Kyoko Yoshida | Life in Brazil | BLOG |
2015年12月1日(火) | ||||
ダイニングルームの窓際の棚の上で育てていたアベンカ(日本ではアジアンタム、写真中央)は、あまり元気がなかったにも関わらず、種を飛ばしたようで、近くのシクラメンの花が終わって枯れてしまい、シダが生えてきていた鉢(写真左側)にアベンカの芽が出てきた。元々のアベンカの鉢(中央)には竹の芽が出てきたので、竹を別の鉢に植え替えて、場所をダイニングルームの窓際の棚からリビングルームの横のドアの前に移動させた。そうしたら、ここの環境が気に入ったのか、元気のなかった元々のアベンカ(中央)が元気になり、竹を植え替える際に一緒にくっついて移動してしまったほんの少しのアベンカ(右側)が、元々のアベンカよりもさらに元気に育っているので驚いている。次の写真の右端が竹を植え替えた鉢なのだけれど、ひろが繰り返し竹の芽を噛み切ってしまったので、竹の芽はほぼ消えてしまい、アベンカだけになってしまっている。ひろは何故かアベンカにはちょっかいを出さないので、アベンカだけは元気に大きくなっている。でも、先日、わずかに残っていた竹の芽を取ろうとして、ひろがこの鉢をひっくり返してしまい、床に湿った土が散乱してとんでもないことになり、後片付けが大変だった。ひろ~、どうしてそんなことするかなあ・・・?早くはるのように落ち着いてくださいよ・・・。でも、はるは3歳、ひろは9ヶ月、はるのように落ち着いた状態になるにはまだまだ時間がかかるかな?。
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2015年12月2日(水) | ||||
私の親しい友人のひとりに、広島在住でコピーライターの仕事をしながら、児童文学を書いている女性がいる。彼女とは30年以上の付き合いになるだろうか?これまでに10冊以上の本を出版している。新しく本が出版される度に、私に1部送って来てくれるので、彼女の作品はすべて手元にある。先月、また新著(以下写真)を送ってきてくれた。これは今年、毎日新聞大阪本社版に連載した物語に、「あとがき」と「ひろしまあのね」という問答を加えて1冊にまとめたもののようだ。彼女は本当に優しい、いい物語を書く。がんばってるなあ~。
次の写真は、メル友の鎌谷さんが「香山文庫」にと送ってきてくださった「文章会」の作品集3冊。鎌谷さんは、サンパウロで日系文学の編集をしておられる中田みちよさん主宰の文章会に参加されている。それで、その文章会の2011年から2013年までの3年間の作品集を送ってきてくださった。鎌谷さんはずっとエッセイを書いておられたのだけれど、ここ1~2年は小説を書くことに挑戦されていて、今年は「武本文学賞」の佳作に入選されている。こちらもがんばっておられる。
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2015年12月3日(木) | ||||
先週土曜日、午前中のヴィトーの英語のレッスンが彼の都合でキャンセルになったため、はるとひろをシュハスコ小屋のお留守番スペースに入れて、作業に来てくれていたヒバマーに、留守中、時々はるたちの様子を見てねと頼んでから、ボトゥカトゥに買い物に行った。農業資材のお店、スーパーマーケット、スーパーの近くに今年新しくできたばかりの健康食品を専門に扱うムンド・ヴェージというお店、そして、日系の人がやっている魚屋さんと4軒をはしごした。この魚屋さんのことは前から聞いてはいたのだけれど、場所がよくわからんず行けないでいたのだけれど、ようやくエドソンが場所を確認してくれ行くことができた。そのニッポ・ブラジレイロとういお店は、住宅街にある小さな店で、スーパーのパオン・ジ・アスーカーの中の魚屋さんに比べて魚の種類は決して多くはなかったけれど、値段がとても安かった。今回、マンジューバという小魚500グラム、殻付きのエビ500グラム、冷凍のイカ800グラム弱を買って、60レアル(以前のレートでは約3000円、今はレアル安なので約1500円)で小額のお釣りがある程度の値段だった。マグロはたまたまなくて残念だったけれど、これから時々ここで魚を買おうと思っている。イカと殻つきの新鮮なエビが手に入ったので、エドソンがパエリアを作ってと言い、先日パエリアを作った。サフランがなく、あさりもない状態で、ちょっと「なんちゃってパエリア」的になったけれど、エドソンはおいしいと気に入ってくれた。次回は色と味をつけるのに、サフランの代わりにウルクンを使ってみたら?とエドソンが言うので、そうしてみようと思っている。
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2015年12月4日(金) | ||||
次の写真は、「香山文庫」の蔵書の1冊で、ブラジルの日系人が体験した戦争中の苦難を記録した「南米の戦野に孤立して」という本。著者の岸本丘陽という人は教育者で、戦後すぐにこの本で真実を書いたため、理不尽なブラジル政府による永住権の剥奪や国外追放にしようとする狂気に対し、10年にも及ぶ法廷闘争を勝ち抜いた人。ブラジルにおける戦後の「勝ち負け抗争」は日本ではただ単に「日本が勝ったと信じた狂信者」たちの行動のように見られているけれど、事はそう単純なものではない。ブラジルの日系人はアメリカの日系人のように皆が強制収容所に入れられることはなかったものの、太平洋岸のサントス在住だった日系人は、強制的に町を追い出されて、サンパウロ州奥地へ有無をいわせず着の身着のままで移住させられたりしている。そして、ブラジル日系人社会の主要な人たちは逮捕、拘留されてしまったため、一家の大黒柱を失い、残された家族は生活が成り立たなくなったりして、ある意味もっと苦しい体験をしたケースもあった。この本を読むと、歴史の流れが彼らを翻弄したのだということがわかる。それにしても同じように国策で満州に渡った人たちは戦後日本に帰国できたのに、ブラジルに来た人たちは何故日本政府に打ち捨てられるようにブラジルに取り残されたのだろうか?と、疑問が浮かぶ。ただ単に距離的に遠かったためなのだろうか?それとも、満州は日本の支配が及んでいた場所で、ブラジルは元々日本の支配が及んでいなかった外国だったという違いなのだろうか?
