Kyoko Yoshida Life in Brazil BLOG 

2015年6月1日(月)

ここは今冬の只中だけれど、ずっと寒い日だけが続くわけではなく、気温は下がったり、上がったりを繰り返している。寒い時は蒔ストーブをつけるので、結構な量の薪を消費する。でも、毎週ヒバマーが薪割りをしてシュハスコ小屋にその薪を運んでおいてくれるので、とても助かっている。次の写真は、家の南側でヒバマーが薪割りをしてくれているところを、上のダイニングルームの窓からパチリ。

2015年6月2日(火)

毎年、うちでは一年に一度、冬の時期に市役所の重機担当の人に頼んで、草刈りをしてもらっている。いつもは、草刈り機を取り付けたトラクターに来てもらってガガッと一気に草を刈ってもらっていたのだけれど、今年は、ヒバマーが市役所で草刈りの仕事をしているという人を連れてきて、この人に頼んではどうか?と提案するので、エドソンが料金を確認して頼むことになった。次の写真は、入り口ゲートの前から丘の上を向いて、草刈り前の草ボウボウの状態を撮ったもの。

ヒバマーが連れてきた人は、エーナーニの奥さんのカロウの従兄弟だそうで、以前、エーナーニの所であったシュハスコでエドソンを見かけたことがあると言っていた。作業の当日、もう一人手伝いの人を連れてきて、自前の草刈り機を2つ持参して仕事をしてくれた。次の写真は、草刈り機をかついで作業をしてくれている3人を丘の上から撮ったもの。松の木の左側の黄色い服を着た人がヒバマーで、うちの草刈り機を使って作業している。松の木の右側で、青い服を着ている2人がカロウの従兄弟と手伝いの人。彼らが使っている草刈り機は、ごく普通のガソリンで動かすタイプのものなので、その日の朝、パーディーニョのガソリンスタンドでガソリンを買ってきてくれ、3台の草刈り機で作業をして、午後3時過ぎには作業が終わった。彼が立て替えてくれたガソリン代は37レアル(約1500円)だった。写真の手前の枯れた草の山は、ヒバマーが手作業で、鍬を使って取り除いたブラキアーリアの山。

次の写真は、草刈り作業の途中で、草が刈られた部分(左側)と、まだ草が刈られていない部分(右側)を撮ったもの。去年の7月にトラクターで草を刈ってもらってから1年近く経つので、ブラキアーリアの背丈がかなり伸びている。

2015年6月3日(水)

以下は、2015年6月2日付けニッケイ新聞「コラム 樹海」と「コラム大耳小耳」からの転載。ちなみに、現在ある邦字紙は、北米には羅府新報(1903年創刊で最も歴史が長い)のほかバンクーバー新報(カナダ)、北米報知(シアトル)、シカゴ新報、ハワイ報知の各紙があり、南米にはブラジルに2紙(ニッケイ新聞、サンパウロ新聞)とアルゼンチン、ペルー、パラグアイの各国に1紙ずつがある。

朝日新聞よ、弱いものイジメか

朝日新聞1日付けに『悩める邦字新聞』と見出しを掲げる記事が載った。『苦境 南米で日系人口減少』。移民1世、日系1世と書く新聞だがこの内容なら、日本人とするべきではないか。決して日系人は減っていない。さて記事は『週2回800部に』の小見出しで、ブエノスアイレス「らぷらた報知」の窮状を淡々と伝え、古ぼけた書斎で裸電球の下に座った老事務員の写真を掲載する▼『北米でも廃刊』。「南米諸国の他の新聞も状況は変わらない」とし、二世社長に経営状況の厳しさ、部数の減少を語らせる。そこに嘘はない。だが移民にとっての新聞の意義に触れず、読者目線もない。このへんは実に朝日新聞らしいのだが▼小紙はこの数年で編集協力も加えれば10冊近くの書籍を出版した。朝日新聞が日本に伝えるわずかなブラジル情報よりも、小紙サイトが毎日アップする様々なニュースは価値が低いのだろうか。発行を続けるため日々生き残り策を練っている。国や規模は違えど、同じ言葉を紡ぐ新聞への温かさを感じないのは当事者だからだろうか▼そして初めて明るい見出し『新たな試み』。自動車メーカー進出で発行準備が進むメキシコの日本語新聞の話。だがフリーペーパーだ。書き手も読み手も背景も全く違う。同列に論じることに意味はあるのか。ならば一世紀以上の歴史を持つ有料邦字紙「羅府新報」と、10紙以上の無料紙がある米国ロスの状況をどう読み解くのか▼余りに救いのない形でメキシコの引き立て役にされいい面の皮だが、一連の捏造問題で購読が激減、公称だった800万部も読まれていないことが唯一の救いだ。(剛)

□コラム大耳小耳□
「ニッケイ新聞とらぷらた報知が廃刊になったと聞いたが、誤報ではないか」―。という読者のメールが編集部に届いた。本日付け『樹海』で触れた朝日新聞記事を読んだ日本の人が連絡してきたのだという。本人は新聞が届いているだけに〃誤報〃と書いたわけだ。さもありなん、「悩める、苦境、廃刊、減少」と、これでもか―というほどネガティブな見出しを掲げられ、本紙の写真も使われているから「廃刊」と誤読されても仕方がない。存在すら知られてもいないのにイメージを貶められ、なんともやるせない。


しかし、『苦境 南米で日系人減少』の見出しは、いかがなものか。移民世代(日本人)の減少は確かだが、日系人は増大の一途だ。一般的な日本人の認識は、「日本人の血を引くこと」(広辞苑)だろう。「海外に住み永住権を持つものも日系人」とする解釈もあり、社の表記の基準もあるのだろうが、いずれにせよ「邦字紙読者は、基本的に日本人」というごく初歩的な知識が記者とデスクにあれば、こうした見出しは絶対につけないはずだ。捏造とまでいかないが、誤報レベルではないのか。

2015年6月4日(木)

次の写真は、玄関マットの上で、左前足をしきりになめているはる。朝のお散歩から戻る際、坂道を上がってくる前、道端のアメンドインの中に鼻を突っ込んで匂いを嗅いでいたはるは、アリか何か虫に左前足の裏を刺されたのか、何度も足を振ったり、舐めたり、びっこを引いたりしながら家に戻った。そして、家に戻って足を洗ってあげて、虫がついていないことを確認したのだけれど、当分の間、ペロペロ足の裏を舐めたり、びっこを引いて歩いたり、前足を上げて立っていたりした。そして、お昼くらいまでにはようやく何ともなくなったようで、普通に歩くようになった。こんなことがあると、はるにも靴が必要かも?などと、思ったりする。

2015年6月5日(金)

ここではほうれん草などの青物野菜の入手が難しいと以前書いたけれど、エドソンがスーパー・パーディネンセに時々ほうれん草(espinafre)があるよと言うので、今度見かけたら買ってきてと頼んでおいた。そうして買ってきてくれたのはいいのだけれど、日本で見かけるほうれん草よりも茎が細くて、葉の部分も小さく、どうも見かけが違う。でも、スーパーではちゃんとほうれん草という表示で、売られているらしい。次の写真は、茹でる前に写真を撮り忘れたので、根の部分を切り落とした後、洗って、さっと茹でて、ざるにあげたそのほうれん草を撮ってみた。強い匂いも、えぐみもないので、ほうれん草の一種と言えなくもないなとは思った。

それで、これを使ってほうれん草のキッシュを作ってみた。歯触りがほうれん草よりもシャキシャキしているという違いはあったけれど、味はまったく問題なく、おいしくできた。これからはこのほうれん草があったら、必ず買ってきてねとエドソンに頼んだのは言うまでもない。

2015年6月6日(土)

