Kyoko Yoshida Life in Brazil BLOG 

2016年1月1日(金)

2016年 申年 元旦

明けましておめでとうございます。まずは、ブラジルに来て7回目の新年を無事に迎えられたことを感謝。ブラジルでは日本と違い年末年始のまとまったお休みというものはなく、エドソンの場合、31日の大晦日が半日と、1日の元旦がお休みなだけで、普通2日から仕事。でも、今年は2日と3日が週末なので、日本のように三が日がお休みとなるうれしいお正月になった。ただ、24日から続く雨降りのお天気は続き、昨日の大晦日も午後降ったため、記録を更新。そして、今朝も曇り空でいつ降り出してもおかしくない空模様なので、太陽の日差しが恋しい。

そんな中、時事通信12月31日(木)0時25分配信ニュースに、「ロイター通信によると、リオデジャネイロ五輪が来年開催されるブラジル政府は30日、日米豪カナダ4カ国からの旅行者に査証(ビザ)なし渡航を認めると明らかにした。景気が停滞する中、ブラジル政府は外国人旅行客増加による経済効果に期待している。五輪は来年8月5日開幕。ビザ免除は6月1日から9月18日までに入国する旅行者が対象で、最大90日間滞在できる」とあった。期間限定ではあるけれど、ビザ取得のための手間とお金がかからないというのはいいニュースだと思った。

2016年1月2日(土)

このお正月は息子達とその家族が揃って広島に帰省しているようで、元旦にみんなで介護施設で暮らす母の所に行ってくれた時の写真を、兄がメールに添えて送ってきてくれた。孫ふたりとその家族に囲まれて母もうれしそう。

元旦は、曇り空で静かに明け、お昼前からほんの短時間だったけれど太陽が顔を出してくれ、うれしいお年玉になった。でも、軽くお昼を食べて、はるたちとのお散歩から戻って少しすると、また雨が降り出した。やはり予報通り、年が明けても毎日降ったり止んだりのお天気は続くようだ。次の写真は、昨日の元旦の私たちの朝食。大晦日の夜、テレビでリオやブラジリアなど4都市の花火を見ながら、カウントダウンに合わせて飲んだブラジル産のシャンペンの残りと、お雑煮の代わりに作ったお豆腐とルッコラとネギのお吸い物と、イチゴとうちで採れた小さなパパイアを少し、そして、ヨーグルト。例年シンプルな元旦の朝食なのだけれど、今年は特に、年末にエリカたちが来ていた関係で、お肉とガーリックライスの夕食が続いたので、疲れた胃にはこれぐらいでちょうどいい。

2016年1月3日(日)

以下は、12月29日付けニッケイ新聞のコラム「オーリャ!」からの転載。

『先週「ブラジルには網戸がない」と書いたところ、編集部に幾つも反論のメールが届いた。ネットで「tela de janela」と検索すれば、網戸が見つかるという。

さっそく調べてみると、確かにけっこうな商品数が販売され、取り付け業者もいるようだ。販売されていても、さほど普及していないように見えるのは、コラム子の行動範囲が狭いためか。網戸もそうだが、日本では通常、単に「蚊に刺されるのがイヤ」でいろいろな工夫をする。

当地では蚊に刺されると、デング熱で命を落としたり、ジカウィルスで出生児が奇形になったりとシャレにならない病気が感染してしまう。

中国製感電ラケットや虫除けスプレーだけでなく、本来ならもっと多種多様な防虫・殺虫用品が並んでいても良さそう。もし安価に蚊を防ぐ方法を発明・普及する人がいれば勲章モノ? (将)』

このコラムによると「ブラジルには網戸がない」と書いた記事に反論がいくつもあったようだけれど、このコラムを書いた記者さんの行動範囲が狭いからそういう結論に達したのでは決してないと私は思っている。私も以前「楽書倶楽部」に、ここでは網戸を入手することがとても難しく、何とか作ってくれる所を見つけて作ってもらい、取り付けてもらうことができたけれど、窓枠と網戸の間に隙間があって、虫を完全にシャットアウトできない残念な代物だったと書いたことがある。とにかくアルミサッシの窓と一体化した日本ではごくごく普通の網戸は、ここでは普通の建築資材のお店などでは販売されていないというのは事実。まずアルミサッシの窓というものからして、あまり一般的ではない。日本の高品質なものでなければ、探せばあるくらいの状況なのだと思う。パラカンビでもこの近辺でも窓に網戸がある家はまず見たことがないので、網戸というものが一般的ではないとうのは明らか。日系の人たちの間では網戸を取り付けることが比較的普通のことなのかもしれないけれど、一般のブラジル人は何故か網戸の必要性を感じていないようだというのが私の実感。

2016年1月4日(月)

次の写真は、広島の友人がメールに添えて送ってきてくれた自宅のバルコニーから撮った瀬戸内の初日の出。2枚目の写真は、横浜に住む従兄弟が自宅近くの丘から撮った元旦の富士山。日本の年明けは広島も横浜もいいお天気で穏やかだったようだ。ここの年明けは曇り空で、三が日の間もぐずつくお天気で、毎日午後から雨が降ったけれど、今朝は久しぶりに朝から太陽が出ている。でも、強い風が吹いているので涼しくて気持ちがいい。年末から10日以上も毎日雨でジメジメしていたのが、久しぶりに湿度が下がってカラッとしている。

ニッケイ新聞は新年号の特集でよくおもしろい記事を掲載するのだけれど、今年も2016年1月1日付けのニッケイ新聞に『ペレーが日系人に寄せる厚い信頼=バウルー二世クラブで育つ=58年W杯初優勝の思い出の写真=日系女性で始まり終わる』という記事があった。サッカーに興味のある人もない人も、ペレのことを知らない人はいないと思うので、ペレと日系人との間にそんなつながりがあったのか?「へえっ~」と思うのではないだろうか?この記事の中のバウルーという町は、ここから北西へ1時間余り行ったところにあるボトゥカトゥよりも大きな町。サンパウロ州のほぼ中心に位置している。この記事のサイトは、こちらへ

同じく、『新年占う編集部座談会1=ざっくばらんに語ろう!《コロニア編》=秋篠宮ご夫妻来伯の内幕?!=移民110年に向けて準備始めよう』という記事のサイトは、こちらへ。日本国内とは異なる皇室への暖かな眼差しが感じられ、さすがブラジルの日系メディアだなと思った。

2016年1月5日(火)

次の写真は、先日、ガレージ横のシャワールームの外側の網戸の所にとまっていた大きな蛾。羽の右から左までの長さが10センチほどある大きな蛾だった。ここでは大小様々な蝶蝶がよく飛んでいるけれど、このような大型の蛾もよく見かける。ちなみに4つある白い斑点は写真ではよくわからないと思うけれど、透き通っていて、シャワールームの中側から見ると光を通していた。左右の羽が傷ついているけれど、鳥にでも襲われたのだろうか?

