は昼間も食事の時間以外は介護施設の自室で横になってウツラウツラしいることが多く、兄が会いに行くと、驚いた顔をしたり、とてもうれしそうな顔をしたり、兄が帰る際は泣きそうな顔になったりして、感情はごく正常に働いているようだけれど、言葉数はずっと少なくなり、だんだん弱ってきているのだろうなと思われる。無理もない。父は90歳の誕生日の半年前に旅立ってしまったけれど、母はそれよりも頑張っているのだから。昨年兄が送って来てくれた母の写真に向かって、寂しくなったら夢で会おうね。お迎えが来るまでは元気でいてね。でも、お迎えが来てくれたら迷わずに一緒に逝ってもいいからねと毎日話しかけている。

先日、庭の白いポインセチアが咲いているのに気づいた。派手な赤い色だと強く視界に飛び込んでくると思うのだけれど、糸杉の後ろに隠れるような位置に生えていることに加え、ちょっと肌色のような白い穏やかな色なので、「あれっ?」という感じで二度見をして、「ああ~」と気づく始末。今回は前回よりも大小様々な花をたくさんつけている。ひょろひょろとした木だけれど、強い風が吹いても倒れずに、がんばっている。

2016年4月30日(土)

先月だったか庭のオレンジの木に実がなっているので、もうそろそろ収穫できそうと書いたけれど、何だかバタバタしていてすっかり収穫するのを忘れてしまっていた。めいの去勢手術が済んで、ちょっとほっとしたら、エドソンが忘れていたと言って、たくさんオレンジを収穫して来てくれたので、ああそうだったと思い出した。それで先週からせっせとオレンジを収穫して、毎日少なくとも朝とお昼にジュースを飲んでいる。次の写真は、その搾りたてのオレンジジュース。

だいたい毎日この写真のように約1.5リットルずつくらい搾って、エドソンとふたりで飲んでいる。でも、オレンジをたくさん収穫して箱に入れ、台所に置いておくと、ひとつ問題が発生することを発見。ひろが箱から小さめのオレンジを口にくわえて、ケージな中に持って入り、食べようとするのだ。何度も注意したのだけれど、ボールをかじる感覚でオレンジをかじろうとするのか、隙を見てはその行動を繰り返すため、別の箱でふたをした。それでもひろは諦めずに、そのふたをうまく開けて取り出したりするので、エドソンとふたりで呆れている。オレンジをかじっても皮の部分はおいしくないと思うのだけれど、一度そのおいしくない味を経験させないとこの行動は止まらないのかなあ・・・?次の写真は、収穫して台所に置いたオレンジ。写真を撮るためにふたを外した状態のもの。



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