先週土曜日の夕方から降り出した雨が日曜日のお昼頃まで降り続き、以来ずっと太陽が顔を出さない曇天続きで、寒い毎日だったのだけれど、この水曜日の午後からお天気が回復し、日差しがあるため少し暖かくなりほっと一息ついている。次の写真は、草刈りが済んだ後の丘を昨日の朝のはるとのお散歩の際撮ったもの。2日付けで掲載した草刈り前の写真とほぼ同じ場所から撮ってみた。松の木の右後ろに見える蟻塚や丘の上のグアンドゥ豆の木やセドリーニョの頭が、草が刈り取られた後のこちらの写真の方がよく見える。2枚目の写真は、松の木の側に鳥がいたので、アップで撮ってみたもの。松の木の左、画面のほぼ中央部分に黒っぽいものが写っているけれど、これがその鳥。草刈りが終わった後、毎日のようにこの丘で見かけるようになった。おそらく虫を食べにきているのだろうと思われる。

次の写真は、入り口ゲートと家とをつなぐ小路沿いに植えたセドリーニョの列を撮ったもの。みなだいぶ大きくなっているけれど、1本だけ成長が遅く、まだ小さいままのセドリーニョ(左から3本目)が見える。このセドリーニョの列は、画面右側に見える電信柱の側の、家に一番近い1本が枯れてしまって育たなかったのだけれど、この小さいセドリーニョは、小さいながらもがんばっている。

2015年6月7日(日)

以下は、ニッケイ新聞2015年6月4日付けの「コラム オーリャ!」からの転載。「言葉は文化」と言う通り、話す言葉を使い分ける際、その言葉に乗っかっている文化も背景にあるわけだから、このコラムにあるように文化も使い分けていることになるというのは言えているかもと思った。特に、ストレートな物言いではなく、話している相手に応じて、尊敬語や丁寧語を使い分けたり、あいまいな表現をすることの多い日本語と、そのような微妙な使い分けはなく、性別や年齢にかかわらずストレートに話す欧米の言葉とではどうしても感覚が違ってきて当然のような気がする。私も混み入った感情的なことを伴う話しをする際は、日本語よりも英語で話す方が率直に物が言えると感じるし、相手の性別や年齢的なことを気にせずに話せるので、英語の方が楽だと感じる。日本語を話している私と英語を話している私とで、人に与える印象がガラッと変わっているとは思わないけれど、端から見ると、多少違いがあったりするのかな?とこの記事を読んで思った。

言葉だけでなく文化も使い分けるバイリンガル

『オーリャ子はポ語ができないので、取材先では必ず日ポ両語が話せる人を探して通訳をお願いする。そんなバイリンガルの彼らの横にいて気づいたことがある。

それは日本語からポ語に切り替わった途端、声が大きくなることだ。特にポ語を基礎にする二世や三世の方に多く、日本語のレベルが高ければ高いほどその傾向にある気がする。

オーリャ子は言語学の知識などないが、先ほどまで自分と日本語で話していた人が、ポ語で話し始めると別人なのではないかと思ってしまうほどの〃変貌〃を感じる。

受ける印象や性格まで変わっている気がする。彼らは言葉だけでなく、日本と伯国二つの文化も使い分けているのかもしれない。

自信がなくてポ語になると声が小さくなってしまうオーリャ子とは真逆な存在だ。少しは見習いたいもの。(桃)』

2015年6月8日(月)

この土曜日の朝、朝食が済むと早速、エドソンがアンテナと椅子を外ベランダに出して、何やら始めたので、部屋の中から写真を撮ってみた。衛星の通過に合わせて、信号の受信を試みているのかな?まだ時間が早いので、家の西側にあるこのベランダは陽が当たっておらず、日陰で寒そうだけれど、気温はそれほど低くないのでジャケットを着たり、毛糸の帽子をかぶったりという彼のいつもの冬の装いはしていない。

次の写真は、そのベランダ横のバラの花壇の中で咲いている朝顔。ここに差した竹をつたってつるを長く伸ばし、今でも毎日元気に花を咲かせている。5月の中頃、一旦勢いが弱まった時期があったけれど、2週間くらい前からまた元気に花をつけている。特に元気なのは西洋朝顔。冬に見る朝顔は、ちょっと不思議な感じもしなくはないけれど、なかなかいいものだなと思う。気温が高い頃は朝咲いた花が昼頃にはしぼんでいたけれど、最近は午後になってもかなり遅い時間までしぼまず咲きつづけているので、長い間花を愛でることができる。

2015年6月9日(火)

梅が咲いた!梅が咲いた!!家の南側の三角地帯に植えた2本の梅の木は、枝が縦横無尽に伸びるばかりで、これまでまともに花を咲かせたことがなかった。それできっと剪定など手入れの仕方か何かが悪いのだろうと少々諦めていたので、今年も花が咲くなど全然期待していなかった。それが何と、日曜日の夕方、エドソンが「梅が満開だよ!」と言うので、びっくりして写真を撮りに行ってみた。2本ともまあたくさん花をつけている。こんなに満開になったのは初めてのことだ。時々、レモンやオレンジを収穫するために三角地帯には行っていたけれど、花が咲く気配はまったくなかったのになあ・・・。ここ2週間近く行かなかったらこんなことになっていて、驚くやら、うれしいやら、ほれぼれするやら!ひとつひとつの花は小さいけれど、何しろ満開なので、側に行くと甘いいい匂いがする。今後実をつけるかどうかはわからないけれど、タケイシさんから苗をもらって、ここまで来るのに6年かかったことになる。「桃栗三年、柿八年」などと言うので、まあこれで順当なのかもしれないとも思った。

2015年6月10日(水)

先週の金曜日の午後、ボトゥカトゥで用事があったので、ついでにスーパーのパオン・ジ・アスーカーでワインボトルやプラスチックなどをリサイクルに出し、買い物をして帰った。この日は珍しく柿とサクランボがあったので買った。柿はブラジルで普通に見かけるトマトのように真っ赤でジュクジュクに熟した柿ではなく、私の好きな歯ごたえのある平柿のようだったので、4つ買ってみた。柿は4つで3.98レアル(約150円)だった。でも、翌朝食べてみて大失敗だとわかった。ウエノで見かける柿はCaqui Fuyu(つまり、富有柿)と表示があり、少し高くてもおいしいのだけれど、パオン・ジ・アスーカーにあった柿は、値段が安く、ただCaquiと表示してあったところがミソで、柔らかく熟さないとおいしくない渋柿だったのだ。これからはちゃんとCaqui Fuyuであることを確かめてから買わなくてはと反省。サクランボは500グラムのパックで24.99レアル(約1000円)と、他の果物に比べてかなり値段が高いのだけれど、サクランボはめったに見かけないので1年に1度くらいは食べたいなと思い、片目をつむって買った。でも、こちらは柿と違っておいしく、満足な買い物になった。

次の写真は、うちのランドマークの木の側のパパイアの木。かなり前から実をたくさんつけているのだけれど、ちっとも色づく気配がないのに、上の方にあらたに実をたくさんつけ始めている。中心ですずなりになっている実は、黄色くならずに緑の皮が変色し始めているものもある。1ヶ月以上前にひとつ収穫して、置いておけば黄色くなるかな?と、実験してみたのだけれど、ほんの少し黄色くなりかけたかなという頃には腐ってしまったので、やはりある程度木になっている状態で黄色く熟れなくては食べられないのかな?と思った。メル友の鎌谷さんの話では、肥料をたっぷり与えて、土地が肥えていないと実がなっても甘い実はならないと言うことなので、肥料など与えていない痩せた土地に生えてきたうちのパパイアは、たとえ色づいても甘くはならないだろうなと思う。

2015年6月11日(木)

