Kyoko Yoshida | Life in Brazil | BLOG |
2015年7月1日(水) | ||||
月曜日の朝、その日のブログをアップした後、先延ばしにしていた古いグーグルドライブの使用期限がとうとう来てしまったようで、突然グーグルドライブが使えなくなってしまった。これが使えないとブログを書いたり、アップしたりすることができない。そのため夕方から夜にかけてエドソンがアップグレードの作業をしてくれ、翌日微調整をした後ようやくまた使えるようになった。エドソンがいてくれるから何とかコンピュータを利用することができるけれど、エドソンの助けがないと、私にはまったくちんぷんかんぷんで自分ではアップグレードも何もできない。エドソンに感謝!! 次の写真は、家からは見えない庭の北東側にある植物。竹の一種らしい。葉はまさに笹の葉だけれど、大きさは普通の笹の葉の2倍から3倍といった感じ。ススキのようなものは花なのだそうだ。
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2015年7月2日(木) | ||||
6月15日発行の「楽書倶楽部第28号」が、昨日ようやく届いた。6月16日発送の消印なのに、パーディーニョの郵便局の受領印は6月30日となっていた。つまりサンパウロからの同州内の国内郵便にもかかわらず届くのに2週間もかかったことになる。この金曜日、月曜日、火曜日と、エドソンの仕事が忙しく郵便局に行く暇がなく、やっと昨日の午後時間を作って行ってくれたので、昨日受けとることができた。いつも通り金曜日に郵便局に行っていたらまだ届いておらず、次回は今週の金曜日まで行かないので、この楽書倶楽部を手にするのは今週の金曜日になるところだった。無駄足にならなくて良かった。それにしても最近の郵便事情の悪化は目に余る。これも支持率9%まで落ちたジウマ大統領の悪政の結果。ペトロブラス疑惑でそれにかかわった企業人などがどんどん逮捕されて証言しているのに、いまだにジウマ大統領もPT(労働者党)も、それらはみな嘘で証拠はどこにもないと強弁している。オバマ大統領のように任期が後1年くらいならまだいいけれど、ジウマは今年再選を果たしたばかりで、彼女の任期はまだまだ続く。日本のように首相がころころ変わるのもどうかと思うけれど、任期中はどうにも手が出せないというのも問題だなあと思う。ああ・・・何とかならないのかなあ・・・ため息が出る。以下は、この28号に掲載された私の文章。
年明け早々、インターネット上で不可解なニュースを目にした。観光目的で来日する中国人富裕層対象にビザ発給要件を緩和して、数次査証(ビザ)の有効期限を三年から五年に延長する緩和策を、岸田外務大臣が発表したというものだった。中国人観光客を呼び込む戦略の一環だと言う。 この記事を目にして、私は釈然としない気持ちに襲われた。というのも、ブラジル人の夫は、観光目的や親族訪問目的の短期滞在では数次査証を取得することは認められておらず、取得できるのは一回限りの入国しか認められない一次査証のみだからだ。数次査証を取得するには日本での雇用証明がなくてはならないというのが、在サンパウロ日本総領事館の説明だ。南米諸国の中でアルゼンチン、ウルグアイ、チリは、短期滞在の場合はビザが免除されているのに、何故ブラジル人に対するビザ発給要件はこれほど厳しいのだろう? 民主主義国ブラジルの国民で、日本で私と共に八年半暮らしたことがあり、れっきとした日本人の配偶者である私の夫は、これでは共産主義独裁国家の国民よりも厳しい扱いを受けていることになる。しかももっと言えば、これにより日本人である私自身も、祖国から大きな不利益を被っているということに、何とも納得しがたい思いが募った。 ブラジル人の夫が短期滞在ビザを発給してもらうためには、所得を証明する書類だけでなく、すでに購入済みの航空券や、婚姻を証明する書類等々を提出しなければならない。のんびり観光や親族を訪問するためだけなら、旅行日程を決めて航空券などを入手してその都度ビザ申請を行うのはお金と時間がかかり面倒ではあるものの、それほど大きな問題ではないけれど、日本の家族に何かあった場合、いちいちビザ申請をしている暇はない。すぐに駆けつけるためには数次ビザを持っておく必要がるのに、それが認められていないのが現状だ。ちなみに昨年日本に行った際、復路はカナダを経由したので夫はカナダのビザが必要だったのだけれど、カナダはこちらが求めなくても自動的に五年間の数次ビザを発給してくれた。 さらに、十数年前アメリカで暮らしていた私たちが、日本への移住を決めて夫のビザを申請すると、まだ日本での雇用先が決まっていなかったにもかかわらず、 この時はまだ何の問題もなく、すんなりと移住のためのビザは発給された。いつその要件が変わったのだろう?夫の友人で同じく日本人の女性と結婚して、日本で十数年暮らしていたアメリカ人男性が、仕事の都合で奥さんと子供を連れて日本を離れた後で、日本に戻るためには日本での雇用先がなくてはビザを取得できなくなっていることを知って驚いていたので、どうやらこの要件はブラジル人に限らないようだ。これではまるで外国人と結婚した日本人女性やその子供たちに日本には戻ってくるなと言っているようなものだ。 四年前に、私の父が肺炎で入院した際、八十九歳という高齢でもあり、いつどうなるかわからないからと事情を説明して、数次ビザを認めてもらえないかとお願いしたことがある。後日、総領事館内部でいろいろ協議した結果、父が入院している病院の医師からの診断書や、兄の所得証明など、諸々の追加書類を提出すれば、特別に認めようと言ってくれたため、急ぎ兄にそれらの書類の送付を依頼した。でもこちらに速達で書類が届いた頃に、安定していた父の容体が悪化し、兄から「お前だけでもとにかく急いで戻れ」と連絡があり、バタバタと航空券の手配をして日本へ向けてひとりで飛び立った。結局、私がサンパウロ空港を出発したその日に父は亡くなってしまったため、私は何とか父の葬儀にぎりぎり間に合ったものの、父と仲の良かった夫は最期のお別れができなかった。 現在のビザ発給要件では、夫が日本の家族の葬儀に参列することはこれから先も不可能だ。私が「ブラジルはもう嫌だ!日本に帰りたい!」と言っても、夫と一緒に日本に帰ることもできない。日本人の私が男で、ブラジル人の夫が女であれば、夫である私や妻に雇用先がなくてもおそらく日本に妻を連れて帰ることはできるのではないかと思う。これは男女差別では?と思ったりもする。このようなことを考えていて、もうずいぶん昔に読んだある記事のことを思い出した。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の際、難民収容所に家族と共に収容されていた日本人女性を、ある日本人記者が偶然発見して、彼女たちを何とか救出しようと必死になってあちこちに働きかけるまで、現地の日本政府の出先機関も本国政府もまったく救いの手を差し伸べようとしなかったというものだった。ブラジルで日本総領事館に在留届けをちゃんと提出していても、ブラジル人の夫と暮らす私は、この女性同様、日本政府にとっては「在留邦人保護」の対象ではないのかもしれないと、ふと思った。 夫と共にブラジルに移住すると決めた時、ブラジルに骨を埋めることを覚悟し、この遠いブラジルからでは親の死に目には会えないだろうという覚悟もしたので、文句を言う筋合いではないのかもしれない。それでも、ブラジル人を夫にもつ日本人の私には、夫と共に日本の家族の葬儀に参列したり、夫と共に日本に戻る選択肢はないのかと思うと、ただお金を持っているというだけで、日本とは何の縁もない反日独裁国家の人たちが優遇される現実に、愚痴のひとつも言いたくなってしまう。でも何よりも、お金のために目先のことしか考えないようなことをしていては、いつか近い将来、日本が日本ではなくなってしまうのではないかと、心配でならない。 | ||||
