Kyoko Yoshida Life in Brazil BLOG 

2015年9月1日(火)

以下は、8月29日付けニッケイ新聞の「コラム 樹海」からの転載。ブラジルでは中国同様、人は信用できない、騙した人よりも、騙された人の方が悪いという考え方があるくらいだから、性善説のように人を信用し、正直さに価値を見出す日本人にはなかなか理解しがたい面が多々ある。日本を一歩出れば、異なる思考や価値観に遭遇するものなのだと心しなければならないと思う。

理解も納得もできないこと

『ブラジルと日本の文化の違いは大きい。そんな考え方、捉え方をするのか―と考えさせられることが多いのだが、理解はできるが納得はできないものもある。そして理解不能なことも多い。どういう理屈で成立しているのだろう…と考え込んでしまったりする▼夜の10時過ぎ。食事も終え就寝前にリラックスした気分で読書を楽しんでいた。突如、窓ガラスがびりびりするほどの大音響が鳴り響き出した。車のスピーカーではなく、カーニバルの山車から流れるレベルである。何事かとベランダに出てみると、近隣住民も窓から身を乗り出している▼走り去ることなく、数十分鳴り続けた音楽は挙句、パラベンスに変わった。つまり、どこかの住人が誕生日を迎え、それを祝う人が業者を雇い、路上でお祝いのフェスタをやらかす「Disk menssagem」というのものだ。祝いたい、友達を驚かせたい気持ちは分かる。しかし「???」が頭の中に渦巻く▼周りの住民もさすがに、微笑みながら一緒にパラベンスを歌わない。明らかに迷惑がっている。誕生日を迎えた人は、嬉しいのだろうか。日本人だったら有難迷惑どころか怒るのでは。だが、喜ぶのだからこの商売が成立するわけだ。疑問なのは、ご近所さんとの関係…いや、そんなことを気にするようなら話はない▼そういえば、下町や田舎では、「おめでとう!愛してるよ◎◎」と書かれた写真入りの横断幕が道路にかかっていたりする。これは微笑ましいといえるが、やはり心理は分からない。ブラジル人を心底理解するのは難しい…そんなことを考えていたら、読書どころではなくなってしまった。(剛)』

2015年9月2日(水)

先々週、エドソンがパーディーニョの材木店に注文しておいたシュハスコ小屋用の扉や木材が、月曜日の午前中配達された。しめて654レアル(約32000円)。ここの厳しい環境の中で、太陽の強い日差しや、風雨に吹きさらされても長持ちがする良質の木材を買ったのだそうで、かなりの出費になった。次の写真は、シュハスコ小屋の中に運び込まれた1枚板の扉。2枚目の写真は、同じくシュハスコ小屋の中に入れられた木材長短。小屋の中には、扉を取り付けるための部品やら、水回りに必要なパイプやらも置かれ、ちょっと倉庫のような状態になっている。

2015年9月3日(木)

以下は、インターネット上にあったJapan In-depth8月30日(日)23時0分配信記事のコピー。執拗に繰り返される朝日新聞の誤報、歪曲、情報操作は目に余る。それなのに購読者がたいして減らないのは何故?と不思議に思う。日本人はバカではないと思うのだけれど、どうしてこんなメディアをのさばらせて平気なのだろう?

[古森義久]【朝日新聞は何故ここ迄中国を擁護するのか】~「中国側の陛下の謝罪要求」という実態隠す~

朝日新聞はなぜここまで中国を擁護するのだろうか――朝日新聞8月28日付朝刊の「侵略戦争の謝罪 新華社が求める」という見出しの小さな記事はそんな疑問を改めて感じさせた。客観報道の原則に反して、ニュースのなかの最重要な事実を故意に覆い隠すような操作までして、中国が不利になる立場をなくそうという態度なのだ。

朝日新聞のこの記事が伝えるニュースは実は中国の国営の新華社通信が日本の現在の天皇陛下に侵略戦争への謝罪を求める評論を流したことが焦点だった。だが記事の見出しはこのニュースの最大価値である「天皇」という言葉をあえて消していた。天皇への謝罪要求こそが最大最新のニュースなのに、その部分だけを見出しではあえて、落としているのだ。中国側の理不尽な要求をなんとか隠そう、弱めよう、という中国擁護の姿勢がみえみえなのである。

このニュース自体は産経新聞のスクープだった。朝日新聞の同記事が出た前日の8月27日の朝刊一面トップで「陛下に謝罪要求」「昭和天皇が戦争指揮」「新華社配信」という見出しの記事だった。記事の主要部分は以下のようだった。

「中国官営の新聞、『光明日報』8月26日付は『昭和天皇は中国への侵略戦争と太平洋戦争を発動し、指揮したが、戦後には謝罪しなかった。その皇位継承者は謝罪で雪解けを、悔いることで信頼を手に入れなければならない』と主張する記事を掲載した。国営新華社通信がこの記事を配信した」

簡単な内容だが、中国側が現在の天皇陛下に戦争責任に関して謝罪を求めるというのは初めてだった。その意味では日中関係では特筆に値する大きな出来事だったといえる。中国側のメディアはみな共産党や政府の意向を直接に反映している。まして国営新華社通信の配信は中国共産党政権の意思や要求そのものだともいえる。

中国当局がこうして昭和天皇だけでなく、現陛下の謝罪をも求めるということは、日本側がいくら政府や首相のレベルで謝罪を繰り返してもまだ不十分だとする中国側の本音を露呈したともいえる。

だから大きなニュースであり、日本側の他の新聞も、「新華社 陛下に謝罪要求」(読売新聞)とか「天皇謝罪要求巡り抗議」(日本経済新聞)などという見出しの記事で後から報道した。

ところが朝日新聞だけは「侵略戦争の謝罪 新華社が求める」という見出しの記事なのだ。そこには最大のニュース要因である「天皇」という言葉がないのである。日本側でこの記事の見出しをみた読者たちは中国側が天皇の謝罪を求めている事実を知らないままとなってしまう。

朝日のこの「天皇隠し」の見出し記事も記事本体では「昭和天皇の皇位継承者は謝罪で雪解けを、悔いることで信頼を」と中国側の現天皇への謝罪要求を伝えてはいた。

だが見出しでは中国側の誰が謝罪を求めているかあえて不明にしているのだ。中国側の現天皇の謝罪要求という実態を隠し、日本側の反論や怒りが高まらないことを期待する、というふうなのだ。
古森義久(ジャーナリスト/国際教養大学 客員教授)

2015年9月4日(金)

次の写真は、台所の隅で朝ご飯を食べているはる(左)とひろ(右)。ひろの食事はドッグフードに私手作りのはる用のご飯をほんの少し加えたものなのだけれど、はるに奪られるのが怖いのか、ひろはよく噛まずに丸飲みするように食事をするので食べるのがとても速い。それでいつもはるよりも先に食べ終わって、2枚目の写真のようにはるが食べ終わるのを待っている。以前まだうちに来たばかりの頃、自分の食事を終えた後、はるの食事にもありつこうとして、はるのお皿に口を入れてはるに怒られて以来、はるが終わるまでこうしてじっと待つようになった。はるがお皿から離れると、はるの空っぽになったお皿をなめ、はるははるでひろのお皿をなめる。お互いにお互いの食べているものが気になるようだ。