以下は、先日6月3日のブログで紹介した海外の邦字紙に関する朝日新聞の誤報記事の続報。2015年6月6日付けの記事で、その後の顛末が語られている。少し長いのだけれど、すべてをここに転載する。この記事を書いた朝日新聞ブラジル特派員の田村記者からは、自分とのやり取りは記事にしないでくれと言われたと、以下の記事の最後の方にあるけれど、まるで都合の悪いことはひた隠しにしようとする、韓国のような言い草だなと思った。そして、組織の体質というのは表面的に変わったように装っても、本質はなかなか変わらないものなのだろうと思った。

朝日新聞が本紙に謝罪=抗議受け、誤報認める=週明け、訂正記事掲載へ

朝日新聞1日付け夕刊記事『悩める 邦字新聞』に対する本紙の抗議を受け、東京本社国際報道部の高野弦部長代理が電話とメールで謝罪、週明けに紙面で訂正記事を掲載すると約束した。この記事は、月間150万アクセスを誇るポ語サイト「IPCデジタル」でも翻訳、掲載されるなど(本紙抗議ですでに削除)、各方面に影響が及んでいる。記事掲載までの経緯、記事を書いたサンパウロ支局の田村剛記者の釈明は、本面『記者の目』で詳細する。

4段見出し『苦境 南米で日系人口減少』は、明らかな間違いであり、南米全体の日系社会の衰退と読み取れる。かつ内容とは違うため、抗議に至ったわけだ。

意図的なものではなく、移民、日系人、日系社会への無関心が誤報を生んだといえる。つまり、恣意的なイメージ操作だ。

「現在も10紙以上の新聞が発行されている」とリードで触れつつ〃現在も〃の驚きは、終始、窮状のみが伝えられる救いのないものだ。アルゼンチン、パラグアイ、ブラジルの邦字紙を取材しているが、歴史や背景、購読者数、広告収入源も違う邦字紙を十把一絡げに捉え、ネガティブな見出しと写真で一面的な印象を与える。

最後は、日本の自動車メーカー進出増加に伴い、メキシコで日本語フリーペーパーが発刊されるという話題で締めくくられ、両者を対比させる形で盛衰を強調している。

国や規模は違えど他国で同胞が作り、読む新聞への温かみは非情といえるほどなく、経営悪化と書かれるイメージが日伯両国で、広告、購読に影響を与えるのではないかという同業者への配慮もない。こうした部分にも本紙は抗議した。

高野部長代理は、内容には言及しなかったが、電話後「弊紙の記事で大変ご迷惑をおかけしました。申し訳ございませんでした。遅くとも週明けには、見出しについての訂正記事を出稿致します」と本紙へ謝罪メールを送っている。

なお、「東京に伝えた結果を5日午前中に必ず連絡する」と約束した田村記者からは、同日午後5時の段階で何の連絡もない。

■記者の目■海外同胞に温かい目線を=朝日新聞「誤報」の顛末

今月1日、朝日新聞に掲載された『悩める 邦字新聞』の見出しと内容について翌日付の小紙のコラム欄『樹海』『大耳小耳』で批判した。

記事を書いたサンパウロ特派員の田村剛記者が3日来社し、見出しの『苦境 南米で日系人口減少』は誤報だったと認めた。

国際部の責任者から謝罪の電話とメールが4日にあり、紙面では来週には訂正記事が掲載され、サイト上でも修正されるようだ。誠意ある対応といえるだろう。

だが、田村記者は謝罪せず、「自分の意図とは違う。誤解を解きたい」と約1時間釈明に徹した。

「見出しをつけるのは整理部」と話し、「前文(リード)で『日本語が読める日系人口減少』と書いているので、いいと思った」という。

だとしたら、見出しは何のためにあるのか。見出しは間違っていても、記事を読めば分かるというのは詭弁だし傲慢だろう。意味が全く違うではないか。

デスクが文章を直し行数を決め、整理部が見出しをつける。そして印刷前の最終原稿(ゲラ)を記者がチェックする。3者いずれも、本文と異なる4段見出しにひっかからなかったという見事なプレー。日本人と日系人は違うという基本的知識の欠落と無関心。誰が読んでいるのかという読者目線の完全な欠如は、かの有名な「朝日体質」の象徴だろう。

朝日新聞的には、どうでもいいことだろうが、小紙のアイデンティティとしては、譲れない部分であることもコロニア(日系社会)の皆さんも同意してくれると思う。

我々は日本に対する日系社会の代弁者を自任している。日本語で書かれる日系社会に不利益と思われることは、声を大にしてきた。一方、日本のメディアのサポートも我が仕事のようにやってきた。移民の歴史、日系社会のことを「きちんと」日本に伝えてほしいからだ。今年だけでも4人の朝日新聞記者の取材に協力している。

そして邦字紙の現況に関する記述だ。事実は事実だが、ネガティブな面だけを、これでもかというほどに取り上げる。これを「水に落ちた犬を叩く」というのだろう。

犬があがいている、岸にたどり着けばいいが―というニュアンスは行間からも全くにじみ出ない。「事実を書いた」という田村氏に、知っていても書かない美学はない。

邦字紙をテーマに選んだ理由は「存在を伝えたかったから」。お伝え頂いて恐縮至極だが、経営困難、部数減少を「悩める、苦境、廃刊、減少」見出しでしっかり増幅。未来のない哀れな姿を、移民読者が愛し焦がれ止まない祖国日本に、しっかりと伝えてくれた。

月間150万のアクセスを誇るポ語サイト「IPCデジタル」が翻訳記事を配信した。本紙の抗議を受け削除されたが、マイナスイメージが広まったのは間違いない。田村記者の思いは、言語を超え、遂げられた。読者は日本人でも、購読料を支払うのはポ語世代。影響がでないことを祈るばかりだ。

記事のルビ振り、ポ語書籍の出版、ブラジルニュースのサイト発信、日本での関連本の出版、写真展など提携紙との連携事業などの「あがき」を田村記者は知りつつ、一切触れなかった。日本から来た志のある青年らが編集部を支え、薄給ながらも休日を返上して駆け回っていることもだ。そのうえで、「らぷらた報知」の老事務員の写真と本紙のロゴを並べる。「それは整理部の仕事」(田村記者)だが、何の意図もないというのは嘘だ。

新聞という媒体で勝負している以上、記事が全てだ。この記事から何を読み取れというのか。読者の想像力を期待するのは、「朝日俳壇」だけにしてほしい。

田村記者いわく、記事は元々長いものだった。何が書かれていたかは知らないが、それをデスクがばっさり切ったようだ。見事、廃刊物語に仕上がった。奮闘物語では面白くないのだろう。

だが、ほんのちょっぴり想像してほしい。邦字紙が抱える問題は、朝日新聞はもちろん世界中の新聞社が抱えている。我々は、新聞の近未来の姿といえる。それぞれが存続の不安を抱えながらも、購読紙ならではのジャーナリズムの重要さと新聞発行の意義を信じて紙面づくりに四苦八苦しているのではないか。だから、コラムに「温かさを感じない」と書いた。「そういう意図はない」なら、そのセリフは小紙にではなく、デスクと整理部にいうべきだった。

一連の捏造問題後、紙面改革で以前より訂正記事に関しては、柔軟に対応するようになっているという。大変結構なことで、誠実に対応して頂いたと感謝申し上げる。

田村記者からは、このやり取りを記事にしないでくれ、と言われた。だが、しっかり書く。なぜなら「事実だから」だ。彼がいう朝日新聞の購読者の〃実数〃700万部も事実なのだろう。

「日系社会のことはこれからも取り上げていきたい。書けば紙面にも載る」という。頼もしく思いつつも驚いた。「書いても載らない」という歴代特派員諸氏のボヤキを知っているからだ。温かい眼差しを持った今後の健筆に期待したい。(剛)