2015年7月3日(金) | ||||
先日の午前中、保存するために乾燥したグアンドゥ豆の収穫をした。次の写真は、豆をさやから取り出す作業の途中で撮ったもの。右側のバケツ1杯にグアンドゥ豆を収穫してきて、さやから豆を取り出し、豆を取り出した後の空のさやを左側のバケツに入れる作業をし、お昼になったので、一旦ここで作業を中断。
昼食後、また作業を再開して、2時間くらいかかってすべての豆をさやから取り出すことができた。次の写真は、ベランダの椅子に座って作業している私を居間の中からエドソンが撮ったもの。私の作業のお供をしているはるもちゃんと写っている。時間の経過と共に、日陰だったベランダに陽が差し込むようになり、日差しを避けてひとつずつ椅子を左側に移動して作業をしていたので、終わり頃はこの写真のように、一番左側の椅子まで移動することになった。この日は穏やかなお天気で、ベランダで作業していても寒くなく、日差しの中にいると暑いくらいだった。この日さやから取り出した豆の重量は660グラム。グアンドゥ豆というのはおもしろい豆で、ひとつの豆の木にこんなふうに茶色に乾燥した豆と、まだ緑色の豆と、花とが共存しているので、保存用の乾燥豆と、枝豆かグリンピースのようにして食べることができる緑色の豆のどちらか好きな方を収穫することができる。
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2015年7月4日(土) | ||||
今日は、7月3日付けのニッケイ新聞から最近のブラジルの様子を伝える記事を2本。以下は、「コラム 樹海」へのリンク。「先週から大統領や周辺の言動に妙な雰囲気が…」という記事のサイトは、こちらへ。 同じく、7月3日付けの特集「伯国バブルは崩壊したか=経済立て直しの鍵は=再興に20余年かかる?」という記事のサイトは、こちらへ。 | ||||
2015年7月5日(日) | ||||
火曜日の夜から降り始めた雨がその後もずっと降ったり止んだりを続け、日差しがまったくないので台所で使う太陽光で温められるはずの温水がちっとも暖かくない。少しでも日差しが出るとすぐに暖かくなるのだけれど、全くない日が続くと水同然というか水なので少々不便。シャワーで使うお湯は、こんな時は電気温水器を併用するので、暖かいお湯が出るのだけれど、台所は太陽光の温水だけなので、お天気の悪い日が続くとこういうことになる。冬は乾季なので、気温が低くても太陽はさんさんと降り注ぐのが常で、太陽光の温水は水と混ぜないと熱いくらいになるのが普通。でも、時々寒気団がやってきてこんなふうにお天気の悪い日が続くと温水にならない。太陽の恵みというのは本当にありがたいものだと思う。そんな中、ハファエウとマイーラを昨晩夕食に招いた。薪ストーブを使っているので、戸外よりも家の中は暖かいのだけれど、それでも寒かったらしく、ふたりは家の中に入った後も、食事のためにダイニングルームに移動するまでしばらく上着を脱げないでいた。次の写真は到着して、居間のソファーに腰かけてエドソンと話し始めたふたりをパチリ。ハファエウは最近視力が悪化したそうで、前のものよりも度のきつい新しい眼鏡をかけている。そして、今朝は一段と冷え込んで朝の気温は9度となっていたけれど、体感的にはもっと低い感じで、ストーブをつけていても足元から深々と冷える感じがするため、エドソンは寒い寒いと言い、お昼前にはとうとうずっと使っていなかったガスストーブをつけることになった。
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2015年7月6日(月) | ||||
ドイツで開催されていた『国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会は5日、日本が推薦した「明治日本の産業革命遺産」(福岡など8県23施設)を世界文化遺産に登録することを決定した』というニュースを昨日目にした。先月の日韓外相会談で、韓国はこの件に関して協力を約束したにもかかわらず、土壇場になってまた反対表明したため、4日には決まらず、5日にずれ込んだらしいのだけれど、日本が韓国に対してどんな妥協をしたのかは今の時点ではわかっていない。4日の段階で、韓国人のシンシアリー氏のブログには以下のような記述があった。こんないびつな精神構造をした人たちと関わるのはもううんざりだけれど、どうすればかかわらないでいられるのだろうかとも思う。
世界遺産の件で、もう一つエントリーします。 日本側のニュースに、「協力するとしておいて、なぜ反対するのか」という疑問が提起されているようです。 例えば、これ↓ですね。
協力のはずが…韓国が土壇場で反対 その背景とは? 日本は尹炳世外交部長官の訪日の時に約束したとおり、韓国の世界遺産に賛成しました。
韓国の百済歴史地区、世界遺産登録…日本も支持 日本側から見ると、「協力すると言っておいてなんで反対するのか」が疑問かもしれません。 でも、韓国にとっては疑問でもなんでもありません。 前にも書いた気がしますが、 反日国家・韓国にとって、 日本が上がることは韓国が下がること。 日本が下がることは韓国が上がることです。 韓国にとってはそれが何より優先します。 「約束を守る」という価値観よりも、優先します。 明日、どんな結果になるかはわかりませんが、もし日本の明治産業遺産が世界遺産に登録できなかったら、日本の嫌韓はさらに強くなるでしょう。 でも、その時、韓国は疑問を提起するはずです。 韓国はこう思うでしょう。 「なんで怒るんだ?変だな。だって僕は韓国でお前は日本じゃないか。だからこれで正しいんだよ!」 | ||||
2015年7月7日(火) | ||||
土曜日の午前中、久しぶりにボトゥカトゥへ食料品の買出しに行った。買い物だけの時ははるをヴィラ・シーコには預けず一緒に連れて行くことにしている。でも、はるはモビのようにおとなしく静かにじっとしていることができないので、スーパーの入り口すぐの所にあるイスに座って待つことができない。私がスーパーの中で買い物をしている間、エドソンははるとスーパーの外で待つことになる。そして、支払いの時にエドソンにカードで支払ってもらうので、スーパーの入り口近くに買い物カートを置いて、外にいるエドソンと交代して、こんどは私がはると一緒に外でエドソンを待つという具合にしている。この土曜日は魚売り場が混雑していたので、そこは後回しにして、エドソンと交代する段階で彼に魚を買ってと頼んだ。頼んだのは魚だけなのに、待てどくらせどエドソンが出てこない。一体どうしたのだろう?と思いながら待っていると、30分くらいしてようやく支払いを済ませてカートを押して出てきた。何でも人が群がっていた魚売り場にお客さんがいないだけでなく、店員さんもおらず、ベルを何度鳴らしても店員さんが出てこないため、店のマネージャーのところに行って店内放送で呼び出しをかけてもらったということだった。でも、その後のレジが混んでいても、それだけで30分もかかるはずもなく、カートを見るとエドソンが選んだワインやランの鉢もあり、店を一回りして、彼が欲しいものを追加していたことがわかった。 次の写真は、スーパーでエドソンが買った青い色をしたランの花。8つ花が咲いていて、まだ3つこれから開くつぼみがついている。小さな鉢なのにこんなにたくさん花をつけているなんてすごい。値段は40レアル(約2000円弱)くらいと高いのだけれど、きれいだったから買ったと言っていた。帰宅してエドソンに「どこに飾る?」と聞くと、テーブルの上の白いランの側に置いてくれた。