次の写真は、破れたひろのベッド。はるも赤ちゃんの頃、モビのベッドや自分のベッドを破いたり、リボンに噛みついたりしていたけれど、ひろも同じようなことをしている。やはり、リボンに噛みついてベッドから引きちぎっておもちゃにしたり、ベッドの中で両前足で穴を掘るような動作をして、ベッドの底の布の縫い目を引き裂いて、中の白いクッションを引きちぎったりと、いろいろなことをしでかしてくれる。ああ・・・やれやれ・・・と思うけれど、まだ6ヶ月半の赤ちゃんなのだから仕方がないんだろうなあと思いながら、ベッドの修繕をしている。ひろと比較すると聞き分けがよくなり、問題行動を起こさなくなって久しいはるは、ずいぶんおとなになったんだなと感じる。ちなみに、昨日体重を量ってみると、この3週間ほどではるは200グラム増え、6.2キロになっており、ひろは1キロも増えて7.2キロになっていた。ひろの食事の量を少し減らした方がいいかなと考えている。

2015年9月5日(土)

8月22日から9月1日まで数日おきに6回にわたり、刊行物として、ある本を紹介する記事がニッケイ新聞に掲載されたので、その記事のサイトに以下の通りリンクをはってみる。平和な日本で暮らし、情報操作をしているメディアの言うことだけを疑いもせず信じて、あるいは空気に流されて、自分の頭で考えることなく、物事の真実を知ろうとしない人たちは、日本の常識が世界の非常識だということがわかっていない。異国で暮らしていると、そんな日本の異常さが目に余る。この本の著者たちも止むに止まれぬ気持ちでこの本を書いたのだろうと察せられる。次の段落は、この本の簡単な紹介と、著者のひとり目良浩一氏の略歴、それに続くのは各記事へのリンク。

『米国カリフォルニア州で起こった慰安婦像建設反対運動で、中心的な役割を果たした目良浩一氏の共著『マッカーサーの呪いから目覚めよ日本人』のポ語版『A VERDADE SOBRE A GUERRA DO PACIFICO(太平洋戦争の真実)』が、本紙より翻訳出版される。第二次世界大戦開戦の真相や不平等に行われた『東京裁判』の実態、今も残るGHQ占領統治の後遺症など、日本人に知らされていない事実に光を当てた。9月12日午後2時から、著者を招いて広島県人会館で刊行記念講演会を行なう(後日詳報)。それに先駆け、目良氏が同著を書き上げるに至った動機について述べた部分を6回に分け掲載する。』

■目良浩一氏略歴
1933年に朝鮮京城府生まれ。東京大学工学部建築学科卒、同修士課程修了後、フルブライト留学生として渡米。ハーバード大学でPh.D.取得(都市地域計画学)。
ハーバード大学経済学助教授、筑波大学の社会工学系教授(都市計画担当)、東京国際大学商学部教授、南カリフォルニア大学で国際ビジネス授業担当教授などを歴任。
2006年から日本の歴史問題に注目し、米国ロスで非営利法人日本再生研究会を立ち上げる。14年発足の「歴史の真実を求める世界連合会」代表。

「太平洋戦争の真実に目を向けよ=目良浩一=(1)=著書を本紙が翻訳出版=来月に刊行記念講演会も(2015年8月22日) 」この記事のサイトは、こちらへ

「太平洋戦争の真実に目を向けよ=目良浩一=(2)=ジャパン・ナッシングへの危惧=米国で展開される反日運動(2015年8月25日)」この 記事のサイトは、こちらへ

「太平洋戦争の真実に目を向けよ=目良浩一=(3)=『太平洋戦争の真実』=3=未来永劫極めて不利な状況へ=米国人の習性と戦争の後始末(2015年8月27日 )」この記事のサイトは、こちらへ

「太平洋戦争の真実に目を向けよ=目良浩一=(4)=不当な根拠による主張=犯罪国民の子孫ではない(2015年8月28日)」この 記事のサイトは、こちらへ

「太平洋戦争の真実に目を向けよ=目良浩一=(5)=「日本は自衛の為に戦った」=マッカーサーも認めた事実(2015年8月29日)」この記事のサイトは、こちらへ

「太平洋戦争の真実に目を向けよ=目良浩一=(6)=日本の若者は最も不幸になる=過去を直視し、自虐史観と決別を(2015年9月1日)この記事のサイトは、こちらへ

2015年9月6日(日)

8月の下旬頃から、家の外に出るとオレンジの花の甘い香りが漂うようになった。それで先日三角地帯に下りて行ってみると、そこにあるオレンジの木とレモンの木はみな花をつけていた。1枚目の写真は、小さくて真っ白なオレンジの花。2枚目の写真は、つぼみは薄ピンクで、花が開くと白いレモンの花。

以下は、9月3日付けのニッケイ新聞の記事のコピー。最近のニュースで、ブラジルは公式にリセッション(不況)に陥ったという発表があった。レアル安も加速していて、1ドル=2レアル少々くらいだったものが、1ドル=4レアルに迫ろうとしている。これは1ドル=110円くらいだった交換レートが、1ドル=200円に迫っているのと同じことなので、同様のことが日本で起こったら市場もメディアも大騒ぎで、大変なことになっているだろうなと思う。

2日は1ドル3・77レ=ドル高に歯止めかからず

『連邦政府が8月31日に赤字予算案を提出して以来、ドル高レアル安傾向に歯止めがかからず、2日の午後4時6分には2002年12月13日に1ドル=3・7750レアルを記録して以来の最高値となる1ドル=3・7721レアルまで進んだと2日付G1サイトなどが報じた。

赤字予算の提出は伯国が政治的にも経済的にも大変な状況にある事を示唆しており、市場関係者らは、辛うじて「投資資格あり」の範疇に留まっている信用格付が「投資は危険」とされる水準に格下げされる可能性が高まったと見ている。

赤字予算案の提出などが否定的な反応を呼んで信用格付が引き落とされれば、国内資本の国外流出は不可避で、既にレアル建ての株売却の動きも出ている。

現在のドル高レアル安は、中国の経済成長が頭打ちになってきた事などで広まった世界的なドル高傾向に国内の不安材料が重なったためで、チリのペソなどは落ち着いた動きを取り戻しているのに、レアル安は継続している。以上関係者らは国内の要因が解決しない限り、ドル高レアル安は続くと見ており、近日中に1ドル=4レの線を越える可能性さえ指摘され始めている。

ドル高レアル安が進めば輸出業者は有利になるが、輸入品価格の高騰などでインフレ圧力が高まる事も必至だ。景気後退(リセッション)に陥った今、経済基本金利引き上げでインフレを抑制する方法は打ち切りが予想される上、中銀の為替介入にも限界がある。この傾向に歯止めがかからなければ、伯国経済が抱える不安材料は益々増える事になる。』

2015年9月7日(月)

先々週の木曜日に、はるとひろを連れてボトゥカトゥに買い物に行った。お昼を食べて、お散歩をして出すものを出してから、出かけたのだけれど、食事をしてからあまり時間が経っていなかったからなのか車に酔ってしまったようで、もうすぐボトゥカトゥのセントロに到着という時に、ひろが車の中で嘔吐。帰りもボトゥカトゥのセントロを出たとたんにまた嘔吐。ひろが嘔吐したものをひろだけでなくはるも口にしてしまったのが原因らしく、週が開けた月曜日の朝、オシッコに行く前にはるが嘔吐。火曜日も水曜日もオシッコから戻ってすぐとか、行く前に玄関のところで嘔吐。それで、水曜日の朝から1日2回薬を食事に混ぜて与えていたら、以後、嘔吐しなくなった。ああ、やれやれと安堵していたのだけれど、土曜日の昼食後のお散歩の後、掃除をするためにはるとひろをベランダの椅子につないでいたら、エドソンが目を離したほんの少しの間に、ひろがベランダにあった里芋のような少々毒性のある植物の茎を噛み切り、それをはるがムシャムシャしてしまい、エドソンがそれをすぐに取り上げたのだけれど、その後はるは何度も嘔吐して、お昼に食べた物をすべて吐いてしまった。はるは鉢植えの植物にちょっかいを出すようなことはしないのだけれど、ひろは何にでもちょっかいを出す。でも、ひろは茎を噛み切っておきながら何ともなく、ひろが口にしていたものが気になったはるがそれを口にして体調を崩してしまった。2匹でいるからいいこともたくさんあるけれど、2匹でいるから起きるトラブルも結構ある。次の写真は、日曜日の朝撮ったはる(後ろ)とひろ(手前)。珍しくはるもカメラを見つめてくれている。

