Kyoko Yoshida | Life in Brazil | BLOG |
2016年3月1日(火) | ||||
カンピーナスのヴィラ・コッポス空港からサンタ・カタリーナ州のフロリアノポリスまでの飛行時間は、1時間15分。ブラジリアへの飛行時間よりも少し短い。前回のブラジリア往復で利用した航空会社はタム(TAM)航空だったけれど、今回はアズーウ(Azul)航空を利用。アズーウはポルトガル語で青という意味なので、キャビンアテンダントの人たちの制服はみな青で、飛行機の機体も青のデザインが普通なのだけれど、この便は乳がん啓発のピンクリボンが機体に描かれていて、特別仕様のピンクのデザインになっていた。次の写真は、往路、カンピーナスの空港でフロリアノポリス行きの飛行機に乗り込むところ。2枚目の写真は、復路、フロリアノポリスの空港からカンピーナス行きの飛行機に向かっているところ。2枚目の写真の青いデザインの機体が普通のもの。
次の写真は、エドソンが講演をする国際会議の会場となっているオセアニア・コンヴェンション・センター。フロリアノポリスの北東のPraia do Ingleses(イングレーセス海岸)地区にあり、ホテルを併設している。ただ、ここのホテルは料金がとても高いので、私たちはここから30分くらい離れたPraia de Canasvieiras(カナスヴィエイラス海岸)地区のホテルに泊まった。
2月28日から3月2日までの4日間、1枚目の写真のバナーにあるように、ここでは3種類の会議が同時進行で開催されていた。この3種類の会議がどのように関わり合っているものなのかはよくわからなかったのだけれど、午前中と午後それぞれ1回あるコーヒーブレークや、毎日の昼食、初日夜の歓迎カクテル・レセプション、3日目夜のガラ・ディナーなどは3つの会議の参加者が一堂に集まるので、ずいぶん混雑してにぎやかだった。エドソンが講演したのは、2枚目の写真のバナーにある「第2回IAAラテンアメリカ・キューブサット・ワークショップ」。IAAというのは何の略なのか聞き忘れたのでわからない。キューブサットというのは超小型衛星のこと。このワークショップは昨年11月にブラジリアで会ったブラジリア大学のシャンタウ(シャンタウ・カペレッティ教授)と、サンタ・カタリーナ連邦大学のエドゥアード・アウグスト・ベセハ教授とクレベー・ヴィエイラ・デ・パイヴァ教授がオーガナイザーとして、計画準備したものだった。このワークショップの科学委員会には12~3ヶ国の大学の教授が名前を連ねており、その多くが講演をしていたので、さしずめ学術ワークショップという感じだった。
それでエドソンは、初日の午後予定されていた3つの講演の最後の講演者として、「アマチュア無線と衛星通信」と題した講演を行った。講演者はみなどこかの大学の教授だったりするので、エドソンの存在は異色で、いろいろな人たちからどこの大学の所属かと聞かれていた。その都度、自分はブラジルアマチュア無線協会と、その中のアムサット・ブラジルのプロジェクトを代表しており、国際アマチュア無線連合の中の衛星周波数調整委員会のメンバーとしてもここに参加していると説明していた。次の写真は、その講演の様子を撮ったもの。どの講演でもワークショップでも、みな時間通りには集まってはこず、バラバラとやって来るため、時間の経過とともに聴衆が増えて行くところは如何にもブラジルだなと思った。ちなみにこのワークショップは国際会議なので、講演や発表、質問などはすべて英語だった。
次の写真は、講演が終わった後、入れ替わり立ち替わりやってくる人たちと立ち話をするエドソン。このワークショップにはブラジル国軍の衛星通信プロジェクトにかかわる将校さんたちも来ていて、エドソンの講演の後、結構長い時間エドソンと話していた。左からそれぞれ陸軍、空軍、海軍の制服を着た軍人さんたち。
次の写真は、初日夜の歓迎カクテル・レセプションの際、エドソンと話し込んでいるサンタ・カタリーナ連邦大学の衛星プロジェクトに関わっている院生の人たち。左側の人はコロンビアからの留学生で、真ん中は修士課程で学んでいるマリオ。今回このワークショップの間、毎晩彼が私たちをホテルまで車で送ってくれ、とても助かった。
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2016年3月2日(水) | ||||
次の写真は、私たちがフロリアノポリスで泊まったホテル・カナスヴィエイラスを正面から撮ったもの。正面の向かって右側の2階の部屋が私たちが泊まった部屋。このホテルの通りの向かい側や横にはバーやお店があって、夜中を過ぎても外から人の話し声やにぎやかな音楽などが聞こえてきて、少々うるさい場所だった。フロリアノポリスは観光地なので、全体的にホテルの料金は高いようで、ブラジリアで利用したホテルよりも部屋が狭く、アメニティも十分ではなかったのに料金は高かった。このホテルは海岸まで2ブロックほどで、歩いて行ける場所にあるのだけれど、部屋から海が見えないなどのマイナス点もあり、海岸沿いのホテルよりも料金は安いということだった。そして、私たちが泊まったこのホテルだけでなく、フロリアノポリスはアルゼンチンからの観光客であふれていた。現在、レアル安で安く旅行できるのと、アルゼンチンの海は夏でも水が冷たいらしく、ブラジルのビーチリゾートでバカンスというのがアルゼンチンの人たちの間で人気らしいということだった。2年前、日本に一時帰国した際、東京で泊まったホテルでは中国人観光客があふれていて、朝食の際、食堂では中国語が飛び交っていたけれど、このホテルの食堂ではスペイン語が飛び交っていた。
次の写真は、2日目、29日のワークショップでの一コマ。右側でマイクを持って話しているのは、3人のオーガナイザーのひとり、サンタ・カタリーナ連邦大学のクレベー・ヴィエイラ・デ・パイヴァ教授。もうひとりのオーガナイザーであるブラジリア大学のシャンタウは現在妊娠中で、このワークショップのためにフロリアノポリスに発つ直前に具合が悪くなり、ドクターストップがかかって来れなくなったので、再会することはできなかった。
フロリアノポリスでの3日間は、エドソンがワークショップに参加して、できるだけたくさんの人たちに出会って話すことが主な目的だったので、観光などしている時間はまったくなかった。でも、せっかく新鮮でおいしいシーフードが食べられることで有名なフロリアノポリスに来ているのだから、2日目の夕食には、ホテルからあまり遠くない海岸沿いのシーフードレストランに行った。午後9時近くで、とても疲れていたのだけれど、何も食べずに空腹で寝るわけにも行かないので、ホテルから5ブロックほど離れたカナスヴィエイラス海岸地区の中心部まで歩いて行って、ホテルで聞いたお目当てのレストランに到着。ブラジルの人たちの夕食の時間は結構遅いのだけれど、アルゼンチンの観光客も夕食は遅くならないと食べないのか、午後9時近くだというのに、お店はまだガラガラだった。
このレストランは、海岸のすぐ側で、波の音が聞こえ、吹く風が気持ちのいい場所にあった。次の写真は、レストランのテーブルから海岸を撮ったもの。
とにかくおいしいシーフードが食べたかったので、ムケッカを頼んだ。次の写真は、食事が運ばれてきてテーブルに並べられたところを気のいいお店のおじさんが、撮りましょうか?と言って、撮ってくれたもの。二人共疲れていて、目がうさぎのように真っ赤っ赤。
このムケッカにはイカ、エビ、オイスター、ムール貝などたっぷりのシーフードと、ピーマン、玉ねぎ、トマトなどの野菜が入っていて、ココナツの味があまり強くなく、程よい感じでとてもおいしかった。これにご飯と、フレンチフライと、サラダがセットになって付いてくるので、二人だけではちょっと食べきれない量だった。ブラジルのレストランで出される料理は1人前ではなく、復数人前なので、このムケッカは4人で食べても十分な量だった。エドソンがカイピリーニャを2杯、私がライムジュースを1杯飲んで、サービス料を入れて、支払いは150レアル。二人の食事にしてはちょっと値が張ったけれど、とてもおいしかったので大満足。そして、ワークショップでずっと座り続けだったので、レストランを往復するのに歩いたのが良かったようで、体の痛みが少し軽くなり、この日の晩はよく眠れた。
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2016年3月3日(木) | ||||