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2015年7月8日(水) | ||||
また韓国のことで恐縮だけれど、7月1日(水)12時10分配信のJBpressに古森 義久氏の記事があったので、以下に転載してみる。ようやくアメリカでも韓国の反日の本質を理解する言論が出てきたようだけれど、これが今後一般の理解として広がって行くといいなあ。
日韓関係の真実が国際舞台でようやく浮かび上がってきたと言うべきだろうか。現代の日韓関係の最大の特徴といえば、やはり韓国側の徹底した反日傾向だろう。その反日とはなんなのか、どんな理由によるのか。その謎に日韓だけではなく米国という超大国からも光が当てられるようになった。この新たな動きは、最近の韓国の対日姿勢の軟化を説明することにもなる。 「韓国の反日の原因は歴史問題だけによるのではない」「韓国の官民の反日傾向は病理的なオブセッション(強迫観念)」──こんな辛辣な分析が米国人学者により発表され、ワシントンの対アジア、対日韓関係の専門家たちの間で注目を集めている。 論文を発表したのは、オハイオ州立大学で政治学の博士号を取得し、現在は韓国の釜山国立大学で准教授を務める米国人政治学者ロバート・ケリー氏である。論文は、この6月にアジア外交雑誌の「ディプロマット」に掲載された。 ケリー氏は別の論文で、「韓国の抗議にはもううんざり」という日本の「韓国疲れ」がワシントンにも広まったという現状を指摘している(本連載の「米国もとうとう『韓国にはうんざり』」でも詳しく伝えた)。そのケリー氏が韓国の年来の反日姿勢をさらに鋭く分析する論文を発表したのだ。 この論文は、韓国の反日ぶりがあまりに極端だとするワシントンの最新の認識ともつながっている。朴槿惠政権が日本への態度を軟化させているのも、そうした米側の対韓態度の硬化が要因となったことは明白である。 ■ 北朝鮮にかなわない韓国の「朝鮮民族の正当性」 ケリー教授の今回の論文は「なぜ韓国はここまで日本に妄念を抱くのか」と題されていた。 韓国が反日の姿勢を崩さない理由は何か。ケリー教授は結論として、歴史や植民地支配を原因とするよりも、本当は朝鮮民族の正統性(Legitimacy)をめぐって北朝鮮に対抗するための道具として使っているのだ、と指摘していた。この場合の「正統性」とは民族や政権が適切だと広く認められるための拠りどころだと言える。 ケリー教授は同論文で、近年の韓国暮らしの体験からまず述べる。 「韓国で少しでも生活すれば、韓国全体が日本に対して異様なほど否定的な態度に執着していることが誰の目にも明白となる。そうした異様な反日の実例としては、韓国の子供たちの旧日本兵を狙撃する遊びや、日本の軍国主義復活論、米国内での慰安婦像建設ロビー工作などが挙げられる。旭日旗を連想させる赤と白の縞のシャツを着た青年が謝罪をさせられるという、これ以上はないほどくだらない事例も目撃した」 そのうえで同教授は、これほど官民一体となって日本を叩くのは70年前までの歴史や植民地支配だけが原因だとは思えないとして、以下のような分析を述べていた。 ・韓国の反日は単なる感情や政治を超えて、民族や国家の支えの探求に近い。つまり、自分たちのアイデンティティーを規定するために反日が必要だとしているのだ。 ・同時に韓国の反日は、朝鮮民族としての正統性の主張の変形でもある。自民族の伝統や誇り、そして純粋性を主張するための道具や武器として反日があるのだと言ってよい。 ・韓国が朝鮮民族の純粋性を強調すれば、どうしても北朝鮮との競争になる。しかし朝鮮民族の純粋性や自主性、伝統保持となると、韓国は北朝鮮にはかなわない。そのギャップを埋めるためにも日本を叩くことが必要になる。 ・韓国は朝鮮民族の正統性を主張しようにも、民族の純粋性を説くには欧米や日本の影響が多すぎる。政治の面で北朝鮮に対抗しようとしても、韓国の民主主義は人的コネや汚職が多すぎる。だから韓国の朝鮮民族としての正統性は北朝鮮に劣っている。そのため、日本を悪と位置づけ、叩き続けることが代替の方法となる。 要するに、韓国の正統性の主張は本来は北朝鮮に対して向けられるべきなのに、日本叩きがその安易な代替方法となっているというのだ。 日本に矛先が向かうのは、ひとえに朝鮮民族としての正統性が北朝鮮にはかなわないからである。本来、北朝鮮は韓国となお戦争状態にあり、韓国の消滅を正面から唱える敵である。だが韓国は、その敵よりも、日本をさらに激しい怒りや憎しみの対象として非難し続けるのだ。 ■ 韓国の目的は「反日を続ける」こと これが韓国の反日の本質であるならば、慰安婦問題などの歴史案件でいくら日本が譲歩してみても、韓国側の満足が得られるはずがない。 韓国の反日は何かの実現を目指しているわけではなく、反日を続けること自体に意義があるからだ。韓国の反日は外交の交渉で解決するような明確な理屈のある内容ではないのである。 ケリー教授のこの分析に従えば、韓国の反日というのは、勝手な都合で日本を北朝鮮の代わりにののしり、非難の標的する全国民的な傾向ということになる。 ケリー教授と同じことを日本の政治家や学者が述べたら大変な事態となるだろう。ケリー教授の分析は、あくまでも第三国として客観的な立場にある米国側の見解である。そして現在、米国では、こうした分析への賛同が明らかに増えているのだ。隠されていた日韓関係の重要な要素が米国でもやっと認知されるようになった、ということだろうか。 | ||||
2015年7月9日(木) | ||||
次の写真は、外階段のところにある箱庭を近くから撮ったもの。先日、離れた所から我が家を撮った写真にこの箱庭も写っていて、ここの壁沿いに植えた赤い葉の植物の右端の1本が、他の3本よりもずいぶん背が高いとブログに書いたけれど、それを近くから撮ってみた。その手前の背の低い赤と緑色の葉の植物は、元気がなくなった鉢植えをここに地植えした後、細々と生きながらえているポインセチア。一時赤い葉はなくなって緑一色になっていたけれど、2ヶ月位前から赤い葉が出てきた。2枚目の写真は、相変わらず元気にしている庭の白いポインセチア。
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2015年7月10日(金) | ||||
先週から続いていた雨模様のお天気は、月曜日に太陽の日差しが戻って一旦お天気が回復して、一息ついたのだけれど、火曜日からはまたお天気が崩れ、冷たい雨が続いた。そして、ようやく昨日の午後からお天気が回復に向かい、太陽が顔を出した。今朝も一応太陽が出ているけれど、予報では雨も降るとあるので、さてどうなることやら・・・?雨季に雨があまり降らなかったのに、乾季にこんなによく雨が降るって、どう言うこと?先週の土曜日も雨だったのでヒバマーが手伝いに来れなかったため、その前の土曜日までに薪割りをして、シュハスコ小屋に運んでおいてもらった薪はとうとうほとんど使い尽くしてしまった。それで、薪ストーブはひときわ冷え込んだ日の朝一番と、私の生徒さんが来ている時だけつけて、それ以外はガスストーブを使って、使用する薪を節約しなければならなくなった。それで日中はガスストーブだけなので、はるは家の中で一番暖かいガスストーブの前に1日中張り付いている。はるに防寒用の服を着せても、ゴロゴロと動き回っているうちにすぐに脱げてしまうので、どうも服を着るよりはストーブの前にいる方がいいらしい。ストーブの前で丸くなっているはるを見ていると、まるで猫みたいと思う。