2016年1月6日(水)

次の写真は、森の近くのミツバチのジャタイの巣箱の棚に置いた植物で、今年もろう細工のような花を3つ咲かせていたので、そのひとつを撮ったもの。ちなみに花の後ろの葉は、別の植物の葉で、この植物の葉ではない。ダイニングルームに置いた同じ植物の鉢は新しい葉を2枚出したものの、花は咲かせていない。それで、エドソンは陽に当てた方がいいのかもしれないと言って、その鉢を窓際の棚に移動させたので、窓際の棚の上が今混雑している。2枚目の写真が、その混雑した棚で、中央の鉢がその植物。

2016年1月7日(木)

次の写真は、5日火曜日の午後撮った果樹園の丸裸になったオリーブの木2本。先月の30日だったか、31日だったか、この2本のオリーブの木が葉切りアリの攻撃を受けているのをエドソンが見つけたので、どこにあるアリの巣から来て攻撃しているのかを確かめるためにアリについて行くと、これらの木から何百メートルも離れたお隣の敷地内からやって来ていたということだった。雨が降っている時は薬をまいても効果がないので、なすすべがなく、年が明けて2日に森の貯水タンクの水をポンプで上げに行ったエドソンが、途中確認してみると、すでに丸裸になってしまっていたとガックリして帰ってきた。木によっては丸裸にされた後も復活するものがあるけれど、以前、別のオリーブの木がアリに攻撃されて1本枯れてしまった前例があるので、この2本のオリーブの木も復活できずに、このまま枯れてしまうだろうとエドソンは言っている。植えた時は小さな苗木だったものが、せっかく人の背丈くらいまで成長して、きれいな葉をたくさん茂らせていたのに、何とも残念。それにしても雨が降っていてもせっせと働いて、2本のオリーブを丸裸にしてしまう葉切りアリの威力は恐ろしい。

2016年1月8日(金)

ニッケイ新聞1月5日付けの特別寄稿で、『甘くなかったキリンの進出=ブラジルビールの王者は誰=スカッと乾杯、難しい?=駒形 秀雄』という記事が掲載されていた。ブラジルに進出したキリンビールがひどい赤字を出したことに関して、とても的を射た解釈と提言をしていて、うなってしまった。この記事を寄稿した駒形氏は記者ではなく、一般読者なのだと思うけれど、ブラジルにはこういう人たちがいる事実は日系社会の財産だなと思った。日本の進出企業はこういう人たち(つまり、日系社会)の知恵を利用しない手はないのだけれどなあ・・・。 記事のサイトは、こちらへ

2016年1月9日(土)

新年のお年賀メールで、ペトロポリスの安見さんが、年末年始に行かれた旅行の写真を送ってきてくださった。12月29日から1月3日まで、リオデジャネイロ州のお隣のミナスジェライス州にあるサン・ロレンソ(São Lourenço)に同年代のお仲間8名と行かれたのだとか。サン・ロレンソはリオデジャネイロ州との州境から程近いところにあり、観光地として有名なところだとエドソンが言っていた。安見さんご夫妻以外はみなさん元先生ということで、毎日のスケジュールとワークショップ用の材料を用意してきており、皆集合時間を守り、哲学的なテーマに自分の意見を発表させられるのは苦手だったけれど、結構面白い毎日だったと書いておられた。このきっちり感は彼らの職業的な性格なのだろうか?リオデジャネイロっ子のことをカリオカ、リオデジャネイロ州っ子のことをフルミネンセと呼ぶのだけれど、かなりいい加減な人の多いカリオカやフルミネンセとはまったく異なる人たちだなあとメールを読みながら思った。深く知れば知るほどペトロポリスはブラジルというよりもヨーロッパだなと思う。

次の写真は、元旦の朝、宿泊したホテルのベランダから見える公園を撮ったもの。2枚目の写真は今回の旅行の参加者の集合写真。

次の写真は、木材焚き機関車の観光列車に乗られた際の撮ったもの。観光列車があるのか、乗ってみたいなあ・・・。

2016年1月10日(日)

以下は、ニッケイ新聞1月8日付けの「コラム 樹海」からの転載。

大統領罷免とリオ五輪の行方を占う

『先日、某テレビ局のニュース番組編集局長に、「インピーチメント(大統領罷免)の可能性はどのぐらいあるか?」と尋ねたところ、あっさり「難しいね」と答えてきた。理由を問うと、下院で受理された財政責任法を根拠にした罷免請求に対し、ジウマは年末に粉飾会計を清算するなどの対処をしており、罷免申請の審議が実際に開始される2月の時点では相当に対策が施されて、論拠が弱められた状態に変わっているだろうと予測した▼皆が指摘することだが、3月に予告されている抗議行動が盛り上がるかどうかが、インピーチメントの行方を握る。もしも大人数なら、罷免に投票するか迷っている連邦議員の背中を強く推す。ただし、同編集局長は「クーニャが早々に辞めさせられないとデモは盛り上がらない」と見ている。つまり、2月から始まる最高裁のクーニャ下院議長の更迭審議の進展が、インピーチメントに大きな影響を与えるようだ▼彼は「むしろ、選挙高等裁判所(TSE)に申請されている大統領選での違法な選挙活動の審議の方こそ可能性があると見ている。ペトロロン疑惑の賄賂が大統領選挙資金に流れ込んでいると指摘されている件だ。そうなるとシャッパごと(副大統領も)罷免になる」とも▼たしかに「立法」(連邦議会)のCPI(議会調査委員会)で疑惑が解明されることはないが、近年の「司法」の活躍ぶりはラヴァ・ジャット作戦に象徴される通り目覚ましい。裁判で「罷免」なら史上初だ▼加えて「いつ頃になったらリオ五輪の雰囲気が盛り上がるか」と訊くと、「サッカーW杯も一カ月前になってようやく盛り上がった。今回も同じ。だいたいリオ五輪が成功したら、PTやジウマの手柄になると、みんな思っている。だから反対派はリオ五輪の成功すら期待していない」とし、10月の地方選挙直前というタイミングが、一般市民がリオ五輪を斜めに見る雰囲気につながっていると分析した▼TVクルツーラのニュース(4日夜)で、歴史学者マルコ・アントニオ・ヴィラが「リオの公立病院では大病を患った市民に使うガーゼを買う金すらないのに、五輪施設には目もくらむような大金が投じられている。このお金の使い方は明らかに間違っている」と政権批判をしていた。五輪開催を素直に喜ぶというよりは、そんな雰囲気が濃厚だ▼件の編集局長に「もしインピーチメントが五輪直前に起きたら、誰が開会式でブラジルを代表するのか?」と聞くと、「クーニャだけはゴメンだな。かといってレナンも危なくなってきているし―」と口ごもった。実は誰もそこまで考えていない…。最悪のシナリオを考えた場合、正副大統領がシャッパごと罷免、下院・上院議長も―となれば、残るは最高裁長官が暫定大統領に…。万が一そうなれば、まさに前代未聞。スポーツ記録以外でも大いに話題を呼ぶ五輪になるかも。(深)』