2015年9月8日(火)

インターネット上に9月6日付けのニュースで、『NNNが4日~6日に行った世論調査によると、審議が大詰めを迎えている安全保障関連法案について今の国会で成立させることを「よいと思わない」が前月より7.8ポイント増え65.6%となった』という記事があった。この法案は国民の理解が得られていないとさかんに言われているけれど、それは政府の責任だけでなく、まじめに本質を捕らえて議論することを完全に避けてしまっている野党や、安倍憎しで情報操作ばかりして事実を正しく報道しようとしないメディアにも責任があるのではないだろうか?そして、ちゃんとした情報を得ようと思えば、得られないことはないのに、それをせず、空気に流されている国民にも責任があるのではないだろうか?以下は、9月3日付けニッケイ新聞「コラム 樹海」からの転載。日本からこんなに遠く離れたブラジルにいても、まともな感覚を持っているのに、日本にいる人たちは国防に関してどうして普通の感覚を持てないのだろう?

力なくして平和なし

『日本各地で異例の大規模デモが起きている。国会前を埋め尽くし「集団的自衛権反対」を叫ぶ人々の様子を見ると、どこの国の光景かと思う▼デモの焦点である集団的自衛権の行使が可能になると、他国が攻撃された場合でも、日本に危害が及ぶと判断されれば自衛隊が出動できるようになる。クレイジーな独裁国家や反日国家に囲まれた危うい情勢を考慮した決断なのだろうが、国民の理解は見事に得られていない▼国民側に「軍が暴走するのでは」「政府が米国の言いなりになるのでは」という不信感があるのだろう。あらゆる危険の芽を摘み取り、現状維持したい気持ちも分かるが、「憲法改正=戦争」という短絡的な図式には違和感を覚える。「戦争できる=戦争する」ではないし、どんなに平和主義を主張した所で、火の粉が降りかかれば払うほかないのだから▼日本は米軍に基地を提供する代わり、国を守ってもらうギブアンドテイクの上に「平和」を構築してきた。残念ながら世界の基準は弱肉強食なので、米軍の保護がなければ泰平の世はなかったかもしれない。ブータンのような穏やかな国が不当に中国に領土を侵食されても、国際社会が見てみぬ振りを決め込むことからも、それがよく分かる▼来週12日に本紙主宰で、米カリフォルニア州で起きた慰安婦像建設反対運動の旗頭をつとめた目良浩一氏の講演を行なう。まさに今日本が直面している問題を扱う講演になるだろう。したたかな国ほどのし上がれる世界でどう生き残るのか。戦後に植え付けられた過剰な自虐意識を脱却し、独立国家としてのあり方を再考する機会になりそうだ。(阿)』

2015年9月9日(水)

ここの季節は、暦の上では9月から春で、一応乾季が終わり雨季に入るのだけれど、今年は9月に入るか入らないうちに雨が降り出し、先週は月、火、木と3日降り、今週は、日曜日の午後から断続的に毎日雨が降っている。昨日は雨足が強まったり、弱まったりしながら1日雨で、午後3時くらいから雷を伴う激しい暴風雨が襲い、停電になった。どうやらパーディーニョの町全体が停電になっているらしく、当分復旧しそうもないので、完全に真っ暗になってしまう前にロウソクを灯して夕食を食べ、夕食後にはるたちをオシッコとウンチに連れて出てから、7時半頃ベッドに入った。10時過ぎて、電灯に明かりが点いて停電が復旧したので、エドソンは起き出してシステムのチェックを始めた。私ははるたちをオシッコに連れ出してからまた寝たのだけれど、エドソンは予想通りシステムに問題が発生していたようで、1時過ぎまで仕事をしたようだった。今朝は曇り空で、時々薄日が差して、雨は降っていない。

家の西側のランドマークの木のさらに西側の、道沿いに植えた桜の並木が途絶えた辺りに1本だけある黄色いイペーが、今年初めて花を咲かせ始めた。1枚目の写真は、その咲き始めた花を撮ったもの。2枚目の写真は、その開きかけのつぼみを撮ったもの。

次の写真は、庭のイペーの木の枝先を撮ったもの。こちらは去年初めて木のてっぺんの辺りに少し花を咲かせたのだけれど、今年は枝先にたくさん丸くて茶色のポンポンのようなつぼみをつけているので、去年よりもたくさん花が咲きそうな気配。

2015年9月10日(木)

今年は桑の実がたくさん採れるので、せっせとジャムを作っている。次の写真は、台所の冷蔵庫にスペースがないので、下のガレージ奥の冷蔵庫に入れて保存している手作りジャム。これまでに9瓶作り、1瓶はすでに食べ終えてしまった。取っておいたジャムの空き瓶が大活躍している。この写真の右側の大きな2つの瓶は、エドソンのお母さん手作りのパパイアの皮をお砂糖で煮込んで作ったお菓子(手前)と、後ろ側の瓶は、おそらくグアバをお砂糖で煮て作ったお菓子だろうと思う。7月の末にひろを連れてきてくれた際、おみやげとして持ってきてくれたもの。

2015年9月11日(金)

そろそろ畑の種まきの時期だからと、メル友の鎌谷さんが苦労して入手されたパーキンソン病に良いというムクナ豆、こんにゃく芋と小芋の種芋、日本からのおみやげで入手されたらしいキャベツと小松菜とエゴマの種、そして、バーベナという花の種を一緒に小包で送ってきてくださった。いつもいろいろ送っていただくばかりで、こちらからは何もお返しができず、恐縮至極。でも、ありがたくいただき、育てようと思っている。ただ、農薬を使わないので虫の多いここの環境で、葉物野菜がちゃんと育つかどうか少々不安。でも、やってみないことにはわからないので試してみるしかない。それにつけても、鎌谷さんがサンパウロではなくボトゥカトゥにお住まいなら、「手作りの桑の実のジャムです」とか、「うちで採れたレモンとオレンジです」と言って、我が家で収穫したものをお返しに差し上げることができるのだけど、郵便事情の悪いここからではそんなものは送ることもできず、一方的にお世話になるばかり。感謝。感謝。

2015年9月12日(土)

ヨーロッパに押し寄せているシリアなどからの難民のニュースを見ながら、エドソンがブラジルには中東からの移民が多いのだから、難民を受け入れる素地はあるので、もっと積極的に受け入れるべきだと言っていたけれど、実際のところすでに受け入れているという記事を目にしたので、ここで紹介しようと思う。以下は、9月10日付けニッケイ新聞「コラム 樹海」からの転載と、10日付けと11日付けの2つの記事へのリンク。