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2015年7月11日(土) | ||||
先月末、気の早い桜の芽がほんの少し開花したとブログに書いたけれど、その後寒くてぐずつくお天気が続いていたため、やはり後が続かず、以後、あらたな桜の開花は見られなかった。昨日の朝のはるとのお散歩で、その後どうなったかな?と、桜の木々を見に行くと、三角地帯の入り口の木々にたくさんの花芽が出ていることが確認できた。一昨日からお天気が回復し、暖かな日差しが出たので、それに反応したのかもしれない。次の写真は、少し開きかけたり、今にも開きそうなピンクの花芽をたくさんつけている三角地帯の入り口のヒマラヤ桜。お天気が続けば数日で満開になるかもしれないと、期待がふくらむ。
次の写真は、花芽が少し膨らみ始めた庭のヒマラヤ桜。こちらの桜の開花はまだだいぶ時間がかかりそう。でも、楽しみ。楽しみ。
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2015年7月12日(日) | ||||
昨年の大統領選挙に勝つために現政権により意図的に低く抑えられていた電気や燃料の価格が、ジウマが再選したことによりタガが外れどんどん上がり、その影響であらゆるものの値段が上がってきている。7月11日付けのニッケイ新聞「コラム 東西南北」に以下のような調査結果があった。 『中南米5カ国で6月に行われた意識調査によると、伯人の68%は残業を増やしたり副業を探したりして増収対策をとっている。また47%の人が「お金のために家の物を売った」と答えた。84%の人は生活習慣を見直しており、娯楽費や買い物の量を減らしたりした人も82%いる。「伯国が経済危機にある」と思っている人は97%で、生活にも影響が及んでいると感じている人は88%に上るが、45%は向こう1年間で改善すると見ている。「経済状況は悪い・最悪」と見ている人は55%で、メキシコの69%、アルゼンチンの60%に次ぎ、3位だったという。』 先日の夕方、エドソンが家を出たり入ったりした後、台所で何やらゴソゴソしているので何をしているのかと思ったら、私がネギの根元を切って、水を入れたグラスに入れて、台所の窓辺に置いたままにしているのを見て、見かねて鉢に肥料を混ぜた土を入れものを持ってきて、それにネギの根元の数本を植えてくれていたのだった。それはそれでありがたいのだけれど、流しや床の上に土が落ちて汚れたのは私が後始末をしなくてはならず、ちょっとトホホ・・・。根元のついているネギを買った際は、いつも畑に植えて育てるのだけれど、このところずっと日差しがなくて寒く、雨も多いので、畑に植えてもちゃんと育つかなあ・・・?、畑に植えようかどうしようかと思い悩んでいるうちに数日経過してしまっていたのだった。エドソンいわく、「これなら台所で育てられるでしょう?」ということで、現在この鉢をガスレンジ横の窓辺に置いて育てている。
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2015年7月13日(月) | ||||
次の写真は、玄関から下りる階段の壁沿いに生えている4種類の草たち。風で飛んできた種がここのコンクリートの割れ目で根付いて、取っても取っても自然に生えてきてしまう。葉だけなら抜くところ、花を咲かせているので、抜くに忍びなく、今のところそのままにしている。一番上のピンクの花はベイジョという花で、この花はこの家で暮らすようになった最初の年にバラの花壇に植えたものがあちこちに種を飛ばして、以後、いろいろな場所から生えてくるようになり、こんなところでも花を咲かせている。
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2015年7月14日(火) | ||||
次の写真は、ベランダの縁に置いた鉢植え2つ。大きな鉢の緑色の葉の植物はパラカンビから持ってきたもので、この大きな鉢に植え替えてからも、元気にしている。手前の鉢は、小さな花が咲くバラの元気がなくなった後、この大きな鉢に植え替えたものなのだけれど、バラは細々と生きながらえている感じなのに、種が飛んできてこの鉢で自然に芽を出したベイジョの方がバラよりもずっと元気にしている。しかも、今は寒い冬なのに、夏よりも元気なのはどうしてだろう?ベイジョって1年中咲いているけれど、階段のところの元気なベイジョといい、基本的に冬の花なのだろうか?
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2015年7月15日(水) | ||||
土曜日の朝、ザーザーと降った雨が止んだ後、徐々にお天気が回復し、午後遅くには暖かな太陽が顔を出した。以来、毎日北からの暖かい風が吹き荒れて風の強い日々ではあるけれど、日差しがあって暖かな毎日が続いている。夜、厚手の掛け布団では暑くなったので、昨日から薄手の掛け布団に替えた。この暖かな気温の影響もあって、桜がだいぶ開花してきた。次の写真は、三角地帯への入り口のヒマラヤ桜の木をダイニングルームの窓からパチリ。先日つぼみが開き始めたと書いたけれど、木の中心部からだいぶ花開いてきて、近くに行かなくてもダイニングルームの窓からでも花が見えるようになった。この木の左右に沖縄桜があるのだけれど、左側の同じように花が咲いている桜はセドリーニョの影になって見えない。右側の桜は1つ2つつぼみが開きつつある程度なので、遠くがけからではまだ花が見えない。
次の写真は、外階段沿いで今咲いているサツキと、箱庭でひとつ花開いたカラー。この時期庭のハイビスカスの花の数がぐんと減って、2つ3つしか咲いていないのだけれど、それにとって代わるようにサツキやカラーが花を咲かせるようになった。ただ、花が咲いているサツキは12本の内のこの2本だけで、他の木は少しつぼみはあってもまだ花開いていない。庭の4本のヒマラヤ桜も3本が少しずつ花をつけ始めている。
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2015年7月16日(木) | ||||
次の写真は、先日エドソンが収穫してきた我が家のマラクジャ・ドスィ(甘いタイプのパッションフルーツという意味なのだけれど、うちのは酸味が少ないだけでそんなに甘くなく、野性的な味がする)。うちのマラクジャ・ドスィは実が黄色く色づかないまま腐って落ちてしまうので、どうしてだろうと不思議に思っていたのだけれど、色づかなくても腐る前に収穫してみると、何とか食べられることがわかり、以後、エドソンが時々なっている実をチェックして、採ってきてくれるようになった。前回採ってきてくれた際は、実の中身を取り出して、ミキサーにかけてみたら、種は固いのでそのままの状態で残り、実ときれいに分離した状態になったので、ジュースのようになった実を小麦粉と混ぜてキャロットケーキのレシピーでマラクジャ味のパウンドケーキを作ってみた。だいぶ以前、種を分離して取り除かず、同じようにマラクジャのパウンドケーキを作ったことがあるけれど、種なしの方が口当たりが良くおいしいなと思った。次の写真は、2つのマラクジャ・ドスィを半分に切って、右側の半分の中身をお皿に取り出した状態を撮ったもの。このままヨーグルトに混ぜて食べることもできる。種がコリコリとしているけれど、ヨーグルトと一緒だと種も気にせず食べることができる。