2016年1月11日(月)

1月5日付けのニッケイ新聞に、『新年占う編集部座談会2=ざっくばらんに行こう!《ブラジル社会編》=〃泥〃まみれの一年振りかえる』という2回目の座談会記事が掲載されていた。この座談会記事のサイトは、こちらへ。ちなみにこの記事に関連する情報として、今年のカーニバルは2月6日から9日まで。そして、蛇足として、昨年末辞任したレヴィ財相は、年が明けて世界銀行の財務部門の部長として迎えられたというニュースがあった。つまり、レヴィが無能だったのではなく、やはりジウマが無能で、有能な人を任命してもその人に手かせ足かせで、自分の思い通りにしようとしたのが間違いだったのだということがバレてしまった恰好だ。

この夏は、ランドマークの木の後ろ側に生えて育っているパパイアの木がいくつも実をつけて、ほんのり色づくようになっているので、虫や鳥に食べられてしまう前に、実が少し黄色くなりかけると採ってきて、台所のかごでもう少し色づかせた後、いただいている。実は小さく、皮の表面が売り物のパパイアのようにきれいではないので、痛んだ部分を切り取ると食べられる実の部分は小さくなってしまうのだけれど、甘味は以前、別の木になったものよりも甘く、十分食べられる。2枚目の写真は、採ってきて、台所のかごの中で他の果物と一緒に寝かせているパパイア3つ。右端のものはもう食べられると言うか熟しすぎの状態になっていたので、この写真を撮った次の日に朝食でいただいた。

2016年1月12日(火)

昨日の朝、エドソンは「衛星周波数調整グループ」の国際会議にスカイプで参加した。このグループは、国連の機関である国際電気通信連合(ITU=International Telecommunication Union)の協力組織である国際アマチュア無線連合(IARU=International Amature Radio Union)の中にある衛星の周波数を調整する専門家グループ。衛星プロジェクトを行っている世界の国々は、ITUの国際ルールに従う義務があり、衛星通信でアマチュア無線の周波数を利用する場合、IARUのこのグループの調整や勧告を受けることになっているのだとか。このグループの代表は南アフリカのハンスさんで、もう何十年もこの仕事をしている。メンバーは北アメリカ(アメリカ)から2名、ヨーロッパ(ドイツ2名、イギリス1名)から3名、日本から1名、中国から1名の計8名だったものに、今回南米から初めて任命されたエドソンが加わり計9名になって、初めて行われた国際会議だった。エドソンはブラジルアマチュア無線協会(LABRE)の中に、アムサットブラジル(AMSAT-BRASIL)技術グループを立ち上げて、アメリカのAMSATやイギリスのAMSAT-UKと協力して様々活動してきたことや、ブラジル国内でもLABREの技術コンサルタントとして、アマチュア無線に関するブラジル国内での理解を深め、様々な衛星プロジェクトに技術支援を行い、LABREとIARUの存在意義や価値をアピールしてきたことが認められた結果になったようだ。これはあくまでもボランティア活動ではあるけれど、今回の任命で、LABREのブラジル国内での認知度や、国際社会での認知度を高めるのに大きく貢献したことになる。エドソンは認めてもらいたくて活動をしているわけではなく、アマチュア無線の技術に関わることが好きなのと、アマチュア無線を普及させ、もっと若い人たちにアマチュア無線に親しんでもらいたい。そして、できれば彼らに将来科学の道に進んでほしいという気持ちでやっているのだけれど、彼のやっていることが国際的にポジティブに認めら、活動の幅が広がるのはうれしいことだと思う。おめでとうエドソン!

2016年1月13日(水)

次の写真は、先日掲載したランドマークの木の後ろのパパイアの木のお隣に生えている木。小さな実がたくさんなっていたので撮ってみた。これってグアバだろうか?アボカドだろうか?よくわからないので、エドソンに見て確かめてもらうと、グアバだということだった。ランドマークの木の後ろには台所から出た野菜くずや果物の種などを何度も埋めたので、パパイア、マンゴー、マラクジャ(パッションフルーツ)、アボカド、グアンドゥ豆などなどが生えて、とてもにぎやかになってきている。でも、どれもまだそんなに大きな木には育っておらず、これまで何とか実をつけたのはパパイアだけ。このグアバの実も何とか食べることができるくらいまでちゃんと育ってくれるとうれしいなあ・・・。でも、ここらを飛び交うハエはこのグアバの実に卵を産みつけるので、実にひとつひとつ紙袋を被せてハエが卵を産みつけないようにしないと、ちゃんとした実はできないのだとか。さて、困った・・・。

次の写真は、ランドマークの木の前に生えている草。まるで線香花火を上下逆さまにしたような草なので、写真に撮ってみた。こんな草、日本ではもちろん、ここに来てからもこれが初めての遭遇。そして、この1本以外、他にはどこにも生えていない。不思議。不思議。

2016年1月14日(木)

次の写真は、先日の夜、居間に持ってきたくしゃくしゃのキューブ型ベッドの中でくつろぐはる(手前)とひろ(後ろ)。最近、まだ本格的に寝る時間ではないのに、夜は昼間使っているベッドではなく、この古いキューブ型のベッドの方がいいらしく、こちらのベッドを要求するので、寝室からわざわざ持ってきて使っている。彼らのクリスマスプレゼントとして買った新しいキューブ型ベッドはまだ使わず納戸の中。と言うのも、ひろがベッドを噛んで破いてしまうため、こうなったらこの古いベッドがボロボロになるまで使おうと決めたから。ひろはエネルギーを持て余しているのだろうと思う。一方、はるは新年が明けて3日目か4日目くらいに、エドソンがボールで一緒に遊んでいる時、高く飛び上がりすぎて着地に失敗して体のどこかを痛めたのか、先週はどうも調子が良くない感じなので、痛み止めなどの薬を与えたりして様子を見ていたのだけれど、どうもすっきり回復しない。それでこの月曜日の午前中、エドソンのスカイプ会議が終わってから、雨がザーザー降る中、ボトゥカトゥのドトーラ・ヴィットリアのところに連れて行って診てもらった。いろいろ調べてくれ、血液検査もしてくれたのだけれど、どの検査結果も異常なしということで、やはり着地に失敗してどこかを打った痛みが少し残っているのだろうということだった。痛みを和らげる薬を処方してもらって様子を見ることになった。その後、徐々に調子を取り戻してきて、昨日はほぼ普段のような感じに元気を回復してくれたので、ほっとひと安心。はるは生まれつき肝機能が弱いという体質なので、時々食欲がなかったりするのだけれど、その他にも結構いろいろアクシデントがあり、心配の多い子ではある。だからとにかく元気にしてくれていることが私たちには一番ありがたい。