ワークショップ2日目の29日の午後一番で、日本のジャムス(JAMSS=有人宇宙システム株式会社、Japan Manned Space Systems Corporation)という会社の発表が予定されていたのだけれど、直前になってキャンセルになった。オーガナイザーの人に理由を聞くと、ブラジルのジカ熱を恐れて、日本政府から行くなというお達しがあったからと連絡があったという。でも、東京大学の教授の発表に合わせて、3人ほど東京大学の学生さんが参加していたので話を聞くと、「僕達は行くななんて言われなかったけど?」と、不思議がっていた。次の写真は、その3人の学生さんたち。右から航空宇宙工学専攻で中須賀研究室の博士課程で勉強中の五十里(いかり)さん。真ん中は、中須賀研究室の学生さんではないのだけれど、現在1ヶ月間の交換留学でサンパウロ総合大学(USP)に来ているので、近くだから来なさいと言われて参加したという修士課程の学生さん。左端は、中須賀研究室の学部生さん。JAMSSという会社は筑波にあって、ITAやブラジリア大学の衛星プロジェクトの衛星をNASAから打ち上げるのを手伝っている関係で、ワークショップへの参加を招請されたようだった。このワークショップには海外からたくさんの参加があったけれど、その中でJAMSSが唯一参加をキャンセルしたことになる。
3日目の3月1日の朝一番で、東京大学の航空宇宙工学専攻の中須賀教授のワークショップがあった。教授はブラジルに来る前にアラブ首長国連邦での会議に出て、29日の夜フロリアノポリスに到着するということで、当日まで会って話ができないため、前日に前もって学生さんたちと話して、当日のワークショップの前に少し時間をもらって話がしたいとお願いしておいた。そうしたら、学生さんたちはちゃんとそのことを先生に伝えておいてくれ、1日の朝ワークショップの前にエドソンは教授と話をすることができた。中須賀教授の発表は「From Education to Practical Applications of Micro/nano/pico-satellites in Japan Starting from Cubesat」というもので、ワークショップの中で、衛星プロジェクトにはアマチュア無線家との連携、協力が不可欠だということに触れてほしいというのがエドソンからの要望だった。教授はその要望に同意して発表の中で3度も繰り返し、その重要性を強調してくれたということだった。中須賀教授の発表は簡潔で分かり易くて、とても良かったとエドソンは感心していた。でも、エドソンが前の晩、携帯電話のバッテリーの充電をし忘れたので、私はワークショップには出ずに、会議場の外でバッテリーの充電をしたので、教授の発表を聞くことはできなかった。
次の写真2枚は、中須賀教授の発表の様子を撮ったもの。教授の英語でのコミュニケーション能力はかなり高く、発表の後のコーヒーブレークや昼食時にも、様々な人たちが彼を捕まえて話し込んでいた。教授はワークショップの科学委員会のメンバーに名を連ねてもいる。メンバーはみな欧米や南米の大学や研究機関の人たちばかりの中、唯一域外の日本からの異色のメンバーという感じだ。中須賀教授は、衛星通信におけるアマチュア無線の重要性をとても良く理解しておられ、それが証拠に、学生には最低限アマチュア無線の3級のライセンス(一番初歩的なレベル)を取得することを義務付けているということだった。そして気さくな方で、エドソンに東京に来たら連絡をくださいと言っていた。それにしてもこの先生のスケジュールはかなりの強行軍で、29日の夜遅くにアラブ首長国連邦からサンパウロ経由でフロリアノポリスに到着後、翌日の朝一番でワークショップをして、昼食後の午後2時には会場を出て、フロリアノポリスからサンパウロに向かい、その夜ないし翌日に、サンパウロ総合大学を訪問し、さらに次の日はサン・ジョゼ・ドス・カンポスのブラジル国立宇宙調査研究所 (IMPE)に行って、衛星プロジェクトの人たちと会い、翌日は日本に向けて出発するというような日程だった。国際的に活躍する教授のスケジュールというのはこういうものなのかな?体力があり元気でないととてもできないと思った。
次の写真は、3日目の夜のガラ・ディナーの際に撮ったマリオとエドソン。サンタ・カタリーナ連邦大学の修士課程で学ぶマリオは、エドソンからできるだけ多くのことを吸収しようと、時間を見つけては毎日のようにエドソンと話し込んでいた。そして、毎晩、私たちをホテルに送ってくれ、2日の朝は、私たちをフロリアノポリスの空港まで送ってくれ、とてもお世話になった。年齢は30歳で、エドソンの話によると、何かの装置を製造販売する会社も経営しているのだとか。おしゃぺりでおもしろい人だけれど、とても真面目な人という印象も持った。
次の写真は、左からマリオの先生で、マリオがぜひエドソンを会わせたいと言っていたエドゥアード・アウグスト・ベセハ教授、マリオ、そしてエドソン。この教授は現在1年間ほど研究のためにフランスに滞在中で、このワークショップのためにフランスから一時戻って来ていたらしく、限られた時間の中で、とても忙しそうにしていた。ガラ・ディナーが始まる前に少し立ち話をして、食事が始まってから、私たちのテーブルにやってきて、食事をしながらようやくじっくり話すことができた。
次の写真2枚は、ガラ・ディナーの会場を撮ったもの。午後8時からテーブルでワインが供され始めたのだけれど、食事はまだまだ始まらない。
そうするうちに、8時45分くらいから男女のダンサーが入場してきて、踊りが始まった。まず、黒ずくめの衣装の男女のタンゴから始まり、白い衣装の男女に代わって、サンバによる余興で盛り上がった。アルゼンチンでもないのに、タンゴ?と不思議に思っていたら、エドソンいわく、ブラジルの南部3州は、それ以外のブラジルの文化とはちょっと違う文化を持っていて、よりヨーロッパ的なんだとか。だからタンゴはアルゼンチンだけではないんだと言っていた。この踊りの余興が終わり、9時からようやく食事が始まった。
次の写真は、ブラジリア大学の学部生で、サンパウロ州出身の日系3世のイゴール・セイイチ君。シャンタウからワークショップの様子を写真に記録するように言われていたらしく、毎日カメラを持って忙しそうに会議場を行ったり来たりしていた。彼は去年、ブラジリア大学の衛星プロジェクトの衛星を筑波のJAMSSを通じて打ち上げるために、2週間ほど日本に行き、東京と筑波でそれぞれ1週間ほど過ごしたと言っていた。初めての日本だったのだけれど、また行きたい。できたら、東大の中須賀教授の研究室で修士課程をしたいと話していた。若いって、いいなあ・・・。夢があって、いいなあ・・・。と、何人もの若い人たちと話しながら思った。
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2016年3月4日(金) | ||||
サンパウロ州の南にはパラナ州、サンタ・カタリーナ州、ヒオ・グランジ・ド・スーウ州という3つの州があり、南部3州と呼ばれている。その真ん中のサンタ・カタリーナ州の州都は、大西洋上にあるサンタ・カタリーナ島、つまり、フロリアノポリス。南部3州は、ブラジルの中でもちょっと異色で、ブラジルというよりも雰囲気はヨーロッパに近いと言われている。ドイツ系の移民が多く、次に多いのがイタリア系のようで、日系はパラナ州以外はとても少ない。サンタ・カタリーナ州の人種構成は、白人が86.96%、混血が9.98%、黒人が2.72%、アジア人が0.25%、インディオが0.09%とウィキペディアにある通り、他のブラジル諸州とは一味違って、黒い膚の人たちが少ない。ただ、私たちはホテルと会議場を往復するだけで観光をしていないので、フロリアノポリスの印象は?と聞かれても、何とも答えられないというのが正直なところ。ただひとつはっきりと印象に残ったことは、アルゼンチンからの観光客であふれていたことと、夜、フラフラと歩いても危険を感じることなく、安全だったこと。治安はかなりいいという印象だった。リオデジャネイロでの総領事館主催の夜のイベントに参加する際、安見さんご夫妻は、1ブロックしか離れていない駐車場から歩くのさえ危険だからと、ペトロポリスからリオのショッピングモールに行き、そこに車を駐車して、そこからタクシーで会場まで往復すると、以前言っておられたので、ずいぶんと環境が異なると思った。 フロリアノポリスは私たちが行く前日まで暑かったらしいのだけれど、私たちが着いた日から気温が下がり、とても気持ちよく過ごしやすかった。でも、会議場は冷房がガンガンに効いていて、寒かったので、半袖Tシャツの上に薄い上着を着ていても寒く、念のためと思って持参していた麻のショールを肩から羽織っていても寒くて、結局、私は喉がイガイガしてきて風邪をひいてしまった。ここ数年風邪をひかずに元気に過ごしていたのに、こんなところで風邪をひくかと、少々がっかり。それでフロリアノポリスの空港で風邪薬を買って飲んだので、疲労と相まって帰路は眠くて仕方なかった。カンピーナスの空港からは私が車を運転したのだけれど、後30分で我が家という辺りで眠気に勝てなくなり、エドソンに運転を代わってもらった。 ヴィラ・シーコに10日ほど入院して、すっかり元気を回復しためいと、4泊5日でお泊まりをしたはるとひろを迎えに行き、一緒に家に連れて帰った。家に帰る前に、ヴィラ・シーコでみんなシャンプーをして体をきれいにしてもらったので、みんなシャンプーのとてもいい匂いをさせていた。次の写真は、シャンプーをしましたということを示すリボンを首につけて家に戻ったはるとひろ。