2015年6月12日(金)

今週の月曜日の午前中、うちの前を通る道路で大きなエンジン音がするので、エドソンが様子を見に行くと、うちの入り口ゲートの真ん前に土の山ができていて、近くに人が2人いたので話を聞くと、ひとりは市役所の人で、この道の幅を少し広げた後、砂利を敷く工事を進めているのだということがわかった。うちの前を東西に結ぶ道路は舗装されていないので、大雨が降るとドロドロになる場所が数ヶ所あって、下手をすると車が立ち往生することもあるような田舎道。でも先月の初め頃、カロリナソイルの入り口のところまで200メートルくらいは舗装されたので、全部舗装してくれればいいのにねと話していたのだけれど、舗装しないまでも、砂利を敷いてくれるととても助かる。次の写真は、うちの入り口ゲートの所から撮った正面の土の山。

次の写真は、入り口ゲートの柵沿いから西を向いて撮ったもの。この写真を撮りに行った時は、お昼休みだったようで近くに人は誰もおらず、大きなトラクターのような重機が放牧場の中に止められていた。エドソンの話だと市役所の作業の人たちの昼休みは11時から1時まで2時間もあるのだそうだ。郵便局も11時半から1時半まで2時間昼休みで閉まってしまうのだけれど、お役所仕事は恵まれているなあと思う。

次の写真は、月曜日から毎日続いていた作業が徐々に進んで、昨日の木曜日のお昼前には砂利を敷く作業が我が家の前まで伸びてきていたのでその様子を撮ったもの。1枚目は開けた入り口ゲートの所まで砂利が敷かれた状態を撮ったもの。2枚目はゲートから出て西側を向いて道路の様子を撮ったもの。仕事がいまいち雑だなとは思うけれど、欲を言えばキリがない。

2015年6月13日(土)

以下は、ニッケイ新聞6月11日付けの「森田隆氏に名誉市民章=平和活動が評価され」という短い記事の転載。森田さんは90歳を超えても頑張っておられる。うれしいニュースだ。

『ブラジル被爆者平和協会の森田隆会長が聖市議会より名誉市民章を受章するにあたり、今月26日に同議会で授章式が執り行われる。

森田氏は1984年に同会を設立し、自身の被爆体験を基に伯国各地や南米各国で講演を行い、核廃絶への思いを訴え続けてきた。現在も2020年までの「核兵器禁止条約」の実現を求める署名活動を行っており、こうした長きに渡る平和活動への取り組みが評価された。』

以下も、同じくニッケイ新聞6月10日付け「コラム オーリャ!」からの転載。スーパーなどのレジの係の人は受け取った金額を入力すると、おつりの金額が提示されるので、めったにつり銭を間違うことはないけれど、キャッシュレジスターを使わない小さな店では間違いが起こりうる。お店でつり銭の暗算ができない店員さんが多いのはブラジルだけに限らない。これはアメリカなどでも同じこと。つり銭の数え方も、例えば、7レアルのものを買って、10レアル出すと、1レアルずつ渡しながら、8、9、10と言って、つり銭を数えながら渡すやり方をするのはブラジルだけでなくアメリカでも同じ。インドの数学教育には及ばないけれど、誰でもある程度の暗算ができる日本の算数教育は悪くないのかも・・・?

「釣銭詐欺? いいえ算数がちょっと苦手なだけ」

『当地に来る日本人旅行者は「お釣りをごまかされないぞ」と気を張っている人もいるだろうが、当地のレジ係の大半は「ごまかしている」のではない。実は「算数が苦手」なだけだ。

「23レアルの物に40レアル払いました。お釣りはいくら?」で迷う日本人は少ない。しかしこちらでは満面の笑顔で16レアルを返してくる。そこで相手を犯罪者扱いしてはいけない。「釣りが違うよ」と言えば素直に返してくれる。

当地の計算法も摩訶不思議で「Xレアルの物にYレアル払った。Xに1、2、3・・とお釣りを足していき、数字がYになればお釣りも合う」という考え方。「25、26、あれ? 最初に貰ったのいくらだっけ」とやられたときにはズッコケた。以来、危なそうな人には「お代は37? 50渡すから13返してね」とやっている。ポ語の数字はなるべく早く覚えるに限る。(規)』

2015年6月14日(日)

5月の下旬だったか、NHKの「あさいち」で、ポップオーバーというマフィンのようなデニッシュのようなパンを紹介していて、おいしそうだったので、うちでも作ってみた。次の写真が私の作ったポップオーバー。「何これ?スコーンみたいだね」と出来上がったものを見てエドソンが一言。翌朝を楽しみにしてくれていたのだけれど、結論から言って、大失敗作だった。がっかり・・・

インターネット上でポップオーバーの写真を探してみると、NHKで紹介していたものと同じように大きく膨らんだもの(下1枚目の写真)だけでなく、私が作ったものとあまり変わらないようなもの(2枚目の写真)もあったので、大丈夫かな?と思ったのだけれど、食べてみて、完全な失敗作と判明。やはりもっとちゃんと膨らまないといけないのだけれど、どうして膨らまなかったのだろう?レシピーによってはベーキングパウダーを入れる物と入れない物があったのだけれど、やはりベーキングバウダーを入れるべきだったのかなあ・・・?作る前に卵を常温に戻しておくのを忘れたのがいけなかったのかなあ・・・?オーブンの温度が低かったのかなあ・・・?トホホ・・・

2015年6月15日(月)

前々からエドソンがグアンドゥ豆を収穫しようと言っていたのだけれど、先日午後4時頃、仕事が一段落したのか、今からグアンドゥ豆を収穫しに行こうと言うので、はるも連れて果樹園の側まで豆を採りに行った。あまりたくさん採っても後の処理や保存に困るから、バケツ半分くらい採って、これぐらいにしようと言って、終了。

次の写真は、青いグアンドゥ豆とそのサヤの中。たまたまこのサヤの中の豆は白っぽかったけれど、ほとんどはもっと緑色をしている。この豆は枝豆のように緑色の時でも食べられるし、乾燥して大豆のように白く固くなったものを収穫しても食べられる。ただ、枝豆と違ってサヤのまま塩茹でしただけで食べられるわけではないので、取り出した豆はまず茹でて、それから何かの料理に使うことになる。

次の写真は、サヤから豆を取り出し終えた状態。左が豆を取り出した後のサヤで、右がサヤから取り出した豆。500グラムのグアンドゥ豆が収穫できた。でも、白い豆はすでにだいぶ固くなっているので緑の豆と一緒に食べるわけにはいかないので、取り除かなくてはならず、実質の収穫量は500グラムよりも少なくなった。この豆はこの状態で冷凍保存できる。インターネットでグリンピースや枝豆を使った料理を検索して、それらの代用として使ってみようと思い、まずはベーコンとしめじと一緒に炒めたものや、ゆで卵とゆでジャガイモと一緒にマヨネーズで和えた物などを作ってみた。柔らかく茹でた後も、グリンピースより皮に歯ごたえがあるのだけれど、味はまったく問題なかった。これを塩茹でしたものをそのままワインのお供にしてもいいなと思った。

2015年6月16日(火)

以下は、6月12日付けニッケイ新聞の「コラム オーリャ!」からの転載。ちなみに、エドソンの苗字はブラジル人に結構多いペレイラ。これは「梨の木」という意味で、もともとスペインと国境を接するポルトガル北部地方の苗字らしく、ご先祖さまの中にそこから移住して来た人たちがいたということがわかる。ただ、この名前にはもう1系統あるらしく、大昔にユダヤ教からキリスト教に改宗した人たちにペレイラと名乗った人たちがいるとエドソンが言っていた。ただ、エドソンのご先祖はユダヤ系とは関係ないのだそう。国は違えど、人の名前っていろいろとおもしろいなあと思う。以下の記事の最後の方にある「シッチオ・デ・ペッセゴ」のシッチオは小農園のことで、ペッセゴは桃のことなので、桃の農園、つまり桃園ということになる。桃園記者に座布団一枚!