この岸本氏と彼の本に関して、ニッケイ新聞が終戦70年記念として、「『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ」と題して、9月26日から11月20日までの2ヶ月間に32回の連載で、とても詳しく調べ上げた内容の記事を掲載した。当時の状況がよく理解できる、ともて読み応えのある連載で、当時のブラジルの政治・社会状況や、日系人社会の実際の様子を垣間見ることができる。やはり「日本が勝ったと信じた狂信者」たちの行動と単純化するのは間違っていると思った。この連載記事のサイトは、こちらへ。ニッケイ新聞も他の在外邦字紙同様、経営難に苦しんでいるけれど、情報操作、歪曲、誤報、虚報にまみれた日本のメジャーな偏向新聞と異なり、いい仕事をするなあと思う。
『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ | ||||
2015年12月5日(土) | ||||
今年ブラジルでは、去年にも増してデング熱の患者が出ているという。それだけでも何となく嫌な感じなのに、デング熱を媒介するのと同じ種類のヤブ蚊が「ジカ(Zica)ウイスル」を媒介して、ジカ熱を発症させているという。しかも今年はどうやら大流行、つまり「アウトブレイク」状態になっているというのだから、何となくどころではなく、とても嫌な感じだ。このジカウイルスはこれまでアフリカや太平洋の島国で流行していた経緯があり、ブラジルのジカウイルスのDNAを調べたところ、仏領ポリネシアのジカウイルスと同じタイプのものだったという。このジカ熱の症状はデング熱と同様で、あまり重篤にはならず、デング熱と区別がつきにくいらしいのだけれど、大きな違いは、妊娠3ヶ月以内の妊婦さんが蚊に刺されてこのジカウイスルに感染すると、生まれてくる赤ちゃんに小頭症が高い確率で発症するというところらしい。さらに、蚊に刺されるだけでなく、ジカウイルスに感染した人との性交渉でも感染するらしいので、何とも厄介な病気だ。ジカウイルスで小頭症の赤ちゃんが生まれる病気は今年は北部の州だけでなく、どの州でも急増しているらしく、リオデジャネイロ州でもすでに13件確認されているという。デング熱同様ジカ熱にも予防のためのワクチンや、発症後の治療のための薬はまだなく、米国疾病管理予防センター(CDC)も、ブラジルでのアウトブレイクを抑え込むため協力に乗り出してきたと聞いた。このアウトブレイクを抑え込めないと、来年のリオでのオリンピックが心配だ。 このジカ熱の流行に関して、ニッケイ新聞では記事を見かけないなあと思っていたら、12月1日付けの記事で、「保健省=小頭症とジカ熱の関係確認=疑い含む症例数1248に」というのがあった。この記事のサイトは、こちらへ。 | ||||
2015年12月6日(日) | ||||
先日、ボトゥカトゥの健康食品のお店「ムンド・ヴェージ」に行った際、プロテイナ・デ・ソージャ(大豆プロテイン)というクッキーのようなものがあったので、買ってみた。帰宅してからそのまま食べてみたのだけれど、特に味がなくパサパサとして、クッキーではないようだった。エドソンがインターネットで調べてみると、この乾燥したものを水でふやかして、お肉の代わりに料理に使うのだということがわかった。それで、この袋の半分ほどをふやかしてみたのだけれど、結構な量になったので、3分の1だけをきざんで使い、ほんの少し挽き肉も混ぜてハンバーグを6つ作ってみた。いつものハンバーグとあまり味も食感も変わらないものができ、エドソンにも好評だった。そして、ふやかしたものの量が多くて残ってしまったものを使って、翌日はほんの少しだけ残っていた豚バラ肉を混ぜてかやくご飯と簡単な豚汁を作った。ハンバーグとして食べた際はお肉のような感じがしたけれど、かやくご飯や豚汁の中に混ざっていると、油揚げのようだと思った。私たちはベジタリアンではないので、少量のお肉と混ぜて食事を作ったのだけれど、消費するお肉の量を減らすことができるので、なかなかいい食材だなと思った。
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2015年12月7日(月) | ||||
次の写真は、エドソンが野菜畑の一角の、シュハスコ小屋の壁沿いに作ったナーサリー。黒いネットが被せてあるのは、こうして苗を保護しないと、虫か何かにせっかく芽を出した苗を食べられてしまうというか、切られてしまうので、苗を保護するための措置。これまでに種を蒔いて芽が出たモリンガの木の芽を何度か攻撃されて、1~2本失っているので、地植えにするまではここでこうやって育てている。2枚目の写真は、先月末に苗床に種を蒔いた後、芽が出てきた小松菜(右)とアルメイラオン・カタローニャというからし菜のような野菜。葉物野菜はこれまで種から育てたことがないので、まず苗床で育てて、少し大きくなってから畑に植え替えようと考えている。小松菜の種は日本のもので、鎌谷さんが送ってきてくださったもの。アルメイラオン・カタローニャの種はボトカトゥの農業資材のお店で買ったもの。これらの葉物野菜の他にミニトマトやいちごの種もこの苗床に蒔いたのだけれど、まだ芽は出てきていない。この他、鎌谷さんから種をいただいて育てた朝顔の花が終わり、採取しておいた種を先月バラの花壇に蒔いたのだけれど、西洋朝顔のひとつがぐんぐんと勢いよくつるを伸ばし、すでに白い花をひとつ咲かせた。他はまだまだ小さな芽なので、これからの成長が楽しみ。
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2015年12月8日(火) | ||||
12月4日付けのニッケイ新聞に、『原爆投下70周年で記念出版=惨劇の記憶、風化させるな=大学院生中川さんら企画=平野「政治的に落とされた」』という記事があった。ブラジル被爆者平和協会が活発に活動を続けている様子には本当に頭が下がる。森田さん、渡辺さん、盆子原さん、ありがとうございます。以下に、その記事へのリンクをはってみる。この記事のサイトは、こちらへ。 次の写真は、先週のある朝、朝食前にダイニングルームに集合したひろ(右)とはる(左)。最近、朝は霧が出ていることが多いのだけれど、この日は霧が出ておらず太陽が顔を出していて、ダイニングルームの隅に置いたケージの前に陽が差し込んでいる。2枚目の写真は、1枚目の写真を撮った後、ケージの横のベッドに移動したひろが、ケージの中のタオルを引っ張り出して、そのタオルを噛み始めたところをパチリ。ひろはスヌーピーの漫画に出てくるライナスよろしくタオルが好きで、(ライナスがいつも引きずっていたのは毛布だったかな?まあ、それはともかく)このベッドの中ではいつもタオルをくわえて噛み噛みするので、タオルがボロボロになってきている。3枚目の写真は、タオルを噛むのを止めて、カメラを見つめているひろ。はるはどの写真も常に横を向いているけれど、これはエドソンがダイニングルームにやって来るのを、今か、今かと期待しながら、エドソンが来る方向を見続けているから。
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2015年12月9日(水) | ||||
次の写真は、エドソンが庭で見つけて撮ったビショ・セハドー(bicho serrador)という虫。フランボヤンの木の枝を切っているところのようだ。この写真の木はたまたまフランボヤンの木だったけれど、フランボヤンに限らず、いろいろな木をこんな風にせっせと真っ直ぐにきれいにぐるぐる噛み切って行き、最後には枝を切り落としてしまう私たちには困った虫。エドソンの話だと、この虫はオスがこんな風に木を切る作業をして、オスの作業が終わると、メスが切り落とされた枝に卵を産みつけるという共同作業をするのだそう。そして、産みつけられた卵は、この切り落とされた枝の中で木の樹液などを食べて成長するらしい。2枚目の写真は、インターネット上で見つけた写真。エドソンが撮った写真よりもクリアで分かり易いかと思い、この写真も掲載してみることにした。