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2015年7月17日(金) | ||||
昨年の年明け早々、ひどいめまいに襲われて救急病院のお世話になったことがあった。その数ヶ月後に知り合った日系2世のマッサージ師のジュリアさんに相談すると、めまいにはお湯を沸騰させて、その沸騰が収まった後のお湯にローズマリーをひと枝入れて、そのお湯でエルヴァ・ドスィというハーブティを入れて毎日飲むと良いと言わた。7月から8月の日本への旅行に行く前までずっとそれを実践していたので、めまいは収まっていたのだけれど、旅行の後半、疲れが溜まってしまったようで広島でめまいが再発。ブラジルへ戻る途中に寄ったトロントで、ローズマリーとエルヴァ・ドスィを入手してハーブティを作って飲もうと思って買ったものが、次の写真。
でも、ローズマリーが手に入らず、広島の医院でもらった薬もまだ飲んでいたので、結局そのまま使わず持って帰り、最近になって、エルヴァ・ドスィをきらした際、これがあったことを思い出して飲み始めた。でも箱をよく見ると、箱の表示がアニスではなくフェネルとなっていることに気づいた。エルヴァ・ドスィは英語でアニス(anise)と言うのだとエドソンが言うので、アニスと言って買ったのだけれど、よく見るとフェネルシード(Fennel Seed、つまり、ウイキョウ)と表示されている。それで調べてみると、アニスは「セリ科の香草で、葉は食用になり、果実は香辛料として使われる」とあり、フェネルもセリ科の植物で「アニスに似た快いほろ苦味と、やや樟脳(しょうのう)に似た香りが特徴」とあって、どちらもセリ科の香草で似ているけれど同じものではないことがわかった。アニスはコーンケーキを作る際に一袋入れて作るのだけれど、このフェネルで作っても味は変わらなかった。同じセリ科の植物だし、味もとても似ているのだからまあいいかと思いながら、最近はこのフェネルと我が家の庭にあるローズマリーでお茶を入れて毎日飲んでいる。ついでながらアニスは「消化剤としてや、咳や頭痛を鎮めるためにも用いられる」ともあった。そしてChinese star aniseと言うと香辛料の八角のことだということもわかった。わからないことは色々調べてみるものだなあと思った。 | ||||
2015年7月18日(土) | ||||
ニッケイ新聞の編集部ブログサイトに、7月14日付けで「ブラジルでベジタリアンのススメ!」という記事があったので以下に転載してみる。このブログ記事を読んで、これを書いた記者の人は大都会サンパウロでの生活を満喫しているのだなと思うと同時に、この広いブラジルのほとんどを占めるコテコテのブラジルの田舎の現実を知らないのだなとも思った。国際都市サンパウロには東京のように世界各国の料理を楽しむことができる様々なレストランがあるけれど、サンパウロを一歩離れれば、あるのは「ブッフェ」と「ポル・キーロ」くらいで、ボトゥカトゥのような大きな町に行けば日本食や中華料理の専門店はあっても、この記事にあるイタリア料理、ペルー料理、アラブ料理、韓国料理などはまずない。もちろんインド料理もない。ブラジルの人たちはカレーは日系人のお祭りなどで出されるので日本食だと思っているくらい。イタリア料理でどこにでもあるのはピザ専門店だけで、以前にも書いたことがあるけれど、これだけイタリア移民が多いのに、大都市以外ではスパゲッティなどパスタ専門の店やいわゆるちゃんとしたイタメシの専門店はない。そして、この記事に「どこにでもあるスーパーで手に入る」とある大豆ミートも、もちろんここでは(つまり、サンパウロ市を離れれば)手に入らない。だから、この記事の中でブラジルとある部分はサンパウロ市と限定した方が適切だと思った。それからもうひとつ。ベジタリアンと言う人で日本食が好きと言う人がよくいるのだけれど、日本食の基本は魚のだし。昆布だしにこだわれば問題ないかもしれないけれど、お肉を使っていない野菜料理(例えば、野菜の煮びたし)でも普通にかつおだしが使われていたりする。そんなときはどうするのだろう?と、時々不思議に思う。この記事だけでなく写真も見てみたい方は、こちらのサイトへ。
『今回のブログ子「幸」は、ベジタリアン歴8年です。「なぜ私がベジタリアンになったか」という説明は、あまりに長くなるので、いずれまたの機会に。とにかく日本では、ベジタリアンなんて希少人種に属します。まるで絶滅危惧種か天然記念物を見るかのような扱いをされるし、さらには「かわいそうに」とか「何でもちゃんと食べなくちゃダメでしょう!」とまで言われる始末です。 「好き嫌いではないんで」と反論するも、こちらの言い分はほぼ聞き入れてもらえず。ベジタリアンが暮らすには、まだまだ日本は厳しい!!! ベジタリアンにも色々あるのですが、私の場合はラクトベジタリアンに入ると思います。肉や魚、魚介類などの動物性食材は、出汁さえもは一切口にしないのですが、卵や乳製品はOKです。でも、なるべくそれも少なめにはしています。 ベジタリアンの中でも“ビーガン”は卵や乳製品なども全く食べません。動物愛護活動に関わっている人になると、食べ物だけでなく皮製品や動物実験された洗剤や化粧品なども一切使わない等と徹底した人もいます。日本ではベジタリアン自体が少ない中、ビーガン人口はさらに数少ないでしょうね。 そんなベジタリアンにとって、日本ではまず外食が無理です。気楽に食べに行ける所と言えば『回転すし』です。「え? 魚じゃん!?」と思われるかもしれませんが、回転すしは食べたいものを自分で選んで食べられるんです。 かっぱ巻きや納豆巻き、山芋巻きなど、案外たくさんあるものです。それ以外の外食では、メニューを見て食べられそうなものを選ぶだけ。ただし、「これ抜きで出来ますか?」と注文すると、あっさり「出来ません」って言われたり、嫌な顔をして渋々引き受けてくれたり。日本では外食が苦痛になるのがベジタリアンの常。 そんなヤツが「主食が肉!」のようなブラジルで生活できるのか!?とお思いでしょう。何と!ブラジルにベジタリアンは多いんです。単純に人口比の問題かも知れないけれど、動物愛護活動が日本より活発なこともあってビーガンも多いんです。ベジタリアンやビーガンのレストランが沢山あるし、それ以外でもブラジルで外食に困ることはほとんどありません。 ブラジルでの外食の定番スタイルは「ブッフェ」と「ポル・キーロ」。ブッフェは一定の金額で食べ放題。ポル・キーロは重さに比例して金額が決まる形式です。ベジタリアンにとっての利点は回転すしと同じで、どちらも自分で食べたいモノを選べるという事。レストラン内にずらりと料理が並び、そこから自分でお皿に取ることが出来るので悩まなくていいんです。 またブラジルには「バール」と呼ばれる所があちこちにあり、現地人はそこでカフェ(コーヒー)を飲んだり、昼間でもビールを飲んだりしています。喫茶店という程オシャレなものでもなく、一杯飲み屋的な、でもちょっとした軽食もあったりと、ブラジル人の生活には欠かせないものです。 そんな庶民の場所にも、ベジタリアンは困らずに行けるんです!パンにチーズだけを挟んで焼いたものとか、メニューになくても言えば簡単に「ああ、出来るよ」なんて言って作ってくれます。他のレストランでも同様に、頼めば嫌な顔もせずやってくれるところがほとんど。これは有難い!! ただし、値段はお肉入りのものと変わりません。その分安くしてもらえるのか交渉次第。そのためにはポルトガル語力が必要ですね…(ベジタリアンだけど)精進します。 さらに、色んな国の料理のレストランが存在するのも利点。日本食や中華料理はもちろん、イタリア料理、ペルー料理、アラブ料理、韓国料理など様々です。