2016年1月15日(金)

以下は、1月12日付けニッケイ新聞「コラム 樹海」からの転載。この記事の中で、10万円の生活保護はレアルに換算すると3500レアルとあるけれど、これは最近のレアル安の為替レートで換算した額なので、ブラジルにいて日本から10万円を受け取って暮らすのなら3500レアルになり、十分暮らせる金額だけれど、日本の物価高の中で月10万円で暮らすのはかなり厳しいと思う。日本よりも物価の安いブラジルでの生活感覚で言うと、この日本の10万円はブラジルでは1000レアルくらいの感じだと思う。これは最低賃金よりも3割くらい多い金額だけれど、それでも月1000レアルで生活するのは、ブラジルでも厳しい。この記事を読んで、ただ単純に円とレアルの金額だけを比較してもあまり意味がないように感じた。

日伯の日系社会が相互支援の時代へ

『昨年12月24日付朝日新聞が《町の生活保護受給者、外国人が3割超=群馬・大泉》と報道し、ネット上で「ブラジルへ帰れ」との声が上がっていると本紙7面で報じられた▼日本人自体に「中高年フリーター」(35歳以上になっても定職につけない者)が急増して社会問題化している中、多額の税金を失業外国人に使っているとの批判はムリもない▼ブラジルに「生活保護」制度はないし、帰伯してすぐ月10万円(3500レアル)稼げるものは少ないだろう。在日伯人自体は半減したのに、大泉町では減らず、外国人全体はむしろ増えた。一般に「言葉ができない外国人ほどコミュニティを必要とする」から集まる▼金融危機後、在日伯人は帰伯するかどうかの選択を迫られ、日本政府は「支援金」まで用意して帰伯を促進したことは記憶に新しい。半数近くが帰伯を選択したが、「日本の方が良いと選択した者」「ブラジルに帰れない事情がある者」が残った。このうち前者は日本社会への順応度は高いだろうが、問題は後者だ。もともと伯国で満足な仕事に就けなかったものが訪日就労したし、伯国に戻っても、移民の子孫ゆえに頼れる親類縁者も多くない▼訪日就労者本人も、家族を養うために単身で訪日したが、寂しさのあまり日本で愛人を作って帰るに帰れなくなったものも多いと聞く。訪日中にブラジルの親族といさかいを起こし、縁を切った人もいる。彼らは孤立無援のまま日本で高齢化するしかない▼とはいえ、ブラジルに来た日本移民が作った最初の〃日本人街〃コンデも、「移民会社の契約と実際が違う」とコーヒー耕地を夜逃げした者の集まりだった。でも移民はコミュニティを互助組織として育て上げ、自力で福祉団体や病院を作り、日本語学校を作り、文化協会、老人クラブなどを組織してきた。この一連の互助活動にコミュニティは決定的な役割を果たした▼在日ブラジル人社会には強力なコミュニティ組織がないことは以前から指摘されている。これは、時給が10円でも高い仕事があれば引っ越しをする派遣労働者が多く、賃金が安い直接雇用に満足して一カ所に定住する者が少ないことが背景にある。日本人ですら終身雇用でなくなる流れの中で、外国人労働者はその露払いのように90年代から〃雇用の調整弁〃として扱われていた▼大泉には金融危機以前、リーダー的人物がけっこういた。自営業者が多く、同危機で自分の会社が立ち行かなくなり帰伯してしまった。その結果、特に危機後に求心力がなくなったようだ▼そんな大泉にNPO交流ネットが「ブラジル資料館」を作る話が持ち上がっているのは歓迎すべきことだ。再び求心力を与える「再生拠点」となり、互助組織に育ってほしい。ブラジル側の日系団体、例えば援協などもそれに支援してもいい。まずはJICAと協力して在日日系社会の実態調査をし、どんな支援をすべきかを見極めたらどうか▼日本で「日系人」「ブラジル人」の印象が悪くなれば、それは当地日系社会にも跳ね返る。これからは日伯の日系社会が相互支援する時代ではないか。(深)』

2016年1月16日(土)

次の写真は、以前ランドマークの木の横に生えてきたトマトにひとつ実がなっていると紹介したそのトマト(右)。左にお店で買った普通のトマトを並べて比べてみた。同じような大きさだけれど、色がまだちゃんと赤くなっていない。でも、これ以上放っておくと、鳥や虫に食べられてしまうから収穫した方がいいとエドソンが言うので、収穫した。数日果物かごに入れておいたらだんだん赤くなってきて、お店で買ったものとあまり変わらない色になった。

去年、私の英語のクラスは、ジミーとジェフが家庭や仕事でゴタゴタしていてゆとりがなくなったので、しばらく休むと言って、年始めに彼らのクラスが消滅し、ダニエラのクラスだけになっていたところ、成人したヴィトーが5月頃戻ってきて、クラスは2つになっていた。そして、暮れも押し迫った12月半ば頃、ジミーから連絡があり、またクラスを再開したいと言ってきた。彼はフェルナンダと離婚してひとりアパート暮らしをしていたのだけれど、パーディーニョの新しい住宅街に家を建てて、まだ結婚はしていないようだけれど、ガールフレンドのジセレーニ(Gisselene)と一緒に暮らし始め、生活が落ち着いたのと、仕事の方も何とか大変な時期を乗り越えたのか、12月に10日ほど仕事を兼ねてヨーロッパ旅行に行き、あらためて英語の必要性を感じたのかもしれない。このヨーロッパ旅行にジミーはジセレーニを、ジェフは奥さんのリー(Li)を同伴し、4人で各地を回ったということだった。それで、ずっと以前から英語のレッスンを受けたいと言っていたリーの気持ちに火がついたのか、リーとジセレーニが一緒にレッスンを受けるということになり、今週からジミーとジェフのクラスだけでなく、リーとジセレーニのクラスも始まった。これで今年は4クラス、6人の生徒さんでレッスンをすることになった。次の写真は、最初のレッスンが終わって帰る前に撮ったジセレーニ(左)とリー(右)。

2016年1月17日(日)