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2015年12月10日(木) | ||||
先週、早々とひとつ花を咲かせた白い西洋朝顔が、またふたつ花を咲かせた(以下写真)。そして、その後もほぼ毎日のように白い花を付け始め、この花壇をにぎわせてくれるようになった。他の色の朝顔はつるがまだこの西洋朝顔ほど成長していないので、花が咲くのはもう少し先になりそう。
二週間ほど前、アルゼンチンの大統領選挙の結果、保守派のマウリシオ・マクリ氏が選ばれたというニュースをこのブログにも掲載したけれど、今週は、ベネズエラでの議会選挙で、長年続いた左派政権の支配を覆す右派野党の大勝利になったというニュースがあった。あちらでもこちらでも左派の独裁のような政権で疲弊していた南米に新しい風が吹き始めたのだろうか?近隣諸国の政治が正常化すれば、ブラジルにもいい影響を及ぼすのではないかと期待できる。12月8日付け、ニッケイ新聞の『ベネズエラ=議会選挙で与党が敗北=妨害工作実らず野党大勝=疲弊する国民生活の結果か』という記事のサイトは、こちらへ。 一方、今日10日付けのニッケイ新聞は、『大統領罷免=特別委員会設置はお預け=野党意向の委員会勝利も=最高裁が無記名投票認めず=ジウマ側には最初の敗北』という記事を掲載し、ジウマ罷免請求が下院に受理されてからの動きを伝えている。この記事のサイトは、こちらへ。今、世界のあちこちでテロが頻発し、IS壊滅のために有志連合がシリア爆撃を行っていて、まるで第三次世界大戦の様相を呈しているけれど、少なくとも南米の政治状況はいい方向に向かっているのだろうか? | ||||
2015年12月11日(金) | ||||
次の写真は、広島の友人が送ってきてくれた、彼女のマンションのベランダで紅葉しているもみじ。こちらは夏だけれど、日本は今冬。ベランダに置いた鉢植えのもみじもちゃんと紅葉しているなんて風情があっていいなあ・・・。ここの冬は最低気温が5度以下になることもあるけれど、日本ほど寒くはならないので、木はほとんど紅葉しない。防風林のカエデも木全体が黄色く色づくことはなく、葉の一部だけが黄色くなる程度。ここでは秋の紅葉を楽しむことはできないけれど、私は暑すぎるのも、寒すぎるのもあまり得意な方ではないので、ここの暑すぎず、寒すぎない気候は本当にありがたい。
![]() 昨日は、車の定期点検に行ってきた。アヴァレのトヨタが今年2月からボトゥカトゥにも支店を出したので、片道1時間半近くかけてアヴァレまで行く必要がなくなったので、本当に助かる。だた、今回の5万キロ点検は、いつもよりもたくさん点検項目があるらしく、エドソンが電話で予約した際、朝9時から午後4時までかかると言われたのだけれど、9時前にトヨタに行くと、1件キャンセルが出たので、お昼過ぎには終わると言われほっとした。午後4時までかかると、ボトゥカトゥの中心部でいろいろ用事を済ませても、時間を持て余してしまうところだった。はるとひろは、長時間、昼食時間も挟んでシュハスコ小屋で留守番させるわけには行かないので、ヴィラ・シーコに預かってもらった。今回ひろは2度目のヴィラ・シーコだったので、少し慣れたようで、迎えに行くと広い庭ではるや他の犬たちと走り回ってうれしそうに遊んでいた。 | ||||
2015年12月12日(土) | ||||
庭に4本ある桜の木の足元に、先月半ば頃からたくさん芽が出てきているのに気づいたので、この火曜日の午後、これらの芽のいくつかを、以前から溜め込んでいた果物ジュースのテトラパックに植え替える作業をした。1時間半ほど作業をして、14の芽を植え替えたのが次の写真。後ろの背の高い桜の苗は去年芽が出たものを植え替えて育てていたものなので、だいぶ背が高くなってきている。そろそろ地植えしてもいい頃かな?と思いつつ、まだ実行していない。エリカにあげてもいいかなとも考えている。パラカンビでも桜がちゃんと育つかどうかよくわからないけれど、いつもいろいろ苗を持ってきてくれるので、たまにはあちらにないものをあげれば喜んでくれるんじゃないかなと思う。今回、14の芽を掘り起こして、植え替えたのだけれど、今年は芽の数が多く、まだこの3~4倍くらいあちこちから芽が出ているので、急がずぼちぼち植え替えようと思っている。でも、植え替えて育てて、地植えを続けて行けば、うちは桜いっぱいのシャカラになりそう。
桜の芽が出ているのは、庭の桜の足元だけでなく、丘に上がって行く防風林の間の小道のほぼすべてのグレヴィーリャの足元にも、次の写真のようにいくつも芽がでてきているので、ちょっと驚いた。これは庭の桜の種が飛んだのか、それとも、この防風林の並木に植えた桜から種が飛んだのか?防風林の並木の桜は今年初めて少し花を咲かせたのだけれど、1年目なので、きれいな満開になったわけではなく、ひっそりと咲いていたのにと、少々不思議に思っている。
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2015年12月13日(日) | ||||
以下は、12月9日付けのニッケイ新聞にあった散文のコピー。たまにはこんなバカ話でクスッと笑うのも一興。
なにが愉快たって、ブラジル人と付き合うくれぇ面白いこたぁねぇ。とにかくのんきでよぅ、滅法楽しくって、ジョークが大好き、おまけに働くことがでぇ嫌いとくらぁ。これでオマンマが食えるなら、ブラジルてぇとこは天国じゃねぇか。 こないだはなぁ、ブラジル人のツアーってヤツにもぐりこんで一緒に旅行したが、まァ陽気に騒ぐのなんのって。大飯喰らって、笑うわ、歌うわ、ふざけるわ、まるで盆と正月―おっと、じゃねぇ、カーニバルとサッカーを一緒にしたような賑やかさには、たまげちまった。それによぅ、はじめてのご対面っていうのに、10年も前の友達って顔ですぐ仲良くなっちまうんだから、こちとら日本人は面食らっちまうわなぁ。 旅からけえってきても電話かけてきてなぁ。ヤレ遊びに来ねぇかの、ヤレ飯食いにいかねぇかのって、まぁうちの主婦さん、とても付き合いきれねぇって悲鳴あげちまった。 ところがさぁ、これが日本人だけのツアーかなにかに入ってみな。みんなかしこまっちゃって、へんに気取りやがってヤーな雰囲気だぜ。身内ならワイワイ騒ぐくせ、他人となると知っちぁねぇって態度でさ。 だけどなぁ、その付き合いのいいブラジル人だってよぅ、ゼニがからむとコロッと人間が変わっちゃうんだから現金なもんだ。まるで金色夜叉でゼニに対する執着は尋常じゃぁねぇ。日本人が連中と組んでやった仕事にうまくいってるのがあるかい?日本人なんて甘っちょろいし、おめでたいもんさぁ、連中にしてみりゃぁな。 だからブラジル人とは、ゼニのからまぬ根っからの友だち付き合いだけにするに限る。そうすりゃぁこんな楽しい仲間はいねぇぜ。 なんたって面白れぇのは、連中の大好きなピアーダだ。小噺とでもいうか、ジョークとでもいうか、それも艶っぽいのがたんとあって、ご婦人の前じゃちょいとはばかられるのを助平男どもがやってよぅ。腹ぁかかえて笑ってやがるのを、ちょいちょい見かけるんだがなぁ、まぁ、そん中のちょいとお上品なヤツをひとつやってみるか。 ―えぇ、散々ぱら遊び呆けたプレイボーイ、ここらが年貢の納め時ってなわけで、滅法可愛い嫁さん貰っちまった。サテお立会い、楽しい初夜のお祭りのあと、その野郎がさぁ、ついうっかり昔の癖が出ちまって、ゼニ出しちまった。しまった!