帰宅して、めいには夜の間はシュハスコ小屋に居てもらおうと、シュハスコ小屋に入れたのだけれど、元気を回復したのと、体の大きさはひろたちと変わらなくても、足が長いので、柵を飛び越えることができることがわかり驚いた。気がつくと、いつの間にか以前のようにベランダに来て座っているので、写真のようにリードをつけたのだけれど、エドソンがリードも外して自由にさせようと言うので、以後はずっと自然児そのもので、めいは外で自由にしている。ヴィラ・シーコでめいもシャンプーをしてもらったのだけれど、めいは何故か首にリボンをしてもらっておらず、頭と耳にビーズのようなものを着けてもらっておしゃれをしている。
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2016年3月5日(土) | ||||
水曜日の夕方はるたちをヴィラ・シーコから連れて戻り、みんな元気にしていたのに、夜中を過ぎた頃から、1時間おきにひろが起きて嘔吐し続けたため、まったく休めなかった。ただ、翌日の木曜日の朝ご飯は何とか食べて、嘔吐もせず、比較的元気なので、しばらく様子を見ることにした。お昼は食欲がないようで食べなかったものの、夕食は少し食べて、相変わらず嘔吐はしなかったので、大丈夫かな?と、安心したのもつかの間、また夜中を過ぎて、1時間おきに嘔吐して、夜明け前くらいから下痢まで始まり、吐瀉物の中に血液が混じるようになり、下痢も血液が混じっているのか黒っぽいので、金曜日の朝、ひろをヴィラ・シーコに連れて行って診てもらうことにした。でも、朝一番のオシッコに連れ出す前に、ひろは食堂で大量のオシッコをして、それを掃除している間に玄関先で下痢をして、それを片付けている間に、水を飲んで居間で嘔吐。次から次へと問題が発生して、金曜日の朝はほとほと困った。ヴィラ・シーコではドトーラ・ジャナイーナの準備ができるまで待合室で待っている間に、ひろはまた下痢をしたので、うまい具合にそのウンチを調べてもらうことができたのは不幸中の幸だった。顕微鏡で見ると、バクテリアがうじゃうじゃいることがわかった。ひろは生まれつき肝臓が弱いはると違って、体は丈夫なのだけれど、はるよりも精神的に弱いというかセンシティヴなところがあって、突然めいが現れて興奮していたら、めいが病気になりヴィラ・シーコに入院したため、突然いなくなり、私たちがフロリアノポリスに行くので彼らをヴィラ・シーコに預けて、迎えに行ったら、また突然めいが現れという、ここ3週間ばかりの環境の激変にストレスがたまったのではないかというのが、ドトーラ・ジャナイーナの見立てだった。それで、2種類の注射を打ってもらい、さらに点滴をしてもらって、一晩入院することになった。でも、これまでひろはひとりぼっちで寝たことがないので、はるも一緒に寝かせることにして、ヴィラ・シーコに2匹を預けて、私たちは帰宅した。土曜日の午前中、エドソンがヴィラ・シーコに電話をして、ひろの様子を聞くと、嘔吐は止まり、食事も少しずつできるようになってきているけれど、下痢がまだ少しあるので、もう一晩様子を見た方がいいという言うことで、土曜日もお世話になることになった。私が風邪をひいて体調を崩している上、水曜日と木曜日にひろの嘔吐で寝ることができなかったので、フラフラになっていたのだけれど、ひろを入院させたので、金曜日と土曜日はしっかり休むことができ、まだ完全に風邪から脱出していないものの、だいぶ体が楽になったのはありがたかった。 | ||||
2016年3月6日(日) | ||||
以下は、3月4日(金)22時28分AFP=時事配信で、インターネット上にあったニュースからの転載。このニュースはNHKのニュースでも大きく取り上げていたけれど、ブラジルの現状をよく理解していないようで、ルーラ元大統領が警察に身柄を拘束されたことを否定的に捕らえるような内容だった。でも本当はその逆で、これまでできる限りの政治的影響力を駆使して逮捕を免れようと、事情聴取にも応じていなかったルーラに、とうとう事情聴取をしたのだから、一歩前進なのだ。そして、このことはブラジルの司法の独立を示していて、自浄能力がある可能性を示しているため、株式市場はこれを好感して、株価がぐんと上がった。ルーラとジウマと労働者党を政権から追い出すことができれば、それだけでブラジルの経済が好転する可能性があるので、とてもいい展開なんだけどなあ・・・。メディアよりも市場の方がよっぽどブラジルの現状を理解しているなと思った。
【AFP=時事】大規模な汚職スキャンダルを捜査しているブラジルの連邦警察は4日、ルイス・イナシオ・ルラ・ダシルバ(Luiz Inacio Lula da Silva)前大統領の自宅を家宅捜索し、事情聴取のため同前大統領の身柄を拘束した。当局者らが述べた。 ダシルバ前大統領の広報担当者によると、連邦警察はサンパウロ(Sao Paulo)にあるダシルバ前大統領や家族の自宅などを家宅捜索した。 「洗車作戦(Operation Car Wash)」として知られる一連の捜査により、国営石油会社ペトロブラス(Petrobras)を中心とする多数の横領疑惑や贈収賄疑惑が明るみに出ている。【翻訳編集】AFPBB News | ||||
2016年3月7日(月) | ||||
日曜日の朝、エドソンがヴィラ・シーコに電話をしてひろが退院できることを確認してから、お昼前にひろたちを迎えに行った。ひろはまだ4日間、木曜日まで薬を飲まなくてはいけないのだけれど、下痢もほぼ止まり、普通のドッグフードが食べられるようになって、元気を回復していた。帰宅して、3匹にお昼を食べさせた後、午後からアマチュア無線関係の来客があったので、はるたちにはシュハスコ小屋にしばらく入って居てもらうことにした。次の写真は、シュハスコ小屋の外にいるめいが気になるものだから扉のところでクンクン泣いているはるとひろ。そうこうしていると、頭のいいめいが高さの異なるレンガの塀伝いにシュハスコ小屋に入る方法を見つけてしまい、中に入ってきて3匹が激しい戯れ合いを開始したので、仕方なくはるとひろを家の中に戻さなければならなかった。めいはヴィラ・シーコに入院して元気を取り戻してから、一度目の予防接種をしてもらってはいるのだけれど、二度目はまだだし、自由にそこらじゅうを走り回っている分、体が汚れているので、なるべくはるたちと密接に戯れ合わせたくないので仕方がない。今回のめいの入院治療と、私たちの旅行中はるとひろをお泊まりさせ、戻った途端のひろの入院治療で、だいたい予想してはいたのだけれど、総額2826.40レアルの支払いとなり、フロリアノポリスへの旅費と合わせて、家計にはかなりの重い負担になった。とほほ・・・。でも、はるとひろは私たちの大事な家族だし、迷子のめいも放っておくことができなかったのだから、仕方がない。お金は天下の回りもの。しがみついていたら流れが滞って、入ってくるものも入ってこなくなると考えようと思っている。
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2016年3月8日(火) | ||||
お隣のウィリアムの所にこの週末来ていたブルースさんに、エドソンが土曜日の午前中、スーパーに買出しに行った際ばったり出会い、日曜日はウィリアムがサンパウロに行き、ひとりになるというので、エドソンは彼をうちに招待した。この人はブラジルのMITと言われているITA(航空宇宙技術研究所)出身で、通信用のディッシュアンテナの製造販売をする会社を経営していたのだけれど、最近、価格の安い中国製との競争に勝てなくなったので、会社を閉めて、すべてを売り払って、ヨーロッパか北米への移住を考えているのだという。エドソン同様アマチュア無線が趣味で、エドソンがやっている衛星通信のような高度な技術面に特に関心が高いので、エドソンとはとてもよく話が合うらしい。この人はこれまでいつも自家用ヘリコプターを自分で操縦してここに来ていたのだけれど、そのへリコプターも売ってしまったのか、今回は自家用車で来ているということだった。サンパウロではモルンビーという高級住宅街に住んでいるのだけれど、回りはファベイラ(貧民街)に囲まれているため、一歩外に出ると、とても治安が悪いのだと言っていた。彼には9歳になるひとり息子がいて、サンパウロで一番と言われているとてもいい学校に通わせている。でも、家と学校の往復には、2つのファベイラの間を通らなければならないため、防弾ガラスを装備した車で息子を送り迎えしている。日本人の感覚からするととても大げさな感じがするけれど、以前、何度も強盗に襲われたことがあり、一度は奥さんが誘拐されたこともあるらしいので、身の安全を確保するためにはそこまでしないといけないのだろうと思う。うちのご近所の竹のファゼンダを所有しているドナ・ベティもすごいお金持ちなので、サンパウロでは常にボディーガードがついているらしいのだけれど、ブラジルのお金持ちというのは不自由このうえないなあと思う。ただ、ブラジルのお金持ちというのは、日本のお金持ちとは比較にならないほどスケールが大きいので、仕方のないことなのかなあとも思う。