中でも中華料理店には、ベジタリアンメニューがあるので重宝しています。大豆ミートと言って大豆でお肉に似せて作られたもの、大豆で出来たハムやソーセージなどベジタリアン用の加工食品があって、中でも台湾系のレストランではそういうものを使った料理の美味しいこと!毎日でも通いたくなるくらい!! そうそう、その大豆ミート。日本で手に入れようと思えば通信販売で買うか、極まれに健康食品店に置いてあるくらいなのですが、ブラジルではどこにでもあるスーパーで簡単に手に入ります。中国や台湾系の食品店などもあり、そこでは大豆で出来たハムなどの加工品が販売してあるので、自宅で料理するにも困りません。 ブラジル人の友人も、私がベジタリアンだと言うと普通に「食べられないものを教えて」と、外食するにも自宅で作ってくれるにも考慮してくれます。偏見もなく、普通に接してくれるのが嬉しい! いやあ、ブラジルはベジタリアンにとっては天国ですわ!!ってしみじみ実感しています。自分は肉食系だ!という人、ベジタリアンの方が老化は遅いんですよ。それにブラジルは食の宝庫!肉を食べなくても充分栄養も摂れるし、健康的です。日本にいるベジタリアンの方もそうでない方も、すでにブラジルで暮らしている方も、ブラジルで草食生活をしてみませんか?』 | ||||
2015年7月19日(日) | ||||
14日に元大統領のコーロル上院議員(ブラジル労働党・PTB)ら5人の現・元議員がLJ(ラヴァ・ジャット作戦=国営石油会社ペトロブラスが関与した巨大汚職事件を巡る連邦警察の特別捜査の名称)で家宅捜査などを受けたというニュースがあった。『これまでに財界からはペトロブラス社と8社に上る下請け企業のほか、賄賂(わいろ)のルートとして使われていた多数の架空企業(ファシャーダ)や、政界人48人を含む合計82人が調査の対象となり、既に実刑判決が下された11人を含む22人が収監されている』けれど、これでようやく政治家への捜査が始まったことになる。ルーラ元大統領にも捜査の手が伸びているらしい。今後、本当にちゃんとルーラやジウマへの捜査で動かぬ証拠が見つかり、彼らを起訴に持ち込むことができるのだろうか? これに関連して、7月16日付けのニッケイ新聞の「コラム 東西南北」に次のような短い記事があった。 『14日に連邦警察がラヴァ・ジャット作戦で、1992年に大統領罷免を受けたフェルナンド・コーロル上院議員の自宅などの家宅捜査を行ったことは、伯国中のメディアでトップ・ニュース扱いとなっていた。ブラジリアにあるコーロル氏の自宅から押収された所持品の中に高級車が3台あり、注目されている。その3台とはフェラーリ、ポルシェ、ランボルギーニで、1台でも所有していれば立派な富豪の証となる高級車ばかり。自動車に姿を借りて届けられた賄賂の可能性も疑われている。まだ疑惑の段階ではあるが、それ以前に大統領罷免にあった立場でこの暮らしぶりには驚くばかりだ。』 ブラジルは今、経済が低迷して、政治的にも混沌としていて、さらに先週はサンパウロ州のすぐ南のパラナ州で竜巻が起きて被害が出たり、最南部のヒオ・グランジ・ド・スーウ州のいくつかの町がこの乾季に大雨でひどい洪水に見舞われたりと、暗いニュースばかり。せめて我が家では桜の開花を毎日眺めて楽しむしかない。次の写真は三角地帯の入り口の桜2本。右の大きな桜がヒマラヤ桜で、左の桜は沖縄桜。
次の写真は、家の東側、畑の南側の庭の真ん中に1本だけ植えたヒマラヤ桜。去年少しだけ花を咲かせたけれど、こんなにたくさん花をつけたのは今年が初めて。エドソンのワークスペースの窓からちょうど真ん前に見えて、なかなかいい景色。
次の写真は、家の前の庭で開き始めたヒマラヤ桜。この庭に植えた4本の桜の内、この写真の真ん中の木が一番若いのだけれど、今年は初めてたくさんつぼみをつけている。
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2015年7月20日(月) | ||||
次の写真は、ランドマークの木の西側の道沿いに植えた沖縄桜の列。去年まではまだ木が小さく、花を咲かせることはなかったけれど、今年初めて何本かが少しつぼみをつけ、そのつぼみが開花し始めた。
次の写真は、今朝撮りたてほやほやの三角地帯の入り口の3本の桜。ヒマラヤ桜(中央)と沖縄桜(左)がほぼ満開になっている。右側の沖縄桜も花が開き始めた。
次の写真も、今朝撮った家の前の庭のヒマラヤ桜4本。七分咲きと言ったところだろうか?これらの桜のお陰で、今、家の周囲が華やいでいる。実にいい景色。
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2015年7月21日(火) | ||||
次の写真は、我が家の野菜畑の東側の柵沿いに植えて育っているオラ・プロ・ノビス(Ora Pro Nobis)というブラジル原産の木の葉。この名前はラテン語で、エドソンが調べてくれたのだけれど英語では長い学術名しかなく、通名はないらしい。一見普通の木で、葉も肉厚ではなく、サボテンには見えないのだけれど、サボテンの仲間だそうで、この葉は食べることができるという。食料が少ないブラジルのある地域で、昔キリスト教の伝道師たちが地元の人たちがこれを食べているのを見て真似をして食べ始め、このようにラテン語で命名したのだという。日本語にすると「神様は私たちのために祈ってくれている」とでも言うような宗教的な意味になるのだそうだ。ブラジルのある村では貧しくても健康な人が多いのに、他の同じような村ではそれほど健康な人が多くないのは何故かをアメリカの研究者が調べたところ、健康な人の多い村ではこの葉を常食していたことを発見したのだとか。この葉を使った特別な料理というのはないらしく、刻んでサラダに混ぜたり、ご飯に混ぜたりして食べるのだそう。それで先日の日曜日の朝食に、葉を刻んで卵に混ぜて、スクランブルエッグを作ってみた。葉を切っている際、ちょっと味見してみると、いわゆる緑の葉の味がして、サボテンの一種と言うだけあって、ちょっとネバネバした液体が出てきた。この葉は鉄分が飛び抜けて豊富で、他にもミネラルなど、いわゆる緑黄色野菜に含まれる栄養素はみな備えているらしい。
次の写真は、そのスクランブルエッグ。うちでは普通、スクランブルエッグと言うと、刻んだネギを混ぜて作るのだけれど、見た目はそのネギを混ぜたものと変わらない感じになった。味はこの葉を入れても特に変わらず、ごく普通のスクランブルエッグを食べているのと変わらなかった。ちなみに、左側の果物はマンゴーで、その右上の緑色の飲み物は桑の葉茶。作りたては黄色いのだけれど、時間が経過すると酸化するからなのか、緑色に変わる。スクランブルエッグのお皿に一緒に乗っているのは、チーズを入れて焼いた私のいつもの手作りパン。
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2015年7月22日(水) | ||||
うちの敷地内に植えて育っている桜の木の数を数えてみた。苗を植えてから枯れてしまった2~3本は除き、現在、家の前の庭に4本。家の東側に1本。家の西側に6本。三角地帯の入り口から始まってランドマークの木の西側の道に沿って29本。入り口ゲートの両サイドに1本ずつ。防風林の列に9本。防風林の列の下に2本。防風林の列の上に4本。合計57本だった。この内ヒマラヤ桜が6本。残りの51本はすべてヒマラヤ桜を植えた後にぼちぼち植えた沖縄桜。沖縄桜のほとんどはまだ若く、一番若いものは植えてまだ1年ほど。今年始めて少しつぼみをつけて開花し始めているものばかり。中には今年もまったくつぼみがなく、すでに若葉が出てきてしまっているものもある。次の写真は、防風林の列の中で一番花開いている1本。ほんの少ししか花をつけていないのに、同時に若葉も出てきている。