クモの糸を上る難民たち

『お釈迦様が下ろしたクモの糸を掴んだカンダタは、血の池から極楽を目指した。しかし自分の後におびただしい数の罪人が蟻のように這い上がるのを見て、「糸は俺のものだ」と叫ぶと途端に糸は切れ、地獄へと舞い戻った―▼中東やアフリカから欧州に、かつてないほどの移民が流入している。今年に入って急増し、36万人を超えた。「お前らの居場所はない」と蹴落とすか、「皆で助かろう」と手を差し伸べるのか、経済的〃楽土〃にいる先進各国が決断を迫られている▼英仏両国は2万人規模でシリア難民を受け入れると発表し、ドイツは難民受け入れのために約8千億円相当の拠出をする方針という。移民大国ブラジルもすでに2千人超を受け入れており、ビザの数では南欧を上回るなど主要な受入国の一つとなっている▼法的に受け入れ基盤が整い、経済的地盤も固い国へと難民も目指す。約17万3千人が移住を申請しているドイツには到底及ばないが、日本も5千人で世界22位と対岸の火事とはいえない状況だ。デンマークのようにお荷物の受け入れに難色を示す国も中にはある。国が器を試され、国境が揺らいでいる▼「この国に行けば生き延びられる」という一縷の望みはクモの糸だ。「平等」「博愛」といった先進国が掲げる価値が試されている。東日本大震災で世界の賛美を買った日本の「助け合い」精神は、どちらに揺れるのだろうか▼ブラジルへの日本移民は過去の出来事であるかに見られがちだが、世界情勢に目をやれば「移民」は刻下の国際門題だ。人類が極楽に向かう〃精神的進化の関門〃を通過できるか否かを、お釈迦様は蓮池のふちで静観しているに違いない。(阿)』

2015年9月10日付けニッケイ新聞『シリア難民伯国にも (上)=家財を処分、体一つで逃避行=伯国は受け入れ優等生国?』という記事のサイトは、こちらへ

2015年9月11日付けニッケイ新聞『シリア難民伯国にも (下)=大統領が一般紙に異例の寄稿=受け入れ支援継続を表明』という記事のサイトは、こちらへ

2015年9月13日(日)

ここ1週間ほど毎日断続的に雨が降り続き、太陽が顔を出さないので日差しが恋しい。お天気が良くないので、エディも仕事に来れず、はるたちのお留守番スペース作りは中断している。こんな日々でも雨の止み間や小降りになったところを見計らって、はるとひろをオシッコやウンチに連れ出すことができていることは幸いと言える。ここ2~3年小雨で干ばつに見舞われたけれど、この夏は、ここに来て暮らし始めた最初の夏のように多雨になるのだろうか?ここの生活で一番怖いものは、雷と干ばつ。これまでにも何度も書いているけれど、サンパウロ州はアマゾンからの暖かい空気と、南極からの冷たい空気が上空でちょうどぶつかり合うため、発生する雷の数は世界でも一番多いと言われている。発生数だけでなくその度合いも並でないため落ちたら大変な被害が出ることがあり本当に怖い。それで、雷を伴う暴風雨が近づくと、電気機器のコンセントを抜いて、ブレーカーを落として、居間のソファーにゴロンと横になって、日本では考えられないけれどここでは床を這うこともありうる雷から身を守りながら、雷が収まるのをただひたすら待つことになる。そして、雨が降らなければ雷の被害も減るけれど、雨が降らなければ干ばつになり、生活用水に直結して水不足になるため、これも困る。人間の勝手な思いではあるけれど、自然には穏やかであってほしいと切実に思う。次の写真は、どんよりとした灰色の空を背景にしたサンタバーバラの花。派手な花ではないので気づきにくいのだけれど、地面に小さな花びらが落ちていたので、あれっ?と思って上を見上げると、たくさん咲いていた。季節になると、ちゃんちゃんと花を咲かせてくれる、そういう自然の営みは何とも愛おしい。

2015年9月14日(月)

土曜日の夜は、エーナーニとカロウの家で夕飯をご馳走になった。今回ははるだけでなくひろもいるのでケージを持参し、食事中2匹にはエドソンの足元に置いたケージの中にいてもらった。少し文句を言っていたけれど、騒ぐことなく、比較的静かにしていてくれほっとした。次の写真は、テーブルを囲む、左からエドソン、エーナーニ、クラウディオ、クラウディオの妹さん、そして、カロウ。手土産にワインと手作りの桑の実ジャムを持参した。最近、カメラが古くなってきたからなのか調子が良くない。フラッシュが光っても、写真が暗いままのことがあり、この夜の写真も暗くボケたものになってしまった。このところお天気が悪いので気温が低く、みんな厚着をしているのに、エーナーニだけは半袖のTシャツ1枚なのにはびっくり。ちなみに家を出る際の外気温は13度だった。カロウは風邪をひいていたため、分厚いコートを着て、しんどそうにしていた。ブラジルの家庭には暖房がないところが多く、エーナーニの家の中も外の気温とあまり変わらず、厚着をしてしのいでいる感じだった。

昨日の13日はエドソンの誕生日だったので、彼に夕食の献立の希望を聞くと、ローストポークとフェイジャオン(煮豆)で、デザートはアップルパイがいいと言うので、要望に応えてそれらを作った。と言ってもローストポークにタイムや塩コショウする下ごしらえや、圧力鍋でフェイジャオンを煮た後、炒めたベーコンを加えて味付けをするのは肉奉行のエドソンがした。自分の誕生日の夕飯を自分も参加して作った上、ファイジャオンは久しぶりだけれど、ローストポークはエドソンが好きなので、週末に時々作るため、あまり特別な感じがしない。それで、何だかいつもとあまり変わらない献立だねと、ふたりで笑ってしまった。

2015年9月15日(火)

以下は、9月11日付けニッケイ新聞「コラム 樹海」からの転載。

S&P格付け降格の影響は

『緊縮財政が進まない政治的混迷ぶりから、米国格付け会社S&Pは財政バランス回復に時間がかかるという懸念を強め、通常ありえない赤字予算提出を引き金に、ついにブラジルを投資適格外に降格させた▼今後は更なるレアル安、外国投資引き上げ、国債金利上昇などの悪連鎖による景気後退を予測する筋もある。これは政治的には「財政均衡には待ったなし」圧力として作用しそうだ▼増税か支出削減か―という選択肢でなく、「両方」「できるだけ多く」という『選択肢のない状態』になるかも。今回の格下げは、レヴィ財相には追い風に働くに違いない。政権中枢で蔵相に真っ向から対立し、増税論の中心に陣取るのはメルカダンテ官房長官と企画相と聞く▼ルーラ元大統領が数度「メルカダンテを外せ」と指示したが、ジウマが頑なに守っている相談役的人物と漏れ聞く。庶民派ルーラとは、PT内で対極にいる冷徹なインテリだ▼その彼に対し、10年の聖州知事選挙の資金に不正があった容疑で捜査か―との報道もあった。もしこの大黒柱が外されれば「ゴベルナ(統治)していない」とテメル副大統領が再三言っている状態が「レームダック(死に体)」へと近づく▼振り返れば、移民百周年の折、ブラジル宝石協会と共に「日伯総合センター建設案」の裏に居たのもメルカダンテ上議(当時)―と当時聞いた。建設費に社会経済開発銀行からの融資も―という話も出ていた。もし建てていたら建設費用を巡って今頃、百周年事業が捜査対象になっていた可能性も…▼怪しき計画として同センター建設案に反対した当時のコロニアには、やはり見識があったかも?! (深)』

2015年9月16日(水)