日曜日の午後、何時間もエドソンと衛星通信のことなどで話し込んだ後、夕方になり、エドソンが夕食にも招待したというので、今うちにある材料で、一番簡単にできるローストポークとサラダを用意した。一旦ウィリアムの家に戻って、シャワーを浴びてさっぱりしてから再度やって来て、3人で食事をした。一人息子の将来をとても心配していて、ブラジルの低迷する経済と、混迷する政治に嫌気がさして、ブラジルの将来にまったく希望が持てないから移住ということを真剣に考えているということだった。でも、サンパウロのモルンビーが危険なら、現在息子さんが通っているのと同等にいい学校のあるカンピーナスの安全な所に引っ越すという方法だってあるのに、どうして話がそんなふうに飛躍するのだろう?と、私たちには少し理解しがたかった。私たちのような普通の人間は、まったく関係のない国に移住するためのビザを簡単に取得することはできないけれど、すごい資産を持ったお金持ちはどこの国だろうと、簡単に移住ビザを取ることができるので、こういう考え方になるのかなあ・・・?と思ったりした。ちなみにこの人は2世で、お父さんはハンガリー出身なので、ヨーロッパのパスポートも持っているため移住は簡単なことらしい。 | ||||
2016年3月9日(水) | ||||
メル友の鎌谷さんからいただいたムクナ豆を畑に蒔いて育てているのだけれど、他の野菜はこの夏まったくの不作だったのに、ムクナ豆だけはすごい勢いで成長して、うっそうと畑を覆い尽くすようになっている。豆ができるまでの期間は他の豆よりも時間がかかるけれど、このつるの成長具合は驚異的。
次の写真は、ムクナの花。2枚目は花と豆。冬には立ち枯れするらしいので、豆を収穫した後、すべてを引き抜いて畑を整備しなくてはと思っている。次回は畑ではなく、ブラキアーリアを取り除いただけの普通の場所で育てようとエドソンと話している。以前も書いたけれど、ムクナ豆は暑い地方で育ったものの方がL-ドーパの含有率が高いので、涼しい気候のここで育ったものはL-ドーパの含有率は低いのだろうと思う。でも、自前で育てたムクナ豆が食べられるのであれば、それに越したことはないかな?と思っている。
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2016年3月10日(木) | ||||
私たちがフロリアノポリスから戻り、ひろのことでバタバタしている頃、ペトロポリスの安見さんのところではお祝い事が重なったようだった。3月1日に孫娘のまりえちゃんが2歳の誕生日を迎え、3月4日には、安見さんがリオ総領事公邸で外務大臣表彰を受けられた。
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この外務大臣表彰は、日伯外交関係樹立120周年記念の「外務大臣表彰の伝達、祝賀式」で、ブラジル全土で102の個人および団体が表彰された。その内リオ総領事館では6名の個人と3団体が表彰されたのだそう。部門別に式の日程が異なり、3月4日の伝達式は日本文化の普及および日系社会の発展に功労があった部門の3名の受賞式で、安見さんはそのひとりに選ばれたのだった。各受賞者は10名までこの式に招待できるので、安見さんは奥さん、娘さん、そして娘婿さんの他、ペトロポリス日系協会で特によくやってくれているペトロポリス文化祭推進者の中から7名に出席してもらったということだった。長年ペトロポリスで日本文化を根付かせる活動をされてきているのだから、今回の表彰は当然と言えば当然ながら、実におめでたい。
そして、3月5日にはまりえちゃんのお誕生祝いを、50名の人たちを招待してペトロポリスの安見さんのお宅でされたということだった。安見さんいわく、「まりえは一歳の歩き始めた頃から始まった引き出しから物を引っ張り出すいたずらはますます激しく、しまいなさいとしつけるので、出した物をしまうが別な場所に入れてしまう。まりえが帰った後は、物が定位置になくなり、またまりえの仕業だと大騒ぎ」「また二歳ごろは何でもNOと言うようにどの子供もなるようだが、まりえもNOが始まった。食べ物のNOも困るのだが、それでも日本ご飯、味噌汁、豆腐、ふりかけはいつでも喜んで食べるのでえりかが助かると言っている。でも嫌は嫌でそっくり返って大泣きをするので、泣くならあげないと交換条件を出して駆け引き、大人4人がまりえ一人に振り回されています」と、何だ大変さと喜びが同居したまりえちゃんとの日々の光景が目に浮かぶようだ。そして、今回の誕生日パーティーの会場の飾り付けはえりかさんが全部自分で作り、食べ物や子供の遊び道具の手配なども忙しいと言いながら自分で準備されたそうで、安見さんたちが「業者に頼んだら簡単だよ」と言ったら「娘に母親の愛情を示す為に自分でやる」という応えだったので、母親の自覚が出てきたと、奥さんと共に驚き喜ばれたのだそう。親も子供の成長と共に親として成長するということなんだろうなと思った。ということは子供を持ったことのない私は、成長していない部分をたくさんもっているということかもしれないな・・・。次の写真は、まりえちゃんを抱っこしたえりかさんと、ご主人。2枚目はパーティーに用意されたトランポリンで遊んでいるまりえちゃんたち子供たち。
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2016年3月11日(金) | ||||
うちの避雷針兼アンテナタワーの塗料がはげて来ているらしく、エドソンはタワーを紙ヤスリで磨いてからサビ止めの塗料を塗って、最後にペンキを塗ってもらう仕事を、先月から頼んでいた。でも、お天気の良くない日が続き、なかなか来て作業できなかったのだけれど、この火曜日からようやく来てくれ作業が始まった。高所恐怖症でなくても、こんな高いタワーに登るのはちょっと怖いなと思う。その上、ただ登るだけでなく上で作業をするのだから、うちにある命綱のベルトをつけて作業をしているとは言っても大変なことだなと思う。
次の写真は、ダイニングルームの窓辺に置いた鉢植えのひとつで、ロウで作ったような花を咲かせる植物。この月曜日につぼみをつけていることに気づいた。以前ジェラウドから花が咲いている状態のものをもらって、その花が終わってから以後は、まったく花を咲かせることはなかった。でも、森の手前のジャタイの巣箱の所に置いた同じ植物は、1月に花を咲かせていたので、ダイニングルームの壁際は陽が当たらないから、あまり環境的に良くないのかな?と思い、1月に朝日が当たる窓辺に移したのが良かったのか、花を咲かせてくれた。1枚目の写真は、その花のいわゆるつぼみの状態。2枚目は3日後くらいに花開いた状態。
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2016年3月12日(土) | ||||
めいはヴィラ・シーコから戻った後も、外で放し飼いにして自由にさせているのだけれど、だいたい玄関前のマットの上や、ベランダや階段のところに座っていることが多い。どこかに行って姿が見えなくても、私たちが玄関から出て行くと、どこからともなく現れて、はるとひろのオシッコやお散歩についてくる。私が果樹園の桑の葉を採りに行ったり、エドソンが森の貯水タンクの水を上げに行くときも一緒について来て、あちこち自由に走り回っている。雨が降った後も平気で濡れた草むらの中を飛び回るので、体がびしょびしょになったりする。そんな時は日向でゴロンと横になって日光浴をしていたりするので、自分でも濡れたままでいるのは嫌なのかなと思う。ひろは外にいるめいのことがとても気になるようで、毎日何度も玄関の扉の前に行って外の匂いを嗅ごうとしたり、ウーンウーンと泣いたりする。最近、私が家事で玄関を出入りする際、ひろは隙をついて家を飛び出してめいと一緒に走って行ってしまい、捕まえて家に連れて帰るのに一苦労することが3度くらいあった。一緒に遊びたい気持ちはわかるけれど、それはできないのだと言い聞かせるようにしているのだけれど、わかっているのかどうか・・・?めいはめいで、家の中の私たちが気になるようで、時々外のベランダの椅子の上に乗って、居間の中の私たちをのぞいていたりする。次の写真は、先日の夕方、居間のソファーに座って休憩していたら、ベランダの椅子に上がってめいがこちらを見ていたので写真に撮ってみた。
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2016年3月13日(日) | ||||