苗字について

『日本人の苗字はおよそ30万種と言われる。中には数家族のみというかなり珍しいのまで。「桃園」というオーリャ子の苗字もその一つで、初対面の人との話題には事欠かない。

「出身はどこか」「先祖は何者か」などよく聞かれるが、オーリャ子は北海道出身。先祖は戦後本州からの〃国内移民〃で、北海道ゆかりの苗字ではない。

調べてみると、山形県にその苗字が集中しているようだ。先祖がどんな理由で、つけたのか想像すると興味深い。

伯国によくあるシルヴァは「森林」、アウメイダは「平らな土地」という意味らしく、日本語で言う森さん、平さんに当たるのかも。国は違えど、自然や地形、植生が発想の元のようだ。

今度、伯人に意味を訊かれたら「シッチオ・デ・ペッセゴ」と説明してみようか。(桃)』

2015年6月17日(水)

月曜日は予報通りお天気が崩れ、気温が下がり寒くなった。朝一番のはるのおしっこに出た際はそれほど寒くないなと思ったのだけれど、どうもその時が最高気温だったようで、朝食が済んでお散歩に出た時はかなり気温が下がり始めていて、冷たい雨が降り始めたこともあって、その後どんどん気温が下がり、夕方にはとうとう薪ストーブに火を入れた。そして、火曜日の朝の外気温は9度だった。太陽が顔を出せば寒さが緩むけれど、今週は最低気温11度前後の日々がしばらく続きそうな見通し。

うちの野菜畑を被うように元気に育っていたマラクジャ・ドスィ(甘いパッションフルーツ)は、たくさん花が咲き、たくさん実がなったのだけれど、どれもこれも熟す前に腐って落ちてしまうので、どうしてだろう?と不思議に思っていた。エドソンがいろいろ調べてみると、どうやらマラクジャにはオスの木とメスの木があって、その両方を一緒に植えないとちゃんとした実がならないらしいということらしい。うちのマラクジャはオスの木なのかメスの木なのか知らないけれど、どちらかひと種類だけなので、実がちゃんとまともに熟れないのだろうということになった。そうしたら、先月だったか、実のひとつが黄色く色づき始めたので様子を見ていたら、数日後にやはりちゃんと黄色くなる前に腐って落ちてしまっていた。その後またひとつ黄色くなり始めていたものを、先日エドソンが採ってきて切って見ると、中にはちゃんと実と種が詰まっていた。次の写真がそのマラクジャ・ドスィ。外側がまだちゃんと黄色くなっていないのに、すでに実の下の方の皮の部分が悪くなり始めているのがわかる。

次の写真は、そのマラクジャの中身を取り出したもの。翌日の朝食で、このままヨーグルトに混ぜて食べてみると、お店で買ってきたものよりも酸味や甘さが控えめで、ちょっと野性的な味がしたけれど、悪くなかった。私は作ってみたことがないけれど、マラクジャ・プディングの上にかけて食べたりすることもできる。ジュースにする場合は、種は取り除かなければならないので、ザルの上で種をヌルヌルの実から離して、実の部分だけを水と混ぜてミキサーにかけて作るのかな?

2015年6月18日(木)

以下は、ニッケイ新聞6月13日付け「日伯コンサル奮闘日記」からの転載。朝日新聞の在外邦字紙に関する誤報記事がどれほどこちらの人たちの間に大きな波紋を呼んだかが、この記事からも理解できる。

「第31回 朝日の南米紙記事誤報に思うメディアの未来」

『私は新聞が大好きだ。かつては、数紙と契約し、毎朝読むのが楽しみであった。そして、朝日新聞(以下朝日)とも、もう長いお付き合いである。

まずは、実家が物心ついた頃から、朝日を購読していた。そして、大学進学時にその親しみのある朝日の新聞奨学生として、大学に行きながら、朝日、日本経済新聞(以下日経)、日刊スポーツ、東スポなどを配達した。

配達だけではなくて、集金ともう一つ大切な仕事に「拡張」があった。拡張とは、朝日や日経を購読契約してもらうために、各家庭を営業訪問することである。

私の頃は、ニュービーズなどのでっかい箱の洗濯洗剤を、ホンダのスーパーカブの後ろと前に積んで、自分の配達区域を一軒一軒ローラーで周った。

ライバルの読売新聞はジャイアンツのチケットと、高そうな鍋などをセットにして売り込んでいたので、まったく敵わなかった。

新聞の営業だとわかった瞬間にぴしゃりとドアを閉められたり、ご老人宅は待ってましたとばかりに延々と話し相手をさせられたり、様々であったが、まさに新聞社の部数=売り上げの大きな部分を占める販売の末端、良く言えば最前線の仕事を経験した。

その後社会人になって、ある企業の広報担当となり、朝日や日経に企業広告を出し、その後広告代理店に転身し、逆に広告を企業に売る側になった。朝日にも10年以上毎月レギュラーでクライアントの広告を入れていた。

新聞社の売上のもう一つの柱である広告営業の最前線としても新聞と関わったわけだ。その中で、日経が先行していたブラジル特集に対して、朝日の若くて行動力のある営業の方と一緒に朝日で初めてのブラジル広告特集を企画して実現したりもした。

新聞は、世界中に記者を派遣し、なかなか海外へ行けない人たちに代わって、世界で何が起こっているかを毎日リポートしてくれる。日本に居ながらにして日本国内各地はもとより、世界中で起こっていることがわかるのである。これは、本当にすごいメディアだと思っている。

しかし、自分がコンサルタントとして世界中をまわり、実際に見聞きするなかで、新聞の報道が必ずしも、事実を書いていなかったり、ちゃんと取材がされていないことがわかってきた。

今回の「日系人減少」の誤報もその一つであろう。テレビの視聴率至上主義ほどではないにしても、その国の生活やビジネスの本当の臨場感や日々の息吹を伝えるのではなく、部数を伸ばすために、読者が飛びつきそうな大きな事件や事故や、極端で意外性のあることばかりを載せていることが多い。

実は新聞がネットに押されているのは、単に時代の流れではなく、ネットのブログの方が、生活感や臨場感に溢れ、その国のリアリティがわかるから読まれているのだ。しかも、海外に出る人が増えて、今まではメディアでしか見たことのなかった国に行く機会も増え、ちょっとやそっとのことでは読者も食い付かなくなってしまった。

そこで、さらに極端な方向に進んだ結果、従軍慰安婦や福島原発のような報道機関としてはあるまじき意図的な誤報、虚偽の報道に至ってしまったのではないかと思う。

自分が配達、販売、広告と長年関わってきた、愛着のある新聞だけに非常に残念だった。

特派員には、色々な記事を日々書いて送っているのに、本国のデスクにはエキセントリックな記事でないと、なかなか取り挙げてもらえないというストレスもあると思う。

この数年、日経は急激にブラジルに関する記事が増え、記者も書く先から掲載されるようだが、その他の新聞は書いてもなかなか取り挙げてもらえない。だからと言って、今回のような小手先のテクニックで書いてしまうと、ますます新聞の未来はなくなる。

各社押し紙がバレて、ようやく部数至上主義を捨て始めたはずが、その亡霊におびえた自爆としか言えない。私は方向性が逆だと思う。ネット時代の今だからこそ、経営は厳しいかもしれないが、世界中に記者を派遣し、住まわせて、そこに住む人々に共感しながら、生活感溢れる、真のその国の姿を伝える報道を増やすべきだと思う。

2、3年でどうせ入れ替わるからという気持ちで来て、小手先で記事を書くようになったら、自らメディアの価値を貶めることになる。

もう読者は、ブラジルのサッカーやカーニバルやアマゾンの記事を読みたいわけではない。ブラジル人は何を考え、ブラジルで住むには何が大変で、ビジネスのどこが難しくて、日系社会は今どうなっていて、日本企業や駐在員はどう頑張っているか、を生活者視線で知りたいはずだ。

ブラジルおよび南米の記事を書くにあたって、その記者は日系社会に深く入っているか、日系移民の歴史に涙をしたことがあるか、を読者は鋭く感じ取る。

朝日は弱者の味方で権力と戦うのではなかったのか?自分たちがメディアの力を利用した権力に陥ってしまっているのではないか?