と思ったらよぅ、その嫁さんから釣銭が出た―てナァどうだい?ええっ、だめかい?やっぱしなぁ、こいつぁポルトガル語でやんなきゃ味がでねぇんだ。 よしっと、じゃ今度はちょいと高級なヤツでいくぜ。こいつが判るにゃ教養が要るんだ、教養ってヤツがなぁ、いいかい。ご存知ブラジルってぇとこは、世界中の人間がいるところだってぇことを、まず頭にいれといてくんな。じゃぁはじめるよ。 ―女ひとりと男ふたりが無人島に漂流したってわけさ。さぁ当然何かがおっぱじまるね。いいかい、男ふたりがイタリア人だったらどうなるか?オレが先だ、いやオレだって取っ組み合いのケンカがはじまるんだ(なんせあちらは情熱の国、男はみんな血の気が荒いっていうじゃないか)。 お次は男ふたりがフランス人だったらどうなるって思うかい?上手に話し合って、ふたりとも楽しむってわけさ(さすがはアモールの国、遊びなれてるねぇ、フランスの男てぇのは)。 今度ぁイギリス人の番が来た。さぁ、どうなるか、お立会い!お互い、紹介されるまで黙ってるってよ(これが誇り高きジョンブルだとさ)。 じゃ次はドイツ人だ。ふたりともなぁ、口から泡飛ばしてその女愛すべきかどうかの論争がおっぱじまった。女そっちのけでよ(ドイツってとこは、やっぱカント、ヘーゲルの国だぜ)。 まだあるよ。今度は中国人のご登場だ。人民元を積み重ねてって、高いほうが先にいただいたとさ(今流行りの拝金主義だって)。 さぁ、とうとうわれらがブラジル人のお出ましでござい。ふたりとも、レアルの札束積み上げて、高いほうが万歳したって…(なんだい、これじゃあ中国人のマネしただけじゃねぇか、って思うだろ。ところがあとでその札束調べてみたら、みんな贋物だったってさぁ、どうだい、やるじゃねぇかブラジル人ってのは…) さてお待ちかね、最後にわが日本人の出番でござい。さぁこのふたり、どうしたって思うかね。本社にメール入れて、どうしたらいいかってよ。トホホホホ…… どうだい、このピアーダ。なかなか民族の特徴ってヤツを言い当ててんじゃねぇか。ブラジル人ってのは見所はちゃんと見てるよ。それにしてもなぁ、チト日本人のは情けねぇじゃないの?いちいち上に伺いを立てなきゃなんにも決められねぇんだからなぁ。 ところで、この日本版にゃ落ちがある。届いたメールの返事にはこうあった。『役員会にかけるから稟議だせ』ってな。イヤこいつは呆介の〝創作〟でげす。 テナ訳で、この国ピアーダの宝庫・天国、そしてブラジル人位ぇ小噺の名手はいねぇってことで、飛田呆介、飛んだ阿呆なお話でご免蒙りやしていただきやす。 | ||||
2015年12月14日(月) | ||||
シュハスコ小屋のところに作ったはるとひろのためのお留守番スペースは、とても役に立っている。私たちが買い物か何かで出かける際、短時間お留守番させるだけでなく、私の英語の生徒さんがレッスンに来ている時とか、部屋を掃除する際も、ここに入っていてもらっている。でも、ひろはここにいる間に水飲み用の容器をひっくり返して噛んで傷つけたり、シュハスコのかまどの下に積み上げてある薪を取り出してきてはおしゃぶりのように噛み噛みして散らかしたり、終いにはレンガの壁を足の爪でゴリゴリ削ってみたりと、ありとあらゆるいたずらをするので、彼らをここに入れた後はいちいち掃除しなくてはならなかったけれど、ここ最近、次の写真にあるひとつの薪でひろは満足してくれているようで、シュハスコ小屋をあまり汚さなくなり、ほっとしている。
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2015年12月15日(火) | ||||
ペトロポリスの安見さんから、11月から12月にかけてあった年末の行事に関してメールをいただいた。11月15日には、安見さんが社長をしておられたATAの元従業員との15年振りの集まりがあり、「昔の男同士の楽しい思い出話に花が咲きました」と、次の写真を添えて送ってきてくださった。もうこの会社は存在しないのだけれど、こうして今でも集まることができるというのは、当時の労使関係が良かったのだろうなと想像される。
安見さんご夫妻は昨年6月から「リオ老壮会」という二ヶ月に一度行われる集まりに参加しておられる。11月29日に今年最後の集まりがあり参加されたという(以下写真)。この会は、講話、健康体操、盆踊り、カラオケで遊ばせてくれるということで、毎回2~30名が参加しているのだそう。バス旅行もあり、来年2月はペトロポリスに行きたいといわれているらしい。ポルトガル語が話せるご夫妻にとっても、この会は日本語で話せる気楽な会なので喜んで参加されているのだとか。今回は日ポ両語が話せるおばあちゃん達二人と一緒にペトロポリスから参加されたそう。お昼に日本食が食べられるのも楽しみのひとつのようだ。
そして、健康維持のために続けておられるピラティス教室の忘年会のシュハスコを、12月6日に安見さんのお宅のプールサイドで行われたということだった(以下写真)。ペトロポリス日系協会だけでなく、いろいろなグループとも積極的にかかわり、リオの総領事館主催の秋篠宮殿下ご夫妻歓迎会(これは安見さんが風邪をひかれて急遽欠席)や天皇誕生日祝賀会などにも招かれ、お忙しくも充実した日々を送っておられることがわかる。この天皇誕生日祝賀会に行った際、ペトロポリスのマラソンクラブを来年2月の東京マラソンに招待するという話だったけれど、「訪日予定のジウマ大統領が二度目のドタキャンをしたので実施があやぶまれています。ジウマ訪日時安倍首相から話を持ち出す手配になっていたのがオジャンになった」と、祝賀会の席で担当領事が話していたということだった。こんなところにまでジウマ罷免騒動が影響しているのか、やれやれ・・・。日伯の緊密な関係強化も次の大統領選出まで待つしかないのかなあ・・・。もったいない。
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2015年12月16日(水) | ||||
この土曜日は、お昼過ぎから暴風雨になり、掃除ができなかったので、お天気が回復した日曜日に掃除をした。日曜日はちょうど、パウロの会社の忘年会シュハスコがあったので、お昼前にエドソンがひとりで出かけて行き、その間に掃除をすることができた。午後3時前にエドソンが帰宅し、掃除が終わり、はるやひろたちも家に戻し、汗をびっしょりかいたのでシャワーを浴びてさっぱりして、コンピュータの前で一息いれていたら、外で声がした。何だろうと思い、居間の窓から外を見ると、麦わら帽子をかぶり短パンをはいた見知らぬ男の人が、ベランダの前のハイビスカスガーデンのところにある水道の蛇口からペットボトルに水を汲んでいた。エドソンが外に出て行き「何をしている」「出て行ってくれ」などと言って対応した。一瞬、泥棒が下見に来たのかと思ったけれど、その人が入り口ゲートを出て行くのを確認した際、小さな女の子が待っていたそうなので、悪い人ではなかったのかもしれないけれど、入り口に鍵がかかっているのにそれを乗り越えて、他人の敷地内に無断で入ってくるなんて、マナーが悪すぎるとエドソンは憤っていた。こんなのどかな田舎町だけれど、何があるかわからない。もう少し早い時間だったら、私はひとりきりだったので、エドソンが帰宅した後に起こった出来事で、良かったと思った。 そして、同じく日曜日には、今年4回目のジウマ罷免を求める抗議行動が行われたので、注目していたのだけれど、インターネット上にはそのデモのことを伝えるニュースがあるのに、テレビではこれまでのように全国各地のデモを中継で結んで大きく取り上げるという感じではなく、短くさらっとしか取り上げておらず不思議に思った。参加者数が桁違いに少なかったからなのかもしれないけれど、デモを呼びかけていた複数の市民グループのフェイスブックが前日に何故かみな削除されるということがあったというから、政府の圧力でもあったのだろうか?フェイスブックCEOのザッカーバーグ氏は、最近子供が生まれたので大金を寄付すると発表したというニュースがあったけれど、この人最近ジウマにアプローチして何度も会っているという。ブラジルの学校に無料でコンピュータを配布すると言っているらしい。でも、このコンピュータでアクセスできるのはフェイスブックだけという代物らしく、子供をフェイスブック中毒にしようという意図が見え見え。その計画の受け入れと引きかえに、ジウマから抗議行動を組織する市民グループのフェイスブックサイトを削除しろという圧力があり、それに合意した措置だったのだろうか?と勘ぐりたくなる。12月15日付けニッケイ新聞の『大統領罷免デモ=今年最低の不発に終わる=3月時の規模の数分の1に=クーニャへの反発響いたか=早めに決着つけたい政府』という記事のサイトは、こちらへ。 | ||||