今日13日は、ブラジル全土で反政府デモが予定されている。どれくらいの規模のデモになるのか、私たちは強い関心を持って見守っているところ。ブラジルでは政治家が大臣や上下院議長などの公職についている場合は、地域レベルでの逮捕や裁判にかけられることを逃れることができる裁判特権があるのだけれど、現在、ルーラ前大統領は公職についていないので、聖州検察局は9日、ルーラ前大統領(労働者党・PT)を、聖州グアルジャーの高級三層住宅(トリプレックス)に関し、資金洗浄と名義人詐称の容疑で起訴したというニュースがあった。裁判所がこれを了承すればルーラは被告となるのだけれど、ジウマ大統領は、ルーラを連邦政府の閣僚にしてしまうことで捜査や告発を逃れさせようとしているというニュースもあった。一方、ブラジルのテレビで人気の男女俳優、司会者、モデル、ロックスター、コメディアンら、芸能界代表の一団が、13日の連邦政府やジウマ大統領、ルーラ前大統領に反対するマニフェスタサオン(抗議デモ)への参加を呼びかけるコマーシャルをインターネット上で流していて、話題を集めているという。ブラジル芸能界関係者は、他の欧米諸国同様リベラル派が多く、現在与党の労働者党(PT)支持者も少なくないらしいのだけれど、「14年から引き続くラヴァ・ジャット作戦の捜査が過熱し、PTをはじめとした連立与党政治家が多く絡んでいることが次々に判明。ルーラ、ジウマ両大統領の大統領選を担当した選挙参謀が逮捕され、さらに、ある時期までは『ブラジルの繁栄を築き上げた』と国民から絶大な人気のあったルーラ前大統領までが、連邦警察から事情聴取を受けて世界的なニュースとなるなど、国民の間の不信感が急速に高まってきているため、芸能界も黙ってはいられなくなったようだ」と、ニッケイ新聞にはあった。さて、どんな結果になるのだろうか? | ||||
2016年3月14日(月) | ||||
次の写真は、先週の水曜日のお昼過ぎに撮ったもの。アンテナタワーを紙ヤスリで磨いてサビ取りが終わり、サビ止めの赤茶色の塗料を塗り進めている状態。この日の夕方には全部下まで塗り終わり、後は白っぽい灰色のペンキを塗れば完成なのだけれど、水曜日の夜雨が降り、翌朝はまだタワーが濡れていたので、仕事にならず、朝やって来た作業の人には帰ってもらい、木曜日も同じようなお天気だったので作業の人は来ず、ようやく今日から作業が再開した。この作業をしてくれている人は、今回初めて仕事を頼んだので、どんな人かよく知らないのだけれど、塗料の塗り方が少々雑なので、もう少しムラのないようにきれいに塗ってくれとか、休憩中に食べた飴の包み紙を庭にポイと捨てる所を目撃して、そういうことはしないでくれとか、エドソンが注意したりしているので、うるさい依頼者だなと思っているかもしれない。でも、この人が来なかった雨の日にひょっとしてと思い、庭を回ってみると、スーパーの袋やそのスーパーのパン屋の紙袋など、結構な量のゴミが庭の2ヶ所に捨ててあり、やれやれと思った。そして、この人とはこの仕事が終わったらいくら支払うという約束で仕事を始めてもらったのだけれど、2日目のお昼休憩の前に、お金が必要なので支払いをしてくれというので、エドソンは、「あなたを信用しないわけではないけれど、この辺の人たちの仕事の仕方を知っているから全額払うことはできない。でも、仕事をやった分だけは払いましょう」と言って、40%くらいのお金を払った。ブラジルでは支払いを仕事が完了する前にしてしまうと、完了させないまま仕事を投げ出して戻ってこないということがよくあるので、決して前払いしてはいけないというのが常識なのだけれど、それでも払ってくれという人がいるんだなあと思った。
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2016年3月15日(火) | ||||
パーディーニョに来たばかりの頃から知り合っていたソフィーアとジュニオーが、土曜日の午後、一人息子のジョアオンを連れてうちにやって来た。もうすぐ9歳になるというジョアオンに英語を習わせたいということだった。ブラジルの小中学校はだいたい2部制で、午前の部と午後の部で生徒が入れ替わるのだけれど、ジョアオンは午後の部に通っているという。彼はパーディーニョではなく、ボトゥカトゥの学校に行っていて、正午前にはバスに乗らないといけないので、うちでの英語のレッスンは、朝9時から10時半まで、週に2回行うことになった。長い間私とのレッスンを続けてくれていたダニエラが、お父さんのジミーと、ジミーが離婚したお母さんのフェルナンダとの間で何かあったのか、レッスンに来なくなったので、入れ替わりのようにジョアオンのクラスが発生し、感謝、感謝。次の写真は、昨日からレッスンに通い始めたジョアオンと、ジョアオンのおじいさんのヴォルデマーさんを、レッスンが終わって帰る際に車の前でパチリ。
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2016年3月16日(水) | ||||
日曜日の午後、ブラジル全国各地で行われたデモの様子を伝えるテレビ中継をリアルタイムで見た。リオやブラジリアなどは午前中にデモが行われたようで、リオは100万人が集まったと言っていた。1年前とは桁が違う人数だ。その他の都市では午後から行われ、サンパウロは200万人くらい集まるかな?と、私は予想したのだけれど、結果は140万人(軍警察発表)ということだった。でも、これはデモが行われたアヴェニダ・パウリスタ大通りにこれ以上の人が集まることは危険と判断した警察が、地下鉄を止めたりして、デモの参加者数をコントロールしていたからだとういうことが後からわかった。日本でデモが行われると、リーダーのような人が拡声器を使って発した言葉を、他の参加者が繰り返すというワンパターンなシュプレヒコールが行われるけれど、ブラジルのデモを見ていると、老若男女、子供を連れた人たちが、まるで公園を散策しているような感じで、ブラジルカラーの黄色と緑のシャツを着て、三々五々思い思いにそぞろ歩いている。テレビカメラが通りかかると、カメラに向かって何かを叫んだりする人もいるけれど、いたってのどかという印象がある。中には、「出て行けジウマ」「出て行けPT(労働者党)」とか、「ガンバレ!モロ(モロというのはこのラヴァジャット作戦の中心になっているパラナ地裁の判事の名前)」「私たちはモロだ」とか、自分たちの主張を書いたプラカードを持っている人たちもいる。ルーラが事情聴取のために身柄を一時拘束された事で、これまで警護をつけていなかったモロ判事は、脅迫を受けるようになったらしく、警護をつけ始めたというニュースもあったので、一般市民がモロ判事を支持しているとアピールすることは大事かもしれないと思った。翌日のメディアの発表では、今回のデモは、全国320都市で行われ、360万人が参加したということだった。どうやら新記録だったらしいのだけれど、鉄面皮のジウマはルーラを訴追から守るために新たな大臣ポストを作って、ルーラを閣僚に任命したというニュースもあった。まさにルーラの罪を認めたようなものなのに、これで司法の手は届かなくなった。ブラジルの政治はまだまだどうなるかわからない、トンネルの先に明かりの見えない状態が続いている。 3月15日付けのニッケイ新聞には、「抗議デモ参加で歴代新記録=ジウマ大統領罷免に関し=ジレッタス・ジャーを上回る=ルーラ氏への風当たり強く」という記事があった。この記事のサイトは、こちらへ。 | ||||
2016年3月17日(木) | ||||
先週半ばくらいからめいの生理が始まったようで、性器が腫れて、階段やベランダに時々点々と血液が落ちていたりするので、困ったなと思っていたら、昨日の午後、めいの発情期の匂いに釣られてお隣の大型犬のオス2匹が入れ替わり立ち替わりやって来るようになった。お隣のオス犬たちは去勢手術を受けていないので、めいがそれらの犬と交尾するのは時間の問題となり、オス犬たちと戯れ合うことに忙しく、こちらの言うことを聞かなくなっためいを餌で何とか釣って、捕まえて、チェーンをつけて、シュハスコ小屋のスペースに入れた。チェーンがないとめいは簡単に壁を飛び越えて外に出てしまうため、可哀想だけれど、チェーンにつないで自由を奪うしかない。大型犬と交尾したら体の小さいめいが無事でいられる可能性は大きくないし、たとえ、めいの命や体に別状なく交尾したとしても、めいが妊娠して子供ができたりしたら私たちには面倒見きれない。それで、仕方なくめいを隔離することにした。エドソンによると、発情期は犬種によって違うけれど、長くて1ヶ月間くらい続くらしい。次の写真2枚は、シュハスコ小屋前のスペースでチェーンにつながれてうらめしそうな表情のめい。でも、こうでもしないとめい自身の身も危ないし、私たちも困るのだから仕方ない。めいは来週、2度目の予防接種を予定していて、去勢手術はそれからさらに2~3週間後にならないとできないので、困った、困った。
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2016年3月18日(金) | ||||