8月の中旬頃、ニッケイ新聞でブラジル鹿児島県人会百周年記念誌が発行されたこと、そして、その編集責任者が楽書倶楽部の同人の大羽豪三さんだということを知ったので、前園さんに大羽さんのメールアドレスを教えていただいて、香山文庫に1冊寄贈していただけないかとお願いした。メールを差し上げてご連絡したら、前園さんから聞いていたので連絡を待っていましたと、すぐに返信してくださり、本を送ってきてくださった。感謝。感謝。

大羽さんによれば、『鹿児島県人の初期の移民の中には、1908年6月18日にサントス港に到着した、第一回移民船「笠戸丸」で渡伯された46家族172名がいらっしゃいます。更に1910年8月に到着した第2回移民船「旅順丸」では35家族、110名が渡伯されました。そして有志の方々が1913年8月に由緒あるイピランガの丘に集り、県人が一致団結して事に当ることを申し合わせて、ブラジル在留邦人最初の団体「ブラジル鹿児島県人会」が発足したのでした。』ということで、日系コロニア社会の中で先陣を切る最古の団体として、2013年に100周年を迎えられたということだった。「笠戸丸」からわずか5年で会が発足したと知り、とても驚いた。

2015年9月17日(木)

9月に入りほぼ毎日ぐずつくお天気だったのが、この月曜日にようやく太陽が顔を出し天候が回復した。そのお陰で少しずつ気温が上がってきて、火曜日のお昼前頃から外は暑いくらいになったので、すべての窓を開けて、外の暖かい空気と家の中のひんやりした空気を入れ替える作業をした。そして昨日は北からの暖かく強い風が吹き続け、外に出ると暑いなあとうなりたくなるような1日になった。しばらくこんな夏を思わせるお天気が続く予報のはずだったのに、今朝はるたちとの朝食後のお散歩から戻ると雨が降り出し、ザーザーと降っている。一方、昨夜チリでマグニチュード8.3の地震があり、何と、チリから遠く離れたサンパウロ市、さらにサンパウロよりもさらに東に位置するサンジョゼ・ドス・カンポス、そして、大西洋岸の港町のサントスでも揺れを感じたという。ブラジルで揺れを感じたのはこのサンパウロ州の3つの都市だけだったようだけれど、内陸部ではまったく揺れを感じなかったのに、大西洋に近い地域で揺れたのはどうしてだろう?

先日、オレンジとレモンの木に花が咲いていい香りがすると書いたけれど、うちのオレンジやレモン(特にレモン)は、ほぼ1年中実をつけているので、今、実と花が共存するという不思議な光景になっている。そして、レモンの木は2本しかないのだけれど、常にたくさん実をつけているので、大きなボールに一杯採ってきては日々少しずつ使っている。当初はたくさん採れるレモンをどのように消費しようかと悲鳴をあげたけれど、一度に大量に消費できなくても、桑の実のジャムを作る際の必須材料でもあり、料理に1個だけ絞って使うことはしょっちゅうなので、たくさん採ってきても順当に消費できているなと思う。それで、なくなるとまた採りに行くというのを繰り返してお世話になっている。次の写真は、その採ってきたボール一杯のレモン。

2015年9月18日(金)

昨日、チリ北部で16日夜発生したマグニチュード8・3の地震の揺れをサンパウロ州の3都市で観測したと書いたけれど、今日付けのニッケイ新聞の記事で、「今回の地震は、今年発生した地震では世界一大きく、伯国でも南大河、サンタカタリーナ、パラナ、サンパウロの4州で揺れを感じている」とあったので訂正しておく。これら4州は、みなブラジル南部の州。

桜の花が終わる頃、木に黄緑色の実がたくさんなっているので、これらは赤く色づくのだろうか?と、書いたけれど、結論として、まったく色づくことなくその実は落ち始めている。これは桜の木の種なのだろうか?もしそうなら、これを植えれば桜の芽が出てくるのかな?これを苗床ポットに入れて芽が出てくるかどうか実験してみようかと、エドソンと話している。次の写真は、木から地面に落ちたその桜の実?それとも種?。

2015年9月19日(土)

以下は、ニッケイ新聞9月17日付けの記事からの転載。

「日本は開戦に追い込まれた」=本紙主催 目良浩一氏講演会=
約200人来場、熱気に包まれ=ポ語版の著書刊行記念も兼ね

「東京裁判はやり直しが必要です。その時にはルーズベルトのような人たちも呼び出して、裁判すべきだと思います」―。アメリカで慰安婦像撤去裁判などの活動を行う「歴史の真実を求める世界連合会」の代表、目良浩一氏(81)による講演会『日本の近代史を正しく理解しよう』が12日午後、広島文化センターで行われた。約200人の来場者で満場となった会場は熱気に包まれた。目良さんの著書『マッカーサーの呪いから目覚めよ日本人!』(桜の花出版、2012年)のポルトガル語版『A Verdade sobre a Guerra do Pacifico』(ニッケイ新聞社刊)の刊行を記念したもので、販売も行われた。本書は本紙、日系書店でも販売中(50レアル)。

目良氏は、まず当時の世界情勢から振り返り、なぜ日本が米国との開戦に踏み切らざるを得なかったかを、多くの書籍や米軍の秘密文書から引用し、詳説した。

日本が物資に困窮したため海外へ進出した過程を説明。29年の世界大恐慌で、世界的に経済が大打撃を受け、アメリカを含む列強諸国が自給自足体制へ移行し、自国および植民地内だけで貿易するようになった。

輸出入依存国であった日本は大打撃を受け、独自の市場を見つけるために満州進出を開始した。

米国は列強諸国に比べ進出が遅れており、中国の権限を獲得しようとしていたが、満州に進出していた日本を大きな障害であると考えた。

39年にドイツがポーランドに侵入して第2次大戦が始まった頃、米国では外国の戦争への参加を嫌う国民感情が蔓延していた。そのため40年の大統領選挙時、ルーズベルトは国民に、外国の戦争に関与しないことを約束。しかし彼は「ただし、米国が攻撃されたときは別である」と、例外条項を追加していたという。

米国が41年7月に在米日本資産を凍結し、8月には英国、オランダとともに日本への石油の全面輸出停止を実施。これは日本への影響が重大で、残された選択肢は「降伏するか戦うか」であったという。

そして同年8月、近衛文麿首相がルーズベルト大統領に会談を申し込み、拒否された。目良さんはこの出来事を、「日本の最後の望みが粉砕された」と語った。

41年11月には、「満州国、インドシナからの完全撤退」などを条件としたハルノートが、日本に通告された。日本は到底承諾できない条件を突きつけられ、誘導される形で、真珠湾攻撃を実行したと述べた。

「東京裁判で侵略者とされた日本は犠牲者であって、西洋の侵略と戦い45年まで独立を保ったことを誇りとすべき」と結論づけると、会場からは大きな拍手が起こった。

質疑応答の後に行われたサイン会では、本を購入した参加者が列を作った。「日本人がまず真実を知り、目良先生の運動を広めたらよいと思う」(伊藤昭治さん、56、京都)、「ブラジルでは皆、日本人としての誇りを持ち続け、守ろうとしている。目良先生はそれを正当化して話してくれた(大野正人さん、68、香川)、「正しい日米開戦の理解を、具体的に資料を根拠に教えてもらった」(大山省三さん、78、鹿児島)などの感想が聞かれた。

目良さんが「北米に比べ、ブラジルの日系人は、伝統的な日本人の良さを持っている。日本の日本人に対して、『日本人はこうあるべきだ』と共に呼びかけていきましょう」と語りかけると、共感した会場から喝采が送られた。