先月の初め、ビッショ・セハドーという虫が、庭のフランボヤンの木の枝を切っている写真を掲載したけれど、今度は、庭の桜の木の大きな枝が一晩で切られてしまったことを、先々週土曜日の朝一番のはるたちのオシッコに出た際発見した。前日の金曜日の夕方から雨が降り出し、夜の間じゅう降ったり止んだりを繰り返していたけれど、強い風は吹いていなかったので、これは風のせいではない。風で枝が折れたのであれば、2枚目の写真のようにきれいに一直線に枝が折れるはずはないので、これはビッショ・セハドーの仕業だとわかる。フランボヤンとは違い、この桜の枝は結構太いのに、雨の中一晩で切ってしまうなんて、ああ、やれやれ・・・と、ため息が出る。葉切りアリといい、ビッショ・セハドーといい、自然との共存はなかなか大変。

2016年1月18日(月)

以下は1月16日付けニッケイ新聞の「コラム 樹海」からの転載。

ブラック・ブロック復活で、大統領罷免が遠のく構図とは

『モラエス聖州保安局長が13日、「モビメント・パッセ・リブレ(「公共交通の無料化運動」の意=MPL)はブラック・ブロック(BB)の覆面に過ぎない」とこめかみを震わせながら怒り心頭の表情で記者会見した。それをテレビで見て、保安局長たるもの何で今ごろ気付いているのかと驚いた。一部では〃常識〃的な話だからだ▼MPLが平和的にデモ行進をしている最中に軍警と衝突になり、その後BBが現れて破壊行為になるパターンの繰り返し。MPLはキチンとデモ順路を事前に警察に届けて平和的にデモをし、「参加者を限定しないから、BBが紛れ込んでいた。我々は無関係。勝手に少数が暴れている」と弁明してきた▼でも1年半前の時点で、Veja誌電子版で評論家レイナルド・アゼヴェードは《MPLはBBの覆面部隊だ》(14年6月21日付)との面白い表現を最初に使った。黒装束で覆面するBBこそ正体であり、楽器を叩いて平和そうにデモ行進するMPLの方が〃仮の姿〃と喝破した▼また9日付sensoincomum.orgサイトでも《なぜBBはMPLのデモのときだけ〃紛れ込む〃のか?》との記事を掲載し、《彼らは一つのグループだ》と結論付けている▼ではMPL=BBは何を目指しているのか――。哲学者ルイス・フェリッペ・ポンデーは「MPLは13年をまた起こそうとしている」とテレビでコメントした。思えば13年6月15日、サッカーコンフェデ杯の開幕試合「日本対ブラジル」の前後、MPLのデモが途中からBBの暴動に変わった。それを警官隊が激しく鎮圧、その暴力的な場面が世界から集まったマスコミに大きく取り上げられた。若者が警官に石や火炎瓶を投げては、催涙弾を撃ち込まれて蹴散らされるという刺激的なシーンだ▼それが当時、中東や東欧で起きていた一連の〃◎◎の春〃の「独裁政権に対抗する若者」にダブって見え、社会全体に一時的な覚醒作用をもたらして〃抗議行動の波〃になり、驚いた聖市はバス乗車賃値上げを取りやめた▼前回はW杯の前、そして今回は五輪の直前だ。ポンデーは「彼らが主張する《公共交通機関の無料化》という〃分かりやすくて不可能な標語〃の裏にある本当の理想は、アナーキズム(反権力主義)、反資本主義だ」と指摘する。無料化が可能かどうかを本気で考えているのではなく、大衆は常に「安い方が良い」と思っている志向に寄り添う標語を打ち出しているだけ、その先にどんな社会が理想かなど考えていない、ただの「反対のための反対」と見ている▼《彼らはマスコミを資本主義の最たる存在と見ており、同時に、刺激的な場面を報道したがる習性を良く知っている。暴力シーンが発生して報道されるほど国民の関心が高まる。だから、彼らは警察を挑発して暴力を待っている。流血シーンは彼らの思う壺》とポンデーは分析する▼銀行を破壊したり、メトロやバスにタダで乗ろうとして混乱を起こし、軍警との衝突を誘発して被害者ぶる戦術のようだ。権力と暴力的に対峙する姿を、マスコミを通じて見せることで、より左派的体制への〃国民の覚醒〃を呼び覚ます―が建前らしい▼ただし、13年6月の〃波〃の時は、市が値上げを早々に諦めてMPLが休止宣言を出した後に運動が変質した。BBだけが前面に立って大騒ぎをするようになると民衆は急に冷めて離れた。あまりにも日常に暴力事件が溢れているせいか、ブラジル人は本質的に暴力が嫌いだ。そのせいか、W杯本番の14年には組合デモばかりになり、一般大衆参加型のデモが復活したのは15年3月だった▼ところが今年は年初からBBが復活。前回の流れからすれば、3月の大規模抗議行動、五輪前のデモ大衆参加に対し、彼らの復活は明らかにマイナスに働く。BBの後ろには左派政党がいるとの噂も…。3月デモが大規模にならなければ大統領罷免は不可能であり、ジウマはBB復活にしめしめとほくそ笑んでいるかもしれない。もしや、そのために〃誰か〃が復活を仕組んだのか――。(深)』

2016年1月19日(火)

1月14日付けのニッケイ新聞に、「リオ五輪=治安悪化で受け入れ大丈夫?=領事館、24時間電話増員=メルマガ発信、委員会召集へ」という記事があった。緊急事態発生の際に電話をすると24時間日本語で対応してくれる電話番号や、リオの危険情報を発信するメルマガサイトなどが掲載されている。緊急事態は発生しない方がいいけれど、万が一の場合に助けを求められる場所があることを知っておくのは心強いし、メルマガでは気をつけるべきいろいろな情報が得られるのだろうから、今年リオに来る人たちにはお役立ちの情報ではないかと思う。この記事のサイトは、こちらへ

家の西側にある外ベランダは均一に平らでなく、向こう側に窪みがあるようで、雨が降ると水たまりができる。そして、雨が止み、少し日差しが出ると、この水たまりで小鳥が水浴びをしていることがよくある。先日も小鳥が水浴びをしていたので次の写真を撮ってみた。パシャパシャ水しぶきを上げていたのだけれど、どうもうまくシャッターチャンスが合わず、2羽の小鳥がただ水たまりにたたずんでいるだけの写真になってしまった。

2016年1月20日(水)

以下は、1月16日付けニッケイ新聞からの転載。インターネット上にある日本の報道では見かけない情報だけれど、本当なのだろうか?プロテニス界の八百長疑惑についてはCNNやBBCがテレビニュースでやっていたけれど、この東京五輪の票買収のニュースについてはまだないように思う。何故、ブラジル紙だけが報道しているのだろう?そして、スポンサー契約をしたことが、どうして買収ということになるのだろう?