水曜日の夜、リーとジセレーニの英語のレッスンが終わり、はるとひろをオシッコに連れ出して、寝かせる準備などをしていたら、エドソンがブラジリアが大変なことになっていると言って、テレビをつけた。この日、ジウマ大統領は、ルーラ前大統領を官房長官として入閣させると発表した。これはルーラを汚職捜査の訴追から守るための措置に他ならず、このルーラの入閣で捜査が困難となったことを受けて、連邦判事が捜査妨害を示唆するジウマとルーラの電話のやりとりを盗聴した通話記録を公表することを認めメディアで公表された。これによりジウマとルーラの犯罪行為が明かになったこともあり、それに反発した人々が、自発的にブラジリアの大統領府や国会議事堂前に集まって、抗議デモを行っていたのだ。しかも、この抗議デモはブラジリアだけでなく、サンパウロのアヴェニダ・パウリスタ大通りでも数千人の規模で行われていて、ルーラの官房長官辞職とジウマの退陣を要求するとともにモロ連邦判事への支持を表明しているということだった。デモが行われていない都市ではパネラッソと言って、鍋を叩いたり、車のクラクションを鳴らしたりして、大きな音を出して抗議の姿勢を示すという行動があちこちで行われているというニュースを各地からライブ中継でやっていた。 そして、翌17日(木)の午前中、大統領府の近くでデモが行われる中、ルーラの官房長官就任の宣誓式が行われたのだけれど、数時間後、ジウマが汚職疑惑で捜査対象となっているルーラを入閣させることで、さらなる犯罪行為が行われる可能性が高いとして、裁判所が入閣の差し止めを命じる仮判断を示した。そして、差し止め命令の直後、下院はジウマの弾劾を審議する委員会を開始した。ジウマを弾劾する動きは去年の12月に野党から起こっていたものの、裁判所が手続き上の問題を理由に保留させていて、進展していなかったのだけれど、ようやく弾劾手続きが動き始めた恰好だ。ジウマは2014年に再選を目指して行った選挙活動中に、公共支出を増やすために政府会計を不正に操作した疑惑がもたれている。 公表された通話記録で、ルーラはブラジルをまるで自分の所有物のように話し、ジウマもルーラも自分たちのせいで傾きかけている国のことよりも、自分たちの保身に必死の様子が伺える。裁判所は法律に則って一歩一歩事を進めているのだけれど、とにかく時間がかかる。そして、ジウマとルーラは自分たちは法律の上を行く存在だとでも思っているようなのでたちが悪い。まるでマフィアだ。そんな中、17日にはブラジリアで陸海空の三軍が集まって会議を開いたらしいという真偽のほどは定かではないニュースも漏れ聞かれ、この国は一体どうなってしまうのだろうと不安が募る。 | ||||
2016年3月19日(土) | ||||
家から坂を下りて行った道沿いに、昨年、何本もフランボヤンジーニョの苗木を植えた。どの木もまだあまり大きくなっていないけれど、1本だけ1メートル以上に成長した木があり、その木が今月つぼみをつけて、とうとう花を咲かせた。つぼみをつけた際、何色の花を咲かせるかな?と、エドソンと話していたのだけれど、結局、ランドマークの木の側でたくさん花を咲かせているフランボヤンジーニョと同じピンクに黄色の縁取りの花だった。2枚目の写真は、その花を少し近くから撮ったもの。
次の写真は、ランドマークの木の側のフランボヤンジーニョ。今年は花だけでなく、初めてキヌサヤのような種をたくさんつけている。フランボヤンジーニョの花は可愛らしいので、この種を採取して、苗床で育てて、苗木を増やそうと考えている。
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2016年3月20日(日) | ||||
ラヴァ・ジャット作戦を管轄するパラナ州連邦地裁のセルジオ・モロ判事が、ルーラを捜査中に盗聴させた電話の内容を公開することを許可した件で、ジウマは「他の国なら大統領の発言が許可もなく録音されるようなことがあれば犯罪だ」と怒ったそうだけれど、捜査で盗聴された電話は大統領の電話ではなく、犯罪容疑者ルーラの電話。というか、正確には、彼の警備員が別人の名前で携行していた電話だったのだから、彼女の批判はまったく当たらない。そんな中、アメリカ在住で国際的に活躍しているブラジル人モデルのジゼル・ブンチェンが、モロ判事の言った「自由な社会における民主主義は、統治される側が統治者の行動について知っていることを前提とする」という一文をフェイスブックに乗せて、モロ判事への支持を表明したという記事もあった。でも、ジウマとルーラと労働者党の問題は、最高権力者の自分たちは、違法だろうと何だろうと、自分たちを守るためなら何をしても構わないと考えている確信犯なのだから手に負えない。さすが過去に銀行強盗などをした元テロリストのジウマは、違法行為だろうと何だろうと、目的のためなら手段を選ばないのは昔から変わらないんだ。 以下は、ニッケイ新聞3月19日付け「コラム 樹海」からの転載。
ルーラは庶民の心に響く言葉を紡ぎ出す天才だ。野党時代の彼が88年に言った名言「貧乏人が盗めば刑務所だが、金持ちなら大臣になる」が先週から、皮肉を込めて見直されている。連邦警察から逃げるように17日、慌しく官房長官として入閣したからだ。これでジウマがいつ大統領罷免されても、第3次ルーラ政権が始まるだけになった▼カーニバル直後からルーラには聖州海岸部グアルジャー市の高級リゾート地にある三層マンションを、ラヴァ・ジャット作戦で摘発されたOASから特別待遇で入手する寸前だったことや、アチバイア市にある豪華別荘をまるで自分の物のように利用してきたこと等々が暴露され始めた▼つまり、小学校出で旋盤工出身の庶民派大統領というカリスマ性で人気を博してきたルーラだが、大統領時代に築いた名声と汚職による余得を、後継者に継続させ、大富豪同様の生活をするようになっていたようだ。その挙句、逃げるように「大臣になった」訳だから、まことに本人の言葉通りで感心する。マルフやサルネイですら小者に見えてくる▼現政権中枢を巻き込んだなりふりかまわない〃有言実行〃ぶりにはため息しかでない。ルーラが今後、最高裁に起訴されれば、ジウマは曾根崎心中ならぬ〃ブラジリア心中〃だ▼ルーラが「クリチーバ共和国」と呼ぶことから、モーロ判事を中心とする同地の連邦地方裁判所の動きは、まさに〃独立〃した司法であることがよく分かる。〃ルーラ帝国〃傘下かと噂される最高裁なら息のかかった判事が複数おり、先行案件が山積みだから、起訴されても結審までに10年かかってもおかしくない。その間に再び大統領になって徹底的にもみ消しをはかる可能性すらある▼ルーラ本人は入閣によって最高裁扱いの特別待遇になれる。だが、同様に連警の捜査対象である妻や息子らは一般人だ。「ルーラが官房長官に就任か」と16日に報道された直後、妻マリーザ氏は気分が悪くなりシリオ・リバネース病院に緊急入院した。もしや入閣を知らなかったのかもしれない。いずれ彼女や息子がクリチーバに連行されたら、結果的に自分だけ特別待遇した夫に対し、どう思うだろうか▼最近のジウマ大統領による怒り丸出し演説を聞くたびに、軍政時代に拷問された経験が彼女を強くしただろうと思える。周りがどんなに説得しても辞任はありえない。とはいえ、ルーラの妻や息子はそんな経験を持たない一般人だ。実際、ジウマの側近だったアマラル上議ですら司法取引を交渉中であり、いずれは…。もしそうなれば、伯人が大好きなノベーラの筋書きによくある家族内の骨肉の争いになる。グローボ局のノベーラより100倍面白いだろう▼インピーチメント(罷免)を「ゴウペ」(クーデター)と呼ぶPT勢を見るにつけ、伯国の民主主義の未熟さを痛感する。憲法に書かれている法的な手続きをクーデターというのだから恐れ入る。民主主義を体現する制度「選挙」で選ばれた政治家に任せれば、本来は国が動くはず。だが道徳意識が低く、民主主義が未熟なら、まともな政治家が選ばれず、ラヴァ・ジャット作戦のように司法が大活躍することになる。してみると、司法による政界洗浄は民主主義の最後の砦だ▼万が一、司法までが〃ルーラ帝国〃に下れば、次に国を立て直す手段は本当に軍事クーデターしかなくなる。実際に南米では頻繁にそれが起きてきた。今回の事態が司法の段階で踏みとどまるよう、心から祈りたい。(深) | ||||
2016年3月21日(月) | ||||
今日、3月21日は日本では春分の日なので、季節が逆のこちらでは秋分の日ということになる。今月上旬にフロリアノポリスから戻ると、何となく秋の気配が感じられるようになっていたけれど、これからいよいよ本格的に秋になる。とは言っても、落葉はあっても紅葉などないので、涼しくなるということ以外、あまり大した変化はないのだけれど・・・。 次の写真は畑の北側のオレンジの木のひとつ。畑の北側にはオレンジの木が数本あるのだけれど、今たくさんオレンジの実がなって、黄色くなってきているので、もうすぐ収穫できそう。画面手前右側のうっそうとしたものは、ローズマリーの木。ローズマリーの木というものがこんなに大きくなるものだとは知らなかった。ちょっとワイルドに育ちすぎている感じもあるけれど、もう何年もずっと元気に育ってくれているお陰で、このローズマリーにはとてもお世話になっている。お料理で鶏肉などを焼く際に使うだけでなく、メニエールのめまいを予防するために、毎日エルバ・ドースィ(英語ではアニス)というハーブティと一緒にお茶を入れて飲んでいるので、私にはなくてはならない植物。エルバ・ドースィとローズマリーで入れたお茶のお陰で、ずっとめまいの再発はないのだからとても感謝している。
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2016年3月22日(火) | ||||