この講演会はニッケイ新聞社主催、ブラジル日本研究者協会、ブラジル日系協会、ブラジル日本会議、パンアメリカン日系人協会、ブラジル広島文化センターが後援した。

目良さんが活動する「歴史の真実を求める世界連合会」は、米国グレンデール市の慰安婦撤去運動などへの支援金受け付けている。詳しくは同会HP(https://gahtjp.org/)へ

□関連コラム□大耳小耳

午後2時開演だった目良氏講演会。一番乗りだったのは、なんと午前11時半から待っていた女性で、開演前には数十人の列までできていた。ジャカレイやソロカバなど地方からも多くが訪れ、関心の高さをうかがわせた。講演前には満場となり、椅子を増やすほどの盛況ぶり。目良さんによれば、政治問題となっている同地では、講演会の入口でセキュリティーチェックが行われる厳戒態勢だとか。目良氏も当地では終始リラックスした様子で、「アメリカの日系社会にはない反応」と話していた。まさに両側を知る人にしかできないコメントだ。

2015年9月20日(日)

いつだったか、エドソンが外ベランダの横のバラの花壇に、何かの花の種を蒔いたのだけれど、何ヶ月もかけてゆっくりと芽を出し、成長し、最近つぼみが出始めたので、そろそろ花が咲きそうだなと注目していたら、ラベンダー色とピンク色の花が咲き出した。種を蒔いた本人も何の種を蒔いたのか憶えておらず、これが何という花なのかはわからない。

うちのダイニングルームの棚に置いた青色のランの花は、買ってきた際咲いていた花のいくつかが落ちて、新しい花芽が出て咲き始めたのだけれど、新しく咲いた花は濃い青色ではなく、ほんの少し縁に青みがあるだけの白い花なので、どうして新しい花は濃い青色ではないのだろうと不思議に思っている。

2015年9月21日(月)

土曜日の午前中、ひろの2度目の予防接種のためにボトゥカトゥのクリニック「ポリヴェット」に行き、その後スーパーで買出しをして帰宅したのだけれど、今回ひろは嘔吐せず、無事に往復できたのでほっとした。そして、ボトゥカトゥの町のあちこちで大きなジャカランダの木に青い花が満開で、とてもきれいだった。ジャカランダの花の季節がいつだったか思い出せないでいたのだけれど、イペーと同じ春だったんだとあらためて確認できうれしく思った。うちにも2本のジャカランダの木を植えているけれど、まだ植えて2年くらいなので、木の背丈は大きくなってきてはいるものの、花を咲かせたことは一度もない。現在落葉して裸の状態。7月から8月にかけて桜が咲いて、9月にはイペーやジャカランダが咲くようになったらきれいだろうなあと今から楽しみ。

以下は、インターネット上で見かけたダイヤモンド・オンライン9月19日(土)8時0分配信の、『朝日関係者に見せたい、イルカ漁批判への反論映画の気概』という記事のサイトへのリンク。この記事のサイトは、こちらへ。以下は、この記事に関連して、『「ザ・コーヴ」の裏側』という映画に関する英語サイトからのコピー。この映画は今月モントリオール映画祭で上映されたそうだ。

In 2010, THE COVE, a documentary about dolphin hunting in Taiji, Japan, won an Academy Award. Was it a well-crafted story using sensationalized techniques to tell a one-sided portrayal of the problem? Why has there not been a film from Japan responding to THE COVE? Well, now there is.

Behind “THE COVE”

First-time documentary filmmaker Keiko Yagi enjoyed eating deep fried whale cutlets when she was a child. The general lack of this dish and negative news coverage on the never-ending whaling issue prompted Yagi to find out more about the topic.

Yagi was aware of the 2010 documentary THE COVE, but had not bothered watching it, regarding it as another exaggerated attack on Japan’s dolphin hunting.

But in 2014, the UN's International Court of Justice ruled that the Japanese government must halt its whaling program in the Antarctic, based on Australia’s argument that it was ‘commercial whaling in disguise’.

This gave Yagi a sense of urgency and fear that whale meat would soon completely disappear from Japan. Armed with nothing but a video camera to record her findings and a passion to know the truth of the matter on whaling, Yagi started her research, which eventually led her to Taiji.

Until she arrived there, Yagi did not know the significance of the town of Taiji in the whaling debate, and that it was the hub for anti-whaling activist groups including Sea Shepherd. Since the release of THE COVE, the small whaling town had grown tired of the attention and presence of the media - Japanese or otherwise - and had been refusing to do interviews. Yagi ended up staying in Taiji for four months, and slowly some of the townsfolk started to allow her to interview them, including a retired elderly whalers and the mayor of the town.

After watching THE COVE while in Taiji, she discovered that not everything in THE COVE was presented with a balanced approach, after talking to the locals.

Yagi also got to know the anti-whaling activists who set up camp in Taiji every year during the dolphin-hunting season, and learnt how they think and operated.

To get a balanced and greater understanding of the picture Yagi also interviewed experts in the whaling world from Japan and overseas, including past and present Japanese commissioners to the International Whaling Commission (IWC), scientists and researchers. Yagi would even go to Washington DC, USA, in pursuit of a document that is crucial in understanding how the international debate on whaling started.

Gradually director Keiko Yagi discovers the larger mystifying aspects lying behind the international political whaling debate, which has never been clarified to the public. Something much larger than just THE COVE.

2015年9月22日(火)

以下は、9月19日(土)付けニッケイ新聞の『遂に大統領罷免請求提出=下議長 執務室で受け取る=与党の造反議員も加わる』という記事のサイトへのリンク。この記事のサイトは、こちらへ。いよいよジウマ大統領罷免に向けた手続きが進み始めた。これからどうなるのか目が離せない。

先週木曜日の朝、激しい雨が短時間降り、雨が止んだ後、どんどん気温が上がり始めた。金曜日の夜はまるで夏の盛りの一番暑い時のように暑くて寝苦しかったので、扇風機をかけて寝た。このほんの1週間前は雨が降り続いて気温が低いため寒く、薄い掛け布団の上に毛布をかけて寝ていたのに、ちょっと極端過ぎる気温の変化に驚いている。土曜日も同じように最高気温が33度くらいまで上がり、今週も連日30度を超える暑い日が続く予報なので、エドソンが日差しを遮るための日除けネットの設置作業に取りかかってくれた。次の写真は、土曜日の午後エドソンを手伝って家の北側に広げたネット。

前回家の軒下にネットを下げた際、強風が吹くと、ネットがフックから外れてしまい、何度も掛け直さなければならなかったので、今回はちょっとやり方を変えて、ロープをネットに縫い付けて、そのロープをフックに引っ掛けるようにするとエドソンが言うので、手芸用の大きな針と太い糸を使って、ロープをネットに縫い付ける作業を夕方近くなり日差しが弱くなってからふたりでした。その後、エドソンがロープの部分をフックに引っ掛ける作業を行ったのだけれど、マリンボンドという蜂が屋根瓦の下の隙間から入って屋根裏に巣を作っているらしく、軒下を飛び回っていたため、最後の仕上げは日曜日の朝早く、まだマリンボンドが活発に動き出す前にしてくれた。次の写真は、作業が完了し、家の前に下げられた日除けネットを日曜日のお昼頃パチリ。この日除けネットのお陰で家の壁を焼く太陽の熱気が抑えられ、家の中の気温も抑えられ、夜も少し過ごしやすくなった。すばやく行動に移してくれたエドソンに感謝。

2015年9月23日(水)