次の写真は、防風林の列の一番上の桜(画面左手前)から始まって、画面右下の枯葉に被われたモビのお墓をぐるりと取り囲むように植えた桜の木。これらの木々もほんの少しだけつぼみをつけていて、開花し始めている。黒い石を敷いたモビのお墓は、少し地盤沈下していて、カエデや桜の枯葉で被われている。画面の中央奥には、丘の中程の自生の一本松が見える。
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2015年7月23日(木) | ||||
19日の日曜日、在リオデジャネイロ日本総領事館の主催で、日伯修好120周年記念のお花見が、ペトロポリスの皇帝博物館の庭で行われたと、安見さんからメールをいただいた。主催はリオ総領事館でも、博物館との直接の打ち合わせは安見さんたちがされたので、終わってほっとしたということだった。何とこの日程は3月の時点ですでに決めて計画が進められたので、リオからは当日花は咲きますかと何度も問い合わせを受けたとか。ペトロポリスの桜の開花は7月だけれど、お花見の予定日にちゃんとうまい具合に花が咲くかどうかはお天道様次第なのだから、やきもきされたことだろう。 7月の第2週は開花の兆しもなかったのに、先週半ば頃からポット暖かくなり、19日はいっせいに開花したのだそう。「18日(土)はどんより曇り、当日の雨の心配までしましたが、当日は快晴、花見日和でした。業者手配の弁当を食べて、リオからの皆さんは異国での花見を楽しみました」とあった。これを読んで、ペトロポリスには仕出し弁当を用意してくれる業者もあるのか?と、変なところに感心してしまった。安見さんにメールでそう伝えると、ペトロポリスで夫婦でアルバイト的にやっている人がいて、一食30レアル(約1500円弱)で、80食作ってもらったのだとか。そして、お弁当の写真と、安見さんのご家族と参加者のひとりがお弁当を持っている写真を追加で送ってきてくださった。焼き鮭がご飯の上に乗っていたり、酢の物やお漬物などもあって、まさに日本のお弁当と言った感じでなかなかおいしそう。孫娘のまりえちゃんも大きくなりましたねえ。
次の3枚の写真は、安見さんが送ってくださったお花見の写真。順番に、博物館を背にした参加者の集合写真。芝生に座り込んで食べたり飲んだりしている参加者。最後は、博物館ではなくキタンジーニャの桜。
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2015年7月24日(金) | ||||
先週の土曜日、手伝いのヒバマーに野菜畑を覆うようにワイルドに育ってしまったマラクジャ・ドスィを取り払ってもらい、草ボウボウの畑の草を取り除く作業をしてもらった。そうしたら土の中から芋みたいなものが出てきたと言って、エドソンがこんにゃく芋を3つ家に持って帰ってきてくれた。確かにここに鎌谷さんからいただいたこんにゃく芋の種芋を植えて、芽が5つ6つ出て元気に育っていたのだけれど、畑を覆い始めたマラクジャ・ドスィの陰になって日当たりが悪くなったせいか、成長が妨げられてしまったようで、次々に枯れてしまい、すべて姿を消してしまっていたのだった。枯れずに葉が残っている小芋は土の中でまったく育っていないのに、葉が枯れて消えてしまったこんにゃく芋は3つだけとは言え育っていたなんて驚きだ。次の写真がそのこんにゃく芋。拳よりもいくぶん大きく、重量は、手前右側のものが200gで、他の2つは165gだった。う~ん、さてこれをどうしよう?種芋として保存するか?こんにゃくを手作りしてみるか?保存するためにはベビーパウダーがいるし、こんにゃくを作るためにはカセイソーダがいる。今どちらも手元になくボトゥカトゥへはいつ行けるかわからない。さて、どうしよう?
次の写真は、一昨日の午後4時過ぎに撮った家の東側の桜と、我が家を背景にした庭の桜。どちらも今ほぼ満開。
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2015年7月25日(土) | ||||
昨日の午後4時過ぎにエリカたちがパラカンビから到着した。4月にお母さんが親戚のご近所の家に生まれたばかりのダックスフントのオスの赤ちゃんがいると聞いて、はるのパートナー犬にちょうどいいからと、もらってくれたのはのはいいのだけれど、エリカの仕事もエドソンの仕事も忙しく、こちらに連れてくることも、こちらから引き取りに行くこともできずに月日だけが過ぎていた。ようやくエリカが仕事を調整してこの週末、その赤ちゃん犬の「ひろ」を連れてきてくれたのだ。パラカンビの家に来た時は生後2ヶ月の小さな赤ちゃん犬だったのに、生後5ヶ月の今は何と、もうすぐ3歳になるはると身体の大きさが同じになっていてびっくり。「きっとモビくらいに大きくなるよ」というのがみんなの意見。現在ひろの体長ははると同じくらいだけれど、ひろの方が骨太で、茶色の毛色がはるよりも少し濃く、とても柔らかい。抱きかかえるとはるよりも少し重い感じがするのだけれど、体重を測ってみると6.5キロとはるよりも500グラム少なかった。顔つきや穏やかな性格が、まるでモビの生まれ変わりのような印象を与える。次の写真は、パラカンビを朝出発してから一度もオシッコをしていないひろに、何とかオシッコをさせようと、エドソンが家の前の芝生の上でお母さんとおしゃべりをしながら気長に待っているところを、家の中からパチリ。
次の写真は、到着後、台所でブライアンにおやつを食べさせているデニウソン。大きくなったねブライアン。
1時間くらい待ってもオシッコをしてくれないので、エリカがひろのリードを外して自由にして一緒に遊び始めると、ようやくオシッコをしてくれた。はるはリードがないとどこに飛んで行くかわからないような子だけれど、ひろはリードにつながれていなくても私たちの後をついて回り、側を離れないので、どこかに飛んで行くような心配はまったくないことがわかった。次の3枚の写真は、エリカの後ろを尻尾を振りながらついて歩いているひろ。そして、はるとひろを慣れさせるためにみんながいる外ベランダで2匹を一緒に遊ばせているところと、家の中のベッドの中で戯れ合っているはる(左)とひろ(右)。どうやらお互いに気に入ってくれたようで一安心。そして、家族みんなではるばるパーディーニョまでひろを連れてきてくれたエリカたちには大感謝。
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2015年7月26日(日) | ||||
次の写真は、土曜日の朝、朝食のテーブルでエリカとご主人のデニウソンとブライアンをパチリ。
この日は、エリカたちがボトゥカトゥの苗木屋プロ・ヴェージに苗木を買いに行きたいというので、エドソンが一緒に出かけ、私は夕食の仕度をしながらワンコたちとお留守番。お母さんは脚が痛むと言って、一緒に行かず、午前中は下の部屋でテレビを見ながら横になっていた。エドソンたちはお昼はボトゥカトゥのショッピングモールで食べると言っていたので、正午過ぎに昼食を食べようとお母さんに声をかて、上に上がってきてもらってお昼を食べた。そして、お尻から脚にかけて痛むと言うので、昼食後に居間のソファーに横になってもらい、私がいつも使っている遠赤外線のウォーマーを当ててあげた。エドソンたちが帰宅するまでしばらく当てていたので、痛みが少し軽くなったようだった。次の写真は、エドソンがブライアンのために買って帰ったおもちゃ2つ。親バカならぬ伯父バカを地で行っている。2枚目は、居間のソファーの上でそのおもちゃで遊んでいるブライアンと、エドソンの膝で戯れ合っているはるとひろ。外は濃い霧が出て真っ白。彼らが帰宅する前に雨がザーザーと降り、徐々に冷え込んできたので、寒いのが嫌いなお母さんたちのために夕方薪ストーブに火を入れた。