自分たちも含めてメディアは、常に自問していかなければならないはずだ。読者が自分の知らない世界の息吹を知り、未来を予見させてくれるメディアにしか未来はない。』

2015年6月19日(金)

昨日に続きまた記事の転載。以下は、6月6日付けのニッケイ新聞「日伯コンサル奮闘日記」から。日本や多くの日本人にとって、ブラジルは物理的にも精神的にもとても遠い国。日系人が多く暮らしていると言っても、まずもって関係のない国で、意識の中にないかもしれないけれど、ブラジルには以下の記事にあるような日本が大好きという人たちがたくさんいる現実を理解して、日本政府は未来の日本サポーターを増やす努力をもっともっと積極的にしてもいいのではと思う。目先のことしか考えず、ただお金を持っているという理由で反日独裁国家の人々の自由往来を許すよりも、遠い国ではあるけれど、こういう人たちを支援してさらに層を厚くして行くことの方が、長い目で見てよっぽど日本のためになるのではないだろうか?

「第30回 リオで日本語を学ぶ未来のシンパ」

『リオデジャネイロで、日本語を学んでいる十数名のブラジル人と会って話す機会があった。年齢的には22歳から28歳ぐらいの若者で、すべて非日系人である。さらに7割がリオデジャネイロ連邦大学か州立大学の学生だった。

ほとんどの人たちが、日本語を学ぼうと思った最初のきっかけはやはりテレビのアニメで、そこから個々それぞれ、日本の音楽に興味を持ったり、文学に関心を深めたりしている。今もマンガやアニメにハマっているという人はほとんどなく、どちらかというと、日本語を勉強する教材に使っているぐらいだ。

彼らと話をしていて、いくつか驚いたり、感心したことがあった。ブラジルも日本とほぼ同じでストレートに大学を卒業すると22、23歳であるが、ほとんどの人の年齢が24歳から26歳で大学3、4年生だったので、てっきり留学をしたか、何か仕事をしていて休学をしたのかと思い、なぜなのかを聞いたところ、驚くべき回答が返ってきた。

何と今も多発している大学教師たちのストライキによって、大学が何度も休講になり、結局彼らの単位が足りず、強制的に留年になっているのである。ブラジルの場合、州立大学や連邦大学は学費が無料なので、大学側も政府もあまり気にせず、簡単に留年させるようだ。

さらに昨年はW杯があり、リオは1ヶ月間大学も休みになったこともあり、日数が足りなくなったとのこと。現在の安すぎる教師の給与や、悪すぎる待遇などの改善を求めてのデモであるが、汚職まみれの政治と地方自治体の財政難のしわ寄せがこんなところにまで出ており、この若者たちはまさに被害者と言える。

自分の先生たちのストライキをどう思っているかを聞いたところ、彼らも将来日本語の教師になりたい人が多く、そうなると大学で同じ立場になることから、待遇改善は他人事ではなく、先生たちに対するシンパシーが強いため、やむをえない、もしくは応援する気持ちが強いようだ。

次に日本語学習者と言っても、いろんな学びの形があることを知った。例えば、両親が航空会社で国際線のキャビンアテンダントをしているニテロイに住む青年は、十数歳の元旦にビーチで遊んだ後に家に帰ったら、おそらく親が日本で入手した『365日の漢字』という漢字学習本が置いてあるのを見つけて運命を感じ、その日から1日1漢字を勉強したそうだ。

会話は決して流暢ではない彼だが、手元にあった日本語の書籍を見せてタイトルを読んでもらったところ、『天皇と原爆』などもスラスラと読んでしまってビックリした。また、ある女学生は日本文学が大好きで、現代作家では多くのブラジル人同様、村上春樹のファン。

どこがいいのと聞くと「村上は村上だから」という日本のファンに聞いた時と同じ回答が返ってきた。村上以外に、谷崎潤一郎や芥川龍之介などの名前も出て来たが、彼女の一番のお気に入りは三島由紀夫。すべてが完璧とのことであった。

私が会った多くの学生たちの当面の夢は、やはり日本への留学。リオはサンパウロと違い日系人も日本人も少ないため、彼らもネイティブの人と話す機会が本当に少なく、会話上達のためには日本に行くのが一番であることは明らかである。

既に日本政府も、奨学金制度やいろいろな仕組みを作っていると思うが、あと一息で日本語がマスターできる彼らは未来の日本のシンパであり、日本側としても積極的に支援したいところだ。』

2015年6月20日(土)

今年に入り奥さんと正式に離婚したジミーは、しばらく実家に戻っていたけれど、先月ようやく家を借りて一人暮らしを始めたと言っていた。今月に入り、ジミーにも少しゆとりが出てきたのか、ダニエラの送り迎えのための時間を取れるようになったようで、ダニエラが英語のレッスンに戻ってきた。そして、ジミー自身も以前の生活のペースを取り戻そうとしているようで、英語のレッスンにもなるべく来ようと努力していることがうかがえる。それでこの木曜日、ジミーを夕食に招いた。先月、すでにガールフレンドができたと聞いていたけれど、その彼女を一緒に連れてやって来た。若くてきれいな女性で、感じもいい人だったけれど、離婚してまだ半年にもならないのに、ちょっと早すぎないか?と、思った。両親の離婚という現実を前に、子供たちの中で息子のチアゴが一番傷ついているようなので、今はガールフレンドよりも子供たち、特にチアゴとの時間を大切にした方がいいのではないかなあと思ったりしている。この女性自身も離婚経験者で9歳の娘を抱えているということだし、あまり急いで再婚したりしないでほしいねとエドソンと話している。

2015年6月21日(日)

次の写真は、先日紹介したここで手に入るほうれん草。前回は茹でてから写真を撮ったので、今回は茹でる前の状態で写真を撮ってみた。あまり変わらないかな?