つい先日、桜の木になっているたくさんの実は色づくことなく、そのまま落ち始めたと書いたけれど、ウンチをするのに時間のかかるひろに付き合って、先日桜の木の下でのんびりと木を見上げていたら、赤い実がちらほら見えたので、思わず「ええっ!」と声を上げてしまった。何とつい先日まで色づいた実などひとつも見かけなかったのに、数日後にはたくさん実が色づいているなんて・・・。エドソンが実をひとつ採って食べてみたのだけれど、苦くて吐き出してしまった。そして、これはジャムにしても苦くておいしくないんじゃないかなあと言っていた。ジャムにするかどうかは別として、とにかく、これで桜の木に赤い実がなるという話は本当だったことがわかった。

インターネット上で、現代ビジネス9月21日(月)6時2分配信の『なんという皮肉……民主党議員の「暴力行為」が、集団的自衛権の必要性を証明してしまった!』という高橋洋一氏の記事があったので、以下にこの記事へのリンクをはってみる。この記事のサイトは、こちらへ

2015年9月24日(木)

次の写真は、先日の日曜日の我が家の夕食。カメラの調子が悪く、ちょっと暗くて写りが良くないけれど、ブラジルの里芋料理を紹介しようと思い、撮ったもの。日本料理で里芋を使うとなると、けんちん汁だったり、煮物だったり、唐揚げしてくずあんをかけたりして食べるけれど、ブラジルでは里芋をトロトロに煮て、挽き肉とトマトで作ったソースのようなものをそのトロトロ芋の上にかけてご飯と一緒に食べるのが定番らしい。少なくともエドソンのお母さんの定番なので、エドソンにとってはこれが典型的なお母さんの里芋料理。先週の土曜日にボトゥカトゥのスーパーに行った際、里芋があったので買って帰ったら、エドソンが早速食べようと言って作ってくれたのがこれ。エドソンのお誕生日に作った煮豆がまだ少し残っていたので、それを挽き肉とトマトのソースに混ぜたため、ボリュームが出て、おいしく出来上がった。里芋はガンを予防したり、血液をきれいにする効果があるらしいので、できるだけ食べた方がいい食材だけれど、うちでは年に数回しか食べないなと、ちょっと反省。そして、1ヶ月ほど前だったかテレビ番組で、毎日継続的に梅を食べると体にいいと言っていたので、最近、ご飯を炊く際、エドソンと私それぞれにひとつずつ梅干しを入れて炊くことが多くなった。この写真のお皿の端の赤いものは、その梅干し。ただ、最近の物価高で、特に輸入品の価格が上がり、梅干しの値段も何倍にもぐんと上がっているのが頭痛の種。

2015年9月25日(金)

海外暮らしの友人が、彼女の娘婿が90代の祖母から受け取ったというメッセージを転送してきてくれた。とても納得できる生きる道標だと思ったので、許可を得て、ここにコピーしてみた。このおばあちゃんは90代とは言え、完全に自立して暮らしていて、人にお世話されるのではなく、元気に人のお世話をしているという。人生は長いような短いような、時として大きな試練が降りかかり、道に迷いそうになることもあるけれど、一番大事なことを忘れないようにしていれば、その試練も乗り越えられるのではないだろうか。そして、年を取ることは誰にも避けられないことではあるけれど、どのように年を取るかは、自分で決めることができるのだから、前向きに、感謝の気持ちを持って、笑顔で過ごしたいものだと思う。

As we grow older, and hence wiser, we slowly realize that wearing a $300 or $30 watch, they both tell the same time...
Whether we carry a $300 or $30 wallet/handbag, the amount of money inside is the same;
Whether we drink a bottle of $30 or $3 wine, the effect is the same;
Whether the house we live in is 30 or 300 sq. ft. the loneliness is the same.
Hopefully, one day you will realize, your true inner happiness does not come-from the material things of this world.
Whether you fly first or economy class, if the plane goes down, you go down with it...

Therefore, I hope you realize, when you have mates, buddies and old friends, brothers and sisters, who you chat with, laugh with, talk with, have sing songs with, talk about north-south-east-west or heaven & earth, .... That is true happiness!!

Five Undeniable Facts of Life :

1. Don't educate your children to be rich. Educate them to be Happy. So when they grow up they will know the value of things not the price

2. Best awarded words in London ...
"Eat your food as your medicines. Otherwise you have to eat medicines as your food"

3. The One who loves you will never leave you because even if there are 100 reasons to give up they will find one reason to hold on.

4. There is a big difference between a human being and being human. Only a few really understand it.

5. You are loved when you are born. You will be loved when you die. In between, You have to manage...!

If you just want to Walk Fast, Walk Alone..!
But if you want to Walk Far, Walk Together..!!

Six Best Doctors in the World

1. Sunlight
2. Rest
3. Exercise
4. Diet
5. Self Confidence
6. Friends

Maintain them in all stages of Life and enjoy healthy life.

Sent with smiles and affection.

2015年9月26日(土)

ひろは穏やかな性格で、はるが乱暴に戯れついても悲鳴を上げながらも、されるがままにしていることが多い。2匹のラブラブ関係を観察していると、はるがひろをお尻に敷いて主導権を握っているように見える。でも、本気を出せば骨太のひろの方が断然力が強く、はるはかなわないのは明らかで、そうならないのはひろがはるを鷹揚に受け入れているからなのだと思う。食事の前などひろは「クーン、クーン」と甘えた声を出す一方、家の外に何か気配を感じたり、お散歩の際、見慣れない物を見かけたりすると、赤ちゃん犬とは思えないようなとても野太い声で吠えたりして、私たちを驚かせる。さらに、赤ちゃんの頃落ち着きがなく、じっとしていられなかったはるでもしなかったようなことをひろは時々しでかしてくれる。例えば、私たちのスリッパとか、ドアストップに使っている重たい人形とか、ベッドの足元の手編みのマットなど目につくものを口にくわえて自分のベッドに持って行ってしまったり、ベッドを噛んで中のクッションをバラバラに引きちぎって出してしまったり、居間の横のドアの前に置いた植木鉢の竹やアベンカを食いちぎったり、鉢をひっくり返したりする。最近、部屋の中に風を通すためにそのドアを開けて網戸にしていると、その網戸を突き破って外に出るようになってしまった。次の写真は、破れてしまった網戸。

先日も私が台所で家事をしていたら、2匹が静かになったのでふと見ると、ひろが見当たらない。私たちの寝室や洗面所、ダイニングルームのケージの中などを探してもいない。まさかと思い外を見ると、ひろはシュハスコ小屋の横でうろうろしていた。外で自由を満喫しているひろを家に連れ戻すのにエドソンとふたりで一苦労。はるも赤ちゃんの頃、このドアの前に座って網戸の網をゴリゴリと足の爪で引っかいて何ヶ所か破いたことがあったけれど、網を突き破るようなことはしなかったのに・・・。これから暑くなるのに、このドアを開けていたらひろが外に出てしまうし、ひろが出てしまわなくても、こんなに激しく破れてしまった網戸では虫除けにならないため、ドアを開けることができない。トホホ・・・。でも、何をやってもちっとも悪気のない無邪気なひろに見つめられると、脳内からたっぷり出てくる愛情ホルモンの作用で、やれやれと思いながらも、仕方がないかと思ってしまう自分がいる。次の写真は、先日の夜、居間のテレビの前で大股を広げて大の字になって寝ているひろをパチリ。2枚目は、1枚目の写真を撮ったシャッターの音で少し目覚めて、ひろは体勢を変えたのだけれど、右隣のはるはびくともせず、すやすやと寝ていたので、その好対照の2匹をパチリ。

2015年9月27日(日)

以下は、9月23日付けニッケイ新聞の「コラム 樹海」からの転載。戦中、ブラジル政府によって強制接収された日系資産が戦後70年を経ても、いまだに返還されていないものがあるのか?と驚いた。戦争前後の日系移民迫害の見直しと合わせて、これらの返還を求める必要があるのではないだろうか?