ブラジル紙=東京五輪で票の買収と報道=ドーピング疑惑追及機関がなぜ?
=日本企業実名挙げて推理を展開

『15日付エスタード・デ・サンパウロ紙が、スポーツ面トップで、2020年東京五輪招致レースで票の買収が行われていた疑いがあると大々的に報じた。

記事によると、世界アンチドーピング機関(Wada)の第三者委員会が14日、20年の東京五輪招致で買収があったと書かれた報告書を発表したという。

同報告書では、東京のライバル候補だったイスタンブール(トルコ)は、当時の国際陸上競技連盟(IAAF)会長のラミーネ・ディアク氏の息子で、同競技連盟のコンサルタントのハリル・ディアク氏に500万ドルの供託金を払わなかったため、IAAFの票を失ったとしている。

Wadaは、ラミーネ氏の息子のハリル氏やパパ氏がスポンサーや陸上選手達と交わした会話から、トルコが拒否した支払いを日本は受け入れたことが読み取れたとし、IAAFへの供託金の支払いが日本が開催国に選ばれた要因の一つとなったとみている。

東京は決選投票でイスタンブールを60対36で降し、1964年以来、56年ぶり2度目の開催地として選ばれた。

Wadaは、ロシア人選手のドーピング疑惑を調査する過程でこの情報にたどり着いたとしている。

ディック・ポウンドWada委員長は、Wadaの優先事項はドーピング疑惑の追及であるため、日本サイドからの支払いや、ハリル・ディアク氏が行っていた疑いのある収賄については深く追求しなかったと説明すると同時に、国際刑事警察機構(インターポール)とフランス検察庁は同件を追跡中だと断言した。フランス検察庁は既に、IAAF幹部の通話や銀行口座の動きについての情報開示の許可を得ており、メールの内容などを捜査中だ。

エスタード紙は、現在のIAAFのスポンサー7社中、4社は日本企業(キャノン、セイコー、TDK、トヨタ)で、IAAFがこれら4社のスポンサー契約と引き換えに、日本支持に回った可能性があると推論している。(1月15日付エスタード紙より)』

2016年1月21日(木)

先月の中旬頃、かぼちゃか何かが芽を出して黄色い花を咲かせている写真を掲載したけれど、それが実をつけ、黄色く色づいてきて、かぼちゃだということが確認できた。次の写真は、この日曜日の午後撮ったその実をつけているかぼちゃ。でも、右側のかぼちゃはすでに葉で隠れた3分の1くらいが虫に食べられていた。左のかぼちゃはまだ黄色く色づいていない。2枚目も同じかぼちゃの芽で、1枚目のかぼちゃの写真の真ん中辺から左上に伸びているつるの先で咲いていた花が実になり始めている状態を撮ったもの。うちではかぼちゃを買う際、オレンジ色の大きなかぼちゃよりも、緑色の小さめのかぼちゃの方がおいしいので、そちらを買うのだけれど、どうして緑色ではなくて、オレンジ色のかぼちゃが生えて来たのだろうかと不思議に思っていた。つらつら考えてみて、1年前のクリスマスにエドソンの従姉妹のエジヴァニが持ってきた小さなオレンジ色のかぼちゃをしばらく飾っていたのだけれど、何ヶ月かしてさすがに痛んで来たので、野菜くずと一緒に穴に埋めたことを思い出した。だからこのかぼちゃがオレンジ色で普通のものよりも小さいのだと納得。

2016年1月22日(金)

先週の土曜日の夜明け前くらいまで降っていた雨が止んでから、以後、今日まで丸6日間雨が降っておらず、時々日差しが出る比較的いいお天気が続いている。雨の降らない日が4日以上続くのはとてもとても久しぶり。でも、気温が低く、夏とは思えない涼しさで、最低気温は13度から19度の間を行き来しながら、だいたい15度前後で、最高気温も太陽の日差しがどれだけあるかによって、23度から28度くらいで推移していて、だいたい25度前後。南からの冷たい強い風が吹く日が多く、半袖シャツだけでは寒いので、その上に長袖のカーディガンを着て、午後ちょっと暑くなったら脱ぎ、夜はまた着るというのを繰り返している。本当だったら今の時期、暑くて、夜は毎晩扇風機のお世話になっているのに、このところ肌掛けだけでは寒くて、毛布を1枚足して寝ているほど。庭の桜の木も12月あたりからどんどん葉を落とし、季節を勘違いしている様子。一体夏はどこへ行ってしまったのだろう?

一方、クアレズマはこんなおかしなお天気でも、毎年12月末頃から咲き始め、1月の今頃になるとほぼ満開の見頃になるスケジュールの通りに、今ピンクのきれいな花を咲かせている。次の写真は、西隣のコーヒー農園の入り口から家に向かう道沿いに並んで花を咲かせているクアレズマの列を撮ったもの。2枚目の写真は、うちの庭のクアレズマ。木の上の方にほんの少しだけ花をつけている。3枚目は丘の上の貯水タンクの側のクアレズマ。こうやって比べると、うちの庭のクアレズマが一番若いぶんだけ花のつき具合が一番遅いようだ。ちなみに、『クアレズマ』はクワレズメイラという南米原産のノボタン(野牡丹)科の花樹(かじゅ)の事なのだそう。

2016年1月23日(土)

エリゼウから竹の一種と言ってもらい、庭に植えた植物が、昨年ランのような花をさかせたので、これは竹なのだろうか?ランなのだろうか?とブログに書いたら、ペトロポリスの安見さんが、「それはランです。うちにも同じものがあります」と、メールをくださり、ランだとういことが判明したのだけれど、そのランがまたつぼみをつけて、花を咲かせたので写真を撮った。普段はひょろひょろとしてあまり存在感がないというか、元気がないような感じなのだけれど、ちゃんと花を咲かせるということは、十分に元気ということなのかな?このランの背景の木は、種から育てたくぬぎ。だいぶ大きくなった。

1月19日付けのニッケイ新聞の「コラム 樹海」に、『金持ちほど税金を払わないブラジル税制の現実』という記事があった。その記事の中で、「伯国人口の3・6%の富裕なA層(月収1万4695レアル以上)が総所得の37・4%を得ている。B層(4720レ以上~A層未満)は人口の15%で総所得の26・5%、C層(1957レ以上でB層未満)は人口の28%で総所得の22・6%、D/E層(1957レ~C層未満)は人口の53・5%を占めるが13・6%のみだ」という記述があった。お金持ちから税金をたくさん取らないのは、税率を決める政治家たち自身がA層のお金持ちだから、自分たちに都合のいいようにしているのだろうと思う。それに比べると、日本はいろいろ問題があっても、ずっとフェアだなあと思う。この記事のサイトは、こちらへ