夕食は、エドソンが煮豆とローストポークを作ってくれ、私はそれらの下ごしらえと、ガーリックライスと、エリカたちがおみやげに持ってきてくれたうずらの玉子とじゃがいもとルッコラでポテトサラダを作り、野菜サラダも作って、みんなで楽しくいただいた。賑やかな食卓はいいなあと思う。デニウソンは好き嫌いが多くて、これは食べない、あれは食べないと言い困ったものだと思うけれど、息子のブライアンはエリカがちゃんといろいろ気を使って食事をさせているので、エドソン同様好き嫌いなく何でも食べることができるようだった。大人と同じものを少量お皿に取ってそれを細かく崩せば食べてくれるのでとても助かった。次の写真は、夕食のテーブルを囲むみんな。
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2015年7月27日(月) | ||||
はるはほぼ1日中ひろと一緒に戯れていても、ひろと一緒にベッドに横になるのは嫌らしく、ひろがベッドの中にいるとはるは玄関マットの上にいたりして、距離をとっていた。まあ慣れるまで当然と思っていたら、土曜日の夜、夕飯が終わってしばらくして、エリカたちが下の部屋に戻って行き静寂が戻ると、ストーブの前に置いたひろのベッドの中で一緒に横になっていた。手前がひろで向こう側がはる。引越しによるひろの精神的なショックを和らげるために、金曜日の夜はひろにはエリカたちと一緒に下で寝てもらい、土曜日の夜から上で私たちと一緒に寝る予定にしていた。そして、おそらく一緒には寝ないだろうと思い、はるは今まで通り私の側で、ひろはエドソンが買ってきたひろ用のベッドでエドソンの側に寝かせようと思っていたのだけれど、予想に反して、私たちの寝室に移動して寝る前にもうこんな状態だったので、結局、土曜日の夜は私の側でふたりを一緒に寝かせた。夜中に一度目を覚まして2匹ともオシッコに行ったのだけれど、まずまず朝までおとなしく一緒に寝てくれて一安心。
次の写真は、日曜日の午後、居間の日溜まりのベッドの中で戯れているひろ(手前下)とはる(向こう側上)。日曜日はお昼近くになってお天気が回復し、午後からはとてもいいお天気になってので、2匹ともこの日溜まりで遊んだり、寝たりして過ごした。昼間これだけ動き回るからエネルギーを消費して、夜は疲れて良く眠れるんだろうと思う。
次の写真は、お昼を食べにパーディーニョの見晴らしのいい場所にある軽食のお店に行っていたみんなが戻り、居間ではるたちを眺めながらくつろいでいるところ。
上の写真のように戯れ合っていたはるとひろのところに行って、私が床に座り込むと、2匹はベッドから私の脚の上に移動し戯れ合い始めた。2匹がベッドを空けたので、それまで私の脚の上で2匹を見ていたブライアンが、彼らのベッドの中に入って遊び始めた。まるで赤ちゃん3人と戯れているような、何とものどかな日曜日の午後になった。
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2015年7月28(火) | ||||
次の写真は、日曜日の午後、桜の木の前でエドソンとふたりの写真を撮ってほしいとお母さんが言うので、私がふたりをパチリ。三角地帯の入り口のところのヒマラヤ桜の前で。まだほぼ満開の状態が続いているけれど、緑の若葉がだいぶ出てきている。
次の写真は、月曜日の朝、朝食が終わり、荷物を車に積み込んでパラカンビに戻る仕度をした後、庭の桜の前で写真を撮っているエリカたち。エドソンは1週間ほど前に開花し始めた桜を見ながら、「エリカたちが来るまでこの桜もつかなあ?」と心配していたけれど、その後少しお天気が崩れて気温が下がったりしたこともあって、ほぼ満開の状態を維持してくれた。エリカは桜の花を生で見たことがなかったので、エドソンはこの桜をエリカにぜひ見せたかったようで、花がもってくれ、きれいに咲いた桜を見せることができて本当に良かった。
エリカたちが桜の前で写真を撮っているのをベランダの所から見ているエドソンとお母さんをパチリ。エドソンの足元にいるのは、向かって左側がはるで、右側がひろ。
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2015年7月29日(水) | ||||
次の写真は、エリカたちが来る前に撮った三角地帯の入り口の桜。ちょっとアングルを変えて、手前でわずかに咲いている沖縄桜の木の間から撮ってみた。
次の4枚の写真は、エドソンが日曜日に撮った庭の桜。お天気のいい日に青空を背景に撮ると、ソメイヨシノよりも少し濃い目のピンクがとてもきれいに映える。
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2015年7月30日(木) | ||||
次の写真は、ガレージの前に並べられたフランボヤンジーニョその他20本近くの苗木。エリカたちがパラカンビのシチオで育てている苗木のいくつかをあれこれ持ってきてくれた。この土曜日にヒバマーに穴を掘るのを手伝ってもらって、これらの苗木を植えなくてはと思っている。
次の写真もエリカたちが持ってきてくれたスーパーの買い物袋2袋いっぱいのウルクン。これはこのままでは保存できず、中の赤い実を殻から取り出して、サラダ油かオリーブ油に漬けて保存するしかなく、こんなにたくさんあってどうしようと思い悩んでいる。2枚目の写真は、ウルクンの殻の中の実を近くで撮ったもの。エドソンのお母さんはこの実を油で炒めて、油にこの赤い色を移してから、その油を瓶に詰めて保存している。そして、その赤い油でご飯を炊くと、少し味のついた赤というかオレンジ色のウルクンご飯ができる。南太平洋のグアム島でも同じご飯があって、レッドライス(red rice)と呼ばれていると、グアム島在住の友人が以前教えてくれたけれど、熱帯地方共通のもののようだ。
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2015年7月31日(金) | ||||
次の写真は、入り口ゲート付近で今咲いている花。この花の左側にブラキアーリアという草が取り除かれずにうっそうと茂っている。ブラキアーリアに被われたところでは他の草は芽を出せないのだけれど、ブラキアーリアを取り除くと、様々な草が生えてきて、こんな花が咲く草が生えたりする。このピンクの花は1日しかもたず、朝咲いたものは夕方にはしおれてしまい、また翌日ないし、翌々日新しい花を咲かせる。
次の写真は、入り口ゲートから道を隔ててお向かいの放牧場にある枯れ木の上にいるトゥカーノを撮ったもの。6年前に私たちがここに越して来た頃は、トゥカーノを見かけることは珍しかったのだけれど、最近では毎日のように普通に見かけるようになった。多いときは一日に何度も木に止まっていたり、我が家の屋根の上というか、煙突の上に止まっていたり、2~3羽があちらの森からそちらの木へと一緒に飛んでいるのを見かける。ここは冬があると言っても、地球温暖化で冬の寒い時期が短くなってきているのか、暖かい所を好むトゥカーノにも住みやすい環境になっているのかもしれない。
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