次の写真は、家から入り口ゲートに行く道沿いの、まだ小さい苗木を北から南を向いて撮ったもの。手前と向こう側のフランボヤンジーニョを比較すると、同じ時期に植えたのに、向こう側の木の方が大きいのがわかるだろうか?向こう側の木の辺りまではブラキアーリアを取り除いた状態が続いていたので成長して、手前側はこの土曜日にヒバマーにブラキアーリアを取り除いてもらうまでかなり長期間ブラキアーリアに被われていたので、育ちが悪い。先日花が咲いたので掲載したフランボヤンジーニョの花は、この写真の後ろに見える竹のさらに向こう側なので見えない。写真中央奥の大きな木は、家の西側にあるランドマークの木。道沿いのアメンドインの側に見える小さな苗木は、ここに点々と植えたハイビスカスの苗木と、白い花を咲かせる木の苗木。これらもまだまだ小さいけれど、枯れずに育ってくれている。特に、ハイビスカスはまだ小さいのに赤い花をつけているものもある。
次の写真は、先日掲載したランボヤンジーニョの花をアップで撮ったもの。はっきりと黄色の縁があるのは真ん中の花ひとつだけ。どうやらこの花はピークを過ぎると黄色い縁取りの色が消え、ピンク一色になり、最後に枯れてしまうようだ。
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2016年3月23日(水) | ||||
最近、ひろは何故か以前よりも甘えん坊になった。私がコンピュータの前に座ると、必ず「膝の上に乗せて」と言ってくるようになった。ひろを膝の上に上げると、以前ははるが嫉妬していたので、膝の上に上げてもすぐ下ろさなければならなかったのだけれど、最近あまり嫉妬しなくなり、ベッドの中ではるはひとりでおとなしくしていることが多くなった。それでも時々、「私も」と要求してくる時は、仕方なく2匹を膝に上げるともうぎゅうぎゅう。それでも2匹はお互いほとんど文句を言わず、狭い私の膝の上でうたた寝を始める。でも、私としては2匹を膝に座らせていると、重いし(2匹合わせると17キロ以上)、コンピュータが遠くなり、腕が疲れるので、やれやれ・・・。それに、コンピュータの前に座る度に要求されてもキリがないので、1日に1回だけよと言って、座らせている。他の犬種は知らないけれど、ダックスフントはこういうふうに人にべったりとしていることが大好き。ひろがうちに来るまで、はるは毎朝1~2時間コンピュータの前に座る私の膝の上で過ごしていた。だから、2年前に日本に行くのに1ヶ月ほどはるをヴィラ・シーコに預けた際、はるがホームシックになって落ち込まないようにと、1日に1回はドトーラ・ジャナイーナのお父さんが、はるを膝に抱いて過ごすようにしてくれたのは、とてもありがたかった。次の2枚の写真は、私の膝の上にいるはるとひろ。私が自分で手を伸ばして適当に撮ったので、うまく2匹が画面に収まらなかった。
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2016年3月24日(木) | ||||
以下は、3月23日付けニッケイ新聞「コラム オーリャ!」からの転載。
『歴史に残る「16・3・13デモ」から10日余り、その後の展開の速さに翻訳班はついていくのが精一杯の日々が続いている。 〃奥の手〃ルーラ氏入閣から、それを阻止すべくモーロ判事による盗聴記録公開、アンチとシンパが交互に行うデモに、最高裁判事によるルーラ氏官房長官就任への〃待った〃とめまぐるしい。「締め切り直前に大きな動きは起こってくれるな」と気をもんでいる。 アンチとシンパのデモ参加者数で、どっちが多かったかと盛り上がるだけでは、サッカーの勝敗に一喜一憂するファンと変わらない。生活レベルに目を転じれば、医療、治安、不況にインフレと政治家の権力闘争とはかけ離れたところで市民は苦しんでおり、その対策は放置されたままだ。 どうしたら政治家の汚職を監視できるのか。たとえ大統領罷免が実行されても、この課題もずっとそのままだ。(規)』 この記事の中にあるアンチとシンパのデモ参加者数は、当然のことながらアンチの方が断然多く、桁が違う。そして、シンパのデモが行われたのはサンパウロのアヴェニダ・パウリスタ大通りのみで、一方のアンチの方は320都市で同時に行われたのだから比較にならない。さらに、アンチのデモ参加者はみな自発的に参加しているけれど、シンパのデモは1日30レアルの日当を受け取って、送迎のバスに乗って参加している人たちなのだから、何をか言わんやだ。そして、放置された対策のひとつにジカ熱問題がある。去年、このことが問題になり始めた頃、政府は何の対策も取らずに放置したため今回のアウトブレーク状態があるというのに・・・。 | ||||
2016年3月25日(金) | ||||
先日、ここは秋と言っても落葉はあるけれど、紅葉はないと書き、秋の雰囲気など全然ないかのように書いたけれど、ひとつ秋になると見かけるものがあることを思い出した。それはトンボ。赤トンボではなく普通のトンボだろうと思うのだけれど、毎年この時期になると、短期間だけトンボが飛び交うようになる。それを見ると、「ああ秋だな」と思う。 シュハスコ小屋で鎖につながれためいの不自由な生活は続いている。同じ自由を奪われるにしても、小屋の中よりも外のスペースの方がいいかなと思って、シュハスコ小屋の前のスペースに鎖でつないでいたのだけれど、お隣の大型犬が毎日来てはシュハスコ小屋の回りをウロウロして、とうとう火曜日の夜中に、レンガの壁を伝ってこのスペースに入る方法を発見してしまったので、その晩から小屋の中に入れ、小さな出入り口の前にはレンガの入ったバケツを置いて、大型犬が小屋の中に入れないようにしなくてはならなくなった。こんな状態はめいには可哀想なのだけれど、めいと私たちを守るためには仕方がない。めいははると同様シュハスコ小屋の中ではウンチだけでなくオシッコもしないので、朝昼晩の食事の後で、お散歩に連れ出している。初日はお散歩の後、一旦出たシュハスコ小屋に戻るのを嫌がったけれど、次の日からはお散歩に満足して、嫌がらずにシュハスコ小屋に戻ってくれるようになった。はるとひろとめいの3匹を同時に散歩させることはできないので、はるとひろの食後のお散歩が済んだ後、めいに食事をさせてお散歩に出る。それでこのところ私は1日に最大7~8回は入り口ゲートとの間を往復している。少々大変だけれど、結構いい運動になっているのだから文句は言えない。ただ、最近は、夕食後はもう真っ暗で懐中電灯がないと歩けないので、月明かりがない時はお散歩はなしで、みんなには庭のアメンドインや芝生の上でオシッコやウンチをしてもらうことが多くなった。次の写真は、お散歩を終えてシュハスコ小屋の扉の前まで戻ってきためいをパチリ。尻尾を高く上げて左右に大きく振り振りしているのはご機嫌な証拠。
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2016年3月26日(土) | ||||
昨日は、グッド・フライデー(ポルトガル語ではパイシャオン=Paixao)でお休み。明日の日曜日はイースター(ポルトガル語ではパソカ=Pasoca)。次の写真は、ピンボケになってしまったけれど、この火曜日の朝6時20分頃の朝焼けを撮ったもの。夏の時期は、この丘の右側の2本の木よりもさらに右側(南側)から朝日が上るのだけれど、これから冬にかけては、日の出の位置は木よりも左側(北側)へとどんどん移動して行く。この日はこんな朝焼けが見られたものの、お昼前と夕方の2度、雷が鳴って雨が降った。
雷が鳴り、お天気が崩れると、いつものことながらコンピュータなどのコンセントを抜いて、みんなで居間のソファーの上に避難する。はるとひろのベッドも居間に移動させると、次の写真のような2匹のラブラブ状態が始まるのが常。モビがいた頃のモビとはるとの関係は、年も多く、体も大きなモビが主で、小さなはるが従だったけれど、はるとひろとでは、体はひろの方が大きいけれど、年の多いはるの方が主導権を握っている。だいたいはるがひろを攻撃をして、優しいひろは悲鳴を上げながら防戦する。と言っても、どちらも本気で相手を噛むようなことはしない。あくまでもラブラブの関係。でも、時にはベッドの中で横になっているはるの側で、ひろが優しくはるの耳をペロペロとなめて、はるは気持ちよさそうな表情で、穏やかなラブラブ状態のこともある。ただ不思議なのは、何故かペロペロするのはひろだけで、はるがひろをペロペロすることはない。どうしてだろう?
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2016年3月27日(日) | ||||
入り口ゲートに向かう道沿いに、1ヶ所だけ10メートル近くに渡って白い花の咲くつる性の植物が茂っている。この植物が茂っているのはここだけで、他の場所では見られない。以前も書いたけれど、ブラキアーリアが生い茂っていると、他の植物が育たないのだけれど、ブラキアーリアを取り除くと、これまで見かけなかった草が生えてくる。この白い花の植物も、そうした草のひとつ。2枚目の写真は、その白い花をアップで撮ったもの。ちょっとコデマリの花に似てなくもない?