2016年1月24日(日)

この夏は雨降りの日が多く、手伝いのヒバマーが仕事に来れない日が続いていたため、あちこち草ボウボウで目に余る感じになってきた。それで、今月に入ってから1日置きくらいのペースで、雨の止み間に庭や入り口ゲートに向かう道沿いのアメンドインの中に生えた背の高い草を抜く作業を短時間、ぼちぼちとやった。そして、先日は車寄せからベランダまでの芝生を切る作業をした。次の写真は、ベランダの前のボウボウになっている芝生の状態を水曜日の午後撮ったもの。2枚目は、大きなハサミを使って、そのボウボウになった芝生を切って、歩きやすくするための作業を少しした後、撮ったもの。切れ味の悪いハサミをヤスリで削りながらの手作業なので、わずかこれだけするのに2時間半近くかかってしまった。でも、この日は曇り空で陽が差さず、涼しい風が吹いていたので、何とか2時間半くらい作業を続けることができたけれど、これがいつもの夏の炎天下だったなら、とてもじゃないけれど、私は1時間ももたないと思う。

そして、金曜日に再度作業をして、何とか車寄せからベランダまでの間だけでも歩き易くした。ベランダの向こう側のシュハスコ小屋までのエリアは、私たちが通るだけで、お客さんがうちに出入りするのには関係がないので、またいつかと後回し。金曜日は日差しが少しあり暑くなったので、1時間半くらいの作業でクタクタになってしまった。我ながら体力ないなあとつくづく思う。そして、昨日はずいぶん久しぶりにお天気のいい土曜日になり、ヒバマーが来て作業をしてくれた。朝食後のはるたちとのお散歩の際、エドソンはヒバマーに「お早う。久しぶりだねえ・・・寂しかったよ」などと声をかけていた。

2016年1月25日(月)

土曜日の朝、私がヴィトーの英語のレッスンをしている間に、エドソンがいつものように週1回のスーパーへの買出しに行ってくれた。いつも行くスーパー・パーディネンセは金曜日に商品を仕入れるらしく、土曜日に行かないとまともな野菜や果物といった生鮮食料品がないので、最近は土曜日に行くようになった。エドソンが持って帰ってきた荷物の中に2種類のバナナがあったので、写真に撮ってみた。左側の小さ目のバナナは13センチくらいで、このまま食べる普通のバナナ。右側のバナナは23センチくらいと大きく、このまま食べるのではなく、スライスしてフライパンで焼いた後、砂糖やシナモンをふって食べたりする調理用のバナナ。この大きな調理用のバナナをどのようにして食べたいのかエドソンに聞くと、まずは焼きバナナにして、朝食のパンにはさんで食べようという。でも、まだ若くて食べ頃ではないので、次の週末くらいまで待って、バナナが熟した頃、焼きバナナサンドを作って食べようということになった。

2016年1月26日(火)

先週は1週間ずっと雨が降らず、この夏一番長く比較的いいお天気の日が続き、土曜日、日曜日は夏が戻ってきたような日差しの強いお天気になった。でも、土曜日は午後5時前から強い雨が降ったため、手伝いのヒバマーが帰宅できず、1時間近くうちで足止めを食ってしまった。日曜日も午後4時前から激しい暴風雨が襲来して停電してしまった。暑い1日になると夕方になって雷雨があるのはここの夏のお約束のお天気なので驚きはしないけれど、停電は長く続くと困ってしまう。午後5時を回って雨が止んでから、エドソンがカロリナ・ソイルの所まで様子を見に出かけて行った。ほどなく戻ってくると、「大変!カロリナ・ソイルとアリステウの家の間にある2本の電信柱のうちの1本が倒れて、道を塞いでしまって車が通れなくなっている。しかも側の木に電柱が接触して、木の枝の一部が燃えていた」と言う。「これだと当分電気は復旧しないね。やれやれ・・・」とふたりでため息をついた。倒れた電信柱は、私たちがここで暮らすようになってから、うちと西隣のコーヒー農家まで電気を通すためにカロリナ・ソイルの所から1キロ弱の道沿いに建てられたものの1本で、頑丈なコンクリートの電信柱で、いくら暴風雨と言ってもそれが倒れるようなひどい突風が吹いたわけではないので、おそらく手抜き工事で、電信柱を十分地中深く埋めていなかったということだろうとエドソンは言っていた。夕飯を食べて、暗くならないうちにシャワーも浴びてしまおうと、シャワーを浴びたのだけれど、暗くなると本当に何もできないので、8時過ぎにはベッドに入った。翌日の月曜日は、エドソンは定例のスカイプでの国際会議があるので、9時前にジミーの工場に行きインターネットを使わせてもらい、何とか会議に参加できた。エドソンが帰宅して昼食を食べ終わり、はるたちとのお散歩から戻り、少しすると電気が復旧したのでほっとした。

2016年1月27日(水)

我が家の日曜日の朝は忙しい。まず、起きてからいつものように朝一番のオシッコにはるとひろを連れ出し、その後、エドソンに彼らの体を洗ってもらうために、バスタオルや石けんの用意をし、まずはるからシャワールームに入れて体を洗ってもらう。はるは、私がバスタオルや石けんをシャワールームに運んでいるのを見ると、今日は体を洗うらしいということを察知して、ベッドルームの隅に逃げ込んで小さくなって、ささやかな抵抗をするけれど、シャワールームに入ってしまえばおとなしくエドソンに体を洗ってもらう。一方、ひろは以前はシャワーが苦手だったけれど、最近はおとなしくエドソンが体を洗ってくれるのに身をまかせるようになった。その上、順番を待っている間、自発的にシャワールームのガラス扉の前の足拭きマットの上でおとなしく自分の番が来るのを待っているのがなんとも可愛いので、写真を撮った。はるのシャワーが終わりに近づくと、ひろをシャワールームに入れ、その後はるを出して体を拭き、ひろのシャワーが終わると、彼を出して体を拭き、すぐに2匹を外に連れ出して、ウンチ。はるが赤ちゃんの頃は、シャワーの後すぐに連れ出さないと家の中でおもらしをしていた時期があったけれど、ひろはシャワーの後はオシッコではなくウンチを催すので、間髪入れずに、すぐに連れ出さなくてはならない。その後、私たちの朝食の準備をして食事をし、2匹にも食事をさせてから、みんなで朝のお散歩に出る。これでようやく朝一番のバタバタが一段落する。

2016年1月28日(木)