2015年12月17日(木) | ||||
次の写真は、エドソンが畑から収穫してきたとうがらし2種類。ボールの中の小さな唐辛子は辛いけれど、大きな唐辛子はあまり辛くないのだとか。その証拠に、唐辛子が嫌いなひろが欲しがるので、エドソンが大きい方の唐辛子を刻んで小さくしたものをひろにやると、何の問題もなく、平気で食べてしまった。なるほど辛くはないんだと納得。これをどうするのかと思ったら、大きな唐辛子を刻んで、小さい唐辛子はそのままで、玉ねぎのみじん切りと、オリーブと、オリーブ油と、ワインビネガーを混ぜて、2枚目の写真のものが出来上がった。私は辛いものが苦手だけれど、エドソンは料理によくタバスコをかけて食べたりするので、こういうサルサのようなものも好きで、手作りしてみたようだ。早速、白ご飯の上に乗せて食べている。
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2015年12月18日(金) | ||||
以下は、12月16日付けニッケイ新聞「コラム 樹海」からの転載。
『13日のデモが低調だった主因は、クーニャ下院議長が〃復讐〃で大統領罷免を始めたという「筋の悪さ」のようだ。その証拠といってはなんだが、スイス銀行の口座隠蔽やペトロブラス汚職などの疑惑が大々的に報じられる割に、デモ当日のパウリスタ大通りでは彼への批判が少な過ぎる印象だった▼デモが低調なおかげで、王政復古派やカトリック超保守派、軍クーデター支持者ら〃超右派〃勢力が妙に際立ち、さらに一般参加者を遠ざける悪循環に陥っている▼有権者から強権を付託されたはずの大統領の交渉下手が響いて、猛者が跋扈する政界をまとめきれない泥沼状態に、国民があきれ果てている。選挙で選んだ大統領で国家運営がうまくいかない現実が「民主主義への幻滅」につながり、カリスマ好きな南米人には王政や軍政の方が「まだマシか」という幻想につながっているのか▼クーニャの罷免審議受理を称賛し、彼の罪状を大目に見られる人だけデモに参加し、彼への批判が強い人は参加しなかった。逆にいえば彼自身の罷免が決まればデモ参加者は増えるだろう▼加えて、大統領罷免で一番得をするのはテメル副大統領であり、いまの成り行きは彼の筋書きとの説も。いまデモに参加してもテメルの〃思う壺〃で「結果的にPMDBが政権の座に着くことに協力する」状況に、多くの国民は嫌気が差している。デモ低調を受け、大統領罷免を進めるための今後の鍵は「政界内の強引な駆け引き」のみ。〃権謀術数〃がまだまだ展開される▼一方、レヴィ財相は辞職を賭けて基本収支黒字確保を主張。もし大統領や下院議長より先に、財相が「職を辞する」ならお先真っ暗だ。(深)』 12月16日付けのニッケイ新聞には、サンパウロのアヴェニダ・パウリスタ通りで行われたこの日のデモの写真がたくさん掲載されている。『AVパウリスタ抗議行動 特別写真グラフ=聖市4万人のみ、雑多な集団参加=王政復古派からカトリック右派、軍クーデター支持派まで』という写真記事のサイトは、こちらへ。 | ||||
2015年12月19日(土) | ||||
次の写真は、先日作ったマンジューバの唐揚げ。半分はこの10日ほど前に同じように唐揚げにして食べ、残っていた半分をまた唐揚げにして食べた。10センチ少々の小さな魚なので、唐揚げにすると頭も骨も丸ごと食べることができて、とてもおいしい。これを作るとエドソンはパクパクと食べてくれるので、あっと言う間になくなってしまう。うちでは週に一度は魚を食べるようにしているのだけれど、今回はボトゥカトゥの魚屋さんでいろいろ買ってこれたので、このところ週に二~三度の頻度で魚を食べることができて、幸せ、幸せ。マンジューバは日本の魚で言うと、わかさぎみたいな感じの魚だなと思っていたら、先日魚の名前を調べていて、マンジューバはわかさぎという訳が出ていた。なあんだ。どおりで・・・。
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2015年12月20日(日) | ||||
以下は、12月18日付けニッケイ新聞の「コラム 樹海」からの転載。
『人気漫画家・小林よしのりの『新戦争論1』(2015年1月)で勝ち負け抗争について書いた章を読み、幾つか疑問を感じた。たとえば勝ち組による溝部事件と脇山事件に続いて《暗殺された者は、記録にあるだけでも23人を数えた》(364頁)と勝ち組だけが殺傷事件を起こしたかのように書く。多くのメディアも同様だ▼でも、この「23人」という数字は『移民80年史』の「勝組負組関連負傷・殺人事件一覧表」(170~1頁)に出たものが独り歩きしてしまった。同移民史は「認識派=被害者」が強調される論調であり、表の負け組側被害者数は47人だ▼でも、その表をキチンと見れば勝ち組被害者も「勝ち組40人余り」「島野ナミデ」ら計47人余り、つまり実は同数挙げられている。これで片方ばかり被害者扱いするのは公正だろうか。後世ならではの冷静な視点と検証が必要ではないか▼この表自体が怪しいと『百年の水流』(12年)で外山脩さんは疑い、《地方で起きた事件の中には、実際はテロを装った私怨による意趣返しではないか――と、地元の消息通から推測されていたケースが幾つかある》(303頁)と記す▼この表には、勝ち組だからという理由でDOPSで拷問された人の数は入っていない。臣道聯盟幹部だったというだけで監獄島に送られ、国外追放令まで出された人は被害者といえないのか―との疑問もわく。負け組を被害者として描こうとする心理自体に、同漫画が批判する《人は信じたい情報(=先入観)しか信じない》《人が知りたくない情報を載せても(メディアは)商売にならない》という心理が、そのまま働いている。(深)』 | ||||
2015年12月21日(月) | ||||
毎年、日本以外の国に住む友人向けにSeason's Greetingsのメールを年末から年始にかけて送っている。私はキリスト教徒ではないし、ユダヤ系の友人も少なくないので、メッセージはMerry Christmasではなく、Happy Holidays and a Happy New Yearとし、クリスマスが終わってから出すようにしている。そのメールに添付するために、はるとひろの写真を撮ってみた。ひろはカメラを見つめてくれるので簡単にいい写真が撮れるのだけれど、はるはカメラがなければ私たちの目を見つめてくれ、普段は口角を上げて笑ったような表情がとてもかわいいのに、カメラを向けるとそっぽを向いてしまうか、何とかカメラを見てくれても、シャッターを切った後写真を確かめると、目をすぼめていたりして(2枚目の写真)、写真写りがとても悪く、普段と全然違う顔になってしまっている。フォトジェニックではないはるの素の可愛さをとらえるにはどうしたらいいのだろう?