先日、韓国の朴大統領がアメリカのメディアとのインタビューで、日韓の慰安婦問題は水面下の交渉で9割方解決する方向に向かっていて、現在最終段階にあるというようなことを言い、韓国の外務大臣も追随して似たようなことを言ったというニュースがあったけれど、実際のところ何の進展もないのに韓国側がこのようなことを言う理由を、韓国人のシンシアリー氏がブログで解説していて、おもしろいなと思ったので、その6月17日付けのシンシアリー氏のブログの雑記を以下に転載してみる。この件に関して、独立総合研究所の青山繁晴氏は、アメリカの圧力で日本と話し合わなければならなくなった韓国が、日韓の話し合いの後、何の進展も見られなかった場合、責任は日本にあると言うための予防線を張っているのだとも解説していた。いずれにしても、日本と韓国は似て非なる国なのだとつくづく思う。

「根本的な考え方がズレている」

『昨日~今日でよく耳にすることが、「韓国の外交部長官(外務相)が訪日する。日本との関係改善はもう決まったようなものだ」という論調のニュースです。

ユン・ビョンセ外交部長官は、安倍総理の訪米演説の後に「(安倍総理は)謝罪できる黄金のチャンスを逃した」と話した人であり、つい先まで世界各国を回りながら(明治産業遺産の世界遺産登録で)日本の思いのままになってはならないと話していた人です。

韓国人の頭の中では、日本との関係改善というのが、こうなっているようです。

「日本にこちらに合わせる名分を与える」

言わば、こちらから先に手を伸ばして・あ・げ・た。日本は感激して涙を流しながら日本の意見を考えなおし、韓国の意見に合わせるだろう。

私が思うに、関係改善というのは「妥協点を見つけること」がその背景に無くてはなりません。

ですが、韓国は、「日本が韓国に合わせる」ということ、即ち妥協などは存在できない(韓国が絶対的に正しく、日本が絶対的に間違っているから、両者間の妥協はありえない)を既定事実とし、「合わせる名分を与えること」を「改善」だと思っています。

言い換えれば、

「さっさと私の家に来て、謝罪しろ」と、「私がお前の家まで来てやったから、謝罪しろ」の差があるだけです。

それを韓国では「日本との関係改善」だと思っているようでして・・

シンシアリーがブログで、そして本でずっと書いてきたことに、「日本を悪にすることで韓国が善になれる。これが反日の基本」という考え方があります。

今回の外交部長官訪日の件で、まさに、その歪んだ考え方が見えてきます。

「善がわざわざ悪に手を伸ばしてやった。感激しろよ、悪!」

慣れているつもりでも、本当に、息苦しいものですね。』

2015年6月22日(月)

この家ができるまで下のガレージでの仮住まいの頃は、掃除はモップで床を拭き掃除するだけで、掃除機は持っていなかった。この家ができてから掃除機を買って使うようになったので、まだ4年経過していないのだけれど、その掃除機がとうとう使えなくなった。まず最初に掃除機の2本のパイプの内の1本にヒビが入りテープを巻いて使っていたのだけれど、テープぐらいではどうしようもなくなり、そのパイプをはずして短くして使うようになった。さらに吸い込んだゴミが溜まるボディーの一部が壊れ、それでも何とかダマシダマシ使っていたのだけれど、今度は掃除をしている最中にフィルターが詰まり動かなくなるという事態が今年の初め頃から発生するようになった。使用後はフィルターを必ず洗っていたのだけれど、掃除の途中で詰まるようになったのだ。それで、いつ使えなくなってもいいように、4月に新しい掃除機を買ってもらった。それから1ヶ月くらいは何とか動いていたのだけれど、5月中旬にまたフィルターが詰まって動かなくなったので、新しい掃除機を使い始めた。東京で暮らしている8年半の間、同じ掃除機をずっと使っていたのを考えると、ずいぶん寿命が短いなと思う。でも、東京とここでは環境がまったく違うので、比較なんてできないなかな?とも思う。次の写真は、納戸の中の掃除機。左が古い掃除機で、右が新しい掃除機。パイプの長さが違うのがわかるだろうか?

以下は、6月18日付けニッケイ新聞の「コラム 樹海」からの転載。

コロニアは消滅したか?

『107年目の移民の日に日刊邦字紙が2紙も続いている事実を、誰が予想できたか。例えば1970年3月3日付(45年前)パ紙の「十年後のコロニア」記事で、日本の研究者・山田睦男氏は「コロニアは消滅するが、日系人は機能分化しながら各分野に地位を確保する」と論じた▼文協の初代事務局長・藤井卓治氏は『週刊時報』創刊号(1976年)に「十数年前に来伯して、日系移住社会のブラジル社会への融合事情を調査したアメリカ・コーネル大学のスミス教授は『後20年経ったら、日本語新聞も日本語学校も仏教や新興宗教もなくなってしまう』という結論を出した」と書いた▼つまり多くの研究者は「80年代にコロニアは無くなる」と予見した。確かにコチア、南伯産組は94年に清算、南銀も98年に合併された。でも移民百周年は全伯規模で祝われ、それを機に復活する日系団体すら現れた▼藤井氏は「『コロニアとは何か』と聞かれれば、私は直ちに『新聞だ』と答えるであろう。新聞がなくなればコロニアは分解するだろうと思うからだ。(中略)『日本語は何時まで続くか』と聞かれれば、『日語新聞と運命を共にする』と答える外はない。ドンピシャリの答えではないが、それ程新聞の占める地位は大きい」とも書いた▼日々の出来事の報道を通して、日系社会の意見や傾向を集約する役割がコミュニティ新聞にはある。コロニアの言語は日本語からポ語に比重を移したが、肝心のポ語新聞は一つのみ…。ポ語で子孫にルーツを自覚させる取り組みが今ほど必要な時代はない。「消滅する」という研究でなく、どうやったらコロニアは続くのかこそ調べてほしい。(深)』

2015年6月23日(火)

次の写真は、先週金曜日にエドソンが買ってきてくれた洋梨。赤っぽい、ちょっとりんごのような色をしている。我が家の台所のテーブルクロスの絵と同じだ。なかなかおいしい洋梨だった。

以下は、6月20日付けニッケイ新聞の「コラム 樹海」からの転載。これとは別に、ブラジルの一大優良企業だった石油会社のペトロブラスを現政権が食い物にしていたというスキャンダルの捜査に、アメリカ政府が乗り出したというニュースもあった。どうして他所の国の企業の問題にアメリカ政府か出てくるのだろうと思ったのだけれど、ペトロブラスはアメリカの株式市場にも上場されているからだろうとエドソンが言っていた。ジウマと労働者党には早く政権を退いてもらわないと、ブラジル経済は持たないのではないかと危惧される。

「ギリシャとブラジルの相似点とは」

『粉飾会計が大問題になっている。公的銀行に生活扶助などの政府支出を立て替えさせ、それを国の会計に負債として計上しないことで収支を良く見せる操作だ。なぜ粉飾が必要かと言えば、収入以上の支出をしたからだ。年金改正もしかり。議会案承認なら数年後には出費が増大するので、基礎的収支を好転させたい大統領には拒否権行使しかなかった▼ギリシャと伯国は似ていると疑っていたが、最近の報道で確信を深めた。ギリシャ危機の発端は09年、国内総生産比の財政赤字が3・7%ではなく実は13・6%と発覚したことだった。つまり粉飾会計だ▼本来ギリシャはユーロ加盟条件を満たせないのに、米投資銀行ゴールドマン・サックスが債務証券化技法を駆使して通過させた。02年からユーロを流通させ始め、その信用で多額の国債発行が可能になり、04年アテネ五輪では豪華施設を多額の借金で建設し、財政悪化させた▼同じ頃、同じ投資銀行が名付けたBRICsとのレッテルで伯国は注目され始め、W杯、五輪と過剰投資を続けて粉飾会計問題に▼ギリシャの財政赤字増大の原因は「公務員数の増加」「公務員給与の高さ」「公務員や民間の給与伸び率の高さ」「労働組合の強さ」「年金制度の手厚さ」「脱税の横行」だとか。どこかの国に良く似ている。伯国の大臣は02年に24人だったが現在39人! それに伴い公務員や政府支出も激増。ペトロブラス疑惑のように汚職も事欠かない▼ギリシャは30日にIMF融資16億ユーロの返済期限を迎える。債務不履行になる可能性が高く、ヘッジファンドは身構えているとか。伯国が二の舞にならないことを祈る。(深)』

2015年6月24日(水)

肝機能を回復させるための40日間に及ぶはるへの投薬は、2週間前に終わり、その後もはるはごく普通に元気にしている。でも食事は、以前の鶏のレバーやビーツを使ったものには戻さず、相変わらず鶏の胸肉とニンジンとご飯にオリーブ油をかけて、青物はブロッコリーかコウヴィを混ぜたものを作り続けている。ほぼ1日おきに作るので手間はかかるけれど、はるの健康のためにはがんばって作り続けるしかないと思っている。次の3枚の写真は、毎日何度も繰り返すはるの日常を撮ったもの。はるをおしっこに連れて出る際、玄関でリードをつけてから外に出るのだけれど、そのリードをつける前に、はるは玄関の扉の下の隙間に鼻をくっつけて外の匂いを嗅いだり、エドソンの靴の中に鼻を入れて匂いを嗅いだり、ひとしきり玄関をグルグル、ウロウロしてからでないと、なかなか私の側に来てリードをつけさせてくれない。次の写真は、そんなふうに玄関をウロウロしながらあくびをしているはる。

あくびの後もその場から動かず、私のいる玄関マットの所まで来てくれない。ちゃんと側まで来てくれないとリードがつけられないんだけれどなあ・・・。リードをつけないと外に出られないことはよくわかっているのに、何だかすんなりリードをつけることには抵抗があるようだ。どうしてだろう?