次の写真は、ランドマークの木の側のパパイアの木(左)のお隣で花を咲かせているフランボヤンジーニョ(右)。パラカンビから持ってきた苗木を20本余り植えているのだけれど、ほとんどはまだ植えて間がなく、まだ小さいのだけれど、この木は何年か前に最初に植えたので、大きくなっていて、近年花を咲かせて、目を楽しませてくれている。2枚目の写真は、花をアップで撮ろうとしていたら、黒地に白い筋の入った大きな蝶々が花のまわりを飛んでいたので、一緒に撮ろうとして、急いでシャッターを押したので、ちょっとピンボケになってしまった。

2016年1月29日(金)

以下は、1月27日付けニッケイ新聞のブラジル国内ニュースからの転載。この記事の中の4つの食べ物のうち、モルタデーラ・サンドイッチはまだ食べたことがない。サンパウロ観光と言えば必ず市営市場が紹介されて、そこでぜひ食べてみてほしい食べ物としてこのサンドイッチが紹介されるので、知ってはいるけれど、まだその市場にも行ったことがない。ポン・ナ・シャッパはお店で食べたことはないけれど、エドソンがたまに朝食に作ってくれるので、うちで何度か食べたことがある。この記事の中で言うフランスパンは、日本やフランスにある本来のフランスパンではなく、ブラジル独特のパオンジーニョ・フランセーザ(小さなフランスパン)と言う、普通のバゲットの3分の1くらいの小ささで、柔らかいパンのこと。でも、このポン・ナ・シャッパはエドソンがリオで暮らしていた頃は、リオではあまり一般的ではなく、むしろ、食パンにチーズをはさんで両面焼きの器具にはさんで作るホットサンドが一般的だったと言っていた。そして、パステルとピザは言うまでもなくどこに行っても人気の軽食。これらはさしずめブラジルのB級グルメと言ったところだろうか。またこの記事に、サンパウロは「世界を代表するナイトタウン」とあるけれど、治安は良くないので、夜は出歩かないという人も少なくないという現実もあり、治安のいい大都会東京のようなナイトライフを楽しむ環境ではないように思うのだけれど・・・。

462歳のサンパウロ=元市民が恋する名物食べ物は?

『25日はサンパウロ創立462周年だったが、同日付アゴラ紙は、サンパウロ市出身者で市外、あるいは他州へ引っ越した元市民に、「サンパウロの何を恋しく感じるか」を聞いてみた。

それによると、目立った答えは「24時間眠らない町」であることと、「食の豊かさ」だった。

サンパウロは世界でも有数なほどナイトライフに恵まれた町で、それは雑誌「ナショナル・ジェオグラフィック」が同市を、「世界を代表するナイトタウン」の第4位に選んだほどだ。

また、サンパウロは、2万軒のバーと1万5千軒のレストランがあるほどの食の街だ。料理人の腕前も評判がよく、世界ランキングで上位に入るレストランも少なくない。

そんなサンパウロの食生活で、元市民がもっともなつかしさを感じるものとしてアゴラ紙があげたのが、「ポン・ナ・シャッパ」「パステル」「ピザ」「モルタデーラ・サンドイッチ」の四つだ。いずれもサンパウロ市民にとっては、「日常的」と言っていいほど浸透しているものだ。

ポン・ナ・シャッパは、パターを塗ったフランス・パンを熱した鉄板に押し付けて平たくつぶしたもので、ホット・コーヒーと共に、バーやパダリアの朝食で食べるのが定番だ。

パステルは、サンパウロの日本移民が持ち込んだ文化とされているもので、小麦粉で作った皮に肉やチーズ、野菜など、好みのものをのせ、長方形に折りたたんで揚げたものだ。

イタリア移民の多いサンパウロでは、イタリア料理としておなじみのピザも市民にとって不可欠な食べ物だ。統計によると、本場イタリア一国より、サンパウロ市の方が消費量が多いというデータもあるほどだ。

四つ目のモルタデーラ・サンドイッチは、その名の通り、モルタデーラのハムをはさんだサンドイッチだ。サンパウロ地下鉄1号線サンベント駅からほど近い市営市場(メルカドン)には、このモルタデーラ・サンドイッチで非常に有名な店があり、街の名物となっている。何重にも重なったモルタデーラで厚みの出たサンドイッチは、これひとつで満腹になる人もいるほど、ボリュームがある一品だ。(25日付アゴラ紙より)』

2016年1月30日(土)

次の写真は、玄関を出て、ベランダから撮ったハイビスカスガーデン。ハイビスカスの花は南国の花というイメージがあるのだけれど、うちのハイビスカスの花の咲き具合を見ていると、とても暑い日が続くような時期はあまり元気がなく、曇りがちだったり、少し気温が低いくらいの方がたくさん花を咲かせるように思う。この夏はお天気が悪い日が多く、時々、お天気が回復すると暑くなる日もあるけれど、だいたい気温が低めで推移していて、曇天の日も多いので、いつになくハイビスカスの花の数が多く、元気なような気がする。この濃いピンクの木の後ろに黄色やオレンジ色や薄ピンクの花が咲くハイビスカスの木もあるのだけれど、それらはマイペースと言うか、この濃いピンクのハイビスカスほど元気はなく、花の咲く時期も少し違っている。

次の写真も同じくベランダから撮ったバラの花壇の朝顔。朝顔を伝わせている竹の枝が、この1週間のうちに何度かあった暴風雨の際に吹いた南からの強風で北側に前のめりになっているけれど、倒れずに、花をたくさんつけている。玄関を出ると、ハイビスカスの濃いピンクと朝顔の白が目に飛び込んできて、なかなかいい景色だなと思う。

2016年1月31日(日)

1月28日付けのニッケイ新聞に、『ブラジル日系文学会=外務大臣表彰の受賞祝う=武本、斉藤、醍醐三氏』という記事があった。この記事にある外務大臣表彰を受けた斎藤さんも醍醐さんも、「楽書倶楽部」に文章を寄稿しおられる同人の方々なので、このニュースを見てうれしく思った。また、この文学会の編集長をしておられる中田さん主宰の文章会には、メル友の鎌谷さんが参加されているし、間接的ではあるけれど、「楽書倶楽部」のお陰で日系コロニアの動向が身近に感じられた。そして、ブラジル日系文学会は年に一度武本文学賞というものをエッセイ部門とか小説部門とか様々な部門で授与しているのだけれど、この記事を読んでブラジル日系文学会と武本文学賞の関係がようやく理解できた。この記事のサイトは、こちらへ

上の写真は、昨日ヴィトーが持ってきてくれたチーズ。彼の両親が住み込みで働いているご近所のファゼンダ(大規模農場)で、最近、販売用のチーズを作るようになったとかで、完成品が手に入ったら持ってきてあげると言っていたのだけれど、その言葉通りに持ってきてくれたのだった。味見はこれから。楽しみ、楽しみ。



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