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2015年12月22日(火) | ||||
次の写真は、ランドマークの木の南側に自然に生えてきたトマト。まだ赤くなっていないけれど、ミニトマトではなく、普通の大きさのトマトなので驚いている。ここにはだいぶ前、おそらく今年の初め頃、台所から出た野菜くずなどを埋めたのだけれど、どうしていつもそんな捨てた野菜くずから芽が出てくるのだろう?と不思議でしょうがない。畑で育てようとしてもなかなかうまく育たないのになあ・・・。トマトの隣のピンクの花が咲いている植物は何なのか、まったく見当もつかないのだけれど、これも野菜くずから芽を出した何かなのだろうか?それとも、ただの草かな?
次の写真も、同じく台所から出た野菜くずなどを埋めた場所から自然に生えてきたカボチャか何か。花が咲いているので、うまくすると実がなるかもしれないなと、捕らぬ狸の皮算用をしている。一緒に写っているのははる。この写真の左端に写っているのは、種から育てて、少し大きくなった芽を地植えにしたモリンガという木。モリンガは「 医者いらず、薬屋いらずの薬木」と言われているので、大きく育てて、たくさん食べたいと思っている。
次の写真は、正真正銘、私たちが果樹園で育てているアテモヤに似た果物で、自然に生えてきたものではない。苗を植えてから数年経つのだけれど、今年初めてひとつだけ実をつけているのをエドソンが発見。実はまだとても小さいのだけれど、写真を撮ってみた。
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2015年12月23日(水) | ||||
次の写真は、今年のクリスマスプレゼントとして、エドソンが私に買ってくれたエア・フライヤー。油を使わずに揚げ物ができるという器具で、テレビコマーシャルで何度か見たことがあるものの、私は特別欲しいと思っていたわけではない。でも、エドソンが使ってみたいと思ったらしく、ずいぶん前からプレゼントはこれと決めていたらしい。399レアル(レアル安の現在の為替レートで換算すると1万円くらいだけれど、私たちの生活感覚では、4万円くらいの高価な代物)と、結構値のはるものなので、私は少々ためらったのだけれど、スポンサーのエドソンが「これ」と言うので、ありがたく買ってもらった。クリスマスプレゼントなのだけれど、不具合があるといけないので、買って帰ったその日に早速、エドソンが箱から出して不具合がないかどうかを確認して、その数日後に、じゃがいもでフレンチフライを作ってみた(2枚目の写真)。カリカリとは行かなかったけれど、まずまずのでき上がりだった。この他にもこれからこれでいろいろ揚げ物料理を試してみようと思っている。油を使わず揚げ物ができるのであれば、油の消費をぐんと減らすことができるので、健康的でとてもいいかも。ちなみに、すでに箱から出してしまったので、エリカたちとのプレゼント交換の際に渡してもらうのは、この器具についてきた薄いお料理の小冊子ということになった。
次の写真は、私からエドソンへのクリスマスプレゼントとして買った色違いの綿のズボン3本。ここではジーパンや綿のズボンが破れると接ぎ当てをして、何度も繕ってはいているのだけれど、最近エドソンのジーパンと綿のズボンがとうとうボロボロになり、2本廃棄処分にしたので、新しいズボンが必要になり、エドソンに気に入ったものを選んでもらい買った。でも、ブラジルでは買ったお店で裾上げなどしてくれないし、裾上げをしてくれるお店を紹介してくれることもない売りっぱなしなので、いつも私が不器用なお針仕事で裾上げをしている。普通の衣料品店やデパートなどでは、その店で直しをしてくれることはないけれど、ちゃんとしたスーツなどを専門に販売しているお店では直しをしてくれる。次の写真の裾の白い糸はしつけ糸で、これから縫って完成させる作業半ばの状態。この後2~3日かけて家事の合間に作業をして、3本とも裾上げを完了。何とかクリスマスに間に合った。
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2015年12月24日(木) | ||||
今日はクリスマスイブ。ブラジルに越してきてブログを書き始めてから、この時期いつも北半球で見慣れている冬のクリスマスのデザインを使っていたのだけれど、今年は夏の南半球にふさわしいサンタとトナカイが日光浴をしているデザインを見つけたので、これを使うことにした。南半球のクリスマスは夏の真っ盛り。ホワイトクリスマスとはまったく縁がないけれど、町に行くと、クリスマスイルミネーションが暖かい夏の夜空に輝いていて、一応、クリスマスという感じはしないでもない。
![]() 以下は、12月23日付けのニッケイ新聞「コラム 樹海」からの転載。
『「O japonês da Federal」(連邦警察のあのジャポネース)との言葉を聞いたことがあるだろう。本名は「石井ヒデノリ・ニュートン」、クリチーバ連邦警察におけるラヴァ・ジャット作戦の逮捕・連行部門の責任者だ。彼が逮捕した大物にはルーラの右腕ジョゼ・ジルセウ、〃ルーラの親友〃ブンライ、マルセロ・オデブレヒト(最大手建築会社社長)ら錚々たる面々だ▼サングラスに連警の紋章を胸につけて連行する様子が何度もニュースで放送された。連行するのが仕事なのに、妙にヒーロー的イメージを持たれ、正義の味方、民衆のアイドルになりつつある▼なんと今年のリオのカーニバルのマルシンニャ(行進曲)には彼を歌ったものも発表された。歌詞いわく「ああ、なんてこった、失敗したよ。うちのドアを叩くんだ、連邦警察のジャポネースが。気持ちよく寝てたのに、夜が明ける6時頃、大きな音を聞いた。ドアを開けたら、ジャポネースが言った。『こっちへ来い。お前はパラナ州への旅行が当たったぞ』。ああ、なんてこった」「俺は答えた。セニョールは間違ってる。俺はタダの労働者だ。ロビイスタでも、上院議員でも、下院議員でもないゾ!」というユーモラスな風刺がバカ受けしてネット上で沸騰中だ▼さらに北東伯オリンダのカーニバルで町を行進する巨大人形「ボネッコ・ジガンテ」にもこのジャポネースは登場すると報じられている▼カルタ・カピタル紙電子版によれば、石井さんは76年から連警に勤務するベテランで、パラグァイからの密輸に関係した容疑で03年に連警に逮捕されて一端は追放されたが、再び職務に戻った。出世街道から外れたジャポネースという経歴が、逆に庶民受けしているのかもしれない▼でもデウシジオ上議が逮捕されたきっかけとなった録音では「ジャポネース・ボンジーニョ(イイ奴)」とよばれ、彼が機密扱いの報奨付き証言をマスコミや関係者に漏洩している人物として出てくる。「漏洩してくれる」から〃イイ奴〃なのであり、当然、良い意味ではない▼〃正義の味方〃なら大歓迎だが、くれぐれも妙な意味で「ジャポネース」という言葉を流行らせないでほしいものだ。(深)』 この記事の以下のサイトに行くと、後半、この記事にあるリオのカーニバルのサンバ行進曲を聞けるサイトがある。このサイトは、こちらへ。 | ||||
2015年12月25日(金) | ||||