秋篠宮殿下、ぜひノロエステご訪問を

『120周年を記念して秋篠宮殿下ご夫妻が10月末から来伯されるとの報道があった。誰が伯国内のご訪問先を決めるのか知らないが、ノロエステに足を運ばれることを節に願う▼移民50周年の1958年に皇室として初めて三笠宮殿下ご夫妻が来伯された時、同地リンスを訪ねられた。沿道が移民で埋め尽くされ大歓声が送られたと、昨日のことの様に語る日系人は今でも多い▼同地は当時6882家族、4万8371人が住む日系最大の大集団地だった。それゆえ勝ち負け抗争の余韻も強く残っていたが、その機運を一変させたのが皇室だった。両派がリンスに集まって歓迎会のために大同団結を決め、連合会が翌年発足した▼ノロエステ連合会の会報1号(62年、7頁)には《輝かしい移民五十周年の記念の年、三笠宮を迎えたノロエステ全線の古強者が、期せずして一堂に会し、昔日のバウルー管轄連合日本人会の旧友達と語り合った時、其の親しみ、懐かしさは自然とノロエステ連合日本人会の誕生となって現れたのであった》と書かれている▼ただしそれ以来57年間、皇室は誰も訪れていない。例えばサントスには08年の百周年時に皇太子殿下がご訪問され、同地日本人学校が返還される記念すべき機会となった▼「百周年」の節目を祝うノロエステ最古の平野植民地の日本語学校は戦中に接収され返還されていない。リンス青年会会館の土地半分も同じ。プロミッソンでは勝ち負けで日系団体が2派に分かれ、今も統合されていない。ノロエステの〃戦後〃はまだ終わっていない▼三線全体で歓迎会をするのが理想だ。「移民の故郷」再生のため、ぜひご訪問いただきたい。(深)』

以下は、9月25日付けニッケイ新聞の「コラム 樹海」の『戦争前後の日本移民迫害の歴史見直しを』という記事へのリンク。この記事のサイトは、こちらへ

以下も、同じく9月25日付けニッケイ新聞の記事『戦争前後の歴史見直しを=日本移民迫害に光当てる=UNESPが映画討論会=「過去の過ち繰り返すな」』へのリンク。この記事のサイトは、こちらへ

2015年9月28日(月)

先週は毎日暑く、金曜日も気温は高めだったけれど曇りがちのお天気だったので、昼食後、はるたちのお散歩と台所の片付けを済ませてから、桑の実を収穫しにいつものようにひとりで果樹園まで行った。大きなつぶの桑の実の収穫時期は終わり、小さなつぶの桑の実が色づき始めていたので、十本余りある桑の林の一番外側の木から実の収穫を始めた。そして、1本目を採り終えて2本目の実を収集すべく林の中に分け入り実を採っていたら、突然蜂の群れに襲われた。両手にまとわりついた蜂を振り払い、家に走って戻り、刺された手や顔を洗い、アルコール消毒をし、冷凍庫に3つあった小さめの保冷剤を手や顔に当てて、居間のソファーに横になって2時間ほど過ごした。チクチク、ピリピリ、キリキリ、ズキズキという強弱の痛みがこの日はずっと続いた。左右両腕と両手にそれぞれ3ヶ所と、右目下の計7ヶ所が赤く腫れた。特に腫れのひどい場所は1匹ではなく、複数の蜂に刺されたようなので、合計何匹の蜂に刺されたのかははっきりとしないけれど、少なくとも10匹あまりに刺されたのではないかと思われる。

翌日の土曜日には痛みと入れ替わるように強いかゆみがやってきた。そして腫れが引く気配などなく、一層腫れが広がった。それで土曜日の午前中、私がヴィトーの英語のレッスンをしている間に、エドソンが町のスーパーに買出しに行ってくれ、パウラの薬局で痛み止めや炎症を抑える薬を買ってきてくれた。でもそれらを飲んでも腫れは引かず、腫れが複数ヶ所あるため、我慢するのが容易でないかゆみが続いた。そのため土曜日の夜はしんどくて夕食後にすぐベッドに入ったのだけれど、保冷剤で腫れている部分を冷やしていても、かゆみがひどくてなかなか眠れなかった。翌日の日曜日には、腫れがさらに大きくなり、右目が半分しか開かず、とにかくかゆいでの、朝食後に、はるとひろを下のカレージ横のシャワールームに入れてお留守番させて、エドソンと一緒にパーディーニョの救急病院に行った。幸いアレルギー症状は出ていないということで、かゆみと腫れを緩和するための注射をお尻と腕にしてもらい、飲み薬の処方箋をもらい、町の薬局でその薬を買って帰宅した。救急病院から戻り、お昼に果物を軽く食べただけで、薬を飲んで夕方まで横になった。夕方起きてみると、薬のお陰で多少腫れの赤みが薄くなり、腫れも改善し始めたものの、目の回りは相変わらず360度ぐるりと腫れがひかず、動くと腕や手のかゆみが強くなり、なかなかすっきりしない。トホホ・・・

蜂に刺された日は金曜日だったのだけれど、手伝いのヒバマーが仕事に来てくれていたので、夕方近くになってエドソンがヒバマーと一緒に桑の木の林に行き確認したところ、1本の桑の木の枝にマリンボンドが大きな巣を作っているのを見つけ、殺虫剤を撒いてくれた。大きな巣ができていることを知らず、巣に近寄ったために、集中攻撃を受けてしまったのだろうということがだった。次の写真は、日曜日の午後、マリンボンドが全滅しているのを確かめた上でエドソンが取ってきた、その桑の木の枝にできた直径13センチほどのマリンボンドの巣。今朝は昨日よりもさらに赤み薄くなり、かゆみも我慢できる程度になり、腫れも少しずつひき始めている。ブラジルに来るまでの数十年間の人生で、蜂に刺されたことなど一度もなかったけれど、ここで暮らし始めて6年間で、3度も刺されてしまった。1度目と2度目は1匹に刺されただけだったけれど、今回は一度に10匹以上に刺され、よくショックを起こさなかったと思った。

2015年9月29日(火)

次の写真は、庭の北東側にある黄色のイペーの木。ちらほらとしか花が咲いていないけれど、これでも去年よりは花の数が多い。この隣にはピンク色の花が咲くイペーの木があるのだけれど、こちらはまだ一度も花をつけたことがない。

次の写真は、居間の前のハイビスカスを東側から撮ったもの。冬の間、左側の濃いピンクのハイビスカスはちらほらとしか花を咲かせていなかったけれど、お天気が良くなり、暑くなったためか、たくさん花を咲かせている。右側の赤いハイビスカスは花が開かず、下を向いて咲くタイプのもの。

2015年9月30日(水)

次の2枚の写真は、先週エドソンが撮影した夕日。季節の移り変わりとともに、夕日が沈む位置がだいぶ南下して、ランドマークの木に近づいてきている。夕焼けがなく、こんなふうに赤くくっきりと丸い夕日が沈む時は、翌日は暑くなるという兆候を示しているのがここの夕日の特徴。金曜日まで暑い毎日だったのだけれど、金曜日の夕方5時を回ってから激しい暴風雨が来て、気温がぐんと下がった。日曜日も夕方から激しい雨が降り、以来、曇りがちの毎日が続いているため、気温がさして上がらず、過ごしやすく、ほっと一息。お陰で蜂に刺された後のかゆみがひどくならずに助かっている。



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