次の写真は、防風林の並木のグレヴィーリャの足元で芽を出している桜の苗の一部をテトラパックに植え替えたもの。この植え替え作業を少しずつしているのだけれど、グレヴィーリャの足元にはまだたくさん桜の苗が生えているので、作業は完了していない。水をやりやすいように、ハイビスカスガーデンの前の芝生の上にこうして並べているのだけれど、1つ2つ根つかず枯れてしまったり、めいがいたずらをしてテトラパックを1つ2つ破って苗床をダメにしてしまったりして、テトラパックの数は減ったり増えたりしていて、今現在、29の苗が育っている。うちの敷地を回っていて、思いがけないところで桜の芽が出ていたりするので、不思議だと思っていたのだけれど、よくよく考えてみると、鳥が種を運んでいるというか、糞に混じって種が運ばれているのかもしれないと思うようになった。
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2016年3月28日(月) | ||||
パウロの長女のイザベラが15歳になり、この土曜日の夜その誕生日を盛大に祝うパーティーがボトゥカトゥの大きなイベント会場で行われた。この会場は、敷地内にチャペルを併設していて、結婚式と披露宴や、大きなパーティーイベントが行われる場所らしい。かなり立派な所だったので、ボトゥカトゥにはこういうパーティー会場を貸し切って数百人の招待客を集めてパーティーをするような経済的に余裕のある人も結構いるのかなと思った。パウロはシュハスコなどへのお誘いはいつも前日とか当日とか、直前になって言ってくることが多いのだけれど、この誕生会はイベント会社を雇ってずいぶん前から準備をしていたようで、私たちは一ヶ月以上も前に招待状を受け取った。そうなると参加しないわけには行かないので、はるとひろをヴィラ・シーコに1晩お泊まりさせて参加した。ここでは女の子が特別な誕生祝いをするのは16歳だと思っていたのだけれど、どうも私の勘違いだったようで、15歳ということだった。次の写真は、私たちがパウロから受け取ったイザベラの誕生会の招待状。しっかりお化粧をしてプロのカメラマンに撮ってもらったという感じの写真の裏には、パーティー会場の名前や住所、そして、パーティーの日時などの情報が印刷されていた。
この誕生パーティーは午後9時からだったので、食事が出るのはおそらく10時頃になるだろうと予想して、ひもじい思いをしないために、私たちは家で軽く夕食を食べてから出かけて行った。9時少し前に会場に着くと、まだ数人しか来ておらず、私たちが到着した後しばらくして、徐々に招待客が到着するようになった。次の写真は、まだ人がまばらな会場を撮ったもの。予想通り飲み物が運ばれ始めたのは9時半頃で、前菜が始まったのが10時、メインが始まったのは10時半近くになっていた。この辺でパーティーと言えばシュハスコが定番だけれど、このパーティーは少し違っていて、すべてセルフサービスではあったものの、メインはちゃんとした肉料理や、数種類のパスタ料理、ピザ、ハンバーガーなどいろいろあった。出席者を見渡すと、イザベラの学校の友達とみられる10代の女の子たちもいたけれど、大多数は(従業員も含め)パウロの仕事関係の人たちや、パーディーニョのロータリークラブの人たち、そして、親戚やご近所さんといった感じだった。何と出席者数は220人だったそうで、この不況のおり、ずいぶんお金をかけたぜいたくなパーティーだなと思った。
お客さんが到着するまでの間、イザベラと家族は入り口近くで、いろいろポーズをとってカメラマンに写真を撮ってもらっていたので、私もついでに彼女たちの写真を撮ってみた。左から主役のイザベラ、お母さんのジャナイーナ、そして、イザベラの妹のマリア・パウラ。ロングドレスの趣味は悪くないと思うけれど、みんなお化粧がちょっと濃すぎるのでは?同じお化粧をしていても、招待状の写真のイザベラの方がきれいだと思うけれど・・・。イザベラの友達と思われる10代の女の子たちを含め、20代、30代の若い女性たちはみな体にぴったりとした露出の多い、超ミニの黒っぽいドレスを着て、ハイヒールのサンダルを履き、とても濃いお化粧をしていた。彼女たちにとっては特別な日なのかもしれないけれど、「何だかなあ・・・」と思った。ドレスの趣味といい、お化粧のドギツサといい、品が無いというか、何というか・・・。これがブラジルの若い女の子の今のファッションなのだろうけれど、どうも私の感覚とは相容れない感じだった。それに子供の誕生パーティーなのに、どうしてこんな遅い時間にするんだろうというのも私には少々理解不能だった。私たちには子供がいないので、ここで子育ての苦労をしなくて済んでいて、こんな言い方は変かもしれないけれど、こういう環境で子育てするのは大変だろうな、私にはとてもついて行けないと思った。そして、ブラジルの子供たちは無邪気に子供でいられる時間がとても少なくて可哀想だなとも思った。
次の写真は、エドソンが彼の携帯で撮った、私たちのテーブル。どのテーブルに座るかは決まっておらず、何となく一緒にテーブルを囲むことになった人たちとパチリ。左から、2週間ほど前から私と英語のレッスンを始めたジョアオン、髪を七三に分けてムースで固めておしゃれをしていた。ジョアオンのお母さんのソフィーア、お父さんのジュニオー、クラウディオ、クラウディオの妹さん、最近パーディーニョのロータリークラブのメンバーになったという歯科医師の女性、そして、私なのだけれど、私は画面に入っているとは思っていなかったので、カメラの方を向いていない。失敗、失敗。
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2016年3月29日(火) | ||||
先週、めいのワクチン接種を予定していたのだけれど、エドソンの仕事が忙しくて時間が取れなかったため、ヴィラ・シーコに連れて行くことができなかった。今週もエドソンの仕事の都合を考えていたら時間が取れないかもしれないので、昨日、ジョアオンの英語のレッスンが済んだ後、エドソンにヴィラ・シーコに電話をしてもらい、私がひとりでめいを連れて行くので、ワクチンの予防接種をしてほしい旨の連絡をしてもらい、出かけて行った。ワクチンの予防接種の他、去勢手術をする準備として必要な血液検査のための血液採取も行われた。診察台の上で注射をされたり、血液採取をされたりする際、めいは怖がりはしたけれど、おとなしくドトーラ・ジャナイーナのすることに身を任せてくれた。前回入院した後、はるとひろと一緒にヴィラ・シーコから戻る際、めいをケージに入れて連れて帰ったのだけれど、途中車の中で「ケージの中は嫌だ」と、何度もぐずったり、吠えたりしたけれど、今回は、ケージに入る際は嫌がったものの、往復の道中はあまり文句を言わず、静かにしていてくれたので助かった。予防接種から2週間後には去勢手術が可能なので、またエドソンに日程を決めてもらって、私がひとりでめいをヴィラ・シーコに連れて行って、手術を受ければ、めいの問題は何とかようやく一段落する。 | ||||
2016年3月30日(水) | ||||
次の写真は、家の西側の坂道を下りて行った道沿いのハイビスカスやフランボヤンジーニョなどを植えているスペースに、自然に生えてきた木。木と言ってもお隣のマーガレットと比べてもらうとわかると思うのだけれど、まだ高さは30センチあるかないか。でも、ずいぶん前に芽が生えてきているのを見つけた際、ヒバマーがくわで取り除かないように、目印に私がレンガを置いておいたのに、何度も何度も取り除かれてしまって、いつだったかは芽が生えてこないようにレンガが芽の上に置いてあったこともあった。エドソンがちゃんと言葉で説明しないと通じないのだなあと思った。でも、今年に入ってヒバマーが仕事に来れないことが続いたので、芽が取り除かれることなく成長し、ようやくここまで育ってくれた。ここまで育てばヒバマーもこちらの意図を理解してくれ、放っておいてくれるようになった。この木が何の木なのかは知らないけれど、以前、エリゼウからこれは大きく育つ木の芽だと聞いていたのと同じ芽だったので、取り除かず育てることにしたのだけれど、根が太く、深いようで、何度芽を取り除かれても、また芽が出てくるなんて、力のある木だなと思う。
次の写真は、上の写真と同じ道沿いの北側のスペースを撮ったもの。右側の列のハイビスカスが葉切りアリに襲われて裸になりかけていたので、レンガを苗木の回りに置いてみた。ハイビスカスの間のひょろひょろとした棒のようなものは、白い花の咲く木の苗で、葉があると根つきが悪いので、葉を落として植えている。左側にもレンガで囲んだ植物があるけれど、これらは先週の土曜日に鉢から出して地植えにしたモリンガの木の苗。レンガで囲っていない小さな緑色は、左側手前のものと同じフランボヤンジーニョなのだれど、育ち具合がだいぶ遅い。
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2016年3月31日(木) | ||||
次の写真は、私の首の高さくらいまで育ってきているモリンガの木。モリンガというのは「医者いらず、薬屋いらずの薬木」と言われていて、日系の人たちの間ではこれをお茶にして飲むのが流行っているらしい。でも、うちでは桑の葉のお茶を飲んでいるので、モリンガはお茶にせず、葉を青物野菜として、お料理に入れて食べようと思ったいる。このモリンガの木については、私たちは日系社会でモリンガが大きな話題になるずっと前に、エリゼウから種をもらっていて知っていた。その種を苗床で育て、芽がある程度大きくなってから地植えにしてさらに育ててきたものなので、何とかここまで育ってくれてほっとしている。と言うのも、種を蒔いても、なかなか芽が出なかったり、せっかく出てきた芽が虫に切られてしまって枯れたりしたものもあり、蒔いた種の数と比較してまともの育ったものが少ないので、よくぞここまで育ってくれたという思いでいる。2つ芽を出した苗を地植えにしたのだけれど、1つはまだ育ちが悪く、こんなに大きくなっていない。でもこの木は本来かなりの大木になるらしいので、この写真の木もまだまだ成長途上でしかない。2枚目の写真は、そのモリンガの木が花芽をつけ始めたので、アップで撮ってみたもの。どんな花が咲くのだろう?
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