下のガレージでの仮住まいも含め、この家で暮らし始めて、毎年鉢植えのクリスマスツリーを買っていたのだけれど、今年はタイミングが合わず、ツリーを入手できなかったので、先週プラスチックのツリーを買ってきて飾り付けた。床の上に置くと、ひろがきっとちょっかいを出し、放っておかないと思うので、台所と居間の間のカウンターテーブルの上に置いた。毎年、年が明けてからクリスマスツリーは地植えにしていたのだけれど、去年は鉢のままで枯らしてしまったこともあり、生の木を買うよりも、プラスチックの木なら繰り返し使えるのでエコでいいかなと思ったしだい。エリカたちは明日こちらに来る予定なので、クリスマスの食事やプレゼント交換は27日の日曜日にすることになると思う。それで、今現在ツリーの前後に置いてあるのは、私たちが用意したプレゼントだけ。
先日、Youtubeで日本放送の「そこまで言うか」を聞いていたら、評論家の宮崎氏が、鳴り物入りで大臣になったブラジルの蔵相が、たった1年で辞任してしまったと飽きれていた。蔵相が辞任したのは今週のこと。でも、その蔵相は経済の専門家で、任命された際、もしジウマが彼の政策を受け入れて実行する権限をちゃんと与えれば、ブラジル経済は上向くだろうとマーケットは好感したのだけれど、ジウマが彼の政策をまったく受け入れなかったためにこういうことになったということには言及がなかった。自分の思い通りにしたいのであれば、専門家を招く必要なんて最初からないのに・・・。新しく任命された蔵相は労働者党の政治家で、経済のことは素人。ジウマの言うことを聞く人間ということで任命されたので、マーケットは反発して値を下げている。日本から遠い国のことなのでわかりにくいのかもしれないけれど、もう少し本質を捕らえた評論をしてほしいなと思った。 | ||||
2015年12月26日(土) | ||||
昨日のクリスマスは、昨年同様ハファエウと彼の家族が、自宅で家族が集まるシュハスコに私たちを呼んでくれたので、はるとひろも連れて行ってきた。パーディーニョをお昼前に出る際、今にも雨が降り出しそうだったけれど、ボトゥカトゥに着くと、ザーザーと降っていた。次の写真は、シュハスコのかまどの前でせっせとお肉を焼いているハファエウ。2枚目の写真は、テーブルを囲んでいる家族。ハファエウのお母さんは隣の台所で、80歳だというお姉さんや甥夫婦と一緒にテーブルを囲んでいた。でも、何度も私の側に来て話しかけてくれたり、改装中の部屋を見せてくれたり、とても優しく気を遣ってくれて、ありがたい限りだった。
はるは去年のクリスマスにハファエウの自宅を経験済みだったので心配していなかったけれど、ひろは初めてだったので、おとなしくしていられるだろうか?と少し心配した。でも、臆病なひろは初めての場所や初めての人が苦手なので、私たちの側からあまり離れることなく、驚くほどおとなしくしていてくれたので助かった。ハファエウの家では小型のプードルと中型の雑種犬を飼っているので、犬にはとても寛容で、はるとひろもリードをはずして自由にあちこちうろうろしても全然大丈夫。家族がみな犬好きなので、心配は杞憂に終わった。次の写真は、ハファエウのお兄さんが写真中央奥の黒い犬にお肉をやっていたので、はる(左)とひろ(右)もお裾分けがほしくて、お兄さんの前で尻尾を振りながらおねだりをしているところ。
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2015年12月27日(日) | ||||
次の写真は、バラの花壇の朝顔。このところ毎日、たくさん花を咲かせて、私たちの目を楽しませてくれている。もっぱら白い朝顔が咲いているのだけれど、時々、青や濃いピンクの朝顔も咲くようになった。日本の朝顔のつるはまだそれほど伸びていないので、花は下の方で咲いている。それに比べて白い花の西洋朝顔はどんどんつるを伸ばして、とても元気。
![]() この年の瀬に、リオデジャネイロ州は大変なことになっているらしい。州立の病院や医療施設が救急対応を除き、すべて閉鎖されてしまったため、大きなニュースになっている。石油会社のペトロブラスの巨大汚職事件にからんで、多くの関連企業の業績がひどく悪化し、州政府の税収が極端に減ったため、資金不足に陥り、医療サービスに回す資金をストップしてしまったからだとか。税収が減ったのなら、州議会議員や公務員の給与を均一に減らすとか、他に支出を削減できるところはいくらでもあるだろうに、どうして人の命に関わるサービスを止めてしまうのか理解に苦しむ。看護師をしているエリカは幸い州立ではなく、国立の病院と市立の医療施設で仕事をしているので、この影響は受けていないけれど、こんな状態で本当にリオ五輪は大丈夫なのだろうかと思ってしまう。 で、そのエリカたちなのだけれど、昨日の朝出発して、夕方までにこちらに到着する予定だったのだけれど、前日のクリスマスにご主人のデニウソンが体調を崩してしまい、昨日は出発できず。病院に行ったのかどうかまでは知らないけれど、薬を飲んで昨日の朝にはだいぶ体調が回復したらしく、万全を期すために出発を1日ずらすということになった。そして、今朝早く、こちらに向かって出発したと連絡があった。 | ||||
2015年12月28日(月) | ||||
エリカたちは昨日の午後2時頃、無事到着。車に積まれた荷物を寝室に運び入れてから、みんなで上に上がっておしゃべりをしながら、エリカはバナナとミルクでブライアンのための飲み物を作って飲ませたりした。体調を壊したというデニウソンは、普通に元気そうだったのでひと安心。みんなが上に上がってくると、はるは大興奮で大はしゃぎする一方、臆病なひろはエリカたちのことを憶えているはずなのに怖がって、おもらしをしてしまい、結局ケージの中に逃げ込んでしまった。だいぶ経ってから大丈夫そうだとわかると、ケージを出たり入ったりしながら、ようやく完全に外に出てくるようになり、はると一緒にみんなの回りをうろうろしたり、ブライアンの後をついて回っていた。 次の写真は、クリスマスツリーの前にエリカたちが持ってきたクリスマスプレゼントを置いたところをパチリ。
![]() パラカンビを早朝に出て、長時間のドライブで疲れているので、エリカたちは一旦、寝室に引き上げて休んだり、シャワーを浴びてさっぱりした後、6時くらいからぼちぼちと夕飯を始めた。メニューはローストチキン、ポテトサラダ、人参のサラダ、野菜サラダ、ガーリックライス、そして、常備菜のラディッシュの酢の物ときゅうりと大根のわさび漬け。今回、エリカたちはブライアンの食事用の椅子を持参してきていた。ブライアンは2月に満2歳になるので、彼のために特別なものを作らなくても、ローストチキンとポテトサラダとガーリックライスを食べることができた。
私たちの夕食後、台所を片付けて、はるたちに食事をさせ、外でウンチをさせた後、デザートに作ったアップルパイを食べて、エドソンが最初にブライアンへのプレゼントを渡して、プレゼント交換を開始。
はるとひろには、それぞれに新しいリードと、キューブ型のベッドをひとつプレゼント。ひろがベッドをやたら噛んで破いてしまい、何度も縫って繕っているのだけれど、だいぶボロボロになってしまっているので、この新しいキューブ型のベッドを買ったのだけれど、さて、いつまでもつかなあ?居間でみんながプレゼントを開けながら盛り上がっている間、この新しいキューブベッドの居心地を楽しんでいるはる(手前)とひろ(後ろ)。