そして、ようやく玄関マットの側まで来て、いつものように伸びをしているはる。このくらい側まで来て伸びをしてくれると、ようやくリードをはるの首に乗せることができる。そしてリードが首にかかると、マットの上まで移動して来てくれるので、胴体の部分にもしっかりとリードを回しつけることができる。この儀式のようなことをはるはおしっこに行く前に必ず行うので、1日に何度も何度もほぼ同じことを繰り返している。

2015年6月25日(木)

メル友の鎌谷さんから種芋をいただいて畑で育てていた小芋を、2~3本掘り返してみた。鎌谷さんの所は5月の中旬だったか下旬に収穫したとおっしゃっていたのだけれど、うちは植たのが少し遅かったので、つい先日試しに掘り返してみたのだけれど、葉はきれいに育っていたのに、土の中の芋は全然大きく育っていなかった。次の写真の真ん中の芋がひとつだけ小さいながらもいただいた種芋と同じくらいに成長し、何とか食べられる大きさになっていただけで、後はいただいた種芋よりもずっとずっと小さなもので、芋とも言えない代物だった。この小芋は台湾産で、もともと小粒の芋らしいのだけれど、昭和天皇も食されたというおいしい芋ということで楽しみにしていたのだけれど、土地が肥えていないと大きく育たないということだったので、ちょっと牛糞を入れただけのうちの畑では無理だったのかな?と思った。まだ4~5本葉が出て育っているものは掘り起こさずにそのままにしておくことにした。

2015年6月26日(金)

次の写真は、果樹園の側のグアンドゥ豆の林。グアンドゥ豆は時々収穫して食べているけれど、たくさんありすぎて追いつかない。でもこの豆の木を植えている主な目的は、ブラキアーリアという草をはびこらさないためなので、収穫が追いつかなくてもいいのだと考えている。ブラキアーリアは栄養価はあまりないけれど、牛の飼料になるのでこの辺りの土地はどこもかしこもブラキアーリアで被われている。ブラキアーリアという草は牛に踏まれても踏まれても生えてくるような強い草で、根から毒素を出して他の植物が育たないようにするため、その土地は痩せてしまう。でも、グアンドゥ豆の木は成長に伴い足元が日陰になるのと、落ちた葉が足元を被うので、ブラキアーリアが生えにくくなるという利点があり、さらにグアンドゥ豆は根からチッソを出すので、やせ細った土壌の改良になるということで、せっせとブラキアーリアを取り除いた土地にグアンドゥ豆の種を蒔いて育てている。

2015年6月27日(土)

次の写真は、果樹園に3本ある大きな実がなる桑の木の内の1本。たくさん桑の実の赤ちゃんがなっているのが見える。今は冬なので、普通の小さい実のなる桑の木は、2枚目の写真のようにほとんど葉が落ちて裸になっているのだけれど、この大きな実がなる桑の木はすでに新芽がたくさん出てきていて、特に、この1本は青々とした葉をたくさんつけて、赤ちゃんの実をたくさんつけているので、写真に撮ってみた。秋から冬にかけて葉が落ちるので、しばらく桑の葉茶を作ることができなかったのだけれど、この木はたくさん葉をつけ始めたので、最近この葉を取ってきてまたお茶を作るようになった。エドソンは桑の葉茶を飲んでいると夜よく眠れるし、体調が良いように感じると言って、葉を取ってきてくれるので、毎日せっせと作っている。この若葉で作った桑の葉茶は、時間が経過すると茶色ではなく、濃い緑色になるという違いを発見。不思議だなあ・・・。

2015年6月28日(日)

次の写真は、エドソンが撮ったある日の夕暮れ時。夏の夕暮れ時は太陽がこのランドマークの木の左側(南側)で沈むのだけれど、季節とともに段々と太陽の沈む位置が右側(北側)に移動して行き、今の時期はランドマークの木よりもずっと北側で陽が沈むため、家の中にいると、夕陽は防風林の間から少し見える程度で、沈み行く夕陽を拝む機会は少なくなる。

次の写真は、ランドマークの木を少し北側に行ったところから撮ったもの。夕陽があたってこのランドマークの木やその左後ろにあるユーカリの木々がまるで紅葉しているように見える。ダイニングルームの窓から見える南西側の森の木々が夕陽で黄色く見えることもあり、紅葉など見ることのできないここの気候だけれど、冬にこんな感じでちょっとした紅葉のような景色が見られることを最近発見した。

2015年6月29日(月)

次の写真は、同じくエドソンが撮った夕暮れ時の我が家。庭に植えた4本のヒマラヤ桜(一番左側の1本は写っていない)が、今年はだいぶきれいに葉を落としている。枝先にはまだ葉が少し残っているけれど、例年に比べて一番落葉しているので、来月あたりには満開の桜の開花が期待できるかな?と楽しみに待っているところ。

次の写真も同じ日にエドソンが撮ったもの。我が家を南西側から撮っている。外階段横の箱庭は植物であふれている。この箱庭の壁沿いに4本植えた赤い葉の植物の内、一番右側のものはどんどん成長して、もうすぐダイニングルームの窓に届きそうな勢い。他の3本はゆっくり成長しているのに、何故この1本だけこんなに背が高くなっているのだろう?ここは1日を通じて一番日当たりがいいのかな?階段の左側にもたくさん草が生えてきているのだけれど、小さな花が咲いているので抜き取るに忍びなく、そのままにしている。

2015年6月30日(火)

この日曜日の午後、ひとりでお散歩に出ていたエドソンが桜の花をふたつ持って帰ってきた。家の南側の三角地帯の西側入り口に植えた数本の桜の内、ヒマラヤ桜1本とそれよりもずっと若い沖縄桜の1本に、ほんの少しだけ花が咲き始めていると教えてくれた。エドソンの手の中のふたつの桜の花は、ひとつはヒマラヤ桜で、もうひとつは沖縄桜なのだけれど、「どっちがどっちだか当ててみて」と言う。見た感じほとんど違いがなく、私の答えは見事に外れた。次の写真は、少し花を咲かせた沖縄桜。

次の写真は、上の写真の隣のヒマラヤ桜。このヒマラヤ桜は5年前の冬、うちで一番最初に植えた木なので、一番古い木で、いつも一番最初に花が咲き始める。今年も庭のヒマラヤ桜やその他あちこちに植えた沖縄桜はまだどれも開花していないこの時期にまず咲き始めた。これらが一斉に開花すると見応えがあると思うのだけれど、この2本の木を見る限り、つぼみはまだ固そうで、例年通りポツリポツリと咲くのかなあ・・・と、思ったりしている。



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