次の写真は、私たちがブライアンにプレゼントした木製の汽車が気に入り、早速遊んでいるブライアン。ミッキーマウスのケースも私たちからのプレゼントで、おもちゃを入れるためのもの。ブライアンが着ている青いシャツと紺色のパンツは、昨年私たちが彼にあげたクリスマスプレゼント。ブライアンの成長は、この年頃の子供の平均内の小さい方に属しているらしく、1年経ってようやく着られるようになったらしい。
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2015年12月29日(火) | ||||
次の写真は、昨日の夕食時に撮ったブライアン。食事をするための椅子に座って、お母さんが彼のお皿に食事を取り分けてくれるのをおとなしく待っている。カメラを向けるとこちらを見て笑ってくれた。ブライアンはめったにぐずることのないとてもハッピーで穏やかな子。時々、何だかよくわからない言葉をしゃべったり、鼻歌なんかも歌ったりする。彼がいるととても賑やか。
次の2枚の写真は、夕食後のブライアンとひろの様子。ひろはエリカたちが到着した際は怖がってケージに入ってしまったけれど、夕食時には慣れてくれた。ひろはブライアンがとても気になるようで、彼が食事をしていると椅子の側でうろうろしたり、彼の食事が終わって、床に降りてくると、彼の後をついて回ったり、じゃれて顔をなめたりと、すっかり仲好し。はるもひろも大人に対しては、前足を私たちの足に置いて飛びつくような動作をするけれど、ブライアンは子供だということがわかっているのか、そのようなことはせず、穏やかについて回り、鼻をブライアンの体に押し付けたり、ブライアンをなめたりしている。
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2015年12月30日(水) | ||||
エリカたちが予定通り26日(土)に到着していれば、翌日の日曜日にみんなで出かけることができたのだけれど、平日はエドソンは仕事があるので、一緒に出かけることができず、エリカたちだけで、一昨日、昨日と、お昼前後にボトゥカトゥのショッピングモールに行ったりしていた。昨日はデニウソンが車の調子が悪いというので、午前中エドソンが仕事を中断して、パーディーニョのメカニックの所に彼を連れて行った。私たちの車は5000キロ走るごとにトヨタのサービスセンターで定期点検をしてもらっているので、一度もメカニックのお世話になったことがないとエドソンが言うと、デニウソンはとても驚いていたけれど、私たちにとっては、新車を買ったのに、あちこちトラブルが発生して何度もメカニックのお世話になっているという人の話を聞くと、そちらの方が不思議でならない。やはり日本車は他所の国の車よりも性能がいいんだろうなと思う。次の写真は、昨日の夕方、雨の中、シュハスコ小屋の中で火をおこして、お肉を焼いているエドソンとデニウソン。
焼き上がったお肉と腸詰とチーズを家に持って入り、エドソンがお肉を切り分けて、それぞれのお皿によそい、夕食を始めようとしているみんなをパチリ。お天気が悪く、カメラの調子も良くないので、どうも明るくクリアな写真が撮れない。
次の写真は、お肉などをよそったエドソンのお皿。左から腸詰(リングイッサ)、右の二切れはピカーニャという牛肉の一番おいしい部位でいい感じのローストビーフに焼き上がっている。そして、その上のものは串刺しのチーズを焼いたもの。うちでのシュハスコではめったにこの串刺しのチーズを焼くことはないけれど、ここの人たちはみんなこれが好きなようで、シュハスコに呼ばれて行くと、最後の方でこれが必ず出てくる。ご飯の上に乗っているのは、エドソン手作りのサルサのようなもの。これだけでお皿一杯になってしまっていて、お肉だけを食べているように見えるけれど、この他、茹でじゃがいもと茹で玉子とドライトマトとネギのサラダと、普通のサラダや、常備菜などもあるので、野菜を食べていないわけではない。
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2015年12月31日(木) | ||||
当初4泊5日の予定が、デニウソンの体調不良で出発を1日遅らせたため、3泊4日になったけれど、エリカたちと楽しい年の瀬を過ごすことができたことを心から感謝。エリカたちは昨日の朝、朝食を終えた後、9時過ぎに雨の中をパラカンビに向けて帰って行った。1年に1度か2度くらいしか会えないけれど、こうしてほぼ毎年12月はうちに来て数日過ごしてくれることをありがたく思っている。次の写真は、パラカンビに戻る途中の車の中でエリカが撮って送ってきてくれたブライアン。
![]() そして、あっという間に今日は大晦日。日本では慰安婦問題で韓国と最終合意をしたというニュースがあったけれど、国際条約すら守らない国が、この合意を守るとは思えない。合意に縛りをかけるちゃんとした文書による確認もなく、慰安婦像の撤去もないのに、10億円も拠出するという日本側の譲歩ばかりが目立っていることがとても気がかり。そうしたら早速、「日本軍慰安婦被害者お婆さんたちは29日、韓日慰安婦被害者の交渉妥結案を受け入れることができないという立場を明らかにした」とか、「日本大使館前で毎週開いている需要集会も継続することはもちろん、慰安婦少女像の移転は絶対不可であると釘を刺した」とか、「妥結した」という大々的な報道の二日後に「日本は謝罪と賠償せよ」という集会を開くこともそうだけれど、韓国の第一野党代表が「慰安婦合意は無効だ」と宣言したそうだから、政権が変われば、また元の木阿弥になるのだろう。やはり、この愛国=反日で病んでいる国とはまともな関係を築くことは無理なのだと思う。安倍総理は、産経新聞とのインタビューで「ここまでした以上の約束を破れば、韓国は国際社会の一員として終わる」と話したそうだけれど、韓国が合意を守らない時、日本は国際的に韓国の所業を避難するキャンペーン計画をちゃんと用意しているのだろうか?黙っていればまた声の大きな韓国の言い分が世界にまかり通ってしまう。嘘も大きな声で百回唱えれば本当になってしまうのだから。 一方、年の瀬のブラジルのニュースも、「景気後退や高インフレなどで、ショッピングセンターのクリスマス商戦の売上げは過去10年で最悪だった」とか、エルニーニョ現象が起こると、南米では干ばつや大雨などの異常気象が起きやすく、今年は「強いエルニーニョ現象のため、パラグアイやアルゼンチン、伯国、ウルグアイで洪水被害が相次ぎ、27日夜の時点で17万人が避難生活を余儀なくされている」とか、何だか暗いニュースで溢れている。ここは水害が発生するような豪雨には見舞われてはいないけれど、今月は週の半分は雨という多雨の月だったし、24日以降は、連日の雨で少々うんざりしている。今日は今にも降り出しそうな曇り空。でも日差しがないのでこの時期にしてはとても涼しい日々。それに比べてリオは連日40度前後の猛暑だそうだから、まだ雨続きのここの気候の方がましかな?とも思う。それにしてもどうしてアマゾンのマナウスよりもリオの方が暑いのだろうかと、とても不思議。天気予報を見ていると、リオがブラジル国内で一番気温が高いことに驚かされる。さらに「リオ州の州立病院が財政難のために、ゴム手袋、ガーゼ、絆創膏、薬などの物資さえ枯渇し、急患患者の診療さえできない状態に陥っている」というニュースを見ると、リオで暮らしていなくて良かったとつい思ってしまう。
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